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【戦術】戦国時代の軍事学【戦略】

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0001人間七七四年2012/08/04(土) 23:21:52.40ID:o+bXyiEt
戦列歩兵はどう並んでいたのか
決戦兵力としての予備兵はいたのか
車懸りとは? 鶴翼や魚鱗? 付城、野戦築城とは?

意外と謎だらけな戦国時代の軍事学について色々と語るスレです
0772人間七七四年2015/01/07(水) 16:35:24.53ID:136cMU0L
逆に島津やってたの?初耳なんですけど
0773人間七七四年2015/01/07(水) 17:12:56.37ID:hqSwTat2
馬上筒がある所ならカラコール的な銃騎兵の一撃離脱兵法は想定していたと思うよ
0774人間七七四年2015/01/07(水) 17:38:11.69ID:d5vTR+VS
馬上筒はあくまで個人装備で突撃前に景気づけに一発撃つくらいの話
カラコールが出来るくらいに組織的に馬上筒が配備された部隊の記録は今のところ無い
0775人間七七四年2015/01/07(水) 21:44:56.78ID:icB5q+k5
鉄砲は身分が低い足軽等が扱う武器だったが
島津では身分の高い武将も鉄砲を使う練習をしていたという話じゃなかったっけ?
0776人間七七四年2015/01/08(木) 07:25:30.31ID:mYlSCMgd
>>771
真田信繁に破られたからな
0777人間七七四年2015/01/09(金) 13:56:34.01ID:kK8S2/Jg
>>775
鉄砲は初期の高価で希少なころは専業軍人(武士)が銃兵として当てられてたし
北条や武田も武士なら鉄砲の鍛錬怠るなと軍令出してたし
時代が下っても江戸幕府の将軍ですら必修武芸だった一貫して武士の武器だよ

島津に関してはイメージと違って鉄砲装備率の低い家だったけど
どうにか装備率を上げるために武士に鉄砲装備を義務付けてただけ
熊本藩をはじめそういう家はいくつかあったけど。普通の武士は言われなくても鉄砲装備している
0778人間七七四年2015/01/09(金) 17:00:52.07ID:K25Vzfrf
そうなの?
織豊軍では足軽の武器だろ
あんなもの白兵突撃する武士が持っていたら無駄な気がするな
もちろん指揮官として使えて理解しておく必要はあるだろうが
0779人間七七四年2015/01/09(金) 17:07:47.85ID:kK8S2/Jg
織田なんか大名である信長自身が鉄砲撃って戦闘しとる
0780人間七七四年2015/01/09(金) 17:31:07.07ID:61mG0maT
>>779
それって漫画とかじゃないの?
史料的な根拠のある話?
0781人間七七四年2015/01/09(金) 17:32:33.90ID:kK8S2/Jg
信長公記くらい読んどけよ。話にならんわ。
0782人間七七四年2015/01/09(金) 17:37:20.73ID:61mG0maT
信長公記に信長自身が鉄砲撃って戦闘する描写なんてあったかな?
該当箇所を抜き出してくれない?
0783人間七七四年2015/01/09(金) 17:49:41.08ID:dUS3UDFI
>>777
禁裏御守衛総督時代の慶喜公の写真でも、背後に写っているのは刀、騎兵銃(後装のシャープス・カービン?)、弾薬盒でしたね
火縄銃じゃ無いのが慶喜らしいけれど、ミニエーの輸入単価が18ドルなのに対して、 40ドルもした高級品
0784人間七七四年2015/01/10(土) 10:49:08.21ID:AGcNAfBJ
馬に乗ること
弓を扱うこと
刀剣を扱うこと
火縄銃を打つこと
たぶん全部武士の必修科目な気がする
しかし火縄銃普及後でも武士が手柄をたてるにはに火縄銃に優れるより
鑓働きや馬の扱いのが大事だと思う
さらに馬が最もコストがかかると思う
0785人間七七四年2015/01/12(月) 07:30:09.32ID:5igoDUhU
信長が火縄銃の練習してたのは知ってるが
実際に戦で自分で撃ってたのは初耳だな
0786人間七七四年2015/01/12(月) 08:51:42.85ID:ay0PY0dC
ここは一次史料を一切出さずに軍記講談のネタで話をするバカの集まり
こういうのが軍隊を指揮すると最悪な結果になる。
三国志演義を読みインテリを気取り生兵法で叩きあげの経験者を論破するアホ
0787人間七七四年2015/01/12(月) 11:04:08.86ID:MaJx5izF
>>786
オタクは叩きあげの経験者なのですね
どのような経歴の持ち主さんなんでしょ
0788人間七七四年2015/01/12(月) 11:50:57.59ID:QlY9m5oJ
一応この戦国板は「学問」じゃなく「趣味」のカテゴリーに分類されているんだから
一次史料が無ければダメとか固い事言わなくてもいいんじゃ?
0789人間七七四年2015/01/12(月) 13:33:51.76ID:0q2+C+ex
>>786
そりゃあ、お前の事だろw
自衛隊の体験入隊すら体験しないでインテリ気取り生兵法w
一次史料が出てても負けると見ないふりして逃げる詐欺師光秀
0790人間七七四年2015/01/12(月) 14:02:49.26ID:M1+ob4wQ
ただのアンチ光秀かwww
0791人間七七四年2015/01/12(月) 16:38:26.78ID:Vstb5C6o
光秀も鉄砲術に秀でていたといわれる
0792人間七七四年2015/01/13(火) 08:28:35.95ID:Uy0jOuDq
実際に戦場で撃ったかはわからんけどな
0793人間七七四年2015/01/13(火) 12:51:06.09ID:hTR4EvNN
陣形ってのは実際にどれくらい重要だったのかね
0794人間七七四年2015/01/13(火) 13:25:48.76ID:ynBvmZg3
陣形は貫高制や石高制の整備を背景に
武器の質量の統一と兵種ごとに再編成される兵制改革が必要。
よって陣形を組むのは武田や北条は可能でも織田には不可能。
織田は各自の才覚による個別判断で勝手に動き、
デタラメなバラバラ編成のまま各々の武辺道で戦うだけの後進的軍隊
0795人間七七四年2015/01/13(火) 13:29:09.60ID:2aBHRN9i
急にゴミレスが増えたと思ったら菅沼遼太が来てんのか
0796人間七七四年2015/01/13(火) 14:36:34.70ID:QnBHyRdV
鉄砲といえば滝川一益
0797人間七七四年2015/01/13(火) 14:49:59.42ID:jKnsP9kH
戦国時代の長柄足軽の訓練ってどうしてたんでしょうか?
戦が起こるたびにそのへんから寡兵してきたのでは練度が足りなさすぎるように思います
同時代のヨーロッパの軍隊のように一部を常備軍化してたりしたんですか?
0798人間七七四年2015/01/13(火) 14:54:55.70ID:QnBHyRdV
>>797
定期的な訓練は行われていた模様。
そのあたりは「検証・長篠合戦」にも出てる
0799人間七七四年2015/01/13(火) 14:58:25.67ID:jKnsP9kH
>>798
ありがとうございます
やっぱり訓練はちゃんとやってたんですね
ネットとかだと長柄足軽=『その辺の田んぼから引っ張ってきた素人』みたいな
扱いされてたりするのでずっと疑問でした
訓練の対象や規模が気になるんで本を読んでみます
0800人間七七四年2015/01/13(火) 15:47:45.66ID:LTvTGpLW
訓練の間、農民の本業に支障がでないように冬季に行われたのかな?
0801人間七七四年2015/01/15(木) 05:34:33.72ID:v0RUAVeP
鉄砲足軽なんて訓練無しには有り得ないよな
0802人間七七四年2015/01/15(木) 06:15:14.09ID:AkfdMddc
>>316
日本の救援軍は同時に海上機動もしているし、補給不全で飢えて凍えていた明鮮軍は壊滅するしかなかった。
0803人間七七四年2015/01/15(木) 08:20:11.54ID:eYsJqATq
補給等の兵站は石田や小西が担当していたんだろうな
0804人間七七四年2015/01/15(木) 11:35:55.37ID:R5raIoQQ
WWIIの頃の日本軍より当時の日本軍の方がしっかりしてたな
0805人間七七四年2015/01/15(木) 15:25:22.24ID:5otiU5BL
兵農分離がまだしっかりとなされてない時代だから
0806人間七七四年2015/01/15(木) 15:47:24.68ID:L+YjOFig
兵農分離(笑)

そんなものは存在しない
0807人間七七四年2015/01/15(木) 16:07:38.77ID:aYBETUDL
内容を誤解してる人が多いだけで兵農分離という政策と現象は間違いなくあるで
0808人間七七四年2015/01/15(木) 16:12:37.17ID:L+YjOFig
>>807
政策は存在しない、現象としても起こったのは江戸期、少なくとも徳川家光の時代。
軍役の銭による代納が始まってから
0809人間七七四年2015/01/15(木) 21:01:15.91ID:GRHrKVHC
信長が兵農分離を始めた、と考えている人の多いこと
0810人間七七四年2015/01/15(木) 21:16:14.09ID:JP8GBxRz
合戦の主要武器は弓矢と投石、くらいの定説だもんな
0811人間七七四年2015/01/16(金) 07:01:15.06ID:9YXWa1EY
>>810
弓矢と投石じゃ時代に差があるだろw
0812人間七七四年2015/01/16(金) 11:13:13.33ID:SiZZs8zc
投石・・・
三戦板の某コテハンの投糞機を思い出してしまったでござるw
0813人間七七四年2015/01/16(金) 14:10:17.89ID:x9OPrEeE
投糞器はネタとしても
籠城の時とか実際に便所から取ってきた糞尿を煮えたぎらせて
攻めのぼってくる敵兵に浴びせていたんでしょ?
漫画とかだと普通の熱湯になっているけど、籠城の時に超貴重品である水を
そんなことに使うとは考えられない。
0814人間七七四年2015/01/16(金) 14:19:02.73ID:DkoxuId6
水で薄めないと糞尿なんてすぐ無くなっちまうんじゃない
兵糧消費して増産すっかw
0815人間七七四年2015/01/16(金) 14:22:05.09ID:NOwXI6Qd
貴重な大釜を糞尿煮るのには使いたくねえなあ
使ったあと洗って粥煮たりすんだろうか
0816人間七七四年2015/01/16(金) 15:22:00.36ID:x9OPrEeE
>>815
元々それ専用の大釜があったか、
糞尿を煮た後は流石にそれ専用にするだろw
0817人間七七四年2015/01/16(金) 16:46:02.88ID:Rw9ozBr0
糞尿を煮えたぎらせて敵に浴びせるのは
城内の汚物も処理出来る一石二鳥の戦術
0818人間七七四年2015/01/16(金) 23:13:25.89ID:X3Nnw92h
糞は人類最古の武器らしいからな
ゴリラとかも糞を敵に投げてくるという
0819人間七七四年2015/01/17(土) 00:28:35.21ID:yx4mksGF
>>811
武田の投石隊は三方ヶ原でも大活躍じゃん
0820人間七七四年2015/01/17(土) 13:05:37.15ID:itTMHgEV
石は身近な強力な武器だな
0821人間七七四年2015/01/17(土) 16:07:14.90ID:SQryTn8l
鶴翼の陣と魚鱗の陣は三方ガ原のお陰で有名になったな
『南総里見八犬伝』の子供たちの戦ごっこの場面でも登場する
0822人間七七四年2015/01/17(土) 21:20:56.84ID:bYb4wP9R
魚鱗>>>鶴翼のイメージが定着してしまったな
陣形でなく兵数の差で負けただけなのにw
0823人間七七四年2015/01/18(日) 11:36:07.40ID:fQAXrN/u
兵力に大きな差があれば、まともに正面からぶつかり合う野戦では
勝ち目が無いだろう
0824人間七七四年2015/01/18(日) 16:15:40.70ID:ZekWnbd+
戦略での劣勢を戦術でひっくり返すのは極めて難しいと思う
0825人間七七四年2015/01/18(日) 16:24:00.55ID:jJ2SPgig
1500人の兵士VS18000人の民兵で前者が勝った戦いなら知ってる
死者は14:5000だったそうな
0826人間七七四年2015/01/18(日) 17:13:04.66ID:ZekWnbd+
>>825
兵士と民兵だから装備、戦闘能力等に大差があったんじゃないの?
0827人間七七四年2015/01/18(日) 18:21:07.07ID:jJ2SPgig
>>826
民兵側18000のうち4000は傭兵だったしもともと城塞を攻囲してた軍なんで装備もそれなりだったと思われる
0828人間七七四年2015/01/18(日) 19:32:32.83ID:78xXjSGT
>>827
どこのなんの戦い?
0829人間七七四年2015/01/18(日) 20:33:50.32ID:jJ2SPgig
>>828
1576年のアントワープでのスペイン狂乱
あと今資料見直したらスペイン側は3000人だった
0830人間七七四年2015/01/18(日) 20:39:57.68ID:78xXjSGT
http://en.wikipedia.org/wiki/Sack_of_Antwerp

これか背後関係不勉強だから兵の質とか戦略的にどうこうとかなんにもいえねーw
0831人間七七四年2015/01/18(日) 21:10:09.63ID:3zDZFYpe
北条氏康が10倍の兵数の敵を破ったことがあると聞いたことがあるけど
まあ誇張だろうね
0832人間七七四年2015/01/19(月) 07:10:18.15ID:KoUM/BA7
日本の戦国で寡兵を持って大軍に勝ったっていうのは
大抵奇襲だね
0833人間七七四年2015/01/19(月) 07:31:31.69ID:LX2L6gSV
世界でもそうだろ
0834人間七七四年2015/01/19(月) 08:31:18.05ID:KoUM/BA7
>>833

>>825-829
0835人間七七四年2015/01/19(月) 15:14:04.53ID:pGP4lbFU
なぜ投石機の用な兵器が日本では発達しなかったのか?
0836人間七七四年2015/01/19(月) 15:16:06.47ID:LX2L6gSV
>>835
日本で城郭および城郭戦が発展した時期には既に鉄砲が在ったから。以上。
0837人間七七四年2015/01/19(月) 15:21:08.62ID:pGP4lbFU
即効レスサンクス
0838人間七七四年2015/01/19(月) 18:10:02.47ID:ICjBuCWZ
陣形とか戦術は先生や本から学んだのかね
それとも実戦で覚えるものだったのかね
0839人間七七四年2015/01/19(月) 22:50:42.00ID:BjI8eM4P
一応習って後は実戦経験かな?
0840人間七七四年2015/01/19(月) 23:04:27.12ID:Y++YoyTX
大名レベルだと傅役が教えるんだろうな
0841人間七七四年2015/01/20(火) 00:10:19.54ID:RqNqgsT1
そもそも合戦の陣形やら作戦やら何やらを決定するのは大名ではなく侍大将と足軽大将の合議
0842人間七七四年2015/01/20(火) 00:45:41.07ID:J1byk/Ft
足軽大将って名前に似合わず権限持っているんだな
0843人間七七四年2015/01/20(火) 01:10:50.70ID:RqNqgsT1
>>842
名前のまんま、侍大将=侍を統括、足軽大将=足軽を統括、だからな。
戦国の軍隊が武士と足軽の二本立てである以上両者の合議で作戦を立案して実行しないと、合戦自体できない。
双方が勝手に戦ったら戦にならんよ。
0844人間七七四年2015/01/20(火) 01:44:46.57ID:X/XtxoRm
足軽大将は部下に何人も侍を従えてる。侍大将とそう変わらない
0845人間七七四年2015/01/20(火) 01:53:30.31ID:RqNqgsT1
ただ傾向として、侍大将は普代名門の家柄のものが、足軽大将には比較的低い身分の者が取り立てられる事が多かったようだ。
0846人間七七四年2015/01/20(火) 03:32:59.08ID:JMPjyY1w
ソースある?
それだと部隊指揮権を大名が持ってないことになる
そんな馬鹿な話はないだろう
0847人間七七四年2015/01/20(火) 08:08:58.37ID:DM1zZXbI
大名が最終的に承認しなければならないのでは?
0848人間七七四年2015/01/20(火) 08:53:21.31ID:RqNqgsT1
>>846
>>847
当然、計画立案も大名から諮問があった上でだし、最終的な作戦とその実行の承認も大名自身によって行われる。
すべて大名の主導権の元で、侍大将と足軽大将が参謀的役割を果たしているに過ぎない。

ソースとしては甲陽軍鑑を始めとした、比較的戦国期に近い軍記物だな。
0849人間七七四年2015/01/20(火) 15:08:11.01ID:SK6ogVk9
大名もしくは大名に全権を与えられた方面指揮官のハンコが必要だったのね
0850人間七七四年2015/01/20(火) 18:56:57.37ID:JMPjyY1w
うーん、なんで合議じゃないと思ったかというと、
絶対モメると思うんだよな。血気盛んな奴らが、生死が掛かってる状態で、
「俺はこうしたい」「俺はああしたい」ってならないわけがない

ドラマだと家康あたりが「そなたはどう思う?」って、粛々とした場で色んな家臣の意見を聞いて、
それを取りまとめて号令を出すシーンあるけど、あれを広義で言う「合議」とするんならそうだろうと思うけど
もっと積極的な形で、軍隊らしく上意下達的に、大名の関与は大前提だったと思うんだけど
0851人間七七四年2015/01/20(火) 19:14:03.70ID:AlFcQARM
揉めたらいかんのかね?w

締切時間までにちゃんと決が出ればいいじゃん
0852人間七七四年2015/01/20(火) 20:29:35.46ID:bvQTAiC7
桶狭間の織田側なんか見ると
やはり大将の一存で決まるのではないかと
0853人間七七四年2015/01/20(火) 20:43:41.40ID:RqNqgsT1
>>852
桶狭間が信長の独断なんて言ってるのは講談だけだぞ
0854人間七七四年2015/01/20(火) 20:49:20.68ID:bvQTAiC7
>>853
そうなのか?
0855人間七七四年2015/01/20(火) 21:47:18.26ID:JMPjyY1w
信長は信長公記にも自分で配置決めてるくだりあるし、
「近陣に御陣を居えさせられ、懸けまはし御覧じ、諸口の陣取り仰せ付けられ候」

なんなら自分で瀬踏みしてるし、確かフロイスにも「誰にも相談せず自分で決めた」って書かれてるけど、
まぁ、信長は例外だと思う
0856人間七七四年2015/01/20(火) 21:58:26.71ID:bvQTAiC7
>>855
信長公記は第一次史料ではないという奴が湧いてくるぞw
0857人間七七四年2015/01/21(水) 00:39:16.43ID:EMjcB7tN
足軽=兵
足軽大将=下士官
侍=尉官
侍大将=佐官
一門衆=将官

基本的に侍以上の将校になれるのは信頼のある譜代の家臣
山本勘助は能力は高かったが流れ者だから武田軍の将校にはなれなかった

一方信長は譜代だろうが流れ者だろうが能力のある者はどんどん将校にしていく
そりゃあ人材の質が違うよ
0858人間七七四年2015/01/21(水) 00:43:53.56ID:arHxozrM
>>857
武田も「百姓出身」の高坂弾正(春日虎綱)を重臣にまでしてるんだが
0859人間七七四年2015/01/21(水) 00:44:11.86ID:+KLC213w
めちゃくちゃな表だな。
0860人間七七四年2015/01/21(水) 01:23:56.29ID:/4fR8zJo
むしろ信長は親族優遇だからな。
上杉武田は人材抜擢型。
0861人間七七四年2015/01/21(水) 01:35:49.24ID:+KLC213w
織田も武田も親族優遇+小身抜擢型やで
似てるというかそうじゃなくては強大な勢力に成れなかったんだろう
0862人間七七四年2015/01/21(水) 06:10:27.98ID:VfvAiwAI
信長は親族優遇といっても各方面の討伐の指揮官の総大将には
親族でないのを任命することが多かったよ
0863人間七七四年2015/01/21(水) 06:21:06.24ID:arHxozrM
そら危ない司令官なんて家人の仕事だしなあ基本的に
0864人間七七四年2015/01/21(水) 10:14:23.36ID:k9/Y5PhJ
>>863
秀吉は秀長や秀次を司令官にしているが
0865人間七七四年2015/01/21(水) 12:07:49.05ID:vcXAMS9V
秀吉は信雄まで司令官(北条討伐の韮山城攻め)にしてるw
0866人間七七四年2015/01/21(水) 21:31:06.81ID:lHtV9Has
秀吉なんかいつどうやって戦術を学んだんだろう?
天賦の才?
0867人間七七四年2015/01/21(水) 23:16:59.45ID:oZKGJEjC
三木城「こっちは播州の国人衆が揃ってんだ!来るなら来い!」
秀吉「兵糧攻めします。ごめんね(´・ω・`)」

鳥取城「兵糧攻め怖いからコメ蓄えておかないといかんな。」
秀吉「コメ買い占めました。ごめんね(´・ω・`)」

高松城「秀吉軍の戦術はもう読めた!兵糧攻めに注意しろ!」
秀吉「水攻めします。ごめんね(´・ω・`)」
0868人間七七四年2015/01/21(水) 23:26:22.73ID:qxYV22ZY
数で押し切って囲む戦術、数の効果が出るまでは結構な苦戦っぷり
0869人間七七四年2015/01/21(水) 23:34:29.62ID:lHtV9Has
>>867
エジソンみたいなものなのか
0870人間七七四年2015/01/21(水) 23:39:45.82ID:/4fR8zJo
はぁ?信長が司令官に任じてるのはみんな自分の親族と婚姻なり
養子を入れたヤツばっかじゃん
0871人間七七四年2015/01/22(木) 00:19:04.04ID:ZbSQarYn
>>870
人造の親族じゃん
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