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戦国時代翻訳スレ

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0001人間七七四年2013/09/09(月) 17:09:58.69ID:DbvvDBkA
読めない文献があったらここに
0002人間七七四年2013/09/09(月) 21:24:06.60ID:DbvvDBkA
浅井三代記 軍評定の事

去ぬる三月十八日の軍、畢て後は敵味方互に我居城/\へ取籠り、六月上旬迄休息をぞしたりける。
斯て上坂治部大輔泰貞は屋形へ登城して、謹て言上しけるは、
今度鳥井本表にをいて忠戦をとげ候綿々に、恩賞褒美あたへさせられ、
尤たるべき旨をぞ申遣る。雄家卿宣ひけるは、今度の一戦に勝利を得る事、偏に汝が武畧の達したるゆゑなり。
我汝を見立名代をゆづる処に不レ違、眼力佐々木六角に一しほ付け候儀、満足此所に期す。
江北の諸士家恩褒美の儀は、我隠居の身なれば、汝心に相叶ふやうに可2執行1。たとへ我弟なりとも不忠にをいては其罪をたゞし、
誅罰すべしと仰ければ、泰貞も達て謙退申上げれ共、雄家卿立腹に及び畏て候とて、それ/\〃に恩賞褒美をあたへける。
各忠より賞の重ければ、世中の習にて欲にはふけるものなれば、諸卒大に悦て勇みをなさぬ者はなし。
かくて上坂の城にて江北の諸侍をそれ/\〃のもてなしにて、三献の酒も漸過行は、泰貞立出軍評定せしむべしとて、
旗頭共と評しけるにも、浅見対馬守、上坂信濃守などは年老たけたる者なれば、二人進み出て申けるは、
今度のてだて何と可レ被レ遊候やと申ければ、泰貞申されしは、去ぬる三月の軍は鳥井本にての取合なれば、
場所窄くして働自由ならざる故、思ふ程に勝利なし。重ては濱道越に押よすべし。
此中は幸に空打つゞき雨降す磯山の脇并に四川なども白河原に成たると聞、此分にて有ならば五三日の内に雨降べしとも不レ覚。
たとへば一日二日大雨降どもわたらざる程にはよもふらじ。
さあらんにをいては鳥井本口は付城の面々可レ防。磯山越に打寄無二の一戦可レ遂なり。
先てだてといづば随分此議を秘すべしとて、皆並居たる侍をのけ、只旗頭四人近付ての評議なり、
明後十一日は吉日なり。十日に廻文をまはし支度をさせ、十一日も暮四つ時分に当城を立て、
磯山の城へ取のぼり、後陣の者共を待合せ、人数余程着たりと見は、付城の者に約諾して置、
一左右すべし。其時鳥井山、米原山に郷人少々雇ひ置、鬨を作らすべし。敵其声を聞、此方より又中道をよすると思ひ、
切通道へかけむかはん事案の内なり。若さなくともからめてを大事とかたむべし。其時味方の鳥井本口の付城の者共、
城より人数を出し責戦ふべし。旗本よりよき時分をはからひ松原村へ切て入、平井、奈良崎、朝がけにふみつぶし、
佐和山の追手へ押よせ、外かまへ町屋を焼払ひ、追手からめ手一同に攻めなば、城中やはかこたふべき。
即時に城は此方へ可2乗取1と申ければ、浅見対馬守、上坂信濃守尤よろしき御術にて御座候。
去ながら観音城より多人数可レ被レ寄、大将の旗むかはさるさきに佐和山の城御手に入申事はいかがと申ければ、
泰貞こたへていはく、尤なる不審なり。からめて一千七百にて付城の者ども責させ、磯野、阿閉、西野、今西、両熊谷、
彼等五人をして平田山に人数を段々に立させ戦ふべし。然らばたやすく来る事よもならじ。
其内には城をもみ落すべしといはれたりければ、尤御術よろしきとて旗頭共、同音に感じける。扨それよりして、諸士をのれ/\が住所へ帰り支度をぞしたりける。
000312013/09/16(月) 08:54:31.68ID:d1uQfZxD
浅井三代記 軍評定の事

3月18日の後に軍は後は敵味方互に自分の居城/\へ取り籠り、六月上旬まで休息をしました。
しばらくして上坂治部大輔泰貞は屋形へ登城して、謹んで言上するに、
今度鳥井本表にをいて忠戦をとげた者どもに、恩賞や褒美を与えて頂きたいと、
もっともたるべき主張を申し上げた。雄家卿がおっしゃるには
「今回の一戦に勝利を得たのはひたすらにお前の武略が達したことが理由だ。
わしはお前をを見立て名代を譲ることに違いはない、佐々木六角家に黒星を付けたのは満足だ。
江北の諸士家の恩賞のことは、わしが隠居の身なので、お前の心で納得するように執行しろ。
例えわしの弟であっても不忠を罰しろ」と申した

泰貞も切実にへりくだって申し上げ「雄家卿が立腹に及ぶことは恐ろしいのです」とそれぞれに恩賞をを与えた。
各功績よりも賞が重かったので、世の習で欲にふけるものもあれば、諸卒が大に喜び勇気がつかない者はいなかった。
かくして上坂の城にて江北の諸侍をそれぞれにもてなし三献の酒もしだいに過ぎてゆき、泰貞が軍評定を始めるべきだ、
旗頭共と言い、浅見対馬守、上坂信濃守などは年をとった者であるが、二人進み出て申すには、
「今度の手だてはどうされますか?」と聞くと、泰貞が話すには、
「前の三月の合戦は鳥井本にての取り合いであったが、
場所が狭くして働きが自由にならないから、思う程に勝てなかった。再びは濱道越に攻め寄せるべし。」
0004人間七七四年2013/09/22(日) 13:39:47.55ID:AnC5gjXE
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/
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