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戦国ちょっといい話35

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2012/10/18(木) 19:08:22.07ID:/qlGMV2o
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話34
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344541435/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話33
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344939207/

【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0239人間七七四年2012/11/03(土) 12:03:18.62ID:FEujK5a5
>>238
まぁまぁ、教皇猊下が茶を振る舞って下さるそうですよ
宇喜多なんとかいう人も同席するらしいですし
0240人間七七四年2012/11/03(土) 13:01:53.07ID:OVZAokdY
明石全登「それはなんとでも出席しなければなりませんな」
0241人間七七四年2012/11/03(土) 13:40:32.37ID:YRtqEtjs
石田が加藤光泰を殺したという伝承あるがあれもどうやら砒素
ボルジアのカンタレラも砒素っぽい

まさに砒素は愚者の毒とはいえ確実なんだろうな
0242人間七七四年2012/11/03(土) 13:45:30.13ID:2u3d0y0B
愚者の毒って言われたのは死体から検出可能となってからでは
そういう技術がない時代には使い勝手がよさそうだ
0243人間七七四年2012/11/03(土) 13:49:53.61ID:YRtqEtjs
一応銀で硫化砒素を検知する知恵は相当昔からある
0244人間七七四年2012/11/03(土) 13:54:18.33ID:wOSt/pQ5
砒素というか亜砒酸化合物やね。
まあ砂加藤さんは普通に病死だろうけど。
0245人間七七四年2012/11/03(土) 13:56:45.82ID:2u3d0y0B
なるほど
0246人間七七四年2012/11/03(土) 14:49:09.32ID:wOSt/pQ5
銀の箸使えば硫化銀の関係で箸が黒く変色するからね
0247人間七七四年2012/11/03(土) 15:08:52.27ID:rNEhluPK
>>239
松永のような茶の嗜みのある武将じゃないとダメだな
0248人間七七四年2012/11/03(土) 15:13:45.21ID:LfaaJuzV
砂加藤
石劣口藤

しれっと「劣」までいれちゃって
0249人間七七四年2012/11/03(土) 15:23:06.92ID:xJFxG5ar
砂加藤
石劣口藤
石劣萌泰
つまり、「石」田に「劣」ることで「萌」えをさそう光「泰」
というなぞかけ
0250人間七七四年2012/11/03(土) 16:24:57.52ID:317oAYR8

鍋島直茂が往来するごとに庶人らは皆出てきて拝伏していた。

ある日、直茂は近臣に向かい「衆人が拝しているのに黙しているのは
謙退の道ではない。だから駕籠から降りて答礼しようと思いはするのだが、
かえって下々も難儀ではないかと思い、いつも駕籠の中で目礼している」
と語った。

この話を聞いた庶民らは「尊い君でさえこのようなのだから我々も」と、
互いに謙退辞譲を守り、親睦を深めたのだとか。

――『名将言行録』
0251人間七七四年2012/11/03(土) 18:05:09.21ID:y+3vNVB1
当時の人も相手にどこまで礼儀正しくしていいのかは迷ってたのね
0252人間七七四年2012/11/03(土) 19:10:29.32ID:LkV1dfyq
(`・ω・´)「宇喜多殿に松永の茶か、聞いてるだけで病で伏せるたくなるな」
0253人間七七四年2012/11/03(土) 22:11:11.34ID:/Xo4EPr5
庶民はどこから聞いたんだ
0254人間七七四年2012/11/04(日) 00:04:44.04ID:Vm3OJ8oy
>>239
チェーザレ様も是非御同席を。
0255人間七七四年2012/11/04(日) 00:13:18.66ID:9WFrkSKl
職も金も学もないのに知識だけはあるお前らに質問です

>九頭竜川の戦いは、朝倉の軍勢、数千人が一向一揆の数万人の
>軍勢に勝利したといわれていますが
>これは両陣営、協議をして、合戦の決着を一騎打ちを何セットか
>やって(引き分けが無いように奇数のセット)
>勝った数が多いほうが合戦が勝利で、現場一帯を制圧でき
>負けた側は引き上げる、と決めて
>一騎打ちの団体戦をやって、朝倉側が大多数の一騎打ちに勝ち
>一向一揆は撤退をした、といわれています

これマジ?
0256人間七七四年2012/11/04(日) 00:16:09.83ID:H6dQnCFz
>>255
【疑問】スレ立てるまでもない質問10【戦国時代】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1347617351/
0257人間七七四年2012/11/04(日) 05:42:58.19ID:e2+vd95b
 秀吉は全国を統一した後、隆景に相談して次のように問いかけた。
 「毛利輝元は当初から自分に二心なく属してきてくれたので、ついに心安く全国を平定することができた。
そう考えると輝元の忠義は忘れがたい。
 そこで、輝元の領国の中国を国替えして、もっと広い九州の九カ国を与えようかと思うのだが、どうだろうか?」と。

 隆景は答える。
 「仰せの通り、九州は輝元の現在の領分よりよほど広くはございますが、しかしながら、今の領国は
輝元の祖父元就が小身より一代で取り広めてきた国ですので、先祖の国を捨てて他所へ参ることは
何ほど領分が広くなりましょうとも、先祖の功労をむなしくするようにも思え、本意ではございません。
広い所へと国替えしていただこうという思し召しは誠にお恵み深いものと思いますが
どうか、そのままにしておいていただけますなら、ますます有難く存じます。
 ことに、輝元は今の領地でさえ莫大でありますに、さらに領分広大となれますれば
殿下にも御後悔なさることがないともいないのが道理です。
 どうか、お国替えはご遠慮したく思います。」

 秀吉はその言葉に感じ入って言った。
 「毛利をさらに大身にと思って国替えを考えてみたが、御辺の申すことは実にもっともなことである。
そのままにしておこう。
 ことに、いよいよ大身となせば後悔もあるべきかと申すこと、実に率直な申され様、ひとしお感じ入った。」と。

『名将言行録』
0258人間七七四年2012/11/04(日) 08:24:19.28ID:UOLerA8L
輝元「ねぇ、それ悪い話だよね?ねぇ?」
0259人間七七四年2012/11/04(日) 08:39:00.29ID:HTOordGe
代わりに小早川が九州2国(筑前、筑後)を貰っちゃったというオチ?
0260人間七七四年2012/11/04(日) 10:08:24.53ID:mkRpOs59
肥後の一揆の影響あるし伊予の方が統治しやすそうだけどな
0261人間七七四年2012/11/04(日) 10:30:19.99ID:cgic6LnU
昨日は佐和山(彦根)藩初代藩主の井伊直政公顕彰式が彦根城まつりと共に催され
大河『平清盛』で藤原基房役の細川茂樹が直政に扮し市中をパレードした。
そして悪い話の方では、前の佐和山城主だった石田三成が槍玉に晒されているようなので
井伊軍志にて紹介された、因縁めいた2人に纏わるちょっとだけいい話を。


七将による三成襲撃事件が起き三成が佐和山に退隠した後に、家康が向島より伏見に入城した。
徳川家重臣の直政は三成の伏見空き屋敷を宛てがわれそこに入った。

三成の伏見屋敷は玄関や広間はとても豪華なものだったが奥へ入ると雨漏りが酷く障子なども見苦しかった。
そんな惨状を見るにつけ直政の側近たちが嘲笑し厭味を言った。

「天下の治部少がよくもこんな邸に修繕もせずに居たものじゃ」

これを聞いた直政は側近たちを叱責した。

「治部少は常々表にあって奥に住む事無き故に屋敷の始末をかようにしておいたのじゃ。
さすがの男である。これを笑う者は彼に及ばぬこと千里の隔たりがある」

傍にいた岡本宣就が直接耳にし、後に知人に語った話である。
0262人間七七四年2012/11/04(日) 10:40:27.66ID:C8Kf5hoS
九州9カ国って250万石くらいか?これだけあれば秀吉死後天下取り目指せたかもしれん
0263人間七七四年2012/11/04(日) 10:41:44.22ID:icm06Elw
実際に秀吉が打診したのは、毛利領国中の備中、伯耆、備後、伊予を取り上げて、
豊前、筑前、筑後、肥後を与えて、輝元に九州取次を命じるプランだったけどね。(毛利家文書之三 955)
0264人間七七四年2012/11/04(日) 10:43:07.53ID:7lWApD6b
「天下の治部少がよくもこんな邸に修繕もせずに居たものじゃ」

見えるところに金をかけるのは野暮、見えないところに金をかけるのが粋
という江戸っ子気質の由来である。
0265人間七七四年2012/11/04(日) 10:54:36.75ID:NGamQBlm
それはもともと倹約令の潜脱がもくてきやで
0266人間七七四年2012/11/04(日) 11:04:47.83ID:cgic6LnU
そういえば今日は長浜で、映画「のぼうの城」の宣伝も兼ねて上地雄輔を招いて三成の供養祭だとか
歪みのある地域だよなぁ
0267人間七七四年2012/11/04(日) 11:11:06.21ID:HTOordGe
>>266
ひこにゃんの敵だから
0268人間七七四年2012/11/04(日) 11:52:55.53ID:NGamQBlm
のぼうは甲斐姫無双しときゃいいのに
0269人間七七四年2012/11/04(日) 12:10:17.88ID:x9YkcM8m
三成は自分に厳しくて他人にも厳しいからなー、
自分に厳しくて他人に甘い人だったら、もっと変わった結果になっただろうになー
0270人間七七四年2012/11/04(日) 13:29:21.34ID:neduKvOu
鮭延さん、志村さん漫画初出演おめでとうございます
0271人間七七四年2012/11/04(日) 14:45:39.01ID:tWppzQoQ

ある時、御伽の者が豊臣秀吉に質問した。

「今の世に天下を取る器量の大名はいるのでしょうか」

「天下を取るには大気、勇気、智恵がなくてはならない。
この三つを兼ねた大名は一人もいないが、小者には二つ兼ねた者が三人おる。

一人は上杉の直江山城。これは大気と勇気があるが智恵が足りない。
二人目は毛利の小早川左衛門。これは大気と智恵があるが勇気が足りない。
そして三人目は龍造寺の鍋島飛騨守。これは勇気と智恵があるが大気がない。

大名にはこれほどの者もおらぬな」

――『名将言行録(葉隠)』
0272人間七七四年2012/11/04(日) 14:51:33.35ID:cgic6LnU
>>271
わざと警戒していない所にいった感じだな
0273人間七七四年2012/11/04(日) 15:13:41.06ID:cX669te+
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2901.html
あれ、鍋島のほかには堀直政説があったのか
0274人間七七四年2012/11/04(日) 15:25:09.70ID:JDuQXxSB
直江「古典の注釈とかしてるのに…」
小早川「この内じゃ一番軍功あると思うのに…」
鍋島「そうです、出世欲とかないです。
ましてや主家を乗っ取ろうなど思ってもいません。」
0275人間七七四年2012/11/04(日) 15:35:43.39ID:ltxk5kGI
徳川家康「おっ、そうだな」
0276人間七七四年2012/11/04(日) 15:38:33.77ID:NGamQBlm
家康は本当に慎重だったなぁ
0277人間七七四年2012/11/04(日) 16:35:51.61ID:Hv3r7jEj
この世は騙し合いみたいなとこあるからな
0278人間七七四年2012/11/04(日) 17:16:34.71ID:lMEzOQxM
>>271
如水さんは?
0279人間七七四年2012/11/04(日) 18:56:56.93ID:jeBPKPCb
そこで家康や如水、政宗あたりの名前を出すと危ない希ガス
0280人間七七四年2012/11/04(日) 19:02:08.22ID:jWniimTR
中々この3つを揃えるのは難しいよな

源頼朝 知恵と大気はあるが勇気が足りない
北条義時 知恵はあるが勇気と大気が足りない
北条時宗 勇気と大気はあるが知恵が足りない
足利尊氏 大気はあるが知恵と勇気が足りない
0281人間七七四年2012/11/04(日) 19:03:10.59ID:icRhLJ2S
ん?まーくんの抑えは工場長と無口な殿、シスコンさん
・・・クロカンの抑えってTERU殴る人だけだっけ?
0282人間七七四年2012/11/04(日) 19:07:44.39ID:Hv3r7jEj
本気でライバルになりそうな相手に、
「オマエのことライバルだと思ってるから!」
なんて言ったら相手の闘志に火つけるようなものだな
テンキューさまの教えにもあっただろ?
ライバル宣言して結果お互い高め合うことになるなんてマンガにしかない
ブラック企業が自由な社風で、
年齢、勤続年数ではなく実力を評価する、
という聞き心地のいい会社方針なのに殺伐としてるのはこれが原因だと思う
社員同士でしのぎ削らせれば業績上がるし、
社員同士が敵対するから、下剋上に向かいにくくなる
0283人間七七四年2012/11/04(日) 23:10:11.41ID:7lWApD6b
山城が本当に知恵足らずなら、本気で閻魔に使いを遣ったのかもしれんね
0284人間七七四年2012/11/05(月) 01:31:11.82ID:Gzm50zS/
天下を取るレベルから見て足りないものだから山城が脳筋だとか隆景が臆病だとかって訳ではないと思う
0285人間七七四年2012/11/05(月) 03:16:36.45ID:dUAoEaQp
藤堂高虎の殉死の諌めと移封願い

藤堂高虎の殉死の諌めについては、既にこちらに詳しいがhttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-651.html
埋もれるには惜しい話を若干付け加えたい。


藤堂高虎は自分亡き後の家臣の殉死をおおいに嫌い、
一計を講じて大御所家康から殉死の禁止令を出してもらうことに成功した。

にもかかわらず、一人の家臣が家康に願い出た。
右腕を負傷していた彼は、
「私はこのような負具者にて、もはや生きていても甲斐がありません。
主君亡き後、どうか殉死することをお許しください。」
と求めた。
家康はこれを聞いて言った。
「和泉は我が代々の先鋒である。
もし、殉死厳禁の令に背く者が一人でもおれば、この先鋒の任を解く。」と。

のち元和元年のある日のこと。
高虎は領国の地図を広げて、家康の前にいた。
高虎は言った。
「伊勢伊賀は大坂へ出る要所にて、わが愚息大学には治められるはずもなく、
つきましては我亡き後は、他に移封して頂きたい。」

家康は地図を一瞥するとそれを横に押しやり、
「そこは誠に天から与えられた地である。他人を封じるような国ではない。
簡単なことじゃ。
いつぞやの殉死を願い出た節度を守る侍、
あの者を大学の傍らに置き、守護させればよいではないか。」
と答えたという。

                           「武将感状記」
0286人間七七四年2012/11/05(月) 03:17:00.56ID:AECE9NJg
武田信玄が佐久郡に村上義清を攻めた時のこと。
戦場は矢や鉄砲が雨のように飛び交い、皆竹で盾を作り、それを環に並べて垣を作っていた。
そのうち信玄は陣を二隊に分けたいと考え、別働隊の飯富、板垣両将へ伝令を送ることにした。
そこで伝令役に米田某、三井某という二人が選ばれた。
米田は「盾の外は危険だから、内側を通って行こう」と提案したが、
三井は「殿に選ばれておきながら、矢や鉄砲を恐れてどうする。俺は外から行くぞ」
と聞かず、一人盾の外へ飛び出していった。
すぐに弾丸が降りそそぎ、三井は何発かくらいながらも、命からがらたどり着いた。
だがすっかり顔面蒼白になり、口も震えてまともにしゃべることもできない。
そんな三井の横で堂々と二将に伝令を伝えた米田は、陣を出ると笑顔で言った。
「それじゃあ、盾の外を通って帰ろうか」
三井が驚いて
「俺は行きのことで後悔してるのに、何でまた外を通らなきゃならん」
と言うと、米田は
「さっきお前と一緒に外を通らなかったのは、主命を果たせなくなるのを恐れたからだ。
しかしもう命も果たせたことだし、今さら何を恐れることもないだろう」
それを聞いて三井も頷き、二人は盾の外に出て、砲弾をかいくぐって本陣へ帰った。
そして米田は全く顔色を変えず、意気従容として信玄に首尾を伝えた。
これを見た三井は己を大いに恥じたという。

                     『武将感状記』
0287人間七七四年2012/11/05(月) 03:24:52.04ID:AECE9NJg
>>285
投稿かぶったスマン

司馬さんのせいか年とった家康は狡猾な悪役のイメージ強いけど
江戸になってからも結構温情深い話多いんだよ
0288人間七七四年2012/11/05(月) 03:25:42.58ID:AECE9NJg

が抜けた
ごめんもう寝ます
0289人間七七四年2012/11/05(月) 07:54:47.53ID:mek9p20d
というか人間は冷酷さと温かさの両面を持っているのが普通だろう
家康との関係性によって、どう扱われるかも違うだろうし
0290人間七七四年2012/11/05(月) 08:00:08.86ID:nvhuFaMZ
相手が敵か身内かによって変わるのは当たり前
0291人間七七四年2012/11/05(月) 09:10:26.53ID:dUAoEaQp
>>287 ご丁寧に、痛み入ります

元和元年といえば高虎は60歳、
死ぬまでに15年もあるのに行く末を案じていたんだな、と。
0292人間七七四年2012/11/05(月) 10:57:29.30ID:TMLjoXGt
>>285
まさしくいい話だな

>>286
戦が続いてるのに、伝令一回終えれば死んでもいいってことはないだろう。
だいたい首尾を伝えるまでが伝令の仕事なんじゃないのか? これは米田さんの勝手な論理って気がするな。
0293人間七七四年2012/11/05(月) 16:08:19.63ID:I1AfV08s
遠足はおうちに帰るまでが遠足です、みたいなものか。
ところでせんせー、焼き味噌はおやつにはいるんですかぁー?
0294人間七七四年2012/11/05(月) 17:16:19.93ID:GdowkEZz
焼き味噌はおしりにはいります
0295人間七七四年2012/11/05(月) 17:49:39.74ID:CRdp7WOK

鈴木正三は三河の人で、若き日には徳川家康に従い関ヶ原や大坂陣に従軍した。

正三は若い頃より人生に死があるということについて常々疑問を抱いていた。
彼はあまねく臨済や曹洞の老大家に参じて教えを受けていた。

そして元和より徳川家の威風によって世も静謐になったという時に、
正三は俄かに思い立って自ら髪を削り、刀もささずに老中の邸宅を訪れて

「九太夫は乱心してこの姿となりました。正三をそのまま法名とし、今より世を
遁れます。この由を上聴に入れられよ」と言い残し、江戸を離れて何処ともなく
出ていった。そして諸国を遍参すること十余年にして三河、のち江戸に帰って来た。

正三は常に門人に曰く「洒落仏法、ぬけがら坐禅は何の役にも立たないぞ。
眼を据えて歯を噛み締め、果眼(果たし合いの眼)になって群がる敵の中に躍りこみ、
敵の槍先に突き立つ覚悟で修行しろ」と教えた。

また正三は豪放な性格で小事に拘らなかった。病気の時には肉を食ってその身を養い、
少しも憚ることはなかったという。

――『近古禅林叢談』
0296人間七七四年2012/11/05(月) 18:44:04.16ID:/CwFW1/+
なんだかもう仏教じゃないようなw
0297人間七七四年2012/11/05(月) 18:47:47.64ID:CRdp7WOK
>>295
すいません少し訂正を
×敵の槍先に突き立つ
○敵の槍先に突っ立つ
0298人間七七四年2012/11/05(月) 18:58:12.21ID:iL59pcZo
坊主もめんどくさいのか
0299人間七七四年2012/11/05(月) 18:59:23.52ID:QSo1zp0c
武士は敵に南無阿弥陀と飛び込み、
農民は畑を南無阿弥陀仏と鍬で打ての人だからな
三河仏法
0300人間七七四年2012/11/05(月) 19:08:10.12ID:zRJNpXrp
>>285
隻腕の武士の刃は腹を切ることが出来るのか?
出来ぬ 出来ぬのだ

…いい意味で(´;ω;`)

>>286
面子があるとはいえ米田さんドSだなw
0301人間七七四年2012/11/05(月) 19:42:45.86ID:iL59pcZo
三歳「扇を腹に当てればよいのだ」
0302人間七七四年2012/11/05(月) 20:40:25.33ID:PiXUy448
大津宰相こと京極高次は城下の住民にさほど好かれていなかったらしく、大津城攻防戦の際に大津城下の住民達は近くの山に弁当持って出かけて攻防戦の模様をまるで祭見物であるかのように楽しんだと言われてる
0303人間七七四年2012/11/05(月) 22:12:17.92ID:/CwFW1/+
それ戦場のデフォ
0304人間七七四年2012/11/05(月) 22:24:23.23ID:Yl2SYoHD
南北戦争の初戦の第一次ブルランの戦いもピクニック気分で観戦しに来た奴らがいたというし
あと、中国の春秋戦国時代あたりで見物に集まったやつに攻撃しかけたら敵軍のほうに逃げていって、
敵軍が混乱して勝利した話があった気がする
0305人間七七四年2012/11/05(月) 23:26:02.81ID:OUwdw2fR
それ以前に籠城前に城下の建物を焼き払ってるだろ
0306人間七七四年2012/11/05(月) 23:59:30.04ID:TGZNGda+
天下の豊臣軍相手に奮戦する忍の領民(ステマ)
0307人間七七四年2012/11/06(火) 02:10:52.46ID:NrhQ01hW
単にラスボスの無茶な水攻め命令に従ってたら地質が悪くて堤が潰れて
修復してるうちに小田原が先に降伏しちゃった、てだけじゃおもしろくないか
0308人間七七四年2012/11/06(火) 02:26:18.89ID:n3/tKjUe
たかが地方の小城の攻城戦だったはずなのに
豊臣武断派が三成=戦下手のカスって認識するようになった
歴史を変える大事件に発展
0309人間七七四年2012/11/06(火) 05:46:39.79ID:VmFqHNiw
別にあの小説出る前から堤壊したのは領民たちだったって風に語られてただろ

氏長の妻(三楽の娘)の指示で
0310 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) 2012/11/06(火) 06:31:52.97ID:mFbaVcSB
>>302
攻め手が大砲をドカドカ撃ち込んだんだっけ?
0311人間七七四年2012/11/06(火) 09:11:26.15ID:Azyn9z1G
板倉勝重の子、重宗が父に代わって京都所司代となり、祇園社に参詣に向かったとき、
神社の前に子供たちが集まって遊んでいた。
一人の子が「ひとつ、ふたつ…」と数字を数えていたのだが、ふと

「なんで『ひとつ』から『ここのつ』まではみんな語尾に『つ』がつくのに、『とお』には『つ』がつかないのかな」

と呟いた。
子供たちは静まり返りってしまったが、その中の9歳の少年が答えて言った。

「そりゃそうさ。5の時に『いつつ』と『つ』を二つ使ったから、10の分が足りなくなっちゃったんだよ」

このやりとりを聞いていた重宗は少年に興味を持ち、翌日さっそく彼を招待し、
上下に二つ重なった餅を食べさせて、尋ねた。

「今食った餅、上と下、どっちの方がうまかった?」

少年はしばらく考え込んでいたが、突然両手をポンと打って

「今鳴ったのは、左手?右手?」

と問い返した。
重宗はいよいよ感心し、取り立てて自分の側においた。
成長した少年は重宗の一の側近になったという。

                    「明良洪範続」
0312人間七七四年2012/11/06(火) 10:16:27.34ID:NbK2TydX
質問に質問で答えるんじゃねーよゴラァ
0313人間七七四年2012/11/06(火) 11:02:33.96ID:ebE36DLt
>>307
>>309
軍記物の「堤が決壊して大被害」とか実際あったんかな?
そんな被害出れば「やっぱ水攻め無理」って
方針変更を請う口実になるしそういうやり取りでもしそうだが。
成田記や関八州古戦録の通説には疑問が残る。
0314人間七七四年2012/11/06(火) 11:11:33.76ID:Azyn9z1G
>>312
口で説明するより実際に同じ気分を味あわせてやろうとか
そういう機転なんじゃない?
0315人間七七四年2012/11/06(火) 11:54:11.20ID:2g0szYjX
鳴ったのは右手?左手?って禅問答があるんだよな。
0316人間七七四年2012/11/06(火) 11:59:45.26ID:JBlHchof
頭の回転のよさをみたんだろな
0317人間七七四年2012/11/06(火) 12:13:23.15ID:NrhQ01hW
のちの落語の佐々木政談である
しかし板倉重宗から後世の政談ものっていろいろパクってるんだな
0318人間七七四年2012/11/06(火) 17:27:24.90ID:3lzC74sQ
>>311
旗が動いているのか?それとも風が動いているのか?
的な禅問答なんだろうね
「片腕しかない人の拍手の音を聴いてこい」て公案もあるけど禅て難しく感じる
なにが言いたいのかよくわからない
0319人間七七四年2012/11/06(火) 18:44:36.24ID:JBlHchof
思考を繰り返すのがいいんだろ
実際たのしいぞ
0320人間七七四年2012/11/06(火) 18:51:54.82ID:bajq3D94
禅は答えが永遠にでそうになくてうあああってなるわ
0321人間七七四年2012/11/06(火) 19:14:05.93ID:VS7Xiq+J
重宗「うあああ…よし、採用!」
0322人間七七四年2012/11/06(火) 21:42:57.03ID:X4XSCtLl

武田勝頼親子の首級が織田信長の目にかけられた。
信長はその首を見て、

「日本に隠れなき弓取りながら、運が尽きてしまわれた故に、
このような姿になられてしまったのだな…」と言った。

――『三河物語』
0323人間七七四年2012/11/06(火) 21:47:11.08ID:I7PVLNuq
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6681.html
さて真実はどっちだ
0324人間七七四年2012/11/06(火) 22:39:42.36ID:qW1WTpFy
まーくんから従兄弟殿へのちょっとした(?)お願いの手紙 

伊達政宗の真筆書状 発見される

能代市では(個人名の為 伏字)さんが、伊達政宗(一五六五〜一六三六)から初代藩主佐竹義宣に宛てたと見られる書状を発見。
県立図書館文書係の鑑定の結果本物と判明したものの、宛名が失われており文面から佐竹宛と推定された。しかし、伝承経路は不明のようだ。

 本文には「…大砲の火薬の質や量、あるいは矢蔵の定め書きなどを給わばありがたい。」などとある。

1976年(昭和51年)4月1日発行 秋田県広報あきたより抜粋 
秋田県広報ライブラリー 当該記事へのリンク ttp://common.pref.akita.lg.jp/koholib/search/html/167/167_046.html

※転載ここまで

親戚でありながら敵対していた筈の佐竹義宣宛にDQN政宗からの、見様によってはとんでもない文面の手紙である。しかも直筆!
単純に「分かんないから教えてクレクレ!」なのか「お前、どんだけ武器弾薬貯め込んでんの?ニヤニヤw」と、邪推しそうになる文

恩讐を乗り越え「かつての敵とも、腹を割って何でも話せるようになった」義宣と政宗の「俺達マジ親友!」の、仲のいい話…なのか
「…政宗め。こんな文が幕府に露見したらヤバイだろ!油断のならない奴め!」と、宛名を失わせた義宣の手筈の良い?話でした
0325財布激安/偽者2012/11/07(水) 01:09:52.23ID:sG8DeV6b
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0326人間七七四年2012/11/07(水) 12:39:36.10ID:O+mufkDX
まとめ見てたんだけど、武田信繁っていい話しか無いんだな
悪い話は討ち取られた位のもんかな?
信繁の悪い話無い?できが良すぎだろ
どっかの信繁と違って
0327人間七七四年2012/11/07(水) 13:50:36.21ID:bTp14Zmb
武田信繁は江戸初期から武士の鑑って神格化されてっから基本いい話しかない
0328人間七七四年2012/11/07(水) 16:22:24.33ID:qZT1KT+F
長野県長野市にある典厩寺は真田信之が武田信繁の菩提を弔うため、
それまでの瑠璃光山鶴巣寺の名を改めたもの。
本堂より左には自然石を用いた信繁の墓があると同時に、
武田上杉両家の討ち死にした者たちの弔魂碑がある。
なお境内には川中島合戦記念館があり寺宝を収蔵展示している
0329人間七七四年2012/11/07(水) 18:46:49.33ID:MXd1EikK
>>324
受け取った佐竹義宣のイヤそうな顔が目に浮かぶ
ろくな事は企んでないだろうと思わせる手紙だw
0330人間七七四年2012/11/07(水) 20:31:58.92ID:VQLJNFGf
この前小諸から東御市に向かう道を通った時にで信繁の墓があった

なんであそこなんだろう
0331人間七七四年2012/11/07(水) 20:51:17.81ID:FwEHAAEt
>>330
何の史料も確認していないから、極めていい加減な私見ではあるが、息子の武田信豊が小諸城主だからじゃないか?
0332人間七七四年2012/11/07(水) 21:28:01.04ID:eN+Vkod4
死んだ川中島にあるんじゃないの?
0333人間七七四年2012/11/07(水) 23:26:14.04ID:0jZUtu4Y
胴体が川中島の典厩寺で、首だけ息子のいる小諸まで運んだみたいね。
行った事ないけど写真で見る限り首の方がかなーりひっそりと祭られているような。
川中島で死んだしあっちの方が有名だししょうがないか。
0334人間七七四年2012/11/08(木) 16:52:32.06ID:3IV3NXbr
紀州頼宣に仕えた儒臣に奈波(那波)道円という者がいた。
その甥の奈波加慶という針医師が御供して紀州にいた時に、

和歌山一番の富豪・島孫左衛門という町人が長年病気に悩んでいた。
ある人がこの度加慶が来たのを幸いとして島に彼を推挙した。
その人が療治を頼むと加慶は「心得た」と答えた。

「それは良かった。この孫左衛門という人は和歌山で一番の有得人ですから、
他の病人よりも精を出して治療してくださいね」

加慶はつくづくと聞いていたが、その人が座を立とうとした時に…

「只今御頼みの病家への見廻りは御断り申す」

「なんと!? たった今治療を承知されたではないですか!
何故手を返すようなことをなさるのです!」

「始めは病人とばかり承ったので承知いたしましたが、あなたは富家だから
精を入れて治療しろと仰った。私は今日まで病には針を立ててきましたが、
金銀に針を立てたことはありませんので御断り申す」

――『良将言行録』
0335人間七七四年2012/11/08(木) 20:25:00.56ID:X1OGkpuB
江戸城本丸において、将軍家より隠密の相談がある時は、その昔はだいたい数寄屋にて行われていたのだが、
土井大炊頭利勝がある時思いつき、千畳敷の真ん中に将軍家に出て来て頂き、四方の金唐紙なども全て取り外し、
少しも隠れる場所の無いようにした所、誰であろうと、その相談の間、近づく者無く、相談の内容が漏れるようなことも
無くなったと、これは古き人たちが申していることである
(武野燭談)
0336人間七七四年2012/11/08(木) 20:50:56.90ID:I9N32n+s
天井と床下はどうなってたんだろう
0337人間七七四年2012/11/09(金) 09:10:16.64ID:cmBvDaDs
分厚いビードロで外からはモザイク模様に
0338人間七七四年2012/11/09(金) 11:02:11.50ID:gMeCskhA
>336忍者が周りにいれば入り込めない
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