>>163
結局ソースはなしでネットサイトかよ。
ちなみにそのサイトは嘘ばっかり書いてるから一つ一つ指摘してやるよ。

>>天正12年3月13日、秀吉軍は、犬山城を攻略して、清須をめざし南下しようとした
秀吉軍が狙ってたのは清洲ではなく三河や遠江。清洲を攻めるだけなら伊勢方面からわざわざ転進して楽田に居座る必要は0.
>>3月18日から小牧山城跡の大改修を開始
そんな事全くやってない。ただの妄想。
>>22日には陣城が完成し、ここにたてこもった。
そんな事全くやってないし、完成したなどとどこにもかかれてない。ただの妄想
>>軍道で結び、南への進路を遮った。
軍道で結んでなんていない。ただの妄想。
>>大軍が対峙したが決戦は行われず、わずかに4月2日秀吉軍が姥ヶ懐へ来襲
そんな事全くやってない。ただの妄想。
>>翌3日に家康軍が二重堀砦を奇襲した小競り合いがあった
二重掘合戦は4月下旬〜5月上旬。これは信雄からの感状や家忠日記などでわかるし三鬼氏も書いてる。
>>家康軍も小牧山から八幡塚まで土塁を築き、防備を固めた
そんな事全くやってない。ただの妄想。
>>4月6日夜から秀吉軍の一部が東へ向かう迂回作戦を開始し
迂回ではなく九鬼の水軍なども含む陸海両面からの大規模作戦なのも知らんアホっぷり。
>>家康軍は、4月7日に秀吉軍の動きを察知
根拠なし。ただの妄想。
>>小牧村庄屋江崎善左衛門が道案内をつとめ秀吉軍を追撃し
根拠なし。ただの妄想。
>>翌朝までに小牧山城へ戻った
根拠なし。ただの妄想。
>>両軍とも防備を固め、大きな戦いはなく
戸木城の合戦、二重掘合戦、蟹江合戦など各地で戦いが起こりまくってる。
>>家康軍の榊原康正が小牧山城に行った改修は、土塁を高め、堀を深くし、要所に砦を築くなど
根拠なし。榊原がそんな事命じられてる様子もないし、一次資料はおろか家記にすら書かれてない。
>>防御工事をわずか5日間で完成させたといわれる
そんな短期間でできるわけがない。
>>麓で行われた発掘調査によって
年代比定の根拠はなし。