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【戦術】戦国時代の軍事学【戦略】

レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001人間七七四年2012/08/04(土) 23:21:52.40ID:o+bXyiEt
戦列歩兵はどう並んでいたのか
決戦兵力としての予備兵はいたのか
車懸りとは? 鶴翼や魚鱗? 付城、野戦築城とは?

意外と謎だらけな戦国時代の軍事学について色々と語るスレです
0938人間七七四年2015/01/26(月) 18:17:47.97ID:9GHiOq38
>>937
兵糧は運ぶ部隊があるんじゃないの?
三国志なんかではよくそれが戦のポイントになってる。
0939人間七七四年2015/01/26(月) 18:41:29.96ID:ny3Q/lXs
>>936
逆に輜重(人夫)も定数に入れて管理しているのは凄いかも
ナポレオン軍でさえ、軍団付き装備輜重中隊や砲兵付き輜重中隊の人員を、民間人→軍人化や定数化したけれど、その他では相変わらず定数外の民間人頼りだったし
0940人間七七四年2015/01/26(月) 18:55:03.70ID:YEWY6uVy
軍役のいわゆる「人夫役」がそのまま輜重部隊の事だからな
0941人間七七四年2015/01/26(月) 19:54:12.69ID:ibDwBJG6
人夫にするより兵にして食料その他の輸送は商人に任せるでもよかったのになんでそうしなかったんだろう
そのほうが兵士の全体数は増えそうだが
0942人間七七四年2015/01/26(月) 20:00:06.86ID:YEWY6uVy
>>941
兵糧に関しては商人の輸送が中心だぞ。例えば小田原役の時、豊臣軍は清水に兵糧を集積したが、
その後はそれを商人に売り、商人が各地へと売り歩いた。
0943人間七七四年2015/01/26(月) 20:02:13.65ID:ibDwBJG6
>>942
商人がそのままぞろぞろ着いてくるパターンじゃあかんかったんか
0944人間七七四年2015/01/26(月) 20:09:32.39ID:YEWY6uVy
>>943
当時の商人は基本ローカルな存在で輸送力も限られるから、遠征の場合頼り切るわけにもいかないからな。
朝鮮の役の時も兵糧は釜山に集積したけど、そこから先は商人が運んだ。
0945人間七七四年2015/01/26(月) 20:16:48.55ID:ibDwBJG6
>>944
なるほど
商人の輸送力には限界があったから自前で輸送力を調達するしかなかったのか
0946人間七七四年2015/01/26(月) 20:23:31.81ID:Vh45Yi01
>>938
大名がつれてた大荷駄隊がイメージ的に該当するかな

>>941
それもやってた。前線まで商人が持ってきて、あるいは当地の商人から買って
最前線までは自分の小荷駄隊で持っていくのが当時のスタイル
0947人間七七四年2015/01/26(月) 20:27:24.50ID:Vh45Yi01
つか輸送要員多すぎって意見みたいだけど。人力馬力なうえ輸送隊も飯食う中世だから
この戦闘員比率でも10日ほどしか行動できなかったんだぜ。
人類最大の非生産軍団なめちゃいけねえ。
0948人間七七四年2015/01/26(月) 20:28:09.49ID:ibDwBJG6
>>946
ある程度までは商人でそこから先は自分たちで持って行ってたのね

兵士相手に商売する小売の商人はどれくらいいたんだろう?
0949人間七七四年2015/01/26(月) 20:34:25.85ID:+qG9nQ+y
戦場で弁当を売ったきり丸
0950人間七七四年2015/01/26(月) 22:54:36.57ID:9s0UbVG0
三方ヶ原の合戦が行われているのに営業をしていた茶店
家康に小豆餅を売った(もちろんフィクションです)
0951人間七七四年2015/01/27(火) 00:52:45.20ID:Ohxi/MQW
あんな時に茶店なんか開いてたら屈強な男達に輪姦されちゃうよな
0952人間七七四年2015/01/27(火) 01:42:07.79ID:QQ6/vjjX
>>951
婆さんだぞ
武田の騎馬武者よりも徒歩で走るのが速い(もしくはスタミナがある)婆さんではあるがw
0953人間七七四年2015/01/27(火) 20:58:14.70ID:RyYwxSrg
>>933
疑問に思ったのは人数の部分です

>使武者四騎、下人四人ヅツニシテ主共ニ二十人
使武者4騎に下人が4人ずつなので1騎+4人が4組で計20人
ですが、
>組頭二騎、下人五人連ニシテ主共ニ十人ナリ
組頭2騎に下人5人ずつでは1騎+5人が2組で計12人のはず
ですが10人ナリとなっている部分です。
0954人間七七四年2015/01/27(火) 21:32:08.94ID:Q+MnXLLk
昔の書物はよく単純な計算間違えてるからただの間違いじゃね
0955人間七七四年2015/01/27(火) 22:00:51.84ID:CaPvmyJg
江戸時代の軍学のテキストが甲陽軍鑑だったらしいが、
この数字の矛盾ってどう説明してたんだろなw
0956人間七七四年2015/01/27(火) 22:16:14.49ID:gHsdQF2i
その当時の軍学のテキストなんていい加減なところあったんじゃない?
解体新書が来るまでの医学書がいい加減なものだったように。
0957人間七七四年2015/01/28(水) 00:01:04.98ID:hmAnnXXJ
>>931
>各奉行人 238人

この中身は、各指揮官とその供回り、伝令、雑用、特殊部隊、旗本部隊なだなどだな
0958人間七七四年2015/01/28(水) 00:43:18.89ID:DvY+KoLf
何処から出てきたのか特殊部隊
0959人間七七四年2015/01/28(水) 00:50:02.54ID:iB86GM6H
こやつ忍びの者か
0960人間七七四年2015/01/28(水) 01:26:42.56ID:hmAnnXXJ
>>958
>三、長柄槍三十本、士大将ノ持槍二十本合而五十本、之レヲ持ツ者五十人
>四、拠旗七本内二本ハ大将ノ馬印ナリ、五本ハ三ノカケノ小旗ナリ、之レヲ持ツ者一本ニ付三人宛ニシテ人数十五人ナリ

面倒だからこれを特殊部隊とした


>五、歩若党三十人、小者仲間合而五十人

これを旗本とした。本部付けの部隊だろうな
0961人間七七四年2015/01/28(水) 09:29:55.89ID:xgaMglQt
特殊部隊ってのは忍者じゃなくて、城攻めの時の穴掘り部隊とかじゃないの?
信玄のそれで有名な
0962人間七七四年2015/01/28(水) 10:31:42.81ID:RlVQHBEQ
>>960
特殊部隊よりも普通に足軽部隊で良いかと
0963人間七七四年2015/01/28(水) 10:38:52.41ID:xgaMglQt
特殊部隊なんて名前は誤解を招きやすい
0964人間七七四年2015/01/28(水) 12:03:45.15ID:DvY+KoLf
>是ハ士大将、者頭、物奉行人数二百三十八人
侍大将から奉行までの各指揮官の指揮下の人数。
いわゆる戦闘員数だと思うよ。いまいち数合わんけど
0965人間七七四年2015/01/28(水) 18:52:10.61ID:Qr4FCpEu
>>961
信玄の穴掘り部隊って地面以外の物掘りそうなんだけど
0966人間七七四年2015/01/28(水) 20:47:36.01ID:OKh/KCdf
それはそれで恐怖だしいいんじゃね
0967人間七七四年2015/01/28(水) 21:52:39.72ID:ai5r17gE
>>965-966
掘られた高阪弾正は浮気の弁明の手紙に感激してるほどだぞ
0968人間七七四年2015/01/28(水) 22:06:39.58ID:bTbqG0Ly
あの釈明の手紙って相手が高坂昌信っていう根拠が実は無いらしいな
「源助」ってあるけどそれと高坂昌信が繋がらないらしい
0969人間七七四年2015/01/28(水) 22:07:53.48ID:aq6CIIcU
信玄の穴掘り部隊♂
0970人間七七四年2015/01/28(水) 22:23:24.49ID:ai5r17gE
>>968
え、そうなのか
一次史料だと思っていたよ
0971人間七七四年2015/01/28(水) 22:33:30.01ID:EPXENs12
>>970
名前の所は後から書き加えられてるし
0972人間七七四年2015/01/28(水) 23:29:40.36ID:DvY+KoLf
春日虎綱「そもそも源助ってだれ?俺、源五郎なんだけど・・・」

いいめいわくだなw
0973人間七七四年2015/01/28(水) 23:44:27.23ID:ai5r17gE
東大に史料として保管されているのにね>あの釈明の手紙
0974人間七七四年2015/01/29(木) 00:20:52.78ID:G/ks3OQK
>>972
いい迷惑?
信長と利家(鶴の吸い物の話)件見るまでもなく
当時は殿様の男色の相手にされるのは名誉なことだったんじゃなくて?
0975人間七七四年2015/01/29(木) 00:31:34.50ID:HSAKekJJ
>>974
そもそも信長と利家の関係も、男色ではなく主君の夜間警護である「舎人」以上の意味はなかったとすら言われている。
0976人間七七四年2015/01/29(木) 00:36:20.50ID:u7aK/O7y
御譜代家老衆

一、馬場美濃守 旗白地黒山道 百廿騎
一、内藤修理正 旗色白地どうあか 二百五十騎
一、山県三郎兵衛 旗黒地に白桔梗 三百騎
一、高坂弾正 旗くちばの四方 四百五拾騎
一、小山田弥三郎 旗色きれてみえず 二百(五十)騎
一、甘利左衛門ノ丞 旗白赤晴(段)々 百騎
一、栗原左兵衛 旗白地黒わくのて 百騎
一、今福浄閑(同息 兄丹波守 弟市左衛門) 旗きれて見えず 七十騎
一、土屋右衛門ノ丞 旗黒地に白鳥井 百騎
一、秋山伯耆守 旗きれてみえず 五十騎
一、原隼人佐 旗色きれて見えず 百廿騎(内五十騎は外様近習)
一、小山田備中守 旗色きれてみえず 七十騎
一、跡部大炊助 旗色きれて見えず 三百騎
一、浅利 (旗)きれてみえず (三百)百廿騎
一、駒井右京 (旗)きれて見えず 五十五騎(内五十騎外様近習、常は在郷に居る)
一、小宮山丹後 (旗)きれてみえず 三十騎
(一、跡部美作 旗色きれてみえず 五十騎)



高坂昌信の兵力が異様に多いんだよな〜
上杉謙信への抑えだからか?
0977人間七七四年2015/01/29(木) 02:08:35.94ID:Ae3h8cLd
亜相公御夜話って史料として信用できるのかどうかだな
0978人間七七四年2015/01/29(木) 08:16:13.41ID:3UKbetYB
>>976
本人の家格が低いと当然、直臣の数も少ないので
その分多く寄騎が付属されることがある
0979人間七七四年2015/01/29(木) 12:47:02.51ID:KeleVGbF
そりゃそうだ
0980人間七七四年2015/01/29(木) 19:02:34.76ID:8bA7aSFE
『検証 長篠合戦』読んだ

当時の銃弾の成分分析とかは面白かった
ここだけでもこの本読んだ価値があった
できればもうちょい火薬入手ルートについて細かくやってほしかった


疑問だったのが騎馬について
戦馬には日常的な訓練が必要としながら戦時には農耕馬から選抜して
戦馬にしてたというように矛盾するような記述がされてる
騎兵突撃が行われていたとする戦例もかなり小規模なものが多いように感じた

でもまあ全体的に面白かったわ
0981人間七七四年2015/01/29(木) 19:22:36.29ID:rvD6B0aD
>農耕馬から選抜して
へぇ何ページ?ちょうど読んでるところなんだ。
0982人間七七四年2015/01/29(木) 19:30:45.51ID:8bA7aSFE
>>981
159ページ
0983人間七七四年2015/01/29(木) 19:48:08.49ID:rvD6B0aD
これは、そこだけ斜め読みしただけだからアレだけど要約すると、
「武士の馬は軍馬専属の訓練をつんだもの、
そこまで余裕の無い地侍や軍役衆は兼用したたんのではないか、ちゃんとそれなりに選抜した上で。」
ちゅう話で、特に根拠がなさげなのは問題だけど矛盾とまではいえないと思う。
0984人間七七四年2015/01/29(木) 19:55:21.37ID:rvD6B0aD
斜め読みで答えたら失礼だな。ちゃんと読んでおくから忘れてくれw
0985人間七七四年2015/01/29(木) 19:56:43.39ID:8bA7aSFE
武士=軍役衆では?
0986人間七七四年2015/01/29(木) 19:59:22.86ID:8bA7aSFE
>>984
俺も正直戦国時代のことそこまで詳しくないから頓珍漢なこと言ってるかもしれんのでお互い様ということで
0987人間七七四年2015/01/29(木) 20:21:50.32ID:HSAKekJJ
>>985
この場合はいわゆる「在村給人」の事だろう。
0988人間七七四年2015/01/29(木) 21:03:46.80ID:8bA7aSFE
>>987
職業戦士的な存在ではないのか

というか戦場に農耕馬を連れて行っても戦えない気がするんだがどうしてたんだろう
0989人間七七四年2015/01/29(木) 21:21:27.31ID:HSAKekJJ
>>988
そりゃ輜重部隊でしょ
0990人間七七四年2015/01/29(木) 21:32:15.93ID:8bA7aSFE
>>989
軍役には人夫が含まれてないみたいだから別だと思うんだが
0991人間七七四年2015/01/29(木) 22:28:21.70ID:3UKbetYB
軍役書で示されているのは戦闘装備だけだから、
兵站は自分で見繕えということかと
0992人間七七四年2015/01/29(木) 22:29:29.04ID:u7aK/O7y
御親類衆

一、武田典厩(様) 旗黒地に白丸 二百騎
一、逍遥軒(様) 旗色きれて見えず 八十騎
一、勝頼公 旗白地に大文字 二百騎
一、一条右衛門大夫殿 旗白地にすそあか 二百騎
一、武田兵庫殿 旗色書付なし (百)十五騎
一、武田左衛門(佐)殿 旗色書付なし 百騎
一、仁科殿 旗色きれてみえず 百騎
一、望月殿 旗色きれて見えず 六十騎
一、かづら山殿 旗色書付なし 百廿騎
一、板墻殿 旗色書付なし 百廿騎
一、木曽殿 旗色書付なし 二百騎
一、穴山殿 旗色きれてみえず 二百騎


木曽の領土は5万石強ってところかな?
0993人間七七四年2015/01/29(木) 23:01:45.10ID:4Fno5r0+
黒色をつかった旗が多いのはやっぱり視認性が高いからなのかな
0994人間七七四年2015/01/30(金) 00:00:12.69ID:LLbsf/ME
染めるのが楽だからかもね
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。