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大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法

レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001人間七七四年2013/09/19(木) 17:44:52.85ID:nmTcKAHP
大坂の陣で豊臣軍が幕府軍を撃破・潰走させたのち、
豊臣家が天下を平定するまでのシナリオを考えて下さい。
0892人間七七四年2014/01/24(金) 17:42:09.59ID:eQZ0dR6x
>>891
伏見在番・定番を加えれば伏見城の守備兵力はより多くなるよという意味
0893人間七七四年2014/01/25(土) 01:01:22.66ID:FJMpsCEA
>>892
当時の畿内は相当数の牢人が溢れて治安が悪かったのにそんな余裕ないだろ。
畿内や東海地方の兵力だけじゃ足りないから
関東の軍勢や南部、佐竹、伊達、上杉まで駆り出したってのに。
0894人間七七四年2014/01/25(土) 02:35:11.21ID:qCtsJ9Yd
畿内は全土で500万石〜600万石程度あるから
そのうちの豊臣領除いても450万石程度は見込めるから
単純計算で135000くらいは畿内勢だけで動員可能
畿内だけに編重した動員だと、徳川政権下での軍役負担の不平等や
それによる国内統治への負担も考えて、動因を広範囲にかけたんだろうし
0895人間七七四年2014/01/25(土) 03:31:06.88ID:8IXIX7ia
籠城厨に関ヶ原の戦いをさせたら50万人VS50万人くらいの戦になりそう
頭が根本的に悪すぎる
0896人間七七四年2014/01/25(土) 03:46:17.79ID:IdjhtFNJ
>>895
馬鹿はお前
関ヶ原合戦の時畿内方面の西軍だけで18万もいたのが石田三成人数書立や慶長見聞書で確認できる
畿内以外の僻地では生産力が低くて、他の敵とも戦っており、総軍動員なんてできなかったが。
0897人間七七四年2014/01/25(土) 03:48:17.43ID:wD/MKUSM
関ヶ原合戦は全国に散らばった西軍東軍両方でいえば40万対40万くらいはいたんじゃないかね
関ヶ原で起きた戦いなんて全体から見りゃほんの一地域の戦いだし、加賀前田、毛利輝元、立花、鍋島、伊達、上杉
など不参戦大名なんて山ほどいるんだし
0898人間七七四年2014/01/25(土) 03:50:21.22ID:WUVVlhGL
日本全土は2000万石くらいだったんじゃなかった?
だから総軍で60万くらいだな。僻地にいる大名が中央にゾロゾロ連れて長期間居座るのは
物資の面で中々難しいかもしれないが
0899人間七七四年2014/01/25(土) 03:56:14.89ID:8IXIX7ia
いいから籠城厨は近所のコンビニに出撃してこい
信長が元康に17500の兵で撃ちかかったとか
大阪城冬の陣は実は1万人しか居なかったとかいうキチガイの意見など
誰も聞いてないから
0900人間七七四年2014/01/25(土) 05:53:28.54ID:yoh2KjSN
>>900のような馬鹿が詰めよってきてたんだから、大野治長もたいへんだったろうな。
感情論ばかりで腰の据わらない女房衆と世間知らずの若様を抱え、仲間は経験不足の若侍たち。
頼みの援軍ときたら、何かと言えば派手な自爆を吠える牢人衆。
トドメに敵は百戦錬磨の徳川家康&不愉快な仲間たち。
さぞかしババイェツアしたかったろうな、あいつ。
0901人間七七四年2014/01/25(土) 05:55:09.25ID:yoh2KjSN
ゴメン>>899だった。
俺も馬鹿だね。
0902人間七七四年2014/01/25(土) 08:52:47.81ID:FJMpsCEA
>>898
あの時点だと2000万石くらいだね。
ただそれと動員できるかはまた別の話。
畿内は公家領や寺社領も多いし、元から浪人が多かったところに
更に浪人が集まり治安が相当悪い状況。
動員かけても集まりが悪いだろうから僻地の南部、佐竹
伊達、上杉まで動員したんだろうな。
0903人間七七四年2014/01/25(土) 09:13:10.04ID:wD/MKUSM
畿内は全土で500万石〜600万石程度あるから
そのうちの豊臣領除いても450万石程度は見込めるから
単純計算で135000くらいは畿内勢だけで動員可能
畿内だけに編重した動員だと、徳川政権下での軍役負担の不平等や
それによる国内統治への負担も考えて、動因を広範囲にかけたんだろうし
0904人間七七四年2014/01/25(土) 11:52:49.31ID:8IXIX7ia
幕末は旧幕軍が寛永寺にたてこもって都内各地で放火しヒット&アウェーを狙ったわけだけど
極々普通のセオリーを考えれば浪人たちの一部を使って京を放火&略奪し
後詰は大阪からというのはゴールデンスタンダードだと思うけどね。
というか実際にしたかも分からん。
してないとすれば豊臣家は方広寺を始めとして京の多くの神社仏閣を修復・建築し
御所への尊崇の高かったから淀たちがそれを許さなかったのかもしれないが。
0905人間七七四年2014/01/25(土) 11:55:01.03ID:HJDCfJvI
冬の陣で和睦せず家康が死ぬのを待つ。

以上
0906人間七七四年2014/01/25(土) 12:06:24.37ID:8IXIX7ia
オウム事件に関しても、なぜ上九一色村にこもって省庁制を敷いて仮設国家を建設し
霞が関にサリンテロをしたのか、絶対に政府転覆や新国家建設は不可能だろと
マスコミは騒いでたけど、麻原ショウコウは繰り返す北朝鮮に出入りし続けてたわけで
おそらく後詰は北朝鮮の予定だったんだろうと思うよ。
浪人部隊麻原は日本の中枢をテロで攪乱し指揮系統・情報系統が乱れたところで
北朝鮮が一気に新潟から上陸し日本を掌握、麻原は傀儡国家日本の王様になるという案だった。
奇異に聞こえるかもしれないが、これってどこの国の反政府軍でもゴールデンスタンダードだから
日本赤軍が滅んだ理由も最初から後詰軍は中共だったが米中と日中が歴史的和解をして国交回復をしてしまったため
日本赤軍は計画が根本から破綻してバラバラになってしまった。
秀頼方としては苦しいが近隣の京は当然すぎるけど、ゴールデンスタンダード的には
江戸と駿府でも放火・テロし情報系統を混乱させるという手法は本来したかったはず
計画すらしてないとすれば、そこらの学生運動にも劣る計画性の無さという事で
話にすらなってなかった。
0907人間七七四年2014/01/25(土) 12:10:34.62ID:B+ca42TW
冬の陣は城内で離反内応の機運が高まったので和睦した訳で
篭城を続けるのも不可なのよね
0908人間七七四年2014/01/25(土) 12:16:20.56ID:8IXIX7ia
集まった浪人集たちが味方かスパイか有能か無能か
適性は何か、情報系統その他に欠点がないかなど
【実戦】を積み重ねないと何も分からないわけで
スパイ部隊でも実戦部隊でもすぎに編成して小戦闘には
すぐに参加させるべきではあったろうね。
実際、三成はそんな目的で畿内・伊勢の小戦闘に全ての部隊を
順繰りに次々と強制的に派遣してみたわけだし。
0909人間七七四年2014/01/25(土) 12:31:10.62ID:B+ca42TW
離反の動きしてた筆頭が総大将格の有楽親子だからそれ以前の問題
0910人間七七四年2014/01/25(土) 13:46:08.51ID:8IXIX7ia
有楽親子、片桐且元を追い出したのはいいけど大野治長の暗殺も成功してればなぁ
0911人間七七四年2014/01/25(土) 14:58:48.29ID:HJDCfJvI
豊臣大坂城の二の丸の縄張りが分かる情報ってある??
0912人間七七四年2014/01/25(土) 15:28:39.17ID:pSFoAj59
>>905
それはおそらく治長が当初狙ってた策(有利な条件で引き分け)だろうけど、弾薬不足になるわ、将兵の統制は効かず離反の動くがあるわ、
大砲攻撃で女房衆は動揺するわで、とても長期籠城できる状況じゃなかったから、負けに等しい引き分けになったんだよな。
濠埋めるなんて条件入れる降伏に近い和議結んだのなら、徹底して徳川に従うしか豊臣の生きる道はなかった。
なのに、冬の陣と同様に徳川の提案拒否してまた開戦って、家康も逆に驚いたんじゃねえの?あまりのアホさ加減に。
0913人間七七四年2014/01/25(土) 16:39:25.29ID:XOhsaW3Y
東北勢力が手を組んで徳川に反旗を翻す
という可能性があるなら大阪方と挟み撃ちが出来る
0914人間七七四年2014/01/25(土) 17:04:24.99ID:8IXIX7ia
>>913
豊臣方が徳川方に勝って中山道を半年も封じれば自動的にそうなるけどね
0915人間七七四年2014/01/25(土) 17:27:32.98ID:AF+4vClU
>>904
徳川に大義名分を与えるだけで論外の行為

>>906
家康、秀忠両方が出払っての出陣だから、
そこらへんは譜代から任命されてるであろうの留守役にしっかりそういう場合の処置について指示の上任せてるでしょ

そういうのに影響を求めるとしたら、関ヶ原における伏見城や、第二次大戦バルジの戦いにおけるバストーニュのように
相手の兵力の少なからずを割かざるをえない状況に追い込まないとダメ

>>908
そもそも、そんな悠長な準備をしている時間自体大坂方には存在していません
事態が本格的に動き初めて(10/6牢人勢大坂入城)から2週間強で家康本隊は京都まで来るというわけなんで

>>910
あの時点で大野が死んだとしても、冬にあの条件で和議した時点でもう詰んでるので、何も変わりゃあしません
むしろ、牢人衆と豊臣譜代の間に亀裂が走って、自壊するのが早まるだけだわ

>>914
そんなことが起こせるなら、そもそも野戦案が成立するしないの話なんてしなくて済むんだけどねぇ
0916人間七七四年2014/01/25(土) 17:53:10.98ID:B+ca42TW
そもそも冬の陣が和議前提の蜂起だから
徳川を倒す目的なら蜂起時期から軍編成まで全て変えなければダメやね
0917人間七七四年2014/01/25(土) 18:39:53.38ID:FJMpsCEA
10月の時点で主戦派の案を実行していればまだ可能性はあった。
6万〜8万ともいわれる主力の秀忠軍や東国の諸大名が
集結したのは11月だし、幕府軍が20万になる前に戦果を出していれば
後の交渉もだいぶ豊臣有利で進められたのに。
0918人間七七四年2014/01/25(土) 19:46:34.49ID:gv20nF3E
北政所が徳川推しした時点で、ムリポ
淀が色仕掛けで、誘惑しないと
0919人間七七四年2014/01/25(土) 23:22:41.59ID:8IXIX7ia
徳川推しはしてねんじゃね?
0920人間七七四年2014/01/26(日) 16:07:42.80ID:YC9EMvxw
城の守備に兵2万を起き、
普通に真田と後藤に残り8万の軍配を与えて出陣させれば、
勝ったんじゃないかと予想
0921人間七七四年2014/01/26(日) 16:26:36.14ID:gXb9pIzb
彼らも所詮は数千程度の軍勢しか統率できない気がする
0922人間七七四年2014/01/26(日) 16:49:36.20ID:8W3ih+qF
連携できなくて各個撃破された真田と後藤がなんだって?
0923人間七七四年2014/01/26(日) 17:15:30.16ID:y3JC8Arz
>>920
おまえは「軍勢を率いる」ってことの意味をまるで理解してない。
人数与えればいいってもんじゃないんだぞ?
0924人間七七四年2014/01/26(日) 18:04:51.52ID:VFq9321N
数千程度しか与えられなかったから数千程度しか統率できなかったわけで
数万程度与えられれば数万程度余裕で統率可能だろ
0925人間七七四年2014/01/26(日) 18:06:32.49ID:BFvfB6YU
兵力数と武器性能で戦争は決まるからね。
兵力比は実際にはその2乗となって戦争に影響するしこれに装備性能が加わったものが実際の戦力
これをくつがえすのはよほどの幸運・偶発的条件やうまい戦術、両将の指揮能力の差がないと無理(もちろん城攻めは別だが)
普通に平地でガチで遣り合えば100%兵力が二乗の戦力となり、装備差によって戦闘が決着する
ゲームでは統率や経略の少しの差で簡単に覆ってしまうが実際はなかなかそうはいかない

城攻めでも野戦でも兵力差が大きいと少ない方は味方の士気が下がったり離反や逃亡する兵が出る。
後詰の望みがない防戦なんてよほどの偶発的条件か両将の指揮能力のよほどの差がない限り基本勝つ可能性皆無なんだから
逆にその影響度が圧倒的に大きい兵力差をひっくり返して撃破した武将と撃破された武将はかなり大きく指揮采配能力に差があるとみるべき。
0926人間七七四年2014/01/26(日) 18:07:28.78ID:4axp3NcK
日本の戦国期の戦闘で、寡兵側が勝ってるのは寄せ手の油断や、偶然的な条件の重なりなど
特定の条件下でしか行われていない。
普通の頭で考えれば地形に関係なく普通に正面からガチンコで戦えば大軍側が勝つに決まってるじゃん
20対10で戦った場合10人の方は結束したとしても20人分の攻撃を10人でうけなきゃいけないけど
20人の方は10人分の攻撃を20人で分散できるから一人のダメージ比は4対1だし
寡兵側が勝ってるのは相手の油断をついて奇襲・敵を自陣深くうまく釣り込んで殲滅・ポエニ戦争みたいに敵の左右の陣を突破して
包囲殲滅など優れた戦術や敵の油断をつくなど、かなりの指揮采配能力の差や、偶発的事故などが続くなりしないと無理。
普通に正面衝突すりゃ大軍側が100%勝つに決まってる
0927人間七七四年2014/01/26(日) 18:08:39.80ID:N9A3RFwQ
防衛側が名将でも寄せ手が油断したり、軽率な行動とったりする無能や雑魚じゃない限り
野戦で大軍側を跳ね返すのは困難な芸当。普通に正面衝突すりゃ、大軍側が100%勝つのは目に見えてるからな。
野戦は篭城戦以上に兵力差がそのまま出るからな。
まぁ篭城では勝ち目なしというのは同意だけど。
0928人間七七四年2014/01/26(日) 18:09:02.50ID:VFq9321N
人間の心理でいうなら圧倒的に大軍側のが有利。
兵力に勝るから戦略の幅も大きいし勝てば領土広がるから士気も上がりやすいし

逆に寡兵側は寝返りが出やすく勝っても領土も広がらんし圧倒的に不利でしかない。
実際戦史でみても逃亡兵や離散、寝返りが出てるのは寡兵側がほとんどで攻撃側は少ない。

兵力比や武器性能よりも心理の方が重要とか戦時中の日本軍みたいな馬鹿な発想だなw
勝てる勝てると盲信しまくって物量や装備で勝る米軍に果敢に突撃しまくったが見事にどんどん負けまくったんだろうがw
基本的に国の戦争の強さは、武器性能と国力とで決まるのが基本で心理なんてほとんど影響しない。
よっぽど大国側の指揮官が無能だったりする場合は例外だろうが
0929人間七七四年2014/01/26(日) 18:09:58.68ID:8W3ih+qF
菅沼遼太はとっとと働け
0930人間七七四年2014/01/26(日) 18:58:44.11ID:qo7XfDCK
これがかの有名な菅沼遼太衆か
0931人間七七四年2014/01/26(日) 19:20:12.01ID:y3JC8Arz
>>924
馬鹿かお前。部隊から軍団までそれぞれに大将の意志を元に指揮命令する将校が必要になるんだぞ。
軍隊規模が大きくなればなるほどそれも大量に必要になる。しかもそのための命令系統も整備しないといけない。
それがない軍隊はいくら数があってもただの烏合の衆だ。

真田や後藤がどうやってそれを揃えられるんだよ?ちょっとは常識的な思考をしろ
0932人間七七四年2014/01/26(日) 19:36:37.10ID:VFq9321N
>>931
お前は馬鹿だな。真田家や後藤家の足軽大将や侍大将を使ってフルに活躍させればいいだけ。
真田や後藤は史実で寡兵・劣勢でも敢闘できるほど有能な家臣に恵まれていたのだから
それの軍勢が膨らめば遥かに発揮できる戦闘能力は向上する。
兵力が2000しかない状態で30000の兵と衝突した場合
30000人分の攻撃をわずか2000人で受けるから、1人当たり15人分のダメージをくらい、逆に2000人の攻撃は
30000人に分散されてしまうから、相手1人に対して15分の1人分のダメージしか与えられず圧倒的に攻撃でも防御でも不利だが
軍隊の人数が60000人に膨らめば、防御面では30000人の攻撃を60000人で受ける事になり、1人当たり2分の1人の攻撃しか受けなくなり
攻撃面では60000人の攻撃を30000人に与えられるから、相手1人に2人分の攻撃を与えられ
史実よりも攻撃面でも防御面でも圧倒的に有利になるのは目に見えてる。
0933人間七七四年2014/01/26(日) 19:40:52.83ID:8W3ih+qF
菅沼遼太w
0934人間七七四年2014/01/26(日) 19:41:08.96ID:N9A3RFwQ
大軍が小回り効かないとか妄想にすぎん
大軍の中から小回りの効く部隊を起動させて残りを後詰にすればいいだけだし
現に大軍の数的優位を生かしたような戦を氏直も信玄も家康もやろうとしてるし
現に成功させてる
大軍で数的優位生かせない馬鹿は指揮采配能力の欠いた雑魚だけだよ

信長でも家康でも信玄でも敵が大軍であればあるほど、味方は寡兵であればあるほど苦戦や敗戦は増えてる
戦争なんて物量や兵力が圧倒的にものをいい、兵力の2乗は実際の戦力になる。
寡兵側が勝つには特別な戦術で敵を自陣深く釣り込んだり油断ついて奇襲したり地形をうまく使って包囲殲滅したり
偶発的条件、幸運などに恵まれない限り無理。普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる
0935人間七七四年2014/01/26(日) 19:42:05.15ID:BFvfB6YU
指揮官の指揮能力不足で軍の数が多過ぎて統率が取れず負けた例なんてない
大軍のために統率がとれなかったのではなく純粋に指揮官の戦術能力や采配能力によるというだけで
「軍の数」に起因するものではない(関が原の戦いが6000対7000の戦いだろうが、史実のように裏切り・日和見があれば間違いなく負けてた)

大体大軍の指揮には高度な指揮能力が必要で難易度高いというなら最初から頼りになる部下だけ連れて寡兵で出撃すりゃいいだけじゃん
物資兵糧調達や兵站の面・戦後の恩賞の面・行軍のスピード・機敏性など圧倒的に寡兵のがローコストでメリットも大きいんだし
それにもかかわらず毎回寡兵の敵に向けて大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃してるのはそれだけメリットが大きいんだろ
所詮大軍の指揮がどうとか妄言やいいわけにすぎん。
「大軍」は「寡兵」よりも圧倒的にアドバンテージであって、統率が難しいのではなく統率失敗するような武将は無能というだけ。

信長でも家康でも信玄でも敵が大軍であればあるほど、味方は寡兵であればあるほど苦戦や敗戦は増えてる
戦争なんて物量や兵力が圧倒的にものをいい、兵力の2乗は実際の戦力になる。
寡兵側が勝つには特別な戦術で敵を自陣深く釣り込んだり油断ついて奇襲したり地形をうまく使って包囲殲滅したり
偶発的条件、幸運などに恵まれない限り無理。普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる
0936人間七七四年2014/01/26(日) 19:44:23.14ID:N9A3RFwQ
別に地形補正で侵攻側不利って事はないな
織田徳川の大軍に対して行われた三河遠州侵攻作戦とか三方が原、長篠の戦いなんて武田が少ない兵力で侵攻しまくってるし対北条今川戦でも武田が侵攻側で
大国今川北条が防衛側だが北条今川相手に勝ちまくってるし信濃・上野の山間の天嶮によって割拠するガチンコ山城を攻撃側としては少ない兵力で落としまくってるからな
長篠の戦いも「まるで城のようだ」と思わせる堅固な陣地にこもった高性能鉄砲・弓で待ち構えた織田徳川の大軍に対して直前の雨でぬかるんだ地面の中、結束力0の烏合の衆で挑んだ
ガチンコ城攻めだったが天正6年成立の長篠日記によると武田軍の9時間近い長時間の猛攻後に撤退。 馬場隊700で佐久間隊6000を敗走させ柵まで追い詰め43人討ち取り
山縣隊1500で徳川隊6000を柵まで敗走させるも 大久保隊が側面へ回りこむのを必死に阻止 さらに馬場の第二次攻撃で佐久間隊崩壊寸前
まで追い詰めるも 鉄砲隊の反撃で武田は撤退。織田方6000討死。武田方7000討死
以上のように織田徳川を寡兵で圧倒しまくってるし圧倒的に戦上手な部隊としかいいようがない



どうみても武田>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>織田
0937人間七七四年2014/01/26(日) 19:45:57.62ID:4axp3NcK
まず大前提として大軍側はここで不利だと思ったら戦場かえるなり一度退却して
大勢を整えてから出撃、決戦挑みというように戦闘のしたいときにしたい状況で戦う事ができるけど
寡兵側はそれがない。寡兵側は戦闘を避ければ領土を失い滅びるだけなので、基本的にどんな嫌な戦場だろうが
戦闘状況だろうが、物資など用意の整わない時だろうが、大軍側が出てきたら合戦に応じるしかない
人間の心理でいうなら圧倒的に大軍側のが有利。
兵力に勝るから戦略の幅も大きいし勝てば領土広がるから士気も上がりやすいし

逆に寡兵側は寝返りが出やすく勝っても領土も広がらんし圧倒的に不利でしかない。
実際戦史でみても逃亡兵や離散、寝返りが出てるのは寡兵側がほとんどで攻撃側は少ない。
0938人間七七四年2014/01/26(日) 19:47:15.23ID:TsfYAQsI
攻撃側は兵力に勝るから戦略の幅も大きいし勝てば領土広がるから士気も上がりやすいし
兵糧物資でも圧倒的に攻撃側のが調達が容易で防御側は策源地が攻め込まれてるから長期戦になればいずれおいこまれてくだけだから短期決戦によるしかないし
寝返りが出やすく勝っても領土も広がらんし圧倒的に不利でしかない。現に攻守三倍原則より遥かに少ない兵力で攻略してる例なんていくらでもあるし
圧倒的大軍で寡兵の敵に蹴散らされるのは指揮能力が雑魚の奴だけだよ
地形を生かした陣取りの主導権握ってるのも攻撃側。兵力が勝ってるから
そこで会戦するのが嫌なら別方面に兵力展開したり誘い出す作戦練ればいいだけだし
相手が乗ってこなかったら持久戦に切り替えるなり違う拠点攻めるなりして攻撃続ければ勝手に追い込まれてくだけ
0939人間七七四年2014/01/26(日) 20:09:05.19ID:P1JWZK1T
秀吉「官兵衛に10万石も与えたら天下を取ってしまう」
0940人間七七四年2014/01/26(日) 21:06:56.87ID:N9A3RFwQ
官兵衛は20万石もありながら特に何もせず終わりましたとさ
0941人間七七四年2014/01/26(日) 22:33:00.55ID:2Kb4R55o
三成が半年程度もてば九州を制圧して家康と戦えるはずだった
三成が瞬殺されたせいで官兵衛の努力が水泡に帰した
すべては実力もないくせに関ヶ原に行った三成が悪い
0942人間七七四年2014/01/26(日) 22:38:35.69ID:BFvfB6YU
三成ばかりが罵倒されるが、三成は単に政権運営に必死になってただけだろう。
やってる事も外様の禄高削減や、蔵入り地の増大や家康の専横への弾劾状など
豊臣政権が正常に運営するために必要な事ばかりしかやってない。
豊臣崩壊の真の元凶は家康に篭絡されたアホ武功派と
総大将に奉り上げられながら何もできず戦力を分散しまくり大敗した馬鹿輝元と
家康の示威行動にビビッて即効土下座したヘタレ浅野・前田だよな。
0943人間七七四年2014/01/26(日) 22:38:59.92ID:hmwCRfpX
ニートみたいないいわけだな
0944人間七七四年2014/01/26(日) 23:48:58.68ID:KhIZDVAt
秀吉本人が一番悪いよ。
0945人間七七四年2014/01/26(日) 23:57:07.54ID:BFvfB6YU
目先の欲に目がくらんで主家を見捨てる武功派連中や、政権簒奪の奸臣家康の示威行動にビビリまくって
即効で土下座する前田や浅野などと違って、豊臣政権に忠義を尽くした無欲な三成や小西らに大封与えてればよかっただけ。
三成は島津家の蔵入り地問題や、家康の私婚問題に対する弾劾状や、朝鮮出兵の際の恩賞問題の処理などを見る限り
極力豊臣蔵入り地の確保と、諸大名の力を削ぐ事を中心に考えて一貫して行動している。
結局武功派が馬鹿だったから、個人的恨みでもって三成らに立てついて主家への恩義を忘れて家康に篭絡されて、主家を滅ぼしただけ。
0946人間七七四年2014/01/26(日) 23:58:24.75ID:TsfYAQsI
関ヶ原に関しては前田と浅野がヘタレすぎて豊臣武功派がアホすぎ
毛利が馬鹿すぎとしかいいようがない。
豊臣武功派がアホで主家への恩義を忘れて目先の利得に走ったせいで豊臣政権が家康に簒奪されたんだろ。
示威行動にビビリまくってヘタレ土下座した前田や浅野、糞戦略で大敗した毛利も同罪だが。
三成は大老奉行連署での家康への内府たがい条を叩き付け
豊臣政権への反逆罪を名分に掲げて
畿内方面だけで18万もかき集めて100%勝てる状況を作ったが
その中で最も中核となる軍隊を有する毛利一族が馬鹿すぎたせいで
西軍は戦力が分散しまくり軍として機能せず、大敗した。
0947人間七七四年2014/01/27(月) 01:54:44.66ID:+A1tAvZo
菅沼遼太必死w
0948人間七七四年2014/01/27(月) 01:57:44.46ID:wh9MJ3hB
菅沼遼太って何台pcを持ってるの?
0949人間七七四年2014/01/27(月) 02:26:09.16ID:wh9MJ3hB
しかし前田と浅野が最大の勝ち組なんだよな
関が原での石高の増加率を見るとそうとしか言えない
結局、浅野家は47士かなんかで潰れるが
それでも、その代までもっただけたいしたものだ。
0950人間七七四年2014/01/27(月) 02:43:50.08ID:+A1tAvZo
それ分家や
0951人間七七四年2014/01/27(月) 06:17:07.50ID:khf2iAda
>>949
wikiくらい見れば良いのに
0952人間七七四年2014/01/27(月) 10:37:07.89ID:REPL1kLu
徳川に即効土下座した情けない大名だけど
その徳川がたまたま勝利したから領土安堵されただけの他力本願の棚ボタ大名で
当人に功責があったわけでもなんでもないけどな
0953人間七七四年2014/01/27(月) 10:52:12.88ID:wh9MJ3hB
日和見してどちらにもコマを張らずに潰された大名が多い中
早くから旗幟鮮明にして大きくコマを張ったこと事態は評価されてしかるべき
それはたまたま敗北したけど西軍にコマを張った大名にも言える。
最高に見事なのが敗北した西軍に張った挙句にコマすら取り戻した島津家と鍋島家
0954人間七七四年2014/01/27(月) 11:33:15.68ID:oDDZmQN8
旗幟鮮明も糞も、徳川の難癖つけ→威圧にビビリまくって即効土下座しただけじゃん。
恩のある豊臣家をあっさり見捨てて、当時なら反徳川の風潮が強く
西軍が勝つ可能性も往々に考えられる中、大義名分も全くない難癖と威圧にビビって屈するとか情けないにも程がある
0955人間七七四年2014/01/27(月) 11:33:51.88ID:hMb0qRY+
関ヶ原に関しては前田と浅野がヘタレすぎて豊臣武功派がアホすぎ
毛利が馬鹿すぎとしかいいようがない。
豊臣武功派がアホで主家への恩義を忘れて目先の利得に走ったせいで豊臣政権が家康に簒奪されたんだろ。
示威行動にビビリまくってヘタレ土下座した前田や浅野、糞戦略で大敗した毛利も同罪だが。
0956人間七七四年2014/01/27(月) 11:35:30.11ID:oDDZmQN8
まだ攻められてもいないし、攻められるべきちゃんとした理由もなく、
勝てるか負けるかもわからない相手(つか、当時の徳川の規模からしたら、敵対勢力の方が強大で、徳川が勝てない可能性のが高い)に対して
戦わずして土下座とか情けないにも程があるわ。何のための武士なんだか。
いざという時主家を守って家康の簒奪行為を見過ごすどころか、結果的に貢献する事になったんだしな。
大体攻められるべき大義名分も家康が勝手にデッチ上げただけの物の可能性が高く
何ら自分らに責任もなく、しかも、戦って負ける可能性が高いとはいえない、当時の勢力差の相手に対して
戦う前からヘタレ土下座とかウンコ武士もいいとこだろ。
0957人間七七四年2014/01/27(月) 11:37:28.04ID:WXeQjrri
>>953
島津は別に何もやってないよ。
関ヶ原合戦後黒田や加藤らが島津領めがけて遅いかかっていくところを
家康が黒田や加藤らを止めて、たまたま島津が棚ボタで助かっただけだし
0958人間七七四年2014/01/27(月) 11:39:33.83ID:kvcJTudN
棚ボタ的に金魚の糞に成功したのを見事と言ったり
家康の気まぐれで領土を安堵されただけを成功といったり、西日本大名&豊臣武功派厨は相当馬鹿だな
0959人間七七四年2014/01/27(月) 11:46:16.92ID:kvcJTudN
義弘の功績って朝鮮で暴れたことだけだよな。
秀吉に取り込まれて義久派と対立し家中を分断させたこと、
関ヶ原に参加して本家を窮地に追いやったことを考えると、
とても当主の器とは思えん。
0960人間七七四年2014/01/27(月) 11:46:55.69ID:wh9MJ3hB
ただ一つ分かってる事はおめーらが島津義久だったら100%の確率で島津藩は取り潰されてた
家康は気まぐれで領土など決めていない
0961人間七七四年2014/01/27(月) 11:50:46.03ID:WXeQjrri
関ヶ原後で 先鋒を立花宗茂に鍋島 清正 如水の島津侵攻軍の時点で詰んでただろ…
家康が如水や清正らが九州統一するのを恐れてストップかけただけだし
ストップかけなきゃ家康と一緒に畿内にいた細川や黒田の本隊が九州へ戻ってくる前に島津なんて滅亡してただろう。
家康は奴隷毛利も増援に使用できるしな。
東軍だった伊東も島津懲罰にやる気満々だろうし
大垣で西軍を裏切った秋月とかも必死で働くだろうね。
0962人間七七四年2014/01/27(月) 11:52:01.81ID:AmFOG+Ix
菅沼遼太がマジレスすると俺が指揮してたら豊軍勝たせてたぞ
歴史知ってるからな。大阪城籠城やめて全軍家康本陣に突擊が鉄板でしょ
0963人間七七四年2014/01/27(月) 11:52:39.04ID:hMb0qRY+
家康の気分で助かっただけなのが島津
関ヶ原合戦後、九州・四国・中国
皆徳川に土下座した。
島津が抵抗したら、畿内、中国、四国、九州が家康の命令の元
薩摩に一斉になだれ込んできて1週間で瞬殺されるのは目に見えてる。
0964人間七七四年2014/01/27(月) 11:54:33.41ID:L3v15JBP
島津が寡兵で戦って勝ってきたとかほとんど軍記オナニーだしね
寡兵で大軍を破るどころか
大軍で寡兵の敵に蹴散らされまくるアホな戦しかないし
佐伯や立花、高橋、志賀や伊藤との戦いなど
0965人間七七四年2014/01/27(月) 12:05:23.72ID:wh9MJ3hB
先鋒を立花宗茂???

頭大丈夫か?
普通に先鋒は伊東だしw
0966人間七七四年2014/01/28(火) 00:16:37.25ID:NcC/H65G
秀忠率いる幕府軍の主力と伊達、上杉、佐竹など
歴戦の諸将が揃う前だったら家康を討てた可能性は高い。
10月に家康のもとに馳せ参じれたのは
真田丸でフルボッコにされた前田軍と松平忠直くらいしか居ないし。
0967人間七七四年2014/01/28(火) 00:28:15.56ID:UJInt4zl
菅沼遼太はスルー
0968人間七七四年2014/01/28(火) 00:40:14.33ID:xZaDY8/l
畿内の国力は近江山城播磨但馬丹波丹後大和伊賀紀伊伊勢美濃越前くらいでおよそ450万石程度あるから
兵力は一万石300人換算で13万程度動員可能だから
大坂方が出撃してこようが、畿内方面軍だけで余裕で守り通せるだろ。
下手すりゃ四国や中国の軍勢によって背後から大坂城をあっさり陥落させられる可能性も高い。
大坂城を手薄にしたら
四国や中国や九州の兵などが次々群がってきて
大坂城ごとき楽勝で落とされるのは目に見えてる。
徳川の動員兵力は20万とされてるが、予備戦力は十分残した上での話しであり
豊臣から仕掛けて来るような危機となれば
中国・四国・九州の領主や畿内近郊の領主達が次々家康や秀忠の指令の元
大坂討伐に乗り込んでくるのは明白であり、大坂は四方八方からあっさり攻囲されて大坂の陣は2週間程度で終結するのは見に見えてる。
10万あるうちの半分くらいは残さないと、大坂なんて短期間でも防衛不可能だろ。
大坂に浪人が入城して畿内徳川軍の到着する10日程度の間に
松平定勝とそれに付けられた兵力が守備する伏見城を落城させ 伏見に向かっている畿内徳川方勢力を一掃する
なんて到底無理だし
畿内の主要な街道等を制圧し、東西分断 東から徳川本隊に対する備えを構築し、野戦に必要な指揮伝達系統をしっかり確立
なんて、確実に無理ゲー。
普通に相手が雑魚でも二週間程度はかかるし、
0969人間七七四年2014/01/28(火) 01:37:36.57ID:nRwskQWf
徳川政権に対する畏怖がある限りは大名達も豊臣に付くことはありえなさそうだもんなぁ。家康が将軍になって秀忠に譲っても、天下普請命じても誰も逆らわないし。
もし大坂方が京伏見か大和に出撃したら徳川の命で紀州の浅野や播州の池田あたりが一軍率いて豊臣領内に侵入して牽制しそうだしな。
そうなるとやっぱ河内大和国境で迎え撃って最低でも家康、あわよくば秀忠をも討ち取って徳川政権の基盤を揺るがせない限り大坂方には勝ち目ないな。
0970人間七七四年2014/01/28(火) 01:47:26.44ID:NVDti3yJ
最大の課題は
「家康と秀忠を討てば幕府の基盤は揺るぐのか?」
ということなんだが、これでビクともしなかったら完全にお手上げだな。
0971人間七七四年2014/01/28(火) 08:33:48.84ID:mmXBIb9W
本多家が徳川家の後釜にだな・・・
0972人間七七四年2014/01/28(火) 20:08:36.89ID:x1bvMiB2
>>969
だから、さっさと大坂城を明け渡して
豊臣家は今川家と同様に高家で満足すべきだったんだよ。
それなのに現実が見えない秀頼は挙兵してしまった。
今川家と同様に五百石で構いませんからと豊臣家の存続を哀願していたら
豊臣家は少なくとも幕末まで生き延びれたのに。
現状認識のできなかった秀頼は本当にダメだ。
0973人間七七四年2014/01/29(水) 00:03:39.96ID:nmv14lvk
>>968
畿内は小勢力が多いから13万なんて大軍は動員できない。
当時は浪人が多く、治安が極度に悪化してたし
畿内は自領の維持が精一杯で戦力を供出できるとこは限られてる。
あと四国や九州からくるとしても10月中に馳せ参じるのは不可能。
というか畿内の兵糧は豊臣方が多くを接収してたから
ただでさえ徳川方は兵糧不足なのにますます悪化してしまう。
0974人間七七四年2014/01/29(水) 00:19:24.41ID:f38HeeYM
>>970
ちょうどいい例が
山一戦争だな。
四代目と若頭一緒に殺ったが
ビクともしなかった。
0975人間七七四年2014/01/29(水) 00:19:43.35ID:JAFD1Gvb
小勢力が多かろうが小勢力を総動員すれば13万くらいになるだろ。
単純に450万石あるんだし
関ヶ原の時でも畿内方面の軍団は西軍1を中心に大量に集まったじゃん。

下手すりゃ四国や中国の軍勢によって背後から大坂城をあっさり陥落させられる可能性も高い。
大坂城を手薄にしたら
四国や中国や九州の兵などが次々群がってきて
大坂城ごとき楽勝で落とされるのは目に見えてる。
徳川の動員兵力は20万とされてるが、予備戦力は十分残した上での話しであり
豊臣から仕掛けて来るような危機となれば
中国・四国・九州の領主や畿内近郊の領主達が次々家康や秀忠の指令の元
大坂討伐に乗り込んでくるのは明白であり、大坂は四方八方からあっさり攻囲されて大坂の陣は2週間程度で終結するのは見に見えてる。
10万あるうちの半分くらいは残さないと、大坂なんて短期間でも防衛不可能だろ。
大坂に浪人が入城して畿内徳川軍の到着する10日程度の間に
松平定勝とそれに付けられた兵力が守備する伏見城を落城させ 伏見に向かっている畿内徳川方勢力を一掃する
なんて到底無理だし
畿内の主要な街道等を制圧し、東西分断 東から徳川本隊に対する備えを構築し、野戦に必要な指揮伝達系統をしっかり確立
なんて、確実に無理ゲー。 普通に相手が雑魚でも二週間程度はかかるし、
0976人間七七四年2014/01/29(水) 00:54:09.01ID:bp9Ho7bb
>>974
なるほど。
一和会はなまじ金星をあげてしまったがゆえに落とし処を失ってしまった。
いろいろ符合するな。
0977人間七七四年2014/01/29(水) 15:47:38.45ID:jNHDbFaz
>>972
それは無い。
おまえは江戸時代初期史を知らなさすぎ
将軍の兄弟はことごとく蟄居・粛清・お家断絶
家康が明確に「豊臣家は断じて取り潰してはならん」とはっきり遺言すれば
幕末まで旗本して確実に生き残ったが、そうでもない限り江戸時代初期に100%お家断絶してた。
0978人間七七四年2014/01/29(水) 16:03:48.95ID:gAyXuetW
>>977
そういうことなら挙兵して死んだ方がマシだが。
将軍の兄弟はことごとく蟄居・粛清・お家断絶って
越前松平家やいわゆる尾張・紀伊・水戸の御三家は
将軍秀忠の兄弟ではなかったでしょうか?
それは無視ですか?
0979人間七七四年2014/01/29(水) 16:41:57.04ID:jNHDbFaz
>>978
あれは家康がじきじきに残しとけっけ遺言してたはず
本家の血筋が絶えた際のバックアップとして。
結城、忠吉、忠長はそこから漏れた

あと他家だけど池田家に関しては家康も娘が嫁いでて
本来、嗣子が無くて120%取り潰さなければならなかったが
家康が死ぬ直前ギリギリに何とか残してあげてくれと言ったらしく
秀忠と土井は苦心して法を曲げまくって残したという話もある
0980人間七七四年2014/01/29(水) 17:34:09.96ID:/tnjiW4Q
越前松平家は弟に相続したし、忠吉は無嗣改易だけど形式上は義直が継いでいる
断絶したのは忠長だけ
0981人間七七四年2014/01/29(水) 19:07:49.08ID:jIFbYZ2v
>>979
池田輝政には男の子が何人もいますが?
家康の外孫までいます。
それなのにお家断絶なんて家康は
本当に血も涙もない男ですね。
979のいうことは極めて正しいと思えてきました。
実の孫にまで路頭に迷えと公然と言い放つとは。
スターリンでさえ娘は可愛がったのに。
家康は本当に血も涙もない独裁者ですね。
0982人間七七四年2014/01/29(水) 19:22:14.85ID:jNHDbFaz
輝政じゃなく池田忠継ね
家康にとって外孫になるわけだけど
秀忠たちが当時しいていた基準では
どういう意味でも御取り潰しの他はありえなかった
結局、救ったわけだけどこの後もこの家はお家騒動が後を絶たなかった
でもその度に奇跡的に救われてる
0983人間七七四年2014/01/29(水) 19:53:18.05ID:jIFbYZ2v
>>982
後、会津藩もお取り潰し決定ですね。
家光の異母弟が藩祖ですから。
秀忠が血も涙もない男である以上、
秀頼が勝算の全く立たない挙兵を行い
大坂の陣に挑んだのは当然ですね。
0984人間七七四年2014/01/29(水) 21:54:24.37ID:bp9Ho7bb
もう話がメチャクチャだなw
江戸幕府はどこの近所の北朝鮮だよw
0985人間七七四年2014/01/29(水) 22:39:36.66ID:jIFbYZ2v
>>984
要するに徳川将軍家は自分の兄弟や孫であろうと血も涙もなく殺している。
だから、豊臣家の存続なんてありえない。
従って秀頼が座して死ぬくらいならと挙兵したのは当然という話。
確かに982の理論だとその理屈は正しいな。
秀頼には息子も現にいたのに
徳川将軍家にとって豊臣家は跡取りなくしてお取り潰しになって当然の家らしいから
0986人間七七四年2014/01/29(水) 23:26:35.38ID:QRs051cC
>>976
江戸幕府もあこまで基盤が出来てきてたら、かえって仇討ちにいきり立った幕府軍に速攻アボーンされて終わりだよな。
0987人間七七四年2014/01/30(木) 00:00:52.14ID:jNHDbFaz
日本にもどんな権力者が現れようと天皇家を潰さず残し続けた土壌はあるし
シナにもかつて前政権の皇帝を「王」として存続させた王朝もしばしばある。
秀吉も血筋としては織田家を残そうとしてたわけだし
家康も旧主の今川家温存しようと努力した事がある
そこから鑑みて秀吉は家康がどんな形であろうと秀頼の血筋をなんとか残してくれるかもと
淡い期待をしたけど家康の人格は決してそんなに生易しいものではなかったという結論かね。
家康が秀頼の血筋を少しでも残そうと思えばショウメイ問題は起きてないし
最悪、蔵で隠れてた秀頼の命を助けて八丈島でも大島でも飛ばすくらいはできた。
ただ単に豊臣家の血筋を完全に絶って豊国神社も無くしたかったんだろうと思う
0988人間七七四年2014/01/30(木) 01:31:17.78ID:PeR43LEC
>>987
ですな。
ひょっとしたら歴史から抹消されてるだけで、家康は秀吉に深い個人的な恨みがあるんじゃないかな?
0989人間七七四年2014/01/30(木) 08:53:13.74ID:BhEMDqPC
>>987
秀吉本人がいつ死んでもおかしくない年齢で
数少ない血縁の秀次の血筋を絶やしてるのに
赤の他人の家康に期待し過ぎ
織田は臣従したから残ったが秀頼は敵対し続けたから潰された
大阪の陣を起こさないように臣従するのがベスト
初めてしまったら凄いラッキーでもないかぎり勝てない
0990人間七七四年2014/01/30(木) 09:42:36.68ID:wujpuXyY
>>989
一応、妹を家康に嫁がせたし
秀頼は家康にとっても孫、秀忠にとっては婿だから
全然「赤の他人」ではないだろw
0991人間七七四年2014/01/30(木) 10:38:55.71ID:hqlyt6AU
家康は信長や秀吉に比べると明らかに寛容だからな
前田や浅野は家康の温情で領土減らされなかっただけ(無論家康の地盤がその時点で全く固まっていなかったのも大きいが)
島津に関しては黒田や加藤らが関ヶ原合戦で大敗後領国がからっぽの島津領に向けて突進していくのを止めて
島津を助けてやったし
上杉も毛利も佐竹も減封はしたものの改易されてないし
殺されてるのはほんの一部にすぎないしね

看羊録の著者は、日本に抑留された朝鮮人捕虜。 当然、家康本人や有力諸将等と面会した事などない。
家康の人格について、伝聞記で史実性を持たせるってメチャクチャだね。

看羊禄といいイエズス会年報といい外人が書いたやつはデタラメばかり書かれてるから
大友の研究でフロイスの日本史が扱われるくらいで他まともにソースとして用いる馬鹿はいない
そもそも軍記でも論文に引用くらいはされるわけで
あくまで参考材料ってだけでそれがまともなソース元として引用されるのとは別

主筋織田家簒奪&信雄改易・信孝殺し・秀信実権改易
宇都宮など多くの味方を改易し秀次やら殺しまくり何の罪もない朝鮮人を殺しまくった秀吉が寛容wwwwww
基地外すぎるなwww
つか同じ宣教師の日本史だと秀吉は自分の親族だと名乗りでた人間(偽者ではなく本物)を問答無用に殺してるわけだがw
秀吉は敵対勢力はもちろんの事味方でも殺しまくるカス
佐々・信孝・秀次etc...

関東攻めでも中国計略でも降伏する人々を寛容どころか殺しまくり
里見からも上総奪い上げ結城も改易しようとして徳川が擁護し宇都宮改易
南奥州はじめ東北の諸将も改易の嵐
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。