戦国ちょっといい話35
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0001人間七七四年
2012/10/18(木) 19:08:22.07ID:/qlGMV2o戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
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0917人間七七四年
2013/01/01(火) 20:53:10.38ID:QGLSoIJs俺もSENGOKUの謙信と信玄が強烈過ぎていまだにあのイメージを引きずってるわw
あと豹変した秀吉の怖さはガチ
0918人間七七四年
2013/01/01(火) 20:54:49.58ID:+qm2OKdl「ものの名も、ところによりて変わるなり難波の葦が伊勢の浜荻」
は当たり前のように出てくるが、当時は教養の範疇だったのか
0919人間七七四年
2013/01/01(火) 20:56:45.24ID:N569VcYa実際の記録はよく知らんが、大河ドラマとかではよく言ってる気がする
「知らぬ顔の半兵衛がよいぞ」とか
0921人間七七四年
2013/01/01(火) 22:01:43.15ID:OG8PltuQ幽斎様なんかこの手の逸話が腐るほどあるな
0922人間七七四年
2013/01/01(火) 22:22:20.75ID:PgtJ+iX/0923人間七七四年
2013/01/01(火) 22:25:06.60ID:PgtJ+iX/0924人間七七四年
2013/01/01(火) 23:15:32.77ID:SqH0ZaYe逸話としては大抵ネタバレまであるから駄洒落要素が強く印象に残ってちょっとげんなりしてしまうがw
0926人間七七四年
2013/01/02(水) 00:59:28.91ID:i2bXD6+O戦になれば数多の命が散るというのに強敵が死んでも喜ばないってのは堅物っていうか自己陶酔じゃね?
敵の知恵者を排除するのに謀事をかけた奴なんか幾らでもいる
喜ぶのが普通の反応だと俺は思うな
鞆にいたよちあきみたいに
0927人間七七四年
2013/01/02(水) 01:17:43.27ID:hfGIEadA普通じゃない反応だからこそさすが我等がおやかた様、ってなるわけだし
常に超人的な自分を演出してないといけなかったのかも
0928人間七七四年
2013/01/02(水) 01:22:12.56ID:FXzR3J1h0929人間七七四年
2013/01/02(水) 02:21:40.27ID:iFixbaTi例えばそう、鬼武蔵が討ち死にした時の様に
0930人間七七四年
2013/01/02(水) 03:10:28.85ID:kJb46Zzw0931人間七七四年
2013/01/02(水) 06:57:36.40ID:tqdkvImn0932人間七七四年
2013/01/02(水) 07:19:07.28ID:Pn65Fyih・「敵ながら惜しい男を亡くしたものだ」(アイツ死にやがったwww俺ついてるwww)
どっちが自分の名声高めるかなんて考えるまでもないだろ
その勢力を服属させた後のことまで考えれば尚更
0933人間七七四年
2013/01/02(水) 09:18:10.63ID:wC05eX8B0934人間七七四年
2013/01/02(水) 10:38:31.52ID:ZBfcvKKuハプスブルク帝国皇帝フランツ・ヨーゼフにこのような所見を残している
「オーストラリアの若き君主から私は大変好ましい印象を受けました
二十歳の炎が壮年の威厳、果断と結びついているのです。
いきいきしてくると目が美しく輝き特に微笑したりすると
いかにも感じが良い率直さが現れます。
もし皇帝でなければ歳の割にひたむきすぎると思われかねないでしょう。」
とビスマルクはヨーゼフを高く評価している
それから16年後、ビスマルク率いるプロイセンはヨーゼフ率いる
ハプスブルク帝国を普墺戦争で打ち破ったのであった。
0935人間七七四年
2013/01/02(水) 11:39:23.60ID:FXzR3J1h0936人間七七四年
2013/01/02(水) 11:46:39.33ID:JWHL9KRK江戸時代の浮世絵なんて内輪受けする小ネタ満載だけど、現代から見たら何が面白いのかさっぱりだし。
0937人間七七四年
2013/01/02(水) 11:52:06.44ID:a8fV3HYA0938人間七七四年
2013/01/02(水) 13:00:03.55ID:Pn65Fyih0939人間七七四年
2013/01/02(水) 14:09:42.98ID:hfGIEadAさすが鉄血宰相や、想像の斜め上をいく
0940人間七七四年
2013/01/02(水) 15:00:28.30ID:wC05eX8Bな、なんだってー
0943人間七七四年
2013/01/02(水) 17:58:47.11ID:+IA7Ri5i家康は「定昌は若年の身で、数日の間小勢をもって大敵を引き受け、
城を保ったこと、誠に例なき働きというべし」と、大いに感心した。
またその七人の家長等を召し出して今回の忠節を賞し「お前たちの
子孫は後代に至るまで見参を許す」と仰せ付けた。今、奥平の家人が
毎春謁見を給わるのはこの例に由来するという。
定昌には知行が下されたほかに、姉川の戦いで家康が織田信長より
授けられた大般若長光の御刀が下された。また信長の意見により
家康の長女・亀姫が定昌に降嫁された。
その後、定昌は岐阜へ参り信長に謁見した。信長もいたく定昌の功を
賞して「定昌の勲功は武士の模範である。よってこれからは武者之助と
改名せよ」と言い、自らの一字を授けて奥平信昌と名乗らせた。
その上、様々な引出物が与えられた。
――『徳川実紀(貞享書上)』
0944人間七七四年
2013/01/02(水) 18:33:43.02ID:FXzR3J1h信昌なんかかなり活躍してるはずなのに
0945人間七七四年
2013/01/02(水) 18:40:09.26ID:/+rp+lf6「あ、そうだもう一人大河ドラマでやりたい役があるんですわ」
「ほー、で誰や?」
「奥平信昌、初代京都所司代」
「だから誰やねん!」
「「どーもありがとうございましたー」」
それなりに有名のはずなのに
0947人間七七四年
2013/01/02(水) 20:30:16.85ID:mctkPQt/容貌はさながら婦女子のようで言語もとても柔和であった。
そのためか人々からは武人としての資質も無いと侮られてた。
当の金次郎はその事をまったく意に介さず、時に微笑むのみだった。
小牧・長久手の戦いの際に金次郎は朱柄の長槍を持って従軍した。
それを見た人々は互いに顔を見合わせて笑った。
朱柄は、数度の激戦に臨んで
敵の鮮血で槍の柄が赤く染まる程の武功を挙げた勇士にのみ許される。
しかし金次郎にはそんな武功などない。
衆は嘲って言った。
「やれ女武士が妄りに朱柄の長槍を提ぐなど笑止笑止www」
しかし金次郎はまったく聞こえぬ顔して徐に先陣に出た。
両軍が戦い交えると、金次郎は単騎で敵陣に躍り入り
縦横奮撃に敵将を斬り、敵兵を数知れず倒した。
敵軍は金次郎の戦い振りを見るにつけ圧倒されその後挑む者も無かった。
金次郎は馬首を返してゆっくりと自陣に戻った。
その夜、金次郎は同僚に言った。
「武士たる者の真の勇とは、戦場においてのみ用いるものでしょう。
酒席や日常の席でささいな武勇を誇ったり、奮然とした相貌を装ってみせたりするのは
付け焼き刃たる勇に過ぎませんよ。
人には各々得意、不得意があります。
座上で勇を誇り席上で威を張るような事は、私には不得意なのです」
金次郎の言葉に一同は粛然とした。
(『武人百話』)
0948人間七七四年
2013/01/02(水) 21:36:49.60ID:iFixbaTi0949人間七七四年
2013/01/02(水) 21:52:56.63ID:FXzR3J1h0950人間七七四年
2013/01/02(水) 23:03:28.15ID:oblQ8CwN人は見かけで判断してはいけないな…
0951人間七七四年
2013/01/02(水) 23:28:01.04ID:GzmTvva5\●/
● X ● ドドドドドド・・・・・
/●\
\. .●. ./
\ /
● X ● ┣¨┣¨┣¨┣¨・・・
/ \
/. .●. .\
0952人間七七四年
2013/01/03(木) 05:41:03.30ID:pGc6Ni5S義隆「厚遇するぞ」
0953人間七七四年
2013/01/03(木) 07:28:32.36ID:5sy3ZBGG0955人間七七四年
2013/01/03(木) 11:25:40.80ID:0vjAze3/0956人間七七四年
2013/01/03(木) 13:05:57.01ID:5jJ7nO0iものすごく収穫のある戦いだったんだな
井伊、成瀬といった次の世代を担う若者が軒並み活躍している
これでスムーズに世代交代ができるようになったのかな
0957人間七七四年
2013/01/03(木) 13:11:04.77ID:fu8J2+ng0958人間七七四年
2013/01/03(木) 13:25:08.01ID:XLLsn5J40959人間七七四年
2013/01/03(木) 13:50:59.88ID:YKkDA4Deまとめには伊達家の嫌がらせと小田部統房の話があるが、また一つ違う逸話を。
筑前立花家の家臣・小田部土佐は、娘を輿入れした忠宗の慰みの為、奥州への出向を乞われた。
道中つつがなく仙台へ到着し、いざ謁見とうことになったが、その衣服は粗末で(童子格子の木綿織は綿の厚い夜着のようで、太くてもっさりした丸ぐけの帯に三尺あまりの大刀を帯びていた)まるで夜盗が迷って出たような無作法さであった。
忠宗はかの奇人ぶりを知った上で到来を待ちわびていたので、取次役に命じてそのまま居間へ通させた。
小田部は面前にずいとまかり出ると、一言の挨拶もせず立ちはだかり、狂人のように振る舞った。
忠宗はさすがにムッとして何故そのように無礼なるやを詰問する。
曰く、「私は伊達様に臣従するつもりはありません。伊達様はひとたび私を見たいとの仰せであると聞き及んでおりますので、普段の私を見せようと思ったまでのことです」
忠宗は我が意にかないたりと満足し、後日改めての謁見を許した。
その後日、衣服を整え、厳然なる装いにて現れた小田部に対し忠宗はいくつか問答した。
小田部は当世の趣味に走る者は混雑の士です、真の士は柳川藩において自分ともう一人しかいませんなどと、時代錯誤の割に堂々とした答弁を繰り返す。
その様を見て忠宗は時折吹き出しつつも、彼の才を認め、一旦別室に引かせて休息を許した。
そして家臣を呼ぶとひそかに「聞きしにまさる曲者じゃ。これからあやつに取らす膳には大ダコの丸煮を出してやれ。困惑する様を見てやろう。包丁は一切入れるなよ」と命じた。
饗応の準備が整うと小田部を呼んで膳につかせ、でんと茹で上がった大ダコを披露した。
小田部は「やや、これはそれがしの大好物。気を使っていただき恐悦千万、誠に結構、過分過分」などと連呼しながら蛸の頭をむんずと掴むと懐中を探り、小刀で小切れにして平然と食らった。
忠宗他近侍の衆は「苦しめ難き曲者なり」と感心してしまった。
我が儘な大身の暇つぶしに付き合ってあげるいい話。
0960人間七七四年
2013/01/03(木) 15:17:18.79ID:tF0oBGzS直政「敵の鮮血で赤く染まる程の武功って某の朱具足のことだな」
>>952
金次郎「なんか心底、徳川で良かった、私…」
0961人間七七四年
2013/01/03(木) 15:19:59.65ID:fu8J2+ng0962あけおめことよろ
2013/01/03(木) 15:37:53.45ID:VJKmQj+Oある夜、黒髪山神社の神様が権現となり夢枕に立ち顕れ、
「そなたの家は貧しく気の毒である。
よって宝の銭甕を与えよう。
黒髪山に埋めておくから、持ち帰りなさい。」
とお告げになられた。
三日間同じ夢を見たので、これは神のお告げだと確信し、
黒髪山へ登って神前にぬかずきて、
「私の家の貧乏をお憐れみくださり、
お宝をお授けくださるとのこと、
誠にありがたく存じております。
しかしながら私は銭甕を欲しくはございません。
それほど不憫にお思いくださるのなら、
中野一門の武勇と繁昌を御守りください。
銭甕はお返しいたします由、右のことのお叶えを願います。」
と祈ってから帰った。
この願いが聞きとどけられたのか、
中野一門は子供たちみな知行をいただき、
一門の末の者までお取り立てにあずかり繁昌している。
「けれども、銭甕を返上したせいか、
中野一門は、皆貧乏ばかりじゃ(笑)」
と神右衛門は嬉しそうに話していたとのことだ 【葉隠】
0963人間七七四年
2013/01/03(木) 16:17:18.60ID:wgc24vndちょっと黒髪山を掘り漁ってくるわ
0964人間七七四年
2013/01/03(木) 16:30:22.99ID:ugFuBTgY1890年エリザベートは大西洋沿岸と西地中海沿岸を就航している
ドーヴァーから帆走もできる汽船飾カザリー号(
登録名はニコルソン夫人という偽名であった)発ちリスボン、ジブラルタル、タンジール、アルジェ。コルシカ島。
マルセイユ。フィレンチェ、まポリ。ポンペイ、コルシカ島と巡った後コルフ島にたどり着いた。
とにかく、凄まじい距離の船旅をしたものである。
エリザベートはこのようなことを書いていた。
「全世界を巡りたい、私に比べたらアハスヴセールでさえ出不精といえるでしょう。
とにかく船でほうぼうの海を就航したい。女のさまよえるオランダ人みたいなものだから
いつか消えるなり沈むまでこの性癖は収まらないでしょう」
0965人間七七四年
2013/01/03(木) 16:40:07.64ID:3oecothp「オーストリア」を「オーストラリア」と書いたやつか?
一年くらい前には司馬懿の詩を誤字だらけで引用したし、
今回はさまよえるユダヤ人の「アハスエルス(アハスヴェール)」を
アハスヴセールとか書いているし、誤字なしで投稿できないのか
0966人間七七四年
2013/01/03(木) 16:42:40.97ID:5WiQ+ghRそして素知らぬ顔をして戻し正午を待った。
正午になってめいめい弁当を取り出したがもちろん忠成の弁当は空っぽである。一同は驚いたが忠成は気にする様子も無く、
「朝食べ過ぎたので別にいいや」と言って淡々としていたが、しばらくして用向きができたと帰ってしまった。
これに忠秋、「してやったり」と大喜び、屋敷に帰って近侍にこの事を語ると、「さてこそ、それで初めて納得しました」
「先程大久保様がお立ち寄りになり、腹が空いたから湯漬けでも振舞われよ、と仰せられました。
湯漬けだけというわけにもいかず、沢山の料理をさし上げましたが大久保様は全て平らげた上、
供の衆にも振舞われよと仰せられました。
やむなく食事を出したのですが供の衆の食べること食べること、いささか呆れました。
奇怪な事と思いましたが、殿のお話を伺い、これはまさしく先程の仕返しと納得した次第です」
これを聞いた忠秋は「あべこべにかつがれたのう」と笑ったという。
0967人間七七四年
2013/01/03(木) 21:48:41.97ID:HQEuFh0X0968人間七七四年
2013/01/03(木) 22:56:29.64ID:pGc6Ni5Sこんないたずら好きってのはちょっと意外だったけど
0969人間七七四年
2013/01/03(木) 23:09:18.89ID:MIkcHnnm赤い甲冑(ショウジョウ緋?)を着た連戦連勝の武士が、初陣を飾る若武者に自分の自慢の甲冑を貸してあげた。
するとその若武者大活躍で、それを「なかなかやりおるわいw」とそこらにある黒い甲冑着て戦に参戦した
武士が、いともあっさり敗れちゃった。 て話を思い出してしもた。
どなたか知ってる人います? と書きながら、もしかすると源平の頃の話かも・・・
0970人間七七四年
2013/01/03(木) 23:11:11.53ID:aUcbbDAX菊池寛「形」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/4306_19830.html
青空文庫で読める
0971人間七七四年
2013/01/03(木) 23:22:25.20ID:aUcbbDAX「明良洪範」に載ってい話だが、誰に貸したかは不明
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-805.html
貸すといえば「鳩巣小説」に出てくる「鯉の兜」の話があるがまだ出てないかな
0972人間七七四年
2013/01/04(金) 00:07:46.26ID:zH/B3KjK常山紀談の拾遺四巻にも同じ話(松山新介の勇将中村新兵衛が事)が載ってる
メジャーな逸話だったのかもね
ちなみにこっちでも猩々緋の羽織をあげた相手は「或人」になってて不明
0974人間七七四年
2013/01/04(金) 12:55:47.94ID:KG8pruRVおお、ありがとうございます!
出来の悪いガキだったけどこの話だけ何故か覚えてたんですよね
今度探して読んでみたいです。
0975人間七七四年
2013/01/04(金) 13:20:46.46ID:cH1h8zKsフランツ・ヨーゼフは愛妻、エリザベートの死に望んで
「我が国民に告ぐ」を発表している。
「私及び我が家族は、最も困難かつ最も酷い試練に見舞われました。
わが王座の華であり、まめやかな伴侶であり、困難極まる時には慰め・支えであった我が妻――
いくら言葉を尽くしても言い表せませんが――その妻はもうおりません
恐るべき宿命が彼女を、私及び我が国民から奪い去ってしまったのでrす。
下手人は 現存する社会秩序の破壊を目指す狂気の徒でした。
それが最もこの世で高貴な女性に襲いかかり、やみくもな憎しみにかられて心臓を一突きしたのです。
こちらは憎しみなどつゆほどにもしらず、ひたすら善きことのみ念じていたというのに
私及び我が家族は、文明世界全般を震撼させる前代未聞の蛮行に接し
限りない苦しみを味わいました。
そのさなか、我が愛する国民の声援が寄せられ、私の心がどれほど安らいだか知れません。
なるほど天命はかくも困難かつ、理不尽なことを定めますが、私としては恭しく従いつつ、
まだ気高く美しきもの残しておいて下さったと神威に感謝しなければなりません。
気高く美しきものとは。苦悩の時に、私及び我が家族を包んでくれる、数百万人の、好意、誠意であります。
近きと遠きを問わず、高知と低地を問わず、いたるところでとりどりに、
亡き皇妃兼王妃に弔意が表明されました。
計り知れない喪失をねぐる全国民の嘆きは私の魂を揺さぶっているものの
正確な反響として、感動的に共鳴しながら鳴り響いてきます。
私は熱愛する妻の思い出を死ぬまで大事に保つでしょう
それと同様、わが国民も彼女を末永く記憶に留めてくれるでしょう。
謝意・誠意のこもった不朽の記念碑を打ち立てるかのごとく。
未だに憂いに沈んでるとはいえ、私は全国民に感謝したい
これほど真率なる弔意を寄せ、改めて誠意を明かしてくれたわけですから。
今年は(帝位50周年の)祝典が予定されています。しめやかなものとならざる
おえないでしょうが,たとえそうであっても、このたび示された、忠誠・同情の
無数のあかしの思い出は、わたしにとって最も有難い思い出でありつづけましょう。
だれもがひとしく苦しみを共有したことにより、図らずも帝位と祖国をめぐって
新たな親密なる結束が生まれました。
我が国民の変わらぬ親愛感を目の当たりにし、私としてはおのが任務を
全うしなければならぬという義務感を強めたばかりでなく、
なんとかうまくいくだろうという希望も抱いた次第であります
かくも困難なる試練を下された全能の神にはこう祈りたい――
我が使命を全うするだけの力をわれに与えため、我が国民を祝福し、
愛と和の道を見出させたまえ、その道で彼らを繁栄させ降伏ならしめたまえと、と。
1898年9月16日 シェーンブルン宮にて
0977人間七七四年
2013/01/04(金) 13:44:33.42ID:bjnsaG+I世界史ちょっといい話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1327366681/
0978人間七七四年
2013/01/04(金) 20:24:47.64ID:u8zH4ZKp「兵法とは武家の法である。
将の位にある者はとりわけこの法を行い、
士卒の位にある者もこれを学びゆくべきだ。
今の世に、兵法の道を確かにわきまえた武士を見ることは少ない。
道の顕れをわかりやすい例であげるなら、
仏法として人間を救済する道。
儒道として文を糾す道。
医者として諸病を治す道。
或いは歌道者なら和歌の道を習い伝え、
また或いは、数奇者、武芸者、その他の芸能まで、
それぞれが思い思いに稽古し、
好みにより、縁により、嗜んでいるものだ。
しかし兵法の道を好む人は世に少ない。
武士は文武両道と言って、二つの道を嗜む。
これ武士の道也。
たとえ生まれつき武士道に関することが不得意だとしても、
武士としてある以上は、己の分際程には兵法を努力するべきである。
今、心ある武士の大半の思うところを推測してみるに、
武士とは死ぬ道を覚悟することと考えているくらいであろう。
死する道という事だけならば、なにも武士だからということはない。
出家だろうが、女だろうが、百姓已下すべて、
義を思い、恥を知る者ならば、
死するところを思いきることは職分に差別なくあるのだ。
武士の兵法の道とは、何事においても人に勝る所を本として、
一対一の斬り合いに勝ち、或いは多数の戦に勝ち、
主君のため、我が身のため、名を上げ身を立てようと思う。
これが成るかは兵法の徳をもってなり。
また、世の中には、兵法の道を習っても、
実戦には役立たないと言う武士もいる。
このタイプに私が言えることは、
それならば何時にても役に立つような稽古を考え、
万事に至り、役に立つ教え方を考案すべきであろう。
是兵法の実の道也」 【五輪書】
0979人間七七四年
2013/01/04(金) 23:54:38.25ID:yz7HvmI50981人間七七四年
2013/01/05(土) 02:44:30.75ID:aImTF1QS0984人間七七四年
2013/01/05(土) 08:15:37.21ID:UXG39IIH0985人間七七四年
2013/01/05(土) 08:20:41.94ID:UXG39IIH>またの機会にどうぞ。。。
立てられなかった。どなたか頼みます
↓スレタイ
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0986人間七七四年
2013/01/05(土) 09:11:17.87ID:XRFkkKKfらない隊長が若い旗本に差し出す、おむすび 、 こんな
こともあろうと取っておいたんだ。
0987人間七七四年
2013/01/05(土) 14:28:24.89ID:NgeCcKyf孤高の天才
求める前提が高すぎるから武蔵の弟子になっても、
ついていけない人多かったんじゃないかと感じる
葉隠だと人間はすぐ弱気になる前提から、
武士として気を奮いたたせることが書かれていると思うが、
五輪書はその段階は超えてるのが当り前として、
天才向けに書かれてるように見える
0988人間七七四年
2013/01/05(土) 15:30:22.64ID:fe9dD9Xe0989人間七七四年
2013/01/05(土) 15:33:38.10ID:fe9dD9Xe戦国ちょっといい話36
立った
0991人間七七四年
2013/01/06(日) 03:19:53.81ID:Dj8jcsUO乙です。
宇喜多直家殿と松永久秀殿に茶会に呼ばれているのですけど、
よろしければ貴殿もご一緒にどうですか?
0992人間七七四年
2013/01/06(日) 11:13:34.48ID:095OMY/Xたまには義姫やとんだっちのご馳走も食べたいよね
0993人間七七四年
2013/01/06(日) 12:00:22.48ID:j9tLmwbw0994人間七七四年
2013/01/06(日) 14:02:46.64ID:Pf6zJm120995人間七七四年
2013/01/06(日) 23:32:46.27ID:1cf4OTTC三河殿の饗応を命令されるのと
どちらがマシであろうかのう?
0996人間七七四年
2013/01/06(日) 23:42:28.43ID:9E8CMKYY代わりに宇喜多の娘婿になるって選択肢をやるよ
0997人間七七四年
2013/01/06(日) 23:47:33.18ID:qi0zRP+G0998人間七七四年
2013/01/07(月) 08:53:32.67ID:DKLsUgw50999べんけい
2013/01/07(月) 12:53:56.34ID:YbJjhb+X1000鹿之助
2013/01/07(月) 12:54:39.35ID:YbJjhb+X10011001
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