【戦術】戦国時代の軍事学【戦略】
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0001人間七七四年
2012/08/04(土) 23:21:52.40ID:o+bXyiEt決戦兵力としての予備兵はいたのか
車懸りとは? 鶴翼や魚鱗? 付城、野戦築城とは?
意外と謎だらけな戦国時代の軍事学について色々と語るスレです
0338人間七七四年
2012/11/09(金) 21:58:36.85ID:1KLsbgno…マケドニア式ファランクスは騎馬部隊との諸兵科連合ですが……
>>337
西欧の長槍(ファランクスでもサリッサでも中世のパイク兵でも)は”縦深による槍衾”がキモなんですが……
テルシオで現実のものとなる長槍部隊同士の戦いは、互いの玉ねぎを剥きあうような戦闘で
その時、パイクが長いほうが有利、ってわけでもなかった気はしますが(決定打を与えられない)
まぁ日本では”縦深による槍衾”がなかったわけで、同じ考えでいいのか、とも言えますが
0339人間七七四年
2012/11/09(金) 23:31:19.10ID:aXyzKIaA騎兵はその場にいただけ。ファランクスにしても、真価を発揮出来る地形ではなかった
あと、パイクが長いのはその「縦深」というか、縦列を攻撃力に転化するためでも
あるのだから、普通にパイクは長い方が有利だぞ。逆に、何をもって長い方が有利な
訳ではない、と言ってるのか分からん
テルシオで決定打を担うのは銃隊と騎兵だし、パイクの長さが決定打にならないのは
何の問題にもならん。元から、決定打を与えるための武器という訳ではない
0340人間七七四年
2012/11/10(土) 00:37:47.70ID:wcS3vJ/hは議題なわけだしまだ良い
・昔の合戦でも有利だったよor昔の合戦でも変わらなかったよ
とか
・もともと殴るだけだから関係ないよor殴るんだから関係あるよ
こうなるともうわけが分からん。
結局みんな自分の頭の中で描いている戦争の絵図を引き出して相手に見せることが出来ずにヤキモキしてしまう
0341人間七七四年
2012/11/10(土) 01:23:14.35ID:kXRJVaOd三列から五列程度の縦列はちゃんと敷いていた
というか、最低三列無いと、そもそも槍衾にならん
0342人間七七四年
2012/11/11(日) 00:08:17.01ID:z9N5GrPfどこのどういう記述でそれわかる?
0343人間七七四年
2012/11/12(月) 02:16:15.58ID:kWiQG4Fv野戦じゃなく山岳戦、さらに言えば追撃戦に分類されるけど。
0344人間七七四年
2012/11/12(月) 16:20:48.68ID:QuVqSI6iヘタイロイは優秀な重騎兵部隊ですよね??
アレクサンドロスの時代に「連合」できていたのが出来なかったわけで
「騎兵と諸兵科連合をしたファランクスなら、レギオンには余裕で 勝てる」
とはいえないのでは?
あと元々は 三間槍に対する三間半槍(>>329)の優位性
日本では重量を増やしてでも長くするだけのメリットがある編成(使い方)だったのか
ってな部分を重視しての話で、他はご指摘のとおりの話だと思います
0345人間七七四年
2012/11/16(金) 04:30:05.24ID:ITJOKA8O信玄の戦い方はなんだかんだで面白いよな
カエサルとかフリードリヒとか、海外の名将の運用スケールに通じるものがある
他の大名がそういうのやってなかったってわけじゃないと思うんだけども
やっぱ甲陽軍鑑の存在感はデカいんだな。歴史家達が真書としたがる気持ちは分かる。
0346人間七七四年
2012/11/16(金) 10:48:33.22ID:zWCUxfhP0347人間七七四年
2012/11/17(土) 07:12:14.16ID:FPxxjgvz三増峠の戦いは、実際にどういう展開だったのかは、全く不明だよね。
軍記物の『甲陽軍鑑』『関八州古戦録』ぐらいにしかのっていなんじゃないの?
0348人間七七四年
2012/11/18(日) 03:46:50.11ID:22LUWqhD教育の世界史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1353159193/l50
0349人間七七四年
2012/11/18(日) 04:01:22.37ID:UKe2LssC0350人間七七四年
2012/11/23(金) 15:18:28.04ID:eIepHY+Fベンチがアホやから野球が出来ないみたいな
0351人間七七四年
2013/02/04(月) 00:14:03.12ID:qz1ReHXQ謙信のように「野戦に強い、野戦での戦術に秀でている」と言われる武将は
何がどう優れていたわけ?
そして、奇襲みたいなのでない普通の野戦の場合、
戦術でひっくり返せる兵力的劣勢はどれくらいが限度?
0352人間七七四年
2013/02/04(月) 19:37:44.69ID:bsgk2pUw0353人間七七四年
2013/02/18(月) 12:21:18.36ID:mm3aw5FH上段、ほぼ同じ質問を2年ぐらいまえにどっかでしたわw
それからいろいろ海外の戦史とかも勉強したけど結局分からん
特に謙信なんて一番分からん。まだ信玄は軍団の戦略的運用が凄く上手いと納得できるけど。
0354人間七七四年
2013/02/18(月) 15:22:20.08ID:CpsRY7yX0355人間七七四年
2013/02/18(月) 15:35:02.50ID:QEVRWymS0356人間七七四年
2013/02/18(月) 16:47:34.80ID:mm3aw5FHハンニバルの評価が高いのは、「包囲殲滅を考案した」っていう分かりやすい理由があるから
一方カエサルは十分な戦果を持っているにもかかわらず最高の戦争指揮官候補にしばしば漏れる。
理由は、「(ファルサルスで)なんで勝ったか分からないから」
個人的には、兵も少なく騎兵も少ないのに何故かポンペイウスに勝ってしまったカエサルも同じくらい戦争能力高いと思うのに
武田がいつのまにか騎馬軍団になったのは、多分「強い理由」「勝った理由」を後世の人間が補強したかったからだろう
謙信は「軍神だから」とかいう一言で説明されてるわけだけど、なんか保護されてるように俺は感じる
0359人間七七四年
2013/02/18(月) 22:43:52.79ID:KiPCT3lD0360人間七七四年
2013/02/18(月) 22:46:33.94ID:c0AXQ9Pk0361人間七七四年
2013/02/19(火) 01:01:38.73ID:+jY3FNb2マジレスすると統制力
普通自軍より優勢な敵と戦う際には兵は逃げ腰になる
でも上杉軍は逃げ腰になることが一度もなかった
0362人間七七四年
2013/02/19(火) 03:41:54.72ID:dx9x4bkAそもそもこと謙信に関しては史料的にも分からん。
検証できる合戦が川中島ぐらいしかない。あとはほぼ軍記になってしまう。
0363人間七七四年
2013/02/19(火) 12:37:59.06ID:a9ht/1sSどのくらいまで兵力的劣勢をひっくり返せるものなの?
0366人間七七四年
2013/02/21(木) 01:46:04.56ID:Q/XKvtBHってことぐらいしか語れないんじゃないかね
一番最初の遠征が一番うまく行って、あとはぐだぐだっていうのはいかがなものか
ぶっちゃけ軍事面で過大評価されてるとしか思えないわ
0367人間七七四年
2013/02/21(木) 11:53:43.91ID:upMdOfWRそれでも領土拡大してるのは
だまし討ちした時だけ。
0368人間七七四年
2013/02/21(木) 22:19:19.78ID:eZSnulg00369人間七七四年
2013/02/23(土) 13:41:13.20ID:050pG4aphttp://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1361426993/l50
0370人間七七四年
2013/03/08(金) 04:54:03.21ID:JmrG/3QJ「ギリシャのファランクスは味方の死亡兵、負傷兵の穴を、後ろの軍勢が詰めて穴埋めすることで補った
ローマのレギオンは最前線を撤退させ、新手の二列目を押し出すことで補った」
みたいなのがあってなるほどと思った。日本の戦国時代ではどうだったんだろうかね
0371人間七七四年
2013/03/08(金) 23:38:40.34ID:tGK6GpOu0372人間七七四年
2013/03/09(土) 11:01:09.76ID:K4qNsiEu0373人間七七四年
2013/03/09(土) 23:36:14.51ID:T1qM/2VK歩兵操典が残ってるわけじゃないからあれだけど、
幅を詰めるのは理論的じゃないから普通に2列目が前に出てたんだろう。
0374人間七七四年
2013/03/14(木) 08:59:15.42ID:q9GENjmK家毎に各兵種を揃えて参陣する訳だよね
結局のところ、部隊編成ってどうなってたの?
陪臣も持たないような小禄の家は普段から、槍衆三十人組とか一纏まりの集団に属して組頭の下に編成されていたようだが
大身の家の陪臣などがどういう配置になっていたのか想像もつかない
0375人間七七四年
2013/03/14(木) 09:21:48.10ID:cH3b3gRm江戸時代なら、知行の平均化が行われているから騎馬隊の武士は最低限の供回りしかおらず、
比較的多くの陪臣がいる指揮官たる侍大将なんかは、それ自体が予備隊の役割を果たす
0376人間七七四年
2013/03/15(金) 00:00:27.76ID:lQZbodLl0377人間七七四年
2013/03/15(金) 13:56:07.28ID:Yrf1/BIQ0378人間七七四年
2013/03/15(金) 18:34:21.55ID:yMmsVFlJ「軍事の話を歴史研究家の人の集まりでしようとすると『よそでやってくれ』って空気になる」
って話は考えさせられたな
変な話、ノブヤボ世代が研究家として成熟したときに戦国時代の軍事学は花開くかもねw
0379人間七七四年
2013/03/15(金) 19:33:02.98ID:slxYbGxi早く軍事の研究が進んで欲しいわ。
0380人間七七四年
2013/03/16(土) 23:11:56.45ID:X11C3si2僅か70年前のWWUですら曖昧になっている
0382人間七七四年
2013/03/17(日) 06:28:10.40ID:RFCp0PuE0383人間七七四年
2013/03/18(月) 12:16:08.89ID:0TDr6A8I0384人間七七四年
2013/03/18(月) 13:24:31.02ID:yqpXUvd50385人間七七四年
2013/03/18(月) 21:28:55.84ID:dTBbGN+zWWUなら研究されてるだろ。民間だが。
分からないことも多いのは軍隊は敵の手に渡りそうな時とか
全書類焼却することが義務付けられてたから
敗戦の時は全国の基地で盛大な焚き火だったし
0386人間七七四年
2013/03/19(火) 02:02:20.79ID:mIjRX0GG0387人間七七四年
2013/03/19(火) 03:23:26.43ID:oSzXkNiR0389人間七七四年
2013/05/01(水) 01:40:19.27ID:HQbWm1sY「軍隊は動いている間は摘発できるから飢えない。停止すると(つまり包囲戦すると)飢える」
ってあって面白かった。
海外の戦史の話なんだが、戦国時代も似たようなもんだったろう
0390人間七七四年
2013/05/01(水) 15:26:23.22ID:ZMuX8XD3代金の支払もせずに徴発するような事はあったんだろうか?
0391人間七七四年
2013/05/01(水) 16:03:18.79ID:nn1ElgKs禁制が発行されて基本的には略奪不可
ただし馬の飼料の大豆とかは強制徴収可
大量に消費するから止むを得ずなんだろうけど
物や場合によってはな面もあるっちゅうことやね
0392人間七七四年
2013/05/01(水) 20:01:29.62ID:ZMuX8XD3贅沢だな
0393人間七七四年
2013/05/02(木) 10:05:06.73ID:NcFkJ+x/0394人間七七四年
2013/05/02(木) 10:43:19.49ID:yDjPulh2・どの様に?(誰か教師が?、それとも書物か何かで独学ですか?)
勉強してたのでしょうか
どうかご教授下さい
0395人間七七四年
2013/05/02(木) 11:06:52.42ID:SmZCH6Gbまた軍記や中国兵法書も教養の内です。
0396人間七七四年
2013/05/02(木) 13:23:08.50ID:upvhkMJ30397人間七七四年
2013/05/02(木) 14:06:19.19ID:yDjPulh2>禅宗の坊ず
それは「禅宗」でしかダメ…なのでしょうか?
他の宗派とかは出来なかったのでしょうか?
0398人間七七四年
2013/05/02(木) 14:52:01.17ID:z4vsw5kfっていう風に思われてた時期もあったけど、
「軍師は占いやってただけ」ってことになっちゃってうやむやだよね
0399人間七七四年
2013/05/02(木) 17:46:24.43ID:NcFkJ+x/そういう決まりがあるわけではないが、
武家の参謀には禅僧が多い傾向。
禅宗以外なら空海が天台宗。
本願寺の武官に下間氏がいたり
0401人間七七四年
2013/05/03(金) 10:00:21.87ID:niV13QZ6信憑性のほとんどない軍記だと戦術がファンタジーになってるから。
0402人間七七四年
2013/05/03(金) 10:12:36.83ID:gebgZCnY研究が進みようもない
0403人間七七四年
2013/05/04(土) 04:19:03.99ID:N24S4jPb今気づいてポチってきた
だれか読んだ人いる?
0404人間七七四年
2013/05/04(土) 13:03:54.91ID:i64USUpHどちらかといえば他の学者の反論本が読みたいところだけどな
まだまだ孤軍奮闘って感じ
0405人間七七四年
2013/05/04(土) 14:55:32.70ID:3IO2wfWkへーそんなのやってるんだ物好きだねー程度で
桶狭間正面突撃説とか無検証でいろんな学者が採用してる体たらくだし
0406人間七七四年
2013/05/04(土) 14:57:49.28ID:SiDwMHKFここに来ました、どうかお歴々のお知恵を拝借下さい。
「火縄銃の部品点数」って幾つ位なのでしょうか?」
どうかよろしくご教授下さい。
0408人間七七四年
2013/05/04(土) 15:15:40.12ID:FpbL+zkrこんな感じ
http://www.poverty.jeez.jp/loda/img/iyan13084.jpg
0409人間七七四年
2013/05/04(土) 15:28:23.88ID:N24S4jPbちょっと前にでた歴史評論3月号で反論も含んだ論文が掲載されてたよ
その号のテーマが「戦国時代の軍隊と戦争」だったし
「戦争」そのものを研究対象にすることも若手の研究者の間ではそんなに抵抗感がなくなってきてるのではなかろうか
0413人間七七四年
2013/07/11(木) NY:AN:NY.ANID:akxDwJDb則竹雄一氏の論文に西股氏の論が出てて、概ね評価してたけど、
・兵種別編成への転換は完全に行われたのではなく、まだ領主別編成が残った二元構造だったんではないか。
・軍役で大多数を傭兵で賄ったとするのは近年の雑兵論に影響されすぎで、基本は被官層で構成したはずだ。
・足軽は大名直属の傭兵から広まったとするのは明確な史料が無い。
っていう批判というか反論があった。
0414人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:knTgOkCK0415人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:knTgOkCKage
0416人間七七四年
2013/11/21(木) 19:31:43.58ID:fcmXNW9Q敵が慌てて出てきたとこ潰せばいいじゃん?三方ヶ原みたいに
それか最低限の抑え残して本隊は先進むとか
関とかも周り山越えして突破しちゃえばいいじゃん
険峻なとこでも少数部隊でもって突破して裏側と表から挟撃しちゃえばいいじゃん?
0417人間七七四年
2013/11/21(木) 20:44:36.87ID:XK2CsAVL初めから城に籠らんよ。最低限の抑え残して本体は先に進むのもいいね。峻険なとこでも少数部隊って、誰がやるかだよな。
城攻めしている方は勝ち組であって、あえて命の危険に晒そうっていう物好きはいないね。
0418人間七七四年
2013/11/21(木) 20:55:52.96ID:5RHgOWJ1>それか最低限の抑え残して本隊は先進むとか
「田分け」って言葉を知ってるかい?
兵を何回も分けて続けていけばどうなるか想像してみてごらん
0419人間七七四年
2013/11/21(木) 21:24:55.61ID:cgDcQOO5そしてそうしたからと言って目標とする相手が確実に滅ぼせるという保証はないんだぞ
資金的、人的な浪費をどこでカバーするんだよ
>>416は典型的な馬鹿の妄想
0420人間七七四年
2013/11/21(木) 21:33:11.70ID:d2i+TOrH三方ヶ原反転遅れたら背後突かれて死亡
山越え時間と物資の浪費。敵に悟られたら無意味
少数部隊で強攻損害大きい、失敗したら戦力の逐次投入損害増大
軍事って難しいやね
0421人間七七四年
2013/11/21(木) 21:51:13.21ID:fcmXNW9Qそりゃ何度も分けて進めばどんどん本隊の兵は減るだろうけど
敵領深くの城落とせばそれまで抑え置いておいた城とか降伏する可能性大じゃん?
降伏しなかったとしてもそれ以上進まずに抑えの兵置いといた城に引き返してじっくり攻めればいいし
どっちにしろ効率的なやり方だと思ったけど古今東西の名将がやってないってことは俺の考えは間違いなんだろうな
なんかすまん
0422人間七七四年
2013/11/21(木) 22:08:45.67ID:d2i+TOrH0423人間七七四年
2013/11/21(木) 22:14:32.88ID:5RHgOWJ1>敵領深くの城落とせばそれまで抑え置いておいた城とか降伏する可能性大じゃん?
その敵領深くの城に辿り着いた時に味方の兵力がかなり減っているわけで
兵数が減るということは堅牢な敵城を攻略する手法が減るわけで
そもそも敵将は相手の兵力を削ることが目的なわけで
不慣れな土地で安全の質を落とすと何が起こるかわからないわけで
例1 塩買坂合戦では勝者の今川氏が凱旋中に討死
戦国時代の合戦は兵数で決まるのが普通だから多ければ多いほど勝機がある
河越合戦や厳島合戦みたいな大軍が敗退する方が異常
まあ戦に勝っても命を失ったら意味が無いということですよ
0424人間七七四年
2013/11/21(木) 22:28:21.69ID:5RHgOWJ1連絡役は少人数だから敵地の領民が集団で襲撃する可能性が非常に高い
情報が漏れたら命取りになるってところかな
0425人間七七四年
2013/11/21(木) 23:58:20.36ID:d2i+TOrH武士や武装農民ってゲリラだから。川中島屏風絵にも描かれてるけど
0426人間七七四年
2013/11/22(金) 06:16:24.55ID:20PsjIhU0427人間七七四年
2013/11/22(金) 19:18:05.23ID:YPPJfyZx0428人間七七四年
2013/11/23(土) 19:01:10.16ID:u+kHolpzさらに黒駒合戦の敗退で相模ルートも絶たれ氏直本軍の孤立化が決定的になった
北条は兵站線を考えてたが徳川にしてやられたと見るべきかと
逆に北条が徳川の兵站線を破壊 する発想があれば別の結末もあっただろう
兵力の多さで圧しきろうとした北条に油断があったな
0429人間七七四年
2013/11/23(土) 19:28:27.01ID:RnxY6h53http://music.geocities.jp/jphope21/0203/39/266_1.html
そこに戦術の特徴があったのだ。
( http://music.geocities.jp/jphope21/0104/41/271.html )
0430人間七七四年
2013/11/23(土) 20:14:14.31ID:DiBeaoar元々甲斐の穴山領に当たる巨摩郡は穴山信君死後あっさり家康の物になったし
家康は旧武田国人を武田滅亡後までかくまってたから、依田も禰津も武川衆も恩義のある家康に対してあっさり恭順するどころか
北条軍相手に活躍してたし、甲斐への足がかりが丸きり違うわな。
北条方は甲斐を徳川に制圧されると上野〜信濃ルートと補給戦も領土も細長く飛び地的になるし
背後に上杉もいるしで地勢的に孤立しやすく、維持が大変だし。
0431人間七七四年
2013/11/23(土) 20:26:29.15ID:4P+yE56Jあれで北条は力攻めが難しくなった
この辺の塹壕線構築は長篠の戦い以降、賤ヶ岳や小牧・長久手に至るトレンドになる
0432人間七七四年
2013/11/23(土) 20:38:48.65ID:ZRoUk6ZWまあ、新府城の向かいに城を築いたりして北条方を迎撃してたとは思うけど。
0433人間七七四年
2013/11/23(土) 20:46:41.30ID:xoflkUUo徳川の戦略目標は西に盟友織田がいるから必然的に駿河や甲斐になる
この双方の歴史背景の違いも戦略手法の数の差を生んだね
0434人間七七四年
2013/11/23(土) 20:54:37.60ID:4P+yE56J能見城を中心に微高地を遮断する塹壕線を形成したとされる
http://www15.ocn.ne.jp/~castle04/nokenjo.html
0435人間七七四年
2013/11/23(土) 22:42:41.74ID:UcE1Us7k0436人間七七四年
2013/11/23(土) 22:47:50.79ID:5LViEUVG小田原の陣でも徳川塹壕陣地は総構えに食い込む感じにガッツリ作ったそうだ
0437人間七七四年
2013/11/24(日) 10:24:19.40ID:VlkFFc4nむしろ小牧山には柵も付けずかけはなちに陣取らせ給う(三河物語)と無防備に
兵を展開してたのがわかる
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