【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
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0001人間七七四年
2012/10/15(月) 00:12:08.25ID:RhmDVWTD戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
戦国ちょっといい話34
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344541435/
戦国ちょっと悪い話33
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344939207/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0233人間七七四年
2013/06/15(土) 23:45:02.84ID:wTD5YiTEお客様意識だけは旺盛だな。
0234人間七七四年
2013/06/16(日) 18:59:04.96ID:kMgbpA59有名武将ネタで逸話のネタを食いつぶされたり
する
0235人間七七四年
2013/06/17(月) 01:56:20.61ID:IZie7/be重複言われながらも違うリアクションが望める。
0237人間七七四年
2013/06/20(木) 20:32:13.71ID:CjYL87PR0239人間七七四年
2013/06/24(月) 00:28:57.18ID:UbYFj4dG0240人間七七四年
2013/07/10(水) NY:AN:NY.ANID:k9boFGfpあれだけの人物はなかなかいないし
0241人間七七四年
2013/07/10(水) NY:AN:NY.ANID:qTj0IqCx0242人間七七四年
2013/07/10(水) NY:AN:NY.ANID:RpobohGv最近の鬱大河に一石を投じる作品になりそうだ
0243人間七七四年
2013/07/10(水) NY:AN:NY.ANID:pcneB+wF善悪かかわらず自分の行為に後悔がないのがいい。
0244人間七七四年
2013/07/10(水) NY:AN:NY.ANID:TwmWwUkD妻が武家の女でありながら「戦は嫌にござります」と家康に啖呵切ったとか、
諸国を遍歴してた時に浪江町のあたりにいたことにすればあるいは。
0245人間七七四年
2013/07/11(木) NY:AN:NY.ANID:dlaaxiSlもしくは聖人君子にさせられるか
0246人間七七四年
2013/07/11(木) NY:AN:NY.ANID:Uh83fb2O0247人間七七四年
2013/07/11(木) NY:AN:NY.ANID:wvtNuZ/B宇喜多・松永・津軽「それがしもできよう」
0248人間七七四年
2013/07/11(木) NY:AN:NY.ANID:pihGujQwいや、ここ数年はだいぶ変わりつつある。
去年の平清盛なんて特に後半はかなり俗悪に描かれていたし、
八重だって弟を殺された復讐のために銃をとるような描写だし。
0249人間七七四年
2013/07/12(金) NY:AN:NY.ANID:iXXGwv6K現代劇では割と評価高い人みたいだけど
0250人間七七四年
2013/07/12(金) NY:AN:NY.ANID:rAgjHa3a鎮房sageしまくって正当化しそうで怖いわ
0251人間七七四年
2013/07/15(月) NY:AN:NY.ANID:RrJsuPiC0252人間七七四年
2013/07/16(火) NY:AN:NY.ANID:W2MS7Yzw軍記ベースとは言え、個人の戦果でこれほどなのってあんまり無い気がする
編集された方、お疲れさまでした
0253人間七七四年
2013/08/28(水) NY:AN:NY.ANID:S0YR5kHeなにも残ってないんだろうか。
鹿介に殺されたことで、勇士だったらしいという話だけが語り継がれるのは、
本人にとって不本意だろうなといつも思う。
0254人間七七四年
2013/08/29(木) NY:AN:NY.ANID:1tgxM5pSとはいえ実力を持っていながら具体的に発揮する事なく歴史に名前が残る事もなく退場していった人はかなりの数いると思うし
菊池音八もそういう一人なのかも
0255人間七七四年
2013/08/29(木) NY:AN:NY.ANID:0AvAjFMu0256人間七七四年
2013/08/29(木) NY:AN:NY.ANID:0AvAjFMu>穏やかな小松殿がなぜあんな事を
戦国いい悪いスレで小松殿といったら信之嫁がまず浮かぶのでなんかワロタ
0257人間七七四年
2013/08/29(木) NY:AN:NY.ANID:+J/UFkAH0258人間七七四年
2013/08/29(木) NY:AN:NY.ANID:L8wdd/lK0259人間七七四年
2013/09/12(木) 20:19:20.78ID:He0j1LFf水野勝成
各務元正
十時連貞
安田作兵衛国継(天野源右衛門貞成)
勝成さんは小説はあるらしいね。
0260人間七七四年
2013/09/13(金) 12:38:01.09ID:dJ/wW2me0262人間七七四年
2013/09/14(土) 15:06:31.67ID:3SM9mdo60263人間七七四年
2013/09/14(土) 17:45:52.96ID:36Ne1IAR宇喜多直家が汚い手を使いまくって島村盛実や浦上宗景やらに倍返ししてくストーリーもアリなんじゃないかと思う
0264人間七七四年
2013/09/15(日) 07:27:57.92ID:5y2s8sJc安田国継と天野源右衛門が別人って設定の短編小説があったと思う。
たしか「こぶ取り作兵衛」だったかな
0266人間七七四年
2013/09/22(日) 13:02:09.80ID:AnC5gjXE備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/
0268262
2013/09/23(月) 17:05:54.19ID:cIOYa3qU0269人間七七四年
2013/09/23(月) 17:29:37.15ID:MpUMZRaVそういうイメージなら立花宗茂あたりとか
関ヶ原で本軍が敗退→戦争続行を望むも総大将毛利輝元が東軍に帰順→梯子が外される形で国元へ落ちる
→如水・清正・鍋島らに攻城される→頑強に抵抗→攻城側説得により降伏
→君臣苦労した浪人生活→大阪の陣で名誉挽回
0271人間七七四年
2014/06/17(火) 14:41:35.52ID:FWw/WY5Oこの話、少なくとも史籍集覧の老人雑話には乗ってないんだが、どの老人雑話に乗ってるかわかる人いる?
0272人間七七四年
2014/06/27(金) 19:33:37.55ID:1s5amA/m0273人間七七四年
2014/10/22(水) 23:13:01.43ID:yqBUAMVU0274人間七七四年
2014/10/22(水) 23:14:27.47ID:yqBUAMVU0275人間七七四年
2014/10/22(水) 23:16:39.38ID:yqBUAMVU0276人間七七四年
2014/10/23(木) 00:35:58.17ID:VE5BorVWそんな時に病を治すことができるという者がいて、家康の病を治すために呼び出された。
ところがその者の治療法というのが珍妙であった。まず、その者は屏風の陰に立って
「さあ参るぞ参るぞ」と言うので、家康は「何をするつもりだ」と笑った。
すると今度は丸く括った帯を蛇のようにして投げ出したので、家康はただ可笑しく思って
いるだけで、病気はまったく治らなかったということだ。
身分の低い農民などの療法を家康のような高貴な人に使って、病気を治し大手柄を立て
ようと考えるとは、滑稽な話である。
慶長五年の七月頃に家康はオコリになったというから、これはその頃の話であろう。
――『徳川実紀(古老夜話、武徳編年集成)』
0277人間七七四年
2014/10/23(木) 00:37:08.74ID:VE5BorVW信長だったら世を欺く輩と言って成敗するんだろうな、と思うと
そのあたりがいい悪い別にして、君主としての違いにもつながるんだろうな、とか感じた
0278人間七七四年
2014/10/23(木) 09:01:55.29ID:K4buO+0w危ないもんにかかってたんだな
0279人間七七四年
2014/10/23(木) 09:03:04.91ID:K4buO+0w梅毒もこの頃からか
0280人間七七四年
2014/10/23(木) 09:39:56.41ID:K4buO+0w0281人間七七四年
2014/10/23(木) 09:41:35.45ID:K4buO+0wそれより前から流行してたのか>穴山梅毒
しかしコロンブスから100年で日本までというのがすごいというのかなんというか
と思ったら日本での初発は1512年だった(20年で全世界一周)
0282人間七七四年
2014/10/23(木) 10:16:28.31ID:K4buO+0w0283人間七七四年
2014/10/23(木) 10:17:50.12ID:K4buO+0w0284人間七七四年
2014/10/23(木) 11:46:10.75ID:K4buO+0w0285人間七七四年
2014/10/23(木) 12:07:55.34ID:GtLMQmz2感染の温床になりそうな遊び場所はあっただろうし。
0286人間七七四年
2014/10/23(木) 12:08:51.42ID:GtLMQmz20287人間七七四年
2014/10/23(木) 12:40:22.95ID:GtLMQmz20288人間七七四年
2014/10/23(木) 12:41:10.85ID:GtLMQmz2子供作ってるな。全部お家騒動の元になってたりw
0289人間七七四年
2014/10/23(木) 12:42:05.07ID:GtLMQmz20290人間七七四年
2014/10/23(木) 13:14:04.77ID:GtLMQmz20291人間七七四年
2014/10/23(木) 13:14:57.03ID:GtLMQmz2→キニーネ発見されてないからマラリアで死ぬ
0292人間七七四年
2014/10/23(木) 13:15:55.37ID:GtLMQmz2アジアへはヴァスコ・ダ・ガマの一行が1498年頃インドにもたらし、
日本には永正9年(1512年)に中国より倭寇を通じて伝わったといわれている。
0293人間七七四年
2014/10/23(木) 18:38:34.07ID:HU+Q19xg0294人間七七四年
2014/10/23(木) 18:39:32.38ID:HU+Q19xgやることやってもお腹が目立たなければ当人同士の秘密でなんとかなるけど・・・
0295人間七七四年
2014/10/23(木) 19:26:56.77ID:HU+Q19xg日本人修道士ロレンソのポルトガルへの報告書によると
三好長慶自身もヴィレラを京都立売町の三好邸にて引見し、布教許可の制札を与えたと言う。
朝廷や公家・寺社など、いわゆる権門がキリシタン排除一色に固まっていたのと異なり
長慶には天竺から来たと言う異形の僧侶を嫌悪する事はなかった。
さきに義輝が免許を与えたのも長慶の黙許があった為と言われている。
とまれ、将軍、長慶らの布教許可と保護は迫害に泣かされていたヴィレラとキリシタンの人々に大きな希望を与えた。
〜中略、逸話まとめの結城弥平次のキリシタン改宗と久秀の話が間に入り
結城氏らを受洗させた後、ヴィレラは飯盛城に三好長慶を訪れた。
フロイス『日本史』によれば
〜国主は彼を大いなる愛情と慇懃さをもって迎え、ゆっくり聖なる副音の説教を聞き
長慶『確かにこのキリシタンの宗門のことは、すべてが余には非常に良いものと思われる。
余は出来る限り、教会とキリシタン宗団を擁護しよう』と述べた
国主がこのように好感を抱いたので、その家臣(結城)達ははみな、非常に慰められ意を強くし安堵した〜
と記されている。このように長慶自身の言葉を直接記したものは、長慶自筆の書状以外極めて珍しく
西洋の記録であるからこそ残ったと言える史料である。
いずれにせよ、長慶が久秀と異なってキリスト教に理解と保護を示していた事は明らかである。
しかし長慶自身の精神生活は法華宗の熱心な壇徒であって、また酒井南宗寺・笑嶺宗訢に参禅する仏教信仰が基本生活であった。
流石は長慶のバランス、当時の宗教勢力全て網羅してるわ。
0296人間七七四年
2014/10/23(木) 19:27:52.91ID:HU+Q19xg会津を任せるに相応しい人物は誰かと考えていた。
そこで自分が相応しいと思う人物の名を書き記し、徳川家康にも
同じようにさせた。書き終わった後に札をひらくと、
秀吉が第一に堀左衛門、第二に蒲生飛騨守。
家康が第一に蒲生飛騨守、第二に堀左衛門、という結果になった。
秀吉は掌を打って「さてさて、名将の思慮は不思議にも一致するものだ。
順序は違えど、選んだ人物が同じとはな。徳川殿はいかなる心をもって
このように見定めたのか」と言った。
「まずは殿下の尊慮をうけたまわりたく思います」
「奥州の人は情の強き者なれば、左衛門のごとき者でなければ
鎮座することはできないだろうと思ったのだ。だから左衛門を第一とした」
「では某の愚意ですが、屈強な奥州人を左衛門のごとき猛烈な者に
治めさせれば、諺にいう『茶碗と茶碗の出合』のごとく、いずれ片方が
砕けることは避けられないでしょう。
氏郷は武略は言うに及ばず、文学にも志深く、和歌茶道を心得ており、
性質も温和です。そのような風流人ですから、屈強な奥州人を治めさせるには
もっとも相応しいであろうと思い、第一に記しました」
家康の意見を聞いて秀吉は「なるほどその通りだ。良い所に気付いたな」
と言い、ついには氏郷を選んだ。
――『徳川実紀(大業広記)』
0297人間七七四年
2014/10/23(木) 19:28:57.16ID:HU+Q19xg手取川で織田軍を叩き潰した謙信は新谷源助を使者として、信長に「北近江辺りにて正々堂々と一大決戦をしよう!」と申し入れた。
この申し入れに信長、
「謙信殿の弓箭は摩利支天の所業に似て、日本国中、これと比肩するものはない。
本心で謙信殿が上洛されるとあらば、この信長は路地まで出むかえ扇を一本腰にさし一騎で乗り込み、信長めにござる。降参つかまつると申し、都の案内を致したならば、いくら謙信でもこの信長が骨身を砕いて取った天下を取り上げることもなかろう。
さすれば、信長は西国、謙信は東国を治められ、両旗で禁裏を守護つかまつることに致そう」と返答を返した。
(北越軍記)
0298人間七七四年
2014/10/23(木) 20:02:50.02ID:HU+Q19xg御他界なさるまでに百萬両に達する貯金を作られた。
その内から尾張殿と紀伊殿に三十万両づつ、水戸殿へ十万両を御遺金として進呈され、残りの三十万両は
江戸の御金蔵に入れておくべきか伺いを立てたところ、そのまま駿府に残しておくように、とのことであった。
大納言忠長卿(秀忠次男)が駿河を拝領された時、この三十万両はおそらくお城に付いているものであると
皆思っていたが、この資金の所属についての明言がなかったので、忠長は幕府の御金を預かるのは迷惑であると
申し入れ、久野の御宮に御金蔵を作りそこに移した。これを世間では久野の御金と呼んで莫大な額があるように
言っていたが、ただ三十万両ではなかった。
それは尾張殿の江戸上屋敷が失火で消失した時の普請料として十万両、紀伊殿の和歌山城普請の時に十万両、
水戸殿には三万両を、それぞれ拝借が認められ、その後少しずつでも返済いただきたいと、幕府の勘定方から
お願いすると、尾張殿からの返答は
「私が拝借した御金はもともと権現様がご隠居料の中から貯えられたものであり、ご他界された時、遺金として
我々兄弟三人への御譲金の残りであり、それを我々が拝借したのだから返納する必要はない!」
と拒否し、紀伊殿、水戸殿も拝借金に対しては沙汰無しとなってしまった。
当時はその他の大名衆にも拝借金が認められていて、それぞれの借金は決まった通りに必ず返済されていた。
ところが伊達政宗の借金返済が滞ったので、これまた幕府勘定方より催促したところ、陸奥守忠宗からは
「私の代では拝借をしておらず、亡父政宗の代に借金があったとのことですが、どういう経緯で借金をしたのか
今は解りません。親の代に借りた御金ですから、親が生存しているうちに返上を申し付けられるべきなのに、
その時は放置しておいて私に返上しろとは、全く迷惑な話です!」
そう言って返済しようとしない。
また譜代大名の松平越中守の方でも拝借金返済が滞っており、これにも勘定方から催促すると、越中守は
「前に拝借した時、私の方からさし上げた証文があるはずなので、それを見えてもらえるか?」
と言うのでこれを取り寄せると、越中守はそれを見て
「うむ!私の覚えているとおりだ!皆もここに見えているように、『御貸し下され有難く存じ奉る御金の事』と書かれている。
これは『拝借を仰せ付けられた』とは私の解釈では『拝領を仰せ付けられた』ということなのだと考え一言書いたものである。
従ってこれは、返上の必要はないと思う。」
と、これもまた返済しようとしない。
この様なことがあったので、幕府からは今後もう、諸大名への拝借金は認めない、と言うこととなった。
(駿河土産)
0299人間七七四年
2014/10/23(木) 20:04:12.13ID:HU+Q19xg0300人間七七四年
2014/10/23(木) 20:44:20.16ID:HU+Q19xg借金を理由に伊達を取りつぶせばよかったのに
抵抗したら奥州征伐で。あの時代の武士って戦無かったからちょうどいい演習になるしな
0301人間七七四年
2014/10/23(木) 20:45:19.12ID:HU+Q19xg幕府が伊達とケンカして米の流通滞ったら物価経済の混乱で借金額なんぞとは
比較にならん損失出るんじゃね?
0302人間七七四年
2014/10/23(木) 20:46:33.18ID:HU+Q19xg全部取潰してやればよかったのに
0303人間七七四年
2014/10/23(木) 21:56:40.82ID:B3Hht4HI幕府としても、金のことで揉めるのはみっともないという考えがあったのかもね。
現代の感覚だと借金はどんなことをしてでも返さないといけないって感じだけど
当時の感覚とは相当な隔たりがあるんだろうな。
0304人間七七四年
2014/10/23(木) 21:57:40.42ID:B3Hht4HI0305人間七七四年
2014/10/23(木) 22:34:42.30ID:B3Hht4HI賭博の禁止を、厳重に申し付けた。
ところが桂菊右衛門と言う無足の者、法度にも関わらず毎晩他家に忍び出て博打を打っていた。
ある夜の事、菊右衛門は博打に勝って金・銀・刀・脇差など数多を取り、これらを雨羽織に包んで
打ち担いで帰る道、夜も明けようとしていた。
この道は如水が出仕のため通る道であり、行き合ってしまっては都合が悪い。如水が出仕の前に
帰ろうと道を急いだ。仮に行き合い、問い詰められたら、博打打ちに行ったわけではないと
言い訳しよう。その様に考えながら前の方を見ること無く急いでいたら、町の境目で
バッタリと行き合ってしまった。如水と。
菊右衛門大慌てである。心の準備もないまま出くわしてしまったのだ。パニックになった彼は
かの刀を担いだまま這いつくばり、聞かれもしないのに大声でこう叫んだ
「私は博打を打になんか行っていません!!!」
如水は、何も聞かなかった体で菊右衛門の横を通り過ぎた。
さて煩悶この上ないのが菊右衛門である。
「なんてことだ!あんなに取り乱してしまって、どうしようもないではないか!
この間法度を厳しく申し付けられたばかりだというのに…。きっと私は切腹を申し付けられるだろう!
こうなったらもう是非に及ばない。菊右衛門の奴は狼狽えてたわけたことをしたと、死後にきっと
馬鹿にされる!返す返すも無念だ。…どうしよう?」
そう思い悩んで長屋に帰り、すっかり草臥れていたのに寝入ることも出来ず、布団を打かぶって
まじまじとしていた。きっとガタガタ震えていたのだろう
さて、菊右衛門の大胆な告白を目の当たりにした、如水の出仕の時に供に付いていた者たちは
「おいおい何てことだ?コレはどうなっちゃうんだろう?」と、如水の出仕中座り込んで
囁きあった。
「絶対只じゃ済まないぞ。この間の博打禁止の法度は、普段よりも厳しく申し付けられた。
切腹は疑いようもないなあ…。」
そう考えると不憫に思い、供より帰ると直ぐに菊右衛門の部屋に我も我もと見舞い、さて、これからどうしよう
と話し合ったが、皆意見はまちまち
「とにかく逃げ出す以外はない!仰せ出される前に逃げろ!」という意見に菊右衛門
「いやいや、逃げ出すなんて出来ないよ。今朝すぐに逃亡しておけばどうって事も無く逃げ切れたの
だろうけど、あなた方が帰られ、こんなふうに相談してから逃げ出したら、あなた方が後から必ず
詮索を受けるよ。そうなったら私の逃亡先はバレて、またここに戻らされるだろう。
もう、とても逃れられない道だ。切腹を申し付けられたら外聞が良いように斬らせてくれ。」
そう行って逃げないことに決めた。傍輩達への信頼感はゼロである。しかし傍輩達
「そう思うのも理屈だけど、お前が逃げちゃえば、上から詮索受けても俺たち随分凌いでみせるぜ?
それでもどうしてもダメだったら、ま、その時は出てきて腹を斬れ。
そうした方が武士の手柄としても上だろう。さあ、急いで逃げる準備をしろ!急げ急げ!」
そんな風にしている所に突然、如水より御側衆の緊急の呼び出しがかかった。
すわ何事か!?何が起こったのか、もしや早くも菊右衛門の切腹の事かと口々に悔やみつつ、
取るものもとりあえず駆け出し集合してみれば、何のことはない、中間たちに居間の庭に竹垣を結ばせたが、
その結び様の手際が悪く、あれをほどいて手際よく結び直せ、との仰せ付けであった。
さては菊右衛門の事ではないと何れも安堵した。
0306人間七七四年
2014/10/23(木) 22:36:25.37ID:B3Hht4HIガタガタ震えていたが、一人走り戻ってきて
「博打のことじゃないぞ!垣を結べという事だ!」
と報告したので、菊右衛門、そして一緒に残っていた者たちはホッとして大息をついた。そして菊右衛門
「こういう仕事にはいつも出ている私が、ここで引き込んでいるというのも良くないだろう。
もう手討ちにあってもしょうがないさ。あなた方と一緒に行くよ。」
と言い出したので、傍輩たちも「それも尤もだ」として共に竹垣の直しに向かった。
さて、如水は居間の縁側からそれを見つけると「菊右衛門!菊右衛門!」と高々と呼んだ。
傍輩達はこれに
『すわ、博打の事だ!不安だなあ。だけども如水様は家来を手討ちにはしない人だ。その上
他家での手討ちをいつも批判しているほどなので、まさかここで私が手討ちにされることは
無いだろう。いつもみたいにしたたかに叱りつけると言う事なのだろう。
上手く行けばここで、この件に関しては埒が明くぞ!』
そう思いながら尻目に見ていると、菊右衛門はいかにも近くまで呼びつけられ何事か囁かれた。
傍輩達『これは博打のことではない。何か隠密の用でも仰せ付けられるのか?
それとも如水様は彼の常日頃の心立てをよくご存知なので、菊右衛門に直に申して、埒を明けて
下さるのだろうか?おや?菊右衛門も何か申し上げているぞ?多分博打のことだな。
如水様が申し開きを聞いてくださっているのだ。あら嬉しや』
そう囁き合っているうちに、如水から
「竹垣を直し終わり、掃除をしたら皆々帰って休め!よく骨を折ってくれた。上々の竹垣である。
これには気に入ったぞ!」と、悦びを伝えた。
彼らは庭を出るやいなや菊右衛門に「何事を囁かれたのか!?」と尋ねた。すると菊右衛門
「あの事ですよ。お前、昨夜は博打を打にどこに行ったのかと聞かれたんだ。
どこどこの殿の家中に参りましたと申し上げると、
『どうやら勝ったようだな。刀、脇差の他、金をどのくらい取ったのだ?』
私は五百目程取ったのだが、如水様の常日頃の気質を知っているので
『一貫目あまりだと思います。今朝からは殊の外悩み苦しんでいたので、金ももはや要らぬものと思い
打ち捨てていたので詳しくはわかりません』
と申し上げた。すると如水様は手を打って喜ばれ
『先ずは勝ったか!でかしたぞ!しかし小金を要らぬものと思うのも当然だ。法度を厳しく言いつけたのだから、
お前のやったのは近頃は危ないことだ。
まあ、お前が今朝のようなたわけた事をしたのも、法度を常々恐ろしく思っているゆえだろう。
それ程に思っているのなら、今後はいかなることも法度に背いてはならぬ。
良いか、何でも物事というのは、良い事の次には悪い事があるものだ。勝った時はしっかりとそこに留まれ。
お前の身体にとって昨晩の勝ちは重々しいことだ。今後お前の身代が擦り切れたと聞いたら、罰を
与えるぞ!構えて構えて、博打を打ってはならぬ。むざむざと物を人に与えて、身代が擦り切れないようにせよ。』
そう、念を入れて仰っられたのだ。」
菊右衛門ははその仰せを肝に銘じ、誓紙にするまでもなく、博打をやめた。
その後彼は如水より知行を与えられ、身体に過ぎる富貴を得、年老いて子に知行を譲り、一生楽をして
80歳に及んで死んだという。
桂菊右衛門が博打のバレた顛末、についての逸話である
(古郷物語)
0307人間七七四年
2014/10/23(木) 23:13:13.20ID:B3Hht4HI国力めちゃくちゃ低いんじゃない?
0308人間七七四年
2014/10/23(木) 23:14:03.87ID:B3Hht4HI0309人間七七四年
2014/10/23(木) 23:39:24.31ID:B3Hht4HI人口の割に収入はあるイメージだな。まあ、隣国などとの交易も大変そうだけど。
0310人間七七四年
2014/10/23(木) 23:40:23.63ID:B3Hht4HI小大名クラスならかなり美味しい話かも。
結局木材の安定供給のために木曽共々天領になっちゃたけど
0312人間七七四年
2014/10/24(金) 06:08:00.86ID:vAqS9hw40313人間七七四年
2014/10/24(金) 06:08:55.67ID:vAqS9hw40314人間七七四年
2014/10/24(金) 06:44:38.70ID:vAqS9hw40315人間七七四年
2014/10/24(金) 06:45:33.05ID:vAqS9hw40316人間七七四年
2014/10/24(金) 06:46:38.26ID:vAqS9hw4あと犬が自分以下だと判断した人間に対しては割と厳しい
0317人間七七四年
2014/10/24(金) 07:20:02.11ID:vAqS9hw4あれは農閑期だから兵を出したんじゃねーよ。謙信の書状にもあるが、古利根川の増水期を
避けだだけだ。増水期に大軍勢で無理に利根川渡るのは難しかったから、それを避けた。それだけの話。
帰国も農繁期に合わせたのではなく、再び増水期に入らないうちに帰っただけだ。
0318人間七七四年
2014/10/24(金) 07:21:19.28ID:vAqS9hw4用いなかったため、その領地を尽く失ったことは、尊師の既にご存知のところです。
彼はそれ以来五畿内のキリシタンに対し、心底からの憎悪の念を抱きました。
信長の死後、彼は大いに謙遜を示して羽柴殿(秀吉)に仕え、他の小姓と等しく茶の用を務めていました。
そして彼は海の司令官アゴスチニョ(小西行長)とその父が羽柴殿より寵を受けるのを妬み、
羽柴殿の前で密かに、また極めて巧みに彼らに対する重大なる偽の証言をしたのです。
彼が巧妙にこれを為したため、羽柴殿はこれを信じ、ジョーチンとアゴスチニョ父子の任を解き、
全キリシタンに大いなる打撃と恐怖の念を与えました。
ですが我等の主デウスは罪なきものに慈悲の目を向け給い、荒木は大いに信用を失い、
ジョーチンとその子アゴスチニョは最初に地位に復帰したのみならず、今はさらに恩寵を加えられ、その収入もまた
倍増するに至っています。
その荒木が羽柴殿と共に茶の湯の場にあった時、羽柴殿はジュスト(高山右近)の事について、その類い稀な
才知と善良なることを語り始めました。彼は荒木にとって甚だしき敵なので直ちにこれに答えました
「そうではありません。殿下が賞賛されている所は彼が外見を偽ったものであり、心中にそのような善良さは
持っていません。」
この言葉に羽柴殿は大いに怒り、彼を呼ぶのに再び「汝」という言葉を使って言われました
「去れ!かくの如き言葉を発してはならぬ!余は彼が内心も外見も異なる所がない事を良く知っておる!」
これによって荒木は直ちに羽柴殿の寵を失い、羽柴殿は再び彼を見ることを欲しませんでした。
荒木は多数の仲介者を通じて宥免を請いましたが、羽柴殿はついに彼を許しませんでした。
そして今度の戦争(小牧・長久手の戦い)において羽柴殿が多数の人を殺した時、荒木は都において彼を軽蔑する
発言をしました。この事が大阪にあった羽柴殿の夫人の耳に入り、彼女より使者を以って厳しく譴責されたのです。
荒木は羽柴殿が帰京した後、殺害されることを恐れて、妻と家を捨てて寺院に入り坊主となりました。
ですが果たして死罪を免れる事ができるかどうか、明らかではありません。
(ルイス・フロイス・天正12年次日本耶蘇会年報)
0319人間七七四年
2014/10/24(金) 08:29:42.82ID:vAqS9hw40320人間七七四年
2014/10/24(金) 08:30:42.76ID:vAqS9hw40321人間七七四年
2014/10/24(金) 17:29:20.96ID:zmoJljoEフロイスの記述は貴重な歴史なのに、もう少しフェアに記述されていれば・・・
0322人間七七四年
2014/10/24(金) 17:30:47.30ID:zmoJljoEもうちょっと長生きしてればジュストが追放されるのも
見れたのに
0323人間七七四年
2014/10/24(金) 17:31:51.67ID:zmoJljoE0324人間七七四年
2014/10/24(金) 19:09:32.97ID:zmoJljoEその男は極楽に入れるほどの善行を行っていなかったが地獄に墜ちるほどの悪行も行っていなかった。
閻魔帳を何度見直しても結論は出ない、そこで困り果てた閻魔は男に訪ねた。
閻魔「お前はこのままでは極楽にも地獄にも行けない。生前行った善行を言いなさい。」
男「はい、私は生前落ち度もない親族が無礼討ちの憂き目にあったので上役に訴えました。」
閻魔「なるほど、それで?」
男「一度は引き下がりましたが、勇気を振り絞って再び訴えました」
閻魔「それは勇気ある行動だ。で、それはいつの事だ?」
男「つい、四半刻前の事です」
0325人間七七四年
2014/10/24(金) 19:10:17.27ID:zmoJljoE0326人間七七四年
2014/10/24(金) 19:11:19.03ID:zmoJljoE0327人間七七四年
2014/10/24(金) 19:49:09.50ID:zmoJljoEその男は、昔から本願寺法主の本願寺顕如に是非会いたいと念願していた。
あるとき、御尊顔を仰げる機会があると聞いた男はついに思い立ったか
長年の夢を果たそうと新しく誂えた着物を着て本山へ向かう
そして、待ちわびている群集の中に紛れ込んだ
拵えの良い着物を着て目立てば、法主が自分に気付いて話しかけてくれるのではないかと思ったのだ。
法主は、ゆっくりと(そして男に気づく気配もなく)人々の前を歩いて来た。
そして、ひとりの乞食にその慈顔を向けると、穏やかな笑みを浮かべて乞食に何か語りかけ、通り過ぎていったのである。
男はとても反省した。
いい服を着て法主に目を留めてもらおうなんて、自分はなんて汚い考えを持っていたのだろう。
貧しき者にこそ、仏は慈悲深き目を向けるのである。
「それでも一言でもお言葉を頂きたい」
一計を案じた男は、先程の乞食に頼んで、銀一枚で自分の服と乞食の服とを交換してもらうことにした。
次の日、また法主が人々の前に顔を見せた
すると法主は乞食の服を着た男に近づいてきたのである。
「念願が叶った!」
そして、男の耳に口を寄せると、優しい声でこう言われた。
法主「昨日、目障りだから失せろと言ったハズだぞ」
男「………………」
0328人間七七四年
2014/10/24(金) 19:50:13.70ID:zmoJljoE0329人間七七四年
2014/10/24(金) 20:31:46.66ID:zmoJljoEその中の一人は老年の身分高い武士に嫁ぎ、名をマグダレナと言います。
彼女は王妃の秘書であり、大いに妃に重んぜられ、他の2,3人よりも親愛を受けています。
彼女はデウスが城中に置かれた一の明星であり、その行動と模範によって他の全ての異教徒を照らしています。
彼女は常に霊魂のことに意を注ぎ、甚だ多忙であるにもかかわらず、毎日3回数珠を操り、筑前殿及び夫人の前においても
少しも恥ずること無く祈祷を捧げ、他の婦人達の嘲笑を受けても、少しも心を乱さず、賢明に、親しく彼女らと
交わっておられます。その様であるので宮殿の婦人たちは全て彼女を頭に立つものとして遇し、羽柴殿すらも
彼女の正しい行動を認め、また王妃は日々一人で彼女と相対し、常々我等キリシタンのことを語り、また聞くことを
喜び、キリシタンの教えについて賞賛されています。彼女は常々我々の聖堂に来て懺悔を行います。
マグダレナには最愛の娘が一人あり、筑前殿は大変にこの娘を信用し、金銀は尽く彼女の手を通り、収納も分配も
全て彼女の手に委ねられています。
娘はその徳においても母マグダレナに劣ることはありません。
ところでその母が我々に語った一つの事例があります。
これは実に驚嘆すべき事であり、またキリシタンに対するデウスの大いなる摂理の認められることであります。
それは羽柴殿がマグダレナ、そしてその娘に対して、今まで手を触れた事もなく、また邪悪と認められる言葉を
用いたことがない、という事実です!
彼は城中にある他の婦人に対しては戯れるのが常のことなのに!
日本における異教の婦人の名は笑うべきものであり、信長などは彼女らに男子の名前をつけていましたが、
羽柴は戦争に出る前に、マグダレナの勧めに従って、全てにキリシタンの聖人の名をつけました。
それは宮廷において今もなお使われています。
(ルイス・フロイス、天正12年次日本耶蘇会年報)
0330人間七七四年
2014/10/24(金) 20:32:43.46ID:zmoJljoE0331人間七七四年
2014/10/24(金) 20:33:38.70ID:zmoJljoE0332人間七七四年
2014/10/24(金) 23:03:02.02ID:yZKXiYRfかいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ
くうねるところにすむところ
やぶらこうじのぶらこうじ
ぱいぽ ぱいぽ ぱいぽのしゅーりんがん ばきゅーん☆
しゅーりんがんの ぐーりんだい
ぐーりんだいの ぽんぽこぴーの ぽんぽこなーの
ちょうきゅうめいのちょーおーすけ!
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