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大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法

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0001人間七七四年2013/09/19(木) 17:44:52.85ID:nmTcKAHP
大坂の陣で豊臣軍が幕府軍を撃破・潰走させたのち、
豊臣家が天下を平定するまでのシナリオを考えて下さい。
0853人間七七四年2014/01/22(水) 22:20:55.22ID:UIQfUHvz
大坂に浪人が入城して畿内徳川軍の到着する10日程度の間に
松平定勝とそれに付けられた兵力が守備する伏見城を落城させ 伏見に向かっている畿内徳川方勢力を一掃する
なんて到底無理だし
畿内の主要な街道等を制圧し、東西分断 東から徳川本隊に対する備えを構築し、野戦に必要な指揮伝達系統をしっかり確立
なんて、確実に無理ゲー。
普通に相手が雑魚でも二週間程度はかかるし、
0854人間七七四年2014/01/22(水) 22:27:13.68ID:w2KRbxtm
>>848
関ヶ原や大坂の陣で醜態さらしまくったのは福島黒田藤堂などの豊臣の雑魚武将達であって
徳川軍自体はほとんど戦ってないし、可もなく不可もなくの戦いぶりだったよ。
福島は関ヶ原の合戦で宇喜多隊相手に押されまくって崩壊寸前まで追い込まれてる。
歴戦のはずの藤堂高虎隊は味方が勝ち行く中唯一寡兵の長宗我部勢に負けまくり大損害出して死に体で帰ってきてる
確か関ヶ原合戦の際にも京極隊と連携してわずか1000そこそこの大谷隊を攻めたら大苦戦し
小早川が離反後も何度も押し返されて朽木・脇坂らが大谷隊に攻めかかるまで
ろくな戦果あげられなかったはず。
黒田長政も細川忠興と協力して6000そこそこの石田隊を攻めたらろくに戦績もない三成相手にほぼ互角の戦いで
切り崩せなかったし
大坂の陣の奮戦っぷりで見ても、個々の武将の能力でいえば大坂方の方がずっと上じゃね?
武器性能で言っても大坂方が特に勝っているはずはないしな。
0855人間七七四年2014/01/22(水) 22:28:44.04ID:FnTI8B9R
幸村が全軍指揮できてたら100%勝てただろ。
徳川軍なんて四天王が次々病死、他の諸大名も世代交代してて大した連中もいないし
大阪方の方が戦績豊富な連中多いんじゃね
0856人間七七四年2014/01/22(水) 22:28:56.99ID:f2Lhyo0U
通説の関ヶ原合戦の兵数は仮に定めたものだから、それ根拠にすると痛い目見るよ
0857人間七七四年2014/01/22(水) 22:29:37.18ID:aWtPqFPT
それじゃ大坂方のうち主力5〜6万を集中して、敵の中で弱そうであっさり崩れそうな藤堂隊や前田隊を一蹴して殲滅
その後細川や上杉隊などに戦力集中してかかり殲滅と
兵力を集中して、他の方面は極力敵軍の足止めを行い、その間に各軍団を各個撃破していく戦略が妥当か
0858人間七七四年2014/01/22(水) 22:30:24.72ID:UIQfUHvz
>>856
太田牛一が記してるが
0859人間七七四年2014/01/22(水) 22:31:07.86ID:SdiQA0M8
西軍は西軍で大谷や石田、小西といった頼りになる名将達が消えてしまったのが痛いがな
戦術に関してはともかく兵站管理に関しては、素人軍団だけでは中々厳しい物があるだろうし
0860人間七七四年2014/01/22(水) 22:33:13.78ID:f2Lhyo0U
>>858
適当な事言うな
0861人間七七四年2014/01/22(水) 22:33:32.15ID:aWtPqFPT
それじゃ大坂方のうち主力5〜6万を集中して、敵の中で弱そうであっさり崩れそうな藤堂隊や前田隊を一蹴して殲滅
その後細川や上杉隊などに戦力集中してかかり殲滅と
兵力を集中して、他の方面は極力敵軍の足止めを行い、その間に各軍団を各個撃破していく戦略が妥当か
0862人間七七四年2014/01/22(水) 22:34:06.88ID:h5YAoVgq
>>860
慶長記に書いてるんだが
0863人間七七四年2014/01/22(水) 22:35:13.37ID:aWtPqFPT
徳川軍は藤堂細川黒田前田など雑魚ばかりだから出撃策は案外有効かもしれない。
前田なんて冬の陣の時でも真田丸で壊滅させられ
藤堂も長宗我部に蹴散らされまくってたし。
0864人間七七四年2014/01/22(水) 22:35:53.68ID:dEsuYbu4
関ヶ原合戦の際に、真田昌幸・幸村、毛利勝永ら大坂の陣での大坂方に加えて小西大谷宇喜多石田ら
関ヶ原敗戦組も含めて総決戦を行えれば間違いなく勝てた。
兵力でいっても、メンツでいっても、西軍の方が遥かに充実してて、東軍は雑魚ばかり。
0865人間七七四年2014/01/22(水) 22:36:19.88ID:f2Lhyo0U
>>862
太田和泉守記にあるのなんて会津征伐の総数とか、秀忠勢の総数とか、南宮山の西軍の総数とかで
各部隊の兵数の記述なんてない
0866人間七七四年2014/01/22(水) 22:37:22.78ID:w2KRbxtm
西軍は戦歴薄い連中が結構いるが、
東軍はそれ以上に戦歴あるくせに戦のセンスのない雑魚ばかりだからね。
そういった将の資質に問われる野戦を西軍がうまく挑めば勝利できた可能性はあるね。
0867人間七七四年2014/01/22(水) 22:38:43.31ID:h5YAoVgq
真田昌幸と立花宗茂が大坂城に篭もってら100%勝ててたな。
家康を大いに苦しめた依田信蕃でもかなり敢闘してただろ
0868人間七七四年2014/01/22(水) 22:40:00.05ID:IAoOBOIr
大坂城を手薄にしたら
四国や中国や九州の兵などが次々群がってきて
大坂城ごとき楽勝で落とされるのは目に見えてる。
徳川の動員兵力は20万とされてるが、予備戦力は十分残した上での話しであり
豊臣から仕掛けて来るような危機となれば
中国・四国・九州の領主や畿内近郊の領主達が次々家康や秀忠の指令の元
大坂討伐に乗り込んでくるのは明白であり、大坂は四方八方からあっさり攻囲されて大坂の陣は2週間程度で終結するのは見に見えてる。
10万あるうちの半分くらいは残さないと、大坂なんて短期間でも防衛不可能だろ。

大坂に浪人が入城して畿内徳川軍の到着する10日程度の間に
松平定勝とそれに付けられた兵力が守備する伏見城を落城させ 伏見に向かっている畿内徳川方勢力を一掃する
なんて到底無理だし
畿内の主要な街道等を制圧し、東西分断 東から徳川本隊に対する備えを構築し、野戦に必要な指揮伝達系統をしっかり確立
なんて、確実に無理ゲー。
普通に相手が雑魚でも二週間程度はかかるし、
0869人間七七四年2014/01/22(水) 22:46:03.01ID:30bh2vut
>>852
史実の淀に発言権は無かったと思う
家康が将軍に就いたとき、不安になり高台院に相談したというし
江戸に人質に行く気はあったが、主戦派の秀頼が反対して流れた
夏の陣で砲撃で侍女が死んで和睦持ちかけたのも淀自身は戦する気は無かったからでは
意志が弱く息子や大野や牢人衆の意見に右往左往してる間に自害するハメに…
0870人間七七四年2014/01/22(水) 23:04:13.29ID:yyDxN5Mc
>>869
思うって話だから、こちらも感情論で対応すると

秀頼が主戦派とするなら、
何故、
一般的に言われる10万の大軍で『籠城』戦を『征夷大将軍』に仕掛けたのか
が理解出来ない。
実朝以降、摂関家果ては親王、足利時には準后の地位に有る者が就いた世俗権力の頂点と戦争になるのが必然的なのに
端からは家康が老衰でもすれば無かったことになるだろうと云わんばかりの籠城策を
攻城側の半分近くも浪人を集めて実施する意図が理解出来ない

ぶっちゃけ、どうでも良いから当たり障りの無いように誤魔化した結果が史実と『感じる』
0871人間七七四年2014/01/22(水) 23:30:46.15ID:zyI5Trlb
大阪城付近の野戦持ち込みだと多少の時間的猶予はあるが、絶対的な部隊の練度の不足が相当響きそうかな

夏の陣見てもわかるように、狭い範囲になるとはいえ、各方面がしっかり連携して動かないと各個撃破の的になるだけだが、
道明寺の戦いのようにまさにそのパターンに突っ込んでしまう状況なんで…

八尾若江の戦いも低湿地帯という大部隊の利が出にくく、
小規模な乱戦に持ち込みやすい場所の地の利があるのは確かなんだけど
史実同様、結局は消耗戦になっちゃって数で劣る側が持ちこたえられるような戦線ではないのよね

いずれにせよ、冬の陣の大坂城が健在な状況なら、壊滅的状況になるまで大坂近郊で野戦を繰り返すメリットが薄いから
短期的に徳川方の足並みを乱してから籠城戦に移行という流れになりそうな気はする
0872人間七七四年2014/01/23(木) 00:32:37.18ID:pr/QrnuF
>>853
畿内の徳川軍の兵力はそう多くはないだろ。
あの辺で万を超える軍勢を起こせる大名って豊臣以外にいるのか?
0873人間七七四年2014/01/23(木) 00:38:18.41ID:vwy7uiQN
単純にみて畿内の国力は近江山城播磨但馬丹波丹後大和伊賀紀伊伊勢美濃越前くらいでおよそ450万石程度あるから
兵力は一万石300人換算で13万程度動員可能だから
大坂方が出撃してこようが、畿内方面軍だけで余裕で守り通せるだろ。
下手すりゃ四国や中国の軍勢によって背後から大坂城をあっさり陥落させられる可能性も高い。
0874人間七七四年2014/01/23(木) 11:26:00.05ID:llss1tBg
籠城で滅亡したんだから出撃作しかないだろう
それでもダメだろうけどひょっとしたらひょっとするのは出撃作のみ
宝くじは買わないと当たらない
籠城は宝くじを買ってない
0875人間七七四年2014/01/23(木) 11:30:01.00ID:vwy7uiQN
籠城では滅亡していないよ。冬の陣は引き分け。
夏の陣で出撃にでたから負けただけ。
0876人間七七四年2014/01/23(木) 11:59:14.93ID:sWIlPGn1
>>875
こいつぁ一本取られたw
0877人間七七四年2014/01/23(木) 15:20:12.62ID:rJlBh2i0
>>874
夜店のクジに一等は入っていない。
0878人間七七四年2014/01/23(木) 20:10:17.91ID:I3yfD/Qj
夏は籠城できないだろ
その原因を作ったのが冬の籠城戦だ
0879人間七七四年2014/01/23(木) 21:30:36.95ID:kkxJZOAr
籠城厨は春夏秋冬四六時中籠城だもんな
籠城こそ人生だ
0880人間七七四年2014/01/23(木) 23:05:39.36ID:vwy7uiQN
夏に籠城できない?何それ(笑)
そんな決まりが戦国時代にはあるのかw
0881人間七七四年2014/01/23(木) 23:06:43.19ID:pr/QrnuF
>>873
畿内は寺社領や公家領が多く徳川にしてみれば戦力としては期待できない。
あと松平定勝も大阪の陣では10万石にも満たない小大名。
0882人間七七四年2014/01/23(木) 23:32:51.15ID:kkxJZOAr
籠城厨も母親(家康)にクーラーを止められたら夏に籠城できなくなると思うよ
さあコンビニへ出陣じゃ〜!
0883人間七七四年2014/01/23(木) 23:43:32.03ID:/VMgRyCV
>>881
ソースは?
寺社領や公家領があるからといって別に動員が期待できないわけじゃないだろ。
寺社領や公家領なんて、全体の何分の1っかって所だろうし
0884人間七七四年2014/01/23(木) 23:50:30.38ID:sNk0WQw5
>>871
でも冬の陣の豊臣方の戦力なら八尾若江道明寺の戦い仕掛けても、史実の夏の陣のような結果にはならない気がする。
戦力が豊富な分、色々作戦も描ける。低湿地で乱戦に持ち込めば家康父子を討ち取る機会も十分ある。
畿内制圧みたいな大規模な作戦はいくら10万いても寄せ集めだし、それを仕切る将もいない。そんなのできるの当時存命武将では家康しかいないだろう。
やっぱり大和河内国境で迎え撃つのが一番現実的な出撃策で、家康父子殺害の成功の確率も低いとはいえ可能性はゼロとは言えない。
0885人間七七四年2014/01/24(金) 06:25:27.62ID:IBc+r3nu
>>884
その乱戦のただ中に家康本陣が突っ込む可能性はないと言っていい
なぜなら、京都に入ったら、各地から集まってくる諸将の集結待ってから徳川方は動くからね
その場合本陣は先鋒がある程度露払いしてからしか動かなくなる

で、消耗戦になれば数で劣る大坂方の方がもたないから、
徳川方をことごとく潰して家康などを引っ張り出すまで粘れる可能性ははっきり言ってないに等しい
どこかで耐えきれなくなり、大坂城に引き上げるしかなくなる

野戦は徳川方の足並みを乱すことはできるかもしれないが、正直それが精一杯
後はそれで運良く大坂方に鞍替えする勢力が出ることを期待するしかない

通説の野戦案も積極前進なだけで、結局その可能性にすべてを期待するようなものなのよ
(鞍替えが出そうになかったらあきらめて籠城戦に移行する)
0886人間七七四年2014/01/24(金) 06:32:48.57ID:IBc+r3nu
で、その見込みは実際どれぐらいなんだって話になるが、
そもそも徳川方はぐらつきそうな人は江戸に留め置いて連れて行かないっていう入念な準備しちゃってるていう
(そういうところは、豊臣時代の縁が薄い子供に兵を率いさせている)

なんで、豊臣恩顧を盾に鞍替えを期待するのは実際には不可能で
それが使えないなら、時間が経てば経つほど負け馬になる公算が高い大坂方に鞍替えしようなんて勢力が出る見込みは…
と言わざるをえない程度のお話になる
0887人間七七四年2014/01/24(金) 06:37:44.75ID:XRNME2qm
>>873
300人換算は良いんだけど
大阪城に10万人いることになってる軍勢はどこかの異世界から召喚されたとでも思ってるのか?
0888人間七七四年2014/01/24(金) 07:51:21.80ID:eQZ0dR6x
>>881
伏見在番・定番を忘れないで
0889人間七七四年2014/01/24(金) 07:58:23.19ID:avZnJPA0
>>875
大坂夏と陣も籠城すれば勝ちだったのにね
0890人間七七四年2014/01/24(金) 12:22:36.04ID:QOK4EjQv
>>874
秀頼が二条城に行った一度の例外を除けば
淀・秀頼にとって篭城は15年間やり続けている豊臣の伝統とも呼ぶべきもの
そもそも秀吉が大枚はたいて大坂城を堅牢にしたのだから使わなかったらもったいない
新興組織である豊臣にとって伝統を作り上げることは宝くじなんかより遥かに重要だ
出撃策は豊臣の伝統を汚すものであり伝統を汚すならわざわざ徳川と戦う意味もない
冬も夏も秀頼が出陣しなかったのはむしろ立派なことであり勝利や敗北よりも大切なことを守った
0891人間七七四年2014/01/24(金) 17:00:47.05ID:es/71C4c
>>887
それは大坂方の財力で一時的に雇われただけの兵士じゃね
>>888
何がいいたいのかよくわからん。
伏見城在番がいるから畿内の総兵力は少ないという事か?
0892人間七七四年2014/01/24(金) 17:42:09.59ID:eQZ0dR6x
>>891
伏見在番・定番を加えれば伏見城の守備兵力はより多くなるよという意味
0893人間七七四年2014/01/25(土) 01:01:22.66ID:FJMpsCEA
>>892
当時の畿内は相当数の牢人が溢れて治安が悪かったのにそんな余裕ないだろ。
畿内や東海地方の兵力だけじゃ足りないから
関東の軍勢や南部、佐竹、伊達、上杉まで駆り出したってのに。
0894人間七七四年2014/01/25(土) 02:35:11.21ID:qCtsJ9Yd
畿内は全土で500万石〜600万石程度あるから
そのうちの豊臣領除いても450万石程度は見込めるから
単純計算で135000くらいは畿内勢だけで動員可能
畿内だけに編重した動員だと、徳川政権下での軍役負担の不平等や
それによる国内統治への負担も考えて、動因を広範囲にかけたんだろうし
0895人間七七四年2014/01/25(土) 03:31:06.88ID:8IXIX7ia
籠城厨に関ヶ原の戦いをさせたら50万人VS50万人くらいの戦になりそう
頭が根本的に悪すぎる
0896人間七七四年2014/01/25(土) 03:46:17.79ID:IdjhtFNJ
>>895
馬鹿はお前
関ヶ原合戦の時畿内方面の西軍だけで18万もいたのが石田三成人数書立や慶長見聞書で確認できる
畿内以外の僻地では生産力が低くて、他の敵とも戦っており、総軍動員なんてできなかったが。
0897人間七七四年2014/01/25(土) 03:48:17.43ID:wD/MKUSM
関ヶ原合戦は全国に散らばった西軍東軍両方でいえば40万対40万くらいはいたんじゃないかね
関ヶ原で起きた戦いなんて全体から見りゃほんの一地域の戦いだし、加賀前田、毛利輝元、立花、鍋島、伊達、上杉
など不参戦大名なんて山ほどいるんだし
0898人間七七四年2014/01/25(土) 03:50:21.22ID:WUVVlhGL
日本全土は2000万石くらいだったんじゃなかった?
だから総軍で60万くらいだな。僻地にいる大名が中央にゾロゾロ連れて長期間居座るのは
物資の面で中々難しいかもしれないが
0899人間七七四年2014/01/25(土) 03:56:14.89ID:8IXIX7ia
いいから籠城厨は近所のコンビニに出撃してこい
信長が元康に17500の兵で撃ちかかったとか
大阪城冬の陣は実は1万人しか居なかったとかいうキチガイの意見など
誰も聞いてないから
0900人間七七四年2014/01/25(土) 05:53:28.54ID:yoh2KjSN
>>900のような馬鹿が詰めよってきてたんだから、大野治長もたいへんだったろうな。
感情論ばかりで腰の据わらない女房衆と世間知らずの若様を抱え、仲間は経験不足の若侍たち。
頼みの援軍ときたら、何かと言えば派手な自爆を吠える牢人衆。
トドメに敵は百戦錬磨の徳川家康&不愉快な仲間たち。
さぞかしババイェツアしたかったろうな、あいつ。
0901人間七七四年2014/01/25(土) 05:55:09.25ID:yoh2KjSN
ゴメン>>899だった。
俺も馬鹿だね。
0902人間七七四年2014/01/25(土) 08:52:47.81ID:FJMpsCEA
>>898
あの時点だと2000万石くらいだね。
ただそれと動員できるかはまた別の話。
畿内は公家領や寺社領も多いし、元から浪人が多かったところに
更に浪人が集まり治安が相当悪い状況。
動員かけても集まりが悪いだろうから僻地の南部、佐竹
伊達、上杉まで動員したんだろうな。
0903人間七七四年2014/01/25(土) 09:13:10.04ID:wD/MKUSM
畿内は全土で500万石〜600万石程度あるから
そのうちの豊臣領除いても450万石程度は見込めるから
単純計算で135000くらいは畿内勢だけで動員可能
畿内だけに編重した動員だと、徳川政権下での軍役負担の不平等や
それによる国内統治への負担も考えて、動因を広範囲にかけたんだろうし
0904人間七七四年2014/01/25(土) 11:52:49.31ID:8IXIX7ia
幕末は旧幕軍が寛永寺にたてこもって都内各地で放火しヒット&アウェーを狙ったわけだけど
極々普通のセオリーを考えれば浪人たちの一部を使って京を放火&略奪し
後詰は大阪からというのはゴールデンスタンダードだと思うけどね。
というか実際にしたかも分からん。
してないとすれば豊臣家は方広寺を始めとして京の多くの神社仏閣を修復・建築し
御所への尊崇の高かったから淀たちがそれを許さなかったのかもしれないが。
0905人間七七四年2014/01/25(土) 11:55:01.03ID:HJDCfJvI
冬の陣で和睦せず家康が死ぬのを待つ。

以上
0906人間七七四年2014/01/25(土) 12:06:24.37ID:8IXIX7ia
オウム事件に関しても、なぜ上九一色村にこもって省庁制を敷いて仮設国家を建設し
霞が関にサリンテロをしたのか、絶対に政府転覆や新国家建設は不可能だろと
マスコミは騒いでたけど、麻原ショウコウは繰り返す北朝鮮に出入りし続けてたわけで
おそらく後詰は北朝鮮の予定だったんだろうと思うよ。
浪人部隊麻原は日本の中枢をテロで攪乱し指揮系統・情報系統が乱れたところで
北朝鮮が一気に新潟から上陸し日本を掌握、麻原は傀儡国家日本の王様になるという案だった。
奇異に聞こえるかもしれないが、これってどこの国の反政府軍でもゴールデンスタンダードだから
日本赤軍が滅んだ理由も最初から後詰軍は中共だったが米中と日中が歴史的和解をして国交回復をしてしまったため
日本赤軍は計画が根本から破綻してバラバラになってしまった。
秀頼方としては苦しいが近隣の京は当然すぎるけど、ゴールデンスタンダード的には
江戸と駿府でも放火・テロし情報系統を混乱させるという手法は本来したかったはず
計画すらしてないとすれば、そこらの学生運動にも劣る計画性の無さという事で
話にすらなってなかった。
0907人間七七四年2014/01/25(土) 12:10:34.62ID:B+ca42TW
冬の陣は城内で離反内応の機運が高まったので和睦した訳で
篭城を続けるのも不可なのよね
0908人間七七四年2014/01/25(土) 12:16:20.56ID:8IXIX7ia
集まった浪人集たちが味方かスパイか有能か無能か
適性は何か、情報系統その他に欠点がないかなど
【実戦】を積み重ねないと何も分からないわけで
スパイ部隊でも実戦部隊でもすぎに編成して小戦闘には
すぐに参加させるべきではあったろうね。
実際、三成はそんな目的で畿内・伊勢の小戦闘に全ての部隊を
順繰りに次々と強制的に派遣してみたわけだし。
0909人間七七四年2014/01/25(土) 12:31:10.62ID:B+ca42TW
離反の動きしてた筆頭が総大将格の有楽親子だからそれ以前の問題
0910人間七七四年2014/01/25(土) 13:46:08.51ID:8IXIX7ia
有楽親子、片桐且元を追い出したのはいいけど大野治長の暗殺も成功してればなぁ
0911人間七七四年2014/01/25(土) 14:58:48.29ID:HJDCfJvI
豊臣大坂城の二の丸の縄張りが分かる情報ってある??
0912人間七七四年2014/01/25(土) 15:28:39.17ID:pSFoAj59
>>905
それはおそらく治長が当初狙ってた策(有利な条件で引き分け)だろうけど、弾薬不足になるわ、将兵の統制は効かず離反の動くがあるわ、
大砲攻撃で女房衆は動揺するわで、とても長期籠城できる状況じゃなかったから、負けに等しい引き分けになったんだよな。
濠埋めるなんて条件入れる降伏に近い和議結んだのなら、徹底して徳川に従うしか豊臣の生きる道はなかった。
なのに、冬の陣と同様に徳川の提案拒否してまた開戦って、家康も逆に驚いたんじゃねえの?あまりのアホさ加減に。
0913人間七七四年2014/01/25(土) 16:39:25.29ID:XOhsaW3Y
東北勢力が手を組んで徳川に反旗を翻す
という可能性があるなら大阪方と挟み撃ちが出来る
0914人間七七四年2014/01/25(土) 17:04:24.99ID:8IXIX7ia
>>913
豊臣方が徳川方に勝って中山道を半年も封じれば自動的にそうなるけどね
0915人間七七四年2014/01/25(土) 17:27:32.98ID:AF+4vClU
>>904
徳川に大義名分を与えるだけで論外の行為

>>906
家康、秀忠両方が出払っての出陣だから、
そこらへんは譜代から任命されてるであろうの留守役にしっかりそういう場合の処置について指示の上任せてるでしょ

そういうのに影響を求めるとしたら、関ヶ原における伏見城や、第二次大戦バルジの戦いにおけるバストーニュのように
相手の兵力の少なからずを割かざるをえない状況に追い込まないとダメ

>>908
そもそも、そんな悠長な準備をしている時間自体大坂方には存在していません
事態が本格的に動き初めて(10/6牢人勢大坂入城)から2週間強で家康本隊は京都まで来るというわけなんで

>>910
あの時点で大野が死んだとしても、冬にあの条件で和議した時点でもう詰んでるので、何も変わりゃあしません
むしろ、牢人衆と豊臣譜代の間に亀裂が走って、自壊するのが早まるだけだわ

>>914
そんなことが起こせるなら、そもそも野戦案が成立するしないの話なんてしなくて済むんだけどねぇ
0916人間七七四年2014/01/25(土) 17:53:10.98ID:B+ca42TW
そもそも冬の陣が和議前提の蜂起だから
徳川を倒す目的なら蜂起時期から軍編成まで全て変えなければダメやね
0917人間七七四年2014/01/25(土) 18:39:53.38ID:FJMpsCEA
10月の時点で主戦派の案を実行していればまだ可能性はあった。
6万〜8万ともいわれる主力の秀忠軍や東国の諸大名が
集結したのは11月だし、幕府軍が20万になる前に戦果を出していれば
後の交渉もだいぶ豊臣有利で進められたのに。
0918人間七七四年2014/01/25(土) 19:46:34.49ID:gv20nF3E
北政所が徳川推しした時点で、ムリポ
淀が色仕掛けで、誘惑しないと
0919人間七七四年2014/01/25(土) 23:22:41.59ID:8IXIX7ia
徳川推しはしてねんじゃね?
0920人間七七四年2014/01/26(日) 16:07:42.80ID:YC9EMvxw
城の守備に兵2万を起き、
普通に真田と後藤に残り8万の軍配を与えて出陣させれば、
勝ったんじゃないかと予想
0921人間七七四年2014/01/26(日) 16:26:36.14ID:gXb9pIzb
彼らも所詮は数千程度の軍勢しか統率できない気がする
0922人間七七四年2014/01/26(日) 16:49:36.20ID:8W3ih+qF
連携できなくて各個撃破された真田と後藤がなんだって?
0923人間七七四年2014/01/26(日) 17:15:30.16ID:y3JC8Arz
>>920
おまえは「軍勢を率いる」ってことの意味をまるで理解してない。
人数与えればいいってもんじゃないんだぞ?
0924人間七七四年2014/01/26(日) 18:04:51.52ID:VFq9321N
数千程度しか与えられなかったから数千程度しか統率できなかったわけで
数万程度与えられれば数万程度余裕で統率可能だろ
0925人間七七四年2014/01/26(日) 18:06:32.49ID:BFvfB6YU
兵力数と武器性能で戦争は決まるからね。
兵力比は実際にはその2乗となって戦争に影響するしこれに装備性能が加わったものが実際の戦力
これをくつがえすのはよほどの幸運・偶発的条件やうまい戦術、両将の指揮能力の差がないと無理(もちろん城攻めは別だが)
普通に平地でガチで遣り合えば100%兵力が二乗の戦力となり、装備差によって戦闘が決着する
ゲームでは統率や経略の少しの差で簡単に覆ってしまうが実際はなかなかそうはいかない

城攻めでも野戦でも兵力差が大きいと少ない方は味方の士気が下がったり離反や逃亡する兵が出る。
後詰の望みがない防戦なんてよほどの偶発的条件か両将の指揮能力のよほどの差がない限り基本勝つ可能性皆無なんだから
逆にその影響度が圧倒的に大きい兵力差をひっくり返して撃破した武将と撃破された武将はかなり大きく指揮采配能力に差があるとみるべき。
0926人間七七四年2014/01/26(日) 18:07:28.78ID:4axp3NcK
日本の戦国期の戦闘で、寡兵側が勝ってるのは寄せ手の油断や、偶然的な条件の重なりなど
特定の条件下でしか行われていない。
普通の頭で考えれば地形に関係なく普通に正面からガチンコで戦えば大軍側が勝つに決まってるじゃん
20対10で戦った場合10人の方は結束したとしても20人分の攻撃を10人でうけなきゃいけないけど
20人の方は10人分の攻撃を20人で分散できるから一人のダメージ比は4対1だし
寡兵側が勝ってるのは相手の油断をついて奇襲・敵を自陣深くうまく釣り込んで殲滅・ポエニ戦争みたいに敵の左右の陣を突破して
包囲殲滅など優れた戦術や敵の油断をつくなど、かなりの指揮采配能力の差や、偶発的事故などが続くなりしないと無理。
普通に正面衝突すりゃ大軍側が100%勝つに決まってる
0927人間七七四年2014/01/26(日) 18:08:39.80ID:N9A3RFwQ
防衛側が名将でも寄せ手が油断したり、軽率な行動とったりする無能や雑魚じゃない限り
野戦で大軍側を跳ね返すのは困難な芸当。普通に正面衝突すりゃ、大軍側が100%勝つのは目に見えてるからな。
野戦は篭城戦以上に兵力差がそのまま出るからな。
まぁ篭城では勝ち目なしというのは同意だけど。
0928人間七七四年2014/01/26(日) 18:09:02.50ID:VFq9321N
人間の心理でいうなら圧倒的に大軍側のが有利。
兵力に勝るから戦略の幅も大きいし勝てば領土広がるから士気も上がりやすいし

逆に寡兵側は寝返りが出やすく勝っても領土も広がらんし圧倒的に不利でしかない。
実際戦史でみても逃亡兵や離散、寝返りが出てるのは寡兵側がほとんどで攻撃側は少ない。

兵力比や武器性能よりも心理の方が重要とか戦時中の日本軍みたいな馬鹿な発想だなw
勝てる勝てると盲信しまくって物量や装備で勝る米軍に果敢に突撃しまくったが見事にどんどん負けまくったんだろうがw
基本的に国の戦争の強さは、武器性能と国力とで決まるのが基本で心理なんてほとんど影響しない。
よっぽど大国側の指揮官が無能だったりする場合は例外だろうが
0929人間七七四年2014/01/26(日) 18:09:58.68ID:8W3ih+qF
菅沼遼太はとっとと働け
0930人間七七四年2014/01/26(日) 18:58:44.11ID:qo7XfDCK
これがかの有名な菅沼遼太衆か
0931人間七七四年2014/01/26(日) 19:20:12.01ID:y3JC8Arz
>>924
馬鹿かお前。部隊から軍団までそれぞれに大将の意志を元に指揮命令する将校が必要になるんだぞ。
軍隊規模が大きくなればなるほどそれも大量に必要になる。しかもそのための命令系統も整備しないといけない。
それがない軍隊はいくら数があってもただの烏合の衆だ。

真田や後藤がどうやってそれを揃えられるんだよ?ちょっとは常識的な思考をしろ
0932人間七七四年2014/01/26(日) 19:36:37.10ID:VFq9321N
>>931
お前は馬鹿だな。真田家や後藤家の足軽大将や侍大将を使ってフルに活躍させればいいだけ。
真田や後藤は史実で寡兵・劣勢でも敢闘できるほど有能な家臣に恵まれていたのだから
それの軍勢が膨らめば遥かに発揮できる戦闘能力は向上する。
兵力が2000しかない状態で30000の兵と衝突した場合
30000人分の攻撃をわずか2000人で受けるから、1人当たり15人分のダメージをくらい、逆に2000人の攻撃は
30000人に分散されてしまうから、相手1人に対して15分の1人分のダメージしか与えられず圧倒的に攻撃でも防御でも不利だが
軍隊の人数が60000人に膨らめば、防御面では30000人の攻撃を60000人で受ける事になり、1人当たり2分の1人の攻撃しか受けなくなり
攻撃面では60000人の攻撃を30000人に与えられるから、相手1人に2人分の攻撃を与えられ
史実よりも攻撃面でも防御面でも圧倒的に有利になるのは目に見えてる。
0933人間七七四年2014/01/26(日) 19:40:52.83ID:8W3ih+qF
菅沼遼太w
0934人間七七四年2014/01/26(日) 19:41:08.96ID:N9A3RFwQ
大軍が小回り効かないとか妄想にすぎん
大軍の中から小回りの効く部隊を起動させて残りを後詰にすればいいだけだし
現に大軍の数的優位を生かしたような戦を氏直も信玄も家康もやろうとしてるし
現に成功させてる
大軍で数的優位生かせない馬鹿は指揮采配能力の欠いた雑魚だけだよ

信長でも家康でも信玄でも敵が大軍であればあるほど、味方は寡兵であればあるほど苦戦や敗戦は増えてる
戦争なんて物量や兵力が圧倒的にものをいい、兵力の2乗は実際の戦力になる。
寡兵側が勝つには特別な戦術で敵を自陣深く釣り込んだり油断ついて奇襲したり地形をうまく使って包囲殲滅したり
偶発的条件、幸運などに恵まれない限り無理。普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる
0935人間七七四年2014/01/26(日) 19:42:05.15ID:BFvfB6YU
指揮官の指揮能力不足で軍の数が多過ぎて統率が取れず負けた例なんてない
大軍のために統率がとれなかったのではなく純粋に指揮官の戦術能力や采配能力によるというだけで
「軍の数」に起因するものではない(関が原の戦いが6000対7000の戦いだろうが、史実のように裏切り・日和見があれば間違いなく負けてた)

大体大軍の指揮には高度な指揮能力が必要で難易度高いというなら最初から頼りになる部下だけ連れて寡兵で出撃すりゃいいだけじゃん
物資兵糧調達や兵站の面・戦後の恩賞の面・行軍のスピード・機敏性など圧倒的に寡兵のがローコストでメリットも大きいんだし
それにもかかわらず毎回寡兵の敵に向けて大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃してるのはそれだけメリットが大きいんだろ
所詮大軍の指揮がどうとか妄言やいいわけにすぎん。
「大軍」は「寡兵」よりも圧倒的にアドバンテージであって、統率が難しいのではなく統率失敗するような武将は無能というだけ。

信長でも家康でも信玄でも敵が大軍であればあるほど、味方は寡兵であればあるほど苦戦や敗戦は増えてる
戦争なんて物量や兵力が圧倒的にものをいい、兵力の2乗は実際の戦力になる。
寡兵側が勝つには特別な戦術で敵を自陣深く釣り込んだり油断ついて奇襲したり地形をうまく使って包囲殲滅したり
偶発的条件、幸運などに恵まれない限り無理。普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる
0936人間七七四年2014/01/26(日) 19:44:23.14ID:N9A3RFwQ
別に地形補正で侵攻側不利って事はないな
織田徳川の大軍に対して行われた三河遠州侵攻作戦とか三方が原、長篠の戦いなんて武田が少ない兵力で侵攻しまくってるし対北条今川戦でも武田が侵攻側で
大国今川北条が防衛側だが北条今川相手に勝ちまくってるし信濃・上野の山間の天嶮によって割拠するガチンコ山城を攻撃側としては少ない兵力で落としまくってるからな
長篠の戦いも「まるで城のようだ」と思わせる堅固な陣地にこもった高性能鉄砲・弓で待ち構えた織田徳川の大軍に対して直前の雨でぬかるんだ地面の中、結束力0の烏合の衆で挑んだ
ガチンコ城攻めだったが天正6年成立の長篠日記によると武田軍の9時間近い長時間の猛攻後に撤退。 馬場隊700で佐久間隊6000を敗走させ柵まで追い詰め43人討ち取り
山縣隊1500で徳川隊6000を柵まで敗走させるも 大久保隊が側面へ回りこむのを必死に阻止 さらに馬場の第二次攻撃で佐久間隊崩壊寸前
まで追い詰めるも 鉄砲隊の反撃で武田は撤退。織田方6000討死。武田方7000討死
以上のように織田徳川を寡兵で圧倒しまくってるし圧倒的に戦上手な部隊としかいいようがない



どうみても武田>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>織田
0937人間七七四年2014/01/26(日) 19:45:57.62ID:4axp3NcK
まず大前提として大軍側はここで不利だと思ったら戦場かえるなり一度退却して
大勢を整えてから出撃、決戦挑みというように戦闘のしたいときにしたい状況で戦う事ができるけど
寡兵側はそれがない。寡兵側は戦闘を避ければ領土を失い滅びるだけなので、基本的にどんな嫌な戦場だろうが
戦闘状況だろうが、物資など用意の整わない時だろうが、大軍側が出てきたら合戦に応じるしかない
人間の心理でいうなら圧倒的に大軍側のが有利。
兵力に勝るから戦略の幅も大きいし勝てば領土広がるから士気も上がりやすいし

逆に寡兵側は寝返りが出やすく勝っても領土も広がらんし圧倒的に不利でしかない。
実際戦史でみても逃亡兵や離散、寝返りが出てるのは寡兵側がほとんどで攻撃側は少ない。
0938人間七七四年2014/01/26(日) 19:47:15.23ID:TsfYAQsI
攻撃側は兵力に勝るから戦略の幅も大きいし勝てば領土広がるから士気も上がりやすいし
兵糧物資でも圧倒的に攻撃側のが調達が容易で防御側は策源地が攻め込まれてるから長期戦になればいずれおいこまれてくだけだから短期決戦によるしかないし
寝返りが出やすく勝っても領土も広がらんし圧倒的に不利でしかない。現に攻守三倍原則より遥かに少ない兵力で攻略してる例なんていくらでもあるし
圧倒的大軍で寡兵の敵に蹴散らされるのは指揮能力が雑魚の奴だけだよ
地形を生かした陣取りの主導権握ってるのも攻撃側。兵力が勝ってるから
そこで会戦するのが嫌なら別方面に兵力展開したり誘い出す作戦練ればいいだけだし
相手が乗ってこなかったら持久戦に切り替えるなり違う拠点攻めるなりして攻撃続ければ勝手に追い込まれてくだけ
0939人間七七四年2014/01/26(日) 20:09:05.19ID:P1JWZK1T
秀吉「官兵衛に10万石も与えたら天下を取ってしまう」
0940人間七七四年2014/01/26(日) 21:06:56.87ID:N9A3RFwQ
官兵衛は20万石もありながら特に何もせず終わりましたとさ
0941人間七七四年2014/01/26(日) 22:33:00.55ID:2Kb4R55o
三成が半年程度もてば九州を制圧して家康と戦えるはずだった
三成が瞬殺されたせいで官兵衛の努力が水泡に帰した
すべては実力もないくせに関ヶ原に行った三成が悪い
0942人間七七四年2014/01/26(日) 22:38:35.69ID:BFvfB6YU
三成ばかりが罵倒されるが、三成は単に政権運営に必死になってただけだろう。
やってる事も外様の禄高削減や、蔵入り地の増大や家康の専横への弾劾状など
豊臣政権が正常に運営するために必要な事ばかりしかやってない。
豊臣崩壊の真の元凶は家康に篭絡されたアホ武功派と
総大将に奉り上げられながら何もできず戦力を分散しまくり大敗した馬鹿輝元と
家康の示威行動にビビッて即効土下座したヘタレ浅野・前田だよな。
0943人間七七四年2014/01/26(日) 22:38:59.92ID:hmwCRfpX
ニートみたいないいわけだな
0944人間七七四年2014/01/26(日) 23:48:58.68ID:KhIZDVAt
秀吉本人が一番悪いよ。
0945人間七七四年2014/01/26(日) 23:57:07.54ID:BFvfB6YU
目先の欲に目がくらんで主家を見捨てる武功派連中や、政権簒奪の奸臣家康の示威行動にビビリまくって
即効で土下座する前田や浅野などと違って、豊臣政権に忠義を尽くした無欲な三成や小西らに大封与えてればよかっただけ。
三成は島津家の蔵入り地問題や、家康の私婚問題に対する弾劾状や、朝鮮出兵の際の恩賞問題の処理などを見る限り
極力豊臣蔵入り地の確保と、諸大名の力を削ぐ事を中心に考えて一貫して行動している。
結局武功派が馬鹿だったから、個人的恨みでもって三成らに立てついて主家への恩義を忘れて家康に篭絡されて、主家を滅ぼしただけ。
0946人間七七四年2014/01/26(日) 23:58:24.75ID:TsfYAQsI
関ヶ原に関しては前田と浅野がヘタレすぎて豊臣武功派がアホすぎ
毛利が馬鹿すぎとしかいいようがない。
豊臣武功派がアホで主家への恩義を忘れて目先の利得に走ったせいで豊臣政権が家康に簒奪されたんだろ。
示威行動にビビリまくってヘタレ土下座した前田や浅野、糞戦略で大敗した毛利も同罪だが。
三成は大老奉行連署での家康への内府たがい条を叩き付け
豊臣政権への反逆罪を名分に掲げて
畿内方面だけで18万もかき集めて100%勝てる状況を作ったが
その中で最も中核となる軍隊を有する毛利一族が馬鹿すぎたせいで
西軍は戦力が分散しまくり軍として機能せず、大敗した。
0947人間七七四年2014/01/27(月) 01:54:44.66ID:+A1tAvZo
菅沼遼太必死w
0948人間七七四年2014/01/27(月) 01:57:44.46ID:wh9MJ3hB
菅沼遼太って何台pcを持ってるの?
0949人間七七四年2014/01/27(月) 02:26:09.16ID:wh9MJ3hB
しかし前田と浅野が最大の勝ち組なんだよな
関が原での石高の増加率を見るとそうとしか言えない
結局、浅野家は47士かなんかで潰れるが
それでも、その代までもっただけたいしたものだ。
0950人間七七四年2014/01/27(月) 02:43:50.08ID:+A1tAvZo
それ分家や
0951人間七七四年2014/01/27(月) 06:17:07.50ID:khf2iAda
>>949
wikiくらい見れば良いのに
0952人間七七四年2014/01/27(月) 10:37:07.89ID:REPL1kLu
徳川に即効土下座した情けない大名だけど
その徳川がたまたま勝利したから領土安堵されただけの他力本願の棚ボタ大名で
当人に功責があったわけでもなんでもないけどな
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。