翌日、屋形殿と才殿は9つ刻にお起きになり、御書院で食事を振舞われた。
神村達にも同じ料理を具足の間で振舞われた。

この時のメニューは

・鯛のなます。かまぼことアワビ入りのイモマキ汁。赤貝の澄まし物。粟飯。

・ドジョウ汁、焼き海苔(アマノリツクモ)。御酒1返。

・酢イカ。御酒1返。

・さざれ石という大皿鉢に、大根、人参、干瓢、きくらげ、紫海苔、柚子、サザエ、ニシ貝等の酢の物。

・酒1返。猿の木耳焼き。

・引き茶。御干菓子。(ただし、才殿には雀の焼き鳥)
であった。

これで才殿はお暇を乞われ、溝居へお帰りになられた。
なお、才殿からは鶴1羽、延命酒5升、鯉1コン、タイ1枚、勝男10節。神村からは鴨2羽、勝男10節がお礼として届けられた。

なお、相賀光重と下毛野武盈は、天正元年、赤松則房が宇野下野守をもてなした際にも狸食を出しているが、この時は精飯でなく、蕎麦に汁をかけている。