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大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法

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0001人間七七四年2013/09/19(木) 17:44:52.85ID:nmTcKAHP
大坂の陣で豊臣軍が幕府軍を撃破・潰走させたのち、
豊臣家が天下を平定するまでのシナリオを考えて下さい。
0182人間七七四年2013/12/24(火) 10:40:55.05ID:Efdbhumr
〜の支配下で活躍な人ばっかだな
0183人間七七四年2013/12/24(火) 11:13:31.93ID:cwYx28E4
そりゃアメリカ軍の規律に従いながら戦う正規兵より
自爆テロやりまくりのアルカイダ兵の方が危険で恐ろしいのと同じ理屈だろ
0184人間七七四年2013/12/24(火) 11:20:44.82ID:FOnKCjQM
アメリカ軍だのアルカイダだの訳の分からん例で例えられてもなあ
0185人間七七四年2013/12/24(火) 12:56:32.55ID:Y1HiBRuK
水軍率いて加藤義明が入城したら少しは面白くなったんじゃないか
総大将に福島正則も入れば諸将の自分勝手な行動も押さえられたと思うわ
負けの事実は変わらんだろうがな
0186人間七七四年2013/12/24(火) 13:08:41.87ID:Y1HiBRuK
嘉明…
0187人間七七四年2013/12/24(火) 20:30:37.45ID:cwYx28E4
>>184
当時の大坂方の浪人連中なんて実質はアルカイダと同じ無法集団でしかないだろ
0188人間七七四年2013/12/24(火) 21:34:08.39ID:ShbGd6Dk
>>181
後藤や明石はまだしも、真田と長曽我部なんて大坂の陣までは大した戦績ないだろ。幸村は昌幸の下で多少の経験あるだけだし長曽我部盛親は関ヶ原が初陣。毛利勝永も似たようなものだろう。
一方、藤堂黒田細川加藤嘉は場数もかなり踏んでるし、特に藤堂は慶長の役で日本水軍主導して漆川梁海戦で朝鮮水軍壊滅させてるし、
黒田も文禄の役では加藤や小西とともに先鋒務めてるし(後藤も傘下で活躍してるが)、関ヶ原は戦闘、策謀両面で活躍。少なくとも大坂の陣の前の時点では真田や長曽我部、毛利とは比べ物にならん。

まぁ真田や長曽我部、毛利も大坂の陣での戦いぶりからすると、将器はあると思われるが、大坂入城の時点では大した者とは思われてなっただろう。
0189人間七七四年2013/12/24(火) 23:59:10.73ID:FOnKCjQM
その歴戦のはずの藤堂高虎隊は味方が勝ち行く中唯一寡兵の長宗我部勢に負けまくり大損害出して死に体で帰ってきてる
確か関ヶ原合戦の際にも京極隊と連携してわずか1000そこそこの大谷隊を攻めたら大苦戦し
小早川が離反後も何度も押し返されて朽木・脇坂らが大谷隊に攻めかかるまで
ろくな戦果あげられなかったはず。
黒田長政も細川忠興と協力して6000そこそこの石田隊を攻めたらろくに戦績もない三成相手にほぼ互角の戦いで
切り崩せなかったし
大坂の陣の奮戦っぷりで見ても、個々の武将の能力でいえば大坂方の方がずっと上じゃね?
武器性能で言っても大坂方が特に勝っているはずはないしな。
0190人間七七四年2013/12/25(水) 00:11:21.09ID:8Q1cDMxH
場数踏んでるといっても豊臣徳川の日本総軍に追従しただけの戦で
単体で大敵相手に自力で戦った戦とは到底言えないからなぁ
0191人間七七四年2013/12/25(水) 07:12:41.50ID:30f646xE
>>189
長く書いてるけど
大谷も石田も大阪の陣には死んでるんだけどw
その論調なら武田信玄、今川義元に歯が立たない徳川家康率いる軍勢なんか取るに足らないってのと同じなのはわかってる?
0192人間七七四年2013/12/25(水) 10:55:04.07ID:ZeQyeXWY
関ヶ原の畿内以西の東軍兵数は『日本戦史』のそれより少ないと見るべきだよ
0193人間七七四年2013/12/25(水) 21:07:19.91ID:WuOW0BaN
決死の覚悟の少数の敵を数で押し潰すのは愚の骨頂
まして関ヶ原のような会戦は周りの状況に合わせて動かなければならない
関ヶ原の藤堂黒田細川は十分な働きをしている
むしろ関ヶ原の島津や夏の陣の大坂方のような
自隊のことしか考えない愚将がいれば
勝てる戦も勝てない
0194人間七七四年2013/12/26(木) 02:33:46.67ID:aBNmiJ1N
真田毛利は武将としてそれなりには能力あったとは思うが、
大坂の陣参戦の東軍の諸大名より能力が抜きんでているかといえばそうでもないだろ。
水野勝成が大坂方にいたとしても真田毛利並の活躍はしたと思うが。
0195人間七七四年2013/12/26(木) 10:42:56.07ID:ySGrZDxC
>>決死の覚悟の少数の敵を数で押し潰すのは愚の骨頂

お前は戦争における数の理論を全く理解していないな
例えば2対1で正面からぶつかった場合、2の方は1の方に比べて
攻撃力では2倍
防御力では相手から食らう攻撃は2分の一だから
単純に兵力が多い方は戦力の多さを全面に生かして相手をひねり潰せないとおかしいんだよ。
0196人間七七四年2013/12/26(木) 10:47:11.23ID:7uaksrzq
確かに兵力比と武器性能比の2乗=両軍の戦力比だからね
2倍くらいは兵力あっただろうに
寡兵の大谷やら石田やら長宗我部やらに正面衝突の野戦で五分五分だったり苦戦しまくった
細川や黒田や藤堂は指揮采配能力はかなり劣るとしかいいようがないわな。
大谷はまだ名将だとしても石田三成なんて武功派でもない後方支援組なのに
0197人間七七四年2013/12/26(木) 10:50:31.11ID:LxQqx1BR
兵力数と武器性能で戦争は決まるからね。
兵力比は実際にはその2乗となって戦争に影響するしこれに装備性能が加わったものが実際の戦力
これをくつがえすのはよほどの幸運・偶発的条件やうまい戦術、両将の指揮能力の差がないと無理(もちろん城攻めは別だが)
普通に平地でガチで遣り合えば100%兵力が二乗の戦力となり、装備差によって戦闘が決着する
ゲームでは統率や経略の少しの差で簡単に覆ってしまうが実際はなかなかそうはいかない

城攻めでも野戦でも兵力差が大きいと少ない方は味方の士気が下がったり離反や逃亡する兵が出る。
後詰の望みがない防戦なんてよほどの偶発的条件か両将の指揮能力のよほどの差がない限り基本勝つ可能性皆無なんだから
逆にその影響度が圧倒的に大きい兵力差をひっくり返して撃破した武将と撃破された武将はかなり大きく指揮采配能力に差があるとみるべき。
0198人間七七四年2013/12/26(木) 10:51:25.39ID:znIzHmx/
武具とか装備にはそれなりにお金がかかるからね。それはいつの時代も同じで焙烙とか
大筒とか先進的な装備や強固な陣地構築技術は畿内など生産力の高い地域を取った大名の特権みたいなもの。
後進地域や、生産力低い地域の大名はそれだけ貧相な装備で戦わなきゃいけないからかなり不利だわな
0199人間七七四年2013/12/26(木) 10:52:37.63ID:FKIfemas
人間の心理でいうなら圧倒的に大軍側のが有利。
兵力に勝るから戦略の幅も大きいし勝てば領土広がるから士気も上がりやすいし

逆に寡兵側は寝返りが出やすく勝っても領土も広がらんし圧倒的に不利でしかない。
実際戦史でみても逃亡兵や離散、寝返りが出てるのは寡兵側がほとんどで攻撃側は少ない。

兵力比や武器性能よりも心理の方が重要とか戦時中の日本軍みたいな馬鹿な発想だなw
勝てる勝てると盲信しまくって物量や装備で勝る米軍に果敢に突撃しまくったが見事にどんどん負けまくったんだろうがw
基本的に国の戦争の強さは、武器性能と国力とで決まるのが基本で心理なんてほとんど影響しない。
よっぽど大国側の指揮官が無能だったりする場合は例外だろうが
0200人間七七四年2013/12/26(木) 11:28:20.09ID:p0ZmpeaU
大体大軍の指揮には高度な指揮能力が必要で難易度高いというなら最初から頼りになる部下だけ連れて寡兵で出撃すりゃいいだけじゃん
物資兵糧調達や兵站の面・戦後の恩賞の面・行軍のスピード・機敏性など圧倒的に寡兵のがローコストでメリットも大きいんだし
それにもかかわらず毎回寡兵の敵に向けて大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃してるのはそれだけメリットが大きいんだろ
所詮大軍の指揮がどうとか妄言やいいわけにすぎん。

「大軍」は「寡兵」よりも圧倒的にアドバンテージであって、統率が難しいのではなく統率失敗するような武将は無能というだけ。

信長でも家康でも信玄でも敵が大軍であればあるほど、味方は寡兵であればあるほど苦戦や敗戦は増えてる
戦争なんて物量や兵力が圧倒的にものをいい、兵力の2乗は実際の戦力になる。
寡兵側が勝つには特別な戦術で敵を自陣深く釣り込んだり油断ついて奇襲したり地形をうまく使って包囲殲滅したり
偶発的条件、幸運などに恵まれない限り無理。普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる
0201人間七七四年2013/12/26(木) 11:30:20.41ID:T/nCasBT
普通の頭で考えれば地形に関係なく普通に正面からガチンコで戦えば大軍側が勝つに決まってるじゃん
20対10で戦った場合10人の方は結束したとしても20人分の攻撃を10人でうけなきゃいけないけど
20人の方は10人分の攻撃を20人で分散できるから一人のダメージ比は4対1だし
寡兵側が勝ってるのは相手の油断をついて奇襲・敵を自陣深くうまく釣り込んで殲滅・ポエニ戦争みたいに敵の左右の陣を突破して
包囲殲滅など優れた戦術や敵の油断をつくなど、かなりの指揮采配能力の差や、偶発的事故などが続くなりしないと無理。
普通に正面衝突すりゃ大軍側が100%勝つに決まってる
0202人間七七四年2013/12/26(木) 11:36:20.05ID:FKIfemas
豊臣家に対して重大な損益与えてるじゃん
0203人間七七四年2013/12/26(木) 12:51:23.60ID:KX5TlW8O
大坂方の善戦はバンザイ突撃故だから
0204人間七七四年2013/12/26(木) 12:54:20.31ID:p0ZmpeaU
>>203
万歳突撃とか妄想乙
0205人間七七四年2013/12/26(木) 13:14:29.92ID:KX5TlW8O
じゃあ、生還を無視した突撃で
0206人間七七四年2013/12/26(木) 13:31:39.52ID:qSthHJwZ
どっちにしろそんな史料にない妄想で、だからこそ善戦したとか妄想されても。
0207人間七七四年2013/12/26(木) 14:09:22.36ID:znIzHmx/
まぁ普通に両将の指揮采配能力の差と見るべきだろうね。
0208人間七七四年2013/12/26(木) 15:23:07.87ID:lahiSMMe
過激派と食い詰め浪人が乗っ取った城に過ぎんからな、夏の陣の大阪城は
0209人間七七四年2013/12/26(木) 19:09:37.65ID:J+qbsV5d
淀を殺せばよかったのに
0210人間七七四年2013/12/27(金) 06:02:39.85ID:addJp2dm
江の姉を殺したら大坂を攻める格好の材料だろが
0211人間七七四年2013/12/27(金) 06:33:32.15ID:0A6on5H7
>>209
何故?
開戦して勝つのが目的なら、たいした身よりもいない後家なんてどうだって良い し
和平が目的なら、実母なんだし人質にくらいならなるだろ
0212人間七七四年2013/12/27(金) 18:41:29.25ID:kZnvZoBS
>>211
夏の陣であれだけ奮戦出来るなら主戦派が提唱したように
最初(冬の陣)からやれよと思う。
0213人間七七四年2013/12/27(金) 21:38:05.69ID:0A6on5H7
>>212
それと後家の命と関係があるのか?
それに言い出したら関ヶ原の時に頑張れよに尽きる。
ガキだろうが虫けら以下だろうが秀頼はしゃべれる程度には人間だったらしいし
大野や途中退場はしたが片桐は一人前だった。

後藤は敵だったかw
0214人間七七四年2013/12/27(金) 21:39:52.90ID:9nk38EnW
大野治長も東軍だよ
0215人間七七四年2013/12/27(金) 22:50:36.84ID:7QXKyFi3
>>212
そもそも夏の陣では全く奮戦していないんだが。
ほぼ一方的のボコられただけだぞ、豊臣方は
0216人間七七四年2013/12/27(金) 23:24:29.05ID:sVLfTJt2
関ヶ原は豊臣政権内部の権力闘争なんだが…
0217人間七七四年2013/12/28(土) 06:31:05.52ID:FZXx+nV7
>>212
夏の陣で奮戦といえるレベルの戦いしたのは、一時は藤堂勢を潰滅に近い打撃与えた長宗我部盛親と、天王寺口で本多忠朝を討ち取り、他の大坂方が潰滅しても最後まで戦線維持していた毛利勝永くらいじゃね。
他はほぼ一方的にやられて終わってる。

>>213
前の方にも書いてあるが、豊臣家は関ケ原では傍観者。西軍にも非協力的。東軍が勝っても政権簒奪されるなんて思ってもみなかったんだろう。
0218人間七七四年2013/12/28(土) 09:51:20.96ID:nZArZ+O7
>>216
徳川家康対毛利輝元の時点でただの身内の権力争いで収まらないのは、流石に気付くだろ
権力争いの結果生き残った連中なんだし。

まあ、子供に何ほどの知恵があるっちゃそれまでだが、関ヶ原で傍観したツケを払っただけじゃね?


もし関ヶ原の時に、責任を三成一人に押し付けて、宇喜多と毛利を無傷で残すなんて政治力を発揮出来てたら
生き残れたんだろうけど
0219人間七七四年2013/12/28(土) 10:11:05.73ID:N3/S4+mB
大老達と奉行達が絡んだ戦があんな呆気なく終わるとは思わないべ
0220人間七七四年2013/12/28(土) 10:33:40.32ID:tTuoGuEd
>>218
誰がそんな政治力を発揮するんだよ?アホか
お前みたいな後世視点の結果論でしか物事が見えない人間を間抜けという
0221人間七七四年2013/12/28(土) 13:18:56.46ID:nZArZ+O7
>>220
誰でもわかることを出来ないからといって目を瞑るのは虫けらだなw
多分、お前もそうだろう
0222人間七七四年2013/12/28(土) 14:53:47.05ID:YiczH1q3
>>218
関ヶ原は三成が勝手に始めた戦であって豊臣が三成に出陣を命じたわけではないから
そりゃ豊臣としては傍観するしかないだろ
当時は家康でさえ会津征伐をする際に事前に秀頼に許可を取る形式を守っていたのに
それすらやらず勝手に戦いを始めた三成は危険人物でしかないからな
0223人間七七四年2013/12/30(月) 11:38:45.70ID:EfS2FTca
大坂の陣はどう考えても豊臣の詰みになっちゃうなぁ。
京に出撃して戦線拡大しても逆に滅亡を早めそうだし、長期籠城して持ち堪えて家康の死を待つのが一番現実的。(大坂方の統制力の脆弱さじゃそれも厳しいかもしれんが。)
家康死んで秀忠主導になって、幕府の方針転換してくれることに期待するしかない。
0224人間七七四年2013/12/30(月) 16:32:16.19ID:SseDEb0C
生き残るだけを考えれば詰んでるわけでは無いと思うの
0225人間七七四年2013/12/30(月) 17:40:38.31ID:3fE9x9zv
大阪の陣は冬も含めて本質的には豊臣家の自殺だよ。
0226人間七七四年2013/12/31(火) 07:30:03.49ID:HEAYIb7O
秀吉、蜂須賀正勝、黒田如水ら豊臣全盛期の武将が大坂城にいてもこの状況では勝てないと思う
0227人間七七四年2013/12/31(火) 07:55:50.68ID:PCWD06r+
いてもってかその雑魚メンバーじゃますます勝てないだろ。
織田で最も無能な信雄に圧倒的に自軍有利な状況で短期決戦しかけて糞みたいに蹴散らされる始末だし。
0228人間七七四年2013/12/31(火) 08:34:35.95ID:PsWfw0XB
毛利、真田、明石、後藤、長宗我部に全軍を与え
余裕のあった冬の陣で籠城前に家康を討つくらいしか生き残りの道はないな。
兵力差はそんな絶望的ってほどでもないし、最初の戦いで徳川勢を
撃退できていれば浪人が更に集結するかも。
関ヶ原以降、多くの大名が改易されて巷に溢れてる浪人は相当の数だったから。
0229人間七七四年2013/12/31(火) 09:13:50.16ID:suTGiRi6
全兵力を天井裏に潜ませて敵が城内に入ったとろこ襲い掛かれば余裕で殲滅できる
0230人間七七四年2013/12/31(火) 09:35:44.02ID:wdb0YS0S
冬の陣の講和のときに、堀を埋めさせるのは断固拒否すればよかったんだよ。
0231人間七七四年2013/12/31(火) 10:41:08.30ID:1ZdfbP+A
>>228
豊臣にとって浪人連中はあくまで使い捨ての駒であって
浪人連中に豊臣の指揮権を与えようなんて考えは毛頭ないだろ
そもそも浪人連中に豊臣が乗っ取られるのを許容できるなら徳川と戦う意味がない
誰にも豊臣を支配させない自分達が権力を握りたいという欲求に凝り固まっているから
わざわざ徳川と戦っているわけだし
0232人間七七四年2013/12/31(火) 12:29:12.27ID:G3fJg5u8
>>218
>もし関ヶ原の時に、責任を三成一人に押し付けて、宇喜多と毛利を無傷で残すなんて政治力を発揮出来てたら
生き残れたんだろうけど

宇喜多はともかく毛利は最初は家康もお咎め無しですますつもりだったんだけど
大阪城はいったら実際は毛利がガチで首謀者だったことが発覚したんで防長2国に改易するしかなかった
完全に潰そうとなるとホームがまだ無傷の毛利が島津辺りと組んで徹底抗戦の泥沼になるから妥協
0233人間七七四年2013/12/31(火) 12:52:18.76ID:eIlxy4+C
アホだなぁ。
ガチで首謀者なら完全に改易だよ。
防長2国は、福島・黒田の取り成しが奏功したお情け。
0234人間七七四年2013/12/31(火) 15:27:39.83ID:wdb0YS0S
結局西軍には力のある首謀者がいなかったというわけか・・・・
だからあっけなく1日で崩壊したんだな。
0235人間七七四年2013/12/31(火) 16:39:18.98ID:8IPhklhZ
>>228
浪人諸将に全権与える事はまずないだろうが、冬の陣の大坂城包囲前に家康秀忠を襲撃して側近団含めて同時に葬る事ができれば勝てる可能性は高いな。
徳川の方から和議をもちかけてくるだろう。
まぁ家康秀忠が本能寺の変での信長信忠のように手勢少数で近い場所にいたような状況があればいいんだが。
0236人間七七四年2013/12/31(火) 18:20:54.24ID:G3fJg5u8
>>233
完全に改易してしまえるだけの余力が当時の徳川になかった。
そりゃ戦えば勝てただろうけど消耗半端ないから1/4で手打ち。
0237人間七七四年2014/01/01(水) 04:07:58.24ID:9zTxpxM+
毛利輝元って馬鹿だよな
宇喜多秀家と合わせて5万の軍勢で徹底抗戦したら絶対に徳川は勝てないわ。
この状況で家康が大阪城を開ける可能性なんて0なわけだし
うっかり開けてクーデターが起きたら関ヶ原が水の泡なわけだしw
さらに関ヶ原で負けた武将、浪人武士が全国から毛利の庇護下に集まるのは火をみるより明らかなわけだし。
0238人間七七四年2014/01/01(水) 10:25:38.38ID:xG8s5wel
まぁ徹底抗戦できるほど家中は纏まってないからねぇ
0239人間七七四年2014/01/01(水) 10:50:17.65ID:6su986nW
どこにいるかも分からない宇喜多秀家とどうやって合わせて戦うんだよw
0240人間七七四年2014/01/01(水) 12:07:51.83ID:xzuQ5f8C
大坂城に籠城する理由がない。
籠城して負ける事はないかもしれないが、勝つ事は出来ない。
自領拡大の目的が望めない以上、領国無傷で手打ち出来るならベスト。
この辺からも、毛利にとって家康との対決が二の次なのがよくわかる。
0241人間七七四年2014/01/01(水) 12:12:17.27ID:ue4beeVo
そもそも大阪城に籠っても本領がどんどん東軍に侵食され放題になって、毛利なんて勝手に崩壊するわ。
0242人間七七四年2014/01/01(水) 13:24:56.35ID:ZwFfkkXa
つまり大坂城籠城の選択肢は有り得ない、という事ね。
0243人間七七四年2014/01/01(水) 13:32:25.97ID:AXnlhHau
>>242
既に詰みの状態。毛利の将兵にとっても 自分の在地>>>>>>>>>>>>>>大阪 だし
籠城なんかしたら毛利の兵はみんな逃亡しただろうな
0244人間七七四年2014/01/01(水) 15:13:57.43ID:1UXbSCgT
>>235
大御所と将軍を討ち取られて幕府が後にひけるわけがない。
他の指導部が同時に討ち取られる状況は幕府成立から12年間でただの一度も無い。
以上の点から積極的出撃は大坂方の自殺と同じ。
現実的には大野は最善というよりただ一つの方策としての籠城を選んだだけ。
ついでに言うなら出撃策を取った場合、大将は大野兄弟のどちらかであって、真田や後藤、毛利らが選ばれることはない。
これで出撃策ならまだ勝ち目があるというのは、末期ガンの患者に無茶な手術をしろと言うのと同じ。
0245人間七七四年2014/01/01(水) 15:31:55.86ID:Q7YAjr1n
>>大御所と将軍を討ち取られて幕府が後にひけるわけがない。

封建主義制度の下では総大将が討たれるか病没した場合は
全軍帰還を始めるよ。三方ヶ原で家康を打ち破り
後顧の憂いがなくなった武田も信玄が病没したために帰国したし。

>>これで出撃策ならまだ勝ち目があるというのは、末期ガンの患者に無茶な手術をしろと言うのと同じ。

冬の陣の時点で既に末期だろw
無茶な手術以外に助かる見込みが全くないんだから。
0246人間七七四年2014/01/01(水) 17:15:24.19ID:rCQ21nXv
>>244
235だけど、俺は別に出撃策が最善とは思ってない。勝つ可能性なら治長の採用した籠城策の方がまだあると思ってる。
ただ、出撃策を取るなら京進出とかの戦線拡大案ではなく、一撃必殺で家康秀忠(と側近団)を同時に葬るくらいしないと勝てないと思ってる。
大御所と将軍討ち取られて幕府の面子上は後に引けないとは言っても、大将二人居なくなったら誰も大軍動かせないだろうし、
外様大名はもちろん譜代大名も戦意失って継戦どころじゃないだろ。最終的には一旦和議結んで退却するしかないだろうとは思う。
退却後に幼少の家光が徳川将軍家の跡継ぐかもしれんが、伊達政宗あたりが娘婿の松平忠輝と組んで暗躍したりして、
本能寺後の織田家のように急激に弱体化しそうだし、再び大坂攻めなんて無理そう。そうなると豊臣恩顧の大名が豊臣に再び擦り寄ったりして、
下手すると第二次戦国時代到来かも。
0247人間七七四年2014/01/01(水) 18:35:51.68ID:Uu98jpM6
包囲前に家康秀忠の両者を討つとかどれだけのIFを重ねなきゃならないやら
史実では包囲をしいてある程度軍勢がバラけてたから本陣に迫れた訳で
0248人間七七四年2014/01/01(水) 18:44:48.32ID:AXnlhHau
>>247
「本陣に迫った」っていうのすら軍記のつくり話だけどな
0249人間七七四年2014/01/01(水) 19:57:52.29ID:xG8s5wel
ゲーム脳的には両者討ち取らないと勝利にはしてもらえないのか
0250人間七七四年2014/01/01(水) 21:09:43.86ID:6zvCat6L
関ヶ原では三成が勝手に軍を仕切って出撃決戦策を決めて大失敗に終わったという苦い経験があるから
豊臣が浪人連中を目の届く範疇に置いて管理しようと考えるのは仕方がないことだろう
浪人連中に対する豊臣の信頼なんて三成を遥かに下回るわけで
そうなると籠城しか選択肢はない
0251人間七七四年2014/01/01(水) 23:46:08.64ID:Y6HqLTSf
なんで冬の陣で大坂方は講和に応じたんだよ。当時を証言できる人は生きているわけだし、簡単にわかりそうだが。
淀君側近の者が国崩しの被害者になったって本当かよ。国崩しで大坂城の防御性が悪くなったのならわかりやすいの
だが。
0252人間七七四年2014/01/02(木) 00:13:40.90ID:/r+fV5/a
物資が尽きて負け確定になったから
0253人間七七四年2014/01/02(木) 00:30:26.01ID:47a/l2eL
橋を切って瀬田川で戦うべきだったと思うよ
もし万一、ここで勝てば
西日本の大名の連絡網が途絶え大阪方に取り込めるチャンスがあった
(秀頼大勝、家康・秀忠討死など流言を大々的に流すのは言うまでもない)

もし負けてもしんがりを川の手前に残し、残った軍勢が大阪に立て籠もれば済むだけの話。
多少は兵は減るけど、むしろ兵糧を節約できて申し分ない。
0254人間七七四年2014/01/02(木) 00:41:43.33ID:50GdH7Yn
>>253
> 西日本の大名の連絡網が途絶え大阪方に取り込めるチャンスがあった
ねえよ
0255人間七七四年2014/01/02(木) 00:56:00.89ID:47a/l2eL
>>254
取り込めなくとも中立にはなりえただろうね
長州征伐で幕府が勝てなかった瞬間に全国の大名は一斉に中立化したし。
0256人間七七四年2014/01/02(木) 00:59:38.03ID:50GdH7Yn
>>255
最後国も既に幕府の城としての丹波篠山城があって、事実上の西国探題として機能しているのに?アホか
0257人間七七四年2014/01/02(木) 01:00:54.11ID:47a/l2eL
大坂の陣ですら大名たちは幕府が9割がた勝つと思ってただけで
確信にまではいたってなかったでしょう。
毛利が佐野道可を送り、福島は大阪方の米の収奪をスルーしてあげたり
他にも自分の縁者を大阪方に籠城させた大名は多かった。
司馬遼太郎は「恩のある秀吉様への義理のため」と解釈したわけだが
そんなことありえるわけねえだろ。
万一、大阪方が勝っちゃった場合の保険以外の何物でもないわw
0258人間七七四年2014/01/02(木) 01:02:27.02ID:47a/l2eL
>>256
馬鹿は君だろうね。明治維新は親藩から続々と裏切ってる。
要はどちらが勝つかが最重要。
0259人間七七四年2014/01/02(木) 01:02:29.20ID:50GdH7Yn
>>257
> 毛利が佐野道可を送り

それ後世に浪人していた佐野家の親族が、毛利家に再弛緩するための先祖の「功績」として行っただけだぞ。
ハッキリ言って捏造
0260人間七七四年2014/01/02(木) 01:05:01.02ID:47a/l2eL
>>259
佐野道可だけならね。
そもそも紀州が真田一族を逃した時点で何の説得力も無い。
毛利勝永なんかもそうだろ。
100%徳川が勝つと確信してるなら、そんな粗相はしえない。
0261人間七七四年2014/01/02(木) 01:07:08.65ID:50GdH7Yn
>>260
きみはそれぞれの事象を一つ一つ確認すること無く全部結び付けたがるくせが有るね。

そういうのを粗雑な頭というのだ
0262人間七七四年2014/01/02(木) 01:08:03.44ID:47a/l2eL
当時の日本人は誰もが一般常識で南北朝の戦いを知ってるからね
絶対に勝ちえない南朝が勝って後醍醐天皇が即位したり
源平でも源氏が勝ったり。足利尊氏は九州に都落ちをしてからの復活大逆転もしてるし
何があっても不思議じゃないと思ってるでしょ。
0263人間七七四年2014/01/02(木) 01:09:12.75ID:47a/l2eL
ID:50GdH7Ynは頭が悪い

自分に都合の悪い資料は捏造

たくさん資料が出てくると「関連ないニダ」

朝鮮の歴史でも語ってれば?
0264人間七七四年2014/01/02(木) 01:16:34.86ID:1W16WR+1
ニダとか朝鮮とか使いはじめるともう末期だな。哀れすぎる
0265人間七七四年2014/01/02(木) 09:19:22.86ID:E4+zk/zN
>>262
兵力差は絶望的って程じゃないからな。
冬の陣で毛利、真田、明石、後藤、長宗我部に大軍を与え
出撃策をとっていたら総大将の家康を討てた可能性もあったわけだし。
あるいは厳冬期が来るまで時間を稼げれば、畿内の米を殆ど豊臣に
押さえられてた幕府軍は帰国を始めるだろうから若干の猶予も生まれる。
0266人間七七四年2014/01/02(木) 11:27:57.68ID:Dx8dmmDy
南北朝だの源平だのを持ち出さずとも豊臣にとって最も強い記憶は関ヶ原でしょ
大軍を与えて出撃策をとったらあっという間にバラバラになって崩壊したわけで
豊臣としたら絶対に同じ轍は踏まないという意識はあって当然だろう
だいたい来たばかりの浪人連中に対する信頼度なんて当時の西軍大名よりも低いわけだし
豊臣が受けたトラウマを考えたら出撃策は却下しかなかったと思うよ
0267人間七七四年2014/01/02(木) 12:32:19.69ID:P1URffWU
徳川幕府にすれば、大坂城は俎板の上のフグでしかない。
毒を取り除いて食べるだけの話。
手順さえ間違わなければいいだけの事。
0268人間七七四年2014/01/02(木) 13:32:26.05ID:E4+zk/zN
>>266
スレタイは「大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法」だから。
ここは出撃策をとらなかった理由を考えるスレじゃない。
0269人間七七四年2014/01/02(木) 17:49:40.14ID:VbCq5Wg2
豊臣方は信用できる面子があんまりいなかったんじゃないのか
んなこといったら徳川方も烏合の衆にはかわらんのだが
0270人間七七四年2014/01/02(木) 23:59:48.10ID:47a/l2eL
関ヶ原時の上杉家より信用できる武将数が少なかったというなら仕方ないね。
でも夏の陣の出撃策で勝手に部隊を壊滅させた馬鹿はいたけど
豊臣家から金だけ貰って逃げちゃった武将って居なかったんじゃないの?
浪人武将を信用できないというなら最初から呼び寄せた時点でアホw
0271人間七七四年2014/01/03(金) 00:20:09.31ID:m7fdA+H1
全国の諸大名に参集をかけたけど来たのが浪人だけだったという話であって
最初から意識して浪人を集めようとしたわけではないぞ
浪人しか来なかった時点で豊臣のやる気が削がれたんだろう
だから1ヶ月ほど篭城してさっさと講和に走ろうとしたけど
当然ながら浪人連中は名を上げる最後の機会なのだから全面決戦あるのみだし
豊臣側と浪人側で考えが合わなかったのが迷走の原因だろう
0272人間七七四年2014/01/03(金) 10:27:48.67ID:nIbUZlsf
淀や大野には危機感が足りなかった気がする。
滅亡がかかった戦だってことを理解してなかったんじゃね。
0273人間七七四年2014/01/03(金) 10:32:08.37ID:m3crxr5h
そりゃ誰も味方してくれなかったんだからやる気なくなるわな
0274人間七七四年2014/01/03(金) 14:26:35.69ID:P7tqV+ZP
徳川をどうにかして分裂させるしかない
松平忠輝と伊達政宗をうまいことけしかけて父家康と兄秀忠を討たせ、
そののち豊臣恩顧の信頼を取り戻して味方につけ、忠輝を討つ
う〜〜ん すさまじいまでに机上の空論
0275人間七七四年2014/01/03(金) 15:37:17.09ID:JEYq2Dv/
>>272
自分の命がかかってんのに、そんなわけないでしょ。
他にできることがないだけだよ。
0276人間七七四年2014/01/03(金) 15:56:09.01ID:JEYq2Dv/
>>264
絶望的というより絶望やん。
大坂は限度以上に集めてんのに、幕府はまだいくらでも動員かけられるんだよ。
0277人間七七四年2014/01/03(金) 17:09:49.84ID:yoT/Hckr
秀頼は一か八かの大勝負に出たんだね。戦わずに徳川の軍門に下れば、後世では戦えば勝てたって言われかねないよね。秀頼よくやった。
0278人間七七四年2014/01/04(土) 00:37:20.94ID:/iBEu34J
>>274
確かに机上の空論で限り無く実現の可能性はゼロに近くても、>>1のような結果を求めるなら、徳川政権を何とかして分裂させるしか道はないんだよなぁ。
徳川版本能寺の変みたく家康秀忠を官僚団を一夜で潰滅させて大坂から退却させ、江戸で家光派と忠輝派の次期将軍争いをさせる。家康秀忠側近団が全滅なら混乱を極めるだろう。
で、東日本が大混乱に陥った時に豊臣家は秀頼が関白就任し、先代秀吉に倣って公家武家の頂点に立ち、西日本の外様大名を味方に誘って、
天下を家光派、忠輝派、豊臣派の三派に分裂させる。豊臣は忠輝派を引き込んでまずは家光派を殲滅。その後忠輝も殲滅して豊臣が再び天下を取る流れ。
こういう荒唐無稽なストーリーでしか豊臣の勝つ道はない。
0279人間七七四年2014/01/04(土) 02:44:51.01ID:xN7ODnCc
伊達と忠輝を動かす
忠輝を担ぐという名目で豊臣がこの2家と北条今川武田のような姻戚関係を結ぶ
秀忠系を潰した後は対伊達(忠輝)との最終決戦
0280人間七七四年2014/01/04(土) 02:46:45.58ID:F3a8p/s3
寝返るような奴は開戦前にしてるだろ
名前を上げるために来たのに寝返っても名前の価値下がるは土地も貰えないだろ
0281人間七七四年2014/01/04(土) 02:50:24.48ID:YCU0CJGI
>>278
荒唐無稽というが徳川家康や長州藩はその荒唐無稽なストーリーを実現したね
家康は新しい本願寺教主を任命して本願寺分立を成功させたし
長州藩は尾張徳川家を徳川を立てて本家の将軍を追わせ、結果的には田安家から徳川家宗家に継がせたり
現在も中国が新しいダライラマを任命して分立を企ててる。
割合、普遍的な方法。
豊臣家としては大阪城夏の陣では討って瀬田川で徳川家をボコり朝廷から錦の御旗さえ貰ってしまえば
松平家の庶流でも立てて徳川家の宗家だと言い張り徳川家の分裂を図るのは普遍的な常套手段。
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