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戦国ちょっといい話35

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0001人間七七四年2012/10/18(木) 19:08:22.07ID:/qlGMV2o
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話34
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344541435/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話33
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344939207/

【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0504人間七七四年2012/11/21(水) 08:42:00.33ID:TIgqm+cI
>>503
戦国期も実際には、武家身分と百姓身分は明確に分かれていたようだ。
ただ、村に住みながら武家被官となる在村給人という存在があったが、これは年貢免除の代わりに
軍役を提供しており、百姓とは区別されていた。

総じて戦国時代であっても、実際には身分移動はそうとう難しかった模様
0505人間七七四年2012/11/21(水) 09:12:27.27ID:+1HAegbw
>>497
250人の勇士が暴れまくる話かと思ったらそのまま
踊りながら出てったのかwこれは確かにいい話
0506人間七七四年2012/11/21(水) 10:00:58.92ID:QJPMmA/C
>>493
「死に狂い」ってか?
0507人間七七四年2012/11/21(水) 10:49:00.72ID:ulnsaAvN
>>497
>250人の猛者に大小日本の刀を帯びさせ、花衣装を着せ

なんでこんなの城内に入れちゃうんだよw
0508人間七七四年2012/11/21(水) 11:12:09.61ID:8CLiwYSH
百姓って言っても畿内、北陸みたいに講や自治が進んだ先進国とその他じゃ
全く別物。
0509人間七七四年2012/11/21(水) 12:08:16.25ID:mkCVhKtB
>>507
伴のもの250人ぐらいならいくらでも始末できると油断していたとか?
0510人間七七四年2012/11/21(水) 12:55:41.86ID:xu0ZvbX7
>>508
地方だと人口そのものが少ないもんね、武士と百姓にハッキリ分ける余裕が無い
0511人間七七四年2012/11/21(水) 15:36:16.82ID:l8+BB7dk
>>504
惣村は「村の軍事力」を大名に提供することは無かったってのが今の定説じゃないの?
この「村の軍事力」が戦国ヒャッハー百姓の戦闘員達だろ?
つまりそれからもれた在村給人なぞたいしたことない。
0512人間七七四年2012/11/21(水) 16:06:19.95ID:mUzx7lWs
村に兵役出すよう命令する文書とか無かったっけ
0513人間七七四年2012/11/21(水) 16:13:42.78ID:l8+BB7dk
そりゃあくまで輸卒で兵隊じゃないでしょ
0514人間七七四年2012/11/21(水) 16:17:34.87ID:6pAeQzF3
>>511
惣村と北条武田、豊臣政権下等のプレ近世村落がごっちゃになってるな
0515人間七七四年2012/11/21(水) 16:22:20.99ID:qnahrWYA
戦国と聞いてイメージする時代、地域の村と資料がいっぱいあってよく研究されてる村とずれてるんだろうな
0516人間七七四年2012/11/21(水) 17:21:25.71ID:E76JNPm/
高麗陣の時、豊臣秀吉は日根野備中を高麗へと遣した。
しかし、日根野は甚だしく貧しいために支度もままならず、
三好新右衛門を介して黒田如水から銀百枚を借りることになった。

日根野は帰国すると三好と一緒に如水を訪ねて御礼を述べた。
この時、借りた銀百枚とは別に利息にと思ってさらに十枚を持参していた。

ところが、対面した如水は人を呼んで「さきに貰った鯛を三枚におろして
その骨を吸物にせよ。それから酒も出せよ」と命じたので、二人は心付けが
足りないと思い、酒を飲み終えた後、三好がさらに銀を取って来て礼を述べた。

だが如水は「いやいや最初から貸す心ではなく合力の心で貸したのだ」
と、再三勧めても受け取らなかったので、二人は大いに感銘を受けて
帰ったのだという。

――『老人雑話』
0517人間七七四年2012/11/21(水) 17:43:54.63ID:tcbs2ICO
如水「タイは骨が一番美味いんだよ〜」
0518人間七七四年2012/11/21(水) 17:47:08.81ID:ghlFElqr
如水はけちなイメージがあったけど出すときには出すなぁ
0519人間七七四年2012/11/21(水) 17:59:59.78ID:QQIR8oW3
犬千代さんの悪口はやめろ
0520人間七七四年2012/11/21(水) 18:48:52.49ID:E76JNPm/
>>516
申し訳ありません、少し訂正します。
×合力の心で貸したのだ
○合力の心で渡したのだ
0521人間七七四年2012/11/21(水) 18:52:08.55ID:c7G30z+z
鯛って結構高級だったのかな
0522人間七七四年2012/11/21(水) 18:58:03.43ID:eJATltdU
ここぞというとき攻めるために貯めるのが普通の武将
「こいつだけは裏切らない」という気持ちで身分を失ったときのために貯めるのが犬千代
0523人間七七四年2012/11/21(水) 19:40:53.92ID:fLOM1lt/
>>516
本筋からはずれるけど、こういう料理絡みの話は好きだわ
大大名が調理に通じてるってのが何かうれしい
0524人間七七四年2012/11/21(水) 20:04:50.64ID:dMqQwsD5
>>497
晴純を逆に討たずに踊って帰ったところがいいね
0525人間七七四年2012/11/21(水) 20:26:15.31ID:6pAeQzF3
>>523
主人自ら調理作って風呂沸かして饗すのが当時の最上級のおもてなしだからね
大抵の武将は料理心を持ってる時代
0526人間七七四年2012/11/21(水) 20:38:02.08ID:258mDYVm
>>525
室町時代の武家礼式でも、一人前の武士のスキルとして料理の出来る事が挙げられてるね
0527人間七七四年2012/11/21(水) 21:44:54.34ID:JGRtyo9K
>>479関連の話

光茂公の御代となったばかりのころのこと、
多久美作殿は、作り馬鹿の志田吉之助に相談を持ちかけた。

美作
「御代かわりは最初が大事だ。
そこを考え、勝茂公が拙者に遺言状を残してくださっている。
志田殿にもぜひ読んでもらい、
なにか助言があれば是非とも聞かせてほしい。」

と言い、美作殿は遺言状を読み上げ始めた。
しばらく聞いていた吉之助だったが、
吉之助
「退屈になってきたから帰る」
と言い出した。
美作殿もさすがにお怒りになり、
美作
「普段から武士らしくない放言をふざけ、
金が欲しくなれば金貸しを営み、
腰抜けを演じたかと思えば山賊無頼と喧嘩する、
そんな志田殿には、勝茂様や私が、
真面目に奉公する姿はさぞ愚かに見えるのでしょうな。
この遺言状は主君びいきを差し引いても素晴らしい内容。
なにが退屈なのですか」
とその理由を詰問した。
吉之助
「美作殿は人なみの家老であると見ていたのだが、
どうやら何の役にも立たない家老のようだ。
その理由は、そもそも家老というものは、
主君が家中の者どもに慕われるように計らうもの。
美作殿が読み上げられた勝茂様の遺言状は内容素晴らしく胸打つものがある。
その遺言状を御代替わりの始めに家中の皆に教訓したなら、
家中の者どもは勝茂様をさらに慕い思い、
それを授かった貴方の名も上がるばかりであろう。
勝茂様がお亡くなりになりまだ日も浅く、
ご恩を受けた家中の侍どもが涙もかわかぬうちから、
その遺言状の内容を知ったならいよいよ先代への思いが募ることになる。
それにひきかえ光茂様は江戸生まれで、
肥前の侍どもにも国柄にも馴染み薄く、
新しい主君は、はたして九州者の気持ちをわかってくださるだろうか?
というような世間話が拙者の耳にも聞こえてくる。
そこに遺言状が知れ渡れば光茂様をお慕いする者はいなくなるだろう。
誠の家老であるなら、その遺言状を新しい殿様の考えとして、
美作殿の才覚、手間も隠して公表できるはずだ。
そうして新しい殿様は勝茂様にもまして、
ありがたい主君だと慕われるように計らうべきであろう。」
と答えた。
美作殿は、
「まさにその通りだ。やはり志田殿に相談してよかった」
と言って勝茂様の遺言状を破り捨てた【葉隠】
0528人間七七四年2012/11/21(水) 22:15:51.75ID:BMvfWn+S
破り捨てちゃ駄目だろ
0529人間七七四年2012/11/21(水) 23:26:36.86ID:dMqQwsD5
勝茂って可哀想だよなw
0530人間七七四年2012/11/21(水) 23:51:04.74ID:6pAeQzF3
さすが鍋島藩士。どこか斜めだな。
0531人間七七四年2012/11/21(水) 23:53:25.56ID:ioxlymfs
黒官はわざと家来に当たり散らして、早くNGMSに代わるように願わせたというが
勝茂もそうすればよかったのか?
0532人間七七四年2012/11/22(木) 10:34:46.63ID:GcjH3LWU
>>531
そもそも勝茂自身が半ば伝説化した直茂パパンの声望に追いつこうと必死だったので
そんな余裕はありませんのだ
0533人間七七四年2012/11/22(木) 10:47:10.83ID:V6DmeAAv
>525、まーくんとか幽斎さまとかだとうまいだろうな・・・逆にまずそうなのは誰だろ?
0534人間七七四年2012/11/22(木) 11:56:07.81ID:KoqGrZhw
>>533
直家様直々の御招きぞ、有難く御受けなされませ。
0535人間七七四年2012/11/22(木) 15:54:58.75ID:R4HQtNgt
>>533

小野忠明とかめっさ下手くそそうw
0536人間七七四年2012/11/22(木) 16:02:38.99ID:xNHdELY1
>>534
毛利両川「だが断る」

一方我等が羽柴様は・・・
0537人間七七四年2012/11/22(木) 16:09:04.81ID:RwTP090j
ラスボス「貧乏人は麦飯がごちそう」
0538人間七七四年2012/11/22(木) 19:19:38.88ID:V6DmeAAv
????「日々是節約だ」
0539人間七七四年2012/11/22(木) 20:38:43.51ID:y9yrGL9t
>>536
おいしくいただきました(ペロリ
八郎殿は某にお任せあれー
0540人間七七四年2012/11/22(木) 22:48:35.63ID:xk5ZPyRV
>>536
兄者はご馳走を断らなかったばかりに、身罷られたからな。
0541人間七七四年2012/11/23(金) 08:32:42.17ID:X2nhYk3I
これは元和5年(1619)の福島正則改易について、石谷将監(初名十蔵、後に土入と号す)が語った
事である。

伏見でにおいて将軍秀忠が福島正則の改易を決断する。
そこでこの時江戸藩邸にあった正則に対し、改易を伝える使者を出すことになったが、この時将軍秀忠を始め
主な幕閣などは伏見にあり、江戸には留守居があるのみであった。そのため

『彼の者は武功者であり、また心荒き者であるので、上意を素直に受け入れるとは思えません。
そうであれば使者として赴くのは、江戸留守居の者たちからではなく、(現在伏見にある老中格の)
井伊・本多・榊原・酒井などの内から出すべきであると考えます。』

と、評議において意見が出た。重大な事態に陥る可能性の高い使者である以上、相応の
責任を持ったものが行くべきだ、という事であろう。

これを聞いた井伊掃部頭直孝は、言う

「おやおや、いざ合戦となって先陣を務めるのは私の役目であるぞ。この時は江戸留守居に残った
者達の出番はない。
幸いにも、今回のような事は、御上洛の御留守を承り、江戸御城下に居ながらのお使いという、
御留守居衆にとってうってつけの役目である。

各々の察している通り、福島左衛門大夫はこの改易を、とても素直に受け入れるとは思えない。
もし最初の使者からの改易の命を拒否したことが解れば、次は我々から彼に当てた書状を出すべきである。
その内容は

『あなたは咎によって安芸・備後両州を召し上げられ、どこどこに改易されることになった。
この事を御恨みに思うのであれば、広島に下って挙兵するのも、またそちらの屋敷に立て籠もるのも、
心次第にやって頂いて構わない。』

これを見てもまだ左衛門大夫が、むつかしく改易をお受けしないのであれば、その時は他でもない。
この掃部頭に仰せ付けられよ。討ち取って差し上げよう。

ともかく、先ずは穏当に使者を遣わされるべきであろう。」

これを秀忠もいかにもと考え、江戸留守居であった牧野駿河守信成以下が、正則への上使となった。


その頃正則の江戸屋敷は、今の増上寺の近く、愛宕山の下にあった。そのため愛宕山に石火矢を
配備し、緊急の事態になればすぐさま正則の屋敷に向かって撃ちこむ用意をしていた。

ところが、思いの外に正則は静かに改易を受け入れた。この事、江戸より伏見に報告されると、
伏見では秀忠上洛のお供として召し連れられていた、正則の嫡男備後守(忠勝)も取り籠められた。
(武野燭談)

福島正則改易の時の、井伊直孝の発言などについての逸話である。
0542人間七七四年2012/11/23(金) 09:12:53.57ID:AwgcWyxp
留守居の顔を立てたいい話
秀忠公は落ち着いているなぁ
0543人間七七四年2012/11/23(金) 10:09:00.99ID:FAotWQ89
市松の身から出た錆とはいえ、改易話はやるせないなぁ
0544人間七七四年2012/11/23(金) 11:39:39.74ID:HRCXv3lr
静かに受け入れたのも罪滅ぼしだったのかもね
0545人間七七四年2012/11/23(金) 11:58:25.63ID:Ol09G7q6
きっと酒が入っていなかったんだろう
0546人間七七四年2012/11/23(金) 16:24:58.24ID:KLdq6rtb
是非もなしって感じかな
0547人間七七四年2012/11/23(金) 18:19:42.11ID:wu7IoVQ1
二条城において福島氏改易の処置を論じた一件以来、藤堂高虎は井伊直孝に
含むところがあって直孝とは不通となっていた。
>>541の直前?http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3838.html

この時、改易は京都で伝えると結論が出ていたのだが、高虎は
若年ではあるが末座の直孝へも話すべきではないかと秀忠に言った。
しかし召された直孝は江戸で伝えるべきだと再三言うので、高虎は直孝に
反対してついには若造は黙れとまで言ったのである。

後に高虎は死に臨んで直孝を招き「今までは京都でのことがあったので
互いに不通のまま打ち過ごしてきましたが、此度大病のために既に
露命も窮まりました。ですからどうか倅の大学のことを頼み入り申す。
万事よろしく御引廻しくだされ」と念入りに頼んだ。

直孝も「大学頭殿のことは絶対に手抜かりのないように承知しております。
懇意に通じていきますとも」と返答した。これより両家はかつてのように
心安く出入りするようになった。

――『名将言行録』
0548人間七七四年2012/11/23(金) 23:50:04.87ID:nHSjt1hS
国許で改易を伝えたら合戦になってたな
0549人間七七四年2012/11/24(土) 16:36:38.14ID:N6nvx2T2
大坂落城後、重臣の進言通り、備後を返上していたなら
福島家は存続してたのかな?
0550人間七七四年2012/11/24(土) 17:07:12.77ID:QdRWouJn
ある日、安藤直次が同じ苗字の安藤重長のところへ「今晩そちらへ
参って料理を賜りたい」と申し伝えた。重長は「これは珍しいことだ。
何を思はれて申し越されたのだろう」と殊の外喜んで直次を饗応した。

直次は機嫌良く料理を賜り、緩々と話して帰っていった。
その後、重長は刀が残されているのを見つけ「うっかりお忘れになったのか」
と思い、近習に命じて直次の乗物を追わせた。

乗物に追いついた近習は側に寄って「御腰物でございます」と申し上げた。
すると直次は乗物の戸を開けて中より刀を取り出し「武士が刀を忘れるわけ
ないだろう」と言って刀を見せると、戸をひしと閉じて帰っていった。

仰天した近習が重長にしかじかと報告すると、重長は何かを察して涙を流した。

「さては今度在所へ帰国される時に隠居なさるおつもりであるぞ。
その刀はそれがしに形見として賜わるということに違いない」

重長の思った通り、直次はその月すぐに紀州へ帰りその年のうちに隠居した。

――『名将言行録』
0551人間七七四年2012/11/24(土) 19:50:56.20ID:01bEDd5W
安藤さんは粋だなぁ
0552人間七七四年2012/11/24(土) 20:11:18.83ID:veBfM4Uc
三河者は面倒臭いけどカッコいいよな
0553人間七七四年2012/11/24(土) 20:52:57.25ID:a+JjAOIw
めんどくさくない三河者など石川数正と本多正信しかおらん!
0554人間七七四年2012/11/24(土) 20:56:52.15ID:LnYNdIpJ
>>553
御大将の家康はどうだったんだろう?w
0555人間七七四年2012/11/24(土) 21:24:06.04ID:veBfM4Uc
本能寺の時には信長の後を追うとか切腹するとのたまって忠勝に窘められたりとか
腫れ物出来た時にはムカついて無理矢理膿を出したら悪化して生死の境をさまよったりとか、
その時に遺言とか形見分けをし始めて死ぬ気満々で医療を拒否し始めて作左に叱られたりとか、
わりと面倒くさい
0556人間七七四年2012/11/24(土) 22:03:10.72ID:ZeZjyIdy
方向性は違うが本多正信もかなりめんどくさいと思う。
0557人間七七四年2012/11/24(土) 22:25:07.04ID:/MJ8+Crr
>>550
ググったら、安藤重長は、安藤直次の弟の安藤重信の跡継ぎなんだね

実際には、重長は重信の娘の子(外孫)なんだけど、養子ということに
して跡を継がせた
重長からすると、重次は形の上では伯父、実際は大伯父

つまり、ふだんあまり付き合いのない親戚のオッチャン(しかも幕府の
老中もつとめたエラい人)が突然訪ねてきて、機嫌よく飲み食いして
帰っていったというお話
0558人間七七四年2012/11/24(土) 22:26:37.34ID:/MJ8+Crr
>>557
>重長からすると、重次は形の上では伯父、実際は大伯父

失礼、訂正。
○重長からすると、直次は形の上では伯父、実際は大伯父
0559人間七七四年2012/11/25(日) 00:16:56.97ID:3jF6m7+6
直次さんは三河者のなかでもかなり異色だと思う
田舎臭さがなく結構粋だよね
0560人間七七四年2012/11/25(日) 03:38:56.83ID:CJcrbyrs
死ぬ死ぬ言う奴に限って死んだためしが無いてのを地で行ってるな、家康て
0561人間七七四年2012/11/25(日) 04:29:08.05ID:UJeJOoWB
瞬間沸騰型だがすぐ冷静になるんだろうね
0562人間七七四年2012/11/25(日) 04:45:47.47ID:V3jPIT9D
そういう逸話にしないと盛り上がらないだろ
0563人間七七四年2012/11/25(日) 14:02:43.82ID:jVWuSVCU
北条氏康の叔父・幻庵と申す人は、久野という所に居住していたため、久野幻庵とも
呼ばれていた。

この人、初めは箱根別当として出家され、真言の学問を残らず学ばれた。
その上、伊勢氏は代々、巧みな鞍を造るのを家伝としており、早雲寺殿も幼少より嗜んでおられた。
そうであったが北條の系図を請けて、嫡男の氏綱は北条であるということでこの技術を相伝せず、
幻庵は出家の身であったが、生来細工の才能があり、伝わる鞍の製造技術を尽く習得した。

これだけではなく、弓の製作も習得し、矢を剥ぎ弦をさす事、世に並びのないほどであった。
また石台を作り、茶臼を作ることにも優れていた。
その上武勇にも優れていたため、出家の身から、再び武士への還俗された。

又、幻庵は尺八を作ることにおいても名高かった。彼の作った尺八は、『幻庵切りの尺八』と呼ばれ、
彼の作った一節切りの尺八は都鄙に流布し、禁中よりもご所望があった、

これによって関東では尺八が大変に流行り、小田原では若侍たちが、皆これを愛好したという。
(關侍傳記)
0564人間七七四年2012/11/25(日) 14:51:37.81ID:atcxirTv
モノづくりが好きな人だったのか
0565人間七七四年2012/11/25(日) 14:54:07.41ID:IaK7GtWI
何がすごいって97歳まで生きて後北条滅亡の前年に死んでいるという
0566人間七七四年2012/11/25(日) 16:30:48.46ID:z/Cm6AV4
>>565
あと10年生きてれば北条もどこか一国貰って復活してたかもな
0567人間七七四年2012/11/25(日) 16:31:39.67ID:8NnuOFlf
へー若侍たちに尺八が流行ったんだー(ゲス顔)
0568人間七七四年2012/11/25(日) 17:00:49.09ID:OjyjOhZ+
>>566
幻庵じゃなく氏直があと十年生きていればな・・・
0569人間七七四年2012/11/25(日) 17:58:59.37ID:GKQf6RL1
織田の家臣に弓の名手某がいた。織田信長はその話を聞いて腕前を試したいと思い
演射場を設け日を選んで赴きこれを見物した。

ところが他の侍たちは皆多くの矢を当てたが、終日に射った某は一矢も当てることが
できなかったので信長を満足させられなかった。信長は帰ると「見るのと聞くのでは
違うな。人の言葉など当てにならないものだ」と述懐した。

その後、一揆が蜂起しその勢いはすこぶる激しく、信長は自ら将としてこれを討った。
この時、大勢の者たちがしりごみして進まないなか、某は信長の馬前に立ち弓を
いっぱいに引き絞って縦横に放射した。その矢はおおむね外すことなく、賊徒は
このために退却した。

これを見て信長は「なんと深き技よ。あの時、矢が当らなかったのは当てることが
できなかったのではない。余力を養って他日に功を立てようと望んだのだ。
諺に能ある鷹は爪を隠すというが、確かにその通りだ」と感嘆し、厚く褒美を与えて
某を賞した。

――『近古史談』
0570人間七七四年2012/11/25(日) 18:05:04.16ID:cOAcGLLX
実は忠勝のように実戦には向いているけど
練習は下手なだけだったりして
0571人間七七四年2012/11/25(日) 18:15:08.83ID:m0zzi1T0
一夢「あの時は爪を見せる時期では無いと思い温存しました」
0572人間七七四年2012/11/25(日) 18:15:37.01ID:GKQf6RL1
>>569
申し訳ありません訂正します。
×皆多くの矢を当てたが、終日に射った某は
○皆多くが矢を当てたが、終日射ったのに某は
0573人間七七四年2012/11/25(日) 19:38:54.08ID:OzOieAs2
普段は緊張して人前で力を発揮できないタイプなんだろう
なりふり構わず必死になれば本来の力を発揮するみたいな。
0574人間七七四年2012/11/25(日) 20:20:32.23ID:8NnuOFlf
逆稲富さんか
0575人間七七四年2012/11/25(日) 20:54:38.72ID:V++vXSTn
>余力を養って他日に功を立てようと望んだのだ。

これはさすがに無理矢理だと思いました
本番に強いタイプなんだろう
0576人間七七四年2012/11/25(日) 21:26:28.36ID:161YWbBU
「動かない、痛がりもしない的だとヤル気がしないんですよね…」
0577人間七七四年2012/11/25(日) 21:30:27.31ID:IL7boC/N
むしろ緊張しいで戦場だと吹っ切れてアドレナリン出まくりだから当たるとか?
0578人間七七四年2012/11/25(日) 21:48:22.64ID:CJcrbyrs
生きた的じゃないと当てらんないんスよヒャッハー

的な何かとか…
0579人間七七四年2012/11/25(日) 21:56:32.60ID:25XWbAOY
アレか、生餌しか食べない一部の野生生物みたいなものか。
0580人間七七四年2012/11/25(日) 22:04:03.79ID:OjyjOhZ+
それ、戦場でも同じ事言えんの?

なAAを連想した
0581人間七七四年2012/11/25(日) 22:33:30.74ID:uCDCw6Cz
何某「自分の弓は見世物ではござらん」
0582人間七七四年2012/11/25(日) 23:12:24.98ID:BY8mcfyc
大槻磐渓(近古史談の著者)は結構興味深い人だな
スレ対象外な時代の人だけど
0583人間七七四年2012/11/26(月) 09:04:25.19ID:8GRBGtLK
>>576,578
お前らのせいで、悪い話になっちまったじゃねーかww
0584人間七七四年2012/11/26(月) 09:33:53.20ID:NjPRmEbA
なんか信長の性格だと「以前儂の前でわざと手を抜きおったな!」て逆に怒りそうな気もする
0585人間七七四年2012/11/26(月) 09:38:25.35ID:uKbG1Sij
>>584
役に立つならどんな人でも重用する人だよ。
0586人間七七四年2012/11/26(月) 10:46:24.87ID:ZpyraGFx
信長が実戦での活躍を見て、前の演射場でのぱっとしなさをフォローしてくれるいい話
0587人間七七四年2012/11/26(月) 10:51:06.88ID:7Jirq2xh
本当は使えねえから肉壁にするつもりだったとはとても言えない
0588人間七七四年2012/11/26(月) 11:11:06.41ID:ogcdr5SB
信長って人を見る目はないと思う
0589人間七七四年2012/11/26(月) 12:27:54.41ID:5j9NCcQK
戦場で当てられるんだから練習でも当てろよ
と叱るわけにもいくまい
そんなの言われたら確実にやる気なくすよ
0590人間七七四年2012/11/26(月) 16:09:01.90ID:7ZA97t50
>>584
ノブは性格より機嫌が良い時と悪いときの落差が激しいんで…

多分この時は自ら出馬しての勝ち戦で上機嫌だったんだろう
0591人間七七四年2012/11/26(月) 17:38:34.14ID:KOnqzRZ7
>>588
ある方だと思うけどなぁ
これを見抜くのは至難の業だよ
しかも最終的には認めてるし
0592人間七七四年2012/11/26(月) 17:40:47.85ID:fv8Yc8Y/
ノブは人を見抜く目はあるが察する心がない
0593人間七七四年2012/11/26(月) 17:47:08.15ID:eI89sZWP
能力を見抜く力はあるけど、その人間の気持ちなり感情を察する力がない って感じかね〜
つか、自分以外の者も自分と同じ考えをすると思ってそうだからな〜
0594人間七七四年2012/11/26(月) 17:48:42.10ID:L1IjBxPi
そうか?信長公記だけでもその手のエピソードはそれなりにあるぞ?
0595人間七七四年2012/11/26(月) 18:42:17.91ID:/16afk86
察する能力高いのってラスボスとかたぬきさんとか?
0596人間七七四年2012/11/26(月) 18:46:56.06ID:VSIyx/om
>>595
ラスボスの洞察力は凄いと思う。家康は、ホトトギスじゃないけどモノになるまで待てる感じ。
信長は良くも悪くも育ちの良さからくる人の良さを感じる。
0597人間七七四年2012/11/26(月) 22:59:33.16ID:hma1LAxA
天然理心流みたいに実戦には強いけど、模擬戦はからきしみたいなもの?
0598人間七七四年2012/11/26(月) 23:33:33.87ID:ORpphC3O
二人の騎将が大きな背旗を負い、大保衣を佩びて陣営の前を過ぎるのを見た
豊臣秀吉は使者に二人の名を問わせた。

使者は馳せて「主将の命である。各々名を伝えよ」と言ったが一騎も答えない。
使者が反命すると秀吉は「お前は馬を降りずに問うたから軍礼を失したのだ。
そりゃあ答えはせん」とさらに別の使者を遣わした。

二騎は馬を降りて小早川隆景の家臣、河田八助、楢崎十兵と名乗った。後に
二人は征韓の役で隆景に従いしばしば明兵と戦った。河田の背旗、楢崎の保衣は
ともに雄々しく偉大にして並々ではなかったので、その名を異国に輝かした。

――『近古史談』
0599人間七七四年2012/11/27(火) 09:05:29.22ID:WR+T6pHf
下馬するしないでけっこう揉めるよなあ
でも、礼というよりもメンツといわれたほうがしっくりするような気も
0600人間七七四年2012/11/27(火) 10:37:14.67ID:Qx1w0kiF
ぶっちゃけこの礼儀知らずの使者はよく斬られずに済んだもんだ。
0601人間七七四年2012/11/27(火) 10:43:18.94ID:SwUk9bgw
豊臣直属を斬れるわけがない
0602人間七七四年2012/11/27(火) 12:25:17.12ID:LWIGGGqm
この下馬する・しないってのはホントに火種になるよな
使者も戦闘中にいちいち下馬してものをいうなんて、って気持ちがあるんだろう
0603人間七七四年2012/11/27(火) 12:27:40.80ID:cXcv4PNS
長尾景虎改め上杉政虎が...
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