織田の家臣に弓の名手某がいた。織田信長はその話を聞いて腕前を試したいと思い
演射場を設け日を選んで赴きこれを見物した。

ところが他の侍たちは皆多くの矢を当てたが、終日に射った某は一矢も当てることが
できなかったので信長を満足させられなかった。信長は帰ると「見るのと聞くのでは
違うな。人の言葉など当てにならないものだ」と述懐した。

その後、一揆が蜂起しその勢いはすこぶる激しく、信長は自ら将としてこれを討った。
この時、大勢の者たちがしりごみして進まないなか、某は信長の馬前に立ち弓を
いっぱいに引き絞って縦横に放射した。その矢はおおむね外すことなく、賊徒は
このために退却した。

これを見て信長は「なんと深き技よ。あの時、矢が当らなかったのは当てることが
できなかったのではない。余力を養って他日に功を立てようと望んだのだ。
諺に能ある鷹は爪を隠すというが、確かにその通りだ」と感嘆し、厚く褒美を与えて
某を賞した。

――『近古史談』