大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001人間七七四年
2013/09/19(木) 17:44:52.85ID:nmTcKAHP豊臣家が天下を平定するまでのシナリオを考えて下さい。
0002人間七七四年
2013/09/19(木) 20:10:57.81ID:EVGm8PBV0003人間七七四年
2013/09/19(木) 20:13:17.17ID:iq2O/RvB0004人間七七四年
2013/09/19(木) 23:35:32.16ID:E4viW/SL夏は不可能。
0005人間七七四年
2013/09/19(木) 23:51:55.00ID:gsxxFefD畿内いや、近畿地方丸ごと舞台に
遠征してきた幕府軍を野戦で撃退していれば
2,3度勝っただけで敵の士気は著しく低下していた。
そこで秀頼を全面に押し出して豊臣恩顧の大名に檄を飛ばす。
しつこいほどに内通をする。他の大名にも内通を飛ばしていることを喧伝する。
これだけで幕府軍全体が疑心暗鬼に陥り、士気がますます低下する。
実際に味方につく大名が出なくとも、動きは鈍る。
そこで焦った徳川軍本隊を一気に叩く。
それで全てが決まる、1度でも徳川本隊を叩けば、それで全てが決まる。
豊臣恩顧の大名は一斉に豊臣家への帰順を願い出るだろう。
0007人間七七四年
2013/09/20(金) 01:05:22.66ID:VyIduam7としか言いようがない
0008人間七七四年
2013/09/20(金) 02:40:24.50ID:5/qby5tT0009人間七七四年
2013/09/20(金) 06:16:00.31ID:z0bB13C9隊列組んでゆっくりと家康本陣へと進める
0010人間七七四年
2013/09/22(日) 20:17:34.64ID:AnC5gjXE来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
何れみなさんにお見せできる機会があると思います。
http://mirai660.net/castle/
0011人間七七四年
2013/09/22(日) 22:21:03.65ID:mtvFejA6全国からすねに傷を持つ連中が集結してたしな。
0012人間七七四年
2013/09/22(日) 22:55:09.86ID:/pFz3G380013人間七七四年
2013/09/24(火) 11:27:59.12ID:bLsugsLw藤原泰衡の首
http://www.urban.ne.jp/home/sochan/who/diary.files/yasuhira_head.jpg
http://www.urban.ne.jp/home/sochan/who/diary25.htm
藤原泰衡とは
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B3%B0%E8%A1%A1&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&x=wrt
石田三成の頭蓋骨
http://blogs.yahoo.co.jp/tamon19751127/34235832.html
http://blogs.yahoo.co.jp/tamon19751127/archive/2006/4/25
http://blogs.yahoo.co.jp/tamon19751127/GALLERY/show_image.html?id=34235832&no=1
http://blogs.yahoo.co.jp/tamon19751127/GALLERY/show_image.html?id=34235832&no=0
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/f6/43/tamon19751127/folder/1305275/img_1305275_34235832_1?1145981732
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/f6/43/tamon19751127/folder/1305275/img_1305275_34235832_0
石田三成の顔
http://tabigaku.net/blog/wp-content/uploads/P1000169.jpg
http://tabigaku.net/kassen-sekigahara.html
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/mitunari35.jpg
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic30.html
.
0014人間七七四年
2013/09/24(火) 21:46:03.93ID:L9f529pF0015人間七七四年
2013/09/27(金) 12:19:47.18ID:xlqg2IZChttp://www.logsoku.com/r/sengoku/1154698004/
泳げよ宇喜多秀家 by 太閤立志伝V
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5490880
0016人間七七四年
2013/09/27(金) 19:55:26.14ID:VD5Jnrlpもちろん決定的に勝利した戦闘といっていいのは真田丸くらいだが、結局負けてないからあの状態から勝利ってのも無理ゲーではないと思うんだよな
せめて家康の首が取れればなぁ
0017人間七七四年
2013/09/27(金) 20:39:57.25ID:O36KpmFP悪手にも程がある。
0018人間七七四年
2013/09/28(土) 00:05:23.04ID:1Nv3BrLN0020人間七七四年
2013/09/28(土) 00:21:48.28ID:ddGv27di幸村が家康の首に固執したのは感情からなのか
0021人間七七四年
2013/09/28(土) 17:10:37.12ID:w2ItZfzO0022人間七七四年
2013/09/28(土) 17:13:37.92ID:w2ItZfzO家康戦死の方が諸大名の動揺は断然でかい
0023人間七七四年
2013/09/28(土) 21:56:22.79ID:z4jSHq/8本能寺の明智光秀を見ると、相手に大義名分を与えてしまうことはかえってマイナスだよ
0024人間七七四年
2013/09/28(土) 21:57:07.71ID:Vm8aoIhc|;;:::::|
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0025人間七七四年
2013/09/29(日) 00:42:54.79ID:drVOljuB冬の陣なら可能性はあるが、城を包囲されているので家康までたどり着けるのかどうか。
0026人間七七四年
2013/10/03(木) 00:31:58.39ID:kf4OjR6M戦のことは福島に全権委任
秀頼を戦場に引きずりだせたかもしれないぜ
0027人間七七四年
2013/10/06(日) 16:56:29.70ID:0FZ400DT厳冬期に兵糧不足で撤退を始めた家康を討つくらいしか可能性はない
あるいは家康・秀忠撤退後に10万人の牢人衆で
畿内を制圧出来ていればなあ
0028人間七七四年
2013/10/06(日) 17:03:50.28ID:ab4m8ENF0029人間七七四年
2013/10/06(日) 20:21:15.11ID:VnjXvMmV国力だけでなく、組織・人材・技術力とあらゆる面で負けているし
精々が日中戦争を経験した日本と隠居できない浪人衆の練度が優っていたくらい
0030人間七七四年
2013/10/06(日) 20:51:07.12ID:B74YJYN0食料不足に悩まされてたのは幕府側だよ。軍馬まで食ってたし
0032人間七七四年
2013/10/06(日) 22:25:41.52ID:0FZ400DT幕府を倒すことは無理だとしても負けないことくらいは出来たかもしれない
冬の陣での家康は豊臣を舐めてたから兵糧不足なんて初歩的なミスをしてる
下手に和議に応じず撤退をさせていればねえ
0033人間七七四年
2013/10/06(日) 22:34:10.89ID:C/rqOji40035人間七七四年
2013/10/06(日) 23:15:58.84ID:Pd1gOSE5秀吉時代のノウハウもあるだろう
0036人間七七四年
2013/10/07(月) 20:54:26.42ID:y8E6anUO0037人間七七四年
2013/10/07(月) 21:23:10.38ID:v/4RDnVuかなり変わったんじゃないかな。
0038人間七七四年
2013/10/09(水) 16:34:44.79ID:zO8d2zwo大阪城を落とすには数年は必要だしその間に家康が死ねば勢力図も変わったかも・・
0039人間七七四年
2013/10/09(水) 17:19:50.64ID:yjNO6o5O0040人間七七四年
2013/10/14(月) 14:11:36.04ID:c82WNzGnこれしかない。
0041人間七七四年
2013/10/14(月) 19:53:04.51ID:11GO+vMW足利義昭みたいにラブレター書きまくるのか
0042人間七七四年
2013/10/15(火) 21:02:01.96ID:Eegj9chI0043人間七七四年
2013/10/15(火) 21:56:46.91ID:b+VuBxnc0044人間七七四年
2013/10/16(水) 13:33:10.91ID:eYjBaXtk君臣豊楽で戦争し掛けて来た徳川に対して汚いとか和議違反だとか言われる筋合いもない
0045人間七七四年
2013/10/16(水) 14:31:56.94ID:9kkw6Mw00046人間七七四年
2013/10/16(水) 16:54:38.36ID:nGm0S3TQ家康が死んで徳川方の結束が緩んで来たら
豊臣に有利な条件で和睦に応ずるくらいか
豊臣が徳川を戦で打ち破るのはどう見ても無理そうだし
0047人間七七四年
2013/10/16(水) 18:59:21.40ID:pzcPEDVv0048人間七七四年
2013/10/16(水) 20:58:04.98ID:CVGQj3E90049人間七七四年
2013/10/17(木) 17:57:58.72ID:ASePUaLw0050人間七七四年
2013/10/17(木) 18:10:32.38ID:zhRHyi13○
○○
○○○
○○○●←秀頼 ■←家康
○○○
○○
○
0051人間七七四年
2013/10/19(土) 20:03:17.15ID:jQ2kPKeJ実際はこんなだぞ
○ ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
○○ ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
○○○ ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
○○○●←秀頼 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ ■←家康
○○○ ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
○○ ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
○ ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
0052人間七七四年
2013/10/23(水) 00:05:11.92ID:Rt2R30KA0053人間七七四年
2013/10/26(土) 08:03:10.20ID:YciuXe9k0054人間七七四年
2013/10/26(土) 21:37:46.71ID:ewjb605K福島がうってつけだと思うがね
加藤浅野がいても福島以上のことは出来なかったと思う
0056人間七七四年
2013/10/27(日) 21:26:10.89ID:WagB0Bj50057人間七七四年
2013/11/01(金) 19:35:36.08ID:R1mFtZFa0058人間七七四年
2013/11/01(金) 22:10:29.61ID:kxOpK3jh0059人間七七四年
2013/11/02(土) 01:49:51.50ID:DioCluUG0060人間七七四年
2013/11/09(土) 12:22:20.45ID:Dq1nOYMqでもこれ次また攻めてくるんじゃね?
0061人間七七四年
2013/11/09(土) 22:25:21.55ID:h3ej48VN堀も埋められてるんだから野戦で家康と秀忠の主力を壊滅させない限り最後は負ける
0062人間七七四年
2013/11/10(日) 01:40:51.58ID:w8i5Lz+vどちらかを打ち取ったとしても、家康を残したなら他の誰かが後継者になるだけだし、秀忠残したらそのまま政権が続く。何年か時間を稼ぐくらいかな
0063人間七七四年
2013/11/10(日) 08:12:38.16ID:EKimoYMW0064人間七七四年
2013/11/10(日) 13:31:50.17ID:g7ZzPzZ5秀忠を打ち取る ・・・ 徳川の主力部隊の壊滅で一度撤退する可能性が高い
どちらにせよ各大名が各部隊を統制してるので総崩れみたいにはならない
夜になって自然に双方が兵を引くことになりそう
家康と秀忠討ち取ればもはや総大将になれる人材がいないから大名は自領に撤退するしかないわな
0065人間七七四年
2013/11/19(火) 20:04:00.18ID:Ft9rBMDIキリシタン勢力と結んで徳川方が大坂城包囲した時に、九州とかでキリシタンが一斉蜂起させるとか、
島原の乱クラスの反乱起こさせれば、豊臣方にも勝つ可能性は出て来るとは思うが…。
でも家康は大坂の陣の前に高山右近や内藤如安を追放して、その芽を摘み取ってるからなぁ。抜け目無さすぎ。
もし高山右近が国外追放されずに大坂入城して国内のキリシタン勢力に激飛ばしてたら面白かった気はするが。
0067人間七七四年
2013/11/20(水) 08:55:52.23ID:VeGj9MkI0068人間七七四年
2013/11/21(木) 01:25:25.67ID:AUTItAVKでも浪人以外で豊臣方に味方しそうな勢力って、禁教令で締めあげられて不満くすぶるキリシタンくらいしかいないしなぁ。
0069人間七七四年
2013/11/21(木) 06:32:41.73ID:skdHWcBS0070人間七七四年
2013/11/22(金) 18:47:12.37ID:f/2/ZKSb呼ぶとしたらスペインポルトガルか?
スペポルにそんな力あるか?
0071人間七七四年
2013/11/22(金) 18:47:55.25ID:f/2/ZKSb呼ぶとしたらスペインポルトガルだが
スペポルにそんな力あるか?
0072人間七七四年
2013/11/22(金) 18:48:31.70ID:f/2/ZKSb0073人間七七四年
2013/11/23(土) 12:27:36.35ID:wn13Z0q70074人間七七四年
2013/11/28(木) 07:07:12.53ID:X5JWnW+G0075人間七七四年
2013/12/01(日) 18:06:54.12ID:12xRVEbWまずは伏見を襲撃して占拠、その後京都所司代板倉勝重を血祭りに挙げて京占拠。そこで朝廷を無理矢理でも動かして家康秀忠追討令出させて大義名分を得る。
そこで初めて西日本の大名中心に勧誘の手紙を出す。そうすりゃ大名達も多少は迷うんじゃないのかなぁ。
0076人間七七四年
2013/12/01(日) 18:12:13.54ID:9SvfSkE9皇族の誰かに逃げられちゃうとそいつが大義の元になって
逆襲されるだろうし
0078人間七七四年
2013/12/03(火) 00:18:26.03ID:bGE01iRN侍とマスケットごとき3倍ぐらいなら余裕で追い返せる。あとはカノン砲を騎士で潰せば万全
0079人間七七四年
2013/12/03(火) 00:30:20.10ID:GEkk+HwM本陣寸前で入れ替え用の新部隊尽きて疲労したところを潰されたのが問題じゃないの
0080人間七七四年
2013/12/03(火) 02:25:40.69ID:3A2OV+3q前線部隊への圧力は強まるんじゃないの?
0082人間七七四年
2013/12/03(火) 10:06:28.54ID:3A2OV+3q毛利勝永なんて昔は統率70武力70みたいな凡将扱いだったからな
0083人間七七四年
2013/12/03(火) 12:23:35.30ID:GEkk+HwMえ?じゃあ相馬・松平忠良・酒井の隊潰した後毛利さん何してたの
西側は真田や大谷が当たってるし家康隊しか残ってないじゃん
0086人間七七四年
2013/12/08(日) 10:59:45.17ID:DsJlEpTX戦国自衛隊のノリでなんとかなると思う。
映画ではガスイーターな戦車だったが小説版では使い勝手の良い装甲車と輸送トラックだった。
師団一つでも来れば何とかなるだろ
それ以外では何をやっても無駄。
関ヶ原で日和ったツケを払うしかない。
0087人間七七四年
2013/12/17(火) 17:43:51.99ID:IPcXZGyX0088人間七七四年
2013/12/18(水) 15:59:07.28ID:BMNPu3xc九州平定での島津に比べたらまだ勝機はあったのに。
0089人間七七四年
2013/12/20(金) 23:24:08.32ID:d84k1w2i野戦をメインにするべきだった。
野戦だと弾薬不足という懸念材料を最小限に抑えられるし
それによって真冬が来るまでの時間稼ぎも出来た。
あとは兵糧不足と寒さで撤退を始めた幕府軍の背を突いて
大打撃を与えれば、幾分は畿内を制圧する時間が生み出せた。
0090人間七七四年
2013/12/20(金) 23:34:57.90ID:Oj5zkXGc0091人間七七四年
2013/12/21(土) 06:51:55.62ID:IeewGBka更に平和になったその時代に市街地戦を選択出来るわけないだろ。
真田昌幸とか黒田孝高とかがいたなら別だろうが
0092人間七七四年
2013/12/21(土) 08:11:24.75ID:X0x29Rer関ヶ原の時の豊臣家は傍観を決め込んでたからなぁ。西軍にも協力的じゃなかったし。単に豊臣家執政争いというくらいにしか思ってなかったんじゃね?
まさか勝った徳川が政権そのものを江戸に持って行っちゃうと思わなかったんだろうな。
0093人間七七四年
2013/12/21(土) 09:00:52.57ID:eC8b/8hO0094人間七七四年
2013/12/21(土) 09:23:49.30ID:7ZB+1H2Qただ個性派揃いな上になまじ腕効きなだけに豊臣家の連中じゃ扱いきれなかっただけ
0095人間七七四年
2013/12/21(土) 11:46:22.23ID:WqTfRf3U0097人間七七四年
2013/12/21(土) 12:28:59.53ID:hYnMKnr90098人間七七四年
2013/12/21(土) 12:41:41.73ID:C3OPJUDL出戦してしまった豊臣勢
結局、最後まで統率できなかったことになる
0099人間七七四年
2013/12/21(土) 18:24:08.16ID:tb+il0qu0100人間七七四年
2013/12/21(土) 18:27:27.18ID:hYnMKnr90101人間七七四年
2013/12/21(土) 18:51:47.40ID:92xmNXCOというか籠城戦じゃどうあがいても勝ち目はないし
奇跡を起こすには打って出るしかないかと・・・
沖田畷の戦いとか小牧・長久手の戦いも野戦だったからこそ
寡兵でも成果をあげられたわけ。
0102人間七七四年
2013/12/21(土) 19:30:25.70ID:v4cjzy/n戦場で万が一の奇跡にかける真田と、籠城していくらか時間を稼いで命乞いをしようとする大野らの考えは、奇跡をアテにしているという点で大した違いはないよ。
0103人間七七四年
2013/12/22(日) 00:29:36.57ID:+lTKDWqw大阪城に2〜3万くらいの兵を残して、残る7万の兵で
砦や柵を築いて幕府軍の侵攻を冬まで抑えられていたら豊臣側は大分楽に進めることが可能だった。
後詰めの期待もないのに最初から籠城を選んだ大野と淀が馬鹿過ぎなんだよ。
0104人間七七四年
2013/12/22(日) 00:40:55.66ID:mvvHpviVいくらなんでも頭が悪すぎるだろ
0105人間七七四年
2013/12/22(日) 00:41:38.52ID:diHTfw0G0106人間七七四年
2013/12/22(日) 01:40:35.92ID:ikJV7mVW0107人間七七四年
2013/12/22(日) 06:28:43.04ID:Wz+wgiU6なぜ幕府軍が豊臣がいろいろやるのを黙って見てるなんて思えるの?
大軍の集結できる場所?
関西の地理が理解できてんの?
冬の陣の段階で豊臣は詰んでんだよ。
援軍の無い籠城を愚かと嘲笑うのはいいが、できもしない真田の出戦案の無謀ぶりにも気付きなよ。
そんなんが成るぐらいなら、太平洋戦争末期の日本軍にだって勝ち目がでちゃうよ。
真田は「かっこよく死のうぜ」って言ってるだけの無理心中強要者なんだよ。
0108人間七七四年
2013/12/22(日) 06:48:26.10ID:vRW+Uaxm徳川の場合、酒井や本多らがそうやすやすと寝返るとは思えん
0109人間七七四年
2013/12/22(日) 07:16:20.10ID:loit9Ti+どちらも奇跡を当てにしてるんだったら、治長が籠城の方を選ぶのもわかるような気がする。
一か八かの出撃なんて、寄せ集めの兵じゃ一時的な勝利を掴んでも最後は各個撃破されてすぐ終わりそう。八尾若江や道明寺の戦いと同じ結果になるだろう。
籠城の方がある程度時間稼げて、相手方に不測の事態が発生する可能性もあると踏んだんだろうな。治長が馬鹿だとは思わない。
0110人間七七四年
2013/12/22(日) 09:30:17.81ID:amCM5l94それなりの見聞があるからな
0111人間七七四年
2013/12/22(日) 10:30:37.86ID:+lTKDWqw砦や城の役目すら理解してない馬鹿?
上田城攻めで真田昌幸が秀忠の率いる大軍を遅参させたように
時間稼ぎや足止めは重要だよ。
>>107
スレタイ読めよ
0112人間七七四年
2013/12/22(日) 13:03:05.82ID:1RFhliqsその見解は
例えるなら
トヨタ自動車の課長ならマツダの社長が務まるってレベルのことだ。
あれとなら真田幸村wがましかもしれん
0113人間七七四年
2013/12/22(日) 13:26:09.38ID:PRh0dRuW籠城も攻撃的な手段たり得たけど
0114人間七七四年
2013/12/22(日) 13:28:15.91ID:diHTfw0G0116人間七七四年
2013/12/22(日) 13:59:25.59ID:amCM5l94そして解体した資材を周辺に構築した砦等の増築・強化に充てる
淀川の封鎖と大坂湾への海路を確保して、後はひたすら粘る
0117人間七七四年
2013/12/22(日) 17:21:18.20ID:Wz+wgiU6出戦して戦域を拡大させた後にどうやって多数の出城を守る兵力を捻出するの?
関ヶ原の秀忠遅参は雨による伝令の遅れが原因で真田の手柄でも秀忠が無能だったわけでもない。
上田城攻略はもともと家康の命令。
美濃口の西軍が家康の陽動にまんまと引っ掛かって関ヶ原に出てきてくれたから秀忠を待たずに決戦に及んだだけ。
0118人間七七四年
2013/12/22(日) 18:06:09.57ID:1RFhliqs(?_?)
まず出城を守るってのがわからん
討って出るべきって無茶を書いてる奴は、場をかき回して、徳川方の物心両面の疲弊を狙ってんだろw
守るべきは大阪城であって出城や浪人共と戦い徳川が消耗するのを期待してるんじゃね?
後、真田がぁとか秀忠がぁってのは一部の基地外が騒いでるだけで
変わらないどころかもっと酷い史実として、
関ヶ原がもっと時間がかかってれば徳川秀忠率いる徳川方が関ヶ原になだれ込んでくるって恐怖だろ
0119人間七七四年
2013/12/22(日) 23:55:28.71ID:loit9Ti+大坂方の統制力の脆弱さじゃ伏見城落とす事もできないだろうなぁ。史実の冬の陣のように、勝てないまでも籠城して戦い、良い形での引き分け狙いが一番現実的だろう。
まぁ現実は大坂方の弾薬枯渇してしまい、負けに近い形(濠を埋める)で引き分けてしまったけど。
0120人間七七四年
2013/12/23(月) 00:45:47.59ID:KW+iB7C6>>籠城して戦い、良い形での引き分け狙いが一番現実的だろう。
それが出来なかったから滅んだんだけど・・・
弾薬不足って懸念材料があるのに野戦もせず最初から銃火器がメインの
籠城戦を選んだのがそもそもの間違い。
後詰を期待できない寡兵が大軍を撃破するには野戦に
賭けるしかないのは古今東西の常識。
0121人間七七四年
2013/12/23(月) 05:37:20.49ID:CtjkcTV2ちょっと聞きたいんだけど討って出るのに賭けるって、どこまでやれば成功になるの?
籠城は家康の寿命死による幕府の方針変化に期待、あるいは継戦費用の負担を膨大にすることで幕府の戦意を挫くことだろうけど、積極策にはどんな成算があるの?
0122人間七七四年
2013/12/23(月) 09:50:49.04ID:ckyVKvzK華々しく死ねます。
彼らを統率出来る大将が居れば良かったけど
夏の陣の段階では何をやっても手遅れ。
0123人間七七四年
2013/12/23(月) 10:03:50.06ID:NT3lcp/i0124人間七七四年
2013/12/23(月) 14:17:40.10ID:OfreiSlw0125人間七七四年
2013/12/23(月) 16:54:24.00ID:KW+iB7C6総大将を討てればそれが最上。
または小牧・長久手の戦いのように幕府軍を
攻めあぐねさせ厭戦気分を高めさせれば成功。
ただ籠城してるだけで幕府の方針が変わるわけないし
戦意を挫けるわけがない。
0126人間七七四年
2013/12/23(月) 17:33:23.94ID:NT3lcp/i0127人間七七四年
2013/12/23(月) 17:35:10.86ID:OfreiSlw0128人間七七四年
2013/12/23(月) 17:53:33.46ID:VjzZ37xL小牧長久手はまんだ九州やら関東やらが残ってたけど
0129人間七七四年
2013/12/23(月) 18:34:10.02ID:CtjkcTV2そこが間違ってる。
将軍や大御所を討たれて幕府が引っ込めるわけがない。
積極策の成功はイコール大坂方の破滅だよ。
この戦いの百万に一の可能性は時間を稼いで家康の「自然死」に期待することだけ。
討ち取っちゃダメなんだよ。
ま、自然死したって方針が変わる保証もまるで無いけどさ。
それでも可能性ゼロの真田ら浪人衆より、大野の方が理屈だけは通っていたと思うよ。
0130人間七七四年
2013/12/23(月) 19:30:16.91ID:MtnD7uR7三河物語によると柵をさへ付けさせ給わずとか書いててほとんど無防備な状態だったし
0131人間七七四年
2013/12/23(月) 19:32:56.13ID:MvHasVJJその後ビビリまくって、あれだけ周りに陣城だの砦だの堅固に普請させまくって準備したにもかかわらず
自分から敵領国に侵攻させる作戦はすっかり諦め、
秀吉は小牧山周辺の砦に留守居部隊2万以上を配置した上で、
徳川方が8分の1程度の兵力で後詰するのが危険すぎる木曽川筋の大河に挟まれた進退の効かないデルタ地帯を延々とこれ見よがしに攻めて
秀吉が毛利や佐竹あてで『必家康後巻可仕儀にて候間』『家康後詰可仕事案内与存』などと小牧山からつり出して殲滅する意図満々で必死に罠を張ってたが、
結局作戦が浅はかすぎて失敗に終わるんだよな。
結局この後は瀧川が折角作った長島と清洲を分断できる大チャンスを無駄にして、蟹江や前田や下市場を全て織田方に奪回され
眼前で8分の1の兵力で城攻めやってる織田徳川を殲滅する事すらできず、大阪にヘタレ敗走するアホっぷり。
こんな雑魚が総大将じゃ100年かかっても自力で信雄や家康を倒すなんて到底無理だわ
結局あれだけの兵力差・信雄方は会戦早々重臣含め悉く伊勢尾張美濃の味方が篭絡されてる状況でもって自力では全くといっていいほど秀吉は切り取れず
小牧山周辺の砦や、その他の地域の拠点(東駒野・戸木・松ノ木・長島・桑名・浜田・河波・長久保・前田・蟹江・二重掘など)は全て健在だし
0132人間七七四年
2013/12/23(月) 19:33:02.65ID:OfreiSlwアホか。考古学調査で徳川方の長大な塹壕と大改修された小牧城の存在が解っとるわ。
ちょっとは調べてから言えよ
0133人間七七四年
2013/12/23(月) 19:34:04.35ID:U0mFC2gLあらかじめ信雄の重臣の津川や富田らの人質を取っていたために
信雄重臣は悉く秀吉方に寝返り当初信雄につくと思ってた池田や森や尾張石田毛利氏や毛利秀頼や松ノ木近辺の諸将まで
味方につき、池田と森の南下の動きに対応した徳川方が伊勢戦線を諦め、尾張に進軍したため
火事場ドロ的に伊勢を奪えたにもかかわらず、8倍の兵力で臨んだ小牧長久手合戦では一万人戦死の大醜態。
その後は松ノ木城や東駒野城や戸木城など1000貫そこそこの雑魚領主が篭もったところに
1年一杯苦戦してろくに落すこともできず
瀧川が折角作った大チャンスも失い、蟹江前田下市場を奪回され
7月には浜田城、11月には長久保城まで奪回されるアホっぷり。
結局勝ち目なしと悟った秀吉が顕如に泣きついて取り成しを必死に要請したら
やれやれと思った信雄が仕方なく応じてやるんだよな。
0134人間七七四年
2013/12/23(月) 19:35:58.99ID:MvHasVJJそれは江戸期に入った後構築されただけ。
当時の築城技術じゃ即席でそんな大規模な塹壕や陣地の構築は不可能。
北条が長期間かけて防衛普請された山中城の復元とかネットで見れるけど
まぁ貧相な物だよ。
0135人間七七四年
2013/12/23(月) 19:38:19.66ID:5XDD4BBPお前は相当馬鹿だな。
発掘といっても年代比定は適当だろ。
楽田や小牧山は元々両軍が接触する地点として全く想定されていなかった場所だし(両軍ともに当初は伊勢方面で会戦予定だった)
そんな即席で大規模陣地なんて構築できるわけねーだろアホ。
大阪城やその周辺などとは、準備期間で言っても全く桁外れだろアホ
0136人間七七四年
2013/12/23(月) 19:39:08.73ID:PXXsKO6C戦国末期のショボイ技術でしかも短期間で即席的にそんなもんが作れるというのは
大いに疑問がつくわな
つか接触ポイントはいくらでもあるのに小牧山ばっかり固めていたって意味がないし
周辺の砦や小城郭を先に落されればアボーンだろ
0137人間七七四年
2013/12/23(月) 19:39:59.30ID:TcTFP/d8堅城であるはずの岐阜城、日本一の天嶮が立ち並ぶ信濃、上野、奥三河の山城
日本一の財力と期間で築かれた大阪城、いずれもあっさり陥落してる。
特に前二者は、ほんの短期間であっさり落ちてるし
ましてや2週間程度の即席の防衛施設なんてハナクソみたいなもんでしかないと思う
0138人間七七四年
2013/12/23(月) 19:41:50.65ID:OfreiSlw> それは江戸期に入った後構築されただけ。
そんな研究結果はない。勝手に捏造すんな。無知の上に恥知らずかよ、最悪だなお前
0140人間七七四年
2013/12/23(月) 19:45:45.46ID:U0mFC2gL小牧長久手合戦は寡兵の信雄16000が秀吉軍135000に寡兵で自分から攻めかかった攻城戦だよ。
信雄方は秀吉与党の津川氏の松ヶ島城を3月初旬に奪回し、関・田丸・岡本・津川・津田・信包・富田・榊原・
八重羽・小島など地元諸侯がなだれをうって秀吉方に付いた上に池田・森の北尾張急襲を受けた徳川軍の尾張転進の
隙をついて居留守泥棒的に奪われたが、その後秀吉本隊を含めて135000の大軍に対して短期決戦でもって1万人討ち取る大勝利。
また4月下旬に二重掘合戦で秀吉は1000そこそこの信雄勢に奇襲食らって楽田陣から見事に敗走させられてる。
その後信雄方は6/19尾張下市場城攻略(家忠日記)6/23尾張前田城攻略(家忠日記)7/3尾張蟹江城攻略(家忠日記・7/6秀吉→羽柴秀長)
7/10頃に伊勢の浜田城攻略(7/14秀吉→津田)11/10尾張長久保城攻略(11/10信雄・家康→吉村)
最初から信雄陣営は重臣連中が秀吉方に人質取られた状態から会戦してるから岡田・津川・浅井の三重臣始め、伊勢の諸将は3月上旬時点で悉く
秀吉方に寝返ってるし逆に秀吉軍は自力では全くといっていいほど雑魚信雄の領国を切り取れてないわけだが。
家康のいる小牧山周辺に2万以上の兵力を置いて動けなくした上で家康が後詰にこれない木曽川筋の進退の自由の効かないデルタ地帯の小城数城をダラダラ攻め落とすのがやっとだったじゃん。
蟹江合戦という、瀧川の作った大チャンスも秀吉のいた大垣から眼前の距離にいた自軍の10分の1程度の兵力しかいないと思われる
家康相手にビビリまくって大阪までヘタレ敗走してるし。
0141人間七七四年
2013/12/23(月) 19:46:54.24ID:5XDD4BBP何年もかけて莫大な財産かけてようやく築かれた城などでもあっさり陥落してるのに
わずか2週間で築かれる即席の防衛施設なんてたかがしれてるだろ
0142人間七七四年
2013/12/23(月) 19:48:15.74ID:MtnD7uR7戦国後期織豊系城郭が普及した後の事だしそれ以前の日本の城塞なんて
山中城とか荒戸城とか各城郭の復元模型とか見る限りまぁお粗末なもんだよ
それで日本の築城技術や防衛普請技術がしょぼ過ぎるから毎年毎年上野や信濃といった日本一の天嶮がそびえる地域ですら
馬鹿みたいに城が陥落しまくってたじゃん。
ましてそれより遥かに短期間で即席的に作ったと思われる小牧山の防衛なんてたかが知れてるわ。
堅城とか捏造されてる岐阜城なんて6回くらい馬鹿みたいにあっさり落ちてるし
0143人間七七四年
2013/12/23(月) 19:49:00.02ID:TcTFP/d8山中城とか忍城とか荒戸城の復元がネットで見られるけど城と呼ぶには到底貧相な代物だし
日本で最も厳しい天嶮が立ち並ぶ信濃とか上野とか奥三河の城だって馬鹿みたいに落城しまくってるし
堅城とか言われてる岐阜城なんて6回くらいあっさり陥落してるし
ましてそれより遥かに即席で作ったのが小牧山なわけだし
0144人間七七四年
2013/12/23(月) 19:50:03.78ID:U0mFC2gL何もせずにほっといても勝っても領土の広がらない上に兵力劣勢の城方は降伏・自落・寝返り・逃散で楽に勝てるのは
目に見えてるし長期間もたつくのはよほど寄せての大将が雑魚の時だけだよ。
0145人間七七四年
2013/12/23(月) 19:51:35.75ID:NV1MZACXだってそんな事書いてる史料ないし、家康からすれば蟹清水、外山、宇田津、比良、小幡といった
秀吉方に狙われる拠点は一杯あるわけで、小牧山なんて固めた所で周辺や背後から攻められて孤立無援にされるだけだから
そんな事したって無意味なんだよ。つか小牧山周辺の塹壕研究なんて勝手に学者が論拠もなく天正12年に無理矢理比定してるだけだろうが。
>>135
そもそも城の築かれた時期そのものが無理矢理根拠なく比定してるだけじゃん。
江戸期に築かれたものか幕末に築かれたものかもわからんのに
0146人間七七四年
2013/12/23(月) 19:54:39.39ID:TzPLvYbJ小牧山なんて当初から対陣する予定の場所とは全く外れたところに位置する拠点なのに
小牧山を家康が固めたとか相当馬鹿だな。
0147人間七七四年
2013/12/23(月) 19:55:32.78ID:OfreiSlw最低限このくらいは読んでおいて。君みたいなバカにもわかりやすく書いてあるから
史跡で読む日本の歴史 7
戦国の時代
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b37974.html
0148人間七七四年
2013/12/23(月) 19:55:42.21ID:TzPLvYbJ武田の信濃侵攻なんて侵攻側にしては大して多くもない兵力で北信濃の日本で最もキツイ天嶮山城を毎回毎回簡単に落しまくってるからな。
織田徳川の大軍に対して行われた三・遠州侵攻作戦とか三方が原、長篠の戦いなんて武田が少ない兵力で侵攻しまくってるし対北条今川戦でも武田が侵攻側で
大国今川北条が防衛側だが北条今川相手に勝ちまくってるし信濃・上野の山間の天嶮によって割拠するガチンコ山城を攻撃側としては少ない兵力で落としまくってる。
長篠の戦いも「まるで城のようだ」と思わせる堅固な陣地にこもった高性能鉄砲・弓で待ち構えた織田徳川の大軍に対して直前の雨でぬかるんだ地面の中、結束力0の烏合の衆で挑んだ
ガチンコ城攻めだったが天正6年成立の長篠日記によると武田軍の9時間近い長時間の猛攻後に撤退。 馬場隊700で佐久間隊6000を敗走させ柵まで追い詰め43人討ち取り
山縣隊1500で徳川隊6000を柵まで敗走させるも 大久保隊が側面へ回りこむのを必死に阻止 さらに馬場の第二次攻撃で佐久間隊崩壊寸前
まで追い詰めるも 鉄砲隊の反撃で武田は撤退。織田方6000討死。武田方7000討死
以上のように織田徳川を寡兵で圧倒しまくってるし
0149人間七七四年
2013/12/23(月) 19:56:49.53ID:zXJ50e5V> つか小牧山周辺の塹壕研究なんて勝手に学者が論拠もなく天正12年に無理矢理比定してるだけだろうが。
じゃあそのソースを出せ。証拠を出してから言え。証拠がない限りお前の言っていることが虚言であり捏造だ
0150人間七七四年
2013/12/23(月) 19:57:12.70ID:PXXsKO6Cだから天正12年に行われたという年代比定の根拠がなく、無理矢理決め付けてるだけじゃんって言ってるんだが
0151人間七七四年
2013/12/23(月) 19:58:41.74ID:U0mFC2gL証拠
145 :人間七七四年 :2013/12/23(月) 19:51:35.75 ID:NV1MZACX
138 :人間七七四年 :sage :2013/12/23(月) 19:41:50.65 (p)ID:OfreiSlw(6)
>>134
> それは江戸期に入った後構築されただけ。
そんな研究結果はない。勝手に捏造すんな。無知の上に恥知らずかよ、最悪だなお前
>>138
だってそんな事書いてる史料ないし、家康からすれば蟹清水、外山、宇田津、比良、小幡といった
秀吉方に狙われる拠点は一杯あるわけで、小牧山なんて固めた所で周辺や背後から攻められて孤立無援にされるだけだから
そんな事したって無意味なんだよ。つか小牧山周辺の塹壕研究なんて勝手に学者が論拠もなく天正12年に無理矢理比定してるだけだろうが。
>>135
そもそも城の築かれた時期そのものが無理矢理根拠なく比定してるだけじゃん。
江戸期に築かれたものか幕末に築かれたものかもわからんのに
146 :人間七七四年 :sage :2013/12/23(月) 19:54:39.39 (p)ID:TzPLvYbJ(2)
小牧山なんて固めたって別方向から侵攻されれば終了だし周辺の砦を秀吉方に落されれば孤立するだけ。
小牧山なんて当初から対陣する予定の場所とは全く外れたところに位置する拠点なのに
小牧山を家康が固めたとか相当馬鹿だな。
0152人間七七四年
2013/12/23(月) 20:00:16.97ID:zXJ50e5V頭に血が上ってるみたいだけどIDちゃんと確認してからそういうレス投稿しろ。
自作自演バレバレだぞ?
0153人間七七四年
2013/12/23(月) 20:01:47.23ID:OfreiSlwだから誰がどういう根拠で無理矢理と決めたんだって聞いてるんだろうが?
お前が勝手に直感で言ってるだけなんだよ。本当に頭悪いな君は
0154人間七七四年
2013/12/23(月) 20:01:48.09ID:PXXsKO6C尾張に戻ってきた3月中旬からの一ヶ月足らずの短期間でそんな堅固な陣地が構築できるなら
長期間莫大な金かけて築かれた大阪城や
大阪城よりは短くても小牧山に比べれば遥かに長期間をもって構築されたであろう岐阜城はじめ日本の城郭なんてそうそう簡単に落ちないっつーの。
信玄や謙信や氏康なんて毎年馬鹿みたいに関東や信濃などの天嶮ガチンコ山城落としまくってるじゃん。
0155人間七七四年
2013/12/23(月) 20:02:42.37ID:zXJ50e5VだからちゃんとID確認しながら書き込め。キャラがブれまくってるぞw
0156人間七七四年
2013/12/23(月) 20:03:38.13ID:1sscaOxg問題は内容なんであって、誰が書いたとかは全くどうでもいいことだな。
>>153
だから年代比定の根拠があいまいだって言ってるんだが?
それに三河物語にもちゃんと小牧山は無防備で柵も付けてなかったってちゃんと書いてる。
0157人間七七四年
2013/12/23(月) 20:05:48.03ID:GaINtqyrで、お前の年代比定の証拠は?
一般向け本の書写とかじゃなくて、ちゃんとそれが天正12年の物だという証拠をお前が出せ。
出せなきゃ単なるお前の妄想。
0158人間七七四年
2013/12/23(月) 20:06:30.99ID:PXXsKO6C何年もかけて莫大な財産かけてようやく築かれた城などでもあっさり陥落してるのに
わずか2週間で築かれる即席の防衛施設なんてたかがしれてるだろ
0159人間七七四年
2013/12/23(月) 20:07:19.85ID:MtnD7uR7小牧山なんて当初から対陣する予定の場所とは全く外れたところに位置する拠点なのに
小牧山を家康が固めたとか相当馬鹿だな。
0160人間七七四年
2013/12/23(月) 20:08:20.32ID:PXXsKO6C山中城とか忍城とか荒戸城の復元がネットで見られるけど城と呼ぶには到底貧相な代物だし
日本で最も厳しい天嶮が立ち並ぶ信濃とか上野とか奥三河の城だって馬鹿みたいに落城しまくってるし
堅城とか言われてる岐阜城なんて6回くらいあっさり陥落してるし
ましてそれより遥かに即席で作ったのが小牧山なわけだし
0161人間七七四年
2013/12/23(月) 20:08:43.24ID:TzPLvYbJ0162人間七七四年
2013/12/23(月) 20:08:45.46ID:zXJ50e5Vいやいやいやいやいや
小牧城遺構は小牧長久手の合戦の時のものとするのがとっくに定説なんだけど。
それを否定する研究者自体居ない。
なので否定する方はその根拠をきちんと提示することが必要なの。わかる?まあ解らないか君には。
0163人間七七四年
2013/12/23(月) 20:09:05.84ID:NT3lcp/i小牧山城なら発掘調査で家康による改変があったとしているな
http://www.city.komaki.aichi.jp/bunkazai/komakiyama/002844.html
0164人間七七四年
2013/12/23(月) 20:09:44.41ID:GaINtqyr大国今川北条が防衛側だが北条今川相手に勝ちまくってるし信濃・上野の山間の天嶮によって割拠するガチンコ山城を攻撃側としては少ない兵力で落としまくってるからな
長篠の戦いも「まるで城のようだ」と思わせる堅固な陣地にこもった高性能鉄砲・弓で待ち構えた織田徳川の大軍に対して直前の雨でぬかるんだ地面の中、結束力0の烏合の衆で挑んだ
ガチンコ城攻めだったが天正6年成立の長篠日記によると武田軍の9時間近い長時間の猛攻後に撤退。 馬場隊700で佐久間隊6000を敗走させ柵まで追い詰め43人討ち取り
山縣隊1500で徳川隊6000を柵まで敗走させるも 大久保隊が側面へ回りこむのを必死に阻止 さらに馬場の第二次攻撃で佐久間隊崩壊寸前
まで追い詰めるも 鉄砲隊の反撃で武田は撤退。織田方6000討死。武田方7000討死
以上のように織田徳川を寡兵で圧倒しまくってるし
そもそも攻撃側は攻めるのキツイと思ったら攻めずに十分準備を整えてから攻めるか
他の拠点を攻めればいいだけだけど、防衛側は戦闘の回避→領土喪失、死につながるからそういうわけにはいかないからな。
攻撃側は兵力に勝るから戦略の幅も大きいし勝てば領土広がるから士気も上がりやすいし
兵糧物資でも圧倒的に攻撃側のが調達が容易で防御側は策源地が攻め込まれてるから長期戦になればいずれおいこまれてくだけだから短期決戦によるしかないし
寝返りが出やすく勝っても領土も広がらんし圧倒的に不利でしかない。現に攻守三倍原則より遥かに少ない兵力で攻略してる例なんていくらでもあるし
圧倒的大軍で寡兵の敵に蹴散らされるのは指揮能力が雑魚の奴だけだよ
地形を生かした陣取りの主導権握ってるのも攻撃側。兵力が勝ってるから
そこで会戦するのが嫌なら別方面に兵力展開したり誘い出す作戦練ればいいだけだし
相手が乗ってこなかったら持久戦に切り替えるなり違う拠点攻めるなりして攻撃続ければ勝手に追い込まれてくだけ
0165人間七七四年
2013/12/23(月) 20:11:40.06ID:TzPLvYbJその定説とやらの根拠は大半が江戸期の軍記とか家譜ばかりで、ろくなソースも根拠もないただの妄想じゃん。
ほとんど希望的観測だけで言われてる事を無理矢理当たり前の常識みたいに言われても困る。
0166人間七七四年
2013/12/23(月) 20:23:40.46ID:TzPLvYbJ結局ソースはなしでネットサイトかよ。
ちなみにそのサイトは嘘ばっかり書いてるから一つ一つ指摘してやるよ。
>>天正12年3月13日、秀吉軍は、犬山城を攻略して、清須をめざし南下しようとした
秀吉軍が狙ってたのは清洲ではなく三河や遠江。清洲を攻めるだけなら伊勢方面からわざわざ転進して楽田に居座る必要は0.
>>3月18日から小牧山城跡の大改修を開始
そんな事全くやってない。ただの妄想。
>>22日には陣城が完成し、ここにたてこもった。
そんな事全くやってないし、完成したなどとどこにもかかれてない。ただの妄想
>>軍道で結び、南への進路を遮った。
軍道で結んでなんていない。ただの妄想。
>>大軍が対峙したが決戦は行われず、わずかに4月2日秀吉軍が姥ヶ懐へ来襲
そんな事全くやってない。ただの妄想。
>>翌3日に家康軍が二重堀砦を奇襲した小競り合いがあった
二重掘合戦は4月下旬〜5月上旬。これは信雄からの感状や家忠日記などでわかるし三鬼氏も書いてる。
>>家康軍も小牧山から八幡塚まで土塁を築き、防備を固めた
そんな事全くやってない。ただの妄想。
>>4月6日夜から秀吉軍の一部が東へ向かう迂回作戦を開始し
迂回ではなく九鬼の水軍なども含む陸海両面からの大規模作戦なのも知らんアホっぷり。
>>家康軍は、4月7日に秀吉軍の動きを察知
根拠なし。ただの妄想。
>>小牧村庄屋江崎善左衛門が道案内をつとめ秀吉軍を追撃し
根拠なし。ただの妄想。
>>翌朝までに小牧山城へ戻った
根拠なし。ただの妄想。
>>両軍とも防備を固め、大きな戦いはなく
戸木城の合戦、二重掘合戦、蟹江合戦など各地で戦いが起こりまくってる。
>>家康軍の榊原康正が小牧山城に行った改修は、土塁を高め、堀を深くし、要所に砦を築くなど
根拠なし。榊原がそんな事命じられてる様子もないし、一次資料はおろか家記にすら書かれてない。
>>防御工事をわずか5日間で完成させたといわれる
そんな短期間でできるわけがない。
>>麓で行われた発掘調査によって
年代比定の根拠はなし。
0167人間七七四年
2013/12/23(月) 20:26:09.00ID:PXXsKO6C戦国末期のショボイ技術でしかも短期間で即席的にそんなもんが作れるというのは
大いに疑問がつくわな
つか接触ポイントはいくらでもあるのに小牧山ばっかり固めていたって意味がないし
周辺の砦や小城郭を先に落されればアボーンだろ
0168人間七七四年
2013/12/23(月) 20:28:08.19ID:3JBugkSw元々会戦場所として全く想定されていないどころか、
攻略目標枝城の一つですらないのに家康が短期間で固めたとか
榊原に普請を命じたとか妄想ばっか書いてて相当馬鹿だな。
0170人間七七四年
2013/12/23(月) 20:59:18.11ID:MtnD7uR70171人間七七四年
2013/12/23(月) 21:00:16.39ID:iIwYDsjp0172人間七七四年
2013/12/23(月) 21:50:51.45ID:rCLzFeTM戦のことは福島正則に全権委任
0173人間七七四年
2013/12/23(月) 22:07:22.58ID:aoH6/D0X0174人間七七四年
2013/12/23(月) 23:22:46.69ID:nq76jjq0徳川軍なんて四天王が次々病死、他の諸大名も世代交代してて大した連中もいないし
大阪方の方が戦績豊富な連中多いんじゃね
0175人間七七四年
2013/12/23(月) 23:40:26.02ID:6JapkmCv木津川口砦の戦い→徳川方の勝利(木津川口砦占拠)
今福・鴨野の戦い→徳川方の勝利(鴨野の拠点を占拠)
博労淵の戦い→徳川方の勝利(博労淵砦占拠、大阪方の守将平子正相戦死)
野田・福島の戦い→徳川方の勝利(野田・福島の拠点占拠)
その後豊臣方は残りの拠点も放棄して大阪城に逃亡
後厭戦気分になってるのはむしろ豊臣方だわな
12/15に淀殿が人質として江戸に行く替わりに、篭城浪人のための加増を条件とした和議案が豊臣方より出され、家康はこれを拒否
また大阪方は弾薬・兵糧も不足しだし、大筒を打ち込まれると即座に和睦交渉に乗っかる。
また、朝廷から後陽成上皇の命により、17日に広橋兼勝と三条西実条を使者として家康に和議を勧告した。家康はこれも拒否し、
あくまで徳川主導で交渉を進めた。
0176人間七七四年
2013/12/23(月) 23:49:35.31ID:KW+iB7C6小牧・長久手の戦いが籠城戦とか・・・
>>127
いくらなんでも塹壕戦はないだろ。
戦国時代に塹壕戦って・・・
>>129
封建主義を理解してる?封建主義制度だと総大将が討ち死に。
あるいは病没したら優勢でも帰国するんだよ。
三方ヶ原で徳川勢を散々に蹴散らした武田家だって
信玄が病没したために帰国してる。
勝頼は西進を主張したらしいが、
あの時点では正式な当主ではないから西進策は却下されてる。
0177人間七七四年
2013/12/24(火) 00:12:10.20ID:Bg4VLeWg戦国後期織豊系城郭が普及した後の事だしそれ以前の日本の城塞なんて
山中城とか荒戸城とか各城郭の復元模型とか見る限りまぁお粗末なもんだよ
0178人間七七四年
2013/12/24(火) 00:13:08.98ID:Vuz22SOb単に寄せての大将が雑魚なだけでしょ。
0179人間七七四年
2013/12/24(火) 00:15:05.84ID:jQFgXmdZ0180人間七七四年
2013/12/24(火) 01:42:01.48ID:ShbGd6Dk徳川四天王はいなくても、その上の家康は健在だし、参戦した外様大名も藤堂高虎、黒田長政、細川忠興、加藤喜明、伊達政宗、上杉景勝、佐竹義宣、立花宗茂など錚々たる面子じゃん。大坂方に入れば総大将になれそうな人ばかり。
片や大坂方は真田、後藤、明石、長曽我部あたりだし、明らかに見劣りはする。
0181人間七七四年
2013/12/24(火) 06:21:47.85ID:s+h82t6n参戦した戦自体は多くてもこれといって単体で大活躍したとか、大軍相手に蹴散らしたとかなく、
豊臣と徳川に追従しただけの連中であって、大坂方の毛利、真田、明石、後藤、長宗我部あたりの方がずっと名うての名将じゃね?
0182人間七七四年
2013/12/24(火) 10:40:55.05ID:Efdbhumr0183人間七七四年
2013/12/24(火) 11:13:31.93ID:cwYx28E4自爆テロやりまくりのアルカイダ兵の方が危険で恐ろしいのと同じ理屈だろ
0184人間七七四年
2013/12/24(火) 11:20:44.82ID:FOnKCjQM0185人間七七四年
2013/12/24(火) 12:56:32.55ID:Y1HiBRuK総大将に福島正則も入れば諸将の自分勝手な行動も押さえられたと思うわ
負けの事実は変わらんだろうがな
0186人間七七四年
2013/12/24(火) 13:08:41.87ID:Y1HiBRuK0188人間七七四年
2013/12/24(火) 21:34:08.39ID:ShbGd6Dk後藤や明石はまだしも、真田と長曽我部なんて大坂の陣までは大した戦績ないだろ。幸村は昌幸の下で多少の経験あるだけだし長曽我部盛親は関ヶ原が初陣。毛利勝永も似たようなものだろう。
一方、藤堂黒田細川加藤嘉は場数もかなり踏んでるし、特に藤堂は慶長の役で日本水軍主導して漆川梁海戦で朝鮮水軍壊滅させてるし、
黒田も文禄の役では加藤や小西とともに先鋒務めてるし(後藤も傘下で活躍してるが)、関ヶ原は戦闘、策謀両面で活躍。少なくとも大坂の陣の前の時点では真田や長曽我部、毛利とは比べ物にならん。
まぁ真田や長曽我部、毛利も大坂の陣での戦いぶりからすると、将器はあると思われるが、大坂入城の時点では大した者とは思われてなっただろう。
0189人間七七四年
2013/12/24(火) 23:59:10.73ID:FOnKCjQM確か関ヶ原合戦の際にも京極隊と連携してわずか1000そこそこの大谷隊を攻めたら大苦戦し
小早川が離反後も何度も押し返されて朽木・脇坂らが大谷隊に攻めかかるまで
ろくな戦果あげられなかったはず。
黒田長政も細川忠興と協力して6000そこそこの石田隊を攻めたらろくに戦績もない三成相手にほぼ互角の戦いで
切り崩せなかったし
大坂の陣の奮戦っぷりで見ても、個々の武将の能力でいえば大坂方の方がずっと上じゃね?
武器性能で言っても大坂方が特に勝っているはずはないしな。
0190人間七七四年
2013/12/25(水) 00:11:21.09ID:8Q1cDMxH単体で大敵相手に自力で戦った戦とは到底言えないからなぁ
0191人間七七四年
2013/12/25(水) 07:12:41.50ID:30f646xE長く書いてるけど
大谷も石田も大阪の陣には死んでるんだけどw
その論調なら武田信玄、今川義元に歯が立たない徳川家康率いる軍勢なんか取るに足らないってのと同じなのはわかってる?
0192人間七七四年
2013/12/25(水) 10:55:04.07ID:ZeQyeXWY0193人間七七四年
2013/12/25(水) 21:07:19.91ID:WuOW0BaNまして関ヶ原のような会戦は周りの状況に合わせて動かなければならない
関ヶ原の藤堂黒田細川は十分な働きをしている
むしろ関ヶ原の島津や夏の陣の大坂方のような
自隊のことしか考えない愚将がいれば
勝てる戦も勝てない
0194人間七七四年
2013/12/26(木) 02:33:46.67ID:aBNmiJ1N大坂の陣参戦の東軍の諸大名より能力が抜きんでているかといえばそうでもないだろ。
水野勝成が大坂方にいたとしても真田毛利並の活躍はしたと思うが。
0195人間七七四年
2013/12/26(木) 10:42:56.07ID:ySGrZDxCお前は戦争における数の理論を全く理解していないな
例えば2対1で正面からぶつかった場合、2の方は1の方に比べて
攻撃力では2倍
防御力では相手から食らう攻撃は2分の一だから
単純に兵力が多い方は戦力の多さを全面に生かして相手をひねり潰せないとおかしいんだよ。
0196人間七七四年
2013/12/26(木) 10:47:11.23ID:7uaksrzq2倍くらいは兵力あっただろうに
寡兵の大谷やら石田やら長宗我部やらに正面衝突の野戦で五分五分だったり苦戦しまくった
細川や黒田や藤堂は指揮采配能力はかなり劣るとしかいいようがないわな。
大谷はまだ名将だとしても石田三成なんて武功派でもない後方支援組なのに
0197人間七七四年
2013/12/26(木) 10:50:31.11ID:LxQqx1BR兵力比は実際にはその2乗となって戦争に影響するしこれに装備性能が加わったものが実際の戦力
これをくつがえすのはよほどの幸運・偶発的条件やうまい戦術、両将の指揮能力の差がないと無理(もちろん城攻めは別だが)
普通に平地でガチで遣り合えば100%兵力が二乗の戦力となり、装備差によって戦闘が決着する
ゲームでは統率や経略の少しの差で簡単に覆ってしまうが実際はなかなかそうはいかない
城攻めでも野戦でも兵力差が大きいと少ない方は味方の士気が下がったり離反や逃亡する兵が出る。
後詰の望みがない防戦なんてよほどの偶発的条件か両将の指揮能力のよほどの差がない限り基本勝つ可能性皆無なんだから
逆にその影響度が圧倒的に大きい兵力差をひっくり返して撃破した武将と撃破された武将はかなり大きく指揮采配能力に差があるとみるべき。
0198人間七七四年
2013/12/26(木) 10:51:25.39ID:znIzHmx/大筒とか先進的な装備や強固な陣地構築技術は畿内など生産力の高い地域を取った大名の特権みたいなもの。
後進地域や、生産力低い地域の大名はそれだけ貧相な装備で戦わなきゃいけないからかなり不利だわな
0199人間七七四年
2013/12/26(木) 10:52:37.63ID:FKIfemas兵力に勝るから戦略の幅も大きいし勝てば領土広がるから士気も上がりやすいし
逆に寡兵側は寝返りが出やすく勝っても領土も広がらんし圧倒的に不利でしかない。
実際戦史でみても逃亡兵や離散、寝返りが出てるのは寡兵側がほとんどで攻撃側は少ない。
兵力比や武器性能よりも心理の方が重要とか戦時中の日本軍みたいな馬鹿な発想だなw
勝てる勝てると盲信しまくって物量や装備で勝る米軍に果敢に突撃しまくったが見事にどんどん負けまくったんだろうがw
基本的に国の戦争の強さは、武器性能と国力とで決まるのが基本で心理なんてほとんど影響しない。
よっぽど大国側の指揮官が無能だったりする場合は例外だろうが
0200人間七七四年
2013/12/26(木) 11:28:20.09ID:p0ZmpeaU物資兵糧調達や兵站の面・戦後の恩賞の面・行軍のスピード・機敏性など圧倒的に寡兵のがローコストでメリットも大きいんだし
それにもかかわらず毎回寡兵の敵に向けて大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃してるのはそれだけメリットが大きいんだろ
所詮大軍の指揮がどうとか妄言やいいわけにすぎん。
「大軍」は「寡兵」よりも圧倒的にアドバンテージであって、統率が難しいのではなく統率失敗するような武将は無能というだけ。
信長でも家康でも信玄でも敵が大軍であればあるほど、味方は寡兵であればあるほど苦戦や敗戦は増えてる
戦争なんて物量や兵力が圧倒的にものをいい、兵力の2乗は実際の戦力になる。
寡兵側が勝つには特別な戦術で敵を自陣深く釣り込んだり油断ついて奇襲したり地形をうまく使って包囲殲滅したり
偶発的条件、幸運などに恵まれない限り無理。普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる
0201人間七七四年
2013/12/26(木) 11:30:20.41ID:T/nCasBT20対10で戦った場合10人の方は結束したとしても20人分の攻撃を10人でうけなきゃいけないけど
20人の方は10人分の攻撃を20人で分散できるから一人のダメージ比は4対1だし
寡兵側が勝ってるのは相手の油断をついて奇襲・敵を自陣深くうまく釣り込んで殲滅・ポエニ戦争みたいに敵の左右の陣を突破して
包囲殲滅など優れた戦術や敵の油断をつくなど、かなりの指揮采配能力の差や、偶発的事故などが続くなりしないと無理。
普通に正面衝突すりゃ大軍側が100%勝つに決まってる
0202人間七七四年
2013/12/26(木) 11:36:20.05ID:FKIfemas0203人間七七四年
2013/12/26(木) 12:51:23.60ID:KX5TlW8O0205人間七七四年
2013/12/26(木) 13:14:29.92ID:KX5TlW8O0206人間七七四年
2013/12/26(木) 13:31:39.52ID:qSthHJwZ0207人間七七四年
2013/12/26(木) 14:09:22.36ID:znIzHmx/0208人間七七四年
2013/12/26(木) 15:23:07.87ID:lahiSMMe0209人間七七四年
2013/12/26(木) 19:09:37.65ID:J+qbsV5d0210人間七七四年
2013/12/27(金) 06:02:39.85ID:addJp2dm0211人間七七四年
2013/12/27(金) 06:33:32.15ID:0A6on5H7何故?
開戦して勝つのが目的なら、たいした身よりもいない後家なんてどうだって良い し
和平が目的なら、実母なんだし人質にくらいならなるだろ
0213人間七七四年
2013/12/27(金) 21:38:05.69ID:0A6on5H7それと後家の命と関係があるのか?
それに言い出したら関ヶ原の時に頑張れよに尽きる。
ガキだろうが虫けら以下だろうが秀頼はしゃべれる程度には人間だったらしいし
大野や途中退場はしたが片桐は一人前だった。
後藤は敵だったかw
0214人間七七四年
2013/12/27(金) 21:39:52.90ID:9nk38EnW0216人間七七四年
2013/12/27(金) 23:24:29.05ID:sVLfTJt20217人間七七四年
2013/12/28(土) 06:31:05.52ID:FZXx+nV7夏の陣で奮戦といえるレベルの戦いしたのは、一時は藤堂勢を潰滅に近い打撃与えた長宗我部盛親と、天王寺口で本多忠朝を討ち取り、他の大坂方が潰滅しても最後まで戦線維持していた毛利勝永くらいじゃね。
他はほぼ一方的にやられて終わってる。
>>213
前の方にも書いてあるが、豊臣家は関ケ原では傍観者。西軍にも非協力的。東軍が勝っても政権簒奪されるなんて思ってもみなかったんだろう。
0218人間七七四年
2013/12/28(土) 09:51:20.96ID:nZArZ+O7徳川家康対毛利輝元の時点でただの身内の権力争いで収まらないのは、流石に気付くだろ
権力争いの結果生き残った連中なんだし。
まあ、子供に何ほどの知恵があるっちゃそれまでだが、関ヶ原で傍観したツケを払っただけじゃね?
もし関ヶ原の時に、責任を三成一人に押し付けて、宇喜多と毛利を無傷で残すなんて政治力を発揮出来てたら
生き残れたんだろうけど
0219人間七七四年
2013/12/28(土) 10:11:05.73ID:N3/S4+mB0220人間七七四年
2013/12/28(土) 10:33:40.32ID:tTuoGuEd誰がそんな政治力を発揮するんだよ?アホか
お前みたいな後世視点の結果論でしか物事が見えない人間を間抜けという
0221人間七七四年
2013/12/28(土) 13:18:56.46ID:nZArZ+O7誰でもわかることを出来ないからといって目を瞑るのは虫けらだなw
多分、お前もそうだろう
0222人間七七四年
2013/12/28(土) 14:53:47.05ID:YiczH1q3関ヶ原は三成が勝手に始めた戦であって豊臣が三成に出陣を命じたわけではないから
そりゃ豊臣としては傍観するしかないだろ
当時は家康でさえ会津征伐をする際に事前に秀頼に許可を取る形式を守っていたのに
それすらやらず勝手に戦いを始めた三成は危険人物でしかないからな
0223人間七七四年
2013/12/30(月) 11:38:45.70ID:EfS2FTca京に出撃して戦線拡大しても逆に滅亡を早めそうだし、長期籠城して持ち堪えて家康の死を待つのが一番現実的。(大坂方の統制力の脆弱さじゃそれも厳しいかもしれんが。)
家康死んで秀忠主導になって、幕府の方針転換してくれることに期待するしかない。
0224人間七七四年
2013/12/30(月) 16:32:16.19ID:SseDEb0C0225人間七七四年
2013/12/30(月) 17:40:38.31ID:3fE9x9zv0226人間七七四年
2013/12/31(火) 07:30:03.49ID:HEAYIb7O0227人間七七四年
2013/12/31(火) 07:55:50.68ID:PCWD06r+織田で最も無能な信雄に圧倒的に自軍有利な状況で短期決戦しかけて糞みたいに蹴散らされる始末だし。
0228人間七七四年
2013/12/31(火) 08:34:35.95ID:PsWfw0XB余裕のあった冬の陣で籠城前に家康を討つくらいしか生き残りの道はないな。
兵力差はそんな絶望的ってほどでもないし、最初の戦いで徳川勢を
撃退できていれば浪人が更に集結するかも。
関ヶ原以降、多くの大名が改易されて巷に溢れてる浪人は相当の数だったから。
0229人間七七四年
2013/12/31(火) 09:13:50.16ID:suTGiRi60230人間七七四年
2013/12/31(火) 09:35:44.02ID:wdb0YS0S0231人間七七四年
2013/12/31(火) 10:41:08.30ID:1ZdfbP+A豊臣にとって浪人連中はあくまで使い捨ての駒であって
浪人連中に豊臣の指揮権を与えようなんて考えは毛頭ないだろ
そもそも浪人連中に豊臣が乗っ取られるのを許容できるなら徳川と戦う意味がない
誰にも豊臣を支配させない自分達が権力を握りたいという欲求に凝り固まっているから
わざわざ徳川と戦っているわけだし
0232人間七七四年
2013/12/31(火) 12:29:12.27ID:G3fJg5u8>もし関ヶ原の時に、責任を三成一人に押し付けて、宇喜多と毛利を無傷で残すなんて政治力を発揮出来てたら
生き残れたんだろうけど
宇喜多はともかく毛利は最初は家康もお咎め無しですますつもりだったんだけど
大阪城はいったら実際は毛利がガチで首謀者だったことが発覚したんで防長2国に改易するしかなかった
完全に潰そうとなるとホームがまだ無傷の毛利が島津辺りと組んで徹底抗戦の泥沼になるから妥協
0233人間七七四年
2013/12/31(火) 12:52:18.76ID:eIlxy4+Cガチで首謀者なら完全に改易だよ。
防長2国は、福島・黒田の取り成しが奏功したお情け。
0234人間七七四年
2013/12/31(火) 15:27:39.83ID:wdb0YS0Sだからあっけなく1日で崩壊したんだな。
0235人間七七四年
2013/12/31(火) 16:39:18.98ID:8IPhklhZ浪人諸将に全権与える事はまずないだろうが、冬の陣の大坂城包囲前に家康秀忠を襲撃して側近団含めて同時に葬る事ができれば勝てる可能性は高いな。
徳川の方から和議をもちかけてくるだろう。
まぁ家康秀忠が本能寺の変での信長信忠のように手勢少数で近い場所にいたような状況があればいいんだが。
0236人間七七四年
2013/12/31(火) 18:20:54.24ID:G3fJg5u8完全に改易してしまえるだけの余力が当時の徳川になかった。
そりゃ戦えば勝てただろうけど消耗半端ないから1/4で手打ち。
0237人間七七四年
2014/01/01(水) 04:07:58.24ID:9zTxpxM+宇喜多秀家と合わせて5万の軍勢で徹底抗戦したら絶対に徳川は勝てないわ。
この状況で家康が大阪城を開ける可能性なんて0なわけだし
うっかり開けてクーデターが起きたら関ヶ原が水の泡なわけだしw
さらに関ヶ原で負けた武将、浪人武士が全国から毛利の庇護下に集まるのは火をみるより明らかなわけだし。
0238人間七七四年
2014/01/01(水) 10:25:38.38ID:xG8s5wel0239人間七七四年
2014/01/01(水) 10:50:17.65ID:6su986nW0240人間七七四年
2014/01/01(水) 12:07:51.83ID:xzuQ5f8C籠城して負ける事はないかもしれないが、勝つ事は出来ない。
自領拡大の目的が望めない以上、領国無傷で手打ち出来るならベスト。
この辺からも、毛利にとって家康との対決が二の次なのがよくわかる。
0241人間七七四年
2014/01/01(水) 12:12:17.27ID:ue4beeVo0242人間七七四年
2014/01/01(水) 13:24:56.35ID:ZwFfkkXa0243人間七七四年
2014/01/01(水) 13:32:25.97ID:AXnlhHau既に詰みの状態。毛利の将兵にとっても 自分の在地>>>>>>>>>>>>>>大阪 だし
籠城なんかしたら毛利の兵はみんな逃亡しただろうな
0244人間七七四年
2014/01/01(水) 15:13:57.43ID:1UXbSCgT大御所と将軍を討ち取られて幕府が後にひけるわけがない。
他の指導部が同時に討ち取られる状況は幕府成立から12年間でただの一度も無い。
以上の点から積極的出撃は大坂方の自殺と同じ。
現実的には大野は最善というよりただ一つの方策としての籠城を選んだだけ。
ついでに言うなら出撃策を取った場合、大将は大野兄弟のどちらかであって、真田や後藤、毛利らが選ばれることはない。
これで出撃策ならまだ勝ち目があるというのは、末期ガンの患者に無茶な手術をしろと言うのと同じ。
0245人間七七四年
2014/01/01(水) 15:31:55.86ID:Q7YAjr1n封建主義制度の下では総大将が討たれるか病没した場合は
全軍帰還を始めるよ。三方ヶ原で家康を打ち破り
後顧の憂いがなくなった武田も信玄が病没したために帰国したし。
>>これで出撃策ならまだ勝ち目があるというのは、末期ガンの患者に無茶な手術をしろと言うのと同じ。
冬の陣の時点で既に末期だろw
無茶な手術以外に助かる見込みが全くないんだから。
0246人間七七四年
2014/01/01(水) 17:15:24.19ID:rCQ21nXv235だけど、俺は別に出撃策が最善とは思ってない。勝つ可能性なら治長の採用した籠城策の方がまだあると思ってる。
ただ、出撃策を取るなら京進出とかの戦線拡大案ではなく、一撃必殺で家康秀忠(と側近団)を同時に葬るくらいしないと勝てないと思ってる。
大御所と将軍討ち取られて幕府の面子上は後に引けないとは言っても、大将二人居なくなったら誰も大軍動かせないだろうし、
外様大名はもちろん譜代大名も戦意失って継戦どころじゃないだろ。最終的には一旦和議結んで退却するしかないだろうとは思う。
退却後に幼少の家光が徳川将軍家の跡継ぐかもしれんが、伊達政宗あたりが娘婿の松平忠輝と組んで暗躍したりして、
本能寺後の織田家のように急激に弱体化しそうだし、再び大坂攻めなんて無理そう。そうなると豊臣恩顧の大名が豊臣に再び擦り寄ったりして、
下手すると第二次戦国時代到来かも。
0247人間七七四年
2014/01/01(水) 18:35:51.68ID:Uu98jpM6史実では包囲をしいてある程度軍勢がバラけてたから本陣に迫れた訳で
0249人間七七四年
2014/01/01(水) 19:57:52.29ID:xG8s5wel0250人間七七四年
2014/01/01(水) 21:09:43.86ID:6zvCat6L豊臣が浪人連中を目の届く範疇に置いて管理しようと考えるのは仕方がないことだろう
浪人連中に対する豊臣の信頼なんて三成を遥かに下回るわけで
そうなると籠城しか選択肢はない
0251人間七七四年
2014/01/01(水) 23:46:08.64ID:Y6HqLTSf淀君側近の者が国崩しの被害者になったって本当かよ。国崩しで大坂城の防御性が悪くなったのならわかりやすいの
だが。
0252人間七七四年
2014/01/02(木) 00:13:40.90ID:/r+fV5/a0253人間七七四年
2014/01/02(木) 00:30:26.01ID:47a/l2eLもし万一、ここで勝てば
西日本の大名の連絡網が途絶え大阪方に取り込めるチャンスがあった
(秀頼大勝、家康・秀忠討死など流言を大々的に流すのは言うまでもない)
もし負けてもしんがりを川の手前に残し、残った軍勢が大阪に立て籠もれば済むだけの話。
多少は兵は減るけど、むしろ兵糧を節約できて申し分ない。
0255人間七七四年
2014/01/02(木) 00:56:00.89ID:47a/l2eL取り込めなくとも中立にはなりえただろうね
長州征伐で幕府が勝てなかった瞬間に全国の大名は一斉に中立化したし。
0256人間七七四年
2014/01/02(木) 00:59:38.03ID:50GdH7Yn最後国も既に幕府の城としての丹波篠山城があって、事実上の西国探題として機能しているのに?アホか
0257人間七七四年
2014/01/02(木) 01:00:54.11ID:47a/l2eL確信にまではいたってなかったでしょう。
毛利が佐野道可を送り、福島は大阪方の米の収奪をスルーしてあげたり
他にも自分の縁者を大阪方に籠城させた大名は多かった。
司馬遼太郎は「恩のある秀吉様への義理のため」と解釈したわけだが
そんなことありえるわけねえだろ。
万一、大阪方が勝っちゃった場合の保険以外の何物でもないわw
0259人間七七四年
2014/01/02(木) 01:02:29.20ID:50GdH7Yn> 毛利が佐野道可を送り
それ後世に浪人していた佐野家の親族が、毛利家に再弛緩するための先祖の「功績」として行っただけだぞ。
ハッキリ言って捏造
0260人間七七四年
2014/01/02(木) 01:05:01.02ID:47a/l2eL佐野道可だけならね。
そもそも紀州が真田一族を逃した時点で何の説得力も無い。
毛利勝永なんかもそうだろ。
100%徳川が勝つと確信してるなら、そんな粗相はしえない。
0261人間七七四年
2014/01/02(木) 01:07:08.65ID:50GdH7Ynきみはそれぞれの事象を一つ一つ確認すること無く全部結び付けたがるくせが有るね。
そういうのを粗雑な頭というのだ
0262人間七七四年
2014/01/02(木) 01:08:03.44ID:47a/l2eL絶対に勝ちえない南朝が勝って後醍醐天皇が即位したり
源平でも源氏が勝ったり。足利尊氏は九州に都落ちをしてからの復活大逆転もしてるし
何があっても不思議じゃないと思ってるでしょ。
0263人間七七四年
2014/01/02(木) 01:09:12.75ID:47a/l2eL自分に都合の悪い資料は捏造
たくさん資料が出てくると「関連ないニダ」
朝鮮の歴史でも語ってれば?
0264人間七七四年
2014/01/02(木) 01:16:34.86ID:1W16WR+10265人間七七四年
2014/01/02(木) 09:19:22.86ID:E4+zk/zN兵力差は絶望的って程じゃないからな。
冬の陣で毛利、真田、明石、後藤、長宗我部に大軍を与え
出撃策をとっていたら総大将の家康を討てた可能性もあったわけだし。
あるいは厳冬期が来るまで時間を稼げれば、畿内の米を殆ど豊臣に
押さえられてた幕府軍は帰国を始めるだろうから若干の猶予も生まれる。
0266人間七七四年
2014/01/02(木) 11:27:57.68ID:Dx8dmmDy大軍を与えて出撃策をとったらあっという間にバラバラになって崩壊したわけで
豊臣としたら絶対に同じ轍は踏まないという意識はあって当然だろう
だいたい来たばかりの浪人連中に対する信頼度なんて当時の西軍大名よりも低いわけだし
豊臣が受けたトラウマを考えたら出撃策は却下しかなかったと思うよ
0267人間七七四年
2014/01/02(木) 12:32:19.69ID:P1URffWU毒を取り除いて食べるだけの話。
手順さえ間違わなければいいだけの事。
0268人間七七四年
2014/01/02(木) 13:32:26.05ID:E4+zk/zNスレタイは「大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法」だから。
ここは出撃策をとらなかった理由を考えるスレじゃない。
0269人間七七四年
2014/01/02(木) 17:49:40.14ID:VbCq5Wg2んなこといったら徳川方も烏合の衆にはかわらんのだが
0270人間七七四年
2014/01/02(木) 23:59:48.10ID:47a/l2eLでも夏の陣の出撃策で勝手に部隊を壊滅させた馬鹿はいたけど
豊臣家から金だけ貰って逃げちゃった武将って居なかったんじゃないの?
浪人武将を信用できないというなら最初から呼び寄せた時点でアホw
0271人間七七四年
2014/01/03(金) 00:20:09.31ID:m7fdA+H1最初から意識して浪人を集めようとしたわけではないぞ
浪人しか来なかった時点で豊臣のやる気が削がれたんだろう
だから1ヶ月ほど篭城してさっさと講和に走ろうとしたけど
当然ながら浪人連中は名を上げる最後の機会なのだから全面決戦あるのみだし
豊臣側と浪人側で考えが合わなかったのが迷走の原因だろう
0272人間七七四年
2014/01/03(金) 10:27:48.67ID:nIbUZlsf滅亡がかかった戦だってことを理解してなかったんじゃね。
0273人間七七四年
2014/01/03(金) 10:32:08.37ID:m3crxr5h0274人間七七四年
2014/01/03(金) 14:26:35.69ID:P7tqV+ZP松平忠輝と伊達政宗をうまいことけしかけて父家康と兄秀忠を討たせ、
そののち豊臣恩顧の信頼を取り戻して味方につけ、忠輝を討つ
う〜〜ん すさまじいまでに机上の空論
0275人間七七四年
2014/01/03(金) 15:37:17.09ID:JEYq2Dv/自分の命がかかってんのに、そんなわけないでしょ。
他にできることがないだけだよ。
0276人間七七四年
2014/01/03(金) 15:56:09.01ID:JEYq2Dv/絶望的というより絶望やん。
大坂は限度以上に集めてんのに、幕府はまだいくらでも動員かけられるんだよ。
0277人間七七四年
2014/01/03(金) 17:09:49.84ID:yoT/Hckr0278人間七七四年
2014/01/04(土) 00:37:20.94ID:/iBEu34J確かに机上の空論で限り無く実現の可能性はゼロに近くても、>>1のような結果を求めるなら、徳川政権を何とかして分裂させるしか道はないんだよなぁ。
徳川版本能寺の変みたく家康秀忠を官僚団を一夜で潰滅させて大坂から退却させ、江戸で家光派と忠輝派の次期将軍争いをさせる。家康秀忠側近団が全滅なら混乱を極めるだろう。
で、東日本が大混乱に陥った時に豊臣家は秀頼が関白就任し、先代秀吉に倣って公家武家の頂点に立ち、西日本の外様大名を味方に誘って、
天下を家光派、忠輝派、豊臣派の三派に分裂させる。豊臣は忠輝派を引き込んでまずは家光派を殲滅。その後忠輝も殲滅して豊臣が再び天下を取る流れ。
こういう荒唐無稽なストーリーでしか豊臣の勝つ道はない。
0279人間七七四年
2014/01/04(土) 02:44:51.01ID:xN7ODnCc忠輝を担ぐという名目で豊臣がこの2家と北条今川武田のような姻戚関係を結ぶ
秀忠系を潰した後は対伊達(忠輝)との最終決戦
0280人間七七四年
2014/01/04(土) 02:46:45.58ID:F3a8p/s3名前を上げるために来たのに寝返っても名前の価値下がるは土地も貰えないだろ
0281人間七七四年
2014/01/04(土) 02:50:24.48ID:YCU0CJGI荒唐無稽というが徳川家康や長州藩はその荒唐無稽なストーリーを実現したね
家康は新しい本願寺教主を任命して本願寺分立を成功させたし
長州藩は尾張徳川家を徳川を立てて本家の将軍を追わせ、結果的には田安家から徳川家宗家に継がせたり
現在も中国が新しいダライラマを任命して分立を企ててる。
割合、普遍的な方法。
豊臣家としては大阪城夏の陣では討って瀬田川で徳川家をボコり朝廷から錦の御旗さえ貰ってしまえば
松平家の庶流でも立てて徳川家の宗家だと言い張り徳川家の分裂を図るのは普遍的な常套手段。
0282人間七七四年
2014/01/04(土) 03:09:26.64ID:C67d2OLOうむ、秀吉死んでから長い目での戦略で家康にうまうまやられ関ヶ原で完全に主導権握らせてしまったからな。
そしてようやく大阪陣前に家康が露骨さをあらわにするまでは危機感を感じないが陣に至ればさすがにね。
0283人間七七四年
2014/01/04(土) 07:04:54.02ID:x5fIgXND陣にいたるまでも十分に危機感はあったと思うな。
上で秀忠を討ち取ればって言ってる人がいたけど、その秀忠は秀頼の舅で、その妻は実母の妹。
つまり豊臣視点から見たら最も可能性のある親秀頼派なんだよね。豊臣はここに望みをかけていた。
それを討ち取って徳川を分裂させて、なんてのは無理筋。
忠輝は勘当をくらうほど背景勢力が弱くて期待できない。忠輝の勘当がとけたのって昭和になってからだよ。
あの時期の現実的な豊臣の勝利目標は生き延びて子孫を残すこと。
陣の直前までなら千姫に男子を産ませて早々に自分は隠居することで可能性があった。
陣が起こってからは家康の自然死に期待をかけるしかない。
結果は全部外れたけど、豊臣も出きる限りのことはしている。
弱者の工作はなかなか成功しないんだよ。
0284人間七七四年
2014/01/04(土) 09:38:02.72ID:rEgnElQR0285人間七七四年
2014/01/04(土) 10:48:14.28ID:CdKbbwe9徳川重臣と伊達、上杉、前田をはじめとする有力大名の部隊を撃破して
家光が継ぐだろうから外交で家光の後見人を説得して和平、その後千姫との子供の子孫をどうにかこうにか次代以降の将軍にすれば安泰
うん、無理
0286人間七七四年
2014/01/04(土) 13:56:43.30ID:YCU0CJGI島原の乱や西南戦争の拡大版かね
戦いようによっては普通に豊臣方が勝ったと思うけどね
0287人間七七四年
2014/01/04(土) 14:02:30.71ID:YCU0CJGIもし家康が秀頼を鎧袖一触で瞬時に倒せなければ簡単に全国の大名が自立する事は
明治維新が証明している。
応仁の乱、源平の戦い、南北朝etc 内乱状態に逆戻りの可能性が一番高かったよ
0288人間七七四年
2014/01/04(土) 14:07:25.89ID:x5fIgXNDすべてのものがいつか壊れるとしても、それは今壊れるというわけではないよ。
0289人間七七四年
2014/01/04(土) 14:11:58.90ID:YCU0CJGI当時の人は誰もがアホな抵抗としか考えなかったけど
ちょっと政府軍がてこづったら、あっけなく革命は成功した。
日本ではその事例が多い。
王莽に対して光武帝が革命して勝った例やアレクサンダー大王がペルシャに勝った例など
洋の東西を問わず、こんな例はいくらでもある
0290人間七七四年
2014/01/04(土) 19:00:18.83ID:KwjAtN9jちょっとやそっとじゃ揺らがない程度には徳川の支配体制は固まってたと見るべき
少なくとも幕末みたく幕府の支配体制がgbgbになってた頃と比べるのはどうかと思うね
0291人間七七四年
2014/01/04(土) 19:49:43.84ID:x5fIgXNDそれは時の政権が世間から期待されなくなっていたから。小さな躓きが大ケガになったわけよ。
この場合、世間の信を失っていたのは豊臣家の方。
だいたい何千年の人類の歴史の中で時々あったという程度の事例を頻繁に起こったように言うのは詭弁に過ぎる。
0292人間七七四年
2014/01/04(土) 21:20:00.27ID:8v+JDjk/多くの大名は徳川幕府の手伝普請に辟易してたし巷には幕府に改易された
大名家の浪人が溢れてたから冬の陣で幕府軍を撃退出来ていれば
幕府と距離をとる大名も出てきた可能性もある。
0293人間七七四年
2014/01/04(土) 21:21:37.62ID:pm4uQy80いやいや、日本で例に上がってた源頼朝、足利高氏はそんなまぐれ当たりじゃない
戦国大名にどうしても例えるなら関ヶ原における徳川家康だし。
ていうか、祖父と父が武士の超大物(ていうか八幡太郎の玄孫)の頼朝とか鎌倉幕府屈指の大物とかと秀頼を比べてどうすんだ
大阪の陣における秀頼は、せいぜい平敦盛とか楠木正行が精一杯
0294人間七七四年
2014/01/04(土) 21:32:57.77ID:rEgnElQR0296人間七七四年
2014/01/04(土) 21:44:30.27ID:pm4uQy80あれは最近、市民革命の扱いになってるみたいだなw
曰わく、徳川という王族支配を打破する為に皇室という法皇を有産市民(島津、毛利)が担ぎ出したとw
0297人間七七四年
2014/01/04(土) 22:36:11.17ID:rEgnElQR0299人間七七四年
2014/01/05(日) 00:36:26.42ID:2Wr7tUg+単にそれだけだよ。
負けりゃ権威など吹っ飛ぶ
なんでそんな単純な事すら分からないの?
0300人間七七四年
2014/01/05(日) 00:44:20.41ID:NAiin2ul歴史を戦国ゲームだけで覚えた結果なのか
あるいは、ゆとり教育の弊害なのか
0301人間七七四年
2014/01/05(日) 00:46:46.87ID:NAiin2ulあ、真性のゆとりかw
権威なんてのは力の裏付けがあるから権威として通じるんだよw
0302人間七七四年
2014/01/05(日) 02:15:03.41ID:qAGOhPl+何度か負けはしたけど大将として出陣はした頼朝尊氏を同列にしちゃいかんでしょ
むしろ天下人の息子という好スタート発進してるのに
0303人間七七四年
2014/01/05(日) 03:39:47.61ID:azbmH+yu0304人間七七四年
2014/01/05(日) 11:59:57.33ID:A5j/oPo7平家政権・鎌倉幕府・建武政権に対しての不満が既に爆発しており
彼ら以前にも叛乱が起きていたりしたわけで
当時の江戸幕府の場合は不満を持った浪人連中はいたけれども
豊臣を除けば叛乱を起こすに至るまでには程遠い状況だったから彼らとは違うだろ
確かに好んで徳川に従っていたわけではない戦国大名はいたけれども
逆に言えばそういう戦国大名は豊臣にも好んで従いたいわけでもないからな
0305人間七七四年
2014/01/05(日) 12:21:18.74ID:bn2cWe5b江戸幕府の方がマシとは思うな
0306人間七七四年
2014/01/06(月) 00:34:43.64ID:w6RdeygG豊臣の場合は茶々が孕んだから産所として淀城を造れだの
明を征服する誇大妄想を抱いたから名護屋城を造れだの
何の役にも立たない無意味な私的欲求に基づくものだから
まったく比較にならないでしょ
0307人間七七四年
2014/01/06(月) 02:42:45.72ID:2LEMoHFx名古屋城築城で福島正則が人前で不平を言ったり
木曽三川事業で薩摩藩士が大勢幕府へのあてつけで切腹したの知らん?
0308人間七七四年
2014/01/06(月) 05:40:49.89ID:cAggLgL8木曽川の薩摩ハラキリは時代が違うんでないかい。
福島の不平については加藤清正から「そんなん言うなら挙兵せぇや」言われて黙ってるから、反徳川として立ち上がれるほどのものでは無いんだろうね。
0309人間七七四年
2014/01/06(月) 06:26:19.54ID:h6ze+IRc福島正則が普請に文句たれて加藤清正が気に入らんなら謀叛起こせってけしかけた資料ありますか?
0310人間七七四年
2014/01/06(月) 07:37:50.29ID:VAEC73eo0312人間七七四年
2014/01/06(月) 10:56:37.78ID:cAggLgL8けしかけたんじゃないぞ。
いらんこと言うなって言ってんの。
0313人間七七四年
2014/01/06(月) 11:56:13.50ID:w6RdeygG不平を言うこととその普請が有意義であるかどうかとは別のことでしょ
名古屋築城はただ一つの城を造るのではなく名古屋という町そのものを大都市に生まれ変わらせるためのもの
ここで整備した名古屋という場所が現在の大都市名古屋に繋がっているわけじゃん
木曽三川事業だって河川の氾濫を抑える目的でやっている有意義なことには変わりない
工事がつらいのは今みたいに機械も何もない時代なら仕方のない部分もある
逆に名護屋城なんて秀吉の誇大妄想が終焉したら何の意味もない巨大なガラクタでしかないわけで
大名が文句を言ったとかそういう部分に注目しがちだが本当に重要なのはそこではないだろう
0314人間七七四年
2014/01/06(月) 11:58:49.63ID:bI+czk1A> 木曽三川事業で薩摩藩士が大勢幕府へのあてつけで切腹
それ幕府じゃなくて上司である薩摩藩上層部への抗議だぞ。
明治後の「薩摩史観」で勝手に幕府への抗議ってことに責任転嫁してるけど
0315人間七七四年
2014/01/06(月) 12:42:21.84ID:Y5YCAyA50317人間七七四年
2014/01/07(火) 09:16:12.46ID:D8QWOPFE朝鮮出兵も文禄の時はやる気満々の大名も多かったんだけどな。所領拡大できるということで。
慶長の時は厭戦気分だったけど。
0318人間七七四年
2014/01/08(水) 15:27:11.11ID:GpTkWD3l討って出ないと。
長州が勝てたのも四境戦争で鳥取、福岡の城を獲ったからだし
0320人間七七四年
2014/01/08(水) 19:51:27.30ID:hZYV1pmc秀吉の遺言を実行するとか適当に言い繕って海外亡命すればよかった
そうすれば豊臣としての面子も守れたわけだし
家康だって豊臣が日本から去るのをわざわざ妨害するわけもないだろう
全員が得する最良の選択肢に違いない
0321人間七七四年
2014/01/08(水) 20:44:07.72ID:eTdpvruBそれが分からない人が何故かいるんだな。
天正壬午の乱や小牧・長久手の戦いを見てもわかるように
寡兵で大軍を撃破、または優位な和睦条件を引き出させるには
広範囲で合戦を行うのがベター。
最初から淀たちが真田幸村の提言を受け入れていれば
まだ可能性はあったよ。
0322人間七七四年
2014/01/08(水) 20:46:42.84ID:rdOem/Co天正壬午の乱には織田政権のバックアップが、
小牧・長久手の戦いには織田信雄との同盟があったためにそういう作戦が可能だった。
豊臣のどこに頼れる同盟者が居るというのか
0323人間七七四年
2014/01/08(水) 22:04:49.48ID:rEX1/ikw何度も上がってるけど、統制も微妙な寄せ集めの兵で出撃して戦線拡大なんて各個撃破されて滅亡早めるだけ。史実の八尾若江道明寺と同じように潰滅するだけ。
出撃策やるなら何億分の1かの可能性賭けて家康秀忠と官僚団を葬って徳川の統治システム自体瓦解させない限り戦局は豊臣方に靡かない。また、冬の陣の前の時点では明石や後藤以外は将器未知数だろうし治長がゴーサイン出すとは思えない。
籠城策取って家康が老衰で死ぬまで待って秀頼の舅の秀忠の方針転換に期待するしかない。治長は八方塞がりの中で一番現実的な策取ったし、豊臣家を何とか延命させようは試みてる。
0324人間七七四年
2014/01/08(水) 23:17:28.63ID:eTdpvruB>天正壬午の乱には織田政権のバックアップが
天正壬午の乱は本能寺の変直後だよ。
滝川一益が東国から逃げ帰った直後。
>小牧・長久手の戦いには織田信雄との同盟があったためにそういう作戦が可能だった。
糞の役にも立たない信雄との同盟が何?
>>323
何度も言うけどスレタイ読め。
あと最初から後詰の期待できない籠城戦を選択し
可能性を放棄した時点で、僅かな可能性すら潰したのは事実。
0325人間七七四年
2014/01/09(木) 00:09:28.68ID:gT/LVTj3長州征伐は二度とも完全に孤立無援で出撃策に出たぞ
しかも二度目は高杉晋作のクーデター政権で微塵も信用できない農民兵・力士兵・神主兵で
なんでこれなら完全に信用できる!とか思っちゃってんの?馬鹿?
あと「薩長同盟が〜」なんて言うなよ。薩摩藩主はサインしてないし
裏書は名も無い浪人だし、長州が負けたら「この書類は偽造ですな」の一言で
最初から押し通す気満々だから。
0327人間七七四年
2014/01/09(木) 00:34:15.20ID:SyJ9IXje第二次世界大戦の日本とか見りゃわかるだろ。
国力や兵力が劣る側にとっては広範囲の戦線展開は、物資や、兵力でハンディを抱える側にとってますます足かせになるんだよ。
寡兵側が勝つには、なるべき狭い範囲で兵力を限りなく集中させて、敵兵力の手薄な部分を集中的に突くしかない。
これが軍事学の鉄則。
0328人間七七四年
2014/01/09(木) 00:59:13.57ID:gT/LVTj3一当たりして勝って士気を高めてから城にこもってもいいわけだし
0329人間七七四年
2014/01/09(木) 01:02:04.04ID:gT/LVTj3なおかつ遊軍部隊が山中のいたるところに出撃し
10万以上の敵を苦しめ続けたけどね。
0330人間七七四年
2014/01/09(木) 01:12:10.37ID:gT/LVTj3一部の武将は北陸に送り一揆勢を後援してゲリラを統率させたし
家康との予定決戦場である白河周辺には最初から遊軍(金で雇った浪人、土豪他)を播く段取りもできてた
最大のビックリ箱は佐竹だったろうし専守防衛など当初はまるで考えてなかったはず。
0331人間七七四年
2014/01/09(木) 01:24:23.54ID:5SGVXYbm終了
0332人間七七四年
2014/01/09(木) 01:30:17.05ID:gT/LVTj3誰も籠城なんて考えなかったよね。
兵を割ってゲリラだ。つーか寡兵が大兵力に勝つにはそれ以外の方法など最初から無い
0333人間七七四年
2014/01/09(木) 01:39:55.14ID:v6iWYwzQ別方面に兵を展開して、また殲滅
という戦法じゃないと全く意味がない。
ゲリラ戦の成功条件には、ゲリラ戦を展開するに適した、兵を散開させる地勢(渓谷や、山間部や、その周辺の地理に詳しい者など)が必要だが
大坂城周辺の攻防ではそれが全く皆無といっていい。
戦国期の戦闘においてゲリラ戦が成功している例は、せいぜい天正壬午みたいなアルプス地帯で行われた地元豪族による
後背地の撹乱と小荷駄隊の襲撃という手法である事例が一つ二つある程度。
それ以外の戦闘ではほとんど皆無といっていい。
0334人間七七四年
2014/01/09(木) 01:44:58.44ID:EAKtKlS7超遠距離・飛び地的な輸送ルートでもって、補給を行うしかなかったから(相模・武蔵方面からの援軍は黒駒合戦で撃退された)
信濃方面の依田らの活躍で背後を危うくされて、佐竹らも暴れだして撤退するしかなくなっただけ。
そんな特殊で敵地を通った飛び地的補給でもって物資輸送を徳川が行っていないのだから、
徳川にゲリラ戦仕掛けたってまるで成功する可能性はない。
せいぜい最初の夜討ちで数百か数千がビックリして一時的に潰走するくらいが関の山。
0335人間七七四年
2014/01/09(木) 01:48:03.90ID:v6iWYwzQ出撃はそれ以上に勝ち目薄いだろうな
出撃すれば当然兵力差や物資量の差がモロに出る。
さらに広範囲に出撃すればさらに兵力差がそのまま戦果に反映される(広範囲なら、大軍も非常に展開しやすい)
寄せ手がよっぽどの馬鹿か無能か、超偶発的な幸運に見舞われない限り、勝つなんて無理
0336人間七七四年
2014/01/09(木) 02:07:30.26ID:6qLz82ME特定の場所(この場合でいうと大坂城)を守るための戦ではなかったから、相手からしたら
敵がどこから来るか予測がつかず、兵の散開や奇襲が可能だったってだけでしょ。
大坂の陣は大坂城を守る戦だから、大坂城を捨てない限りイラクやアフガンや中国みたいな逃げ回ってのゲリラ戦なんて不可能だし
大坂方は大坂城やその周辺の領土捨てたら、兵の休息も、物資の補給も、収入確保も、全く行き届かなくなって飢え死にするだけだし
外国みたいな広範な領土もないから、逃げ隠れする場所も全くないし死ぬだけ。
日本の戦では、特定の拠点に全軍が篭もらず散開してた勢力は、ほとんど例外なく悉く討ち取られてる(越前一向一揆などがいい例)
0337人間七七四年
2014/01/09(木) 02:10:23.57ID:gT/LVTj3これが議題なのに「籠城しかない」って答えになってないだろw
0338人間七七四年
2014/01/09(木) 02:16:11.77ID:gT/LVTj3最初から本土専守防衛だったら話にもならなかったろ
あれはあれで仕方のない戦法だった
0339人間七七四年
2014/01/09(木) 02:24:36.83ID:0sFitcf+軍事の基本すら知らんで兵力を分散してゲリラ戦しろとか相当馬鹿だな。
関ヶ原で戦力分散しまくって大敗したアホ毛利みたいな糞戦略やれってのか。
そもそも日本の戦国期の戦争は城郭を巡る攻防という特性上、防衛側がゲリラ戦を展開して成功したケースは非常に稀。
ゲリラ戦は特定の防衛拠点がない場合は、逃散→奇襲というヒット&アウェー戦法も可能になるが
城を防衛する戦の場合は、逃散するべき場所が城しかない(城を捨てれば落城する事になり防衛側の敗北)以上その戦法自体が不可能。
逃げるべき場所もないのに、イラクやアフガンみたいなゲリラ戦法なんて取りようがないなんて
少し頭を働かせれば分かることだろ。
0340人間七七四年
2014/01/09(木) 02:28:31.20ID:gT/LVTj3議題すら読めない馬鹿は囁くなよ
先生「はーい この問題できる人?」
おまえ「はい この問題は解くこと自体がほにゃららうんたらかんたら」
キチガイだわw
0342人間七七四年
2014/01/09(木) 02:31:24.02ID:gT/LVTj3知的障碍者だな おまえ
あくまで先生は「答えられる人」に答えて欲しいわけでおまえに答えて欲しいわけじゃない
おまえ「先生!答え分かんないけどうんたらかんたら きっと答えは他にある!」
キチガイだわw
0343人間七七四年
2014/01/09(木) 02:31:36.83ID:wHixKqnzうん、馬鹿。
大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
325 :人間七七四年[sage]:2014/01/09(木) 00:09:28.68 ID:gT/LVTj3勘違いしてる人が多いけど
長州征伐は二度とも完全に孤立無援で出撃策に出たぞ
しかも二度目は高杉晋作のクーデター政権で微塵も信用できない農民兵・力士兵・神主兵で
なんでこれなら完全に信用できる!とか思っちゃってんの?馬鹿?
あと「薩長同盟が〜」なんて言うなよ。薩摩藩主はサインしてないし
裏書は名も無い浪人だし、長州が負けたら「この書類は偽造ですな」の一言で
最初から押し通す気満々だから。
【平成26年】 黒田孝高総合スレ 3 【大河の主役】
466 :人間七七四年[sage]:2014/01/09(木) 00:15:37.60 ID:gT/LVTj3黒田官兵衛の得意技って縁結びの仲人と調略だよね。
戦争よりむしろ、そちらの方で突出した活躍をした。
政治に関してははっきり言って無能に近い。
有能なら千利休やら石田三成に側近の地位を奪われてない
豊臣恩顧どもはカス(福島加藤浅野・・・)part2
219 :人間七七四年[sage]:2014/01/09(木) 00:20:23.57 ID:gT/LVTj3司馬遼は石田・小西・宗が秀吉を騙したと断定してるが
そんな馬鹿な事はありえない。
最初から秀吉の指図で戦争の落としどころを探してたよ。
表向きは天竺まで征服!と景気の良い事を言わなきゃならないが
最初から朝鮮半分程度で手を打つ気だったよ。
ただし半島の半分すら得られず無条件降伏に近い形で小西らが交渉まとめちゃったので
激怒(面子を保つためにも激怒しなくてはならない)しただけ。
本当に怒ってたら三成・小西・宗は100%磔されてたよ。
0344人間七七四年
2014/01/09(木) 02:32:42.92ID:gT/LVTj3聞かれた事には絶対に答えないで無関係な事をほざく馬鹿が多すぎる。
まずは日本語を学べ
0345人間七七四年
2014/01/09(木) 02:33:02.71ID:wHixKqnz414 :人間七七四年[sage]:2014/01/09(木) 00:23:22.30 ID:gT/LVTj3
京都の北政所美術館に行くと秀頼から北政所に御機嫌伺いの手紙とか色々飾ってあるね
秀頼が独自で手紙を出すわけもなく完全に淀の命令で出してたわけだけど
大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
328 :人間七七四年[sage]:2014/01/09(木) 00:59:13.57 ID:gT/LVTj3
最低でも遊軍で1万程度を播いとくべきだったと思うけど。
一当たりして勝って士気を高めてから城にこもってもいいわけだし
329 :人間七七四年[sage]:2014/01/09(木) 01:02:04.04 ID:gT/LVTj3
南朝の時は赤城山などいくつかの山に数百人ずつ篭り
なおかつ遊軍部隊が山中のいたるところに出撃し
10万以上の敵を苦しめ続けたけどね。
330 :人間七七四年[sage]:2014/01/09(木) 01:12:10.37 ID:gT/LVTj3
上杉景勝はただ籠るなんて事はしなかったよ
一部の武将は北陸に送り一揆勢を後援してゲリラを統率させたし
家康との予定決戦場である白河周辺には最初から遊軍(金で雇った浪人、土豪他)を播く段取りもできてた
最大のビックリ箱は佐竹だったろうし専守防衛など当初はまるで考えてなかったはず。
大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
332 :人間七七四年[sage]:2014/01/09(木) 01:30:17.05 ID:gT/LVTj3ベトナムもイラクもアフガンも中国国民党もカストロも雑賀一族も
誰も籠城なんて考えなかったよね。
兵を割ってゲリラだ。つーか寡兵が大兵力に勝つにはそれ以外の方法など最初から無い
大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
337 :人間七七四年[sage]:2014/01/09(木) 02:10:23.57 ID:gT/LVTj3「大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法」
これが議題なのに「籠城しかない」って答えになってないだろw
大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法
338 :人間七七四年[sage]:2014/01/09(木) 02:16:11.77 ID:gT/LVTj3太平洋戦争は戦線拡大しすぎてぼろ負けしたわけだが
最初から本土専守防衛だったら話にもならなかったろ
あれはあれで仕方のない戦法だった
0346人間七七四年
2014/01/09(木) 02:34:00.43ID:gT/LVTj3おまえら「勝利する方法は分かんないけど籠城しかない!つーか答えは他にある!」
wwwwwwwwwww
0347人間七七四年
2014/01/09(木) 02:34:24.83ID:6qLz82ME0348人間七七四年
2014/01/09(木) 03:25:54.30ID:b3kfVXqs徳川軍なんて四天王が次々病死、他の諸大名も世代交代してて大した連中もいないし
大阪方の方が戦績豊富な連中多いんじゃね
0349人間七七四年
2014/01/09(木) 05:56:56.84ID:0RbcML5Gあいつが本州にいたら大坂に合流して豊臣軍をまとめていたからな
秀吉の寵愛を受けた大老なら大将として問題ないはずだし
0350人間七七四年
2014/01/09(木) 06:20:15.67ID:5SGVXYbm豊臣恩顧の外様大名が秀頼公に弓引く大義名分は無くなり東軍総崩れ
0351人間七七四年
2014/01/09(木) 06:32:42.90ID:gT/LVTj3織田信雄に全軍指揮権渡そうとしてたとか小説としては面白いけどにわかに信じがたい
仮に秀頼の中の人が信長、信玄、謙信、昌幸、顕如、官兵衛だったら
少しは結果が変わったんだろうか?顕如はなんだかんだで大阪本願寺で10年持ちこたえたわけだし
もう少し善戦したような気がしないでもないし、信長・信玄なら
自分のババアがうぜえと思ったら即座に幽閉くらいした気もする
0352人間七七四年
2014/01/09(木) 06:57:36.04ID:5SGVXYbm0353人間七七四年
2014/01/09(木) 07:05:26.49ID:gT/LVTj30354人間七七四年
2014/01/09(木) 08:03:11.24ID:1xkNcHc80355人間七七四年
2014/01/09(木) 09:22:45.78ID:Ib9aRSGQ石山の攻防が長く続いたのは織田が他にも戦線を抱え戦力集中が難しかったり制海権を味方が持ち物資補給が可能だった等の複合的理由だし
0356人間七七四年
2014/01/09(木) 12:37:33.56ID:amU65swrその幸村自体が戦績少ないじゃんwそりゃ将の資質はあるとは思うが大軍率いた経験ゼロだし、上田合戦とは訳が違うぞ。
大坂方の将では戦績豊富なのは明石全登、後藤又兵衛くらいしかおらんし、東軍の将の方が圧倒的に戦績豊富。
0357人間七七四年
2014/01/09(木) 13:22:42.42ID:SyJ9IXje確か関ヶ原合戦の際にも京極隊と連携してわずか1000そこそこの大谷隊を攻めたら大苦戦し
小早川が離反後も何度も押し返されて朽木・脇坂らが大谷隊に攻めかかるまで
ろくな戦果あげられなかったはず。
黒田長政も細川忠興と協力して6000そこそこの石田隊を攻めたらろくに戦績もない三成相手にほぼ互角の戦いで
切り崩せなかったし
大坂の陣の奮戦っぷりで見ても、個々の武将の能力でいえば大坂方の方がずっと上じゃね?
武器性能で言っても大坂方が特に勝っているはずはないしな。
0358人間七七四年
2014/01/09(木) 13:40:18.45ID:3tYSG7jw0360人間七七四年
2014/01/09(木) 15:33:14.67ID:v6iWYwzQ0361人間七七四年
2014/01/09(木) 15:34:34.87ID:6qLz82ME実際は冬の陣より大分減ってて6〜7万そこそこじゃね?
0362人間七七四年
2014/01/09(木) 16:08:11.24ID:lz2Ynfg3参謀本部が『日本戦史』を編纂する際に、島津義弘書状にあった会津征伐の動員の基準とされる
百石に付き三人を仮に流用した値を現代に至るまで引用しているため
0363人間七七四年
2014/01/09(木) 16:28:05.82ID:b3kfVXqs各大名の所領領土の大きさの比でいえば、関ヶ原合戦における定説の動員数値の兵力の比率と概ね同じになるし。
確か家記類などをみても概ねそんなもんだっただろ。
0365人間七七四年
2014/01/09(木) 17:23:29.09ID:SyJ9IXje朝鮮出兵では、九州はたくさん兵出したか知らんが、
ただ名護屋や朝鮮に近い地理的条件から、多く動員命令がかかっただけだろうし
地域によって石高あたりの動員数って違うのか?
0367人間七七四年
2014/01/09(木) 19:57:16.56ID:gT/LVTj3総じて100倍の敵に当たったのにね。奇跡に次ぐ奇跡で結果勝っただけで
ハンニバルの対ローマ戦もそうだわ、秀頼VS幕府どこの話じゃない。
普通に1桁〜2桁の戦力差だわw
0368人間七七四年
2014/01/09(木) 20:07:53.09ID:hlc9PgVK0369人間七七四年
2014/01/09(木) 20:11:38.97ID:gT/LVTj3装備は両者ともたいした差がない。
あれって専守防衛してたらどーなってんだろう
0370人間七七四年
2014/01/09(木) 20:16:53.67ID:gT/LVTj3京都を完全に火の海にして敵陣営に使わせないよう焦土戦術。
帝は当然、奪って大阪城内へ。
実際に長州がやろうとして薩摩会津に負けたわけだが
戦術としては完璧に正しいんだあよね。
大阪城外は根こそぎ食糧を奪った後に焼野原にしてなきゃ本来おかしい
0371人間七七四年
2014/01/09(木) 20:24:01.81ID:gT/LVTj3プーリア地方を奪って南イタリアを全て後背地にしたように。
彼は所詮敵国だったので3万程度の兵数で80万の予備動員力を持つローマに
少しずつ兵を削られ兵士補充が全くできずに勝っても勝っても勝っても大爆勝しても
兵士が削られ続け最後は負けたわけだが、あれよりは秀頼の方が比較にならないほど恵まれてる
0372人間七七四年
2014/01/09(木) 20:27:00.81ID:lz2Ynfg30373人間七七四年
2014/01/09(木) 20:30:31.57ID:gT/LVTj3確かに鳴きに板とか狩野派のふすまとかスゲーけど
堀の幅や深さや広さとか見ても「え?これが城なの?」ってレベルだし
往時は今の百倍くらい凄かった?
御所はちょっと位置が離れてるから伏見城なんてスルーしても構わんわけだし
0374人間七七四年
2014/01/09(木) 20:37:59.81ID:gT/LVTj3戦力的には鼻くそレベルだったが天才すぎて常勝を続けるうちに
雪だるま式に軍隊が肥大化してあっという間にヨーロッパ全土を支配下に置いてしまったしね。
0375人間七七四年
2014/01/09(木) 20:47:13.23ID:SyJ9IXje戦力の集中化と敵戦力の中での手薄な部分の攻撃という軍事面での大原則を忠実に守って行っているだけで
兵力を分散化させて戦闘を行うのは、劣勢側にとっては不利を広げるだけ。
0376人間七七四年
2014/01/09(木) 20:49:10.65ID:b3kfVXqs特定の条件下でしか行われていない。
普通の頭で考えれば地形に関係なく普通に正面からガチンコで戦えば大軍側が勝つに決まってるじゃん
20対10で戦った場合10人の方は結束したとしても20人分の攻撃を10人でうけなきゃいけないけど
20人の方は10人分の攻撃を20人で分散できるから一人のダメージ比は4対1だし
寡兵側が勝ってるのは相手の油断をついて奇襲・敵を自陣深くうまく釣り込んで殲滅・ポエニ戦争みたいに敵の左右の陣を突破して
包囲殲滅など優れた戦術や敵の油断をつくなど、かなりの指揮采配能力の差や、偶発的事故などが続くなりしないと無理。
普通に正面衝突すりゃ大軍側が100%勝つに決まってる
0377人間七七四年
2014/01/09(木) 20:49:36.91ID:EAKtKlS7兵力比は実際にはその2乗となって戦争に影響するしこれに装備性能が加わったものが実際の戦力
これをくつがえすのはよほどの幸運・偶発的条件やうまい戦術、両将の指揮能力の差がないと無理(もちろん城攻めは別だが)
普通に平地でガチで遣り合えば100%兵力が二乗の戦力となり、装備差によって戦闘が決着する
ゲームでは統率や経略の少しの差で簡単に覆ってしまうが実際はなかなかそうはいかない
城攻めでも野戦でも兵力差が大きいと少ない方は味方の士気が下がったり離反や逃亡する兵が出る。
後詰の望みがない防戦なんてよほどの偶発的条件か両将の指揮能力のよほどの差がない限り基本勝つ可能性皆無なんだから
逆にその影響度が圧倒的に大きい兵力差をひっくり返して撃破した武将と撃破された武将はかなり大きく指揮采配能力に差があるとみるべき。
0378人間七七四年
2014/01/09(木) 20:52:28.31ID:v6iWYwzQ総兵力のうち、一度に敵に衝突させる兵力を、敵よりも味方の方が多くする戦術的な工夫があったからこそ
勝利できたわけで、一遍に大軍をそのまま寡兵で相手にして大破したわけではないぞ。
でも寄せ手側の大将が無能じゃなきゃ、そうそうそんな戦術にマンマとのせられる事はないし、
どっちにしろ運次第としかいいようがないわな
0379人間七七四年
2014/01/09(木) 20:54:53.46ID:6qLz82ME一時の勝利をもって勝ちみたいに捏造されても困る。
あとカサエルのガリヤ侵攻が兵力100倍相手ってソースは?
0380人間七七四年
2014/01/09(木) 20:56:30.77ID:gT/LVTj3「さあ大阪城でただただ籠城しつづけよう」なんて将は居ないと断言できる。
そんな事をするくらいなら戦わずに最初から降伏するわ
0381人間七七四年
2014/01/09(木) 20:56:56.29ID:SyJ9IXjeロシア軍隊の中でほんの一部にすぎない三軍メンバー相手にちょろっと勝っただけの日露戦争を
兵力国力10倍の相手に正面衝突でガチンコで勝ったように印象操作とか相当馬鹿だな
0383人間七七四年
2014/01/09(木) 20:58:47.77ID:qLwHSZcF日本の中世期の戦争は城郭を巡る攻防という特性上、
防衛側がゲリラ戦を展開して成功したケースは非常に稀。
ゲリラ戦は特定の防衛拠点がない場合は、逃散→奇襲というヒット&アウェー戦法も可能になるが
城を防衛する戦の場合は、逃散するべき場所が城しかない(城を捨てれば落城する事になり防衛側の敗北)以上その戦法自体が不可能。
逃げるべき場所もないのに、イラクやアフガンみたいなゲリラ戦法なんて取りようがないなんて
少し頭を働かせれば分かることだろ。
0384人間七七四年
2014/01/09(木) 20:58:51.74ID:5SGVXYbmしかし、家康は淀が秀頼を出陣させないと読んでいた
結果、予想通り豊臣家滅亡
ifを求めるなら秀頼公出陣で豊臣方勝利これしかない
0385人間七七四年
2014/01/09(木) 20:59:04.07ID:gT/LVTj3「やっべー火事だ。怖いから城内で寝よう。寝てれば解決かいけつうううぅぅりりりりぃぃ」で
実際寝てただけだろうなw
0386人間七七四年
2014/01/09(木) 20:59:48.33ID:6qLz82MEそんな俗書のたぐいがソースになるわけねーだろボケ
0388人間七七四年
2014/01/09(木) 21:00:42.32ID:0sFitcf+出撃はそれ以上に勝ち目薄いだろうな
出撃すれば当然兵力差や物資量の差がモロに出る。
さらに広範囲に出撃すればさらに兵力差がそのまま戦果に反映される(広範囲なら、大軍も非常に展開しやすい)
寄せ手がよっぽどの馬鹿か無能か、超偶発的な幸運に見舞われない限り、勝つなんて無理
0389人間七七四年
2014/01/09(木) 21:02:04.52ID:EAKtKlS7確か関ヶ原合戦の際にも京極隊と連携してわずか1000そこそこの大谷隊を攻めたら大苦戦し
小早川が離反後も何度も押し返されて朽木・脇坂らが大谷隊に攻めかかるまで
ろくな戦果あげられなかったはず。
黒田長政も細川忠興と協力して6000そこそこの石田隊を攻めたらろくに戦績もない三成相手にほぼ互角の戦いで
切り崩せなかったし
大坂の陣の奮戦っぷりで見ても、個々の武将の能力でいえば大坂方の方がずっと上じゃね?
武器性能で言っても大坂方が特に勝っているはずはないしな。
こういった雑魚武将しか東軍にはいないのだから、西軍がちょっとやる気出して出撃すれば勝てたかもしれない。
0390人間七七四年
2014/01/09(木) 21:03:28.23ID:Ve6r0ygB西軍は戦歴薄い連中が結構いるが、
東軍はそれ以上に戦歴あるくせに戦のセンスのない雑魚ばかりだからね。
そういった将の資質に問われる野戦を西軍がうまく挑めば勝利できた可能性はあるね。
0393人間七七四年
2014/01/09(木) 21:07:34.50ID:qLwHSZcF当時の東軍なんてろくな連中いないからなぁ。
前田利長、黒田長政、細川、藤堂が一軍で
他の連中はこれより更に戦歴劣る。
0394人間七七四年
2014/01/09(木) 21:08:20.43ID:0sFitcf+徳川軍なんて四天王が次々病死、他の諸大名も世代交代してて大した連中もいないし
大阪方の方が戦績豊富な連中多いんじゃね
0395人間七七四年
2014/01/09(木) 21:09:47.25ID:gT/LVTj30396人間七七四年
2014/01/09(木) 21:10:40.81ID:Ve6r0ygBその後細川や上杉隊などに戦力集中してかかり殲滅と
兵力を集中して、他の方面は極力敵軍の足止めを行い、その間に各軍団を各個撃破していく戦略が妥当か
0397人間七七四年
2014/01/09(木) 21:13:09.01ID:gT/LVTj3山梨、静岡県境あたりに分散して輜重隊が通るたびに放火しヒット&アウェーし
大阪城で1年も籠城すれば東軍瓦解は普通にあるし
0398人間七七四年
2014/01/09(木) 21:13:12.73ID:0sFitcf+まず敵軍の中で兵力1万くらいの部分を集中砲火で殲滅して
次にまた兵力1万くらいの部分を集中して殲滅
というように各軍団を各個撃破していかないと勝ち目はない。
まぁ東軍がそれを悠長にいつまでも許すとも思えないが
0399人間七七四年
2014/01/09(木) 21:18:38.30ID:72+j8rbP家康を大いに苦しめた依田信蕃でもかなり敢闘してただろ
0400人間七七四年
2014/01/09(木) 21:20:06.54ID:0sFitcf+幸村に全兵力委ねて指揮采配任せれば100%勝てる。
真田は冬の陣の時でも唯一真田丸で敢闘してたしな
0402人間七七四年
2014/01/09(木) 21:21:04.80ID:HNFYxUfF0403人間七七四年
2014/01/09(木) 21:24:37.81ID:Ku4IqSKt戦術に関してはともかく兵站管理に関しては、素人軍団だけでは中々厳しい物があるだろうし
0404人間七七四年
2014/01/09(木) 21:25:58.78ID:SyJ9IXje0406人間七七四年
2014/01/09(木) 21:36:52.72ID:C7COd56G0407人間七七四年
2014/01/09(木) 21:39:46.43ID:3tYSG7jw0408人間七七四年
2014/01/09(木) 21:40:46.68ID:gT/LVTj3政治力の高さと島左近、舞兵庫、蒲生郷舎などの実戦力の高さは認めるけど
岐阜城陥落で西軍の諸将たちが宇喜多、小西、大谷を残して皆さん見限っちゃったしね。
普通に岐阜城に大軍入れて家康相手に濃尾平野決戦になってたら
地理的に小早川秀秋の裏切りは防げたし、吉川広家が単独で不戦をしても長曾我隊や安国寺隊は
西軍として参戦できたと思うよ。というか広家自体も岐阜城陥落で三成の馬鹿を根底から完全に見離した線が濃いし
三成が名将なら裏切らなかったかもしれない。
0409人間七七四年
2014/01/09(木) 21:46:17.37ID:1xkNcHc8知者は困難を知り、愚者は不可能を知らない。
0410人間七七四年
2014/01/09(木) 21:53:43.29ID:gT/LVTj3名将義弘がそんなくだらねえ理由で関ヶ原で進軍しないなんてありえるかね。
単に三成では絶対に関ヶ原で敗北するのを悟って、あとは自分の隊が生き残れる道を
模索したとしか考えられないけど
0411人間七七四年
2014/01/09(木) 21:57:18.00ID:rBgdgYbL世間に出ればわかる
自前の兵隊も持たないはぐれ者が、どんな講釈を垂れたって誰もついてこん。
島左近って実在したかどうかも怪しい、自称筒井家の人間とか
家が無くなったサムライとかを集めたってどれほどのことが出来るもんかw
仮に公金横領をしてたとしても、豊家の役人程度であれだけやれたのは、十分名将の器だろう。
0412人間七七四年
2014/01/09(木) 22:20:34.44ID:KXiH6Cdn戦国時代は建築技術が著しく発達してたし
広範囲に砦を築いて幕府軍の戦力を分散させることができれば
大将を討ち取れる機会もあった気がするな。
0413人間七七四年
2014/01/09(木) 22:25:22.08ID:SyJ9IXje戦国期の築城技術なんてショボイもんだよ。
忍城や山中城や荒戸城などの復元模型がネットで見れるけど
まぁ貧相なものだし
堅城とか捏造されてる岐阜城なんて6回くらいあっさり陥落してるし
0414人間七七四年
2014/01/09(木) 22:28:09.66ID:EAKtKlS70415人間七七四年
2014/01/09(木) 22:28:55.77ID:v6iWYwzQ何もせずにほっといても勝っても領土の広がらない上に兵力劣勢の城方は降伏・自落・寝返り・逃散で楽に勝てるのは
目に見えてるし長期間もたつくのはよほど寄せての大将が雑魚の時だけだよ。
0416人間七七四年
2014/01/09(木) 22:29:58.03ID:b3kfVXqs武田の信濃侵攻なんて侵攻側にしては大して多くもない兵力で北信濃の日本で最もキツイ天嶮山城を毎回毎回簡単に落しまくってるからな。
織田徳川の大軍に対して行われた三・遠州侵攻作戦とか三方が原、長篠の戦いなんて武田が少ない兵力で侵攻しまくってるし対北条今川戦でも武田が侵攻側で
大国今川北条が防衛側だが北条今川相手に勝ちまくってるし信濃・上野の山間の天嶮によって割拠するガチンコ山城を攻撃側としては少ない兵力で落としまくってる。
長篠の戦いも「まるで城のようだ」と思わせる堅固な陣地にこもった高性能鉄砲・弓で待ち構えた織田徳川の大軍に対して直前の雨でぬかるんだ地面の中、結束力0の烏合の衆で挑んだ
ガチンコ城攻めだったが天正6年成立の長篠日記によると武田軍の9時間近い長時間の猛攻後に撤退。 馬場隊700で佐久間隊6000を敗走させ柵まで追い詰め43人討ち取り
山縣隊1500で徳川隊6000を柵まで敗走させるも 大久保隊が側面へ回りこむのを必死に阻止 さらに馬場の第二次攻撃で佐久間隊崩壊寸前
まで追い詰めるも 鉄砲隊の反撃で武田は撤退。織田方6000討死。武田方7000討死
以上のように織田徳川を寡兵で圧倒しまくってるし圧倒的に戦上手な部隊としかいいようがない
0417人間七七四年
2014/01/09(木) 22:32:16.42ID:u7Wz2CFk広範囲に砦を構えれば大軍側が広い場所で兵を展開しやすくなり
兵力差がますます戦局に影響与える。
寡兵側が勝利するにはなるべく戦闘範囲を狭く絞って戦力を集中させて
敵戦力の弱点をつくのが戦術の鉄則。
お前本物の馬鹿だろ。
0418人間七七四年
2014/01/09(木) 22:34:47.34ID:SyJ9IXje関ヶ原に敗戦したのは首謀者であり総大将である毛利が全く使い物にならなかったからだよ。
三成は豊臣政権維持のために全力を尽くして、兵を畿内だけで18万人もかき集めた。
ただその中で中核の軍隊をもつアホ毛利が戦力を分散させまくったために
西軍はずるずる戦線を後退させて、大敗しただけ。
0419人間七七四年
2014/01/09(木) 22:40:07.28ID:EAKtKlS7大国今川北条が防衛側だが北条今川相手に勝ちまくってるし信濃・上野の山間の天嶮によって割拠するガチンコ山城を攻撃側としては少ない兵力で落としまくってるからな
長篠の戦いも「まるで城のようだ」と思わせる堅固な陣地にこもった高性能鉄砲・弓で待ち構えた織田徳川の大軍に対して直前の雨でぬかるんだ地面の中、結束力0の烏合の衆で挑んだ
ガチンコ城攻めだったが天正6年成立の長篠日記によると武田軍の9時間近い長時間の猛攻後に撤退。 馬場隊700で佐久間隊6000を敗走させ柵まで追い詰め43人討ち取り
山縣隊1500で徳川隊6000を柵まで敗走させるも 大久保隊が側面へ回りこむのを必死に阻止 さらに馬場の第二次攻撃で佐久間隊崩壊寸前
まで追い詰めるも 鉄砲隊の反撃で武田は撤退。織田方6000討死。武田方7000討死
以上のように織田徳川を寡兵で圧倒しまくってるし圧倒的に戦上手な部隊としかいいようがない
0420人間七七四年
2014/01/09(木) 22:42:25.79ID:P/bjCqWH「先々は兵糧もなくその上寒空に向かっており途中の道筋も無人になり返すことすらできなくなる」
と明侵攻において途中での補給が難しいことを説明し、
まずは国郡で政務を行うように命じ、秀吉の意向に対して、反対して方針変更してしまうほどの男
忍城攻めでも秀吉の指示による水攻めに反対し、強襲を意見するほど。
豊臣恩顧大名の書状を見ても、秀吉の絶対命令に対して、現場責任者としてちゃんと理を説いて反対意見を具申しているのは三成くらい。
これが秀吉の信用を得ていった理由だろう。
また筑前筑後の小早川領をやると言われた時には三成は反対し、
それらの領地を豊臣政権の財政基盤のため蔵入地にしてしまうなど、
当時の豊臣恩顧大名の領土欲とは正反対の志向を持っていた。
秀吉にも怒りを買うのを恐れず意見し、領土欲もない。
これが秀吉には唯々諾々と従い、強欲に領地を欲した武断派と相容れないところだったんだろう。
0421人間七七四年
2014/01/09(木) 22:43:27.66ID:P/bjCqWH蔵に食料がたんまりあり、兵糧にこれほど困らない戦いはいままで無かったなどと言われるほど。
だけれどそれは現地の蔵にあるものを没収していたからで、
三成は日本との兵站線から先々は補給が厳しくなることを見通して朝鮮統治に力を割くようにしようとしていた。
そこに明軍が襲来である。
小早川隆景の馬鹿は後退により秀吉からの叱責を恐れて臨津江という大河を背に自分の守る開城で篭城することを主張し、
三成は背後の大河を使っての補給遮断の危険性を強調し、隆景が臆病者めと応じて大口論。
大谷と前野が仲介して、漢城へ後退し迎え撃つことに。結局、立花宗茂が活躍し明を撃退。
秀吉が後退をとがめるために浅野が使者としてやってくると、
隆景が奉行が臆病で仕方が無かったと連呼し、明軍撃退を自分ひとりの功績だと主張して得意がっていた。
三成は後退の叱責を一人でかぶり、開城撤退理由を話した。
0422人間七七四年
2014/01/09(木) 22:44:01.08ID:v6iWYwzQよほど三成の統治は喜ばれていたからこそ大事に保管されてるんだろうな。
千石に1人の賦役とちゃんと決まってたし、それ以上が必要になった場合は飯米を給金して補償だし、
土地の耕作権は未来永劫、検地帳に書いた氏の者であり、奪われることがない保証もあるし、
百姓が迷惑することがあれば、取次は一切なく三成へ直接、訴訟できる目安による救済制度もある。
これほどよい領主はいないだろうね。
0423人間七七四年
2014/01/09(木) 22:51:42.50ID:KXiH6Cdn軍事オタwウザいw戦国時代の合戦を知らん馬鹿は帰れよ。
小牧・長久手の戦いとか調べてからレスしてくれ。
0425人間七七四年
2014/01/09(木) 22:57:56.31ID:sjypulXr3月伊勢→4月尾張→5・6月尾濃国境の木曽川流域→7月尾張と
戦いがあった地域自体非常に狭い範囲なんだが…
0426人間七七四年
2014/01/09(木) 23:01:06.71ID:sjypulXr甲斐新府城と若御子の周辺一帯のみで非常に限られてる。
佐久でゲリラやってたのは依田などごくごく一部だし
北条方部隊が小田原→上野→碓氷峠→信濃→甲斐の若御子という
超遠距離・飛び地的な輸送ルートでもって、補給を行うしかなかったから(相模・武蔵方面からの援軍は黒駒合戦で撃退された)
信濃方面の依田らの活躍で背後を危うくされて、佐竹らも暴れだして撤退するしかなくなっただけ。
そんな特殊で敵地を通った飛び地的補給でもって物資輸送を徳川が行っていないのだから、
徳川にゲリラ戦仕掛けたってまるで成功する可能性はない。
せいぜい最初の夜討ちで数百か数千がビックリして一時的に潰走するくらいが関の山。
0427人間七七四年
2014/01/09(木) 23:02:32.95ID:0sFitcf+0428人間七七四年
2014/01/09(木) 23:07:32.13ID:fhZ4kKH23000程度であれだけ奮戦できるならその10倍もあれば家康の首なんて余裕で取れる
兵力の2乗=戦力の2乗だから
兵力が10倍になれば実践での戦力は100倍だからね。
史実の100倍は徳川方は戦死者が出てたのは想像に難くない。
0429人間七七四年
2014/01/09(木) 23:27:51.12ID:gT/LVTj3ここのオタクは「勝利する可能性は0%。だから大阪城で寝る〜」だけどw
0430人間七七四年
2014/01/09(木) 23:32:36.56ID:EAKtKlS7野戦で大軍側を跳ね返すのは困難な芸当。普通に正面衝突すりゃ、大軍側が100%勝つのは目に見えてるからな。
野戦は篭城戦以上に兵力差がそのまま出るからな。
まぁ篭城では勝ち目なしというのは同意だけど。
0432人間七七四年
2014/01/09(木) 23:59:39.48ID:gT/LVTj3ほぼ無いね。東西どちらからも陸路・水路を使って幕府方は補給し放題。
ただし半年落ちなかったら幕府方が厭戦気分に陥る事は間違いない。
小田原の陣ですら帰国してしまった武将が居たしね(ちょっと名前失念。それほど有名な武将ではない)
0433人間七七四年
2014/01/10(金) 00:06:44.41ID:SWyauYGNはいはいw20万の軍勢を集結させてどうやって寡兵で
敵戦力の弱点をつくのが戦術の鉄則を実現できるんでしょうねw
そんな事例があったら教えて欲しいですね。
>>425
局地戦での合戦って意味で書いたの。さすがに20万相手に10万に
決戦を挑んだら勝ち目はない。
0434人間七七四年
2014/01/10(金) 00:10:35.88ID:7XPJpyGP大阪城は5万人も居れば守れるだろ
普通に5万は城外で戦うべきだろ
都合悪くなれば大阪に逃げ帰ってもいいわけだし
0435人間七七四年
2014/01/10(金) 00:25:56.78ID:eC/yRvqR出撃したらあとは自分らで何とかしてねってわけにはいかんだろし
0436人間七七四年
2014/01/10(金) 00:32:13.89ID:aPxTY9Lw相手がなにもせずに逃がしてくれるかな?
近畿一帯全部徳川方だよ。
豊臣が野戦を挑んでも徳川が本隊が到着するまで乗ってくれなかったら?
旗色が悪くなって退却するところを捕捉されたら虎の子の決戦兵力を失ったら籠城戦を続けることもできなくなる。
上で「決戦しない豊臣はバカで、籠城を支持するお前らは腰抜けの無能」ってわめいてるのがいるけど、事実は出戦したくても出来なかったというだけ。
ゲームと違って相手はボサッとやられるのを待ってくれない。
0438人間七七四年
2014/01/10(金) 00:50:15.65ID:SWyauYGN主戦派は出戦を主張してんだが・・・
というか決戦になったら詰みだから。
史実でも大阪城という堅城があったにも関わらず
幕府軍20万を集結させて決戦になったから滅亡したわけで。
0439人間七七四年
2014/01/10(金) 00:56:55.33ID:aPxTY9Lwきみみたいな軍事ロマンチストと話すことは無いよ。
きみがそう思うんならそうなんだろ。きみのなかでわ。
0441人間七七四年
2014/01/10(金) 01:00:00.74ID:aPxTY9Lwそれが通らなかったのは何故?って考えてみなよ。
リスクに比べてリターンが皆無だからだよ。
それに滅びたのは夏で冬は滅びてません。
0442人間七七四年
2014/01/10(金) 01:00:54.97ID:F2zp4Lzp家康も少しはビビり、全軍動揺してたかも
0443人間七七四年
2014/01/10(金) 01:02:12.67ID:aPxTY9Lw光栄だね。
あんなきつい状況で投げ出さずに主家と運命をともにした男と同一視してもらえて。
0445人間七七四年
2014/01/10(金) 01:17:25.83ID:9kXGrZ30>>20万の軍勢を集結させてどうやって寡兵で敵戦力の弱点をつくのが戦術の鉄則を実現できる
戦術に優れた武将がいれば可能でしょ。ナポレオンでもハンニバルでもそうやって敵を殲滅してるし
孫子とか、ランチェスター法則とか普通に軍事学の基本を読めば分かる。
>>そんな事例があったら教えて欲しい
>>局地戦での合戦
小牧長久手合戦は豊臣軍は主要メンバーと135000の大軍が総結集して戦ったんだから
単なる局地戦ではなく主力決戦でしょ。主力決戦で1万人も雑魚信雄に討ち取られて京で騒乱が数日続いてるし
その後の攻防にも規格外の兵力差でもって蟹江・前田・下市場…浜田・長久保を奪回され
松ノ木城や戸木城や河波城、赤目城、東駒野城など1000貫そこそこの雑魚領主に蹴散らされまくって自力では全くといっていいほど領地を切り取れなかったし。
0446人間七七四年
2014/01/10(金) 01:20:09.12ID:JuR+hQ94小田原の陣で帰国した武将なんてどの論文でも読んだ事がないので是非教えて欲しい。
篭絡された皆川・佐野・大道寺・松田など、戦意0で兵や将が離散しまくってたのは小田原方だっただろ。
0447人間七七四年
2014/01/10(金) 01:20:47.13ID:7XPJpyGPつーか相手より兵力が多いと必ず多分散して相手の兵力より圧倒的少数にして戦う。
だから彼の熱烈なファンが多いわけで。
0448人間七七四年
2014/01/10(金) 01:22:55.19ID:2/wP5lVc全く根拠にならない。
ナポレオンが寡兵で大軍を倒す際にも一度に敵に衝突させる兵力を敵より多くするのが鉄則と書いてる
ネットで見れるからちゃんと読んで勉強しな
0449人間七七四年
2014/01/10(金) 01:23:42.54ID:sxgnxZgg0451人間七七四年
2014/01/10(金) 01:27:14.20ID:JuR+hQ94ハンニバルの戦術も
騎兵を両翼において、両翼を突破して敵兵力を包囲する事により
総兵力で劣っていても、一度の戦う(衝突する)人数を相手より多くする事によって
殲滅したり狭隘な渓谷を使って、細長い隊列で行軍してきた敵を深く誘いこんでから
伏兵によって包囲殲滅したりと
一度に戦う人数を敵より多くするというランチェスター法則に乗っ取った戦いをしてるだけ。
ただ何の戦術的工夫もなく、正面衝突で野戦で正面から戦えば寡兵側が勝つなんて到底無理なのは馬鹿でもわかる。
0452人間七七四年
2014/01/10(金) 01:28:53.80ID:9kXGrZ30馬鹿正直に戦ってたわけではないだろ
0453人間七七四年
2014/01/10(金) 01:32:01.30ID:7XPJpyGPなぜ危ない成皋・滎陽に出たか考えろよ。
負けてる側が一方的に引いたら、それはもう負けなんだよ。
実際、何度も成皋・滎陽を落とされ逃げまくったりしてるが
それでも関中にこもらなかったことが最大の勝利の原因
0454人間七七四年
2014/01/10(金) 01:33:30.96ID:7XPJpyGP0455人間七七四年
2014/01/10(金) 01:33:54.61ID:gOtWM64e寡兵側の偽退却や伏兵、陽動作戦にマンマとひっかかるわけないし
物見を放つくらいの事はするから無理だな
大体戦国期の合戦で大軍側が負けてるのは、よほど不運な事故があるか
寄せ手が油断してたり、相手の陽動や釣りにマンマとひっかかったり
馬鹿な戦術を講じたり、失態やらかしてるときだけ。
寄せ手が馬鹿じゃなきゃ順当に隊列を守って、物見もちゃんと放ち、無理な行軍や
危険を招く兵の分散は避けて順当に行軍してくる。
0456人間七七四年
2014/01/10(金) 01:35:20.11ID:LVTrOsq/0457人間七七四年
2014/01/10(金) 01:37:01.90ID:8cTsxtWy中国の広大な領土の中での、離合集散を繰り返せる環境下での戦いを比べられてもなぁ
0458人間七七四年
2014/01/10(金) 01:38:03.62ID:7XPJpyGP大阪方も人数が半減してたし
あんな野戦をやるんだったら冬の陣でしておくべきだった
夏の陣はもはや「勝利」など全く目的にしてないから。
運良く家康か秀忠のどっちか殺して一矢報いればいいなぁ程度で
0459人間七七四年
2014/01/10(金) 01:38:59.97ID:LVTrOsq/戦力も物資も篭城拠点も捨てる事になるから到底無理だな。
拠点によらずに離合集散を繰り返しながら、生きながらえ、影響力を持ち続けた勢力は、戦国期には
不在だし、大坂方にその力や物量があるとも到底思えない
0460人間七七四年
2014/01/10(金) 01:40:16.81ID:7XPJpyGPもう馬鹿はこれ以上相手にできんわ
0461人間七七四年
2014/01/10(金) 01:45:48.54ID:2/wP5lVc前線に出てる兵力が少ない時だけだろ。
大坂の陣では徳川は大軍を全国から集めて侵攻を行ったから、
出撃は必ずしも有効とはいえない。
篭城してても勝ち目ないというのはまあ同意だが
0462人間七七四年
2014/01/10(金) 01:48:48.64ID:sxgnxZgg前田なんて冬の陣の時でも真田丸で壊滅させられ
藤堂も長宗我部に蹴散らされまくってたし。
0463人間七七四年
2014/01/10(金) 01:51:18.43ID:8cTsxtWy関ヶ原敗戦組も含めて総決戦を行えれば間違いなく勝てた。
兵力でいっても、メンツでいっても、西軍の方が遥かに充実してて、東軍は雑魚ばかり。
0464人間七七四年
2014/01/10(金) 01:51:58.82ID:GJQixxGv0465人間七七四年
2014/01/10(金) 02:04:58.79ID:Uj93bs4i未だにそんな事言ってるの人って自称歴史好きじいさんぐらいしかいないと思ってたw
0466人間七七四年
2014/01/10(金) 02:05:59.56ID:BZ9fi2Zo秀頼の成長と家康の死を待ちすぎたのが豊臣の失態
0468人間七七四年
2014/01/10(金) 07:44:31.63ID:F2zp4Lzpそれら省いて1615年だけで理論し合おう
0469人間七七四年
2014/01/10(金) 08:34:05.30ID:9kXGrZ30利家隆景なんてろくな戦果ねーだろ
0470人間七七四年
2014/01/10(金) 10:01:35.47ID:DmSE6xIU0471人間七七四年
2014/01/10(金) 11:42:12.61ID:7XPJpyGPある意味、真田丸はそれに近くなくもないけど
時間があったらもっとちゃんとしたものも作れたろうに
劉邦は成皋・滎陽を甬道で繋ぎ敵を翻弄した挙句
成皋を抜かれるや敖倉を全力で奪い返して広武山とのラインで守りと
常に連城と食糧庫を中心にラインを敷いて後背地の関中を自分の命を的にして
死ぬ気で最後まで守った。
これを秀頼方で真似をするとしたら
琵琶湖を盾につなぐラインで、たいして大きくない連城にこもり
新たな軍用道路や堰を作り必死に関西方面への侵入を食い止め
後背地の西日本を守る事に繋がる。
実際、出撃策の浪人武将たちが指示した戦略もそれと全く同じだったわけだし。
天下人項羽が旗下の国々に結局のところ裏切られたのは中々劉邦を攻めきれなかったのが
決定的原因だし、当時の幕府など大阪方に何度か負け続け1年も持ちこたえられたら
完全瓦解するわ。徳川の天下がある程度固まったのは土井利勝等が天下の仕置きを徹底した
秀忠〜家光時代で完全に固まるには綱吉の時代まで待たなければならなかったわけだし。
0472人間七七四年
2014/01/10(金) 12:24:48.51ID:7XPJpyGP大津〜伊賀を結ぶラインに防衛線を敷くはず
それで大軍が西進道路が無くなる
必ず琵琶湖南岸を通らなければならないわけで
ここを守りきる事ができれば自然と勝ち筋が見えてくる
総大将が最前線に居ないとやはり士気は奮わない
それが分かってるから家康は関ヶ原では自分の命を的にして
桃配山から陣馬野公園に自分の指揮所を移して(ほぼ最前線)
乾坤一擲な戦いを示している。
0473人間七七四年
2014/01/10(金) 12:31:35.18ID:Z9YweU6+0474人間七七四年
2014/01/10(金) 12:36:37.31ID:Uj93bs4iそれとも簡単に落とせると思ってるのかなぁ。徳川方も伏見の守備兵を手薄にしてるとは思えないんだが。
0475人間七七四年
2014/01/10(金) 12:43:03.45ID:7XPJpyGPなんでそれが怖いんだ?
出撃したら叩けばいいだけだしw
0476人間七七四年
2014/01/10(金) 12:44:18.73ID:7XPJpyGP「伏見が怖い!だから大阪城で寝てるお」
しゅうりょ〜
0477人間七七四年
2014/01/10(金) 12:58:22.40ID:Z9YweU6+叩こうと思えば撤退し、また近江に向かおうとすれば出撃し
そんなことを繰り返すうちに、徳川方の増援が来て包囲殲滅
0479人間七七四年
2014/01/10(金) 13:13:59.58ID:9kXGrZ30空になった大坂城を東軍が簡単に落して終了
こんな流れになると思われる
0480人間七七四年
2014/01/10(金) 13:19:10.54ID:7XPJpyGP知らなかった?
俺の中の常識では走れば数時間、歩いても一日かかららいんだが・・・
0481人間七七四年
2014/01/10(金) 14:05:28.57ID:Z9YweU6+交代の在番が二・三千人に城代の松平定勝五万石なので
五千人近い兵が常にいることになる
>>480
伊勢・近江・美濃・尾張等に譜代大名がいるんだけど
0483人間七七四年
2014/01/10(金) 14:24:22.90ID:9kXGrZ30仮に伏見城が落ちても、せいぜいその周辺の情勢が変化する程度で、
どの道幕府軍が集結して殲滅されるのは目に見えてる
0484人間七七四年
2014/01/10(金) 14:34:18.87ID:7XPJpyGP伏見城が怖いので大阪城の戦い(笑)
0485人間七七四年
2014/01/10(金) 14:41:33.76ID:Z9YweU6+0486人間七七四年
2014/01/10(金) 14:46:09.76ID:7XPJpyGPたびかさなる降城勧告交渉の長引きと秀秋らの露骨なサボタージュがあったからな。
それは田辺城にも全く同じことが言える。
0488人間七七四年
2014/01/10(金) 16:11:47.39ID:7XPJpyGP伏見城城主は木下勝俊であって大阪方はまさか伏見城が抵抗するなんて
最初から全く予想だにしてなかったからな。
クーデターで鳥居元忠が奪ったわけで、戦いの始まりはそこからだし
公家の記録って本当にデマばかりだし全くあてにならんだろう。
大阪の陣ですら本気で豊臣方が勝つか徳川方が勝つか分からない人もかなり居たそうだし
0489人間七七四年
2014/01/10(金) 16:18:29.01ID:Z9YweU6+勝俊以外は全員徳川家臣なんだけど
後、大坂の陣と違い目と鼻の先の伏見だから、公家の記述は特に問題ないし
人によっては直接見物した者もいる
0490人間七七四年
2014/01/10(金) 16:23:01.54ID:7XPJpyGPはあ?目と鼻の先で戦ってる大坂の陣で秀頼が勝ったらどうしようとおろおろしてたのが公家なわけですがw
「公家の情報は正しい(キリッ)」は流石に歴史板で見た事ねーわw
0491人間七七四年
2014/01/10(金) 16:44:33.47ID:aPxTY9Lw反対する者には無能な臆病者のレッテル張り。
まさかアンドリュー・フォーク准将をこんなところでお見かけするとはなぁ。
0492人間七七四年
2014/01/10(金) 16:52:33.77ID:56040wBC0494人間七七四年
2014/01/10(金) 19:26:07.77ID:BZ9fi2Zoそれは大男だったから
秀頼も大男
秀頼公が出陣したら無敵で家康打ち取り豊臣大勝利
えっ、秀頼は実戦経験がないから弱いだろうって?
それじゃあ、現在の180センチの剣道の達人と実戦経験豊富な150センチの秀吉が真剣勝負したら秀吉が勝つはずって言い切れますか?
0495人間七七四年
2014/01/10(金) 20:07:58.90ID:Z9YweU6+0496人間七七四年
2014/01/10(金) 20:14:45.32ID:BZ9fi2Zo天下人として武術の英才教育受けてるのに弱いワケないじゃん
0498人間七七四年
2014/01/10(金) 21:20:13.21ID:BZ9fi2Zo0499人間七七四年
2014/01/10(金) 21:30:17.48ID:7XPJpyGP武術はよく知らん。受けてたらいいなぁ・・
0501人間七七四年
2014/01/10(金) 21:51:37.90ID:7XPJpyGP幼児の頃から預けられた川村海軍中将の下で。
先日、三島の方にある元御所を見学したら天皇陛下の住んでた部屋や家が公開されてて
天皇家の習慣に従い家臣の家に預けられてた云々書いてあった。
0502人間七七四年
2014/01/10(金) 22:02:37.31ID:BZ9fi2Zo天下人が武術の稽古しないってギャグでしょww
0503人間七七四年
2014/01/10(金) 22:09:22.40ID:Z9YweU6+0504人間七七四年
2014/01/10(金) 22:11:41.31ID:aPxTY9Lw0505人間七七四年
2014/01/10(金) 22:16:18.40ID:SWyauYGNだからなんでわざわざ20万を集結させるなんてことをさせるの?
集結されたら豊臣方はますます不利になるのに。
0506人間七七四年
2014/01/10(金) 22:17:13.74ID:BZ9fi2Zo格はもちろん、財力が違うんですよ豊臣家は
無知が酷いw
0507人間七七四年
2014/01/10(金) 22:23:53.66ID:9kXGrZ30お前日本語大丈夫か?w
0508人間七七四年
2014/01/10(金) 22:27:57.17ID:5XADz76q秀頼が先頭に立って突っ込んできたところで、気にせず鉄砲を撃ち込んで終わりだろ
戦の作法は鎌倉武士で軟弱さは現代人で、武装は南北朝期なんてファンタジー世界にでもいかないと成立しない
0509人間七七四年
2014/01/10(金) 22:28:12.93ID:2/wP5lVc0510人間七七四年
2014/01/10(金) 23:03:00.65ID:SWyauYGNというか史実だと大阪城という堅城があっても滅亡した。
それよりは真田幸村たち主戦派が提唱したように各地に砦を築き戦域を広範囲にし、
幕府軍を分散させたほうがまだ勝機はあった。
小牧・長久手の戦とか天正壬午の乱で家康が寡兵で優位に立てたのも
決戦を避け局地戦にメインで行ってたからだし。
軍事学的には寡兵側が最初から決戦を選択するなんて愚の骨頂だよ。
0511人間七七四年
2014/01/10(金) 23:25:10.84ID:9kXGrZ30小牧長久手合戦なんて特に秀吉軍はフルメンバーで挑んだ主力決戦じゃねーか
0512人間七七四年
2014/01/10(金) 23:26:19.05ID:BZ9fi2Zo豊臣方の士気が上がるのはもちろん、豊臣恩顧の大名は積極的に秀頼公に弓引けんわ
福島勢が裏切ったりしてみろ戦況どうなるかわからんぞ
秀頼公出陣が最善かつ最強の方法でそれ以外に勝つ方法なんてないわな
0513人間七七四年
2014/01/10(金) 23:28:29.89ID:8qfn6y3m幸村たちはそんな事全く主張してない。
>>幕府軍を分散させたほうがまだ勝機
軍事学的には広範囲の戦闘は大軍側に圧倒的に有利になる
なぜなら大軍を展開するには狭い場所より広い場所の方が圧倒的に有利だから。
渓谷とか狭隘な山間部に比べ
平野で、しかも広範囲に戦うとなれば物量差や兵力差がそのまま戦局に影響する
つか、お前HPでも見てランチェスター法則など、軍事学の基本を一から学べ
無知すぎて話にならん
0514人間七七四年
2014/01/10(金) 23:29:22.97ID:2/wP5lVc戦力の集中化と敵戦力の中での手薄な部分の攻撃という軍事面での大原則を忠実に守って行っているだけで
兵力を分散化させて戦闘を行うのは、劣勢側にとっては不利を広げるだけ。
0515人間七七四年
2014/01/10(金) 23:30:26.42ID:sxgnxZgg第二次世界大戦の日本とか見りゃわかるだろ。
国力や兵力が劣る側にとっては広範囲の戦線展開は、物資や、兵力でハンディを抱える側にとってますます足かせになるんだよ。
寡兵側が勝つには、なるべき狭い範囲で兵力を限りなく集中させて、敵兵力の手薄な部分を集中的に突くしかない。
これが軍事学の鉄則。
出撃するなら3万〜5万くらいの大軍で、一方面に絞って、徳川方の一部隊を殲滅した後
別方面に兵を展開して、また殲滅
という戦法じゃないと全く意味がない。
ゲリラ戦の成功条件には、ゲリラ戦を展開するに適した、兵を散開させる地勢(渓谷や、山間部や、その周辺の地理に詳しい者など)が必要だが
大坂城周辺の攻防ではそれが全く皆無といっていい。
戦国期の戦闘においてゲリラ戦が成功している例は、せいぜい天正壬午みたいなアルプス地帯で行われた地元豪族による
後背地の撹乱と小荷駄隊の襲撃という手法である事例が一つ二つある程度。
それ以外の戦闘ではほとんど皆無といっていい。
0516人間七七四年
2014/01/10(金) 23:31:06.98ID:2/wP5lVc超遠距離・飛び地的な輸送ルートでもって、補給を行うしかなかったから(相模・武蔵方面からの援軍は黒駒合戦で撃退された)
信濃方面の依田らの活躍で背後を危うくされて、佐竹らも暴れだして撤退するしかなくなっただけ。
そんな特殊で敵地を通った飛び地的補給でもって物資輸送を徳川が行っていないのだから、
徳川にゲリラ戦仕掛けたってまるで成功する可能性はない。
せいぜい最初の夜討ちで数百か数千がビックリして一時的に潰走するくらいが関の山。
ベトナムイラクアフガン中国国民党カストロ雑賀一族がゲリラ戦が可能だったのは
特定の場所(この場合でいうと大坂城)を守るための戦ではなかったから、相手からしたら
敵がどこから来るか予測がつかず、兵の散開や奇襲が可能だったってだけでしょ。
大坂の陣は大坂城を守る戦だから、大坂城を捨てない限りイラクやアフガンや中国みたいな逃げ回ってのゲリラ戦なんて不可能だし
大坂方は大坂城やその周辺の領土捨てたら、兵の休息も、物資の補給も、収入確保も、全く行き届かなくなって飢え死にするだけだし
外国みたいな広範な領土もないから、逃げ隠れする場所も全くないし死ぬだけ。
日本の戦では、特定の拠点に全軍が篭もらず散開してた勢力は、ほとんど例外なく悉く討ち取られてる(越前一向一揆などがいい例)
0517人間七七四年
2014/01/10(金) 23:31:37.21ID:JuR+hQ94軍事の基本すら知らんで兵力を分散してゲリラ戦しろとか相当馬鹿だな。
関ヶ原で戦力分散しまくって大敗したアホ毛利みたいな糞戦略やれってのか。
そもそも日本の戦国期の戦争は城郭を巡る攻防という特性上、防衛側がゲリラ戦を展開して成功したケースは非常に稀。
ゲリラ戦は特定の防衛拠点がない場合は、逃散→奇襲というヒット&アウェー戦法も可能になるが
城を防衛する戦の場合は、逃散するべき場所が城しかない(城を捨てれば落城する事になり防衛側の敗北)以上その戦法自体が不可能。
逃げるべき場所もないのに、イラクやアフガンみたいなゲリラ戦法なんて取りようがないなんて
少し頭を働かせれば分かることだろ。
0518人間七七四年
2014/01/10(金) 23:31:39.77ID:aPxTY9Lw大坂の陣に福島勢はおらんと思うが?
0519人間七七四年
2014/01/10(金) 23:32:08.87ID:H81TxF7O徳川軍なんて四天王が次々病死、他の諸大名も世代交代してて大した連中もいないし
大阪方の方が戦績豊富な連中多いんじゃね
0520人間七七四年
2014/01/10(金) 23:32:56.83ID:GJQixxGv戦力の集中化と敵戦力の中での手薄な部分の攻撃という軍事面での大原則を忠実に守って行っているだけで
兵力を分散化させて戦闘を行うのは、劣勢側にとっては不利を広げるだけ。
そもそも日本の戦国期の戦闘で、寡兵側が勝ってるのは寄せ手の油断や、偶然的な条件の重なりなど
特定の条件下でしか行われていない。
普通の頭で考えれば地形に関係なく普通に正面からガチンコで戦えば大軍側が勝つに決まってるじゃん
20対10で戦った場合10人の方は結束したとしても20人分の攻撃を10人でうけなきゃいけないけど
20人の方は10人分の攻撃を20人で分散できるから一人のダメージ比は4対1だし
寡兵側が勝ってるのは相手の油断をついて奇襲・敵を自陣深くうまく釣り込んで殲滅・ポエニ戦争みたいに敵の左右の陣を突破して
包囲殲滅など優れた戦術や敵の油断をつくなど、かなりの指揮采配能力の差や、偶発的事故などが続くなりしないと無理。
普通に正面衝突すりゃ大軍側が100%勝つに決まってる
兵力数と武器性能で戦争は決まるからね。
兵力比は実際にはその2乗となって戦争に影響するしこれに装備性能が加わったものが実際の戦力
これをくつがえすのはよほどの幸運・偶発的条件やうまい戦術、両将の指揮能力の差がないと無理(もちろん城攻めは別だが)
普通に平地でガチで遣り合えば100%兵力が二乗の戦力となり、装備差によって戦闘が決着する
ゲームでは統率や経略の少しの差で簡単に覆ってしまうが実際はなかなかそうはいかない
城攻めでも野戦でも兵力差が大きいと少ない方は味方の士気が下がったり離反や逃亡する兵が出る。
後詰の望みがない防戦なんてよほどの偶発的条件か両将の指揮能力のよほどの差がない限り基本勝つ可能性皆無なんだから
逆にその影響度が圧倒的に大きい兵力差をひっくり返して撃破した武将と撃破された武将はかなり大きく指揮采配能力に差があるとみるべき。
0521人間七七四年
2014/01/10(金) 23:33:43.26ID:LVTrOsq/総兵力のうち、一度に敵に衝突させる兵力を、敵よりも味方の方が多くする戦術的な工夫があったからこそ
勝利できたわけで、一遍に大軍をそのまま寡兵で相手にして大破したわけではないぞ。
でも寄せ手側の大将が無能じゃなきゃ、そうそうそんな戦術にマンマとのせられる事はないし、
どっちにしろ運次第としかいいようがないわな
0522人間七七四年
2014/01/10(金) 23:34:38.16ID:LVTrOsq/一時の勝利をもって勝ちみたいに捏造されても困る。
あとカサエルのガリヤ侵攻が兵力100倍相手ってソースは?
380 :人間七七四年:2014/01/09(木) 20:56:30.77 ID:gT/LVTj3
少なくとも上記の名将たちの誰一人として10万の傭兵をもらって
「さあ大阪城でただただ籠城しつづけよう」なんて将は居ないと断言できる。
そんな事をするくらいなら戦わずに最初から降伏するわ
ロシアにとって極東なんて僻地中の僻地で
ロシア軍隊の中でほんの一部にすぎない三軍メンバー相手にちょろっと勝っただけの日露戦争を
兵力国力10倍の相手に正面衝突でガチンコで勝ったように印象操作とか相当馬鹿だな
0523人間七七四年
2014/01/10(金) 23:35:38.52ID:GJQixxGv日本の中世期の戦争は城郭を巡る攻防という特性上、
防衛側がゲリラ戦を展開して成功したケースは非常に稀。
ゲリラ戦は特定の防衛拠点がない場合は、逃散→奇襲というヒット&アウェー戦法も可能になるが
城を防衛する戦の場合は、逃散するべき場所が城しかない(城を捨てれば落城する事になり防衛側の敗北)以上その戦法自体が不可能。
逃げるべき場所もないのに、イラクやアフガンみたいなゲリラ戦法なんて取りようがないなんて
少し頭を働かせれば分かることだろ。
0524人間七七四年
2014/01/10(金) 23:36:45.00ID:9kXGrZ300525人間七七四年
2014/01/10(金) 23:39:01.74ID:2/wP5lVc相当な知能指数の低さでウンザリだわ
0526人間七七四年
2014/01/10(金) 23:43:47.39ID:BZ9fi2Zo1611年に秀頼公と家康が会見した時に家康は秀頼のカリスマ性に圧倒され自分が生きてるうちに豊臣家を滅ぼしておかないと大変な事になると思ったぐらいだからな
なんちゃって源氏の地侍の棟梁家康とはDNAが違うんだよ
0527人間七七四年
2014/01/10(金) 23:46:45.27ID:sxgnxZgg秀頼にそんなカリスマ性があるかどうかもよくわからんなぁ
0528人間七七四年
2014/01/10(金) 23:53:37.05ID:BZ9fi2Zo秀吉の息子にブランド力がないわけがない
0529人間七七四年
2014/01/10(金) 23:56:30.86ID:aPxTY9Lw福島は江戸にいるんだ。
浅野も前田も蜂須賀も味方してくれんかったやん。
大坂方の士気は上がるかもしれんけど、豊臣恩顧の諸将にもう一度そっぽむかれるのもせつない話しやで。
0530人間七七四年
2014/01/11(土) 00:04:08.79ID:wToDKmjG家康や秀忠がいちゃもんつけて大坂を攻める手立てを講じて
食い扶持を求めてきた浪人衆を養える財宝が大坂に備蓄されてたからってだけでしょ
秀頼にカリスマ性があれば豊臣恩顧系ははなから大坂方についてるでしょ
0531人間七七四年
2014/01/11(土) 00:40:29.18ID:peGruXhS内容みてるとガリア戦記なんてデタラメプギャー!だったり
公家の日記は正しいと言ってみたり
大阪城から一歩出た瞬間に全国から徳川兵がワープして包囲殲滅すると言ってみたり
結構おもろいわ
0532人間七七四年
2014/01/11(土) 00:43:16.91ID:peGruXhS家から最寄りのコンビニに行くのも外出恐怖症で怖い連中だから戦国時代だったら真っ先に死ぬって事
0533人間七七四年
2014/01/11(土) 00:50:27.65ID:ZeXo+9I6あんまり興奮すんなよ。
そのうち白目むいて倒れるぞ。
0534人間七七四年
2014/01/11(土) 00:59:17.84ID:JItxcRuJ豊臣方が勝つ方法を考察するスレで豊臣方が勝てないと主張する奴が書き込む事自体おかしい
豊臣方が勝つ最善の方法は秀頼公出陣
それが叶わないなら史実通り豊臣家滅亡しかないんだよ
0535人間七七四年
2014/01/11(土) 01:02:38.86ID:vPm8pCYs・ガリア戦記は戦記と名前がついてるようにただの二次史料
・公家の日記が全て正しいとは言えないが、少なくとも大坂の陣に関しては地理的状況や距離から考えて一次資料
・大坂城から大坂方が出撃すれば、当然それに対応して、東軍側も迎撃態勢を整える
お前は正真正銘の馬鹿だろ
0536人間七七四年
2014/01/11(土) 01:03:51.84ID:wToDKmjG前線に出てる兵力が少ない時だけだろ。
大坂の陣では徳川は大軍を全国から集めて侵攻を行ったから、
出撃は必ずしも有効とはいえない。
篭城してても勝ち目ないというのはまあ同意だが
0537人間七七四年
2014/01/11(土) 01:04:32.32ID:iQduvxx1騎兵を両翼において、両翼を突破して敵兵力を包囲する事により
総兵力で劣っていても、一度の戦う(衝突する)人数を相手より多くする事によって
殲滅したり狭隘な渓谷を使って、細長い隊列で行軍してきた敵を深く誘いこんでから
伏兵によって包囲殲滅したりと
一度に戦う人数を敵より多くするというランチェスター法則に乗っ取った戦いをしてるだけ。
ただ何の戦術的工夫もなく、正面衝突で野戦で正面から戦えば寡兵側が勝つなんて到底無理なのは馬鹿でもわかる。
0538人間七七四年
2014/01/11(土) 01:05:28.95ID:XYVqDPeKその後細川や上杉隊などに戦力集中してかかり殲滅と
兵力を集中して、他の方面は極力敵軍の足止めを行い、その間に各軍団を各個撃破していく戦略が妥当か
0539人間七七四年
2014/01/11(土) 01:06:25.43ID:16IY/wu3野戦で大軍側を跳ね返すのは困難な芸当。普通に正面衝突すりゃ、大軍側が100%勝つのは目に見えてるからな。
野戦は篭城戦以上に兵力差がそのまま出るからな。
まぁ篭城では勝ち目なしというのは同意だけど。
0540人間七七四年
2014/01/11(土) 01:06:35.93ID:peGruXhS二次資料って意味が分かってる?
ガリア戦記の著者は「カエサル自身」なんですが
ウルトラ馬鹿ですか???
0541人間七七四年
2014/01/11(土) 01:07:09.50ID:wToDKmjG寡兵側の偽退却や伏兵、陽動作戦にマンマとひっかかるわけないし
物見を放つくらいの事はするから無理だな
大体戦国期の合戦で大軍側が負けてるのは、よほど不運な事故があるか
寄せ手が油断してたり、相手の陽動や釣りにマンマとひっかかったり
馬鹿な戦術を講じたり、失態やらかしてるときだけ。
寄せ手が馬鹿じゃなきゃ順当に隊列を守って、物見もちゃんと放ち、無理な行軍や
危険を招く兵の分散は避けて順当に行軍してくる。
0542人間七七四年
2014/01/11(土) 01:09:11.74ID:tMe7pb4Tお前は本当に馬鹿だな。
戦記と名前がついてる限り軍記物や小説程度の信憑性しかないんだよ。
例えば俺が「鈴木戦記」と名前つけて、本を出したら
そんなものはただの小説であって、一次資料の日記や軍令書などとは同程度には扱えない
お前脳味噌ある?
0543人間七七四年
2014/01/11(土) 01:10:41.49ID:peGruXhS「大阪城から一歩でも出たら超時空大御所家康に包囲殲滅される〜だから一歩もでないお」と
言うのは分かる。
でも選択肢は出撃以外ないんだよ。
三成が出撃策で美濃に行ったのも、日本帝国が南進したのも、ハンニバルが戦力を分散して南イタリア中に兵を分けたのも
結果は負けてしまったが戦術自体は少しも間違ってない。あのようにしなければ最初からジリ貧で負けるだけだった。
少なくとも彼等の戦術は勝つ可能性があった。
0544人間七七四年
2014/01/11(土) 01:10:49.01ID:IkOZfSz3ぼくのカエサルさんはすごいんだもんw
戦記と名前がついてても一次資料なんだもんw
正面衝突で100倍の敵でも普通に倒せるんだもんw ってか?
馬鹿がwwwww
0545人間七七四年
2014/01/11(土) 01:12:06.96ID:peGruXhSおまえウルトラ馬鹿だな。
世界中の陸軍の教科書に必ず載ってるカンナエの戦いなどの出典を知ってる?
本当に超絶頭悪いわ。信じられん。
0546人間七七四年
2014/01/11(土) 01:12:13.02ID:Lsewow5i少しずつ奇襲や敵の兵力の一部である先陣を叩くなどして少しずつ削っていったら
味方がどんどん増えていっただけ。
0547人間七七四年
2014/01/11(土) 01:12:51.69ID:IkOZfSz3騎兵を両翼において、両翼を突破して敵兵力を包囲する事により
総兵力で劣っていても、一度の戦う(衝突する)人数を相手より多くする事によって
殲滅したり狭隘な渓谷を使って、細長い隊列で行軍してきた敵を深く誘いこんでから
伏兵によって包囲殲滅したりと
一度に戦う人数を敵より多くするというランチェスター法則に乗っ取った戦いをしてるだけ。
ただ何の戦術的工夫もなく、正面衝突で野戦で正面から戦えば寡兵側が勝つなんて到底無理なのは馬鹿でもわかる。
0548人間七七四年
2014/01/11(土) 01:14:42.81ID:Lsewow5i積極的に侵攻するのは当たり前だろ。
三成は三河や遠州にまで即効で攻勢かけたがってたが、アホ毛利のせいでそれは台無しになったわけだし
0549人間七七四年
2014/01/11(土) 01:15:12.25ID:peGruXhS気がふれたと思われ牢獄入りするのは確か
0550人間七七四年
2014/01/11(土) 01:16:02.39ID:ZeXo+9I60551人間七七四年
2014/01/11(土) 01:16:34.17ID:5cMem6cX騎兵を両翼において両翼突破や
渓谷などを利用し伏兵を活用する事で
敵の軍勢の兵数の多さを発揮させないようにするための戦術で
戦闘自体兵力は全く分散しているとはいえないんだが
0552人間七七四年
2014/01/11(土) 01:17:36.62ID:peGruXhSほぼ全員が出撃は必ずしたというのを前提に議論してるようだ。
そらそうだわ。他に選択肢ないものw
0553人間七七四年
2014/01/11(土) 01:18:02.87ID:Lsewow5i日本帝国が戦線拡大しまくって南進したのはどうみても間違いだろ。
ドイツにも同じ事がいえるが
それによって次々に敵を増やし
数多くの敵を抱えることになって見事大敗した。
0554人間七七四年
2014/01/11(土) 01:19:09.56ID:Yfzfiv6v敵の数が増えれば増える程、戦いでは不利になるのも理解できん馬鹿がこのスレにいるからな
0555人間七七四年
2014/01/11(土) 01:19:33.89ID:peGruXhSおまえ馬鹿だな。全く知らないで適当な事言ってんじゃん。
ハンニバルはただでさえ少ない兵を南イタリア中に分散して
ローマは対抗するために「猫(ハンニバル)と鼠(ローマ)作戦」で
ハンニバルが来ると逃げ、ハンニバルが居ない城を叩きという事を
延々とし続けて消耗戦に引きずり込んだんじゃんw
0556人間七七四年
2014/01/11(土) 01:20:54.55ID:tMe7pb4Tこれは戦線拡大しまくって、兵力が分散しまくり
結果負ける事になった日本軍やドイツ軍や勝頼なんかにいえる
0557人間七七四年
2014/01/11(土) 01:22:17.78ID:tMe7pb4Tだからそれまで優勢だったのに
そのせいで負けたんだからその戦略がいかに間違ってるかわかるだろ。
0558人間七七四年
2014/01/11(土) 01:22:19.62ID:peGruXhSおめーらが日本帝国のトップだったら真珠湾攻撃と同時に本土専守防衛か
わらえるわw 家から一生でるなよw
0559人間七七四年
2014/01/11(土) 01:23:22.26ID:wToDKmjGそれって優勢だったカルタゴ軍のローマでの戦局を一挙に劣勢に変えていった糞戦略の事か?w
0560人間七七四年
2014/01/11(土) 01:25:08.12ID:iQduvxx1近代での城郭ではなく、領土そのものを巡る状況下での本土防衛戦法の可否を一緒くたにするアホは出てってくれ
0561人間七七四年
2014/01/11(土) 01:26:59.83ID:peGruXhS基本は防衛ラインを築いて戦うものだがね。
ギリシャの都市国家同士の戦いじゃないんだからw
0562人間七七四年
2014/01/11(土) 01:27:01.82ID:ZeXo+9I6おいおい、大坂の陣なんて徳川の対豊臣戦争の最終局面だぜ。
もう豊臣は押さえ込まれてんのがわからないんですかぁ?
0563人間七七四年
2014/01/11(土) 01:27:28.99ID:XYVqDPeK近代戦では、初めから専守防衛に走る勢力などいない。
そもそも初めから専守防衛が目的で戦争など始めない。
戦争ってのは、最初から周囲の領土を侵略しようとして始めてる
0565人間七七四年
2014/01/11(土) 01:29:41.90ID:peGruXhSなんだかなあレベル低すぎだわオマエラw
0566人間七七四年
2014/01/11(土) 01:32:20.02ID:16IY/wu3兵力的ハンディがある分、これ以上広範囲の防衛ラインは危険すぎる。
野戦に持ち込まれたら100%勝ち目ないし
自分から相手に攻め寄せる場合は、敵軍の待ち伏せによる兵力殲滅
相手から攻め寄せる場合には、自軍の手薄な部分を兵力集中されて突かれる危険性がある。
狭い範囲でのラインなら、一応はどこを攻められても、攻めても、部隊間の連携が可能
結局史実と同じような展開になるだけの話だろ。
0567人間七七四年
2014/01/11(土) 01:33:18.96ID:wToDKmjG0568人間七七四年
2014/01/11(土) 01:34:05.46ID:ZeXo+9I6ボクたちのレベルが低くかったとしても、きみのレベルが高いことの証明にはならないんだよ。
わかったらコンビニに行って討ち死にしてこい。
0569人間七七四年
2014/01/11(土) 01:35:42.55ID:vH8PbVg4わずか5000程度の兵力で徳川軍相手に大暴れして家康を後一押しのところまで追い詰めたんだし
0570人間七七四年
2014/01/11(土) 01:36:31.43ID:vPm8pCYs前田なんて冬の陣の時でも真田丸で壊滅させられ
藤堂も長宗我部に蹴散らされまくってたし。
0571人間七七四年
2014/01/11(土) 01:37:14.75ID:XYVqDPeK戦術に関してはともかく兵站管理に関しては、素人軍団だけでは中々厳しい物があるだろうし
0572人間七七四年
2014/01/11(土) 01:39:31.36ID:tMe7pb4T0573人間七七四年
2014/01/11(土) 01:50:45.13ID:ZeXo+9I6指揮下に戸田、平塚、木下なんかがいたから、実戦力は5千弱ぐらいはいたんじゃないかね?
それに生き残るつもりが全くないからこそ、あの胸熱な闘いぶりになったのかもよ。
0574人間七七四年
2014/01/11(土) 01:57:24.77ID:93EDbTAo0575人間七七四年
2014/01/11(土) 01:59:32.43ID:peGruXhS北陸方面への牽制のために一時帰国した隙をついて三成がチョンボして
岐阜城取られちゃったわけだろ。結構致命傷に近かった。
0576人間七七四年
2014/01/11(土) 02:12:15.59ID:ZeXo+9I6友軍を極力脱出させる為に自分を犠牲にしたんじゃねーの?
すぐやられちゃ駄目じゃん。
0577人間七七四年
2014/01/11(土) 02:42:15.04ID:peGruXhS出口さえ確保できてりゃ三成、小西等も大阪まで逃げ戻れた可能性は十分あった
佐和山城の人員はそのまま全滅覚悟で殿してもらうという前提で
大阪に三成等が逃げついてさえいれば歴史は恐ろしく変わった
0578人間七七四年
2014/01/11(土) 06:42:23.14ID:W6kVvjZJ敗残兵をまとめて、追撃の東軍を引き連れて大阪に向かえば、毛利が相手にしてくれると?
そりゃ生きてりゃ、面白いよ
万が一、近江経由で逃げ戻ろうとしてたら、朝敵認定は間違いないし。
徳川と毛利が洛内で決戦する度胸が無ければ、大阪で決戦だろうなw
0579人間七七四年
2014/01/11(土) 20:22:30.27ID:+oZAq+ns防衛ラインって概念はないだろうけど
1ヶ所に全兵力を集中させるのは愚策としか言えない。
小田原征伐のときの後北条も小田原城という
堅城があるにも関わらず他の城にも兵力を分散してたしな。
0580人間七七四年
2014/01/11(土) 21:06:38.20ID:Lsewow5i分断させたり、陽動させたり、先駆させたりして、殲滅する。これが戦術の鉄則。
小田原合戦の時の北条は結局最後開城したため、成功例にはならない
0581人間七七四年
2014/01/11(土) 21:25:26.30ID:+oZAq+ns九州平定での島津にしろ九戸政実の乱の九戸だって
1ヶ所に全兵力を集中なんてさせてないから。
最初からそんな自縄自縛なんてしたら戦略や戦術の幅が
著しく制限されてしまう。
0582人間七七四年
2014/01/11(土) 21:50:16.11ID:v7fD6Rvx九戸→ほとんど一箇所に集中させてる
つかどっちも失敗例じゃん。
0583人間七七四年
2014/01/11(土) 21:52:31.79ID:Lsewow5i寡兵側はただでさえ兵力や物量・物資でのハンディが大きいから
広域的な戦争となると総力戦で近距離での部隊間の連携も困難になり
ますます機敏な戦術や敵軍の枝部隊の殲滅が困難になるだけ。
0584人間七七四年
2014/01/11(土) 22:09:18.28ID:k7+OTMhQ三成が大坂に逃げてもそのまま捕縛されて東軍に差し出されるだけ
もはや三成は豊臣や毛利からみても厄介な危険人物でしかない
0585人間七七四年
2014/01/11(土) 22:13:33.38ID:+oZAq+ns中世の戦争を知らない奴には一から説明しなきゃダメなのかね。
子供に常識を躾ける親の気分だわ。
0586人間七七四年
2014/01/11(土) 22:18:50.94ID:tMe7pb4T兵力的ハンディがある分、これ以上広範囲の防衛ラインは危険すぎる。
野戦に持ち込まれたら100%勝ち目ないし
自分から相手に攻め寄せる場合は、敵軍の待ち伏せによる兵力殲滅
相手から攻め寄せる場合には、自軍の手薄な部分を兵力集中されて突かれる危険性がある。
狭い範囲でのラインなら、一応はどこを攻められても、攻めても、部隊間の連携が可能
結局史実と同じような展開になるだけの話だろ。
0587人間七七四年
2014/01/11(土) 22:20:09.91ID:MygezFFL大坂の陣では徳川は大軍を全国から集めて侵攻を行ったから出撃は必ずしも有効とはいえない。
篭城してても勝ち目ないというのはまあ同意だが
ハンニバルの戦術も騎兵を両翼において、両翼を突破して敵兵力を包囲する事により
総兵力で劣っていても、一度の戦う(衝突する)人数を相手より多くする事によって
殲滅したり狭隘な渓谷を使って、細長い隊列で行軍してきた敵を深く誘いこんでから
伏兵によって包囲殲滅したりと
一度に戦う人数を敵より多くするというランチェスター法則に乗っ取った戦いをしてるだけ。
ただ何の戦術的工夫もなく、正面衝突で野戦で正面から戦えば寡兵側が勝つなんて到底無理なのは馬鹿でもわかる。
それじゃ大坂方のうち主力5〜6万を集中して、敵の中で弱そうであっさり崩れそうな藤堂隊や前田隊を一蹴して殲滅
その後細川や上杉隊などに戦力集中してかかり殲滅と
兵力を集中して、他の方面は極力敵軍の足止めを行い、その間に各軍団を各個撃破していく戦略が妥当か
0588人間七七四年
2014/01/11(土) 22:21:19.63ID:XYVqDPeK前田なんて冬の陣の時でも真田丸で壊滅させられ
藤堂も長宗我部に蹴散らされまくってたし。
0589人間七七四年
2014/01/11(土) 22:22:05.94ID:wToDKmjG仮に伏見城が落ちても、せいぜいその周辺の情勢が変化する程度で、
どの道幕府軍が集結して殲滅されるのは目に見えてる
0590人間七七四年
2014/01/11(土) 23:36:26.67ID:peGruXhS大阪城には徳川と最終決戦をすべきだ!という戦国大名が結構いたけど
誰一人捕縛もされず自分の領土へスムーズに帰国できた件について
0591人間七七四年
2014/01/11(土) 23:41:51.25ID:peGruXhS真田昌之の上田城の戦いって上田城のみならず砥石城や丸子城など上田小県に点在する山城にも
兵士を散財させて全ての城で戦ったんだけどな。
しかも重要な将である真田信之や真田信繁も遊軍として戦ったろ。
兵力差は1200VS7000で大阪の陣より兵力差が大きいんだけど。
0592人間七七四年
2014/01/11(土) 23:48:11.07ID:iTlZwBOQ0593人間七七四年
2014/01/11(土) 23:50:32.58ID:peGruXhS最大の誤算は山中城がたった半日で占領された事だろう。
これは完全に北条方のミス。最低でも数か月はもつと思われており
ここで完全に遮断できてれば、もう少し豊臣方も苦しんだ。
そもそも豊臣方と戦う覚悟があるなら、もっと早い段階で山中城の修築・補修を済ませ
海軍に関してもしっかり準備しておかないと駄目だろ。
結構、北条方が馬鹿すぎた。
0594人間七七四年
2014/01/12(日) 00:53:19.20ID:E7h8o2YPそんな中途半端な戦力残すくらいなら、初めからそんな所放棄して、戦力を集中させた上で、豊臣方にまとまった兵力で奇襲なり迎撃なり仕掛けた方がいい。
それでもそんな蟻対ゴリラみたいな兵力差の戦いで重臣一柳がしっかり死んでるし。
0595人間七七四年
2014/01/12(日) 00:56:33.80ID:F8n/ubTP基本的に上田を攻められた時期に関しては、最低限の兵力を枝城に残した上で
主力で徳川方の攻城軍を迎撃したはずだが?
そりゃ枝城全て放棄するのは、全て占領を許すことになるから現実的じゃないわな。
でも主力で攻められてる本城で、敵の最も中核の兵力を殲滅しないと全く意味がないから、
それには、主力がぶつかる本城に戦力集中させないと、勝ち目が薄いんだよ。
0596人間七七四年
2014/01/12(日) 00:58:12.01ID:F8n/ubTPあの兵力差では、北条方の戦略に関係なく、徳川や伊達の援軍なしじゃ始めから勝ち目がない
0597人間七七四年
2014/01/12(日) 00:59:49.31ID:fFpT8WaKそれとも簡単に落とせると思ってるのかなぁ。徳川方も伏見の守備兵を手薄にしてるとは思えないんだが。
0598人間七七四年
2014/01/12(日) 01:00:46.55ID:UUu5xlYf仮に伏見城が落ちても、せいぜいその周辺の情勢が変化する程度で、
どの道幕府軍が集結して殲滅されるのは目に見えてる
0599人間七七四年
2014/01/12(日) 01:31:01.98ID:HpQ73XZa0600人間七七四年
2014/01/12(日) 01:37:29.05ID:VvY3+6g+とても信長のようには闘えない。
0601人間七七四年
2014/01/12(日) 02:02:09.54ID:E7h8o2YP0602人間七七四年
2014/01/12(日) 02:20:31.86ID:HpQ73XZa0603人間七七四年
2014/01/12(日) 04:28:49.86ID:dqW7K9oP勝っていれば良かったんじゃね?
0605人間七七四年
2014/01/12(日) 18:56:56.67ID:+1Ojae+S篭城なんて立花と秀元だけが一瞬主張したのみだぞ
そいつらも輝元の決定に従って問題なく大坂退去を承諾しているのに
何で捕縛されるんだよw
0606人間七七四年
2014/01/13(月) 21:44:04.41ID:by5mameB篭城なんて立花と秀元だけが一瞬主張したのみでも
おめーらが信長なら那古野城に籠城して今川方にあっさりリンチされてあぼーんだったろうなw
0607人間七七四年
2014/01/13(月) 23:14:09.90ID:G+jJkqq70608人間七七四年
2014/01/13(月) 23:39:30.45ID:WofSTTbO0609人間七七四年
2014/01/13(月) 23:42:12.73ID:sy6jr1S0自力で自分から攻撃して三河を攻略してるだろ。
当時の織田家はチート57万石+交易収入+朝廷への全国トップクラスの献金額があるし、
家臣の支配基盤も、今川より遥かに強固
0610人間七七四年
2014/01/14(火) 00:13:00.36ID:XjQsmIZNこういうウルトラが居るから歴史板に来るのが止められない
0611人間七七四年
2014/01/14(火) 00:21:58.14ID:XjQsmIZN今川の遠征軍は2〜4万人と語り伝えられる事から考えると
当時、1万石相当の経済力で300人雇えたと言われてるので
信長の実質的な経済力は16〜17万石程度
一方、今川の経済力は100万石以上なのだがw
0612人間七七四年
2014/01/14(火) 00:55:55.30ID:yC7jTEng織田家は当時尾張チート一国+津島港の交易収入があり、朝廷献金額も信秀時代で全国ダントツトップと圧倒的に経済力に恵まれてる。
よって織田の動員兵力は17000で、今川軍は21000程度が妥当。
0613人間七七四年
2014/01/14(火) 00:58:18.05ID:xHHG2TMF鳴海城や大高城など次々に攻略される信長の無能さは異常だな。
0614人間七七四年
2014/01/14(火) 00:59:36.16ID:rq3s/afB信長は尾張や三河の水野分や身のの大垣城分もあるので初期段階で75万石
しかしアホ無能だった信長を支えてきた後見役の平手や林が呆れ果ててしまうほどで
せっかく信秀が信長に残したものがどんどん失われていく。
特に後見役道三が信長保護に全力を尽くしたために義龍に打倒されるや
尾張は崩壊を見せ、義龍は信長の弟へ取次役を通さず直接書状を出すなど
離反策を推し進め、義龍が当主だった実質4年の間に信長は義龍によって
尾張の半分を奪われてしまう。しかし義龍が急死し無能幼君の竜興が斉藤を継いだために信長は滅亡せずに済んだ。
織田厨の無知さは義龍によって尾張半国が奪われたことを
知らずに信秀が失っていたと思い込んでいて
しかも指摘されても認めず、信秀は無能ニダ!信長天才ニダとキモイ発言を繰り返していること。
伊達厨が父を不当に貶していたり、毛利厨が無知すぎて毛利は小国人だったのに元就天才とか言ってるのと同じアホ
0615人間七七四年
2014/01/14(火) 01:00:24.42ID:2CzFEJ4Qそもそも信長が大名への返礼で虎や豹の皮や絹織物と言った唐国からの輸入物ばっかり贈ってる時点で経済的屈強さを物語ってる。
今川戦にしたって天文23年には信長は斎藤軍の援軍をもらい、知多半島の尾三国境にある村木城を奪い、
お隣の刈谷城の水野の安全保障を示すことで知多半島戦線を優位に進めてる。
つか発生年代からして超デタラメな桶狭間の戦いって捏造軍記だろ。
一次史料からわかるのは義元が不慮になったと書いてあって、
思いがけない突然死があったと書いてるだけで、
ムリくり桶狭間の戦いと結びつけているだけだし。
だいたい有力重臣国人たちにより父が失脚してる大名に信長の父は該当しないし…
父が殺された大友宗麟
父が追放された武田信玄
父が強制隠居に追込まれた上杉謙信
父を打倒せざるを得なかった斉藤義龍
父を竹生島に幽閉したがのち融和した浅井長政←失敗例
0616人間七七四年
2014/01/14(火) 01:00:58.31ID:yC7jTEng信長の祖父の信貞が勢力を拡大させたのは木曽川と伊勢の通商路の津島社とその門前町と港を支配できたから。
そして信秀も熱田社とその門前町と港を支配し伊勢と知多半島に渡る商業圏を手に入れたから。
祖父や父によって二大商業圏を手に入れていたことで織田は抜きん出た国力を持つ強国を成立させていた。
それは朝廷への圧倒的献金額でもはっきりしている。
博多を押さえさらに中国との貿易をしていた大内ですらカスレベル
0617人間七七四年
2014/01/14(火) 01:16:15.50ID:IxnxSOWu0618人間七七四年
2014/01/14(火) 01:41:05.29ID:XjQsmIZNおめーらが信長なら那古野城に籠城して今川方にあっさりリンチされてあぼーんだったろうなw
0619人間七七四年
2014/01/14(火) 04:59:49.85ID:yC7jTEng0620人間七七四年
2014/01/14(火) 06:49:42.22ID:/hoRw1O+板恒例の基地外のマッチポンプ
大阪の陣で豊臣が勝つなんて、歴ヲタに考えられる方法には無い。
ファンタジー世界でも無い限り無理
0621人間七七四年
2014/01/14(火) 11:22:23.47ID:XjQsmIZN・信長以外の武将が尾張にいたら、尾張で今川を迎撃するどころか自力で自分から攻撃して三河を攻略してるだろ。
・織田家の支配基盤は、今川より遥かに強固
・織田の動員兵力は17000、今川軍は21000程度
・信長は尾張や三河の水野分や身のの大垣城分もあるので初期段階で75万石
・信長は義龍によって
・尾張の半分を奪われてしまう。
・超デタラメな桶狭間の戦いって捏造軍記
・織田家に比べらた博多を押さえさらに中国との貿易をしていた大内ですらカスレベル
・妄想も糞も全部事実じゃん
0622人間七七四年
2014/01/14(火) 11:24:27.12ID:XjQsmIZNそのうち信長が日本を作ったとか織田家の歴史は半万年って確実に言い出しそうだな・・・
0623人間七七四年
2014/01/14(火) 12:11:29.59ID:IxnxSOWu0624人間七七四年
2014/01/14(火) 13:25:17.96ID:2I1bwEIl・信長以外の武将が尾張にいたら、尾張で今川を迎撃するどころか自力で自分から攻撃して三河を攻略してるだろ。
・織田家の支配基盤は、今川より遥かに強固
・織田の動員兵力は17000、今川軍は21000程度
・信長は尾張や三河の水野分や身のの大垣城分もあるので初期段階で75万石
・信長は義龍によって
・尾張の半分を奪われてしまう。
・超デタラメな桶狭間の戦いって捏造軍記
・織田家に比べらた博多を押さえさらに中国との貿易をしていた大内ですらカスレベル
・妄想も糞も全部事実じゃん
0625人間七七四年
2014/01/14(火) 21:30:23.90ID:/hoRw1O+>気に入らなくて
アク禁明けの基地外が跳ねてるだけだろ
勝つんだったら、講談で言われるようなご都合主義の野戦しかない
統率力があるとは思えない自称真田の息子、如水が九州での悪巧みでは外した脳筋、トラブルメーカー、と、明石某、長宗我部某が
講談では10万と称する蛮族をつかって、京、大和、摂津の国境で暴れ回れば、
長州の馬鹿や薩摩の引きこもり安芸の間抜け、加賀の腰抜けが動いたかもしれん。
どれだけ理があろえと、大阪城に引きこもれば勝ちの目は余りに薄い
途中で家康が死んだって、引っ掻き回してくれそうな秀泰はとうに死んでるんだから
0626人間七七四年
2014/01/14(火) 22:35:07.46ID:6eHmusHj妥当というか異常な戦略かと。
後詰もない、弾薬も足りない、大筒もない。
そんな状況で一か所に籠城しても勝機はない。
まだ出撃戦か複数の城や砦に籠城したほうが勝ちの目はある。
0627人間七七四年
2014/01/14(火) 22:44:19.33ID:IxnxSOWu野田砦とか片端からおとされてなかったっけ?
0628人間七七四年
2014/01/14(火) 23:25:49.51ID:JbmfZpQY寡兵側はただでさえ兵力や物量・物資でのハンディが大きいから
広域的な戦争となると総力戦で近距離での部隊間の連携も困難になり
ますます機敏な戦術や敵軍の枝部隊の殲滅が困難になるだけ。
0629人間七七四年
2014/01/14(火) 23:27:33.89ID:xHHG2TMF兵力的ハンディがある分、これ以上広範囲の防衛ラインは危険すぎる。
野戦に持ち込まれたら100%勝ち目ないし
自分から相手に攻め寄せる場合は、敵軍の待ち伏せによる兵力殲滅
相手から攻め寄せる場合には、自軍の手薄な部分を兵力集中されて突かれる危険性がある。
狭い範囲でのラインなら、一応はどこを攻められても、攻めても、部隊間の連携が可能
結局史実と同じような展開になるだけの話だろ。
0630人間七七四年
2014/01/14(火) 23:28:11.18ID:rq3s/afB大坂の陣では徳川は大軍を全国から集めて侵攻を行ったから出撃は必ずしも有効とはいえない。
篭城してても勝ち目ないというのはまあ同意だが
ハンニバルの戦術も騎兵を両翼において、両翼を突破して敵兵力を包囲する事により
総兵力で劣っていても、一度の戦う(衝突する)人数を相手より多くする事によって
殲滅したり狭隘な渓谷を使って、細長い隊列で行軍してきた敵を深く誘いこんでから
伏兵によって包囲殲滅したりと
一度に戦う人数を敵より多くするというランチェスター法則に乗っ取った戦いをしてるだけ。
ただ何の戦術的工夫もなく、正面衝突で野戦で正面から戦えば寡兵側が勝つなんて到底無理なのは馬鹿でもわかる。
それじゃ大坂方のうち主力5〜6万を集中して、敵の中で弱そうであっさり崩れそうな藤堂隊や前田隊を一蹴して殲滅
その後細川や上杉隊などに戦力集中してかかり殲滅と
兵力を集中して、他の方面は極力敵軍の足止めを行い、その間に各軍団を各個撃破していく戦略が妥当
0631人間七七四年
2014/01/14(火) 23:29:03.02ID:SY0/LoUiそれとも簡単に落とせると思ってるのかなぁ。徳川方も伏見の守備兵を手薄にしてるとは思えないんだが。
0632人間七七四年
2014/01/14(火) 23:30:19.90ID:yC7jTEng仮に伏見城が落ちても、せいぜいその周辺の情勢が変化する程度で、
どの道幕府軍が集結して殲滅されるのは目に見えてる
0633人間七七四年
2014/01/14(火) 23:31:08.12ID:2CzFEJ4Q幸村たちはそんな事全く主張してない。
>>幕府軍を分散させたほうがまだ勝機
軍事学的には広範囲の戦闘は大軍側に圧倒的に有利になる
なぜなら大軍を展開するには狭い場所より広い場所の方が圧倒的に有利だから。
渓谷とか狭隘な山間部に比べ
平野で、しかも広範囲に戦うとなれば物量差や兵力差がそのまま戦局に影響する
つか、お前HPでも見てランチェスター法則など、軍事学の基本を一から学べ
無知すぎて話にならん
0634人間七七四年
2014/01/14(火) 23:31:33.95ID:xHHG2TMF戦力の集中化と敵戦力の中での手薄な部分の攻撃という軍事面での大原則を忠実に守って行っているだけで
兵力を分散化させて戦闘を行うのは、劣勢側にとっては不利を広げるだけ。
0635人間七七四年
2014/01/14(火) 23:32:05.07ID:wGTMyqA8第二次世界大戦の日本とか見りゃわかるだろ。
国力や兵力が劣る側にとっては広範囲の戦線展開は、物資や、兵力でハンディを抱える側にとってますます足かせになるんだよ。
寡兵側が勝つには、なるべき狭い範囲で兵力を限りなく集中させて、敵兵力の手薄な部分を集中的に突くしかない。
これが軍事学の鉄則。
出撃するなら3万〜5万くらいの大軍で、一方面に絞って、徳川方の一部隊を殲滅した後
別方面に兵を展開して、また殲滅
という戦法じゃないと全く意味がない。
ゲリラ戦の成功条件には、ゲリラ戦を展開するに適した、兵を散開させる地勢(渓谷や、山間部や、その周辺の地理に詳しい者など)が必要だが
大坂城周辺の攻防ではそれが全く皆無といっていい。
戦国期の戦闘においてゲリラ戦が成功している例は、せいぜい天正壬午みたいなアルプス地帯で行われた地元豪族による
後背地の撹乱と小荷駄隊の襲撃という手法である事例が一つ二つある程度。
それ以外の戦闘ではほとんど皆無といっていい。
0636人間七七四年
2014/01/14(火) 23:32:47.18ID:uGT68mPy超遠距離・飛び地的な輸送ルートでもって、補給を行うしかなかったから(相模・武蔵方面からの援軍は黒駒合戦で撃退された)
信濃方面の依田らの活躍で背後を危うくされて、佐竹らも暴れだして撤退するしかなくなっただけ。
そんな特殊で敵地を通った飛び地的補給でもって物資輸送を徳川が行っていないのだから、
徳川にゲリラ戦仕掛けたってまるで成功する可能性はない。
せいぜい最初の夜討ちで数百か数千がビックリして一時的に潰走するくらいが関の山。
ベトナムイラクアフガン中国国民党カストロ雑賀一族がゲリラ戦が可能だったのは
特定の場所(この場合でいうと大坂城)を守るための戦ではなかったから、相手からしたら
敵がどこから来るか予測がつかず、兵の散開や奇襲が可能だったってだけでしょ。
大坂の陣は大坂城を守る戦だから、大坂城を捨てない限りイラクやアフガンや中国みたいな逃げ回ってのゲリラ戦なんて不可能だし
大坂方は大坂城やその周辺の領土捨てたら、兵の休息も、物資の補給も、収入確保も、全く行き届かなくなって飢え死にするだけだし
外国みたいな広範な領土もないから、逃げ隠れする場所も全くないし死ぬだけ。
日本の戦では、特定の拠点に全軍が篭もらず散開してた勢力は、ほとんど例外なく悉く討ち取られてる(越前一向一揆などがいい例)
0637人間七七四年
2014/01/14(火) 23:33:31.77ID:xHHG2TMF軍事の基本すら知らんで兵力を分散してゲリラ戦しろとか相当馬鹿だな。
関ヶ原で戦力分散しまくって大敗したアホ毛利みたいな糞戦略やれってのか。
そもそも日本の戦国期の戦争は城郭を巡る攻防という特性上、防衛側がゲリラ戦を展開して成功したケースは非常に稀。
ゲリラ戦は特定の防衛拠点がない場合は、逃散→奇襲というヒット&アウェー戦法も可能になるが
城を防衛する戦の場合は、逃散するべき場所が城しかない(城を捨てれば落城する事になり防衛側の敗北)以上その戦法自体が不可能。
逃げるべき場所もないのに、イラクやアフガンみたいなゲリラ戦法なんて取りようがないなんて
少し頭を働かせれば分かることだろ。
0638人間七七四年
2014/01/14(火) 23:34:32.63ID:6eHmusHj碌に兵力を配置してなかったからだろ。
>>628
>>ますます機敏な戦術や敵軍の枝部隊の殲滅
1ヶ所に集まってどうやって機敏な戦術や敵軍の枝部隊を殲滅するんだよw
大阪の陣より兵力差の大きい小田原征伐の後北条とか九州征伐の島津とでさえ
寡兵側は兵力を分散してたっていうのに。
0639人間七七四年
2014/01/14(火) 23:45:27.52ID:IxnxSOWu出戦策の戦略目標ってなんでしょうか?
わたしこれが見えないんで籠城派なんですが。
0640人間七七四年
2014/01/15(水) 00:04:31.66ID:5c0ODRQg東西を分断し武器と食糧の補給地として西日本を抑え
朝廷を完全に我が物として征夷大将軍の位を剥奪して
錦の御旗を掲げ天下の関白秀頼が全日本に号令をかけることだろ
0641人間七七四年
2014/01/15(水) 01:20:37.80ID:CyQ3W46D寡兵側は一箇所に兵力を集中させたほうがより部隊間の緊密な連携が取れるし
狭い範囲の戦線を絞ったほうが大軍側は大軍であるメリットを生かしにくくなる(狭い場所であればあるほど、大軍の展開は難しくなり
メリットが薄れる)
広範囲に戦力を分散すると、寡兵側はただでさえ少ない兵力を分散せざるをえなくなり
部隊間の連携や機敏な戦術も不可能になる。
寡兵側が大軍に勝つには、戦力を極力集中させて、敵軍の中での戦力の弱点をつくのが鉄則
これは孫子やランチェスター法則にあるし、ナポレオンの戦術や、ハンニバルの戦術もこれに乗っ取ってる。
>>640
そんな事してる間になぜ東軍が黙ってそれを見てるんだよ。
伏見城を攻めてる間に、続々と近隣の領主達が集まってきてアボーンだろ。
0642人間七七四年
2014/01/15(水) 01:22:25.74ID:f1pqN+gU寡兵の時は兵力を極力分散させず集中させて敵兵力の中の弱点を、うまい戦術で
分断させたり、陽動させたり、先駆させたりして、殲滅する。これが戦術の鉄則。
小田原合戦の時の北条は結局最後開城したため、成功例にはならない
つか少し前で書かれてる事くらいちゃんと読めよ馬鹿が
0643人間七七四年
2014/01/15(水) 01:23:12.22ID:578TDXgs大坂の陣では徳川は大軍を全国から集めて侵攻を行ったから出撃は必ずしも有効とはいえない。
篭城してても勝ち目ないというのはまあ同意だが
ハンニバルの戦術も騎兵を両翼において、両翼を突破して敵兵力を包囲する事により
総兵力で劣っていても、一度の戦う(衝突する)人数を相手より多くする事によって
殲滅したり狭隘な渓谷を使って、細長い隊列で行軍してきた敵を深く誘いこんでから
伏兵によって包囲殲滅したりと
一度に戦う人数を敵より多くするというランチェスター法則に乗っ取った戦いをしてるだけ。
ただ何の戦術的工夫もなく、正面衝突で野戦で正面から戦えば寡兵側が勝つなんて到底無理なのは馬鹿でもわかる。
それじゃ大坂方のうち主力5〜6万を集中して、敵の中で弱そうであっさり崩れそうな藤堂隊や前田隊を一蹴して殲滅
その後細川や上杉隊などに戦力集中してかかり殲滅と
兵力を集中して、他の方面は極力敵軍の足止めを行い、その間に各軍団を各個撃破していく戦略が妥当か
0644人間七七四年
2014/01/15(水) 01:24:34.78ID:2FaK5hpH兵力的ハンディがある分、これ以上広範囲の防衛ラインは危険すぎる。
野戦に持ち込まれたら100%勝ち目ないし
自分から相手に攻め寄せる場合は、敵軍の待ち伏せによる兵力殲滅
相手から攻め寄せる場合には、自軍の手薄な部分を兵力集中されて突かれる危険性がある。
狭い範囲でのラインなら、一応はどこを攻められても、攻めても、部隊間の連携が可能
結局史実と同じような展開になるだけの話だろ。
0645人間七七四年
2014/01/15(水) 01:25:12.91ID:/9IFA294なぜなら大軍を展開するには狭い場所より広い場所の方が圧倒的に有利だから。
渓谷とか狭隘な山間部に比べ
平野で、しかも広範囲に戦うとなれば物量差や兵力差がそのまま戦局に影響する
つか、お前HPでも見てランチェスター法則など、軍事学の基本を一から学べ
無知すぎて話にならん
0646人間七七四年
2014/01/15(水) 01:25:47.13ID:EZ9wxnyp第二次世界大戦の日本とか見りゃわかるだろ。
国力や兵力が劣る側にとっては広範囲の戦線展開は、物資や、兵力でハンディを抱える側にとってますます足かせになるんだよ。
寡兵側が勝つには、なるべき狭い範囲で兵力を限りなく集中させて、敵兵力の手薄な部分を集中的に突くしかない。
これが軍事学の鉄則。
出撃するなら3万〜5万くらいの大軍で、一方面に絞って、徳川方の一部隊を殲滅した後
別方面に兵を展開して、また殲滅
という戦法じゃないと全く意味がない。
ゲリラ戦の成功条件には、ゲリラ戦を展開するに適した、兵を散開させる地勢(渓谷や、山間部や、その周辺の地理に詳しい者など)が必要だが
大坂城周辺の攻防ではそれが全く皆無といっていい。
戦国期の戦闘においてゲリラ戦が成功している例は、せいぜい天正壬午みたいなアルプス地帯で行われた地元豪族による
後背地の撹乱と小荷駄隊の襲撃という手法である事例が一つ二つある程度。
それ以外の戦闘ではほとんど皆無といっていい。
0647人間七七四年
2014/01/15(水) 01:26:21.97ID:qZOAC0s7軍事の基本すら知らんで兵力を分散してゲリラ戦しろとか相当馬鹿だな。
関ヶ原で戦力分散しまくって大敗したアホ毛利みたいな糞戦略やれってのか。
そもそも日本の戦国期の戦争は城郭を巡る攻防という特性上、防衛側がゲリラ戦を展開して成功したケースは非常に稀。
ゲリラ戦は特定の防衛拠点がない場合は、逃散→奇襲というヒット&アウェー戦法も可能になるが
城を防衛する戦の場合は、逃散するべき場所が城しかない(城を捨てれば落城する事になり防衛側の敗北)以上その戦法自体が不可能。
逃げるべき場所もないのに、イラクやアフガンみたいなゲリラ戦法なんて取りようがないなんて
少し頭を働かせれば分かることだろ。
0648人間七七四年
2014/01/15(水) 01:27:23.01ID:Bm7j1x0e騎兵を両翼において、両翼を突破して敵兵力を包囲する事により
総兵力で劣っていても、一度の戦う(衝突する)人数を相手より多くする事によって
殲滅したり狭隘な渓谷を使って、細長い隊列で行軍してきた敵を深く誘いこんでから
伏兵によって包囲殲滅したりと
一度に戦う人数を敵より多くするというランチェスター法則に乗っ取った戦いをしてるだけ。
ただ何の戦術的工夫もなく、正面衝突で野戦で正面から戦えば寡兵側が勝つなんて到底無理なのは馬鹿でもわかる。
0649人間七七四年
2014/01/15(水) 01:28:34.24ID:578TDXgs戦力の集中化と敵戦力の中での手薄な部分の攻撃という軍事面での大原則を忠実に守って行っているだけで
兵力を分散化させて戦闘を行うのは、劣勢側にとっては不利を広げるだけ。
0650人間七七四年
2014/01/15(水) 01:28:58.50ID:Bm7j1x0e徳川軍なんて四天王が次々病死、他の諸大名も世代交代してて大した連中もいないし
大阪方の方が戦績豊富な連中多いんじゃね
0651人間七七四年
2014/01/15(水) 01:30:42.06ID:f1pqN+gU確か関ヶ原合戦の際にも京極隊と連携してわずか1000そこそこの大谷隊を攻めたら大苦戦し
小早川が離反後も何度も押し返されて朽木・脇坂らが大谷隊に攻めかかるまで
ろくな戦果あげられなかったはず。
黒田長政も細川忠興と協力して6000そこそこの石田隊を攻めたらろくに戦績もない三成相手にほぼ互角の戦いで
切り崩せなかったし
大坂の陣の奮戦っぷりで見ても、個々の武将の能力でいえば大坂方の方がずっと上じゃね?
武器性能で言っても大坂方が特に勝っているはずはないしな。
0652人間七七四年
2014/01/15(水) 01:33:30.34ID:EZ9wxnyp前田なんて冬の陣の時でも真田丸で壊滅させられ
藤堂も長宗我部に蹴散らされまくってたし。
0653人間七七四年
2014/01/15(水) 01:36:06.98ID:Z942/SE4自力で自分から攻撃して三河を攻略してるだろ。
当時の織田家はチート57万石+交易収入+朝廷への全国トップクラスの献金額+大垣城があるし、
家臣の支配基盤も、今川より遥かに強固
0654人間七七四年
2014/01/15(水) 01:37:38.14ID:EZ9wxnyp0655人間七七四年
2014/01/15(水) 01:39:50.95ID:/9IFA294桶狭間合戦なんて、織田と今川は同等くらいの国力で、家臣の支配基盤は遥かに織田の方が直轄地が多く強固だし
余裕で迎撃に出れる状況。
それにもかかわらず、後手後手に回って大高城や鳴海城を落とされて滅亡寸前まで追い込まれてたしかなり無能なんだろ。
突然のマグレで義元が不慮の死になって助かっただけだし。
0656人間七七四年
2014/01/15(水) 01:48:06.97ID:5c0ODRQg0657人間七七四年
2014/01/15(水) 02:27:04.53ID:EZ9wxnyp発揮するのは信長くらいでしょ。
0658人間七七四年
2014/01/15(水) 07:11:25.42ID:Uz7b9gi5内乱から内戦への発展
徳川幕府として豊臣を滅ぼそうとしてるなら、その幕府をひっくり返すしか方法は無い。
単純に城一つに引きこもって全滅するまで耐えるんなら、まだ、全軍繰り出してでも伏見城、
それさえも手間取るなら京に乱入した方がまだまし。
朝廷まで巻き込めば、徳川幕府も焦って自滅するかもしれん。
ハンニバルがぁって基地外がいるが、彼はカルタゴの将軍でしかない。
彼を殺す為に戦争してるわけじゃない。
0659人間七七四年
2014/01/15(水) 10:06:06.27ID:pxyWaLy0長期戦を維持するならこれらの砦の維持は絶対条件なんだけどね
0660人間七七四年
2014/01/15(水) 11:46:14.22ID:CyQ3W46D山城に攻め込むまで徳川が何もしない設定なのがわからんのだが。
大坂〜山城に出撃して占領する間、播磨・紀伊・近江・伊賀・丹波・若狭・大和といった近郊の領主達は
指をくわえて待ってるのかよw
0661人間七七四年
2014/01/15(水) 11:57:48.12ID:lSepYB3j0662人間七七四年
2014/01/15(水) 12:31:48.92ID:5c0ODRQg少なくとも北条、上杉、薩摩、長曾我部、毛利など日本では類例すら見当たらないが。
0663人間七七四年
2014/01/15(水) 12:48:17.72ID:CyQ3W46D0664人間七七四年
2014/01/15(水) 12:51:44.88ID:qZOAC0s70665人間七七四年
2014/01/15(水) 12:55:33.88ID:/9IFA294畿内を占領するまで幕府軍が指をくわえて待ってくれるわけがないし
その間に次々に近隣の領主が集まってきて包囲殲滅されて終り
万が一、大坂に近い拠点を占拠できたとしても、それが戦役に全く役に立たないどころか、
その拠点に無駄に守備兵を割く結果になり、幕府が一挙に攻めかかってくれば
より勝ち目は薄くなる。
大坂城周辺の地域を占領したって維持できないなら意味がないし
維持するのに必要な兵力や物資というデメリットと、維持する事で得られるメリットのバランスを考えれば
明らかに利にはならない。
0666人間七七四年
2014/01/15(水) 15:12:32.96ID:5c0ODRQgサクッと嘘吐くよね
沼田城、厩橋城と一城ずつ攻略してるじゃん
最終的に久留里城に派遣されてた兵を小田原城防衛のために引き戻しただけじゃん
0667人間七七四年
2014/01/15(水) 15:15:10.37ID:5c0ODRQgおまえら完全に気が狂ってるけど
それを裏付ける資料はあるかい?
0668人間七七四年
2014/01/15(水) 16:03:57.15ID:CyQ3W46D武蔵での迎撃や防衛ライン構築も考えず北条は早々に相模の本拠地に引き返してる。
0669人間七七四年
2014/01/15(水) 16:05:42.96ID:Bm7j1x0e地元の在地豪族に、その領土を放棄しろなんて誰が命令するんだよ
0670人間七七四年
2014/01/15(水) 16:09:15.19ID:Bm7j1x0e織田は尾張一国57万石と、津島港のチート収入+大垣城+刈谷の水野分があるので75万石程度
よって一万石300人換算なら織田軍は22500程度動員可能。
ほぼ互角か織田の方が国力が上にもかかわらず、三河・尾張国境で迎撃もせずに
名古屋城に引き篭もって鳴海城などを落とされるのを指を加えて待ってただけの無能が信長。
0671人間七七四年
2014/01/15(水) 16:11:57.58ID:qZOAC0s70672人間七七四年
2014/01/15(水) 16:15:23.45ID:EZ9wxnypぶっちゃけ天文19年8月に今川義元が駿河・遠江・三河の5〜6万の大軍を率いて
知多郡の織田へ攻めてきたが、信秀が国境を支えて侵攻を許さず12月には今川軍を撤退に追込んでる。
その後、信秀主導で今川と織田は無事を結んで(朝廷は御所修理費などが欲しくて、将軍も三好と戦うために近江・美濃・尾張・駿河の無事を願った)
天文21年に信秀の死を挟み信長が弘治2年3月に今川攻めするまで平和だった。
信長公記は信秀死去を前にずらして天文21年に信長によって桶狭間の戦いが起きたことに順序を逆にしてる。
桶狭間の戦いは信秀によって起されたものであるのは明らかで、
公記は今川の侵攻年と信秀の死去年を交換して調整してる。
現代の史学者は公記の天文21年を書き間違えただけで、実際は永禄3年と書くつもりだったなどと
大きく改変してまで桶狭間の戦いで信長が勝ったなどとウソにウソを重ねて史学者として恥ずかしくないのかねぇ。
そもそも桶狭間の戦いが書いてある首巻自体が、
太田が書いたもんじゃなくて、
作者不明でいつ書かれたものかも不明だからな。
第二次小豆坂の戦いの記述は三河物語からの流用だし、
それ以外の戦記述は捏造妄想戦ばかりで一次史料皆無だし、
道三と信長の会談とか作り話だらけ。
桶狭間の戦いだけは事実なんてムシが良過ぎるわな。
0673人間七七四年
2014/01/15(水) 18:43:56.91ID:Uz7b9gi5そんなファンタジーな書き込みがあったかな?
何だか、ヒキヲタが自らの引きこもりを正当化する為に妄想を唱えだしたw
0674人間七七四年
2014/01/15(水) 19:45:13.67ID:cHL7Tx7U普通は出陣するからな。武田信玄の西上作戦のときも
寡兵側の徳川は最初から兵力を浜松城に集中させるなんて愚策はしてない。
始めから勝機を放棄するなんて馬鹿なことやる武将はおらんよ。
0675人間七七四年
2014/01/15(水) 20:44:56.94ID:CyQ3W46D0676人間七七四年
2014/01/15(水) 20:47:31.15ID:EZ9wxnyp領内を通りすぎていく武田軍を追跡して急襲する予定だったのが、信玄の神采配で
反転攻勢に出られて逆に殲滅されただけじゃん。
0677人間七七四年
2014/01/15(水) 20:49:22.79ID:qZOAC0s7初めから勝機を放棄する愚策=ただでさえ少ない兵力を他の拠点の防衛に回して
敵主力を叩く部隊を減らす糞戦術
0678人間七七四年
2014/01/15(水) 20:50:16.15ID:/9IFA294大坂の陣では徳川は大軍を全国から集めて侵攻を行ったから出撃は必ずしも有効とはいえない。
篭城してても勝ち目ないというのはまあ同意だが
ハンニバルの戦術も騎兵を両翼において、両翼を突破して敵兵力を包囲する事により
総兵力で劣っていても、一度の戦う(衝突する)人数を相手より多くする事によって
殲滅したり狭隘な渓谷を使って、細長い隊列で行軍してきた敵を深く誘いこんでから
伏兵によって包囲殲滅したりと
一度に戦う人数を敵より多くするというランチェスター法則に乗っ取った戦いをしてるだけ。
ただ何の戦術的工夫もなく、正面衝突で野戦で正面から戦えば寡兵側が勝つなんて到底無理なのは馬鹿でもわかる。
それじゃ大坂方のうち主力5〜6万を集中して、敵の中で弱そうであっさり崩れそうな藤堂隊や前田隊を一蹴して殲滅
その後細川や上杉隊などに戦力集中してかかり殲滅と
兵力を集中して、他の方面は極力敵軍の足止めを行い、その間に各軍団を各個撃破していく戦略が妥当か
0679人間七七四年
2014/01/15(水) 20:50:43.13ID:CyQ3W46D鳴海城や大高城など次々に攻略される信長の無能さは異常だな。
0680人間七七四年
2014/01/15(水) 20:51:26.74ID:qZOAC0s7それとも簡単に落とせると思ってるのかなぁ。徳川方も伏見の守備兵を手薄にしてるとは思えないんだが。
0681人間七七四年
2014/01/15(水) 20:52:46.54ID:EZ9wxnyp寡兵側はただでさえ兵力や物量・物資でのハンディが大きいから
広域的な戦争となると総力戦で近距離での部隊間の連携も困難になり
ますます機敏な戦術や敵軍の枝部隊の殲滅が困難になるだけ。
0682人間七七四年
2014/01/15(水) 20:57:55.28ID:cO6/kWfF幕府軍は播磨側・紀伊側・大和側・山城側・丹波側と好きなところに大軍を投入して急襲できるから圧倒的に有利になるが
大坂方は、播磨口・紀伊口・大和口・山城口・丹波口とどこから敵が押し寄せるかわからない
から全方面に守備兵を割く必要があり、一方面の投入兵力が圧倒的に減るから
大坂方に圧倒的に不利になるのは目に見えてる。
幕府方が史実で一蹴した大坂方より遥かに少ない兵力相手に苦戦するとかありえないからな。
史実より圧倒的に幕府方有利な展開になるのは目に見えてる
0683人間七七四年
2014/01/15(水) 21:05:22.58ID:EZ9wxnyp発揮するのは信長くらいでしょ。
0684人間七七四年
2014/01/15(水) 21:54:29.44ID:t+Ty6hdL0685人間七七四年
2014/01/15(水) 22:04:09.84ID:5c0ODRQg毎回穴熊の姿焼きか矢倉の姿焼きでボロ負けしてるんだろうな
0686人間七七四年
2014/01/15(水) 22:37:56.67ID:EZ9wxnyp即効でアボーンだな
足軽が休む場所もなくなり、逃散兵ばかりになって即死だろ。
0687人間七七四年
2014/01/15(水) 23:24:59.26ID:5c0ODRQgキチガイですわ、これはキチガイの顔ですわ! by塩爺
0688人間七七四年
2014/01/15(水) 23:27:30.19ID:5c0ODRQg即座に武器と食糧が尽きてアボーンだろw
知能指数100以上の人間なら例外なく5万人が出撃部隊になって
食糧武器調達及び陽動作戦の軸にする以外の戦法は絶対に取らないわ
0689人間七七四年
2014/01/15(水) 23:29:55.41ID:5c0ODRQg残り100点しかなくとも全局ベタ降りで毎回飛ぶんだろうな
0690人間七七四年
2014/01/16(木) 00:12:21.33ID:TH0Pq/DE0691人間七七四年
2014/01/16(木) 00:14:07.40ID:5Ox7XHaU敵が自ら分断してくれたら好都合この上ないからな。
20万のうち10万ずつ繰り出して楽勝で各個撃破できるしな。
0692人間七七四年
2014/01/16(木) 00:15:16.39ID:gCNx9dew幕府軍は播磨側・紀伊側・大和側・山城側・丹波側と好きなところに大軍を投入して急襲できるから圧倒的に有利になるが
大坂方は、播磨口・紀伊口・大和口・山城口・丹波口とどこから敵が押し寄せるかわからない
から全方面に守備兵を割く必要があり、一方面の投入兵力が圧倒的に減るから
大坂方に圧倒的に不利になるのは目に見えてる。
幕府方が史実で一蹴した大坂方より遥かに少ない兵力相手に苦戦するとかありえないからな。
史実より圧倒的に幕府方有利な展開になるのは目に見えてる
0693人間七七四年
2014/01/16(木) 00:16:58.83ID:8GxQUxX3それに対応した幕府軍が、殲滅するに十分な兵力をそれぞれの拠点に繰り出して殲滅して大坂の陣はあっさり終結だな
0694人間七七四年
2014/01/16(木) 00:17:38.82ID:4vvBr7Riそれとも簡単に落とせると思ってるのかなぁ。徳川方も伏見の守備兵を手薄にしてるとは思えないんだが。
0695人間七七四年
2014/01/16(木) 00:19:09.67ID:NNEary3U同等程度の国力を持ちながら今川に攻め込まれるまで尾張で待機してて
自分から三河に攻め込まずグイグイ押し込まれた信長はチートクラスの馬鹿って事だな
0696人間七七四年
2014/01/16(木) 00:28:15.05ID:pSN3iTFc大坂方は畿内の周辺諸城を簡単に落す事ができるのにもかかわらず
幕府軍は大坂方拠点を簡単に落す事ができない前提で語ってるところだな
大坂方が出撃してきたら、幕府方は大坂方の殲滅にやってくるか、あるいは大坂方の拠点の陥落を目指してやってくるわけだから
そうなれば当然戦力差や物量差がモロに出て圧倒的に幕府軍有利になる
0697人間七七四年
2014/01/16(木) 00:30:28.31ID:4vvBr7Ri戦力の劣る側は堅守即攻方の戦術で相手に戦いを挑むのがセオリー
まぁあまり人気がない戦い方だから最近じゃあまり使われなくなったが
0698人間七七四年
2014/01/16(木) 00:41:55.61ID:xq3rugTY小牧・長久手の戦の戦いを知らんのか?昔は電信なんてなかったんだよ。
家康が小牧・長久手の戦を優勢に進めれたのは1ヶ所に兵力を集中させる決戦を行わず
各方面で局地戦を行い、豊臣方を攻めあぐねさせたことにある。
0699人間七七四年
2014/01/16(木) 01:29:28.29ID:TH0Pq/DE小牧長久手合戦なんて特に秀吉軍はフルメンバーで挑んだ主力決戦じゃねーか
0700人間七七四年
2014/01/16(木) 01:32:57.12ID:4vvBr7Ri3月伊勢→4月尾張→5・6月尾濃国境の木曽川流域→7月尾張と
戦いがあった地域自体非常に狭い範囲なんだが…
0702人間七七四年
2014/01/16(木) 01:42:24.07ID:NNEary3U当時の電信は4/8夜に小牧山城を抜け出した家康の動きをキャッチした秀吉が翌日朝に一柳直末に宛てて
柏井にいる一柳宛書状に『小牧を出た軍勢が小幡に到着したら知らせるように』と書いてる程正確で早い情報伝達が行われてる
秀吉の立てた三河方面総攻撃作戦がウンコすぎたからね。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。
しかも柏井にいる一柳宛書状から秀吉は家康の動き把握してたのに
すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのに
軍事的才能がなさすぎる
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
池田・森が味方についたわかげで木曽川ライン超えられ、家康は伊勢方面から
尾張に転進せざるを得なくなり、伊勢南半分を蹂躙できたのに、緒戦で負け、本戦で6倍以上の兵力差がありながら
相手の5倍もの被害出す大敗を喫し池田森木下兄弟が死に、本多500に20000で足どめくらいそのあとだらだらと木曽川筋の城を
攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、南伊勢でも反撃くらい
加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
0703人間七七四年
2014/01/16(木) 01:44:53.27ID:4vvBr7Ri秀吉が長久手で1万人ぶち殺された後に高木や吉村など1000貫そこそこの雑魚領主が篭もった500そこそこしかいない雑魚城に勝手に苦戦しまくってただけで
家康はほとんど何もやってなかったんだが…
0704人間七七四年
2014/01/16(木) 01:54:07.24ID:5Ox7XHaU早い物だったんだが…。当時紀伊か摂津にいたと思われる顕如にまで3/14に報告が伝達されてるし。
桑名⇔犬山間や
犬山⇔摂津・紀伊間でも即効で情報が伝達されるのに
大坂周辺で起こった戦で近隣領主の伝達が巧くされないわけねーだろ
0705人間七七四年
2014/01/16(木) 01:59:14.91ID:MpQMtcj/大坂の陣で出兵してきた大坂方に幕府軍が情報キャッチできずにもたつくとかありえねーわ
0706人間七七四年
2014/01/16(木) 02:00:19.81ID:NNEary3U0707人間七七四年
2014/01/16(木) 02:03:00.35ID:rOA1QSwt試合開始と同時に11人でペナルティエリアの中で突っ立って毎回負けるんだろうな
0708人間七七四年
2014/01/16(木) 02:13:35.77ID:gCNx9dew相手の隙をついて電撃戦で敵戦力を崩壊させるしか、勝ち目はない。
守備面をおろそかにすれば、あっさり総力で攻められまくってアボーンだな。
0709人間七七四年
2014/01/16(木) 02:20:04.94ID:QoQaTNVi・大坂方は畿内の周辺諸城を簡単に落す事ができるのにもかかわらず、幕府軍は大坂方拠点を簡単に落す事ができない
・大坂方は畿内の周辺領土を簡単に統治し、策源地に出来る
・大坂方が畿内の周辺領土の諸城を攻めている間、幕府軍は黙って指をくわえてみている。
0710人間七七四年
2014/01/16(木) 02:24:48.54ID:NNEary3U2万ずつ小出しにして攻め寄せさせてたから100%大坂方に各個撃破されて大敗してたなw
0711人間七七四年
2014/01/16(木) 02:25:35.41ID:gCNx9dew0712人間七七四年
2014/01/16(木) 02:33:07.09ID:rOA1QSwt0713人間七七四年
2014/01/16(木) 09:06:10.27ID:8hi/7rEbそれだw
だから引きこもり策を取りたがる
彼等は、それで成功してるんだからなw
巣穴ごと焼き払うって選択肢があることを知らなければ、引きこもり策は最善だろ
0714人間七七四年
2014/01/16(木) 09:51:05.57ID:d9SRYEQR0715人間七七四年
2014/01/16(木) 10:53:01.67ID:rcsusJG7ハンニバルがー
とか
おまえらはひきこもりだー
とか
言ってて恥ずかしくならんのかねぇ?
0716人間七七四年
2014/01/16(木) 11:41:50.15ID:gCNx9dew織田は尾張一国57万石と、津島港のチート収入+大垣城+刈谷の水野分があるので75万石程度
よって一万石300人換算なら織田軍は22500程度動員可能。
ほぼ互角か織田の方が国力が上にもかかわらず、三河・尾張国境で迎撃もせずに
名古屋城に引き篭もって鳴海城などを落とされるのを指を加えて待ってただけの無能が信長。
0717人間七七四年
2014/01/16(木) 12:30:10.74ID:8hi/7rEb2chに書き込んでるんだから、みんな同レベルだろw
0718人間七七四年
2014/01/16(木) 12:37:27.90ID:8hi/7rEbつまり、彼我の実力差も考えず、信長はバカだと信じ込んで尾張に突っ込んだ世間知らず今川義元ってことか?
尾張が無傷な上に一国丸ごと継承してる相手に、内乱でボロボロの駿河と内戦でグダグダの三河遠江の領主が遠征を仕掛けたとw
まあ、勉強すべき時に寺だか神社で行儀見習いしてたら信長以下に落ちるのもしょうがないか
0719人間七七四年
2014/01/16(木) 18:18:48.32ID:rOA1QSwt畿内の占領など全く完了してなかったが山崎で秀吉軍に勝ちさえしてしまえば
細川、筒井をはじめ畿内の諸大名は瞬時に光秀の傘下に入り天下獲りに繋がると彼は計算し
実際、その通りだったのだが、ここのヒッキーなら間違いなく蒸し焼きに遭って恥だけを歴史に残しただろうな。
0720人間七七四年
2014/01/16(木) 18:49:35.63ID:088FyDg90721人間七七四年
2014/01/16(木) 19:03:07.38ID:rOA1QSwtそれって大阪城でヒッキーしてた淀と同じだわ
中山道を無事通過させた時点で全ての決着は済んでる。
大阪方の兵力が10万人じゃなく仮に20万人居て籠城してたとしても
既に敗北確定だわw
0722人間七七四年
2014/01/16(木) 20:12:45.95ID:rcsusJG70723人間七七四年
2014/01/16(木) 20:32:33.81ID:xq3rugTY攻め手にしてみれば相手が出撃してこない行軍ほど楽なものはないからな。
支城や砦を落としまくれるから味方の士気も上がりやすいし
奇襲や不慮の事故の心配もしなくていい。
籠城バカはサッカーとか第二次世界大戦とかボケたこと言ってるがw
0724人間七七四年
2014/01/16(木) 22:45:00.48ID:TH0Pq/DE相手が兵力を分散したり出撃してきたほど殲滅するのに好機はない。
野戦なら兵力差がフルに生かせるし、短期決戦を挑むのももってこいだからな。
相手が10万いる兵の中から2万ずつでも小出しにすれば
幕府軍は2万ずつを20万を使って各個撃破余裕でできるから
史実より遥かに短期間で大坂の陣は終結するのは目に見えてる
0725人間七七四年
2014/01/16(木) 22:46:16.74ID:22F+Il/J敵が自ら分断してくれたら好都合この上ないからな。
20万のうち10万ずつ繰り出して楽勝で各個撃破できるしな。
仮に大坂周辺の近郊を大坂方が占拠して、幕府軍を迎撃する場合
幕府軍は播磨側・紀伊側・大和側・山城側・丹波側と好きなところに大軍を投入して急襲できるから圧倒的に有利になるが
大坂方は、播磨口・紀伊口・大和口・山城口・丹波口とどこから敵が押し寄せるかわからない
から全方面に守備兵を割く必要があり、一方面の投入兵力が圧倒的に減るから
大坂方に圧倒的に不利になるのは目に見えてる。
幕府方が史実で一蹴した大坂方より遥かに少ない兵力相手に苦戦するとかありえないからな。
史実より圧倒的に幕府方有利な展開になるのは目に見えてる
0726人間七七四年
2014/01/16(木) 22:46:50.67ID:ELxAkU43それに対応した幕府軍が、殲滅するに十分な兵力をそれぞれの拠点に繰り出して殲滅して大坂の陣はあっさり終結だな
出撃策で近江まで出ていって東西分断するという話はよくでてくるが、伏見はいつもスルーだな。
それとも簡単に落とせると思ってるのかなぁ。徳川方も伏見の守備兵を手薄にしてるとは思えないんだが。
0727人間七七四年
2014/01/16(木) 22:58:31.09ID:rOA1QSwt0728人間七七四年
2014/01/16(木) 23:05:37.77ID:ELxAkU43・大坂方は畿内の周辺諸城を簡単に落す事ができるのにもかかわらず、幕府軍は大坂方拠点を簡単に落す事ができない
・大坂方は畿内の周辺領土を簡単に統治し、策源地に出来る
・大坂方が畿内の周辺領土の諸城を攻めている間、幕府軍は黙って指をくわえてみている。
0729人間七七四年
2014/01/16(木) 23:06:06.08ID:5Ox7XHaU2万ずつ小出しにして攻め寄せさせてたから100%大坂方に各個撃破されて大敗してたなw
0730人間七七四年
2014/01/16(木) 23:07:27.61ID:NNEary3U0731人間七七四年
2014/01/16(木) 23:12:04.25ID:rOA1QSwt洛陽で項羽に煮殺されるのをじっと待ってただろうな。
現実の劉邦は最前線の成皋・滎陽に出張り、ただでさえ少ない軍勢を韓信に分け与え別働隊とし
結果、成皋・滎陽は木端微塵に項羽に打ち砕かれて息子や娘すら道端に投げ捨て
夏侯嬰と死にもの狂いで韓信の陣地まで逃げ込み兵士を根こそぎ奪って
一から出直ししてなんとか天下を獲ったのに・・・
0732人間七七四年
2014/01/16(木) 23:15:19.35ID:rOA1QSwt大阪が洛陽、京は関中内というのに・・・
おまえらアホすぎて笑えるわw
0733人間七七四年
2014/01/16(木) 23:18:45.42ID:xr071Nv+寡兵で無謀に出撃して小県郡から佐久や筑摩郡に攻めかかって徳川勢に捕捉されて全滅してただろうな
0734人間七七四年
2014/01/16(木) 23:19:39.91ID:rOA1QSwt0735人間七七四年
2014/01/16(木) 23:19:44.22ID:5Ox7XHaU大坂方は畿内の周辺諸城を簡単に落す事ができるのにもかかわらず
幕府軍は大坂方拠点を簡単に落す事ができない前提で語ってるところだな
大坂方が出撃してきたら、幕府方は大坂方の殲滅にやってくるか、あるいは大坂方の拠点の陥落を目指してやってくるわけだから
そうなれば当然戦力差や物量差がモロに出て圧倒的に幕府軍有利になる
0736人間七七四年
2014/01/16(木) 23:21:11.19ID:rOA1QSwt何故なら、そこまでのウルトラアホは世界に存在しないからだ
いたとしたらおめーらだけだわw
0737人間七七四年
2014/01/16(木) 23:21:50.41ID:NNEary3U2分の1だろうが3分の1だろうが
出撃した方が篭城するより有利になると考えてるアホなので
迎撃ポイントがなかろうが、兵力が分散しようが関係なく広範囲に兵展開しようとするアホです。
0738人間七七四年
2014/01/16(木) 23:22:25.80ID:rOA1QSwt0739人間七七四年
2014/01/16(木) 23:25:18.07ID:gCNx9dew兵力が分散したら、幕府軍に各個撃破されるだけ。
0740人間七七四年
2014/01/16(木) 23:26:07.92ID:5Ox7XHaU兵力的ハンディがある分、これ以上広範囲の防衛ラインは危険すぎる。
野戦に持ち込まれたら100%勝ち目ないし
自分から相手に攻め寄せる場合は、敵軍の待ち伏せによる兵力殲滅
相手から攻め寄せる場合には、自軍の手薄な部分を兵力集中されて突かれる危険性がある。
狭い範囲でのラインなら、一応はどこを攻められても、攻めても、部隊間の連携が可能
結局史実と同じような展開になるだけの話だろ。
0741人間七七四年
2014/01/16(木) 23:26:39.83ID:4vvBr7Riなぜなら大軍を展開するには狭い場所より広い場所の方が圧倒的に有利だから。
渓谷とか狭隘な山間部に比べ
平野で、しかも広範囲に戦うとなれば物量差や兵力差がそのまま戦局に影響する
つか、お前HPでも見てランチェスター法則など、軍事学の基本を一から学べ
無知すぎて話にならん
0742人間七七四年
2014/01/16(木) 23:27:06.54ID:gCNx9dew戦力の集中化と敵戦力の中での手薄な部分の攻撃という軍事面での大原則を忠実に守って行っているだけで
兵力を分散化させて戦闘を行うのは、劣勢側にとっては不利を広げるだけ。
0743人間七七四年
2014/01/16(木) 23:28:29.84ID:+5Nb8NOj第二次世界大戦の日本とか見りゃわかるだろ。
国力や兵力が劣る側にとっては広範囲の戦線展開は、物資や、兵力でハンディを抱える側にとってますます足かせになるんだよ。
寡兵側が勝つには、なるべき狭い範囲で兵力を限りなく集中させて、敵兵力の手薄な部分を集中的に突くしかない。
これが軍事学の鉄則。
出撃するなら3万〜5万くらいの大軍で、一方面に絞って、徳川方の一部隊を殲滅した後
別方面に兵を展開して、また殲滅
という戦法じゃないと全く意味がない。
ゲリラ戦の成功条件には、ゲリラ戦を展開するに適した、兵を散開させる地勢(渓谷や、山間部や、その周辺の地理に詳しい者など)が必要だが
大坂城周辺の攻防ではそれが全く皆無といっていい。
戦国期の戦闘においてゲリラ戦が成功している例は、せいぜい天正壬午みたいなアルプス地帯で行われた地元豪族による
後背地の撹乱と小荷駄隊の襲撃という手法である事例が一つ二つある程度。
それ以外の戦闘ではほとんど皆無といっていい。
0744人間七七四年
2014/01/16(木) 23:29:09.71ID:4vvBr7Ri鳴海城や大高城など次々に攻略される信長の無能さは異常だな。
0745人間七七四年
2014/01/16(木) 23:32:03.58ID:ELxAkU43軍事の基本すら知らんで兵力を分散してゲリラ戦しろとか相当馬鹿だな。
関ヶ原で戦力分散しまくって大敗したアホ毛利みたいな糞戦略やれってのか。
そもそも日本の戦国期の戦争は城郭を巡る攻防という特性上、防衛側がゲリラ戦を展開して成功したケースは非常に稀。
ゲリラ戦は特定の防衛拠点がない場合は、逃散→奇襲というヒット&アウェー戦法も可能になるが
城を防衛する戦の場合は、逃散するべき場所が城しかない(城を捨てれば落城する事になり防衛側の敗北)以上その戦法自体が不可能。
逃げるべき場所もないのに、イラクやアフガンみたいなゲリラ戦法なんて取りようがないなんて
少し頭を働かせれば分かることだろ。
0746人間七七四年
2014/01/16(木) 23:32:26.59ID:+5Nb8NOj自力で自分から攻撃して三河を攻略してるだろ。
当時の織田家はチート57万石+交易収入+朝廷への全国トップクラスの献金額+大垣城があるし、
家臣の支配基盤も、今川より遥かに強固
0747人間七七四年
2014/01/16(木) 23:32:45.81ID:rcsusJG70748人間七七四年
2014/01/16(木) 23:33:35.67ID:4xDYSYCw桶狭間合戦なんて、織田と今川は同等くらいの国力で、家臣の支配基盤は遥かに織田の方が直轄地が多く強固だし
余裕で迎撃に出れる状況。
それにもかかわらず、後手後手に回って大高城や鳴海城を落とされて滅亡寸前まで追い込まれてたしかなり無能なんだろ。
突然のマグレで義元が不慮の死になって助かっただけだし。
0749人間七七四年
2014/01/16(木) 23:37:06.52ID:QBzUSoPe・寡兵の場合、籠城より出撃が有利で優れた戦法
・寡兵の場合、一箇所に固まるのではなく、数箇所に兵を分散させたり、広範囲に兵力を散らすのが優れた戦法
・籠城していては、勝てる戦も勝てなくなる
・自分から攻めかかれば、戦況は有利になる
信長の場合は国力が57〜70万石程度で、ほぼ同格の国力の今川相手に駿河で引き篭もり。
また寡兵の浅井朝倉相手に志賀の陣でも引き篭もり。
よって信長はアホな戦法で戦っている事になるので、無能
0750人間七七四年
2014/01/16(木) 23:38:22.29ID:ELxAkU43織田は尾張一国57万石と、津島港のチート収入+大垣城+刈谷の水野分があるので75万石程度
よって一万石300人換算なら織田軍は22500程度動員可能。
ほぼ互角か織田の方が国力が上にもかかわらず、三河・尾張国境で迎撃もせずに
名古屋城に引き篭もって鳴海城などを落とされるのを指を加えて待ってただけの無能が信長。
0751人間七七四年
2014/01/17(金) 00:01:32.22ID:TqiktrI0>>10万人の兵士が居てたった一つの城にこもった例など世界史に存在しない。
それをやったのが淀と治長なんだわw
世界史的にもここまでアホなことやらかした馬鹿はそうはいないwww
0752人間七七四年
2014/01/17(金) 00:54:40.31ID:B92H82Yu相手が兵力を分散したり出撃してきたほど殲滅するのに好機はない。
野戦なら兵力差がフルに生かせるし、短期決戦を挑むのももってこいだからな。
相手が10万いる兵の中から2万ずつでも小出しにすれば
幕府軍は2万ずつを20万を使って各個撃破余裕でできるから
史実より遥かに短期間で大坂の陣は終結するのは目に見えてる
0753人間七七四年
2014/01/17(金) 00:56:37.72ID:pAiHHGYQ中途半端な雑魚拠点にちょびちょび兵力入れてる方が幕府方としたら遥かに陥落させやすいし
結局幕府方は大筒で威圧行為をして、戦意削いだくらいしか戦果なかったし
戦略としては別に間違ってないだろ。
0754人間七七四年
2014/01/17(金) 01:08:38.07ID:qkLVcyYLおめーら必死だなwww
0755人間七七四年
2014/01/17(金) 07:52:19.30ID:oslOSu+k0756人間七七四年
2014/01/17(金) 20:00:42.44ID:6ohBbxcCそしたら西国大名がこぞって豊臣に味方して徳川に勝てるって寸法ってのは甘すぎでしょ。実際は京・伏見の占拠だって至難の業だろうし。
万が一瀬田の橋落とすのに成功しても家康父子と側近団を討ち取らない限り、西国大名が豊臣に味方することはないと思う。
関ヶ原から丸15年経っても大名の誰も徳川に盾突かない時点で、徳川政権の永続性を概ね信じてるのは間違いないだろうし。
本能寺の変みたいに政権中枢が一瞬にして消えない限りそれは揺るがなさそう。
0757人間七七四年
2014/01/17(金) 21:50:36.91ID:qkLVcyYL0758人間七七四年
2014/01/17(金) 22:18:17.31ID:Qa3lnMEA戊辰戦争で幕府が薩長軍に勝てないのと同じ。
0759人間七七四年
2014/01/17(金) 22:57:21.70ID:TqiktrI0幕府軍を撃破できればそれでいいんじゃないか?
冬の陣は10万対20万だから戦い方によっては勝利するのも有り得ない話じゃない。
大名を味方につけるのは難しいかもしれないが
徳川に御家を潰された浪人たちは何十万といたし
冬の陣で幕府軍を撃退できた戦果があれば更に浪人衆は集まるだろ。
0760人間七七四年
2014/01/17(金) 23:48:39.85ID:3PhEe+TO0761人間七七四年
2014/01/18(土) 00:08:35.60ID:/70lfCuc0762人間七七四年
2014/01/18(土) 00:40:11.20ID:9SVUabiu声を上げたり旗を上げるだけの勢子(バイトの浪人やら農民)が想定数千〜数万
さらに背後には伊達・最上・堀という強敵を背負って戦い
これでも家康率いる10万余の軍勢に絶対に勝てると上杉軍は確信してたわけだが
それと比べても10万余の軍勢を持ってる秀頼軍の方が上杉景勝より初期条件は全然良い。
0763人間七七四年
2014/01/18(土) 01:02:52.72ID:/70lfCuc確信しているかどうかなんて何の価値もない。
0764人間七七四年
2014/01/18(土) 01:18:52.23ID:9SVUabiuまあおめーらが上杉景勝なら鶴ヶ城に3万余りの軍勢で籠城して家康軍・伊達・最上・堀に
四方からフルボッコされ煮殺されたのは絶対に間違いないけどな。
0765人間七七四年
2014/01/18(土) 01:25:03.55ID:/70lfCuc戦うのは俺でもなければお前でもない。
0766人間七七四年
2014/01/18(土) 01:42:19.63ID:9SVUabiu全国を配下に収めた20万人 VS 後詰の無い状態で10万人の籠城戦 なら前者の勝利確率は100%
しかし20万人 VS 10万人の野戦なら 前者の勝利確率が90%くらいあるかもしれないが、後者の勝率も0%じゃないからな。
0767人間七七四年
2014/01/18(土) 02:16:47.69ID:/70lfCucその論法でいくならガチ籠城で時間を稼ぐ間に家康が寿命死にして幕府の方針が変わる可能性もゼロでは無いということになる。
0768人間七七四年
2014/01/18(土) 04:42:42.31ID:fGguePd/全国を配下に収めた20万人 VS 後詰の無い状態で10万人の籠城戦 なら前者の勝利確率は50%以下(実際に大坂冬の陣は幕府方負け戦)
しかし20万人 VS 10万人の野戦なら 前者の勝利確率は100%で後者はほぼ0%(よほど寄せ手が馬鹿か無能か戦下手か、突発事故でもない限り)
実際に冬の陣より野戦の色合いが濃かった夏の陣では幕府方は負け戦。
0769人間七七四年
2014/01/18(土) 09:14:10.12ID:9SVUabiu馬鹿すぎて吹いたw
0770人間七七四年
2014/01/18(土) 18:36:04.18ID:e0lnAGfG幕府の自発的な方針転換の可能性はゼロだろ。
あそこまで大規模な軍を起こして方針転換したら
幕府と徳川の権威が著しく損なわれる。
結局のところ豊臣が生き残るには幕府軍を撃破するしかないってこと。
0771人間七七四年
2014/01/18(土) 19:21:33.88ID:T/82eHea半年どころか2か月も大坂城陥落にかかったらあっという間に伝染病が蔓延しそうだけど
当時の日本は日清戦争の日本も真っ青なほど衛生状態はよかったのだろうか?
赤痢とかチフスとかは大坂の陣当時、既に存在している。
それに湾岸戦争でもエイズが米軍兵士の間で感染したことが発覚したように
性病は戦場の兵士につきもの(WWU中のフランス駐留の武装SSで性病が蔓延しヒトラーが激怒したとか)
大阪の陣の兵士の間で梅毒等が蔓延してもおかしく0
WWTという20世紀の戦争でさえ、同盟軍相手に事実上の籠城戦を強いられたセルビアでは
半年で国民300万人の内20万人が伝染病で亡くなるという犠牲を強いられたのに。
大坂の陣の幕府軍や豊臣軍はそういった問題はクリアされていたのだろうか?
0772人間七七四年
2014/01/18(土) 21:01:52.50ID:Zezatrfr一次資料厨が発狂するだろうが
大阪城に10万の浪人含む軍勢が籠城したのが嘘だとしたら辻褄が合う。
一万やそこらなら、城を中心とした市街地戦なんて到底不可能だし逆に籠城にも適してる。
徳川の残虐性を薄めるために大阪方を膨らませることに合理性は十分ある。
少なくともハンニバル基地外の戯れ言よりはなw
0773人間七七四年
2014/01/18(土) 21:23:19.89ID:9SVUabiuもう何でもアリだなw
0774人間七七四年
2014/01/19(日) 08:44:02.22ID:wzlr6RO9そりゃ日本の城郭に10万の兵隊を押し込んで籠城したなんて考える歴史家より、
ヒキヲタの方が理性的だろw
0775人間七七四年
2014/01/19(日) 09:57:07.46ID:49TkOIpc今川義元に勝ったから織田信長は17500人の兵隊を持ってたニダとか
自分と同じヒキコモリだから淀殿は名将だったニダとか
秀頼が籠城したということは浪人部隊は1万人しか居なかったニダとか言ってるキチガイが
理性的なわけないだろw
純粋な知的障碍者だわwww
0776人間七七四年
2014/01/19(日) 10:33:46.64ID:wzlr6RO9便所はどうする気なんだw
0778人間七七四年
2014/01/19(日) 14:46:23.87ID:BO7P6j/k0779人間七七四年
2014/01/19(日) 17:46:43.50ID:K5hE+VOg野戦で徳川勢を撃破し追撃戦をしながら畿内を制圧かな。
慶長出羽合戦での最上勢は寡兵ながら同じようなことを実行してる。
難易度は相当高いがそれぐらいやらないと豊臣に未来はない。
0780人間七七四年
2014/01/19(日) 19:01:09.47ID:QMIOZSTU全くしてない。
長谷堂城攻撃つっても2週間でわずかに15日24日と退却前の牽制で29日に攻撃しただけで
最上の降伏待ちしてただけだし、庄内軍もがっつり南下してて最上降伏前夜だしな。
背後を固めてから江戸へ向けて南下する軍略がおかしいとは思わないし、
わざわざ南下して、背後を襲われすぐまた北上するところを
徳川に噛み付かれたなんてブザマな行軍は避けるべきだしな。
誰もがあんな簡単にたかが一日で関が原決着がつくなんて思わなかった。
しかも大坂城まで簡単に明け渡すし、三成や輝元の失策だよな。
だいたい慶長4年に家康の方から和議の申し出があったって言うし
慶長5年に家康が景勝や直江を見て、その武功を褒め称えて歓迎したよな。
島津の記録にも上杉主従は少しも悪びれた様子も無く堂々としていたって書かれてるし。
それに講和交渉相手は家康の信頼を得ている要路の重鎮たる本多正信と直接やっていて
宰相殿の空弁当吉川広家みたいに
黒田長政・福島正則・榊原康政・本多忠勝なんてアテにならない人間と交渉してない。
親しくなってきたので慶長7年もしくは8年頃から本多正信の息子を養子にもらう申し出をしていて
慶長9年には兼続は農政に力を入れて郡中百姓相定覚を定めたり
近江国住友村や堺から呼んだ技術者を使って鉄砲密造したり、鉄や薬の研究したりしてる。
慶長9年に養子政重が直江に養子入りしてる。
長谷堂攻撃軍は直江側近以外は言わば「2軍」。
最強部隊「安田とか岩井とか越後以来の上杉本隊」は若松に集結中。
その中であの3方面攻撃作戦といい撤退戦といい直江の凄さばかりが目につく。
最強部隊を使わず直江+蒲生徴兵隊の山形方面軍を急ごしらえした理由は「景勝」を守るため(景勝を戦闘に巻き込ませず直江自ら責任を取るつもりだった)。
上杉家思いの直江。泣ける話じゃないか。
0781人間七七四年
2014/01/19(日) 19:01:58.93ID:QUF9AeCh最上軍13,000名=山形城にいる最上側近精鋭部隊(楯岡満茂等)約9,000+長谷堂約1,000+伊達政景鉄砲隊3,000
直江軍18,000名=側近(春日+水原+溝口)約7,000+蒲生旧臣約5,000+新規召抱(前田+上泉)4,000(要するに上杉2軍)
庄内軍3,000名や中山軍4,000名が未到着の段階では決して「圧倒的大軍」とは言えないと思うのだが。
ましてや地理的には最上軍圧倒的有利だし。
逆に、難所である狐越街道を背後に抱えその道を撤退するのに、直江自ら殿隊(水原+溝口+前田)約2,500名を縦横無尽に指揮し、勢いに乗った最上義光追撃軍13,000名からの猛攻を凌ぎ切り無事撤退官僚させた所に直江の凄さがある。
昭和に入ってから、18,000名からなる大軍をどうやってあの難所を通り無事帰還させることが出来たのか?素直に疑問を呈する史家もいたことも事実。
直江にとって唯一の誤算は毛利宇喜多石田等が僅か一日で敗北したことのみ。
当時最上領は稲刈直前の時期でタダでさえ兵糧不足。そのうえ最上軍は直江軍庄内軍中山軍3方面から半径10キロ四方に押し込められていた。
当然今年の兵糧は見込めない。あと半月でもあれば確実に最上の兵糧は切れていた。
そこまで計算のうえの持久戦。直江恐るべし。
直江は撤退戦で殿の隊列を十三段に分け迎え撃った。
殿直江の少人数を見て突撃してくる最上と伊達の大軍は大挙して直江本隊に襲い掛かり段を突き崩していく。
不意に最上軍横の山の中腹から怒涛の雷鳴。上杉家自慢の水原・溝口鉄砲隊の一斉射撃。
最上義光は織田信長から送られた兜で九死に一生を得たのであった。
その後も直江は懸かられれば引き、引いては襲い掛かりを繰り返し撤退を成功させた。
その戦い振りを評し最上義光は「誠に影虎勇武残り足りけると感じ賜う。直江は古今無双の兵(つわもの)なり」と、
家臣に語ったと最上記斯波家伝に記載されている。
旧日本陸軍参謀本部の「日本戦史」に記載されている直江の撤退戦の一部を見た。
あらかた最上記や奥羽永軍記および上杉家御年譜等に記載されている通説と同様だが、一部兵数の記載だけちょっとおかしいと思った。
例えば直江方先陣春日元忠の兵数八千とか。
内容は確かに撤退戦の見本とも言うべき内容。直江軍恐るべし。
徳川秀忠は白河で直江と戦わなくて良かったね。上田城での無様な負け戦といい、たぶん先陣として白河入ったとたん大敗してたでしょ
0782人間七七四年
2014/01/19(日) 19:03:46.22ID:xgpao9HF0783人間七七四年
2014/01/19(日) 19:04:26.46ID:WVr+o/o5相手が兵力を分散したり出撃してきたほど殲滅するのに好機はない。
野戦なら兵力差がフルに生かせるし、短期決戦を挑むのももってこいだからな。
相手が10万いる兵の中から2万ずつでも小出しにすれば
幕府軍は2万ずつを20万を使って各個撃破余裕でできるから
史実より遥かに短期間で大坂の陣は終結するのは目に見えてる
大坂城のような超堅固な城郭での攻防の場合、兵力差2倍程度なら
全国を配下に収めた20万人 VS 後詰の無い状態で10万人の籠城戦 なら前者の勝利確率は50%以下(実際に大坂冬の陣は幕府方負け戦)
しかし20万人 VS 10万人の野戦なら 前者の勝利確率は100%で後者はほぼ0%(よほど寄せ手が馬鹿か無能か戦下手か、突発事故でもない限り)
実際に冬の陣より野戦の色合いが濃かった夏の陣では幕府方は負け戦。
0784人間七七四年
2014/01/19(日) 19:05:00.72ID:QMIOZSTU自力で自分から攻撃して三河を攻略してるだろ。
当時の織田家はチート57万石+交易収入+朝廷への全国トップクラスの献金額+大垣城があるし、
家臣の支配基盤も、今川より遥かに強固
0785人間七七四年
2014/01/19(日) 19:14:42.24ID:QUF9AeCh桶狭間合戦なんて、織田と今川は同等くらいの国力で、家臣の支配基盤は遥かに織田の方が直轄地が多く強固だし
余裕で迎撃に出れる状況。
それにもかかわらず、後手後手に回って大高城や鳴海城を落とされて滅亡寸前まで追い込まれてたしかなり無能なんだろ。
突然のマグレで義元が不慮の死になって助かっただけだし。
0786人間七七四年
2014/01/19(日) 19:16:13.73ID:waznt90c・寡兵の場合、籠城より出撃が有利で優れた戦法
・寡兵の場合、一箇所に固まるのではなく、数箇所に兵を分散させたり、広範囲に兵力を散らすのが優れた戦法
・籠城していては、勝てる戦も勝てなくなる
・自分から攻めかかれば、戦況は有利になる
信長の場合は国力が57〜70万石程度で、ほぼ同格の国力の今川相手に駿河で引き篭もり。
また寡兵の浅井朝倉相手に志賀の陣でも引き篭もり。
よって信長はアホな戦法で戦っている事になるので、無能
0787人間七七四年
2014/01/19(日) 22:30:58.19ID:49TkOIpc>信長の場合は国力が57〜70万石程度で、ほぼ同格の国力の今川相手に駿河で引き篭もり。
信長がいつ駿河で引き籠ったんだよ知的障碍者
0788人間七七四年
2014/01/19(日) 23:42:30.31ID:nSD1M1T20789人間七七四年
2014/01/20(月) 01:01:53.09ID:SDUkK/2W畿内制圧か…京制圧だけでも難度高そう。
でもスレタイの通りに勝つには出撃策しかないもんなぁ。
豊臣の家名存続目指すなら、出撃策より籠城策取って家康の自然死待って秀忠軟化への期待の方が可能性としてはまだありそうだが。
その際には豊臣側も浪人衆解散し大坂城出て小大名になるか、京で完全に公家として生きるかを選択しないと、秀忠も了承しないだろうけど。
0790人間七七四年
2014/01/20(月) 03:43:07.04ID:E6xt2tg4全国を配下に収めた20万人 VS 後詰の無い状態で10万人の籠城戦 なら前者の勝利確率は50%以下(実際に大坂冬の陣は幕府方負け戦)
しかし20万人 VS 10万人の野戦なら 前者の勝利確率は100%で後者はほぼ0%(よほど寄せ手が馬鹿か無能か戦下手か、突発事故でもない限り)
実際に冬の陣より野戦の色合いが濃かった夏の陣では幕府方は負け戦。
0791人間七七四年
2014/01/20(月) 03:43:53.32ID:8glLWnGF大坂の陣では徳川は大軍を全国から集めて侵攻を行ったから出撃は必ずしも有効とはいえない。
篭城してても勝ち目ないというのはまあ同意だが
ハンニバルの戦術も騎兵を両翼において、両翼を突破して敵兵力を包囲する事により
総兵力で劣っていても、一度の戦う(衝突する)人数を相手より多くする事によって
殲滅したり狭隘な渓谷を使って、細長い隊列で行軍してきた敵を深く誘いこんでから
伏兵によって包囲殲滅したりと
一度に戦う人数を敵より多くするというランチェスター法則に乗っ取った戦いをしてるだけ。
ただ何の戦術的工夫もなく、正面衝突で野戦で正面から戦えば寡兵側が勝つなんて到底無理なのは馬鹿でもわかる。
それじゃ大坂方のうち主力5〜6万を集中して、敵の中で弱そうであっさり崩れそうな藤堂隊や前田隊を一蹴して殲滅
その後細川や上杉隊などに戦力集中してかかり殲滅と
兵力を集中して、他の方面は極力敵軍の足止めを行い、その間に各軍団を各個撃破していく戦略が妥当か
0792人間七七四年
2014/01/20(月) 03:44:36.76ID:JYOWjt9q畿内を占領するまで幕府軍が指をくわえて待ってくれるわけがないし
その間に次々に近隣の領主が集まってきて包囲殲滅されて終り
万が一、大坂に近い拠点を占拠できたとしても、それが戦役に全く役に立たないどころか、
その拠点に無駄に守備兵を割く結果になり、幕府が一挙に攻めかかってくれば
より勝ち目は薄くなる。
大坂城周辺の地域を占領したって維持できないなら意味がないし
維持するのに必要な兵力や物資というデメリットと、維持する事で得られるメリットのバランスを考えれば
明らかに利にはならない。
0793人間七七四年
2014/01/20(月) 03:45:26.36ID:ze8dqOn6幕府軍は播磨側・紀伊側・大和側・山城側・丹波側と好きなところに大軍を投入して急襲できるから圧倒的に有利になるが
大坂方は、播磨口・紀伊口・大和口・山城口・丹波口とどこから敵が押し寄せるかわからない
から全方面に守備兵を割く必要があり、一方面の投入兵力が圧倒的に減るから
大坂方に圧倒的に不利になるのは目に見えてる。
幕府方が史実で一蹴した大坂方より遥かに少ない兵力相手に苦戦するとかありえないからな。
史実より圧倒的に幕府方有利な展開になるのは目に見えてる
0794人間七七四年
2014/01/20(月) 03:45:49.82ID:/hq0KjYm大坂方は畿内の周辺諸城を簡単に落す事ができるのにもかかわらず
幕府軍は大坂方拠点を簡単に落す事ができない前提で語ってるところだな
大坂方が出撃してきたら、幕府方は大坂方の殲滅にやってくるか、あるいは大坂方の拠点の陥落を目指してやってくるわけだから
そうなれば当然戦力差や物量差がモロに出て圧倒的に幕府軍有利になる
0795人間七七四年
2014/01/20(月) 14:32:25.98ID:wEP99IHQ0796人間七七四年
2014/01/20(月) 18:05:28.27ID:IZbn7E1M江の姉の弔い合戦とか言い出す
0797人間七七四年
2014/01/20(月) 19:59:56.28ID:kcgz3/vI>ハンニバルの戦術も騎兵を両翼において、両翼を突破して敵兵力を包囲する事により
>総兵力で劣っていても、一度の戦う(衝突する)人数を相手より多くする事によって
>殲滅したり狭隘な渓谷を使って、細長い隊列で行軍してきた敵を深く誘いこんでから
>伏兵によって包囲殲滅したりと
>一度に戦う人数を敵より多くするというランチェスター法則に乗っ取った戦いをしてるだけ。
それ沖田畷の戦いで寡兵ながら竜造寺を破った島津だろ。
あの戦いも野戦だから大軍を撃破できた好例だが。
>>795
治長と淀が一番のガンだもんなw
あれが総大将じゃ仮に幕府軍と同数でも勝てんわ。
0798人間七七四年
2014/01/20(月) 20:24:42.16ID:IzuGOznT0799人間七七四年
2014/01/20(月) 20:33:55.40ID:E6xt2tg4宣教師によれば、もっとも竜造寺と激しく戦ったのは有馬。隆信戦死場所も有馬陣前方。
島津はロクに働いていない。島津側の資料には鍋島が島津に内通し、隆信のいる場所へ案内してくれたと記される。
0800人間七七四年
2014/01/20(月) 20:40:01.77ID:ze8dqOn6それを有馬の陸から2門、海からの2門の大砲で援護射撃して崩しにかかり
隆信が前線が崩壊して混乱してるのを見てこいと指示しただけなのを
「隆信さまがどんどん前進しろや!」と喚いて回ったために
竜造寺軍が自殺進軍を開始し完全に敗北して隆信の周りが孤立無援になってから
急いで家久が少数の兵を派遣しておいしいトコだけ盗んだ卑怯者なだけ。
しかも有馬を助けたいだけで野心はないと大ウソまでついて善人顔してた屑な人柄。
イエズス会によると 「前線にあった島津軍は膨大で、しかも優れた装備の隆信軍を見て色を失い、
互いに顔を見合わせ死の汗を流した」と島津が完全に怯えていたと記す。
そして後方へ逃げた島津3000。一方の有馬5000や赤星や相良らが島津に代わり、
前線で竜造寺と果敢に激突し、大村純忠が戦うフリをして空砲をはなって有馬に内通を開始。
陸海からの大砲の集中攻撃で竜造寺が敗走した時に 島津の川上が竜造寺兵の如く変装して
独断行動で隆信に近づき暗殺しただけ。隆信は川上を味方の兵だと誤解していた。
イエズス会は隆信を暴君と呼んで嫌っていたが島津に対してはデタラメを言うようなことはない。
島津の国主と書いたりしている。また陸上2門と有馬の老臣安富徳円の船から二門の大砲を操ったのが
隆信が不当に殺すことを命じたために大村領から逃げてきたマルチニヨというキリシタンが砲の狙いをつけ
黒奴が砲に装薬し、マラバル人が火をつけたなど細々と解説している。
もっとも跪いて手を挙げ祈祷したりする手順があったのでそれを知る人間しか大砲を操れなかった。
フロイスによると有馬氏へ天正8年に鉛や硝石を提供したりしているので大砲もこの時にもらったのではと言われている。
これにより海岸線のに展開して進軍していた竜造寺隊は崩壊逃走し一部は中央の畦道を進軍する軍へ乱入混乱が増した。
有馬隊は柵の後ろで鉄砲により応戦していた中央の赤星隊300を守るために右前方に突出した森岳に布陣し
大砲を打ち込みつつ有馬兄弟や叔父たちとともに竜造寺の槍隊に討ってでて恐れを知らなかった。
事実、隆信戦死の地とされる場所は海岸線に近い森岳前方なのである。
つまり有馬の陸海からの大砲と有馬本隊の突撃(有馬隊自体は鉄砲は使わず)で竜造寺の左翼の海岸線の部隊は
壊滅し、その敗走は中央軍の混乱を誘い、隆信は海岸線の部隊の督戦のため移動し
そこで隆信は孤立無援状態に陥り討ち死にしたとしか思えない。
ちなみに竜造寺軍は鉄砲1000挺に大砲も持っていたらしい。これを島津が見て恐怖したようだ。
ちなみに相良軍は13歳の忠房が疱瘡で病んでいたために有馬救援軍を的場自休が代役として率いており
竜造寺相手の先陣争いでは騎下の豊永金兵衛が奮戦したと言う。
島津が攻撃に参加したと思われるのは竜造寺が敗走した後の追撃戦のみ。
これを家久の武功だなんて主張するのは基地外のやること。
つか丸尾山方面へ向かったはずの右翼の鍋島ってこの時も兵を動かしてないように思える。
0801人間七七四年
2014/01/20(月) 20:40:51.31ID:ze8dqOn6なぜか戦場へやってきて、しかも竜造寺軍右翼を担い、しかも戦を傍観し続け
中軍の混乱も放置しており、戦後に隆信の首もいらねぇよと拒絶。
そのため隆信を暗殺すべく敵側へ内通した説も存在している。
この時の鍋島の行動は腑に落ちない。
島津方軍記には沖田畷の戦いで川上左京に隆信の居場所を教えたのは直茂だと書いてある。
沖田畷の戦い(抜粋)
此レハ偖置此処ニ又川上左京久堅ハ、軍ハ今カ花ト心得テ、我手三百余騎ヲ引テ桑原ノ陣ヲ忍ヒ出テ、
寺山カ死シタル籏ヲ奪ヒ取リ、肥前ノ軍衆ニ様ヲ替へ、陣屋々々ヲコナタコナタニ廻リ玉ヒシカ、
鍋島ニハタト行合、「如何ニ申サン、鍋島殿。某ハ士ノ身ニテ未練ナカラモ今中務殿ノ横入ニ目暮ンテ、
我身隆信公ノ御陣所ヲハタト忘レ候ヒシカ、教エ玉へ、鍋島殿」ト泪ヲ流シテ申シケル。
鍋島モ、勢ヲ見レバ薩摩勢印シヲ見レバ、肥前方、暫シガ間ハアキレ果テテゾ御座シマス。
鍋島殿運ノ尽キニヤ、大敵ノ薩摩勢ヲ味方ト心得テ我君隆信公ハアナタニ見へシ。
小松原ノ本陣ニ三十六騎ヲ御側ニ召サレ、母衣カケ武者ニテ御坐シマス。急キ参レ」ト
教エケレバ川上殿ハ鍋島カ教ニ行キ頓テ小松原ニモナリヌレバ左京モ□□□ノ中ト心得テ装束改メ
「我レヲ誰トカ思フラン。薩摩ニ於テモ、島津義久カ郎等川上左京久堅トハ我事ナリ。
此度、赤星兄弟子供カ恨ミニ太刀ヲ請玉へ」ト大音揚ケテ申シケル。隆信聞シ召サレ、
偖テハ薩摩ニ於テ家アル士カ、又ハ家ナキ士ナラバ、目下廻り首ヲ討テ」ト申シケル。
左京聞シ召サレ「偖ハ中々思ヒモ依ラン仰カナ。士カ士ヲ討ツニ、目下目上ノ差別アルマシト、
去フヨリ早ク三尺六寸ヲ抜キ持テ隆信カ弓手ニ廻リ隆信カ首ヲ水モタマラス打チ落ス。
年ヲ申セバ五十七。御側ノ三十六騎ハ此ノ由ヲ見ルヨリ、主ヲ討レテハ叶フマジト切テ掛レバ、
左京ハ隆信ヲ討チタル勢ニテ爰ヲ戦度ト戦エバ三十六騎モ同シ枕ニ討チ伏スル頓テ隆信カ首ヲ
太刀ノ切リ先キニ貫キテ本丸陣ヲ心静カニ立出テ小松原行ケバ鍋島四洲添島彼ノ両大将ハ此ノ由ヲ
一目見ルヨリ、扨テハ中々、我敵何国マデ落チ行ク。逃スナト云フヨリ早ク切テ掛レバ、
川上ハ心得クリト云フ儘ニ士卒ニ下知シテ群カル敵ヲ迫ツマクリツ爰ヲ戦土卜戦へバ、
又向敵一千余騎ハヤスヤスト打取リ仕スマシタリト云フ儘ニ陣所ヲ差シテ引テ行ク。
頓テ隆信ノ首ヲ中務殿御覚ナサレ心得タリト云フ儘ニ、小高キ所ニ走セ登リ、大音揚ケテ名乗ル様、
「肥前ノ大将龍造寺隆信ヲ川上左京久堅カ討チ取リタリ」ト呼ハレケル。
0802人間七七四年
2014/01/20(月) 21:27:28.31ID:wBMiC6Tv京都へ向けて進軍し、徳川と決戦すべし
0803人間七七四年
2014/01/21(火) 00:24:13.80ID:zSRE4lyD0804人間七七四年
2014/01/21(火) 00:34:38.20ID:B/sQsglt0805人間七七四年
2014/01/21(火) 05:56:45.36ID:vU/wkKDq>勝った
何をもって勝ったとするんだ?
豊臣生き残りには、家康が生きてようが死んでようが、秀頼の征夷大将軍就任以外生き残りの目なんか無いが?
(家康とその息子達を全滅させるなんてファンタジーは不可能だし)
0806人間七七四年
2014/01/21(火) 08:56:00.63ID:l3zvI0CJ>>1の通りにするとなるとIFを重ねまくるしか無いからなあ
0807人間七七四年
2014/01/21(火) 09:52:57.95ID:vU/wkKDq公家化は徳川にとっても受け入れられないかもだが(家格として関白を出してる家)
小大名化を豊臣が受け入れられなかったから大阪の陣に突入したんじゃないの?
一万石程度でなら父祖ゆかりの尾張でも許されそうな気もするw
0808人間七七四年
2014/01/21(火) 10:52:08.09ID:zSRE4lyD毎日5回のセックスを義務付け100人くらい子供を作っておく。
それらをできるだけ多く徳川筋に人質(譜代大名の養子や嫁・婿として差し出す)に出しておき
5000石くらいの分家も大量に作っておく。
どうせ赤子ばかりで家臣の意のままになるわけだから大阪の陣で主家を裏切る分家が大量に出る。
結果、主家が滅んでも分家の豊臣家は全国に分散する形で(旗本にも)残る。
0809人間七七四年
2014/01/21(火) 10:55:18.10ID:zSRE4lyD巷にあふれればそれはそれで成功
0810人間七七四年
2014/01/21(火) 11:59:50.51ID:WbQRLYkM秀頼の正室は徳川の姫なので、側室にバンバン子供を産ませると、それを理由に宣戦布告されかねない。
子供を作って他家に縁組するというアイデアは実際に考えられていたと思うが、幕府開幕以降の時期には後難を怖れて、どこも二の足を踏むかも?
0811人間七七四年
2014/01/21(火) 12:17:06.43ID:zSRE4lyD鐘銘問題以上の難癖だな(笑)
諸大名も流石に失笑すると思う(爆笑したら即改易だから)
0813人間七七四年
2014/01/21(火) 14:31:15.41ID:WbQRLYkM無茶苦茶だと思うだろうが、江戸時代にこれで処罰された藩があるってことは、徳川はそういう政権だと思うしかない。
0814人間七七四年
2014/01/21(火) 16:38:06.26ID:zSRE4lyDそうは言っても貴重な御子をできるそばから
人質として江戸に送れば家康親子も悪い気はしないだろ
天下に対しても将軍家が豊臣家から人質を取ってるというだけで
十分すぎるほどに面目が立つ
0815人間七七四年
2014/01/21(火) 17:36:18.31ID:vU/wkKDq>貴重な御子
前田家も、秀吉でさえも、あっさり出した家の存続に大した影響の無い母親でさえ拒んだ秀頼のことを武士の尺度で信用するチャレンジャーはいないんじゃね
0816人間七七四年
2014/01/21(火) 18:37:58.89ID:zSRE4lyDそうだな淀を人質に出すのがベストだ
0817人間七七四年
2014/01/21(火) 19:25:28.24ID:AFS1Obhc大坂方の牢人衆の入城が10/6、伏見への集結を命じられた畿内徳川方の伏見到着が10/16ということから
大坂方の出陣準備等も考えると確実に10日もないと思われる程度の日数で
1. 松平定勝とそれに付けられた兵力が守備する伏見城を落城させる
2. 伏見に向かっている畿内徳川方勢力を一掃する
を完遂して、さらに
3. 畿内の主要な街道等を制圧し、東西分断する
4. 東から徳川本隊に対する備えを構築し、野戦に必要な指揮伝達系統をしっかり確立する
を徳川家康が京都に近づく10/23あたりまでに完成させないといけないわけだが、
これが現実的に可能であるか?
0818人間七七四年
2014/01/21(火) 19:34:10.13ID:Ywoz2sXo現実的に可能極まりないな。
そんなことすらできないなら
秀頼は無能極まりない。
わずか1日の訓練を施した民兵主力でソ連軍はドイツ軍を
スターリングラード市街戦を戦い抜いて
ドイツ軍を降伏に追い込みましたが。
戦場往来の牢人衆をかき集めながら
そんなこともできないから大坂城は陥落したのです。
0819人間七七四年
2014/01/21(火) 19:51:34.16ID:7o7B/oVY幕府軍20万人っていうのは東北地方の佐竹藩や南部藩といった
遠国の軍勢も含めた数だからねえ。
豊臣軍10万が早いうちに出撃してたら畿内の制圧は出来そうな気もするが。
0821人間七七四年
2014/01/21(火) 20:27:17.66ID:AFS1Obhc大坂城付近の守りと主要拠点の維持、さらには前線への補給線の維持を考えたら、
実際に前線に割ける人数はそんな多くなることはないからねぇ
特に大坂城は落ちたらその時点で終了だから、どういう形であれ、ある程度の守備兵力は残さないといけないし、
牢人側から出されたとされる野戦案も、実際には籠城戦への移行も想定されてるものだから、
その場合に備えての兵力もキープしておかないといけない
ついでに、戦線を広げるってことは補給線がのびるということでもあるから、それを確実に保持するための兵力も必要になる
補給線断たれて前線孤立で終了なんて、話にならんからね
後はやっぱり伏見城が大きな障壁だね
落とすのに損害を大きく出してしまったら、徳川本陣と対峙するにも損耗した兵力の補充は困難だし
野戦案は、備えを作るまでの損耗は最小限でないと、根本から崩壊しかねない
かと言って、伏見城側は待ってりゃ援軍来るのはわかってるから、降伏するわけがない
結局力押し以外で事態の打開は困難だから、ある程度損耗した状態で徳川方と対峙せざるをえないって話にはなりそう
兵站の差は無視できないぐらい大きいね、やっぱ
0822人間七七四年
2014/01/21(火) 20:47:53.46ID:7o7B/oVY家康が京都に入るまで半月以上猶予があったのに
何にもしてないからねえ。
>>821
遠征するわけじゃないんだから。たかだか畿内程度の範囲で補給線って・・・
それに徳川の主力が来てないのになんで大阪城に大軍を残さなきゃならないのさ。
0823人間七七四年
2014/01/21(火) 21:00:13.90ID:B/sQsglt信玄や義元の上洛と同じと思えばいいんじゃね?
道中城を落として上洛するわけだけど
なぜ簡単に落ちる城を普段責めないかとい恒久的には維持できないが
上洛の間だけ維持すればいい
それにそんな簡単に失敗する策を出陣派が進言するだろうか
0824人間七七四年
2014/01/21(火) 21:02:51.60ID:B/sQsglt計画ではそうだった
0825人間七七四年
2014/01/21(火) 21:50:00.19ID:nxp1OfW8信玄も義元も後方は同盟なりなんなりで固めてから行動してるんだよな
0826人間七七四年
2014/01/21(火) 22:10:55.66ID:RqlpokEr豊臣家の存続だけを考えると、淀よりも秀頼暗殺が有効かもな。
一番の主戦派は治長でも淀でもなく秀頼でしょ。家の存続に影響ない淀を人質にする事すら拒否って戦う気満々じゃんw
秀頼さえ暗殺すれば淀は完全に意気消沈して、徳川の提案なんて何でも受け入れるんじゃないのかなぁ。
浪人衆解散、大坂開城、国松が跡目継いで東日本で小大名として移封、淀が江戸に人質に行って一件落着。
0827人間七七四年
2014/01/21(火) 22:42:50.57ID:rvjC8tDy0828人間七七四年
2014/01/21(火) 22:50:04.25ID:zSRE4lyD0829人間七七四年
2014/01/21(火) 23:14:17.51ID:FrxR0Kfh幕府軍は播磨側・紀伊側・大和側・山城側・丹波側と好きなところに大軍を投入して急襲できるから圧倒的に有利になるが
大坂方は、播磨口・紀伊口・大和口・山城口・丹波口とどこから敵が押し寄せるかわからない
から全方面に守備兵を割く必要があり、一方面の投入兵力が圧倒的に減るから
大坂方に圧倒的に不利になるのは目に見えてる。
幕府方が史実で一蹴した大坂方より遥かに少ない兵力相手に苦戦するとかありえないからな。
史実より圧倒的に幕府方有利な展開になるのは目に見えてる
0830人間七七四年
2014/01/21(火) 23:15:29.55ID:q7K/YlHn相手が兵力を分散したり出撃してきたほど殲滅するのに好機はない。
野戦なら兵力差がフルに生かせるし、短期決戦を挑むのももってこいだからな。
相手が10万いる兵の中から2万ずつでも小出しにすれば
幕府軍は2万ずつを20万を使って各個撃破余裕でできるから
史実より遥かに短期間で大坂の陣は終結するのは目に見えてる
0831人間七七四年
2014/01/21(火) 23:17:20.01ID:BEFHriUV畿内を占領するまで幕府軍が指をくわえて待ってくれるわけがないし
その間に次々に近隣の領主が集まってきて包囲殲滅されて終り
万が一、大坂に近い拠点を占拠できたとしても、それが戦役に全く役に立たないどころか、
その拠点に無駄に守備兵を割く結果になり、幕府が一挙に攻めかかってくれば
より勝ち目は薄くなる。
大坂城周辺の地域を占領したって維持できないなら意味がないし
維持するのに必要な兵力や物資というデメリットと、維持する事で得られるメリットのバランスを考えれば
明らかに利にはならない。
出撃論者がアホなのは、出撃して周辺地域を占領するまで幕府軍が対応として自分らの殲滅にやってこないとか
大坂方は畿内の周辺諸城を簡単に落す事ができるのにもかかわらず
幕府軍は大坂方拠点を簡単に落す事ができない前提で語ってるところだな
大坂方が出撃してきたら、幕府方は大坂方の殲滅にやってくるか、あるいは大坂方の拠点の陥落を目指してやってくるわけだから
そうなれば当然戦力差や物量差がモロに出て圧倒的に幕府軍有利になる
0832人間七七四年
2014/01/21(火) 23:19:05.76ID:bZX8qvax即効でアボーンだな
足軽が休む場所もなくなり、逃散兵ばかりになって即死だろ。
0833人間七七四年
2014/01/21(火) 23:23:30.69ID:q7K/YlHn四国や中国や九州の兵などが次々群がってきて
大坂城ごとき楽勝で落とされるのは目に見えてる。
徳川の動員兵力は20万とされてるが、予備戦力は十分残した上での話しであり
豊臣から仕掛けて来るような危機となれば
中国・四国・九州の領主や畿内近郊の領主達が次々家康や秀忠の指令の元
大坂討伐に乗り込んでくるのは明白であり、大坂は四方八方からあっさり攻囲されて大坂の陣は2週間程度で終結するのは見に見えてる。
10万あるうちの半分くらいは残さないと、大坂なんて短期間でも防衛不可能だろ。
0834人間七七四年
2014/01/21(火) 23:32:01.56ID:+runLpwn松平定勝とそれに付けられた兵力が守備する伏見城を落城させ 伏見に向かっている畿内徳川方勢力を一掃する
なんて到底無理だし
畿内の主要な街道等を制圧し、東西分断 東から徳川本隊に対する備えを構築し、野戦に必要な指揮伝達系統をしっかり確立
なんて、確実に無理ゲー。
普通に相手が雑魚でも二週間程度はかかるし、
0835人間七七四年
2014/01/21(火) 23:34:58.04ID:AIXtmQ1+入城して準備して出陣するぞとなったら
既に伏見に兵が集結してるからそこで万事休すだな。
0836人間七七四年
2014/01/22(水) 01:53:31.56ID:Z94XZ76c冬の陣の戦力なら長宗我部も藤堂勢壊滅できただろうし、あとは木村や後藤隊と共に徳川方にヒットアンドアウェイを繰り返して、湿地帯に誘い込み、
徳川方の陣形が延びきった時に真田隊や明石隊がゲリラ戦仕掛けて大混乱に陥れてどさくさにまぎれて家康秀忠を討ち取って勝つ。
これもいくつかのifがないと相当厳しいが畿内制圧や東西分断よりは可能性は見出だせるのでは?
0837人間七七四年
2014/01/22(水) 01:54:10.67ID:7YR2W6V40838人間七七四年
2014/01/22(水) 06:27:46.13ID:aTRNIYfbガチ籠城派の俺だが、あなたの意見はまともだと思う。
奇跡に賭けるというのはこういう作戦のことであって、東西分断だの、コンビニがどうのだのは、可能性ゼロの行動を「やってみなけりゃわからない!」と強弁しているに過ぎない。
0839人間七七四年
2014/01/22(水) 07:31:55.12ID:yyDxN5Mcコンビニに行けないのはどうかと思うw
家康、秀忠が死ぬまで籠城なんて不可能だろw
畿内占領と同じ程度だ
征夷大将軍は秀忠であって家康じゃないって現実を除外した考えじゃ
出撃して畿内占領の方がまだ現実味があるw
0840人間七七四年
2014/01/22(水) 10:20:34.32ID:Hby+UfCJ0841人間七七四年
2014/01/22(水) 11:24:53.68ID:aTRNIYfb論点がちゃうわアホウ。彼の作戦は実行可能だと言ってんの。
畿内制圧なんか戦力が足りなさすぎて維持できるか。
秀忠は死なんでいいんだよ。対豊臣強硬派は家康なんだから。
政治家としての秀忠に嫁さんの実家を消滅させるメリットは無いのよ。
お前、コンビニに騎馬武者の護衛も無しに行くんかよ。自殺行為だろ。俺のコマンドは`命だいじに´なんだよ。
0842人間七七四年
2014/01/22(水) 17:07:25.03ID:7YR2W6V4コンビニに行ったら近所のチンピラがカップラーメンを食べてたむろしてるかもしれないし
御近所さんに挨拶されてキョドちゃって、そりゃ大阪城から城外に出るのは不可能だよ
0843人間七七四年
2014/01/22(水) 20:12:02.69ID:mSclMmLK籠城よりは有効だと思うけどわざわざ敵軍を集結させてからじゃなくてもいいんじゃないか?
10月の時点では豊臣軍の方が畿内では兵力が多いし。
秀忠率いる幕府の主力軍や佐竹、上杉といった冬の陣で活躍した大名が
畿内に入ったのは11月になってから。幸村たち主戦派が提唱した出撃策は
遠方の勢力が集結する前に畿内を制圧することだし
10月初旬〜中旬までなら十分に可能。
0844人間七七四年
2014/01/22(水) 20:56:29.42ID:UIQfUHvz兵力は一万石300人換算で13万程度動員可能だから
大坂方が出撃してこようが、畿内方面軍だけで余裕で守り通せるだろ。
下手すりゃ四国や中国の軍勢によって背後から大坂城をあっさり陥落させられる可能性も高い。
0845人間七七四年
2014/01/22(水) 20:57:41.57ID:h5YAoVgq四国や中国や九州の兵などが次々群がってきて
大坂城ごとき楽勝で落とされるのは目に見えてる。
徳川の動員兵力は20万とされてるが、予備戦力は十分残した上での話しであり
豊臣から仕掛けて来るような危機となれば
中国・四国・九州の領主や畿内近郊の領主達が次々家康や秀忠の指令の元
大坂討伐に乗り込んでくるのは明白であり、大坂は四方八方からあっさり攻囲されて大坂の陣は2週間程度で終結するのは見に見えてる。
10万あるうちの半分くらいは残さないと、大坂なんて短期間でも防衛不可能だろ。
0846人間七七四年
2014/01/22(水) 20:58:17.51ID:w2KRbxtm松平定勝とそれに付けられた兵力が守備する伏見城を落城させ 伏見に向かっている畿内徳川方勢力を一掃する
なんて到底無理だし
畿内の主要な街道等を制圧し、東西分断 東から徳川本隊に対する備えを構築し、野戦に必要な指揮伝達系統をしっかり確立
なんて、確実に無理ゲー。
普通に相手が雑魚でも二週間程度はかかるし、
0847人間七七四年
2014/01/22(水) 20:58:44.32ID:h5YAoVgq入城して準備して出陣するぞとなったら
既に伏見に兵が集結してるからそこで万事休すだな。
0848人間七七四年
2014/01/22(水) 21:04:18.87ID:uDluHv2Mこの頃の徳川軍の実力が極めて疑問なんだよな。
張子の虎と化していたのではないかと。
関ヶ原から10年以上、小牧・長久手からすれば30年近く実戦経験がないのが徳川軍。
関ヶ原の戦いで全盛期の信長や秀吉なら大垣城から移動する西軍をあっさり捕捉できたろうに
大谷勢等が作った関ヶ原の堅陣までの西軍の移動を阻めず
福島勢等を先鋒とせざるを得ずに徳川軍は大苦戦している。
大坂の陣当時、徳川四天王は皆、極楽に旅立った後だしな。
大坂の陣の徳川軍の戦歴を見ると、あの武田軍と戦い、小牧・長久手で勇名をはせた徳川軍か
と嘆息せざるを得ない状況だ。
0849人間七七四年
2014/01/22(水) 21:23:50.56ID:f2Lhyo0Uそれよりもちゃんと部隊を配置して野戦軍を壊滅させる決戦のほうが良いに決まっている
後、関ヶ原では少なくとも井伊直政・松平忠吉がガチで戦闘している
0850人間七七四年
2014/01/22(水) 21:31:37.17ID:Z94XZ76c836だけど、家康秀忠を討ち取って徳川主力を潰滅させて(できたら藤堂井伊あたりも討ち取って)から畿内制圧すればいいと思う。
確かに八尾若江道明寺まで徳川主力が集まるのを待つのは相当リスクが高いが、家康父子を討ち取らないと最終的には畿内制圧に失敗すると思うしね。
家康父子が死ねば徳川方もまずは政権再構築が先になり、大坂に再侵攻は当分できないだろうし、そこから畿内制圧に乗り出して徳川方の拠点を落とす方が容易に進むと思う。
徳川家中の混乱期なら伏見の松平定勝、京の板倉勝重も降伏か東国へ逃亡だろう。近江の井伊や伊勢の藤堂も討ち取られて当主不在になっていればあっさり降伏かもしれない。
もし家康秀忠健在で機内制圧に乗り出しても徳川方も援軍期待して激しく抵抗するだろうし、万が一制圧できても豊臣方もかなりの損害受けて拠点の維持が困難だろう。
西国大名達も家康秀忠が生きてれば徳川を裏切る事はできないだろうし、最終的には負けると思う。
0851人間七七四年
2014/01/22(水) 22:01:03.26ID:mSclMmLK指をくわえて眺めてるのは愚の骨頂なんだけどな。
徳川方の戦力が集結するまで1カ月と少しかかってるけど
その期間、何一つ行動してないし淀たちは自分らがおかれてる立場を本当に理解できたのか疑問。
0852人間七七四年
2014/01/22(水) 22:12:32.13ID:yyDxN5Mc>淀
本当に淀君に発言力があったのかから一次資料のみで検証すべきと思う
講談・小説レベルの後世の人間にとって都合の良い史実とは違う事実を探らなければ
意味不明としか表現出来ない10万の大軍による大阪城籠城なんて怪異は説明出来ないだろ
0853人間七七四年
2014/01/22(水) 22:20:55.22ID:UIQfUHvz松平定勝とそれに付けられた兵力が守備する伏見城を落城させ 伏見に向かっている畿内徳川方勢力を一掃する
なんて到底無理だし
畿内の主要な街道等を制圧し、東西分断 東から徳川本隊に対する備えを構築し、野戦に必要な指揮伝達系統をしっかり確立
なんて、確実に無理ゲー。
普通に相手が雑魚でも二週間程度はかかるし、
0854人間七七四年
2014/01/22(水) 22:27:13.68ID:w2KRbxtm関ヶ原や大坂の陣で醜態さらしまくったのは福島黒田藤堂などの豊臣の雑魚武将達であって
徳川軍自体はほとんど戦ってないし、可もなく不可もなくの戦いぶりだったよ。
福島は関ヶ原の合戦で宇喜多隊相手に押されまくって崩壊寸前まで追い込まれてる。
歴戦のはずの藤堂高虎隊は味方が勝ち行く中唯一寡兵の長宗我部勢に負けまくり大損害出して死に体で帰ってきてる
確か関ヶ原合戦の際にも京極隊と連携してわずか1000そこそこの大谷隊を攻めたら大苦戦し
小早川が離反後も何度も押し返されて朽木・脇坂らが大谷隊に攻めかかるまで
ろくな戦果あげられなかったはず。
黒田長政も細川忠興と協力して6000そこそこの石田隊を攻めたらろくに戦績もない三成相手にほぼ互角の戦いで
切り崩せなかったし
大坂の陣の奮戦っぷりで見ても、個々の武将の能力でいえば大坂方の方がずっと上じゃね?
武器性能で言っても大坂方が特に勝っているはずはないしな。
0855人間七七四年
2014/01/22(水) 22:28:44.04ID:FnTI8B9R徳川軍なんて四天王が次々病死、他の諸大名も世代交代してて大した連中もいないし
大阪方の方が戦績豊富な連中多いんじゃね
0856人間七七四年
2014/01/22(水) 22:28:56.99ID:f2Lhyo0U0857人間七七四年
2014/01/22(水) 22:29:37.18ID:aWtPqFPTその後細川や上杉隊などに戦力集中してかかり殲滅と
兵力を集中して、他の方面は極力敵軍の足止めを行い、その間に各軍団を各個撃破していく戦略が妥当か
0859人間七七四年
2014/01/22(水) 22:31:07.86ID:SdiQA0M8戦術に関してはともかく兵站管理に関しては、素人軍団だけでは中々厳しい物があるだろうし
0861人間七七四年
2014/01/22(水) 22:33:32.15ID:aWtPqFPTその後細川や上杉隊などに戦力集中してかかり殲滅と
兵力を集中して、他の方面は極力敵軍の足止めを行い、その間に各軍団を各個撃破していく戦略が妥当か
0863人間七七四年
2014/01/22(水) 22:35:13.37ID:aWtPqFPT前田なんて冬の陣の時でも真田丸で壊滅させられ
藤堂も長宗我部に蹴散らされまくってたし。
0864人間七七四年
2014/01/22(水) 22:35:53.68ID:dEsuYbu4関ヶ原敗戦組も含めて総決戦を行えれば間違いなく勝てた。
兵力でいっても、メンツでいっても、西軍の方が遥かに充実してて、東軍は雑魚ばかり。
0865人間七七四年
2014/01/22(水) 22:36:19.88ID:f2Lhyo0U太田和泉守記にあるのなんて会津征伐の総数とか、秀忠勢の総数とか、南宮山の西軍の総数とかで
各部隊の兵数の記述なんてない
0866人間七七四年
2014/01/22(水) 22:37:22.78ID:w2KRbxtm東軍はそれ以上に戦歴あるくせに戦のセンスのない雑魚ばかりだからね。
そういった将の資質に問われる野戦を西軍がうまく挑めば勝利できた可能性はあるね。
0867人間七七四年
2014/01/22(水) 22:38:43.31ID:h5YAoVgq家康を大いに苦しめた依田信蕃でもかなり敢闘してただろ
0868人間七七四年
2014/01/22(水) 22:40:00.05ID:IAoOBOIr四国や中国や九州の兵などが次々群がってきて
大坂城ごとき楽勝で落とされるのは目に見えてる。
徳川の動員兵力は20万とされてるが、予備戦力は十分残した上での話しであり
豊臣から仕掛けて来るような危機となれば
中国・四国・九州の領主や畿内近郊の領主達が次々家康や秀忠の指令の元
大坂討伐に乗り込んでくるのは明白であり、大坂は四方八方からあっさり攻囲されて大坂の陣は2週間程度で終結するのは見に見えてる。
10万あるうちの半分くらいは残さないと、大坂なんて短期間でも防衛不可能だろ。
大坂に浪人が入城して畿内徳川軍の到着する10日程度の間に
松平定勝とそれに付けられた兵力が守備する伏見城を落城させ 伏見に向かっている畿内徳川方勢力を一掃する
なんて到底無理だし
畿内の主要な街道等を制圧し、東西分断 東から徳川本隊に対する備えを構築し、野戦に必要な指揮伝達系統をしっかり確立
なんて、確実に無理ゲー。
普通に相手が雑魚でも二週間程度はかかるし、
0869人間七七四年
2014/01/22(水) 22:46:03.01ID:30bh2vut史実の淀に発言権は無かったと思う
家康が将軍に就いたとき、不安になり高台院に相談したというし
江戸に人質に行く気はあったが、主戦派の秀頼が反対して流れた
夏の陣で砲撃で侍女が死んで和睦持ちかけたのも淀自身は戦する気は無かったからでは
意志が弱く息子や大野や牢人衆の意見に右往左往してる間に自害するハメに…
0870人間七七四年
2014/01/22(水) 23:04:13.29ID:yyDxN5Mc思うって話だから、こちらも感情論で対応すると
秀頼が主戦派とするなら、
何故、
一般的に言われる10万の大軍で『籠城』戦を『征夷大将軍』に仕掛けたのか
が理解出来ない。
実朝以降、摂関家果ては親王、足利時には準后の地位に有る者が就いた世俗権力の頂点と戦争になるのが必然的なのに
端からは家康が老衰でもすれば無かったことになるだろうと云わんばかりの籠城策を
攻城側の半分近くも浪人を集めて実施する意図が理解出来ない
ぶっちゃけ、どうでも良いから当たり障りの無いように誤魔化した結果が史実と『感じる』
0871人間七七四年
2014/01/22(水) 23:30:46.15ID:zyI5Trlb夏の陣見てもわかるように、狭い範囲になるとはいえ、各方面がしっかり連携して動かないと各個撃破の的になるだけだが、
道明寺の戦いのようにまさにそのパターンに突っ込んでしまう状況なんで…
八尾若江の戦いも低湿地帯という大部隊の利が出にくく、
小規模な乱戦に持ち込みやすい場所の地の利があるのは確かなんだけど
史実同様、結局は消耗戦になっちゃって数で劣る側が持ちこたえられるような戦線ではないのよね
いずれにせよ、冬の陣の大坂城が健在な状況なら、壊滅的状況になるまで大坂近郊で野戦を繰り返すメリットが薄いから
短期的に徳川方の足並みを乱してから籠城戦に移行という流れになりそうな気はする
0872人間七七四年
2014/01/23(木) 00:32:37.18ID:pr/QrnuF畿内の徳川軍の兵力はそう多くはないだろ。
あの辺で万を超える軍勢を起こせる大名って豊臣以外にいるのか?
0873人間七七四年
2014/01/23(木) 00:38:18.41ID:vwy7uiQN兵力は一万石300人換算で13万程度動員可能だから
大坂方が出撃してこようが、畿内方面軍だけで余裕で守り通せるだろ。
下手すりゃ四国や中国の軍勢によって背後から大坂城をあっさり陥落させられる可能性も高い。
0874人間七七四年
2014/01/23(木) 11:26:00.05ID:llss1tBgそれでもダメだろうけどひょっとしたらひょっとするのは出撃作のみ
宝くじは買わないと当たらない
籠城は宝くじを買ってない
0875人間七七四年
2014/01/23(木) 11:30:01.00ID:vwy7uiQN夏の陣で出撃にでたから負けただけ。
0878人間七七四年
2014/01/23(木) 20:10:17.91ID:I3yfD/Qjその原因を作ったのが冬の籠城戦だ
0879人間七七四年
2014/01/23(木) 21:30:36.95ID:kkxJZOAr籠城こそ人生だ
0880人間七七四年
2014/01/23(木) 23:05:39.36ID:vwy7uiQNそんな決まりが戦国時代にはあるのかw
0881人間七七四年
2014/01/23(木) 23:06:43.19ID:pr/QrnuF畿内は寺社領や公家領が多く徳川にしてみれば戦力としては期待できない。
あと松平定勝も大阪の陣では10万石にも満たない小大名。
0882人間七七四年
2014/01/23(木) 23:32:51.15ID:kkxJZOArさあコンビニへ出陣じゃ〜!
0883人間七七四年
2014/01/23(木) 23:43:32.03ID:/VMgRyCVソースは?
寺社領や公家領があるからといって別に動員が期待できないわけじゃないだろ。
寺社領や公家領なんて、全体の何分の1っかって所だろうし
0884人間七七四年
2014/01/23(木) 23:50:30.38ID:sNk0WQw5でも冬の陣の豊臣方の戦力なら八尾若江道明寺の戦い仕掛けても、史実の夏の陣のような結果にはならない気がする。
戦力が豊富な分、色々作戦も描ける。低湿地で乱戦に持ち込めば家康父子を討ち取る機会も十分ある。
畿内制圧みたいな大規模な作戦はいくら10万いても寄せ集めだし、それを仕切る将もいない。そんなのできるの当時存命武将では家康しかいないだろう。
やっぱり大和河内国境で迎え撃つのが一番現実的な出撃策で、家康父子殺害の成功の確率も低いとはいえ可能性はゼロとは言えない。
0885人間七七四年
2014/01/24(金) 06:25:27.62ID:IBc+r3nuその乱戦のただ中に家康本陣が突っ込む可能性はないと言っていい
なぜなら、京都に入ったら、各地から集まってくる諸将の集結待ってから徳川方は動くからね
その場合本陣は先鋒がある程度露払いしてからしか動かなくなる
で、消耗戦になれば数で劣る大坂方の方がもたないから、
徳川方をことごとく潰して家康などを引っ張り出すまで粘れる可能性ははっきり言ってないに等しい
どこかで耐えきれなくなり、大坂城に引き上げるしかなくなる
野戦は徳川方の足並みを乱すことはできるかもしれないが、正直それが精一杯
後はそれで運良く大坂方に鞍替えする勢力が出ることを期待するしかない
通説の野戦案も積極前進なだけで、結局その可能性にすべてを期待するようなものなのよ
(鞍替えが出そうになかったらあきらめて籠城戦に移行する)
0886人間七七四年
2014/01/24(金) 06:32:48.57ID:IBc+r3nuそもそも徳川方はぐらつきそうな人は江戸に留め置いて連れて行かないっていう入念な準備しちゃってるていう
(そういうところは、豊臣時代の縁が薄い子供に兵を率いさせている)
なんで、豊臣恩顧を盾に鞍替えを期待するのは実際には不可能で
それが使えないなら、時間が経てば経つほど負け馬になる公算が高い大坂方に鞍替えしようなんて勢力が出る見込みは…
と言わざるをえない程度のお話になる
0887人間七七四年
2014/01/24(金) 06:37:44.75ID:XRNME2qm300人換算は良いんだけど
大阪城に10万人いることになってる軍勢はどこかの異世界から召喚されたとでも思ってるのか?
0890人間七七四年
2014/01/24(金) 12:22:36.04ID:QOK4EjQv秀頼が二条城に行った一度の例外を除けば
淀・秀頼にとって篭城は15年間やり続けている豊臣の伝統とも呼ぶべきもの
そもそも秀吉が大枚はたいて大坂城を堅牢にしたのだから使わなかったらもったいない
新興組織である豊臣にとって伝統を作り上げることは宝くじなんかより遥かに重要だ
出撃策は豊臣の伝統を汚すものであり伝統を汚すならわざわざ徳川と戦う意味もない
冬も夏も秀頼が出陣しなかったのはむしろ立派なことであり勝利や敗北よりも大切なことを守った
0891人間七七四年
2014/01/24(金) 17:00:47.05ID:es/71C4cそれは大坂方の財力で一時的に雇われただけの兵士じゃね
>>888
何がいいたいのかよくわからん。
伏見城在番がいるから畿内の総兵力は少ないという事か?
0893人間七七四年
2014/01/25(土) 01:01:22.66ID:FJMpsCEA当時の畿内は相当数の牢人が溢れて治安が悪かったのにそんな余裕ないだろ。
畿内や東海地方の兵力だけじゃ足りないから
関東の軍勢や南部、佐竹、伊達、上杉まで駆り出したってのに。
0894人間七七四年
2014/01/25(土) 02:35:11.21ID:qCtsJ9Ydそのうちの豊臣領除いても450万石程度は見込めるから
単純計算で135000くらいは畿内勢だけで動員可能
畿内だけに編重した動員だと、徳川政権下での軍役負担の不平等や
それによる国内統治への負担も考えて、動因を広範囲にかけたんだろうし
0895人間七七四年
2014/01/25(土) 03:31:06.88ID:8IXIX7ia頭が根本的に悪すぎる
0896人間七七四年
2014/01/25(土) 03:46:17.79ID:IdjhtFNJ馬鹿はお前
関ヶ原合戦の時畿内方面の西軍だけで18万もいたのが石田三成人数書立や慶長見聞書で確認できる
畿内以外の僻地では生産力が低くて、他の敵とも戦っており、総軍動員なんてできなかったが。
0897人間七七四年
2014/01/25(土) 03:48:17.43ID:wD/MKUSM関ヶ原で起きた戦いなんて全体から見りゃほんの一地域の戦いだし、加賀前田、毛利輝元、立花、鍋島、伊達、上杉
など不参戦大名なんて山ほどいるんだし
0898人間七七四年
2014/01/25(土) 03:50:21.22ID:WUVVlhGLだから総軍で60万くらいだな。僻地にいる大名が中央にゾロゾロ連れて長期間居座るのは
物資の面で中々難しいかもしれないが
0899人間七七四年
2014/01/25(土) 03:56:14.89ID:8IXIX7ia信長が元康に17500の兵で撃ちかかったとか
大阪城冬の陣は実は1万人しか居なかったとかいうキチガイの意見など
誰も聞いてないから
0900人間七七四年
2014/01/25(土) 05:53:28.54ID:yoh2KjSN感情論ばかりで腰の据わらない女房衆と世間知らずの若様を抱え、仲間は経験不足の若侍たち。
頼みの援軍ときたら、何かと言えば派手な自爆を吠える牢人衆。
トドメに敵は百戦錬磨の徳川家康&不愉快な仲間たち。
さぞかしババイェツアしたかったろうな、あいつ。
0902人間七七四年
2014/01/25(土) 08:52:47.81ID:FJMpsCEAあの時点だと2000万石くらいだね。
ただそれと動員できるかはまた別の話。
畿内は公家領や寺社領も多いし、元から浪人が多かったところに
更に浪人が集まり治安が相当悪い状況。
動員かけても集まりが悪いだろうから僻地の南部、佐竹
伊達、上杉まで動員したんだろうな。
0903人間七七四年
2014/01/25(土) 09:13:10.04ID:wD/MKUSMそのうちの豊臣領除いても450万石程度は見込めるから
単純計算で135000くらいは畿内勢だけで動員可能
畿内だけに編重した動員だと、徳川政権下での軍役負担の不平等や
それによる国内統治への負担も考えて、動因を広範囲にかけたんだろうし
0904人間七七四年
2014/01/25(土) 11:52:49.31ID:8IXIX7ia極々普通のセオリーを考えれば浪人たちの一部を使って京を放火&略奪し
後詰は大阪からというのはゴールデンスタンダードだと思うけどね。
というか実際にしたかも分からん。
してないとすれば豊臣家は方広寺を始めとして京の多くの神社仏閣を修復・建築し
御所への尊崇の高かったから淀たちがそれを許さなかったのかもしれないが。
0905人間七七四年
2014/01/25(土) 11:55:01.03ID:HJDCfJvI以上
0906人間七七四年
2014/01/25(土) 12:06:24.37ID:8IXIX7ia霞が関にサリンテロをしたのか、絶対に政府転覆や新国家建設は不可能だろと
マスコミは騒いでたけど、麻原ショウコウは繰り返す北朝鮮に出入りし続けてたわけで
おそらく後詰は北朝鮮の予定だったんだろうと思うよ。
浪人部隊麻原は日本の中枢をテロで攪乱し指揮系統・情報系統が乱れたところで
北朝鮮が一気に新潟から上陸し日本を掌握、麻原は傀儡国家日本の王様になるという案だった。
奇異に聞こえるかもしれないが、これってどこの国の反政府軍でもゴールデンスタンダードだから
日本赤軍が滅んだ理由も最初から後詰軍は中共だったが米中と日中が歴史的和解をして国交回復をしてしまったため
日本赤軍は計画が根本から破綻してバラバラになってしまった。
秀頼方としては苦しいが近隣の京は当然すぎるけど、ゴールデンスタンダード的には
江戸と駿府でも放火・テロし情報系統を混乱させるという手法は本来したかったはず
計画すらしてないとすれば、そこらの学生運動にも劣る計画性の無さという事で
話にすらなってなかった。
0907人間七七四年
2014/01/25(土) 12:10:34.62ID:B+ca42TW篭城を続けるのも不可なのよね
0908人間七七四年
2014/01/25(土) 12:16:20.56ID:8IXIX7ia適性は何か、情報系統その他に欠点がないかなど
【実戦】を積み重ねないと何も分からないわけで
スパイ部隊でも実戦部隊でもすぎに編成して小戦闘には
すぐに参加させるべきではあったろうね。
実際、三成はそんな目的で畿内・伊勢の小戦闘に全ての部隊を
順繰りに次々と強制的に派遣してみたわけだし。
0909人間七七四年
2014/01/25(土) 12:31:10.62ID:B+ca42TW0910人間七七四年
2014/01/25(土) 13:46:08.51ID:8IXIX7ia0911人間七七四年
2014/01/25(土) 14:58:48.29ID:HJDCfJvI0912人間七七四年
2014/01/25(土) 15:28:39.17ID:pSFoAj59それはおそらく治長が当初狙ってた策(有利な条件で引き分け)だろうけど、弾薬不足になるわ、将兵の統制は効かず離反の動くがあるわ、
大砲攻撃で女房衆は動揺するわで、とても長期籠城できる状況じゃなかったから、負けに等しい引き分けになったんだよな。
濠埋めるなんて条件入れる降伏に近い和議結んだのなら、徹底して徳川に従うしか豊臣の生きる道はなかった。
なのに、冬の陣と同様に徳川の提案拒否してまた開戦って、家康も逆に驚いたんじゃねえの?あまりのアホさ加減に。
0913人間七七四年
2014/01/25(土) 16:39:25.29ID:XOhsaW3Yという可能性があるなら大阪方と挟み撃ちが出来る
0914人間七七四年
2014/01/25(土) 17:04:24.99ID:8IXIX7ia豊臣方が徳川方に勝って中山道を半年も封じれば自動的にそうなるけどね
0915人間七七四年
2014/01/25(土) 17:27:32.98ID:AF+4vClU徳川に大義名分を与えるだけで論外の行為
>>906
家康、秀忠両方が出払っての出陣だから、
そこらへんは譜代から任命されてるであろうの留守役にしっかりそういう場合の処置について指示の上任せてるでしょ
そういうのに影響を求めるとしたら、関ヶ原における伏見城や、第二次大戦バルジの戦いにおけるバストーニュのように
相手の兵力の少なからずを割かざるをえない状況に追い込まないとダメ
>>908
そもそも、そんな悠長な準備をしている時間自体大坂方には存在していません
事態が本格的に動き初めて(10/6牢人勢大坂入城)から2週間強で家康本隊は京都まで来るというわけなんで
>>910
あの時点で大野が死んだとしても、冬にあの条件で和議した時点でもう詰んでるので、何も変わりゃあしません
むしろ、牢人衆と豊臣譜代の間に亀裂が走って、自壊するのが早まるだけだわ
>>914
そんなことが起こせるなら、そもそも野戦案が成立するしないの話なんてしなくて済むんだけどねぇ
0916人間七七四年
2014/01/25(土) 17:53:10.98ID:B+ca42TW徳川を倒す目的なら蜂起時期から軍編成まで全て変えなければダメやね
0917人間七七四年
2014/01/25(土) 18:39:53.38ID:FJMpsCEA6万〜8万ともいわれる主力の秀忠軍や東国の諸大名が
集結したのは11月だし、幕府軍が20万になる前に戦果を出していれば
後の交渉もだいぶ豊臣有利で進められたのに。
0918人間七七四年
2014/01/25(土) 19:46:34.49ID:gv20nF3E淀が色仕掛けで、誘惑しないと
0919人間七七四年
2014/01/25(土) 23:22:41.59ID:8IXIX7ia0920人間七七四年
2014/01/26(日) 16:07:42.80ID:YC9EMvxw普通に真田と後藤に残り8万の軍配を与えて出陣させれば、
勝ったんじゃないかと予想
0921人間七七四年
2014/01/26(日) 16:26:36.14ID:gXb9pIzb0922人間七七四年
2014/01/26(日) 16:49:36.20ID:8W3ih+qF0923人間七七四年
2014/01/26(日) 17:15:30.16ID:y3JC8Arzおまえは「軍勢を率いる」ってことの意味をまるで理解してない。
人数与えればいいってもんじゃないんだぞ?
0924人間七七四年
2014/01/26(日) 18:04:51.52ID:VFq9321N数万程度与えられれば数万程度余裕で統率可能だろ
0925人間七七四年
2014/01/26(日) 18:06:32.49ID:BFvfB6YU兵力比は実際にはその2乗となって戦争に影響するしこれに装備性能が加わったものが実際の戦力
これをくつがえすのはよほどの幸運・偶発的条件やうまい戦術、両将の指揮能力の差がないと無理(もちろん城攻めは別だが)
普通に平地でガチで遣り合えば100%兵力が二乗の戦力となり、装備差によって戦闘が決着する
ゲームでは統率や経略の少しの差で簡単に覆ってしまうが実際はなかなかそうはいかない
城攻めでも野戦でも兵力差が大きいと少ない方は味方の士気が下がったり離反や逃亡する兵が出る。
後詰の望みがない防戦なんてよほどの偶発的条件か両将の指揮能力のよほどの差がない限り基本勝つ可能性皆無なんだから
逆にその影響度が圧倒的に大きい兵力差をひっくり返して撃破した武将と撃破された武将はかなり大きく指揮采配能力に差があるとみるべき。
0926人間七七四年
2014/01/26(日) 18:07:28.78ID:4axp3NcK特定の条件下でしか行われていない。
普通の頭で考えれば地形に関係なく普通に正面からガチンコで戦えば大軍側が勝つに決まってるじゃん
20対10で戦った場合10人の方は結束したとしても20人分の攻撃を10人でうけなきゃいけないけど
20人の方は10人分の攻撃を20人で分散できるから一人のダメージ比は4対1だし
寡兵側が勝ってるのは相手の油断をついて奇襲・敵を自陣深くうまく釣り込んで殲滅・ポエニ戦争みたいに敵の左右の陣を突破して
包囲殲滅など優れた戦術や敵の油断をつくなど、かなりの指揮采配能力の差や、偶発的事故などが続くなりしないと無理。
普通に正面衝突すりゃ大軍側が100%勝つに決まってる
0927人間七七四年
2014/01/26(日) 18:08:39.80ID:N9A3RFwQ野戦で大軍側を跳ね返すのは困難な芸当。普通に正面衝突すりゃ、大軍側が100%勝つのは目に見えてるからな。
野戦は篭城戦以上に兵力差がそのまま出るからな。
まぁ篭城では勝ち目なしというのは同意だけど。
0928人間七七四年
2014/01/26(日) 18:09:02.50ID:VFq9321N兵力に勝るから戦略の幅も大きいし勝てば領土広がるから士気も上がりやすいし
逆に寡兵側は寝返りが出やすく勝っても領土も広がらんし圧倒的に不利でしかない。
実際戦史でみても逃亡兵や離散、寝返りが出てるのは寡兵側がほとんどで攻撃側は少ない。
兵力比や武器性能よりも心理の方が重要とか戦時中の日本軍みたいな馬鹿な発想だなw
勝てる勝てると盲信しまくって物量や装備で勝る米軍に果敢に突撃しまくったが見事にどんどん負けまくったんだろうがw
基本的に国の戦争の強さは、武器性能と国力とで決まるのが基本で心理なんてほとんど影響しない。
よっぽど大国側の指揮官が無能だったりする場合は例外だろうが
0929人間七七四年
2014/01/26(日) 18:09:58.68ID:8W3ih+qF0930人間七七四年
2014/01/26(日) 18:58:44.11ID:qo7XfDCK0931人間七七四年
2014/01/26(日) 19:20:12.01ID:y3JC8Arz馬鹿かお前。部隊から軍団までそれぞれに大将の意志を元に指揮命令する将校が必要になるんだぞ。
軍隊規模が大きくなればなるほどそれも大量に必要になる。しかもそのための命令系統も整備しないといけない。
それがない軍隊はいくら数があってもただの烏合の衆だ。
真田や後藤がどうやってそれを揃えられるんだよ?ちょっとは常識的な思考をしろ
0932人間七七四年
2014/01/26(日) 19:36:37.10ID:VFq9321Nお前は馬鹿だな。真田家や後藤家の足軽大将や侍大将を使ってフルに活躍させればいいだけ。
真田や後藤は史実で寡兵・劣勢でも敢闘できるほど有能な家臣に恵まれていたのだから
それの軍勢が膨らめば遥かに発揮できる戦闘能力は向上する。
兵力が2000しかない状態で30000の兵と衝突した場合
30000人分の攻撃をわずか2000人で受けるから、1人当たり15人分のダメージをくらい、逆に2000人の攻撃は
30000人に分散されてしまうから、相手1人に対して15分の1人分のダメージしか与えられず圧倒的に攻撃でも防御でも不利だが
軍隊の人数が60000人に膨らめば、防御面では30000人の攻撃を60000人で受ける事になり、1人当たり2分の1人の攻撃しか受けなくなり
攻撃面では60000人の攻撃を30000人に与えられるから、相手1人に2人分の攻撃を与えられ
史実よりも攻撃面でも防御面でも圧倒的に有利になるのは目に見えてる。
0933人間七七四年
2014/01/26(日) 19:40:52.83ID:8W3ih+qF0934人間七七四年
2014/01/26(日) 19:41:08.96ID:N9A3RFwQ大軍の中から小回りの効く部隊を起動させて残りを後詰にすればいいだけだし
現に大軍の数的優位を生かしたような戦を氏直も信玄も家康もやろうとしてるし
現に成功させてる
大軍で数的優位生かせない馬鹿は指揮采配能力の欠いた雑魚だけだよ
信長でも家康でも信玄でも敵が大軍であればあるほど、味方は寡兵であればあるほど苦戦や敗戦は増えてる
戦争なんて物量や兵力が圧倒的にものをいい、兵力の2乗は実際の戦力になる。
寡兵側が勝つには特別な戦術で敵を自陣深く釣り込んだり油断ついて奇襲したり地形をうまく使って包囲殲滅したり
偶発的条件、幸運などに恵まれない限り無理。普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる
0935人間七七四年
2014/01/26(日) 19:42:05.15ID:BFvfB6YU大軍のために統率がとれなかったのではなく純粋に指揮官の戦術能力や采配能力によるというだけで
「軍の数」に起因するものではない(関が原の戦いが6000対7000の戦いだろうが、史実のように裏切り・日和見があれば間違いなく負けてた)
大体大軍の指揮には高度な指揮能力が必要で難易度高いというなら最初から頼りになる部下だけ連れて寡兵で出撃すりゃいいだけじゃん
物資兵糧調達や兵站の面・戦後の恩賞の面・行軍のスピード・機敏性など圧倒的に寡兵のがローコストでメリットも大きいんだし
それにもかかわらず毎回寡兵の敵に向けて大軍でたくさん物資や人件費かけてはるばる遠くまで出撃してるのはそれだけメリットが大きいんだろ
所詮大軍の指揮がどうとか妄言やいいわけにすぎん。
「大軍」は「寡兵」よりも圧倒的にアドバンテージであって、統率が難しいのではなく統率失敗するような武将は無能というだけ。
信長でも家康でも信玄でも敵が大軍であればあるほど、味方は寡兵であればあるほど苦戦や敗戦は増えてる
戦争なんて物量や兵力が圧倒的にものをいい、兵力の2乗は実際の戦力になる。
寡兵側が勝つには特別な戦術で敵を自陣深く釣り込んだり油断ついて奇襲したり地形をうまく使って包囲殲滅したり
偶発的条件、幸運などに恵まれない限り無理。普通にガチンコでやりあえば山地だろうが渓谷だろうが平野だろうが100%大軍が勝つに決まってる
0936人間七七四年
2014/01/26(日) 19:44:23.14ID:N9A3RFwQ織田徳川の大軍に対して行われた三河遠州侵攻作戦とか三方が原、長篠の戦いなんて武田が少ない兵力で侵攻しまくってるし対北条今川戦でも武田が侵攻側で
大国今川北条が防衛側だが北条今川相手に勝ちまくってるし信濃・上野の山間の天嶮によって割拠するガチンコ山城を攻撃側としては少ない兵力で落としまくってるからな
長篠の戦いも「まるで城のようだ」と思わせる堅固な陣地にこもった高性能鉄砲・弓で待ち構えた織田徳川の大軍に対して直前の雨でぬかるんだ地面の中、結束力0の烏合の衆で挑んだ
ガチンコ城攻めだったが天正6年成立の長篠日記によると武田軍の9時間近い長時間の猛攻後に撤退。 馬場隊700で佐久間隊6000を敗走させ柵まで追い詰め43人討ち取り
山縣隊1500で徳川隊6000を柵まで敗走させるも 大久保隊が側面へ回りこむのを必死に阻止 さらに馬場の第二次攻撃で佐久間隊崩壊寸前
まで追い詰めるも 鉄砲隊の反撃で武田は撤退。織田方6000討死。武田方7000討死
以上のように織田徳川を寡兵で圧倒しまくってるし圧倒的に戦上手な部隊としかいいようがない
どうみても武田>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>織田
0937人間七七四年
2014/01/26(日) 19:45:57.62ID:4axp3NcK大勢を整えてから出撃、決戦挑みというように戦闘のしたいときにしたい状況で戦う事ができるけど
寡兵側はそれがない。寡兵側は戦闘を避ければ領土を失い滅びるだけなので、基本的にどんな嫌な戦場だろうが
戦闘状況だろうが、物資など用意の整わない時だろうが、大軍側が出てきたら合戦に応じるしかない
人間の心理でいうなら圧倒的に大軍側のが有利。
兵力に勝るから戦略の幅も大きいし勝てば領土広がるから士気も上がりやすいし
逆に寡兵側は寝返りが出やすく勝っても領土も広がらんし圧倒的に不利でしかない。
実際戦史でみても逃亡兵や離散、寝返りが出てるのは寡兵側がほとんどで攻撃側は少ない。
0938人間七七四年
2014/01/26(日) 19:47:15.23ID:TsfYAQsI兵糧物資でも圧倒的に攻撃側のが調達が容易で防御側は策源地が攻め込まれてるから長期戦になればいずれおいこまれてくだけだから短期決戦によるしかないし
寝返りが出やすく勝っても領土も広がらんし圧倒的に不利でしかない。現に攻守三倍原則より遥かに少ない兵力で攻略してる例なんていくらでもあるし
圧倒的大軍で寡兵の敵に蹴散らされるのは指揮能力が雑魚の奴だけだよ
地形を生かした陣取りの主導権握ってるのも攻撃側。兵力が勝ってるから
そこで会戦するのが嫌なら別方面に兵力展開したり誘い出す作戦練ればいいだけだし
相手が乗ってこなかったら持久戦に切り替えるなり違う拠点攻めるなりして攻撃続ければ勝手に追い込まれてくだけ
0939人間七七四年
2014/01/26(日) 20:09:05.19ID:P1JWZK1T0940人間七七四年
2014/01/26(日) 21:06:56.87ID:N9A3RFwQ0941人間七七四年
2014/01/26(日) 22:33:00.55ID:2Kb4R55o三成が瞬殺されたせいで官兵衛の努力が水泡に帰した
すべては実力もないくせに関ヶ原に行った三成が悪い
0942人間七七四年
2014/01/26(日) 22:38:35.69ID:BFvfB6YUやってる事も外様の禄高削減や、蔵入り地の増大や家康の専横への弾劾状など
豊臣政権が正常に運営するために必要な事ばかりしかやってない。
豊臣崩壊の真の元凶は家康に篭絡されたアホ武功派と
総大将に奉り上げられながら何もできず戦力を分散しまくり大敗した馬鹿輝元と
家康の示威行動にビビッて即効土下座したヘタレ浅野・前田だよな。
0943人間七七四年
2014/01/26(日) 22:38:59.92ID:hmwCRfpX0944人間七七四年
2014/01/26(日) 23:48:58.68ID:KhIZDVAt0945人間七七四年
2014/01/26(日) 23:57:07.54ID:BFvfB6YU即効で土下座する前田や浅野などと違って、豊臣政権に忠義を尽くした無欲な三成や小西らに大封与えてればよかっただけ。
三成は島津家の蔵入り地問題や、家康の私婚問題に対する弾劾状や、朝鮮出兵の際の恩賞問題の処理などを見る限り
極力豊臣蔵入り地の確保と、諸大名の力を削ぐ事を中心に考えて一貫して行動している。
結局武功派が馬鹿だったから、個人的恨みでもって三成らに立てついて主家への恩義を忘れて家康に篭絡されて、主家を滅ぼしただけ。
0946人間七七四年
2014/01/26(日) 23:58:24.75ID:TsfYAQsI毛利が馬鹿すぎとしかいいようがない。
豊臣武功派がアホで主家への恩義を忘れて目先の利得に走ったせいで豊臣政権が家康に簒奪されたんだろ。
示威行動にビビリまくってヘタレ土下座した前田や浅野、糞戦略で大敗した毛利も同罪だが。
三成は大老奉行連署での家康への内府たがい条を叩き付け
豊臣政権への反逆罪を名分に掲げて
畿内方面だけで18万もかき集めて100%勝てる状況を作ったが
その中で最も中核となる軍隊を有する毛利一族が馬鹿すぎたせいで
西軍は戦力が分散しまくり軍として機能せず、大敗した。
0947人間七七四年
2014/01/27(月) 01:54:44.66ID:+A1tAvZo0948人間七七四年
2014/01/27(月) 01:57:44.46ID:wh9MJ3hB0949人間七七四年
2014/01/27(月) 02:26:09.16ID:wh9MJ3hB関が原での石高の増加率を見るとそうとしか言えない
結局、浅野家は47士かなんかで潰れるが
それでも、その代までもっただけたいしたものだ。
0950人間七七四年
2014/01/27(月) 02:43:50.08ID:+A1tAvZo0952人間七七四年
2014/01/27(月) 10:37:07.89ID:REPL1kLuその徳川がたまたま勝利したから領土安堵されただけの他力本願の棚ボタ大名で
当人に功責があったわけでもなんでもないけどな
0953人間七七四年
2014/01/27(月) 10:52:12.88ID:wh9MJ3hB早くから旗幟鮮明にして大きくコマを張ったこと事態は評価されてしかるべき
それはたまたま敗北したけど西軍にコマを張った大名にも言える。
最高に見事なのが敗北した西軍に張った挙句にコマすら取り戻した島津家と鍋島家
0954人間七七四年
2014/01/27(月) 11:33:15.68ID:oDDZmQN8恩のある豊臣家をあっさり見捨てて、当時なら反徳川の風潮が強く
西軍が勝つ可能性も往々に考えられる中、大義名分も全くない難癖と威圧にビビって屈するとか情けないにも程がある
0955人間七七四年
2014/01/27(月) 11:33:51.88ID:hMb0qRY+毛利が馬鹿すぎとしかいいようがない。
豊臣武功派がアホで主家への恩義を忘れて目先の利得に走ったせいで豊臣政権が家康に簒奪されたんだろ。
示威行動にビビリまくってヘタレ土下座した前田や浅野、糞戦略で大敗した毛利も同罪だが。
0956人間七七四年
2014/01/27(月) 11:35:30.11ID:oDDZmQN8勝てるか負けるかもわからない相手(つか、当時の徳川の規模からしたら、敵対勢力の方が強大で、徳川が勝てない可能性のが高い)に対して
戦わずして土下座とか情けないにも程があるわ。何のための武士なんだか。
いざという時主家を守って家康の簒奪行為を見過ごすどころか、結果的に貢献する事になったんだしな。
大体攻められるべき大義名分も家康が勝手にデッチ上げただけの物の可能性が高く
何ら自分らに責任もなく、しかも、戦って負ける可能性が高いとはいえない、当時の勢力差の相手に対して
戦う前からヘタレ土下座とかウンコ武士もいいとこだろ。
0957人間七七四年
2014/01/27(月) 11:37:28.04ID:WXeQjrri島津は別に何もやってないよ。
関ヶ原合戦後黒田や加藤らが島津領めがけて遅いかかっていくところを
家康が黒田や加藤らを止めて、たまたま島津が棚ボタで助かっただけだし
0958人間七七四年
2014/01/27(月) 11:39:33.83ID:kvcJTudN家康の気まぐれで領土を安堵されただけを成功といったり、西日本大名&豊臣武功派厨は相当馬鹿だな
0959人間七七四年
2014/01/27(月) 11:46:16.92ID:kvcJTudN秀吉に取り込まれて義久派と対立し家中を分断させたこと、
関ヶ原に参加して本家を窮地に追いやったことを考えると、
とても当主の器とは思えん。
0960人間七七四年
2014/01/27(月) 11:46:55.69ID:wh9MJ3hB家康は気まぐれで領土など決めていない
0961人間七七四年
2014/01/27(月) 11:50:46.03ID:WXeQjrri家康が如水や清正らが九州統一するのを恐れてストップかけただけだし
ストップかけなきゃ家康と一緒に畿内にいた細川や黒田の本隊が九州へ戻ってくる前に島津なんて滅亡してただろう。
家康は奴隷毛利も増援に使用できるしな。
東軍だった伊東も島津懲罰にやる気満々だろうし
大垣で西軍を裏切った秋月とかも必死で働くだろうね。
0962人間七七四年
2014/01/27(月) 11:52:01.81ID:AmFOG+Ix歴史知ってるからな。大阪城籠城やめて全軍家康本陣に突擊が鉄板でしょ
0963人間七七四年
2014/01/27(月) 11:52:39.04ID:hMb0qRY+関ヶ原合戦後、九州・四国・中国
皆徳川に土下座した。
島津が抵抗したら、畿内、中国、四国、九州が家康の命令の元
薩摩に一斉になだれ込んできて1週間で瞬殺されるのは目に見えてる。
0964人間七七四年
2014/01/27(月) 11:54:33.41ID:L3v15JBP寡兵で大軍を破るどころか
大軍で寡兵の敵に蹴散らされまくるアホな戦しかないし
佐伯や立花、高橋、志賀や伊藤との戦いなど
0965人間七七四年
2014/01/27(月) 12:05:23.72ID:wh9MJ3hB頭大丈夫か?
普通に先鋒は伊東だしw
0966人間七七四年
2014/01/28(火) 00:16:37.25ID:NcC/H65G歴戦の諸将が揃う前だったら家康を討てた可能性は高い。
10月に家康のもとに馳せ参じれたのは
真田丸でフルボッコにされた前田軍と松平忠直くらいしか居ないし。
0967人間七七四年
2014/01/28(火) 00:28:15.56ID:UJInt4zl0968人間七七四年
2014/01/28(火) 00:40:14.33ID:xZaDY8/l兵力は一万石300人換算で13万程度動員可能だから
大坂方が出撃してこようが、畿内方面軍だけで余裕で守り通せるだろ。
下手すりゃ四国や中国の軍勢によって背後から大坂城をあっさり陥落させられる可能性も高い。
大坂城を手薄にしたら
四国や中国や九州の兵などが次々群がってきて
大坂城ごとき楽勝で落とされるのは目に見えてる。
徳川の動員兵力は20万とされてるが、予備戦力は十分残した上での話しであり
豊臣から仕掛けて来るような危機となれば
中国・四国・九州の領主や畿内近郊の領主達が次々家康や秀忠の指令の元
大坂討伐に乗り込んでくるのは明白であり、大坂は四方八方からあっさり攻囲されて大坂の陣は2週間程度で終結するのは見に見えてる。
10万あるうちの半分くらいは残さないと、大坂なんて短期間でも防衛不可能だろ。
大坂に浪人が入城して畿内徳川軍の到着する10日程度の間に
松平定勝とそれに付けられた兵力が守備する伏見城を落城させ 伏見に向かっている畿内徳川方勢力を一掃する
なんて到底無理だし
畿内の主要な街道等を制圧し、東西分断 東から徳川本隊に対する備えを構築し、野戦に必要な指揮伝達系統をしっかり確立
なんて、確実に無理ゲー。
普通に相手が雑魚でも二週間程度はかかるし、
0969人間七七四年
2014/01/28(火) 01:37:36.57ID:nRwskQWfもし大坂方が京伏見か大和に出撃したら徳川の命で紀州の浅野や播州の池田あたりが一軍率いて豊臣領内に侵入して牽制しそうだしな。
そうなるとやっぱ河内大和国境で迎え撃って最低でも家康、あわよくば秀忠をも討ち取って徳川政権の基盤を揺るがせない限り大坂方には勝ち目ないな。
0970人間七七四年
2014/01/28(火) 01:47:26.44ID:NVDti3yJ「家康と秀忠を討てば幕府の基盤は揺るぐのか?」
ということなんだが、これでビクともしなかったら完全にお手上げだな。
0971人間七七四年
2014/01/28(火) 08:33:48.84ID:mmXBIb9W0972人間七七四年
2014/01/28(火) 20:08:36.89ID:x1bvMiB2だから、さっさと大坂城を明け渡して
豊臣家は今川家と同様に高家で満足すべきだったんだよ。
それなのに現実が見えない秀頼は挙兵してしまった。
今川家と同様に五百石で構いませんからと豊臣家の存続を哀願していたら
豊臣家は少なくとも幕末まで生き延びれたのに。
現状認識のできなかった秀頼は本当にダメだ。
0973人間七七四年
2014/01/29(水) 00:03:39.96ID:nmv14lvk畿内は小勢力が多いから13万なんて大軍は動員できない。
当時は浪人が多く、治安が極度に悪化してたし
畿内は自領の維持が精一杯で戦力を供出できるとこは限られてる。
あと四国や九州からくるとしても10月中に馳せ参じるのは不可能。
というか畿内の兵糧は豊臣方が多くを接収してたから
ただでさえ徳川方は兵糧不足なのにますます悪化してしまう。
0974人間七七四年
2014/01/29(水) 00:19:24.41ID:f38HeeYMちょうどいい例が
山一戦争だな。
四代目と若頭一緒に殺ったが
ビクともしなかった。
0975人間七七四年
2014/01/29(水) 00:19:43.35ID:JAFD1Gvb単純に450万石あるんだし
関ヶ原の時でも畿内方面の軍団は西軍1を中心に大量に集まったじゃん。
下手すりゃ四国や中国の軍勢によって背後から大坂城をあっさり陥落させられる可能性も高い。
大坂城を手薄にしたら
四国や中国や九州の兵などが次々群がってきて
大坂城ごとき楽勝で落とされるのは目に見えてる。
徳川の動員兵力は20万とされてるが、予備戦力は十分残した上での話しであり
豊臣から仕掛けて来るような危機となれば
中国・四国・九州の領主や畿内近郊の領主達が次々家康や秀忠の指令の元
大坂討伐に乗り込んでくるのは明白であり、大坂は四方八方からあっさり攻囲されて大坂の陣は2週間程度で終結するのは見に見えてる。
10万あるうちの半分くらいは残さないと、大坂なんて短期間でも防衛不可能だろ。
大坂に浪人が入城して畿内徳川軍の到着する10日程度の間に
松平定勝とそれに付けられた兵力が守備する伏見城を落城させ 伏見に向かっている畿内徳川方勢力を一掃する
なんて到底無理だし
畿内の主要な街道等を制圧し、東西分断 東から徳川本隊に対する備えを構築し、野戦に必要な指揮伝達系統をしっかり確立
なんて、確実に無理ゲー。 普通に相手が雑魚でも二週間程度はかかるし、
0976人間七七四年
2014/01/29(水) 00:54:09.01ID:bp9Ho7bbなるほど。
一和会はなまじ金星をあげてしまったがゆえに落とし処を失ってしまった。
いろいろ符合するな。
0977人間七七四年
2014/01/29(水) 15:47:38.45ID:jNHDbFazそれは無い。
おまえは江戸時代初期史を知らなさすぎ
将軍の兄弟はことごとく蟄居・粛清・お家断絶
家康が明確に「豊臣家は断じて取り潰してはならん」とはっきり遺言すれば
幕末まで旗本して確実に生き残ったが、そうでもない限り江戸時代初期に100%お家断絶してた。
0978人間七七四年
2014/01/29(水) 16:03:48.95ID:gAyXuetWそういうことなら挙兵して死んだ方がマシだが。
将軍の兄弟はことごとく蟄居・粛清・お家断絶って
越前松平家やいわゆる尾張・紀伊・水戸の御三家は
将軍秀忠の兄弟ではなかったでしょうか?
それは無視ですか?
0979人間七七四年
2014/01/29(水) 16:41:57.04ID:jNHDbFazあれは家康がじきじきに残しとけっけ遺言してたはず
本家の血筋が絶えた際のバックアップとして。
結城、忠吉、忠長はそこから漏れた
あと他家だけど池田家に関しては家康も娘が嫁いでて
本来、嗣子が無くて120%取り潰さなければならなかったが
家康が死ぬ直前ギリギリに何とか残してあげてくれと言ったらしく
秀忠と土井は苦心して法を曲げまくって残したという話もある
0980人間七七四年
2014/01/29(水) 17:34:09.96ID:/tnjiW4Q断絶したのは忠長だけ
0981人間七七四年
2014/01/29(水) 19:07:49.08ID:jIFbYZ2v池田輝政には男の子が何人もいますが?
家康の外孫までいます。
それなのにお家断絶なんて家康は
本当に血も涙もない男ですね。
979のいうことは極めて正しいと思えてきました。
実の孫にまで路頭に迷えと公然と言い放つとは。
スターリンでさえ娘は可愛がったのに。
家康は本当に血も涙もない独裁者ですね。
0982人間七七四年
2014/01/29(水) 19:22:14.85ID:jNHDbFaz家康にとって外孫になるわけだけど
秀忠たちが当時しいていた基準では
どういう意味でも御取り潰しの他はありえなかった
結局、救ったわけだけどこの後もこの家はお家騒動が後を絶たなかった
でもその度に奇跡的に救われてる
0983人間七七四年
2014/01/29(水) 19:53:18.05ID:jIFbYZ2v後、会津藩もお取り潰し決定ですね。
家光の異母弟が藩祖ですから。
秀忠が血も涙もない男である以上、
秀頼が勝算の全く立たない挙兵を行い
大坂の陣に挑んだのは当然ですね。
0984人間七七四年
2014/01/29(水) 21:54:24.37ID:bp9Ho7bb江戸幕府はどこの近所の北朝鮮だよw
0985人間七七四年
2014/01/29(水) 22:39:36.66ID:jIFbYZ2v要するに徳川将軍家は自分の兄弟や孫であろうと血も涙もなく殺している。
だから、豊臣家の存続なんてありえない。
従って秀頼が座して死ぬくらいならと挙兵したのは当然という話。
確かに982の理論だとその理屈は正しいな。
秀頼には息子も現にいたのに
徳川将軍家にとって豊臣家は跡取りなくしてお取り潰しになって当然の家らしいから
0986人間七七四年
2014/01/29(水) 23:26:35.38ID:QRs051cC江戸幕府もあこまで基盤が出来てきてたら、かえって仇討ちにいきり立った幕府軍に速攻アボーンされて終わりだよな。
0987人間七七四年
2014/01/30(木) 00:00:52.14ID:jNHDbFazシナにもかつて前政権の皇帝を「王」として存続させた王朝もしばしばある。
秀吉も血筋としては織田家を残そうとしてたわけだし
家康も旧主の今川家温存しようと努力した事がある
そこから鑑みて秀吉は家康がどんな形であろうと秀頼の血筋をなんとか残してくれるかもと
淡い期待をしたけど家康の人格は決してそんなに生易しいものではなかったという結論かね。
家康が秀頼の血筋を少しでも残そうと思えばショウメイ問題は起きてないし
最悪、蔵で隠れてた秀頼の命を助けて八丈島でも大島でも飛ばすくらいはできた。
ただ単に豊臣家の血筋を完全に絶って豊国神社も無くしたかったんだろうと思う
0988人間七七四年
2014/01/30(木) 01:31:17.78ID:PeR43LECですな。
ひょっとしたら歴史から抹消されてるだけで、家康は秀吉に深い個人的な恨みがあるんじゃないかな?
0989人間七七四年
2014/01/30(木) 08:53:13.74ID:BhEMDqPC秀吉本人がいつ死んでもおかしくない年齢で
数少ない血縁の秀次の血筋を絶やしてるのに
赤の他人の家康に期待し過ぎ
織田は臣従したから残ったが秀頼は敵対し続けたから潰された
大阪の陣を起こさないように臣従するのがベスト
初めてしまったら凄いラッキーでもないかぎり勝てない
0990人間七七四年
2014/01/30(木) 09:42:36.68ID:wujpuXyY一応、妹を家康に嫁がせたし
秀頼は家康にとっても孫、秀忠にとっては婿だから
全然「赤の他人」ではないだろw
0991人間七七四年
2014/01/30(木) 10:38:55.71ID:hqlyt6AU前田や浅野は家康の温情で領土減らされなかっただけ(無論家康の地盤がその時点で全く固まっていなかったのも大きいが)
島津に関しては黒田や加藤らが関ヶ原合戦で大敗後領国がからっぽの島津領に向けて突進していくのを止めて
島津を助けてやったし
上杉も毛利も佐竹も減封はしたものの改易されてないし
殺されてるのはほんの一部にすぎないしね
看羊録の著者は、日本に抑留された朝鮮人捕虜。 当然、家康本人や有力諸将等と面会した事などない。
家康の人格について、伝聞記で史実性を持たせるってメチャクチャだね。
看羊禄といいイエズス会年報といい外人が書いたやつはデタラメばかり書かれてるから
大友の研究でフロイスの日本史が扱われるくらいで他まともにソースとして用いる馬鹿はいない
そもそも軍記でも論文に引用くらいはされるわけで
あくまで参考材料ってだけでそれがまともなソース元として引用されるのとは別
主筋織田家簒奪&信雄改易・信孝殺し・秀信実権改易
宇都宮など多くの味方を改易し秀次やら殺しまくり何の罪もない朝鮮人を殺しまくった秀吉が寛容wwwwww
基地外すぎるなwww
つか同じ宣教師の日本史だと秀吉は自分の親族だと名乗りでた人間(偽者ではなく本物)を問答無用に殺してるわけだがw
秀吉は敵対勢力はもちろんの事味方でも殺しまくるカス
佐々・信孝・秀次etc...
関東攻めでも中国計略でも降伏する人々を寛容どころか殺しまくり
里見からも上総奪い上げ結城も改易しようとして徳川が擁護し宇都宮改易
南奥州はじめ東北の諸将も改易の嵐
0992人間七七四年
2014/01/30(木) 10:39:39.49ID:8L89gJnb自分にいちゃもんつけて改易した秀吉の恩によって信雄や秀信が西軍についたというのは相当無理があるだろ。
恩どうこう言うなら高い身分まで取り立ててもらった秀吉の方が、ろくに援軍も出さず畿内平定にこき使われまくってた家康より遥かに恩を受けてるわな
つか、一番秀吉から恩を受けてるはずの福島加藤浅野らが家康に篭絡されてる時点で、
武功派が主家を考えず自分の好悪の感情だけで動いていたのがハッキリわかる。
0993人間七七四年
2014/01/30(木) 10:40:53.81ID:46MT1Eqs畿内平定に狩り出され、大国武田に攻められてもろくに助けてもくれず
散々いじめられてただろうが家康。
立身出生を全面的にお膳立てと棚ボタであげてやった秀吉の方が異常に恩受けてるだろうがクズ
36 :人間七七四年:2013/11/21(木) 19:55:31.51 ID:6KK61MgM
織田長益、織田信包、織田信高、織田信貞を
取り立てた家康が織田に復讐www
信雄の息子に至っては徳川家の庇護をあてにして生活していたのに
流石武田正嫡の武田信道が日本本土から隔離されて
宇喜多秀家と同レベルの冷遇をされただけはあるなw
家康は羽柴も織田も後北条も再興や存続を許しているけど
唯一存続を許さなかったのが武田だもんな。
挙句の果てには自分の息子に武田氏始祖の武田信義の名前をもじって名付け
まるで己の息子が武田始祖であるかのような振る舞いをしている有様
しまいには信玄直系を大久保事件にかこつけて無一文で伊豆大島に配流し
結局武田信道は伊豆大島で生涯を終えてしまうんだよね。
後北条や織田、羽柴ですら石高を貰って徳川幕府の体制下にいたことを考えると
家康の武田に対する扱いは極めて冷酷と言わざるを得ない
0994人間七七四年
2014/01/30(木) 10:41:43.19ID:ckwY5CYWその織田家から体よく権力を簒奪して信長の子供や孫を自分の家来にしていた秀吉が
自分の引き立てた家来に生死を賭すレベルでの忠義を期待するのはちょっと無理があるよ
散々こき使われまくり同盟とは名ばかりの援軍なし放置状態(しかも大国と交戦中なのに)の、
恨みばかり残ってもおかしくない状況で織田家を再興してやったのが家康。
恩を受けまくり、信長のおかげでトップにたてたといってもおかしくないくらいなのに
主家を崩壊簒奪し、役に立たなくなったと思ったらポイ捨てしたのが秀吉。
だからこそ、織田家は江戸期でも細々とながら残り、豊臣家あっさりは滅亡し、家康が天下取れたんだろうな。
0995人間七七四年
2014/01/30(木) 10:42:43.34ID:Ed/MDsEB関白が都に出発する数日前(1587年2月)全員がきれいな服装をした貴族2、30人を従えて、
ある若者が伊勢王国からやってきた。若者は関白の兄弟だといった。若者の知り合いのほとんどがそれは事実
だと証明した。…関白は誇りと尊大とさらに軽蔑の態度であの男が自分の息子かどうか、認めるのかを母に聞いた。
母はその男を息子として認めるのがとても恥ずかしかったし神様deosを余り恐れなかったし
神様の正義を知らなかったので(本当の事を告白しなければならなかったのに)まるで人間である事を否定するかのように
「そのような者を生んだ覚えはない」といった。その母の話がまだ終わらないうちに秀吉はただちに若者そして一緒に来た人々を捕縛し
秀吉の前に連れて来させて首を切った。首は都に行く道沿いで棒で串刺しにされた。
関白は彼の自分自身の肉体の血筋の者すら(己に不都合とあれば)許すことはなかった。
その後妹も同じように殺されてる。
秀次や利休やその縁者を殺しまくったりしてる所からすると、播磨攻めとかで残る人々を殺しまくったのも
信長ではなく秀吉の指示かもしれないね
0996人間七七四年
2014/01/30(木) 10:43:08.84ID:hqlyt6AU宿老会談で政策をはかることもなく、ことごとく勝手に政策を決めていく。
そして一刻もはやく安土へ三法師を移動させることを策する(安土が再建され畿内が静謐になるまで待てない秀吉)
五畿内ことごとく人質を取って磐石な体制を構築する秀吉。
信雄有利の大河切りを秀吉は支持し、信孝有利な河切りの境目を否定し兄弟対立を煽る秀吉。
柴田は双方からちゃんと話を聞いて、奉行を派遣して話合おうと提案している。
堀は三法師ともども岐阜にいるらしい(信雄の千福の仕官話の書状から考えると丹羽も?)
柴田は堀に宿老全員合意の原則を掲げて安土へ御座を移す話をしている。
秀吉の勝手な葬儀が事実上の宣戦布告。それの批判を受けて秀吉が誰が天下の主になるか腕比べしようと挑発。
石川数正への書状によれば、重臣対立の結果、
安土へ三法師がこないことで長く、織田家督者が実質空位で立っていない状態になってので
信雄を安土へ入れ御代にするなど織田主君を秀吉の意のままに廃君し別に擁立する暴虐ぶりを発揮。
(良識に従えば三法師のいる信孝や柴田側にこそ大義名分が存在する)
しかも信孝を降伏させたあとに三法師まで人質として取っている秀吉。
信雄を擁立したが完全に傀儡で、秀吉の息がかかった者が国々の仕置きを申し付けられており
信雄はその者の専横を怒り斬っている。
秀吉にとっては、義昭がやってきたから信雄はもういらないという態度か。
0997人間七七四年
2014/01/30(木) 10:43:58.03ID:Ed/MDsEB秀信は高野山からも信長の所業を理由に拒絶され野たれ死に
秀雄は1602年に野たれ死にそうなのを聞いた徳川秀忠の好意により蔵米3000俵を恵んでもらったが栄養失調のため27で死去。
困窮した信雄は大坂城で生活保護を受けることになる。
光秀討死前にすでに家康も三法師を秀吉同様に擁立する動きを見せるなど
なぜか織田家内ですでに信忠の兄弟ではなく側室腹の三法師を後継にする合意が存在する謎。
ちなみに信雄の昇進は朝臣北畠国司と言う名家を継ぐゆえに利用しただけ
小田原陣後に信雄を出家させた挙句に小姓1人だけしか付き添いを許さず秋田へ追放し傀儡北畠政権滅亡。
秀吉が信雄を追放した時に旧主への優越感から再興させた羽柴秀信13万石と(白紙期間が長く信忠の子と同一人物か全く不明)
秀雄4万5000石は関が原の戦い後に改易(どちらも秀吉により断絶を経験しておりもはや織田は継続性の無い秀吉の遊び道具化)
秀信は高野山からも信長の所業を理由に拒絶され野たれ死に
秀雄は1602年に野たれ死にそうなのを聞いた徳川秀忠の好意により蔵米3000俵を恵んでもらったが栄養失調のため27で死去。
困窮した信雄はどうしようもなくなり大坂城で生活保護を受けることになる。
大坂陣の1614年に家康により買収されて大坂落城後の1615年に7月に大和国宇陀郡、上野国甘楽郡で加増を受け織田家復興。
小幡藩の悪政ぶり
領民たちは織田信就の領土から幕府の直轄領に変えてくれと嘆願するほどで上野国でもっとも貧しく上毛ならぬ不毛の地と揶揄された。
山県昌景の子孫で甲斐出身の山県大弐は(現在は尊王論者の神として山県神社で祭られている)
織田家の小幡藩で明和事件を引き起こし上野小幡藩主織田信邦(高家旗本織田信栄の四男・ちなみに信栄に正室はいない)
に蟄居隠居を強要し、高家から普通の旗本に降格とし官位剥奪の上(2度と従四位下へなれなくなった)鍛冶橋門内の江戸上屋敷も没収。
織田信長の子孫と言うことで認められていた国主格の待遇も廃止。
(信長のおかげで国主格だった・・・これは表向きの理由で実際は信雄4男の信良の長女松孝院が
1623年に将軍徳川秀忠の三男・忠長(不和だった家光により自害に追い込まれる)と結婚していて徳川の外戚になっていたと言うのが本当の理由で
宇陀崩れや明和事件を契機に国主待遇は廃止された)小幡藩改易に伴い信栄五男である織田信浮が継いで出羽入りしたが
天明の飢饉の災禍によってボロボロになり明和事件で失った家格と旧領の回復を願うばかりで失意のうちに死去。
ちなみに信栄の次男の信憑は柏原陣屋の織田信旧養子となっている。結局、織田の系統は山県昌景の子孫の謀略で
高家旗本から降格させられただの旗本になってしまった信栄系に乗っ取られた。
0998人間七七四年
2014/01/30(木) 10:44:29.68ID:GIJ350M7自分を高い身分まで取り立ててくれた最も恩義のあるはずの主家を、
信長や信忠が殺され、明智が主殺しの大義名分を背負ってくれたからといって、自分が当主になっていい資格があるわけではない。
信雄や秀信、信孝など、トップにするべき人物がいるにもかかわらず、織田家の合議制を良い事に、専横しまくり、
謀略を謀り廻らし、ついに漁夫の利的に簒奪した秀吉など、初めから主家の当主の家柄の信雄からすりゃ、家臣であるのに主家を簒奪した大罪人であって
その後大した理由もなく攻め込んだり、改易したり、十分反逆すぎるといっていい行為を秀吉はやってる。
最初から主家を乗っ取った秀吉に対して、結果的にすずめの涙程度の待遇を与えたからといって
甘いも寛容も糞もない。超凶悪大罪人の「超」の部分が幾分薄れるかどうかという程度であって、
自分を取り立て出世させてくれた恩義のある主家に対して大反逆行為をやらかした事に何ら変わりはない。
0999人間七七四年
2014/01/30(木) 10:45:30.73ID:Ed/MDsEB1000人間七七四年
2014/01/30(木) 10:45:56.59ID:PQJQh7b210011001
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