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【戦術】戦国時代の軍事学【戦略】

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0001人間七七四年2012/08/04(土) 23:21:52.40ID:o+bXyiEt
戦列歩兵はどう並んでいたのか
決戦兵力としての予備兵はいたのか
車懸りとは? 鶴翼や魚鱗? 付城、野戦築城とは?

意外と謎だらけな戦国時代の軍事学について色々と語るスレです
0724人間七七四年2014/10/05(日) 19:46:26.93ID:fLTRStc8
甲陽軍鑑だと、足軽大将とか侍大将の身代を表すのに、与えられた領土の大きさ(石高、貫高)じゃなくて、
100騎とか150騎とか、「騎」で表現されてるよね
つまり土地と武将が分離されてて、
「武田家の代官が兵を募って、それを武将に預ける」っていうことだとしたら、
相当近代的だったと思うんだが、ちょっとありえないとも思うんだよな
山県昌景なんかも、「江尻城代」なんて表現されてるけど実際は一帯の地域の大名だったんじゃないのか?
どう思う?
0725人間七七四年2014/10/05(日) 20:26:35.45ID:G/zBQCh8
その100騎とかが自身の所領から動員したのではなく、同じ直臣を主君の命で
指揮下に入れた場合があるので、そういうのを指しているかと
0726人間七七四年2014/10/05(日) 22:33:14.73ID:d90sKYL1
>>723
薩摩の戦術や政治活動を見てるとリアリストだと思う
現実無視の馬鹿サヨとは違うんじゃねえかな
0727人間七七四年2014/11/16(日) 01:41:19.05ID:AtOpGNJ2
西国は全く軍事技術が進んでおらず、
旗指し物なんかも、「京より東はこうやって軍隊作ってるんです」って秀吉が毛利家に教えてやっとできた、
って本山一城が書いてたけどほんとかね?
0728人間七七四年2014/11/16(日) 10:29:48.82ID:mk/M2VlJ
>>727
軍事技術の最先端の鉄砲は種子島から広まったはずだけど…
それに毛利には足利義昭が逃げ込んだんだから少なくとも
信長存命中の中央の軍事レベルは毛利に伝わってるでしょ
0729人間七七四年2014/11/16(日) 12:12:40.05ID:BdnnzEo4
伝わるのと実際に実行するのは天と地の差があるわけで
特に大名権力が低い毛利は強制的に部下に精度を押し付けることが出来なかったから軍事改革が遅れたんだよね。
他にも毛利は中国の流儀とやらは兵を集めるのが遅いと秀吉に苦言されていたり
鍋島も軍隊の体をなしてないと秀吉に軍事顧問を送られて改革させられている。
0730人間七七四年2014/11/16(日) 12:54:22.06ID:6dEOgkbo
前述の旗指物なんかは軍事的に有効性が認められたというより
文化的なものの流行りに乗ったものだと思うんだけど
0731人間七七四年2014/11/16(日) 16:45:06.22ID:iBSEoz1l
家忠日記にも本能寺の変直前に京では四半旗は時代遅れなので、
撓いにするようにと酒井忠次から指示を貰っているね
0732人間七七四年2014/11/19(水) 03:24:53.11ID:XMCXsCSS
西国や東国はなんだかんだ言っても昔の慣わしを重視しているから軍事レベルもさして変わらない。
軍事レベルが高いのは、いや、急速にレベルアップしたのは濃尾と近江、畿内、紀伊だろうな。
0733人間七七四年2014/11/19(水) 03:31:09.17ID:S5lvlA9v
>>732
違う。戦国期はそれぞれの土地に対応した戦術があるものの、戦い方や装備に大きな違いはない。
異なる点は物資の面のみといっていい
0734人間七七四年2014/11/19(水) 19:51:50.45ID:eyWz48oa
「戦国の地域国家」等の諸本で先進的軍制で語られるのは大抵北条武田やね。逆に後進的代表は毛利が多い
0735人間七七四年2014/11/19(水) 20:19:21.45ID:XMCXsCSS
>>733
書き方が悪かったかな?
織田台頭以降に差が出たってことでそれより前はどの地域も大差は無いよ。
0736人間七七四年2014/11/21(金) 03:50:48.01ID:6MjMoKHl
有名な北条の軍役帳で旗が重視されてるのが意外だったな
あんなもん持ってたら戦いの足しにならんだろと思うんだが、
相手を威圧する、孔雀の羽みたいな効果でもあったのかな
0737人間七七四年2014/11/21(金) 05:30:41.58ID:DkPo+BuD
>>735
織田の台頭以降も殆ど差はねえよ。
未だに信長革命論あたり信じてるのかよ
0738人間七七四年2014/11/21(金) 07:40:50.06ID:qZVM64pR
>>736
敵味方の区別や位置確認に旗は必須
ただし安土桃山時代から旗の数は減っている
これは鉄砲の数と比例して増加して硝煙で旗の視認が
難しくなったためと考えられる
0739人間七七四年2014/11/21(金) 11:58:17.29ID:jRwsxZfR
旗が減ったのは集団化が進んだからだと思うよ。
通信機が無い時代は旗に頼りきりで非常に重要なものだし
視認性が変動の原因なら逆に増やすだろ
0740人間七七四年2014/11/22(土) 10:30:04.23ID:xolWmJES
旗って連隊旗みたいなやつのこと?
それとも旗指物のこと?
0741人間七七四年2014/11/22(土) 10:40:38.43ID:6dGrunnY
両方だろ。馬印と幟と指物で厳密に分けてもいいが
0742人間七七四年2014/11/22(土) 11:05:27.10ID:8DmckVP6
持ち旗でなく個々が撓いを背に指すようになったとか
0743人間七七四年2014/11/24(月) 16:48:17.07ID:GhhYnrvN
旗は重要だよね。あれがあるだけで、威圧感というか大軍に見える
泡沫候補の選挙カーの前では、仕込み部隊が、雨の日は一人二本ずつ傘を持つらしい
泡沫候補も、「雨なのにこんなに来てくれて」見たいに力が入って、比例代表に貢献出来るかららしいよ
0744人間七七四年2014/11/24(月) 17:07:27.03ID:1TonuRJ4
>>743
>泡沫候補の選挙カーの前では、仕込み部隊が、雨の日は一人二本ずつ傘を持つらしい
なるほどこれすごい分かりやすいわ。旗の重要性を現代に置き換えて完全に説明してるw
0745人間七七四年2015/01/01(木) 19:05:05.97ID:7VkPPcN6
>>743-744
日本や中国の軍記物によく出てくるね
旗を多く持たせて大軍に見せかけるという線術
0746人間七七四年2015/01/02(金) 00:31:40.91ID:rFxea890
いわゆる虚兵の計ですな
0747人間七七四年2015/01/02(金) 20:09:41.30ID:S1d91A35
結局兵力をどれだけ集められるかが重要
0748人間七七四年2015/01/03(土) 04:34:26.09ID:2f7IM/Nw
車掛かりの戦法は捏造
0749人間七七四年2015/01/03(土) 08:25:59.77ID:/q1YKBvE
車懸りの陣は逐次戦闘し後退を繰り返すという遅滞戦闘の戦法とする
軍学書もあるね
0750人間七七四年2015/01/03(土) 10:40:56.91ID:XtuB80Dy
引取方三法という3種の後退方法があって
そのうちの一つに車引がある
6方向に備を分けて、楕円状に配置して、6つのうち1つの備が敵に当たり、回転させながら退く
遅滞戦術
攻めに使う場合は敵の情報が無いときにこの陣形で攻めてみるというもので、これを車懸という
つまりは円陣であり、退く場合は車引、攻める場合は車懸と呼び名が変わる

なので、車懸かりは視界の効かない霧の中を全方位を警戒して行軍しただけ
武田の軍勢を先に発見したからその方角に攻めかかって、そのまま善光寺平へ抜けた事になる

陣を回転させて次々と〜ってのは運動量が激しいくせに敵に当たる数が少なすぎて無駄でしかない
0751人間七七四年2015/01/03(土) 12:57:41.97ID:mLMtRA7c
このスレの上の方にも出てるが単純に順撃法だろうな。
捏造で済ます方がそこが浅い
0752人間七七四年2015/01/03(土) 16:58:56.88ID:BZIIhlcE
車がかりの陣は理論上は可能だが
足軽の機動力では無理ってことではなかった?
0753人間七七四年2015/01/04(日) 09:13:34.88ID:MXYTeVwv
そういう問題じゃない
0754人間七七四年2015/01/04(日) 14:23:42.81ID:TMxfTGoJ
文章やお話にすると入れ替えの間とかがはしょられるからならな
0755人間七七四年2015/01/04(日) 15:33:12.86ID:zTdtTqfJ
いわゆる山勘の啄木鳥(迂回挟撃作戦)が事実だとすると
それを察知した謙信は、信玄本隊を背後から襲うべく、妻女山を降りて善光寺方面に潜もうと移動するのが妥当
しかし軍鑑だと、その動きを知らせる物見の報告「謙信は越後(善光寺方面)に退却しつつあり!」に
信玄「たわけ!それは車懸かりの陣じゃ!」とかアホな事言わせてる
0756人間七七四年2015/01/05(月) 04:41:15.95ID:3khqtZUa
そもそも山本勘介がそんな作戦を立てるような高いポジションに付いていたというのが事実じゃないだろ
0757人間七七四年2015/01/05(月) 04:42:59.80ID:5JF8W35y
そこはどうでもいい所だな
0758人間七七四年2015/01/05(月) 06:09:46.12ID:3khqtZUa
まあそうだけど
0759人間七七四年2015/01/05(月) 10:15:02.94ID:Dd7BiFBo
>>756
山本勘助は足軽大将でああり、戦国期の合戦の作戦立案は侍大将と足軽大将の合議で決定されるものだから、
勘助は作戦を立案する立場にあったと見ていい
0760人間七七四年2015/01/06(火) 12:27:03.70ID:pR9OrI+N
山本勘助は山本五十六の祖先なんてデマが広がるほど
戦術家として有名になってしまった
0761人間七七四年2015/01/06(火) 20:57:47.03ID:2/qzdKyP
三国志には野戦で相手の兵糧を焼いたり奪ったりという戦術がよく出てくる
(代表例はもちろん官渡)が
日本の戦国には城攻め以外ではそういう相手の兵糧を狙うのが無いような気がする。
何故だろう?
0762人間七七四年2015/01/06(火) 21:12:14.23ID:CD4QZE7F
焼き討ちなんか毎回だろ
0763人間七七四年2015/01/06(火) 21:22:59.24ID:AVLaRlpY
兵糧の奪取や焼却は乱捕り焼き討ちの一部だから
単独だと目立たないだけ
0764人間七七四年2015/01/06(火) 21:36:42.48ID:2/qzdKyP
>>762
民家等に火をつけるってのはよく出てくるけど、
相手の兵糧をピンポイントで狙った戦術って出てきたっけ?
三国志での戦いは3分の一数近くが相手の兵糧を狙う戦いと言っても過言でない印象だけど
0765人間七七四年2015/01/06(火) 21:40:53.39ID:qctIoaCn
「北条記」には小田原が上杉謙信に包囲されたとき、北条方が上杉方の陣に忍び込んで小荷駄を奪ったから、
上杉方は兵糧が欠乏して難渋したっていう記述があるらしい

「北条記」からそんな事例をいくつか引いて、
「小荷駄は狙い撃ちされることが多かった」って、盛本昌広は書いてるけどソースは分厚いとは言えないわな
0766人間七七四年2015/01/06(火) 22:16:44.59ID:2/qzdKyP
>>765
ああ、あることはあるんだね
貴重な情報サンクス
0767人間七七四年2015/01/07(水) 07:06:00.24ID:A7u9U8fn
馬上から鉄砲撃つ戦術を取り入れていたのは島津だけ?
0768人間七七四年2015/01/07(水) 08:27:50.03ID:zg1kdhZ1
島津も含めた全国であったがあくまで個人武芸の範囲
0769人間七七四年2015/01/07(水) 08:39:51.62ID:A7u9U8fn
>>768
ありがとう
0770人間七七四年2015/01/07(水) 15:00:54.43ID:az1kvwcK
伊達の銃騎戦法は?
0771人間七七四年2015/01/07(水) 16:02:05.13ID:d5vTR+VS
本当に存在したか不明
あったとしても大坂の一戦だけで廃れた程度の戦法となる
0772人間七七四年2015/01/07(水) 16:35:24.53ID:136cMU0L
逆に島津やってたの?初耳なんですけど
0773人間七七四年2015/01/07(水) 17:12:56.37ID:hqSwTat2
馬上筒がある所ならカラコール的な銃騎兵の一撃離脱兵法は想定していたと思うよ
0774人間七七四年2015/01/07(水) 17:38:11.69ID:d5vTR+VS
馬上筒はあくまで個人装備で突撃前に景気づけに一発撃つくらいの話
カラコールが出来るくらいに組織的に馬上筒が配備された部隊の記録は今のところ無い
0775人間七七四年2015/01/07(水) 21:44:56.78ID:icB5q+k5
鉄砲は身分が低い足軽等が扱う武器だったが
島津では身分の高い武将も鉄砲を使う練習をしていたという話じゃなかったっけ?
0776人間七七四年2015/01/08(木) 07:25:30.31ID:mYlSCMgd
>>771
真田信繁に破られたからな
0777人間七七四年2015/01/09(金) 13:56:34.01ID:kK8S2/Jg
>>775
鉄砲は初期の高価で希少なころは専業軍人(武士)が銃兵として当てられてたし
北条や武田も武士なら鉄砲の鍛錬怠るなと軍令出してたし
時代が下っても江戸幕府の将軍ですら必修武芸だった一貫して武士の武器だよ

島津に関してはイメージと違って鉄砲装備率の低い家だったけど
どうにか装備率を上げるために武士に鉄砲装備を義務付けてただけ
熊本藩をはじめそういう家はいくつかあったけど。普通の武士は言われなくても鉄砲装備している
0778人間七七四年2015/01/09(金) 17:00:52.07ID:K25Vzfrf
そうなの?
織豊軍では足軽の武器だろ
あんなもの白兵突撃する武士が持っていたら無駄な気がするな
もちろん指揮官として使えて理解しておく必要はあるだろうが
0779人間七七四年2015/01/09(金) 17:07:47.85ID:kK8S2/Jg
織田なんか大名である信長自身が鉄砲撃って戦闘しとる
0780人間七七四年2015/01/09(金) 17:31:07.07ID:61mG0maT
>>779
それって漫画とかじゃないの?
史料的な根拠のある話?
0781人間七七四年2015/01/09(金) 17:32:33.90ID:kK8S2/Jg
信長公記くらい読んどけよ。話にならんわ。
0782人間七七四年2015/01/09(金) 17:37:20.73ID:61mG0maT
信長公記に信長自身が鉄砲撃って戦闘する描写なんてあったかな?
該当箇所を抜き出してくれない?
0783人間七七四年2015/01/09(金) 17:49:41.08ID:dUS3UDFI
>>777
禁裏御守衛総督時代の慶喜公の写真でも、背後に写っているのは刀、騎兵銃(後装のシャープス・カービン?)、弾薬盒でしたね
火縄銃じゃ無いのが慶喜らしいけれど、ミニエーの輸入単価が18ドルなのに対して、 40ドルもした高級品
0784人間七七四年2015/01/10(土) 10:49:08.21ID:AGcNAfBJ
馬に乗ること
弓を扱うこと
刀剣を扱うこと
火縄銃を打つこと
たぶん全部武士の必修科目な気がする
しかし火縄銃普及後でも武士が手柄をたてるにはに火縄銃に優れるより
鑓働きや馬の扱いのが大事だと思う
さらに馬が最もコストがかかると思う
0785人間七七四年2015/01/12(月) 07:30:09.32ID:5igoDUhU
信長が火縄銃の練習してたのは知ってるが
実際に戦で自分で撃ってたのは初耳だな
0786人間七七四年2015/01/12(月) 08:51:42.85ID:ay0PY0dC
ここは一次史料を一切出さずに軍記講談のネタで話をするバカの集まり
こういうのが軍隊を指揮すると最悪な結果になる。
三国志演義を読みインテリを気取り生兵法で叩きあげの経験者を論破するアホ
0787人間七七四年2015/01/12(月) 11:04:08.86ID:MaJx5izF
>>786
オタクは叩きあげの経験者なのですね
どのような経歴の持ち主さんなんでしょ
0788人間七七四年2015/01/12(月) 11:50:57.59ID:QlY9m5oJ
一応この戦国板は「学問」じゃなく「趣味」のカテゴリーに分類されているんだから
一次史料が無ければダメとか固い事言わなくてもいいんじゃ?
0789人間七七四年2015/01/12(月) 13:33:51.76ID:0q2+C+ex
>>786
そりゃあ、お前の事だろw
自衛隊の体験入隊すら体験しないでインテリ気取り生兵法w
一次史料が出てても負けると見ないふりして逃げる詐欺師光秀
0790人間七七四年2015/01/12(月) 14:02:49.26ID:M1+ob4wQ
ただのアンチ光秀かwww
0791人間七七四年2015/01/12(月) 16:38:26.78ID:Vstb5C6o
光秀も鉄砲術に秀でていたといわれる
0792人間七七四年2015/01/13(火) 08:28:35.95ID:Uy0jOuDq
実際に戦場で撃ったかはわからんけどな
0793人間七七四年2015/01/13(火) 12:51:06.09ID:hTR4EvNN
陣形ってのは実際にどれくらい重要だったのかね
0794人間七七四年2015/01/13(火) 13:25:48.76ID:ynBvmZg3
陣形は貫高制や石高制の整備を背景に
武器の質量の統一と兵種ごとに再編成される兵制改革が必要。
よって陣形を組むのは武田や北条は可能でも織田には不可能。
織田は各自の才覚による個別判断で勝手に動き、
デタラメなバラバラ編成のまま各々の武辺道で戦うだけの後進的軍隊
0795人間七七四年2015/01/13(火) 13:29:09.60ID:2aBHRN9i
急にゴミレスが増えたと思ったら菅沼遼太が来てんのか
0796人間七七四年2015/01/13(火) 14:36:34.70ID:QnBHyRdV
鉄砲といえば滝川一益
0797人間七七四年2015/01/13(火) 14:49:59.42ID:jKnsP9kH
戦国時代の長柄足軽の訓練ってどうしてたんでしょうか?
戦が起こるたびにそのへんから寡兵してきたのでは練度が足りなさすぎるように思います
同時代のヨーロッパの軍隊のように一部を常備軍化してたりしたんですか?
0798人間七七四年2015/01/13(火) 14:54:55.70ID:QnBHyRdV
>>797
定期的な訓練は行われていた模様。
そのあたりは「検証・長篠合戦」にも出てる
0799人間七七四年2015/01/13(火) 14:58:25.67ID:jKnsP9kH
>>798
ありがとうございます
やっぱり訓練はちゃんとやってたんですね
ネットとかだと長柄足軽=『その辺の田んぼから引っ張ってきた素人』みたいな
扱いされてたりするのでずっと疑問でした
訓練の対象や規模が気になるんで本を読んでみます
0800人間七七四年2015/01/13(火) 15:47:45.66ID:LTvTGpLW
訓練の間、農民の本業に支障がでないように冬季に行われたのかな?
0801人間七七四年2015/01/15(木) 05:34:33.72ID:v0RUAVeP
鉄砲足軽なんて訓練無しには有り得ないよな
0802人間七七四年2015/01/15(木) 06:15:14.09ID:AkfdMddc
>>316
日本の救援軍は同時に海上機動もしているし、補給不全で飢えて凍えていた明鮮軍は壊滅するしかなかった。
0803人間七七四年2015/01/15(木) 08:20:11.54ID:eYsJqATq
補給等の兵站は石田や小西が担当していたんだろうな
0804人間七七四年2015/01/15(木) 11:35:55.37ID:R5raIoQQ
WWIIの頃の日本軍より当時の日本軍の方がしっかりしてたな
0805人間七七四年2015/01/15(木) 15:25:22.24ID:5otiU5BL
兵農分離がまだしっかりとなされてない時代だから
0806人間七七四年2015/01/15(木) 15:47:24.68ID:L+YjOFig
兵農分離(笑)

そんなものは存在しない
0807人間七七四年2015/01/15(木) 16:07:38.77ID:aYBETUDL
内容を誤解してる人が多いだけで兵農分離という政策と現象は間違いなくあるで
0808人間七七四年2015/01/15(木) 16:12:37.17ID:L+YjOFig
>>807
政策は存在しない、現象としても起こったのは江戸期、少なくとも徳川家光の時代。
軍役の銭による代納が始まってから
0809人間七七四年2015/01/15(木) 21:01:15.91ID:GRHrKVHC
信長が兵農分離を始めた、と考えている人の多いこと
0810人間七七四年2015/01/15(木) 21:16:14.09ID:JP8GBxRz
合戦の主要武器は弓矢と投石、くらいの定説だもんな
0811人間七七四年2015/01/16(金) 07:01:15.06ID:9YXWa1EY
>>810
弓矢と投石じゃ時代に差があるだろw
0812人間七七四年2015/01/16(金) 11:13:13.33ID:SiZZs8zc
投石・・・
三戦板の某コテハンの投糞機を思い出してしまったでござるw
0813人間七七四年2015/01/16(金) 14:10:17.89ID:x9OPrEeE
投糞器はネタとしても
籠城の時とか実際に便所から取ってきた糞尿を煮えたぎらせて
攻めのぼってくる敵兵に浴びせていたんでしょ?
漫画とかだと普通の熱湯になっているけど、籠城の時に超貴重品である水を
そんなことに使うとは考えられない。
0814人間七七四年2015/01/16(金) 14:19:02.73ID:DkoxuId6
水で薄めないと糞尿なんてすぐ無くなっちまうんじゃない
兵糧消費して増産すっかw
0815人間七七四年2015/01/16(金) 14:22:05.09ID:NOwXI6Qd
貴重な大釜を糞尿煮るのには使いたくねえなあ
使ったあと洗って粥煮たりすんだろうか
0816人間七七四年2015/01/16(金) 15:22:00.36ID:x9OPrEeE
>>815
元々それ専用の大釜があったか、
糞尿を煮た後は流石にそれ専用にするだろw
0817人間七七四年2015/01/16(金) 16:46:02.88ID:Rw9ozBr0
糞尿を煮えたぎらせて敵に浴びせるのは
城内の汚物も処理出来る一石二鳥の戦術
0818人間七七四年2015/01/16(金) 23:13:25.89ID:X3Nnw92h
糞は人類最古の武器らしいからな
ゴリラとかも糞を敵に投げてくるという
0819人間七七四年2015/01/17(土) 00:28:35.21ID:yx4mksGF
>>811
武田の投石隊は三方ヶ原でも大活躍じゃん
0820人間七七四年2015/01/17(土) 13:05:37.15ID:itTMHgEV
石は身近な強力な武器だな
0821人間七七四年2015/01/17(土) 16:07:14.90ID:SQryTn8l
鶴翼の陣と魚鱗の陣は三方ガ原のお陰で有名になったな
『南総里見八犬伝』の子供たちの戦ごっこの場面でも登場する
0822人間七七四年2015/01/17(土) 21:20:56.84ID:bYb4wP9R
魚鱗>>>鶴翼のイメージが定着してしまったな
陣形でなく兵数の差で負けただけなのにw
0823人間七七四年2015/01/18(日) 11:36:07.40ID:fQAXrN/u
兵力に大きな差があれば、まともに正面からぶつかり合う野戦では
勝ち目が無いだろう
0824人間七七四年2015/01/18(日) 16:15:40.70ID:ZekWnbd+
戦略での劣勢を戦術でひっくり返すのは極めて難しいと思う
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