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【戦術】戦国時代の軍事学【戦略】

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0001人間七七四年2012/08/04(土) 23:21:52.40ID:o+bXyiEt
戦列歩兵はどう並んでいたのか
決戦兵力としての予備兵はいたのか
車懸りとは? 鶴翼や魚鱗? 付城、野戦築城とは?

意外と謎だらけな戦国時代の軍事学について色々と語るスレです
0247人間七七四年2012/09/27(木) 17:11:03.92ID:dXmEqosF
>>246
高名な浪人は馬乗りなんかの傭兵隊長みたいなもんだから、それなりの待遇はしている
0248人間七七四年2012/09/27(木) 17:35:06.69ID:4v4M5IJ7
>>247
(>>245)って、前線と輸送での編成に違いがあるから、って意味じゃないんですか?

つか自分は「三兵戦術やテルシオみたいに仕事とか配置がはっきりした方が使いやすそうだけど (>>226)」
に対しての「三兵戦術とか不可能だった(>>238)」理由が当時の徴兵の仕方にある
だから「当時の備は江戸期でも同一兵種編成でなかった(>>240)」とかレスしてるんですが
>>247)とか、何を主張してるのか、さっぱりわからないんですが……
0249人間七七四年2012/09/27(木) 22:10:15.38ID:2HiIEoUP
>>248
お前こそ何言いたいのかわかんない。
0250人間七七四年2012/09/28(金) 17:26:59.26ID:OxgB8foi
誰か議論を整理してくれ。もうさっぱりわからん
0251人間七七四年2012/09/29(土) 17:19:52.68ID:9Nb5zmW+
結局、三兵戦術的な物は有ったの?
概念だけでも有れば、幕末に「三兵タクチキ」なんて建白書をわざわざ出される事もなかった気もするけど。
0252人間七七四年2012/09/29(土) 19:08:38.85ID:SIj9AmRU
結局戦国時代の軍事を語る上で共通言語が出来てないのが問題なんだろうな
同じ「足軽」でもA君とB君との間で頭に描いてるものが微妙にズレてる。だから混乱する。


戦国時代における軍事研究が遅れてる現状と原因と弊害がよく分かるw
0253人間七七四年2012/09/29(土) 19:11:19.06ID:6vRJhrV6
まあ戦国時代ですら足軽の言葉の意味するものは一定していないからなあ。
兵種を表す名詞としてだけでなく、戦闘形態を表す動詞としても使われてたし
0254人間七七四年2012/09/29(土) 19:57:10.02ID:ba7SPBx1
>>251
数が十分でない間は家臣の持ってる馬や鉄砲を抽出して
集中運用した方が便利だろう
馬はともかく鉄砲は初期の装備率めっちゃ低いわけだし
0255人間七七四年2012/09/30(日) 10:31:19.86ID:DpLuLW+1
それをできる強権が当時の大名にあったかという問題がある
0256人間七七四年2012/09/30(日) 11:06:22.72ID:zMJHmDgo
基本的に命令一発でってわけにはいかんだろう
鉄砲を供出すること自体が、鉄砲を自分とこで使ってあげられるであろう武功よりも
高く評価されないことには出し損なわけだし
まあ命がけだけに、背に腹は代えられないで例外もあっただろうけど
0257人間七七四年2012/09/30(日) 11:36:34.54ID:G5jVTlQk
>>255
そもそもそれが「強権」だったかどうかってところから踏まないといけないんだろうけどな

「ひとたび戦場に行ったら上の人間の指示に従ってあちこち引き離されるのは当然」
ってのが共通認識としてあったとしたら話は変わってくる
0258人間七七四年2012/09/30(日) 11:55:51.50ID:DpLuLW+1
幕末の歩兵隊で似たようなことをやって失敗している
0259人間七七四年2012/09/30(日) 12:30:53.00ID:zJu9HMJv
>>258
組合銃隊か。
出し渋る家も有れば、規定より多くだして一隊丸々家で固めたり・・・
0260人間七七四年2012/10/01(月) 14:24:13.39ID:fCx11Vit
そもそも大阪の陣で大阪方が傭兵メインで10万近く動員してたことから、
戦国期の軍勢は封建的なものから分離されていたってことにもっと早く気付くべきだったのだ
0261人間七七四年2012/10/01(月) 14:35:45.50ID:BMQt/iqa
大阪側の主兵武将は「牢人」、つまり旧領回復や所領目的に集まってんだから
より封建的な徴兵の仕方じゃないんかね?

しかも命令連絡機構がきっちりしてない大軍(道明寺合戦とか )なんて
古代ペルシャ並に古臭いシステムのような……
0262人間七七四年2012/10/01(月) 17:11:45.47ID:kW/mynxn
それ以前に決戦に総大将が引きこもり・総大将より上の命令があるとか
上層部すら一枚岩でないという体たらくだし
隠れて自害するくらいなら顔くらい出せや
0263人間七七四年2012/10/02(火) 04:52:01.24ID:slFAX12m
>>261
少なくとも土地を切り離された万単位の集団を囲えた(囲うことのできるノウハウを持っていた!)ということですよ
0264人間七七四年2012/10/02(火) 05:57:22.83ID:1m4zqM3Q
囲い切れなかったからあの体たらくじゃないですか
0265人間七七四年2012/10/02(火) 09:00:46.80ID:Sv2xaaV1
有力家臣ごとの自己裁量システムは、戦国期みたいに実戦経験豊富で有能無能がはっきりしてるときはいいけど
幕末みたいにいきなりだと対応不可能だな

大阪だと有力浪人は配下引き連れて入城してるからまだやりやすい
0266人間七七四年2012/10/02(火) 11:46:20.10ID:03tfyBwi
>>263
西欧なんかでは、徴税制度が軍事革命とともに発展するんだけど
そういう形での変化がないからねぇ
単に有事に雑兵を農村からお金で動員する、ってのは北条武田以来あったシステム(足軽衆)だし
指揮官クラスの報奨が所領なのに「土地から切り離された」とは言いにくいよ


まぁ長篠の合戦で信長が鉄砲隊を他の大名(筒井家とか)から借りてる、ってくらいしか
部隊抽出して同一兵種で再編成、って記録にないような気がするけど
それが一般化(誰でもできた)ってな証拠はなさそうな気はするけど……他にもあるのかな?
0267人間七七四年2012/10/02(火) 12:29:17.97ID:DfED3+Dh
>262
最期は秀頼が城を枕に討死にするのを決めたんだから意地を見せたって感じだな。
家康や秀頼側近、淀は驚いたろうな。
交渉が進んでたのにな。

また、行き場のない牢人が大阪城から出て行かずに困ったらしいよ。
無理やり出て行かせようとすると秀頼の身だってどうなったかわからんし。
0268人間七七四年2012/10/04(木) 06:16:12.84ID:FJiAJpCG
秀頼が牢人を集めれたのは土地が目当てな連中も多いかもしれんが、やっぱ銭があったからこそじゃないか。
つまり石高制じゃなく貫高制ということで、そういう意味なら先進的・・・なのか?崖っぷちとも言うが
0269人間七七四年2012/10/04(木) 06:27:00.15ID:2h63FlKR
>>267
> また、行き場のない牢人が大阪城から出て行かずに困ったらしいよ。
> 無理やり出て行かせようとすると秀頼の身だってどうなったかわからんし。

だから夏の陣の前に、幕府は自分で牢人をどうにか出来ないんだたら大阪城出ろ!牢人どもは
こっちで処分する。みたいなこと言ってるんだけど、結局秀頼は牢人と運命を共にした。

牢人衆なんてもともと豊臣家の防衛のために雇ったにすぎないのに、秀頼の優先順位はホントに変だ。
0270人間七七四年2012/10/04(木) 08:44:52.89ID:SvTVkDPJ
厨二病で人生終えたような者<秀頼
0271人間七七四年2012/10/05(金) 03:46:13.51ID:lrYaVBeU
よその板のよそのスレで

979 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2012/10/04(木) 21:12:15.22 O
八陣とは、諸葛亮が改良したものを吉備真備が日本に持ち込み、それを大江維時が編集したものらしい
それが魚鱗、鶴翼、雁行、偃月、鋒光、衡軛、長蛇、方円の日本八陣
武田信玄を始めとする戦国時代の武将達は諸葛亮の兵法を必死に学んでいたようだ
川中島、三方原、関ヶ原の戦いなどで上記陣形が使われてる


こういう書き込みあって気づいたんだけど、陣形持ちだされてるのって徳川武田関連のみなんだよなw
実際全国的にどうだったんだろ
使われたとして、密集隊形の魚鱗、幅広横陣の鶴翼ぐらいしか使い分けられてなかったんじゃないのかねと思うんだが
0272人間七七四年2012/10/05(金) 04:37:51.61ID:afFEWaf6
野戦で敵の10倍の兵力があるならいざ知らず
陣形取らずにどうやって戦うというのだw
0273人間七七四年2012/10/05(金) 05:43:33.57ID:T8eJJ5r9
>>272
大阪側は、現地では各部隊の自主判断
…だから道明寺の戦いみたいな齟齬出まくりだよ……

つか同一兵種部隊編成でない場合の「陣形」って、どんなイメージなのかな
古代中国時代でも、実際に「陣形」使われた例ってあったっけ?
0274人間七七四年2012/10/05(金) 08:49:43.43ID:aVbq8uSS
山ばっかりの日本だから、陣形よりも実際の地形のほうが大事なんだろうな。
0275人間七七四年2012/10/05(金) 09:25:06.21ID:NfAGBBfA
どんな形に置いたかを後付けで説明しただけ
0276人間七七四年2012/10/05(金) 10:08:10.49ID:GLEty6W8
例えば必ず三人で攻めかかるとかイメージして、本番でどうその状況へ持って行くかは地形合わせなんじゃないかな
0277人間七七四年2012/10/05(金) 10:53:16.38ID:kxFkJIdo
そもそも状況や地形で戦略戦術なんて全部変わるのに、どんな状況にも対応できる陣形なんてものがあると思うほうがおかしい
0278人間七七四年2012/10/05(金) 12:44:32.08ID:rAU+YTIH
創作の場合
「ぬ、〇〇陣で来たか。ならば我らは××陣で迎え撃つ」
「ならばこちらは△△陣よ」
「では□□陣じゃ」
以下気がすむまで続く

実戦の場合
「ぬ、〇〇陣で来たか。ならば我らは××陣で…」
「かまやしねぇ突っ込め!」
「ちょ…まだ陣形整ってないってw」
いちいち隊列整えてられんわな
0279人間七七四年2012/10/05(金) 13:03:38.63ID:4cwwnmSU
中国は軍学みたいなのがやたら発達したけど異民族と戦ったら毎度毎度てんで弱いもんな
0280人間七七四年2012/10/05(金) 14:19:05.95ID:rAU+YTIH
歩兵+弓兵の集団隊形でぶつかり合う戦法を繰り返してきた中華軍と
騎射で一撃離脱戦法を取る異民族とでは分が悪かったんだろ
0281人間七七四年2012/10/05(金) 16:17:48.59ID:z2Wz9Jy2
○○の陣とか名前付ける意味あんのかね
テンプレ作っても地形に合わせて毎回修正だらけだろうに
0282人間七七四年2012/10/05(金) 18:06:11.03ID:hjT37RGk
>>273
豊臣は調練しようとしただけで徳川に睨まれたから出来なかった
0283人間七七四年2012/10/05(金) 21:29:55.22ID:if7NfXvd
>>281
そのテンプレが有ってこそ、地形に合わせた修正が出来るのでは?
開けた平地で陣形や各隊の隊形を組める様でなければ、応用なんて夢のまた夢・・・
0284人間七七四年2012/10/05(金) 22:28:32.49ID:T8eJJ5r9
野戦の場合 遭遇戦がほとんど(合戦始まるまで戦場がわからない)なのに
「地形に合わせた」なんて準備できるのかな?
0285人間七七四年2012/10/05(金) 22:58:10.54ID:rAU+YTIH
敵が自領に進出してきたようなのでこちらも迎撃するよ
物見(斥候)を出すよ
相手を見つけたけどこちらも見つかったよ
敵が近くにいるようだよ
視認出来る距離まで来たよ
合戦だよ!

陣敷く暇ないよ(;ω;)
0286人間七七四年2012/10/06(土) 00:49:44.39ID:yvkrLu9+
「俺達はこういう戦い方が得意だからそれをするんだ」っていう軽度の戦闘教義に基づいた布陣ぐらいなら、
相手は関係ないからできるはず。斜線陣だっていわば雁行だし

問題はそういうことが運用されたって話を聞かないことだな
「毛利元就は偃月が得意だった」とか、「長宗我部元親は蜂矢強かった」とかいうのが無い。欲しい。
っていうか西国の軍事史謎すぎ。なんとかしてくれ。
0287人間七七四年2012/10/06(土) 01:13:48.27ID:llk8ugOn
ソースが何だったか忘れたが、たしか武田信玄は方円の陣を
多用したんだったっけ

あと、島津の釣り野伏せなんてある意味陣形と言ってもいいのかもしれん
まあ、陣形ってよりも戦法だけど
0288人間七七四年2012/10/06(土) 01:24:28.09ID:CLr8J0lU
陣形と戦法は硬貨の裏表な気がする。
0289人間七七四年2012/10/06(土) 03:49:47.71ID:Osc58hFE
釣り野伏せって、釣り(囮、偽退却)と野伏(左右伏兵と反撃での三方包囲攻撃)だから
陣形とはかなり違う実態かと(決まった陣はない)

つか「囮使って伏兵で殲滅する」って世界中ではよく行われてて
九州でも立花道雪とか高橋紹運もよく使ってる(島津軍に対してもそれで勝ってる)
0290人間七七四年2012/10/06(土) 04:42:21.73ID:jtE6yN/T
正面を受け止める役と左右あるいは背後から突っ込む役じゃ
兵士の並べ方が違うだろうから、それに○○の陣って名前付けて管理することは可能だろう
0291人間七七四年2012/10/06(土) 05:26:20.70ID:Osc58hFE
>正面を受け止める役
伏兵が側面攻撃した後、囮だった部隊が反転だから、そんな役ないぞ

>兵士の並べ方が違うだろうから
ここ具体的によろしく 自分の知ってる記録には残ってないので……
0292人間七七四年2012/10/06(土) 09:44:53.47ID:OpXHtfW0
「正面を受け止める役」は釣り野伏せじゃなくて、
ハンニバルみたいな包囲攻撃をする際の中央のことを言っているのだろう
「違うだろうから」は推測の言い方だから具体例はないだろう
0293人間七七四年2012/10/06(土) 09:49:39.97ID:8YI+CqXD
島津の釣り野伏せって、敵どころか生贄役になる味方も騙してたフシがあるんだよなw
0294人間七七四年2012/10/06(土) 09:58:23.56ID:OpXHtfW0
>>290
291は揚げ足取りをしているだけだから無理に答える必要はない
0295人間七七四年2012/10/06(土) 11:48:56.25ID:Osc58hFE
>>292
鉄床戦術でも、拘束する主軍と迂回攻撃する副軍2つだけで陣形っていうのは……

揚げ足じゃなくて、なんか観念論ばかりでよくわからんから
具体的に「陣形」をどのような形でイメージしてるのか、それが知りたいだけだよ
(実際にあった戦闘で説明してくれるとありがたいのだけど)
0296人間七七四年2012/10/06(土) 12:29:21.24ID:kv/871GG
後付けでしか無い
地形・状況に合わせて配置して、後から「このカタチだと〇〇の陣形だな」と判断している
なんでかというとソッチのほうが説明しやすいから
0297人間七七四年2012/10/06(土) 12:51:37.17ID:yvkrLu9+
そもそもそんな「判断」ができるような各々の布陣が分かってる会戦は多くないよね
太田牛一ですら、「陣を何段に分け」っていって、横陣の数しか言及してない
0298人間七七四年2012/10/06(土) 22:59:59.58ID:vw4XfJiG
>>295
日本史の場合陣形が変化するので野戦の布陣図は途中経過でしかないから判断し難い

ちなみに姉川の戦いはマケドニア対ペルシャ【イッソスの戦い】の再現
織田の陣形はアレキサンダー大王がやったのと全く同じ斜行陣
勝敗に偶然は無いとは思うが、知っててやったのか偶然同じなのかは知らんw
0299人間七七四年2012/10/07(日) 00:01:21.02ID:qXWg96nB
姉川の戦いのきっちりした軍陣の記録なんて一切残ってねえっつーの
何をオカルトめいたこと言ってるんだ
0300人間七七四年2012/10/07(日) 00:11:56.76ID:oGdXYNcc
>>298
どこソースだよ
0301人間七七四年2012/10/07(日) 02:30:45.20ID:CkId778k
ついに妄想が書き込まれるようになったか
0302人間七七四年2012/10/07(日) 03:24:22.77ID:9/7YkmgX
loxe phalanx(斜線陣)は文字通り”重装歩兵”戦術で
エパミノンダス(レウクトラ)やお父さんのフィリポス(カイロネイア)が有名だけど
自らヘタイロイ(重装騎兵)を率いハンマーとしたアレキサンダーは使ったことがないと思うんだ……

0303人間七七四年2012/10/07(日) 07:58:30.99ID:jYy4TFp5
そもそもアレクサンダーの陣形とやらも後世の妄想にすぎんしな
0304人間七七四年2012/10/07(日) 08:47:57.70ID:Mr3L9O4/
逆に、すっと陣形が決まってる戦いなんて世界史上例があるんかな。
よく三方原は魚鱗vs鶴翼とか言われるけど。
0305人間七七四年2012/10/07(日) 10:38:46.68ID:TUwBKsHk
日本で言う陣形、魚鱗とか鶴翼みたいに戦況や意図に合わせた陣形は少ないかもしれないけれど、国の特性に合わせた"order of battle"は普通に有ったよ。

ポーランドなら、
中央に重騎兵、その両翼に歩兵と砲兵、更に両翼に中騎兵、最両翼に軽騎兵。

オスマントルコなら、
中央前面に非正規歩兵、その背後に砲兵、更に背後にイエニチェリ、両翼と中央背後に騎兵。

これを基本として地形や戦況に合わせて布陣したらしよ。
何でも出来る魔法の陣形なんて無いだろうからね。
ソースは
「Renaissance Armies 1480-1650」
後年の著作だと言われれば、それまでだけどw
0306人間七七四年2012/10/07(日) 18:59:25.35ID:CkId778k
固まった方が貫通力があるはずだし包囲戦法なら自然に布陣は広がるだろうし
それが後世先例として中国にあった〜陣に当てはめられただけだと思う
戦してる当人たち(部隊長以上)は作戦概要を掴んで配置についてるはずだけど
「これが〜陣と呼ばれるものだ」といちいちは意識してないと思うな
0307人間七七四年2012/10/08(月) 01:04:49.10ID:Gu16grLh
学研の『戦国の軍隊』ってどうよ
俺はあの作者が唱える「備えを立てる=兵科ごとへの再編成」っていうのがやっぱり納得いかん
軍事技術上の必要性としてそうなるのは理解できるが、やっぱ封建領主の論理をどうやって打破したのかって説明が欲しい
武家=軍事政権だからで済まされちゃかなわん
0308人間七七四年2012/10/08(月) 01:34:07.44ID:A9lYbeW1
戦国期って合戦中の裏切りが意外と無いの、なんでだろうってずっと疑問に思ってたんだが、
「配下がひと束になってどっか別の備えに行ったりしてたから」
っていうことだとすると一応の答えにはなってるなと感じた。

積極的に肯定するつもりはないけれども
0309人間七七四年2012/10/08(月) 02:03:00.97ID:WMApMPBZ
「備えを立てる=兵科ごとへの再編成(の試み)」ってのは、自分は悪くない考えと思う

ただし「備」に純粋な騎兵隊がなく、鉄砲操練に戦闘時の”集団行動”が存在しないこと
当時の布陣が、単一兵種部隊化が進んだ西欧では鉄砲部隊は主力火力として陣中央に配置
それに対し、日本では主力(槍騎馬等)突撃部隊の両脇に配置されたこと(火力集中の概念がない)

以上で、「兵科ごとへの再編成は(多くは足軽衆として)試みられたが実現しなかった」
…つまり「備えを立てる=兵科ごとへの再編成」は日本では現実化しなかった、かと自分は思う

まぁ諸説紛々なんだから、そこは自分で判断するしか
0310人間七七四年2012/10/08(月) 02:05:56.17ID:WMApMPBZ
>>308
それって、単に「所領や一族家族を人質?に取られてるから」じゃないかな
平時には、けっこうフラフラしてるし……
0311人間七七四年2012/10/08(月) 02:17:58.60ID:A9lYbeW1
>>309
>まぁ諸説紛々なんだから、そこは自分で判断するしか

いやそこは「皆で情報交換してなるべく共有していこう」ってならないとダメなんじゃねw
0312人間七七四年2012/10/08(月) 10:54:57.41ID:C3OH3DNf
>>309
>鉄砲部隊が主力(槍騎馬等)突撃部隊の両脇に配置された=火力集中の概念がない
は、疑問かと。
それは主力突撃部隊の支援の為に火力集中しているとも見えます。
(共通の戦術ドクトリンの下、連係が取れている事が前提ですが・・・)

>>305にも有る様に、当時のポーランドは重騎兵(突撃部隊)の両翼に、歩兵(銃兵、槍兵)更には砲兵を配置して火力支援していました。
必要な箇所に必要な火力を集中させる事が火力集中で有り、中央に配置する事では無いかと。
(中央背後に予備として配置するなら別ですが)

それと当時のヨーロッパでは単一兵種部隊化からさらに進み、諸兵科連合部隊化しつつ有りました。
テルシオもマウリッツの大隊も銃兵と槍兵から成る部隊(戦術体形、戦術単位)でしたし、騎兵部隊の一部は支援の為の随伴歩兵を部隊内に持っていました。

日本がどうだったのかは解りませんが、対比対象のヨーロッパはこんな感じでした。
0313人間七七四年2012/10/09(火) 04:00:22.28ID:vy32KRaW
>>312
備=大隊ってことか

「単一兵科=先進的」って、『戦国の軍隊』の人もここでも認識してる人いるが、それ自体が誤謬だったと
0314人間七七四年2012/10/09(火) 14:09:34.96ID:a6HpCWcV
>>312
ポーランドの場合、側面は軽騎兵で守ってますが日本は放置なので……

>>313
「備」は諸兵科連合前提じゃないとおもうよ(徴兵元で分けてるから)
0315人間七七四年2012/10/09(火) 14:38:18.36ID:m9qNN0Yq
欧州の両翼軽騎兵は守りの部隊じゃなくて基本迂回部隊じゃないかな?
日本の迂回部隊は山越え谷越えする場合が多いので速度以上に隠密性重視かと
あとナポレオンの菱型陣形は多少武器が違うけど方円に近いね
0316人間七七四年2012/10/09(火) 17:50:57.54ID:J58kL32N
蔚山城の戦いで明軍が日本の救援軍を察知できなかったのは山越えして来たからだしね
0317人間七七四年2012/10/31(水) 23:54:06.02ID:9VCDBAR3
で、結局どの程度の集団戦闘が出来たのかはわからないのね
0318人間七七四年2012/11/01(木) 01:23:25.15ID:PmTgFurd
北条とか武田は規律に則った集団戦闘していただろうな
織田とかは蛮族戦士がてんでばらばらに功を競いあう程度の戦闘だったろう
0319人間七七四年2012/11/01(木) 11:37:06.21ID:x26+kpJk
>>317
現場指揮官の独断専行を前提とした集団戦闘
0320人間七七四年2012/11/01(木) 15:25:07.09ID:Jd++iOAr
信長は長槍をさらに長くしてリーチ差で優位に立てた。
0321人間七七四年2012/11/01(木) 17:36:18.15ID:wa9MXoK4
長槍とか軍記の嘘だからな
0322人間七七四年2012/11/01(木) 18:01:23.56ID:pCc7JlSc
ということはめちゃめちゃ短かったんか
0323人間七七四年2012/11/01(木) 19:22:23.03ID:wa9MXoK4
何でそう極端から極端に流れるかな

必要以上の長槍は戦闘用ではなく装飾用
0324人間七七四年2012/11/02(金) 01:03:17.64ID:gqjC5NTI
欧州のパイク兵≠長柄足軽
0325人間七七四年2012/11/02(金) 12:06:54.09ID:zVxoLwM/
そもそも日本の場合、魚隣陣みたいな布陣が側面防御を兼ねてるんだけどな
備単位で対応するから、横撃にも対応可能ですよ
0326人間七七四年2012/11/08(木) 01:19:48.55ID:YP3DEv0Y
>>320
「あれ実は織田軍団でもそこまで定着しなかったんじゃないか」
っていう考察をどっかのブログで見たな。他に記述に出てこないとか。

700で精鋭を鍛えてるってときには有効だったかもしれんが、軍団が拡充されていくにつれて廃れていったのかも
0327人間七七四年2012/11/08(木) 02:22:29.92ID:JlK/Kj6h
西欧でやりが長くなったのは騎兵突撃に対する防御のためなので
日本のような戦闘の場合、ちょっと長くなったからって有利になるわけでもないよね
(雑兵物語でも上下に殴ってるし、それほど長さを活かす使い方してない)

結局、銃撃で混乱させる→重装侍中心とした複合兵装ユニットの突撃
…ってな戦法が一般化したので、槍の長さとか問題にされなくなったのかも
0328人間七七四年2012/11/08(木) 04:32:30.50ID:roMhGdLH
上下殴りは長さを生かした戦い方じゃないかな
0329人間七七四年2012/11/08(木) 06:12:44.41ID:JlK/Kj6h
>>328
当時の一般的な三間槍(5.7mm)に対して三間半槍(6.3m)は60cmくらいしか差がありません
これが横一列で叩き合う当時の戦で、どれくらいの有利さだったのか、非常に疑問だと思いますよ

ちなみに当時の西欧でもパイク(5m)に対して「振る」使い方をするハルバートは1.6〜3m
(スイス傭兵はパイクとハルバートの混在)
また日本でも手槍は蜻蛉切り(3.5m)、日本号(3.2m)御手杵(3.8m)
三間槍も三間半槍も長過ぎてちょっと使い勝手が悪い気はするんですよね……
0330人間七七四年2012/11/08(木) 09:27:38.47ID:JsKRNHXK
>>329
長柄は垂れるしね
0331人間七七四年2012/11/08(木) 11:10:29.22ID:mau+Rdlr
垂れるから良いんじゃね、三節棍見たいな効果で・・・
0332人間七七四年2012/11/08(木) 22:29:04.35ID:YP3DEv0Y
>>327
マケドニア式ファランクスも6mの槍だけど騎馬突撃に対する防御でああなったわけじゃないんじゃない?
中央に歩兵、両脇に騎兵っていう会戦スタイルの真ん中に置かれたんだから
0333人間七七四年2012/11/09(金) 00:58:12.81ID:aXyzKIaA
密集陣形・槍衾は普通に歩兵戦術として有効だぞ。ファランクスなんかでも分かるが
スイス傭兵だってパイク装備が標準だし
対騎兵限定という訳では全然ないよ。テルシオだって歩兵にも非常に有効だしな
0334人間七七四年2012/11/09(金) 02:04:55.55ID:1KLsbgno
>>332
古代ギリシアでは元々2〜2.7m程度の槍(ドリュ)で横3x縦8隊列)であったのを
更に大型密集隊列(16x16)にした(しかも五列目まで構える槍衾)ためサリッサは6m程度の長さが必要になったような
しかもサリッサ自体長大化することで機動性を失いレギオン(散開白兵戦術)のいいカモにされたわけですし

テルシオ時代のパイク兵でも縦深20〜30の隊列での”必要な長さ”であるわけで(マウリッツ改革後でも縦深10列)
しかし火力の増加によってパイク兵は脇役になっていくわけで
種子島の火力に夢中だった、しかも隊列に縦深がない(本場の槍衾には程遠い)日本の場合で
槍を長大化する必要性、てのは、あまりない気がしますが……
0335人間七七四年2012/11/09(金) 03:33:55.28ID:8/tvUrXs
>>334
レギオンに負けたのはただレギオンが優秀だったからで、
3世紀以上もったんだからマケドニア式ファランクスは優秀だったと思うよ

下段の隊列の縦深の問題で効果があるかどうか考えたほうが良いだろうね
0336人間七七四年2012/11/09(金) 08:00:44.28ID:aXyzKIaA
そもそもレギオン自体、単に歩兵軍団に機動力を与えるための陣形に過ぎないし
騎兵相手にはボロ負けしてるんでね
ファランクスもレギオンも両方とも、騎兵が不足していた時代に興隆した戦術に
過ぎないし、騎兵と諸兵科連合をしたファランクスなら、レギオンには余裕で
勝てる
0337人間七七四年2012/11/09(金) 08:28:55.70ID:aXyzKIaA
別に西洋でも火力増大と共にパイクが短くなった訳でもないし、槍の長さは
歩兵戦にも有利に働くのだから、長い必要性は充分にあるよ
突くにせよ打ち払うにせよ、槍が長い方が有利なんだからな。縦深なんか
何の関係も無いよ
0338人間七七四年2012/11/09(金) 21:58:36.85ID:1KLsbgno
>>336
…マケドニア式ファランクスは騎馬部隊との諸兵科連合ですが……

>>337
西欧の長槍(ファランクスでもサリッサでも中世のパイク兵でも)は”縦深による槍衾”がキモなんですが……
テルシオで現実のものとなる長槍部隊同士の戦いは、互いの玉ねぎを剥きあうような戦闘で
その時、パイクが長いほうが有利、ってわけでもなかった気はしますが(決定打を与えられない)

まぁ日本では”縦深による槍衾”がなかったわけで、同じ考えでいいのか、とも言えますが
0339人間七七四年2012/11/09(金) 23:31:19.10ID:aXyzKIaA
ピュドナの戦いの事を言いたいなら、あれは諸兵化が「連合」してない
騎兵はその場にいただけ。ファランクスにしても、真価を発揮出来る地形ではなかった

あと、パイクが長いのはその「縦深」というか、縦列を攻撃力に転化するためでも
あるのだから、普通にパイクは長い方が有利だぞ。逆に、何をもって長い方が有利な
訳ではない、と言ってるのか分からん
テルシオで決定打を担うのは銃隊と騎兵だし、パイクの長さが決定打にならないのは
何の問題にもならん。元から、決定打を与えるための武器という訳ではない
0340人間七七四年2012/11/10(土) 00:37:47.70ID:wcS3vJ/h
・槍は長い方が有利だよorあんま変わらないよ
は議題なわけだしまだ良い

・昔の合戦でも有利だったよor昔の合戦でも変わらなかったよ
とか
・もともと殴るだけだから関係ないよor殴るんだから関係あるよ

こうなるともうわけが分からん。
結局みんな自分の頭の中で描いている戦争の絵図を引き出して相手に見せることが出来ずにヤキモキしてしまう
0341人間七七四年2012/11/10(土) 01:23:14.35ID:kXRJVaOd
それと、日本の槍足軽による槍衾に縦列が無かったというのは誤りだぞ
三列から五列程度の縦列はちゃんと敷いていた
というか、最低三列無いと、そもそも槍衾にならん
0342人間七七四年2012/11/11(日) 00:08:17.01ID:z9N5GrPf
>>341
どこのどういう記述でそれわかる?
0343人間七七四年2012/11/12(月) 02:16:15.58ID:kWiQG4Fv
三増峠の戦いは結構テクニカルな戦闘だよね。
野戦じゃなく山岳戦、さらに言えば追撃戦に分類されるけど。
0344人間七七四年2012/11/12(月) 16:20:48.68ID:QuVqSI6i
>>339
ヘタイロイは優秀な重騎兵部隊ですよね??
アレクサンドロスの時代に「連合」できていたのが出来なかったわけで
「騎兵と諸兵科連合をしたファランクスなら、レギオンには余裕で 勝てる」
とはいえないのでは?

あと元々は 三間槍に対する三間半槍(>>329)の優位性
日本では重量を増やしてでも長くするだけのメリットがある編成(使い方)だったのか
ってな部分を重視しての話で、他はご指摘のとおりの話だと思います
0345人間七七四年2012/11/16(金) 04:30:05.24ID:ITJOKA8O
>>343
信玄の戦い方はなんだかんだで面白いよな
カエサルとかフリードリヒとか、海外の名将の運用スケールに通じるものがある

他の大名がそういうのやってなかったってわけじゃないと思うんだけども
やっぱ甲陽軍鑑の存在感はデカいんだな。歴史家達が真書としたがる気持ちは分かる。
0346人間七七四年2012/11/16(金) 10:48:33.22ID:zWCUxfhP
長久手の戦いの家康の機動戦はもっと評価されても良いと思う
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