生前県知事や市長よりも権力のあった山形の首領の服部氏個人が最上義光を個人的に嫌悪してたみたいなんだよね。
で、義光祭が潰されて代わりに花笠祭に替えたり、
でん六の社長が郷土の英雄として最上義光の像を作ろうとした時も、服部氏やその取り巻きの団体らが「霞城公園は市民の憩いの場なんだから、そんなとこに奸雄の像を設置すんな」なんて服部氏の影響下の山形新聞のコラムで叩いたりしてたんだわ。
死後20年経過しても
大分薄れたと言っても権力者の陰はあちこちに海間見えるよ。
昭和生まれの山形市の人なら
多分肌で少しはわかるはず。