戦国ちょっといい話35
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0001人間七七四年
2012/10/18(木) 19:08:22.07ID:/qlGMV2o戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっといい話34
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344541435/
姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話33
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344939207/
【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
01952/2
2012/11/01(木) 19:56:18.18ID:wa9MXoK4忠世、これを聞いて怒った
「それは以ての外のお考えです!!
あの者にそんな事をしたら、今後良き奉公人が、どうして御家に仕えることを望むでしょうか!?
ああ言う者をいかにも厚遇してこそ、勇士・能者も集まるというものです。
大御所様!ああもう、散々のご思案ですぞ!!」
家康公ボロクソである。しかし家康
「お前が言うことを一々判断する必要はない。何故かといえば、我が家において、重臣である
お主に慮外するような者はあってはならぬのだ。であるのにあの者は度々に渡りお主に慮外をいたしたと
聞き及んでおる。だからこそ、約束よりも少ない知行の折紙を与えたならばきっと暇を乞うてくるだろう、
その時暇を出してやろうと考えたのだ。そうであるので、知行増など思いもよらぬ!」
家康は個人のことを言っているのではなく、組織の統帥を考えて言っているのである。
これに忠世
「…私は御存知の通り、御家の御厚恩を以って代々召し使われている者ですが、そんな譜代の私に
新参の者が豪胆にも無礼をしてくることに、却ってその器量の深さを感じ、彼を、一廉御用の役に立つ者だと
見立てました。そして内々に調べてみても、人柄・心持ちの揃った人物でありました。
であるからこそ、この様に申し上げているのです!」
家康ももうグッタリしつつ
「…ではお前は、神谷に知行をどれほど与えようというのか?」
「二千石遣わされて然るべき!!」
「!!!???」
倍である。ついでに言えば実際に与えるのは家康である
「た、忠世くん?それなら最初の約束通り千石渡せばいいんじゃ…ないかな〜?」
「二千石然るべき!!」
「えーっと、いきなり倍は与え過ぎのような…」
「二千石!」
「…」
家康がどんど追い込まれていくのを他の老中たちがいたたまれなくなったのか、話に割って入り
「じゃ、じゃあ真ん中取って1500石でいかがでしょうか!?そうしましょう!」
と、一同申し上げたことにより、家康も遂に観念し1500石の折紙をつくり、神谷を呼び出し
これを与えた。この時、家康という人の面白いところは、酒井忠世との論争を、残らずありのまま
神谷に伝えた所である。
神谷は感涙を流してこの折紙を頂戴し、城より退出するとその足で酒井忠世の邸宅を訪ね対面し、
「それがし愚かにして人を知らず、憤りを顕したこと、誠に面目のないことでした。」
そう忠世に謝罪したという。
その後神谷与七郎は働きも能く、人品も忠世が見立てた通り、実直に勤め、その後足軽を付けられる程に
出世したそうである。
(武野燭談)
0196人間七七四年
2012/11/01(木) 19:57:38.89ID:aYuzkYLw0198人間七七四年
2012/11/01(木) 20:39:37.71ID:jLOHci8aでもそこがいい
0199人間七七四年
2012/11/01(木) 20:44:59.37ID:c293RWN00200人間七七四年
2012/11/01(木) 22:03:40.61ID:gJQfI2k2「まさかケチりたいだけじゃ…」と疑ってしまった自分がいる・・・。
0201人間七七四年
2012/11/02(金) 00:54:15.29ID:FUjAttnp0202人間七七四年
2012/11/02(金) 09:20:02.83ID:UCB2mwtqわざわざ経緯を公にして予定より多く知行することを周囲に納得させ
当人の行為を改めさせるばかりか更なる忠誠をも引き出した
上手く解決したもんだなと感心する
0203人間七七四年
2012/11/02(金) 14:18:47.86ID:VDRVKLg7日本では皇室を初めとして近親婚が行われてきました
戦国期の大名家でも近親婚は見られるわけですが
近親婚が禁忌とされるようになったのはいつ頃からでしょうか
0204人間七七四年
2012/11/02(金) 14:46:46.96ID:z89Ct905と言ってもどうせ「答えたがり」が構うんだろうけど
0205人間七七四年
2012/11/02(金) 14:58:16.72ID:mWi8bO9K昔この話どこかで聞いたときは子どもっぽいなあとしか思わなかったけど
今だとこういう無礼を働くのさえ命がけだったんだろうなと思ってしまうw
0209人間七七四年
2012/11/02(金) 15:34:46.23ID:rbbH17K00211人間七七四年
2012/11/02(金) 16:32:29.73ID:i6l8AVy40212人間七七四年
2012/11/02(金) 16:36:00.04ID:aDc7Uy1c0213人間七七四年
2012/11/02(金) 16:49:41.93ID:NNgd5DJ20214人間七七四年
2012/11/02(金) 17:28:11.90ID:Nbg/F9/H関白秀次は罪を蒙り、伏見の邸宅は前田利家に賜れた。
利家はその美麗な様を見て曰く、
「関白は大望のある人ではない。謀反は必ず偽りであろう。
私は子孫まで望みがあるから、このように美麗ではならない」
と言って、不要な所は取り払った。
――『名将言行録』
0215人間七七四年
2012/11/02(金) 17:54:07.01ID:RfYzohGp今は金を貯めておいて、豊臣の天下が危うくなったら
その金で戦力集めて謀叛する気だ、ととられないか?
0217人間七七四年
2012/11/02(金) 18:22:03.79ID:KAsmxqonある意味稚拙なんだろうなぁ
0219人間七七四年
2012/11/02(金) 18:33:46.18ID:jpUA5NAZ精一杯の意地でもある
それは家光公とかも憧れる浪漫っぽいもの
0220人間七七四年
2012/11/02(金) 19:05:31.57ID:Gr3+0d0y0221人間七七四年
2012/11/02(金) 19:49:32.15ID:KAsmxqonマキャベリストなら自分がいかにも純朴で誠実な人間と偽るんだよなぁ
0222人間七七四年
2012/11/02(金) 19:57:07.95ID:RfYzohGp0223人間七七四年
2012/11/02(金) 20:00:55.91ID:RfYzohGpマキャベリがでてきたから戦国スレとは思わなかった
0224人間七七四年
2012/11/02(金) 20:06:39.44ID:WYMSS6al0225人間七七四年
2012/11/02(金) 20:09:39.77ID:ZSlyWsU9彼は家康の関東移封後、武州川越三千石を与えられたのだが、ここに備後村という郷村があり、
その庄官は備後を名乗っていた。
これを知った忠利の家臣たちはこの備後に
「備後とはこの地の領主である殿の官名である。よってその名を改めよ。」
と伝えた。この時代、領民や家臣が主君と名乗りがかぶるのは不敬であり、この要請は常識的なことであった。
が、この備後は解明の要請を全く受け付けず、そのままの名乗りを押し通した。
そのうちに酒井忠利が領内を巡回した時、この庄官を呼び出し直接に言った
「お前の名はこの地の領主の名乗りと同じなのだ。よって改めよ。」
庄官は猛然と答えた
「これは近頃迷惑なことを承るものかな!私は人に勝って年貢を一番に納めています!
勿論公役に関しても他人よりも第一に勤めておりますれば、領主様からの掟に少しも背いて
おりません。それなのに、どんな過怠があって名を改めよと仰るのか!?
その上私の家は代々備後を名乗っておりますれば、改めること罷り成りません!
同じ名で都合がわるいというのなら、殿が名を改められよ!!」
領主に対して思い切ったことを言ったものである。ほとんど暴言であり、これで殺されても
全くおかしくはない。
が、酒井忠利は笑い出した
「ははは、そうか。年貢・公役を人より先に勤めるというのは一段と良いことである。
しからば己はここの備後よ。私は酒井備後守である!苦しからず、そのままにて居よ。」
そう、申し付けたそうである。
(武野燭談)
酒井忠利の温和、というお話。というかこの庄官ちょっと常識はずれに凄いw
0226人間七七四年
2012/11/02(金) 20:29:52.85ID:KAsmxqon村役人はその末裔という可能性あるな
なら改名はしにくそうだ
0227人間七七四年
2012/11/02(金) 22:06:39.59ID:sI1PbU8g0228人間七七四年
2012/11/02(金) 22:25:11.94ID:CqDydaVI今思いついたのは維新様だけど
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2900.html
0229人間七七四年
2012/11/02(金) 22:37:14.99ID:sPEjkkGK0230人間七七四年
2012/11/02(金) 22:40:50.89ID:WQI/aA300232人間七七四年
2012/11/02(金) 23:32:10.99ID:QTQCXNWi0233人間七七四年
2012/11/02(金) 23:35:03.21ID:rbbH17K00234人間七七四年
2012/11/03(土) 02:24:18.40ID:fReihmWi0235人間七七四年
2012/11/03(土) 08:45:37.07ID:3/lmW+3v0236人間七七四年
2012/11/03(土) 10:08:05.29ID:JUhweKVc0237人間七七四年
2012/11/03(土) 10:23:49.41ID:MuaxDSke0239人間七七四年
2012/11/03(土) 12:03:18.62ID:FEujK5a5まぁまぁ、教皇猊下が茶を振る舞って下さるそうですよ
宇喜多なんとかいう人も同席するらしいですし
0240人間七七四年
2012/11/03(土) 13:01:53.07ID:OVZAokdY0241人間七七四年
2012/11/03(土) 13:40:32.37ID:YRtqEtjsボルジアのカンタレラも砒素っぽい
まさに砒素は愚者の毒とはいえ確実なんだろうな
0242人間七七四年
2012/11/03(土) 13:45:30.13ID:2u3d0y0Bそういう技術がない時代には使い勝手がよさそうだ
0243人間七七四年
2012/11/03(土) 13:49:53.61ID:YRtqEtjs0244人間七七四年
2012/11/03(土) 13:54:18.33ID:wOSt/pQ5まあ砂加藤さんは普通に病死だろうけど。
0245人間七七四年
2012/11/03(土) 13:56:45.82ID:2u3d0y0B0246人間七七四年
2012/11/03(土) 14:49:09.32ID:wOSt/pQ50247人間七七四年
2012/11/03(土) 15:08:52.27ID:rNEhluPK松永のような茶の嗜みのある武将じゃないとダメだな
0248人間七七四年
2012/11/03(土) 15:13:45.21ID:LfaaJuzV石劣口藤
しれっと「劣」までいれちゃって
0249人間七七四年
2012/11/03(土) 15:23:06.92ID:xJFxG5ar石劣口藤
石劣萌泰
つまり、「石」田に「劣」ることで「萌」えをさそう光「泰」
というなぞかけ
0250人間七七四年
2012/11/03(土) 16:24:57.52ID:317oAYR8鍋島直茂が往来するごとに庶人らは皆出てきて拝伏していた。
ある日、直茂は近臣に向かい「衆人が拝しているのに黙しているのは
謙退の道ではない。だから駕籠から降りて答礼しようと思いはするのだが、
かえって下々も難儀ではないかと思い、いつも駕籠の中で目礼している」
と語った。
この話を聞いた庶民らは「尊い君でさえこのようなのだから我々も」と、
互いに謙退辞譲を守り、親睦を深めたのだとか。
――『名将言行録』
0251人間七七四年
2012/11/03(土) 18:05:09.21ID:y+3vNVB10252人間七七四年
2012/11/03(土) 19:10:29.32ID:LkV1dfyq0253人間七七四年
2012/11/03(土) 22:11:11.34ID:/Xo4EPr50255人間七七四年
2012/11/04(日) 00:13:18.66ID:9WFrkSKl>九頭竜川の戦いは、朝倉の軍勢、数千人が一向一揆の数万人の
>軍勢に勝利したといわれていますが
>これは両陣営、協議をして、合戦の決着を一騎打ちを何セットか
>やって(引き分けが無いように奇数のセット)
>勝った数が多いほうが合戦が勝利で、現場一帯を制圧でき
>負けた側は引き上げる、と決めて
>一騎打ちの団体戦をやって、朝倉側が大多数の一騎打ちに勝ち
>一向一揆は撤退をした、といわれています
これマジ?
0256人間七七四年
2012/11/04(日) 00:16:09.83ID:H6dQnCFz【疑問】スレ立てるまでもない質問10【戦国時代】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1347617351/
0257人間七七四年
2012/11/04(日) 05:42:58.19ID:e2+vd95b「毛利輝元は当初から自分に二心なく属してきてくれたので、ついに心安く全国を平定することができた。
そう考えると輝元の忠義は忘れがたい。
そこで、輝元の領国の中国を国替えして、もっと広い九州の九カ国を与えようかと思うのだが、どうだろうか?」と。
隆景は答える。
「仰せの通り、九州は輝元の現在の領分よりよほど広くはございますが、しかしながら、今の領国は
輝元の祖父元就が小身より一代で取り広めてきた国ですので、先祖の国を捨てて他所へ参ることは
何ほど領分が広くなりましょうとも、先祖の功労をむなしくするようにも思え、本意ではございません。
広い所へと国替えしていただこうという思し召しは誠にお恵み深いものと思いますが
どうか、そのままにしておいていただけますなら、ますます有難く存じます。
ことに、輝元は今の領地でさえ莫大でありますに、さらに領分広大となれますれば
殿下にも御後悔なさることがないともいないのが道理です。
どうか、お国替えはご遠慮したく思います。」
秀吉はその言葉に感じ入って言った。
「毛利をさらに大身にと思って国替えを考えてみたが、御辺の申すことは実にもっともなことである。
そのままにしておこう。
ことに、いよいよ大身となせば後悔もあるべきかと申すこと、実に率直な申され様、ひとしお感じ入った。」と。
『名将言行録』
0258人間七七四年
2012/11/04(日) 08:24:19.28ID:UOLerA8L0259人間七七四年
2012/11/04(日) 08:39:00.29ID:HTOordGe0260人間七七四年
2012/11/04(日) 10:08:24.53ID:mkRpOs590261人間七七四年
2012/11/04(日) 10:30:19.99ID:cgic6LnU大河『平清盛』で藤原基房役の細川茂樹が直政に扮し市中をパレードした。
そして悪い話の方では、前の佐和山城主だった石田三成が槍玉に晒されているようなので
井伊軍志にて紹介された、因縁めいた2人に纏わるちょっとだけいい話を。
七将による三成襲撃事件が起き三成が佐和山に退隠した後に、家康が向島より伏見に入城した。
徳川家重臣の直政は三成の伏見空き屋敷を宛てがわれそこに入った。
三成の伏見屋敷は玄関や広間はとても豪華なものだったが奥へ入ると雨漏りが酷く障子なども見苦しかった。
そんな惨状を見るにつけ直政の側近たちが嘲笑し厭味を言った。
「天下の治部少がよくもこんな邸に修繕もせずに居たものじゃ」
これを聞いた直政は側近たちを叱責した。
「治部少は常々表にあって奥に住む事無き故に屋敷の始末をかようにしておいたのじゃ。
さすがの男である。これを笑う者は彼に及ばぬこと千里の隔たりがある」
傍にいた岡本宣就が直接耳にし、後に知人に語った話である。
0262人間七七四年
2012/11/04(日) 10:40:27.66ID:C8Kf5hoS0263人間七七四年
2012/11/04(日) 10:41:44.22ID:icm06Elw豊前、筑前、筑後、肥後を与えて、輝元に九州取次を命じるプランだったけどね。(毛利家文書之三 955)
0264人間七七四年
2012/11/04(日) 10:43:07.53ID:7lWApD6b見えるところに金をかけるのは野暮、見えないところに金をかけるのが粋
という江戸っ子気質の由来である。
0265人間七七四年
2012/11/04(日) 10:54:36.75ID:NGamQBlm0266人間七七四年
2012/11/04(日) 11:04:47.83ID:cgic6LnU歪みのある地域だよなぁ
0267人間七七四年
2012/11/04(日) 11:11:06.21ID:HTOordGeひこにゃんの敵だから
0268人間七七四年
2012/11/04(日) 11:52:55.53ID:NGamQBlm0269人間七七四年
2012/11/04(日) 12:10:17.88ID:x9YkcM8m自分に厳しくて他人に甘い人だったら、もっと変わった結果になっただろうになー
0270人間七七四年
2012/11/04(日) 13:29:21.34ID:neduKvOu0271人間七七四年
2012/11/04(日) 14:45:39.01ID:tWppzQoQある時、御伽の者が豊臣秀吉に質問した。
「今の世に天下を取る器量の大名はいるのでしょうか」
「天下を取るには大気、勇気、智恵がなくてはならない。
この三つを兼ねた大名は一人もいないが、小者には二つ兼ねた者が三人おる。
一人は上杉の直江山城。これは大気と勇気があるが智恵が足りない。
二人目は毛利の小早川左衛門。これは大気と智恵があるが勇気が足りない。
そして三人目は龍造寺の鍋島飛騨守。これは勇気と智恵があるが大気がない。
大名にはこれほどの者もおらぬな」
――『名将言行録(葉隠)』
0273人間七七四年
2012/11/04(日) 15:13:41.06ID:cX669te+あれ、鍋島のほかには堀直政説があったのか
0274人間七七四年
2012/11/04(日) 15:25:09.70ID:JDuQXxSB小早川「この内じゃ一番軍功あると思うのに…」
鍋島「そうです、出世欲とかないです。
ましてや主家を乗っ取ろうなど思ってもいません。」
0275人間七七四年
2012/11/04(日) 15:35:43.39ID:ltxk5kGI0276人間七七四年
2012/11/04(日) 15:38:33.77ID:NGamQBlm0277人間七七四年
2012/11/04(日) 16:35:51.61ID:Hv3r7jEj0279人間七七四年
2012/11/04(日) 18:56:56.93ID:jeBPKPCb0280人間七七四年
2012/11/04(日) 19:02:08.22ID:jWniimTR源頼朝 知恵と大気はあるが勇気が足りない
北条義時 知恵はあるが勇気と大気が足りない
北条時宗 勇気と大気はあるが知恵が足りない
足利尊氏 大気はあるが知恵と勇気が足りない
0281人間七七四年
2012/11/04(日) 19:03:10.59ID:icRhLJ2S・・・クロカンの抑えってTERU殴る人だけだっけ?
0282人間七七四年
2012/11/04(日) 19:07:44.39ID:Hv3r7jEj「オマエのことライバルだと思ってるから!」
なんて言ったら相手の闘志に火つけるようなものだな
テンキューさまの教えにもあっただろ?
ライバル宣言して結果お互い高め合うことになるなんてマンガにしかない
ブラック企業が自由な社風で、
年齢、勤続年数ではなく実力を評価する、
という聞き心地のいい会社方針なのに殺伐としてるのはこれが原因だと思う
社員同士でしのぎ削らせれば業績上がるし、
社員同士が敵対するから、下剋上に向かいにくくなる
0283人間七七四年
2012/11/04(日) 23:10:11.41ID:7lWApD6b0284人間七七四年
2012/11/05(月) 01:31:11.82ID:Gzm50zS/0285人間七七四年
2012/11/05(月) 03:16:36.45ID:dUAoEaQp藤堂高虎の殉死の諌めについては、既にこちらに詳しいがhttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-651.html
埋もれるには惜しい話を若干付け加えたい。
藤堂高虎は自分亡き後の家臣の殉死をおおいに嫌い、
一計を講じて大御所家康から殉死の禁止令を出してもらうことに成功した。
にもかかわらず、一人の家臣が家康に願い出た。
右腕を負傷していた彼は、
「私はこのような負具者にて、もはや生きていても甲斐がありません。
主君亡き後、どうか殉死することをお許しください。」
と求めた。
家康はこれを聞いて言った。
「和泉は我が代々の先鋒である。
もし、殉死厳禁の令に背く者が一人でもおれば、この先鋒の任を解く。」と。
のち元和元年のある日のこと。
高虎は領国の地図を広げて、家康の前にいた。
高虎は言った。
「伊勢伊賀は大坂へ出る要所にて、わが愚息大学には治められるはずもなく、
つきましては我亡き後は、他に移封して頂きたい。」
家康は地図を一瞥するとそれを横に押しやり、
「そこは誠に天から与えられた地である。他人を封じるような国ではない。
簡単なことじゃ。
いつぞやの殉死を願い出た節度を守る侍、
あの者を大学の傍らに置き、守護させればよいではないか。」
と答えたという。
「武将感状記」
0286人間七七四年
2012/11/05(月) 03:17:00.56ID:AECE9NJg戦場は矢や鉄砲が雨のように飛び交い、皆竹で盾を作り、それを環に並べて垣を作っていた。
そのうち信玄は陣を二隊に分けたいと考え、別働隊の飯富、板垣両将へ伝令を送ることにした。
そこで伝令役に米田某、三井某という二人が選ばれた。
米田は「盾の外は危険だから、内側を通って行こう」と提案したが、
三井は「殿に選ばれておきながら、矢や鉄砲を恐れてどうする。俺は外から行くぞ」
と聞かず、一人盾の外へ飛び出していった。
すぐに弾丸が降りそそぎ、三井は何発かくらいながらも、命からがらたどり着いた。
だがすっかり顔面蒼白になり、口も震えてまともにしゃべることもできない。
そんな三井の横で堂々と二将に伝令を伝えた米田は、陣を出ると笑顔で言った。
「それじゃあ、盾の外を通って帰ろうか」
三井が驚いて
「俺は行きのことで後悔してるのに、何でまた外を通らなきゃならん」
と言うと、米田は
「さっきお前と一緒に外を通らなかったのは、主命を果たせなくなるのを恐れたからだ。
しかしもう命も果たせたことだし、今さら何を恐れることもないだろう」
それを聞いて三井も頷き、二人は盾の外に出て、砲弾をかいくぐって本陣へ帰った。
そして米田は全く顔色を変えず、意気従容として信玄に首尾を伝えた。
これを見た三井は己を大いに恥じたという。
『武将感状記』
0287人間七七四年
2012/11/05(月) 03:24:52.04ID:AECE9NJg投稿かぶったスマン
司馬さんのせいか年とった家康は狡猾な悪役のイメージ強いけど
江戸になってからも結構温情深い話多いんだよ
0288人間七七四年
2012/11/05(月) 03:25:42.58ID:AECE9NJgが抜けた
ごめんもう寝ます
0289人間七七四年
2012/11/05(月) 07:54:47.53ID:mek9p20d家康との関係性によって、どう扱われるかも違うだろうし
0290人間七七四年
2012/11/05(月) 08:00:08.86ID:nvhuFaMZ0291人間七七四年
2012/11/05(月) 09:10:26.53ID:dUAoEaQp元和元年といえば高虎は60歳、
死ぬまでに15年もあるのに行く末を案じていたんだな、と。
0292人間七七四年
2012/11/05(月) 10:57:29.30ID:TMLjoXGtまさしくいい話だな
>>286
戦が続いてるのに、伝令一回終えれば死んでもいいってことはないだろう。
だいたい首尾を伝えるまでが伝令の仕事なんじゃないのか? これは米田さんの勝手な論理って気がするな。
0293人間七七四年
2012/11/05(月) 16:08:19.63ID:I1AfV08sところでせんせー、焼き味噌はおやつにはいるんですかぁー?
0294人間七七四年
2012/11/05(月) 17:16:19.93ID:GdowkEZz■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています