【戦術】戦国時代の軍事学【戦略】
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0001人間七七四年
2012/08/04(土) 23:21:52.40ID:o+bXyiEt決戦兵力としての予備兵はいたのか
車懸りとは? 鶴翼や魚鱗? 付城、野戦築城とは?
意外と謎だらけな戦国時代の軍事学について色々と語るスレです
0291人間七七四年
2012/10/06(土) 05:26:20.70ID:Osc58hFE伏兵が側面攻撃した後、囮だった部隊が反転だから、そんな役ないぞ
>兵士の並べ方が違うだろうから
ここ具体的によろしく 自分の知ってる記録には残ってないので……
0292人間七七四年
2012/10/06(土) 09:44:53.47ID:OpXHtfW0ハンニバルみたいな包囲攻撃をする際の中央のことを言っているのだろう
「違うだろうから」は推測の言い方だから具体例はないだろう
0293人間七七四年
2012/10/06(土) 09:49:39.97ID:8YI+CqXD0295人間七七四年
2012/10/06(土) 11:48:56.25ID:Osc58hFE鉄床戦術でも、拘束する主軍と迂回攻撃する副軍2つだけで陣形っていうのは……
揚げ足じゃなくて、なんか観念論ばかりでよくわからんから
具体的に「陣形」をどのような形でイメージしてるのか、それが知りたいだけだよ
(実際にあった戦闘で説明してくれるとありがたいのだけど)
0296人間七七四年
2012/10/06(土) 12:29:21.24ID:kv/871GG地形・状況に合わせて配置して、後から「このカタチだと〇〇の陣形だな」と判断している
なんでかというとソッチのほうが説明しやすいから
0297人間七七四年
2012/10/06(土) 12:51:37.17ID:yvkrLu9+太田牛一ですら、「陣を何段に分け」っていって、横陣の数しか言及してない
0298人間七七四年
2012/10/06(土) 22:59:59.58ID:vw4XfJiG日本史の場合陣形が変化するので野戦の布陣図は途中経過でしかないから判断し難い
ちなみに姉川の戦いはマケドニア対ペルシャ【イッソスの戦い】の再現
織田の陣形はアレキサンダー大王がやったのと全く同じ斜行陣
勝敗に偶然は無いとは思うが、知っててやったのか偶然同じなのかは知らんw
0299人間七七四年
2012/10/07(日) 00:01:21.02ID:qXWg96nB何をオカルトめいたこと言ってるんだ
0300人間七七四年
2012/10/07(日) 00:11:56.76ID:oGdXYNccどこソースだよ
0301人間七七四年
2012/10/07(日) 02:30:45.20ID:CkId778k0302人間七七四年
2012/10/07(日) 03:24:22.77ID:9/7YkmgXエパミノンダス(レウクトラ)やお父さんのフィリポス(カイロネイア)が有名だけど
自らヘタイロイ(重装騎兵)を率いハンマーとしたアレキサンダーは使ったことがないと思うんだ……
0303人間七七四年
2012/10/07(日) 07:58:30.99ID:jYy4TFp50304人間七七四年
2012/10/07(日) 08:47:57.70ID:Mr3L9O4/よく三方原は魚鱗vs鶴翼とか言われるけど。
0305人間七七四年
2012/10/07(日) 10:38:46.68ID:TUwBKsHkポーランドなら、
中央に重騎兵、その両翼に歩兵と砲兵、更に両翼に中騎兵、最両翼に軽騎兵。
オスマントルコなら、
中央前面に非正規歩兵、その背後に砲兵、更に背後にイエニチェリ、両翼と中央背後に騎兵。
これを基本として地形や戦況に合わせて布陣したらしよ。
何でも出来る魔法の陣形なんて無いだろうからね。
ソースは
「Renaissance Armies 1480-1650」
後年の著作だと言われれば、それまでだけどw
0306人間七七四年
2012/10/07(日) 18:59:25.35ID:CkId778kそれが後世先例として中国にあった〜陣に当てはめられただけだと思う
戦してる当人たち(部隊長以上)は作戦概要を掴んで配置についてるはずだけど
「これが〜陣と呼ばれるものだ」といちいちは意識してないと思うな
0307人間七七四年
2012/10/08(月) 01:04:49.10ID:Gu16grLh俺はあの作者が唱える「備えを立てる=兵科ごとへの再編成」っていうのがやっぱり納得いかん
軍事技術上の必要性としてそうなるのは理解できるが、やっぱ封建領主の論理をどうやって打破したのかって説明が欲しい
武家=軍事政権だからで済まされちゃかなわん
0308人間七七四年
2012/10/08(月) 01:34:07.44ID:A9lYbeW1「配下がひと束になってどっか別の備えに行ったりしてたから」
っていうことだとすると一応の答えにはなってるなと感じた。
積極的に肯定するつもりはないけれども
0309人間七七四年
2012/10/08(月) 02:03:00.97ID:WMApMPBZただし「備」に純粋な騎兵隊がなく、鉄砲操練に戦闘時の”集団行動”が存在しないこと
当時の布陣が、単一兵種部隊化が進んだ西欧では鉄砲部隊は主力火力として陣中央に配置
それに対し、日本では主力(槍騎馬等)突撃部隊の両脇に配置されたこと(火力集中の概念がない)
以上で、「兵科ごとへの再編成は(多くは足軽衆として)試みられたが実現しなかった」
…つまり「備えを立てる=兵科ごとへの再編成」は日本では現実化しなかった、かと自分は思う
まぁ諸説紛々なんだから、そこは自分で判断するしか
0310人間七七四年
2012/10/08(月) 02:05:56.17ID:WMApMPBZそれって、単に「所領や一族家族を人質?に取られてるから」じゃないかな
平時には、けっこうフラフラしてるし……
0311人間七七四年
2012/10/08(月) 02:17:58.60ID:A9lYbeW1>まぁ諸説紛々なんだから、そこは自分で判断するしか
いやそこは「皆で情報交換してなるべく共有していこう」ってならないとダメなんじゃねw
0312人間七七四年
2012/10/08(月) 10:54:57.41ID:C3OH3DNf>鉄砲部隊が主力(槍騎馬等)突撃部隊の両脇に配置された=火力集中の概念がない
は、疑問かと。
それは主力突撃部隊の支援の為に火力集中しているとも見えます。
(共通の戦術ドクトリンの下、連係が取れている事が前提ですが・・・)
>>305にも有る様に、当時のポーランドは重騎兵(突撃部隊)の両翼に、歩兵(銃兵、槍兵)更には砲兵を配置して火力支援していました。
必要な箇所に必要な火力を集中させる事が火力集中で有り、中央に配置する事では無いかと。
(中央背後に予備として配置するなら別ですが)
それと当時のヨーロッパでは単一兵種部隊化からさらに進み、諸兵科連合部隊化しつつ有りました。
テルシオもマウリッツの大隊も銃兵と槍兵から成る部隊(戦術体形、戦術単位)でしたし、騎兵部隊の一部は支援の為の随伴歩兵を部隊内に持っていました。
日本がどうだったのかは解りませんが、対比対象のヨーロッパはこんな感じでした。
0313人間七七四年
2012/10/09(火) 04:00:22.28ID:vy32KRaW備=大隊ってことか
「単一兵科=先進的」って、『戦国の軍隊』の人もここでも認識してる人いるが、それ自体が誤謬だったと
0314人間七七四年
2012/10/09(火) 14:09:34.96ID:a6HpCWcVポーランドの場合、側面は軽騎兵で守ってますが日本は放置なので……
>>313
「備」は諸兵科連合前提じゃないとおもうよ(徴兵元で分けてるから)
0315人間七七四年
2012/10/09(火) 14:38:18.36ID:m9qNN0Yq日本の迂回部隊は山越え谷越えする場合が多いので速度以上に隠密性重視かと
あとナポレオンの菱型陣形は多少武器が違うけど方円に近いね
0316人間七七四年
2012/10/09(火) 17:50:57.54ID:J58kL32N0317人間七七四年
2012/10/31(水) 23:54:06.02ID:9VCDBAR30318人間七七四年
2012/11/01(木) 01:23:25.15ID:PmTgFurd織田とかは蛮族戦士がてんでばらばらに功を競いあう程度の戦闘だったろう
0320人間七七四年
2012/11/01(木) 15:25:07.09ID:Jd++iOAr0321人間七七四年
2012/11/01(木) 17:36:18.15ID:wa9MXoK40322人間七七四年
2012/11/01(木) 18:01:23.56ID:pCc7JlSc0323人間七七四年
2012/11/01(木) 19:22:23.03ID:wa9MXoK4必要以上の長槍は戦闘用ではなく装飾用
0324人間七七四年
2012/11/02(金) 01:03:17.64ID:gqjC5NTI0325人間七七四年
2012/11/02(金) 12:06:54.09ID:zVxoLwM/備単位で対応するから、横撃にも対応可能ですよ
0326人間七七四年
2012/11/08(木) 01:19:48.55ID:YP3DEv0Y「あれ実は織田軍団でもそこまで定着しなかったんじゃないか」
っていう考察をどっかのブログで見たな。他に記述に出てこないとか。
700で精鋭を鍛えてるってときには有効だったかもしれんが、軍団が拡充されていくにつれて廃れていったのかも
0327人間七七四年
2012/11/08(木) 02:22:29.92ID:JlK/Kj6h日本のような戦闘の場合、ちょっと長くなったからって有利になるわけでもないよね
(雑兵物語でも上下に殴ってるし、それほど長さを活かす使い方してない)
結局、銃撃で混乱させる→重装侍中心とした複合兵装ユニットの突撃
…ってな戦法が一般化したので、槍の長さとか問題にされなくなったのかも
0328人間七七四年
2012/11/08(木) 04:32:30.50ID:roMhGdLH0329人間七七四年
2012/11/08(木) 06:12:44.41ID:JlK/Kj6h当時の一般的な三間槍(5.7mm)に対して三間半槍(6.3m)は60cmくらいしか差がありません
これが横一列で叩き合う当時の戦で、どれくらいの有利さだったのか、非常に疑問だと思いますよ
ちなみに当時の西欧でもパイク(5m)に対して「振る」使い方をするハルバートは1.6〜3m
(スイス傭兵はパイクとハルバートの混在)
また日本でも手槍は蜻蛉切り(3.5m)、日本号(3.2m)御手杵(3.8m)
三間槍も三間半槍も長過ぎてちょっと使い勝手が悪い気はするんですよね……
0331人間七七四年
2012/11/08(木) 11:10:29.22ID:mau+Rdlr0332人間七七四年
2012/11/08(木) 22:29:04.35ID:YP3DEv0Yマケドニア式ファランクスも6mの槍だけど騎馬突撃に対する防御でああなったわけじゃないんじゃない?
中央に歩兵、両脇に騎兵っていう会戦スタイルの真ん中に置かれたんだから
0333人間七七四年
2012/11/09(金) 00:58:12.81ID:aXyzKIaAスイス傭兵だってパイク装備が標準だし
対騎兵限定という訳では全然ないよ。テルシオだって歩兵にも非常に有効だしな
0334人間七七四年
2012/11/09(金) 02:04:55.55ID:1KLsbgno古代ギリシアでは元々2〜2.7m程度の槍(ドリュ)で横3x縦8隊列)であったのを
更に大型密集隊列(16x16)にした(しかも五列目まで構える槍衾)ためサリッサは6m程度の長さが必要になったような
しかもサリッサ自体長大化することで機動性を失いレギオン(散開白兵戦術)のいいカモにされたわけですし
テルシオ時代のパイク兵でも縦深20〜30の隊列での”必要な長さ”であるわけで(マウリッツ改革後でも縦深10列)
しかし火力の増加によってパイク兵は脇役になっていくわけで
種子島の火力に夢中だった、しかも隊列に縦深がない(本場の槍衾には程遠い)日本の場合で
槍を長大化する必要性、てのは、あまりない気がしますが……
0335人間七七四年
2012/11/09(金) 03:33:55.28ID:8/tvUrXsレギオンに負けたのはただレギオンが優秀だったからで、
3世紀以上もったんだからマケドニア式ファランクスは優秀だったと思うよ
下段の隊列の縦深の問題で効果があるかどうか考えたほうが良いだろうね
0336人間七七四年
2012/11/09(金) 08:00:44.28ID:aXyzKIaA騎兵相手にはボロ負けしてるんでね
ファランクスもレギオンも両方とも、騎兵が不足していた時代に興隆した戦術に
過ぎないし、騎兵と諸兵科連合をしたファランクスなら、レギオンには余裕で
勝てる
0337人間七七四年
2012/11/09(金) 08:28:55.70ID:aXyzKIaA歩兵戦にも有利に働くのだから、長い必要性は充分にあるよ
突くにせよ打ち払うにせよ、槍が長い方が有利なんだからな。縦深なんか
何の関係も無いよ
0338人間七七四年
2012/11/09(金) 21:58:36.85ID:1KLsbgno…マケドニア式ファランクスは騎馬部隊との諸兵科連合ですが……
>>337
西欧の長槍(ファランクスでもサリッサでも中世のパイク兵でも)は”縦深による槍衾”がキモなんですが……
テルシオで現実のものとなる長槍部隊同士の戦いは、互いの玉ねぎを剥きあうような戦闘で
その時、パイクが長いほうが有利、ってわけでもなかった気はしますが(決定打を与えられない)
まぁ日本では”縦深による槍衾”がなかったわけで、同じ考えでいいのか、とも言えますが
0339人間七七四年
2012/11/09(金) 23:31:19.10ID:aXyzKIaA騎兵はその場にいただけ。ファランクスにしても、真価を発揮出来る地形ではなかった
あと、パイクが長いのはその「縦深」というか、縦列を攻撃力に転化するためでも
あるのだから、普通にパイクは長い方が有利だぞ。逆に、何をもって長い方が有利な
訳ではない、と言ってるのか分からん
テルシオで決定打を担うのは銃隊と騎兵だし、パイクの長さが決定打にならないのは
何の問題にもならん。元から、決定打を与えるための武器という訳ではない
0340人間七七四年
2012/11/10(土) 00:37:47.70ID:wcS3vJ/hは議題なわけだしまだ良い
・昔の合戦でも有利だったよor昔の合戦でも変わらなかったよ
とか
・もともと殴るだけだから関係ないよor殴るんだから関係あるよ
こうなるともうわけが分からん。
結局みんな自分の頭の中で描いている戦争の絵図を引き出して相手に見せることが出来ずにヤキモキしてしまう
0341人間七七四年
2012/11/10(土) 01:23:14.35ID:kXRJVaOd三列から五列程度の縦列はちゃんと敷いていた
というか、最低三列無いと、そもそも槍衾にならん
0342人間七七四年
2012/11/11(日) 00:08:17.01ID:z9N5GrPfどこのどういう記述でそれわかる?
0343人間七七四年
2012/11/12(月) 02:16:15.58ID:kWiQG4Fv野戦じゃなく山岳戦、さらに言えば追撃戦に分類されるけど。
0344人間七七四年
2012/11/12(月) 16:20:48.68ID:QuVqSI6iヘタイロイは優秀な重騎兵部隊ですよね??
アレクサンドロスの時代に「連合」できていたのが出来なかったわけで
「騎兵と諸兵科連合をしたファランクスなら、レギオンには余裕で 勝てる」
とはいえないのでは?
あと元々は 三間槍に対する三間半槍(>>329)の優位性
日本では重量を増やしてでも長くするだけのメリットがある編成(使い方)だったのか
ってな部分を重視しての話で、他はご指摘のとおりの話だと思います
0345人間七七四年
2012/11/16(金) 04:30:05.24ID:ITJOKA8O信玄の戦い方はなんだかんだで面白いよな
カエサルとかフリードリヒとか、海外の名将の運用スケールに通じるものがある
他の大名がそういうのやってなかったってわけじゃないと思うんだけども
やっぱ甲陽軍鑑の存在感はデカいんだな。歴史家達が真書としたがる気持ちは分かる。
0346人間七七四年
2012/11/16(金) 10:48:33.22ID:zWCUxfhP0347人間七七四年
2012/11/17(土) 07:12:14.16ID:FPxxjgvz三増峠の戦いは、実際にどういう展開だったのかは、全く不明だよね。
軍記物の『甲陽軍鑑』『関八州古戦録』ぐらいにしかのっていなんじゃないの?
0348人間七七四年
2012/11/18(日) 03:46:50.11ID:22LUWqhD教育の世界史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1353159193/l50
0349人間七七四年
2012/11/18(日) 04:01:22.37ID:UKe2LssC0350人間七七四年
2012/11/23(金) 15:18:28.04ID:eIepHY+Fベンチがアホやから野球が出来ないみたいな
0351人間七七四年
2013/02/04(月) 00:14:03.12ID:qz1ReHXQ謙信のように「野戦に強い、野戦での戦術に秀でている」と言われる武将は
何がどう優れていたわけ?
そして、奇襲みたいなのでない普通の野戦の場合、
戦術でひっくり返せる兵力的劣勢はどれくらいが限度?
0352人間七七四年
2013/02/04(月) 19:37:44.69ID:bsgk2pUw0353人間七七四年
2013/02/18(月) 12:21:18.36ID:mm3aw5FH上段、ほぼ同じ質問を2年ぐらいまえにどっかでしたわw
それからいろいろ海外の戦史とかも勉強したけど結局分からん
特に謙信なんて一番分からん。まだ信玄は軍団の戦略的運用が凄く上手いと納得できるけど。
0354人間七七四年
2013/02/18(月) 15:22:20.08ID:CpsRY7yX0355人間七七四年
2013/02/18(月) 15:35:02.50ID:QEVRWymS0356人間七七四年
2013/02/18(月) 16:47:34.80ID:mm3aw5FHハンニバルの評価が高いのは、「包囲殲滅を考案した」っていう分かりやすい理由があるから
一方カエサルは十分な戦果を持っているにもかかわらず最高の戦争指揮官候補にしばしば漏れる。
理由は、「(ファルサルスで)なんで勝ったか分からないから」
個人的には、兵も少なく騎兵も少ないのに何故かポンペイウスに勝ってしまったカエサルも同じくらい戦争能力高いと思うのに
武田がいつのまにか騎馬軍団になったのは、多分「強い理由」「勝った理由」を後世の人間が補強したかったからだろう
謙信は「軍神だから」とかいう一言で説明されてるわけだけど、なんか保護されてるように俺は感じる
0359人間七七四年
2013/02/18(月) 22:43:52.79ID:KiPCT3lD0360人間七七四年
2013/02/18(月) 22:46:33.94ID:c0AXQ9Pk0361人間七七四年
2013/02/19(火) 01:01:38.73ID:+jY3FNb2マジレスすると統制力
普通自軍より優勢な敵と戦う際には兵は逃げ腰になる
でも上杉軍は逃げ腰になることが一度もなかった
0362人間七七四年
2013/02/19(火) 03:41:54.72ID:dx9x4bkAそもそもこと謙信に関しては史料的にも分からん。
検証できる合戦が川中島ぐらいしかない。あとはほぼ軍記になってしまう。
0363人間七七四年
2013/02/19(火) 12:37:59.06ID:a9ht/1sSどのくらいまで兵力的劣勢をひっくり返せるものなの?
0366人間七七四年
2013/02/21(木) 01:46:04.56ID:Q/XKvtBHってことぐらいしか語れないんじゃないかね
一番最初の遠征が一番うまく行って、あとはぐだぐだっていうのはいかがなものか
ぶっちゃけ軍事面で過大評価されてるとしか思えないわ
0367人間七七四年
2013/02/21(木) 11:53:43.91ID:upMdOfWRそれでも領土拡大してるのは
だまし討ちした時だけ。
0368人間七七四年
2013/02/21(木) 22:19:19.78ID:eZSnulg00369人間七七四年
2013/02/23(土) 13:41:13.20ID:050pG4aphttp://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1361426993/l50
0370人間七七四年
2013/03/08(金) 04:54:03.21ID:JmrG/3QJ「ギリシャのファランクスは味方の死亡兵、負傷兵の穴を、後ろの軍勢が詰めて穴埋めすることで補った
ローマのレギオンは最前線を撤退させ、新手の二列目を押し出すことで補った」
みたいなのがあってなるほどと思った。日本の戦国時代ではどうだったんだろうかね
0371人間七七四年
2013/03/08(金) 23:38:40.34ID:tGK6GpOu0372人間七七四年
2013/03/09(土) 11:01:09.76ID:K4qNsiEu0373人間七七四年
2013/03/09(土) 23:36:14.51ID:T1qM/2VK歩兵操典が残ってるわけじゃないからあれだけど、
幅を詰めるのは理論的じゃないから普通に2列目が前に出てたんだろう。
0374人間七七四年
2013/03/14(木) 08:59:15.42ID:q9GENjmK家毎に各兵種を揃えて参陣する訳だよね
結局のところ、部隊編成ってどうなってたの?
陪臣も持たないような小禄の家は普段から、槍衆三十人組とか一纏まりの集団に属して組頭の下に編成されていたようだが
大身の家の陪臣などがどういう配置になっていたのか想像もつかない
0375人間七七四年
2013/03/14(木) 09:21:48.10ID:cH3b3gRm江戸時代なら、知行の平均化が行われているから騎馬隊の武士は最低限の供回りしかおらず、
比較的多くの陪臣がいる指揮官たる侍大将なんかは、それ自体が予備隊の役割を果たす
0376人間七七四年
2013/03/15(金) 00:00:27.76ID:lQZbodLl0377人間七七四年
2013/03/15(金) 13:56:07.28ID:Yrf1/BIQ0378人間七七四年
2013/03/15(金) 18:34:21.55ID:yMmsVFlJ「軍事の話を歴史研究家の人の集まりでしようとすると『よそでやってくれ』って空気になる」
って話は考えさせられたな
変な話、ノブヤボ世代が研究家として成熟したときに戦国時代の軍事学は花開くかもねw
0379人間七七四年
2013/03/15(金) 19:33:02.98ID:slxYbGxi早く軍事の研究が進んで欲しいわ。
0380人間七七四年
2013/03/16(土) 23:11:56.45ID:X11C3si2僅か70年前のWWUですら曖昧になっている
0382人間七七四年
2013/03/17(日) 06:28:10.40ID:RFCp0PuE0383人間七七四年
2013/03/18(月) 12:16:08.89ID:0TDr6A8I0384人間七七四年
2013/03/18(月) 13:24:31.02ID:yqpXUvd50385人間七七四年
2013/03/18(月) 21:28:55.84ID:dTBbGN+zWWUなら研究されてるだろ。民間だが。
分からないことも多いのは軍隊は敵の手に渡りそうな時とか
全書類焼却することが義務付けられてたから
敗戦の時は全国の基地で盛大な焚き火だったし
0386人間七七四年
2013/03/19(火) 02:02:20.79ID:mIjRX0GG0387人間七七四年
2013/03/19(火) 03:23:26.43ID:oSzXkNiR0389人間七七四年
2013/05/01(水) 01:40:19.27ID:HQbWm1sY「軍隊は動いている間は摘発できるから飢えない。停止すると(つまり包囲戦すると)飢える」
ってあって面白かった。
海外の戦史の話なんだが、戦国時代も似たようなもんだったろう
0390人間七七四年
2013/05/01(水) 15:26:23.22ID:ZMuX8XD3代金の支払もせずに徴発するような事はあったんだろうか?
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