>>86さん
>「兵種別編成方式」に対して、軍役を付加された領主たちがめいめいに動員した兵士たちによって
>部隊を構成する方式を、ここでは仮に「領主別編成方法」と呼んでおこう。

>足軽の基本的属性を、傭兵、非侍身分、軽装歩兵と位置づけ

 しかし、「馬上」の足軽もいて、ほとんど侍と変わらず、この足軽隊を指揮するのが「足軽大将」
 こうした足軽大将も、領地を与えられ、侍身分として遇されるようになるが、最後まで「足軽」という区別は残った。

>兵力動員のあり方が、封建的原理に則っていなかったためであろう。

 また、他国の援軍など「汚れ仕事」を担わせることが多かったからだ。
 最後に山本菅助も足軽大将だと例で引かれている。在地外の武士を引き立てるのに足軽大将は好都合な在り方とも

※こうなると、侍大将と足軽大将の上下がよく分からなくなる。
※昔自分は、侍大将が複数の足軽大将を指揮下においていたと思っていたが、違うようだ。
※侍大将と足軽大将は、合戦場では同じレベルの指揮官だが、平時に身分としては侍大将が上ということらしいね。
 率いていたのが、鎌倉以来の在地領主を中心とする軍勢か、傭兵かの違いしかないと言うことだろう。
※こう考えると、山本菅助が、軍議で馬場や香坂らに混じって『キツツキの策』を検索できるのも無理なく整合する。
 以前は、下の身分のものが、こんな重要な献策が出来るものかと思っていた。