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戦国ちょっといい話39

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0001人間七七四年2013/12/28(土) 15:41:31.69ID:m9sYieeK
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話38
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1377700193/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話38
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1386399929/

【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0083人間七七四年2014/01/12(日) 00:50:31.87ID:z0+u1h7t
権現さまは戦になると敵に突っ込みたいの我慢出来なくて手に血が溜まるほど手綱打つんだよなw
0084人間七七四年2014/01/12(日) 01:48:31.75ID:KX5T3hIg
家康「ワシの我慢値5歳の時には90あったよ」
0085人間七七四年2014/01/12(日) 10:04:36.90ID:uO5dnJqc
???「ですが、残り10足りなかったから焼き味噌をぶちまけたのですな」
0086人間七七四年2014/01/12(日) 10:26:12.52ID:PEYCJOzI
>83,????「うちの殿もそうです。だから大将が突っ込んでどーするのよ。討死したいの?そうなんですか!」
0087人間七七四年2014/01/12(日) 12:36:02.77ID:OYBE6wZn
>>82
シエ「叔父さんに言われて信康義兄殺したらのは引いたわ」
0088人間七七四年2014/01/12(日) 15:38:42.61ID:2v0Zvogn
黒田官兵衛と秀吉は「義兄弟の契り」を交わしたというけど、
男色関係を結んだのですか?

それとも、アナル・セックス無しのセックス・フレンドになっただけなの?

どちらでせうか?
0089人間七七四年2014/01/13(月) 02:32:25.79ID:+iF04V+p
やくざはホモばっかりか?
0090人間七七四年2014/01/13(月) 02:33:47.94ID:43eNQUIh
マルチのキチガイに構うな
0091人間七七四年2014/01/13(月) 10:11:31.85ID:cD6+1UW4
>>87
実は言及してるんだよなあ。というかこの慶長17年の教訓状はこっちがメインだけど

『幼少の者が利発だからといって、それを褒めたて、立木のままに育ててしまえば、成人した頃には気ままで我儘となり、
後々は親の言うことも聞かなくなるものです。
親の言うことさえ聞かないのですから、召し仕えている者の意見など、なおもって聞かなくなります。
そのようなので、後には国や郡を治めることはおろか、我が身さえ立てられなくなってしまいます。

一体、幼少の頃は何事も素直なものなのですから、どのような窮屈な育て方をしたとしても、要は最初からの
仕付け次第で、外から思うほどには、大儀なことではないものです。

これを植木に例えてみますと、始めに双葉に分かれた節は、人間の産立ちと同じことですので、随分と丁寧に養育し、
もはや2,3年も経って枝葉が多くなった頃、添え木をして真っ直ぐになるように結い立て、そのうちに、悪しき枝は
芽を出した時に切り取り、年々、この通りに手入れいたしましたら、成木になった頃には、真っ直ぐな良い木に成ります。

人もその通りです、4,5歳からは添え木となる人を付けおいて、悪しき枝が、我儘に育たないように致せば、
後に素直によき人となるものです。幼少の頃に育ちさえすれば良いと考えてしまい、我儘にさせたままおいていながら、
年頃になって急に異見をしても、我儘の枝ばかりが繁り、本心・本木には癖がついていて、それは治らないものです。

この事については、私には今もって思い当たることがあります。三郎(信康)の事ですが、この子が産まれた時は、
私も齢が若かったので子供が珍しく、その上ひがいす(痩せて産まれた子)だったので、育ってくれさえすれば良いと
考えてしまい、気の詰まりそうなことはさせず、気ままに育ててしまいました。
そのため成人してから急に色々と言い聞かせたのですが、とにかく幼少の頃に行儀作法もゆるやかに、放任して育てて
しまいましたので、親を敬することもせず、気安く思って、「あれはこれだから」「これはあれだから」などと言い訳ばかりいたし、
後には親子の言い争いのようになりまして、何度言っても聞き入れること無く、かえって親を恨み、また親どころか、
そもそもの自分の生まれつきが悪いと思うようになっていきました。

わたしはこれに懲りましたので、他の子供は幼少から、私の前でも子供に行儀作法を良く良く仕付けてくれる者に言いつけておき、
もし少しでも不行儀、我儘なことが有れば、私に隠さず、いちいち知らせてくれるように言いつけておいて、それを伝え聞き、
私の前に出た時には、毎回解るように言い聞かせ、あるいは叱り、また「これはそのようにはしないものだ」といちいち
言い聞かせるようにしましたので、みな陰日向なく素直に育ってくれました。』

この時徳川家康69歳。自身の失敗も踏まえた子育て論である。
0092人間七七四年2014/01/14(火) 02:12:05.68ID:rtHIyGi0
さすがに良いこと言うよなぁ
十で神童十五で才子二十過ぎればただの人、とはよくいったもので
小さいうちから道理ってもんを教えておかないとあとが大変よね
親もわきまえておかなきゃならんから難しいんだろうけど
0093人間七七四年2014/01/14(火) 06:56:37.25ID:E1e17gad
慶長5年(1600)の春、堺にとある船が寄港した。これはイギリスという島よりの船であり、
黒船(スペイン・ポルトガル船)の敵であると言われた。船中には具足や大鉄砲が多数あった。
具足は腰より上のものばかりであった。

内府公(徳川家康)はこれを見聞し、上から下までこれを見て、彼らに猩々皮以下の売買に関して
問題はない事を伝え、これを伝えるための帰国を命じた。

この船は唐船(中国船)の敵でもあったので、「誅伐を命じるべきなのに」と人々はみな
この措置に関して言った。

(当代記)

徳川家康の、イギリス船来航への対応である。
0094人間七七四年2014/01/14(火) 14:42:24.24ID:CCjADils
それはウィリアムアダムスこと三浦さんの立ち振舞いに好印象持っていたからでは?
イエズス会からのリーフデ号は海賊船だから処刑してくださいの要請無視したし
0095人間七七四年2014/01/14(火) 18:12:17.66ID:t5uftKhP
>>94
リーフデ号は臼杵湾に漂着だから違うだろ
0096人間七七四年2014/01/14(火) 20:53:03.42ID:YfpHYSoA
リーフデ号はオランダ船だし要件からは外れてるわなぁ
0097人間七七四年2014/01/14(火) 23:33:24.02ID:ArQiQufr
腰より上の具足というのは、この頃流行してた半甲冑だな
0098人間七七四年2014/01/15(水) 00:47:43.90ID:Ikn+QHqz
ウィリアム・アダムス(三浦按針)がイギリス人で、エリザベス女王がオランダのスペインからの独立を支援したり、
カトリックから脱会してイギリス国教会を立ち上げたりとスペイン、カトリックとイギリス、オランダは対立していた。
で、ウィリアムも参戦したアルマダ海戦へと繋がる。
リーフデ号漂着した件を担当したのが権現様。
そこでイエズス会からリーフデ号は海賊船だと申し入れがあるが本当か?と聴かれ、
ウィリアムたちが自分たちは欧州の宗教争いには関係ないと堂々と述べた姿を権現様が気に入って、
その後もイエズス会から申し入れは続いたが、リーフデ号を日本で裁くことはしなかった。
って話がある
0099人間七七四年2014/01/15(水) 09:17:22.95ID:PNmpsLYe
それを知ってる前提でリーフデ号じゃないだろ、と言ってるわけで
0100人間七七四年2014/01/16(木) 07:41:36.23ID:RJKrsCC3
拙者、高坂弾正と申すは、武田信玄公の臣下の中で一番の臆病者である。

下々の者から子供たちまでからかって、
『保科弾正鑓弾正、高坂弾正逃げ弾正』(保科弾正は他人を先に”やる”弾正、高坂弾正は逃げ出す弾正)
と言いふらされたものだ。

私の家は春日源五郎の名を代々継いでいたと言っても、父は春日大隅という甲州井沢の大百姓の
出身であり、私は幼少から故郷を離れ、姉婿と田地のことで公事(訴)に及び、私が負けた時に、
この公事の場からご奉公の命を頂いた。

この時信玄公は22歳、わたしは16歳で、最初は小人(雑役)であったのに、幸運にも廿人衆(徒歩で
軍隊の先導をする下級武士)を経て、はからずも1ヶ月も経たないうちに近習の地位に任じられ、
信玄公の側近く、御膝元に奉公する身となったのだ。なんという幸運な機会に恵まれたことだろう。

その後は、ご意向に沿うことが出来ず仮にも一月もの間仕事を与えられない、などという事もなく、
無難に引き続き奉公いたし、春日弾正と称して尼飾城主に任じられ、今は海津城主の高坂家を継いで
高坂弾正と呼ばれるに至った。

まことに、ご奉公に出仕してから24歳までは、同輩には「あのようなマヌケ者の弾正を昇進させるのは
ひとえに信玄公の見込み違いだ」などと、あちこちから言われたものであった。しかし、この事は
私にとって薬となり、信玄公の意に沿うように。一段とご奉公に精を入れたのだ。

(甲陽軍鑑)


甲陽軍鑑より、高坂弾正が自身の立身を語った一節である。
0101人間七七四年2014/01/16(木) 20:34:42.42ID:9idnpS5s
高坂殿の尻穴が大変な事になってる事について一切触れられていないとはどういうおつもりか!!
0102人間七七四年2014/01/16(木) 21:18:55.21ID:QyqN7lNg
高坂はケツの穴の小さい男じゃないからだろ!
言わせんな恥ずかしい!
0103人間七七四年2014/01/16(木) 21:36:55.83ID:0WnoPM87
やっぱりこういう流れになるのかよ!
0104人間七七四年2014/01/16(木) 21:56:03.48ID:XRYkZD9m
一応言っておくと、例の武田信玄の書状は、宛名に「春日源助」とあるのが、「春日」の部分が後世の書き足しだと
判明していて、なおかつ高坂弾正は「源助」と名乗ったことはないので、この書状は高坂弾正宛ではないと
現在はほぼ証明されてる。
0105人間七七四年2014/01/16(木) 23:08:01.59ID:A2ZHz1rm
信玄の書状でも無い?
0106人間七七四年2014/01/17(金) 11:27:50.79ID:ME3V0Bit
なんで相手の意見を否定するのに証拠を相手に出させようとするんだよw
0107人間七七四年2014/01/17(金) 15:47:17.60ID:YeGeqghY
一、相撲をとる人が勝とう勝とうと思うがために、自分より力劣る人を
もし存分に骨身を傷つけるほどの力に任せて勝って喜ぶことになっても、

その一方で自分より力の勝る人には負けて身骨を傷つけられて苦しむのだ。
世間の人の心も「人を謗ろう、人が悪い」と思う人は、必ず自分の身に悪い。

自分より弱い人を押さえて滅したとしても、一方で自分に勝る人がいて
自分を押さえることは歴然だ。ただ「人も善くあれ、我も善くあれ」と、
思うべきである。

一、人として人のために善くあれと思うことは誠に難しいものだな。

およそ生きとし生けるものは争わないということがない。空をかける翅、
地を走る獣、螻蟻蚊虻にいたるまで争わないということがない。

だから、人として争わないことは難しい。心底では争っているけれども、
外では争わない顔をするのは礼である。これを人という。

この礼を持たずして人に向かう時は、とりもなおさず早々に共に争う。
これは人にして禽獣に近い。

――『東海夜話(沢庵宗彭著)』
0108人間七七四年2014/01/17(金) 18:37:19.46ID:7DevHlyN
現代にも通じてるね
0109人間七七四年2014/01/17(金) 19:48:34.00ID:1Rx53UPY
当時なら大一大万大吉
現代なら思いやりかな?

そして言うは易し行うは難しと
0110人間七七四年2014/01/17(金) 21:10:15.38ID:yQct1QOq
武士か儒者の言葉だろうと思い読み進めたら仏教坊主だったでござるの巻
0111人間七七四年2014/01/18(土) 00:00:09.79ID:Q9tscSoN
『徳川武士銘々傳』による徳川四天王紹介(※添えられている既出の逸話は割愛)

酒井忠次は徳川家康の四天王とされ、井伊・本多・榊原と雄名を天下に表わしたる。
中興の祖を忠次とする。
忠次は本多忠勝に似たる豪雄ではない。
榊原康政の如く身に七十創を蒙る「曹参」の武勇にもない。
井伊直政が如き勇将の器でもない。
一言で約せば沈勇にして謀略に富し者である。
忠次の如きは将略の勇がある。
絶奇なる籌策を抱く人というべし。


本多忠勝は秀吉より源義経の家臣である佐藤忠信の兜を与えられたことがあったが、
その恩威にも心を動かさず、天下の御家人となることは彼が喜ぶ所ではなかった。
ただ、三河武士と唱えられ徳川累代の家臣と呼ばれることが、この上なき栄誉と思っている。

忠勝の勇は戦国の士に求め難きもので、忠勝の忠は全く絶倫である。
忠勝の勇は「樊噲」に適し、智は「韓信」に比す可きだ。


榊原康政は忠臣無双の将である。
英主に康政が如き臣あり、勇にして智あり。
康政の勇は人のよく知る所であり、彼の智は知らない人はいない。


井伊直政は悪木盗泉で徳川殿に仕えて二心なき武士なり。
かかる義列の直政は勇武の気性も鬼神を凌ぐ勢いがある。

長久手の役の折、この先陣に進みたるは言わずもがなの直政。
家名と共に照り輝く赤幟、赤旗、朱具足で白きは槍の身刃のみ。
この槍刀さえ一振りすれば唐紅に敵の血潮で染め上げて赤き心を表わす。
この赤隊はアサヒに輝き山よりこなたへ馳せ降り、天下の上方勢を遠慮なく縦に横にと掛け破り、
大将をあまた討ち取って、名もなき士卒は蕪大根を切るが如くスッパスッパと飛ばす。
この時より天下に轟く勇名は「赤鬼」と呼ばれるようになる。

また、士卒を率いて戦う将帥の器のみならず、打物執っても無双の武士なり。
昔日の武人が侍従といい、兵部を称するのは実に無上の栄誉であり
かかる高位の直政も君の馬前に死は塵芥より軽く、利は一足の草鞋に同じく、
婿君と仰ぐ下野守の初陣に手柄を取らせようと将たる地位を置き自ら手を下して敵に向かうは、
乳虎を叱咤する武夫の胸中に嫣然とした美人も愛してしまうであろう可憐な情もある。
直政こそ古今無類の武将と仰ぐべきだ。
01121112014/01/18(土) 00:18:57.12ID:Q9tscSoN
修正

・忠勝の勇は「樊噲」に適し→忠勝の勇は「樊カイ」に適し
・かかる義列の直政は→かかる義烈の直政は
0113人間七七四年2014/01/18(土) 01:07:19.13ID:KRm5VfS3
人物紹介
0114人間七七四年2014/01/18(土) 09:26:19.83ID:9JYqeLNU
近代デジタルライブラリーでざっと読んだけど
徳川家臣のいろんな逸話を幅広く集めて紹介しているが
読んでみるとやっぱり四天王は他の徳川家臣とは違うことが解る
>>111のような比較も興味深いね
0115人間七七四年2014/01/18(土) 15:39:00.26ID:WhKpmH8n
そんな徳川四天王も結局は「狡兎死して走狗烹らる」の運命。
0116人間七七四年2014/01/18(土) 15:41:37.00ID:seiNbtwq
四天王の所は「名誉家系」として幕末まで続いてるよ?
0117人間七七四年2014/01/18(土) 15:54:04.78ID:RQ47MmjE
徳川ほど粛清しないのも世には珍しいくらいだが
0118人間七七四年2014/01/18(土) 16:06:02.61ID:Nhc8m0pO
羽柴四天王と徳川四天王を比べればわかるよ
0119人間七七四年2014/01/18(土) 16:23:04.13ID:SSBslH6O
海老すくいさんにしてもパパにゃんにしても冷遇されてるってわけじゃないわな
0120人間七七四年2014/01/18(土) 16:26:12.06ID:wE0h5lRb
榊原なんか普通なら改易されるような事3,4回やらかしてるのに明治まで残ってるし。
0121人間七七四年2014/01/18(土) 16:37:09.03ID:9mmhZYgF
家康だか秀忠から誓書もらってたんだっけ
0122人間七七四年2014/01/18(土) 16:44:21.09ID:ZP9mQt3Q
あるとき直茂さまが、御孫の元茂さまに、
「身分の上下関係なく、時節が来れば一家の滅びることもあるだろう。
その時、無理に取り繕うならいかにも未練がましく、恥をさらすような滅び方をする。
いよいよ無常の風が吹き荒れるような時節が来たならば、きっぱりと滅びる覚悟を決めるのだ。
そうするとまた、滅亡をくい止め、一家が立ち直る方法も見つかるものである」
と話されたとのことだ。
この話は、元茂さまがいつものように話されていたから、直朗殿がよく覚えていたのである 【葉隠】
0123人間七七四年2014/01/18(土) 16:57:22.50ID:9JYqeLNU
>>119
海老すくいさんが例の件とかで冷遇されていたわけじゃないってのも子孫みてもわかるけど
パパにゃん冷遇なんて聞いたことないけどな
佐和山っつか彦根も都の守備や大坂城を見据え西の大名衆に睨みを効かすを要所でパパにゃん配置はすごく納得だし
0124人間七七四年2014/01/19(日) 09:02:36.12ID:6oTVi26r
あるとき遣欧使節団が、ポルトガルのサッカー選手を夢見る孤児たちを育てる
団体に蹴鞠(けまり)を寄付することになった。
エージェントが現地へ赴き、少年たちに蹴鞠を渡す。
少年たちはとても喜んだが、渡された朝廷謹製の蹴鞠を見て
「朝廷謹製ではなくて、メーカーは『信長』が良かった。」
「『信長』の蹴鞠はとても使いやすかった」
と口々に言う。

遣欧使節団のエージェントは首をひねった。
…信長?そんなメーカーがあっただろうか。
「これだ」と、手渡されたボロボロの蹴鞠を見てエージェントは驚いた。
すでにかすれてしまっているものの、蹴鞠にははっきりとサインペンで

「夢をあきらめるな 信長」

と、現地の言葉で記した跡があった。
数年前に、信長もこの団体に200個もの蹴鞠を送っていた。
さらに信長は、そのボール全てに自筆のメッセージとサインを入れ、
それを子供たちは「信長」というメーカーの蹴鞠であると思い込んでいたのだ。
0125人間七七四年2014/01/19(日) 10:46:01.74ID:j2ITi3xr
>>40>>50
本人は立派な人でも後継者の育成には失敗する
っていう事はよくあるけど、隆景はまさにそんな感じ。
養子の金吾もな
0126人間七七四年2014/01/19(日) 10:52:24.90ID:3k3SFcgD
養子にした一年後に隠居してるのに育成も何も
隠居せずにちゃんと育てろというかも知れないが、どうせ3年で死んでるし
0127人間七七四年2014/01/19(日) 11:07:00.89ID:l1uUsBe3
家臣団さえ分離してるしなぁ…。
名目上の父だからと言って教育する義務まで無いわなぁ。
0128人間七七四年2014/01/19(日) 11:09:31.23ID:j2ITi3xr
>>126-127
いやいや、引継ぎも含めての隠居でしょう
応仁の乱とかは将軍家も管領家も後継・養子が原因になったし
0129人間七七四年2014/01/19(日) 12:26:27.47ID:/jpDduKl
毛利本家と切り離したかったとか
0130人間七七四年2014/01/19(日) 13:37:09.26ID:ALzPck1e
金吾は殴る人の責任じゃないぞ。あそこで寝返るなんて思わんだろjk
0131人間七七四年2014/01/19(日) 13:53:41.17ID:f8xuhS7+
まあ親会社を天下りに乗っ取られるのを防いだんだから十分だな
0132人間七七四年2014/01/19(日) 14:01:38.15ID:JzWLEfc7
>>130
小早川だけなく毛利一門は関ヶ原直前にすべて東軍に寝返ってますよ
0133人間七七四年2014/01/19(日) 14:13:00.95ID:ALzPck1e
やっぱ輝がわるいのかw
0134人間七七四年2014/01/19(日) 14:25:17.47ID:+Y+tN7PG
悪いのは暗黒寺
人を逸話と世評と実績と一次資料だけで判断するんじゃない
0135人間七七四年2014/01/19(日) 14:29:57.17ID:qkDQ1w1C
それ以外になにで評価するんだ?
むしろ逸話を除け、てならわかるが
0136人間七七四年2014/01/19(日) 14:55:37.99ID:JzWLEfc7
ほんとネガキャン必死だね
0137人間七七四年2014/01/19(日) 17:26:38.32ID:l1uUsBe3
秀秋の場合、関ヶ原の前には毛利との繋がりが失せてるんだよなぁ
0138人間七七四年2014/01/19(日) 20:39:20.29ID:dV2qOaNU
俗に伝わることには、忠次は御家人の中で第一の旧臣であり、家康公のおばの婿(姨聟)であったので、
御家人たちは忠次を崇敬し、忠次が他人の家を訪ねるときに下馬をしなくても、これを無礼だと思う者はいなかった。

秀忠公は忠次の武勇にあやかろうということで忠次の諱字を貰い、
また秀吉公からも諱字を賜ったので、秀忠公とお名乗りになったのである。


『武家事紀』より、忠次の項にある秀忠の諱の異説である。
0139人間七七四年2014/01/20(月) 00:59:16.60ID:ODbzzr/b
家康「えっ、忠って普通に先祖から続く通字なのに。父上の広忠とかワシの最初の名の元忠とか」
0140人間七七四年2014/01/20(月) 01:01:49.28ID:ODbzzr/b
いけね、家康の最初の名は元信だった
0141人間七七四年2014/01/20(月) 01:28:21.26ID:07eURHZG
つーか酒井忠次の忠は家康の父親の広忠の忠だよなあw
0142人間七七四年2014/01/20(月) 01:36:04.32ID:lHcbYmax
織田秀信公は秀吉公からも諱字を賜ったので、秀信公とお名乗りになったのである。
織田秀信「えっ、秀って曽祖父の信秀からとったんじゃないの?」
0143人間七七四年2014/01/20(月) 01:45:57.09ID:7uIrQSkE
義元を信ずるからこその元信であろうが
その方の分際で義元を安んじる元康とは何事か!
古〜い漫画の台詞
0144人間七七四年2014/01/20(月) 02:18:59.91ID:lHcbYmax
義元を信ずる、だと信元にならないか、元信なら義元が信ずる
元康でも義元がやすんじる、でいい意味だと思う
0145人間七七四年2014/01/20(月) 03:30:16.27ID:QO2tIAkQ
元を頭に持ってきたのは一字をくれた相手を敬う形でつけんじゃねえの?

謙信も『輝』虎 『政』虎
武田晴信や伊達晴宗や南部晴政や長尾晴景とかのも頭にあるが形だけはエライ人からの戴きものだったハズ…
01461442014/01/20(月) 03:35:36.54ID:B9onzyKh
>>145
無論それはわかってる
元信、元康の意味のその漫画での捉え方がおかしいと書いてるんだが
0147人間七七四年2014/01/20(月) 19:38:58.55ID:07eURHZG
慶長8年(1603)
この頃、かぶき踊りという物が現れた。

これは出雲国の巫女(名は国。ただし美人ではなかった)が始め、京都へ上がった。
タチは異風な姿をした男の真似をして、刀脇差し、衣装以下全て異相で、この姿をした男役が、
茶屋の女と戯れる様子を表現していた。

京中の上下は多くがこれを賞翫した。またこの国は伏見城にも参上し度々踊った。
その後、この国に学んだかぶきの座が多く出来て、諸国へと下って各地で公演をした。
ただし、江戸の右大将秀忠公は、生涯これを見なかった。

(当代記)

当代記より、歌舞伎の始まりについての記事である。
0148人間七七四年2014/01/20(月) 20:32:24.80ID:B6fvkGQ6
兄ちゃんは大ファンだったのに。
0149人間七七四年2014/01/20(月) 20:49:56.65ID:mmedVXuk
宝塚が思い浮かぶ
0150人間七七四年2014/01/20(月) 21:40:58.46ID:smXxv4Y4
弟子に安芸吉田の出身の人がいたから阿国は毛利のスパイ説ってのがあったな。
そういや吉川広家って元かぶき者だったっけ。
0151人間七七四年2014/01/21(火) 00:44:54.25ID:TQpS+d1D
歌舞伎者って転職できるようなもんなのか
0152人間七七四年2014/01/21(火) 00:47:09.54ID:p1jduoiW
ワルぶってた奴がカタギに戻るのはよくあること
0153人間七七四年2014/01/21(火) 10:03:36.43ID:n6PAoQW6
おお この世の すべての命を つかさどる神よ! 広家に 新たな人生を 歩ませたまえ!
0154人間七七四年2014/01/21(火) 18:04:16.70ID:UZE7uljm
神官は誰なんですかね……
0155人間七七四年2014/01/21(火) 18:28:56.74ID:89KYyHl6
若い頃やんちゃ→歳とって名君
信長、利家など

若いころやんちゃ→死ぬまでやんちゃ
DQN眼竜

若い頃から悪→極悪
悪久
0156人間七七四年2014/01/21(火) 18:38:51.89ID:RKM5WGP6
逆に若い頃は大人しかった人が年取ってやんちゃ者にクラスチェンジする例はあるのだろうか
0157人間七七四年2014/01/21(火) 19:37:16.66ID:86+1xQ7I
悪久は意に沿わぬ政略結婚を押し付けられて壊れちゃったんだよね
0158人間七七四年2014/01/21(火) 22:33:49.52ID:NnkDaGF6
年取ってヤンチャになったら多分「殿、御乱心」とか言われちゃうんだろな
それか狐憑きとかお手紙に書かれたり
0159人間七七四年2014/01/21(火) 23:08:47.44ID:dkrSRKuy
>>156
姫若子
0160人間七七四年2014/01/21(火) 23:11:38.91ID:b9ViauOW
明治天皇はヤンチャになったというのだろうか
0161人間七七四年2014/01/22(水) 00:54:07.57ID:A9aNcvc7
>>156
秀吉
0162人間七七四年2014/01/22(水) 08:51:37.90ID:4pAsEEOc
>>161
秀吉はほとんど変わってないぞ
0163人間七七四年2014/01/22(水) 08:57:59.99ID:gXT3m4K/
秀吉は29歳まで何やってたか分からない人なので若い頃の話はちょっと
0164人間七七四年2014/01/22(水) 13:07:21.24ID:DEnjE4X/
>>156
戦で失敗して、次の戦で汚名返上した逸話は過去にいくつか出てた
0165人間七七四年2014/01/22(水) 17:35:19.15ID:pB+3k27D
基本まともだ、戦場でやんちゃはけっこういるなw
0166人間七七四年2014/01/22(水) 18:45:26.09ID:/2pnHzIC
>タチは異風な姿をした男の真似をして、刀脇差し、衣装以下全て異相で、この姿をした男役が、
>茶屋の女と戯れる様子を表現していた

出雲の阿国をドラマ化するとしたら、阿国役は中谷美紀かな?
0167人間七七四年2014/01/22(水) 21:48:51.96ID:kRxYgF7X
美人やないと記録残した奴談だが
出会い茶屋を描いた風俗芝居と今で言うストリップみたいな踊りで
当時のオタ民衆に人気出たから文献者好みじゃなくても民衆受けする可愛さだったかもしれんな
0168人間七七四年2014/01/22(水) 22:06:17.25ID:A9aNcvc7
>>156
花田勝
0169人間七七四年2014/01/22(水) 22:25:34.85ID:DR1fBhki
歩き巫女だか女芸人は身体と芸を売って生計立ててた
当時では珍しい事でもないがえろいな
0170人間七七四年2014/01/22(水) 23:07:01.84ID:DEnjE4X/
数で言えば現代のほうがエロいぞ
AV女優って月に何人デビューしてるんだ?ってくらいいるだろ
0171人間七七四年2014/01/22(水) 23:10:12.51ID:vaJrDvNO
>>166
踊り上手くて妖艶色気ある女優が良い、まぁドラマ化なら数年前菊川怜がやってが。
0172人間七七四年2014/01/22(水) 23:17:01.17ID:30bh2vut
可愛かったら女役をするだろうし男装が似合うイケメン顔だったんでは?
0173人間七七四年2014/01/22(水) 23:26:30.24ID:rekQxYeZ
>>172
女が男装して着物肌蹴ながら性の倒錯的な色気のある踊りが狙い所でそれが大ヒット
可愛かったのか余程色気が凄かったのかは知らんが男受けは良かった訳だ
0174人間七七四年2014/01/23(木) 00:34:14.86ID:OTQikQou
信長は女装もしてたらしいな
0175人間七七四年2014/01/23(木) 15:02:08.05ID:y76YEOgF
今も昔も文化や文明を大きく発展させるのはエロの力だなw
0176人間七七四年2014/01/23(木) 17:24:35.73ID:A8OYVZHq
衆道ですなw
0177人間七七四年2014/01/23(木) 19:58:03.90ID:bUkoER/g
いつの時代もエロスは偉大だ
0178人間七七四年2014/01/24(金) 06:34:56.81ID:m6s3wWSH
サケ好き「義光給食」で気分は戦国武将

山形の8小学校

サケ好きだったとされる戦国武将・最上義光にちなんだ給食が22日、山形市の小学校8校で提供された。山形三小(酒井智子校長、423人)には甲冑姿の武将や市の観光PRキャラクター「はながたベニちゃん」が訪れ、郷土の偉人をPRした。

(つづく)
0179人間七七四年2014/01/24(金) 06:41:59.88ID:m6s3wWSH
(つづき)

城下町山形の礎を築いた義光の没後400年を記念し、市学校給食センターが企画。
給食は15日から市内の学校で提供している。メニューは県産サケを用いた「義光公もよろこ(ん)ぶ」昆布巻きをメインに県産米「つや姫」のムースなど。

山形三小の4年生の前に、最上義光歴史館サポータークラブ「義光会」の会員が扮した義光とその家臣、ベニちゃんが登場し、サケをおいしく食べたとの手紙が残るなどのエピソードを紹介。
給食を味わったTさん(10)は「サケ好きだと初めて分かり、違った一面が知れて良かった」、K君(10)は「義光公についてもっと勉強したくなった」と話していた。

山形新聞ニュース

「鮭様」の愛称は最上義光歴史館のこどもページの元ネタはあれ、
この「戦国板」が本家だと思ってる。

…(´・ω・`)(●Д゚)「正月の帰省で市内のスーパーで輸入物しかほとんど見かけなかったと思ったのに、県産のサケだと!?」
0180人間七七四年2014/01/24(金) 06:47:15.12ID:9QQQ8Gg9
山形市史が義光公を貶めて黒い影を纏わせたんだろ?
なんでいまさら持ち上げるんだ?
0181人間七七四年2014/01/24(金) 06:49:15.21ID:m6s3wWSH
義光公のおやじギャグの伝統まで…

400とン年前
・一栗高春→可児才蔵がササガニだから高春と合わせりゃサルカニ合戦だね♪
・高橋亥之助→武太之助と名乗りなさい♪
・豆、楓、胡桃、松→元気(まめ)に帰って来る身を待つ♪
0182人間七七四年2014/01/24(金) 06:56:03.85ID:m6s3wWSH
>>180
「服部天皇」で検索する事を勧める。
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