白鳥や大宝寺等の史料も比較すると

天正5(1577)年?に白鳥長久が織田信長に馬を贈る
(羽州探題を名乗る許可を得ようとする)

1577〜1580年頃?最上義光が「羽州探題は斯波家の流れを組む最上家にある」と信長に鷹や馬を贈る
(※204の逸話の大筋)

白鳥側が「出羽は土豪国人が各々分し、裁定や仲介を纏めているのは白鳥である」「白鳥は斯波最上氏よりも出羽に古くあり、(信長の語る先祖同様)藤原の流れを組む名家」と信長に使者を送り義光を再び牽制

前後し庄内の大宝寺義氏が信長に使者を送り「屋形号」を許可される

と泥試合の様相もあった様です