鈴木正三は三河の人で、若き日には徳川家康に従い関ヶ原や大坂陣に従軍した。

正三は若い頃より人生に死があるということについて常々疑問を抱いていた。
彼はあまねく臨済や曹洞の老大家に参じて教えを受けていた。

そして元和より徳川家の威風によって世も静謐になったという時に、
正三は俄かに思い立って自ら髪を削り、刀もささずに老中の邸宅を訪れて

「九太夫は乱心してこの姿となりました。正三をそのまま法名とし、今より世を
遁れます。この由を上聴に入れられよ」と言い残し、江戸を離れて何処ともなく
出ていった。そして諸国を遍参すること十余年にして三河、のち江戸に帰って来た。

正三は常に門人に曰く「洒落仏法、ぬけがら坐禅は何の役にも立たないぞ。
眼を据えて歯を噛み締め、果眼(果たし合いの眼)になって群がる敵の中に躍りこみ、
敵の槍先に突き立つ覚悟で修行しろ」と教えた。

また正三は豪放な性格で小事に拘らなかった。病気の時には肉を食ってその身を養い、
少しも憚ることはなかったという。

――『近古禅林叢談』