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【戦術】戦国時代の軍事学【戦略】

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001人間七七四年2012/08/04(土) 23:21:52.40ID:o+bXyiEt
戦列歩兵はどう並んでいたのか
決戦兵力としての予備兵はいたのか
車懸りとは? 鶴翼や魚鱗? 付城、野戦築城とは?

意外と謎だらけな戦国時代の軍事学について色々と語るスレです
0828人間七七四年2015/01/18(日) 19:32:32.83ID:78xXjSGT
>>827
どこのなんの戦い?
0829人間七七四年2015/01/18(日) 20:33:50.32ID:jJ2SPgig
>>828
1576年のアントワープでのスペイン狂乱
あと今資料見直したらスペイン側は3000人だった
0830人間七七四年2015/01/18(日) 20:39:57.68ID:78xXjSGT
http://en.wikipedia.org/wiki/Sack_of_Antwerp

これか背後関係不勉強だから兵の質とか戦略的にどうこうとかなんにもいえねーw
0831人間七七四年2015/01/18(日) 21:10:09.63ID:3zDZFYpe
北条氏康が10倍の兵数の敵を破ったことがあると聞いたことがあるけど
まあ誇張だろうね
0832人間七七四年2015/01/19(月) 07:10:18.15ID:KoUM/BA7
日本の戦国で寡兵を持って大軍に勝ったっていうのは
大抵奇襲だね
0833人間七七四年2015/01/19(月) 07:31:31.69ID:LX2L6gSV
世界でもそうだろ
0834人間七七四年2015/01/19(月) 08:31:18.05ID:KoUM/BA7
>>833

>>825-829
0835人間七七四年2015/01/19(月) 15:14:04.53ID:pGP4lbFU
なぜ投石機の用な兵器が日本では発達しなかったのか?
0836人間七七四年2015/01/19(月) 15:16:06.47ID:LX2L6gSV
>>835
日本で城郭および城郭戦が発展した時期には既に鉄砲が在ったから。以上。
0837人間七七四年2015/01/19(月) 15:21:08.62ID:pGP4lbFU
即効レスサンクス
0838人間七七四年2015/01/19(月) 18:10:02.47ID:ICjBuCWZ
陣形とか戦術は先生や本から学んだのかね
それとも実戦で覚えるものだったのかね
0839人間七七四年2015/01/19(月) 22:50:42.00ID:BjI8eM4P
一応習って後は実戦経験かな?
0840人間七七四年2015/01/19(月) 23:04:27.12ID:Y++YoyTX
大名レベルだと傅役が教えるんだろうな
0841人間七七四年2015/01/20(火) 00:10:19.54ID:RqNqgsT1
そもそも合戦の陣形やら作戦やら何やらを決定するのは大名ではなく侍大将と足軽大将の合議
0842人間七七四年2015/01/20(火) 00:45:41.07ID:J1byk/Ft
足軽大将って名前に似合わず権限持っているんだな
0843人間七七四年2015/01/20(火) 01:10:50.70ID:RqNqgsT1
>>842
名前のまんま、侍大将=侍を統括、足軽大将=足軽を統括、だからな。
戦国の軍隊が武士と足軽の二本立てである以上両者の合議で作戦を立案して実行しないと、合戦自体できない。
双方が勝手に戦ったら戦にならんよ。
0844人間七七四年2015/01/20(火) 01:44:46.57ID:X/XtxoRm
足軽大将は部下に何人も侍を従えてる。侍大将とそう変わらない
0845人間七七四年2015/01/20(火) 01:53:30.31ID:RqNqgsT1
ただ傾向として、侍大将は普代名門の家柄のものが、足軽大将には比較的低い身分の者が取り立てられる事が多かったようだ。
0846人間七七四年2015/01/20(火) 03:32:59.08ID:JMPjyY1w
ソースある?
それだと部隊指揮権を大名が持ってないことになる
そんな馬鹿な話はないだろう
0847人間七七四年2015/01/20(火) 08:08:58.37ID:DM1zZXbI
大名が最終的に承認しなければならないのでは?
0848人間七七四年2015/01/20(火) 08:53:21.31ID:RqNqgsT1
>>846
>>847
当然、計画立案も大名から諮問があった上でだし、最終的な作戦とその実行の承認も大名自身によって行われる。
すべて大名の主導権の元で、侍大将と足軽大将が参謀的役割を果たしているに過ぎない。

ソースとしては甲陽軍鑑を始めとした、比較的戦国期に近い軍記物だな。
0849人間七七四年2015/01/20(火) 15:08:11.01ID:SK6ogVk9
大名もしくは大名に全権を与えられた方面指揮官のハンコが必要だったのね
0850人間七七四年2015/01/20(火) 18:56:57.37ID:JMPjyY1w
うーん、なんで合議じゃないと思ったかというと、
絶対モメると思うんだよな。血気盛んな奴らが、生死が掛かってる状態で、
「俺はこうしたい」「俺はああしたい」ってならないわけがない

ドラマだと家康あたりが「そなたはどう思う?」って、粛々とした場で色んな家臣の意見を聞いて、
それを取りまとめて号令を出すシーンあるけど、あれを広義で言う「合議」とするんならそうだろうと思うけど
もっと積極的な形で、軍隊らしく上意下達的に、大名の関与は大前提だったと思うんだけど
0851人間七七四年2015/01/20(火) 19:14:03.70ID:AlFcQARM
揉めたらいかんのかね?w

締切時間までにちゃんと決が出ればいいじゃん
0852人間七七四年2015/01/20(火) 20:29:35.46ID:bvQTAiC7
桶狭間の織田側なんか見ると
やはり大将の一存で決まるのではないかと
0853人間七七四年2015/01/20(火) 20:43:41.40ID:RqNqgsT1
>>852
桶狭間が信長の独断なんて言ってるのは講談だけだぞ
0854人間七七四年2015/01/20(火) 20:49:20.68ID:bvQTAiC7
>>853
そうなのか?
0855人間七七四年2015/01/20(火) 21:47:18.26ID:JMPjyY1w
信長は信長公記にも自分で配置決めてるくだりあるし、
「近陣に御陣を居えさせられ、懸けまはし御覧じ、諸口の陣取り仰せ付けられ候」

なんなら自分で瀬踏みしてるし、確かフロイスにも「誰にも相談せず自分で決めた」って書かれてるけど、
まぁ、信長は例外だと思う
0856人間七七四年2015/01/20(火) 21:58:26.71ID:bvQTAiC7
>>855
信長公記は第一次史料ではないという奴が湧いてくるぞw
0857人間七七四年2015/01/21(水) 00:39:16.43ID:EMjcB7tN
足軽=兵
足軽大将=下士官
侍=尉官
侍大将=佐官
一門衆=将官

基本的に侍以上の将校になれるのは信頼のある譜代の家臣
山本勘助は能力は高かったが流れ者だから武田軍の将校にはなれなかった

一方信長は譜代だろうが流れ者だろうが能力のある者はどんどん将校にしていく
そりゃあ人材の質が違うよ
0858人間七七四年2015/01/21(水) 00:43:53.56ID:arHxozrM
>>857
武田も「百姓出身」の高坂弾正(春日虎綱)を重臣にまでしてるんだが
0859人間七七四年2015/01/21(水) 00:44:11.86ID:+KLC213w
めちゃくちゃな表だな。
0860人間七七四年2015/01/21(水) 01:23:56.29ID:/4fR8zJo
むしろ信長は親族優遇だからな。
上杉武田は人材抜擢型。
0861人間七七四年2015/01/21(水) 01:35:49.24ID:+KLC213w
織田も武田も親族優遇+小身抜擢型やで
似てるというかそうじゃなくては強大な勢力に成れなかったんだろう
0862人間七七四年2015/01/21(水) 06:10:27.98ID:VfvAiwAI
信長は親族優遇といっても各方面の討伐の指揮官の総大将には
親族でないのを任命することが多かったよ
0863人間七七四年2015/01/21(水) 06:21:06.24ID:arHxozrM
そら危ない司令官なんて家人の仕事だしなあ基本的に
0864人間七七四年2015/01/21(水) 10:14:23.36ID:k9/Y5PhJ
>>863
秀吉は秀長や秀次を司令官にしているが
0865人間七七四年2015/01/21(水) 12:07:49.05ID:vcXAMS9V
秀吉は信雄まで司令官(北条討伐の韮山城攻め)にしてるw
0866人間七七四年2015/01/21(水) 21:31:06.81ID:lHtV9Has
秀吉なんかいつどうやって戦術を学んだんだろう?
天賦の才?
0867人間七七四年2015/01/21(水) 23:16:59.45ID:oZKGJEjC
三木城「こっちは播州の国人衆が揃ってんだ!来るなら来い!」
秀吉「兵糧攻めします。ごめんね(´・ω・`)」

鳥取城「兵糧攻め怖いからコメ蓄えておかないといかんな。」
秀吉「コメ買い占めました。ごめんね(´・ω・`)」

高松城「秀吉軍の戦術はもう読めた!兵糧攻めに注意しろ!」
秀吉「水攻めします。ごめんね(´・ω・`)」
0868人間七七四年2015/01/21(水) 23:26:22.73ID:qxYV22ZY
数で押し切って囲む戦術、数の効果が出るまでは結構な苦戦っぷり
0869人間七七四年2015/01/21(水) 23:34:29.62ID:lHtV9Has
>>867
エジソンみたいなものなのか
0870人間七七四年2015/01/21(水) 23:39:45.82ID:/4fR8zJo
はぁ?信長が司令官に任じてるのはみんな自分の親族と婚姻なり
養子を入れたヤツばっかじゃん
0871人間七七四年2015/01/22(木) 00:19:04.04ID:ZbSQarYn
>>870
人造の親族じゃん
0872人間七七四年2015/01/22(木) 01:19:44.71ID:ZBtYdgBo
>>870
前に娘婿も一門衆とか言ってたっけww
0873人間七七四年2015/01/22(木) 01:42:37.14ID:api/WFdU
実際そうでしょ。自分の血脈がすべてを相続することが約束されていたから
信長は信用したって池上氏も主張してたでしょ。
0874人間七七四年2015/01/22(木) 01:52:13.44ID:ZbSQarYn
後の秀吉は自分の子供以外の親族に冷たかったな
秀次といい秀秋といい
0875人間七七四年2015/01/22(木) 02:01:11.93ID:IzM/Hb0C
宇喜多秀家には優しかった
0876人間七七四年2015/01/22(木) 09:23:18.73ID:api/WFdU
57歳で出来た子だしなー。
すげーかわいいって言うよな。
戦国の気風冷めやらぬ時期で
自分が死ぬ寸前じゃ不安で仕方ないよな。
0877人間七七四年2015/01/22(木) 13:32:43.84ID:KP4s4MZ2
58歳じゃなかったっけ?
0878人間七七四年2015/01/22(木) 21:35:25.02ID:82wpLPCL
秀吉の生年は二通りの説があると思った
0879人間七七四年2015/01/23(金) 00:35:20.86ID:wYSknSvC
>>867
秀吉の戦術って人道的に見えて実はえげつないね
0880人間七七四年2015/01/23(金) 03:44:56.67ID:3R8xgbHi
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              l l '''''''''''''''''''''''''''''''''''''' ̄l |             |

http://www.youtube.com/watch?v=z2qK2lhk9O0
0881人間七七四年2015/01/23(金) 04:15:47.74ID:ClzxR1rO
「英雄たちの選択」ってBSの番組、一応歴史学者とかも出てるようなメンツなんだけど、
信長の兵農分離説を採用してたな
磯田道史って信じていいのか?
0882人間七七四年2015/01/23(金) 04:20:45.66ID:TqpKgmMl
>>881
> 磯田道史って信じていいのか?

全く信用してはいけない。アレはただのメディアに出たいだけの人。
0883人間七七四年2015/01/23(金) 20:11:33.72ID:4Y/f6nxJ
一体「信長は他の大名に先駆けて兵農分離をした」という俗説の出所は何処だろう?
0884人間七七四年2015/01/23(金) 23:06:26.37ID:QftynMXJ
>>882
単なるパフォーマーかw
0885人間七七四年2015/01/23(金) 23:15:18.82ID:1X7iV3qK
信長公記で「城下に旗本弓衆等を居住させた。従わないものの家を焼いた。」ってとこだろ
史料を読み解かないでも楽して分かる、そのものずばり書いてある早期の信頼のある史料ってこれだけ
信長革命児説の補強や信長の連戦志向や織田の兵力が多かった説明に便利に使われて定説化
0886人間七七四年2015/01/24(土) 00:37:35.81ID:hOTRH+ac
>>885
1次史料じゃないのか
0887人間七七四年2015/01/24(土) 01:29:44.00ID:6SRcaEX3
兵農分離してないと説明できないのはあるな
織田包囲網で朝倉軍は農作業があるから帰って行ったが織田軍はそんなことで帰る描写ないし
兵農分離というか兵と土地の分離だな
0888人間七七四年2015/01/24(土) 01:46:35.43ID:O/4zunnC
>>887
そもそも戦国大名は織田に限らずだれでも一年通して季節関係なく戦ってるっつーの。
「農兵は農作業があると帰る」という思い込みこそが幻想。
0889人間七七四年2015/01/24(土) 03:39:12.65ID:4FPA9v4/
>>857
基本的な構造

大名┐
   ├足軽
   └侍─足軽


足軽大将 大名の直参足軽を預かる侍
侍大将  大名の直参侍を預かる侍、寄り親と寄り子の関係

江戸時代で言えば奉行だね
0890人間七七四年2015/01/24(土) 04:17:53.96ID:zjhDyYND
>>808
軍役の代納と兵農分離がいまいちつながらないんだけどどういうこと?
「自分の土地」を持ってる人間がいるとするでしょ
「軍役の代わりにお金出しますね」ってなるでしょ
で、なんでそこからその人物が土地を手放して扶持米を貰うようになるのかが分からない
0891人間七七四年2015/01/24(土) 05:26:49.43ID:4FPA9v4/
>>889をもう少し詳しく

まずは足軽大将
直轄領には足軽はいるが大名との間に侍はいない
規模にもよるが数百、数千人の大名直属の足軽がいるわけよ
これを束ねるのが足軽大将
数十人〜100人程度の足軽を束ねていたみたいね
0892人間七七四年2015/01/24(土) 11:47:14.11ID:p/dNAyke
少なくとも戦後時代は専業の兵士は少なかったわけだな
織田家にしても
0893人間七七四年2015/01/24(土) 13:53:37.39ID:e1L4BCcv
一万石以上から大名で、最小限の備を編成できる事が条件
十万石級の大名は備を数個保有
数十万石の大大名はその数個の備を一手としたものを更に複数保有する

備が1つしか編成できない大名
  備(大名)─足軽大将─足軽組頭─足軽小頭─足軽

備を複数編成できる大名
本陣備(大名)─足軽大将─足軽組頭─足軽小頭─足軽
  │  
  └───備(侍大将)─足軽組頭─足軽小頭─足軽


組頭の上位に、槍奉行や鉄砲大将等がはいるのかな
0894人間七七四年2015/01/24(土) 14:05:43.26ID:4FPA9v4/
武田信玄(甲陽軍鑑)

足軽大将衆
一、横田十郎兵衛 騎馬三拾騎 足軽百人
一、原与左衛門 騎馬十騎 足軽五十人
一、市川梅印 騎馬拾騎 足軽五拾人
一、城伊庵 騎馬拾騎 足軽(三)拾人
一、多田治部右衛門 足軽(二)十人
一、遠山右馬ノ介 騎馬十騎 足軽三十人
一、今井九兵衛 足軽十人
一、江間右馬丞 足軽三十人
一、関甚五兵衛 足軽十人
一、小幡又兵衛 騎馬三騎 足軽十人
一、大熊備前守 騎馬三十騎 足軽七十五人
一、三枝新三(十)郎 騎馬三騎 足軽十人
一、長坂長閑 騎馬四十騎 足軽四十五人
一、下曽禰(根) 騎馬廿騎 足軽五十人
一、曽根内匠 騎馬十五騎 足軽三十人
(一、上原民部入道随翁軒 騎馬三騎 足軽三十人)
一、曽根七郎兵衛 足軽七十人
一、武藤喜兵衛 騎馬十五騎 足軽三十人
一、三枝勘解由左衛門 騎馬三拾騎 足軽七十人
一、あんま(三右衛門)(騎馬五騎) 足軽五十人
一、小幡弥左衛門 騎馬十二騎 足軽六十五人
http://rek.jp/?p=1738

ざっと数えると足軽だけで1000人
この足軽大将たちは甲斐だけか?
となると甲斐17万石のうち4万石が信玄の直轄領だったと推定できる
0895人間七七四年2015/01/24(土) 14:08:21.92ID:qPF6jrEh
本陣備
備(大名)─足軽大将─足軽組頭─足軽小頭─足軽
      │
      └侍大将ー馬上侍ー徒歩武者{末期は侍部隊専属の鉄砲隊も)

騎馬隊(侍部隊}も書き加えた方が正確じゃね
0896人間七七四年2015/01/24(土) 16:00:24.15ID:3ldKhqXO
騎馬隊といえば武田の騎馬隊はあまりにも有名だが
あれもフィクションだよね。
大体槍を片手で扱えるわけないんだから
馬に乗ったまま槍で戦えるわけがない
0897人間七七四年2015/01/24(土) 16:08:37.34ID:qPF6jrEh
世界各国の槍騎兵否定すんならもっとましなry
0898人間七七四年2015/01/24(土) 16:22:10.19ID:uFUyKGML
>>894
十人程度しか配下の足軽がいない足軽大将ってまともに戦えなさそう
それとも直属の足軽が10人ってだけで他に足軽組頭とかが足軽をぞろぞろ引き連れてたりするの?
0899人間七七四年2015/01/24(土) 16:38:07.26ID:qPF6jrEh
極端に少ない奴らはだいたい鉄砲衆。
甘利信康に与力して鉄砲隊を編成してたといわれる
0900人間七七四年2015/01/24(土) 16:43:15.51ID:uFUyKGML
ということは戦闘部隊というより平時の管理運営する単位って感じなのか
0901人間七七四年2015/01/24(土) 17:04:06.84ID:qPF6jrEh
中隊内の小隊ってだけで戦闘部隊ではあるだろ
寄親寄子制だから平時の管理も同様にするけど
0902人間七七四年2015/01/24(土) 17:13:50.22ID:uFUyKGML
10人しかいない小隊って戦闘単位として役に立つのか?
それだったらむしろ敵将狙撃したりする特殊部隊的な役目って方がしっくりくる気がするけど
0903人間七七四年2015/01/24(土) 17:25:08.96ID:qPF6jrEh
現代軍だって最小単位は10人前後の分隊ですよ。普通に機能してます。
0904人間七七四年2015/01/24(土) 17:29:48.03ID:uFUyKGML
火縄銃の時代と現代を同列に考えちゃダメでしょ
0905人間七七四年2015/01/24(土) 17:33:07.89ID:O/4zunnC
意味的には変わらんよ。
0906人間七七四年2015/01/24(土) 17:37:33.05ID:uFUyKGML
いや変わるよ
一発ずつしか撃てなくて弾込めに1分から2分かかる10人の部隊と
それぞれが自動小銃持ってて分隊支援火器備えてる部隊じゃ戦闘単位としての強さがまるで違うでしょ
0907人間七七四年2015/01/24(土) 17:41:21.43ID:qPF6jrEh
触っちゃ駄目な人ですね。ごきげんよう
0908人間七七四年2015/01/24(土) 17:43:23.05ID:O/4zunnC
いわゆる近代軍隊の原型となった西欧の軍隊の分隊も、火縄銃の時代から(もっと言うとそれ以前から)10人前後だぞ。
0909人間七七四年2015/01/24(土) 17:43:30.66ID:uFUyKGML
えー、たとえとして明らかに不適切なモノを出されたので反論したら触っちゃいけない人認定とか・・・
0910人間七七四年2015/01/24(土) 17:44:46.90ID:uFUyKGML
>>908
それはどこの国の軍隊?
スウェーデンだったら28人編成だったはずだけど
0911人間七七四年2015/01/24(土) 18:01:14.63ID:O/4zunnC
>>910
> スウェーデンだったら28人編成

それは何時の時代のスウェーデン軍だ…?
0912人間七七四年2015/01/24(土) 18:03:41.67ID:uFUyKGML
>>911
30年戦争時の話だけど
他に小隊編成採用してる国あったっけ?
0913人間七七四年2015/01/24(土) 18:16:42.52ID:O/4zunnC
>>912
もしかして小隊と分隊の違い理解してないのか
0914人間七七四年2015/01/24(土) 18:18:03.33ID:uFUyKGML
>>913
この時代に分隊なんてあったっけ
というか火縄銃以前の時代の分隊ってなに?
0915人間七七四年2015/01/24(土) 18:20:54.50ID:O/4zunnC
>>914
えーっと…

モンゴルの「十人隊」とか知らない?知らないのか…
0916人間七七四年2015/01/24(土) 18:25:27.46ID:uFUyKGML
>>915
現代の軍隊をそのまま火縄銃の時代の軍隊に当てはめることができないように
遊牧民の軍隊の騎兵を火縄銃の時代の軍隊に当てはめることもできないと思うんだけど

というかモンゴルの戸制って管理集団としての性格の方が強いんじゃないの
西欧でもないし
0917人間七七四年2015/01/24(土) 19:02:03.42ID:eSckjSbZ
>10名前後
17世紀末のフランス軍、5列横隊の頃かな?
2縦列10 名を下士官1名が管理していました
名称(単位?)は不明ですが・・・
ただし、射撃等の戦術単位では無く、担当縦列を督戦するのが目的

1642年頃だと1縦列は
スペイン:12名
オランダ:10名
イギリス:8名
フランス、スウェーデン:6名
が基本だったと
何縦列かを下士官1名が束ねていました
それぞれ何列担当だったのかは資料が無くて・・・

小隊(platoon)が登場したのは18世紀初頭です
射撃単位として採用され、当時は中隊(company)よりも大きな編制単位でした
1小隊=2中隊が標準で、大小の関係は
regiment>battalion>division>platoon>company
でした
(divisionは師団とは別物)
0918人間七七四年2015/01/24(土) 19:17:33.46ID:uFUyKGML
>>917
Pike and Shot Tactics 1590-1660だと1932年のスウェーデンで6名の縦列が8個束ねられてplatoonであるとされてる
んでplatoonは二つのcorporalshipからなると説明されてる
0919人間七七四年2015/01/24(土) 20:53:14.34ID:4FPA9v4/
中国の場合なら最小のユニット単位は5人、伍
次が10人、什
0920人間七七四年2015/01/24(土) 21:01:06.66ID:xCOuIb+D
まぁ現場下士官のの声が届く範囲に収まる人数じゃないと困るよね
0921人間七七四年2015/01/24(土) 21:58:24.35ID:IIDNiyxV
そりゃそうだ
携帯や無線機はもちろん拡声器だって当然ない時代だから
有ったのはせいぜいホラ貝ぐらいか
0922人間七七四年2015/01/24(土) 23:53:45.18ID:jcaS8Ihg
中世なんて命令はかかれー退けーだけでいいんだしそんな凝った組織体制はいらなかったんだろ
0923人間七七四年2015/01/25(日) 00:25:53.70ID:5lM/X4HU
あれかね軍板の有名荒らし土鍋でも出張してきてたかね
0924人間七七四年2015/01/25(日) 00:25:57.91ID:d9SzSLbl
>>922
いや、組織体制は必要だろ
でないと収拾がつかなくなって命令も行き届かなくなるぞ
0925人間七七四年2015/01/25(日) 00:32:37.38ID:6RvMM9Ql
武田家五十騎の備

一、士五十騎、但一番ニ二十五騎ヅツ二ニ分ル、下人ハ馬取一人、槍持一人主共ニ百五十人ナリ
二、弓鉄砲足軽五十人、但二十五人ヅツ二組ナリ
三、長柄槍三十本、士大将ノ持槍二十本合而五十本、之レヲ持ツ者五十人
四、拠旗七本内二本ハ大将ノ馬印ナリ、五本ハ三ノカケノ小旗ナリ、之レヲ持ツ者一本ニ付三人宛ニシテ人数十五人ナリ
五、歩若党三十人、小者仲間合而五十人
六、士大将一騎、五十騎許ノ備ニハ武者奉行無之、即大将武者奉行ナリ、但百騎ヲ二備ニ仕ル時ハ、武者奉行一人有ツテ、其士大将共ニ二騎ヲ以テ、人数ヲツカハザレバ勝負アヤウシ
七、組頭二騎、下人五人連ニシテ主共ニ十人ナリ
八、足軽大将二騎、下人同前
九、槍奉行二騎、下人同前
十、旗奉行二騎、下人同前
十一、使武者四騎、下人四人ヅツニシテ主共ニ二十人
十二、台所人二人
十三、坊主一人
十四、小姓三人
十五、祐筆二人
十六、士大将ノ台所ニツカフ人夫二十人
十七、惣士衆ノ荷物ヲ持ツ人夫百人、但冬初春迄ハ人夫百五十人、少シ余計ニシテ人夫合而百九十四人
十八、小荷駄馬五疋、惣士衆ヘ渡ス、但春夏秋ハ斯如、冬初春迄ハ十疋ナレモ、少シ余力ヲ以テ夫馬十五疋ナリ
十九、乗馬三疋、士大将ノ乗替ナリ
二十、夫馬五疋、大将ノ小荷駄馬ナリ
二十一、乗掛馬八疋
二十二、乗馬六十三疋、是ハ士大将、者頭、物奉行人数二百三十八人、馬数九十四疋、五十騎ノ備都合人数六百二十八人、人馬数合而百二十二也

これだと
侍大将(士大将)1騎で武者奉行は必要無し
足軽大将は2騎
槍奉行も2騎
旗奉行も2騎
組頭も2騎
騎馬武者も25騎ずつで、備の中でも更に2手に分けて運用するスタイルみたいだね


使武者は4騎で下人4人ずつの計20人はいいけど、
足軽大将等の2騎で下人5人連れで計10人ってのはどういう事だ?
主従合わせて12人だよね?
0926人間七七四年2015/01/25(日) 09:21:34.59ID:aTaO32Au
>>918
書籍の紹介、有り難う御座います
17世紀中頃までのパイク&ショット戦術を扱った本が欲しかったので助かりました

>>917は主に
The Anatomy of Victory: Battle Tactics 1689ー1763
Brent Nosworthy
辺りから

各国の縦列人数は
Soldiers of the English Civil War (1): Infantry
Osprey Elite
0927人間七七四年2015/01/25(日) 14:12:44.77ID:7iNMfgwe
>>925
出典は甲陽軍鑑?
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。