黒田長政は普段、異見会といって、毎月1回づつ本丸釈迦の間に釈迦の像を懸け、夜話を催した。
それに出席する会衆は、家老の他、思慮があり談合の相手に良き者、また主君の為をとりわけ思う者、
そういった人々で、5〜7名以上にはならなかった。

その物語のやりようは、他の人々を退けて、先ず長政がこう発言する
「今夜は何事を言ったとしても、重ねて意趣に残してはならない。また、他言してはならない。もちろん
この場で腹を立ててはならない。思っていることは、必ず発言を控えてはならない。」
このように誓言すると、一座の者も残らず、同じ誓言をする。

その後一座の者達は、長政の身の上の悪しきこと、諸士への対応や国中の仕置の道理に違っていること、
何れも底意を残さず語った。
あるいは過ちあって出仕を止められ、又は扶助を離れた者の詫び言、その他何事であっても、通常では
言いにくいことを言った。

また家老の間、傍輩の間に心にかかる事があり、それを言いたく思っても、もし相手の受け取りようが
悪ければ遺恨になり、そうなっては主君の為にも宜しからざる事だと遠慮して控えていたことも、
心に思うことを、相共に残さず言い合い、互いに心底に滞らないようにした。誠に心の底からの
議論である。

その場でもし、長政に少しでも怒るような雰囲気が見られると、他の者達は
「おやおやこれは一体どういうことですか!怒り給えるように見えますぞ!」
と申し上げる。すると長政は
「いやいや、心中には少しも怒りはない!」
と、顔色を和らげるのだ。

上下ともに、悪しき事は繰り返し、幾度も合点の行くように、互いの心を残さず言い出すので、
甚だ益のある会合と成るのである。

この会は、何日の夜という決まりがあるわけではなく、長政が思いついた時に、
「今夜は例の腹立たずの会をするぞ。会衆を呼ぶように。」
と、俄に申し付けるのである。長政もこの会合を甚だ益あるものだと考えていたため、逝去の前、
息子忠之への遺言の中にも
『我等致来候様に、異見会の儀、毎月一度釈迦の間にて催可被申候』
と書き置かせたのである。

(黒田家譜)

黒田長政の『腹立たずの会』についての記録である。