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戦国ちょっといい話39

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0001人間七七四年2013/12/28(土) 15:41:31.69ID:m9sYieeK
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話38
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1377700193/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話38
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1386399929/

【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0556人間七七四年2014/03/07(金) 11:34:27.38ID:Zj3W59Uv
何事かまくしたてる悪霊をスルーかw
女房つよいな
0557人間七七四年2014/03/07(金) 20:19:13.83ID:CDHEUHJN
三州の大融和尚が病人を見舞いに訪れると、
「ただ今、亡くなりました」
と家の者が答えた。
和尚は、
「すぐに亡くなる状態ではなかったと思うが、養生に問題があったのではなかろうか。
残念なことです」
と言葉をかけた。
すると障子越しに会話を聞いていた医者が怒り心頭の様子で飛び出して、
「養生に問題があり亡くなったとの言葉確かに聞きましたぞ。
たしかにわたしなどは下手な医者ですからそうなのかもしれません。
ところで、出家には法力があると聞いておりますが、
ひとつ和尚の法力でこの死人を甦らせてみせてください。
法力の効果があらわれないのであれば、仏法などは役に立たぬものでしょう」
と仏法をあざけるように言った。
和尚は迷惑な言い分だと思ったが、仏法を謗られては我が身一人のことではすまぬと思い、
「それでは祈って生き返らせて御覧に入れよう。
準備をするので、しばらくお待ちを」
と言い残して寺へ帰り、また戻り来て、死人の横で坐禅を組んだ。
しばらくすると、死人が息を吹き返すようになり、生き返った。
その後、半年ほど生きたそうである。
この話は湛然和尚が直にお聞きになったことで、間違いない。
さて、その死人を生き返らせる法力について大融和尚は、
「死人を生き返らせるなどは我々の宗派では行わないことなので、
祈り方に儀式になにも知らなかったのだが、
ただ一心に仏法のためにと、寺へ帰り、供養として納められた短刀を研ぎ上げ、
それを懷に入れて、もしこの世に法力などというものがあるならば、
いまここで、ただちによみがえられよと、ひたすら念じたのだ。
もし生き返らなければ、腹をかき破って死人とともに旅立ってしまおうと覚悟を決めたまでよ」
と語ったそうである 【葉隠】

理不尽、非合理と評されることのある葉隠ですが、この話は本当に登場人物全員むちゃくちゃ(笑)
0558人間七七四年2014/03/07(金) 21:06:06.30ID:NR7+un7G
昔だと、死んだように見えた人が息を吹き返すってのは時々あったみたいだからな
0559人間七七四年2014/03/07(金) 22:26:56.40ID:sOzeb44I
>>548
この話は八ツ墓村と関係はあるのか?
0560人間七七四年2014/03/07(金) 22:34:54.07ID:A+OqaWOT
>>555
>坊さんは 「何故あの木を伐ってしまったんだ!俺が愛してやまない木だったのに!」
>と言うようなことをまくし立ててくるが、女房はよくわからないし、気味も悪いので戸を閉めて無視した。

なんという冷静な対応w
0561人間七七四年2014/03/07(金) 22:38:12.91ID:HGwOwZIU
木ってなんだ
幽霊の癖にボケたのか
0562人間七七四年2014/03/07(金) 22:40:43.56ID:sOzeb44I
きにしない、きにしない
一休み、一休み
0563人間七七四年2014/03/08(土) 06:33:58.46ID:HWfbcSpl
>>557
もうどうにでもなれーという気持ちが奇跡を産んだのか、
ただ医者がへっぽこすぎた結果なのかもうわけがわからん
0564人間七七四年2014/03/08(土) 10:14:55.92ID:VHgKencF
>昔だと、死んだように見えた人が息を吹き返すってのは時々あったみたいだからな
そのための通夜だとかって聞いたな
0565人間七七四年2014/03/08(土) 10:18:59.46ID:exdl8bBF
救急隊員が死亡確認して呼ばれた警察が再確認したら生きてたとか今でもあるし
最近は医師が最終確認するまでは心配停止と表現するようになったよね
0566人間七七四年2014/03/08(土) 10:25:28.09ID:Aq1T/Ovh
最終確認するまで心配はしてた方がいいと思います
0567人間七七四年2014/03/08(土) 15:28:55.99ID:vnHElv4O
王大人だとアテにはならん・・・まあ首を落としておけば確実に殺せるだろう
0568人間七七四年2014/03/08(土) 16:12:26.40ID:azbI1sEk
「三島由紀夫は割腹し、介錯を受け、首が千切れている。生死は不明、首と胴体の距離、約1メートル」

なんていう警察無線思い出した
0569人間七七四年2014/03/08(土) 17:07:17.50ID:K48X/a48
さすがに警察も動揺したんだろうな。
まさか現代人が腹切りして介錯成功したわけだから。
このスレでは切腹介錯の逸話は見慣れてるんだが、
う〜ん、時代が近いからなのか生々しい
0570人間七七四年2014/03/08(土) 17:23:10.50ID:kNInOyCH
テンパってたというよりは医師しか死亡判断が出来ないって原則に従ったんじゃないかな?
だからたぶん死んでいる、って意味で「首と胴体の距離、約1メートル」って入れたんだと思う
0571人間七七四年2014/03/08(土) 17:35:40.54ID:vnHElv4O
首がぽぽぽぽーん!してりゃ死んでるって言ってよかったと記憶してる
0572人間七七四年2014/03/08(土) 17:36:17.27ID:K48X/a48
なるほどね
まあそれでも驚いただろうな
主張を聞いてる自衛隊員たちはその後、腹切るとは思ってなさそうな雰囲気
映像見る限りだと、聞いてる隊員、罵倒する隊員、止めろと制止する隊員がいる
0573人間七七四年2014/03/08(土) 17:51:52.60ID:VHgKencF
介錯、上手くいかなくてなかなか大変だったとも聞いたけど・・・
公儀介錯人なんて役職つくちゃった作品もありましたな
0574人間七七四年2014/03/08(土) 20:02:22.53ID:Ev4rxz7M
最初の切る位置が上すぎて、顎に切り込んでしまったために
刃が奥歯に当たって止まってしまったそうですねガクブル
0575人間七七四年2014/03/08(土) 20:47:23.95ID:gFMN8LTe
なるほど、歯って固いもんね
想像したくないのにしてもうた・・・
0576人間七七四年2014/03/08(土) 21:52:00.85ID:waEV2N1M
>>573
新撰組でそんな話があったな
介錯に失敗した谷三十郎の逸話
0577人間七七四年2014/03/08(土) 22:33:14.50ID:epc325by
ギロチンは慈悲の顕現でござる
0578人間七七四年2014/03/09(日) 01:21:32.18ID:7sBTc9zI
平野遠州(長泰)の物語に曰く「当代、だれも武辺話を聞きなさる姿は、
誰はそこで討死した、誰はそこで首を取った、

あるいは負けるだの勝つだのなどとばかりのことである。これは悪しき聞き様だ。

その戦いはどうして負けた、どうして勝ったというように、
その勝ち負けの理由を尋ね聞くのをこそ、武辺物語と申す」と云々。

――『武功雑記』
0579人間七七四年2014/03/09(日) 02:44:50.88ID:Ev17vN9S
信心の他に必要なもの

山寺立石寺に室町時代の古い文書が残る

最上義光(´・ω・`)「本願を叶えてくれたら山寺を大切に扱います。喜捨をし、重ねて丁重に扱う事も誓います」

本願とは最上義守から無事に家督を相続する事を指していると言われる

神様仏様に頼み事をするには祈るだけではなく
ギブ アンド テイク も交渉術の内といった、神仏に対しても一種の契約を行った鮭様の話
0580人間七七四年2014/03/09(日) 02:52:14.28ID:Ev17vN9S
ちりつも?継続は力?風が吹けば桶屋が儲かる?
やれば報われるって何か良い表現ありましたっけ?

とらぬ狸の皮算用と真逆の意味の言葉で
0581人間七七四年2014/03/09(日) 04:23:36.94ID:flh++7vY
愚公山を移す
雨垂れ石を穿つ
0582人間七七四年2014/03/09(日) 05:10:51.29ID:73+9rch4
菅谷政貞
0583人間七七四年2014/03/09(日) 13:12:31.76ID:E2cXG/E9
>>580
南無阿弥陀仏
0584人間七七四年2014/03/09(日) 21:20:24.09ID:PEGY2JJi
神仏にたいしては、頼るのではなく、頑張るから見守ってくださいとお願いするのが本質だとか誰かが言うとった
0585人間七七四年2014/03/09(日) 21:35:57.95ID:vYwalrHz
>>580
命あっての物種
死んで花実の咲くものか
ヤバいと思ったらすぐ逃げろ

>>582
菅谷さんが報われたことってありましたっけ?
0586人間七七四年2014/03/09(日) 22:39:32.76ID:E2cXG/E9
退けば無間地獄 進めば往生極楽 by一向衆

斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ
踏み込みゆけばあとは極楽 by宮本武蔵

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ by空也上人

生を必する者は死に、死を必する者は生く by上杉謙信

逃げ出した先に楽園なんてありゃしねえのさ
辿り着いた先、そこにあるのは戦場だけだ byガッツ
0587人間七七四年2014/03/10(月) 19:40:56.62ID:DmghnVup
Wikipediaの織田信雄の人物の記述誰が書いたw
火病ってwwwww


>信忠の同母弟であるにも関わらず、其の容姿は似ても似つかぬもので、キリリと引き締った信忠に対し
>信雄はブヨブヨと太っていたと謂う。また安土城への放火と併せると彼が遺伝子欠陥或いは重度の知的障害を患っていた事が判る。

>信忠の同母弟であるにも関わらず、其の容姿は似ても似つかぬもので、キリリと引き締った信忠に対し信雄はブヨブヨと太っていたと謂う。
>また安土城への放火と併せると彼が遺伝子欠陥或いは重度の知的障害を患っていた事が判る。

>平時から父の叱責を受けていた為に安土城を見て憎悪と怨恨で火病を発症し、衝動的に放火した可能性は否定出来ない。
0588人間七七四年2014/03/10(月) 19:46:40.14ID:c8Oqgbsm
ノブオって最後どうなったんだっけ?
0589人間七七四年2014/03/10(月) 20:37:21.52ID:iG3evuam
楽しい夕食を作る最中に亡くなりました
0590人間七七四年2014/03/10(月) 21:00:04.65ID:S4iA8xTd
日本人は一枚のハンカチで、ただの一度しか鼻をかまない。と言うと、ヨーロッパの読者は
滑稽に思うであろうが、これは奇異とするに足らない。それはマラバール(インド・ケーララ州)の
国王達が同じ皿からただの一度しか食べないと言おうとするのと一緒であって、彼らはバナナの皮で
食事をするので、食事が終わればそれを捨てるのである。

従って日本人について、彼らが一度ハンカチに唾を吐いたり鼻をかんだりすると、それを洗わずに
捨ててしまうと言う時には、次のようなことが説明されねばならないであろう。
すなわち、日本人は鼻をかんだり唾を吐くためにハンカチの代わりに、ハンカチのように折りたたんだ
薄い紙をたくさん懐に入れて持ち歩いているということである。

この紙は非常に安いので、彼らは非常にわずかの費用で幾枚でも使用することが出来る。
貴人たちはその紙の間に、白または青色の亜麻布を一枚携えているが、これは汗を拭くためだけに
用いられる。だが商人や一般の人々は、紙以外に亜麻製の半幅の手拭いを帯の中に携えており、
汗を拭いたり、手や顔を洗う的にそれを用いる。

(ルイス・フロイス『日本史』)

日本人が戦国時代からちり紙を使っていた、という記録である
0591人間七七四年2014/03/10(月) 22:23:51.54ID:9KsNTFiM
一度鼻かんだハンカチでまた鼻かむのか?
0592人間七七四年2014/03/10(月) 23:20:59.39ID:iG3evuam
フランス人とか今でもハンカチで何度も鼻かむぞ
んでカピカピになってから洗う
0593人間七七四年2014/03/10(月) 23:22:23.90ID:ZH4Ve3AV
支倉常長が鼻かんだちり紙を捨てたら、珍しがって西欧人が拾ってったって話もあったような
0594人間七七四年2014/03/11(火) 00:25:47.57ID:SRL2EFdo
権現様が落としただか風に飛ばされたちり紙を無駄にすまいと拾った話があったな
0595人間七七四年2014/03/11(火) 12:09:19.46ID:1WiNGMWd
チョイ前までのヨーロッパでは紙は高級品だから
明治のパリ万国の日本館の大工がちり紙捨てたら周りのフランス人がびびったとか
いまでもなごりで>>592
おかげで識字率も低かった
0596人間七七四年2014/03/11(火) 15:23:18.92ID:RcrVH+Jv
鼻紙と識字率?って思ったけど
学習用の紙が使えるかってことか
0597人間七七四年2014/03/11(火) 18:00:46.12ID:HKVyWUHd
フロイス日本史に志賀親次が入信した際に、紙製の記録帳を修練院の院長から
贈呈されたって話もあるから、それなりに紙工技術はあったんだろうけどね
0598人間七七四年2014/03/11(火) 19:20:47.08ID:VMcXdHz3
インクで文字書いて記録残してるんだからヨーロッパにも紙くらいあっただろ
0599人間七七四年2014/03/11(火) 20:27:52.43ID:2ViOfgOs
羊皮紙はけっこう長持ちするだよ。作るのが面倒臭い
0600人間七七四年2014/03/11(火) 22:04:20.32ID:wHPCYBug
太閤秀吉公は聚楽の城が完成した時、何とお思いになったのであろうか、
和歌一首を詠じなさった。

その和歌を『露と置き露と消へぬる吾身哉難波の事は夢の世の中』と自筆で書きなさり、
尼孝蔵主に命じて「深く納め置くべし。用がある時に出すのだぞ」とのたまった。

年を経て慶長三年八月十七日、孝蔵主をお呼びになって「いつぞや預け置いた和歌は」
と、お尋ねになった。孝蔵主がただちに出して差し上げたところ、
年月日御諱をも書き加えなさって、そのまま差し置きなさり、翌日に薨御された。

前述の和歌を太閤の辞世であるということで木下家に伝えて、
いまなお、肥後守豊臣公定(木下公定)が所持しているということである。

――『明良洪範』
0601人間七七四年2014/03/12(水) 13:19:39.41ID:yPc6s9KS
>>577
源頼義、ヘンリー8世「憎い相手は楽に殺さない」
0602人間七七四年2014/03/12(水) 13:56:54.81ID:noa2iYo0
>>601
大賀弥四郎「おいやめろ」
0603人間七七四年2014/03/12(水) 17:02:39.22ID:Lr3Cz+B0
油入れた大なべ持ってきたよ!
0604人間七七四年2014/03/12(水) 17:32:00.97ID:q2f38PII
鋸引きは誰が最初に始めたんだろうか
やっぱりノブが杉谷善住坊にやったのを後世
パクったのかね
0605人間七七四年2014/03/12(水) 17:55:14.55ID:hTWr+4y/
廃れてた鋸挽きを戦国時代に復活させたのは細川晴元
0606人間七七四年2014/03/12(水) 19:44:32.32ID:Rm/k90hs
>>604
山椒大夫で厨子王が山椒大夫を鋸挽きにしてたはずだから、平安年間にはあったんじゃないかな
0607人間七七四年2014/03/12(水) 20:03:25.04ID:SsMYHoSi
明智光秀と唐崎の松

光秀が築いた近江坂本城から程近い唐崎神社には、昔からしばしば歌に詠まれた立派な松の木があった。
柿本人麻呂や紀貫之らの目にも留まった松の木を是非自分も見たいと、光秀は唐崎を訪れるが、既にこの地に松は無かった。
がっかりした光秀だが、それならばもう一度この地に松を植えてやろう、
と未だ競り合いの続く浅井領から一本の松の木を持ってきて植えたのだった。

それからというもの、光秀はこの松を気に入り、馬で出かけては木の周りをくるくると歩き回って楽しんでいたとのこと。
坂本城址公園に建つ明智光秀公の像にはこんな歌が添えられている。

『我ならで 誰かは植ゑむ 一つ松
 こころして吹けしがの浦風』

……おれ以外に誰が苦労してここに松を植えると言うんだよ。だからもう折ったり吹き飛ばしたりしないように気をつけて吹いてくれ、志賀の風よ。

悪い話スレの方には随分前ににこの話が信長公の耳に入るエピソードが投稿されているけど、いい話として少し詳しく書かせてもらいました
0608人間七七四年2014/03/12(水) 21:37:26.05ID:yPc6s9KS
フィクションにてござ候だけど信長とヘンリー8世の意外な接点を思い出した

http://blog-imgs-31.fc2.com/m/a/r/maropinkpalace/20110419203849e48.jpg
http://waretadataruwosiru.txt-nifty.com/photos/uncategorized/2011/04/19/henry8.jpg
0609人間七七四年2014/03/12(水) 21:38:50.93ID:Y12sJYTz
我がやらねば誰がやる、の気風の人だったのだろうな
善くも悪くも
0610人間七七四年2014/03/12(水) 22:21:06.28ID:kyyLiXW6
>>607
>馬で出かけては木の周りをくるくると歩き回って楽しんでいたとのこと。
これはちょっとかわいい
0611人間七七四年2014/03/12(水) 22:54:41.59ID:8kA+OyTU
美味しいバターになるんですね?
0612人間七七四年2014/03/12(水) 23:01:01.48ID:3XorX+lM
弥助「呼んだ?」
光秀「動物など呼んでおらん」
0613人間七七四年2014/03/12(水) 23:13:34.58ID:hQDTSnkr
それ今となっては伝わらない世代も多いネタ
0614人間七七四年2014/03/12(水) 23:35:43.89ID:IZmwJkBF
ちびくろ官兵衛
0615人間七七四年2014/03/12(水) 23:38:30.26ID:+KZo44bk
あれってそんなに差別的な内容だったっけか
単に人権派のメシの種にされただけ?
0616人間七七四年2014/03/12(水) 23:39:04.79ID:Rm/k90hs
現在の唐崎神社は松林がすごく綺麗だね。
ttp://hiyoshitaisha.jp/wp-content/themes/hiyoshi/images/karasaki/img_karasaki_top.png

でも唐崎神社は唐崎の松を植えたのは光秀じゃなくて新庄直頼と言ってる。
こっちも植えた新庄直頼の弟直忠の和歌が残ってる。
「おのづから 千代も経ぬべし辛崎の まつにひかるみそぎなりせば」
0617人間七七四年2014/03/13(木) 00:10:22.65ID:7jSOMkF8
う〜ん、明智さんの歌のほうが好きかな
0618人間七七四年2014/03/13(木) 00:29:55.60ID:74Pb6jpg
>>615
サンボそのものが英語では黒人の蔑称だったらしい
0619人間七七四年2014/03/13(木) 02:09:15.37ID:iPKuK0x/
天海が家光に貰った柿を食べた後、種を持ち帰って植えた話を思い出した
0620人間七七四年2014/03/13(木) 02:13:30.47ID:dvCANMA3
>>619
なんか白楽天か誰かの逸話で同じようなのがあった気がするんだよな
70になって種を植えてバカにされたが結局80まで生きて実を食べることができたとかいう話
0621人間七七四年2014/03/13(木) 12:37:45.78ID:emG5Mp3v
真田のおにいちゃんもストレスがなきゃもう十年は生きられたんだろうな
0622人間七七四年2014/03/13(木) 14:10:23.31ID:YuRs7tcL
種から育てて、美味しい柿の実がなる木に育てるのはかなり難しいみたいやね
接ぎ木するのが良いらしい
0623人間七七四年2014/03/13(木) 14:13:07.47ID:SJ42h76T
>>621
先月発表されていたニュースによれば
ストレス環境によって細胞が若返るんだってさ
なんでもSTAPとかいうらしい
0624人間七七四年2014/03/13(木) 17:13:24.32ID:zcPRJFtN
       _______
     /  .|  |  .\      スタァーップ!
    /____|  |__ \
  /  ___  ___  \   
  |  / (●)|_|(●) \  |
  |  |    .(__人__)   | |   
  |  |     |::::::|    | |
  .\|     l;;;;;;l    | /    
   /     `ー´    \

-----
0625人間七七四年2014/03/13(木) 17:37:57.67ID:7jSOMkF8
そのへんにしとかないとスレ違いさんが来るぞ(ガモーがくっぞ!みたいな感じに)
0626人間七七四年2014/03/13(木) 17:39:19.41ID:qARA01Qk
信幸お兄ちゃんはストレスさえなければ大還暦で柿の種を植える人生設計してたのに
0627人間七七四年2014/03/13(木) 18:12:35.41ID:Ju2v0KU+
柿の逸話といえば細川親子
0628人間七七四年2014/03/13(木) 21:47:04.34ID:ZvABAROb
>>624
はいはい
蔡瑁、蔡瑁
0629人間七七四年2014/03/14(金) 03:15:09.36ID:wpMZ0G6z
でも実際、信之って従兄弟より10歳以上早死だぞ
やっぱり短命なんじゃないか
0630人間七七四年2014/03/14(金) 14:55:20.47ID:9D/eaQgf
短命と言えば84-47-71の真ん中の晴久さん
0631人間七七四年2014/03/14(金) 18:39:47.90ID:00PVhXC7
島原一乱の後、松倉長門守(勝家)は罰せられて家は断絶した。

その家士に野村治右衛門という新参者がいたのだが、
長門守の死骸が品川に捨ててあるのを乞い請けて浅草金性院に葬った。

譜代旧恩の士も多くいるのにそれらはどこへか退散し、
新参者がかえって忠を尽くしたのだ。

また、同家の士に内藤瀬兵衛という者がいた。長門守は罰せられる前に
金三百両を持たせ上京させていた。その後、長門守ならびに
弟の右近、三弥たちはそれぞれ御仕置となり家は断絶に至ったために

金子を返すべき人がいないので所司代のもとに持参し、その由を申して
「闕所金なので差し上げます」と言った。所司代の板倉周防守(重宗)は
その義心を感じて「お前の金子にせよ」と言って与えた。

瀬兵衛はやむを得ず受納して旅宿へも帰らず、ただちに大徳寺へ持参し、
「主人が御仕置になり家は断絶したので、この金を納めますから、
永く主人の追善を頼み入ります」と言って三百両を寄付した。

島原で武功の家士は多いけれども、この二人の至忠のようなものは
ふたつと無い。『国亡びて忠臣顕る』という古語に違わないことである。

――『明良洪範』
0632人間七七四年2014/03/15(土) 00:16:09.89ID:JPexOhDu
主家、主人ってのはたとえ滅んでも忠臣の中に残るもんだね
0633人間七七四年2014/03/15(土) 00:38:50.06ID:ADSPrJrm
こんな呪われた金いらんわ
捨て捨て
0634人間七七四年2014/03/15(土) 03:37:02.68ID:JPexOhDu
聚楽第が完成すると大名から町人まで、皆が祝儀として様々な名物を秀吉に贈ったという。
その中には日根野織部(デス武将こと日根野備中の子だから彼もまた兜職人なんだろう)より献上された甲冑と千利休より献上された石灯籠があった。
織部の兜の前立は八日月(半月)、利休の灯篭の窓の形もまた八日月であった。
2人で同じテーマの物を関白殿にプレゼントしようと示し合わせたのだろうか?
武の道の数寄者、茶の道の数寄者、両人の心が同体となり面白いことになったなあと人々の感動を生んだとさ。
0635人間七七四年2014/03/15(土) 04:11:56.00ID:fS2xynar
そして古田織部が真っ二つに
0636人間七七四年2014/03/15(土) 15:29:40.99ID:m5glyeEn
三七殿(織田信孝)と称する信長の次男は、ただキリシタンになるための素質のみならず、それらの
大支柱になり得る素質を備えていた。しかし後日人が変わり、後述するように極めて悲しく不運な末路を
たどることになった。

信長の多くの息子に中にあって、彼は全ての武将たちから最も好かれ、愛されていた。彼は安土の司祭や
日本人に修道士たちと交際し始め、しばしばデウスの掟について説教を聞く内に、たとえキリシタンで
あったとしてもそれ以上望み得ないほどの愛情と親近感を我らの修道院に対して抱くようになった。

彼は週に1,2度は必ず修道院に姿を見せ、ロレンソ修道士が、それに劣らぬほど頻繁に彼の家に
来訪することを希望した。また種々の贈物を度々司祭らに届け、万事において彼らに対する大いなる愛情と
親切を示した。彼は司祭らを自らの教師とみなしていると公言し、大物の武将たちの前で、深い尊敬を込めて
デウスの掟について語り、司祭らに対しては極めて恭順の意を示したので、異教徒たちは驚愕した。

彼は仏教の宗派は欺瞞と迷信であるとしてこれを軽蔑し、我らの聖なる掟だけが真理と道理にかなっており、
真理を弁えるいかなる者も、デウスの教えを聞いては未リシタンにならずにはおれぬと述べ、
多くの言葉を以ってそれを激賞した。彼自身も、いくつかの事情から延期を余儀なくされていなければ、
既にキリシタンになっていた所であり、その数名の家臣は彼の説得により、既に受洗していた。

彼は修道士にコンタツ(ロザリオ)を求め、それで祈りたいと言い、時々それを腰に帯びていた。
彼は大きな邸宅と相当の封禄を付与されていたが、時節が到来するまで、彼の父はまだいかなる国をも
与えていなかったので、父がいずれかの領地を与えるのを、当然の事として待機していたのであった。

彼は既に25歳になっていたであろう。父から気に入られ、城中の一同から愛されていた。
この若者は、父が喜ぶか、少なくとも悪く思わぬということを示唆するまでは、キリシタンになることを
留保していた。何故なら信長は、その子供たちに対しても顧慮することがなく、子供たちからさえ
恐れられていたので、進んで彼と話そうとするものはなく、誰も皆、彼の気に触るようなことは
避けるように注意していた。

三七殿は父の重臣たちと親しく交際していたが、彼らに向かっては、キリシタンになりたいと公言し、
父がそれをどう思うか知ろうとして、父がそれについて考えてくれるよう手をつくしていた。
三七殿は我らのことを母親に話していたので、彼女も2,3度説教を聞き、デウスの教えに愛着を感じていた。

(ルイス・フロイス『日本史』)

ルイス・フロイスによる、織田信孝についての描写である。
0637人間七七四年2014/03/15(土) 16:38:55.30ID:xNY1rIaH
フロイスさんお得意の手のひら返しが怖い
0638人間七七四年2014/03/15(土) 16:53:51.93ID:ed+AMNJw
キリスト教はなんらかの魅力があるんだろうね
聖書は家にあるけど個人的にはなかなか読み進まない書物だ

高杉晋作が聖書を読んだときの感想が、
『「キリスト教は陽明学に似ている。我が国の分解は此を以て始まらん」
維新の志士として有名な長州の軍略家、高杉晋作は、
長崎にて始めて基督教聖書を調べて、然う叫んだ』(内村鑑三、代表的日本人より抜粋)
だそうですね。
内村鑑三がキリシタンだから信憑性は謎
ところでキリスト教ってどういう思想なの?
0639人間七七四年2014/03/15(土) 16:58:03.46ID:IxH71Qmz
ハビアンによれば
この世は神が創った
人間中心
魂の永遠性
が儒教、仏教、神道とちがうところとか
0640人間七七四年2014/03/15(土) 17:02:24.35ID:t5w+v5cY
人を殺すのは悪魔でなく神
0641人間七七四年2014/03/15(土) 17:17:26.26ID:ed+AMNJw
宗教ってのは行動する際の心理的な担保なのかもしれないね
陽明学なら良知とか心即理
南無阿弥陀仏なら善悪とか成否の迷いを阿弥陀仏に任せてしまうんだろう
キリスト教ならGODか…
なんでもそうだが一歩間違えると危ないな
0642人間七七四年2014/03/15(土) 22:30:35.80ID:Nz9Y3ylS
>>638
エキゾチックなのが良かったのかもね
0643人間七七四年2014/03/16(日) 11:53:42.05ID:IvvXE4J2
 美濃の国に虎之助シルベステレと名乗る熱心なキリシタンがいた。彼は織田信雄に仕えていたために
信雄の没落とともに豊臣秀吉の寵を得なくなったが、虎之助自身が不興をこうむったわけではなく、
時おり秀吉は虎之助について話すことがあった。そこで彼の友人たちは上洛して関白殿の目に触れるよう
虎之助にすすめた。
 そこで、彼は京の都に出向いて、そして、秀吉が尾張に出かける際を見計らって、その途中にある小高い
場所でボロボロの着物をまとって待機していた。秀吉がその場所を通った時、ただちに虎之助に気づいたので
すぐに彼をそばに呼び寄せて親しく声をかけた。秀吉は「このように落ちぶれてしまったのは不憫だ」と言って
馬を一頭あたえて尾張まで一緒に連れて行き、そこで米二千俵の禄を扶養費としてあたえた。
(ルイス・フロイス書簡 1591、1592年イエズス会日本年報)
0644人間七七四年2014/03/16(日) 18:55:45.74ID:3d41eKx2
後がなく勝つしかない合戦や、落とすしかない状況で城を攻めるとき、
吉日を占い選んだり、縁起のよい方角を考えることに時間を費やすのは、
はなはだ無駄なことで、不満足であると言わざるをえない。
吉日だからと台風の日に船を出したり、吉日だからと多勢にひとりで突撃するのは、
いかに吉日だからと、それが無益であるのは火を見るよりも明らかである。
たとえ悪い方角に向かおうとも、仏滅の日であろうとも、
情勢をしっかりと洞察して、なにが虚か、なにが実かを考察し、
臨機応変に武士どもを動かして、敵に知られぬよう武略を敷くならば、
吉日だろうと悪日だろうと必ず勝利を招くものである

『朝倉敏景十七箇条』
0645人間七七四年2014/03/17(月) 11:25:22.66ID:6GJ4UiTe
>>643
>シルベステレ
ごめん、ついロッキーのテーマを流したくなった
0646人間七七四年2014/03/17(月) 13:16:19.32ID:vZJIuX8Q
蒲生とは江州の士であり、佐々木承禎(六角義賢)の家臣であった。後に信長に属し、また太閤(秀吉)に仕えた。

蒲生氏郷は優れた人物であった。初めは伊勢松坂で12万国を所領し、その直後に会津120万石を領した。
これは太閤の時代のことであり、その時彼は40歳ほどであった。

佐々木承禎は江州一国を領した大名であったが、織田信長に滅ぼされて江州を取られた。承禎の子は四郎殿(六角義治)
と言って、太閤の時代には咄の者(御伽衆)となって二百石であった。
蒲生は元々その家臣であったのだが、その時は百万余石を領していた。

しかし、伏見などで太閤の御前に侍り、退散の時、氏郷は昔を思って、六角四郎殿の刀を持って従われる事もあったという。

蒲生が江州で承禎の家臣だった時代には、日野を領していた。氏郷の父(蒲生賢秀)は頑愚にして天性臆病の人であった、
その頃、俗人の間では小歌に

『日野の蒲生殿は、陣さえ云やへをこきやる』(日野の蒲生殿は、戦と聞いただけで臆病風にふかれる)

と言ったのは、この人のことを指しているのである。

(老人雑話)

蒲生氏郷が、旧主六角氏にも義理を通していた、という逸話である
0647人間七七四年2014/03/17(月) 18:00:34.28ID:IFrmhOaB
蜂須賀家政は庭に松を植えようと思い、方々に松を探し求めても無かったところに、
図らずも心に叶った松を取り寄せて殊の外秘蔵に思った。すぐに望んだ居間の小庭に
植えたところ、

御庭裁判役人は数寄屋足袋や立付の姿で杖を突いて下知した。家政はこれに立腹し、
自らその松の辺りへ立ち寄り、土を寄せて「秘蔵である!」と言った。

これによって裁判役人は急に働いた。家政は座敷へ上り、立腹の声で、
「この松が枯れた時は、弓矢八幡、裁判人を磔にかける!」と言って入った。

そうして二、三日が過ぎて松の葉の色が悪くなったため、枯れるのではないかと、
御庭裁判人は殊の外気遣った。そして四日目の早朝、家政は件の松を見て御側の面々に
「この松の裏を表へ植え替えさせろ」と言って、内証へ入った。

故に早速植え直してその旨を申し上げると、家政は出て見たうえで「これでは枝付きが悪い。
この枝を切れ」と、望んだ五枝ほどに付紙をした。そのため、早速枝下ろししたところ、
その翌朝、また松を見て「なんとまあ、枝下ろしが物の数寄を仕損じて枝振りが悪くなった。
根から切って捨てろ」と命じて、眼前で土際から切らせたとのこと。

この事を、その節に沙汰して「植木に人を替えなければならない事情も無いということ、
また、御誓言も無かったことにするべきではないとの御思案ではないか」と恐察した。

――『尊語集』
0648人間七七四年2014/03/17(月) 18:21:26.47ID:N9X7t7tY
なるほど
枯れる前に捨ててしまえば、裁判人を磔にしなくて済むし、八幡大菩薩への誓いも嘘にはならない。
裁判人も怒られてからは一所懸命に松育ててるしな。
なにも最初の発言通りに枯れるまで待って反省した者を磔にする必要はない。
蜂須賀さんは良い大将だね
0649人間七七四年2014/03/18(火) 21:38:28.03ID:9DuFYx0x
幕府管領である細川右京太夫勝元は、一家無双の栄耀人であり様々な遊興に財宝を費やし、奢侈の聞こえも
あったという。普段の珍膳・妙衣は言うに及ばず、客殿屋形の美々しきこと、言語道断であると言われた。

この勝元は常に鯉を好んで食されていたので、家来の大名たちは勝元におもねって、数えきれないほどの
鯉を贈った。

ある日、とある人が勝元を招いて、様々の料理を尽くして饗した。この時もまた、
鯉を料理して出された。この時相伴の人3,4が、恭しく陪膳していた。

さて、この鯉料理を人々は多く賞翫し、それをよろしき料理であるとばかり褒めたが、
他の言葉がなかった。勝元も料理に一礼を述べたが、この時さらに言葉を進めて

「この鯉は、名物であると感じました。きっと客への饗しのため、使いをはせて求められたのでしょう。
それに対して、この場の人々の褒め様はあまりに無骨です。それはおおむね、膳部を賞翫するまでの
有り様についてです。折角の饗しに、その素材について語らないのは、あっていいはずがありません。

この鯉は、淀より遠来したものであると見ました。その印があります。他の国の鯉は、捌いて酒に浸すと、
一度箸を入れればその汁は濁ってしまいます。しかし、淀の鯉はそうではありません。
どれだけ浸しておいても、汁の色は薄く、濁りがありません。これこそ名物である淀の鯉の印です。

皆さんの中で、重ねてこのような饗しを受ける人が有れば、この勝元の言葉を忘れないようにして
料理を褒められるように。」

そう申された。

誠に淀の鯉のみに限らず、名物は大小となくその徳のあるべきものである。こういった心を持って、
よろずに心配りをして味あうべきであると、その時陪膳した人の子という人物が、ある人の所で
語ったという。

(塵塚物語)

細川勝元の、グルメマンガみたいな料理の賞翫についての教訓。
0650人間七七四年2014/03/18(火) 21:42:35.02ID:Ytxw/L/I
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4016.html
淀川の鯉
同じ話のはずなのに勝元の口調が違うのがなんか面白い
0651人間七七四年2014/03/18(火) 23:34:27.03ID:AYAz2v/O
ここだけ見たら人畜無害な風流人のようだ
0652人間七七四年2014/03/19(水) 17:18:53.54ID:hizg0GYy
ある人が「昔の人は生まれつき強くて長命だ。
今の人は生まれつき弱くて短命である」と言った。

傍には石谷土入がおり、彼は「いやそんなはずはない。
昔も弱い人は先に死に、強い人は残ったのだ。

今も弱い人は先に死に、強い人は残るはずだ。
だから、今よりも後世の人は、再び今の人のことを
昔の人は強く長命である、と言うことであろう。

人生にどうして今昔の変わりがあろうか。

現に聖人も『七十古来稀れ也』と言いなさったのだ。
人命の長短は古今同じはずである」と言った。

――『明良洪範』
0653人間七七四年2014/03/19(水) 17:30:06.99ID:+ZJTRZRZ
適者生存の法則だと、今のやつの方が強くていいのに
0654人間七七四年2014/03/19(水) 22:49:23.05ID:zkx8ApC4
>>652
同じ逸話が翁草にあったのを思い出した。

昔の人は強健にして長寿であり、今の人は性質が弱くなり夭折するものが多いと言う。
石谷長門入道という老人がこれを聞いて

「そう言われるのには訳がある。昔の事を思いだしてみると、やはり強弱二通りの人々
が居た。今と変わりないが、そのうち弱いものが多く強い者は少しであった。

昔いた弱い者は皆死んでしまい強い者だけが生き残ったので、その人たちだけを見て
あのように言うのであろう。

今の人も弱い者は早く死に強い者は生きのこる。後世からみれば今の人々を強健と言う
のだろうな」

と語られたのは、実にもっともな話であった。

(翁草)
0655人間七七四年2014/03/19(水) 23:34:34.17ID:uWOxnezA
まぁ、天皇を考えれば昔のほうが長命でいらっしゃったのは間違いないわけだが
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