>大坂の役の後、徳川家康は二条城で御宿勘兵衛をよく知るという同郷の者を
>召して話を聞いた。その時、その者が勘兵衛のことだけでなく、国府台の戦いで
>名をあげたと口を滑らせたところ、

>「お前は永禄の年に生まれたと言ったが、国府台の戦いといえば、
>北条氏康は五十前後、氏政は二十六か七ほどの頃だったはず。お前はその頃、
>四歳か五歳だろう。どうして従軍できる?デタラメを申しおって、さっさと失せろ!」

>と、家康を激怒させてしまった。

>「あのような嘘吐きが家人にいては風紀が乱れる。きつく罰してやる」

>家康はそう言ったが、まもなく死去したのでその者が罰せられることはなかった。