天正18年(1590)、関東では豊臣秀吉による小田原の役が進行しているころ、奥州において津軽三郡を確保した
津軽為信は焦っていた

「いち早く秀吉公の前に参礼し、御朱印を申し請け津軽三郡の支配を確立せねばならない!
とにかく南部に先を越されては大変である!」

そう言って準備を急いでいた所、為信の老母が、為信が津軽を離れることへの不安を言ってきた

「お前がここを留守にして小田原に行けば、そのあとにどんな異変が起こるか計り知れない。」

この時期の津軽為信の支配は、それだけ不安定だったのである。

「そこで、お前は国に残って仕置をしなさい。私は女の身ではありますが、小田原へ馳せ参り、所領安堵の
御朱印を申し請けるのに問題はないはずです!」

そう、驚く為信を構わず早々に津軽を出立し、相模に赴き秀吉と対面。当主為信に変わり母である自分が
参上したことなど言上すると、秀吉も女性の身で遠くここまで旅してきたことに強く感銘を受け、難なく御朱印を下した。

老母はこれを大いに喜び、急いで本国へと戻り御朱印を為信に渡した。
(天正南部軍記)

津軽為信のお母さん頑張る、というお話。