【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
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0001人間七七四年
2012/10/15(月) 00:12:08.25ID:RhmDVWTD戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
戦国ちょっといい話34
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344541435/
戦国ちょっと悪い話33
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344939207/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0788人間七七四年
2014/11/08(土) 19:44:07.03ID:KJkpXf/2>ほぼ同時代を生きた能島の村上武吉と来島の村上通康の高名の影に隠れて今一つ目立たない。
>そんな彼の人となりを、因島村上氏の一族の記録から見てみよう。
>北九州方面から上方へ来る荷船は赤間関で、防長・豊前から来る廻船は上関で、能島衆が通行を取り締まっていた。
>豊後・日向発で伊予方面に向かう荷船は来島衆の、備後方面へ向かう船は因島衆の担当である。
>しかし上関や周防大島の衆が豊後沖付近まで出張って荷船から帆別銭(通行料)を取ってしまうことがあり、
>それをされると因島衆の収入が減ってしまい、大きな悩みの種であった。
>また、因島付近を通行する未取締船にも、小早川家のお膝元である近所の三原港に逃げ込まれてしまい、
>仕方なく取立てを諦めることが何度もあった。
>因島の当主・村上吉充は腹に据えかねて、この窮状を小早川隆景に訴えた。
>「因島は三島の中でも小身なのに、このような仕打ちは我慢できません。
>何卒よくお考えいただいて、違反がないよう御命令を出してください」
>「言いたいことはわかりました。ですが、海上のことは村上三家に一任していることですし、こちらからは何とも……。
>それに、海の関を逃げられることもそちらの不手際ではありませんか。新蔵人(吉充)よ、そのような申し出は通りません」
>素気無く断られた吉充だが、一度では諦めなかった。
>今度は配下の若者たちを動員して一斉に奉行所に訴状を出させたのだ。
(続く)
0789人間七七四年
2014/11/08(土) 19:45:58.73ID:KJkpXf/2>(隆景様御機嫌悪鋪、仰出され候は、)
>「三原へ逃げ込んできた船に、いちいち通行料免除をしなければいけないこちらも迷惑なのですよ。
>しかしどこの国の船であろうと、助かりたい一心で飛び込んできた者を助けないのもまた不仁。
>私に船を助けてはいけないと言うのであれば、その方もまた船を襲うことをやめるべきです。
>大体、元就様から過分の恩地を頂いておきながら『小身なのに』とは何ですか。欲張るのはやめなさい。
>海賊と言うものは所詮犬のようなもの。運送の荷船は鹿や猿だ。
>犬が鹿や猿を取ったからと言って、『よしよし、よくやった』と褒めるのは猟師くらいのものだ。
>元来犬の方が横暴なのに、鹿取る犬を誰が当然のようにもてはやそうか」
>と因島の驕りを久々に睨みつけたので、吉充は困惑してしまった。
>隆景腹心の乃美宗勝や磯兼左近大夫に取り成してもらい、何度も侘びを入れて許してもらったと言う。
>これより以前、足利義昭を毛利家が警固することになった時、因島の吉充に漕船及び警固船出動の命が下ったが、
>遅刻してしまったことがあり、その時も「隆景様御機嫌そこね、御しかり成され候」
>その後、引退もし損ねた吉充は乃美、末長、木谷ら小早川家重臣たちから代わる代わる説教責めにあったそうな。
>毛利・小早川に最も近い村上水軍棟梁の、意外な素顔である。
(三島海賊家軍日記)
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