大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
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0001人間七七四年
2013/09/19(木) 17:44:52.85ID:nmTcKAHP豊臣家が天下を平定するまでのシナリオを考えて下さい。
0737人間七七四年
2014/01/16(木) 23:21:50.41ID:NNEary3U2分の1だろうが3分の1だろうが
出撃した方が篭城するより有利になると考えてるアホなので
迎撃ポイントがなかろうが、兵力が分散しようが関係なく広範囲に兵展開しようとするアホです。
0738人間七七四年
2014/01/16(木) 23:22:25.80ID:rOA1QSwt0739人間七七四年
2014/01/16(木) 23:25:18.07ID:gCNx9dew兵力が分散したら、幕府軍に各個撃破されるだけ。
0740人間七七四年
2014/01/16(木) 23:26:07.92ID:5Ox7XHaU兵力的ハンディがある分、これ以上広範囲の防衛ラインは危険すぎる。
野戦に持ち込まれたら100%勝ち目ないし
自分から相手に攻め寄せる場合は、敵軍の待ち伏せによる兵力殲滅
相手から攻め寄せる場合には、自軍の手薄な部分を兵力集中されて突かれる危険性がある。
狭い範囲でのラインなら、一応はどこを攻められても、攻めても、部隊間の連携が可能
結局史実と同じような展開になるだけの話だろ。
0741人間七七四年
2014/01/16(木) 23:26:39.83ID:4vvBr7Riなぜなら大軍を展開するには狭い場所より広い場所の方が圧倒的に有利だから。
渓谷とか狭隘な山間部に比べ
平野で、しかも広範囲に戦うとなれば物量差や兵力差がそのまま戦局に影響する
つか、お前HPでも見てランチェスター法則など、軍事学の基本を一から学べ
無知すぎて話にならん
0742人間七七四年
2014/01/16(木) 23:27:06.54ID:gCNx9dew戦力の集中化と敵戦力の中での手薄な部分の攻撃という軍事面での大原則を忠実に守って行っているだけで
兵力を分散化させて戦闘を行うのは、劣勢側にとっては不利を広げるだけ。
0743人間七七四年
2014/01/16(木) 23:28:29.84ID:+5Nb8NOj第二次世界大戦の日本とか見りゃわかるだろ。
国力や兵力が劣る側にとっては広範囲の戦線展開は、物資や、兵力でハンディを抱える側にとってますます足かせになるんだよ。
寡兵側が勝つには、なるべき狭い範囲で兵力を限りなく集中させて、敵兵力の手薄な部分を集中的に突くしかない。
これが軍事学の鉄則。
出撃するなら3万〜5万くらいの大軍で、一方面に絞って、徳川方の一部隊を殲滅した後
別方面に兵を展開して、また殲滅
という戦法じゃないと全く意味がない。
ゲリラ戦の成功条件には、ゲリラ戦を展開するに適した、兵を散開させる地勢(渓谷や、山間部や、その周辺の地理に詳しい者など)が必要だが
大坂城周辺の攻防ではそれが全く皆無といっていい。
戦国期の戦闘においてゲリラ戦が成功している例は、せいぜい天正壬午みたいなアルプス地帯で行われた地元豪族による
後背地の撹乱と小荷駄隊の襲撃という手法である事例が一つ二つある程度。
それ以外の戦闘ではほとんど皆無といっていい。
0744人間七七四年
2014/01/16(木) 23:29:09.71ID:4vvBr7Ri鳴海城や大高城など次々に攻略される信長の無能さは異常だな。
0745人間七七四年
2014/01/16(木) 23:32:03.58ID:ELxAkU43軍事の基本すら知らんで兵力を分散してゲリラ戦しろとか相当馬鹿だな。
関ヶ原で戦力分散しまくって大敗したアホ毛利みたいな糞戦略やれってのか。
そもそも日本の戦国期の戦争は城郭を巡る攻防という特性上、防衛側がゲリラ戦を展開して成功したケースは非常に稀。
ゲリラ戦は特定の防衛拠点がない場合は、逃散→奇襲というヒット&アウェー戦法も可能になるが
城を防衛する戦の場合は、逃散するべき場所が城しかない(城を捨てれば落城する事になり防衛側の敗北)以上その戦法自体が不可能。
逃げるべき場所もないのに、イラクやアフガンみたいなゲリラ戦法なんて取りようがないなんて
少し頭を働かせれば分かることだろ。
0746人間七七四年
2014/01/16(木) 23:32:26.59ID:+5Nb8NOj自力で自分から攻撃して三河を攻略してるだろ。
当時の織田家はチート57万石+交易収入+朝廷への全国トップクラスの献金額+大垣城があるし、
家臣の支配基盤も、今川より遥かに強固
0747人間七七四年
2014/01/16(木) 23:32:45.81ID:rcsusJG70748人間七七四年
2014/01/16(木) 23:33:35.67ID:4xDYSYCw桶狭間合戦なんて、織田と今川は同等くらいの国力で、家臣の支配基盤は遥かに織田の方が直轄地が多く強固だし
余裕で迎撃に出れる状況。
それにもかかわらず、後手後手に回って大高城や鳴海城を落とされて滅亡寸前まで追い込まれてたしかなり無能なんだろ。
突然のマグレで義元が不慮の死になって助かっただけだし。
0749人間七七四年
2014/01/16(木) 23:37:06.52ID:QBzUSoPe・寡兵の場合、籠城より出撃が有利で優れた戦法
・寡兵の場合、一箇所に固まるのではなく、数箇所に兵を分散させたり、広範囲に兵力を散らすのが優れた戦法
・籠城していては、勝てる戦も勝てなくなる
・自分から攻めかかれば、戦況は有利になる
信長の場合は国力が57〜70万石程度で、ほぼ同格の国力の今川相手に駿河で引き篭もり。
また寡兵の浅井朝倉相手に志賀の陣でも引き篭もり。
よって信長はアホな戦法で戦っている事になるので、無能
0750人間七七四年
2014/01/16(木) 23:38:22.29ID:ELxAkU43織田は尾張一国57万石と、津島港のチート収入+大垣城+刈谷の水野分があるので75万石程度
よって一万石300人換算なら織田軍は22500程度動員可能。
ほぼ互角か織田の方が国力が上にもかかわらず、三河・尾張国境で迎撃もせずに
名古屋城に引き篭もって鳴海城などを落とされるのを指を加えて待ってただけの無能が信長。
0751人間七七四年
2014/01/17(金) 00:01:32.22ID:TqiktrI0>>10万人の兵士が居てたった一つの城にこもった例など世界史に存在しない。
それをやったのが淀と治長なんだわw
世界史的にもここまでアホなことやらかした馬鹿はそうはいないwww
0752人間七七四年
2014/01/17(金) 00:54:40.31ID:B92H82Yu相手が兵力を分散したり出撃してきたほど殲滅するのに好機はない。
野戦なら兵力差がフルに生かせるし、短期決戦を挑むのももってこいだからな。
相手が10万いる兵の中から2万ずつでも小出しにすれば
幕府軍は2万ずつを20万を使って各個撃破余裕でできるから
史実より遥かに短期間で大坂の陣は終結するのは目に見えてる
0753人間七七四年
2014/01/17(金) 00:56:37.72ID:pAiHHGYQ中途半端な雑魚拠点にちょびちょび兵力入れてる方が幕府方としたら遥かに陥落させやすいし
結局幕府方は大筒で威圧行為をして、戦意削いだくらいしか戦果なかったし
戦略としては別に間違ってないだろ。
0754人間七七四年
2014/01/17(金) 01:08:38.07ID:qkLVcyYLおめーら必死だなwww
0755人間七七四年
2014/01/17(金) 07:52:19.30ID:oslOSu+k0756人間七七四年
2014/01/17(金) 20:00:42.44ID:6ohBbxcCそしたら西国大名がこぞって豊臣に味方して徳川に勝てるって寸法ってのは甘すぎでしょ。実際は京・伏見の占拠だって至難の業だろうし。
万が一瀬田の橋落とすのに成功しても家康父子と側近団を討ち取らない限り、西国大名が豊臣に味方することはないと思う。
関ヶ原から丸15年経っても大名の誰も徳川に盾突かない時点で、徳川政権の永続性を概ね信じてるのは間違いないだろうし。
本能寺の変みたいに政権中枢が一瞬にして消えない限りそれは揺るがなさそう。
0757人間七七四年
2014/01/17(金) 21:50:36.91ID:qkLVcyYL0758人間七七四年
2014/01/17(金) 22:18:17.31ID:Qa3lnMEA戊辰戦争で幕府が薩長軍に勝てないのと同じ。
0759人間七七四年
2014/01/17(金) 22:57:21.70ID:TqiktrI0幕府軍を撃破できればそれでいいんじゃないか?
冬の陣は10万対20万だから戦い方によっては勝利するのも有り得ない話じゃない。
大名を味方につけるのは難しいかもしれないが
徳川に御家を潰された浪人たちは何十万といたし
冬の陣で幕府軍を撃退できた戦果があれば更に浪人衆は集まるだろ。
0760人間七七四年
2014/01/17(金) 23:48:39.85ID:3PhEe+TO0761人間七七四年
2014/01/18(土) 00:08:35.60ID:/70lfCuc0762人間七七四年
2014/01/18(土) 00:40:11.20ID:9SVUabiu声を上げたり旗を上げるだけの勢子(バイトの浪人やら農民)が想定数千〜数万
さらに背後には伊達・最上・堀という強敵を背負って戦い
これでも家康率いる10万余の軍勢に絶対に勝てると上杉軍は確信してたわけだが
それと比べても10万余の軍勢を持ってる秀頼軍の方が上杉景勝より初期条件は全然良い。
0763人間七七四年
2014/01/18(土) 01:02:52.72ID:/70lfCuc確信しているかどうかなんて何の価値もない。
0764人間七七四年
2014/01/18(土) 01:18:52.23ID:9SVUabiuまあおめーらが上杉景勝なら鶴ヶ城に3万余りの軍勢で籠城して家康軍・伊達・最上・堀に
四方からフルボッコされ煮殺されたのは絶対に間違いないけどな。
0765人間七七四年
2014/01/18(土) 01:25:03.55ID:/70lfCuc戦うのは俺でもなければお前でもない。
0766人間七七四年
2014/01/18(土) 01:42:19.63ID:9SVUabiu全国を配下に収めた20万人 VS 後詰の無い状態で10万人の籠城戦 なら前者の勝利確率は100%
しかし20万人 VS 10万人の野戦なら 前者の勝利確率が90%くらいあるかもしれないが、後者の勝率も0%じゃないからな。
0767人間七七四年
2014/01/18(土) 02:16:47.69ID:/70lfCucその論法でいくならガチ籠城で時間を稼ぐ間に家康が寿命死にして幕府の方針が変わる可能性もゼロでは無いということになる。
0768人間七七四年
2014/01/18(土) 04:42:42.31ID:fGguePd/全国を配下に収めた20万人 VS 後詰の無い状態で10万人の籠城戦 なら前者の勝利確率は50%以下(実際に大坂冬の陣は幕府方負け戦)
しかし20万人 VS 10万人の野戦なら 前者の勝利確率は100%で後者はほぼ0%(よほど寄せ手が馬鹿か無能か戦下手か、突発事故でもない限り)
実際に冬の陣より野戦の色合いが濃かった夏の陣では幕府方は負け戦。
0769人間七七四年
2014/01/18(土) 09:14:10.12ID:9SVUabiu馬鹿すぎて吹いたw
0770人間七七四年
2014/01/18(土) 18:36:04.18ID:e0lnAGfG幕府の自発的な方針転換の可能性はゼロだろ。
あそこまで大規模な軍を起こして方針転換したら
幕府と徳川の権威が著しく損なわれる。
結局のところ豊臣が生き残るには幕府軍を撃破するしかないってこと。
0771人間七七四年
2014/01/18(土) 19:21:33.88ID:T/82eHea半年どころか2か月も大坂城陥落にかかったらあっという間に伝染病が蔓延しそうだけど
当時の日本は日清戦争の日本も真っ青なほど衛生状態はよかったのだろうか?
赤痢とかチフスとかは大坂の陣当時、既に存在している。
それに湾岸戦争でもエイズが米軍兵士の間で感染したことが発覚したように
性病は戦場の兵士につきもの(WWU中のフランス駐留の武装SSで性病が蔓延しヒトラーが激怒したとか)
大阪の陣の兵士の間で梅毒等が蔓延してもおかしく0
WWTという20世紀の戦争でさえ、同盟軍相手に事実上の籠城戦を強いられたセルビアでは
半年で国民300万人の内20万人が伝染病で亡くなるという犠牲を強いられたのに。
大坂の陣の幕府軍や豊臣軍はそういった問題はクリアされていたのだろうか?
0772人間七七四年
2014/01/18(土) 21:01:52.50ID:Zezatrfr一次資料厨が発狂するだろうが
大阪城に10万の浪人含む軍勢が籠城したのが嘘だとしたら辻褄が合う。
一万やそこらなら、城を中心とした市街地戦なんて到底不可能だし逆に籠城にも適してる。
徳川の残虐性を薄めるために大阪方を膨らませることに合理性は十分ある。
少なくともハンニバル基地外の戯れ言よりはなw
0773人間七七四年
2014/01/18(土) 21:23:19.89ID:9SVUabiuもう何でもアリだなw
0774人間七七四年
2014/01/19(日) 08:44:02.22ID:wzlr6RO9そりゃ日本の城郭に10万の兵隊を押し込んで籠城したなんて考える歴史家より、
ヒキヲタの方が理性的だろw
0775人間七七四年
2014/01/19(日) 09:57:07.46ID:49TkOIpc今川義元に勝ったから織田信長は17500人の兵隊を持ってたニダとか
自分と同じヒキコモリだから淀殿は名将だったニダとか
秀頼が籠城したということは浪人部隊は1万人しか居なかったニダとか言ってるキチガイが
理性的なわけないだろw
純粋な知的障碍者だわwww
0776人間七七四年
2014/01/19(日) 10:33:46.64ID:wzlr6RO9便所はどうする気なんだw
0778人間七七四年
2014/01/19(日) 14:46:23.87ID:BO7P6j/k0779人間七七四年
2014/01/19(日) 17:46:43.50ID:K5hE+VOg野戦で徳川勢を撃破し追撃戦をしながら畿内を制圧かな。
慶長出羽合戦での最上勢は寡兵ながら同じようなことを実行してる。
難易度は相当高いがそれぐらいやらないと豊臣に未来はない。
0780人間七七四年
2014/01/19(日) 19:01:09.47ID:QMIOZSTU全くしてない。
長谷堂城攻撃つっても2週間でわずかに15日24日と退却前の牽制で29日に攻撃しただけで
最上の降伏待ちしてただけだし、庄内軍もがっつり南下してて最上降伏前夜だしな。
背後を固めてから江戸へ向けて南下する軍略がおかしいとは思わないし、
わざわざ南下して、背後を襲われすぐまた北上するところを
徳川に噛み付かれたなんてブザマな行軍は避けるべきだしな。
誰もがあんな簡単にたかが一日で関が原決着がつくなんて思わなかった。
しかも大坂城まで簡単に明け渡すし、三成や輝元の失策だよな。
だいたい慶長4年に家康の方から和議の申し出があったって言うし
慶長5年に家康が景勝や直江を見て、その武功を褒め称えて歓迎したよな。
島津の記録にも上杉主従は少しも悪びれた様子も無く堂々としていたって書かれてるし。
それに講和交渉相手は家康の信頼を得ている要路の重鎮たる本多正信と直接やっていて
宰相殿の空弁当吉川広家みたいに
黒田長政・福島正則・榊原康政・本多忠勝なんてアテにならない人間と交渉してない。
親しくなってきたので慶長7年もしくは8年頃から本多正信の息子を養子にもらう申し出をしていて
慶長9年には兼続は農政に力を入れて郡中百姓相定覚を定めたり
近江国住友村や堺から呼んだ技術者を使って鉄砲密造したり、鉄や薬の研究したりしてる。
慶長9年に養子政重が直江に養子入りしてる。
長谷堂攻撃軍は直江側近以外は言わば「2軍」。
最強部隊「安田とか岩井とか越後以来の上杉本隊」は若松に集結中。
その中であの3方面攻撃作戦といい撤退戦といい直江の凄さばかりが目につく。
最強部隊を使わず直江+蒲生徴兵隊の山形方面軍を急ごしらえした理由は「景勝」を守るため(景勝を戦闘に巻き込ませず直江自ら責任を取るつもりだった)。
上杉家思いの直江。泣ける話じゃないか。
0781人間七七四年
2014/01/19(日) 19:01:58.93ID:QUF9AeCh最上軍13,000名=山形城にいる最上側近精鋭部隊(楯岡満茂等)約9,000+長谷堂約1,000+伊達政景鉄砲隊3,000
直江軍18,000名=側近(春日+水原+溝口)約7,000+蒲生旧臣約5,000+新規召抱(前田+上泉)4,000(要するに上杉2軍)
庄内軍3,000名や中山軍4,000名が未到着の段階では決して「圧倒的大軍」とは言えないと思うのだが。
ましてや地理的には最上軍圧倒的有利だし。
逆に、難所である狐越街道を背後に抱えその道を撤退するのに、直江自ら殿隊(水原+溝口+前田)約2,500名を縦横無尽に指揮し、勢いに乗った最上義光追撃軍13,000名からの猛攻を凌ぎ切り無事撤退官僚させた所に直江の凄さがある。
昭和に入ってから、18,000名からなる大軍をどうやってあの難所を通り無事帰還させることが出来たのか?素直に疑問を呈する史家もいたことも事実。
直江にとって唯一の誤算は毛利宇喜多石田等が僅か一日で敗北したことのみ。
当時最上領は稲刈直前の時期でタダでさえ兵糧不足。そのうえ最上軍は直江軍庄内軍中山軍3方面から半径10キロ四方に押し込められていた。
当然今年の兵糧は見込めない。あと半月でもあれば確実に最上の兵糧は切れていた。
そこまで計算のうえの持久戦。直江恐るべし。
直江は撤退戦で殿の隊列を十三段に分け迎え撃った。
殿直江の少人数を見て突撃してくる最上と伊達の大軍は大挙して直江本隊に襲い掛かり段を突き崩していく。
不意に最上軍横の山の中腹から怒涛の雷鳴。上杉家自慢の水原・溝口鉄砲隊の一斉射撃。
最上義光は織田信長から送られた兜で九死に一生を得たのであった。
その後も直江は懸かられれば引き、引いては襲い掛かりを繰り返し撤退を成功させた。
その戦い振りを評し最上義光は「誠に影虎勇武残り足りけると感じ賜う。直江は古今無双の兵(つわもの)なり」と、
家臣に語ったと最上記斯波家伝に記載されている。
旧日本陸軍参謀本部の「日本戦史」に記載されている直江の撤退戦の一部を見た。
あらかた最上記や奥羽永軍記および上杉家御年譜等に記載されている通説と同様だが、一部兵数の記載だけちょっとおかしいと思った。
例えば直江方先陣春日元忠の兵数八千とか。
内容は確かに撤退戦の見本とも言うべき内容。直江軍恐るべし。
徳川秀忠は白河で直江と戦わなくて良かったね。上田城での無様な負け戦といい、たぶん先陣として白河入ったとたん大敗してたでしょ
0782人間七七四年
2014/01/19(日) 19:03:46.22ID:xgpao9HF0783人間七七四年
2014/01/19(日) 19:04:26.46ID:WVr+o/o5相手が兵力を分散したり出撃してきたほど殲滅するのに好機はない。
野戦なら兵力差がフルに生かせるし、短期決戦を挑むのももってこいだからな。
相手が10万いる兵の中から2万ずつでも小出しにすれば
幕府軍は2万ずつを20万を使って各個撃破余裕でできるから
史実より遥かに短期間で大坂の陣は終結するのは目に見えてる
大坂城のような超堅固な城郭での攻防の場合、兵力差2倍程度なら
全国を配下に収めた20万人 VS 後詰の無い状態で10万人の籠城戦 なら前者の勝利確率は50%以下(実際に大坂冬の陣は幕府方負け戦)
しかし20万人 VS 10万人の野戦なら 前者の勝利確率は100%で後者はほぼ0%(よほど寄せ手が馬鹿か無能か戦下手か、突発事故でもない限り)
実際に冬の陣より野戦の色合いが濃かった夏の陣では幕府方は負け戦。
0784人間七七四年
2014/01/19(日) 19:05:00.72ID:QMIOZSTU自力で自分から攻撃して三河を攻略してるだろ。
当時の織田家はチート57万石+交易収入+朝廷への全国トップクラスの献金額+大垣城があるし、
家臣の支配基盤も、今川より遥かに強固
0785人間七七四年
2014/01/19(日) 19:14:42.24ID:QUF9AeCh桶狭間合戦なんて、織田と今川は同等くらいの国力で、家臣の支配基盤は遥かに織田の方が直轄地が多く強固だし
余裕で迎撃に出れる状況。
それにもかかわらず、後手後手に回って大高城や鳴海城を落とされて滅亡寸前まで追い込まれてたしかなり無能なんだろ。
突然のマグレで義元が不慮の死になって助かっただけだし。
0786人間七七四年
2014/01/19(日) 19:16:13.73ID:waznt90c・寡兵の場合、籠城より出撃が有利で優れた戦法
・寡兵の場合、一箇所に固まるのではなく、数箇所に兵を分散させたり、広範囲に兵力を散らすのが優れた戦法
・籠城していては、勝てる戦も勝てなくなる
・自分から攻めかかれば、戦況は有利になる
信長の場合は国力が57〜70万石程度で、ほぼ同格の国力の今川相手に駿河で引き篭もり。
また寡兵の浅井朝倉相手に志賀の陣でも引き篭もり。
よって信長はアホな戦法で戦っている事になるので、無能
0787人間七七四年
2014/01/19(日) 22:30:58.19ID:49TkOIpc>信長の場合は国力が57〜70万石程度で、ほぼ同格の国力の今川相手に駿河で引き篭もり。
信長がいつ駿河で引き籠ったんだよ知的障碍者
0788人間七七四年
2014/01/19(日) 23:42:30.31ID:nSD1M1T20789人間七七四年
2014/01/20(月) 01:01:53.09ID:SDUkK/2W畿内制圧か…京制圧だけでも難度高そう。
でもスレタイの通りに勝つには出撃策しかないもんなぁ。
豊臣の家名存続目指すなら、出撃策より籠城策取って家康の自然死待って秀忠軟化への期待の方が可能性としてはまだありそうだが。
その際には豊臣側も浪人衆解散し大坂城出て小大名になるか、京で完全に公家として生きるかを選択しないと、秀忠も了承しないだろうけど。
0790人間七七四年
2014/01/20(月) 03:43:07.04ID:E6xt2tg4全国を配下に収めた20万人 VS 後詰の無い状態で10万人の籠城戦 なら前者の勝利確率は50%以下(実際に大坂冬の陣は幕府方負け戦)
しかし20万人 VS 10万人の野戦なら 前者の勝利確率は100%で後者はほぼ0%(よほど寄せ手が馬鹿か無能か戦下手か、突発事故でもない限り)
実際に冬の陣より野戦の色合いが濃かった夏の陣では幕府方は負け戦。
0791人間七七四年
2014/01/20(月) 03:43:53.32ID:8glLWnGF大坂の陣では徳川は大軍を全国から集めて侵攻を行ったから出撃は必ずしも有効とはいえない。
篭城してても勝ち目ないというのはまあ同意だが
ハンニバルの戦術も騎兵を両翼において、両翼を突破して敵兵力を包囲する事により
総兵力で劣っていても、一度の戦う(衝突する)人数を相手より多くする事によって
殲滅したり狭隘な渓谷を使って、細長い隊列で行軍してきた敵を深く誘いこんでから
伏兵によって包囲殲滅したりと
一度に戦う人数を敵より多くするというランチェスター法則に乗っ取った戦いをしてるだけ。
ただ何の戦術的工夫もなく、正面衝突で野戦で正面から戦えば寡兵側が勝つなんて到底無理なのは馬鹿でもわかる。
それじゃ大坂方のうち主力5〜6万を集中して、敵の中で弱そうであっさり崩れそうな藤堂隊や前田隊を一蹴して殲滅
その後細川や上杉隊などに戦力集中してかかり殲滅と
兵力を集中して、他の方面は極力敵軍の足止めを行い、その間に各軍団を各個撃破していく戦略が妥当か
0792人間七七四年
2014/01/20(月) 03:44:36.76ID:JYOWjt9q畿内を占領するまで幕府軍が指をくわえて待ってくれるわけがないし
その間に次々に近隣の領主が集まってきて包囲殲滅されて終り
万が一、大坂に近い拠点を占拠できたとしても、それが戦役に全く役に立たないどころか、
その拠点に無駄に守備兵を割く結果になり、幕府が一挙に攻めかかってくれば
より勝ち目は薄くなる。
大坂城周辺の地域を占領したって維持できないなら意味がないし
維持するのに必要な兵力や物資というデメリットと、維持する事で得られるメリットのバランスを考えれば
明らかに利にはならない。
0793人間七七四年
2014/01/20(月) 03:45:26.36ID:ze8dqOn6幕府軍は播磨側・紀伊側・大和側・山城側・丹波側と好きなところに大軍を投入して急襲できるから圧倒的に有利になるが
大坂方は、播磨口・紀伊口・大和口・山城口・丹波口とどこから敵が押し寄せるかわからない
から全方面に守備兵を割く必要があり、一方面の投入兵力が圧倒的に減るから
大坂方に圧倒的に不利になるのは目に見えてる。
幕府方が史実で一蹴した大坂方より遥かに少ない兵力相手に苦戦するとかありえないからな。
史実より圧倒的に幕府方有利な展開になるのは目に見えてる
0794人間七七四年
2014/01/20(月) 03:45:49.82ID:/hq0KjYm大坂方は畿内の周辺諸城を簡単に落す事ができるのにもかかわらず
幕府軍は大坂方拠点を簡単に落す事ができない前提で語ってるところだな
大坂方が出撃してきたら、幕府方は大坂方の殲滅にやってくるか、あるいは大坂方の拠点の陥落を目指してやってくるわけだから
そうなれば当然戦力差や物量差がモロに出て圧倒的に幕府軍有利になる
0795人間七七四年
2014/01/20(月) 14:32:25.98ID:wEP99IHQ0796人間七七四年
2014/01/20(月) 18:05:28.27ID:IZbn7E1M江の姉の弔い合戦とか言い出す
0797人間七七四年
2014/01/20(月) 19:59:56.28ID:kcgz3/vI>ハンニバルの戦術も騎兵を両翼において、両翼を突破して敵兵力を包囲する事により
>総兵力で劣っていても、一度の戦う(衝突する)人数を相手より多くする事によって
>殲滅したり狭隘な渓谷を使って、細長い隊列で行軍してきた敵を深く誘いこんでから
>伏兵によって包囲殲滅したりと
>一度に戦う人数を敵より多くするというランチェスター法則に乗っ取った戦いをしてるだけ。
それ沖田畷の戦いで寡兵ながら竜造寺を破った島津だろ。
あの戦いも野戦だから大軍を撃破できた好例だが。
>>795
治長と淀が一番のガンだもんなw
あれが総大将じゃ仮に幕府軍と同数でも勝てんわ。
0798人間七七四年
2014/01/20(月) 20:24:42.16ID:IzuGOznT0799人間七七四年
2014/01/20(月) 20:33:55.40ID:E6xt2tg4宣教師によれば、もっとも竜造寺と激しく戦ったのは有馬。隆信戦死場所も有馬陣前方。
島津はロクに働いていない。島津側の資料には鍋島が島津に内通し、隆信のいる場所へ案内してくれたと記される。
0800人間七七四年
2014/01/20(月) 20:40:01.77ID:ze8dqOn6それを有馬の陸から2門、海からの2門の大砲で援護射撃して崩しにかかり
隆信が前線が崩壊して混乱してるのを見てこいと指示しただけなのを
「隆信さまがどんどん前進しろや!」と喚いて回ったために
竜造寺軍が自殺進軍を開始し完全に敗北して隆信の周りが孤立無援になってから
急いで家久が少数の兵を派遣しておいしいトコだけ盗んだ卑怯者なだけ。
しかも有馬を助けたいだけで野心はないと大ウソまでついて善人顔してた屑な人柄。
イエズス会によると 「前線にあった島津軍は膨大で、しかも優れた装備の隆信軍を見て色を失い、
互いに顔を見合わせ死の汗を流した」と島津が完全に怯えていたと記す。
そして後方へ逃げた島津3000。一方の有馬5000や赤星や相良らが島津に代わり、
前線で竜造寺と果敢に激突し、大村純忠が戦うフリをして空砲をはなって有馬に内通を開始。
陸海からの大砲の集中攻撃で竜造寺が敗走した時に 島津の川上が竜造寺兵の如く変装して
独断行動で隆信に近づき暗殺しただけ。隆信は川上を味方の兵だと誤解していた。
イエズス会は隆信を暴君と呼んで嫌っていたが島津に対してはデタラメを言うようなことはない。
島津の国主と書いたりしている。また陸上2門と有馬の老臣安富徳円の船から二門の大砲を操ったのが
隆信が不当に殺すことを命じたために大村領から逃げてきたマルチニヨというキリシタンが砲の狙いをつけ
黒奴が砲に装薬し、マラバル人が火をつけたなど細々と解説している。
もっとも跪いて手を挙げ祈祷したりする手順があったのでそれを知る人間しか大砲を操れなかった。
フロイスによると有馬氏へ天正8年に鉛や硝石を提供したりしているので大砲もこの時にもらったのではと言われている。
これにより海岸線のに展開して進軍していた竜造寺隊は崩壊逃走し一部は中央の畦道を進軍する軍へ乱入混乱が増した。
有馬隊は柵の後ろで鉄砲により応戦していた中央の赤星隊300を守るために右前方に突出した森岳に布陣し
大砲を打ち込みつつ有馬兄弟や叔父たちとともに竜造寺の槍隊に討ってでて恐れを知らなかった。
事実、隆信戦死の地とされる場所は海岸線に近い森岳前方なのである。
つまり有馬の陸海からの大砲と有馬本隊の突撃(有馬隊自体は鉄砲は使わず)で竜造寺の左翼の海岸線の部隊は
壊滅し、その敗走は中央軍の混乱を誘い、隆信は海岸線の部隊の督戦のため移動し
そこで隆信は孤立無援状態に陥り討ち死にしたとしか思えない。
ちなみに竜造寺軍は鉄砲1000挺に大砲も持っていたらしい。これを島津が見て恐怖したようだ。
ちなみに相良軍は13歳の忠房が疱瘡で病んでいたために有馬救援軍を的場自休が代役として率いており
竜造寺相手の先陣争いでは騎下の豊永金兵衛が奮戦したと言う。
島津が攻撃に参加したと思われるのは竜造寺が敗走した後の追撃戦のみ。
これを家久の武功だなんて主張するのは基地外のやること。
つか丸尾山方面へ向かったはずの右翼の鍋島ってこの時も兵を動かしてないように思える。
0801人間七七四年
2014/01/20(月) 20:40:51.31ID:ze8dqOn6なぜか戦場へやってきて、しかも竜造寺軍右翼を担い、しかも戦を傍観し続け
中軍の混乱も放置しており、戦後に隆信の首もいらねぇよと拒絶。
そのため隆信を暗殺すべく敵側へ内通した説も存在している。
この時の鍋島の行動は腑に落ちない。
島津方軍記には沖田畷の戦いで川上左京に隆信の居場所を教えたのは直茂だと書いてある。
沖田畷の戦い(抜粋)
此レハ偖置此処ニ又川上左京久堅ハ、軍ハ今カ花ト心得テ、我手三百余騎ヲ引テ桑原ノ陣ヲ忍ヒ出テ、
寺山カ死シタル籏ヲ奪ヒ取リ、肥前ノ軍衆ニ様ヲ替へ、陣屋々々ヲコナタコナタニ廻リ玉ヒシカ、
鍋島ニハタト行合、「如何ニ申サン、鍋島殿。某ハ士ノ身ニテ未練ナカラモ今中務殿ノ横入ニ目暮ンテ、
我身隆信公ノ御陣所ヲハタト忘レ候ヒシカ、教エ玉へ、鍋島殿」ト泪ヲ流シテ申シケル。
鍋島モ、勢ヲ見レバ薩摩勢印シヲ見レバ、肥前方、暫シガ間ハアキレ果テテゾ御座シマス。
鍋島殿運ノ尽キニヤ、大敵ノ薩摩勢ヲ味方ト心得テ我君隆信公ハアナタニ見へシ。
小松原ノ本陣ニ三十六騎ヲ御側ニ召サレ、母衣カケ武者ニテ御坐シマス。急キ参レ」ト
教エケレバ川上殿ハ鍋島カ教ニ行キ頓テ小松原ニモナリヌレバ左京モ□□□ノ中ト心得テ装束改メ
「我レヲ誰トカ思フラン。薩摩ニ於テモ、島津義久カ郎等川上左京久堅トハ我事ナリ。
此度、赤星兄弟子供カ恨ミニ太刀ヲ請玉へ」ト大音揚ケテ申シケル。隆信聞シ召サレ、
偖テハ薩摩ニ於テ家アル士カ、又ハ家ナキ士ナラバ、目下廻り首ヲ討テ」ト申シケル。
左京聞シ召サレ「偖ハ中々思ヒモ依ラン仰カナ。士カ士ヲ討ツニ、目下目上ノ差別アルマシト、
去フヨリ早ク三尺六寸ヲ抜キ持テ隆信カ弓手ニ廻リ隆信カ首ヲ水モタマラス打チ落ス。
年ヲ申セバ五十七。御側ノ三十六騎ハ此ノ由ヲ見ルヨリ、主ヲ討レテハ叶フマジト切テ掛レバ、
左京ハ隆信ヲ討チタル勢ニテ爰ヲ戦度ト戦エバ三十六騎モ同シ枕ニ討チ伏スル頓テ隆信カ首ヲ
太刀ノ切リ先キニ貫キテ本丸陣ヲ心静カニ立出テ小松原行ケバ鍋島四洲添島彼ノ両大将ハ此ノ由ヲ
一目見ルヨリ、扨テハ中々、我敵何国マデ落チ行ク。逃スナト云フヨリ早ク切テ掛レバ、
川上ハ心得クリト云フ儘ニ士卒ニ下知シテ群カル敵ヲ迫ツマクリツ爰ヲ戦土卜戦へバ、
又向敵一千余騎ハヤスヤスト打取リ仕スマシタリト云フ儘ニ陣所ヲ差シテ引テ行ク。
頓テ隆信ノ首ヲ中務殿御覚ナサレ心得タリト云フ儘ニ、小高キ所ニ走セ登リ、大音揚ケテ名乗ル様、
「肥前ノ大将龍造寺隆信ヲ川上左京久堅カ討チ取リタリ」ト呼ハレケル。
0802人間七七四年
2014/01/20(月) 21:27:28.31ID:wBMiC6Tv京都へ向けて進軍し、徳川と決戦すべし
0803人間七七四年
2014/01/21(火) 00:24:13.80ID:zSRE4lyD0804人間七七四年
2014/01/21(火) 00:34:38.20ID:B/sQsglt0805人間七七四年
2014/01/21(火) 05:56:45.36ID:vU/wkKDq>勝った
何をもって勝ったとするんだ?
豊臣生き残りには、家康が生きてようが死んでようが、秀頼の征夷大将軍就任以外生き残りの目なんか無いが?
(家康とその息子達を全滅させるなんてファンタジーは不可能だし)
0806人間七七四年
2014/01/21(火) 08:56:00.63ID:l3zvI0CJ>>1の通りにするとなるとIFを重ねまくるしか無いからなあ
0807人間七七四年
2014/01/21(火) 09:52:57.95ID:vU/wkKDq公家化は徳川にとっても受け入れられないかもだが(家格として関白を出してる家)
小大名化を豊臣が受け入れられなかったから大阪の陣に突入したんじゃないの?
一万石程度でなら父祖ゆかりの尾張でも許されそうな気もするw
0808人間七七四年
2014/01/21(火) 10:52:08.09ID:zSRE4lyD毎日5回のセックスを義務付け100人くらい子供を作っておく。
それらをできるだけ多く徳川筋に人質(譜代大名の養子や嫁・婿として差し出す)に出しておき
5000石くらいの分家も大量に作っておく。
どうせ赤子ばかりで家臣の意のままになるわけだから大阪の陣で主家を裏切る分家が大量に出る。
結果、主家が滅んでも分家の豊臣家は全国に分散する形で(旗本にも)残る。
0809人間七七四年
2014/01/21(火) 10:55:18.10ID:zSRE4lyD巷にあふれればそれはそれで成功
0810人間七七四年
2014/01/21(火) 11:59:50.51ID:WbQRLYkM秀頼の正室は徳川の姫なので、側室にバンバン子供を産ませると、それを理由に宣戦布告されかねない。
子供を作って他家に縁組するというアイデアは実際に考えられていたと思うが、幕府開幕以降の時期には後難を怖れて、どこも二の足を踏むかも?
0811人間七七四年
2014/01/21(火) 12:17:06.43ID:zSRE4lyD鐘銘問題以上の難癖だな(笑)
諸大名も流石に失笑すると思う(爆笑したら即改易だから)
0813人間七七四年
2014/01/21(火) 14:31:15.41ID:WbQRLYkM無茶苦茶だと思うだろうが、江戸時代にこれで処罰された藩があるってことは、徳川はそういう政権だと思うしかない。
0814人間七七四年
2014/01/21(火) 16:38:06.26ID:zSRE4lyDそうは言っても貴重な御子をできるそばから
人質として江戸に送れば家康親子も悪い気はしないだろ
天下に対しても将軍家が豊臣家から人質を取ってるというだけで
十分すぎるほどに面目が立つ
0815人間七七四年
2014/01/21(火) 17:36:18.31ID:vU/wkKDq>貴重な御子
前田家も、秀吉でさえも、あっさり出した家の存続に大した影響の無い母親でさえ拒んだ秀頼のことを武士の尺度で信用するチャレンジャーはいないんじゃね
0816人間七七四年
2014/01/21(火) 18:37:58.89ID:zSRE4lyDそうだな淀を人質に出すのがベストだ
0817人間七七四年
2014/01/21(火) 19:25:28.24ID:AFS1Obhc大坂方の牢人衆の入城が10/6、伏見への集結を命じられた畿内徳川方の伏見到着が10/16ということから
大坂方の出陣準備等も考えると確実に10日もないと思われる程度の日数で
1. 松平定勝とそれに付けられた兵力が守備する伏見城を落城させる
2. 伏見に向かっている畿内徳川方勢力を一掃する
を完遂して、さらに
3. 畿内の主要な街道等を制圧し、東西分断する
4. 東から徳川本隊に対する備えを構築し、野戦に必要な指揮伝達系統をしっかり確立する
を徳川家康が京都に近づく10/23あたりまでに完成させないといけないわけだが、
これが現実的に可能であるか?
0818人間七七四年
2014/01/21(火) 19:34:10.13ID:Ywoz2sXo現実的に可能極まりないな。
そんなことすらできないなら
秀頼は無能極まりない。
わずか1日の訓練を施した民兵主力でソ連軍はドイツ軍を
スターリングラード市街戦を戦い抜いて
ドイツ軍を降伏に追い込みましたが。
戦場往来の牢人衆をかき集めながら
そんなこともできないから大坂城は陥落したのです。
0819人間七七四年
2014/01/21(火) 19:51:34.16ID:7o7B/oVY幕府軍20万人っていうのは東北地方の佐竹藩や南部藩といった
遠国の軍勢も含めた数だからねえ。
豊臣軍10万が早いうちに出撃してたら畿内の制圧は出来そうな気もするが。
0821人間七七四年
2014/01/21(火) 20:27:17.66ID:AFS1Obhc大坂城付近の守りと主要拠点の維持、さらには前線への補給線の維持を考えたら、
実際に前線に割ける人数はそんな多くなることはないからねぇ
特に大坂城は落ちたらその時点で終了だから、どういう形であれ、ある程度の守備兵力は残さないといけないし、
牢人側から出されたとされる野戦案も、実際には籠城戦への移行も想定されてるものだから、
その場合に備えての兵力もキープしておかないといけない
ついでに、戦線を広げるってことは補給線がのびるということでもあるから、それを確実に保持するための兵力も必要になる
補給線断たれて前線孤立で終了なんて、話にならんからね
後はやっぱり伏見城が大きな障壁だね
落とすのに損害を大きく出してしまったら、徳川本陣と対峙するにも損耗した兵力の補充は困難だし
野戦案は、備えを作るまでの損耗は最小限でないと、根本から崩壊しかねない
かと言って、伏見城側は待ってりゃ援軍来るのはわかってるから、降伏するわけがない
結局力押し以外で事態の打開は困難だから、ある程度損耗した状態で徳川方と対峙せざるをえないって話にはなりそう
兵站の差は無視できないぐらい大きいね、やっぱ
0822人間七七四年
2014/01/21(火) 20:47:53.46ID:7o7B/oVY家康が京都に入るまで半月以上猶予があったのに
何にもしてないからねえ。
>>821
遠征するわけじゃないんだから。たかだか畿内程度の範囲で補給線って・・・
それに徳川の主力が来てないのになんで大阪城に大軍を残さなきゃならないのさ。
0823人間七七四年
2014/01/21(火) 21:00:13.90ID:B/sQsglt信玄や義元の上洛と同じと思えばいいんじゃね?
道中城を落として上洛するわけだけど
なぜ簡単に落ちる城を普段責めないかとい恒久的には維持できないが
上洛の間だけ維持すればいい
それにそんな簡単に失敗する策を出陣派が進言するだろうか
0824人間七七四年
2014/01/21(火) 21:02:51.60ID:B/sQsglt計画ではそうだった
0825人間七七四年
2014/01/21(火) 21:50:00.19ID:nxp1OfW8信玄も義元も後方は同盟なりなんなりで固めてから行動してるんだよな
0826人間七七四年
2014/01/21(火) 22:10:55.66ID:RqlpokEr豊臣家の存続だけを考えると、淀よりも秀頼暗殺が有効かもな。
一番の主戦派は治長でも淀でもなく秀頼でしょ。家の存続に影響ない淀を人質にする事すら拒否って戦う気満々じゃんw
秀頼さえ暗殺すれば淀は完全に意気消沈して、徳川の提案なんて何でも受け入れるんじゃないのかなぁ。
浪人衆解散、大坂開城、国松が跡目継いで東日本で小大名として移封、淀が江戸に人質に行って一件落着。
0827人間七七四年
2014/01/21(火) 22:42:50.57ID:rvjC8tDy0828人間七七四年
2014/01/21(火) 22:50:04.25ID:zSRE4lyD0829人間七七四年
2014/01/21(火) 23:14:17.51ID:FrxR0Kfh幕府軍は播磨側・紀伊側・大和側・山城側・丹波側と好きなところに大軍を投入して急襲できるから圧倒的に有利になるが
大坂方は、播磨口・紀伊口・大和口・山城口・丹波口とどこから敵が押し寄せるかわからない
から全方面に守備兵を割く必要があり、一方面の投入兵力が圧倒的に減るから
大坂方に圧倒的に不利になるのは目に見えてる。
幕府方が史実で一蹴した大坂方より遥かに少ない兵力相手に苦戦するとかありえないからな。
史実より圧倒的に幕府方有利な展開になるのは目に見えてる
0830人間七七四年
2014/01/21(火) 23:15:29.55ID:q7K/YlHn相手が兵力を分散したり出撃してきたほど殲滅するのに好機はない。
野戦なら兵力差がフルに生かせるし、短期決戦を挑むのももってこいだからな。
相手が10万いる兵の中から2万ずつでも小出しにすれば
幕府軍は2万ずつを20万を使って各個撃破余裕でできるから
史実より遥かに短期間で大坂の陣は終結するのは目に見えてる
0831人間七七四年
2014/01/21(火) 23:17:20.01ID:BEFHriUV畿内を占領するまで幕府軍が指をくわえて待ってくれるわけがないし
その間に次々に近隣の領主が集まってきて包囲殲滅されて終り
万が一、大坂に近い拠点を占拠できたとしても、それが戦役に全く役に立たないどころか、
その拠点に無駄に守備兵を割く結果になり、幕府が一挙に攻めかかってくれば
より勝ち目は薄くなる。
大坂城周辺の地域を占領したって維持できないなら意味がないし
維持するのに必要な兵力や物資というデメリットと、維持する事で得られるメリットのバランスを考えれば
明らかに利にはならない。
出撃論者がアホなのは、出撃して周辺地域を占領するまで幕府軍が対応として自分らの殲滅にやってこないとか
大坂方は畿内の周辺諸城を簡単に落す事ができるのにもかかわらず
幕府軍は大坂方拠点を簡単に落す事ができない前提で語ってるところだな
大坂方が出撃してきたら、幕府方は大坂方の殲滅にやってくるか、あるいは大坂方の拠点の陥落を目指してやってくるわけだから
そうなれば当然戦力差や物量差がモロに出て圧倒的に幕府軍有利になる
0832人間七七四年
2014/01/21(火) 23:19:05.76ID:bZX8qvax即効でアボーンだな
足軽が休む場所もなくなり、逃散兵ばかりになって即死だろ。
0833人間七七四年
2014/01/21(火) 23:23:30.69ID:q7K/YlHn四国や中国や九州の兵などが次々群がってきて
大坂城ごとき楽勝で落とされるのは目に見えてる。
徳川の動員兵力は20万とされてるが、予備戦力は十分残した上での話しであり
豊臣から仕掛けて来るような危機となれば
中国・四国・九州の領主や畿内近郊の領主達が次々家康や秀忠の指令の元
大坂討伐に乗り込んでくるのは明白であり、大坂は四方八方からあっさり攻囲されて大坂の陣は2週間程度で終結するのは見に見えてる。
10万あるうちの半分くらいは残さないと、大坂なんて短期間でも防衛不可能だろ。
0834人間七七四年
2014/01/21(火) 23:32:01.56ID:+runLpwn松平定勝とそれに付けられた兵力が守備する伏見城を落城させ 伏見に向かっている畿内徳川方勢力を一掃する
なんて到底無理だし
畿内の主要な街道等を制圧し、東西分断 東から徳川本隊に対する備えを構築し、野戦に必要な指揮伝達系統をしっかり確立
なんて、確実に無理ゲー。
普通に相手が雑魚でも二週間程度はかかるし、
0835人間七七四年
2014/01/21(火) 23:34:58.04ID:AIXtmQ1+入城して準備して出陣するぞとなったら
既に伏見に兵が集結してるからそこで万事休すだな。
0836人間七七四年
2014/01/22(水) 01:53:31.56ID:Z94XZ76c冬の陣の戦力なら長宗我部も藤堂勢壊滅できただろうし、あとは木村や後藤隊と共に徳川方にヒットアンドアウェイを繰り返して、湿地帯に誘い込み、
徳川方の陣形が延びきった時に真田隊や明石隊がゲリラ戦仕掛けて大混乱に陥れてどさくさにまぎれて家康秀忠を討ち取って勝つ。
これもいくつかのifがないと相当厳しいが畿内制圧や東西分断よりは可能性は見出だせるのでは?
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