戦国ちょっといい話35
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0479人間七七四年
2012/11/20(火) 00:36:13.38ID:V9cxuDJi勝茂公の時代になり石田慶春に家督を譲り隠居となった。
多久美作殿と仲が良かったという。
美作殿は吉之助の人物を高く評価していたので、
隠居となった吉之助にひそかに国のことを相談していた。
美作殿は吉之助の隠居の身をもったいないと思い、
どうにか大禄で召し抱えてもらえるようにと考えていた。
吉之助はそんな美作殿の心のうちを見抜いたので、
わざと馬鹿を演じ、強欲者のように振る舞い、
自家製の目薬を作り商売を始め、
その金をもとに質屋金貸業をするようになった。
普段の態度も猛犬のそばを歩くときは裾からげして、
「人間の傷は治るが、着物の傷は治らない」
などと真面目な顔で放言していた。
けれど美作殿も吉之助の作り馬鹿を見抜いて、
ますます奉公させたいと思うようになった。
吉之助はその美作殿の気持ちを知ると、
今度は腰抜けのふりをするようになった。
鳥居の下をふざけながら走ったり、
お堀のそばを通るときなどは、
「通り魔に出くわしたら、お堀に飛び込めば命が助かる」
と言ったり、
「斬首と磔なら磔を選ぶ。
なぜなら磔のほうが死ぬまでの時間が長い」
などとも言い出し、
「生きるか死ぬか迷ったらとりあえず生きておく」
と言いながら結局最後まで奉公しなかった。
しばらくしたあるとき、筑後へ目薬を売りにいく途中、
山賊に囲まれたが三人を斬り殺し、
二人に手傷を追わせて追い散らした。
吉之助はこの事を隠していたが、
そのうち目撃者によりだんだんと知れ渡るようになり、
やはり剛の者であったかと評判になった。
吉之助は、
「拙者は剛の者などではない。
臆病者ゆえ、斬り殺されそうになったから、
命を惜しみ、相手より早く斬っただけなのだ」
と言い訳をした。
このような事がその後もたびたびあったのだが、
老後は竜泰寺を建て、政家さまの霊廟の横に庵を結び、
そこで余生を終えた。
とうとう一生、欲深と腰抜けを演じきり、
本心を隠し通したわけである 【葉隠】
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