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大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法

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0001人間七七四年2013/09/19(木) 17:44:52.85ID:nmTcKAHP
大坂の陣で豊臣軍が幕府軍を撃破・潰走させたのち、
豊臣家が天下を平定するまでのシナリオを考えて下さい。
0151人間七七四年2013/12/23(月) 19:58:41.74ID:U0mFC2gL
>>149
証拠



145 :人間七七四年 :2013/12/23(月) 19:51:35.75 ID:NV1MZACX
138 :人間七七四年 :sage :2013/12/23(月) 19:41:50.65 (p)ID:OfreiSlw(6)
>>134
> それは江戸期に入った後構築されただけ。

そんな研究結果はない。勝手に捏造すんな。無知の上に恥知らずかよ、最悪だなお前
>>138
だってそんな事書いてる史料ないし、家康からすれば蟹清水、外山、宇田津、比良、小幡といった
秀吉方に狙われる拠点は一杯あるわけで、小牧山なんて固めた所で周辺や背後から攻められて孤立無援にされるだけだから
そんな事したって無意味なんだよ。つか小牧山周辺の塹壕研究なんて勝手に学者が論拠もなく天正12年に無理矢理比定してるだけだろうが。
>>135
そもそも城の築かれた時期そのものが無理矢理根拠なく比定してるだけじゃん。
江戸期に築かれたものか幕末に築かれたものかもわからんのに


146 :人間七七四年 :sage :2013/12/23(月) 19:54:39.39 (p)ID:TzPLvYbJ(2)
小牧山なんて固めたって別方向から侵攻されれば終了だし周辺の砦を秀吉方に落されれば孤立するだけ。
小牧山なんて当初から対陣する予定の場所とは全く外れたところに位置する拠点なのに
小牧山を家康が固めたとか相当馬鹿だな。
0152人間七七四年2013/12/23(月) 20:00:16.97ID:zXJ50e5V
>>151
頭に血が上ってるみたいだけどIDちゃんと確認してからそういうレス投稿しろ。
自作自演バレバレだぞ?
0153人間七七四年2013/12/23(月) 20:01:47.23ID:OfreiSlw
>>150
だから誰がどういう根拠で無理矢理と決めたんだって聞いてるんだろうが?
お前が勝手に直感で言ってるだけなんだよ。本当に頭悪いな君は
0154人間七七四年2013/12/23(月) 20:01:48.09ID:PXXsKO6C
つか、伊勢方面に出兵してた家康が、美濃尾張ラインが突破されるとわかって
尾張に戻ってきた3月中旬からの一ヶ月足らずの短期間でそんな堅固な陣地が構築できるなら
長期間莫大な金かけて築かれた大阪城や
大阪城よりは短くても小牧山に比べれば遥かに長期間をもって構築されたであろう岐阜城はじめ日本の城郭なんてそうそう簡単に落ちないっつーの。
信玄や謙信や氏康なんて毎年馬鹿みたいに関東や信濃などの天嶮ガチンコ山城落としまくってるじゃん。
0155人間七七四年2013/12/23(月) 20:02:42.37ID:zXJ50e5V
>>154
だからちゃんとID確認しながら書き込め。キャラがブれまくってるぞw
0156人間七七四年2013/12/23(月) 20:03:38.13ID:1sscaOxg
>>152
問題は内容なんであって、誰が書いたとかは全くどうでもいいことだな。
>>153
だから年代比定の根拠があいまいだって言ってるんだが?
それに三河物語にもちゃんと小牧山は無防備で柵も付けてなかったってちゃんと書いてる。
0157人間七七四年2013/12/23(月) 20:05:48.03ID:GaINtqyr
>>149
で、お前の年代比定の証拠は?
一般向け本の書写とかじゃなくて、ちゃんとそれが天正12年の物だという証拠をお前が出せ。
出せなきゃ単なるお前の妄想。
0158人間七七四年2013/12/23(月) 20:06:30.99ID:PXXsKO6C
普通にかんがえりゃ分かる事じゃん。
何年もかけて莫大な財産かけてようやく築かれた城などでもあっさり陥落してるのに
わずか2週間で築かれる即席の防衛施設なんてたかがしれてるだろ
0159人間七七四年2013/12/23(月) 20:07:19.85ID:MtnD7uR7
小牧山なんて固めたって別方向から侵攻されれば終了だし周辺の砦を秀吉方に落されれば孤立するだけ。
小牧山なんて当初から対陣する予定の場所とは全く外れたところに位置する拠点なのに
小牧山を家康が固めたとか相当馬鹿だな。
0160人間七七四年2013/12/23(月) 20:08:20.32ID:PXXsKO6C
戦国期の城郭なんてほとんどショボイ砦みたいなものが大半でしょ。
山中城とか忍城とか荒戸城の復元がネットで見られるけど城と呼ぶには到底貧相な代物だし
日本で最も厳しい天嶮が立ち並ぶ信濃とか上野とか奥三河の城だって馬鹿みたいに落城しまくってるし
堅城とか言われてる岐阜城なんて6回くらいあっさり陥落してるし
ましてそれより遥かに即席で作ったのが小牧山なわけだし
0161人間七七四年2013/12/23(月) 20:08:43.24ID:TzPLvYbJ
豊臣時代の規格外の財力の限りをつくして築城されたと思われる大阪城ですら兵力3倍程度であっさり陥落してるしね
0162人間七七四年2013/12/23(月) 20:08:45.46ID:zXJ50e5V
>>157
いやいやいやいやいや
小牧城遺構は小牧長久手の合戦の時のものとするのがとっくに定説なんだけど。
それを否定する研究者自体居ない。

なので否定する方はその根拠をきちんと提示することが必要なの。わかる?まあ解らないか君には。
0163人間七七四年2013/12/23(月) 20:09:05.84ID:NT3lcp/i
>>156
小牧山城なら発掘調査で家康による改変があったとしているな
http://www.city.komaki.aichi.jp/bunkazai/komakiyama/002844.html
0164人間七七四年2013/12/23(月) 20:09:44.41ID:GaINtqyr
織田徳川の大軍に対して行われた三河遠州侵攻作戦とか三方が原、長篠の戦いなんて武田が少ない兵力で侵攻しまくってるし対北条今川戦でも武田が侵攻側で
大国今川北条が防衛側だが北条今川相手に勝ちまくってるし信濃・上野の山間の天嶮によって割拠するガチンコ山城を攻撃側としては少ない兵力で落としまくってるからな
長篠の戦いも「まるで城のようだ」と思わせる堅固な陣地にこもった高性能鉄砲・弓で待ち構えた織田徳川の大軍に対して直前の雨でぬかるんだ地面の中、結束力0の烏合の衆で挑んだ
ガチンコ城攻めだったが天正6年成立の長篠日記によると武田軍の9時間近い長時間の猛攻後に撤退。 馬場隊700で佐久間隊6000を敗走させ柵まで追い詰め43人討ち取り
山縣隊1500で徳川隊6000を柵まで敗走させるも 大久保隊が側面へ回りこむのを必死に阻止 さらに馬場の第二次攻撃で佐久間隊崩壊寸前
まで追い詰めるも 鉄砲隊の反撃で武田は撤退。織田方6000討死。武田方7000討死
以上のように織田徳川を寡兵で圧倒しまくってるし
そもそも攻撃側は攻めるのキツイと思ったら攻めずに十分準備を整えてから攻めるか
他の拠点を攻めればいいだけだけど、防衛側は戦闘の回避→領土喪失、死につながるからそういうわけにはいかないからな。
攻撃側は兵力に勝るから戦略の幅も大きいし勝てば領土広がるから士気も上がりやすいし
兵糧物資でも圧倒的に攻撃側のが調達が容易で防御側は策源地が攻め込まれてるから長期戦になればいずれおいこまれてくだけだから短期決戦によるしかないし
寝返りが出やすく勝っても領土も広がらんし圧倒的に不利でしかない。現に攻守三倍原則より遥かに少ない兵力で攻略してる例なんていくらでもあるし
圧倒的大軍で寡兵の敵に蹴散らされるのは指揮能力が雑魚の奴だけだよ
地形を生かした陣取りの主導権握ってるのも攻撃側。兵力が勝ってるから
そこで会戦するのが嫌なら別方面に兵力展開したり誘い出す作戦練ればいいだけだし
相手が乗ってこなかったら持久戦に切り替えるなり違う拠点攻めるなりして攻撃続ければ勝手に追い込まれてくだけ
0165人間七七四年2013/12/23(月) 20:11:40.06ID:TzPLvYbJ
>>162
その定説とやらの根拠は大半が江戸期の軍記とか家譜ばかりで、ろくなソースも根拠もないただの妄想じゃん。
ほとんど希望的観測だけで言われてる事を無理矢理当たり前の常識みたいに言われても困る。
0166人間七七四年2013/12/23(月) 20:23:40.46ID:TzPLvYbJ
>>163
結局ソースはなしでネットサイトかよ。
ちなみにそのサイトは嘘ばっかり書いてるから一つ一つ指摘してやるよ。

>>天正12年3月13日、秀吉軍は、犬山城を攻略して、清須をめざし南下しようとした
秀吉軍が狙ってたのは清洲ではなく三河や遠江。清洲を攻めるだけなら伊勢方面からわざわざ転進して楽田に居座る必要は0.
>>3月18日から小牧山城跡の大改修を開始
そんな事全くやってない。ただの妄想。
>>22日には陣城が完成し、ここにたてこもった。
そんな事全くやってないし、完成したなどとどこにもかかれてない。ただの妄想
>>軍道で結び、南への進路を遮った。
軍道で結んでなんていない。ただの妄想。
>>大軍が対峙したが決戦は行われず、わずかに4月2日秀吉軍が姥ヶ懐へ来襲
そんな事全くやってない。ただの妄想。
>>翌3日に家康軍が二重堀砦を奇襲した小競り合いがあった
二重掘合戦は4月下旬〜5月上旬。これは信雄からの感状や家忠日記などでわかるし三鬼氏も書いてる。
>>家康軍も小牧山から八幡塚まで土塁を築き、防備を固めた
そんな事全くやってない。ただの妄想。
>>4月6日夜から秀吉軍の一部が東へ向かう迂回作戦を開始し
迂回ではなく九鬼の水軍なども含む陸海両面からの大規模作戦なのも知らんアホっぷり。
>>家康軍は、4月7日に秀吉軍の動きを察知
根拠なし。ただの妄想。
>>小牧村庄屋江崎善左衛門が道案内をつとめ秀吉軍を追撃し
根拠なし。ただの妄想。
>>翌朝までに小牧山城へ戻った
根拠なし。ただの妄想。
>>両軍とも防備を固め、大きな戦いはなく
戸木城の合戦、二重掘合戦、蟹江合戦など各地で戦いが起こりまくってる。
>>家康軍の榊原康正が小牧山城に行った改修は、土塁を高め、堀を深くし、要所に砦を築くなど
根拠なし。榊原がそんな事命じられてる様子もないし、一次資料はおろか家記にすら書かれてない。
>>防御工事をわずか5日間で完成させたといわれる
そんな短期間でできるわけがない。
>>麓で行われた発掘調査によって
年代比定の根拠はなし。
0167人間七七四年2013/12/23(月) 20:26:09.00ID:PXXsKO6C
幕末までの時代までにも何回も普請や改修などはされてるだろうし
戦国末期のショボイ技術でしかも短期間で即席的にそんなもんが作れるというのは
大いに疑問がつくわな
つか接触ポイントはいくらでもあるのに小牧山ばっかり固めていたって意味がないし
周辺の砦や小城郭を先に落されればアボーンだろ
0168人間七七四年2013/12/23(月) 20:28:08.19ID:3JBugkSw
小牧山なんて秀吉からすりゃただの一通過点にすぎず
元々会戦場所として全く想定されていないどころか、
攻略目標枝城の一つですらないのに家康が短期間で固めたとか
榊原に普請を命じたとか妄想ばっか書いてて相当馬鹿だな。
0169人間七七四年2013/12/23(月) 20:50:20.58ID:NT3lcp/i
>>166
発掘調査の部分を見ろよ…
0170人間七七四年2013/12/23(月) 20:59:18.11ID:MtnD7uR7
どこにも年代比定の根拠が書いてない件
0171人間七七四年2013/12/23(月) 21:00:16.39ID:iIwYDsjp
ゲリラ戦をすれば良かったんじゃねえ。大阪城を囲んでいる兵を錯乱させて、精神的苦痛を与えるってやつ。
0172人間七七四年2013/12/23(月) 21:50:51.45ID:rCLzFeTM
福島正則の入城だよ
戦のことは福島正則に全権委任
0173人間七七四年2013/12/23(月) 22:07:22.58ID:aoH6/D0X
福島なんて簡単に落城する雑魚城の岐阜城を、寝返りあり&事前情報有りで陥落させるくらいしか実績ねーじゃん
0174人間七七四年2013/12/23(月) 23:22:46.69ID:nq76jjq0
幸村が全軍指揮できてたら100%勝てただろ。
徳川軍なんて四天王が次々病死、他の諸大名も世代交代してて大した連中もいないし
大阪方の方が戦績豊富な連中多いんじゃね
0175人間七七四年2013/12/23(月) 23:40:26.02ID:6JapkmCv
冬の陣の時点でかなり劣勢だったからなぁ。

木津川口砦の戦い→徳川方の勝利(木津川口砦占拠)
今福・鴨野の戦い→徳川方の勝利(鴨野の拠点を占拠)
博労淵の戦い→徳川方の勝利(博労淵砦占拠、大阪方の守将平子正相戦死)
野田・福島の戦い→徳川方の勝利(野田・福島の拠点占拠)
その後豊臣方は残りの拠点も放棄して大阪城に逃亡

後厭戦気分になってるのはむしろ豊臣方だわな
12/15に淀殿が人質として江戸に行く替わりに、篭城浪人のための加増を条件とした和議案が豊臣方より出され、家康はこれを拒否
また大阪方は弾薬・兵糧も不足しだし、大筒を打ち込まれると即座に和睦交渉に乗っかる。
また、朝廷から後陽成上皇の命により、17日に広橋兼勝と三条西実条を使者として家康に和議を勧告した。家康はこれも拒否し、
あくまで徳川主導で交渉を進めた。
0176人間七七四年2013/12/23(月) 23:49:35.31ID:KW+iB7C6
>>126
小牧・長久手の戦いが籠城戦とか・・・

>>127
いくらなんでも塹壕戦はないだろ。
戦国時代に塹壕戦って・・・

>>129
封建主義を理解してる?封建主義制度だと総大将が討ち死に。
あるいは病没したら優勢でも帰国するんだよ。
三方ヶ原で徳川勢を散々に蹴散らした武田家だって
信玄が病没したために帰国してる。
勝頼は西進を主張したらしいが、
あの時点では正式な当主ではないから西進策は却下されてる。
0177人間七七四年2013/12/24(火) 00:12:10.20ID:Bg4VLeWg
中国西洋で言う城塞都市のまともな「城」の形にようやく少し近づいたのは
戦国後期織豊系城郭が普及した後の事だしそれ以前の日本の城塞なんて
山中城とか荒戸城とか各城郭の復元模型とか見る限りまぁお粗末なもんだよ
0178人間七七四年2013/12/24(火) 00:13:08.98ID:Vuz22SOb
信長が手こずった岐阜城とか堅城とか捏造されてるけど6回も簡単に落された雑魚城なんだよな。
単に寄せての大将が雑魚なだけでしょ。
0179人間七七四年2013/12/24(火) 00:15:05.84ID:jQFgXmdZ
織田信忠もあっさり二条城落されて殺されたしね。
0180人間七七四年2013/12/24(火) 01:42:01.48ID:ShbGd6Dk
>>174
徳川四天王はいなくても、その上の家康は健在だし、参戦した外様大名も藤堂高虎、黒田長政、細川忠興、加藤喜明、伊達政宗、上杉景勝、佐竹義宣、立花宗茂など錚々たる面子じゃん。大坂方に入れば総大将になれそうな人ばかり。
片や大坂方は真田、後藤、明石、長曽我部あたりだし、明らかに見劣りはする。
0181人間七七四年2013/12/24(火) 06:21:47.85ID:s+h82t6n
藤堂、黒田、細川、加藤(喜明)とか言われても全くといっていいほど凄みを感じないんだが。
参戦した戦自体は多くてもこれといって単体で大活躍したとか、大軍相手に蹴散らしたとかなく、
豊臣と徳川に追従しただけの連中であって、大坂方の毛利、真田、明石、後藤、長宗我部あたりの方がずっと名うての名将じゃね?
0182人間七七四年2013/12/24(火) 10:40:55.05ID:Efdbhumr
〜の支配下で活躍な人ばっかだな
0183人間七七四年2013/12/24(火) 11:13:31.93ID:cwYx28E4
そりゃアメリカ軍の規律に従いながら戦う正規兵より
自爆テロやりまくりのアルカイダ兵の方が危険で恐ろしいのと同じ理屈だろ
0184人間七七四年2013/12/24(火) 11:20:44.82ID:FOnKCjQM
アメリカ軍だのアルカイダだの訳の分からん例で例えられてもなあ
0185人間七七四年2013/12/24(火) 12:56:32.55ID:Y1HiBRuK
水軍率いて加藤義明が入城したら少しは面白くなったんじゃないか
総大将に福島正則も入れば諸将の自分勝手な行動も押さえられたと思うわ
負けの事実は変わらんだろうがな
0186人間七七四年2013/12/24(火) 13:08:41.87ID:Y1HiBRuK
嘉明…
0187人間七七四年2013/12/24(火) 20:30:37.45ID:cwYx28E4
>>184
当時の大坂方の浪人連中なんて実質はアルカイダと同じ無法集団でしかないだろ
0188人間七七四年2013/12/24(火) 21:34:08.39ID:ShbGd6Dk
>>181
後藤や明石はまだしも、真田と長曽我部なんて大坂の陣までは大した戦績ないだろ。幸村は昌幸の下で多少の経験あるだけだし長曽我部盛親は関ヶ原が初陣。毛利勝永も似たようなものだろう。
一方、藤堂黒田細川加藤嘉は場数もかなり踏んでるし、特に藤堂は慶長の役で日本水軍主導して漆川梁海戦で朝鮮水軍壊滅させてるし、
黒田も文禄の役では加藤や小西とともに先鋒務めてるし(後藤も傘下で活躍してるが)、関ヶ原は戦闘、策謀両面で活躍。少なくとも大坂の陣の前の時点では真田や長曽我部、毛利とは比べ物にならん。

まぁ真田や長曽我部、毛利も大坂の陣での戦いぶりからすると、将器はあると思われるが、大坂入城の時点では大した者とは思われてなっただろう。
0189人間七七四年2013/12/24(火) 23:59:10.73ID:FOnKCjQM
その歴戦のはずの藤堂高虎隊は味方が勝ち行く中唯一寡兵の長宗我部勢に負けまくり大損害出して死に体で帰ってきてる
確か関ヶ原合戦の際にも京極隊と連携してわずか1000そこそこの大谷隊を攻めたら大苦戦し
小早川が離反後も何度も押し返されて朽木・脇坂らが大谷隊に攻めかかるまで
ろくな戦果あげられなかったはず。
黒田長政も細川忠興と協力して6000そこそこの石田隊を攻めたらろくに戦績もない三成相手にほぼ互角の戦いで
切り崩せなかったし
大坂の陣の奮戦っぷりで見ても、個々の武将の能力でいえば大坂方の方がずっと上じゃね?
武器性能で言っても大坂方が特に勝っているはずはないしな。
0190人間七七四年2013/12/25(水) 00:11:21.09ID:8Q1cDMxH
場数踏んでるといっても豊臣徳川の日本総軍に追従しただけの戦で
単体で大敵相手に自力で戦った戦とは到底言えないからなぁ
0191人間七七四年2013/12/25(水) 07:12:41.50ID:30f646xE
>>189
長く書いてるけど
大谷も石田も大阪の陣には死んでるんだけどw
その論調なら武田信玄、今川義元に歯が立たない徳川家康率いる軍勢なんか取るに足らないってのと同じなのはわかってる?
0192人間七七四年2013/12/25(水) 10:55:04.07ID:ZeQyeXWY
関ヶ原の畿内以西の東軍兵数は『日本戦史』のそれより少ないと見るべきだよ
0193人間七七四年2013/12/25(水) 21:07:19.91ID:WuOW0BaN
決死の覚悟の少数の敵を数で押し潰すのは愚の骨頂
まして関ヶ原のような会戦は周りの状況に合わせて動かなければならない
関ヶ原の藤堂黒田細川は十分な働きをしている
むしろ関ヶ原の島津や夏の陣の大坂方のような
自隊のことしか考えない愚将がいれば
勝てる戦も勝てない
0194人間七七四年2013/12/26(木) 02:33:46.67ID:aBNmiJ1N
真田毛利は武将としてそれなりには能力あったとは思うが、
大坂の陣参戦の東軍の諸大名より能力が抜きんでているかといえばそうでもないだろ。
水野勝成が大坂方にいたとしても真田毛利並の活躍はしたと思うが。
0195人間七七四年2013/12/26(木) 10:42:56.07ID:ySGrZDxC
>>決死の覚悟の少数の敵を数で押し潰すのは愚の骨頂

お前は戦争における数の理論を全く理解していないな
例えば2対1で正面からぶつかった場合、2の方は1の方に比べて
攻撃力では2倍
防御力では相手から食らう攻撃は2分の一だから
単純に兵力が多い方は戦力の多さを全面に生かして相手をひねり潰せないとおかしいんだよ。
0196人間七七四年2013/12/26(木) 10:47:11.23ID:7uaksrzq
確かに兵力比と武器性能比の2乗=両軍の戦力比だからね
2倍くらいは兵力あっただろうに
寡兵の大谷やら石田やら長宗我部やらに正面衝突の野戦で五分五分だったり苦戦しまくった
細川や黒田や藤堂は指揮采配能力はかなり劣るとしかいいようがないわな。
大谷はまだ名将だとしても石田三成なんて武功派でもない後方支援組なのに
0197人間七七四年2013/12/26(木) 10:50:31.11ID:LxQqx1BR
兵力数と武器性能で戦争は決まるからね。
兵力比は実際にはその2乗となって戦争に影響するしこれに装備性能が加わったものが実際の戦力
これをくつがえすのはよほどの幸運・偶発的条件やうまい戦術、両将の指揮能力の差がないと無理(もちろん城攻めは別だが)
普通に平地でガチで遣り合えば100%兵力が二乗の戦力となり、装備差によって戦闘が決着する
ゲームでは統率や経略の少しの差で簡単に覆ってしまうが実際はなかなかそうはいかない

城攻めでも野戦でも兵力差が大きいと少ない方は味方の士気が下がったり離反や逃亡する兵が出る。
後詰の望みがない防戦なんてよほどの偶発的条件か両将の指揮能力のよほどの差がない限り基本勝つ可能性皆無なんだから
逆にその影響度が圧倒的に大きい兵力差をひっくり返して撃破した武将と撃破された武将はかなり大きく指揮采配能力に差があるとみるべき。
0198人間七七四年2013/12/26(木) 10:51:25.39ID:znIzHmx/
武具とか装備にはそれなりにお金がかかるからね。それはいつの時代も同じで焙烙とか
大筒とか先進的な装備や強固な陣地構築技術は畿内など生産力の高い地域を取った大名の特権みたいなもの。
後進地域や、生産力低い地域の大名はそれだけ貧相な装備で戦わなきゃいけないからかなり不利だわな
0199人間七七四年2013/12/26(木) 10:52:37.63ID:FKIfemas
人間の心理でいうなら圧倒的に大軍側のが有利。
兵力に勝るから戦略の幅も大きいし勝てば領土広がるから士気も上がりやすいし

逆に寡兵側は寝返りが出やすく勝っても領土も広がらんし圧倒的に不利でしかない。
実際戦史でみても逃亡兵や離散、寝返りが出てるのは寡兵側がほとんどで攻撃側は少ない。

兵力比や武器性能よりも心理の方が重要とか戦時中の日本軍みたいな馬鹿な発想だなw
勝てる勝てると盲信しまくって物量や装備で勝る米軍に果敢に突撃しまくったが見事にどんどん負けまくったんだろうがw
基本的に国の戦争の強さは、武器性能と国力とで決まるのが基本で心理なんてほとんど影響しない。
よっぽど大国側の指揮官が無能だったりする場合は例外だろうが
0200人間七七四年2013/12/26(木) 11:28:20.09ID:p0ZmpeaU
大体大軍の指揮には高度な指揮能力が必要で難易度高いというなら最初から頼りになる部下だけ連れて寡兵で出撃すりゃいいだけじゃん
物資兵糧調達や兵站の面・戦後の恩賞の面・行軍のスピード・機敏性など圧倒的に寡兵のがローコストでメリットも大きいんだし
それにもかかわらず毎回寡兵の敵に向けて大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃してるのはそれだけメリットが大きいんだろ
所詮大軍の指揮がどうとか妄言やいいわけにすぎん。

「大軍」は「寡兵」よりも圧倒的にアドバンテージであって、統率が難しいのではなく統率失敗するような武将は無能というだけ。

信長でも家康でも信玄でも敵が大軍であればあるほど、味方は寡兵であればあるほど苦戦や敗戦は増えてる
戦争なんて物量や兵力が圧倒的にものをいい、兵力の2乗は実際の戦力になる。
寡兵側が勝つには特別な戦術で敵を自陣深く釣り込んだり油断ついて奇襲したり地形をうまく使って包囲殲滅したり
偶発的条件、幸運などに恵まれない限り無理。普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる
0201人間七七四年2013/12/26(木) 11:30:20.41ID:T/nCasBT
普通の頭で考えれば地形に関係なく普通に正面からガチンコで戦えば大軍側が勝つに決まってるじゃん
20対10で戦った場合10人の方は結束したとしても20人分の攻撃を10人でうけなきゃいけないけど
20人の方は10人分の攻撃を20人で分散できるから一人のダメージ比は4対1だし
寡兵側が勝ってるのは相手の油断をついて奇襲・敵を自陣深くうまく釣り込んで殲滅・ポエニ戦争みたいに敵の左右の陣を突破して
包囲殲滅など優れた戦術や敵の油断をつくなど、かなりの指揮采配能力の差や、偶発的事故などが続くなりしないと無理。
普通に正面衝突すりゃ大軍側が100%勝つに決まってる
0202人間七七四年2013/12/26(木) 11:36:20.05ID:FKIfemas
豊臣家に対して重大な損益与えてるじゃん
0203人間七七四年2013/12/26(木) 12:51:23.60ID:KX5TlW8O
大坂方の善戦はバンザイ突撃故だから
0204人間七七四年2013/12/26(木) 12:54:20.31ID:p0ZmpeaU
>>203
万歳突撃とか妄想乙
0205人間七七四年2013/12/26(木) 13:14:29.92ID:KX5TlW8O
じゃあ、生還を無視した突撃で
0206人間七七四年2013/12/26(木) 13:31:39.52ID:qSthHJwZ
どっちにしろそんな史料にない妄想で、だからこそ善戦したとか妄想されても。
0207人間七七四年2013/12/26(木) 14:09:22.36ID:znIzHmx/
まぁ普通に両将の指揮采配能力の差と見るべきだろうね。
0208人間七七四年2013/12/26(木) 15:23:07.87ID:lahiSMMe
過激派と食い詰め浪人が乗っ取った城に過ぎんからな、夏の陣の大阪城は
0209人間七七四年2013/12/26(木) 19:09:37.65ID:J+qbsV5d
淀を殺せばよかったのに
0210人間七七四年2013/12/27(金) 06:02:39.85ID:addJp2dm
江の姉を殺したら大坂を攻める格好の材料だろが
0211人間七七四年2013/12/27(金) 06:33:32.15ID:0A6on5H7
>>209
何故?
開戦して勝つのが目的なら、たいした身よりもいない後家なんてどうだって良い し
和平が目的なら、実母なんだし人質にくらいならなるだろ
0212人間七七四年2013/12/27(金) 18:41:29.25ID:kZnvZoBS
>>211
夏の陣であれだけ奮戦出来るなら主戦派が提唱したように
最初(冬の陣)からやれよと思う。
0213人間七七四年2013/12/27(金) 21:38:05.69ID:0A6on5H7
>>212
それと後家の命と関係があるのか?
それに言い出したら関ヶ原の時に頑張れよに尽きる。
ガキだろうが虫けら以下だろうが秀頼はしゃべれる程度には人間だったらしいし
大野や途中退場はしたが片桐は一人前だった。

後藤は敵だったかw
0214人間七七四年2013/12/27(金) 21:39:52.90ID:9nk38EnW
大野治長も東軍だよ
0215人間七七四年2013/12/27(金) 22:50:36.84ID:7QXKyFi3
>>212
そもそも夏の陣では全く奮戦していないんだが。
ほぼ一方的のボコられただけだぞ、豊臣方は
0216人間七七四年2013/12/27(金) 23:24:29.05ID:sVLfTJt2
関ヶ原は豊臣政権内部の権力闘争なんだが…
0217人間七七四年2013/12/28(土) 06:31:05.52ID:FZXx+nV7
>>212
夏の陣で奮戦といえるレベルの戦いしたのは、一時は藤堂勢を潰滅に近い打撃与えた長宗我部盛親と、天王寺口で本多忠朝を討ち取り、他の大坂方が潰滅しても最後まで戦線維持していた毛利勝永くらいじゃね。
他はほぼ一方的にやられて終わってる。

>>213
前の方にも書いてあるが、豊臣家は関ケ原では傍観者。西軍にも非協力的。東軍が勝っても政権簒奪されるなんて思ってもみなかったんだろう。
0218人間七七四年2013/12/28(土) 09:51:20.96ID:nZArZ+O7
>>216
徳川家康対毛利輝元の時点でただの身内の権力争いで収まらないのは、流石に気付くだろ
権力争いの結果生き残った連中なんだし。

まあ、子供に何ほどの知恵があるっちゃそれまでだが、関ヶ原で傍観したツケを払っただけじゃね?


もし関ヶ原の時に、責任を三成一人に押し付けて、宇喜多と毛利を無傷で残すなんて政治力を発揮出来てたら
生き残れたんだろうけど
0219人間七七四年2013/12/28(土) 10:11:05.73ID:N3/S4+mB
大老達と奉行達が絡んだ戦があんな呆気なく終わるとは思わないべ
0220人間七七四年2013/12/28(土) 10:33:40.32ID:tTuoGuEd
>>218
誰がそんな政治力を発揮するんだよ?アホか
お前みたいな後世視点の結果論でしか物事が見えない人間を間抜けという
0221人間七七四年2013/12/28(土) 13:18:56.46ID:nZArZ+O7
>>220
誰でもわかることを出来ないからといって目を瞑るのは虫けらだなw
多分、お前もそうだろう
0222人間七七四年2013/12/28(土) 14:53:47.05ID:YiczH1q3
>>218
関ヶ原は三成が勝手に始めた戦であって豊臣が三成に出陣を命じたわけではないから
そりゃ豊臣としては傍観するしかないだろ
当時は家康でさえ会津征伐をする際に事前に秀頼に許可を取る形式を守っていたのに
それすらやらず勝手に戦いを始めた三成は危険人物でしかないからな
0223人間七七四年2013/12/30(月) 11:38:45.70ID:EfS2FTca
大坂の陣はどう考えても豊臣の詰みになっちゃうなぁ。
京に出撃して戦線拡大しても逆に滅亡を早めそうだし、長期籠城して持ち堪えて家康の死を待つのが一番現実的。(大坂方の統制力の脆弱さじゃそれも厳しいかもしれんが。)
家康死んで秀忠主導になって、幕府の方針転換してくれることに期待するしかない。
0224人間七七四年2013/12/30(月) 16:32:16.19ID:SseDEb0C
生き残るだけを考えれば詰んでるわけでは無いと思うの
0225人間七七四年2013/12/30(月) 17:40:38.31ID:3fE9x9zv
大阪の陣は冬も含めて本質的には豊臣家の自殺だよ。
0226人間七七四年2013/12/31(火) 07:30:03.49ID:HEAYIb7O
秀吉、蜂須賀正勝、黒田如水ら豊臣全盛期の武将が大坂城にいてもこの状況では勝てないと思う
0227人間七七四年2013/12/31(火) 07:55:50.68ID:PCWD06r+
いてもってかその雑魚メンバーじゃますます勝てないだろ。
織田で最も無能な信雄に圧倒的に自軍有利な状況で短期決戦しかけて糞みたいに蹴散らされる始末だし。
0228人間七七四年2013/12/31(火) 08:34:35.95ID:PsWfw0XB
毛利、真田、明石、後藤、長宗我部に全軍を与え
余裕のあった冬の陣で籠城前に家康を討つくらいしか生き残りの道はないな。
兵力差はそんな絶望的ってほどでもないし、最初の戦いで徳川勢を
撃退できていれば浪人が更に集結するかも。
関ヶ原以降、多くの大名が改易されて巷に溢れてる浪人は相当の数だったから。
0229人間七七四年2013/12/31(火) 09:13:50.16ID:suTGiRi6
全兵力を天井裏に潜ませて敵が城内に入ったとろこ襲い掛かれば余裕で殲滅できる
0230人間七七四年2013/12/31(火) 09:35:44.02ID:wdb0YS0S
冬の陣の講和のときに、堀を埋めさせるのは断固拒否すればよかったんだよ。
0231人間七七四年2013/12/31(火) 10:41:08.30ID:1ZdfbP+A
>>228
豊臣にとって浪人連中はあくまで使い捨ての駒であって
浪人連中に豊臣の指揮権を与えようなんて考えは毛頭ないだろ
そもそも浪人連中に豊臣が乗っ取られるのを許容できるなら徳川と戦う意味がない
誰にも豊臣を支配させない自分達が権力を握りたいという欲求に凝り固まっているから
わざわざ徳川と戦っているわけだし
0232人間七七四年2013/12/31(火) 12:29:12.27ID:G3fJg5u8
>>218
>もし関ヶ原の時に、責任を三成一人に押し付けて、宇喜多と毛利を無傷で残すなんて政治力を発揮出来てたら
生き残れたんだろうけど

宇喜多はともかく毛利は最初は家康もお咎め無しですますつもりだったんだけど
大阪城はいったら実際は毛利がガチで首謀者だったことが発覚したんで防長2国に改易するしかなかった
完全に潰そうとなるとホームがまだ無傷の毛利が島津辺りと組んで徹底抗戦の泥沼になるから妥協
0233人間七七四年2013/12/31(火) 12:52:18.76ID:eIlxy4+C
アホだなぁ。
ガチで首謀者なら完全に改易だよ。
防長2国は、福島・黒田の取り成しが奏功したお情け。
0234人間七七四年2013/12/31(火) 15:27:39.83ID:wdb0YS0S
結局西軍には力のある首謀者がいなかったというわけか・・・・
だからあっけなく1日で崩壊したんだな。
0235人間七七四年2013/12/31(火) 16:39:18.98ID:8IPhklhZ
>>228
浪人諸将に全権与える事はまずないだろうが、冬の陣の大坂城包囲前に家康秀忠を襲撃して側近団含めて同時に葬る事ができれば勝てる可能性は高いな。
徳川の方から和議をもちかけてくるだろう。
まぁ家康秀忠が本能寺の変での信長信忠のように手勢少数で近い場所にいたような状況があればいいんだが。
0236人間七七四年2013/12/31(火) 18:20:54.24ID:G3fJg5u8
>>233
完全に改易してしまえるだけの余力が当時の徳川になかった。
そりゃ戦えば勝てただろうけど消耗半端ないから1/4で手打ち。
0237人間七七四年2014/01/01(水) 04:07:58.24ID:9zTxpxM+
毛利輝元って馬鹿だよな
宇喜多秀家と合わせて5万の軍勢で徹底抗戦したら絶対に徳川は勝てないわ。
この状況で家康が大阪城を開ける可能性なんて0なわけだし
うっかり開けてクーデターが起きたら関ヶ原が水の泡なわけだしw
さらに関ヶ原で負けた武将、浪人武士が全国から毛利の庇護下に集まるのは火をみるより明らかなわけだし。
0238人間七七四年2014/01/01(水) 10:25:38.38ID:xG8s5wel
まぁ徹底抗戦できるほど家中は纏まってないからねぇ
0239人間七七四年2014/01/01(水) 10:50:17.65ID:6su986nW
どこにいるかも分からない宇喜多秀家とどうやって合わせて戦うんだよw
0240人間七七四年2014/01/01(水) 12:07:51.83ID:xzuQ5f8C
大坂城に籠城する理由がない。
籠城して負ける事はないかもしれないが、勝つ事は出来ない。
自領拡大の目的が望めない以上、領国無傷で手打ち出来るならベスト。
この辺からも、毛利にとって家康との対決が二の次なのがよくわかる。
0241人間七七四年2014/01/01(水) 12:12:17.27ID:ue4beeVo
そもそも大阪城に籠っても本領がどんどん東軍に侵食され放題になって、毛利なんて勝手に崩壊するわ。
0242人間七七四年2014/01/01(水) 13:24:56.35ID:ZwFfkkXa
つまり大坂城籠城の選択肢は有り得ない、という事ね。
0243人間七七四年2014/01/01(水) 13:32:25.97ID:AXnlhHau
>>242
既に詰みの状態。毛利の将兵にとっても 自分の在地>>>>>>>>>>>>>>大阪 だし
籠城なんかしたら毛利の兵はみんな逃亡しただろうな
0244人間七七四年2014/01/01(水) 15:13:57.43ID:1UXbSCgT
>>235
大御所と将軍を討ち取られて幕府が後にひけるわけがない。
他の指導部が同時に討ち取られる状況は幕府成立から12年間でただの一度も無い。
以上の点から積極的出撃は大坂方の自殺と同じ。
現実的には大野は最善というよりただ一つの方策としての籠城を選んだだけ。
ついでに言うなら出撃策を取った場合、大将は大野兄弟のどちらかであって、真田や後藤、毛利らが選ばれることはない。
これで出撃策ならまだ勝ち目があるというのは、末期ガンの患者に無茶な手術をしろと言うのと同じ。
0245人間七七四年2014/01/01(水) 15:31:55.86ID:Q7YAjr1n
>>大御所と将軍を討ち取られて幕府が後にひけるわけがない。

封建主義制度の下では総大将が討たれるか病没した場合は
全軍帰還を始めるよ。三方ヶ原で家康を打ち破り
後顧の憂いがなくなった武田も信玄が病没したために帰国したし。

>>これで出撃策ならまだ勝ち目があるというのは、末期ガンの患者に無茶な手術をしろと言うのと同じ。

冬の陣の時点で既に末期だろw
無茶な手術以外に助かる見込みが全くないんだから。
0246人間七七四年2014/01/01(水) 17:15:24.19ID:rCQ21nXv
>>244
235だけど、俺は別に出撃策が最善とは思ってない。勝つ可能性なら治長の採用した籠城策の方がまだあると思ってる。
ただ、出撃策を取るなら京進出とかの戦線拡大案ではなく、一撃必殺で家康秀忠(と側近団)を同時に葬るくらいしないと勝てないと思ってる。
大御所と将軍討ち取られて幕府の面子上は後に引けないとは言っても、大将二人居なくなったら誰も大軍動かせないだろうし、
外様大名はもちろん譜代大名も戦意失って継戦どころじゃないだろ。最終的には一旦和議結んで退却するしかないだろうとは思う。
退却後に幼少の家光が徳川将軍家の跡継ぐかもしれんが、伊達政宗あたりが娘婿の松平忠輝と組んで暗躍したりして、
本能寺後の織田家のように急激に弱体化しそうだし、再び大坂攻めなんて無理そう。そうなると豊臣恩顧の大名が豊臣に再び擦り寄ったりして、
下手すると第二次戦国時代到来かも。
0247人間七七四年2014/01/01(水) 18:35:51.68ID:Uu98jpM6
包囲前に家康秀忠の両者を討つとかどれだけのIFを重ねなきゃならないやら
史実では包囲をしいてある程度軍勢がバラけてたから本陣に迫れた訳で
0248人間七七四年2014/01/01(水) 18:44:48.32ID:AXnlhHau
>>247
「本陣に迫った」っていうのすら軍記のつくり話だけどな
0249人間七七四年2014/01/01(水) 19:57:52.29ID:xG8s5wel
ゲーム脳的には両者討ち取らないと勝利にはしてもらえないのか
0250人間七七四年2014/01/01(水) 21:09:43.86ID:6zvCat6L
関ヶ原では三成が勝手に軍を仕切って出撃決戦策を決めて大失敗に終わったという苦い経験があるから
豊臣が浪人連中を目の届く範疇に置いて管理しようと考えるのは仕方がないことだろう
浪人連中に対する豊臣の信頼なんて三成を遥かに下回るわけで
そうなると籠城しか選択肢はない
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