>大坂の陣にて、塙直之が蜂須賀至鎮に夜討を仕掛けた時、
>至鎮の家臣、稲田九郎兵衛は十五歳にして大功を立てたので
>徳川家康から感状を下された。

>この時に家康が近臣に向かって曰く、

>「子に名前をつける時はきちんと考えなければならないな。
>九郎兵衛はわずか十五だというのに、無闇に大人らしい名前を
>つけるから散々なことになる。

>何丸とか何若とかつけておいたなら、今度の働きも珍しいこととして
>評判になるだろうに。いやー、惜しい惜しい。皆もよくよく心得ておけよ」

――『徳川実紀(天元実記)』