>>171>金吾宗滴殿は後継者人事の問題を考えていなかったらしいという、タチの悪い話でした。

宗滴は朝倉家中や敦賀郡司家の事をかなり計画的に考えてるタイプだよ
宗滴自身が26歳で郡司職を引き継いでるので同様に養子の景紀が26歳、宗滴が54歳の時に郡司職を譲っている
その宗滴の教えに従って景紀も又54歳で郡司職を嫡男へと譲っている
自身が担った軍奉行の役職も晩年は譜代家臣の山崎吉家に任せる事もあった

光玖ー宗滴と続いた一族の重鎮ポジションに就くには景紀や景隆では経歴的にやや役不足な感もあったので宗滴頼みになるのもいたしかたない部分もある