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【戦術】戦国時代の軍事学【戦略】

レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001人間七七四年2012/08/04(土) 23:21:52.40ID:o+bXyiEt
戦列歩兵はどう並んでいたのか
決戦兵力としての予備兵はいたのか
車懸りとは? 鶴翼や魚鱗? 付城、野戦築城とは?

意外と謎だらけな戦国時代の軍事学について色々と語るスレです
0882人間七七四年2015/01/23(金) 04:20:45.66ID:TqpKgmMl
>>881
> 磯田道史って信じていいのか?

全く信用してはいけない。アレはただのメディアに出たいだけの人。
0883人間七七四年2015/01/23(金) 20:11:33.72ID:4Y/f6nxJ
一体「信長は他の大名に先駆けて兵農分離をした」という俗説の出所は何処だろう?
0884人間七七四年2015/01/23(金) 23:06:26.37ID:QftynMXJ
>>882
単なるパフォーマーかw
0885人間七七四年2015/01/23(金) 23:15:18.82ID:1X7iV3qK
信長公記で「城下に旗本弓衆等を居住させた。従わないものの家を焼いた。」ってとこだろ
史料を読み解かないでも楽して分かる、そのものずばり書いてある早期の信頼のある史料ってこれだけ
信長革命児説の補強や信長の連戦志向や織田の兵力が多かった説明に便利に使われて定説化
0886人間七七四年2015/01/24(土) 00:37:35.81ID:hOTRH+ac
>>885
1次史料じゃないのか
0887人間七七四年2015/01/24(土) 01:29:44.00ID:6SRcaEX3
兵農分離してないと説明できないのはあるな
織田包囲網で朝倉軍は農作業があるから帰って行ったが織田軍はそんなことで帰る描写ないし
兵農分離というか兵と土地の分離だな
0888人間七七四年2015/01/24(土) 01:46:35.43ID:O/4zunnC
>>887
そもそも戦国大名は織田に限らずだれでも一年通して季節関係なく戦ってるっつーの。
「農兵は農作業があると帰る」という思い込みこそが幻想。
0889人間七七四年2015/01/24(土) 03:39:12.65ID:4FPA9v4/
>>857
基本的な構造

大名┐
   ├足軽
   └侍─足軽


足軽大将 大名の直参足軽を預かる侍
侍大将  大名の直参侍を預かる侍、寄り親と寄り子の関係

江戸時代で言えば奉行だね
0890人間七七四年2015/01/24(土) 04:17:53.96ID:zjhDyYND
>>808
軍役の代納と兵農分離がいまいちつながらないんだけどどういうこと?
「自分の土地」を持ってる人間がいるとするでしょ
「軍役の代わりにお金出しますね」ってなるでしょ
で、なんでそこからその人物が土地を手放して扶持米を貰うようになるのかが分からない
0891人間七七四年2015/01/24(土) 05:26:49.43ID:4FPA9v4/
>>889をもう少し詳しく

まずは足軽大将
直轄領には足軽はいるが大名との間に侍はいない
規模にもよるが数百、数千人の大名直属の足軽がいるわけよ
これを束ねるのが足軽大将
数十人〜100人程度の足軽を束ねていたみたいね
0892人間七七四年2015/01/24(土) 11:47:14.11ID:p/dNAyke
少なくとも戦後時代は専業の兵士は少なかったわけだな
織田家にしても
0893人間七七四年2015/01/24(土) 13:53:37.39ID:e1L4BCcv
一万石以上から大名で、最小限の備を編成できる事が条件
十万石級の大名は備を数個保有
数十万石の大大名はその数個の備を一手としたものを更に複数保有する

備が1つしか編成できない大名
  備(大名)─足軽大将─足軽組頭─足軽小頭─足軽

備を複数編成できる大名
本陣備(大名)─足軽大将─足軽組頭─足軽小頭─足軽
  │  
  └───備(侍大将)─足軽組頭─足軽小頭─足軽


組頭の上位に、槍奉行や鉄砲大将等がはいるのかな
0894人間七七四年2015/01/24(土) 14:05:43.26ID:4FPA9v4/
武田信玄(甲陽軍鑑)

足軽大将衆
一、横田十郎兵衛 騎馬三拾騎 足軽百人
一、原与左衛門 騎馬十騎 足軽五十人
一、市川梅印 騎馬拾騎 足軽五拾人
一、城伊庵 騎馬拾騎 足軽(三)拾人
一、多田治部右衛門 足軽(二)十人
一、遠山右馬ノ介 騎馬十騎 足軽三十人
一、今井九兵衛 足軽十人
一、江間右馬丞 足軽三十人
一、関甚五兵衛 足軽十人
一、小幡又兵衛 騎馬三騎 足軽十人
一、大熊備前守 騎馬三十騎 足軽七十五人
一、三枝新三(十)郎 騎馬三騎 足軽十人
一、長坂長閑 騎馬四十騎 足軽四十五人
一、下曽禰(根) 騎馬廿騎 足軽五十人
一、曽根内匠 騎馬十五騎 足軽三十人
(一、上原民部入道随翁軒 騎馬三騎 足軽三十人)
一、曽根七郎兵衛 足軽七十人
一、武藤喜兵衛 騎馬十五騎 足軽三十人
一、三枝勘解由左衛門 騎馬三拾騎 足軽七十人
一、あんま(三右衛門)(騎馬五騎) 足軽五十人
一、小幡弥左衛門 騎馬十二騎 足軽六十五人
http://rek.jp/?p=1738

ざっと数えると足軽だけで1000人
この足軽大将たちは甲斐だけか?
となると甲斐17万石のうち4万石が信玄の直轄領だったと推定できる
0895人間七七四年2015/01/24(土) 14:08:21.92ID:qPF6jrEh
本陣備
備(大名)─足軽大将─足軽組頭─足軽小頭─足軽
      │
      └侍大将ー馬上侍ー徒歩武者{末期は侍部隊専属の鉄砲隊も)

騎馬隊(侍部隊}も書き加えた方が正確じゃね
0896人間七七四年2015/01/24(土) 16:00:24.15ID:3ldKhqXO
騎馬隊といえば武田の騎馬隊はあまりにも有名だが
あれもフィクションだよね。
大体槍を片手で扱えるわけないんだから
馬に乗ったまま槍で戦えるわけがない
0897人間七七四年2015/01/24(土) 16:08:37.34ID:qPF6jrEh
世界各国の槍騎兵否定すんならもっとましなry
0898人間七七四年2015/01/24(土) 16:22:10.19ID:uFUyKGML
>>894
十人程度しか配下の足軽がいない足軽大将ってまともに戦えなさそう
それとも直属の足軽が10人ってだけで他に足軽組頭とかが足軽をぞろぞろ引き連れてたりするの?
0899人間七七四年2015/01/24(土) 16:38:07.26ID:qPF6jrEh
極端に少ない奴らはだいたい鉄砲衆。
甘利信康に与力して鉄砲隊を編成してたといわれる
0900人間七七四年2015/01/24(土) 16:43:15.51ID:uFUyKGML
ということは戦闘部隊というより平時の管理運営する単位って感じなのか
0901人間七七四年2015/01/24(土) 17:04:06.84ID:qPF6jrEh
中隊内の小隊ってだけで戦闘部隊ではあるだろ
寄親寄子制だから平時の管理も同様にするけど
0902人間七七四年2015/01/24(土) 17:13:50.22ID:uFUyKGML
10人しかいない小隊って戦闘単位として役に立つのか?
それだったらむしろ敵将狙撃したりする特殊部隊的な役目って方がしっくりくる気がするけど
0903人間七七四年2015/01/24(土) 17:25:08.96ID:qPF6jrEh
現代軍だって最小単位は10人前後の分隊ですよ。普通に機能してます。
0904人間七七四年2015/01/24(土) 17:29:48.03ID:uFUyKGML
火縄銃の時代と現代を同列に考えちゃダメでしょ
0905人間七七四年2015/01/24(土) 17:33:07.89ID:O/4zunnC
意味的には変わらんよ。
0906人間七七四年2015/01/24(土) 17:37:33.05ID:uFUyKGML
いや変わるよ
一発ずつしか撃てなくて弾込めに1分から2分かかる10人の部隊と
それぞれが自動小銃持ってて分隊支援火器備えてる部隊じゃ戦闘単位としての強さがまるで違うでしょ
0907人間七七四年2015/01/24(土) 17:41:21.43ID:qPF6jrEh
触っちゃ駄目な人ですね。ごきげんよう
0908人間七七四年2015/01/24(土) 17:43:23.05ID:O/4zunnC
いわゆる近代軍隊の原型となった西欧の軍隊の分隊も、火縄銃の時代から(もっと言うとそれ以前から)10人前後だぞ。
0909人間七七四年2015/01/24(土) 17:43:30.66ID:uFUyKGML
えー、たとえとして明らかに不適切なモノを出されたので反論したら触っちゃいけない人認定とか・・・
0910人間七七四年2015/01/24(土) 17:44:46.90ID:uFUyKGML
>>908
それはどこの国の軍隊?
スウェーデンだったら28人編成だったはずだけど
0911人間七七四年2015/01/24(土) 18:01:14.63ID:O/4zunnC
>>910
> スウェーデンだったら28人編成

それは何時の時代のスウェーデン軍だ…?
0912人間七七四年2015/01/24(土) 18:03:41.67ID:uFUyKGML
>>911
30年戦争時の話だけど
他に小隊編成採用してる国あったっけ?
0913人間七七四年2015/01/24(土) 18:16:42.52ID:O/4zunnC
>>912
もしかして小隊と分隊の違い理解してないのか
0914人間七七四年2015/01/24(土) 18:18:03.33ID:uFUyKGML
>>913
この時代に分隊なんてあったっけ
というか火縄銃以前の時代の分隊ってなに?
0915人間七七四年2015/01/24(土) 18:20:54.50ID:O/4zunnC
>>914
えーっと…

モンゴルの「十人隊」とか知らない?知らないのか…
0916人間七七四年2015/01/24(土) 18:25:27.46ID:uFUyKGML
>>915
現代の軍隊をそのまま火縄銃の時代の軍隊に当てはめることができないように
遊牧民の軍隊の騎兵を火縄銃の時代の軍隊に当てはめることもできないと思うんだけど

というかモンゴルの戸制って管理集団としての性格の方が強いんじゃないの
西欧でもないし
0917人間七七四年2015/01/24(土) 19:02:03.42ID:eSckjSbZ
>10名前後
17世紀末のフランス軍、5列横隊の頃かな?
2縦列10 名を下士官1名が管理していました
名称(単位?)は不明ですが・・・
ただし、射撃等の戦術単位では無く、担当縦列を督戦するのが目的

1642年頃だと1縦列は
スペイン:12名
オランダ:10名
イギリス:8名
フランス、スウェーデン:6名
が基本だったと
何縦列かを下士官1名が束ねていました
それぞれ何列担当だったのかは資料が無くて・・・

小隊(platoon)が登場したのは18世紀初頭です
射撃単位として採用され、当時は中隊(company)よりも大きな編制単位でした
1小隊=2中隊が標準で、大小の関係は
regiment>battalion>division>platoon>company
でした
(divisionは師団とは別物)
0918人間七七四年2015/01/24(土) 19:17:33.46ID:uFUyKGML
>>917
Pike and Shot Tactics 1590-1660だと1932年のスウェーデンで6名の縦列が8個束ねられてplatoonであるとされてる
んでplatoonは二つのcorporalshipからなると説明されてる
0919人間七七四年2015/01/24(土) 20:53:14.34ID:4FPA9v4/
中国の場合なら最小のユニット単位は5人、伍
次が10人、什
0920人間七七四年2015/01/24(土) 21:01:06.66ID:xCOuIb+D
まぁ現場下士官のの声が届く範囲に収まる人数じゃないと困るよね
0921人間七七四年2015/01/24(土) 21:58:24.35ID:IIDNiyxV
そりゃそうだ
携帯や無線機はもちろん拡声器だって当然ない時代だから
有ったのはせいぜいホラ貝ぐらいか
0922人間七七四年2015/01/24(土) 23:53:45.18ID:jcaS8Ihg
中世なんて命令はかかれー退けーだけでいいんだしそんな凝った組織体制はいらなかったんだろ
0923人間七七四年2015/01/25(日) 00:25:53.70ID:5lM/X4HU
あれかね軍板の有名荒らし土鍋でも出張してきてたかね
0924人間七七四年2015/01/25(日) 00:25:57.91ID:d9SzSLbl
>>922
いや、組織体制は必要だろ
でないと収拾がつかなくなって命令も行き届かなくなるぞ
0925人間七七四年2015/01/25(日) 00:32:37.38ID:6RvMM9Ql
武田家五十騎の備

一、士五十騎、但一番ニ二十五騎ヅツ二ニ分ル、下人ハ馬取一人、槍持一人主共ニ百五十人ナリ
二、弓鉄砲足軽五十人、但二十五人ヅツ二組ナリ
三、長柄槍三十本、士大将ノ持槍二十本合而五十本、之レヲ持ツ者五十人
四、拠旗七本内二本ハ大将ノ馬印ナリ、五本ハ三ノカケノ小旗ナリ、之レヲ持ツ者一本ニ付三人宛ニシテ人数十五人ナリ
五、歩若党三十人、小者仲間合而五十人
六、士大将一騎、五十騎許ノ備ニハ武者奉行無之、即大将武者奉行ナリ、但百騎ヲ二備ニ仕ル時ハ、武者奉行一人有ツテ、其士大将共ニ二騎ヲ以テ、人数ヲツカハザレバ勝負アヤウシ
七、組頭二騎、下人五人連ニシテ主共ニ十人ナリ
八、足軽大将二騎、下人同前
九、槍奉行二騎、下人同前
十、旗奉行二騎、下人同前
十一、使武者四騎、下人四人ヅツニシテ主共ニ二十人
十二、台所人二人
十三、坊主一人
十四、小姓三人
十五、祐筆二人
十六、士大将ノ台所ニツカフ人夫二十人
十七、惣士衆ノ荷物ヲ持ツ人夫百人、但冬初春迄ハ人夫百五十人、少シ余計ニシテ人夫合而百九十四人
十八、小荷駄馬五疋、惣士衆ヘ渡ス、但春夏秋ハ斯如、冬初春迄ハ十疋ナレモ、少シ余力ヲ以テ夫馬十五疋ナリ
十九、乗馬三疋、士大将ノ乗替ナリ
二十、夫馬五疋、大将ノ小荷駄馬ナリ
二十一、乗掛馬八疋
二十二、乗馬六十三疋、是ハ士大将、者頭、物奉行人数二百三十八人、馬数九十四疋、五十騎ノ備都合人数六百二十八人、人馬数合而百二十二也

これだと
侍大将(士大将)1騎で武者奉行は必要無し
足軽大将は2騎
槍奉行も2騎
旗奉行も2騎
組頭も2騎
騎馬武者も25騎ずつで、備の中でも更に2手に分けて運用するスタイルみたいだね


使武者は4騎で下人4人ずつの計20人はいいけど、
足軽大将等の2騎で下人5人連れで計10人ってのはどういう事だ?
主従合わせて12人だよね?
0926人間七七四年2015/01/25(日) 09:21:34.59ID:aTaO32Au
>>918
書籍の紹介、有り難う御座います
17世紀中頃までのパイク&ショット戦術を扱った本が欲しかったので助かりました

>>917は主に
The Anatomy of Victory: Battle Tactics 1689ー1763
Brent Nosworthy
辺りから

各国の縦列人数は
Soldiers of the English Civil War (1): Infantry
Osprey Elite
0927人間七七四年2015/01/25(日) 14:12:44.77ID:7iNMfgwe
>>925
出典は甲陽軍鑑?
0928人間七七四年2015/01/25(日) 19:58:27.20ID:8rvtvTdK
戦国時代の主武器は槍だよね
もちろん鉄砲も大事だが、いぜれにせよ白兵戦になるわけで
0929人間七七四年2015/01/25(日) 20:07:57.95ID:vfzBx3UH
最小単位が5とか10とか言う話になってるけど、
一騎駆けの兵士もいたらしいこいつらの存在はどうしよう
0930人間七七四年2015/01/25(日) 20:09:25.63ID:WdkrArKW
>>929
「騎」は通常数人から十数人の従者がつく
0931人間七七四年2015/01/26(月) 03:43:21.49ID:5QqP988y
>>925

>一、士五十騎、但一番ニ二十五騎ヅツ二ニ分ル、下人ハ馬取一人、槍持一人主共ニ百五十人ナリ
>十七、惣士衆ノ荷物ヲ持ツ人夫百人、但冬初春迄ハ人夫百五十人、少シ余計ニシテ人夫合而百九十四人
>二十二、乗馬六十三疋、是ハ士大将、者頭、物奉行人数二百三十八人、馬数九十四疋、五十騎ノ備都合人数六百二十八人、人馬数合而百二十二也

総体的な人数はこの三行に修められてるな

一、士五十騎、但一番ニ二十五騎ヅツ二ニ分ル、下人ハ馬取一人、槍持一人主共ニ百五十人ナリ
十七、惣士衆ノ荷物ヲ持ツ人夫百人、但冬初春迄ハ人夫百五十人、少シ余計ニシテ人夫合而百九十四人
二十二、乗馬六十三疋、是ハ士大将、者頭、物奉行人数二百三十八人、馬数九十四疋、五十騎ノ備都合人数六百二十八人、人馬数合而百二十二也





基本戦闘部隊 騎馬50、徒歩200人
人夫 150人       
各奉行人 238人

合計628人(※10人ほど合わない)
0932人間七七四年2015/01/26(月) 04:16:10.18ID:YEWY6uVy
>>928
戦闘の内容によって主力武器は違う。
遠距離時は「矢合わせ」で弓鉄砲、
接近して「鑓合わせ」があって、
最終的には刀剣で突撃する。
必ずしも鑓が主武器であったわけではない。
0933人間七七四年2015/01/26(月) 07:29:50.09ID:5QqP988y
>>925
>九、槍奉行二騎、下人同前
>十、旗奉行二騎、下人同前

この意味は、たぶん旗と槍は支給品で奉行が一括管理して必要な部隊に配布・配置するんだろうな
0934人間七七四年2015/01/26(月) 09:37:39.02ID:s46HKvYP
武器を支給されず、自前で用意しなきゃならん兵も沢山いたんだろうな
0935人間七七四年2015/01/26(月) 11:46:31.03ID:Vh45Yi01
普通武器は自前
0936人間七七四年2015/01/26(月) 14:05:07.91ID:JetFfHon
600人いるけど戦えるの250人ってそんな少ないの考えられないわw
衣装さんとか小道具さんとか舞台俳優か
0937人間七七四年2015/01/26(月) 16:17:44.71ID:Vh45Yi01
軍ちゃそういうもんだ。
飯も全部自分で運搬しろちゅう改革後のローマ兵みたいな例外もあるけどな
0938人間七七四年2015/01/26(月) 18:17:47.97ID:9GHiOq38
>>937
兵糧は運ぶ部隊があるんじゃないの?
三国志なんかではよくそれが戦のポイントになってる。
0939人間七七四年2015/01/26(月) 18:41:29.96ID:ny3Q/lXs
>>936
逆に輜重(人夫)も定数に入れて管理しているのは凄いかも
ナポレオン軍でさえ、軍団付き装備輜重中隊や砲兵付き輜重中隊の人員を、民間人→軍人化や定数化したけれど、その他では相変わらず定数外の民間人頼りだったし
0940人間七七四年2015/01/26(月) 18:55:03.70ID:YEWY6uVy
軍役のいわゆる「人夫役」がそのまま輜重部隊の事だからな
0941人間七七四年2015/01/26(月) 19:54:12.69ID:ibDwBJG6
人夫にするより兵にして食料その他の輸送は商人に任せるでもよかったのになんでそうしなかったんだろう
そのほうが兵士の全体数は増えそうだが
0942人間七七四年2015/01/26(月) 20:00:06.86ID:YEWY6uVy
>>941
兵糧に関しては商人の輸送が中心だぞ。例えば小田原役の時、豊臣軍は清水に兵糧を集積したが、
その後はそれを商人に売り、商人が各地へと売り歩いた。
0943人間七七四年2015/01/26(月) 20:02:13.65ID:ibDwBJG6
>>942
商人がそのままぞろぞろ着いてくるパターンじゃあかんかったんか
0944人間七七四年2015/01/26(月) 20:09:32.39ID:YEWY6uVy
>>943
当時の商人は基本ローカルな存在で輸送力も限られるから、遠征の場合頼り切るわけにもいかないからな。
朝鮮の役の時も兵糧は釜山に集積したけど、そこから先は商人が運んだ。
0945人間七七四年2015/01/26(月) 20:16:48.55ID:ibDwBJG6
>>944
なるほど
商人の輸送力には限界があったから自前で輸送力を調達するしかなかったのか
0946人間七七四年2015/01/26(月) 20:23:31.81ID:Vh45Yi01
>>938
大名がつれてた大荷駄隊がイメージ的に該当するかな

>>941
それもやってた。前線まで商人が持ってきて、あるいは当地の商人から買って
最前線までは自分の小荷駄隊で持っていくのが当時のスタイル
0947人間七七四年2015/01/26(月) 20:27:24.50ID:Vh45Yi01
つか輸送要員多すぎって意見みたいだけど。人力馬力なうえ輸送隊も飯食う中世だから
この戦闘員比率でも10日ほどしか行動できなかったんだぜ。
人類最大の非生産軍団なめちゃいけねえ。
0948人間七七四年2015/01/26(月) 20:28:09.49ID:ibDwBJG6
>>946
ある程度までは商人でそこから先は自分たちで持って行ってたのね

兵士相手に商売する小売の商人はどれくらいいたんだろう?
0949人間七七四年2015/01/26(月) 20:34:25.85ID:+qG9nQ+y
戦場で弁当を売ったきり丸
0950人間七七四年2015/01/26(月) 22:54:36.57ID:9s0UbVG0
三方ヶ原の合戦が行われているのに営業をしていた茶店
家康に小豆餅を売った(もちろんフィクションです)
0951人間七七四年2015/01/27(火) 00:52:45.20ID:Ohxi/MQW
あんな時に茶店なんか開いてたら屈強な男達に輪姦されちゃうよな
0952人間七七四年2015/01/27(火) 01:42:07.79ID:QQ6/vjjX
>>951
婆さんだぞ
武田の騎馬武者よりも徒歩で走るのが速い(もしくはスタミナがある)婆さんではあるがw
0953人間七七四年2015/01/27(火) 20:58:14.70ID:RyYwxSrg
>>933
疑問に思ったのは人数の部分です

>使武者四騎、下人四人ヅツニシテ主共ニ二十人
使武者4騎に下人が4人ずつなので1騎+4人が4組で計20人
ですが、
>組頭二騎、下人五人連ニシテ主共ニ十人ナリ
組頭2騎に下人5人ずつでは1騎+5人が2組で計12人のはず
ですが10人ナリとなっている部分です。
0954人間七七四年2015/01/27(火) 21:32:08.94ID:Q+MnXLLk
昔の書物はよく単純な計算間違えてるからただの間違いじゃね
0955人間七七四年2015/01/27(火) 22:00:51.84ID:CaPvmyJg
江戸時代の軍学のテキストが甲陽軍鑑だったらしいが、
この数字の矛盾ってどう説明してたんだろなw
0956人間七七四年2015/01/27(火) 22:16:14.49ID:gHsdQF2i
その当時の軍学のテキストなんていい加減なところあったんじゃない?
解体新書が来るまでの医学書がいい加減なものだったように。
0957人間七七四年2015/01/28(水) 00:01:04.98ID:hmAnnXXJ
>>931
>各奉行人 238人

この中身は、各指揮官とその供回り、伝令、雑用、特殊部隊、旗本部隊なだなどだな
0958人間七七四年2015/01/28(水) 00:43:18.89ID:DvY+KoLf
何処から出てきたのか特殊部隊
0959人間七七四年2015/01/28(水) 00:50:02.54ID:iB86GM6H
こやつ忍びの者か
0960人間七七四年2015/01/28(水) 01:26:42.56ID:hmAnnXXJ
>>958
>三、長柄槍三十本、士大将ノ持槍二十本合而五十本、之レヲ持ツ者五十人
>四、拠旗七本内二本ハ大将ノ馬印ナリ、五本ハ三ノカケノ小旗ナリ、之レヲ持ツ者一本ニ付三人宛ニシテ人数十五人ナリ

面倒だからこれを特殊部隊とした


>五、歩若党三十人、小者仲間合而五十人

これを旗本とした。本部付けの部隊だろうな
0961人間七七四年2015/01/28(水) 09:29:55.89ID:xgaMglQt
特殊部隊ってのは忍者じゃなくて、城攻めの時の穴掘り部隊とかじゃないの?
信玄のそれで有名な
0962人間七七四年2015/01/28(水) 10:31:42.81ID:RlVQHBEQ
>>960
特殊部隊よりも普通に足軽部隊で良いかと
0963人間七七四年2015/01/28(水) 10:38:52.41ID:xgaMglQt
特殊部隊なんて名前は誤解を招きやすい
0964人間七七四年2015/01/28(水) 12:03:45.15ID:DvY+KoLf
>是ハ士大将、者頭、物奉行人数二百三十八人
侍大将から奉行までの各指揮官の指揮下の人数。
いわゆる戦闘員数だと思うよ。いまいち数合わんけど
0965人間七七四年2015/01/28(水) 18:52:10.61ID:Qr4FCpEu
>>961
信玄の穴掘り部隊って地面以外の物掘りそうなんだけど
0966人間七七四年2015/01/28(水) 20:47:36.01ID:OKh/KCdf
それはそれで恐怖だしいいんじゃね
0967人間七七四年2015/01/28(水) 21:52:39.72ID:ai5r17gE
>>965-966
掘られた高阪弾正は浮気の弁明の手紙に感激してるほどだぞ
0968人間七七四年2015/01/28(水) 22:06:39.58ID:bTbqG0Ly
あの釈明の手紙って相手が高坂昌信っていう根拠が実は無いらしいな
「源助」ってあるけどそれと高坂昌信が繋がらないらしい
0969人間七七四年2015/01/28(水) 22:07:53.48ID:aq6CIIcU
信玄の穴掘り部隊♂
0970人間七七四年2015/01/28(水) 22:23:24.49ID:ai5r17gE
>>968
え、そうなのか
一次史料だと思っていたよ
0971人間七七四年2015/01/28(水) 22:33:30.01ID:EPXENs12
>>970
名前の所は後から書き加えられてるし
0972人間七七四年2015/01/28(水) 23:29:40.36ID:DvY+KoLf
春日虎綱「そもそも源助ってだれ?俺、源五郎なんだけど・・・」

いいめいわくだなw
0973人間七七四年2015/01/28(水) 23:44:27.23ID:ai5r17gE
東大に史料として保管されているのにね>あの釈明の手紙
0974人間七七四年2015/01/29(木) 00:20:52.78ID:G/ks3OQK
>>972
いい迷惑?
信長と利家(鶴の吸い物の話)件見るまでもなく
当時は殿様の男色の相手にされるのは名誉なことだったんじゃなくて?
0975人間七七四年2015/01/29(木) 00:31:34.50ID:HSAKekJJ
>>974
そもそも信長と利家の関係も、男色ではなく主君の夜間警護である「舎人」以上の意味はなかったとすら言われている。
0976人間七七四年2015/01/29(木) 00:36:20.50ID:u7aK/O7y
御譜代家老衆

一、馬場美濃守 旗白地黒山道 百廿騎
一、内藤修理正 旗色白地どうあか 二百五十騎
一、山県三郎兵衛 旗黒地に白桔梗 三百騎
一、高坂弾正 旗くちばの四方 四百五拾騎
一、小山田弥三郎 旗色きれてみえず 二百(五十)騎
一、甘利左衛門ノ丞 旗白赤晴(段)々 百騎
一、栗原左兵衛 旗白地黒わくのて 百騎
一、今福浄閑(同息 兄丹波守 弟市左衛門) 旗きれて見えず 七十騎
一、土屋右衛門ノ丞 旗黒地に白鳥井 百騎
一、秋山伯耆守 旗きれてみえず 五十騎
一、原隼人佐 旗色きれて見えず 百廿騎(内五十騎は外様近習)
一、小山田備中守 旗色きれてみえず 七十騎
一、跡部大炊助 旗色きれて見えず 三百騎
一、浅利 (旗)きれてみえず (三百)百廿騎
一、駒井右京 (旗)きれて見えず 五十五騎(内五十騎外様近習、常は在郷に居る)
一、小宮山丹後 (旗)きれてみえず 三十騎
(一、跡部美作 旗色きれてみえず 五十騎)



高坂昌信の兵力が異様に多いんだよな〜
上杉謙信への抑えだからか?
0977人間七七四年2015/01/29(木) 02:08:35.94ID:Ae3h8cLd
亜相公御夜話って史料として信用できるのかどうかだな
0978人間七七四年2015/01/29(木) 08:16:13.41ID:3UKbetYB
>>976
本人の家格が低いと当然、直臣の数も少ないので
その分多く寄騎が付属されることがある
0979人間七七四年2015/01/29(木) 12:47:02.51ID:KeleVGbF
そりゃそうだ
0980人間七七四年2015/01/29(木) 19:02:34.76ID:8bA7aSFE
『検証 長篠合戦』読んだ

当時の銃弾の成分分析とかは面白かった
ここだけでもこの本読んだ価値があった
できればもうちょい火薬入手ルートについて細かくやってほしかった


疑問だったのが騎馬について
戦馬には日常的な訓練が必要としながら戦時には農耕馬から選抜して
戦馬にしてたというように矛盾するような記述がされてる
騎兵突撃が行われていたとする戦例もかなり小規模なものが多いように感じた

でもまあ全体的に面白かったわ
0981人間七七四年2015/01/29(木) 19:22:36.29ID:rvD6B0aD
>農耕馬から選抜して
へぇ何ページ?ちょうど読んでるところなんだ。
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