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天正10年の武田攻めを語るスレ 5

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0001人間七七四年2013/09/16(月) 17:20:26.99ID:fMID6Gc6
2万の軍勢を率いて新府城を出陣した武田勝頼が1ヶ月後には
わずか40人とともに山中を彷徨うことになった、日本史上でも
稀に見る裏切り劇について語ろう。

天正10年の武田攻めを語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192166319/
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/sengoku/1192166319/
天正10年の武田攻めを語るスレ 2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296903576/
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/sengoku/1296903576/

天正10年の武田攻めを語るスレ 3
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1301404505/
http://logsoku.com/thread/ikura.2ch.net/sengoku/1301404505/

天正10年の武田攻めを語るスレ 4
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1333154364/
0002人間七七四年2013/09/17(火) 10:34:56.93ID:QF1uYFXQ
高遠城で織田の大軍を阻止するのはムリすぎる。
0003人間七七四年2013/09/17(火) 11:33:07.18ID:IDfSvz9k
江戸時代以前で噴火の記述で一次史料ソースがあるのは
1108年の上野国壊滅報告もあった公家による記述である中右記
そして同じく公家と宣教師の記述がある武田滅亡の噴火
そして江戸幕府の記録にある1783天明浅間山噴火(この時は京からは視認されてないので小規模噴火だろう)
この3つしかないから。
風向き
作付けどころか間もなく甲斐で大規模一揆が各地で発生するほど修羅場化
勝頼も浅間山がある真田領を避けて小山田領へ避難。

俺、渋川市郊外住みなんだが、(地元出身の長尾景春スレで織田厨に絡まれてるのも俺)
浅間山の堆積物調査は1108年の上野国壊滅記述を元にしていて、
浅間山東側の調査をしてるだけだから、西側に噴煙が流れた場合はわからんのよ。
んで、3層の噴煙層がある以上、確実な噴火記録と照らし合わせると、
1108年噴火記録と1783年天明噴火記録の層との間に、
もう一層あるので、1108年と1783年の期間にあと一回噴火があるのは確実で、
あとはそれを文献史料で当てはめて確定しなきゃならないわけ。
しかし、1596年の噴火は浅間山によるものとは限らず、岐阜白山や九州の阿蘇山や霧島山の噴火説が並存してる。
特に同年に霧島山が噴火しているのは確定してて、浅間山説は不利。
というのもこの時の噴火では京から見て〜方角の空が赤く光っていたなどの視認が全くされておらず、噴火方角すら全くわからない。
そうなってくると武田滅亡のキッカケの際に噴火記録が存在するなら、
それが1108年噴火地層と1783年噴火地層の間にある噴火地層であるのだろう。

なるほど。三層の堆積物が発掘され、
それぞれ明確な噴火文献史料を当てはめて年を確定する作業をしていくわけか。
そして1108年と1783年の噴火が一次史料だからそれぞれに当てはめて確定させた結果、あと一層だけ?だったわけだ。
しかし武田滅亡時噴火一次史料を当時は知られていなかった為に、
わからずに霧島山噴火を浅間山噴火なのでは?と疑心暗鬼に当てはめてしまったと。
さらに上野国壊滅記述の調査のため浅間山東側斜面しか発掘してないから風向きによって西側方面の噴煙の方が凄いことになってたらそれはわからないと。
まあ研究資金との関係からある程度当たりをつけて発掘するのは止むを得ないわな。
早川氏の研究
北東山麓の1108年スコリアと1783年軽石の間には薄い軽石層(A')が一枚挟まれている.
この軽石の噴火年代は,京都に降灰降毛があった1596年夏あるいはその前後だった可能性がつよい.
1598年に800人が死亡したという『当代記』の記述は信頼できない。
早川氏の書いてるの読むと、そもそも東側斜面と言うより、浅間山東北方面の山麓しか調べてないところと
GoogleMAPを照らし合わせると、東北山麓にあるゴルフ場か牧場の辺りの整地の際にやっただけみたいだなあ。
武田滅亡時の噴火が南西の大分県や京から視認できたことを考慮するに、全く正反対の方を調べただけなんだな。
それじゃ噴火威力を正確には出せ無いな。
少なくとも天明の噴火は、京から視認されてないから、1783年の噴火よりも武田滅亡時噴火は威力が高かったのは確かだろうね。
0004人間七七四年2013/09/17(火) 11:34:50.36ID:IDfSvz9k
三層か。すると当代記の記録は天正10年の内容だったが、後世の伝聞で年代誤伝があった可能性が高いな。
たしかに。そういう意味でいうと浅間山の南や南西の発掘調査をしてもらいたいね
あの〜そろそろ織田厨くんにか下記の解説をしてくれませんかね?
たしか織田厨くんは「500年程度の炭素年代測定なら1年刻みで余裕でわかることくらい覚えておけ低学歴無知が」
などと大見得を切っていましたよねw
それで私は下記の噴火の年をどう測定して確定させたのか説明を要求しましたよね。
1644年 2月(正保元年)噴火。
1645年 2月,5月(正保2年)噴火。
1647年 2月,3月(正保4年)噴火。
1648年 3月(慶安元年)噴火:1m以上の積雪を融解,追分駅を流失,夏にも噴火。
1649年 (慶安2年)噴火。
1651年 (慶安4年)噴火。
1652年 (承応元年)噴火:噴石のため山麓焼ける。
1655年 (明暦元年)噴火。
1656年 (明暦2年)噴火。
1657年 (明暦3年)噴火。
1658年 (万治元年)噴火:鳴動。
1659年 (万治2年)噴火:鳴動,降砂。
1660年 (万治3年)噴火。
1661年 (寛文元年)噴火:年間数回。
織田厨くんは「だがは天下の東大様による科学的データまで否定するのかな? 」とも言ってましたのですが、
上記の噴火を証明する科学的データをまだ教えてもらっていませんが、織田厨くんはどこのどのデータをみたのかね?
早川氏のHPを読んでも一切、炭素年代測定なら1年刻みでわかる&東大の科学的データなんて載ってませんがおかしいなぁ???
結局のところ織田半島人にとって議論とは、
勝ち負けの争いと言う矮小なものでしか無いのが判明したなあ。
日本人は史料を元にどちらの意見がより歴史的事実として正確なのかが重視されるんだがね。
織田半島人は明らかに最初から結論を決めているから、
いくら議論し、史料を出して論証しても無駄なんだわ。
だって感情的に受け容れられない結論なんて最初から拒否するつもりなんだから。
織田半島人にとって自分に都合が良い結論へ誘導する為には曲解捏造デッチ上げと手段を選ばず自作自演で多数派工作をして勝ち取るもんだと盲信してるんだよな。
塩山向獄禅庵小年代記 天正10年3月
開山徳和之観音堂へ各僧衆御伴申三日三夜奉移と書かれている。
徳和之観音堂とは三富村(旧山梨県東山梨郡)の観音堂で三日三晩の御祈祷をして下山したそうだ。
これは重大な意味を持つ。この村の位置はまさに甲斐・信濃・上野との県境にある。
そして浅間山からも近い。なぜこのタイミングでここに各々の僧が衆を伴って
3日間の山篭りをして祈祷しているのか。
察するに2月中は噴火の影響で近づくことができず、噴火被害者を弔うことができなかったが、
ようやく混乱が落ち着いてきた3月になり、浅間山を望むことができる山上へ登った
各地から僧に伴われた遺族達が被害者を観音様に見立てて鎮魂し、
浅間山の荒ぶる神を沈める祈祷をしているのだ。
0005人間七七四年2013/09/17(火) 11:40:00.96ID:41BrWsYC
だがが引用しているものは伝聞を元にしたものなので一次史料ではない
専門家の研究から科学的にも否定された
はい論破
いい加減敗北を認めたらどうだ?だがよ
0006人間七七四年2013/09/17(火) 11:40:28.85ID:IDfSvz9k
広島と京の距離と、浅間山とアルプス山脈を挟んで京との距離はそれほどかわらない。
京で広島上空で爆発した原爆の光は観測されていない。考えようによっては原爆よりも巨大なエネルギーが浅間山から噴射したともいえる。
また桜島の噴火は福岡からですら見ることができないので、まったく比較対象にはならない。
早川由紀夫氏 1598年に800人が死亡したという『当代記』の記述は信頼できない
早川由紀夫氏の引用文献一覧を覗くと、 完全に天正10年の浅間山噴火記録が書かれる晴豊公記や多聞院日記や宣教師の記述があるのを明らかに知らないで書いてる。
木曾から援軍要請が来ても武田領へ侵入出来なかった織田軍の噴火日から侵攻開始。
北条氏政が16日付け書状で八王子城へ向けて、甲斐の情報が全く入ってこなくなったと情報途絶を報じる。
19日に勝頼夫人が武田八幡宮に対して、 勝頼に罪がないのにと天意に対して抗議しているが、天意とはまさに天変地異のこと。
織田軍を迎撃すべく出陣してきた武田軍が、全く戦わず撤退したどころか謎の瓦解。
援軍を出し始めた同盟国越後上杉氏にも逃げられる浅間山のある真田領へ勝頼は逃げず、なぜか小山田領に逃げる謎。
>>956のような甲斐で一番浅間山に近い場所にわざわざ集まり僧たちが人身御供とも言われる観音様に祈りを執行する。
浅間山噴火が武田滅亡の怪異とか噂されちゃ士気なんてダダ下がりだろう。 ましてや大分県まで見える超噴火じゃ戦ってる場合じゃないだろ。
それを天皇の神威に変化させることで信長暗殺できる環境が成立したのかも知れんね。
特に誠仁親王の妃を姉妹に持つ観修寺晴豊や光秀と親しい吉田神社や、
本能寺の変寸前に太政大臣を突如辞めた近衛前久や延暦寺らが首謀者だろうね。
浅間山噴火について丸島和洋氏は、晴豊公記の東方に厚い雲が垂れ込め、空が赤く染まる様子や、
多聞院の浅間山噴火が甲斐信濃敗北の怪異という話を列挙し、 武田勢の士気に大きな影響を与えたことは想像に難くないと評している。
フロイスの日本史にも東方が非常に明るく恐ろしいばかりに赤く染まっていた現象が、
豊後からも同様に観測されていたことがわかったと書いてるじゃん。 当時の宗麟が宣教師を大分県で保護していたから教会があった。
0007人間七七四年2013/09/17(火) 11:43:15.80ID:IDfSvz9k
2/3 暦の問題で信長が今年の美濃では12月閏年だと朝廷に申しいれてきてくる
(中国戦国時代に各王が持っていた元号を始皇帝が奪い取り刻の支配をしたように信長は朝廷から刻を奪おうとする)
濃尾之暦者である賀茂在政の意見を朝廷は拒否するも、そのまま武田攻めでとりあえず有耶無耶(噴火をネタに時間を稼ぐことになる)
2/7 村井貞勝がしなの国を半分などとデタラメを吐いて威圧。
2/9 秀吉も中国四国を平定したと誇張。
2/11 村井の配下であるはんとり六兵衛が庭田重保の邸へ強奪に入るなど公家を威圧(京を恐怖で支配)
2/14 浅間山噴火し、空が真っ赤になり、京の空から雪とは異なるものが降って来て、大気圧変化のためか和仁親王が体調を壊す。
2/16 五の宮やひめ宮も相次いで体調を崩されていたことから、この日の夜に病退散のために方違が行われた
(陰陽道における方忌みのこと。浅間山噴火方面からの忌の流入を避けるため)
2/25 竹内殿(信長に焼き討ちされた比叡山延暦寺166世天台座主の准三宮曼殊院覚恕で信玄を官軍に、信長を朝敵にした人)
による天神講(3/2夜執行?)に勧修寺晴豊が出席(延暦寺の大ボスと勧修寺の秘密会談。信長への叛意相談か)
3/2 織田軍が甲州之衆と戦い100討ち取る(織田の武田攻めの戦果はたったこれだけ。のちに信忠は高遠城に勝頼もいて苦戦したと大ウソを吐く)
3/4 明智軍が信濃に出陣する信長の警護のためちりちりに行軍。兵たちはしほしほとしたテンションだった(明智軍やる気なし。叛意漂う)
3/11 村井が吉田へ御運によって武田侵攻がうまくいったと主張した(織田の実力といわないのは噴火によるラッキーだから。
信長公記でも信長が死んだ天意を棚に上げてw武田の悪政とか因果とか書いて勝頼が天意の罰で滅びたように書くなど、
天意の報復は悪政が呼び込んだ惨事のように他力本願的勝利を匂わす)
しかし吉田は二条御所で俺や公家たちが信長のために千返之御楽で祈祷したからだと対立(噴火は祈祷力!!!天皇すげぇー!)
3/12 多聞院が天候不良と先頃の光物の影響で不安感を募らせる(浅間山噴火とその影響で穀物の不作など先行き不安がる)
3/15 正親町天皇が庭上之作法をやってたらなぜか雨が止んだ。天道之感応奇特だわ〜と公家達か感嘆した(濃尾之暦者って馬鹿じゃんw最近の天皇力すげぇな!)      
3/23 穴山信君が裏切った理由って金子2000枚で買収されたんだってよ!などと多聞院が記録する(噴火で甲斐はどんだけ貧乏な生活に堕ちてるんだよw)
また最近の大風霰飛火逆雨の天候状況は天皇の祈祷力で信長の敵国の神を吹っ飛ばしたからだ(浅間山噴火による飛火や粉塵で日照も良くないようだ。こりゃ甲斐一揆くるな!)
まぁ戦後にはまたその神々も勧請してやろうが、まぁこれできるのは神力だけで、人の力じゃできない技だと書く(もうキチガイ信長と天皇どっち選ぶか決意しろや!)
多聞院の記述には断片的に浅間山噴火後の被害が書かれていて、その被害の大きさから先行きを不安がっている。
また信長暗殺計画の始動も浅間山噴火の天罰神威をロジック背景に延暦寺や観修寺や吉田神社らによって進められたのではないか。
0008人間七七四年2013/09/17(火) 12:18:43.44ID:XUjgRCy4
論破されてもごり押しで認めさせようとするアスペルガーだがの姿勢は中国韓国の外交姿勢と何ら変わらない
0009人間七七四年2013/09/17(火) 12:27:16.25ID:QF1uYFXQ
基本的にネットにおける長文連投は
やる側はコピーペーストするだけでいいので労力が全くかからないのに対し
それを受ける側は一言一句を考えて返さなきゃいけないので
掲示板で議論を破綻させるにはもっとも有効な手段
受ける側が考えている間にも、やる側は長文をドンドン積み込んでいけるからな
そして受ける側が「やってられっか」と思って去ったのを見計らい、勝利宣言を出して相手を貶める段階に移行する
この時既に相手はいない(もっと言うと住民そのものがいない場合も多い)ので、そのままやる側の思惑通りに持ち運べる
0010人間七七四年2013/09/17(火) 13:22:37.03ID:bDGZ/nNW
声闘とか言うのに近いよなやってることは…
0011人間七七四年2013/09/17(火) 14:09:44.01ID:41BrWsYC
そもそも宣教師が豊後で見た赤い空が浅間山の噴火によるものなのかも不明だしな
阿蘇山や桜島の火山灰が風に流れて豊後辺りまで行った可能性もあるし他の要因で起こったのかも知れない
まあだががやるべきことは1582年に浅間山で大噴火が起こったと主張している地質学者の論文を持ってくることだな
そんな学者は日本中探していそうにないが
0012人間七七四年2013/09/17(火) 15:10:10.62ID:IDfSvz9k
織田厨はこれまで一切、一次史料の根拠を提示することなく
事実を受け入れたくないという理由だけで誹謗中傷で否定を繰り返しているだけ。
そこに根拠は皆無で完全に思いつきでケチをつけてるだけのいつもの自慰。
0013人間七七四年2013/09/17(火) 15:45:50.77ID:41BrWsYC
お前の出した浅間山大噴火史料はそもそも一次史料じゃないだろ
だいたいそれほどの災害ならなぜ織田武田徳川北条からの史料は皆無なんだ?
現場でそれを見ていたにも関わらず
どう考えてもおかしいだろが
0014人間七七四年2013/09/17(火) 16:06:47.28ID:IDfSvz9k
しかし誠仁の妻の兄である勧修寺晴豊は祖父の尹豊・子の光豊とともに
元亀3年末に信玄を官軍に、信長を朝敵にする活動をした
比叡山延暦寺の大ボス166世天台座主の准三宮曼殊院覚恕と
信長が武田征伐に集中してるドサクサに密談しているのであったw

比叡山座主覚恕法親王は正親町天皇の弟で延暦寺炎上後は洛中曼殊院や禁中に滞在して
比叡山再興を掲げる信玄の権僧正任官の斡旋活動をして信玄も僧正号宣下のお礼状を元亀3年10/3に出している。
信長追討綸旨発給の衝撃・・・・本人が関わる綸旨・宣旨を纏めていた勧修寺晴豊の旧蔵記録には
蔵人頭左中弁勧修寺晴豊→四辻大納言李遠宛て元亀3年9/20付書状
今度叡山炎上のこと、非常に嘆かわしく思っていたところ、法性院僧正が再び叡山を隆盛させるべく
入洛を計画しているとのことを聞き及びました。
叡山復興によって朝家の盛興するべく忠勤を励むとのこと。使者として直接談じ合ってくるように。

蔵人頭左中弁勧修寺晴豊→恵林寺(武田氏菩提寺)・長禅寺(信玄生母墓所)宛て元亀3年9/20付書状
あなたたちの寺を天皇の勅願所に決めましたので、宜しく国家安全と長久を祈り奉ってください。
これにより天皇は信長に与えた決勝綸旨を破棄し、将軍義昭に呼応する信玄の官軍認定をしたのである。
このことで物資と人の両面で困窮し追い詰められた朝敵信長の自暴自棄の報復が
御所まで類炎するのも辞さない上京焼き討ちによる公家・寺社への乱暴狼藉である。
謙信→長景連宛て元亀4年3/19付け書状を読むと
謙信も信長へ叡山再興をするように約束すれば信玄の大義名分が立たなくなると諭し
朝敵信長がそれを承諾しているのがわかるように、朝敵信長は比叡山の報復圧力に土下座しているのがわかる。
このように官軍武田軍が威風堂々と徳川・織田連合軍を瞬殺して上洛を目指していたのがわかる。

元亀4年1/11に僧正法性院信玄→将軍足利義昭側近上野中務大夫(秀政)宛てで
朝敵信長追討を受けた信玄は
義兵を起こし大軍が靡かせ発向し家康の大半の要害を破却したと宣言し、
信長・家康ら逆党を誅伐し天下を静謐にすると言上してる。
そして叡山での乱逆や、他者を軽んじ公家や寺社の人々を侮り、放言の数々
洛中洛外を徘徊しみだりに徳分の課役をして砂金財宝を横領しまくり、
朝倉と信長を和睦させたかたじけない天皇の勅命とそれに類する複数の起請文を捧げたのを
破って延暦寺を壊滅させるなど悪逆無道を為すなど5か条に渡って
信長の大罪を弾劾し讒巨乱国を救うと誓っている。

その檄文を将軍から入手した天皇は日本を救う救世主に感動して、
信玄の大義名分を筆写し醍醐寺理性院に納めて祈願したほど。
いかに信長が悪逆無道だったかがわかる。
醍醐寺理性院に残る天皇の写の日付は1/11だが、甲陽軍鑑では1/7とされている。
実際に書かれたのは1/7で出されたのが1/11なのかも知れない。
0015人間七七四年2013/09/17(火) 16:20:54.52ID:QF1uYFXQ
★大名★

小笠原氏
小笠原大膳大夫
豊前小倉15万石(溜間詰格)、
小笠原佐渡守
肥前唐津6万石(帝鑑間席)、
小笠原遠江守
播磨安志1万石(帝鑑間席)

土屋氏
土屋相模守
常陸土浦9万4000石(雁間席)

諏訪氏
諏訪安芸守
信濃高島3万石(柳間席)

★旗本★
横田氏
横田備中守
9500石。旗本寄合席筆頭
0016人間七七四年2013/09/17(火) 16:35:18.28ID:QF1uYFXQ
大名
小笠原大膳大夫…豊前小倉15万石、溜間格
小笠原佐渡守…肥前唐津6万石…帝鑑間席
小笠原遠江守…播磨安志1万石…帝鑑間席
大名
諏訪因幡守…信濃高島3万石…柳間席
大名
土屋相模守…常陸土浦10万石…雁間席
旗本
三枝能登守(旗本寄合席)
横田備中守(側衆上席)
初鹿野河内守(北町奉行、大目付)
跡部甲斐守(駿府町奉行、堺奉行、大坂東町奉行、大目付、勘定奉行、南町奉行、留守居格清水卿支配、若年寄格、菊間縁席)
伊沢美作守(長崎奉行)
荻原近江守(勘定奉行)
0017人間七七四年2013/09/17(火) 16:50:39.15ID:41BrWsYC
大敗北しただががまたコピペ荒らしを始めたか
0018人間七七四年2013/09/17(火) 17:14:11.29ID:QF1uYFXQ
>>1に追加

天正10年の武田攻めを語るスレ 4
http://www.logsoku.com/r/sengoku/1333154364/
0019人間七七四年2013/09/17(火) 19:57:30.63ID:YUSa7uCG
9月17日のアスペルガーだがの戦い
今日はアスペルガーだがが現実を受け止めきれず長文投下で誤魔化し煙に巻いて壊走

まとめ
>>12(アスペルガーだがの嘘)
>織田厨はこれまで一切、一次史料の根拠を提示することなく
>事実を受け入れたくないという理由だけで誹謗中傷で否定を繰り返しているだけ。

>>13(名無しの会心の一撃)
>お前の出した浅間山大噴火史料はそもそも一次史料じゃないだろ
>だいたいそれほどの災害ならなぜ織田武田徳川北条からの史料は皆無なんだ?

>>14(アスペルガーだが長文投下で逃亡)
>しかし誠仁の妻の兄である勧修寺晴豊は祖父の尹豊・子の光豊とともに(計38行)

アスペルガーだがは本当に馬鹿だな
0020人間七七四年2013/09/17(火) 20:30:56.34ID:EfJIPW+r
とっくに論破されたことをまた貼る鳥頭ぶりには感心するね、新作を作る気はないのかな?
0021人間七七四年2013/09/17(火) 20:43:24.72ID:HvPc5h6X
>お前の出した浅間山大噴火史料はそもそも一次史料じゃないだろ

えっ?一次史料しか出してないじゃん。
つかガチで織田厨は一次史料どころかなんら根拠を出してないじゃん。
0022人間七七四年2013/09/17(火) 20:55:38.62ID:EfJIPW+r
>広島と京の距離と、浅間山とアルプス山脈を挟んで京との距離はそれほどかわらない。
>京で広島上空で爆発した原爆の光は観測されていない。考えようによっては原爆よりも巨大なエネルギーが浅間山から噴射したともいえる。



よく見たらすっげー面白いこと書いてあるじゃん、糞ワロタ
0023人間七七四年2013/09/17(火) 21:13:00.41ID:PxbtP0mN
浅間山に規模不明ながら天正10年(1582年)2月16日に噴火があったらしき事は事実だよ。

ところで阿蘇山も天正十年(1582年)2月17日に噴火があったってご存知かな?
0024人間七七四年2013/09/17(火) 21:41:09.75ID:PxbtP0mN
近代デジタルライブラリーの「阿蘇山噴火史要」はネットで確認できるよ
0025人間七七四年2013/09/17(火) 21:57:26.49ID:EfJIPW+r
天正十年正月十四日(1582年2月16日) 浅間山噴火(晴豊記)
天正十年正月十五日(1582年2月17日) 阿蘇山噴火(八代日記)


さて、面白いことがわかったな。阿蘇山と豊後は目と鼻の先。
0026人間七七四年2013/09/17(火) 22:54:19.14ID:41BrWsYC
>>21
現場を全く見ていない奴が伝聞で書いたものが一次史料のわけないだろがバカ
0027人間七七四年2013/09/18(水) 01:17:51.35ID:smgtxl2D
気象庁の方にも出ているね
ttp://www.seisvol.kishou.go.jp/fukuoka/503_Asosan/503_history.html
0028人間七七四年2013/09/18(水) 03:00:34.56ID:NntxNq4k
確かに1582は2月と7月浅間山は噴火はしていたと思います。

しかしながら規模不明ながらも現在ある資料を専門家が精査した限りでも大噴火と認められる程度の被害報告、明確な証が記されていない。
むしろ、慶長元年の中規模噴火との周期なんかも考えると大それた規模とは考え難い。
と公的機関である気象庁もみており証拠として、ただ『噴火』と表現するに至っているのが現実。

つまり大噴火そのものがプロの見た上でも可能性は低く、まして武田家滅亡の一因となった程とするのは信頼に足る証拠もないかなり飛躍した説であると思います。
なんなら学会で発表し、気象庁の見解に具体的に武田氏の政情に変化を与える程であった旨を項目にて訂正させてはどうかとさえ私は思います。
0029人間七七四年2013/09/18(水) 07:03:14.19ID:MNtCsRsI
そもそも赤い空現象が風に乗って空気中に巻き上げられた軽い火山灰による現象だと理解できてない

原爆の光云々とか訳のわからんこと書いてるし
0030人間七七四年2013/09/18(水) 08:00:49.91ID:AlaoAw0D
そんなヤバい噴火なのに近くにいる織田や北条に全く被害のない噴火www
信玄の作り上げた悪鬼羅刹の軍を天が滅ぼそうとしたんですねわかります
0031人間七七四年2013/09/18(水) 08:25:22.35ID:yEqZjjPl
噴火で延々書き込んでるのって自作自演だろ?
普通の人間ならさすがにもう飽きてるよw
0032人間七七四年2013/09/18(水) 08:56:39.53ID:yXIXS/Km
そりゃあいつもの単発ID自演基地外の織田厨がずっとレスしまくってるからね。
全く一次史料の根拠なしに、自分の願望による思ったことをひたすらレスしてる時点で同一人物バレバレじゃん。
0033人間七七四年2013/09/18(水) 09:53:15.29ID:Kyl7AFTh
>>32
自分が勝ったと思っているならageなきゃダメだよだがさん!
0034人間七七四年2013/09/18(水) 10:06:49.61ID:HpmsK0aQ
結局灰吹き上げただけの小規模な活動に恐れおののいた武田雑魚過ぎってことでいいよな

本当に大規模な噴火があったなら火砕流に麓の村が飲み込まれたとか武田の武将が書いた書状が当然あるはず
0035人間七七四年2013/09/18(水) 11:31:24.54ID:qmo4+Xrb
甲斐の記録類は織田軍が放火虐殺略奪ですべて失われたじゃんwww
つか、なんで織田軍は遠陣だから兵糧が足りなくならないように
わざわざ兵力調整してたのに
すぐ軍を解体して逃げるようにして
速攻で甲斐から領国へ帰ったの?
なんで甲斐で一揆がおきたの?
当時の甲斐はあきらかに食料不足だよね。
これ火山の被害じゃないの?
3/20に木曽や穴山に会い、23日に滝川に関東行きを命じた信長だったが、
兵糧に困窮した織田軍は占領した深志城(松本)の兵糧を
3/24に分配するほど追い詰められてる。
3/26には馬の飼料を北条から貰うほど困窮。
3/28には信忠も甲斐から諏訪へ逃亡。
それですら、人があまりにも寒くて多く死んでいったから、
29日には開陣して諸将はいそいで帰国。
なんで大量に死んでるのかなぁ?
噴火被害で荒廃した甲斐で馬の飼料どころか一切の食料が手に入らず、よって体の熱量不足になり、
おまけに噴煙の影響で天候はボロボロ(3月末なんて5月上旬だし)
もう甲斐から逃亡するしかなくなったからだよね。
そして荒廃した甲斐ではついに一揆が起きて川尻が殺される。
0036人間七七四年2013/09/18(水) 11:54:55.83ID:/gvsuBvB
なんだか面白そうなテーマのスレだなぁ と思って覗いてみたけど
浅間山の噴火がどーのこーのと、それがだから何なんだ?とw
0037人間七七四年2013/09/18(水) 12:05:12.86ID:qmo4+Xrb
そういや晴豊記や多聞院日記と並んで
蓮成院日記にも浅間山噴火の記述があるようだな。
0038人間七七四年2013/09/18(水) 12:05:32.50ID:bFbNj0YU
はい、織田が焼いた頂きました。説明投げたよね?

具体的に証明出きる資料はございませんって事を認めた
0039人間七七四年2013/09/18(水) 12:17:29.75ID:vR5GuZUq
アスペルガーだがの嘘の上塗りもいよいよここまでか
そろそろ新しい嘘を投下かな?
0040人間七七四年2013/09/18(水) 12:23:02.37ID:VCTmkpNv
>>34
別に武田じゃなくても現場を見ていた織田徳川北条の記録があって然るべき
しかしそんなものは皆無
あるのは伝聞を元にして書いたものだけ
織田徳川北条からしても大した噴火でなかったことはこれからもわかる
0041人間七七四年2013/09/18(水) 12:50:06.67ID:Kyl7AFTh
甲斐の記録類は織田軍が焼いたwwwwwwwwwwww
じゃ今、武田の研究者が使ってる史料はいったい何なのwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
久々のクリティカル発言wwwwwwww「桶狭間は明らかに今川の勝利」依頼wwwwwwww
0042人間七七四年2013/09/18(水) 13:10:31.11ID:SInJpglG
>甲斐の記録類は織田軍が焼いた

どっかの斜め上の国みたいなこと言い出したなあ
0043人間七七四年2013/09/18(水) 13:29:23.43ID:ra7g4hyb
まあ越前大虐殺でも、
織田軍は釜茹など悪魔のような所業をやりまくったが、
キッチリ証拠隠滅してまわったから、
後世にこの悪事が知られるようにと、
わざわざ瓦の裏に織田軍の悪行を記して隠しておいてるのがわかるからな。
織田の焚書坑儒と、公記のマンセーぶりはコインの裏表だよな。
悪逆無道を行いながら情報統制して公家を騙していただけだし。
0044人間七七四年2013/09/18(水) 15:02:54.16ID:bFbNj0YU
別に武田じゃなくても近場の北条とか徳川でもいいよ、それなら焼かれてないでしょ?
0045人間七七四年2013/09/18(水) 16:18:02.72ID:8bGoFK9k
武田の記録は織田がすべて焼いて捨てた…?じゃあ武田の史料は一切信用ならないな
だがの中の武田は織田徳川北条の記録にすら残らないしょっぱい噴火に腰を抜かし武田は壊滅してしまったってこと?
そんなんじゃ信玄生きてても鉄砲の一斉射撃に武田の将兵全員心臓麻痺起こしそうだな
0046人間七七四年2013/09/18(水) 16:56:59.37ID:8/8BSvuG
>>45
病弱な信玄がまず真っ先に心臓麻痺になると思われwwwwww
0047人間七七四年2013/09/18(水) 17:49:47.29ID:TmZee+Ja
豊後の赤い空現象もすぐそこ阿蘇山の噴火でしたとオチが付いた
0048人間七七四年2013/09/18(水) 17:56:32.98ID:a4KwmbLA
嘘の上塗りで窮地に陥るアスペルガーだが
0049人間七七四年2013/09/18(水) 19:26:23.65ID:L041mj9M
フロイスの日本史には東の方向って書いてあるところを見ると、
日本人じゃない織田厨には阿蘇山が大分県の東にあると思い込んでんだなワロタwww
ガチで日本人じゃないんだなw
0050人間七七四年2013/09/18(水) 19:34:56.96ID:t89Pvti1
東の方向(伝聞)
0051人間七七四年2013/09/18(水) 20:01:27.30ID:YFpH1Eho
阿蘇山から北東に流されてるものをそれより西で見たならそりゃ「東の空」になるね

それよりもさ、基本火山灰って日本上空では東に流されるもんだよ、偏西風でね。冬ならなおさら
0052人間七七四年2013/09/18(水) 20:25:29.56ID:YFpH1Eho
断言してやろうか?「日本では火山灰は西にほとんど飛ばない」

例外は夏場
0053人間七七四年2013/09/18(水) 20:41:29.49ID:yEgFlpEU
地学の知識が無いため不用意な発言により自らの手で窮地に追い込まれるアスペルガーだが
0054人間七七四年2013/09/18(水) 20:56:30.37ID:8/8BSvuG
だーがだーがだがアスペの子♪
0055人間七七四年2013/09/18(水) 20:59:59.70ID:TmZee+Ja
噴火の規模を盛れば盛るほど天高く舞い上がって高高度で吹いてる偏西風に流されるから
逆らって西に飛ぶことは有り得ないという悲しいお知らせ
0056人間七七四年2013/09/18(水) 21:37:11.59ID:L041mj9M
偏西風で移動するのは重い火焔ではなく、せいぜい軽い噴煙だけだろうね。
大分の東方が赤い空なのは火焔の視認であり、
阿蘇山の火焔である可能性は方角的にあり得ないな。
0057人間七七四年2013/09/18(水) 21:52:01.47ID:VCTmkpNv
だがはとりあえず夕焼けはなぜ赤いのか調べてこい
0058人間七七四年2013/09/18(水) 21:57:39.39ID:YFpH1Eho
「赤い空現象」は噴火が起きた時に巻き上げられた空気中に漂ってる軽い火山灰って
何度も説明してるのにいつになったらその鳥頭は理解してくれるのかな?

そもそも大分から800km以上離れた浅間山の噴煙が視認できるワケないから。
長崎から上海のほうがまだ近いレベル。
それこそ「なんで見えたのか?」この超常現象について納得の行くように詳しく科学的に説明して欲しいところ
0059人間七七四年2013/09/18(水) 22:15:04.12ID:TmZee+Ja
溶岩が赤く見えるってほんと至近でしょ、なおさら有り得ん
0060人間七七四年2013/09/18(水) 22:17:39.51ID:PfyOmFN8
バカバカしいアクロバットな解釈で無理やり阿蘇山と我田引水してアホ過ぎ。
大分県の日本人信者がなんで阿蘇山の存在を忘れてて気づかないんだよw
まわりくどく東の空が赤いなんて表現せずに、
本当に阿蘇山噴火が原因だったのなら、普通に考えてあれは山向こうの肥後にある阿蘇山が噴火したからだろうと書くだろw
フロイスの記述を否定したいなら、
否定する根拠になる一次史料はまだなの?
お前の『そう思いたい』という気持ちを根拠に落書きをここに書かれても、
それは歴史的事実ではなく、
ただの妄想願望なんだけど。
0061人間七七四年2013/09/18(水) 22:34:58.67ID:TmZee+Ja
フロイスは浅間山の噴火が見えましたって書き残してるの?
0062人間七七四年2013/09/18(水) 23:09:20.54ID:POIq7D+H
別に赤い空ぐらい火山灰無しでもあることじゃね?つい最近大阪でもあったし


だがさんは大分から浅間山の噴煙が見えたというアクバットの解説頼むわ
0063人間七七四年2013/09/18(水) 23:35:53.80ID:8/8BSvuG
夜だと赤い光見えやすいんじゃないの?
0064人間七七四年2013/09/18(水) 23:57:47.83ID:8iA3XS+O
豊後の民なら、阿蘇山が噴火したと書くわな。
肥後にあると言っても国境を形成してるのが阿蘇山だから知らないわけがない。
まさか肥後街道や阿蘇神社を知らんこともないだろうし。
0065人間七七四年2013/09/19(木) 00:16:31.07ID:dkkucJZU
豊後府内にまで見える赤さなら、
そもそも阿蘇氏が余りにも超直下過ぎてヤバイを通り越してる。
0066人間七七四年2013/09/19(木) 00:28:55.08ID:gWOJlkID
阿蘇山の1582年2月の噴火は灰噴火だから阿蘇氏がどうこうなるようなもんじゃないよ
浅間山の麓の村がなんともなかった例の噴火と同じぐらいじゃないかな〜
0067人間七七四年2013/09/19(木) 00:35:55.07ID:8E9+I5u+
空に灰が舞ってりゃ赤くなるんだからそんな大それた現象でもない
0068人間七七四年2013/09/19(木) 00:39:00.06ID:iXrXRYBT
偏西風もロクに知らずにデタラメ書いてる時点でもうね…
0069人間七七四年2013/09/19(木) 00:54:47.41ID:kDBB6IFg
元々、織田厨は一次史料なんて一切、出さずに小学生レベルの願望妄想しか書いてないから、
織田厨の全レスを削除しても全く損失にならない。
0070人間七七四年2013/09/19(木) 01:00:20.58ID:8E9+I5u+
浅間山の光が豊後から見えたなんて願望妄想垂れ流してる奴にゃ言われたくないよね
0071人間七七四年2013/09/19(木) 01:04:55.48ID:MHRRbbvU
フロイスが願望を書いてるわけねーだろw
お前と一緒にすんな。
0072人間七七四年2013/09/19(木) 01:11:04.57ID:8E9+I5u+
フロイスが「浅間山からの光が豊後からも見えた」って書いてるのかって聞いてるんだけどどうなの?

東方が赤いだけでまさか自分のトンチキ理論をフロイスが擁護してくれてるとでも?
0073人間七七四年2013/09/19(木) 01:16:06.22ID:5rn3rB/W
一次資料一次資料ってフロイス日本史のお空赤いの一点張りで浅間山噴火を裏付ける気らしいぞ

一方で浅間山の麓の被害状況を記した一次資料が有るはずと尋ねれば「おだがもやした」という素敵な回答
都合が良すぎやしないかね
0074人間七七四年2013/09/19(木) 01:19:12.85ID:OYe0biIB
ハワイの噴火が見えたんじゃねフロイス
0075人間七七四年2013/09/19(木) 01:30:20.15ID:MHRRbbvU
>>72
安土城の東方が赤い空になってたのと同じ兆候が豊後でも見られたって書いてるんだから、
浅間山しかねーだろ。
0076人間七七四年2013/09/19(木) 01:42:33.73ID:rU6h7d21
>>37
実は立入宗継の記す
立入左京亮入道隆佐記にも
浅間山噴火記述が出てくるんだな。
0077人間七七四年2013/09/19(木) 01:49:07.18ID:5rn3rB/W
京近郊の人物が伝聞で書いた日記ばっかりだけど麓の被害状況を記した一次資料をよろしく
0078人間七七四年2013/09/19(木) 01:49:26.54ID:kjnQ9QBl
>>73
被害なら>>7>>35書いてるだろ。
いい加減諦めろ織田チョン君。
0079人間七七四年2013/09/19(木) 01:58:43.01ID:OYe0biIB
朝廷と信長の話のどこが噴火の被害だよ
0080人間七七四年2013/09/19(木) 02:14:11.55ID:5rn3rB/W
>>7はカッコつきの駄文がなければちっとも浅間山の様子が窺い知れないし>>35に至っては希望的観測でしかない

未曽有の大災害なんだろ?
その割には浅間山の近いと自分で書いた麓の村も無事でのんきにご祈祷やってるし武田北条徳川からの資料のアプローチなし
0081人間七七四年2013/09/19(木) 02:24:39.08ID:OYe0biIB
北条はそうとう被害被ってるだろうにな

あ、そうそうだがさん
だがだん信長公記の記述は使えないって言ってたよね
でも武田征伐で織田が飢えたって記述は公記出展だよね
論破しちゃってよだがだんwww
0082人間七七四年2013/09/19(木) 02:24:59.92ID:8Wh0TeWa
研究界じゃ1582年の噴火なんて大したことない出来事でサラッと片付けられてるんでしょ
0083人間七七四年2013/09/19(木) 02:35:00.52ID:vUCrKjBh
「誰が書いたかも分からんモノ」とか他スレでさんざんクサした多門院日記や挙げ句の果てに信長公記にすら頼るだがなのであった
0084人間七七四年2013/09/19(木) 07:53:56.50ID:iJm+2ZjU
まさに詭弁のガイドブックの内容そのものだな
0085人間七七四年2013/09/19(木) 08:06:45.25ID:TNQDueqc
だいたい信長公記からして、
他の大名を滅ぼした時と違って、
武田滅亡の時だけやたら天罰を連呼してる時点で、
言外に天災滅亡を窺わせる。
甲斐で狼藉虐殺してるのも極端に食料事情が悪化しアテが外れた為に兵糧を求めてやってるんだろ。
0086人間七七四年2013/09/19(木) 08:48:26.20ID:QEYCft+B
武田は噴火で壊滅した!→織田徳川北条に特に記述の無いくらいの小規模噴火で武田壊滅w
武田の史料は織田によって全て焼き払われた!→武田の信憑性ガタ落ちw

墓穴掘りすぎワロリーヌ
0087人間七七四年2013/09/19(木) 10:04:16.14ID:bB0uqv+V
武田の滅亡の項目だけ信長公記を参考に持ち出して他の部分は信憑性はないんだ!ってそりゃムシが良すぎるぜだがさんよ
0088人間七七四年2013/09/19(木) 10:11:00.22ID:2IQEjiMX
>>81
信長公記の一文一句全て…全文が完全に間違ってるとは誰も主張してないだろ。
だから公記の捏造部分は、
きちんと一次史料による裏付けを付けて批判してるでしょ。
織田厨みたいになんでも根拠ゼロで悪口中傷レスはしない。
自分がそうだからって一緒にしないでくれ。
こっちは学問の議論をしている。
織田厨みたいな心情的に受け入れられないからと言う理由で盲目的否定はしない。
そしてこれだけ証拠、傍証が揃っているのだから、
甲斐が大噴火の天災影響で戦闘どころか、
極度の食糧難に陥り治安維持すら出来なくなっていたのがわかる。
天候も噴煙の影響で極度に寒冷してしまい織田軍まで寒さと飢えで死者続出し、
ロクに甲斐に織田軍は駐屯兵も置けずに逃亡した為に一揆で河尻まで殺される。
0089人間七七四年2013/09/19(木) 11:42:31.94ID:WNkbzU9u
アホ低脳の織田厨が根拠はまったく提出しませんが
絶対反対反対反対って偏執的粘着自演してるだけで、
実際はなんら根拠を示せず、ケチを付けてるだけの織田小学生とは
議論すら成立していないって言う厳然たる事実しかない。
0090人間七七四年2013/09/19(木) 12:09:13.17ID:PFHTAU0P
定説を覆すっていうのはそういう事だよ、憶測はいいから火山灰で甲斐の畑が不作だってちゃんと書いてある一次資料を出しなさい
0091人間七七四年2013/09/19(木) 12:46:12.30ID:yP+yFlns
論破されたら今度は誹謗中傷でごまかそうとするお得意の戦法
まーただがが捏造を晒されてしまったのか
0092人間七七四年2013/09/19(木) 12:48:17.57ID:WNkbzU9u
>>90
で、否定するに足る一次史料の根拠はまだなの?なんで史料提出要求からひたすら逃げ回ってるの?
史料なく頭ごなしに否定することは、気にいらないからケチをつけてる、
もしくは、気に入らないからゴネてることと同じ嫌がらせ荒らし行為でしかないんだが。
そんな小学生じみた三段論法すら理解できない超わがまま馬鹿が複数人いるとはとても思えないんだが。
ひたすらお前の自慰落書き垂れ流しで、ディスカッションすら成立しない状態が続くだけだし。
いい加減、逃げまわってばかりいないで一次史料の根拠を提示して否定意見を書いてくれよ。
0093人間七七四年2013/09/19(木) 13:06:28.68ID:srIr71SM
>>92
地質学の論文とかいままでいっぱい出てきたろうが
そしてお前は大噴火があったと証明するための一次ソースを出せないでいる
つーか挙証責任は「あった」と言い出した奴が証明しなければならないってわかっている?
出来ない時点でだがよお前は負けたんだよ
0094人間七七四年2013/09/19(木) 14:37:16.31ID:IjJ2BKEw
地質学もなにもお前は全く出てこない話をでっち上げて書いてるだけだろw
それは何処に書いてあるんだって質問にはひたすら自演で誤魔化して逃げてんじゃねーかw
だいたいお前は武田崩れの理由を全く説明できてねーじゃんw
武田軍は高遠城で百人討たれて落城した以外に全く戦った形跡無いしw
0095人間七七四年2013/09/19(木) 14:51:30.17ID:srIr71SM
だから挙証責任にはだが、お前にあると何度言ったらわかるんだ?
お前が大噴火が起こったと書いてあるソースを提示すればそれで済むこと
しかし未だに提示出来ないでいる

あとだが地質学のソースは歴史改変スレでお前も見たろうが
三歩歩いたら忘れる鳥頭か?お前は
0096人間七七四年2013/09/19(木) 15:07:05.22ID:8CO18iAW
他所でコケにした多門院日記を
何事もなかったかのようにここでは一次資料として繰り出してる辺りどうしようもないね
0097人間七七四年2013/09/19(木) 15:14:22.85ID:WNkbzU9u
>>95
あの〜そろそろ織田厨くんにか下記の解説をしてくれませんかね?
たしか織田厨くんは「500年程度の炭素年代測定なら1年刻みで余裕でわかることくらい覚えておけ低学歴無知が」
などと大見得を切っていましたよねw
それで私は下記の噴火の年をどう測定して確定させたのか説明を要求しましたよね。
1644年 2月(正保元年)噴火。
1645年 2月,5月(正保2年)噴火。
1647年 2月,3月(正保4年)噴火。
1648年 3月(慶安元年)噴火:1m以上の積雪を融解,追分駅を流失,夏にも噴火。
1649年 (慶安2年)噴火。
1651年 (慶安4年)噴火。
1652年 (承応元年)噴火:噴石のため山麓焼ける。
1655年 (明暦元年)噴火。
1656年 (明暦2年)噴火。
1657年 (明暦3年)噴火。
1658年 (万治元年)噴火:鳴動。
1659年 (万治2年)噴火:鳴動,降砂。
1660年 (万治3年)噴火。
1661年 (寛文元年)噴火:年間数回。
織田厨くんは「だがは天下の東大様による科学的データまで否定するのかな? 」とも言ってましたのですが、
上記の噴火を証明する科学的データをまだ教えてもらっていませんが、織田厨くんはどこのどのデータをみたのかね?
早川氏のHPを読んでも一切、炭素年代測定なら1年刻みでわかる&東大の科学的データなんて載ってませんがおかしいなぁ???
0098人間七七四年2013/09/19(木) 15:18:35.91ID:srIr71SM
反論出来ずにコピペに走った時点でお前の負けだ、だが
0099人間七七四年2013/09/19(木) 15:19:59.53ID:WNkbzU9u
>>96
多門院日記をコケにしてんのはアンチ秀吉の織田厨だろ笑わせるなwww
小牧長久手での徳川方の過大戦果宣伝を否定する記述を必死になって否定して大量コピペ爆撃してんじゃねーかw
他人のフリしてシラをきっていたが三河物語を曲解して織田厨である馬脚を見事に露呈した過去を忘れたとは言わせんぞw
0100人間七七四年2013/09/19(木) 15:21:15.28ID:WNkbzU9u
>>98
で、否定するに足る一次史料の根拠はまだなの?なんで史料提出要求からひたすら逃げ回ってるの?
0101人間七七四年2013/09/19(木) 15:23:31.98ID:so7L2dhq
>>99
それ多聞院じゃなく顕如日記だろアホ
0102人間七七四年2013/09/19(木) 15:23:34.15ID:IjJ2BKEw
武田崩れの理由を一次史料で織田厨は説明出来ないまま逃亡を繰り返している恥ずかしい事実w
武田崩れの理由は浅間山噴火以外に合理的説明は不可能。
0103人間七七四年2013/09/19(木) 15:24:32.71ID:srIr71SM
>>100
だから挙証責任は「あった」という側にあるんだよ
お前は議論の基本原則も知らんのか?
0104人間七七四年2013/09/19(木) NY:AN:NY.ANID:fIzk2O+9
762 : 人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/23(火) ??:??:?? ID:6kpgGee2 [1/1回]
信長も多聞院日記天正5年2/13条で信忠信雄信孝を始め分国中の兵力かき集めて15万余騎もの
大軍を河内に集めてるのがわかる
767 : 人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/23(火) ??:??:?? ID:Ctti6iUD [2/5回]
>>762
それ兼見卿記には10万余とか書いていてかなりいい加減。
しかもそれ以前には海戦で毛利に負けて石山本願寺に兵糧入れられたり
それ以後にはて手取川で上杉軍に追い払われていたりと
織田がもっとも劣勢で丹波の赤鬼さえ討伐できない有様。
それでそんなに動員できるわけがない。
そもそもl越前一揆を平定したあとに、越前衆をも動員してやっと3万の軍を動かしていたのは
信長公記に記していることでもわかる。
公家の日記には織田の戦時広報活動の影響を受けていることが多く
ほとんど信用できない。
768 : 人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/23(火) ??:??:?? ID:kWuP5Ma4 [1/2回]
>>767
お前の妄想には興味ありません。日記は一次資料で、信長公記みたいな
デタラメ軍記よりも遥かに信憑性高い。これはアンチ織田派の人により実証された見解です。
公記は一次資料じゃねぇって戦国スレで散々わめいていたの誰だよアホ
769 : 人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/23(火) ??:??:?? ID:Ctti6iUD [3/5回]
いやいやそんだけ兵力あれば赤鬼を血祭りにできるし、
その結果、翌年の別所の謀反とかもありえないだろ。
だいたい謙信粉砕して越後まで攻め込めるだろ。
中国戦線に増援して本願寺支援のために
毛利が占拠してる各港湾も奪い取って本願寺への支援港を潰せるし
どんだけ兵力の余裕があんだって話だし、
それだけの兵力がありながら紀州と雑賀衆を屈服できずに
結果、別所や荒木の謀反を呼び込むとかありえない。
これじゃ信長が無能丸出しになっちまう。

770 : 人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/23(火) ??:??:?? ID:Ctti6iUD [4/5回]
天正5年〜天正6年の謙信・赤鬼の相次ぐ死去くらいって
織田が元亀4年の信玄上洛戦と同等か、それ以上に大苦戦してるんだぞ。
それでそんだけの兵力的余裕はないよ。
日記には長篠で勝頼を討ち取ったとか平気でデタラメを聞いたままに書いてるくらいだし。

771 : 人間七七四年[] 投稿日:2013/07/23(火) ??:??:?? ID:kWuP5Ma4 [2/2回]
そりゃ簡単。織田は西は播磨方面北は丹波越前加賀
東は美濃飛騨と広範な版図を有するため、一箇所に兵を集中できないから、でFA
ゲームじゃあるまいし
複数に戦線があるのに一箇所に全ての兵集中とかできるわけねーしな
大体織田の国力でいえば15万くらい余裕だろうし
0105人間七七四年2013/09/19(木) NY:AN:NY.ANID:fIzk2O+9
773 : 人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/23(火) ??:??:?? ID:Ctti6iUD [5/5回]
京を支配してる織田の一方的な軍事プロパガンダを聞いて
それを公家が日記に記入してる証拠として
叡山焼討ちで言継卿記が伝聞から3000〜4000人殺されたと驚いているのを
年代記抄節はおよそ1600余人と誇張に惑わされずに冷静に書いてるし、
兵力に関しては過大に吹聴してるのを聞いて書いたものより、
むしろ公記の方が正確。公記の兵力数は朝倉方などの記述と近い場合なども多い。
本願寺攻めに失敗し5月の原田(塙)戦死したあとの信長出陣で勝ったと宣伝してるが
(天王寺の戦い・・・公記には数千挺の鉄砲に狙撃される中を信長が突撃して大勝利したとデタラメを吐く)
5/11勧修寺晴豊らが戦勝祝賀の勅使として摂津国へ下向するやウソ戦果と捏造戦況がバレて
相当な危機感を持った朝廷で12日夜からさっそく朝廷で右大将出陣御祈祷が一週間に渡り開始される始末だし
(同時期の柴田書状には能登・加賀・越中を織田が平均したとデタラメを吐いてる)
姉川の戦いでの言継卿記でも浅井討ち死に、その他8000討ち取りとか書いてる。
また越前以下9600討ち取り(公記ですら浅井の死者1100と書いてるのにw)
そんなに討ち取ったのなら志賀の陣のような体たらくにならんだろう。
長篠の戦いでも大げさな戦果な上に、勝頼も死んだとか書いてるのが信長。
長篠の戦いの信長による戦果捏造宣伝工作
5/26信長書状には「数万を討取った。勝頼の死体も河に漂ってるだろう」などと
誇張しまくりを書いていて5/21の戦い当日付の兼見卿記にも信長が一戦に及んで
数千騎を討死させたと書いてる(騎馬武者だけで数千もいたのかすら怪しいデッチあげぶりw)
つか、こりゃあ武田大騎馬軍団だなw 実際の武田軍の損害については
実際に鉄砲衆を調達してから長篠に従軍した大和国の筒井衆が無事に大和国へ帰り着いた
5/27に記された大和興福寺の多聞院日記の千人ぐらい討死が比較的正しいだろう。
(それですら筒井勢が武勇自慢の宣伝をしている可能性がある。
と言うのも、そんなに圧勝してるなら天正10年の武田征伐を恐れた大和衆が
甲斐国越後国衆弓矢天下一之軍士などと不安を訴えたりするだろうか)
5/24に兼見卿記が記す、光秀と会談した際に聞いた長篠の戦いの話では
「ことごとく討ち果たした」に表現が大幅に後退している。
ちなみに6/13の謙信への信長書状では嘘がすぐバレると思ってか
「数知らず」と書いて討取り数を明言しなくなっている。
さらに家康が駿州へ軍事行動をしていることに触れた後に織田軍は兵糧がまだできてない間は軍を出せないので
(6月の時点では米が尽きていて収穫期の)来たる秋まで動けないと書いている。
織田軍は兵農分離どころか、思いっきり農業スケジュールに左右されている
徳川軍よりも遥かに後進的で古い軍隊組織体制なのがわかる。
家康の知恩院宛て6/22書状でも武田之家討ち果たし候様子を聞いたようですね
などと書いていて討取り数にまったく触れていない。
実は虚報ばかりで討ち取り数すら明言できないのが戦後の織田w
実際にはそんなに討ち取られていない可能性が高い。
0106人間七七四年2013/09/19(木) 15:29:35.25ID:IjJ2BKEw
一次史料による論理的返答が不可能な織田チョン。
最初から議論なんて成立してなかったのが露呈したな。
この期に及んですら一次史料ではなく、
自分がそうあって欲しい内容を書いてるだけなんだからガキ以下。
0107人間七七四年2013/09/19(木) 15:30:53.70ID:srIr71SM
その妄想コピペのどこに「大噴火」の記述があるんだ?
0108人間七七四年2013/09/19(木) 15:35:26.75ID:3WUS1lcQ
>>104-105
一方で多聞院は記述がデタラメばかりといっておきながら
都合いい所では直接のソースにするダブスタっぷりにワロタw
0109人間七七四年2013/09/19(木) 15:37:06.77ID:WNkbzU9u
>>104>>105
なんだそっちかw
>>88氏の高い志を熟読して反省しろ織田朝鮮人w
何でも官でもごちゃ混ぜに同一視してしか考えられない単細胞脳だからわからんかw
物事を否定する時には、一次史料による根拠が必要なんだ。
根拠なく否定することは単なるわがままによる理不尽でしかない。

それは下記の該当スレでも徹底してる。
そのまま同じ話が議論に出てるから勉強してこいや。
結局天下を取るのに大事なのは多く兵を動員できるか
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1322744022/l50
0110人間七七四年2013/09/19(木) 15:47:26.01ID:IjJ2BKEw
一次史料を否定したければ、
相反する一次史料で否定する。
これ当たり前。
でもこんな当たり前のことが出来ないのが織田半島人
0111人間七七四年2013/09/19(木) 15:50:21.08ID:srIr71SM
だが、そもそもお前が提示したものは一次史料じゃない
そして地質学的にも1582年に大噴火が起こったなど認められていない
文句あるなら大噴火が起こったと地質学的にも認められているソースを出すことだ
まあないがな
0112人間七七四年2013/09/19(木) 15:55:02.63ID:LDoXFpiR
1582年の3月3日では信長が「武田があまりに雑魚すぎるからさっさと滅ぼせ、一切無用だ」と河尻秀隆や織田信忠、徳川家康に伝えてあるという書状が現存している。
そもそも木曽義昌の寝返りは2月5日によそ者の徳川家康ですら知っていることが家忠日記にもあり、
2月7日の時点では既にしなの国半分を制圧したという報告があったということが晴豊記にもあるんだが
つーか武田攻めの公記の記述も否定できる一次資料なんてないんだから
鳥居峠の戦いとか長篠の大戦果とかも全部有りになっちまうよ。
天王寺の信長の寡兵での突撃話も森部の戦い稲生の戦いなんかも全てそれを否定できるソースはないんだから
信長はチート級の名将になるんだがw
0113人間七七四年2013/09/19(木) 15:57:22.36ID:WNkbzU9u
>>111
早川氏の研究
北東山麓の1108年スコリアと1783年軽石の間には薄い軽石層(A')が一枚挟まれている.
この軽石の噴火年代は,京都に降灰降毛があった1596年夏あるいはその前後だった可能性がつよい.
1598年に800人が死亡したという『当代記』の記述は信頼できない。
少なくとも天明の噴火は、京から視認されてないから、1783年の噴火よりも武田滅亡時噴火は威力が高かったのは確かだろうね。
1108年噴火記録と1783年天明噴火記録の層との間に、
もう一層あるので、1108年と1783年の期間にあと一回噴火があるのは確実
三層か。すると当代記の記録は天正10年の内容だったが、後世の伝聞で年代誤伝があった可能性が高いな。
早川由紀夫氏の引用文献一覧を覗くと、 完全に天正10年の浅間山噴火記録が書かれる
晴豊公記や多聞院日記や立入左京亮入道隆佐記や蓮成院日記やフロイスの日本史の記述があるのを明らかに知らないで書いてる。
0114人間七七四年2013/09/19(木) 15:58:15.90ID:TePnDmv8
そもそも全ての一次史料が正しいのなら本能寺の変で信長は生還してるし
まあだがチョンの議論はそれ以下だが
0115人間七七四年2013/09/19(木) 16:00:59.83ID:2nqNnDb3
>>112
朝倉殲滅戦とかな
総崩れとなった朝倉軍を追いかけ一気に滅亡に追い込んだ
これは相当な決断力行動力がなければ出来ない
川中島で撤退する謙信を指を加えて見ていた信玄じゃ無理だね
信長公記を明確に否定できる史料なんてないんだし信長公記基準でいいなら
桶狭間合戦もかなりの力量を発揮してるし
明らかに信長>>>>>信玄だなw
0116人間七七四年2013/09/19(木) 16:01:34.00ID:WNkbzU9u
>>112
へぇ。信長公記がいつから一次史料になったんだ?
公記の大枠の流れは否定しないが、全文肯定とも言ってない。
例えば鳥居峠の戦いを証明したいなら一次史料を出して根拠をつけろ。
0117人間七七四年2013/09/19(木) 16:04:15.21ID:2nqNnDb3
北条はそうとう被害被ってるだろうにな

あ、そうそうだがさん
だがだん信長公記の記述は使えないって言ってたよね
でも武田征伐で織田が飢えたって記述は公記出展だよね
論破しちゃってよだがだんwww
88 :人間七七四年:2013/09/19(木) 10:11:00.22 ID:2IQEjiMX
>>81
信長公記の一文一句全て…全文が完全に間違ってるとは誰も主張してないだろ。
だから公記の捏造部分は、
きちんと一次史料による裏付けを付けて批判してるでしょ。
織田厨みたいになんでも根拠ゼロで悪口中傷レスはしない。
自分がそうだからって一緒にしないでくれ。
こっちは学問の議論をしている。
織田厨みたいな心情的に受け入れられないからと言う理由で盲目的否定はしない。
そしてこれだけ証拠、傍証が揃っているのだから、
甲斐が大噴火の天災影響で戦闘どころか、
極度の食糧難に陥り治安維持すら出来なくなっていたのがわかる。
天候も噴煙の影響で極度に寒冷してしまい織田軍まで寒さと飢えで死者続出し、
ロクに甲斐に織田軍は駐屯兵も置けずに逃亡した為に一揆で河尻まで殺される。



ダブスタすぎじゃないかwww
0118人間七七四年2013/09/19(木) 16:06:04.64ID:srIr71SM
>>113
論破されたコピペを貼ってお前は何がしたいんだ?
お前のやることは一つだけなんだよ
1582年に浅間山で大噴火が起こったと主張する地質学の論文を出すこと
さあ早く出せ
0119人間七七四年2013/09/19(木) NY:AN:NY.ANID:2nqNnDb3
4 :人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:mvf4+s8C
織田領国内の大和での記録だと武田上杉の強さは日本一といわれ、
また正親町天皇?だったかの評価だと信長は古今無双の名将といわれたらしいね

5 :人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:lsP3cQhf
だが、その古今無双の名将〜の勧修寺晴豊の書状はあくまで
綸旨案であって実際には再考された結果、送られてない。
しかも実際に出された同日付けの万里小路書状では
露骨に馳走しろとか書かれてるしwww
万里小路宛ての女房奉書では誠仁親王の元服費用を織田から取れ!
信秀も御所の御事を他と違う御事だと認識していたとか書かれてるように
信長にリップサービスして金を取ろうと考えた結果の下心からのマンセー言辞でしかない。
だから他者と比較して信長がスゴイと言った表現ですらない軽薄さ。
しかも実際には再考され出されてない。そして女房奉書の如く元服費用だせと同日付けの万里小路も直球で信長宛て添え状出してる始末。


これも否定できる明確なソースになってない件w
0120人間七七四年2013/09/19(木) 16:11:09.47ID:WNkbzU9u
>>117
信長公記の内容と下記の話はちゃんとリンクするだろWWW
特に多聞院がいろいろと先行きを心配してる内容とか。
そもそも公記は噴火が甲斐の滅亡の怪異って話を知ってたから
やたらと天罰で武田は滅びたと執拗に書いてるんだろ。
北条だって八王子城へ甲斐からの連絡が途絶したと語ってるし
勝頼夫人だって天意に抗議してるじゃねーかよ。

2/3 暦の問題で信長が今年の美濃では12月閏年だと朝廷に申しいれてきてくる
(中国戦国時代に各王が持っていた元号を始皇帝が奪い取り刻の支配をしたように信長は朝廷から刻を奪おうとする)
濃尾之暦者である賀茂在政の意見を朝廷は拒否するも、そのまま武田攻めでとりあえず有耶無耶(噴火をネタに時間を稼ぐことになる)
2/7 村井貞勝がしなの国を半分などとデタラメを吐いて威圧。
2/9 秀吉も中国四国を平定したと誇張。
2/11 村井の配下であるはんとり六兵衛が庭田重保の邸へ強奪に入るなど公家を威圧(京を恐怖で支配)
2/14 浅間山噴火し、空が真っ赤になり、京の空から雪とは異なるものが降って来て、大気圧変化のためか和仁親王が体調を壊す。
2/16 五の宮やひめ宮も相次いで体調を崩されていたことから、この日の夜に病退散のために方違が行われた
(陰陽道における方忌みのこと。浅間山噴火方面からの忌の流入を避けるため)
2/25 竹内殿(信長に焼き討ちされた比叡山延暦寺166世天台座主の准三宮曼殊院覚恕で信玄を官軍に、信長を朝敵にした人)
による天神講(3/2夜執行?)に勧修寺晴豊が出席(延暦寺の大ボスと勧修寺の秘密会談。信長への叛意相談か)
3/2 織田軍が甲州之衆と戦い100討ち取る(織田の武田攻めの戦果はたったこれだけ。のちに信忠は高遠城に勝頼もいて苦戦したと大ウソを吐く)
3/4 明智軍が信濃に出陣する信長の警護のためちりちりに行軍。兵たちはしほしほとしたテンションだった(明智軍やる気なし。叛意漂う)
3/11 村井が吉田へ御運によって武田侵攻がうまくいったと主張した(織田の実力といわないのは噴火によるラッキーだから。
信長公記でも信長が死んだ天意を棚に上げてw武田の悪政とか因果とか書いて勝頼が天意の罰で滅びたように書くなど、
天意の報復は悪政が呼び込んだ惨事のように他力本願的勝利を匂わす)
しかし吉田は二条御所で俺や公家たちが信長のために千返之御楽で祈祷したからだと対立(噴火は祈祷力!!!天皇すげぇー!)
3/12 多聞院が天候不良と先頃の光物の影響で不安感を募らせる(浅間山噴火とその影響で穀物の不作など先行き不安がる)
3/15 正親町天皇が庭上之作法をやってたらなぜか雨が止んだ。天道之感応奇特だわ〜と公家達か感嘆した(濃尾之暦者って馬鹿じゃんw最近の天皇力すげぇな!)      
3/23 穴山信君が裏切った理由って金子2000枚で買収されたんだってよ!などと多聞院が記録する(噴火で甲斐はどんだけ貧乏な生活に堕ちてるんだよw)
また最近の大風霰飛火逆雨の天候状況は天皇の祈祷力で信長の敵国の神を吹っ飛ばしたからだ(浅間山噴火による飛火や粉塵で日照も良くないようだ。こりゃ甲斐一揆くるな!)
まぁ戦後にはまたその神々も勧請してやろうが、まぁこれできるのは神力だけで、人の力じゃできない技だと書く(もうキチガイ信長と天皇どっち選ぶか決意しろや!)
多聞院の記述には断片的に浅間山噴火後の被害が書かれていて、その被害の大きさから先行きを不安がっている。
また信長暗殺計画の始動も浅間山噴火の天罰神威をロジック背景に延暦寺や観修寺や吉田神社らによって進められたのではないか。
0121人間七七四年2013/09/19(木) 16:13:34.95ID:WNkbzU9u
>>118
論破なんてしてないだろお前はアホか。
>>119
否定できてるじゃん。
0122人間七七四年2013/09/19(木) 16:16:58.02ID:fIzk2O+9
>>120
つまり信長公記を明確に否定できるソースはない。
信長はチート級の名将って事?>>112>>115>>117>>119
0123人間七七四年2013/09/19(木) 16:18:09.75ID:fIzk2O+9
>>121
だからどれも明確に史料を否定できるソースになってないって言ってるんじゃんw
0124人間七七四年2013/09/19(木) 16:21:44.16ID:IjJ2BKEw
あいかわらず自分が不利になると、
話をそらして誤魔化そうとすんだよな織田チョンって。
いくら話を変えて論点をずらしはぐらかそうと、
織田チョンが一次史料の根拠を一切出さずに逃げ回ってる事実は消えない。
織田チョンの挑発に乗ってはダメなんだな。
いつものように話をブチ壊そうとしてくるパターンだから。
いちいち全く別な話で自演攻撃してくるのは、
追い詰められ窮した時の典型行動パターンだから。
0125人間七七四年2013/09/19(木) 16:23:03.15ID:srIr71SM
>>121
お前改変スレで反論出来ずに逃げたじゃないか
だいたい早川氏の論文は薄い軽石層が1596年噴火によるものだと言っているんだぞ?
それはつまり1582年に大噴火などなかったことの証明でもある
おわかり?
0126人間七七四年2013/09/19(木) 16:25:38.33ID:WNkbzU9u
>>124
すまない、ちょっと頭を冷やすわ。
話を逸らす挑発に乗ってたかも知れんね。
0127人間七七四年2013/09/19(木) 16:30:56.53ID:IjJ2BKEw
織田チョンは微塵も一次史料をキチンと出す気がないし、
キチンとした会話は全く成立しないんだから。
0128人間七七四年2013/09/19(木) 16:40:28.48ID:Ice6Rt7M
>中国戦国時代に各王が持っていた元号を
始皇帝が奪い取り刻の支配をした

始皇帝は各国をすべて滅ぼしたから、王は他にいないぞ
あと元号は始皇帝の時代にはなく、前漢の武帝からだ
0129人間七七四年2013/09/19(木) 17:03:57.92ID:srIr71SM
>>127
反論出来ずに勝利宣言か?
0130人間七七四年2013/09/19(木) 18:03:39.87ID:8CO18iAW
早川氏の論文は改変スレで現生貼られたけど1582噴火には触れず1596噴火が軽石の層を作ったのではないかと解説

同じく研究家の宮崎氏も1582噴火の事は一応補足するも数行の説明で1596噴火の説明に移る
0131人間七七四年2013/09/19(木) 18:17:29.85ID:OYe0biIB
>>88
んでだれもそんな指摘してないからな
口臭征伐で織田の兵糧がなくなったという記述についていってんだよ
一人で気持ち良くラリってんなよ

あ、それから公記以外に依って織田の兵糧が切れたという裏付けよろしくw
0132人間七七四年2013/09/19(木) 18:33:59.48ID:KJwdRwVW
だがさん今日は頑張ってるようだな
相変わらずより近国での被害文献とかは出てこないがw
0133人間七七四年2013/09/19(木) 18:48:04.11ID:OYe0biIB
そんな天啓ともいうべき噴火なら織田が宣伝してもおかしくないのに、それすらもない
織田は良く天下の聞こえが悪いとかそういうの気にする文書があるのにもかかわらずな
0134人間七七四年2013/09/19(木) 22:27:09.91ID:Y8eV0bVn
なにせ信長は全く気にせず出陣して、帰りは富士山見物してるくらいだからなw
被害なんてあるわけない
0135人間七七四年2013/09/19(木) 23:00:35.42ID:NwwouKey
噴火厨相手する奴(がいるのかどうか?自演ぽいが)も荒らし認定でいいよ
0136人間七七四年2013/09/20(金) 00:02:18.17ID:LytHwk7X
まあ噴火云々は武田が織田にふつーに合戦で滅ぼされたのを認めたくないだがが作り出した妄想だから…
0137人間七七四年2013/09/20(金) 00:10:42.50ID:kaYT7LxI
武田が滅んだのは浅間山の噴火のせいだ!それ以外合理的説明はつかない!
→近くの織田や徳川、北条の史料にもそんなのないし早川氏の論文の噴火時期と武田滅亡時期があわないんですが
→黙れ!黙れ!強い武田が弱い織田に負けるわけ無いだろ!

最早憐れなレベルだなw
0138人間七七四年2013/09/20(金) 02:19:28.38ID:N5pxziaB
願望の結果を元に史料を探すことやってるからこうなるんだよね

ホント隣の半島のやってることそのまんま
歴史学会でも彼らの番は一番人が少なくなる時間に当てられてるぐらい酷いのにw
0139人間七七四年2013/09/20(金) 04:18:05.83ID:CrgSqmJ+
昨日の経緯を鳥瞰すると、
織田チョンは自分は一切、否定の根拠になる一次史料を出さないでケチだけひたすらつけてるだけのくせに、
一次史料でいろいろ根拠をあげてから、傍証としてさらに二次史料の信長公記から補填してさらに自説の追加補強をしただけで、
あくまで後段の部分…二次史料の信長公記を二次証明に使った部分だけをピックアップし、
それはダブスタだから一次史料部分も含めて全てダメだと意味不明かつ理不尽な拡大全体否定を卑怯な自演で騒ぎ立てて、
織田チョンが自分では全く一次史料の根拠が出せずに、
あくまでも願望妄想の恣意的に『思った』虚構話レベルの意見しか出来ないという致命的な指摘から逃れるため、
醜くも話の論点を必死にそらして本質から逃げ回る口実に利用し信長公記を使うのはダブスタにだ!を連呼。
卑怯この上ない所業で昨日を終えたのか。
相変わらず自演狂織田チョンはキチガイ荒らしそのものだな。
さすが戦国板のゴミカス恥部織田厨反日チョン。
やることが品性下劣で賤しく汚ない卑怯っぷりだけは相変わらず健在だw
追い詰められると毎回、議論の方向を黙殺して開き直り、
途端に本来どうでもいい部分を針小棒大に騒ぎ立て悪口中傷による自演攻撃で、
質問や要求から逃げ回る手法が確立されてるwww
0140人間七七四年2013/09/20(金) 04:19:32.08ID:CrgSqmJ+
昨日の経緯を鳥瞰すると、
織田チョンは自分は一切、否定の根拠になる一次史料を出さないでケチだけひたすらつけてるだけのくせに、
一次史料でいろいろ根拠をあげてから、傍証としてさらに二次史料の信長公記から補填してさらに自説の追加補強をしただけで、
あくまで後段の部分…二次史料の信長公記を二次証明に使った部分だけをピックアップし、
それはダブスタだから一次史料部分も含めて全てダメだと意味不明かつ理不尽な拡大全体否定を卑怯な自演で騒ぎ立てて、
織田チョンが自分では全く一次史料の根拠が出せずに、
あくまでも願望妄想の恣意的に『思った』虚構話レベルの意見しか出来ないという致命的な指摘から逃れるため、
醜くも話の論点を必死にそらして本質から逃げ回る口実に利用し信長公記を使うのはダブスタにだ!を連呼。
卑怯この上ない所業で昨日を終えたのか。
相変わらず自演狂織田チョンはキチガイ荒らしそのものだな。
さすが戦国板のゴミカス恥部織田厨反日チョン。
やることが品性下劣で賤しく汚ない卑怯っぷりだけは相変わらず健在だw
追い詰められると毎回、議論の方向を黙殺して開き直り、
途端に本来どうでもいい部分を針小棒大に騒ぎ立て悪口中傷による自演攻撃で、
質問や要求から逃げ回る手法が確立されてるwww
0141人間七七四年2013/09/20(金) 04:24:37.63ID:+n4Y5XXo
地質学的根拠無し
当事者の記述無し
被害報告無し
被害対策指示書無し
あるのは空が真っ赤っかという宣教師の言葉のみ

そういやフロイスって武田を邪教信じるクズみたいな認識だよな
デウス様の怒りが炸裂した的な誇張乃至創作の可能性もあるわけだ
あ、フロイスのくだりは憶測だから反論いらないよだがさん
0142人間七七四年2013/09/20(金) 05:07:44.93ID:9hcTYMUG
信長公記は織田マンセーだから、うまく噴火を隠蔽して実力で勝ったことに曲解したい。
だけどそれじゃあちこちに矛盾や怪しいところが出て綻びがでる。
だから読者を納得させるために武田崩れへの解答に対して、
天罰で武田が滅んだ表現を出さざるを得なかったし、
織田軍の不可思議な行動…ロクに占領軍政やる兵力を残さずに、やたら早く逃げるように甲斐から去っていき河尻が一揆で殺される結果になる。
都合よく曲解しているため公記にはこの謎に対する回答が用意されてない。
信長公記が噴火の記述をすると朝廷が主張する祈祷による神威によって武田が滅んだと言う事実を肯定してしまうから噴火を隠蔽したって話か。
所詮、公記は信長マンセーの三次史料もしくは二次資料の軍記小説だから織田に都合よく書き、
不利になる部分は隠蔽もしくは曲解してるだけだから充分あり得る。
噴火に対する朝廷と信長による立場の違いの軋轢が破綻を生み本能寺の変につながったのだろうね。
そして信長も天罰いや神威の応感により謀反が蜂起し焼き殺されたと。
浅間山噴火は武田崩れを招き寄せ、
京においての政争に絶大な影響力を生み始めた。
0143人間七七四年2013/09/20(金) 05:29:25.35ID:uj/Ze2z7
願望妄想垂れ流してるのは誰の方だろうね、一目瞭然なんだけど
0144人間七七四年2013/09/20(金) 08:57:01.16ID:DqZOlyEI
史学的にも地質学的にも完全否定されたのにまだ諦めない執念だけは凄いな、だがは
まあ天罰云々の記述が大噴火の証拠とかバカ全開だけど
0145人間七七四年2013/09/20(金) 09:00:19.78ID:D39mRZoy
そうだね。織田厨は劣勢になると、
ケチをつけて攻撃することで話をすり替えて解答する義務からひたすら逃げ回ってるだけで議論に不誠実な態度を繰り返してるだけだからね。
0146人間七七四年2013/09/20(金) 09:41:57.28ID:DqZOlyEI
ん?ちゃんと答えているだろ?
大噴火が起こったという一次史料は全くなし
地質学的にも起こった形跡はなし
つまり1582年に浅間山大噴火など起こってないってことだ
んでお前はこれに対する反論なしで妄想を垂れ流しているだけ
だが、お前は負けたんだよ
0147人間七七四年2013/09/20(金) 10:14:57.82ID:PNWQqgk4
反論するにも一次史料による根拠がなく、
ゲーム脳カルト信長狂信者の立場から、
心情的に受け入れ難いので執拗に粘着して反対意見でゴネてる幼稚園児織田半島人
0148人間七七四年2013/09/20(金) 10:42:21.01ID:DqZOlyEI
>>147
昨日も言わなかったか?
挙証責任は「あった」という側にあるってことを
しかしお前はそれを証明出来ていない
科学的にも完全に否定された
いい加減負けを認めたら?
0149人間七七四年2013/09/20(金) 12:07:15.74ID:xYeGFlCV
>>146
江戸時代以前で噴火の記述で一次史料ソースがあるのは
1108年の上野国壊滅報告もあった公家による記述である中右記
そして同じく公家と宣教師の記述がある武田滅亡の噴火
そして江戸幕府の記録にある1783天明浅間山噴火(この時は京からは視認されてないので小規模噴火だろう)
この3つしかないから。
浅間山の堆積物調査は1108年の上野国壊滅記述を元にしていて、
浅間山東側の調査をしてるだけだから、西側に噴煙が流れた場合はわからんのよ。
んで、3層の噴煙層がある以上、確実な噴火記録と照らし合わせると、
1108年噴火記録と1783年天明噴火記録の層との間に、
もう一層あるので、1108年と1783年の期間にあと一回噴火があるのは確実で、
あとはそれを文献史料で当てはめて確定しなきゃならないわけ。
しかし、1596年の噴火は浅間山によるものとは限らず、岐阜白山や九州の阿蘇山や霧島山の噴火説が並存してる。
特に同年に霧島山が噴火しているのは確定してて、浅間山説は不利。
というのもこの時の噴火では京から見て〜方角の空が赤く光っていたなどの視認が全くされておらず、噴火方角すら全くわからない。
そうなってくると武田滅亡のキッカケの際に噴火記録が存在するなら、
それが1108年噴火地層と1783年噴火地層の間にある噴火地層であるのは間違いないだろう。
なるほど。三層の堆積物が発掘され、それぞれ明確な噴火文献史料を当てはめて年を確定する作業をしていくわけか。
そして1108年と1783年の噴火が一次史料だからそれぞれに当てはめて確定させた結果、あと一層だけ?だったわけだ。
しかし武田滅亡時噴火一次史料を当時は知られていなかった為に、
わからずに霧島山噴火を浅間山噴火なのでは?と疑心暗鬼に当てはめてしまったと。
さらに上野国壊滅記述の調査のため浅間山東側斜面しか発掘してないから風向きによって西側方面の噴煙の方が凄いことになってたらそれはわからないと。
早川氏の研究
北東山麓の1108年スコリアと1783年軽石の間には薄い軽石層(A')が一枚挟まれている.
この軽石の噴火年代は,京都に降灰降毛があった1596年夏あるいはその前後だった可能性がつよい.
1598年に800人が死亡したという『当代記』の記述は信頼できない。
早川氏の書いてるの読むと、そもそも東側斜面と言うより、浅間山東北方面の山麓しか調べてないところと
GoogleMAPを照らし合わせると、東北山麓にあるゴルフ場か牧場の辺りの整地の際にやっただけみたいだなあ。
武田滅亡時の噴火が南西の大分県や京から視認できたことを考慮するに、全く正反対の方を調べただけなんだな。
それじゃ噴火威力を正確には出せ無いな。
少なくとも天明の噴火は、京から視認されてないから、1783年の噴火よりも武田滅亡時噴火は威力が高かったのは確かだろうね
早川由紀夫氏 1598年に800人が死亡したという『当代記』の記述は信頼できないと否定。
地層調査において1108年噴火記録と1783年天明噴火記録の層との間に、
もう一層あるので、1108年と1783年の期間にあと一回噴火があるのは確実
三層か。すると当代記の慶長噴火記録は天正10年の内容だったが、後世の伝聞で年代誤伝があった可能性が高いな。
早川由紀夫氏の引用文献一覧を覗くと、 完全に天正10年の浅間山噴火記録が書かれる
晴豊公記や多聞院日記や立入左京亮入道隆佐記や蓮成院日記やフロイスの日本史の記述があるのを明らかに知らないで書いてる。
0150人間七七四年2013/09/20(金) 12:07:47.65ID:xYeGFlCV
>>148

木曾から援軍要請が来ても武田領へ侵入出来なかった織田軍の噴火日から侵攻開始。
北条氏政が16日付け書状で八王子城へ向けて、甲斐の情報が全く入ってこなくなったと情報途絶を報じる。
19日に勝頼夫人が武田八幡宮に対して、 勝頼に罪がないのにと天意に対して抗議しているが、天意とはまさに天変地異のこと。
織田軍を迎撃すべく出陣してきた武田軍が、全く戦わず撤退したどころか謎の瓦解。
援軍を出し始めた同盟国越後上杉氏にも逃げられる浅間山のある真田領へ勝頼は逃げず、なぜか小山田領に逃げる謎。
>>956のような甲斐で一番浅間山に近い場所にわざわざ集まり僧たちが人身御供とも言われる観音様に祈りを執行する。
浅間山噴火が武田滅亡の怪異とか噂されちゃ士気なんてダダ下がりだろう。 ましてや大分県まで見える超噴火じゃ戦ってる場合じゃないだろ。
浅間山噴火について丸島和洋氏は、晴豊公記の東方に厚い雲が垂れ込め、空が赤く染まる様子や、
多聞院の浅間山噴火が甲斐信濃敗北の怪異という話を列挙し、 武田勢の士気に大きな影響を与えたことは想像に難くないと評している。
フロイスの日本史にも東方が非常に明るく恐ろしいばかりに赤く染まっていた現象が、
豊後からも同様に観測されていたことがわかったと書いてるじゃん。 当時の宗麟が宣教師を大分県で保護していたから教会があった。

2/14 浅間山噴火し、空が真っ赤になり、京の空から雪とは異なるものが降って来て、大気圧変化のためか和仁親王が体調を壊す。
2/16 五の宮やひめ宮も相次いで体調を崩されていたことから、この日の夜に病退散のために方違が行われた
(陰陽道における方忌みのこと。浅間山噴火方面からの忌の流入を避けるため)
3/2 織田軍が甲州之衆と戦い100討ち取る(織田の武田攻めの戦果はたったこれだけ。のちに信忠は高遠城に勝頼もいて苦戦したと大ウソを吐く)
3/11 村井が吉田へ御運によって武田侵攻がうまくいったと主張した(織田の実力といわないのは噴火によるラッキーだから。
信長公記でも信長が死んだ天意を棚に上げてw武田の悪政とか因果とか書いて勝頼が天意の罰で滅びたように書くなど、
天意の報復は悪政が呼び込んだ惨事のように他力本願的勝利を匂わす)
しかし吉田は二条御所で俺や公家たちが信長のために千返之御楽で祈祷したからだと対立(噴火は祈祷力!!!天皇すげぇー!)
3/12 多聞院が天候不良と先頃の光物の影響で不安感を募らせる(浅間山噴火とその影響で穀物の不作など先行き不安がる)
3/15 正親町天皇が庭上之作法をやってたらなぜか雨が止んだ。天道之感応奇特だわ〜と公家達か感嘆した(濃尾之暦者って馬鹿じゃんw最近の天皇力すげぇな!)      
3/23 穴山信君が裏切った理由って金子2000枚で買収されたんだってよ!などと多聞院が記録する(噴火で甲斐はどんだけ貧乏な生活に堕ちてるんだよw)
また最近の大風霰飛火逆雨の天候状況は天皇の祈祷力で信長の敵国の神を吹っ飛ばしたからだ(浅間山噴火による飛火や粉塵で日照も良くないようだ。こりゃ甲斐一揆くるな!)
まぁ戦後にはまたその神々も勧請してやろうが、まぁこれできるのは神力だけで、人の力じゃできない技だと書く(もうキチガイ信長と天皇どっち選ぶか決意しろや!)
多聞院の記述には断片的に浅間山噴火後の被害が書かれていて、その被害の大きさから先行きを不安がっている。
0151人間七七四年2013/09/20(金) 12:10:57.92ID:xYeGFlCV
>>144
お前の主張する地質学自体が妄想だけで作られているじゃねーかw
以下のお前の主張が浅間山噴火否定の論拠だったが
それがいったいどこに書かれている内容なのかまっちゃく明示せず
回答から逃げ回っているだけだろw

あの〜そろそろ織田厨くんにか下記の解説をしてくれませんかね?
たしか織田厨くんは「500年程度の炭素年代測定なら1年刻みで余裕でわかることくらい覚えておけ低学歴無知が」
などと大見得を切っていましたよねw
それで私は下記の噴火の年をどう測定して確定させたのか説明を要求しましたよね。
1644年 2月(正保元年)噴火。
1645年 2月,5月(正保2年)噴火。
1647年 2月,3月(正保4年)噴火。
1648年 3月(慶安元年)噴火:1m以上の積雪を融解,追分駅を流失,夏にも噴火。
1649年 (慶安2年)噴火。
1651年 (慶安4年)噴火。
1652年 (承応元年)噴火:噴石のため山麓焼ける。
1655年 (明暦元年)噴火。
1656年 (明暦2年)噴火。
1657年 (明暦3年)噴火。
1658年 (万治元年)噴火:鳴動。
1659年 (万治2年)噴火:鳴動,降砂。
1660年 (万治3年)噴火。
1661年 (寛文元年)噴火:年間数回。

織田厨くんは「だがは天下の東大様による科学的データまで否定するのかな? 」とも言ってましたのですが、
上記の噴火を証明する科学的データをまだ教えてもらっていませんが、織田厨くんはどこのどのデータをみたのかね?
早川氏のHPを読んでも一切、炭素年代測定なら1年刻みでわかる&東大の科学的データなんて載ってませんがおかしいなぁ???
0152人間七七四年2013/09/20(金) 12:18:25.28ID:aOUNUo2u
1596じゃなくて1582とする科学的根拠はあるのかな?

年輪年代測定すれば14年の誤差はまずない
0153人間七七四年2013/09/20(金) 12:25:19.27ID:PNWQqgk4
信長の敵国を神を噴火で吹っ飛ばしたってのが大風霰飛火逆雨だろ。
もう結論でてるじゃん。
>>152
ププププwww
木材の年輪を調べてどーすんだwww
相変わらず地質学の知識が皆無で無知を晒す織田半島人w
0154人間七七四年2013/09/20(金) 12:31:34.06ID:DqZOlyEI
>>149
分が悪くなってまたコピペか?
だいたいお前が提示したものはそもそも一次史料ではない
奈良にいた連中などが伝聞を元にして書いたものだ
宣教師のものも同時期に起こった阿蘇山噴火での可能性大
何度同じことを言わせれば気がすむんだ?お前は
0155人間七七四年2013/09/20(金) 12:37:03.41ID:DqZOlyEI
>>151
ちゃんと論文読んだのか?
そこに1582年大噴火なんて書いてあったか?なかったよね?
地質調査でも1596年噴火の薄い軽石層しかなかった
反論したいなら1582大噴火を主張している地質学の論文出してこいや
0156人間七七四年2013/09/20(金) 12:52:53.84ID:xYeGFlCV
バカバカしいアクロバットな解釈で無理やり阿蘇山と我田引水してアホ過ぎ。
>>154
大分県の日本人信者がなんで阿蘇山の存在を忘れてて気づかないんだよw
本当に阿蘇山噴火が原因だったのなら、普通に考えてあれは山向こうの肥後にある阿蘇山が噴火したからだろうと書くだろw
肥後にあると言っても国境を形成してるのが阿蘇山だから知らないわけがない。
まさか肥後街道や阿蘇神社を知らんこともないだろうし。
豊後府内にまで見える赤さなら、
そもそも阿蘇氏が余りにも超直下過ぎてヤバイを通り越してる。

そもそもフロイスは安土の東方の空が明るくなり、その後に安土城の上まで赤くなってきたと書いていて
豊後でも同様の徴候が観測されていたと書いてるのだから阿蘇山なわけもない。

>>155
>>149>>150>>151
0157人間七七四年2013/09/20(金) 12:57:40.71ID:PNWQqgk4
>>155
不利になるとお前は常に一次史料の根拠が出せないから、
話をすり替える為に、
話の経緯を黙殺して攻撃的にケチやゴネの悪口を書いて、
一次史料の提出から逃げ回ってるよな。
だから同じ話がずっとループを繰り返すだけでキリがない。
いい加減、出せないなら出せないと認めて、
根拠ないけど信長最強でいて欲しい一心からワガママを言って荒らしていましたと謝罪しろや。
0158人間七七四年2013/09/20(金) 13:31:21.54ID:DqZOlyEI
>>156
お前はなぜ空が赤くなるのかまだ理解出来ないのか?
もう一回復習してこい

>>157
ループさせているのはお前だ
あのなあ「なかったこと」の証明はいらないんだよ
それはいわゆる「悪魔の証明」になるから
必要なのは「あったこと」の証明のみ
そして「あったこと」を証明する一次史料も科学的データもない
これはつまり大噴火などなかったということだ
ここまで言ってもまだわからんのか?
0159人間七七四年2013/09/20(金) 14:10:03.32ID:PNWQqgk4
>>158
無かったことを証明する一次史料を出せなんて一言も書いてねーだろ馬鹿か。
それともやはり日本語が通じないのか。
否定したいなら、こちらが出した一次史料を否定できる根拠となる一次史料を出して相殺しろと言っている。
不利になるとお前は常に一次史料の根拠が出せないから、
話をすり替える為に、
話の経緯を黙殺して攻撃的にケチやゴネの悪口を書いて、
一次史料の提出から逃げ回ってるよな。
だから同じ話がずっとループを繰り返すだけでキリがない。
いい加減、出せないなら出せないと認めて、
根拠ないけど信長最強でいて欲しい一心からワガママを言って荒らしていましたと謝罪しろや。
0160人間七七四年2013/09/20(金) 14:26:46.30ID:DqZOlyEI
>>159
だからお前が出したのは一次史料じゃないだろがバカ
伝聞を書いただけのものを一次史料なんて呼ばんわ
つーか1582浅間山大噴火の一次史料自体が存在しない
あるなら出せや

さらに否定の根拠として早川氏などの地質学論文を出したよな?
そこには1582年に大噴火が起こったなど書いてなく堆積物も1596年噴火のものだと書かれている
要するに地質学上全く認められていなんだよ
まさかお前は科学調査まで否定する気じゃないだろな?
0161人間七七四年2013/09/20(金) 14:56:03.68ID:19Ni1VvS
アスペルガーだがの嘘はどこまで続くのか
0162人間七七四年2013/09/20(金) 15:04:56.02ID:YRfKJ5JV
>>153
年輪年代測定もしらない無知無能だがwwww
0163人間七七四年2013/09/20(金) 15:07:28.66ID:YRfKJ5JV
早川先生が495年の噴火を年輪と炭素年代測定で突き止めたって改変スレで紹介してやったのもう忘れたん?
0164人間七七四年2013/09/20(金) 15:11:34.19ID:bFvmNWtD
ひたすら1596年の噴火の史料で1582年に起きたと言い張るだが
言い続けてれば真実になるとでも思ってんだろうか
韓国人みたい やたらチョンチョン言い出すと思ったら…あっ(察し)
0165人間七七四年2013/09/20(金) 15:37:36.90ID:xYeGFlCV
>>160
晴豊公記や多聞院日記やフロイスの日本史という一次史料を
伝聞だから一次史料にならないなんてトンデモ話は聞いたことがないデタラメ吐くな。
それでもなお、否定したいなら、相殺できるだけの根拠ある一次史料を提出せよ。

晴豊公記や多聞院日記や立入左京亮入道隆佐記や蓮成院日記やフロイスの日本史の天正10年の噴火記録を
早川氏はまったく知らず、地質調査の結論として出た三層の噴火地質の真ん中の層がいつの噴火かわからず、
唯一の文献記録として当代記の1596年前後の期間である慶長期噴火を充てつつも、その記録自体が信用できないと書いていて答えを保留している。
>>163
大ウソを吐くな。テキトーにリンクを貼って誤魔化しただけだろ。該当部分がHPのどこに書いてあるのかを問うたら逃亡したくせに。


いつになったら返答から逃亡するための話題変えを兼ねての
根拠ゼロでのケチをつけたり、ゴネるのをやめるんだ?
またループを繰り返すのか?
他人の意見を否定したいなら「思った」ことを書くのではなく、
一次史料の根拠を添えて書け。
0166人間七七四年2013/09/20(金) 15:42:25.56ID:y8ikISSY
そもそも日本に溶岩流が噴き出すような噴火をする火山は存在しないから
浅間山が噴火していたところで死傷者はせいぜい数十人いればいい方(噴火の平均死傷者は数十〜百余り)
噴火で死傷者が大量に発生するのは二次災害を併発した場合のみであり、
結局人的被害に話を戻せば大したことなかったで終わる話を
いつまでも妄想被害で引っ張るだがチョン・・・


あるいは武田軍は数十の死傷者で甚大な被害になるほど数が少なかったのか・・・
0167人間七七四年2013/09/20(金) 15:52:48.43ID:y8ikISSY
おっと、正確ではなかったな
正確には「山体崩壊を除いて溶岩流が噴き出すような噴火をする火山」だな
まあ山体崩壊を引き起こすような噴火なら信濃一帯に火砕流が流れ込んでくるから
仁科とか信廉とか信濃武田勢は全員焼け死んで終わりだな
0168人間七七四年2013/09/20(金) 15:56:01.01ID:DqZOlyEI
>>165
お前の中の一次史料の定義はいったいどうなってるんだ?
誰かから聞いた話を元にしているという意味ではお前がいつもバカにしている戦記と変わらんてことがわからんのか?
トンデモはお前だ

あと科学的にも完全に否定されていることからも伝聞に過ぎないことがわかる
要するに史料価値などないんだよ
少なくとも浅間山大噴火に関してはね
0169人間七七四年2013/09/20(金) 16:03:44.02ID:xYeGFlCV
正親町天皇の祈祷の力で大風霰飛火逆雨が発生し甲斐国の神が流された
と多聞院が書いてるのが、紛れも無く浅間山噴火の恐ろしい惨状を表しているのは間違いない。
0170人間七七四年2013/09/20(金) 16:16:33.40ID:DqZOlyEI
>>169
それのどこが大噴火が起こった証明になるんだよ?
大噴火が起こったらちゃんと起こりましたと書くものだ
例えば1552年の伊豆大島噴火や1579年の白山噴火は記録としてきちんと残っている
それも現地に
こういうのが一次史料というものだ

しかし1582年浅間山大噴火は現地に一切記録なし
織田徳川北条にも記録なし
これはつまり記録に残すほどでもないショボい噴火だったことに他ならない
そして大噴火などなかった科学的裏付けもある
お前はこれに全く反論出来ずに逃げてばかりじゃないか
0171人間七七四年2013/09/20(金) 16:21:17.17ID:w0pKIlu8
浅間山噴火で甲斐一ノ宮である山梨県笛吹市にある浅間神社が流されたとも解釈出来る。
0172人間七七四年2013/09/20(金) 16:24:23.59ID:y8ikISSY
浅間山で発生した最も規模の大きい噴火ですら
甲斐にまで火砕流が流れ込んできたという記録はないぞ
0173人間七七四年2013/09/20(金) 16:43:10.44ID:DqZOlyEI
>>172
そんな火砕流が起きたらまず間違いなく織田軍も全滅だわ
それともだがは織田軍は不死身の軍とでも言いたいのかな?
0174人間七七四年2013/09/20(金) 17:31:26.53ID:19Ni1VvS
アスペルガーだがの専門はオカルト!
0175人間七七四年2013/09/20(金) 17:51:59.04ID:/byZoRYu
まずさ、火山灰は西に飛ばないという科学的常識に何か反論してほしいんだけどな

早川氏も1596噴火が京に降灰をもたらした可能性について「夏だから」という断りを入れてるぞ。
要するに1582年冬の京の灰のような物が降った現象に浅間山は関係ない
0176人間七七四年2013/09/20(金) 18:51:47.89ID:oLtdFsvR
「早川氏は1582噴火を知らないんだ!!!」と大発狂のだが
気象庁HPにも書いてある程度の出来事を浅間山数十年研究してる人が知らないに違いないとほざく

1582噴火は言うほどマイナーでもない、昭和初期の大日本地震史料でもうとっくに知られてる
0177人間七七四年2013/09/20(金) 19:00:05.24ID:oLtdFsvR
で、だがはちゃんと早川氏の論文の引用文献を確認してたのかな?

http://ci.nii.ac.jp/els/110003041134.pdf?id=ART0003502973&;type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1379255480&cp=
これの一番最後のページを見てもらえれば分かるように早川氏は引用文献に「増訂大日本地震史料」を用いている。

つまり「早川先生が1582噴火を知らない」という大前提は崩れた。
0178人間七七四年2013/09/20(金) 19:02:04.87ID:oLtdFsvR
結局自分の知識不足を棚上げした体の良い解釈だったというわけだよ、全部な
0179人間七七四年2013/09/20(金) 19:05:58.87ID:oLtdFsvR
大日本地震史料のソースも貼ってやろう(該当箇所は279ページ)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1070653

早川氏が用いた史料はこれを大本にした増訂版ということになる
0180人間七七四年2013/09/20(金) 19:09:11.69ID:/byZoRYu
まーただがが知ったかぶりしてたのか
0181人間七七四年2013/09/20(金) 19:22:23.11ID:xYeGFlCV
えっぜんぜん違うけど?

増訂 大日本地震史料
著者 武者金吉
出版者 鳴鳳社


大日本地震史料 増訂
著者 文部省震災予防評議会 編
出版者 震災予防協会
0182人間七七四年2013/09/20(金) 19:30:12.97ID:a+/R8Uwk
>>181
おまえさ、サイト開設してそこにまとめて書け。
おまえは言っていることがコロコロ変わるから信用できない。

もう一回言うがサイト開設しろ。話はそれからだ。
0183人間七七四年2013/09/20(金) 19:37:35.29ID:oLtdFsvR
>>181
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1070653の4ページ

本増訂書の編者武者金吉氏
0184人間七七四年2013/09/20(金) 19:40:36.71ID:oLtdFsvR
武者氏は6000以上の史料を集めて「武者史料」とも言われる研究成果を発表した研究会の大家だってさ

さすがに知らなかったね、それは
0185人間七七四年2013/09/20(金) 19:43:09.98ID:/byZoRYu
この流れワロタ
0186人間七七四年2013/09/20(金) 19:46:14.46ID:xYeGFlCV
注釈は大森氏・今村氏・石本氏・田山氏・武者氏の4人。
明らかに武者一人が著作して鳴鳳社から出版しているものと異なる。
0187人間七七四年2013/09/20(金) 19:46:46.24ID:oLtdFsvR
>>183
間違えた。3コマ目の7行目な
0188人間七七四年2013/09/20(金) 19:47:22.56ID:xYeGFlCV
訂正
5人であり武者意外に4人の参加が認められる。
0189人間七七四年2013/09/20(金) 19:55:03.02ID:oLtdFsvR
注釈書いたのが5人で編者は武者金吉一人だってわけだよ、つまりは
0190人間七七四年2013/09/20(金) 20:18:40.79ID:gVeWjqxK
1951年に武者金吉という人が書いた「増訂大日本地震資料」を図書館で見て1582噴火の項目が有れば完全敗北か

連休中にコピー取ってくるから逃げんなよ
0191人間七七四年2013/09/20(金) 20:27:16.46ID:+n4Y5XXo
>>142
そいつはよかった
だがさんのいう史料価値皆無の公記じゃなくて一次史料で「織田が天罰として火山を喧伝した」
コレを証明してね!

>>150
わかったから
他の要因も考えられる軍事行動なんかじゃなくて、作物への被害とか出せって

>>151
さんざっぱらそのurlのトコに聞けって言われてんだろ
コミュ障じゃあるまいし、それぐらいできるだろ

>>156
ならなぜフロイスは「浅間山が噴火を起こしたのだ」と明確に書かない?w
そんな大規模な噴火なら口伝に伝わってる
なので伝わらないわけが無い
まさか浅間山を知らんことも無いだろうし

>>159
信頼に足る史料じゃない、以上
「空が赤くなった」
山火事だよ、その原因
それが証拠に噴火の被害まったく記録ないだろ?
山火事の証拠?燃えたんだよw

>>165
晴豊記
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1371642754/730
0192人間七七四年2013/09/20(金) 20:39:14.01ID:bFvmNWtD
つーか大規模な噴火で武田滅亡したならそんな衝撃的な滅亡は後世に伝わると思います

流れ切るけどもう天正10年には勝頼はどうしようもなかったのかね
完全に詰んでたんだろうか
0193人間七七四年2013/09/20(金) 22:35:12.20ID:a+/R8Uwk
>>192
戦国大名としては詰んでいるが織田に臣従すればまた別の道があったはず
0194人間七七四年2013/09/20(金) 22:39:08.94ID:Cemid4GB
10年の段階じゃ織田側にとっては従属させるメリットが無いんじゃない?
0195人間七七四年2013/09/21(土) 00:08:46.15ID:NE9ebmbI
>>194
戦は金がかかるから合戦しないで甲斐信濃駿河を併合できるならそれにこしたことはない
武田が軍門に降れば上杉も方針を転換せざるを得ないし
徳川に駿河をくれてやる必要もない

当然のことだけど武田の所領は全て召し上げて辺鄙な地へ移封
0196人間七七四年2013/09/21(土) 00:39:27.23ID:8EXDs6/O
>>194
和睦するなら長篠以前じゃなければ無理だった
形勢が決まった時点では突っぱねられるに決まってる
少なくとも徳川は納得せんだろうなあ
0197人間七七四年2013/09/21(土) 00:40:01.56ID:8EXDs6/O
どうみても安価が間違ってるな
>>194じゃなくて>>195だった
0198人間七七四年2013/09/21(土) 00:50:38.28ID:NE9ebmbI
>>196
別に自分の考えにこだわるつもりは無いからここで手を引くよ
あとよろ
0199人間七七四年2013/09/21(土) 12:10:07.49ID:Sg0pBci2
大日本地震史料 増訂を読めば
文部省と大森氏・今村氏・石本氏・田山氏・武者氏おいう錚々たるメンバーが
浅間山噴火を支持してるのは確定的じゃねぇかw
0200人間七七四年2013/09/21(土) 12:25:01.28ID:8uNVorS0
浅間山がちょっと噴火しただけで
武田軍数万が甚大な被害を被るという非現実的な
シュミレーションをしてまで詭弁を垂れるだがチョン・・・


火山灰が舞いあがった程度じゃ死者が存在したかも怪しいな
0201人間七七四年2013/09/21(土) 12:42:37.49ID:Sg0pBci2
大風霰飛火逆雨って表現が尋常な表現じゃないのもわからんのか?
非常事態の最上級だろが。
0202人間七七四年2013/09/21(土) 14:01:26.17ID:L9XItWdU
天変地異そのものが起きて甲斐一ノ宮が流された。
0203人間七七四年2013/09/21(土) 14:14:31.48ID:0q8jsvmW
>>201
その多聞院日記の記述は3月なんだけど旧暦で1月14日の噴火と何か関連でも?

そもそもさぁ、それって最近大風・霞・飛火・逆雨などの異変が多発してるって記述であって
浅間山の噴火が凄いって記事じゃないからな
0204人間七七四年2013/09/21(土) 14:54:44.68ID:L9XItWdU
>>203
信長の敵国の神を流したって明らかに甲斐国の神を天変地異の力で流したって意味だろが。
0205人間七七四年2013/09/21(土) 15:00:51.31ID:T2P0RQvu
それだと普通に考えて、
山梨県笛吹市に溶岩が飛び散り宮が流されたって解釈しか出来ないね。
0206人間七七四年2013/09/21(土) 15:05:17.72ID:6RBqEfoo
憶測はいいからそこまで溶岩来たって書いてある一次資料出せって何度言ったら分かるの?

どれもこれもこじつけばかりて論ずるに値しない
0207人間七七四年2013/09/21(土) 15:18:55.85ID:T2P0RQvu
>>206
憶測でケチをつけてないで、
否定にたる一次史料を出してください。
あなたはいまだに一度たりとも一次史料を出すことなく、逃げ続けてますよ。
いくら証拠を出してもあなたはゲーム脳で信長最強!思考に基づいて意地でも認めない態度で基地外丸出しだね!
どうせまた誤魔化して、一次史料提出から逃げ回るために逆切れして生産的、協調的意見ではなく、攻撃的ゴネケチレスで話をすり替えて主客転倒を謀るつもりなのはバレバレなんですけどね。
0208人間七七四年2013/09/21(土) 15:24:30.25ID:6RBqEfoo
詭弁はいいんだよ、今まで知られてない真実を知らしめたいなら一次資料を提示すべきなのはお前
0209人間七七四年2013/09/21(土) 15:35:08.46ID:0q8jsvmW
>>204
え?まさかそんな「朝廷が信長の敵国の神を流した」みたいな奈良から動かない
多聞院のオカルト解釈だけで1582噴火の規模を計ろうとしてるの?

そもそも多聞院日記は3月頃に武田が敗れたから浅間山の噴火があったと勘違いしてるようなんだけど
0210人間七七四年2013/09/21(土) 15:35:35.43ID:zAdsFq8D
一次史料なら「天赤く」「雪ことことしき」で終わりだから大したことないで終了だし
大風霰飛火逆雨もただの気象現象にすぎんから人が死んだとは言えんしな
0211人間七七四年2013/09/21(土) 15:54:56.74ID:Sg0pBci2
もう諦めろよw
文部省と大森氏・今村氏・石本氏・田山氏・武者氏おいう錚々たるメンバーが
浅間山噴火を認めてる事実は変わらんからw
武田側がたった100人しか討ち取られてない程度で滅亡とか
明らかに組織的抵抗が不可能になってた理由に解答が出せるのは甲斐滅亡の怪異と噂された
噴火による非常事態のよるものしかありえない。
0212人間七七四年2013/09/21(土) 16:03:13.74ID:0q8jsvmW
>>211
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1070653(279コマ)
天正十年一月十四日(1582年2月6日) 浅間山噴火ス

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1070653(299コマ)
慶長元年4月4日(1596年5月1日)ヨリ八日ニ至ルマデ浅間山噴火、八日噴石ノタメ多クノ死者ヲ生ゼリ


どう見ても具体的な記述が残ってて5日間続いた1596噴火の方が規模が大きそうなんだけどどう思う?
早川氏もちゃんと読んだ上で1596噴火の研究をしたと思うけど。
0213人間七七四年2013/09/21(土) 16:10:33.07ID:6RBqEfoo
噴火を認めるってそりゃ「あったらしい」ぐらいには書いてるけど
規模に対する言及はおろか死者が出たとすら一言も書いてないじゃん
0214人間七七四年2013/09/21(土) 16:21:03.05ID:qn1RhMsr
>>211
誰も噴火が起こったこと自体は否定していないだろ?
焦点になっているのはだが理論の「大噴火」が起こったかどうかだ
しかしながら大噴火が起こったとする史料もなければ地質調査でも痕跡すらない
要するにお前のいう「大噴火」などなかったということだ

仮に武田軍が噴火が原因で崩壊したとするなら
現地の記録にも残らないようなショボい噴火で逃亡するような臆病で腐った連中ばかりだったと言える
0215人間七七四年2013/09/21(土) 17:18:17.02ID:F78P10kl
骨のある奴は仁科と共に全滅したか
0216人間七七四年2013/09/21(土) 17:31:10.89ID:8EXDs6/O
その意味で骨のある仁科を先頭に立ってブチ倒した信忠は有能って事か?
0217人間七七四年2013/09/21(土) 18:03:51.60ID:AUa5xAeW
兵力差50倍でもって圧倒的に数が物をいう城外戦で織田信家を殺され
最低で見積もっても4時間以上かかってる時点で有能とはいわん。
普通なら20分くらいでカタがついていい戦だしな
0218人間七七四年2013/09/21(土) 18:08:21.33ID:44fGLMD/
結局噴火による被害状況の文献記録はあるの?
大噴火なら多少なりとも残っていると思うが、無いんだとしたら「噴火したね」「そうだね」程度のものだったって事になるんじゃ?
0219人間七七四年2013/09/21(土) 19:17:10.23ID:ftvBuPVi
>>217
何故奮戦した仁科・武田兵が強いと解釈されないのか
0220人間七七四年2013/09/21(土) 19:49:31.11ID:Meip26/Y
>>217
笑わすなww
小学生並みの妄想力だな。もうちょい普通に状況考えてみな
0221人間七七四年2013/09/21(土) 21:25:42.43ID:ag8bvkal
>>219

そりゃ状況もろくに考慮できないアホ織田厨がスレで暴れまわってるからでしょ。

>>220
 
はぁ? 何言ってんの?

 馬鹿????
0222人間七七四年2013/09/21(土) 21:56:32.11ID:GPlW8Nyk
たった百人で籠城してた高遠城があまりに激しく抵抗したから勝頼がいると思い込んだ信忠www
0223人間七七四年2013/09/21(土) 22:52:13.35ID:XLwB5emQ
っていうかだがってyaikomae大先生だよね。
武田厨で一次史料を求められると詭弁で逃げまわるところが全く同じ。
0224人間七七四年2013/09/21(土) 23:31:36.36ID:Wij/UIKJ
>>218
あれば嬉々としてだががもってきてる

>>222
何のために城という防御施設を大枚はたいて作ってると思ってんだよ
野田ってちっぽけな城に二万五千もの兵で一ヶ月手こずるようにだろうが
0225人間七七四年2013/09/21(土) 23:57:07.85ID:ag8bvkal
高遠城は最初から持久戦狙いで篭城ではなく最初から後詰なし勝ち目なしで華々しく散る事を選んで
野外に討ってでたから実質的に野戦。
兵力比50倍程度で野戦なら2時間どころか10分くらいでカタがついていいはず。
それが最低4時間戦われ信家をぶち殺されたのが信忠。
0226人間七七四年2013/09/21(土) 23:57:47.43ID:J0JjR/9T
フロイス日本史に浅間山噴火を、
デウスが起こした信長の反省を促すための驚くべき兆候と恐るべき不思議なことと書いてある。
この噴火による徴候による恐怖から、
哀れな信長がデウスを天地の絶対主として認めることができるようにするために起こしたが、
増長していた信長が陥っている闇があまりにも根深く、
これ程の光も彼に悟りの目を開かせることが出来ずに破滅したと書いてる。

浅間山噴火はデウスの実力を示すと思わせるレベルの破壊力と強い光だったのがわかる。
0227人間七七四年2013/09/22(日) 00:05:51.12ID:+VdxgB7D
面白いね。
公記は天罰
朝廷は神威
教会はデウスの力

それぞれの立場から浅間山噴火を表現してるんだなぁと。
他の大名が滅びる時とは全く違う異質な自然現象が起きてるんだね。
そしてそれが信長破滅と密接に関わるのだから異質中の異質。
0228人間七七四年2013/09/22(日) 00:20:22.63ID:4ROzM0kt
オカルト板にでも書いとけ
0229人間七七四年2013/09/22(日) 00:27:10.52ID:/geYd4Xc
実際は現地の記録にも残らないようなショボい噴火だったわけで
んでそのショボい噴火に腰が抜けた武田軍は逃亡者続出で呆気なく崩壊
さすがの信長もこんな超ヘタレとは思っていなかったろうな
あまりのヘタレぶりに別の意味で腰が抜けたかも
0230人間七七四年2013/09/22(日) 00:39:26.19ID:8vZ5zjTn
天罰で怒りで神威なのに被害報告一切なし
火山灰もなし
火砕流もなし

よっぽど武田の悪政が嫌われたんだなw
0231人間七七四年2013/09/22(日) 07:57:25.30ID:U6jXY2PT
何故かだがは武田が強いじゃなくて織田が弱いと言う思い込みをしたがってるな
織田が弱ければ弱いほどそれに滅ぼされた武田が惨めだというのに気がつかないアホな奴w
0232人間七七四年2013/09/22(日) 09:37:35.56ID:z+10w9ZX
>>227
そんなものを根拠に武田滅亡の怪異って話が広まったら士気なんて維持できんね。
みんな逃亡した高遠に残った100人も仁科盛信の直属小姓だけだったんだろう。
それで織田信家を討ち取り、
驚いた信忠が勝頼本隊がいるに違いないとビビったのだろう。
敵を恐るあまり大軍に見えた臆病者が信忠。
0233人間七七四年2013/09/22(日) 10:11:51.23ID:8vZ5zjTn
だろう、だろう、だろう
0234人間七七四年2013/09/22(日) 11:55:34.05ID:DNEgyVLA
願望の妄想史実、いただきました
0235人間七七四年2013/09/22(日) 12:01:11.77ID:88K8nGjn
木曾から援軍要請が来ても武田領へ侵入出来なかった織田軍の噴火日から侵攻開始。
北条氏政が16日付け書状で八王子城へ向けて、甲斐の情報が全く入ってこなくなったと情報途絶を報じる。
19日に勝頼夫人が武田八幡宮に対して、 勝頼に罪がないのにと天意に対して抗議しているが、天意とはまさに天変地異のこと。
織田軍を迎撃すべく出陣してきた武田軍が、全く戦わず撤退したどころか謎の瓦解。
援軍を出し始めた同盟国越後上杉氏にも逃げられる浅間山のある真田領へ勝頼は逃げず、なぜか小山田領に逃げる謎。
甲斐で一番浅間山に近い場所にわざわざ集まり僧たちが人身御供とも言われる観音様に祈りを執行する。
浅間山噴火について丸島和洋氏は、晴豊公記の東方に厚い雲が垂れ込め、空が赤く染まる様子や、
多聞院の浅間山噴火が甲斐信濃敗北の怪異という話を列挙し、 武田勢の士気に大きな影響を与えたことは想像に難くないと評している。
信長の敵国の神を流したって甲斐市一ノ宮を指し、山梨県笛吹市に溶岩が飛び散り宮が流されたって解釈しか出来ないね
塩山向獄禅庵小年代記 天正10年3月
開山徳和之観音堂へ各僧衆御伴申三日三夜奉移と書かれている。
徳和之観音堂とは三富村(旧山梨県東山梨郡)の観音堂で三日三晩の御祈祷をして下山したそうだ。
これは重大な意味を持つ。この村の位置はまさに甲斐・信濃・上野との県境にある。
そして浅間山からも近い。なぜこのタイミングでここに各々の僧が衆を伴って
3日間の山篭りをして祈祷しているのか(山梨県笛吹市の北に位置する事実)
察するに2月中は噴火の影響で近づくことができず、噴火被害者を弔うことができなかったが、
ようやく混乱が落ち着いてきた3月になり、浅間山を望むことができる山上へ登った
各地から僧に伴われた遺族達が被害者を観音様に見立てて鎮魂し、浅間山の荒ぶる神を沈める祈祷をしているのだ。

2/14 浅間山噴火し、空が真っ赤になり、京の空から雪とは異なるものが降って来て、大気圧変化のためか和仁親王が体調を壊す。
2/16 五の宮やひめ宮も相次いで体調を崩されていたことから、この日の夜に病退散のために方違が行われた
(陰陽道における方忌みのこと。浅間山噴火方面からの忌の流入を避けるため)
3/2 織田軍が甲州之衆と戦い100討ち取る(織田の武田攻めの戦果はたったこれだけ。のちに信忠は高遠城に勝頼もいて苦戦したと大ウソを吐く)
3/11 村井が吉田へ御運によって武田侵攻がうまくいったと主張した(織田の実力といわないのは噴火によるラッキーだから。
信長公記でも信長が死んだ天意を棚に上げてw武田の悪政とか因果とか書いて勝頼が天意の罰で滅びたように書くなど、
天意の報復は悪政が呼び込んだ惨事のように他力本願的勝利を匂わす)
しかし吉田は二条御所で俺や公家たちが信長のために千返之御楽で祈祷したからだと対立(噴火は祈祷力!!!天皇すげぇー!)
3/12 多聞院が天候不良と先頃の光物の影響で不安感を募らせる(浅間山噴火とその影響で穀物の不作など先行き不安がる)
3/15 正親町天皇が庭上之作法をやってたらなぜか雨が止んだ。天道之感応奇特だわ〜と公家達か感嘆した(濃尾之暦者って馬鹿じゃんw最近の天皇力すげぇな!)      
3/23 穴山信君が裏切った理由って金子2000枚で買収されたんだってよ!などと多聞院が記録する(噴火で甲斐はどんだけ貧乏な生活に堕ちてるんだよw)
また最近の大風霰飛火逆雨の天候状況は天皇の祈祷力で信長の敵国の神を吹っ飛ばしたからだ(浅間山噴火による飛火や粉塵で日照も良くないようだ。こりゃ甲斐一揆くるな!)
まぁ戦後にはまたその神々も勧請してやろうが、まぁこれできるのは神力だけで、人の力じゃできない技だと書く(もうキチガイ信長と天皇どっち選ぶか決意しろや!)
多聞院の記述には断片的に浅間山噴火後の被害が書かれていて、その被害の大きさから先行きを不安がっている。
0236人間七七四年2013/09/22(日) 12:02:16.53ID:88K8nGjn
傍証としてさらに二次資料の信長公記から補填してさらに自説の追加補強
織田軍は遠陣だから兵糧が足りなくならないように わざわざ兵力調整してたのに すぐ軍を解体して逃げるようにして
速攻で甲斐から領国へ帰ったの? なんで甲斐で一揆がおきたの?
当時の甲斐はあきらかに食料不足だよね。これ火山の被害じゃないの?
3/20に木曽や穴山に会い、23日に滝川に関東行きを命じた信長だったが、
兵糧に困窮した織田軍は占領した深志城(松本)の兵糧を
3/24に分配するほど追い詰められてる。
3/26には馬の飼料を北条から貰うほど困窮。
3/28には信忠も甲斐から諏訪へ逃亡。
それですら、人があまりにも寒くて多く死んでいったから、
29日には開陣して諸将はいそいで帰国。 なんで大量に死んでるのかなぁ?
噴火被害で荒廃した甲斐で馬の飼料どころか一切の食料が手に入らず、よって体の熱量不足になり、
おまけに噴煙の影響で天候はボロボロ(3月末なんて5月上旬だし)
もう甲斐から逃亡するしかなくなったからだよね。 そして荒廃した甲斐ではついに一揆が起きて川尻が殺される。
0237人間七七四年2013/09/22(日) 12:39:23.77ID:8vZ5zjTn
困ってコピペ
0238人間七七四年2013/09/22(日) 12:45:01.22ID:88K8nGjn
えっ?w
被害記録出せって言うからテンプレをレスしただけじゃん。
いつも困ってテンプレをコピペだと言い換えて
コピペは無視!と自演連呼して
逃げ回ってるのが織田厨だしw
0239人間七七四年2013/09/22(日) 12:47:27.41ID:4ROzM0kt
噴火の規模も死者も何一つ示せない無価値な推測推論コピペをいくら貼ってもどうしようもないぞ

ほんの数行でも書いてある一次資料を出せればこんな冗長なコピペは最初から要らない
0240人間七七四年2013/09/22(日) 12:50:13.70ID:88K8nGjn
大風霰飛火逆雨と書くほどの大被害だし、
公記は天罰 朝廷は神威 教会はデウスの力
などとすごい極限表現までしてるのに被害ないとかありえんわwww
0241人間七七四年2013/09/22(日) 12:52:58.10ID:/geYd4Xc
食料不足が噴火のためというのが何の根拠もないだがの決めつけ
勝頼が新府城建設のため重税かけた結果かも知れないし旱魃や水害の影響かも知れない
詳細は全く不明
全てだがの勝手な妄想に過ぎない
それこそ大噴火が原因で大不作になったときちんと書いてある一次史料を出さないとな
0242人間七七四年2013/09/22(日) 13:12:09.05ID:8vZ5zjTn
公記は当てにならんのだろ?
捏造資料なんだろ?
だがさんに怒られるぞw
否定するなら一次史料!!!ってバカみたいに連呼してんだから、当然主張も一次でとかなんとかな
あ、馬鹿みたいにって、馬鹿か
0243人間七七四年2013/09/22(日) 14:07:28.26ID:z+10w9ZX
武田崩れの理由が浅間山噴火が原因なのは間違いないな。
信長は破綻的災害に乗じて火事場泥棒した卑怯者。
0244人間七七四年2013/09/22(日) 14:10:55.88ID:cZH9k4Hw
小噴火にかこつけて仁が尽きたと言い訳して
他国衆から譜代までほいほい寝返った武田家臣団


勝頼は仁よりもむしろ人徳がなかったね
0245人間七七四年2013/09/22(日) 14:43:41.95ID:RM3A6/Qr
織田厨って何で他人の意見を根拠なく、
貶したり、ケチつけたり、ゴネたり、荒らししてんの?
一度たりとも否定の根拠になる一次史料を出したことなく逃亡を繰り返してるだけだよね。
自演で多数派工作してむちゃくちゃ必死だよね。
0246人間七七四年2013/09/22(日) 15:40:59.65ID:/geYd4Xc
だから武田軍はショボい噴火にビビって逃亡者続出の腰抜けばかりだったと言いたいわけだろ?だがは
0247人間七七四年2013/09/22(日) 18:29:43.06ID:4ROzM0kt
時にだがさんよ、質問があるんだがフロイス日本史における「方が非常に明るく恐ろしいばかりに赤く染まっていた現象」の日付はいつだ?

文部省と大森氏・今村氏・石本氏・田山氏・武者氏おいう錚々たるメンバーが浅間山噴火があったと認めるのは天正十年正月十四日(1582年2月16日)だったよな?
これを出典とするからには当然日付に大幅なズレがあった場合は浅間山噴火とのこじつけは認められないぞ。
0248人間七七四年2013/09/22(日) 22:31:36.00ID:d02JPPS2
公記は天罰 朝廷は神威 教会はデウスの力

こりゃやべぇ。ガチ過ぎだろ。甲斐が非常事態宣言で救助依頼したんじゃねーか?
じゃなきゃ抵抗なしで高遠まで織田軍侵入できねぇだろ。
どーりで話が旨すぎるわけだ。
0249人間七七四年2013/09/22(日) 22:43:01.63ID:4ROzM0kt
どうした?答えられないならお前はただこじつけで話を作ってたホラ吹きだぞ?
0250人間七七四年2013/09/22(日) 23:13:07.47ID:AkHO6f66
赤い光を散々ソースに上げてたのにいつの出来事かは答えられないだがなのであった
0251人間七七四年2013/09/23(月) 08:40:21.00ID:pP07fyS3
天罰だの神威だのデウスの力だの抽象的表現ばっかし
直接的な被害状況を示す史料を出せば一発なのに
0252人間七七四年2013/09/23(月) 12:26:00.27ID:K9TWkO7O
フロイス日本史の「東方が〜」の記述が3月20日、多門院日記の「先段天ノ雲ヤケト見タルハ〜」は3月23日の項目に発見した

要するに大日本史料の記述を持ち出すなら2ヶ月も後のこの出来事とこじつけるのは無理。
だがは改めて3月にも浅間山噴火があった事を記す一次史料を提示すべき。
0253人間七七四年2013/09/23(月) 12:43:48.12ID:K9TWkO7O
立入左京亮入道道隆佐記もチェック

「天正十年二月十四日夜。従北方赤雲天下ヲヲイ」の記述はあるも浅間山の浅の字もない。(そもそも方角もあってない)


まさかこんな曖昧なものを噴火の出典として紹介してたの?冗談だよね?
0254人間七七四年2013/09/23(月) 13:34:07.67ID:K9TWkO7O
ちなみに武者金吉氏が1951年に書いた大日本地震史料も読んだが1582噴火はちゃんとあった

天正10年(1582年)1月14日にな
0255人間七七四年2013/09/23(月) 15:04:32.97ID:vkF1qmF4
晴豊記 2/14  浅間山噴火し、空が真っ赤になり、京の空から雪とは異なるものが降って来て、大気圧変化のためか和仁親王が体調を壊す。
兼見卿記 2/14 この日の夜に和仁親王が体調を崩す。

晴豊記 2/16  五の宮やひめ宮も相次いで体調を崩されていたことから、この日の夜に病退散のために方違が行われた。
       (陰陽道における方忌みのこと。浅間山噴火方面からの忌の流入を避けるため)

フロイス日本史 3/8 豊後からの報告とも照らし合わせて、信長出陣前に起きた浅間山噴火をデウスの示し給うた現象だったのだろうと書く。

兼見卿記 3/11 村井が吉田へ御運によって武田侵攻がうまくいったと主張した(織田の実力といわないのは噴火によるラッキーだから。
        信長公記でも信長が死んだ天意を棚に上げてw武田の悪政とか因果とか書いて勝頼が天意の罰で滅びたように書くなど、
        天意の報復は悪政が呼び込んだ惨事のように他力本願的勝利を匂わす)
        しかし吉田は二条御所で俺や公家たちが信長のために千返之御楽で祈祷したからだと対立(噴火は祈祷力!!!天皇すげぇー!)

多聞院 3/12 多聞院が天候不良と先頃の「光物」の影響で不安感を募らせる(浅間山噴火とその影響で穀物の不作など先行き不安がる)

多聞院 3/23 穴山信君が裏切った理由って金子2000枚で買収されたんだってよ!(噴火で甲斐はどんだけ貧乏な生活に堕ちてるんだよw)
       最近の「大風霰飛火逆雨」の天候状況は天皇の祈祷力で信長の敵国の神を吹っ飛ばしたから(浅間山噴火による飛火や粉塵で日照も良くないようだ。こりゃ甲斐一揆くるな!)
       戦後にはまたその神々も勧請してやろうが、まぁこれできるのは神力だけで、人の力じゃできない技だと書く(キチガイ信長と天皇どっち選ぶか決意しろや!)
       多聞院の記述には断片的に浅間山噴火後の被害が書かれていて、その被害の大きさから先行きを不安がっている。


こんな感じだろ。明らかに
公記は天罰 朝廷は神威 教会はデウスの力
上記は同一現象を表現しているだろ。
つか浅間山噴火以外に該当するような事件は他にない。
0256人間七七四年2013/09/23(月) 15:07:48.85ID:K9TWkO7O
多門院日記には2月14日地震とか書かれてるけど

というか晴豊記の噴火の日付お前間違ってるじゃん
0257人間七七四年2013/09/23(月) 15:19:51.99ID:K9TWkO7O
フロイスは城介殿が愛宕の山の悪魔に2500クルザードを支払い、悪魔に対する奉仕の報いを受けるに至ったとか書いてるな。

それがかの悪魔への信心に対するゼウスの怒りなんだそうな、浅間山とか欠片も書いてないから捏造はやめろ
0258人間七七四年2013/09/23(月) 15:25:36.77ID:K9TWkO7O
あと、フロイスは安土の東の空の現象を「二十里も離れれば見られなかったであるうが」と書いてる

豊後の現象とはまた別に起きた事と解釈してるようだけど
0259人間七七四年2013/09/23(月) 15:32:06.60ID:K9TWkO7O
ああ、俺も間違ってたな。フロイスの記述は3月8日だわ、そこは訂正しとく。
0260人間七七四年2013/09/23(月) 15:40:28.28ID:vkF1qmF4
>>258
晴豊記が夜の観測で空が赤く見えたと書いていて
フロイスも夜10時から朝方まで見れたって書いてるのだから
同じ浅間山噴火を表しているし、
豊後から見れたって話も同様の徴候って書いてるんだから
別々のことを言ってるような解釈にはならない。
0261人間七七四年2013/09/23(月) 15:56:43.14ID:vkF1qmF4
>>256
間違ってねぇよ。お前が見てる大日本地震史料が、
なにを勘違いしてるのか一ヶ月ズレた日付けを書いてるだけだ。
浅間山噴火について丸島和洋氏も晴豊公記2/14夜の記事を引用して
東方に厚い雲が垂れ込め、空が赤く染まる様子や、
のちの多聞院の浅間山噴火が甲斐信濃敗北の怪異という話を列挙し、
武田勢の士気に大きな影響を与えたことは想像に難くないと評しているし。
0262人間七七四年2013/09/23(月) 16:38:49.15ID:wZCvgWhs
>>255
フロイスが使ってるのはユリウス暦だから、日本の暦で言うと2月14日。
ttp://maechan.net/kanreki/
0263人間七七四年2013/09/23(月) 16:54:59.72ID:vkF1qmF4
>>253
天正十年二月十四日夜。従北方赤雲天下を覆い、
その色の光明は朱の如し。信長大吉事云々。即3月5日に信州表に御出馬。

たしかに方角はあってないように見えるけど、そもそもこの時に
立入宗継がどこに居たのかわからないよね。観測地点も大問題じゃないかな?
フロイスは安土城の東方と的確な表現をしているよね。
それに「北」って単に方角を指しているだけなのかね?
釈迦が死んだ時に、頭を北向きにして安置された事に由来する北枕など
不吉を予言する際んぽ慣用表現の可能性も捨てきれないよね。
それに2/14で、やはりここにも夜の出来事と書いている。
光明ってのは、のちに多聞院も「光物」と表現してる事象と共通項だよね。
なにより信長は浅間山噴火を火事場泥棒する千載一遇のチャンスと捉え
大喜びして即、信長自身の出馬準備してるのがわかるよね。
当然、信濃・美濃国境にいる信忠の侵攻開始が始まったのも理解できる。
0264人間七七四年2013/09/23(月) 17:00:46.50ID:vkF1qmF4
多門院日記の2月14日地震ってのも
こうやって見ていくと浅間山噴火による地震が奈良県までは
少なくとも影響を及ぼしているのがわかるね。
しかも小さな地震ならわざわざ記さないのだから
そこそこの規模の地震が浅間山噴火日に観測されているわけだ。
0265人間七七四年2013/09/23(月) 17:10:06.48ID:qd+FyzNZ
完全否定されたのにまだやってんのか?だがは
0266人間七七四年2013/09/23(月) 17:10:08.09ID:wJIZlc0A
>>263
ちょっと笑えたw
宣教師が酷いゼウスの災厄の起きた方向へ信長が恐れずに進む姿を不思議がっていたが、
こんなところに回答があったとはw
そうか信長は火事場泥棒が出来るから喜んで東に向かってたのかw
宣教師と信長の認識ギャップはここにあったかw
0267人間七七四年2013/09/23(月) 17:28:23.28ID:TZTWCA6t
>>264
わぁ、大変だ!浅間山が原因で奈良まで揺れる大地震が起きたなら震源に近いところは甚大な被害が出てるぞ

必ず徳川や北条の一次資料に大地震があったと残ってるはずだな
0268人間七七四年2013/09/23(月) 17:45:31.42ID:YbR1giN2
麓も何事もないショボい噴火で士気がガタ落ちして逃亡寝返りを繰り返した腑抜け武田で結論は出てるじゃん
0269人間七七四年2013/09/23(月) 17:55:36.37ID:fNrE+mY4
>>267
そこまで酷けりゃ関東・北陸・東海はもちろん、東北にも少なくとも影響を及ぼしてるはずだから、
徳川・北条・上杉・佐竹他諸々の記録に何かしら残されているだろうな
0270人間七七四年2013/09/23(月) 17:56:11.59ID:qd+FyzNZ
群馬から奈良まで揺れが届くとなると東日本大震災を超える日本史上最大級の超巨大地震が起こったことになるな
んで超巨大地震が起こったという一次史料なり科学的データは?
0271人間七七四年2013/09/23(月) 18:23:46.47ID:fNrE+mY4
そろそろ「織田厨発狂して単発自演連発でワロタ」とか言って誤魔化そうとする頃?
0272人間七七四年2013/09/23(月) 19:20:39.34ID:vkF1qmF4
同じ2/14の出来事なんだから
いくら織田厨が自演して騒ごうが否定できないけどなw
0273人間七七四年2013/09/23(月) 19:33:28.04ID:xgB6m0IR
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1376726840/

さっさと一次史料持ってこいだがチョン
0274人間七七四年2013/09/23(月) 19:42:53.19ID:TZTWCA6t
あとは規模を示すだけだな、頑張れだがさん

ちなみに浅間山から笛吹市まで溶岩が届くには小諸や佐久はもう完全に飲み込まれてるから未曽有の大災害だろうな
0275人間七七四年2013/09/23(月) 20:07:50.53ID:dBcM3J//
なら鳥居峠の惨敗から軍団立て直すべく諏訪から落ち延びて小諸に
帰ったハズの後典厩は本当はいったいどこに消えたんだ?

神隠しじゃー神隠しじゃー
0276人間七七四年2013/09/23(月) 21:00:00.00ID:GaWljAT8
なるほど。興福寺の多聞院の記述からして、
浅間山噴火大地震で甲斐は崩壊してた可能性は非常に高いな。
0277人間七七四年2013/09/23(月) 21:03:41.04ID:dBcM3J//
領内崩壊して今年食う米も無いけど河尻秀隆嬲り殺す元気はあった
0278人間七七四年2013/09/23(月) 21:20:37.26ID:wZCvgWhs
そしてなぜか北条も徳川もそこを攻め取りに来た、とw
特に北条は、甲斐にではなく、なぜかわざわざ(だがによれば大噴火で)混乱していたはずの上野を通って信濃に侵攻しているというwww
0279人間七七四年2013/09/23(月) 21:24:41.58ID:8h/+KVAS
なるほど、浅間山に近い小諸とかは何事もなく滝川一益が接収して割りと離れた甲斐はなぜか壊滅したんだな
0280人間七七四年2013/09/23(月) 21:25:58.82ID:xgB6m0IR
河尻が甲斐には行った時は甲斐の人間は浅間山噴火で崩壊していたらしいから
河尻は甲斐の民衆の亡霊に殺されたんだろう
なんともオカルトな話だな
0281人間七七四年2013/09/23(月) 21:30:11.73ID:TZTWCA6t
浅間山と甲斐って結構遠いぞ
0282人間七七四年2013/09/23(月) 22:33:55.39ID:qd+FyzNZ
>>276
甲斐どころか越後や下野や下手すれば美濃辺りまで滅茶苦茶になっているわ
だが理論だとたぶんスマトラ沖地震級の超巨大地震が起こったみたいだから
今の自衛隊でさえなかなか大震災が起こったあとの被災地に行けないのにな
織田軍の能力は自衛隊を明らかに超えている
0283人間七七四年2013/09/23(月) 22:46:18.46ID:dBcM3J//
これが本当の戦国>自衛隊
0284人間七七四年2013/09/23(月) 22:47:20.13ID:fNrE+mY4
だがさんは次にどんな説を出してくるのだろうか
0285人間七七四年2013/09/23(月) 23:20:23.66ID:YgXYYcoS
哀れ織田厨。
泣きながら自演三昧
0286人間七七四年2013/09/23(月) 23:35:19.42ID:fNrE+mY4
この被害予想を否定はしないのかい?だがさん
0287人間七七四年2013/09/23(月) 23:45:18.37ID:UCmnRW1A
当然津波も酷いんだろうなあ
徳川領から越前越後のあたりは津波で行軍どころじゃないだろう
城も潰れてるだろうし
あれ、でも作りかけの新府城に逃げようとしたんだっけ
凄いなあ武田の土木技術
あれあれ?
でもそれだと徳川織田が攻勢に出れる理由がないな
世界七不思議だ
0288人間七七四年2013/09/24(火) 00:30:41.44ID:Yo8L62Cv
一つ嘘をつくといくつも嘘をつかなきゃいけない例を目の当たりにしたという感想しか浮かばないな
0289人間七七四年2013/09/24(火) 00:30:47.09ID:bxfOx+BS
スマトラ沖級の大震災なら当然道路はいたるところで寸断されているだろうし普通なら移動もままならないはず
しかしその中を進軍した織田軍
おそらく織田軍は輸送ヘリを何千機も持っていたに違いない
だが理論は時空を超えた
0290人間七七四年2013/09/24(火) 00:36:28.31ID:Yo8L62Cv
あ、>>288はだがに向けた感想
勘違いさせたらすまない
0291人間七七四年2013/09/24(火) 03:20:47.16ID:UWVhJjrU
夜空の変色現象は近年でも地震雲として頻繁に写真撮られてるし冬場に火山灰は西側に広く飛ばない

やはり具体的な被害報告が欲しいよな。
浅間山が大噴火すると必ず上野に甚大な被害をもたらしてきたし東への降灰が広域で観測できてる。
0292人間七七四年2013/09/24(火) 06:29:40.84ID:wC6Mj3GU
だがの嘘によって武田が哀れなことにしかなっていかんな…
0293人間七七四年2013/09/24(火) 06:53:20.29ID:K+Tr8FyA
同じ年に常陸に灰が降ったらしいよ















信長と光秀が死んだ後に
0294人間七七四年2013/09/24(火) 07:29:36.39ID:ACSzjVn1
もう噴火の件じゃオダチュウオダチュウと泣きわめくしかできないなだがはw
ひたすら連呼するとか韓国人みたいだな
ああ、だから劣等感抱いてオダチュウとかいう仮想敵を在日認定してんのかw
0295人間七七四年2013/09/24(火) 08:33:16.12ID:/udEHmhi
>>291
夜空が赤く変色しても、
浅間山から大分県の長距離を隔てて視認出来るなんてなかなか無いだろ。
>>289
海ない県にある浅間山噴火が起因の大地震による津波って榛名湖かなにかなのかw
せめて日本の地理の勉強くらいやり直せよ朝鮮くんw
0296人間七七四年2013/09/24(火) 09:43:49.10ID:Yg/6gaG6
災害への想像力が欠如している池沼織田朝鮮人
0297人間七七四年2013/09/24(火) 09:44:34.14ID:bxfOx+BS
>>295
夜空が赤っぽくなる現象は近場の地上の光が雲に反射して起こるもの
たぶんかがり火か何かの光が雲に反射して起こったのだろう
浅間山とは全く関係ないしもう少し勉強した方がいいな

ところで織田軍の能力は自衛隊を超えていて大量の輸送ヘリまで持っていたということでいいな?
0298人間七七四年2013/09/24(火) 10:04:33.03ID:fMGrCTTz
スマトラ島の地震雲はなんと日本からもスマトラの方角に見えたらしいぞ、そう珍しいことでもない
0299人間七七四年2013/09/24(火) 10:08:56.51ID:fMGrCTTz
まぁ地震なんて無くても出るけどな、甲斐大震災(仮)を頑張って証明してくれ
0300人間七七四年2013/09/24(火) 11:28:29.26ID:cr3elN0G
>>297
甲斐でのかがり火が、
雲に反射して雪とは異なるものを降らせた挙句に
京の空を真っ赤に覆ったどころか
大分県でも観測され、
しかも地震まで起こしたとかw

織田ゲーム脳ってさすがすごいトンデモ天文科学脳ですねw
0301人間七七四年2013/09/24(火) 12:02:10.56ID:x4HpLGMo
確かに浅間山から甲斐まで届く火砕流とか原爆以上の光のエネルギーとか失笑もんだよな
0302人間七七四年2013/09/24(火) 12:11:17.35ID:XH4nCb+C
>>295
あぁ、やっぱやりやすいところに来た
地震による被害の報告もよろしくw
あ、北条なんか壊滅的被害受けてるはずだからね
文書も調べやすいだろうし
がんばれよw
0303人間七七四年2013/09/24(火) 12:13:13.71ID:XH4nCb+C
>>300
京都のソラが真っ赤になったか
というと京都上空まで火山灰きたかw
すんげえな、関東は壊滅してるぞw
0304人間七七四年2013/09/24(火) 12:17:17.35ID:bxfOx+BS
>>300
どこに甲斐のかがり火と書いてある?
だがは文盲か?
あと織田軍は大量の輸送ヘリを持っていたということでいいな?
0305人間七七四年2013/09/24(火) 13:54:59.73ID:rhS6PzWx
輸送ヘリを持っていても普通のものなら当然浅間山の火山灰に阻まれて
まともに進軍できないだろうから織田軍は現代でも使われているナイトビジョンも装備していた可能性が高いな
蘭丸あたりがタイムスリップして現代でたくさん買い付けにきたのだろう
0306人間七七四年2013/09/24(火) 14:25:18.54ID:XH4nCb+C
維持整備もたいへんだろうなあ
燃料も危険物だし、一歩間違えば京都の屋台みたいに陣中ふっとばすし
あ、案外フロイスの見た空が赤いってこの燃料の爆発じゃね?

江戸幕府の交易品にも油はなかったしなあ、ということは隠し油田か!
織田の埋蔵油田!
しかも精製しなきゃならんし、結構なプラントいるぞ

そんな織田軍を馬で恐怖のどん底に叩き落してたって言うんだから、すごいなあ
サラよりはるかに早く大容量な輸送ヘリ、それをも上回る機動力と輸送力を誇る武田ポニー軍
今もいればなあ、凱旋門賞なんか楽勝だろうに・・・
0307人間七七四年2013/09/24(火) 15:03:10.73ID:x4HpLGMo
ぶっちゃけ天明噴火以上の超噴火あったなら織田軍もUターンだし北条軍なんて復興から始めないと
0308人間七七四年2013/09/24(火) 16:48:50.27ID:cr3elN0G
>>266
他国の大災害を信長は大吉事と喜んで火事場泥をやるために張り切って出陣準備してる辺り
先日の東北大震災でみんなが避難した後に、外国人盗難集団が鉄パイプ装備で家々を荒らしまわって
略奪して回った事件を思い出したわ。
北条早雲が駿河大地震で崩壊した伊豆国を襲撃して
組織的抵抗できない堀越公方から国を奪った時と同様に
武田もほとんど組織的抵抗もできずに災害便乗型強盗武力団に領国を荒らされたのだろう。
0309人間七七四年2013/09/24(火) 17:11:58.05ID:CQ1y2HB6
おまえ馬鹿丸出し
0310人間七七四年2013/09/24(火) 17:20:06.75ID:rhS6PzWx
火砕流が噴き出しまくり二次災害を誘発していた中で織田軍は平然と進軍していたのか
かたや噴火で心身消耗してまともな行動もできなかった武田軍・・・
やはり織田軍>>>>>>>>>武田軍は疑うべくもないなwwww
0311人間七七四年2013/09/24(火) 17:45:01.22ID:XH4nCb+C
なんだ、危急に際して武田軍は民間人レベルの行動しか取れなかったのか
その点、日々万端戦に備え、火砕流がうねり火山灰で視界をさえぎられ、城が崩壊しても進軍した織田軍の精強っぷり・・・
ますます武田が惨めになるなwwww
0312人間七七四年2013/09/24(火) 18:08:28.74ID:bDQpskWn
火砕流に沈んだ小諸や佐久を何事もなく快調に進む織田軍
火山灰や墳石をものともせず上野から進軍する北条軍

余所者が領内を跋扈する中で慌てふためくだけの惰弱武田軍
0313人間七七四年2013/09/24(火) 18:26:50.56ID:9qBtutyY
>>301以降の流れ読んでて腹痛くなったw
0314人間七七四年2013/09/24(火) 18:40:16.28ID:K+Tr8FyA
悲しいかな噴火の規模を盛りすぎるとこういう話になる
0315人間七七四年2013/09/24(火) 20:35:14.34ID:CQ1y2HB6
アスペルガーだがの嘘は歯止めが全く効かないからいつも大フィーバー
0316人間七七四年2013/09/24(火) 23:08:50.73ID:b1E7Uxjj
>>314
豊後から見えた事にする為にはそうするしか無いからな
それを捨てればほんの少しは突っ込みどこも減るだろうに
0317人間七七四年2013/09/25(水) 00:13:25.28ID:W71lLFpD
そもそも豊後から見えたというのが既に矛盾してる
長く滞留する噴煙ならまだしも火砕流が豊後まで見えてるとか日本が破滅する
0318人間七七四年2013/09/25(水) 09:55:35.81ID:RVJo6/1H
そもそも人間の視力でそんなに遠くまで見えるの?
のちに富士山が大噴火した時ときも九州から見えたのかな。

ちなみに前に三宅島の火山が大噴火したときは三重県から見えなかったよ。つうことはあれの何倍もの驚異的な規模だったて事?
0319人間七七四年2013/09/25(水) 10:07:55.00ID:jtlQ1bmi
浅間山の1108年噴火は京から東の空が赤くなったのが見えたらしい

もっともそれと同規模の噴火があったなら上野の畑は悉く火山灰で埋まって壊滅する。
発掘調査でもとっくに証明されてるだろうな。
0320人間七七四年2013/09/25(水) 10:08:35.81ID:RVJo6/1H
>>298
地震雲に吹いたwwおまえ果てしなく馬鹿じゃねえのwwww腹いてえ
0321人間七七四年2013/09/25(水) 10:27:21.12ID:g3wmxI+P
ここまで織田厨は
>>235>>236>>255>>262>>263>>264>>308
を否定できるだけの一次史料を根拠にした反論を
一切やらずに逃げ回る。
織田厨が書いていることはすべて根拠皆無の妄想願望による
相手への悪口中傷・ケチ・ゴネ自演連呼のみ。
0322人間七七四年2013/09/25(水) 10:35:37.87ID:iLEjDHUL
>>321
んでお前は織田軍が大量の輸送ヘリを持っていたという認識でいいんだな?
この質問から逃げ回っているのはどこのどいつだろうね
0323人間七七四年2013/09/25(水) 10:51:25.82ID:gclGGsFi
>>321
で、具体的な被害が書いてある史料はまだですか?
噴火があった!地震があった!だから武田は壊滅したんだ!被害の記録文書は織田に焼き捨てられたんだ!
こういうことっすか?
そんなものすごいモンきてたら織田や徳川や北条の記録どころかあちこちにその被害が伝わってると思うんですけどねぇ?
0324人間七七四年2013/09/25(水) 11:23:47.42ID:g3wmxI+P
>>323
えっ?>>235>>264に書いてるだろ。
いい加減、見えないフリはやめろw
>>322
>>263>>308

公記は天罰
朝廷は神威
教会はデウスの力
大風霰飛火逆雨

恐ろしいまでの天変地異が甲斐を襲ったんだろうね。
火焔が飛び散ってきたからこそ一の宮が流されたのかもな・・・・
そりゃあ勝頼も真田領から同盟国上杉へ逃げるのを断念して、
敵である北条を頼って小山田領へ行かざるを得ないよな。
0325人間七七四年2013/09/25(水) 11:27:48.34ID:iLEjDHUL
>>324
全然答えになっていない
甲斐まで押し寄せる火砕流とマグニチュード9以上の大地震の中進軍する織田軍は輸送ヘリを大量に持っていたんだよな?
自衛隊でさえ出来ないことを織田軍はやっているんだから
0326人間七七四年2013/09/25(水) 11:30:27.07ID:xu545PoA
北条が甲斐から情報入ってこなくなったとしか隣国に関する事は見当たらないが
噴火による被害が知りたいわけで、その後の記録に何か無いのかい?
0327人間七七四年2013/09/25(水) 11:38:31.16ID:g3wmxI+P
>>325
京を燃やして略奪虐殺できた理由に
織田軍が消防車を持っていたと俺に返答させる気かwwww
自分の根拠地が混乱して撤退する武田と
自分の根拠地は混乱してないから安心な織田
じゃあそもそも基本的な部分が違うだろアホかw
信長は大吉事と喜んでいるのはなぜだ?天変地異に便乗して
略奪侵略できるからだろw
犯罪集団にとっては敵の弱みに付け込んで
河に落ちた犬は叩け
みたいな気分であり、こんな千載一遇のチャンスはないと
褒美と略奪目的で喜んで甲斐へ侵攻したんだろ。
信忠の命も聞かずに森らは盲目的に進出できた理由も説明できるし
武田軍の討ち取られ数がたった100程度なのも
もはや組織的抵抗ができないほどに本国が混乱していたからだろうが。
0328人間七七四年2013/09/25(水) 11:42:59.35ID:g3wmxI+P
>>326
関東では大した被害が起きなかったんだろ。
観測地点はいずれも西側方面からのみ。
風向きや噴火口の向きんばどの偏りを窺わせる。
0329人間七七四年2013/09/25(水) 11:51:55.46ID:iLEjDHUL
>>327
道も滅茶苦茶になっているのにどうやって甲斐まで進むんだよ?
東日本大震災で自衛隊がどれだけ苦労したか知らんわけじゃあるまいに
だいたいただの火事なんかとは全然規模が違うだろバカ
0330人間七七四年2013/09/25(水) 11:53:43.42ID:xu545PoA
>>328
真田さんとこには何か残って無いの?
上田に築城した時とかに何かしら残しててもおかしくないと思うんだが
0331人間七七四年2013/09/25(水) 11:55:50.29ID:iLEjDHUL
>>328
噴火だけでなくお前は大地震も起こったと言っているわけだが?
それもマグニチュード9以上の
んで関東が全くの無傷とかあり得んよ
0332人間七七四年2013/09/25(水) 12:00:27.77ID:g3wmxI+P
>>331
マグニチュード9以上なんて誰も言ってねぇだろカスw

>>330
ないねぇ。

>>329
だから信長はたびたび書状で執拗に道を作れ厳命だ!と連呼してるじゃねぇか。
だけど、そんなことをしてると競争相手の織田諸将に先を越されて略奪されまくり武功を取られるから
とにかく欲深くどんどん先行してたのが森4らだろ。
0333人間七七四年2013/09/25(水) 12:06:43.62ID:iLEjDHUL
>>332
お前は奈良まで揺れが来たと言っていたのだからマグニチュード9以上と考えられるだろ?
あと道もなく移動もままならない状態なのに甲斐まで行った織田軍の能力は自衛隊以上ということだな
輸送ヘリを大量に持っていたに違いないってことでいいか?
0334人間七七四年2013/09/25(水) 12:09:46.27ID:g3wmxI+P
>>333
>>道もなく移動もままならない状態
そう思ってんのはお前の脳内だけだろカス

武田軍が撤退していく時に道くらい切り開いてるだろが。
0335人間七七四年2013/09/25(水) 12:12:07.57ID:iLEjDHUL
>>332
お前が奈良までかなりの揺れが来たと言っていたからだろ?
となるとマグニチュード9以上ということになるな

あと道もなく滅茶苦茶な状態の森部隊は自衛隊以上の能力を持っていたにということになるな

つーか略奪行為と移動能力に何の関係があるんだ?だかよ
0336人間七七四年2013/09/25(水) 12:15:15.79ID:g3wmxI+P
だからさ、織田厨が自分で思った願望妄想で
根拠なくケチつけて貶すのはやめてくれ。
一次史料の根拠を提出して意見を言ってくれ。
0337人間七七四年2013/09/25(水) 12:15:45.60ID:4Hw6+IDr
火口の話するなら尚更浅間山は前掛山、黒班山があるから構造上、西側には被害が出ないよ
0338人間七七四年2013/09/25(水) 12:21:36.42ID:iLEjDHUL
>>336
だから地質学の調査で散々否定されただろうが
お前は鳥頭か?
だいたい噴火や地震があったのならあったと記録に必ず残る
天正大地震とかちゃんと残っているだろ?
それがないってことはんなもんはなかったということだ
0339人間七七四年2013/09/25(水) 12:26:29.17ID:g3wmxI+P
>>337
だからさ、別に西側に被害が起きるようなものが堕ちたなんて一回も言ってないじゃん。
南側へ火焔などが飛来したんだよ。
あくまでも観測できたのは西側から。
そして北条は八王子城へ問い合わせてるし、武田領への出陣延期してる。
この出陣遅れが原因で武田滅亡後の北条は信長から領地を一切与えられないどころか
滝川の厩橋着陣によって威圧を加えられ、三島大社へ婚姻がうまく行けば北条は安泰になるのでお願いしますと哀願してる。
0340人間七七四年2013/09/25(水) 12:29:59.66ID:4Hw6+IDr
>>339
南側に被害があったとなんか証明出来るものは?

行っとくけど軽井沢とかは発掘調査されてるから何かあれば地質学的にも重大事だからな
0341人間七七四年2013/09/25(水) 12:30:46.10ID:g3wmxI+P
>>338
お前が論破されたんだろwww
今さらまた浅間山噴火は無かったネタを蒸し返て議論しリセットとかwww
壊れたカセットデッキなループをまた繰り返すあたり
お前の頭こそ鳥頭そのものだなwww
0342人間七七四年2013/09/25(水) 12:34:24.60ID:g3wmxI+P
>>340
誰も軽井沢に被害があったなど言ってねーだろアホカスw
火焔が甲斐へ飛来してきた可能性を下記から言及してるだけだ。

多聞院の浅間山噴火が甲斐信濃敗北の怪異という話を列挙し、 武田勢の士気に大きな影響を与えたことは想像に難くないと評している。
信長の敵国の神を流したって甲斐市一ノ宮を指し、山梨県笛吹市に溶岩が飛び散り宮が流されたって解釈しか出来ないね
塩山向獄禅庵小年代記 天正10年3月
開山徳和之観音堂へ各僧衆御伴申三日三夜奉移と書かれている。
徳和之観音堂とは三富村(旧山梨県東山梨郡)の観音堂で三日三晩の御祈祷をして下山したそうだ。
これは重大な意味を持つ。この村の位置はまさに甲斐・信濃・上野との県境にある。
そして浅間山からも近い。なぜこのタイミングでここに各々の僧が衆を伴って
3日間の山篭りをして祈祷しているのか(山梨県笛吹市の北に位置する事実)
察するに2月中は噴火の影響で近づくことができず、噴火被害者を弔うことができなかったが、
ようやく混乱が落ち着いてきた3月になり、浅間山を望むことができる山上へ登った
各地から僧に伴われた遺族達が被害者を観音様に見立てて鎮魂し、浅間山の荒ぶる神を沈める祈祷をしているのだ。
0343人間七七四年2013/09/25(水) 12:40:53.00ID:bdW9AEtE
三日の祈祷で済んだんだから大した事は無かったんだろうなw
平安時代の富士山噴火はあちこちに記録が残っている
0344人間七七四年2013/09/25(水) 12:41:56.29ID:g3wmxI+P
公記は天罰
朝廷は神威
教会はデウスの力
大風霰飛火逆雨

こんな無茶苦茶な天災が甲斐を襲い
この天災が甲斐滅亡の怪異の前兆の噂となったわけだし、
これを火事場泥棒するチャンスと捉えて喜んだ信長。

これ以上の説明ははっきり言っていらないだろが。
0345人間七七四年2013/09/25(水) 12:44:55.59ID:iLEjDHUL
>>341
ほう・・・・ならなぜ1582年大噴火の堆積物がないのかな?
早川氏の調査は間違っているとお前は言いたいのか?だがよ
なら大噴火があったと主張する地質学の論文を出してみな
それともお前が学会で発表するか?

だがよ、お前は早川論文に何も反論出来ずその後逃げてばかりじゃないか
論破されたから逃げているんだろ?違うか?
0346人間七七四年2013/09/25(水) 12:53:29.35ID:g3wmxI+P
>>345
大日本地震史料 増訂を読めば
文部省と大森氏・今村氏・石本氏・田山氏・武者氏おいう錚々たるメンバーが
天正10年浅間山噴火を支持してるのは確定的じゃねぇかw

江戸時代以前で噴火の記述で一次史料ソースがあるのは
1108年の上野国壊滅報告もあった公家による記述である中右記
そして同じく公家と宣教師の記述がある武田滅亡の噴火
そして江戸幕府の記録にある1783天明浅間山噴火(この時は京からは視認されてないので小規模噴火だろう)
この3つしかないから。

俺、渋川市郊外住みなんだが、(地元出身の長尾景春スレで織田厨に絡まれてるのも俺)
浅間山の堆積物調査は1108年の上野国壊滅記述を元にしていて、
浅間山東側の調査をしてるだけだから、西側に噴煙が流れた場合はわからんのよ。
んで、3層の噴煙層がある以上、確実な噴火記録と照らし合わせると、
1108年噴火記録と1783年天明噴火記録の層との間に、
もう一層あるので、1108年と1783年の期間にあと一回噴火があるのは確実で、
あとはそれを文献史料で当てはめて確定しなきゃならないわけ。
しかし、1596年の噴火は浅間山によるものとは限らず、岐阜白山や九州の阿蘇山や霧島山の噴火説が並存してる。
特に同年に霧島山が噴火しているのは確定してて、浅間山説は不利。
というのもこの時の噴火では京から見て〜方角の空が赤く光っていたなどの視認が全くされておらず、噴火方角すら全くわからない。
そうなってくると武田滅亡のキッカケの際に噴火記録が存在するなら、
それが1108年噴火地層と1783年噴火地層の間にある噴火地層であるのだろう。

早川氏の研究
北東山麓の1108年スコリアと1783年軽石の間には薄い軽石層(A')が一枚挟まれている.
この軽石の噴火年代は,京都に降灰降毛があった1596年夏あるいはその前後だった可能性がつよい.
1598年に800人が死亡したという『当代記』の記述は信頼できない。
早川氏の書いてるの読むと、そもそも東側斜面と言うより、浅間山東北方面の山麓しか調べてないところと
GoogleMAPを照らし合わせると、東北山麓にあるゴルフ場か牧場の辺りの整地の際にやっただけみたいだなあ。
武田滅亡時の噴火が南西の大分県や京から視認できたことを考慮するに、全く正反対の方を調べただけなんだな。
それじゃ噴火威力を正確には出せ無いな。
少なくとも天明の噴火は、京から視認されてないから、1783年の噴火よりも武田滅亡時噴火は威力が高かったのは確かだろうね。
0347人間七七四年2013/09/25(水) 12:54:48.86ID:g3wmxI+P
>>345

あの〜そろそろ織田厨くんにか下記の解説をしてくれませんかね?
たしか織田厨くんは当初、年輪年代測定と勘違いしてたのが露呈した後に
苦し紛れに「500年程度の炭素年代測定なら1年刻みで余裕でわかることくらい覚えておけ低学歴無知が」
などと大見得を切っていましたよねw
それで私は下記の噴火の年をどう測定して確定させたのか説明を要求しましたよね。
1644年 2月(正保元年)噴火。
1645年 2月,5月(正保2年)噴火。
1647年 2月,3月(正保4年)噴火。
1648年 3月(慶安元年)噴火:1m以上の積雪を融解,追分駅を流失,夏にも噴火。
1649年 (慶安2年)噴火。
1651年 (慶安4年)噴火。
1652年 (承応元年)噴火:噴石のため山麓焼ける。
1655年 (明暦元年)噴火。
1656年 (明暦2年)噴火。
1657年 (明暦3年)噴火。
1658年 (万治元年)噴火:鳴動。
1659年 (万治2年)噴火:鳴動,降砂。
1660年 (万治3年)噴火。
1661年 (寛文元年)噴火:年間数回。
織田厨くんは「だがは天下の東大様による科学的データまで否定するのかな? 」とも言ってましたのですが、
上記の噴火を証明する科学的データをまだ教えてもらっていませんが、織田厨くんはどこのどのデータをみたのかね?
早川氏のHPを読んでも一切、炭素年代測定なら1年刻みでわかる&東大の科学的データなんて載ってませんがおかしいなぁ???
0348人間七七四年2013/09/25(水) 12:57:44.79ID:iLEjDHUL
>>345
苦し紛れにまたコピペか
何度も繰り返すが噴火があったこと自体は誰も否定はしていない
問題はだがのいう「大噴火」があったかどうかだ
大噴火があったのなら必ず痕跡がある
しかしそんなものは見つからない
つまりそんなものはなかったということだ
んでお前はここからずっと逃亡しているわけ
何か言いたいことある?
0349人間七七四年2013/09/25(水) 13:00:04.93ID:iLEjDHUL
違った>>346
0350人間七七四年2013/09/25(水) 13:03:39.15ID:g3wmxI+P
痕跡も何もロクにそんな発掘調査自体がなされてねーだろw
0351人間七七四年2013/09/25(水) 13:09:35.59ID:iLEjDHUL
>>350
早川論文をもう忘れたのか?
鳥頭のだがよ
0352人間七七四年2013/09/25(水) 13:10:44.73ID:g3wmxI+P
>>351
お前は日本語も読めないんだなw

早川氏の書いてるの読むと、そもそも東側斜面と言うより、浅間山東北方面の山麓しか調べてないところと
GoogleMAPを照らし合わせると、東北山麓にあるゴルフ場か牧場の辺りの整地の際にやっただけみたいだなあ。
武田滅亡時の噴火が南西の大分県や京から視認できたことを考慮するに、全く正反対の方を調べただけなんだな。
それじゃ噴火威力を正確には出せ無いな。
0353人間七七四年2013/09/25(水) 13:11:52.77ID:g3wmxI+P
公記は天罰
朝廷は神威
教会はデウスの力
大風霰飛火逆雨

こんな無茶苦茶な天災が甲斐を襲い
この天災が甲斐滅亡の怪異の前兆の噂となったわけだし、
これを火事場泥棒するチャンスと捉えて喜んだ信長。

これ以上の説明ははっきり言っていらないだろが。
0354人間七七四年2013/09/25(水) 13:17:50.54ID:iLEjDHUL
>>352
お前の言う大噴火ならそんなの関係ないだろバカ
つーかそこまで言うならお前が調べて学会で発表すれば?

>>353
それのどこに「大噴火」と書いてあるの?
全部お前の妄想による決めつけじゃないか
あと日中の空が赤くなるのは火山灰によるもので夜空が赤っぽくなるのは地上の光が雲に反射してなるものと言ったよな?
特に後者は噴火とは全然関係ないってわからんのかねえ
0355人間七七四年2013/09/25(水) 13:53:52.80ID:9T4cW/yB
個人的には二次資料だから必ずしも作者の思惑や作為や取捨選択が反映していて正確には書いてないとは言え、
信長公記から読み取れる
兵糧が無くなら無いように人数調整した兵力でありながら、
甲斐は極度の兵糧不足で、
織田軍が逃げるように甲斐から急いで逃亡するも、
信濃諏訪湖辺りでついに織田軍が凍死続出になってることだな。
5月上旬ともなれば青森県の津軽弘前城でも桜祭りの時期だしな。

極度栄養不良と極度の天候不順が感じ取れる。
浅間山噴火の酷い惨状が読み取れるんだよな。
0356人間七七四年2013/09/25(水) 14:15:38.98ID:OpCvn20O
>>321
主張が妄想なんですもの
「激甚災害で苦慮した自衛隊でも進めないような悪路を織田軍はすいすい行軍したのは輸送ヘリを持っていたからだ。ソースは京都の空が真っ赤っかになるほどの噴火で行軍できたこと。否定するなら一次史料で」
こんな主張相手にしない
否定してみ?w
0357人間七七四年2013/09/25(水) 14:17:27.91ID:OpCvn20O
>>324
噴火後の農政に対する補填とかさ
史料まだ出せないの?
これに逃げ回ってるじゃん、お前
0358人間七七四年2013/09/25(水) 14:24:24.82ID:OpCvn20O
>>327
さあ織田が喜んでいる理由が略奪って証明、お待ちしてます
当たり前だとかいらないから
あと一次史料でなwww
0359人間七七四年2013/09/25(水) 14:28:25.76ID:OpCvn20O
>>332
なんでさなだが噴火の記録残してない?
これも織田が燃やしちゃった?w

>>334
はいじゃあ武田軍が道を切り開いたソースよろしくう
自衛隊でもいっかな進めず、被害の少ない西側の基幹道路で途中まで輸送したけど、それでも餓死者が二桁出てたからな
今後の防災訓練に役立つ知見だよwww
0360人間七七四年2013/09/25(水) 14:33:27.14ID:OpCvn20O
>>339
それもかころぐでしてき済み
行軍の遅延なんざ他の理由もある
噴火のすっげえから進軍やめるはって書いてる史料よろしぅ

>>342
大規模噴火の一ヶ月後に山に登るってw
溶岩が冷めてるとおもってんの?w
0361人間七七四年2013/09/25(水) 14:47:54.34ID:9T4cW/yB
勝頼が織田と戦うべく出陣しながら、
なぜか織田と戦う事なく、
急いで撤退してしまうのは明らかに甲斐本国がパニックに陥っているからじゃないかな。
0362人間七七四年2013/09/25(水) 15:03:21.28ID:b3BRNBkY
いいえ、違います
0363人間七七四年2013/09/25(水) 15:05:57.02ID:/l0AclH9
東麓しか調べてないってそりゃ早川氏のサンプルであって浅間山は既に外周ぐるりと堆積物の調査済みだよ

早川氏のサイト見れ来ればいい
0364人間七七四年2013/09/25(水) 15:34:30.04ID:iLEjDHUL
>>355
全部お前の妄想による決めつけじゃないかバカ
食料不足が噴火によるものと証明するための一次ソースか科学的データでも持って来い
0365人間七七四年2013/09/25(水) 17:48:21.60ID:eT1qiuMX
355
>浅間山噴火の酷い惨状が読み取れるんだよな。
見たいものを見たがる妄想好きな素人の偏った思考だな
0366人間七七四年2013/09/25(水) 18:54:23.08ID:u8lHbXwj
だがの主張をまとめるぞ

だが「関東では被害が出なかった」
だが「西側に被害が堕ちるような物はない、南に火焔が飛来した」
だが「軽井沢(浅間山すぐ南)に被害があったとは言ってねーだろw火焔が甲斐(もっと南)に飛んだ」


????????????
0367人間七七四年2013/09/25(水) 19:11:52.12ID:WsEU1SOW
浅間山が軽井沢町に跨がってるという根本的な地理の知識が無いんじゃねーのw

だが理論では投石機のごとく麓を飛び越えて100kmほど離れた甲斐に火山弾が着弾してるらしいな(笑)
0368人間七七四年2013/09/25(水) 19:14:34.55ID:eT1qiuMX
嘘を正当化するために嘘を積み重ねるとこうなる
もはや歴史的じゃなくオカルト的な主張だな
0369人間七七四年2013/09/25(水) 20:05:21.21ID:u8lHbXwj
だが唯一の希望である1108噴火と1783噴火の地層の間に挟まってるA' 軽石は浅間山の北東麓(黒豆河原)の地層で
観測したものだから東側被災を否定するとこれは1582のものではないと主張してることになるがいいのか?それで
0370人間七七四年2013/09/25(水) 20:19:37.45ID:6yK4cUvR
だが「関東では大した被害がないって話をしただけで東側に溶岩が流れてないとは言ってないだろw」

「東に噴出してるのにそれって要するに大した噴火じゃ無くね?」


こういうやり取りになりそう
0371人間七七四年2013/09/25(水) 23:09:32.05ID:xu545PoA
結局のとこどういう噴火だったんだ?
豊後から見えるくらいの大噴火で、南に離れた甲斐にのみ極一時的(その後の文献に残ってない為)に大被害を与えた、
その間の軽井沢や他の方角には一切被害無しって事でいいのかい?
0372人間七七四年2013/09/25(水) 23:10:46.83ID:PW9uWV9r
論破されまくって自分の作った妄想をコピペとして連投し始めたか、だが
そろそろ完全に発狂して長文コピペ連投しまくってスレを容量オーバーに追い込むかも
そん時は新しく建てる?
0373人間七七四年2013/09/26(木) 00:36:14.64ID:w09+xmZk
>>371
現地の記録にも残らず地質調査でも痕跡が全くないようなショボい噴火
豊後で空が赤くなった現象は浅間山とは関係ない別のもの
日中に赤くなる場合おそらく阿蘇山からの火山灰が原因
夜なら地上の光が雲に反射したことによるもの
0374人間七七四年2013/09/26(木) 00:41:15.26ID:cAfQNFBP
話をまとめると

・噴火は100%無かったとは言い切れない
・しかしながらあったとしても、直接的に武田滅亡の原因とは言えない規模
・東方で異変が起きているのは史料で明らか>しかし噴火との因果関係はわからない、それぞれの資料の記述が同一の現象に対してのものかも不明
・勝頼が真田領ではなく小山田領に逃げた理由は?
・織田は極端な兵糧不足に陥っている?
・仁科盛信テラ勇将

こんなところか?
0375人間七七四年2013/09/26(木) 00:46:54.08ID:DNB4uHhS
>仁科盛信テラ勇将
殉じた辺りも含めて、好きな武将ではあるんだけど、
結果的に1日で落城は、正直頂けないんだよな……
0376人間七七四年2013/09/26(木) 00:54:42.49ID:q5C5BeL9
あれだけの兵力差はいくら堅城でも如何ともしがたいよ
八王子城とか頂けないとか言ったら化けて出るよ
0377人間七七四年2013/09/26(木) 01:03:25.67ID:KG/wXoQF
浅間山は1900年以降でも50回以上は噴火してるしなー。大半がこの前の桜島みたいにバサッと灰が落ちて終わりだろうな
0378人間七七四年2013/09/26(木) 01:09:41.73ID:w09+xmZk
>>374
東の夜空が赤くなったりしたから京や大和の迷信深い人たちが異変が起こっているに違いないと思い込んだだけと思うが?
本当に異変が起こっていたなら現地の記録が残っているはずだし織田徳川北条の記録もあるはず
これは浅間山大噴火にも言えること
0379人間七七四年2013/09/26(木) 07:03:39.46ID:mJWIIheW
http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/Rfunka/1596.html

浅間火山周辺の地質学的調査からは,浅間山の北東側に分布する1枚の小規模な降下軽石のほかには,この時代に噴火した堆積物が見つかっていない


A'軽石が存在するのは浅間山北東側のごく一部でしかも小規模噴火と断定済み
0380人間七七四年2013/09/26(木) 09:03:50.50ID:FFMGSG0i
織田チョンが阿鼻叫喚発狂自演爆撃レスの火病中だなw
絶対に認められないデッドラインだからもう必死になって根拠ゼロの否定を繰り返してるw
一次史料を解釈したら信長が火事場泥棒した事実はもう確定してるだろw
織田チョン涙目になりながら否定爆撃レス祭り必死な火病ぶりが面白れーw
0381人間七七四年2013/09/26(木) 09:25:44.07ID:vHCY3Tp8
あ、だが一番惨めな道に逃げた
0382人間七七四年2013/09/26(木) 09:28:57.49ID:o+33WrC/
まーただがが悔し紛れの負け惜しみ吐いちゃったか
敗北宣言頂きましたー
0383人間七七四年2013/09/26(木) 10:06:01.47ID:g0yrNc40
アスペルガーだがの日本語はいつも変。
0384人間七七四年2013/09/26(木) 10:06:29.08ID:FNl6celt
掘っても何も出てこないものを有ったとは到底認められないな
0385人間七七四年2013/09/26(木) 11:04:12.84ID:SjDSLV0I
木曾から援軍要請が来ても武田領へ侵入出来なかった織田軍の噴火日から侵攻開始。
北条氏政が16日付け書状で八王子城へ向けて、甲斐の情報が全く入ってこなくなったと情報途絶を報じ、さらに様子見で軍を出すのを延期。
19日に勝頼夫人が武田八幡宮に対して、 勝頼に罪がないのにと天意に対して抗議しているが、天意とはまさに天変地異のこと。
織田軍を迎撃すべく出陣してきた武田軍が、全く戦わず撤退したどころか謎の瓦解(高遠城で百人討ち取られただけ)
援軍を出し始めた同盟国越後上杉氏にも逃げられる浅間山のある真田領へ勝頼は逃げず、なぜか小山田領に逃げる謎。
甲斐で一番浅間山に近い場所にわざわざ集まり僧たちが人身御供とも言われる観音様に祈りを執行する。
浅間山噴火について丸島和洋氏は、晴豊公記の東方に厚い雲が垂れ込め、空が赤く染まる様子や、
多聞院の浅間山噴火が甲斐信濃敗北の怪異という話を列挙し、 武田勢の士気に大きな影響を与えたことは想像に難くないと評している。
信長の敵国の神を流したって甲斐市一ノ宮を指し、山梨県笛吹市に溶岩が飛び散り宮が流されたって解釈しか出来ないね

個人的には二次資料だから必ずしも作者の思惑や作為や取捨選択が反映していて正確には書いてないとは言え、
信長公記から読み取れる 兵糧が無くなら無いように人数調整した兵力でありながら、
甲斐は極度の兵糧不足で織田軍が逃げるように甲斐から急いで逃亡するも、
信濃諏訪湖辺りでついに織田軍が凍死続出になってることだな。
5月上旬ともなれば青森県の津軽弘前城でも桜祭りの時期だしな。
極度栄養不良と極度の天候不順が感じ取れる。 浅間山噴火の酷い惨状が読み取れるんだよな。

公記は天罰・朝廷は神威・教会はデウスの力 奈良興福寺は甲斐信濃滅亡の怪異・大風霰飛火逆雨
恐ろしいまでの天変地異が甲斐を襲ったんだろうね。
火焔が飛び散ってきたからこそ一の宮が流されたのかもな・・・・
そりゃあ勝頼も真田領から同盟国上杉へ逃げるのを断念して、
敵である北条を頼って小山田領へ行かざるを得ないよな。

フロイスがなんで神の起こした災害の場所へ恐れを抱かず
信長が進んで行くのか疑問に思っていたが・・・
立入左京亮入道道隆佐記には浅間山噴火を見た信長について書いている。
信長大吉事云々。即3月5日に信州表に御出馬
はい、信長が火事場泥棒をしようと他国の災害を大喜びしていたのが確定w

先日の東北大震災でみんなが避難した後に、外国人盗難集団が鉄パイプ装備で家々を荒らしまわって
略奪して回った事件を思い出したわ。
北条早雲が駿河大地震で崩壊した伊豆国を襲撃して
組織的抵抗できない堀越公方から国を奪った時と同様に
武田もほとんど組織的抵抗もできずに災害便乗型強盗武力団に領国を荒らされたのだろう

織田厨は一切、否定するに足る根拠を提示できずに必死に自演でケチを付けているだけwww
0386人間七七四年2013/09/26(木) 12:14:02.02ID:oU1uXAyo
浅間山史上最大の噴火とされる16000年前の噴火でさえ火焔は佐久止まりと調査の結果は出てる。

一体どこを掘れば天正大噴火とやらの爪痕は見つかるんだ?
大噴火であればあるほど発見は容易なんだがおかしいなぁ
0387人間七七四年2013/09/26(木) 16:03:23.14ID:cdvQ4z6n
学者きどりばっかのチンカス集うのここと聞いたけたまじやな
0388人間七七四年2013/09/26(木) 17:53:15.67ID:vHCY3Tp8
何この暗号
0389人間七七四年2013/09/26(木) 18:16:25.50ID:w09+xmZk
科学的に完全否定されただが理論
だがに出来るのは妄想コピペ貼りと意味不明の自演罵倒だけであった
0390人間七七四年2013/09/26(木) 19:52:06.54ID:g0yrNc40
通常運転のアスペルガーだがな
0391人間七七四年2013/09/26(木) 23:13:23.39ID:wW/EMK/S
dage
0392人間七七四年2013/09/27(金) 07:00:03.45ID:FBfs1zUq
武田崩れと言う事象が生じた理由を織田チョンは全く一次史料で説明できない以上、
結果として浅間山噴火が原因で武田崩れが起きたとする見解が正しいとするのは当然の帰結。
反論あるなら一次史料の根拠を提示して否定してください。
0393人間七七四年2013/09/27(金) 07:53:03.81ID:7xUKbv5+
>>392
科学的に完全否定されたのにまだ言ってんの?
だかよ、お前は負けたんだ
0394人間七七四年2013/09/27(金) 08:22:07.69ID:FBfs1zUq
織田チョンのトンデモ自慰科学やアホ恣意的地政学www
0395人間七七四年2013/09/27(金) 08:36:37.08ID:7xUKbv5+
>>394
早川氏をはじめとする地質学研究をトンデモだと言いたいわけだ、だがは
素晴らしいな
是非だが流地質学を学会で披露してくれ
0396人間七七四年2013/09/27(金) 08:38:57.64ID:6CYq7NjK
>>392
くやしいのぅくやしいのぅwwww
0397人間七七四年2013/09/27(金) 09:15:51.38ID:JeF8S5a6
>>395
織田半島人が早川の意見を捏造曲解してるだけだろ…
0398人間七七四年2013/09/27(金) 10:05:37.90ID:FCyuSY3I
早川氏の研究をどう曲解しても天正大噴火なんてものは無いわけで
0399人間七七四年2013/09/27(金) 10:06:00.38ID:7xUKbv5+
早川論文のどこに1582年に大噴火があったと書いてあるんだ?
だがは嘘ばっかだな
0400人間七七四年2013/09/27(金) 10:07:37.75ID:FCyuSY3I
A'軽石も「小規模噴火」の産物と断言されてるからこじつけるなよ、今さら
0401人間七七四年2013/09/27(金) 12:06:31.79ID:EXpGNmei
だがが一つ重大な勘違いをしてたのは早川氏は東麓しか調査してないのではなくて
16世紀後期の噴火跡であるA'軽石のサンプルが取れるのがそこだけしか無かったという話

あとは>>379見れば分かる通り
0402人間七七四年2013/09/27(金) 15:27:46.43ID:waS9yECz
また織田厨のデタラメ解釈か。
結局、一次史料による否定ができない以上、
一度、論破されていた早川の曲解をもう一度蒸し返してきたということか。
馬鹿のひとつ覚えでループを繰り返すことで、
論破されていた現状を誤魔化せると思ってるんだな。
0403人間七七四年2013/09/27(金) 15:42:17.53ID:ApcA+LWT
曲解と言い張るしかできなくなったか
ちょーっとだがさんの言う武田が滅ぶほどの噴火の被害記録を出してくれりゃあいいんですよー?
武田が滅んだほどなんだから織田にも北条にも徳川にも、そんな衝撃的な滅亡したことに驚く上杉のでもいいんですよ?w
イチジシリョーイチジシリョー唱えてるだがさんなら余裕っすよねw
0404人間七七四年2013/09/27(金) 17:01:26.68ID:HGBC8gpd
アスペルガーだがが2chでやりたいことって嘘を吐くこととスレ荒らしだろ
議論する気がないのは自作自演のゴリ押しばかりのやり口で分かるわな
0405人間七七四年2013/09/27(金) 17:04:15.41ID:7xUKbv5+
>>402
要するに早川論文は間違っていると言いたいわけかな?だがは
よろしい
だがは1582年大噴火があったとする地質学論文をとうとう見つけたんだね
早く見せてくれないかな?
0406人間七七四年2013/09/27(金) 17:51:24.74ID:aGAJVqt3
だがさんに一次史料催促agew
0407人間七七四年2013/09/27(金) 18:13:53.24ID:sWXVNNGA
結局の所、早川氏の名前を出したせいで論文の原本を探されたり氏のサイトの記述をあれこれ詮索されたりした訳で

自滅だよこれは
0408人間七七四年2013/09/27(金) 19:18:32.35ID:7WRbnCI7
地質学からのアプローチを教えてくれたのはだがさんなのになぜ今追い詰められてるの?
0409人間七七四年2013/09/27(金) 21:41:21.78ID:aGAJVqt3
だーがだーがだがアスペの子♪
0410人間七七四年2013/09/28(土) 00:02:45.48ID:6Pj2u4ac
天変地異ではないとして
武田崩れはなぜ起きたんだろう?そんなにガタがきてたのか武田家は?
0411人間七七四年2013/09/28(土) 00:29:55.58ID:CKzjGJJ5
長篠ショックは置いておくとしてもだ
毎年北条徳川と終わることのない戦を繰り返し財政は破綻
小山田穴山木曾の不満は解消されることなく臨界点突破寸前
頼みの親類衆信豊はあんな感じで一番信頼できない
金無し忠無しのガタガタ状態ではどんな名将でも武田家を立て直すのは無理
0412人間七七四年2013/09/28(土) 01:12:37.77ID:uxS5CvcP
高天神城に救援送れず落城 → もう織田に攻められても武田の救援が期待できない

→ 朝廷で武田討伐の祈祷 → 信忠攻撃と同時に火山噴火 → 皆「ああ、こりゃ武田滅亡の前兆だ……」
0413人間七七四年2013/09/28(土) 01:14:23.48ID:nA2zA8X6
信忠は自然の力をも操るのか
そりゃ勝てないわ、チートだわ
国力以前にスサノオ並の武力じゃん
0414人間七七四年2013/09/28(土) 02:47:51.18ID:CLxk8unw
急に北条が「そうだ、関東なんて放っといて織田と徹底的に戦おう」とでも思ったら詰み確状態から抜けれたかも
まあありえないけどw
0415人間七七四年2013/09/28(土) 08:22:29.22ID:7twPhTUx
よく話を何度も論破された話題を蒸し返しループさせて同じ話を反復させて飽きないな。
やっぱり織田半島人は猿並みの知性だからかな。
それにソースなしで執拗に粘着し続けて最後にレスすれば勝った事になる独自の池沼脳であることはたびたび確認されてるからなw
もう主張したいことは書いたから、あとは織田半島人以外の読み手が判断すればいいよ。
>>412
それ偽書状の話だな。 
そういや高天神城落城を喜ぶ3/25信長→家康書状も偽書状らしいね。 
これ高天神城皆殺しして勝頼の威信を失墜させたことを証明する書状で、 
一人も洩らさず討ち果たさるの由って書いてる。 
でも、宛名は三河守殿などと不審極まるもんだし、 
なにより天正4年以降の信長は天下布武の朱印か黒印による印判を使っていて花押を書いたりしてない。 
さらにこの信長花押は非常に珍しい形で類例がないそうだ。
0416人間七七四年2013/09/28(土) 09:20:50.10ID:traGtW7U
もはや負け惜しみもいいとこだな、だがは
地質学研究により1582大噴火などなかったのが結論だよ
んでお前は全く反論出来ていないだろ?
反論したいなら妄想ではなく地質学的に早川論文を否定してみろ
0417人間七七四年2013/09/28(土) 10:06:12.25ID:n06dWBB+
何一つうまく説明出来ずにこれ以上の議論を拒否するだが、完全敗北だな
0418人間七七四年2013/09/28(土) 10:37:50.52ID:QPOSC1YJ
大日本地震史料 増訂を読めば
文部省と大森氏・今村氏・石本氏・田山氏・武者氏おいう錚々たるメンバーが
天正10年浅間山噴火を支持してるのは確定的じゃねぇかw
0419人間七七四年2013/09/28(土) 10:47:21.97ID:traGtW7U
>>418
お前はまたループさせる気か?
だが理論の「大噴火」は起こっていないと何度言えば
まあ敗北決定で必死になっているのはわかるがなw
0420人間七七四年2013/09/28(土) 11:11:43.96ID:QPOSC1YJ
江甲同盟詐欺を続けて
ひたすら武田の鋭鋒から逃れていた織田にビビるわけないしw
天正10年の武田征伐を恐れた織田軍の大和衆が
甲斐国越後国衆弓矢天下一之軍士とビビッてたぐらいだし。
どう考えても武田崩れの理由は天災が起因してるとしか思えない。
0421人間七七四年2013/09/28(土) 11:34:43.10ID:traGtW7U
科学的に完全否定されているのにまだ言ってんの?
天災などなかったのは明らか
悔しかったら具体的にどのような天災がありどれほどの被害だったか表している史料なり科学的データなり出せ
出せないのならだがの妄想で決定
0422人間七七四年2013/09/28(土) 11:42:59.84ID:QPOSC1YJ
科学的に否定wwww
お前の脳内だけだろw
どこに天正10年に地震は無かったと否定してるもんあんだよwww
0423人間七七四年2013/09/28(土) 11:54:50.56ID:pwQRGaSs
親が偉大過ぎたのが原因
0424人間七七四年2013/09/28(土) 11:54:50.94ID:traGtW7U
>>422
「なかった」ことを証明させるのは「悪魔の証明」だと以前にも言ったよな?
んで挙証責任は「あった」と言った奴にあるとも
要するに具体的にどのような天災があってどんな被害があったかを証明するのはだがだってこと
さあそれを示す史料なり科学的データなり出しなさい
0425人間七七四年2013/09/28(土) 13:13:01.89ID:7hLdDQ5M
武田崩れの理由を噴火以外の説明が出来ないなら、
消去法で噴火が原因で結論していいんじゃね。
0426人間七七四年2013/09/28(土) 13:53:57.95ID:nA2zA8X6
え?
織田が強かったとか武田がヘボかったって理由があるじゃん
何不都合には目瞑ってんのよ
0427人間七七四年2013/09/28(土) 13:55:51.53ID:uIlcrk8y
さんざっぱら背理法で噴火が否定されてるのに何言ってるんだろうね
0428人間七七四年2013/09/28(土) 14:17:17.94ID:QPOSC1YJ
背理法は哲学だぞバァカwwwww
歴史議論じゃなくてお前は哲学議論してんのかアホwwww
さすが年輪年代測定と炭素年代測定を混同して恥をかいた前歴がある織田厨くんは
同じミスを何度も繰り返すんだなwwww
エセ地質学といいい、エセ科学といい
ほんとシッタカ馬鹿は救いようがないwww
0429人間七七四年2013/09/28(土) 15:03:25.69ID:traGtW7U
>>425
武田軍はショボい噴火に驚いて逃亡者続出の腰抜けばかりだったいうことになるが
それでいいのか?
0430人間七七四年2013/09/28(土) 15:04:28.46ID:eXzCk1Cc
原爆パワー(笑)には敵わないよ
0431人間七七四年2013/09/28(土) 15:17:30.46ID:QPS9DTdN
ここ数日、ヤフー知恵袋のyaikomae氏の書き込みが以前にも増して異様になってきてるなw
どうやらこの板での敗退が効いてるらしいw
0432人間七七四年2013/09/28(土) 16:20:50.13ID:P79grtdi
>>428
超ワロタw
織田猿人のアホさがよくわかるw
0433人間七七四年2013/09/28(土) 16:42:30.06ID:Guu/DePn
アスペルガーだがが大噴火を立証できず誤魔化し荒らし作戦を遂行中
0434人間七七四年2013/09/28(土) 17:18:24.67ID:KHFloS5Z
掘っても何も無いものを立証出来るはずもないから詰んでる。

屁理屈の補強の為だけに早川氏を持ち出した結果、その時代に大噴火なんて存在しなかったという事実が明らかになった。

ありがとうだが、勉強になったよ。君は最高のピエロだわ。
0435人間七七四年2013/09/28(土) 17:38:56.20ID:uIlcrk8y
>>428
高校で数学やらなかったのかお前
0436人間七七四年2013/09/28(土) 17:53:24.06ID:QPS9DTdN
だがはアスペルガーなので話は通じません
0437人間七七四年2013/09/28(土) 18:36:32.34ID:Guu/DePn
アスペルガーだがの名は伊達じゃないな
0438人間七七四年2013/09/28(土) 19:32:32.62ID:QPS9DTdN
こちらが話をする

アスペルガーなので意味が正確に通じない

さらにそこへ本人が意図的な曲解や隠ぺい、聞こえないフリなどを加える

生来の頭の悪さも加わる

チンプンカンプンな回答が返ってくる
0439人間七七四年2013/09/28(土) 21:26:53.24ID:Bmn4R5Xc
>>434
あぁ〜?北東の麓だけ掘っても意味無いだろがwww
0440人間七七四年2013/09/28(土) 21:40:40.55ID:i3ARGEuN
http://www.hayakawayukio.jp/volcanoes/asama/guide/asama-locmap.html
早川氏が1995年に調査したのは11箇所でA'軽石が見つかるのは地点7のみ
0441人間七七四年2013/09/28(土) 21:53:01.08ID:i3ARGEuN
http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/Rfunka/1596.html
浅間山の北東側に分布する1枚の小規模な降下軽石のほかには,この時代に噴火した堆積物が見つかっていない


↑も要するに早川氏の調査した地点7(黒豆河原)の事、ここにも書いてあるな
http://www.hayakawayukio.jp/volcanoes/asama/asama-htable.html


調査範囲にケチ付けるのは勝手だけどそもそも頑張って探さないと見つからないようなものは大噴火じゃないからな
0442人間七七四年2013/09/28(土) 21:58:32.76ID:4ijZKm08
探し物はなんですか〜?見つけにくいものですか〜?

資料の中も地面の中も探したけれど見つからないのに
まだまだ探す気ですか〜?
0443人間七七四年2013/09/28(土) 23:51:57.49ID:CKzjGJJ5
いつものことですがアスペルガーだがの敗北で終了ですね
嘘からは何も生まれないことを未だに理解できないとは哀れです
0444人間七七四年2013/09/29(日) 00:14:06.72ID:OiT6rdNe
そもそも群馬大教授で長年浅間山を研究している早川氏はもちろんのこと日本の地質学者の誰も1582年に大噴火があったなど主張していない
だがよ、お前の完全敗北だ
0445人間七七四年2013/09/29(日) 00:29:48.27ID:dSmvnVgs
大噴火ではないと認めるとショボい火山活動でてんやわんやの武田のショボさが際立つのでだがさん的にNG
0446人間七七四年2013/09/29(日) 00:35:53.17ID:iZtau+Jn
浅間山なんて定期的に噴火するもんだと地元でも広く受け止められてそうなもんだが
0447人間七七四年2013/09/29(日) 01:05:15.32ID:EIcgUsmV
×アスペルガーだから通じない
○チョンだから通じない

何度も間違えるなと…
0448人間七七四年2013/09/29(日) 11:48:39.96ID:iZtau+Jn
浅間山から関東に影響はない噴火とか関東に影響を及ぼした1596噴火に劣る規模でしたと認めたようなもんだね

偏西風の影響で真冬に火山灰が広く西にだけ飛ぶ可能性は日本ではゼロ
0449人間七七四年2013/09/30(月) 00:28:04.83ID:WoIjT+j0
結局いつものごとくだがの無知と嘘がバレただけでしたとさ
仁科の奮闘だけ誉めてりゃいいのに武田が小規模噴火で壊滅するしょぼい集団になってしまった
0450人間七七四年2013/09/30(月) 09:26:07.73ID:9ys1InRs
偏西風を全く理解してなくてワロタw
今度はエセ気象学かよ織田チョンはアホの頂上だなw
0451人間七七四年2013/09/30(月) 09:51:34.15ID:9ys1InRs
つかさ、常に偏西風だったら、
そもそも冬でもそんなに寒くないわw
その代わり毎日毎時に渡って中国から黄砂襲来地獄だし、キッチリ関東まで届くぞアホがwww
北極から寒気が南下しないエセ織田チョン気象学だから、
どうせ蛇行って言葉も知らんのだろうなwww
0452人間七七四年2013/09/30(月) 10:42:23.29ID:xfBmI3gO
蛇行で話がごまかせるとでも思ってんのかド低能wwwwwwwwwww
真冬にシベリア寒気団に押されて偏西風が蛇行すると日本上空に吹く風は強く北西から南東方向へ、これ基本な?
当然関東方面へ流れるから同時期に関東の被害報告は必ずあるはず。
真冬に西に灰がフワフワと流れる要素はどこにあるんだ?ぜひとも教えてくれ。

ttp://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/Rfunka/1596.html
静岡大の小山先生も浅間山給源で京へと灰が流れるには「台風などの通過によって強い東風が吹く気象条件」が必要だと言ってる。
0453人間七七四年2013/09/30(月) 10:58:53.53ID:yjtQFVfq
だが「さ、三月はギリギリ春だろ(震え声)」
0454人間七七四年2013/09/30(月) 11:19:59.38ID:dhbOQBEY
>>452
あれれ?偏西風が常時、流れてるなら中国大陸からPM2.5が大量に東日本にやってきてるはずだがw

だいたい慶長元年である『1596年』に日々の天候を記載した当時の日記から
降灰・降毛事件の前後に台風などの通過によって
強い東風が吹く気象条件が生じた事実がないこと
この上記の内容は天正10年の天候とまったく関係ないのに
文章もきちんと理解できないのかアホ杉w

弘前ですら桜祭りが開催される5月初頭に織田軍が甲斐から速攻で逃亡しまくってるけど
結局、諏訪で凍死続出とか明らかに天候がおかしいよねwww
しかもやはり地質学的学術調査をキチンとやったのは浅間山の北東側だけしかやってないのが丸わかりじゃん。
0455人間七七四年2013/09/30(月) 11:50:36.81ID:SLs96Ng7
弘前の桜祭って現代の話?戦国時代は今よりかなり気温が低いぞ
0456人間七七四年2013/09/30(月) 12:11:41.09ID:GWaF3KiY
アスペルガーだがは現代の感覚で戦国を語ろうとするからすぐ墓穴を掘る
まあ嘘で造り上げたアスペルガー戦国なら何でもありか
0457人間七七四年2013/09/30(月) 12:12:56.30ID:xfBmI3gO
やっぱ頭悪いなぁこいつ、蛇行が移動するんだから偏西風が黄砂地帯の上空に常に居座ってpm2.5飛ばしてるわけじゃないっての
0458人間七七四年2013/09/30(月) 12:26:08.55ID:xfBmI3gO
そもそも黄砂は季節要因でも変わるから年中は飛ばないぞ、砂漠地帯に冬は雪るし夏は降雨がある

エアロゾルのpm2.5と混同してもいらっちゃ困る
0459人間七七四年2013/09/30(月) 12:41:48.11ID:yjtQFVfq
戦国の話してるのにPm2.5とか関係なくね?
0460人間七七四年2013/09/30(月) 12:56:40.90ID:LlSeYFV5
偏西風最強説なら以後数年北関東の農業生産は灰塵で壊滅するハズなんだが
なんか諸侯元気に動員してますね
0461人間七七四年2013/09/30(月) 13:04:07.94ID:fgk2Wlix
蛇行論を持ち出したのは自分なのになぜ大平洋高気圧とかシベリア寒気団の影響で
季節ごとに偏西風がねじ曲げられる事を全く考慮しないで書き込んでるのか理解に苦しむ
0462人間七七四年2013/09/30(月) 15:18:00.85ID:E7W4Gpqt
浅間山から西にふった
それだと織田の進路直撃
それでも進撃を続ける最強織田軍
対するは、自軍に有利な自然現象も音にびびって脱兎の如く潰走する武田軍
なんだこの構図は
0463人間七七四年2013/09/30(月) 17:01:25.38ID:Rt3nfN6j
>>454
論点すりかえでまたアスペルガーだが自爆、っと
0464人間七七四年2013/09/30(月) 17:41:37.81ID:3tHxMTuE
アスペルガーだがの逃げっぷりは自爆誘爆の火達磨状態で見ていて楽しい
0465人間七七四年2013/09/30(月) 21:05:04.61ID:/OVXS1x4
カチカチだが
0466人間七七四年2013/10/01(火) 06:56:17.32ID:G0E3TZPJ
>>462
対応の差が見ていて悲しいよな
平和に慣れた現代人と同等レベルの判断力しかないとは
0467人間七七四年2013/10/01(火) 10:04:42.78ID:Gix3hs1B
基地外単発ID自演で必死に願望妄想曲解レス爆撃の織田チョンw
ソースのいらない話題の時だけは相変わらず元気だなw
0468人間七七四年2013/10/01(火) 11:28:59.20ID:OSmkwkGL
こんなスレで自演してんのだがくらいだから安心しなさい
0469人間七七四年2013/10/01(火) 15:09:10.25ID:PSZHQ5xT
いやまったく
0470人間七七四年2013/10/01(火) 16:47:35.83ID:CsHyNclb
相変わらず信玄厨は元気だな(笑)
0471人間七七四年2013/10/01(火) 17:43:54.57ID:Xankj9SS
ある意味最大の敵であるだがさんと一括りにされたらさすがに信玄厨がちょっとかわいそう
0472人間七七四年2013/10/01(火) 17:54:29.45ID:G0E3TZPJ
実際だがのせいで星の数ほどいた武田厨は激減したな
織田厨の倍以上の被害蒙ってる
0473人間七七四年2013/10/01(火) 19:30:48.99ID:J23T/uCv
スレタイ変じゃね?

「武田攻め」って「武田を攻めること」だろ
0474人間七七四年2013/10/01(火) 22:51:31.38ID:rLzI4lEo
だから織田が武田を滅ぼした天正10年の戦いについて語るスレですよ
0475人間七七四年2013/10/01(火) 23:31:43.84ID:eFd7j14A
21 :菅沼遼太:2013/10/01(火) 15:05:14.00 HOST:g229.115-65-140.ppp.wakwak.ne.jp<8080><3128><8000><1080>[115.65.140.229]
対象区分:[個人・三種]優先削除あり
削除対象アドレス:
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1380092620/92

削除理由・詳細・その他:
個人の取り扱い
三種
 上記2つに当てはまらない全ての人物
三種:
 誹謗中傷の個人特定が目的である・文意により攻撃目的である

誹謗中傷
三種:
 個人を完全に特定する情報を伴っている。



22 :21:2013/10/01(火) 15:10:35.88 HOST:g229.115-65-140.ppp.wakwak.ne.jp
>>21も削除していただきたいです。


23 :不動 ◆HpcRk2ELiM @削除明王 ★:2013/10/01(火) 18:41:44.52 0
>>21-22
却下。名前だけなら削除対象ではなく、削除する理由なし。

#名前との組み合わせで削除対象になる記述がありません。
#予備知識のない第三者には個人を全然特定できない上に、
#誹謗中傷として扱う記述もありませんでした。
#なお、もし当スレの21を正式に削除依頼しても、削除する理由がないので却下あるのみです。


24 :うんこ:2013/10/01(火) 20:53:49.39 HOST:ntaich067177.aich.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
>>23
却下
じゃねぇよボケ
ちゃんと仕事しろよクズ野郎


25 :21:2013/10/01(火) 21:10:10.04 HOST:g71.124-45-254.ppp.wakwak.ne.jp
>>23
手前ら無能な運営の不手際で個人情報が漏れてクレカ変更までやって手間取らせておいて
個人情報晒しも却下とかどんだけ身勝手なんだよクズ
0476人間七七四年2013/10/02(水) 00:38:02.47ID:x+VigUmw
>>473
武田は受だよな
ハゲヒゲ萌え
0477人間七七四年2013/10/02(水) 09:00:11.84ID:BDYhBL2O
蛇行を全く理解してなくてワロタw
蛇行してるから必ずこっち方向からあっち方向に風が流れるなんて法則はねーよアホかw
なら蛇行なんて言葉にならねぇだろアホw
最初に導きたい結果を決めた上で曲解を繰り返すとバカ丸出しになると言う典型例だなw
しかもシベリア寒気団とか言いだして二重バカ丸出しw
だいたい5月上旬の天気図見たことねーだろププw
そんで分からず書いてるからさらにデタラメを重ねて、
当時は氷河期だったとか書いて論破気取りwww
ウソにウソを重ねて必死に綻び破綻を隠蔽し続けるしか出来ないもんなw
足利義持の治世に天候不順が続き、長雨続きで食料不足が起きて日本は極度に衰退し、
それを知った朝鮮が明軍と誤認させる形で1419年の応永の外寇を起こしたと指摘されてるから、
その時期前後が異常に寒かったかも知れないとされてるだけで、
戦国時代後期からどんだけ離れてると思ってんだ笑えるつか腹痛ぇwww
織田チョンはデタラメとウソしか書いてないw
相変わらず一次史料を出さないでウソをついてるだけの時は
単発ID自演で多数派を装い威勢がいいなwww
0478人間七七四年2013/10/02(水) 09:47:34.78ID:PoWYXtAc
菅沼遼太 「俺の嘘を聞け」
0479人間七七四年2013/10/02(水) 10:00:09.62ID:lgIchxk/
菅沼さんが今使ってる問題集

中学ニューコース問題集 中2数学
中1・2の総復習英語 (中学ニューコース問題集)

あれ・・・地学とかの本が無い・・・
やたら噴火噴火とバカの一つ覚えをしてるから地学とかが好きな人なのかと思った。
今日も亮太さんの頭の中が噴火中なのかな
0480人間七七四年2013/10/02(水) 10:03:50.73ID:kgAg4zkc
菅沼遼太くん!ホイッスルのクソゲーは楽しいか?
0481人間七七四年2013/10/02(水) 10:33:36.02ID:SdU6isbU
過去1000年の気温を見ても1600年〜1700年頃が最も気温が低い
んで、秀吉が醍醐の花見をやったのは4月20日(旧3月15日)。今だと京都の桜満開は3月末

これだけ見ても戦国期が寒かったのが分かるべー
0482人間七七四年2013/10/02(水) 10:49:40.81ID:BDYhBL2O
>>481
はいはいバカ乙w
醍醐寺では豊太閤花見行列を毎年4月第二日曜日にやってるのも知らんのか。
暦上、1日が何曜日に設定されるかで一週間のズレが生まれはするが、
ほぼ同じ4月中旬に開催だ。
だからほとんど醍醐寺の桜観賞時期は変わらんわwww
0483人間七七四年2013/10/02(水) 11:22:13.34ID:SdU6isbU
「今は」遅咲き早咲き色々植えてるからねw
0484人間七七四年2013/10/02(水) 11:29:27.85ID:+n5XPiEc
外に出ないから現代の事も全然知らないんだよだがは
みんな察してさしあげろ
0485人間七七四年2013/10/02(水) 12:19:41.57ID:K+y2GQUw
まーた大ウソを吐く織田厨www
京の桜は3月末〜4月上旬が、つぼみが開花し始める時期。
桜満開なのは4月中旬なのに大ウソ連呼自演wwww
これは京都だけでなく、日本中部や関東もほとんど同時期。
つまり織田厨が書いてる内容は、日本の中心部の桜をすべて植え替えないと成立しないw
そもそも日本古来からの梅や桃の花の観賞をする順番すら理解してないのが露呈w
0486人間七七四年2013/10/02(水) 12:34:38.92ID:mMwkuZW1
嘘つきは菅沼遼太
中学の問題集でもやってろ
0487人間七七四年2013/10/02(水) 12:59:22.60ID:SdU6isbU
ちなみに今年の京都の開花宣言は3月22日、満開宣言3月末

秀吉の醍醐に使った桜はヤマザクラか?と言われてるが江戸末期に作られたソメイヨシノと開花時期はあまりかわらない
っていうかソメイヨシノより早く咲く種類が多い
0488人間七七四年2013/10/02(水) 13:07:53.04ID:K+y2GQUw
えっ?なんで例年より暑い今年だけを持ち出して偏った方向へ誘導すんの?w
京都
2012年開花日4月3日
2012年満開日4月9日
満開日より一週間から10日間くらいが盛況になります。
0489人間七七四年2013/10/02(水) 13:49:40.57ID:SdU6isbU
どっちにしろ4月20日には見頃は終わりだろw
0490人間七七四年2013/10/02(水) 14:55:04.88ID:mMwkuZW1
菅沼遼太必死に反撃するも撃沈
0491人間七七四年2013/10/02(水) 15:21:55.95ID:4CEVzBwG
本名したのに全然懲りてない菅沼
0492人間七七四年2013/10/02(水) 16:02:31.05ID:Wo9sFv7c
いくら捏造曲解を繰り返し喚いても
醍醐寺の太閤花見行列を往時のどう時期に今も開催している事実は変わらない。
いい加減、諦めろ基地外織田半島人。
0493人間七七四年2013/10/02(水) 16:29:22.08ID:yah9k8vy
そんな必死になんなよスガちゃん
0494人間七七四年2013/10/02(水) 17:00:04.14ID:mMwkuZW1
菅沼遼太が中学の問題に躍起なっていることは理解した
0495人間七七四年2013/10/02(水) 17:04:57.88ID:4CEVzBwG
リョータ
0496人間七七四年2013/10/02(水) 17:55:44.81ID:sfwj2OnK
菅沼遼太 在日朝鮮人3世 日本語勉強中 無職 童貞 ニート 親のすねかじり虫
0497人間七七四年2013/10/02(水) 18:53:13.87ID:T7HjJqKt
つまり病で先が無いように見える太閤様に、ほとんど終わってる桜を見せる会だったと
0498人間七七四年2013/10/02(水) 20:10:39.12ID:sfwj2OnK
菅沼遼太くん理論ではそうなるらしいな(笑)
0499人間七七四年2013/10/02(水) 22:40:11.24ID:KsDymcc4
そんなの開花日によって左右されるだろ
織田チョンアホ過ぎw
0500人間七七四年2013/10/02(水) 22:43:23.94ID:LhH2+6Qk
だったら桜の開花の話なんて自分からするんじゃねーよ菅沼遼太
0501人間七七四年2013/10/02(水) 22:45:37.79ID:KsDymcc4
速レスとかwww
24時間自宅監視キチガイ織田チョンwww
0502人間七七四年2013/10/02(水) 22:47:22.99ID:LhH2+6Qk
ブーメラン乙 

菅沼遼太 無職 自宅警備員 ニート
0503人間七七四年2013/10/02(水) 23:55:00.47ID:oWJI+u8F
>>474 ・・にしては>>1が変。

どう読んでも武田氏側に視点が置かれている。

「天正10年の武田氏滅亡を語るスレ」が正しいのでは?
0504人間七七四年2013/10/03(木) 11:47:27.55ID:9J00lgk+
>>503
まずsageろ
荒らし認定されたくなかったらな
0505人間七七四年2013/10/06(日) 14:20:53.24ID:pKOkmVyX
勝頼は小山田に裏切られたときも、どうやって岩村、長篠を奪回するかかんがえていたはず。
0506人間七七四年2013/10/06(日) 14:35:14.77ID:e+YkHsqV
まさしく東夷だったってことか…
0507跡部甲斐守良弼2013/10/06(日) 19:13:47.03ID:0RWgVTRD
菅沼良大って誰?
0508人間七七四年2013/10/09(水) 23:10:30.52ID:oduTv44W
井伊直政の家臣団は嫡男井伊直勝が引き継ぎ、
次男の井伊直孝には武田信吉死後の武田旧臣達が付けられ、
さらに秀忠近習に家康から任命され徳川軍の赤備隊として期待された。
そして直孝は家光後見役となり、
実質、大老として幕政を主導した。
家康が直孝をやたら贔屓し期待をかけ武田旧臣まで付けて赤備を許していたことから、
家康のご落胤説もあった。
0509人間七七四年2013/11/01(金) 23:18:01.93ID:zyv4boDq
穴山が裏切った時点でとっとと降伏しとけば、武田の家名ぐらいは残ったんじゃね?
1万石程度で。
0510人間七七四年2013/11/11(月) 00:02:16.35ID:Z4SivILs
某マンガで、甲州崩れのあまりの悲惨さを知って
ついつい「武田家滅亡」を買ってしまった。
今まで知らんかったけど、武田家ってあっけなかったんだな。
0511人間七七四年2013/11/13(水) 13:12:37.35ID:BrkwQ5O6
そら四方八方敵だらけで
ケチがつけばあっというまよ
0512人間七七四年2013/11/20(水) 18:30:03.02ID:QSxXGbPP
上杉景虎を見殺しにした罰かな
0513人間七七四年2013/11/28(木) 22:52:10.29ID:izcCM78S
景虎が勝頼と面識があり、かつ北条院がブラコンだと妄想すると
非常に萌える微妙な三角関係
0514人間七七四年2013/11/29(金) 13:10:00.90ID:HaohFvEb
横浜

福山

木梨

有吉

大久保
0515「ガスライティング」で検索を!2013/11/29(金) 16:34:05.76ID:zh91UJtN
★マインドコントロールの手法★

・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
 偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法

・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
 誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法


↑マスコミや、カルトのネット工作員がやっていること

TVなどが、偏った思想や考え方に染まっているフリや常識が通じないフリをする人間をよく出演させるのは、
カルトよりキチガイに見える人たちを作ることで批判の矛先をカルトから逸らすことが目的。

リアルでもネットでも、偽装左翼は自分たちの主張に理がないことをわかっているのでまともに議論をしようとしないのが特徴。
...
0516人間七七四年2013/12/12(木) 11:19:21.79ID:7NbDdC9k
.       ,、r‐''''''''''''''''ー 、
      ,r'         `' 、
     /             ヽ
.    / ,             ヽ
   ,,'  ;    ,、、,_  ニニ  ,、」、    俺は嫌な思いしてないから
   l.  :;;;i    ´ .._`ー   ‐''"....|     それに織田豊臣徳川らが糞味噌に叩かれようが俺の知った事ではないわ
   l:,;'"`'、,     ‐=・-;  -・=‐ ;〈     だって全員俺が嫌いな連中だし      
.   ';i l :::i;;,, ::'   ` ̄,:     ̄´ .:゙,   大袈裟に言おうがそいつらが無能でもなんとも思わん
    l;゙、',.::l;;;i     ゚人,,__,,人:..   l,   それは俺の頭の中では信玄公こそ戦国最強の存在だから
    l;;;;`‐;;;;;ヽ     , __ij..__ 、:  l;;;,,  つまり日本人なら武田信玄公を崇めるべき
. ,、rイ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ    `Zエlフ'´ , !;;;;:'
'.:.:.l ll ;;;;;;;;;;;;;;;;;' ,rニン" ` ̄´´ `ノ;;;;;`-、
:.:.:.| l.l  '';;;;;;;;;;;;;;'         ,イ l'''  l `
:.:.:.:| ','、  '''''''''   , ‐---,ェr'".l.|  |  |
:.:.:.:|  ゙、゙、       `''''''''"",ノ l l  .|  |             菅沼 遼太
0517人間七七四年2013/12/13(金) 10:23:52.77ID:BkVmNrC4
横浜湖

有働

入曽

広島

大宮

尼崎

吉祥寺
0518人間七七四年2014/01/10(金) 16:10:34.85ID:H81TxF7O
信長は勝頼の自爆に助けられまくったな
0519人間七七四年2014/01/10(金) 16:22:11.74ID:IUgBgzLr
信玄からして自爆しまくってるし武田のお家芸でしょ
0520人間七七四年2014/01/10(金) 21:21:57.59ID:ufzd6vEr
よく「さっさと降伏してれば」とかいう人がいるようだけど・・・

勝頼が甲江和与(信長との同盟)をずっと交渉していたのは記録に残っている
なんども許してください、お願いしますと訴えたが、信長は決して許さなかった

つまり、信長とこのまま戦ったら滅ぼされてしまうというのは
ほぼ確証に近いレベルで感じていたはずだ
当時の勝頼の行動を見ると、かなりの危機感をもっていたのはうかがえる

で、そもそも降伏ってのは、相手から降伏勧告があって初めて成り立つから
信長の場合、降伏すら許さなかったってこと
武力で討伐するのは決定事項だった
だから仮に「降伏します」とか宣言したところで、結果は一緒だよ
0521人間七七四年2014/01/10(金) 22:03:55.32ID:vCFKXqfR
>>520
>当時の勝頼の行動を見ると、かなりの危機感をもっていたのはうかがえる
所領安堵を条件としていたら降伏とは言えない
そして危機感すら全く感じない
単なる時間稼ぎと受け取ると思うが
0522人間七七四年2014/01/10(金) 22:41:10.76ID:ufzd6vEr
>>521
所領安堵ってなんだよw
だから何度も言うようにそれは攻め手側が提案することだろ

織田からしたら妥協する理由は全くないし
武田を滅ぼすことしか考えてなかった
勝頼は和議という形で単純に「停戦」を提案しているんだよ
配下になるとかそういう選択は最初からないって言ってるの
0523人間七七四年2014/01/10(金) 22:51:08.07ID:ufzd6vEr
例を挙げると
信長は浅井長政に対しては降伏勧告しているが、長政がそれをすべて蹴っているため浅井は攻められ滅亡した
武田勝頼に対してはそのつもりは全く無かったといえる

降伏できるかできないかは、完全に攻め手(織田方)に委ねられているのに
なんで負けるほうから降伏できると思うのかわからんw
もう少し勉強してくれ
0524人間七七四年2014/01/11(土) 00:50:54.03ID:peGruXhS
勝頼は現時点での自分の勢力の能力を過信してたな
あんなの北条が北陸を併呑するのに合わせて北条の傘下に入るしか選択肢がねえじゃん。
最初からそうしておけば信長侵攻でも落ち着いて上野国に避難かさらには武蔵、小田原まで
非難して一応武田家滅亡自体は防げたのに。
0525人間七七四年2014/01/11(土) 07:29:42.97ID:AzaI5vEW
だからあ、傘下に入れるか入れないかというのは、、(以下略)
0526人間七七四年2014/01/11(土) 08:18:33.09ID:LXTE4D/I
それが外交だろ
甲斐以外は差し出して関東東北征伐の先陣を勤めますぐらい言えば織田も妥協する
戦もただじゃないからな
領地は安堵しろ傘下に入りませんじゃそりゃ織田も折れるかよ
0527人間七七四年2014/01/11(土) 09:38:28.81ID:j1O9coOV
で、そろそろ下記の一次史料を出せよwww

勝頼が信長へなんども許してください、お願いしますと訴えた
0528人間七七四年2014/01/11(土) 11:06:05.33ID:SqHHqWvY
宇喜多なんかは嫡男を人質に出しているからなあ
勝頼も嫡男を差し出すくらいは最低でもすべきだった
0529人間七七四年2014/01/11(土) 13:23:42.67ID:98+fSsq5
>>522-523
おまえ戦国時代の知識が全然無いじゃん
変な知識をひけらかすな
条件提示は武田側からもできる
人質変換とかな
基礎から勉強やり直せ
0530人間七七四年2014/01/11(土) 21:49:21.20ID:7r6wcZ9w
すみませんでした
0531人間七七四年2014/01/11(土) 22:01:13.97ID:7r6wcZ9w
>>529
織田勝長を返還しただろ阿呆め

てか長篠のあと数年間は休戦状態にあったんだから
いきなり降伏しますはおかしいだろうが

木曽の離反とかが引き金となって甲州征伐に至ったんだよ
0532人間七七四年2014/01/11(土) 22:05:22.34ID:7r6wcZ9w
織田が攻めてきた時点で一気に内部崩壊しているのだから
勝頼の方から降伏するとかそういったことを提案する時間的猶予も既に無かったんだよ

降伏すればいいとかアホなこと言ってる奴は
具体的にどのタイミングですれば良かったのかハッキリ示せよ
0533人間七七四年2014/01/11(土) 22:09:04.48ID:rDXfwYWK
織田勝長を返還し同盟なったと思ったら奇襲だからな。
卑怯卑劣日本一の織田徳川。
岩村城の時も和睦で騙して磔だし。
まともに戦ったら負けると思ってたのだろうね。
なにせ織田軍は、甲越の兵を弓矢日本一と恐怖していたくらいだしな
0534人間七七四年2014/01/11(土) 22:38:54.54ID:SqHHqWvY
>>532
最低でも謙信が死んだ直後に降伏すべきだったと思うが
何の得にもならない上杉の家督争いに首を突っ込むよりはいいでしょ
この時点ならかなり信長に高く売れたはず
あとは徳川とも和睦して一緒に北条をぶちのめせばいい
0535人間七七四年2014/01/11(土) 22:50:40.13ID:NYVI9zGH
信長が天皇に土下座哀願し、
石山本願寺に和睦するように勅命を連続してだしたので、
断り続けるのは恐れ多いと受託したから、
時勢が変わっただけだしな。
それまでは義昭の方が明らかに優勢だったし。
だから信長は勝頼に江甲同盟を持ちかける詐欺で、
武田の鋭鋒から避ける為に必死だった。
0536人間七七四年2014/01/11(土) 23:01:41.75ID:7r6wcZ9w
>>534
なんかものすごい希望的観測にしか思えないのだが・・・

武田を残すことで信長には全くメリットないし
信玄時代に一度裏切られているのだから、二度と許さないって思うでしょ普通

それに武田家は重臣たちの合議制だから
降伏するなんていう選択肢は最初から無理な気がする
0537人間七七四年2014/01/11(土) 23:04:46.26ID:7r6wcZ9w
実際、武田崩れの時
もうだめだとわかったら一気にみんな離散していったし
降伏を決めた時点で大名家としては滅亡すると思う
0538人間七七四年2014/01/11(土) 23:58:56.07ID:NGYkadJ7
>>536
>それに武田家は重臣たちの合議制だから
>降伏するなんていう選択肢は最初から無理な気がする

信玄の若い頃ならともかく、勝頼の時代は中央集権進んでる
武田だけ他の家と比べて合議制だったと考える根拠は?
0539人間七七四年2014/01/12(日) 05:38:17.50ID:oetNxHQc
>>538
>勝頼の時代は中央集権進んでる
の根拠は?

武田崩れが中央集権化に失敗した結果でしょ
抵抗らしい抵抗をしたのは高遠城の仁科盛信だけで
長篠の時も御親類衆が速攻退却しているし
家臣団を掌握しきれていなかったのは一目瞭然だと思うが
0540人間七七四年2014/01/12(日) 09:56:15.11ID:vM5ZumnT
>>536
戦わずして甲信を勢力下に出来て他の戦線に戦力を割けるというメリットがあるよ
実際散々反抗していた三好一派や宇喜多を信長は赦している

もちろん二度と裏切らない証として最低でも宇喜多のように嫡男の信勝を人質として差し出さねばならない
もしくは家督を信勝に譲って勝頼自身が人質となるか
あとは勝頼がプライドを捨てて信長に土下座出来るかどうかだね
少なくとも宇喜多直家には出来た
0541人間七七四年2014/01/12(日) 10:11:22.60ID:hrTxrxlt
むしろ中央集権化すらやろうとせず、
三好の猿真似で、一職支配を連発して、
家臣団を軍閥化させて、
自立可能なまでに成長した軍閥により、
本能寺の変に至らしめた信長…
0542人間七七四年2014/01/12(日) 10:56:38.32ID:BwUoiHEB
>>539
中央集権化っていうのは基本的に在地領主の力を削ぐこと
これは信玄の代から徐々に進んでたし、他家と比べて武田が遅れていたとは思わない
何故武田だけ合議制だったとするのか根拠がわからない
家臣の掌握に失敗した理由は長篠、高天神、岩村での失策や重税
あと家督相続の経緯が悪い、もっとも武田に限らず家督相続がスムーズにいくことは滅多にないけど

降伏出来るかというとやはり信長が許さない、信玄に突然裏切られた恨みが大きいのは明らか
0543人間七七四年2014/01/12(日) 12:32:16.21ID:HJLIfR6H
合議制から徐々に信玄がリーダーシップを発揮し始め、
カリスマ化してきた結果、
組織改革と家臣再編がスムーズに進んだのが武田。
しかし合議制の原則は崩れておらず、
意見を出し合う取次指南の職務を兼ねる参謀的な関係に進化してる。
また家督相続の経緯も別に悪くないし、
スムーズに済んでいてトラブルも起きてない。
家臣掌握にも失敗してないし、
長篠は引き分け、
岩村城や高天神城は和睦詐欺の騙し討ちで、
武田の失策じゃないし、
重税どころか大小切りの善政を続けていた。
信濃がきちんと統治されていた時代には当然に徴収されていた、
諏訪大社の整備に信濃一国役を課した為に、
税を払いたくないやつらが重税だとか騒いだだけの話を、
悪意の拡大解釈しなければ重税とか悪政なんて呼ばれるようなことはやってないわ。
0544人間七七四年2014/01/12(日) 13:48:36.29ID:HJLIfR6H
合議制スタートと言っても、実態は守護による独裁統治を否定した国人権臣達の合議で、
前当主を追放し、新たに擁立した傀儡だったのが晴信政権だからな。
リーダーシップを発揮する指導力ある当主が国の各地の意見をすくう為に、
反政権有力者を政権に取り込み参加させ、
彼らを幕僚として左右に諮る連判合議制は当時の最新民主体制。
これが検地を通じて、当主から新たに安堵を受ける行為を通して、
土着性を消して官僚化させていくのが豊臣政権。
豊臣政権の権力の裏付けを背景に、
大名たちが、家臣団を支配統制を強める動きとなり、
三河のめんどくさい家臣団に困っていた家康は、
義兄秀吉の力添えでやっと家臣団統制ができたのが関東移封。
徳川家臣団は秀吉に勝てる見込みがないので、
おとなしく移封に応じて、領地や城を秀吉に引き渡した。
0545人間七七四年2014/01/12(日) 18:02:03.92ID:lGiTyJT3
>>543
52 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/02/14(火) 23:18:24.67 ID:unUmC4Bz
だがの文書理解能力
()内がだがの解釈

年々三分?(二)相納申候、其残者致未進候、...
(たった三分しか税をとらなかったのか、 三分収めたら残りは納めることはない。 )
百性等...人馬借申候得共、致難渋候条、...
(???)
...彼屋敷御棟別ニ到退屈、逐電申候、同者棟別銭半分も御赦免候ハヽ、家をも造申、所も可到繁盛候、...
(棟別銭を半分にしてやったから 新築して繁盛しまくりって書いてあるから )

現在の漢字の意味だけで文章構築してるみたいだなw


あぁ、()内は気にしないでw
恣意的に解釈しないなら、民草が疲弊するほどの重税だな
0546人間七七四年2014/01/22(水) 19:58:54.83ID:VvbYEpdc
丸馬出の武田の城、諏訪原城の城ラマ。
http://mirai660.net/castle/suwaharajyoh_model.html
0547人間七七四年2014/01/23(木) 16:30:50.40ID:YlcMmr7Q
>>徳川家臣団は秀吉に勝てる見込みがないので、おとなしく移封に応じて、領地や城を秀吉に引き渡
信雄家康は秀吉に圧勝したじゃん。135000の大軍の秀吉に長久手で1万人戦死させた後
その後も蟹江前田下市場東駒野河波浜田戸木松ノ木長久保など勝ちまくって
秀吉は会戦当初から寝返りで崩壊状態だった信雄領国を尾張半国すら切り取れず本願寺顕如に必死に取り成し懇願した上に
信雄相手に必死に苅田や放火をやりまくってなんとか和議までこぎつけただけだし
翌年も家康相手に土下座して母と妹を差し出してやっとこさ臣従させただけだし
家康は人質なんて出してないし、秀吉が顕如やら信雄やらに必死に取り成し懇願して
「ワシに従ってくれ〜」とばかりに母や妹までも差し出してきたので、やれやれと思った家康は仕方なく応じてやっただけ。
当時の家康なんて木曽小笠原石川水野真田と続け様に離反し、領国の軍事機密露見で
国力差でいっても普通に10倍くらい開きがあるし上杉真田木曽小笠原石川など遠征に協力する諸氏もアホみたいにいて
普通に考えりゃ瞬殺できないとおかしい地力の差があるのに直前まで侵攻計画諸大名に発布してたと思ったら
直前になったら信雄を送って仲介してもらって母や妹まで人質に出して土下座して戦いを避けるとか情けなさすぎる。

そもそも豊臣政権自体が単に敵対者の対立を利用して得た漁夫の利の棚ボタ勢力だから
敵対勢力を根こそぎ潰すなんてできるわけがない(実際信雄・家康を散々押し潰すだの攻め滅ぼすだの書状で書きまくっておいて戦うと
長久手で1万人戦死、戸木・松ノ木・浜田・蟹江・二重堀・神戸・東駒野など各城郭で負けまくったんだからそんな芸当無理)
対明知戦…摂津衆、神戸信孝・丹羽・中川など離反。対柴田戦…勝豊・稲葉ら美濃衆・前田・不破・金森・信雄
そこで上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争い家康の同盟者北条との関係の悪さからも秀吉側につくのは
自然な流れだし毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。
毛利の敵対者宇喜多、南条、尼子残党、赤松、小寺、山名、別所、浦上、草刈
長曾我部の敵対者十河や河野、島津の敵対者大友や龍造寺残党・相良・阿蘇、北条の敵対者佐竹・結城・宇都宮・那須・壬生・皆川、
信濃での家康の扱いに不満を持った木曽、小笠原、真田や水野、石川
等の場合も同じ。元々敵対者同士だったか家康の扱いに不満があったのを利用しただけで取った中身のない天下だから
一々敵対勢力潰すなんてしてたらこいつらまで敵に回して滅ぼさなくちゃいけないからそんな実力到底秀吉にはない(対毛利戦や信雄戦で証明してる)
翌年も家康は全く秀吉に屈服どころか、お互いにらみ合って秀吉は会戦準備まで進めてたし
家康は家康で北条との関係強化やら、諸城普請など戦争の準備やってるのに、上下関係、臣従関係は全く生じてないんだから
人質なわけねーだろクズ、
戦国時代の人質を分析した上井有規子氏は養子や政略結婚で嫁いだ女性を人質と同一視してはならないと警告している。
彼と彼女らは同盟が破れた際にも殺害対象とはならず、人質とは異なる存在だったという。
0548人間七七四年2014/01/23(木) 16:31:37.27ID:YlcMmr7Q
>>信雄と家康が土下座したので、 講和してやり
信雄や家康は土下座なんてしてねーよボケw
>>22日は東国平定を祝して朝廷は秀吉を従三位権大納言に任
はぁ?なんで東国なんてノータッチの場所が平定されてる事になるんだよ。
ひょっとして秀吉の「東国は氏政、北国は景勝まで秀吉の存分に候」とかデタラメをデッチあげている誇大喧伝を真に受けてるのか?。
>>12/12には家康が早速、義伊(秀康)を秀吉への人質
アホかお前。天正12年の秀吉と家康は一時的に和睦停戦しただけで翌年も両者は冷戦状態が続いてて全く恭順関係にもないのに人質とか馬鹿か。
停戦の条件として秀康を養子に出しただけだし信雄も秀康を秀吉は人質としては扱っていないと言ってるし
>>20日には秀吉が佐野宗綱に家康が人質を提出したと報告しているので義伊が秀吉の元に到着したと思われる
戦死した池田遺臣にあてた天正12年11/13秀吉書状では家康が実子及びその重臣石川以下の人質を出す事を認め服従を願ってきたなどとデタラメをデッチあげているが、
近臣の小野木11/17書状で「家康、近日人質可被出之由候」と書き、この時点で家康の人質が来ていない事が露呈する。
戦国時代の人質を分析した上井有規子氏は養子や政略結婚で嫁いだ女性を人質と同一視してはならないと警告している。
彼と彼女らは同盟が破れた際にも殺害対象とはならず、人質とは異なる存在だったという。
池上裕子氏は秀康の送付を「家康の敗北・服属を意味するものではなかった」ととらえ、さらに
「秀吉は勝てなかった。快進撃は頓挫した。家康は秀吉の天下統一事業の前に大きく立ちはだかったのである。秀吉はここまで信長の
天下布武すなわち武力統一の路線を走ってきたが戦局が膠着し好転する兆しをみせなくなった所で敢然と路線変更に踏み切る」
家康は講和直後和親は「羽柴懇望」により応じたと北条に説明した(田島文書大日本史料11/17条)
戦国を代表する凡将織田信雄ごときに大敗を繰り返し1年かけてもまだ苦戦を続けていた秀吉は天正12年11/4本願寺顕如に信雄・家康への取り成しを依頼しこれにまんまと信雄が乗って
しまったため北条の変心と上杉の川中島〜中信濃への出兵への備えのため単体では8000しか対秀吉に動員できない家康は単独で抗戦する名文も兵力も失い和議にのらざるをえなくなる。
この時点で家康は秀吉に従ったわけでもなんでもなく翌年は軍備をちゃくちゃくと進め北条との同盟関係強化・家中の人質徴収、本願寺派の中心寺院の三河七か寺の還住を許可し動員を期待
している。また岡崎・当部城などの普請も初めている。秀吉も天正14年初頭まで家康との対決姿勢を崩していない。兼見卿記1/28秀吉が家康との再戦のため出陣準備を始めた
天正13年11/19秀吉→真田昌幸 この上は人数を出し、家康を成敗するべく相極候、秀吉の出馬の儀は当年無余日候間、其国(信濃)へも其方の申す次第に軍勢を入れ差し遣わす
11/20秀吉→一柳来春の家康攻撃準備を命じ尾張星崎から三河の情報を収集するよう伝えている。ちなみにこの頃天正大地震の影響で徳川領国はめちゃめちゃになる(三河で大洪水が
起きたりしている)天正14年1/9秀吉→上杉景勝では去年申したように先勢を当月に差し遣わし2/10くらいに自身も出馬する。四国・西国の人数其の外兵糧以下の儀は船手を以って申し付けた
2月末・三月初めくらいに海上を自由にできる。其の方の人数は2月中旬くらいに信州へ人馬の足立申すべく候、信州・甲州・関東の儀は申すに及ばず公事に抜かりないように。
信濃へは其の方の人数だけでは足りないだろうから2・3万この方からも木曽口へ使わす。2/10くらいには尾張迄出馬するなどと事細かかに家康討伐計画と上杉の出馬要請を行っている。
このように天正12年時点での和睦がそもそも臣従でも何でもないんだから人質でもなくただの和睦条件だったというだけ。
0549人間七七四年2014/01/23(木) 16:32:15.91ID:yz5ME4RZ
跡部信氏
秀吉の信雄「実子」獲得宣言には疑惑が残る。本願寺の「顕如日記」は信雄が「妹岡崎殿ト云ヲ御出し」したと伝えているのだ。
こちらが本当なら秀吉は得意の誇大喧伝をもって、妹より人質としての価値が高い実子の受納を宣言した事になるが、真相はわからない。
岡崎殿は家康の長南信康の未亡人であるからこの合戦の人質として似つかわしいが、信雄とは一歳違いであるから、兄に扶養される「養女」
であったとしても実子とまぎれる可能性は低いのだ。
>>正親町天皇が譲位の思召を伝えるとすぐ天正12年10月4日には譲位後の生活を送る仙洞御所を造営すべく縄打を開始してる
そりゃ秀吉は短期決戦で135000の規格外の大軍持ちながらわずか16000程度の雑魚信雄相手に1万人ぶち殺され、しかもその後の攻防でも
蟹江・前田・下市場・二重掘・浜田・長久保・東駒野・松ノ木・戸木と負け続けて会戦早々から寝返りが連発してて崩壊状態だった信雄領国を1年一杯かけても
尾張半国すら切り取れない程アホみたいに蹴散らされてたからな。
朝廷に献品&屋敷作ったり貢献しまくってなんとか高い地位手に入れただけです
長久手の戦いに大敗して将軍を目指す構想が適わなくなって武力平定諦めたため
各大名の高い自立を認めた非常に弱い政権しか敷けず秀吉死んだだけで天下は崩壊
豊臣滅亡で完全に負け犬
朝廷は利用していないけど信雄をまんまと利用した
しかも83年以前と84年以降で朝廷への接近度が違いすぎる
これらの論文でも小牧長久手の戦いが契機となったと書いている
それを否定してるのは堀氏など一部のアンチ徳川の馬鹿学者くらいだよ
史料に残ってるのに史料無視のアンチ徳川馬鹿の妄想なんて信じない方がいい

近世成立期の大規模戦争、小牧長久手の戦いの構造、秀吉の天下統一戦争、戦国織豊期の朝廷と公家社会
池上裕子氏「日本の歴史 15織豊政権と江戸幕府」
立花京子「織豊期研究」「秀吉権力と「天皇の静謐」」
このあたりも上記と同じ見解を示している

秀吉は84年から頻繁に上洛したり御所を造営したり禁裏での饗応に参加したり
連歌興行に参加したり積極的に朝廷への接触をはかるようになるよ。
また秀吉がこれ以前にはほとんど見られなかった献上行為
が天正12年6月 秀吉⇒天皇 鳥、百羽
天正13年3月 秀吉⇒天皇 太刀代折り紙 銀百枚
       秀吉⇒誠仁親王 銀50枚
       秀吉⇒和仁親王 銀20枚
    7月 秀吉⇒天皇  白鳥三 蝶子三十
        ⇒誠仁親王  白鳥ニ 綿百吊 
        ⇒和仁親王  太刀
        ⇒若御方   料紙

と献品しまくり

また寺社衆への所領安堵もしまくっている    
長久手で一敗地にまみれた秀吉が朝廷を利用する事を考えたんだろう

そもそも秀吉は政権なんて取ってない。実力のない公家とか朝廷とかが形式的に従えてるのと同じ
秀吉が天下取ったというなら公家や朝廷が天下取ったというのと同じ事
秀吉が本当の意味で天下取ったといえるなら秀吉死んだくらいで豊臣が揺らぐはずがないし
家康三成のごたごたでめちゃめちゃになるなんておかしい
結局皆うわべだけ従ってただけ。武力で統一したわけじゃなく停戦令を通達して
戦いをやめさせただけの間接支配だったからあっさり瓦解しただけ。
0550人間七七四年2014/01/23(木) 16:32:53.49ID:YlcMmr7Q
それで敗戦まみれだった秀吉が、天正12年11/4本願寺顕如に信雄・家康への取り成しを依頼し
これにまんまと信雄が乗ってしまったため北条の変心と上杉の川中島〜中信濃への出兵への備えのため
単体では8000しか対秀吉に動員できない家康は単独で抗戦する名文も兵力も失い和議にのらざるをえなくなる
そしてこのときの秀康に関しては秀吉の命令で人質に入った等という資料はなく
11/13秀吉→伊木、池田、荒尾11/15→津田、11/18→前田で家康側から実子を差し出してきたと書いている
そしてこれを秀吉は人質としていたが家忠日記や多聞院日記でも養子となっている
この時点で家康は秀吉に従ったわけでもなんでもなく
翌年は軍備をちゃくちゃくと進め北条との同盟関係強化・家中の人質徴収、本願寺派の中心寺院の
三河七か寺の還住を許可し動員を期待している。また岡崎・当部城などの普請も初めている
秀吉側も天正14年初頭まで家康との対決姿勢を崩していない
兼見卿記1/28秀吉が家康との再戦のため出陣準備を始めた
天正13年11/19秀吉→真田昌幸 この上は人数を出し、家康を成敗するべく相極候、
秀吉の出馬の儀は当年無余日候間、其国(信濃)へも其方の申す次第に軍勢を入れ差し遣わす
11/20秀吉→一柳 来春の家康攻撃準備を命じ尾張星崎から三河の情報を収集するよう伝えている
ちなみにこの頃天正大地震の影響で徳川領国はめちゃめちゃになる(三河で大洪水が起きたりしている)
天正14年1/9秀吉→上杉景勝では去年申したように先勢を当月に差し遣わし2/10くらいに自身も出馬する
四国・西国の人数其の外兵糧以下の儀は船手を以って申し付けた。2月末・三月初めくらいに海上を自由にできる
其の方の人数は2月中旬くらいに信州へ人馬の足立申すべく候、信州・甲州・関東の儀は申すに及ばず
公事に抜かりないように。信濃へは其の方の人数だけでは足りないだろうから2・3万この方からも木曽口へ使わす
2/10くらいには尾張迄出馬する、などと事細かかに家康討伐計画と上杉の出馬要請を行っている
このように天正12年時点での和睦がそもそも臣従でも何でもないんだから人質でもなくただの和睦条件だったというだけ。
>>正親町天皇が譲位し後陽成天皇即位する儀式に、家康を朝廷に帰服させるべく
だからなんで正親町親王の譲位問題に半分敵対勢力の徳川が絡むんだよアホ。
家康が朝廷に帰服しようがしまいが関係ねーよクズw
>>秀吉の朝廷への推挙で家康を5日に従三位に任じてもらい、
そりゃ秀吉自身家康にビビリまくってるからな。だからこそ自国の15分の1程度の国力しかなく
しかも譜代の離反で軍事機密が露見し領国崩壊状態の徳川に対して顕如や信雄に土下座して必死に和睦仲介やってもらったり
侵攻計画を散々講じておきながら、直前になるとビビリまくって母や妹を人質に差し出して家康に「ワシにしたがってくれ〜」とばかりに土下座して
なんとか家康がこれに応じただけだし。、
>>後陽成天皇の晴れ舞台を用意した秀吉
家康にビビリまくって土下座して臣従させたのを無理矢理正親町親王の譲位問題に摩り替えるアホ乙
>>秀吉への恩から織田秀信も織田信雄も関が原で西軍だった
はぁ?
秀吉に対して信雄や秀信が恩があるわけねーだろクズw
信雄→主家簒奪に一時的に当主に祀り上げられながら、その後たいした理由もなく攻め込まれるなど
散々利用され、結果的に屈服を余儀なくされ、その後も無理矢理いちゃもんつけて改易
秀信→当時幼少だったにもかかわらず、秀吉の簒奪のために名目上の織田家当主として祀り上げられ
その後は秀信はほとんど無視の傀儡と化すほど、秀吉の勝手きままな専横によって織田政権は事実上崩壊。
主家を簒奪し滅ぼした張本人の秀吉に対して利用されただけの信雄や秀信が恩があるわけねーだろw
>>彼らを関が原後に改易したのは家康
その後皆大名に復帰してるわアホ
0551人間七七四年2014/01/23(木) 16:33:32.80ID:NyCDRoBj
吉方のは135000もの規格外の大軍でもってわずか16000程度の雑魚信雄相手に短期決戦挑んで1万人殺された後
二重掘合戦でわずか1000程度の雑魚の信雄の奇襲にビビッて楽田から敗走した後、
戸木城、松ノ木城、東駒野城、河波城で敗戦(4月〜11月の間で戦闘が確認できるが信雄や家康からの奮戦に対する感状や勝利の報告ばかり
で結局落城せず)6月に前田・下市場、7月に浜田城、蟹江城、11月に長久保城など、いずれも秀吉から眼前にある城を
秀吉より遥かに少ない軍勢で攻め込まれて奪回されるアホっぷり。
結局、全く戦闘に勝てず手詰まりになった秀吉が11/4に顕如に土下座して取り成しを要請して
しかたねぇなと思った信雄が温情で講和に応じてくれたおかげでなんとか引き分けで終わっただけ
0552人間七七四年2014/01/23(木) 16:34:21.25ID:mo4LWYgE
秀吉は実力じゃ全く信雄や家康に勝てないからって天正13年の夏の三河で起きた地震で三河の大洪水で田畑がメチャメチャに流され、徳川方が大ダメージを負い
さらに家康の真田攻め、丸子合戦などで大敗したダメージや、譜代衆含めた領国での離反連鎖などに付け込んで
火事場ドロ的に徳川領に侵攻をかけようと着々と計画を練ってたが、いざその時期が来た!と思ったら
ビビリまくって信雄を送って仲介した上に、妹を差し出して戦いを避けてるんだよな。
上杉も木曽も真田も秋から出兵計画聞かされてて、いざ出陣と身構えてただろうけど、あまりの秀吉のヘタレっぷりに
あきれ果てたのは間違いない。
天正13年の時も家康が夏の三河で起きた地震で三河の大洪水で田畑がメチャメチャに流されるなど大ダメージを負い
真田攻めの上田合戦や丸子合戦などで大敗したダメージや、前年の木曽に続く小笠原・水野・石川・真田の離反やそれによる
領内軍事機密露見に付け込んで 火事場ドロ的に徳川領に侵攻をかけようと
着々と計画を練って上杉や真田や木曽や一柳に散々計画を書いてたが、いざその時期が来た!と思ったら
ビビリまくって信雄を送って仲介した上に、妹を差し出して戦いを避けてるんだよな。
どんだけ家康が怖かったんだよ秀吉。まあ直接対決で蹴散らされまくったからビビリまくるのは当たり前だよな
0553人間七七四年2014/01/23(木) 16:36:01.68ID:16YciKv8
家康は人質なんて出してないし、秀吉が顕如やら信雄やらに必死に取り成し懇願して
「ワシに従ってくれ〜」とばかりに母や妹までも差し出してきたので、やれやれと思った家康は仕方なく応じてやっただけ。
当時の家康なんて木曽小笠原石川水野真田と続け様に離反し、領国の軍事機密露見で
国力差でいっても普通に10倍くらい開きがあるし上杉真田木曽小笠原石川など遠征に協力する諸氏もアホみたいにいて
普通に考えりゃ瞬殺できないとおかしい地力の差があるのに直前まで侵攻計画諸大名に発布してたと思ったら
直前になったら信雄を送って仲介してもらって母や妹まで人質に出して土下座して戦いを避けるとか情けなさすぎる。
和睦停戦してるのになんでわざわざ秀吉に挑みかからないといけないんだよアホ
秀吉なんて天正13年秋〜翌年1月にかけて家康討伐をちゃくちゃくと進めてたが結局いざとなったらビビリまくって
信雄に取り成ししてもらったり母と妹を人質に出して決戦を避けてるんじゃねぇかw
しかも当時の徳川は木曽石川真田小笠原水野の離反とそれによる領国の軍事機密露見により崩壊状態といっていいのに
そんな状況ですら決戦必死に避けてるほど秀吉は家康にビビリまくってるんだよアホ
>>朝日姫は小心者の家康を安心して上洛できるようにした関白の慈悲だろw
お前の妄想だろタコw普通に家康にビビリまくってるからそんな事する必要があるんだし信雄相手に負けまくった天正12年の攻防もあって、
家康に対してもかなり警戒して何とか従わせたかったから「ワシに従ってくれ〜」と土下座して、家康はやれやれと恭順しただけ。
結局これが原因で豊臣家は滅ぼされることになるんだし、結果でいっても完敗してるのは明らか。
家康領国なんて木曽小笠原石川水野真田と続け様に離反し、領国の軍事機密露見で
国力差でいっても普通に10倍くらい開きがあるし上杉真田木曽小笠原石川など遠征に協力する諸氏もアホみたいにいて
普通に考えりゃ瞬殺できないとおかしい地力の差があるのに直前まで侵攻計画諸大名に発布してたと思ったら
直前になったら信雄を送って仲介してもらって母や妹まで人質に出して土下座して戦いを避けるとか情けなさすぎる。

跡部信氏
秀吉の信雄「実子」獲得宣言には疑惑が残る。本願寺の「顕如日記」は信雄が「妹岡崎殿ト云ヲ御出し」したと伝えているのだ。
こちらが本当なら秀吉は得意の誇大喧伝をもって、妹より人質としての価値が高い実子の受納を宣言した事になるが、真相はわからない。
岡崎殿は家康の長南信康の未亡人であるからこの合戦の人質として似つかわしいが、信雄とは一歳違いであるから、兄に扶養される「養女」
であったとしても実子とまぎれる可能性は低いのだ。

戦死した池田遺臣にあてた天正12年11/13秀吉書状では家康が実子及びその重臣石川以下の人質を出す事を認め服従を願ってきたなどとデタラメをデッチあげているが、
近臣の小野木11/17書状で「家康、近日人質可被出之由候」と書き、この時点で家康の人質が来ていない事が露呈する。

戦国時代の人質を分析した上井有規子氏は養子や政略結婚で嫁いだ女性を人質と同一視してはならないと警告している。
彼と彼女らは同盟が破れた際にも殺害対象とはならず、人質とは異なる存在だったという。
池上裕子氏は秀康の送付を「家康の敗北・服属を意味するものではなかった」ととらえ、さらに
「秀吉は勝てなかった。快進撃は頓挫した。家康は秀吉の天下統一事業の前に大きく立ちはだかったのである。秀吉はここまで信長の
天下布武すなわち武力統一の路線を走ってきたが戦局が膠着し好転する兆しをみせなくなった所で敢然と路線変更に踏み切る」
家康は講和直後和親は「羽柴懇望」により応じたと北条に説明した(田島文書大日本史料11/17条)
0554人間七七四年2014/01/23(木) 16:37:07.48ID:9ngriX90
天正13年も秀吉方家康方はかなりの緊張関係にあり秀吉は天正13年12月頃まで真田木曽上杉などにあてて家康討伐計画を着々とすすめていると書いていて来春には決戦すると書いてるが
直前になって信雄を取り成しの使者として派遣した上に母と妹を人質に差し出しておりいかに家康にびびってたかわかる(ちなみに家康領国は天正11年からの徳政連発と
木曽小笠原真田石川水野など譜代衆の離反により軍事機密露見、また13倍ほどの国力差がついており
普通なら一週間で一ひねりできる圧倒的優位な状況で上記のように出兵計画進めていたにもかかわらずいざとなったらビビリまくって信雄に必至に取り成し頼んだり母や妹まで送り込んで
必至に懐柔しなきゃいけない醜態っぷり)
和議の前日に秀吉は馬を納めるつもりといってるし和議がなった時の書状でも馬を収めるつもりでいたら
信雄が種種懇望してきたと書いてる。完全に信雄がヘタレてラッキーで和議がなっただけ
11月10日秀吉→大井、土井 砦を数箇所構築したので納馬する予定である
11月11日秀吉→津田 砦以下を構築し、2、3日中に納馬予定でいた所、信雄より種種懇望があったので
講和について同心した。 秀吉は10月28日にも丹羽宛書状で砦が出来次第、「大阪に」納馬する予定だと言っている
また浜田・桑名・長島・など圧倒的大軍に攻囲されながらなおも抗戦中
戸木も軍記では開城した事になってるが一次資料にはない
実際は苅田の応酬で領内荒らしまわった程度で大した戦果がないのが実態
んで福田氏も寝返るが結局長久保も奪回

ちなみに織田・徳川方は家康が領国に半分の兵を帰し1万足らずの兵力
どうみても苦戦しまくりでラッキーで和議が結べただけです
ちなみに尾張松ノ木近辺の諸将は会戦当初から去就が微妙で
終盤になってから劣勢になりまくって裏切り続出といった流れではない
3/16信雄→吉村 松ノ木近辺の者が羽柴方についたとの報に接し兵糧等の支給を約束
3/18秀吉→尾張石田の毛利広盛で毛利秀頼に同調して内応した事を賞賛
美濃でも去就が定かでなかった池田・森が羽柴方について信雄は留守同然だった犬山城に襲撃を食らう
伊勢でも神戸・関・信包など地元諸将は多く羽柴方についたため&池田らに対応するため徳川が尾張方面に転進したおかげで
楽に侵攻できただけ。家康は3/1松平親宅に蔵役・酒役免除3/3徳川家康定書 で三・遠両国で徳政家忠日記3/4で三河・遠州徳政入、
信雄も3/17 尾張聖徳寺および寺内町の年貢諸役免除、違乱煩いを停止3/25家康→尾張熱田の加藤景延らに信雄の了承の上で徳政免除を認めると
圧倒的不利な状況の下での会戦をしており 現に夏に半分兵を帰し一万足らずしかいなかった。(家忠日記・当代記)
そんな圧倒的有利な状況&条件で各所で苦戦・敗戦を繰り返しまくって尾張半国すら切り取れなかったのが秀吉
0555人間七七四年2014/01/23(木) 16:39:03.32ID:9ngriX90
>>自分可愛さの家康は上洛したら殺されるとビビっており何とか誤魔化していたが

下記のように秀吉がビビリまくってて家康は暢気に過ごしてただけ。
秀吉は実力じゃ全く信雄や家康に勝てないからって天正13年の夏の三河で起きた地震で三河の大洪水で田畑がメチャメチャに流され、徳川方が大ダメージを負い
さらに家康の真田攻め、丸子合戦などで大敗したダメージや、譜代衆含めた領国での離反連鎖などに付け込んで
火事場ドロ的に徳川領に侵攻をかけようと着々と計画を練ってたが、いざその時期が来た!と思ったら
ビビリまくって信雄を送って仲介した上に、妹を差し出して戦いを避けてるんだよな。
上杉も木曽も真田も秋から出兵計画聞かされてて、いざ出陣と身構えてただろうけど、あまりの秀吉のヘタレっぷりに
あきれ果てたのは間違いない。
天正13年の時も家康が夏の三河で起きた地震で三河の大洪水で田畑がメチャメチャに流されるなど大ダメージを負い
真田攻めの上田合戦や丸子合戦などで大敗したダメージや、前年の木曽に続く小笠原・水野・石川・真田の離反やそれによる
領内軍事機密露見に付け込んで 火事場ドロ的に徳川領に侵攻をかけようと
着々と計画を練って上杉や真田や木曽や一柳に散々計画を書いてたが、いざその時期が来た!と思ったら
ビビリまくって信雄を送って仲介した上に、妹を差し出して戦いを避けてるんだよな。
どんだけ家康が怖かったんだよ秀吉。まあ直接対決で蹴散らされまくったからビビリまくるのは当たり前だよな

>>秀吉から表裏と捉えられかねない状況に追い込

表裏も糞も、最初から単に停戦和睦して養子を出しただけなのを、秀吉が勝手に人質だの臣従だの勘違いして家康にいちゃもんつけてただけじゃん。
秀吉なんて天正13年秋〜翌年1月にかけて家康討伐をちゃくちゃくと進めてたが結局いざとなったらビビリまくって
信雄に取り成ししてもらったり母と妹を人質に出して決戦を避けてるんじゃねぇかw
しかも当時の徳川は木曽石川真田小笠原水野の離反とそれによる領国の軍事機密露見により崩壊状態といっていいのに
そんな状況ですら決戦必死に避けてるほど秀吉は家康にビビリまくってるんだよアホ
0556人間七七四年2014/01/23(木) 16:39:59.99ID:NyCDRoBj
>>信雄は秀吉は佐々も潰すけど、お前どうすんの?って家康へ最後通牒を叩き
そんな事全くやってない。信雄は家康に秀吉は秀康を全く人質としては扱ってないよ。
だから秀吉にもっと人質出して臣従してしたら?と、家康にビビリまくった秀吉の必死の土下座要請に応じて、取り成しをやってただけ。
秀吉の家康討伐の際(天正14年初頭)にも秀吉は信雄に取り成しやってもらって母や妹まで送って必死に戦い避けてるし。
>>さらなる人質を出して秀吉の騎下に服しない場合は、討伐する
そんな事信雄の文書に書いてねーよクズ。
>>家康はビビッた
下記のように秀吉がビビリまくってて家康は暢気に過ごしてただけ。
秀吉は実力じゃ全く信雄や家康に勝てないからって天正13年の夏の三河で起きた地震で三河の大洪水で田畑がメチャメチャに流され、徳川方が大ダメージを負い
さらに家康の真田攻め、丸子合戦などで大敗したダメージや、譜代衆含めた領国での離反連鎖などに付け込んで
火事場ドロ的に徳川領に侵攻をかけようと着々と計画を練ってたが、いざその時期が来た!と思ったら
ビビリまくって信雄を送って仲介した上に、妹を差し出して戦いを避けてるんだよな。
上杉も木曽も真田も秋から出兵計画聞かされてて、いざ出陣と身構えてただろうけど、あまりの秀吉のヘタレっぷりに
あきれ果てたのは間違いない。
天正13年の時も家康が夏の三河で起きた地震で三河の大洪水で田畑がメチャメチャに流されるなど大ダメージを負い
真田攻めの上田合戦や丸子合戦などで大敗したダメージや、前年の木曽に続く小笠原・水野・石川・真田の離反やそれによる
領内軍事機密露見に付け込んで 火事場ドロ的に徳川領に侵攻をかけようと
着々と計画を練って上杉や真田や木曽や一柳に散々計画を書いてたが、いざその時期が来た!と思ったら
ビビリまくって信雄を送って仲介した上に、妹を差し出して戦いを避けてるんだよな。
どんだけ家康が怖かったんだよ秀吉。まあ直接対決で蹴散らされまくったからビビリまくるのは当たり前だよな

>>年が明けるとすぐ信雄にあって秀吉への取次ぎを頼んだ。
はあ?取り成し頼んだのは秀吉であって家康じゃねーよクズ。
なんで豊臣に従ってもいない家康が、豊臣の配下になってた信雄に取り次を頼める立場にあるんだよアホ。
信雄はその時期もう完全に秀吉の配下であって、秀吉の意で動いてたんだから、秀吉が必死に戦いを避けるために
家康への仲介を依頼しただけだろどうみても。

秀吉なんて天正13年秋〜翌年1月にかけて家康討伐をちゃくちゃくと進めてたが結局いざとなったらビビリまくって
信雄に取り成ししてもらったり母と妹を人質に出して決戦を避けてるんじゃねぇかw
しかも当時の徳川は木曽石川真田小笠原水野の離反とそれによる領国の軍事機密露見により崩壊状態といっていいのに
そんな状況ですら決戦必死に避けてるほど秀吉は家康にビビリまくってるんだよアホ
>>朝日姫は小心者の家康を安心して上洛できるようにした関白の慈悲だろw
お前の妄想だろタコw普通に家康にビビリまくってるからそんな事する必要があるんだし信雄相手に負けまくった天正12年の攻防もあって、
家康に対してもかなり警戒して何とか従わせたかったから「ワシに従ってくれ〜」と土下座して、家康はやれやれと恭順しただけ。
結局これが原因で豊臣家は滅ぼされることになるんだし、結果でいっても完敗してるのは明らか。
家康領国なんて木曽小笠原石川水野真田と続け様に離反し、領国の軍事機密露見で
国力差でいっても普通に10倍くらい開きがあるし上杉真田木曽小笠原石川など遠征に協力する諸氏もアホみたいにいて
普通に考えりゃ瞬殺できないとおかしい地力の差があるのに直前まで侵攻計画諸大名に発布してたと思ったら
直前になったら信雄を送って仲介してもらって母や妹まで人質に出して土下座して戦いを避けるとか情けなさすぎる。
0557人間七七四年2014/01/23(木) 16:41:35.64ID:hQqnqudU
>>秀吉に臣従する以外に生存する道が無くなった
家康は秀吉の威圧行動と対真田の敗戦や上杉景勝の川中島侵攻や天正13年夏の領内大地震や木曽小笠原石川水野真田の離反とそれに伴う領国機密露見
といった、種種の領国崩壊要素があり、秀吉からしてみれば半月で瞬殺できそうな状況で、天正13年秋から天正14年初頭まで上杉木曽真田など諸大名や家臣に当てて
天正14年初頭の三河出兵計画を散々書いて、重臣一柳にもその実行のための行動を命じておきながら
いざとなるとビビリまくって信雄に仲介を必死に頼んで、戦闘を回避した上に
母や妹を差し出して家康に土下座してるんだがw
家康は暢気に岡崎や浜松で北条との同盟強化や諸城普請や人質招集など
領内の防衛体制を構築してただけで、秀吉に従属する構えは全く見せてなかったなんだがw
>>家康が沼田問題で指導力発揮出来ない無能なことが露呈した会談
何それ指導力って(笑)北条が真田の領土問題で援軍をよこさなかったため
北条からの加勢を得る事や北条との結束を強化する意味で浜松会談や真田との戦いに挑んだだけじゃん
家康は秀吉に従ったわけでもなんでもなく
天正13は軍備をちゃくちゃくと進め北条との同盟関係強化・家中の人質徴収、本願寺派の中心寺院の
三河七か寺の還住を許可し動員を期待している。また岡崎・当部城などの普請も初めている
秀吉側も天正14年初頭まで家康との対決姿勢を崩していない
兼見卿記1/28秀吉が家康との再戦のため出陣準備を始めた
天正13年11/19秀吉→真田昌幸 この上は人数を出し、家康を成敗するべく相極候、
秀吉の出馬の儀は当年無余日候間、其国(信濃)へも其方の申す次第に軍勢を入れ差し遣わす
11/20秀吉→一柳 来春の家康攻撃準備を命じ尾張星崎から三河の情報を収集するよう伝えている
ちなみにこの頃天正大地震の影響で徳川領国はめちゃめちゃになる(三河で大洪水が起きたりしている)
天正14年1/9秀吉→上杉景勝では去年申したように先勢を当月に差し遣わし2/10くらいに自身も出馬する
四国・西国の人数其の外兵糧以下の儀は船手を以って申し付けた。2月末・三月初めくらいに海上を自由にできる
其の方の人数は2月中旬くらいに信州へ人馬の足立申すべく候、信州・甲州・関東の儀は申すに及ばず
公事に抜かりないように。信濃へは其の方の人数だけでは足りないだろうから2・3万この方からも木曽口へ使わす
2/10くらいには尾張迄出馬する、などと事細かかに家康討伐計画と上杉の出馬要請を行っている
このように天正12年時点での和睦がそもそも臣従でも何でもないんだから人質でもなくただの和睦条件だったというだけ。
上記のように家康への討伐計画を進めておきながらいざとなるとビビリまくって信雄を家康の元に送って決戦を避けているのが実情
顕如日記1/24で織田信雄が三河に向かい調停をはかっている。さらに5月朝日姫の家康の元への輿入れが実現し
10月大政所が三河の岡崎に送られてくる有様。このように三河遠州駿河甲斐南信濃3郡で100万石いくかいかないかの家康(徳政連発と
譜代離反と軍事機密露見と天正大地震の影響で領国は崩壊状態)に対して
機内全域+上杉毛利佐竹木曽小笠原真田石川水野大友蘆名十河河野など1200万石くらいあるであろう圧倒的優位な状況でありながら
軍事的には手も足もでず出したら大損害蒙りビビリまくって徳川の焼け太り状態を作り豊臣滅亡の主要因を作ったのが秀吉
0558人間七七四年2014/01/23(木) 16:43:14.29ID:S9koo0LV
>>佐々の領国安堵と家康重臣のさらなる人質提出のどちらか選べと最期通牒を突き付
そんな事全くやってない。
>>家中を纏められない家康に呆れた石川数正もヘタレ家康を見限り11月に秀吉の元に走
石川は天正12年の長久手合戦の頃から秀吉に篭絡されかかってたし、別に家中をまとめられないから逃げたとか関係ない。
秀吉のお得意のヘタレ土下座が功を奏して、大した相手でもないのに石川は過大評価してただけ。
>>秀吉は見せしめに閏8/13に丹羽長重が越前加賀を召し上げをやって威を示していたから
>>丹羽は若狭12万石に減封にされた姿に家康も上洛しなかったら自分も丹羽家のようになると恐怖
丹羽みたいな雑魚と、家康や信雄は全く違うからその比較は根拠にならない。
史実で秀吉は家康はおろかザコの信雄に負けまくったから会戦になったり100%負けるのは秀吉だろ。
何せ小牧長久手合戦時は北条の変身の風聞や上杉の川中島侵攻で家康はわずか8000程度しかつれてこれなかったにもかかわらずあの圧勝ppるいだったからね。
秀吉方のは135000もの規格外の大軍でもってわずか16000程度の雑魚信雄相手に短期決戦挑んで1万人殺された後
二重掘合戦でわずか1000程度の雑魚の信雄の奇襲にビビッて楽田から敗走した後、
戸木城、松ノ木城、東駒野城、河波城で敗戦(4月〜11月の間で戦闘が確認できるが信雄や家康からの奮戦に対する感状や勝利の報告ばかり
で結局落城せず)6月に前田・下市場、7月に浜田城、蟹江城、11月に長久保城など、いずれも秀吉から眼前にある城を
秀吉より遥かに少ない軍勢で攻め込まれて奪回されるアホっぷり。
結局、全く戦闘に勝てず手詰まりになった秀吉が11/4に顕如に土下座して取り成しを要請して
しかたねぇなと思った信雄が温情で講和に応じてくれたおかげでなんとか引き分けで終わっただけ
>>信雄は秀吉は佐々も潰すけど、お前どうすんの?って家康へ最後通牒を叩き
そんな事全くやってない。信雄は家康に秀吉は秀康を全く人質としては扱ってないよ。
だから秀吉にもっと人質出して臣従してしたら?と、家康にビビリまくった秀吉の必死の土下座要請に応じて、取り成しをやってただけ。
秀吉の家康討伐の際(天正14年初頭)にも秀吉は信雄に取り成しやってもらって母や妹まで送って必死に戦い避けてるし。
>>さらなる人質を出して秀吉の騎下に服しない場合は、討伐する
そんな事信雄の文書に書いてねーよクズ。
>>家康はビビッた
下記のように秀吉がビビリまくってて家康は暢気に過ごしてただけ。
秀吉は実力じゃ全く信雄や家康に勝てないからって天正13年の夏の三河で起きた地震で三河の大洪水で田畑がメチャメチャに流され、徳川方が大ダメージを負い
さらに家康の真田攻め、丸子合戦などで大敗したダメージや、譜代衆含めた領国での離反連鎖などに付け込んで
火事場ドロ的に徳川領に侵攻をかけようと着々と計画を練ってたが、いざその時期が来た!と思ったら
ビビリまくって信雄を送って仲介した上に、妹を差し出して戦いを避けてるんだよな。
上杉も木曽も真田も秋から出兵計画聞かされてて、いざ出陣と身構えてただろうけど、あまりの秀吉のヘタレっぷりに
あきれ果てたのは間違いない。
天正13年の時も家康が夏の三河で起きた地震で三河の大洪水で田畑がメチャメチャに流されるなど大ダメージを負い
真田攻めの上田合戦や丸子合戦などで大敗したダメージや、前年の木曽に続く小笠原・水野・石川・真田の離反やそれによる
領内軍事機密露見に付け込んで 火事場ドロ的に徳川領に侵攻をかけようと
着々と計画を練って上杉や真田や木曽や一柳に散々計画を書いてたが、いざその時期が来た!と思ったら
ビビリまくって信雄を送って仲介した上に、妹を差し出して戦いを避けてるんだよな。
どんだけ家康が怖かったんだよ秀吉。まあ直接対決で蹴散らされまくったからビビリまくるのは当たり前だよな

>>年が明けるとすぐ信雄にあって秀吉への取次ぎを頼んだ。
はあ?取り成し頼んだのは秀吉であって家康じゃねーよクズ。
なんで豊臣に従ってもいない家康が、豊臣の配下になってた信雄に取り次を頼める立場にあるんだよアホ。
信雄はその時期もう完全に秀吉の配下であって、秀吉の意で動いてたんだから、秀吉が必死に戦いを避けるために
家康への仲介を依頼しただけだろどうみても。
0559人間七七四年2014/01/24(金) 08:30:38.55ID:VBSnAhTX
困った時のコピペ
0560人間七七四年2014/01/24(金) 11:57:26.59ID:WuA0GPes
★大名★

小笠原氏
小笠原大膳大夫
豊前小倉15万石(溜間詰格)、
小笠原佐渡守
肥前唐津6万石(帝鑑間席)、
小笠原遠江守
播磨安志1万石(帝鑑間席)

土屋氏
土屋相模守
常陸土浦9万4000石(雁間席)

諏訪氏
諏訪安芸守
信濃高島3万石(柳間席)

★旗本★
横田氏
横田備中守
9500石。旗本寄合席筆頭

大名
小笠原大膳大夫…豊前小倉15万石、溜間格
小笠原佐渡守…肥前唐津6万石…帝鑑間席
小笠原遠江守…播磨安志1万石…帝鑑間席
大名
諏訪因幡守…信濃高島3万石…柳間席
大名
土屋相模守…常陸土浦10万石…雁間席
旗本
三枝能登守(旗本寄合席)
横田備中守(側衆上席)
初鹿野河内守(北町奉行、大目付)
跡部甲斐守(駿府町奉行、堺奉行、大坂東町奉行、大目付、勘定奉行、南町奉行、留守居格清水卿支配、若年寄格、菊間縁席)
伊沢美作守(長崎奉行)
荻原近江守(勘定奉行)
0561人間七七四年2014/01/24(金) 11:58:18.67ID:XmJBdr1x
確かに1582は2月と7月浅間山は噴火はしていたと思います。

しかしながら規模不明ながらも現在ある資料を専門家が精査した限りでも大噴火と認められる程度の被害報告、明確な証が記されていない。
むしろ、慶長元年の中規模噴火との周期なんかも考えると大それた規模とは考え難い。
と公的機関である気象庁もみており証拠として、ただ『噴火』と表現するに至っているのが現実。

つまり大噴火そのものがプロの見た上でも可能性は低く、まして武田家滅亡の一因となった程とするのは信頼に足る証拠もないかなり飛躍した説であると思います。
なんなら学会で発表し、気象庁の見解に具体的に武田氏の政情に変化を与える程であった旨を項目にて訂正させてはどうかとさえ私は思います。
0562人間七七四年2014/01/24(金) 13:36:40.20ID:k0StZAeb
噴火噴煙被害箇所の特定ができないので、
発掘の伴わない恣意的な断面地調査でわかるわけも無い。
0563人間七七四年2014/01/24(金) 21:49:33.54ID:JfA9/vr0
織田側の編成
天正元年(1573年)以降、織田信忠を筆頭に池田恒興、森長可、河尻秀隆らを主力とする
いわゆる「信忠軍団」が編成されており(池田は後に軍団を離脱、摂津へ)、主に東美濃に勢力を張っていた武田の影響を
排除する戦いをしていた。武田征伐時には以下のような陣容であった。

大将:織田信忠
先鋒:森長可、団忠正、木曾義昌、遠山友忠
本隊:河尻秀隆、毛利長秀、水野守隆、水野忠重
付属:織田長益他織田一門衆、丹羽氏次他
軍監:滝川一益
この出陣に当たり、信長は「今回は遠征なので連れていく兵数を少なくし、
出陣中に兵糧が尽きないようにしなければならない。
ただし人数が多く見えるように奮闘せよ」と書状を出している。

また、後から続く信長直率の軍団は以下のような陣容であった。ルイス・フロイスの
「日本史」には、この信長本隊は兵6万を率いる予定だったと書かれている。

信長
明智光秀、細川忠興、筒井順慶、丹羽長秀、堀秀政、長谷川秀一、蒲生賦秀、高山右近、中川清秀他
0564人間七七四年2014/01/24(金) 21:51:19.55ID:JfA9/vr0
信長にとって勝頼の首が目的だったから生存説はあり得ないけど伝説、伝承として

武田勝頼、土佐に来ていた?
2009年05月04日11時00分 高知新聞web

戦国武将、武田信玄の四男、勝頼の落人伝説が残る吾川郡仁淀川町大崎でこのほど、講演会「武田勝頼は土佐に来た」が開かれた。
「武田勝頼土佐の会」(岡林照寿会長)の主催。
岡林会長が集めた家系図や勝頼の墓とされる史跡の写真などを示しながら約四十人の歴史愛好家に講演。
勝頼の子孫に当たるという武田清美さん(69)=静岡市=も来場し、耳を傾けた。
勝頼は天正十(一五八二)年、織田信長との戦いに敗れ三十七歳で自害したとされ、山梨県甲府市の法泉寺に祭られている。
一方、同町には勝頼につながる史跡が数多く残っており、落ち延びて現在の同町大崎に居住し、
慶長十四(一六〇九)年に六十四歳で没したとも伝えられている。
講演を聴いた武田さんは「勝頼公が高知に来ていたとは夢にも思わなかった」。ただ、武田さんが家系図を調べたところ一、二代、名前が抜けているところが
あるといい「講演を聴いて土佐の地に来ていた可能性もあるのではないかと思えてきた」と話していた。

長野日報 2010年?
http://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=19148
「武田勝頼」通し地域交流 「由布姫・勝頼諏訪の会」

勝頼は諏訪氏を継いだことから「諏訪四郎勝頼」とも呼ばれた。信玄の死後に武田家を
継いだが、天正3(1575)年の長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗れ、天正10
(1582)年に天目山(山梨県)で自害した−というのが定説。
しかし高知県仁淀川町では、勝頼が武田家の家系であった香宗我部家を頼って土佐に落ち延び、
名を「大崎玄蕃」と変えてこの地で25年ほど活躍し、64歳で亡くなった−と伝えられている。

同町の大崎八幡宮の神主を代々務める岡林家に伝わる武田家の家系図に記述があり、同
神社には武田の家紋が裏面に入った手鏡が残されていることが、この説の根拠とされる。
2008年には同町住民有志らが「武田勝頼土佐の会」(岡林照寿会長)を発足させている。

由布姫の供養塔があることで知られる小坂観音院は、毎年行う由布姫の供養祭に訪れる
武田家子孫を通じてこの伝説を知り、中島住職が仁淀川町を訪問。昨年8月に土佐の会
が開いた勝頼没後400年祭にも出席した。岡林会長も小坂観音院を訪れるなど交流が
生まれたことから、勝頼を通じた地域間交流を深めよう−と諏訪の会の結成を計画した。
0565人間七七四年2014/01/25(土) 02:38:31.65ID:IdjhtFNJ
>小山田信茂と武田氏滅亡天目山の戦い
>http://www.rekishi.sagami.in/oyamada1.html

そこのページいろいろ読んでて、こんな部分を発見。

『西から攻めてきた織田勢に対して、武田を見限った武田家臣の多くも東の八王子方面を目指しており、
早期の移動であれば追手の心配なく関東方面を目指せる』

武田家臣が安全に逃げられるルートがあって、しかも勝頼に対する忠誠が早期に崩壊してる状態なら、
甲斐を占領した織田軍に探し出されて殺されまくる、なんてことにはならなかったのでは・・・

結束崩壊してるなら、早期逃亡しちゃえば安全だよね。
0566人間七七四年2014/01/25(土) 02:39:50.45ID:gvpnt+6m
内藤昌月

天正10年(1582年)3月、織田信長の武田征伐で武田氏が滅亡するまで箕輪城代
の任にあり、武田滅亡後は信長に仕えたが、6月の本能寺の変で信長が死去し、
直後に旧武田領を任されていた滝川一益も敗走すると、北条氏直の家臣として仕
えた。後北条氏では他国衆として遇されていたようである。

保科正直

天正10年(1582年)の織田・徳川連合軍の甲斐侵攻に際しては飯田城に籠城し、2月14日には織田信忠による攻勢を受けて坂西織部亮、小幡因幡守らとともに高遠城へ逃亡している。高遠城では仁科盛信とともに籠城していたが城を退去し、実弟内藤昌月を頼って上野箕輪城へ逃れる
0567人間七七四年2014/01/25(土) 22:45:13.30ID:IdjhtFNJ
>小山田信茂と武田氏滅亡天目山の戦い
>http://www.rekishi.sagami.in/oyamada1.html

そこのページいろいろ読んでて、こんな部分を発見。

『西から攻めてきた織田勢に対して、武田を見限った武田家臣の多くも東の八王子方面を目指しており、
早期の移動であれば追手の心配なく関東方面を目指せる』

武田家臣が安全に逃げられるルートがあって、しかも勝頼に対する忠誠が早期に崩壊してる状態なら、
甲斐を占領した織田軍に探し出されて殺されまくる、なんてことにはならなかったのでは・・・

結束崩壊してるなら、早期逃亡しちゃえば安全だよね。
0568人間七七四年2014/01/25(土) 22:46:59.85ID:301rcPaW
新府城は穴山氏の本貫地である穴山村の直近であり
本拠地は移転したといえども諸権益は穴山氏に残していた可能性は高い

ところが実際の普請は非既得権者である他国衆の真田昌幸が任じられていて
なんらかの軋轢を、平たく言えば穴山が儲け損ねたか穴山が利益を約した者に対して面目を失ったのではないか
翌年の穴山謀反から遡って時宜を鑑みるに直接の動機の1つかと
0569人間七七四年2014/01/26(日) 10:13:44.35ID:9mIv0qoW
真田家に史料がたくさん残っていた為に、
真田昌幸に普請を命じる書状があっただけで、
真田昌幸だけに命じたなんて解釈にならないし、
穴山が免除され他国衆が労役をやるならラッキーじゃないか。
たださえ穴山は駿河防衛で常時配置という転勤族やってんだから。
沼田攻略後に遊んでいる真田にやらせるのは自然。
0570人間七七四年2014/01/26(日) 22:42:20.82ID:VFq9321N
横田尹松って家康に内通していたんじゃないの?

気になる点
・のちのち5000石の大身旗本になっていること(他の武田旧臣は一部を除いて数千石がせいぜい)
・高天神の後詰は無用と勝頼に言ったことのは高天神が徳川の手に落ちれば武田の威信が下がることが分かっていたからではないか?
・家康が横田を討ち取らなかったこと
0571人間七七四年2014/01/27(月) 08:11:58.20ID:kZSdSTes
>>570
史料無いからわからない。
0572人間七七四年2014/03/05(水) 19:14:23.28ID:VMLM0BMf
unko
0573人間七七四年2014/03/05(水) 22:09:29.21ID:+tw9g8ZL
武田崩れの際戦いがあった場所って高遠城くらいしかないのか。
高遠の城兵は確か1000以下。
その他北条と徳川が攻めた駿河戦線は田中城の依田信蕃が最後まで敢闘して守りきったんだよな
北条は確かその前年駿河の長窪城を攻略したり甲斐に攻め込んだりしてたが。
0574人間七七四年2014/03/05(水) 22:15:13.36ID:7SiB40/Z
公記には鳥居峠で戦いがあったとか書いてなかったっけ?
まぁ信長や勝頼の書状見る限り全く鳥居峠で戦いがあったようには見えないんだが
0575人間七七四年2014/03/06(木) 00:43:45.40ID:YRbDN7KO
一応、下条とか今福とか馬場とか山縣とか一条とかは戦った可能性はある
組織的だったかはともかく
0576人間七七四年2014/03/06(木) 08:38:19.86ID:IR5xNsWm
>>575
ねーよ。
一次史料出してから主張しろよ。
0577人間七七四年2014/03/06(木) 14:55:51.11ID:FMBAiCO6
穴山が謀反しなければなあ
どっちみち滅亡には違いないが、一矢報いることはできたかもしれない
穴山の謀反から逃亡者が増えたわけで
0578人間七七四年2014/03/06(木) 15:20:00.29ID:tVtfbSGV
高天神を見捨てた時点で詰み
信玄が無理して落とさなかったのも頷けるわ〜
維持するだけでも相当武田の国力削いだし
0579人間七七四年2014/03/06(木) 15:39:34.34ID:A79Dox44
>>577
穴山にしてみれば自分が武田宗家継ぐから武田の家名が残るって判断だったろうけどな。
0580人間七七四年2014/03/07(金) 00:00:45.25ID:IBwivYNp
>>579
穴山が武田を継いでも武田の家臣団は誰も支持しないだろ
0581人間七七四年2014/03/07(金) 00:32:08.57ID:zSpncppp
>>580
家名を残すのが目的なら、家臣団なんて滅びている前提だろう
0582人間七七四年2014/03/07(金) 07:50:34.58ID:zH/iMvYW
>>580
そうでもないんじゃね?というか勝頼自体あれは所詮諏訪四朗とか思われてたし。
0583人間七七四年2014/03/07(金) 08:25:07.22ID:VZm68ViY
>>582
思われていた事を示す一次史料は?
0584人間七七四年2014/03/07(金) 12:52:11.84ID:QdgkdkkL
>>574
離反した木曽を討つため、武田が出兵、木曽と武田で戦闘ってのはあったな。
織田が侵攻してきたら武田軍は離散したみたいだが。
0585人間七七四年2014/03/07(金) 14:09:32.05ID:IBwivYNp
>>582
穴山なんて謀反人じゃないか
0586人間七七四年2014/03/07(金) 14:48:32.40ID:GL8NSf+4
穴山信君(梅雪)は武田宗家の正当な後継者として信長・家康に認められたし
勝頼が武田家を乗っ取っとてただけと考えればいいんじゃね
0587人間七七四年2014/03/07(金) 15:15:42.25ID:IBwivYNp
無理やりな考え方だな
穴山だって結局は親族で家督を継ぐ正当性は勝頼以下だぞ
0588人間七七四年2014/03/07(金) 17:02:15.53ID:zH/iMvYW
憲正殺した景勝が上杉名乗るのと同じ程度の正当性はあるよ。
0589人間七七四年2014/03/07(金) 18:30:15.41ID:3dFhsB8Q
勝てば官軍
0590人間七七四年2014/03/07(金) 19:46:15.30ID:tFaheiCb
憲正を殺せと景勝が命じたとする一次史料は?
0591人間七七四年2014/03/08(土) 08:45:18.25ID:3Z8a5RPz
無い。キチガイ織田厨の悪意に過ぎない。
0592人間七七四年2014/03/09(日) 00:06:40.10ID:zOh6rLx3
てす
0593人間七七四年2014/03/11(火) 01:07:07.81ID:LcWXbo/C
勝頼に弓を引いた家臣ってなんだかんだ因果応報な結末だよな
木曽→のちに改易
小山田、下曽根→信長に処刑される
穴山→本能寺後に殺される
曽根→勝頼への不忠を家康に嫌われて徳川家を出ていく結末

結局裏切り者はどこへ行っても信用されん
家康も裏切り者の武田家臣についてはあまり信用していなかったっぽいな
0594人間七七四年2014/03/11(火) 01:30:40.37ID:/wv5lYEe
奥平はどうよ?
早々に武田を見限って徳川に寝返る
長篠の戦いでは最後まで城を守りぬいた奇跡の人
0595人間七七四年2014/03/11(火) 03:00:46.41ID:Kiu2eYDd
奥平は元々徳川と縁があるじゃん
0596人間七七四年2014/03/11(火) 08:31:40.68ID:8nMxnx2X
クソ田舎国人にすぎない奥平は家康長女が嫁いだから、
信康自害後は、長女が生んだ子を養子にってぐらい厚遇されてるからね。
こいつら徳川離反しない。
0597人間七七四年2014/03/11(火) 12:30:28.82ID:8bocfrNX
奥平は長篠のときは矢面に立って死ぬほど頑張ったし。
そりゃ勝ち馬に乗っただけの奴らとは違うわ。
0598人間七七四年2014/03/11(火) 13:54:33.53ID:U1oTvTkY
奥平は家康に部下の立場から下克上して領主階級になっていいよってお墨付き貰ったからね。
0599人間七七四年2014/03/11(火) 21:16:04.32ID:LcWXbo/C
奥平はド外様だから批判される立場でもないだろ
0600人間七七四年2014/03/12(水) 00:28:21.01ID:guPnN/bw
松尾小笠原のことも思い出してあげて
0601人間七七四年2014/03/22(土) 16:49:58.59ID:0D5Wcx9N
【高根城(静岡県浜松市)】
http://mirai660.net/castle/takanejyoh_model.html
0602 忍法帖【Lv=4,xxxP】(2+0:8) 2014/03/27(木) 08:13:06.49ID:rSuxjbOy
test
0603人間七七四年2014/03/30(日) 20:59:38.34ID:oNk3czD2
大岡城の城ラマ来てるね。
http://mirai660.net/castle/ookajyoh_model.html
0604人間七七四年2014/03/31(月) 02:24:18.64ID:Y7SAdEsk
てかさ、大噴火なら織田さんも近寄れないんじゃないですか。
0605人間七七四年2014/03/31(月) 03:13:32.21ID:5J/4963G
北条に至っては直撃だけどね
0606人間七七四年2014/03/31(月) 20:28:33.54ID:V+vFeCI7
いまさらでもうしわけないけど、スレタイの「武田攻め」って部分、
甲州崩れでよかったんじゃないの?
0607人間七七四年2014/03/31(月) 23:01:41.83ID:Y7SAdEsk
大噴火が都どころか九州でもみえてるのに行軍するあふぉなどいるはずがない。
0608人間七七四年2014/03/31(月) 23:22:02.29ID:GqxqAFUA
状況は圧倒的に有利なんだから危険を冒してまで攻め込む必要は無いわな
しばらく情報収集して噴火が収まって無駄な被害が出る可能性が減ってから仕掛けりゃいいんだし
0609人間七七四年2014/03/31(月) 23:23:42.58ID:5gtpDKd/
まさに織田賊徒による火事場泥棒。
0610人間七七四年2014/04/01(火) 00:07:08.14ID:9viqM913
火山で滅亡、武田家。
0611人間七七四年2014/04/01(火) 00:13:40.38ID:26HL9QMD
浅間山のすぐ近くに領地をもつ北条が無傷で済んだ火山噴火で遠く武田は滅亡したのさ
北条には名のある幻術師でもいたんだろう
0612人間七七四年2014/04/01(火) 09:12:12.37ID:DjseFll0
また菅沼か
0613人間七七四年2014/04/01(火) 10:12:37.36ID:9viqM913
そもそも長篠城を1万以上の兵で落とせない勝頼。
0614人間七七四年2014/04/01(火) 21:39:36.93ID:j7mjKuNP
北条早雲とか南条蘭とか
0615人間七七四年2014/04/02(水) 13:27:18.81ID:4damDt/6
後詰めが来る前に城落してない時点で詰みだよね。
0616人間七七四年2014/04/04(金) 00:36:04.90ID:EvnmpAgC
1万以上で攻めて500の城兵に勝てない勝頼
0617人間七七四年2014/05/31(土) 18:47:16.91ID:0yEMVr2V
勝頼はまことに運がない。
同盟詐欺の騙し討ちを、対北条徳川戦で疲弊してた時期にしかけられたため、
国人は一斉に寝返りを続けて一気に崩壊した。
0618人間七七四年2014/06/01(日) 09:21:43.25ID:9bbg4fvX
卑怯な戦い方ばっかりの信長。
義龍が5/11に死ぬや、
それを知った信長は、
5/13には早くも美濃に乱入
しかし美濃重臣たちはザコ信長軍よりは、
別伝宗亀と出奔中の快川紹喜らの対立解決策の方を重視www

そして8/28の快川書状には美濃は尾張半国を取ったと書かれ、
逆に信長が大敗している姿が見えるwww

結局、岐阜を落とせたのは義龍7回忌で美濃国衆が武装解除してた隙に
美濃軍の姿を偽装して背後から襲って火事場泥棒した時www
武田滅亡は信玄の死を3年隠していたため、浅間山噴火と信玄7回忌の火事場泥棒www
0619人間七七四年2014/06/01(日) 14:00:17.76ID:uPUgzF5S
そりゃ武装解除してた方がマヌケ
0620人間七七四年2014/06/01(日) 15:42:06.51ID:MM5HLNr9
普通に考えて劣勢でもないのに武装解除してホイホイでてくる馬鹿がどこにおるって感じ。
0621人間七七四年2014/06/01(日) 16:29:32.59ID:4/w15knz
敵の隙を突く的確な戦略信長
隙だらけの武田
0622人間七七四年2014/06/01(日) 19:40:25.84ID:+p6jOTOG
信長「長篠で武田軍に大ダメージ与えたし、そろそろ滅ぼすか」

勝頼「長篠の損害を補うために農民をもっと徴用して、税を増やして、対織田に備える!」

信長「不満分子の寝返りを待つか。領民が武田に不満を持った奴が多くなれば統治もやりやすいしな」

木曽・穴山「俺は武田をやめるぞ勝頼ーッ!!」

信長「武田家臣の首をとってきたら金あげる^^」武田領民「喜んでー!!」
0623人間七七四年2014/06/02(月) 22:13:16.49ID:mPDslQQ4
信長と勝頼は同盟交渉が進んでて織田から武田に美人局やって機嫌取ったりしてて
高天神城ですら使者の往来ができるほどヌルイ状態になってた。
しかし武田から織田勝長を返却させると翻意して、怒涛のように奇襲したため
武田は油断しきってて無防備状態な所を襲撃されたため、一挙に寝返り崩壊になった。
対徳川北条戦の疲弊もそれなりにはあっただろうが。
0624人間七七四年2014/06/03(火) 00:34:01.38ID:C+kPqNu8
戦国の世で武装解除するのが間抜け
0625人間七七四年2014/06/17(火) 13:17:23.77ID:7IBvAqoy
「われらも多年、骨折った甲斐がござった」
「光秀!」
「なんぞ、お気にさわりましたか」
「われらとは貴様がことか?吐かせ!貴様がいつ骨を折った!」
「お許しくだされ。心つかぬこと申しましてござる」
「目障りな。てろ頭め!消えろ!」
0626人間七七四年2014/06/17(火) 14:58:45.75ID:d02XbNgm
恐れながら、たった今骨を折りましてござる!
0627人間七七四年2014/06/17(火) 17:43:20.51ID:EcPNdHZL
>>626
信長「誰がウマイことを言えいうたんじゃー!」
ココナッツクラーッシュ!

本能寺の変の真相。
>>626のせい。
0628人間七七四年2014/06/17(火) 17:55:23.67ID:KiBWGmvM
>>624

菅沼遼太理論


織田信長「武田の者ども、神妙にして人質を解放せよ」

武田勝頼「やなこったwアッカンベー」

織田信長「なにぃー?よし戦争だなあ」

      ↓ 長篠の戦い

武田勝頼「すいませんでした、信長様には叶いません。人質は返します、武装も解除しますから許してください」


菅沼遼太「許さない信長はクソ」
0629人間七七四年2014/06/18(水) 08:42:28.24ID:HL1ZxyZX
勝頼が景勝の為に大量の兵糧援助して、
国費を浪費してしまったのが致命的だった。
結局、兵糧援助を終了させざるを得なくなったが、
そもそもそんなに一方的援助するのは国主としてどうなんだ?
0630名無し募集中。。。2014/06/18(水) 11:05:41.68ID:vw5kh4d6
替わりに広大な上野領を手に入れたじゃないか


尤も滅亡に際してなーんの役にも立たなかったが
みんなあっさり降伏してやんのw
0631人間七七四年2014/06/18(水) 23:10:59.02ID:tKVd0D65
滝川が迷惑しただけだな>上野
0632人間七七四年2014/06/19(木) 06:56:19.61ID:U7XYi158
>>629
景虎に勝たせたら、越後は治まらず、武田は出兵の連続で消耗してしまうことが、
想像できませんか?
出兵を断ったら、どのみち、北条とは縁切りになるので、時間の問題。
一度、勝頼は景虎に、手分けをして、景勝を攻めようと使者をだしたが、
景虎側は、武田と協力して戦う気はないから、武田と景勝の戦を見ている方が
マシという返事が返ってきた。(多分、信玄に国を追われた者が景虎側に付いてたので、
景虎もそう返答せざるをえなかったのだと思うが。)
武田抜きで越後を統治できる、景勝の方がまだまし。
しかも、事実上の中立条約なのに、黄金はもらえるし、上野領からも手を引いてくれるし
で、勝頼の妹の婚姻の話は、武田側から提案したくらいだ。
0633人間七七四年2014/06/19(木) 07:32:26.50ID:OZmAykBW
こいつ無知過ぎるな。
黄金もらえたなんて軍記話を平気で語るアホだし。
話にならんわ
0634人間七七四年2014/06/19(木) 14:59:29.55ID:js2wQTcc
菅沼遼太「>>633
0635人間七七四年2014/06/19(木) 15:34:04.33ID:U7XYi158
>>633
黄金でも金でも変わんないだろアホ。
社会の誰にも相手にされない、
2でちゃんでしか、うさを払えない気の毒人間。
0636人間七七四年2014/06/19(木) 16:29:05.77ID:yEF1MdhW
金も貰ってねーよカス在日
0637人間七七四年2014/06/19(木) 16:44:50.54ID:U7XYi158
>>636
武田は金は受け取ったぞ。
よう、リアル朝鮮。拉致被害者日本に返せ!
0638人間七七四年2014/06/19(木) 17:21:23.74ID:2bmiBHmD
武田が雑魚過ぎて出番の無かった信長が一番の犠牲者
そりゃー、拍子抜けで東海道物見遊山もしたくなるわな
武田はこけおどしのただの張り子の虎
0639人間七七四年2014/06/19(木) 17:49:28.17ID:U7XYi158
アスペルガー症候群って
精神学会の常識で、決して公にはなっていないんだけど、
アスペルガーって精神が犬猫レベルなんだって。
つまり、しゃべる動物。
精神年齢が子供、精神年齢が若い人は、精神が成長する可能性があるけれども、
精神が犬猫の人は成長したとしても精神が犬猫のままなんだって。
動物には、それぞれ、習性(こだわり)があるんだけど、
アスペルガーにもそれぞれ、習性(こだわり)がある。
0640人間七七四年2014/06/19(木) 18:45:18.65ID:9YLZSIWF
>>637
ププw一次史料を出してみろよw
0641人間七七四年2014/06/19(木) 19:08:10.43ID:U7XYi158
>>640
自分で探せイヌネコ。
お前の来るところは2ちゃんじゃなくて、
動物病院だ。
0642人間七七四年2014/06/19(木) 21:09:39.38ID:Hz+HIRND
で、一次資料は?
0643人間七七四年2014/06/19(木) 21:33:30.84ID:U7XYi158
>>642
動物園にあるかもよ。
0644人間七七四年2014/06/19(木) 21:47:25.52ID:T6EqZvIq
>>640
なんでいちいちID変えるの?
0645人間七七四年2014/06/19(木) 22:10:19.62ID:hDNfHpT+
織田在日アホすぎ
0646人間七七四年2014/06/19(木) 22:26:00.43ID:mDDeWRGX
跡部が金を催促してる書状は俺でも知っている
0647人間七七四年2014/06/19(木) 22:51:51.49ID:DsLeAa0x
婚儀の金の書状じゃね、それ。
0648人間七七四年2014/06/19(木) 23:12:04.88ID:6qZL7g3p
まーた菅沼がくだらんことでツッパってんのか
0649人間七七四年2014/06/19(木) 23:50:29.62ID:U7XYi158
>>644
精神が犬猫レベルだからじゃないですか?
>>646,>>647
単なるアスペの習性、こだわりだから、(こいつの場合、記憶にない場合や記憶と違う場合は、
史料を要求しなければ、気が済まない習性)別に答える必要もないと思う。
0650名無し募集中。。。2014/06/20(金) 00:02:57.88ID:AQFWouuR
結納金の取り立てを書状でするってのもどーかと
まるで人身売買ですやん
0651人間七七四年2014/06/20(金) 00:14:39.69ID:mCrjc9o0
動物病院
0652人間七七四年2014/06/20(金) 03:02:33.19ID:mCrjc9o0
ダガは数字に興味をもった方がよい
0653人間七七四年2014/06/20(金) 08:36:51.74ID:1EOIJi4p
>>646
誰宛で日付は?
0654人間七七四年2014/06/20(金) 11:16:09.10ID:G6toHyTP
結納金という形で金を支払う形式にしたのか
結納金を貰ったことを元ネタとして上杉から黄金を貰ったという話が出来たのか
0655人間七七四年2014/06/20(金) 12:08:16.10ID:mCrjc9o0
アスペルガー症候群は、自閉症の一種。
知能は人間なみで、心はイヌ・ネコ・馬などと同じ。

心は動物で、知能が人間だとやはり、ダガか・・・。
0656人間七七四年2014/06/20(金) 16:49:23.71ID:2PJ7jvJN
長篠がやはり何気にかなり痛いな
ところで勝頼の人物評って実際のところどうだったの
0657人間七七四年2014/06/20(金) 16:55:17.20ID:mCrjc9o0
最近の2ちゃんは、ダガ・菅沼を抜かして、
多くの人が、比較的まともな意見をいってるよ。
ダガ・菅沼にとらわれずに、どんどん、意見交換していきたいね。
今回、普通に、意見求めたら、いつものごとくなんだろうけど、
アスぺルガーのダガ・菅沼がのさばってきたから、話がそれちゃったけどね。
アスペの差別は反対だったけど、ここまできたら、
アスペを差別してもいいと思うほどたよ。
0658人間七七四年2014/06/20(金) 21:27:50.48ID:mCrjc9o0
例えば、>>632
景虎に勝たせたら、越後は治まらず、武田は出兵の連続で消耗してしまうことが、
想像できませんか?
・アスペのダガは、精神が馬・豚なので想像ということは、はできない。

出兵を断ったら、どのみち、北条とは縁切りになるので、時間の問題。
・アスペのダガは、なぜ、出兵を断ったらなぜ、縁切りになるのか、わからない。

一度、勝頼は景虎に、手分けをして、景勝を攻めようと使者をだしたが、
景虎側は、武田と協力して戦う気はないから、武田と景勝の戦を見ている方が
マシという返事が返ってきた。(多分、信玄に国を追われた者が景虎側に付いてたので、
景虎もそう返答せざるをえなかったのだと思うが。)
・ここも、アスペダガはわからない。信玄に追われた者がが、なぜ、武田と協力するのが
いやなのか、人の気持ちがわからない、精神が馬・豚レベルのダガにはわからない。普通の人は説明不要。

武田抜きで越後を統治できる、景勝の方がまだまし。
・なぜ、景虎が勝っても、景虎の統治が難しいのか、なぜ、武田抜きで統治できる景虎の方がましなのかも、わからない。

しかも、事実上の中立条約なのに、黄金はもらえるし、上野領からも手を引いてくれるし
で、勝頼の妹の婚姻の話は、武田側から提案したくらいだ。
・婚姻の話は、武田から提案したくらいだ。の意味が、わからない。
この「くらいだ。」の意味がアスペには、量にしかとれないし、なぜ武田のほうから、婚姻
の提案がでるのかも、精神が馬・豚レベルなので推測できない。察っすることができない。
0659名無し募集中。。。2014/06/20(金) 21:34:48.36ID:AQFWouuR
信濃衆は飯山中心にたいがい景勝側だな
客将小笠原親子くらい?
岩井弟とかいたっけ?
0660人間七七四年2014/06/20(金) 21:37:15.51ID:mCrjc9o0
精神が若いのではなく馬・豚レベルで、知能が人間並みなのダガは、
人の心・気持ちが、わからずに、単に、自分の、記憶をマッチングするためか、
知らない記憶を、埋めるために、資料を要求しているに、過ぎない。

ちなみに、精神が若いのであれば成長することも、ありうるが、
精神が馬・豚等の動物レベルは、成長しても馬・豚のままで、
治ることは、ないという。(アスペは、なおらない。)
0661人間七七四年2014/06/20(金) 22:04:14.45ID:mCrjc9o0
>>656さんの質問は、ダガ君に答えてもらいたいな〜。
0662人間七七四年2014/06/20(金) 22:08:46.39ID:mCrjc9o0
でも、多分、ウィキか何かの資料の人物評を書くだけかも・・・。
0663人間七七四年2014/06/21(土) 03:34:11.51ID:oeJ0U1nl
アスペルガー症候群は、
精神が、動物レベルっていうのは、本当らしい。

できれば、菅沼にほ、πに興味をもって欲しかった。
アスペの菅沼なら、10万ケタ記憶は余裕。
0664人間七七四年2014/06/21(土) 13:29:08.13ID:jFA7kggo
>>653
逃亡したみたいだなw
>>654
で、結納金なるものがあったことを示す一次史料はまだなの?
0665人間七七四年2014/06/21(土) 14:01:40.26ID:oeJ0U1nl
>>664
マタ、ココロガカチク、チノウガコドモキタ。

ヨコハマノズーラシアノ、パンダタントウノ、スガノシイクシガ
ソノイチジシリョウヲ、モッテタ。
0666名無し募集中。。。2014/06/21(土) 14:43:05.25ID:5EccbNDO
そもそも結納金結納品てのは家格に応じて自ら決めるもんだったわけで
額面要求するとかましてや督促とか信じられん
御家末代までの恥や
0667人間七七四年2014/06/21(土) 15:44:58.71ID:lOhn5wzC
>>666
で、結納金とやらの一次史料はまだなのか?
0668名無し募集中。。。2014/06/21(土) 18:23:02.06ID:2u6wVsut
だから結納では無いんだよ常識的に考えれば
0669人間七七四年2014/06/21(土) 18:32:07.08ID:YLJBM34d
結納金を請求するという発想が出来るのはサイコパスならでは
0670名無し募集中。。。2014/06/21(土) 19:06:19.69ID:2u6wVsut
やっぱりただの買収だよなあ
0671人間七七四年2014/06/21(土) 19:35:59.02ID:jFA7kggo
なんだwまだ買収とか結納金の証明どころか日付けさえ出せないのかwww

まずな、日付けは天正8年4/26で長坂と跡部が、長井昌秀に約束どおり金を払えと督促してるだけの内容なわけだ。
ちょうど武田では信虎7回忌に向けて準備をしており、真田の沼田攻略がかなり進展していた。
佐竹経由で情報を得た景勝からは信長の子を返還しての織田と武田が同盟してしていたのを
事前に説明されてないのは約束違反だと詰問が届いたりして、跡部がそれの釈明をしている時期だ。
上杉の方は中越攻略に苦戦していて、ちょうど栃尾城や三条城の攻撃をしている頃だ。
でな、景虎が死んだのが天正7年3/24であり、
勝頼の妹の菊姫との婚儀が天正7年10/20なわけだ。
すると、買収とか結納金とは明らかに時期が違う。
要するに、武田が上杉に無利子で軍資金として貸した金を督促している以外に考えられないわけだ。
織田チョンは相変わらず捏造するのが得意だなw
どうせ跡部が金を催促してる書状とやらもwikiの御館の乱の記事の丸パクリ盗用でレスしただけで、
内容なんてここに書けるわけねーもんなwww日付けだってwikiに書いてあるけど
その通り書いたら織田チョンの大ウソ願望妄想レスとの整合性が取れんもんなwww
0672人間七七四年2014/06/21(土) 19:47:45.02ID:ciL2MRMi
織田朝鮮人「金に困窮している可哀想な上杉から、
信玄のせいで破綻した武田が結納金を恐喝してるニダ!」
0673名無し募集中。。。2014/06/21(土) 19:54:32.60ID:2u6wVsut
釣閑斎?長閑斎?
0674人間七七四年2014/06/21(土) 20:02:35.92ID:ciL2MRMi
そもそも結納を物ではなく、
金で贈るようになったのは現代の話だし、
結納は婚約時期に贈ることで、
後からやっぱ婚姻やめたと言われない為の保険だから、
婚姻より先に払うもんなのも知らんとか恥ずかしい。
0675名無し募集中。。。2014/06/21(土) 20:07:03.07ID:2u6wVsut
天正八年て毛バリに釣られてる真っ最中だな
0676人間七七四年2014/06/21(土) 20:16:56.15ID:6C08pYrO
結納金かどうかはともかく

約束どおり金を払えと督促してるんだから
余程支払いが遅れていると普通は推測出来るから
>明らかに時期が違うというのはむしろ証明になるだろうに
何でもう少し論理的に考えられないものなんだろうか
0677人間七七四年2014/06/21(土) 20:26:23.26ID:6C08pYrO
>>674
>そもそも結納を物ではなく、
>金で贈るようになったのは現代の話だし
この時代の金は現代で言う金銭ではないぞ
金は物であり、贈呈品としてもよく用いられるものでもある
まあ貨幣的側面もあるがな

銭を要求したんじゃないんだから金を現代語で考えて金銭と思っちゃ駄目だろ
0678人間七七四年2014/06/21(土) 21:21:48.43ID:Z0CrGzE7
>>671
スラッシュ日付さん乙w
0679人間七七四年2014/06/21(土) 23:37:55.66ID:UP5CoTHF
別のスレで訳してみろとか言われてとんでも訳を書いた時も思ったけど
だがって史料に書いてある文字をそのまま現代の意味で取って間違えるとかよくやるな。
0680人間七七四年2014/06/22(日) 01:15:47.36ID:CGllRnvo
>>671
それ、どうでもよくね〜か?

アスペルガーだからっていい加減にしろよ。
0681人間七七四年2014/06/22(日) 05:59:36.61ID:1N3gBoNY
>>679
単語とか漢字とかを単品で抜き出して自分の都合のいいように解釈すんだわ。
でもって歴史観?についても同じで、武田にだけ都合のいい解釈をして前後で矛盾するようなことを平気で言うんだよ。
0682人間七七四年2014/06/22(日) 07:39:51.54ID:ssvu9SNd
金は物であり贈答品?
それはお前のでっち上げの大嘘だろ。
そもそも結納で金を出したとする史料なんて皆無だし。
なんせ金は利子を生み出す貨幣価値を持つからな。
そして換金能力があるから価値も明白。
0683人間七七四年2014/06/22(日) 14:25:13.43ID:D47671VG
菅沼くんは>>671の原文もってきてくれ。訳が怪しいのは皆知るところだから。
0684人間七七四年2014/06/24(火) 15:04:03.31ID:M3aV58hH
一ヶ月で滅亡で語る事なんてねーだろ
信忠の凄さが傑出してるだけ
0685人間七七四年2014/06/24(火) 17:45:06.16ID:4O5SP7Nu
武田攻めって初めから武田が防衛体制解除してて、無防備な所を奇襲されたところで
寝返りで一挙崩壊しただけのほとんど戦いらしい戦いもない戦で凄さが傑出してるとか相当馬鹿だな
0686人間七七四年2014/06/24(火) 17:48:21.14ID:nZ6MhIro
信忠より凄い武将なんてどこにもいないわなw

唯一抗戦した仁科数百に信忠は数万の大軍がありながら、実質野戦である城外戦で
一門信家をはじめ多く討ち取られ、最低で見積もっても4時間も戦われる始末。
東美濃攻防の際にあっさり陥落しまくった雑魚岩村城にも苦戦し、半年かかっても数万の大軍で攻めても全く歯が立たない始末。

今川氏真や毛利輝元みたいな雑魚よりも遥かに戦下手だと思う。
0687人間七七四年2014/06/24(火) 18:02:40.14ID:1jJEF397
わかったから671の原文は
0688名無し募集中。。。2014/06/24(火) 20:16:20.54ID:0c/Hxj24
しょせん信忠相手なんだから
もしも勝頼が一門譜代偏重のせいで信濃国人に愛想尽かされてなかったら
数十日で御家総崩れすることもなかったろうになあ
0689人間七七四年2014/06/24(火) 20:27:51.08ID:JzqWdYBz
さっさと原文持ってこい!
なめんじゃねーぞ菅沼ゴロツキが
0690人間七七四年2014/06/24(火) 20:34:14.64ID:tSLyFIBC
知ったかぶりのだがが原文提示なんかするわけない
0691人間七七四年2014/06/24(火) 21:58:54.52ID:z+FCG249
脳内にある原文をどうやって持ち出せと言うのだ!
0692人間七七四年2014/06/24(火) 23:39:13.58ID:JzqWdYBz
まずデスクトップにショートカットを作成します。
0693人間七七四年2014/06/25(水) 10:44:31.79ID:eCZuXvr6
3/2 多聞院日記によれば織田軍が甲州之衆と戦い100討ち取る(織田の武田攻めの戦果はたったこれだけ。のちに信忠は高遠城に勝頼もいて苦戦したと大ウソを吐く)
0694人間七七四年2014/06/25(水) 12:09:15.73ID:z6zAsiYA
それが671の原文かね
0695人間七七四年2014/06/25(水) 14:56:12.41ID:v4HF1zV8
「われら織田の軍勢、多年骨折った甲斐がござった、いまはこのとおり諏訪のうち、
上様の軍勢満ち満ちてござる」
「日向、ここへ来い!」
「なにごとか、お気にさわりましたか」
「白々しいことをぬかす。われらとは貴様がことか。吐かせ。今度の戦で貴様が
どう働いた?」
「お許しめされ。心づかぬことを申しあげましてござる」
「目ざわりな。てろ頭め、消えろ
0696人間七七四年2014/06/26(木) 16:01:55.70ID:Oo2HUwOG
原文はまだか菅沼遼太?w
0697人間七七四年2014/06/27(金) 00:10:12.97ID:6avX1cjO
「われら織田の軍勢、多年骨折った甲斐がござった、いまはこのとおり諏訪のうち、
上様の軍勢満ち満ちてござる」

「甲斐だけにね(テヘペロ」

くらいの返し出来ないようじゃ信長まだまだだな
0698人間七七四年2014/06/27(金) 08:41:45.50ID:PY6seLkw
dazyarekayo
0699人間七七四年2014/06/27(金) 13:10:48.74ID:twgIeVwl
tokihaima
0700人間七七四年2014/06/27(金) 16:20:16.84ID:1s5amA/m
konougokihatoki
0701人間七七四年2014/06/27(金) 20:37:24.46ID:0Uq7K4Vd
te-rette-
0702人間七七四年2014/06/28(土) 21:54:05.77ID:oo7ncAnE
武田家は実質滅んでいたからな、1575年に長篠で。
それ以降7年間、ゾンビとして生かされていた。ゾンビでも放置すれば地政学的に
安定するが、手を出すとたちまち不安定になる。事実、信長の死後、旧武田領は
列強の取りあいで荒れに荒れている。また、同じことを北条氏政や上杉謙信、景勝も
判っていたようで、あえて手出ししていない。

また、武田はもう外に出る力はないため、放っておいても脅威にはならないメリットは
大きい。その点では、信長のみならず、北条氏政、上杉家も安心して放置していた。

信忠だが、所詮ゾンビ相手だったことを評価を下げるべきか、ゾンビと言えど
短期で滅ぼしたことを評価するかは難しい。
0703人間七七四年2014/06/28(土) 22:18:29.74ID:obnkzCIS
ある程度勢力があった勢力をあんだけ短期間で滅ぼしたこと自体は評価すべきじゃ
ここまで短期間で滅んだ勢力なんてあんま無いわけだし
朝倉柴田蘆名ぐらいか?
それも武田は直前まで他戦線では攻勢に出て勢力広げている部分もあるぐらいなのに
相手が本腰入れて侵攻した途端に一気に崩れるってのは他に例が無いんじゃ
0704人間七七四年2014/06/28(土) 22:32:08.11ID:t5YXrvWV
異母弟盛信の奮戦はあったものの、武田信廉、武田信豊、小山田信茂、穴山信君らの離反・戦意喪失が相次ぎ、内部から自壊を急いだのである。
0705人間七七四年2014/06/28(土) 23:30:10.72ID:qTpI9tMf
設楽原合戦では武田の重臣達(領主達)は、織田・徳川連合軍を壊滅させて
所領の拡大を望んでいた。
当然、織田・徳川連合軍を壊滅出来ると思っていたが、親戚衆のサボタージュで失敗した。
通常の野戦なら圧倒的な軍勢を持っていた織田・徳川連合軍が武田軍の側面を
突けば、武田軍は崩壊して武田家終了で終わっていた戦い。
圧倒的な軍勢を持っていた織田・徳川連合軍だが、異常に強い武田の兵を恐れて
小川・連吾川を堀に見立てて防御陣の構築に努め、
さらに川を挟む台地の両方の斜面を削って人工的な急斜面とし、
三重の土塁に馬防柵を設けて引きこもっていた戦い。
引きこもって戦うのは弱者側の戦いw
0706人間七七四年2014/06/28(土) 23:35:31.20ID:qTpI9tMf
せっかく武田軍が設楽原に出てきたんだから、
武田の2〜3倍以上の兵力を持っている織田・徳川連合軍は
野戦で簡単に武田家を滅ぼせば良かったんだが(笑)

残念なことに、信長の兵の扱い能力が非常に低いことがバレてるから
逆に武田軍に殲滅されそうになったとさ(大笑)
0707人間七七四年2014/06/28(土) 23:36:58.00ID:oo7ncAnE
>>703
武田が攻勢の場所などない。武田は長篠後、領土を接していた北条、上杉、織田、徳川、
全ての相手に劣勢だった。北条には既に甲斐(郡内)に再三侵攻されていた。

また、ゾンビ武田は北条の庇護を得るという選択肢はあった。しかし、愚かな判断で
上杉景勝についてしまったため、北条の怒りを買ったのは余りにも痛かった。
0708人間七七四年2014/06/28(土) 23:38:51.35ID:oo7ncAnE
最も、北条も本気でなかったけどね。武田を滅ぼすのは朝飯前だが、武田を滅ぼさなかったのは、
武田領で圧倒的な織田勢相手に孤立し、周囲から袋叩きという事態を避けたかった以外の理由はない。
0709人間七七四年2014/06/29(日) 00:08:04.80ID:mbUBGieD
>>705-706
悔しいのうwww悔しいのうwww
0710人間七七四年2014/06/29(日) 00:17:16.25ID:JCpu/I5v
秦野の菅沼、しつこい
0711名無し募集中。。。2014/06/29(日) 00:46:42.16ID:ucYkbXcS
北条が滅亡危機を覚えて織田に従属求めた時が勝頼破滅記念日
この瞬間に信長の戦略から江甲講和が消えた

敢えて戦犯を挙げるなら佐竹から甘っちょろい外交観測を引き出した奸臣どもやな
0712人間七七四年2014/06/29(日) 00:47:53.91ID:cdUVkfoz
>>707
いや一応武田は伊豆方面に侵攻したり
東上野で勢力広げたりもしている
0713人間七七四年2014/06/29(日) 08:19:12.94ID:V5tqfbW8
郡内侵攻は速攻で撃退してるしな
長篠大敗後の武田にさえ劣勢で
信長に土下座臣従した北条の無様は隠しようがない
0714人間七七四年2014/06/29(日) 08:50:45.17ID:bCihr4/e
ただまあ北条相手に上野を奪えたのは
北条が御館で占領していた旧上杉領を取り返しただけともいえるしな。
0715人間七七四年2014/06/29(日) 11:29:30.85ID:Sy53rgkC
>>703
武田の場合対北条・徳川戦で疲弊してた所に
甲江同盟詐欺の騙し討ちをしかけたから
たまたま武田が無防備にしてた所を自国の50倍くらいの兵力がなだれ込む形になって
寝返りばかりになって崩壊しただけだからね。
例えていうなら一対5でも互角以上に戦える強靭ファイターが
怪我で休んで、寝てた所を、仲良いフリして、豹変騙し討ちで寝込み襲って20人がかりで殺したみたいなもんでしょ。
こんな戦いで実力が関係あるわけがない。
むしろ唯一抗戦した仁科数百にすら信忠勢数万は実質野戦である城外戦で苦しめられ一門信家を殺され
最低で見積もっても4時間も敢闘されてしまうアホっぷり。岩村城の時もそうだが
信忠の指揮能力のなさは群を抜いてる。
0716人間七七四年2014/06/29(日) 11:37:10.05ID:c5JdrRCc
>>703
関ヶ原の豊臣軍(西軍)や大坂の陣の豊臣軍、本能寺の織田家など
侵攻大名と、滅ぼされた大名の国力比で考えるなら
1:1 4:1 1:20など
朝倉・柴田・武田なんかよりも遥かに強大な勢力で、攻撃大名は大してでかくなかったにもかかわらず
速攻で瞬殺されてる。
武田朝倉柴田なんてどれも自国の10分の1程度かそれ以下の雑魚国力の大名かつ
敵軍が寝返りだらけで自壊してる所を奇襲や騙し討ちしかけて滅ぼしたのなんて
特段変わった現象でもないでしょ。
歴史上小勢力というのは大勢力にどんどん飲み込まれて滅亡していくのが普通。
小勢力が大勢力に勝つには、敵の寝返り・離散・自爆など特定の条件によらないと無理。
だが朝倉・柴田・武田は、離散や寝返りや自爆などが、敵ではなく味方から出続けていたので
あっさり崩壊するのは自明の事。
そもそも敵国の10分の1かそれ以下の勢力しかねーしなw、
0717人間七七四年2014/06/29(日) 11:38:45.25ID:Sy53rgkC
織田厨は算数が全くできないので
自国の国力や兵力と、敵国の国力や兵力を比で考える事は全くできない。
比は小6で習うが
織田厨は小5算数の割合ができないから。
0718名無し募集中。。。2014/06/29(日) 12:08:15.37ID:ucYkbXcS
>甲江同盟詐欺の騙し討ち

甲越同盟とはなんだったのか
甲江が成立する前提は北条かはたまた
上杉征伐の先兵役としての価値なのに

つーか自らその存在意義を先回りして食い荒らしてどーする
0719名無し募集中。。。2014/06/29(日) 12:13:05.80ID:ucYkbXcS
勝頼とは巨大なブーメランだったのではないだろうか
家督以降打つ手が尽く悪手で外交戦略を自ら狭めてた
やはり猪武者が最適な器


まあ外交言うなら同盟詐欺を乱発した親父譲りとも言えるか
0720人間七七四年2014/06/29(日) 12:38:00.74ID:Bgjz8U/f
一次史料を読むと
天正7年の中ごろあたりから佐竹のよる甲江同盟(武田・織田)が
成立しつつあるような感じなんだよね。
勝頼も佐竹の仲介が成功しそうで、確約が早く来ないかと悶えるとか書いてるし、
天正8年に入ると織田信房(御坊丸)を武田が織田へ返還したこともあり
景勝が甲江同盟を結んだのを、なぜ事前に報せてくれなかった!と抗議を受けてるし
そのため武田の軍事行動の中心は対北条戦で、
織田と武田は和睦交渉中で事実上の戦闘停止状態。
そのため勝頼の書状も対北条での景気のよい話の書状ばっかり。
逆に高天神城とその周辺に関しては関心がないと言うより
事実上の膠着状態(甲江同盟交渉の影響で緊張状態にないヌルイ感じ)になってたとしか思えない。
なんせ高天神城からは一切、援軍要請すら出てない。
天正9年正月になって久しぶりに高天神城への勝頼書状が登場するが、
使者の往来の忠節ぶりを褒めて加増の話を書いてるだけで、
援軍に出るとか、そんな危機的な内容は一切書いてない。
そして次ぎに登場するのは3年も籠城して討死した岡部の所領の相続を息子に認めてる書状。
明らかに武田側に高天神城が落とされるとは思ってなかったとしか思えない。
織田と武田の同盟が成立すると誤認して
遠江方面での軍事行動を控えていたとしか思えないし
徳川も高天神城に砦を構築して包囲したとは言え
本気で攻め落とすつもりがあるような態度でなかったから
使者の往来が天正9年に入っても可能だった。
つまり織田が同盟成立を匂わせて佐竹や武田を騙していて
御坊丸を返還した武田は同盟なったと誤認して安心してたら
突然、高天神城が落とされてしまったと思われる。
しかもそんな武田に織田はさらに同盟のカマかけて
南化玄興ルートで和睦交渉の美人局をやって
またしても佐竹や里見まで今度こそ同盟成立したと誤認してる(天正9年8月)
実際、下総結城水野家に伝わる
1/25の信長書状から考えるに
岡部またはその周囲は徳川の調略に応じて
降伏する意思を示していて
信長が認めないって態度なんだよね。
だから徳川へ内通しようとしている岡部が勝頼への報告で
高天神城はぜんぜん平気と言っていてもおかしくない。
北条に圧勝中の勝頼が高天神城の実情を理解してないのも無理はない。
0721人間七七四年2014/06/29(日) 12:55:33.22ID:HrqPsO34
甲江同盟詐欺ってw
織田と同盟結ぼうと佐竹に仲介して貰ったがあっさり断られただけじゃん
でその交渉を知った上杉が早とちりしただけで
普通に東海道で徳川と戦闘状態だったというのにどこが詐欺だか
あ、武田が織田を詐欺にかけようとしたってことか?
0722人間七七四年2014/06/29(日) 13:55:19.83ID:c85URnph
高天神の前に遠江の他の城落とされまくってんだが・・・

まあ城包囲されてて「織田と同盟してるから大丈夫」なんて思ってる大名、そら滅ぶわなw
結果論としては正しい
0723人間七七四年2014/06/30(月) 12:22:12.40ID:h/WWkSD2
菅沼遼太いわく武田からの同盟は絶対に結ばなくてはならない
またその同盟は絶対に維持しなければならない
ただし武田は好きな時に破棄できる
0724人間七七四年2014/06/30(月) 12:26:59.72ID:nDsFs57i
西上作戦時、2万で500の野田城落とすのに一ヶ月もかかってんのに
甲州征伐時、4万で3000の高遠城を4時間で落とした信忠をディスるアホ
0725人間七七四年2014/06/30(月) 12:46:11.39ID:mdGtB4QT
高遠城はわずか百程度の城兵しかいなかった。
多聞院日記によれば織田が武田攻めで上げた戦果は高遠で百人討ち取ったという報告のみ。
おまけに高遠城は玉砕覚悟で城外戦挑んで
400倍の敵とガチで戦い、一門信家を戦死させ、最低4時間は敢闘する。
0726人間七七四年2014/06/30(月) 12:49:36.56ID:z02inrr9
織田は城攻めが弱過ぎるから。
6回くらいあっさり陥落した雑魚城の岐阜城攻略に7年ももたつき
12万石前後の石山本願寺攻略には7年も費やし
東美濃の攻防の際何回もあっさり陥落した岩村城(孤立無援)にも半年かかっても自力で落とせず騙し討ちに頼るアホっぷり。
日本で最も天嶮が立ち並ぶ北信濃や上野や奥三河、奥遠江の山城を
あっさり瞬殺しまくった信玄は
最も苦戦したといっていい三河野田城で一ヶ月程度だからな。
0727人間七七四年2014/06/30(月) 16:54:00.72ID:O3PAnzlr
討ち取った≠守備兵
当たり前だよね

攻めても守備側も城も守備兵数も外交状況の違う
なのに一緒くたにする低能さよのぅ
0728人間七七四年2014/06/30(月) 17:02:44.30ID:oTYjMHeN
日本語でおk
0729人間七七四年2014/06/30(月) 17:40:27.38ID:3ucAXr1H
高遠城は玉砕覚悟で城から討ってでて、寄せ手は城方を残さず討ち取ったと言ってるので
討ち取り数=守備兵なのは間違いない。
ちなみに城どうこうでいうなら織田が攻めあぐねた岐阜城や岩村城などは何回もあっさり陥落した雑魚城なのに対し
信玄が瞬殺した信濃や奥三河や上野や奥遠江の城は、日本で最も要害で天嶮のドまん中にあるガチの山城。
城の篭城兵数と寄せ手の人数の比でいえば
圧倒的に織田の方が大軍で寡兵しか篭もってない雑魚城に攻めあぐねてる。
0730人間七七四年2014/06/30(月) 17:46:40.94ID:O3PAnzlr
撃ち漏らしました!って様にならないからナー
敵が来るのわかってるのに僅々100の守備兵?w
余裕こいて負けてりゃ世話無いなw
0731人間七七四年2014/06/30(月) 19:04:36.86ID:IFcDr+tI
討ち取った≠守備兵でもあるし
記した数も頸注文の数なのか討ち取った総数なのかでまた違ってくるしな
0732人間七七四年2014/06/30(月) 19:10:59.10ID:z02inrr9
高遠城の城方は玉砕覚悟で城外戦に打って出てるし
3/2 多聞院日記によれば織田軍が甲州之衆と戦い100討ち取る(織田の武田攻めの戦果はたったこれだけ。のちに信忠は高遠城に勝頼もいて苦戦したと大ウソを吐く)
と書いてるし
寄せ手は城方を残さず討ち取ったと言ってるので
討ち取り数=守備兵なのは間違いない。
よって高遠城の籠城軍はわずか100だったって事でしょ。
0733人間七七四年2014/06/30(月) 19:12:59.45ID:oTYjMHeN
>>730
消えろ
0734人間七七四年2014/06/30(月) 19:33:28.37ID:IFcDr+tI
討取もち取り首を指す場合と捕虜死傷者を指す場合とがあって
多聞院日記のそこの記述もあくまで伝聞なんで信忠の注進状の中身が見れないことには何と言えない
0735人間七七四年2014/06/30(月) 20:06:06.90ID:FXNvawfa
最近この板が他の板よりもかなり重い気がする・・・・・・


雑兵込みか武士身分のみを指しているかでまた総数は変わってくる
ただ本当に城にいる全人員を首にした場合はむしろ撫で斬りって表現されるだろう

あと寄せ手は城方を残さず討ち取ったと何の記述に頼っているか知らんが
大抵は誇張表現だろう
捕虜も取らずに皆殺しってのは日本ではあまりない
0736人間七七四年2014/06/30(月) 20:52:01.20ID:tjKutvjT
仁科の奮戦がなければマジで武田はもうゴミ扱いだったろうね
信玄も上田原で大敗してるが立て直す余裕があったからな
0737人間七七四年2014/06/30(月) 21:45:45.94ID:wlndbhK9
高遠城は玉砕覚悟で城から討ってでて、寄せ手は城方を残さず討ち取ったと言ってるので
討ち取り数=守備兵なのは間違いない。

城には4万程度の兵力が結集して攻めてきたので当然逃げる隙などないし
寄せ手の信忠の言うとおり、城方は全滅してる。
0738人間七七四年2014/06/30(月) 21:46:28.72ID:3ucAXr1H
秀吉は実力じゃ全く信雄や家康に勝てないからって天正13年の夏の三河で起きた地震で三河の大洪水で田畑がメチャメチャに流され、徳川方が大ダメージを負い
さらに家康の真田攻めの上田合戦や丸子合戦などで大敗したダメージや
前年の木曽に続く小笠原・水野・石川・真田の離反やそれによる領内軍事機密露見に付け込んで
火事場ドロ的に徳川領に侵攻をかけようと着々と計画を練って上杉や真田や木曽や一柳に散々計画を書いてたが、
いざその時期が来た!と思ったら ビビリまくって信雄を送って仲介した上に、妹を差し出して戦いを避けてるんだよな。
どんだけ家康が怖かったんだよ秀吉。まあ直接対決で蹴散らされまくったからビビリまくるのは当たり前だよな
上杉も木曽も真田も一柳も秋から出兵計画聞かされてて、いざ出陣と身構えてただろうけど、あまりの秀吉のヘタレっぷりに
あきれ果てたのは間違いない。
0739人間七七四年2014/06/30(月) 21:47:15.92ID:wlndbhK9
結局ガチンコ勝負だったら敵軍の8倍〜11倍で攻め込もうが全く勝ち目がないから母や妹まで家康に差し出して
土下座しただけ。
実際に雑魚の信雄の領国へ攻め込んだら直接対決で雑魚相手に135000の大軍で挑みかかってガチンコで1万人ぶち殺される大敗喫した上に
その後の攻防も蟹江・浜田・前田・下市場・長久保は奪回され
戸木城・松ノ木城・東駒野城・河波城・二重掘合戦攻防でも破れて結局会戦当初から
伊勢でも尾張でも美濃でも寝返り続出で崩壊状態だった信雄領国を自力では尾張半国すら切り取れなかったからな。
滅ぼせるわけがない
0740人間七七四年2014/06/30(月) 21:47:49.22ID:UacLyyIM
そもそも豊臣政権自体が単に敵対者の対立を利用して得た漁夫の利の棚ボタ勢力だから
敵対勢力を根こそぎ潰すなんてできるわけがない(実際信雄・家康を散々押し潰すだの攻め滅ぼすだの書状で書きまくっておいて戦うと
長久手で1万人戦死、戸木・松ノ木・浜田・蟹江・二重堀・神戸・東駒野など各城郭で負けまくったんだからそんな芸当無理)
0741人間七七四年2014/06/30(月) 21:48:23.56ID:F+lkZx3d
結局それが原因で家康は大版図と秀吉縁戚の地位を得る事となり
豊臣家を楽に継承したんだろ。自力で歯が立たなかったから普通に豊臣家は滅ぼされただけ。
秀吉は必死に家康に土下座して、母や妹を差し出したり関八州260万石やったり高い官位と秀吉縁戚の地位やったりして
気を使いまくってたから、慈悲深く、温情あふれる家康は、秀吉生前中は、お情けで秀吉を生かしてやっただけ
0742人間七七四年2014/06/30(月) 21:48:46.18ID:wlndbhK9
秀吉が顕如やら信雄やらに必死に取り成し懇願して
「ワシに従ってくれ〜」とばかりに母や妹までも差し出してきたので、やれやれと思った家康は仕方なく応じてやっただけ。
当時の家康なんて木曽小笠原石川水野真田と続け様に離反し、領国の軍事機密露見で
国力差でいっても普通に10倍くらい開きがあるし上杉真田木曽小笠原石川など遠征に協力する諸氏もアホみたいにいて
普通に考えりゃ瞬殺できないとおかしい地力の差があるのに直前まで侵攻計画諸大名に発布してたと思ったら
直前になったら信雄を送って仲介してもらって母や妹まで人質に出して土下座して戦いを避けるとか情けなさすぎる。

秀吉なんて天正13年秋〜翌年1月にかけて家康討伐をちゃくちゃくと進めてたが結局いざとなったらビビリまくって
信雄に取り成ししてもらったり母と妹を人質に出して決戦を避けてるんじゃねぇかw
しかも当時の徳川は木曽石川真田小笠原水野の離反とそれによる領国の軍事機密露見により崩壊状態といっていいのに
そんな状況ですら決戦必死に避けてるほど秀吉は家康にビビリまくってる
0743人間七七四年2014/06/30(月) 21:52:42.53ID:z02inrr9
数十倍の兵力に包囲されて、しかも城外戦に玉砕覚悟で打って出たのだから逃げ切れるわけがない。
よって篭城兵力=討ち取った兵力なのは自明
0744人間七七四年2014/06/30(月) 21:59:05.48ID:9rUDG4uD
高遠城以外ろくに戦闘らしい戦闘もなく
離反や逃散だけで終わっただけの戦で信忠マンセーするとかマジでアホ。
高遠百人程度を4万の大軍で実質野戦である城外戦で一門信家を討ち取られ
最低でも4時間戦った程度の手柄なら今川氏真程度でもできる。
0745人間七七四年2014/06/30(月) 22:11:47.33ID:d/douEVa
東美濃攻防の時あっさり何回も陥落した岩村城(孤立無援)に数万の大軍で攻めても自力では落とせず
騙し討ちに頼る信忠の無能すぎる。
結局これが原因で長篠でダメージ受けたはずの武田を上杉や徳川と共同で攻め滅ぼす計画はフイになる。
0746人間七七四年2014/06/30(月) 23:38:13.94ID:WRZJjB4J
あぼーんばっかだなこのスレ
0747人間七七四年2014/07/01(火) 01:09:29.23ID:bO5qr2K2
732
最終的に玉砕で行ったのかもな

最初一万人で奮戦してました
でも勝ち目がありません
家族もいるだろうから逃げたい奴は逃げろと城主の宣言
お言葉に甘えて九割以上が逃亡
結果百人で玉砕

こんなところだなw
0748名無し募集中。。。2014/07/01(火) 01:25:06.21ID:P+JYslkZ
離反・逃散させた城介マヂ有能


された側に比べたら
0749人間七七四年2014/07/01(火) 08:50:31.52ID:Rbu0Isyr
高遠城は4万の信忠の大軍に包囲されていたので
逃散・離反逃走なんてできるわけがない。
よって城兵=討ち取り兵100。
0750人間七七四年2014/07/01(火) 09:59:03.32ID:bO5qr2K2
包囲して逃亡兵にがしたんだよ
死兵相手に損害被る必要がないし、その後も統治すること考えれば逆効果
殲滅が目的じゃないんだよ?w

戦わずして勝つってそういうことだぞ
0751人間七七四年2014/07/01(火) 10:25:18.30ID:mbWVDaEl
>>736
実際血の繋がりのないエセ子孫の金儲けの道具にされてるから
武田がゴミ扱いというのはある意味正しいわな。
拝金主義や銭の山に支えられているだけにすぎんし
0752人間七七四年2014/07/01(火) 10:36:17.66ID:b+tmINjr
実際に4万もの大軍で包囲されたら城から逃げ出せるわけがないし
戦わずして逃げたのなら、実際に戦った兵力=逃亡・離反した兵を除いた兵力なので
最後まで戦って討ち取られた100人なのは変わりはない。
ついでにいうと、信長の武田侵攻は離反・降伏した諸将も皆殺しにしたり
武田軍の皆殺しが目的であり
「戦わずして勝つ」なんて戦略は全く使ってない。
ついでにいうと信長を初めとする中世の武将や、ナポレオンやヒトラーやスターリンやルーズベルトやトルーマンなど近現代の軍人政治家を含めて
「戦わずして勝つ」なんて時代遅れの戦術使ってる武将はいない。
大体「戦わずして勝つ」なんてのはドラマの創作だし
実際に戦いをしかけて実力では全く歯が立たなかったが
政略や調略や土下座でなんとか和議を結んだ武将を擁護するための妄言にすぎない。
0753人間七七四年2014/07/01(火) 10:40:24.71ID:Y8LNodtR
信長って戦わずして勝つというより
無理に戦う事もない相手と無理して何回も執拗に攻撃かけて撃退されたりしてるからな。
孫子の方向性とは間逆じゃん。
0754人間七七四年2014/07/01(火) 10:41:25.10ID:b+tmINjr
何回負けようが、執拗に攻め込んで、その度に撃退され
味方に裏切られ、朝廷に土下座し、たまたま起きた有力大名の病死によって危機を免れるという、かなり運頼みの戦法じゃん。
味方を増やすどころか、信用を失い、裏切り者を増やすような虐殺や騙し討ちを繰り返すのも、
孫子とは逆をいってないか。
0755人間七七四年2014/07/01(火) 10:42:13.49ID:7PTMA0GX
信長が例えば斉藤攻略で調略頼みになったのはまともに戦って勝てなかったからだし
はじめに調略ありきではなく
はじめに戦闘ありきで、それを補助するのが調略や政略。
例えばハンニバルやアレクサンダー大王とかスキピオとかスッラとか
端的にまず調略や政略よりも会戦、それで会戦でしくじったり、逆にうまくいったりした時に
戦果を大きくする手段を講じる方法論として調略や政略を使ってる。
これは近代戦でも同じで、初めから戦いを避けて勝とうなんてやってる連中はなかなかいないし
よほど相手が自壊してたり、内紛でも起こってないかぎり、そんな事はできない。
0756人間七七四年2014/07/01(火) 10:43:31.95ID:b+tmINjr
近現代戦でもローマ時代の遥か昔の戦争でも「戦って勝つより戦わずして勝つ」なんて兵法やってた人間なんて皆無だけどな
トルーマンもルーズベルトもポルポトも毛沢東もヒトラーもレーニンもスターリンもチャーチルもムッソリーにもやってない。
0757人間七七四年2014/07/01(火) 10:44:38.02ID:5Y6caw3V
結局時代遅れの兵法だからね。
そんな馬鹿な兵法じゃ戦国はおろか、ローマ帝国の時代でも生き残れないよ。
カエサルなんかがこれにやや近い兵法だったけど、結局敵を残すことになって暗殺されたからね。
0758人間七七四年2014/07/01(火) 10:45:58.31ID:fED1JXj9
時代的には近代戦に近いんだからランチェスター法則とかの方が遥かに実践的だし
ナポレオンとかヒトラーとかもこれに基づいて戦ってる。
つか、古代の戦争で、戦術の天才といわれる武将達は皆こっちの理論に近い方法で敵を撃破してる。
0759人間七七四年2014/07/01(火) 10:48:25.42ID:vgCwGydw
機先を制するというのも立派な戦術戦略。
信長の恐ろしいところは何度失敗しても心が折れないこと。
信長の恵まれていたところはそれを支える経済力を有していたこと。

こうした信長の行動によって相手が自壊したり内紛が起こったりする。
0760人間七七四年2014/07/01(火) 11:07:09.74ID:FyAi3M+A
保科正直みたいな奴もいたしな
0761人間七七四年2014/07/01(火) 11:35:41.34ID:bO5qr2K2
752
ざっくりとしか見てないけどよく読めよ
当初は一万だかの守備兵がいたんだよ
で、もう無理ぽってなって生きながらえたいやつは逃げろって外に出た
しろに残ったのは百人でこれが全て打ち取られた
ここまでが武田視点

で、ここから織田視点
逃亡兵を打ったらどうなるか
武田が死兵化だよ
窮鼠猫を噛むともいう
だから逃げるに任せた

あと無駄に殲滅するわけないじゃん
その後の統治もあるし、貴重な労働力なんだから
0762人間七七四年2014/07/01(火) 11:46:00.76ID:bp7Y4klo
下記に関して史料もとむ


・高遠に1万の守備兵がいた
・もう無理ぽってなって生きながらえたいやつは逃げろって外に出た
・逃げるに任せた
0763人間七七四年2014/07/01(火) 11:47:28.64ID:b+tmINjr
>>761
織田って無理に殲滅する必要もない餓死寸前の一揆勢とか降伏した武田の残党とか
越前一揆とか殺しまくってるんだが
0764名無し募集中。。。2014/07/01(火) 13:14:27.60ID:P+JYslkZ
1万も100も眉唾
100て砦に毛が生えたような高遠氏時代の動員兵力にも及ばんじゃん
0765人間七七四年2014/07/01(火) 13:15:13.62ID:bO5qr2K2
762
よく読めよアスペ
論点は百人以上の守備兵がいたってことだよ
あとは史料云々じゃなく当時の文化風習、そして労働力の問題
最初から最後まで百人しかいないって決定的な史料も求めてこいよ

763
必要があったんだろ
武田責めの場合殲滅の意味がない
0766人間七七四年2014/07/01(火) 13:32:55.57ID:cuhNklAO
菅沼くんは孫子に親でも殺されたんだろうか?
0767人間七七四年2014/07/01(火) 13:44:06.07ID:Y8LNodtR
>>765
多聞院日記によれば武田攻めでの唯一の戦果は高遠城の武田100討ち取り。
高遠城は4万の信忠の大軍に包囲されていたので
逃散・離反逃走なんてできるわけがない。
よって城兵=討ち取り兵100。
0768人間七七四年2014/07/01(火) 13:46:17.87ID:7PTMA0GX
>>765
織田は無理に殲滅する必要もない餓死寸前の長島一向一揆勢とか越前一揆とか朝倉残党など
殺しまくってる。
武田攻めでも武田を裏切った将兵は悉く皆殺しにされてるし
殲滅戦を徹底してやってる。
0769人間七七四年2014/07/01(火) 13:47:28.16ID:wddc5zJr
>>768
だーがだーがだがアスペの子♪
0770人間七七四年2014/07/01(火) 13:59:32.91ID:bO5qr2K2
765
必要がないと思うのは戦のど素人平和ボケ日本で生きてるおまえの判断
当時の織田信長はあると判断して実行した
それが事実

おまえの妄想押し付けないでくれたまえw
0771人間七七四年2014/07/01(火) 14:00:26.74ID:bO5qr2K2
間違えた
768な
0772人間七七四年2014/07/01(火) 14:02:34.48ID:bO5qr2K2
長島越前は知ってる
朝倉?武田?具体的に史料と原文をていじするように
おまえのクソ解釈はいらないからなw
0773人間七七四年2014/07/01(火) 16:30:14.09ID:EC/8k6Ye
信長は降伏や寝返りする朝倉残党衆や武田の家臣団を皆殺しにするなど徹底的な殲滅作戦をやってた。
信長公記などに書いてる。
0774人間七七四年2014/07/01(火) 18:08:25.53ID:fED1JXj9
40000に兵力で実質的に野戦である城外戦を挑んだわずか100人の高遠城攻防で一門信家を殺されて最低4時間戦われた信忠をマンセーするとかガチで馬鹿
0775人間七七四年2014/07/01(火) 18:27:59.24ID:26oGHg/5
殺したら身代金にならないって現実的な問題もあるしな

信長公記読んだ限りじゃ城兵を皆殺しにしているようにはみえないが
何が根拠なんだ?

城兵が打って出たのもその後城内に戻っていることから玉砕覚悟ではなく
機先を制しようとして失敗しただけじゃ
0776人間七七四年2014/07/01(火) 19:17:00.28ID:bO5qr2K2
773
その信長公記じゃ首400ってあるけど?w
どうすんの?w

あと姑息なミスリード狙わないように
家臣団と雑兵は別だ
0777人間七七四年2014/07/01(火) 19:32:27.05ID:bp7Y4klo
高遠城は4万の信忠の大軍に包囲されていたので
逃散・離反逃走なんてできるわけがない。
よって城兵=討ち取り兵100。
0778人間七七四年2014/07/01(火) 19:42:15.12ID:vOwuZAQO
信長公記より
敵も大手口から出撃し数刻の切りあいとなった
城内の将兵は妻子を1人ずつ引き寄せて刺し殺し無論切り死に覚悟で打って出た。
十五六の美しい若衆が1人、台所の隅から弓を撃って多数を射殺し矢が尽きると刀を抜いて切りまわり
遂に討死した。負傷者・死人、ごった返して数も知れなかった。


城方は子供や女まで殺されてる程で、完全に玉砕戦じゃん。
0779人間七七四年2014/07/01(火) 20:12:15.72ID:26oGHg/5
数刻の切りあいとなった後、残党逃げ入るなりって書いているように
一当てして城内に退いただけで玉砕戦の根拠とするのは難しい

上臈って書いているように上級家臣の妻子とかだから落城時に城主と一緒に自害するとかは割と普通じゃ

それに自分で書いているが負傷者・死人なんだから城兵にしたって全滅していないってことじゃん
少し落ち着け
0780人間七七四年2014/07/01(火) 20:26:23.89ID:0xDJKYat
高遠には100しかいなかっただろうけど
兵站が超弱体だったから
わざわざ人数調整した
織田も4万もいねーだろ。
せいぜい1万くらいだろ
0781人間七七四年2014/07/01(火) 20:27:36.59ID:LebmkErJ
最初の切りあいで逃げた残党が向かった先は城であって、城外には出たとは一切かかれていないのだから
城外に逃亡や離散が出たというのは妄想だろ。
攻防の後に城外に逃亡兵や離散兵が出たなんてどこにもかかれてないし
高遠城は4万もの大軍に包囲されてるのだから、そう簡単に逃げ切れるわけがない。
城内の将兵は妻子を1人ずつ引き寄せて刺し殺し無論切り死に覚悟で打って出たと書かれてるから
討死覚悟で城兵は実質野戦である城外戦を挑んで華々しく散った事がわかる。
0782人間七七四年2014/07/01(火) 21:06:09.97ID:26oGHg/5
>>781
どこに無論切り死に覚悟で打って出たと書いてるのかわからないが
城内の妻子がが死んだ段階で既に大手・搦手双方から城内に侵入されている
そのためこの時点で城外戦を挑むことは出来ない

この段階で城外戦を挑めるのなら完全に包囲はされていないどこからか抜け出ることが出来るということになる
まあ平山城と違って山城に対して完全に人一人通る隙間もない程の包囲というのは
地形によっては無理ってこともあるだろうからその可能性もないとは言えないが
部隊として武具を付けたまま移動するのは困難なんじゃ

というわけで
>討死覚悟で城兵は実質野戦である城外戦を挑んで華々しく散った事がわかる
これは根拠がない妄想と言える
0783人間七七四年2014/07/01(火) 21:28:04.30ID:5yutWrD1
負傷者は死者の10倍はいるというからそう考えると常識的な兵力か?
0784人間七七四年2014/07/01(火) 21:33:38.48ID:C/O5JUaY
>>782
信長公記(現代語訳)に切り死に覚悟で打って出たとキッチリ書いてある。
「城内の将兵は妻子を1人ずつ引き寄せて刺し殺し無論切り死に覚悟で打って出た。」
ちなみに城の包囲の隙間を掻い潜って逃れることのできた者や、
降伏した者がいたなどとは一切書いてない。
0785人間七七四年2014/07/01(火) 21:47:51.04ID:EpAgHs5h
信長の武田攻めって殲滅戦と殺戮が目的で、降伏した家臣も一族もくまなく捜索されてまで
皆殺しにあってるから、逃亡兵や降伏兵なんてそうそういないだろうな。
高遠城には信忠の主力4万が攻めかかったから、そうそう逃げ切れないだろうし
仁科以外の籠城組の武田の将は小山田らはじめ悉く全滅してる。
0786人間七七四年2014/07/01(火) 21:52:50.19ID:M3zVdf8y
だがさんは知ったかが多いな
0787人間七七四年2014/07/01(火) 22:11:59.92ID:5yutWrD1
>>784
原文は
『切って出で、働く事、申すに及ばず。』
だからその訳はやや誇張しているかな。
とはいえこの落城寸前の段階なら、
上級武士層は切腹するか切り死にするかのどちらかを選ぶのが普通だろうけど。
でもそんなの城内の兵力の極一部の身分の者だけだろう。

『手負、死人、上を下へと員を知らず、討ち取る頸の注文。中略、以上頸数四百余あり。』
とあるように負傷者が出ていることがちゃんと書かれている、とういか自分で>>778にも書いているだろ。
あと頸注文が死人の数か別口かは解釈がわかれそうだな、
ただ死人に対しても上を下へと員を知らずと書いておいて首の数を具体的に記せているから、
首の数と死人の数は別と判断した方が無難か。

>>785
それは一部の武士身分だろ、兵力の大部分をしめる一般足軽レベルは含んでいないはず、
でなきゃ農村の働き盛りの男子皆殺しみたいなことになる。
0788人間七七四年2014/07/01(火) 22:13:58.81ID:5yutWrD1
>とあるように負傷者が出ていることがちゃんと書かれている、とういか自分で>>778にも書いているだろ。
というかがとういかになってるw
IとUを逆に押したのだろうか。
0789名無し募集中。。。2014/07/01(火) 22:35:18.20ID:o2KKCKoP
ジェノサイドだったのは一門や甲斐譜代だけで
信濃国人とか上野国人とかあっさりと投降認められてね?
箕輪城とかそりゃもうあっさりと

つーか保科の兄ちゃん上野までどーやって
0790人間七七四年2014/07/01(火) 23:03:02.09ID:6ABVoEQN
>>787
要するに 信忠らが攻め込む・同時に敵も大手口から出撃し、数刻の切り合いになる
                     ↓
       武田方は多数討ち取られ、残りは城内に逃げ込む
                     ↓
          その後城内の将兵が妻子を殺し、切り死に覚悟で打って出る

という流れで、どこにも逃散兵や離反兵のことなど触れられてないし、そんなものが逃げる暇もない。

>>『手負、死人、上を下へと員を知らず、討ち取る頸の注文。中略、以上頸数四百余あり。』

その負傷者が織田なのか武田なのかは触れられてないしその前の段だと敵も味方も傷を受けたとかいてるし織田方の事じゃないの?

>>ただ死人に対しても上を下へと員を知らずと書いておいて首の数を具体的に記せているから 首の数と死人の数は別

なぜそうなるんだ?
死人の数は数も知れなかった(その場では)
しかし首実検をしてみると、400余りとわかったというだけだろ。

>それは一部の武士身分だろ、兵力の大部分をしめる一般足軽レベルは含んでいないはず

足軽を逃がした根拠は?
高遠城攻防の様子を見ると、城方はくまなく討ち取られてて
仁科以外にも、原・春日・小山田・渡辺・畑野・飛志・神林・今福・小幡・諏訪など
籠城方はほとんど戦死しており、高遠城攻防参加者で、城方の生き残り武将は一人もいないはず。
というか、武田残党狩りでは朝比奈・諏訪・一条・小山田・山県・武田信親など
家臣も一門も親類も皆殺しにされてて
信長は徹底した根切りをやろうとしてたのがわかるので、
普通に考えて40000で包囲された高遠城の城方に、生き残りなぞいるわけがないし
どこにも触れられてない。
0791人間七七四年2014/07/01(火) 23:12:45.93ID:C/O5JUaY
織田に許されてるのって
会戦前から速攻で武田を見限って離反した連中だけじゃん。
それ以外は上野の織田と国境接してない地域の国人だけ。
土壇場に裏切った小山田なんかも殺されてるし
馬場信春の息子の昌房なんかも本能寺後全く史料から名を消すことからも
武田攻めで死んだ可能性が高いだろ。
それ以外でも朝比奈・清野・今福・諏訪・小山田・山県などが殺されてる。
0792人間七七四年2014/07/01(火) 23:22:00.08ID:QTY5jMif
高遠城の攻防は包囲側が4万だろうが3万だろうが実際戦闘に参加できる人数は数万もいかんだろう。
大半が遊兵になってると思うんだけど。武田が奮闘したには違いないが。

武士階級は根切りにされるのは仕方なしにしても農奴階級まで根切りにしてたら後から入ってくる連中があまりにも(´・ω・)カワイソス
0793人間七七四年2014/07/02(水) 00:08:02.24ID:ZmXzy+J8
>>792
高遠城に籠ってた人間だけの話だからな
0794名無し募集中。。。2014/07/02(水) 01:32:09.03ID:EvaqyWNB
>>762
http://digikura.pref.nagano.lg.jp/kura/id/03OD0624100600-jp
0795人間七七四年2014/07/02(水) 08:19:25.93ID:B95TQIYv
>>794
それのどこにも>>762の内容は書いてないんだが
0796人間七七四年2014/07/02(水) 08:22:00.15ID:H0+HMe4U
信長の武田攻めって殲滅戦と殺戮が目的で、降伏した家臣も一族もくまなく捜索されてまで
皆殺しにあってるから、逃亡兵や降伏兵なんてそうそういないだろうな。
高遠城には信忠の主力4万が攻めかかったから、そうそう逃げ切れないだろうし
仁科以外の籠城組の武田の将は小山田らはじめ悉く全滅してる。

信忠らが攻め込む・同時に敵も大手口から出撃し、数刻の切り合いになる
                     ↓
       武田方は多数討ち取られ、残りは城内に逃げ込む
                     ↓
          その後城内の将兵が妻子を殺し、切り死に覚悟で打って出る

という流れで、どこにも逃散兵や離反兵のことなど触れられてないし、そんなものが逃げる暇もない


よって城兵=信忠が討ち取った100人であって
それ以上いたとか単なる妄想だろう。4万もの大軍に包囲されてて
そうそう簡単に逃げ出せるわけがないし
実際城に逃げ込んだと書かれてるだけで
離散者や逃散者のことは一切触れられていない。
0797人間七七四年2014/07/02(水) 08:37:23.49ID:xAZXqqKm
悉く皆殺しにされてたら、川尻が何で武田遺臣によって殺されるんだよ
0798人間七七四年2014/07/02(水) 09:27:58.44ID:aeyB7ZJy
あれは農民一揆だろ。
それに武田遺臣の生き残りは武田攻めの際に徳川を頼ったり
独自に隠れて落ち延びた者ばかり。
高遠城防衛戦参加者は4万の大軍に十重ハ十重に包囲されてたのだから逃げ切れるわけがない。
0799人間七七四年2014/07/02(水) 11:17:43.93ID:xA2BOe5g
菅沼遼太くんの病気が出てきたね
0800人間七七四年2014/07/02(水) 11:28:01.79ID:Ag4qoiQK
しかし戦場になるのはいつも信濃
お前ら、自分のとこでやれよ
0801名無し募集中。。。2014/07/02(水) 12:02:18.92ID:BO9t2ils
半分逃げたろ
0802名無し募集中。。。2014/07/02(水) 12:59:38.84ID:BO9t2ils
>>798
まだこういう黴臭い一揆史観が生き残ってるのか
マル経の罪過は計り知れんな
0803人間七七四年2014/07/02(水) 13:54:18.88ID:241Ge09U
>>802
具体的な史料も論拠もなしにネチネチケチつけるだけのお前のような馬鹿は議論に値しないな。
0804名無し募集中。。。2014/07/02(水) 14:54:56.74ID:BO9t2ils
マルKの残党が怒ったw
0805人間七七四年2014/07/02(水) 16:51:48.04ID:tTckW1v4
>>790
>その負傷者が織田なのか武田なのかは触れられてないしその前の段だと敵も味方も傷を受けたとかいてるし織田方の事じゃないの?
主語はどう見ても武田勢なのにお前は何を言っているんだ?
確かにそこからある程度前の部分では敵味方について触れているが、肝心の手負死人の前後は完全に武田勢について書いてるのに何でその部分だけ織田勢になるんだ。

>死人の数は数も知れなかった(その場では)
>しかし首実検をしてみると、400余りとわかったというだけだろ。
段も変わっていないのに何でそこまでなるんだ、妄想のしすぎじゃ、根拠に乏しすぎる。

信長は徹底した根切りをやろうとしてたというが
深志城とか高島城とか普通に降伏して城を明け渡しているし
甲斐の諸侍も普通に帰参している。
部分部分を抜粋して説を作るんじゃなくてちゃんと全体を見た方がいい。

>高遠城の城方に、生き残りなぞいるわけがないし
>どこにも触れられてない。
根切りにしたとはどこにも書いていない、それでいて上に書いたように手負は数知らずとある。
普通の落城と同じだろう。
0806人間七七四年2014/07/02(水) 20:35:31.70ID:3MumsKKi
796
上級家臣ばっかりで首が百個なら守備兵は大部隊がいたってこったな
まさか寄親だけでこもったわけじゃあるまいw
いつだかのだがさんの論法だけど、どう?w
0807人間七七四年2014/07/02(水) 21:24:35.86ID:8k3DPvO4
上級家臣含む武士階級って事じゃないの?当然中には足軽も含まれてるだろう
いちいち名乗り上げて戦ってるわけでもないし判別のしようもない
0808人間七七四年2014/07/02(水) 21:36:39.10ID:1QgwP6E1
少なくとも妻子は含まれていないはず
まあそれをもって守備兵がもっといたと主張する気はまったく無いがw

負傷者が数えきれないぐらいいたって書いてあるんだから
守備兵は首の数だけでなくそれに加えて負傷者分はいたってことだろう
0809人間七七四年2014/07/02(水) 21:52:11.02ID:3MumsKKi
807
数えたら16の名前が挙がってる
供回り五人前後で城を守ってたんだってよ?w
何しに来たの?遊びに来たの?って話よな
0810人間七七四年2014/07/02(水) 22:20:45.79ID:B95TQIYv
>>805
負傷者・死者はごった返したと書かれてるが
負傷者は織田か武田か書かれてないし、どちらのものか不明。

ついでに言うと武田から出た負傷者がその後生き残ったのなら
織田が武田負傷者を逃がしたか、あるいはその場から逃げられたかどちらかだが
前者の記事は一切なく、後者の場合は織田方の4万もの大軍の包囲を掻い潜らないといけないので、物理的に不可能。
降伏したわけでもなく、最後まで抗戦を選んだ城の城兵は、普通にそうそうは助けられない。
最初から抗戦しなかった小山田などまでも殺されてるしな
>>808
負傷者は織田か武田かわからんし
負傷兵が逃げ切ることなど、物理的に不可能。
また、最初から降伏・逃走してるならともかく
最後まで城を枕に抗戦した者まで助命するようなことを
織田の戦ではやってない。
織田の場合はむしろ最初から白旗あげてる者まで殺したりしてる(秋山との和睦詐欺や小山田など)
0811人間七七四年2014/07/02(水) 22:24:40.44ID:AHC+1Qae
>>806
上級武士だけで100人とか書かれてもない限定条件勝手につけて妄想するとか相当馬鹿だな。
0812人間七七四年2014/07/02(水) 22:30:38.59ID:deA6mQ0q
>>805
>段も変わっていないのに何でそこまでなるんだ、妄想のしすぎじゃ、根拠に乏しすぎる。

お前の珍説  首の数と死人の数は別 の方がよほど珍説。
「上を下へと員を知らず」は「数えられない程多い」という形容表現であって、実際に数えられないと曲解するとかガチで馬鹿。
実際にどれほど多かろうと、実際に「数えられない」わけがないし、多いことを形容するための表現で、
それと400余り討ち取りとは一切矛盾しない。
たとえ70人ほどであっても、実際にその場に転がってたら
数えられない程多いと感じるし、それを時間かけて数えたら、400人だと判別できたというだけ。
0813人間七七四年2014/07/02(水) 22:31:06.80ID:1QgwP6E1
そうだな岩村ではちゃんと残党も焼き殺されたと書いてあるな
で高遠ではそういったことは書いていない
だったらあとはわかるな
0814人間七七四年2014/07/02(水) 22:36:09.80ID:tfivkK8e
>>805
そもそも城攻めにおいて、降伏・和睦・開城交渉一切なし、徹底抗戦で
最後の日まで徹底抗戦した城兵や城主を
助命したり逃がしたりするような例はないだろ。
城方が助かるには、その前に助命交渉や降伏交渉などが行われて、条件つき(城から退去、人質渡す、など)
で行うしかない。
最後まで助かる道を捨てて、投降も離散もせず戦い続けて残ったのが高遠城の篭城方なんだし
そんな連中を助けるような戦なんぞ誰もやってない。
そんな連中は皆殺しが普通。
0815人間七七四年2014/07/02(水) 22:48:01.60ID:3MumsKKi
810
原文・・・読めないんだっけw
まあいいや、中略してるところ、書き出してご覧?
討ち取る首の注文
武田系の武将十六の名前
以上四百の首
これでおだの首が四百?w
面白い、非常に面白い解釈だよw
自然に増える玉薬以来だね!w
0816人間七七四年2014/07/02(水) 23:22:47.08ID:I3jRYmZv
まただが史が増えてしまったか

・高遠城にはなぜか織田側の武将がこもっており、信忠軍に首400を取られた
・天正10年の武田征伐で織田軍に抵抗したのは、ほぼ、この織田側武将のみである
0817人間七七四年2014/07/02(水) 23:35:20.06ID:D1MUHxv7
>>816
貴女、このスレにも書き込んでたのですかw
凄いですね、別スレでもあれだけ書き込んで、このスレでも書き込んでるとかww
まさにネット廃人生活ですなあww
しかも、別スレでIDも口調も主張も違う相手なのに、
ここでも普通に同一認定してますしww
マジで都合悪い事いう相手を封殺できればそれでいいだけの
発狂認定だったわけですねw
0818人間七七四年2014/07/02(水) 23:48:24.40ID:1png42hz
>>816
お前はガチで文盲だな。

・高遠城にはなぜか織田側の武将がこもっており、信忠軍に首400を取られた
・天正10年の武田征伐で織田軍に抵抗したのは、ほぼ、この織田側武将のみである

こんな事どこに書いてあるんだよアホ
0819人間七七四年2014/07/02(水) 23:50:16.05ID:r9eFnJoS
>>815
誰もそんな事言ってないのに勝手に相手の発言をねつ造するとか相当馬鹿だな。
0820人間七七四年2014/07/02(水) 23:51:00.77ID:jY4UYu+0
織田厨は日本語が読めないから
0821人間七七四年2014/07/03(木) 05:23:32.15ID:ftnIbka+
819
790な
まあ別に武田の首が400と修正するならそれでいいよ
どのみち790がおかしな日本語に訳し立って事実は変わらないからw
0822人間七七四年2014/07/03(木) 07:52:30.81ID:Y+xiHRh9
信長公記より正確な多聞院日記に100討ち取りって書いてあるし
「数えられない程多い」という形容表現であるだけの「上を下へと員を知らず」
、実際に数えられないと曲解するとかアホ珍訳じゃん。
実際にどれほど多かろうと、実際に「数えられない」わけがないし、多いことを形容するための表現で、
それと400余り討ち取りとは一切矛盾しない。
たとえ70人ほどであっても、実際にその場に転がってたら
数えられない程多いと感じるし、それを時間かけて数えたら、400人だと判別できたというだけ。
0823人間七七四年2014/07/03(木) 11:03:56.47ID:ftnIbka+
つまり百人という坊主日記は嘘で公記の四百人武田が打たれたってのが正しいってことだろ?w
なーにを周りくどく自己弁護してんだw
0824人間七七四年2014/07/03(木) 12:23:06.87ID:Y+xiHRh9
公記の武田征伐なんて時系列でいっても一次資料と照らすと誤りばかり書いてるし
鳥居峠の戦いとかろくに史料にないねつ造合戦までデッチあげてる始末。
多聞院も100パーセント信用が置けるわけではなく
随所に誤りはあるものの
軍記物の公記に比べれればマシだろ。
0825名無し募集中。。。2014/07/03(木) 13:07:02.20ID:/P2sh+m+
>鳥居峠の戦いとかろくに史料にないねつ造合戦

なら木曾征伐軍2万はいったいどこに消えたんだ?
最初から軍団編成もできなかったということか?

浅間山噴火逃散説とはなんだったのか
0826人間七七四年2014/07/03(木) 15:51:45.45ID:1FmoHVrL
奈良にいた坊主が書いたものが一方の当事者が書いたものより信用出来るとか狂っているな菅沼君は
0827人間七七四年2014/07/03(木) 16:37:24.79ID:ClC4NZK2
>>811
そう思いますか?だがクン方式の論法が
妄想で相当馬鹿に思いますか?
0828人間七七四年2014/07/03(木) 17:54:26.56ID:2LTCc9VE
>>812
>それを時間かけて数えたら、400人だと判別できたというだけ。
よくそんな妄想が出来るな、死人怪我人は多数、のすぐ後に討ち取り首は〜って書いてあるんだぞ
数えたら400人だと判別できただったら、単に怪我人は多数で、討ち取り首は〜って書くだろうに

死人怪我人と討ち取り首の間に何か他のことが記されていればそう考える余地も残るかもしれないが

あとその数えたら(ryって解釈だと、死人怪我人の主語は武田勢を指すことになる
0829人間七七四年2014/07/03(木) 20:19:02.59ID:Y+xiHRh9
>>827
原文にあるのは100人討ち取りと書いてあるだけ。
上級武士だけで100人とか書かれてもない限定条件勝手につけて妄想するとか相当馬鹿だな。
書かれてもない事の妄想ありなのが織田厨クオリティだが、
0830人間七七四年2014/07/03(木) 20:21:43.12ID:OqeG5/e2
>>827
書いてない事の妄想ありなら
織田軍は高遠城攻防戦で20000万人ほどの戦死者を出したという妄想も可。
0831人間七七四年2014/07/03(木) 20:31:32.81ID:TD4hlaf9
>>828
現代語訳では負傷者・死人がごったがえして数も知れなかった。
改行
討ち取った首は〜

と書いてて討ち取った首の段と負傷者死人の段は、段落変更されてる。

それにけが人死人は織田か武田か判別できないし
両方の事を書いてると見るべきで
「討ち取り首を書く段落」と
「けが人・死人を書いてる段落」は別の内容が書かれてて
繋がってない。
わかりやすくいうと
「城内の将兵が妻子を殺し切り死に覚悟で打って出た。この際諏訪の妻が比類ない活躍をした。
若衆も敢闘して討死した。負傷者・死人がごった返してて数もわからなかった」とあって
次の段落で
「討ち取り首は〜(武将の名前)、以上。
首は400余りあった」
と書いてて
段落が違うから全くと言っていいほど繋がってないし
無理矢理「負傷者・死人」と「討ち取り首」を繋げて曲解するとか馬鹿。
0832人間七七四年2014/07/03(木) 20:59:22.85ID:2LTCc9VE
>両方の事を書いてると見るべきで
この時点で武田にも負傷兵が出ていると認めていることになるぞ
今までの主張はどこいった?

原文は段落変わってない(はず)、
君の読んだ現代訳とやらがどの程度の基準で段落分けしているのかわからないから何とも言えない
話がまるっきり変わるとこで段落分けしているのか、適当な所で段を変えているだけなのか
ただ原文では繋がっているので、話が完全に途切れていると考えるのはおかしい

>それにけが人死人は織田か武田か判別できないし
何でそこだけ織田か武田か判別できない両方のこととなるんだ?
妻子を殺しとこも若衆の活躍も武田のこと書いているのにだよ、文章の流れから普通に取れよ

その前の部分の大手搦手からの侵入の部分ではちゃんと(織田武田の)両者が負傷し、
討ち死にしまくったと書いているのだから
もしけが人死人が両者のことを指すのならここでも両者と書くはず
0833人間七七四年2014/07/03(木) 21:15:13.44ID:aQhYL1MZ
私が読んだ信長公記の現代語訳じゃ負傷者・死人の部分は武田勢を示していたけどなあ
0834人間七七四年2014/07/03(木) 22:05:06.30ID:Y+xiHRh9
>>832
武田に仮に負傷者が出てようと、その後逃げ切れるわけがないし
城攻めにおいて、降伏・和睦・開城交渉一切なし、徹底抗戦で
最後の日まで徹底抗戦した城兵や城主を
助命したり逃がしたりするような例はないだろ。
城方が助かるには、その前に助命交渉や降伏交渉などが行われて、条件つき(城から退去、人質渡す、など)
で行うしかない。
最後まで助かる道を捨てて、投降も離散もせず戦い続けて残ったのが高遠城の篭城方なんだし
そんな連中を助けるような戦なんぞ誰もやってない。
そんな連中は皆殺しが普通。

新人物往来社の現代語訳でははっきり別の段落へと改行されてる

http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_16.pdf
ここに原文が出てるけどやっぱり改行されてて
>>831のように別の事柄として整理されて書かれてる。

>何でそこだけ織田か武田か判別できない両方のこととなるんだ
> 妻子を殺しとこも若衆の活躍も武田のこと書いているのにだよ、文章の流れから普通に取れよ

その前の文章では若衆が弓を打って多数を射殺したと書いててその若衆まで死んだと書いてる。
激戦があった様子がしっかり同じ段落の直前の文で書いてて当然織田方からも死傷が出たはずなので
負傷や死人も両者を指してるとみるべき。

>前の部分の大手搦手からの侵入の部分ではちゃんと(織田武田の)両者が負傷し、
>討ち死にしまくったと書いているのだからもしけが人死人が両者のことを指すのならここでも両者と書くはず


そんな妄想でいいなら、そもそも信長公記自体名前どおり織田視点で書いてて
織田が主語や織田のことを指す場合は省略されたりするけど
武田が主語や武田のことを指す時は省略されずに書いてるので
この省略された負傷者・死人は武田ではなく織田の事という解釈可能だなw
0835人間七七四年2014/07/03(木) 23:54:53.81ID:ftnIbka+
822
矛盾しないとまずいんだよ?w
お前は
「百人と信じて疑わない、でも公記は四百人
矛盾してるが公記は信ぴょう性にかけるのでこれは謝り
なので百人が正しい」、と主張しなきゃならないんだよ?w
なのに矛盾しない???www
矛盾してるのはお前の論理だよw
0836人間七七四年2014/07/04(金) 00:06:15.11ID:7cf4e7Dt
現代語訳w
一時史料求めるやつが自分は三次資料かよw

町田本のデジタル化したやつでも、桑田忠親の新人物往来社のでも段は同じだ
「・・・・。討ち取る首の注文。
()武田家臣十六人、以上首数四百人余あり。
()仁科五郎・・・・」
()が段な

注文は報告書の意な
負けた武田が首実検して報告書ていしゅつしたのか?w
負けてその後間も無く滅ぶわりに悠長なことしてんなおいw
0837人間七七四年2014/07/04(金) 00:53:31.21ID:wxocBduu
新人物往来社の現代語訳は知らんが、ニュートンプレスの現代語訳は同一段落だよ。
「討ち取った首の明細は、仁科五郎」〜「首数は四百余りもあった」までね。
0838人間七七四年2014/07/04(金) 08:08:07.04ID:LVu06+ah
>>836>>837
お前は「けが人・負傷者」が書かれた段落と
「討ち取り首」がかかれた段落が一緒だと主張してたのに
いつの間に「討ち取り首の武将名」と「首数」が書かれた段落の話に摩り替えてるんだよアホ
0839人間七七四年2014/07/04(金) 10:18:48.40ID:7cf4e7Dt
838
あーそーかい
それでも831はおかしいんだぞ?w
討ち取った首注文と死屍累々ですたって文章は同じ段落だからなw
0840人間七七四年2014/07/04(金) 10:33:18.98ID:dTUHQOUv
ところで、かの有名な「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」って
どうやって記録に残ったんだ?
恵林寺の僧侶は快川和尚と一緒に皆殺しにされたし
織田の兵士にそんなのを記録する暇はなかったろうし
0841人間七七四年2014/07/04(金) 15:06:52.55ID:tTO+BhnU
>>840
現在では、そのセリフを言ったのは別人だと判明している
0842人間七七四年2014/07/04(金) 15:41:52.12ID:NotWMsZC
隣の小坊主が燃えながらメモったんだよ。
0843人間七七四年2014/07/04(金) 16:11:36.79ID:5rHGAcdE
>>834
そこ見たけど改行されていないみたいだけど…
PCの設定かpdfの設定のせいか?
0844人間七七四年2014/07/04(金) 16:26:36.21ID:5rHGAcdE
>>838
上見る限りじゃ、段落が一緒みたいだけど…
段落変わっているのは、けが人・負傷者討ち取り首の注文の後、
注文の内容を書く部分で段落が変わっている
少なくとも私の環境ではそうなっている。
0845人間七七四年2014/07/04(金) 17:48:46.18ID:5ni/aD3k
>最後の日まで徹底抗戦した城兵や城主を助命したり逃がしたりするような例はないだろ
城主はともかく、一兵卒まで根切りにしている方がわざわざ史料や軍記物に書き記すことから珍しいことかと。
0846人間七七四年2014/07/04(金) 17:57:16.11ID:LVu06+ah
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_16.pdfの3月2日で


三月二日、払暁に、御人数寄せられ、中将信忠卿は尾続を搦め手の口へ取りよ
せられ、大手の口、森勝蔵、団平八、毛利河内、河尻与兵衛、松尾掃部大輔、此
の口へ切りて出で、数刻相戦ひ、数多討取り侯間、残党逃げ入るなり。か様侯処、
中将信忠御自身、御道具を持たせられ、先を争つて塀際へつけられ、柵を引き破
り、塀の上へあがらせられ、一旦に乗り入るべきの旨、御下知の間、我劣らじと
御小姓衆・御馬廻城内へ乗り入り、大手・搦手より、込み入れ込み立てられ、火
花を散らし相戦ひ、各疵を被り、討死算を乱すに異らず。歴貼の上掾E子供、一
貼に引き寄せ貼差し殺し、切つて出で、働く事、申すに及ばず。爰に、諏訪勝右
衛門女房、刀を披き切つて廻し、比類なき働き、前代未聞の次第なり。又、十五、
六のうつくしき若衆一人、弓を持ち、台所のつまりにて余多射倒し、矢数射尽し、
後には刀を抜き切りてまいり、討死。手負・死人、上を下へと員を知らず。討捕
る頸の注文

段落変更

仁科五郎、原隼人、春日河内守、渡辺金大夫、畑野源左衛門、飛志越後守、神
林十兵衛、今福又左衛門、小山田備中守(是は仁科五郎脇大将にて候なり)、小山
田大学、小幡因幡守、小幡五郎兵衛、小幡清左衛門、諏訪勝右衛門、飯島小太郎、
今福筑前守、以上頸数四百余あり



よって>>831の整理が正しく
アホ信忠厨が馬鹿なのが証明されたわけだ。
0847人間七七四年2014/07/04(金) 18:13:42.07ID:3jD3t3g/
>>845
城兵を助命するなら
事前の講和・開城交渉や
事前の寝返りや離散が必要。
どちらもせずに、城に残って最後まで徹底抗戦するような輩の命を助けるなんてルールはない。
実際に織田に牙を最後まで向き続けて
条件つきの講和や開城も、寝返りや離散もせずに
抗い続けて、自分に刀や弓を向けてきた奴は、公記に書かれてる諏訪の妻や若衆みたいに
殺されてる。
殺さなきゃ、自分が殺されるわけだしな。
0848人間七七四年2014/07/04(金) 18:54:44.87ID:5ni/aD3k
>>846
>討死。手負・死人、上を下へと員を知らず。討捕る頸の注文
段落は同じように見受けられるが。
また段落変更している部分も注文の内容を書くために段を変えているだけで、
話が途切れているわけではないかと、むしろ繋がっている。

>>847
普通に個別に降伏しただけではないかと。

上で他の人が書いていたが、他の箇所では残党含めて全滅させている時はそのことを書いている。
高遠でも全滅させるなりしているなら、そのことを書くはずでは、
なのにその記述が無いことから、根切りにはしていないと考える方が自然かと。
0849人間七七四年2014/07/04(金) 22:10:50.55ID:LVu06+ah
>>848
新人物往来者の訳本でも>>846のサイトの原文でもキッチリ段落変更されてるし
首の注文の内容を書くためにキッチリ改行されてて
前の段落では「城内の将兵の最後の様子(妻を殺したり切り死に覚悟で打って出たり諏訪の妻が抜き身を堤げてきりまわり
若衆が刀を抜いて最後の戦いをして死んだ、負傷者死人は数知れなかった)」が書いてて
次の段落では「武田の討ち取り兵や将の実際の名前や首の数」が実際に記されてて
前の段落では、合戦の様子が生生しく臨場感を持って書かれてるのに対し
次の段落では「首実検しないとわからないうち取り兵の名前や首の数」が記されてるので
前の段落と次の段落では「時間的視点」が違ってて
前の段落は生の、現場的視点で記されてるのに対し
次の段落は首実験など、ひと段落落ち着いてからわかった結果などが、「後の視点」から書かれてる。、


むしろ個別に降伏させたなんて事実があったらちゃんと書いてる。
個別に降伏というのはかなり特殊で書かないと分からないが
降伏もせず開城もせず条件つき和睦もせず離散も離反もせず最後まで城に残った戦った者が討死する事は
省略していなくても容易に想像がつく。
0850人間七七四年2014/07/04(金) 22:46:18.14ID:Agmrma5T
個別に降伏って、要は生け捕りのことだろ。

>>843
>>844
大丈夫、俺のパソコンでも同じように表示されている。
いくら菅沼でも段落の意味がわからないとまでは思えないし、
菅沼のPCの設定がおかしいんじゃないかな。
0851人間七七四年2014/07/04(金) 23:36:10.32ID:7cf4e7Dt
>>831
>>828
>現代語訳では負傷者・死人がごったがえして数も知れなかった。
>改行
>討ち取った首は〜

>と書いてて討ち取った首の段と負傷者死人の段は、段落変更されてる。

>「討ち取り首を書く段落」と
>「けが人・死人を書いてる段落」は別の内容が書かれてて
>「城内の将兵が妻子を殺し切り死に覚悟で打って出た。この際諏訪の妻が比類ない活躍をした。
>若衆も敢闘して討死した。負傷者・死人がごった返してて数もわからなかった」とあって
>次の段落で
>「討ち取り首は〜(武将の名前)、以上。
>首は400余りあった」
>と書いてて
>段落が違うから全くと言っていいほど繋がってないし
>無理矢理「負傷者・死人」と「討ち取り首」を繋げて曲解するとか馬鹿。

ハッキリと首注文と武将名が同じ段落だって言ってるんですがそれは・・・w

まあいいや
首実検の結果武田は四百人打たれたんだろ?
百人しかなかったってとんでも珍説も坊主日記も嘘デタラメって事で理解が得られて大変嬉しいよw
0852名無し募集中。。。2014/07/05(土) 00:15:32.26ID:9sIjYFto
400人も一緒に討死してくれる兵がいて
盛信は慕われてたんだな




どっかの猪兄貴と違って
0853人間七七四年2014/07/05(土) 08:39:57.93ID:QoXZSZI9
>>850
生け捕りなんて普通しない。
生け捕りしても、後になって殺すだけ。
生かすなら、その前に籠城方が条件つき和睦か開城か降伏勧告か、あるいは兵の離散や離反で
生きる術を求めてきてる場合にやってる。
どちらもせずに、城に残って最後まで徹底抗戦するような輩の命を助けるなんてルールはない。
実際に織田に牙を最後まで向き続けて
条件つきの講和や開城も、寝返りや離散もせずに
抗い続けて、自分に刀や弓を向けてきた奴は、公記に書かれてる諏訪の妻や若衆みたいに
殺されてる。
殺さなきゃ、自分が殺されるわけだしな。


>>851
は?ハッキリ段落変更されてんじゃんよ。

〜負傷者・死人が数知れなかった

段落変更

討ち取った首の内容〜

前の段落では、合戦の様子が生生しく臨場感を持って書かれてるのに対し
次の段落では「首実検しないとわからないうち取り兵の名前や首の数」が記されてるので
前の段落と次の段落では「時間的視点」が違ってて
前の段落は生の、現場的視点で記されてるのに対し
次の段落は首実験など、ひと段落落ち着いてからわかった結果などが、「後の視点」から書かれてる。、
0854人間七七四年2014/07/05(土) 08:46:18.59ID:oFzhTRXm
この時代生け捕りはよくあることだよ、で生け捕られた連中は奴隷にとして売られたりする、
普通は買い戻されるわけだがその金が無い場合は本当に売られることになる。
もっとも日本の奴隷は西洋などの奴隷とは別物だけど。
0855人間七七四年2014/07/05(土) 08:47:59.33ID:zQdhvn6i
>>851
信長マンセー視点の基地外公記よりも遥かに信憑性高い多聞院日記にしっかり100人討ち取りと書かれてるからな。
公記の記事がいかにインチキ記述かが証明されただけ。
公記だと勝頼の死は3/11だが実際は3/14だし
鳥居峠の戦いなどという
信忠が一切触れておらず感状も出さず
信長も全く触れていないねつ造インチキ合戦までデッチあげてる始末
0856名無し募集中。。。2014/07/05(土) 10:54:18.53ID:9sIjYFto
じゃあ木曾討伐軍2万は一戦経ずしていったいどこに消えたの?
そんなもん最初から無かったの?
0857名無し募集中。。。2014/07/05(土) 11:03:21.39ID:9sIjYFto
言われてみりゃ新府から木曾谷まで10日以上てのは
いくらなんでもかかり過ぎだし高遠籠城兵も少なすぎる

木曾義昌謀反なんて華々しく書かれちゃったから印象に残るだけで
実態としては2月アタマには武田家中はもう既に崩壊していたと
理解したほうが後々の末路も納得が行く

納得はいくけど悲惨だな勝頼
 
0858人間七七四年2014/07/05(土) 12:12:10.84ID:oFzhTRXm
>>856
高遠城が落ちたからと、勝頼信豊が2月28日に甲斐にひいたからでは。
飯田辺りまで取られたならまだしも高遠まで取られると諏訪まで侵入される、
そしたら地理的に甲斐信濃で分断される、この時点で武田側はほぼ詰んでる。

そして信忠軍が一部の部隊を塩尻方面に進出させたら鳥居峠の武田勢は峠からの退却さえ不可能になる、
戦っている場合じゃない、全力で逃げるしかない、しかも挟撃を避けようと思ったら深志まで、
勝頼らと合流することも困難、そんな状況で長距離に渡って撤退すれば兵も大半が逃げ散ってしまうと思う、
そして退却先の深志も甲斐とは分断される形になっている、佐久方面を通して繋がってはいるが、
これも一般兵が逃げ散る心理的要因の一つかと思う。
0859人間七七四年2014/07/05(土) 12:19:04.21ID:oFzhTRXm
勝頼信豊が上原に軍を率いて布陣していて、信忠勢を牽制できるだけの能力戦力があれば、
それらのことを防げる可能性もあるし、木曽討伐軍が合流できる可能性もある、
でもまあ勝頼らが穴山に対処するため撤退したため、信忠勢にフリーハンドを与えることに。

北条が味方のままで穴山が裏切らず徳川を抑えていれば、粘れる可能性はゼロでは無かったかも。
0860人間七七四年2014/07/05(土) 12:29:31.20ID:LpRXmZ08
許される「れば」は精々一つ。
三つも重ねては説得力は無い。
個々の能力云々の問題ではないのはわかるけどね。
0861人間七七四年2014/07/05(土) 13:17:15.81ID:sz45GSZE
>>854
生け捕りとして捕虜にとる場合は、事前の開城勧告、条件つき和睦交渉、城主の助命嘆願、あるいは城兵の会戦前の降伏申し出、脱走、離反などが必要。
上記は生きることを選択する方法だが
高遠城にのこって抗い続けた兵士はそれらを全て放棄して。
抗い続けた連中だから、織田からいえば、牙をずっと自分に向け続け
戦いを最後までやめなかった連中なので、討ち取りが当たり前。

実際に織田に牙を最後まで向き続けて
条件つきの講和や開城も、寝返りや離散もせずに
抗い続けて、自分に刀や弓を向けてきた奴は、公記に書かれてる諏訪の妻や若衆みたいに
殺されてる。
殺さなきゃ、自分が殺されるわけだしな。
0862人間七七四年2014/07/05(土) 15:53:40.20ID:nlTBTMg8
菅沼くんの段落やらの論旨変更で古文もできない妄想絶叫ってのは
理解した
0863人間七七四年2014/07/05(土) 16:11:54.62ID:HbcfcukC
段落の要旨については>>849に書いてあるとおりでしょ。
前の段落と後の段落では、時間的視点が違うからな
0864人間七七四年2014/07/05(土) 17:08:42.78ID:oFzhTRXm
>>861
いや普通に戦闘中に捕まえられたりもしているし、落城時に生け捕りになったりもしている。
>生け捕りとして捕虜にとる場合は、事前の開城勧告、条件つき和睦交渉、城主の助命嘆願、あるいは城兵の会戦前の降伏申し出、脱走、離反などが必要。
こんなものは別に必要じゃない。

というか殺しつくすって東部戦線じゃないんだから。
0865人間七七四年2014/07/05(土) 19:47:22.34ID:QoXZSZI9
>>864
例は?
最低5つくらいは史料つきで答えてくれないと困る。
戦闘中は命の奪い合いであり、助命するなら、事前の講和や開城勧告、条件つき和睦交渉、城主の助命嘆願、あるいは城兵の会戦前の降伏申し出、脱走、離反などが必要。
なぜなら、それが戦闘の前段階の交渉であり
それらを全て放棄して自分に向けて牙をむいている相手に対して命を助けるなんて道理はない。
助けるなら、その前の段階で兵士の助命を条件にした使者が入ってるか
事前の調略や篭絡や脱走などで兵士が逃げ出したり、寝返ったりしてる。
0866人間七七四年2014/07/05(土) 19:49:39.96ID:iPM5ds3j
城攻めにおいて、降伏・和睦・開城交渉一切なし、徹底抗戦で
最後の日まで徹底抗戦した城兵や城主を
助命したり逃がしたりするような例はないだろ。
城方が助かるには、その前に助命交渉や降伏交渉などが行われて、条件つき(城から退去、人質渡す、など)
で行うしかない。
最後まで助かる道を捨てて、投降も離散もせず戦い続けて残ったのが高遠城の篭城方なんだし
そんな連中を助けるような戦なんぞ誰もやってない。
そんな連中は皆殺しが普通。
0867人間七七四年2014/07/05(土) 19:52:03.53ID:B9aRH4/K
普通城兵が助かる場合は事前の講和交渉や
離反や、脱走を行って、生き残り兵士が存在するというパターンだが
高遠城の城方はそれらを全て放棄して城に残って抵抗を続ける道を選んだのだから
普通に考えれば皆殺しにされてる。
0868人間七七四年2014/07/05(土) 21:52:45.10ID:ZwLm1ME7
逆に聞きたいが皆殺しにされているという根拠は?
皆殺しが普通というぐらいにはそれが当時の一般的なルールだってことだろ
0869人間七七四年2014/07/05(土) 22:13:31.50ID:AAtDq9B9
そもそもゲームみたいにHPがゼロになるまで戦闘力が変わらないってわけじゃないはず、
体力尽きたり負傷したり、武器が尽きたりとかで、抵抗力が無くなるもんじゃ、
全員殺さなきゃ殺されるなんて状況はちょっとな・・・
0870人間七七四年2014/07/05(土) 23:45:14.09ID:hOJUL1ef
853
「討ち取った首の内容は」はそうとうな意訳
基本に従って訳してからいえ
討ち取る首の注文を訳せ
それがどこの段落に収められてる
討ち取った首の内容は、はどれを訳した
答えてみろ

855
ならば矛盾しないと言っている822はキチガイの嘘つきアスペルガーということだな
全くの同意だw
0871人間七七四年2014/07/05(土) 23:46:39.41ID:hOJUL1ef
866
荒木村重の生涯について語っていただけませんか?
あと鳥居強右衛門と
あと、お市の方とその娘についても伺いたい
0872人間七七四年2014/07/06(日) 01:19:24.98ID:1ea63mQ/
↑コイツは何が言いたいんだ?
0873人間七七四年2014/07/06(日) 08:29:58.71ID:e3bP7OKx
>>868
そりゃ
「城兵が助かっている時は、事前の事前の開城勧告、条件つき和睦交渉、城主の助命嘆願、あるいは城兵の会戦前の降伏申し出、脱走、離反が必要」
という事実が物語っている。
女・子供なら命を許されることもあろうが
自分に牙を向けてきてる兵士に向けて、命を助けるようなまねはしない。
そんなまねすりゃ自分が殺される。
実際には高遠では諏訪の妻や若衆みたいに女子供でも殺されてる始末。
なぜなら、それが戦闘の前段階の交渉であり
それらを全て放棄して自分に向けて牙をむいている相手に対して命を助けるなんて道理はない。
助けるなら、その前の段階で兵士の助命を条件にした使者が入ってるか
事前の調略や篭絡や脱走などで兵士が逃げ出したり、寝返ったりしてる。
0874人間七七四年2014/07/06(日) 08:35:35.27ID:EdnXv9Cr
>>869
高遠の城方は「妻子を1人ずつ刺し殺し、無論切り死に覚悟で打って出た」とかかれてる。
戦闘開始(篭城方死闘)→お互い負傷し、城方はどんどん数が少なくなる→寄せ手が城方を手柄として首を取る

という流れでどこにも、降伏や生け捕りをする暇などない。
ついでにいうと戦闘中の個別の降伏や生け捕りなんて誰もほとんどやってない。
城攻めにおいて、降伏・和睦・開城交渉一切なし、徹底抗戦で
最後の日まで徹底抗戦した城兵や城主を
助命したり逃がしたりするような例はない。
城方が助かるには、その前に助命交渉や降伏交渉などが行われて、条件つき(城から退去、人質渡す、など)
で行うしかない。
最後まで助かる道を捨てて、投降も離散もせず戦い続けて残ったのが高遠城の篭城方なんだし
そんな連中を助けるような戦なんぞ誰もやってない。
そんな連中は皆殺しが普通。
0875人間七七四年2014/07/06(日) 09:03:40.81ID:OHKupoLC
星名弾正が内通してますがそれは・・・
0876人間七七四年2014/07/06(日) 09:11:02.05ID:ezm8eRqo
でた菅沼お得意のある特定の事実に対する根拠を問われた場合の答え
答えはスルーしてとにかく同じ主張を繰り返すことで相手を根負けさせる
0877人間七七四年2014/07/06(日) 10:18:25.07ID:16h42Ej6
倒れいても油断するなまず刺して反応を確認しろ
面倒でも足を使うな槍か刀を使え

これが菅沼史観による日本の戦国時代の戦闘風景なんだろうなあ
0878人間七七四年2014/07/06(日) 10:36:37.13ID:OHKupoLC
ところで根絶やしにした事例は最低五つ出せるの?
0879人間七七四年2014/07/06(日) 12:06:09.59ID:qKtdEXnW
>>875
保科みたいに事前に逃亡したり寝返りすれば、兵士も助かるだろうな。
>>877
そもそも武士にとっての手柄って取った首級の数だろ。
倒れてたら、首を取ろうとするだろ。
>>878
城方の兵士が助かる時は事前に調略や逃亡や、講和交渉や、降伏、開城、和睦などで助かってるだろ。
それらが一切なく、抗戦した城の兵士は皆殺しにされてる。
秀吉の山中城攻防戦とか、加賀野井城攻防戦とか、三木城攻防戦(小林准教授が殺戮があったと結論)、上月城攻略戦とか
毛利の上月城攻略戦とか、宇留津城攻略戦とか
信玄の志賀城攻防戦とか、家康の大坂城攻めとか、
信長の長島侵攻戦とか、城方が和睦なしで徹底抗戦したから、皆殺しにされてる。

上記の例の中では、降伏した城の城主や兵士ですら、悉く殺戮の対象になっていて皆殺しにされてて
ましてや、降伏も開城も和睦交渉もなしで、城に残り続けて抗い続けた兵士が助かるわけがない。
自分たちに最後まで牙を向け続けるような輩は速攻で討ち取られて手柄にされてる。
0880人間七七四年2014/07/06(日) 12:09:45.29ID:Nn5ZMXFp
>>876
そもそもお前が「寝返り・離散・降伏・和睦・講和・開城交渉一切なし、徹底抗戦で 最後の日まで徹底抗戦した城兵を
助命したり逃がしたりする事がある」などと珍説を語ってるので
それに対する根拠がまず必要だろ。
降伏してても殺されてる例が一杯あるほどなのに
降伏なしで城を枕に戦ってた兵士が生き残れるわけねーだろw
0881人間七七四年2014/07/06(日) 12:29:37.03ID:16h42Ej6
>>878
小手森城とか岩屋城とかあるけど、
史料とかに撫で斬りにした、全滅したとか史料に特筆されることから
そっちの方が例外と言うのは自明の理だと思うがな。

だからまあ>>868の言う
>皆殺しが普通というぐらいにはそれが当時の一般的なルールだってことだろ
これを直接証明するのは無理なんじゃ無いかと思う、
だってそれが当時の常識ならわざわざ示す必要ないのだから。

>>879
>信玄の志賀城攻防戦とか、家康の大坂城攻めとか
それは皆殺しじゃ無い、最後まで抵抗したが捕らえられた例だ。
0882人間七七四年2014/07/06(日) 12:37:13.72ID:UE9ycL2a
>>881
家康の大坂城攻めでは大坂城に篭もった20万人近くが丸ごと皆殺しにされたとフロイスの日本史に書いてる。
なで斬りとか全滅したとか、そんな言葉使われてなく
「〜城の城方1000人ばかり討ち果たした」などと淡々とかかれてて
講和や降伏や和睦を拒んで城方に残り続けてる兵士は、みな戦いの末に殺されるのが普通というのがわかる
というか、「殺される」というより「戦って戦死」だな。
城方に残り続けて抗戦してる限り、まだ戦いは続いてて
最後(死)まで戦い続けてるのだから、皆死ぬのが普通。
0883人間七七四年2014/07/06(日) 12:40:01.58ID:OHm/TGos
高遠城の場合、諏訪の妻や若衆まで武器を取って戦ったあげく、戦死したとかかれてて
最後の一兵まで降伏もせずに戦い続けて死んでるのがわかるだろ。
いくら信忠が好きだからってグダグダ言って屁理屈つけて信忠を有能にしようとしても無駄
0884人間七七四年2014/07/06(日) 12:41:45.68ID:fyGzNqOh
織田厨は信忠大好きだからな。
いくら好きでも、実際に無能な武将を贔屓していいことにはならん。
好き嫌いで歴史を語れるほど、現実は甘くない。
0885人間七七四年2014/07/06(日) 12:50:17.24ID:VekfU+Ya
> 好き嫌いで歴史を語れるほど、現実は甘くない。


いいこと言うじゃん菅沼くんw
0886人間七七四年2014/07/06(日) 13:11:35.50ID:OHm/TGos
信忠って普通に事績で見れば雑魚城の岩村を数万の大軍で半年かけても自力では落とせず
仁科100人ごときに4万の大軍で城外戦でもって一門の信家を殺されて、最低4時間も野戦で敢闘される雑魚なのに
織田厨は信忠が好きという理由だけで馬鹿みたいに贔屓してるからな。
0887人間七七四年2014/07/06(日) 13:18:29.48ID:VekfU+Ya
>>886
> 好きという理由だけで馬鹿みたいに贔屓してるからな。

さすが菅沼くん。よくわかってらっしゃる。
0888人間七七四年2014/07/06(日) 13:51:01.18ID:Ii/T0/aY
織田厨は歴史群像とか仮想戦記好きの妄想垂れ流し厨だからな
0889人間七七四年2014/07/06(日) 14:51:28.56ID:VekfU+Ya
> 歴史群像とか仮想戦記好きの妄想垂れ流し

さすが菅沼くん。わかって(以下略)
0890人間七七四年2014/07/06(日) 15:21:39.06ID:OHKupoLC
879
星名弾正が退去した時に士気の低い奴らが一緒に出たんだろうね
お前の言う除名に当たるしお前の面目もたつな!
で、当初相当数立てこもってたけど結果四百人になって討ち死に
謎は解けたかい?だが君w
0891人間七七四年2014/07/06(日) 16:01:05.83ID:mezdKMM2
結局、実際に戦ったのは100人だったって事だな。
他は保科と一緒に事前に逃亡しただけ。
0892人間七七四年2014/07/06(日) 16:24:33.89ID:OHKupoLC
よく読めw
星名が内通したのは前日の夜で認められずに無視されてんだよ
だから戦のどさくさで逃げたか、にがしたかしかあり得ない
包囲されて逃げる好きがないってのはだが君が説明してたからな

で名のあるモノの首だけで四百なんだから立てこもってたのは相当数だろうなw
0893人間七七四年2014/07/06(日) 16:29:00.27ID:qmkUZY6A
玉砕覚悟で城を枕に討死したのが400人
戦意喪失で逃げ出した奴等は数知れず
城中で味方に殺されたり、自害した者も数知れず
やっぱ少なく見積もっても3000人はいたんだろう
高遠城を速攻攻略した信忠公の偉大さが際立つ
0894人間七七四年2014/07/06(日) 16:45:54.17ID:e3bP7OKx
保科が城に火を放って織田方に転じようとしたのは会戦前日の夜中なのに
認められずに無視されてるとか日本語も読めないとか相当馬鹿だな。
0895人間七七四年2014/07/06(日) 16:49:19.61ID:nSWYPBkc
保科は会戦前に城から逃亡したから逃げられただけじゃん。

会戦後は

信忠らが攻め込む・同時に敵も大手口から出撃し、数刻の切り合いになる
                     ↓
       武田方は多数討ち取られ、残りは城内に逃げ込む
                     ↓
          その後城内の将兵が妻子を殺し、切り死に覚悟で打って出る

という流れで、どこにも逃散兵や離反兵のことなど触れられてないし、そんなものが逃げる暇もない。

火 花を散らし相戦ひ、各疵を被り、討死算を乱すに異らず。歴貼の上掾E子供、一
貼に引き寄せ貼差し殺し、切つて出で、働く事、申すに及ばず。爰に、諏訪勝右
衛門女房、刀を披き切つて廻し、比類なき働き、前代未聞の次第なり。又、十五、
六のうつくしき若衆一人、弓を持ち、台所のつまりにて余多射倒し、矢数射尽し、
後には刀を抜き切りてまいり、討死。


と書かれている通り、女や若衆ですら殺されてる始末。
どこにも脱出する余裕などないし生き残りなど存在しない。
0896人間七七四年2014/07/06(日) 16:50:47.28ID:8ssUXWa8
信長公記の首級400人討ち取りというのは、おそらく女や子供や老人も含めての話だろう。
現に若衆や女まで殺されてるし
戦闘員の実数でいうと
多聞院日記に書いている100人だったって事でしょ。
0897人間七七四年2014/07/06(日) 16:52:24.62ID:xwO2k1GZ
たった100人しかいない高遠城攻防で
実質野戦である城外戦でもって40000の大軍で攻めて一門まで討ち取られて
最低4時間も戦い続けるとか信忠はガチで無能すぎる。
仁科が40000率いてたら15分くらいで速攻で討死0で瞬殺してただろ。
0898人間七七四年2014/07/06(日) 16:56:05.29ID:8ssUXWa8
結局城方で最後まで抵抗した100人以外は全て前日までに城から逃亡して
実際城に残って戦い続けたのは100人だけなんだから
100人対40000人の戦いだったって事でしょ。
兵力差400倍で城外戦で一門討ち取られて4時間以上戦わないと勝てないとか無能もいい所。
兵力比による戦力への影響度から考えても
武田方があと10倍多い1000人いたら、織田方一門は100人くらい戦死してて
信忠もおそらく高遠で死んでたなw
武田は運が悪かった。
0899人間七七四年2014/07/06(日) 16:57:49.49ID:QzZggc+n
仁科と信忠の立場が逆だったら5分くらいで被害0で瞬殺されてただろうな。
0900人間七七四年2014/07/06(日) 17:03:05.70ID:OHKupoLC
894
松尾掃部かたまで夜中に申し来たり候へども、申し上ぐべき透きもなく、
さあ珍訳をまた見せてくれ!w

895
え?
包囲されてて逃げられないんじゃなかったの?w
また前言翻す?
何回目ですか?w
0901人間七七四年2014/07/06(日) 17:12:56.90ID:OHKupoLC
十六人もの武将がいて守備兵供回りが総勢百人
武田七不思議
0902人間七七四年2014/07/06(日) 17:52:49.25ID:luA8iOQR
>>882
大坂の陣の残党狩りとか知らんのか。

>>896
>信長公記の首級400人討ち取りというのは、おそらく女や子供や老人も含めての話だろう。
それやったら偽首で処罰の対象だろうし、そこまであからさまなら普通は首注文の時にばれる。
0903人間七七四年2014/07/06(日) 19:36:44.34ID:e3bP7OKx
>>900
会戦になったら敵が城まで押し寄せてきててまず逃げられない
会戦になる前なら逃げられる。
何言ってんだお前
0904人間七七四年2014/07/06(日) 19:49:27.16ID:l7JZfmJJ
大坂の陣って防衛方の城が非常に広範だったから
逃げ出せる余地があっただけでしょ。
高遠なんて百人が篭もっただけの雑魚城を数万の大軍で囲まれたら
逃げ切れるわけがない。
保科は会戦前で敵が城に押し寄せてくる前だったから逃げ出せただけ。
0905人間七七四年2014/07/06(日) 19:52:47.21ID:/0/je6WY
>>900
新人物往来者の訳本
「保科正直は飯田の城主であったが、飯田城を退去した後、高遠城に立て篭もっていた。
保科はここで城内に火を放って織田方に転じようとし、この計画を小笠原信峰の元へ夜中に知らせてきたが
これを信忠に伝える時間もなかった。」

申し上ぐべき透きもなくを
申し上げる時間がなかったと普通に訳さず
申しあげようとしたが拒否されたとか相当馬鹿な珍訳だな。
0906人間七七四年2014/07/06(日) 21:04:31.03ID:fvqyjs66
大坂の陣での生き残りって悉く女や子供ばっかりじゃん。
0907人間七七四年2014/07/06(日) 21:06:08.20ID:mU4yraIP
>>902
ばれるもクソも首の総数が400とかいてあるだけで
若衆や諏訪の妻も殺されて死んでることから
普通に女・子供を含んでる可能性が高いんだが
0908人間七七四年2014/07/06(日) 21:49:31.01ID:qmkUZY6A
仮に討死100人だとしたら、あまりにも惨め過ぎだろ
仁科盛信が人望も威光も何もないただのゴミって事になる
勝頼に最後まで付き従った家臣50人に比べたらまだましか
信忠にビビって戦意喪失して逃げ出すのも無理はないけどな
0909人間七七四年2014/07/06(日) 22:20:53.15ID:aKqo2kTd
そもそも菅沼遼太にとって最後の依代である
「武田に殺された織田一門の織田信家」が
まず一次史料に一切存在しない眉唾ものだからな。
信長公記はおろか武田方、織田方、徳川方の書状ですら触れられていない有様。
少なくとも武田方は織田一門を討ち取ったなんて、絶対に書状に残すはずだが
その書状すら一切存在しないのだから、お笑いもいい話。

武田兵100人も菅沼遼太にとってはオナニーの産物でしかないだろうなw
0910人間七七四年2014/07/06(日) 22:37:38.46ID:OHKupoLC
903
もうすでに包囲されてるんだよ
よく読めよw
んで包囲されたらもう逃げ出せないんだろ?w

905
些細なこと
自然に増える玉薬
星名に織田の反応を伺う機会はなかったということだな

907
首実検が何のために行われるか考えよう
子供はともかく女の首がやくにたつかよw
0911人間七七四年2014/07/06(日) 22:46:28.41ID:OHKupoLC
高遠は総勢百人!信長公記は怪しい史料!
➡︎多聞院日記の百人と信長公記の四百人とは矛盾しない!
➡︎女子供含めて四百人!首の数は百人で日記が正しい!

包囲されてるから逃げられない!百人に決まってる!
➡︎開戦前に交渉しないと逃がすこともない!
➡︎開戦前に保科は逃げた!

大雑把な変遷
0912人間七七四年2014/07/06(日) 23:29:57.97ID:FUsald6M
高遠城何人殺したかの問題だけでいつまでやってんだよ・・・
0913名無し募集中。。。2014/07/06(日) 23:42:07.55ID:AS3gStOw
高遠で何人死んだかよりも
勝頼が高遠に何人割けたかのほうが重要だよな

ここで数百騎しか入れられなかったとなれば
決戦前に既に武田は終わってたことになる
0914人間七七四年2014/07/07(月) 08:41:50.63ID:7gNKmBdX
>>910
アホか。保科は小笠原に計画を夜中に伝えてて、それを小笠原が信忠に伝える時間がなかったと書かれてるだけで
拒否されたなんてどこにも書いてねーよアホ。

>すでに包囲されてる

戦いが始まる前だから小笠原に伝える時間がちゃんとあっただけ。
戦いが始まってたら、小笠原に伝えるどころか、速攻で瞬殺されてる。

首実験の目的=死者の確認。手柄を確認するというのは目的の一部であり
敵方の死亡者を普通に確認してるだけ。
そもそも首実検したなどと書かれてなくて、首の総数が400余りあったと書かれてるだけだからな。
多聞院日記との整合性を考えても、女・子供を含めないと100人、含めると400人くらいと考えれば矛盾なくしっくりいくな。
0915人間七七四年2014/07/07(月) 08:45:46.12ID:7gNKmBdX
>>908
武田は対北条戦で新府城を築き、徳川とも同時に戦うなど疲弊してた所に
甲江同盟詐欺の騙し討ちかけられたからね。
防衛体制解除してたのが勝頼の書状でわかるし
速攻で崩れるのは当たり前。
会戦らしい会戦は高遠以外になかったし
いわば、ダルビッシュでも10試合連続で完投して
肩を故障して、ヘトヘトになって休んでる所に
いきなりマウンドに立たされて、打ち込まれるみたいなもんだろ。
0916人間七七四年2014/07/07(月) 08:49:17.40ID:o/EuXlG8
>>911
下三つについては全く変遷してなくて
初めから同じ主張してるだけだね。お前はガチで文盲だから、変遷したとかデッチ上げてるけど。
上三つについては内容がクソ怪しいけど、織田厨の基準に沿って、織田厨の大好きな公記を切り捨てずに
わざわざそれに沿った説明してやってるだけ。
公記なんて本来なら切り捨てて構わんウンコ史料だけど、織田厨に合わせて引用してやってるだけだろうがアホが
0917人間七七四年2014/07/07(月) 11:04:56.73ID:7vXWhsP5
914
874な
折角離反しようとしたけど、織田のリアクションは無い
で、874が常識なら城方も覚悟決めて戦うわなw
なのに逃亡を結構して許された?w
都合よすぎだろ

916
おいおいw
914の見方まで切り捨てるかw
事実を検証するのに付き合う必要は無いよw
そんな下衆な観点で史料wl取捨してんのかいw!
0918人間七七四年2014/07/07(月) 11:35:06.48ID:JeyNwl+K
>公記なんて本来なら切り捨てて構わんウンコ史料だけど、織田厨に合わせて引用してやってるだけだろうが

見事な伏線だな。アスペルガー発動したの後悔すんなよ。
0919人間七七四年2014/07/07(月) 12:51:08.69ID:wZcKb5H+
>>917
アホか。
逃亡や離反を決行する者にとって生き延びることが第一目標なんだから
それが信忠に伝わろうが伝わるまいが、速攻で計画実行するか、無理なら城から逃亡しとるわw
城に残って抗い続ける覚悟がないのに、何でその後も城に居残り続けるんだよアホ。
決行するか決行せずに城から脱出して織田に転じるか、あるいは逃亡して遠くに逃げるかどれかだろうがアホ
0920人間七七四年2014/07/07(月) 15:27:55.96ID:jwKWbhIs
>>909
0921人間七七四年2014/07/07(月) 18:40:22.09ID:IXHgS7Db
首注文は敵方の戦死者のうち確保出来た首の数を確認するのも目的だから、
女子供は入らないんだよ。
入るようだったらそもそも確認できていないということになってそれは首注文じゃない。

『手負・討死〜員を知らず』の部分では女子供も入っているだろうけど、
四百余というのは首注文の結果の数字だから女子供は入らない。
0922人間七七四年2014/07/07(月) 19:54:55.66ID:7gNKmBdX
首の数は400余りと書かれてるだけで、首実検どうこうは書かれてないし
高遠城では妻や子供も殺されてるのがはっきり描写されてるから
400人余りの中には女子供も入ってるんだろ。
それなら多聞院の100討ち取りというのも整合性が取れる。
0923人間七七四年2014/07/07(月) 20:43:09.38ID:RLFPd7Eq
>>922
全く手柄にならない女子供の首をわざわざはねて何の意味があるんでしょうか?菅沼君
あと現場を全く見ていない奈良の坊主どもの書いたものに信憑性あるのかね?菅沼君
0924人間七七四年2014/07/07(月) 20:58:06.54ID:IXHgS7Db
>>922
首の注文と書かれているだろうが。
0925人間七七四年2014/07/07(月) 21:52:24.69ID:7gNKmBdX
討捕る頸の注文

段落変更

仁科五郎、原隼人、春日河内守、渡辺金大夫、畑野源左衛門、飛志越後守、神
林十兵衛、今福又左衛門、小山田備中守(是は仁科五郎脇大将にて候なり)、小山
田大学、小幡因幡守、小幡五郎兵衛、小幡清左衛門、諏訪勝右衛門、飯島小太郎、
今福筑前守、以上頸数四百余あり

と確かにあるけど
首数400は「討ち取り首の注文」とは別のことだろう。
なぜなら以上首数400余りありと書いてあるが
以上の前に書いている武将名を数えても到底400にならないからな。
〜武将名。←ここまでが首注文の内容
首数400←ここは首注文ではなく、首の数(女含め)
と考えるのが妥当だろう。
0926人間七七四年2014/07/07(月) 21:54:50.20ID:Z0ZUq58O
高遠城攻防戦では女や子供まで戦闘員として殺されてるし
織田からすれば女子供の討ち取りも手柄として数えたんだろうな。
それから信長公記こそ現場を全く見てない太田が適当に書いただけのハッタリ軍記じゃん。
武田攻めの記述も史料にない鳥居峠の戦いとかデッチあげてるし
0927人間七七四年2014/07/07(月) 22:58:18.70ID:/Kgjl3GR
菅沼からすると信長公記は史料ですらないらしい
0928人間七七四年2014/07/07(月) 23:32:26.90ID:RLFPd7Eq
>>926
女子供の首が手柄になったというソースはあるのかね?菅沼君
0929人間七七四年2014/07/08(火) 00:44:39.28ID:a5JeOOHS
仁科五郎、原隼人、春日河内守、渡辺金大夫、畑野源左衛門、飛志越後守、神
林十兵衛、今福又左衛門、小山田備中守(是は仁科五郎脇大将にて候なり)、小山
田大学、小幡因幡守、小幡五郎兵衛、小幡清左衛門、諏訪勝右衛門、飯島小太郎、
今福筑前守、以上頸数四百余あり


普通に考えたら400も人物名を書けるわけがないから
有名な武将のみを列記して後は省略したと考えられるのだが
0930人間七七四年2014/07/08(火) 02:15:28.56ID:tBTmPU7E
侍クラス400人はすげーよな
仁科さん人徳あったんだな
0931名無し募集中。。。2014/07/08(火) 02:21:25.57ID:v4dDZN2V
これだけ直参家から将を入れておいて総員400程度ってことは
ほんとに統治崩壊してたんだろうなあ
険峻地でもないのにここ400で数日持ちこたえろってそりゃ無理だわ

結果論だけど各領からの来もしない援兵待ってないで
伊那で決戦やってればまだ見せ場になったかもね

これまた結果論だけど新府や勝沼で来<中略>待って何日も
ちんたらしてなきゃ笹子峠や甲州街道を飢えと疲労に苛まれながら
彷徨した末に切腹もできずジェノサイドなんて悲惨な末路にはならなかったろうに
0932人間七七四年2014/07/08(火) 02:36:51.61ID:15t+pwID
>>915
また新府城=対北条説か
地形とか縄張り見りゃどう見ても諏訪方面から甲府に侵攻して来る敵に対する最終防衛ラインだろうに
0933人間七七四年2014/07/08(火) 02:38:41.92ID:15t+pwID
>>931
信豊が木曽と織田の連合軍にボコられた時点で信濃衆は見限ってる
0934名無し募集中。。。2014/07/08(火) 02:59:01.82ID:v4dDZN2V
八王子城を玉砕まで統率した中山氏の子孫が水戸藩筆頭家老まで出世したところを見るに
小山田昌行も遺児がいれば徳川に高禄で取り立てられたかもしれんよね
惜しいことをした
0935人間七七四年2014/07/08(火) 05:37:51.11ID:O5QG0Mr9
菅沼くんは妄想のごり押し、また失敗したようですな
0936人間七七四年2014/07/08(火) 07:00:43.62ID:+LnWZXUy
>>929
単に400人が誤記だったって事だろう。
実際には書かれた18人程度しか戦死してなくて
他の武将は合戦前に逃散しただけ。
多聞院日記には100人討ち取りと書かれてるが
これは女性や子供を含めた人数だろ。
0937人間七七四年2014/07/08(火) 07:02:24.37ID:VnkLPIhY
>>930
単に400人というのが織田がデッチあげた妄想数値だったんだろ。
その証拠に名前は18人しか乗せられてないし
多聞院にも100人討ち取りとかかれてて
女性や子供まで高遠城攻防戦で殺されてるから
女子供含めて100人で
男の戦闘員は18人しか戦死しなかったという事だ。
0938人間七七四年2014/07/08(火) 07:04:50.06ID:EBOcwSg2
>>931
武田は対北条戦で新府城を築き
徳川とも同時に戦うなど疲弊しきってた所に
甲江和与で油断させて勝頼が領内防衛体制解除してた所に織田がだましうち奇襲しかけたから
武田は防衛体制が整わず
仁科100人しか抗戦しなかっただけ。
0939人間七七四年2014/07/08(火) 07:06:29.23ID:+LnWZXUy
>>933
信豊と木曽織田の間で戦いなんて起こってねーよ無知乙
0940人間七七四年2014/07/08(火) 07:15:56.83ID:nMBtY3sL
>>932
新府城が作られた時期って北条が2年連続して甲斐に侵攻するなど
北条との抗争が激化してた時期であって
織田とは美人局を織田からもらったり勝長返却させたり
全く抗争のきざしもなく、高天神城も一切援軍を求める使者もなく
使者が出入り往来できるほどヌルイ状態だったんだが。
実際に行われてた対北条の侵攻ではなく
全く実行も想定もされていない織田の侵攻に向けて新府を築いたとか相当馬鹿な妄想だなw
0941人間七七四年2014/07/08(火) 08:37:41.40ID:lK6sw+0e
919
あれ、内通成功しないと逃げれないんじゃなかったのか?w
相手に内通受け入れの話が通ってるかわからんのに、城から出て来たら相手がどう思うか?
あぁ、アスペルガーは相手の気持ち考えるのが苦手なんだっけw

925
原文読んだ?
句読点がついてるんだよ、文末には
そして文末までひと続きなの
現に別の箇所で同じ構成の文章あるけどそこは改行せずに続けてる
何故か
武田があまりに打たれすぎて文章としてまとまりがなくなるから改行して明確にしたんだよ

936
忙しいなw
最初百人で次は四百も矛盾しなくてお次は十八人かw
0942人間七七四年2014/07/08(火) 09:30:58.60ID:50lnzlsW
韮崎の新府城が対北条でどう機能するのか教えて欲しいわw
甲府盆地蹂躙されてから本領発揮ってか
0943人間七七四年2014/07/08(火) 09:40:07.64ID:B3pY3id6
北条から諏訪を守るための城なんだろうよ
諏訪四郎勝頼だけに
そのくせ高遠城は瞬殺されるとか
まー、アホとしか言いようがないわな
それだけ信忠公が偉大過ぎたんだろうけどな
0944人間七七四年2014/07/08(火) 10:10:36.13ID:7s/KmZpQ
わずか100人しかいない高遠城に40000の大軍で挑みかかって実質野戦である城外戦で
一門信家を討ち取られ、普通なら10分程度で終わりそうな戦いに最低4時間以上かけた
信忠が有能とか相当馬鹿だな
0945人間七七四年2014/07/08(火) 10:11:49.21ID:+LnWZXUy
信忠は岩村城の時も数万の大軍でもってわずか数千で孤立無援の岩村一城に手間取りまくって
半年かかっても自力では落とせないアホっぷりだからな。
0946人間七七四年2014/07/08(火) 10:16:56.56ID:7s/KmZpQ
>>941
保科は戦いが始まる前だから逃げ切れただけ。実際に城中で謀反計画練ったりして
それを小笠原に伝えるまでやってる。小笠原に伝わったのだから、謀反計画は織田に伝わったと考えるのが普通。
小笠原が信忠に伝える暇がなかったなどという、想定外の事実を保科は知る暇などないし、
そんな保科が知らない想定外の事実を元に、保科が戦死必至の高遠に篭もって戦い続けるようなこと、
謀反を考えている人間がやるわけがない。
保科からすれば生き延びることが第一だから、城から脱出し、織田への仕官が認められそうなら織田
認められなさそうなら逃亡を企てるのが、普通の選択肢。

戦いが始まったら生き残る術などない。戦いが始まる前だから逃げられただけ。
0947人間七七四年2014/07/08(火) 10:19:03.64ID:7s/KmZpQ
>>942
そりゃ何回も侵攻がかけられてた甲斐郡内方面に城作っても危険なだけだからな。
本拠地なんだから
北条の侵攻が届きにくい+領国の中心部に近い韮崎に作っただけ
0948人間七七四年2014/07/08(火) 10:24:09.43ID:7s/KmZpQ
>>941
高遠城攻防戦では女や子供まで織田方に戦闘員のように殺されてるのが描写されてるので
首数というのは、女や子供も含めての事だろ。
女や子供でも戦っている相手を殺せば立派な手柄だしな。
0949人間七七四年2014/07/08(火) 10:27:25.53ID:50lnzlsW
>>947
根拠地の甲斐を蹂躙されたら武田自体が瓦解する
0950人間七七四年2014/07/08(火) 10:35:43.12ID:bCK9iJrn
それなら要害山の拡張で良かったんじゃ
0951人間七七四年2014/07/08(火) 10:54:36.56ID:B3pY3id6
史実では甲斐を蹂躙される前から瓦解してるけどな
信忠公が挙兵した途端に瓦解したと言った方が正しいか
0952人間七七四年2014/07/08(火) 11:22:43.08ID:rLh3+d5z
ほとんど徳川と北条のおかげだけどな。
後は甲江同盟詐欺のおかげ。
実力とは全く関係ない火事場ドロボウの戦。
0953人間七七四年2014/07/08(火) 11:24:02.10ID:+LnWZXUy
武田は長篠以降も謙信の関東出兵に対して北条と結託して上野方面に外征したり遠州で徳川方を撃退したりと
全くといっていいほど衰退していないし勝頼は、翌年に武田の命運をかけた一戦を織田とやると書いてるので
まだまだ自力は大きく残ってたんだろう。北条との同盟決裂後も関東において北条を押しまくっていたが
天正8年・9年の甲斐の都留軍への侵攻をゆるした(撃退してるが)ため、新府城の築城を北条対策として行ったが
これが多いに失策だったため、武田領国の国人は大いに不満が高まり後の離反フラグになったんだろう。
徳川も田中城や高天神城に手も足も出てなかったし武田が謙信に対応した天正3・4年の関東派兵や対北条戦のため関東に出兵したのと
甲江和与の影響で武田が軍備解除してた隙をついて居留守泥棒的に二俣城や高天神城を奪回するがその周辺の拠点や
田中城には手も足も出ず、北条が駿河伊豆国境地帯の長窪城や天神ヶ尾城を落とし、武田がその方面に出兵した隙をついて開城勧告で
なんとか開城させたにすぎない。
よって「北条が滅亡寸前の武田に上野で負けた」ではなく「武田は北条戦で大いに出費面や戦力集中の観点から犠牲を払い
その隙をついて甲江和与詐欺を生かして武田領国を無防備にさせた所に織田・徳川で奇襲をかけたら離反の連鎖になって運よく滅んだ」が正しい
0954人間七七四年2014/07/08(火) 11:42:30.20ID:M3jpl993
>>949
北条が相模や武蔵を蹂躙されても崩壊しなかったけど。
それに武田も現に北条に都留郡を蹂躙されても崩壊しなかった。
0955人間七七四年2014/07/08(火) 12:24:12.65ID:sQzR2dyF
>>952
仮に詐欺だとしても騙された武田が間抜けだと思わないのかね?菅沼君
だいたい武田と講和して織田に何のメリットがあるんだね?菅沼君
宇喜多みたいに嫡男を人質に出して降伏するならまだしも
まあ要するに武田の面々はどうしようもないほど頭が悪かったと言いたいのかな?菅沼君
0956人間七七四年2014/07/08(火) 12:36:57.85ID:lK6sw+0e
946
うん、だからね
すでに包囲されてるのね
話がついてなかったら、城から出てもそこで殲滅されるのね
だから話がついたと認識しないと城方は逃げる二逃げられないの
開戦前とか関係ないの
既に織田の軍隊が乱入してる時点dw開戦してるの
さすがノアスペでもわかった?
0957人間七七四年2014/07/08(火) 12:46:36.58ID:bCK9iJrn
八王子城で落城寸前に派遣城代横地監物を檜原に逃がし
百姓から女子供まで統率し玉砕して果てた
中山家範さんマジ有能
0958人間七七四年2014/07/08(火) 13:34:10.23ID:+LnWZXUy
>>956
>話がついてなかったら、城から出てもそこで殲滅される

逃亡や離散兵として、会戦前に脱出しても殺されるなら
会戦が始まってから脱出しようとして捕縛されれば間違いなく殺される
会戦後でも命助けられるなら、会戦前に脱出しても必ず助かる。
脱出するなら会戦前の方が生き残れる可能性は格段に高いのだから
会戦前にやってる。
いざ戦いが始まってから城に残って戦ってたら
織田からいえば、敵として抗い続けてるようにしか見えんからな
0959人間七七四年2014/07/08(火) 14:12:33.65ID:LC1NUZWD
織田が甲江同盟詐欺してたから武田は軍備解除してたんだろ。そこに織田が騙まし討ち的に奇襲かけて徳川北条の大軍が
一挙になだれ込んできて武田は防備体制もなく、離反の連鎖になった滅んだだけで実力で落としたといえるの高遠だけ(この戦闘ですら苦戦)
勝頼も佐竹の仲介が成功しそうで、確約が早く来ないかと悶えるとか書いてるし、
天正8年に入ると織田信房(御坊丸)を武田が織田へ返還したこともあり
景勝が甲江同盟を結んだのを、なぜ事前に報せてくれなかった!と抗議を受けてるし
そのため武田の軍事行動の中心は対北条戦で、
織田と武田は和睦交渉中で事実上の戦闘停止状態。
そのため勝頼の書状も対北条での景気のよい話の書状ばっかり。
逆に高天神城とその周辺に関しては関心がないと言うより
事実上の膠着状態(甲江同盟交渉の影響で緊張状態にないヌルイ感じ)になってたとしか思えない。
なんせ高天神城からは一切、援軍要請すら出てない。
天正9年正月になって久しぶりに高天神城への勝頼書状が登場するが、
使者の往来の忠節ぶりを褒めて加増の話を書いてるだけで、
援軍に出るとか、そんな危機的な内容は一切書いてない。
そして次ぎに登場するのは3年も籠城して討死した岡部の所領の相続を息子に認めてる書状。
明らかに武田側に高天神城が落とされるとは思ってなかったとしか思えない。
織田と武田の同盟が成立すると誤認して
遠江方面での軍事行動を控えていたとしか思えないし
徳川も高天神城に砦を構築して包囲したとは言え
本気で攻め落とすつもりがあるような態度でなかったから
使者の往来が天正9年に入っても可能だった。
つまり織田が同盟成立を匂わせて佐竹や武田を騙していて
御坊丸を返還した武田は同盟なったと誤認して安心してたら
突然、高天神城が落とされてしまったと思われる。
しかもそんな武田に織田はさらに同盟のカマかけて
南化玄興ルートで和睦交渉の美人局をやって
またしても佐竹や里見まで今度こそ同盟成立したと誤認してる(天正9年8月)
0960人間七七四年2014/07/08(火) 15:08:09.85ID:sQzR2dyF
>>959
だから武田の連中は最高にバカだったと言いたいのだろ?菅沼君
0961人間七七四年2014/07/08(火) 15:32:04.58ID:sQzR2dyF
武田のバカさ加減を見れば宇喜多はさすがだな
直家は死にかけだったがそれでも武田のアホどもの何百倍も頭が切れた
そう思わないかね?菅沼君
0962人間七七四年2014/07/08(火) 15:56:37.92ID:a5JeOOHS
美人局にひっかかり、
奪った信長の息子を返しただけで心証をよくしたと思い込み
たかだがそこらの地方大名であった信玄を崇拝するために武装解除して
浅間山が噴火した時に遠く甲斐で混乱が生じた武田
0963人間七七四年2014/07/08(火) 17:26:25.86ID:lK6sw+0e
958
要領得ない奴だな
会戦後に命助けられるって何の仮定だよ
あと捕虜にして奴隷販売したのが他ならぬ武田信玄だから必ず殺されるという結論も都合よすぎ
隅でしょんべんでもちびってりゃ生け捕りにするわな
生け捕りやら捕虜が絶無だと言うなら話は別だがw
0964人間七七四年2014/07/08(火) 20:13:45.20ID:vaEmv+xV
>>930
岩屋城の戦いと比較すると
侍クラスが400人もいるのに一日で落城ってのは武田が無能なのか織田が有能なのか
0965人間七七四年2014/07/08(火) 21:15:07.02ID:O5QG0Mr9
武田のいい加減な武装解除を見れば言わずもがな
0966人間七七四年2014/07/08(火) 21:39:18.71ID:+LnWZXUy
岩屋城って島津が醜態さらしてただけじゃん。
武田は40000もの大軍でわずか100の兵力で実質的に野戦である城外戦挑んだんだから
それにしては織田一門の信家も殺され、普通なら10分で終わりそうな戦力比400倍の敵に対して
十分に戦ってる。
0967人間七七四年2014/07/08(火) 21:40:36.04ID:SxWmBGBD
信忠は岩村城の時も数万の大軍でもってわずか数千で孤立無援の岩村一城に手間取りまくって
半年かかっても自力では落とせないアホっぷりで指揮能力が欠落してたからな
0968人間七七四年2014/07/08(火) 22:35:22.89ID:HXZT6ZA2
>>964
織田は城攻めも野戦も下手糞すぎるからな。
岐阜城なんて6回くらいあっさり落城してるザコ城や
岩村城なんて無数に落城してるザコ城程度に手間取りまくり無能っぷり。
実質野戦である高遠城城外戦でも戦力比400倍なのに
一門信家が討ち取られる始末。
0969人間七七四年2014/07/08(火) 22:58:35.57ID:i52bMglT
しかし武田は織田以下という…
0970人間七七四年2014/07/08(火) 23:03:19.88ID:sQzR2dyF
つーか木曽征伐に丸腰で行ったのか?武田軍は
どんなに兵力で圧倒していても丸腰じゃ負けるよ
菅沼理論によると武田軍は救いようのないアホ集団だな
そういうことでいいんだね?菅沼君
黙っているということは認めたというこどだよね?菅沼君
0971人間七七四年2014/07/08(火) 23:04:20.30ID:MTbPQX/z
高遠城の攻防戦や岩村合戦を見る限り
武将の指揮・采配能力は桁外れに武田>>>>>>>>>>>>織田だな。

兵数や装備はそのままで大将が入れ替わってたら100パーセント織田なんて武田方被害0で瞬殺されてる。
0972人間七七四年2014/07/08(火) 23:07:29.79ID:pTVIDYfK
木曽征伐なんて一次資料じゃ全く出てこない内容じゃん。
木曽なんか放置して、防衛体制解除してたから
改めて軍備を強化しようとして
その間に侵攻かけられて、寝返りの連鎖になって崩壊しただけじゃん。
武田は北条や徳川との戦いでも疲弊してたし。
0973人間七七四年2014/07/08(火) 23:10:02.38ID:wOTqOamX
武田征伐なんて
いわば弱りきった強靭ファイターが病気で苦しんで、寝てる所に
仲いいフリして偽の薬やって弱らせて
500人くらいで、騙し討ち襲撃して、殺したようなもんだろ。
こんなもんを実力で勝ったみたいに語る織田厨はガチで馬鹿
0974人間七七四年2014/07/08(火) 23:10:48.16ID:5pC+JxcI
武田は長篠で惨敗
甲州征伐では半月ほどで信濃や甲斐の城が落とされまくったんだっけ
0975人間七七四年2014/07/08(火) 23:14:53.04ID:uwa5GlUS
武田は長篠の戦いではわずか6000の兵力で織田徳川15000のうち6000も討ち取ったし
甲州征伐ではまともに抗戦したのは仁科100だけだったにもかかわらず
兵力400倍の信忠と実質野戦の城外戦でもって一門信家を討ち取り
最低4時間も敢闘してるからな。
兵力比400倍なら普通は5分程度で終わる。
0976人間七七四年2014/07/08(火) 23:16:28.65ID:pTqWkgOK
高遠攻防戦の結果から、どうみても仁科は信忠より16000倍戦上手だな。
兵力比400分の1でも
400倍の敵と互角以上に戦えるんだから。
流石に100人では頭数が足りなかったけど。
0977人間七七四年2014/07/08(火) 23:18:46.03ID:uwa5GlUS
信玄が生きてたら
信長は1週間くらいでウンコもらしながら瞬殺されてそうだな。
勝頼相手でもこの戦果では。
勝頼が対北条・徳川戦で疲弊してたのと、
甲江同盟詐欺に運よく引っかかってくれて助かったけど。
0978人間七七四年2014/07/08(火) 23:25:12.15ID:sQzR2dyF
>>972
仮にそれが本当だとしたらもっと救いようのないアホになるとわからないのかね?菅沼君
0979人間七七四年2014/07/08(火) 23:31:51.88ID:pTqWkgOK
>>963
信玄の奴隷云々て志賀城の事か?
生け捕りにされたのは非戦闘員や女性だけじゃんw
0980人間七七四年2014/07/09(水) 01:05:45.56ID:eu6BKNbz
あ、次スレいらないんで。
立てないでね。
0981人間七七四年2014/07/09(水) 01:17:12.72ID:iBibafp3
甲州征伐スレは欲しい
要らないのは菅沼と菅沼に噛み付く人たち
0982人間七七四年2014/07/09(水) 03:56:18.80ID:nw6cHqxv
>>981
菅沼乙
0983人間七七四年2014/07/09(水) 09:06:16.12ID:4W2G1f0q
979
つまり交戦後も助かる可能性はあるわけだ
958は嘘つきのキチガイってことだねw
0984人間七七四年2014/07/09(水) 10:52:31.02ID:CGe9RNdY
会戦後は

信忠らが攻め込む・同時に敵も大手口から出撃し、数刻の切り合いになる
                     ↓
       武田方は多数討ち取られ、残りは城内に逃げ込む
                     ↓
          その後城内の将兵が妻子を殺し、切り死に覚悟で打って出る

という流れで、どこにも逃散兵や離反兵のことなど触れられてないし、そんなものが逃げる暇もない。

火 花を散らし相戦ひ、各疵を被り、討死算を乱すに異らず。歴貼の上掾E子供、一
貼に引き寄せ貼差し殺し、切つて出で、働く事、申すに及ばず。爰に、諏訪勝右
衛門女房、刀を披き切つて廻し、比類なき働き、前代未聞の次第なり。又、十五、
六のうつくしき若衆一人、弓を持ち、台所のつまりにて余多射倒し、矢数射尽し、
後には刀を抜き切りてまいり、討死。


と書かれている通り、女や若衆ですら殺されてる始末。
どこにも脱出する余裕などないし生き残りなど存在しない。
0985人間七七四年2014/07/09(水) 11:31:04.66ID:i1nZiCqo
0986人間七七四年2014/07/09(水) 11:33:09.62ID:i1nZiCqo
0987人間七七四年2014/07/09(水) 11:41:35.23ID:i1nZiCqo
0988人間七七四年2014/07/09(水) 11:44:19.20ID:i1nZiCqo
0989人間七七四年2014/07/09(水) 11:45:35.58ID:i1nZiCqo
0990人間七七四年2014/07/09(水) 11:51:42.96ID:i1nZiCqo
0991人間七七四年2014/07/09(水) 11:58:16.18ID:i1nZiCqo
0992人間七七四年2014/07/09(水) 12:00:03.85ID:i1nZiCqo
0993人間七七四年2014/07/09(水) 15:29:05.23ID:FWYBcfnO
b
0994人間七七四年2014/07/09(水) 15:29:33.21ID:FWYBcfnO
j
0995人間七七四年2014/07/09(水) 15:30:11.07ID:FWYBcfnO
h
0996人間七七四年2014/07/09(水) 15:30:40.21ID:FWYBcfnO
hguhy
0997人間七七四年2014/07/09(水) 15:31:08.10ID:FWYBcfnO
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