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【戦術】戦国時代の軍事学【戦略】

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0001人間七七四年2012/08/04(土) 23:21:52.40ID:o+bXyiEt
戦列歩兵はどう並んでいたのか
決戦兵力としての予備兵はいたのか
車懸りとは? 鶴翼や魚鱗? 付城、野戦築城とは?

意外と謎だらけな戦国時代の軍事学について色々と語るスレです
0208人間七七四年2012/09/01(土) 12:51:36.36ID:eWA0Nf07
>>207
仕組みも組織もぜんぜん違うんですけど。
織田みたいな後進組織といっしょにするなや
0209人間七七四年2012/09/01(土) 12:58:24.91ID:B5468FyG
先進性とか後進性なんて馬鹿な二項対立を勝手に想定して絶対視するのはやめろよもう
そんなとこに歴史的な価値が発生するなんてのは現代人の思い込みに過ぎないんだから
0210人間七七四年2012/09/01(土) 13:19:47.56ID:MeGjclJb
>>201
戦果の大部分は追撃戦ってクラウゼヴィッツも言ってたし意味あったろ
あれが無ければ越前手に入ってたかどうか分からん
0211人間七七四年2012/09/01(土) 20:10:30.94ID:wHNahJE/
後進的な織田のぶさんにフルボッコにされた関東勢(´・ω・`)
0212人間七七四年2012/09/01(土) 20:31:59.29ID:hHonBYSz
>>211
物量にはかなわん、つーこっちゃ
0213人間七七四年2012/09/02(日) 00:58:10.83ID:LCMtfgaL
>>208
そもそも徳川の先手組も織田の母衣衆も何も分かってないってのが実情じゃね

胡散臭いの我慢して甲陽軍鑑辺りから読み解いたほうが早いかも
0214人間七七四年2012/09/02(日) 13:07:20.01ID:D9LFBJzl
徳川が北条武田今川織田の影響なく
先手とかいうのを独創したのか?
0215人間七七四年2012/09/02(日) 14:00:15.49ID:eJXCas/2
少なくとも周辺大名に類似した組織は確認されんな。
手元に数千〜万の規模で組織しており、戦国大名の旗本組織としては飛び抜けて巨大だ。

まあ単純に当時の家康の置かれた条件のもとで、直属部隊を試行錯誤して作り上げた結果だと思うが。
0216人間七七四年2012/09/02(日) 20:26:40.93ID:s2Qs0dvR
兄弟は勿論、伯父・従兄弟もいないから一門衆を作り様がないという事情もある
0217人間七七四年2012/09/02(日) 23:09:45.16ID:S9v2pNbb
結局さ、「手明」って何者なんだよ。何やってんだよ
0218人間七七四年2012/09/02(日) 23:11:51.23ID:S9v2pNbb
>>216
兄弟と甥っ子に恵まれた秀吉に比べたらかわいそうなくらいぼっちだったんだな家康・・・
0219人間七七四年2012/09/02(日) 23:22:43.71ID:eJXCas/2
>>218
家康の異父弟はみんな結構優秀だったりする
0220人間七七四年2012/09/02(日) 23:56:28.82ID:FCyo1etE
>>217
非戦闘員じゃね?
0221人間七七四年2012/09/03(月) 01:51:10.05ID:GK3DgYj2
>>218
その代わり息子や娘はアホみたいに作ったけどなw
秀吉に家康なみの種があれば豊家は安泰だったろうに
0222人間七七四年2012/09/04(火) 04:04:22.60ID:VRGDJVPp
西国の軍事事情ってどうだったんだよ
毛利元就の軍制改革とか何か残ってないもんか
0223人間七七四年2012/09/04(火) 05:51:05.47ID:nnPv7FPR
大名が配下国人に対して動員する兵員の数を、規模に応じて割り当てる制度を初めて行ったのが
大内氏だとされる
0224人間七七四年2012/09/04(火) 16:28:21.59ID:TPaBj2zL
ご冗談をw
0225人間七七四年2012/09/06(木) 05:42:50.18ID:Yn1QSVJF
近世の窓を開いた革新者後北条氏
0226人間七七四年2012/09/06(木) 09:14:51.64ID:CfNqguhz
あの時代の合戦って今の大隊くらいの構えに分かれて戦闘してたんだよね?
例えば鉄砲を含む構えを編成した場合wikiペディアには鉄砲50とあったが、そんな中途半端な数の鉄砲いても意味合ったんだろうか?
こんな編成だと斉射ではなく散発的な射撃になりそうなんだけど、どうなんだろ。それとも弓鉄砲60パーセントで編成した鉄砲衆とかあったんだろうか(雑賀や織田ならやってそうだが)

こんな小規模な諸兵科連合でそうそう戦える物かね?三兵戦術やテルシオみたいに仕事とか配置がはっきりした方が使いやすそうだけど
0227人間七七四年2012/09/06(木) 09:37:46.85ID:lPCXcyow
独断専行を前提とするなら、前線の指揮官が直接指揮できる少数の方が便利
0228人間七七四年2012/09/06(木) 13:20:51.42ID:gQ3CkeAV
>>226
そうだね〜細切れより集中運用のほうが効率がいい。特に白兵部隊は数が多いほうが衝力が強くなる。
備は諸兵科で編成し弱点を補い合う、現代軍制の戦闘団に近いね。
狭隘な地形に林、田んぼ、急斜面、川が次々現れ、大兵力の展開に支障のある日本では
機動の柔軟さと、戦闘時全ての兵科が揃っている事による汎用性を優先させたんじゃね?

関ヶ原から30年後のスウェーデンも、歩・騎・砲を組み合わせた三兵戦術でセンセーションを起こしてる。
パイク(長槍)兵216人・銃兵192人で大隊を組み、さらに騎兵・小型砲も組み込んだ。
ただ歩兵に随伴したら騎兵の速度を生かせないよね?って言われてた。
0229人間七七四年2012/09/06(木) 20:30:57.40ID:CfNqguhz
>>228
そうなると合戦は小さな備えが横列に広がってぶつかり合ってたことになるけど、敵陣突破するには衝力が足りなさそうだな


でも朝倉の力士隊みたいに切り込み専門部隊もいたみたいだし、そういう奴らが衝力を担当したのかな
それとも槍でペチペチしてるのを弓鉄砲でチクチクして、先に崩れた方に乗り込めー^^ してたんだろか
0230人間七七四年2012/09/06(木) 22:26:42.44ID:lPCXcyow
>>229
そのための二陣三陣…本陣後陣
0231人間七七四年2012/09/07(金) 00:57:18.22ID:qaJ92u/q
>>229
切り込み専門の部隊っていうか、普通は一騎駆けの連中が勝手にそういうのやるんだろ
0232人間七七四年2012/09/08(土) 01:26:41.53ID:BqRfVJvJ
この〜が一番槍なりぃ!とか言ってる内に周りからフルボッコされて死亡
0233人間七七四年2012/09/08(土) 08:40:18.38ID:0RWWYw2b
そういうのは一番槍にはカウントされない。
二番槍、三番槍と後続が続いて初めて手柄になる。
0234人間七七四年2012/09/09(日) 10:28:03.68ID:Qrvo5gUo
>>232
生き残らないと「一番槍」にならない。
0235人間七七四年2012/09/09(日) 11:53:04.63ID:jmS+73wb
一番槍と一番首は本陣に戻って報告しなきゃいかんからな
しかも馬に乗ってると他者を追い抜いている可能性があるとして即認められる事はなかった
第三者の目撃情報も必要となるので地味な格好では誰も認めてくれない状態になる事もある
しかし派手な格好で活躍がイマイチだと士気に影響するとして切腹させられる事態も・・・
色々大変だよなww
0236人間七七四年2012/09/21(金) 14:09:12.71ID:R9JnpGbP
http://1st.geocities.jp/sengokujidai_sougou/D-500_sengoku.htm
私のHPに詳細を載せているので感想等よろしく
0237人間七七四年2012/09/21(金) 18:57:35.35ID:v4p/J8AY
>>236 乙
どの陣を破るにはどの陣、どの陣で攻められたらどの陣で防御が有利、という解説があれば尚よろし
0238人間七七四年2012/09/26(水) 05:11:26.11ID:tUojjeHJ
>>226
当時の徴兵?の仕方には三種類くらいあって、三兵戦術とか不可能だったのよ
主力だった「侍」は、知行地に応じた兵士ユニット(主人と脇侍、200石で5人が目安)を出したので
そのユニットを崩す編成(軍功がはっきりしなくなる)はしにくかった
これらの軍費は税の減免(つまり自弁)安く動員できたので軍の主力担ってたし

で、無産階級やあんまり資産を持ってない人たちを編成したのが「足軽(無足人)」
戦争始まってから集めるのも大変なので、平時から小金?与えて他のことさせたりしてた
装備は支給されて知行(土地)ではなく蔵米で支払われてた(武田だと野組と言われるクラス)
織田家では城下に住まわして(川角太閤記)即出陣可能だったのは他の大名と違ったりする
たぶん当時同一兵種で編成運用可能だったのは、この人達くらい

最後が「牢人」 当時は領地をめぐって2つにわかれて争うってのが常で負け組が牢人になる
織田の越前一向一揆討伐も先陣は「越前牢人衆」、まぁ旧領回復が報酬なので、お金はかからない
この人達も「軍功第一」なので再編成する対象にはしにくい

西欧でも「傭兵」が主力になってから軍事革命本格化した(グスタフ・アドルフなんか最たるもの)
日本はそれに移行する前に、パックス・トクガワーナが始まっちゃったからねぇ……
0239人間七七四年2012/09/26(水) 08:52:13.91ID:j/nFnq7o
ウィキの備を参照
0240人間七七四年2012/09/26(水) 16:30:56.59ID:tUojjeHJ
>>239
戦国時代初期と末期江戸(常備兵化した)では足軽の意味が変わるけど……

wikiの「備」は江戸中期の説明(「牢人」の存在がない)だけど
騎馬武者は「侍」 鉄砲、長柄、弓は「足軽」ってちゃんと記述されてるよ

それにwikiでも「騎馬隊」の編成が侍と奉公人の混合で弓や武器も装備してた
って書いてあるから、江戸中期になっても完全な単一兵種編成出来なかったのでは?
0241人間七七四年2012/09/26(水) 17:17:09.93ID:j/nFnq7o
>>240
初期の足軽でも機動戦力たる騎乗武士と前衛の足軽という関係は変わらない
浪人も持っている戦力に応じてそれらに配分される
0242人間七七四年2012/09/26(水) 17:40:13.50ID:tUojjeHJ
>>241
あなたの使う「足軽」は当時の記述されるものとは意味違ってますよね?

でもまぁ牢人は装備にかかわらず普通ひとまとめに扱われたよ
例えば小西行長が順天城撤退の時に、牢人は「諸牢人寄合組衆」って別隊にまとめてたり(宇都宮高麗帰陣軍物語)
0243人間七七四年2012/09/26(水) 19:46:58.34ID:j/nFnq7o
>>242
徒歩の雇われ兵は足軽という認識かな

戦闘時と輸送時はそりゃ別でしょう
0244人間七七四年2012/09/27(木) 03:12:54.47ID:4v4M5IJ7
>>243
撤退ってのは戦闘前提だから戦時編成、いわゆる「輸送時」とは話は別なんじゃない?
0245人間七七四年2012/09/27(木) 08:56:49.15ID:dXmEqosF
>>244
船の貨物状態だから身分別に分けられるかと
0246人間七七四年2012/09/27(木) 16:51:40.15ID:4v4M5IJ7
>>245
明軍の追撃があるかもしれない前線で、船着場に到着した時のために編成を変更した、ってことですか?

それは置いといて、今問題になってるのは正規?部隊と牢人を混在させたか、って話ですよね
小西行長隊には宇都宮国綱(500名程度の部隊)初め、高名な牢人が加わってますので
それらを武装を統一した部隊を作るために再編成した、と考えるのは無理があるかと
0247人間七七四年2012/09/27(木) 17:11:03.92ID:dXmEqosF
>>246
高名な浪人は馬乗りなんかの傭兵隊長みたいなもんだから、それなりの待遇はしている
0248人間七七四年2012/09/27(木) 17:35:06.69ID:4v4M5IJ7
>>247
(>>245)って、前線と輸送での編成に違いがあるから、って意味じゃないんですか?

つか自分は「三兵戦術やテルシオみたいに仕事とか配置がはっきりした方が使いやすそうだけど (>>226)」
に対しての「三兵戦術とか不可能だった(>>238)」理由が当時の徴兵の仕方にある
だから「当時の備は江戸期でも同一兵種編成でなかった(>>240)」とかレスしてるんですが
>>247)とか、何を主張してるのか、さっぱりわからないんですが……
0249人間七七四年2012/09/27(木) 22:10:15.38ID:2HiIEoUP
>>248
お前こそ何言いたいのかわかんない。
0250人間七七四年2012/09/28(金) 17:26:59.26ID:OxgB8foi
誰か議論を整理してくれ。もうさっぱりわからん
0251人間七七四年2012/09/29(土) 17:19:52.68ID:9Nb5zmW+
結局、三兵戦術的な物は有ったの?
概念だけでも有れば、幕末に「三兵タクチキ」なんて建白書をわざわざ出される事もなかった気もするけど。
0252人間七七四年2012/09/29(土) 19:08:38.85ID:SIj9AmRU
結局戦国時代の軍事を語る上で共通言語が出来てないのが問題なんだろうな
同じ「足軽」でもA君とB君との間で頭に描いてるものが微妙にズレてる。だから混乱する。


戦国時代における軍事研究が遅れてる現状と原因と弊害がよく分かるw
0253人間七七四年2012/09/29(土) 19:11:19.06ID:6vRJhrV6
まあ戦国時代ですら足軽の言葉の意味するものは一定していないからなあ。
兵種を表す名詞としてだけでなく、戦闘形態を表す動詞としても使われてたし
0254人間七七四年2012/09/29(土) 19:57:10.02ID:ba7SPBx1
>>251
数が十分でない間は家臣の持ってる馬や鉄砲を抽出して
集中運用した方が便利だろう
馬はともかく鉄砲は初期の装備率めっちゃ低いわけだし
0255人間七七四年2012/09/30(日) 10:31:19.86ID:DpLuLW+1
それをできる強権が当時の大名にあったかという問題がある
0256人間七七四年2012/09/30(日) 11:06:22.72ID:zMJHmDgo
基本的に命令一発でってわけにはいかんだろう
鉄砲を供出すること自体が、鉄砲を自分とこで使ってあげられるであろう武功よりも
高く評価されないことには出し損なわけだし
まあ命がけだけに、背に腹は代えられないで例外もあっただろうけど
0257人間七七四年2012/09/30(日) 11:36:34.54ID:G5jVTlQk
>>255
そもそもそれが「強権」だったかどうかってところから踏まないといけないんだろうけどな

「ひとたび戦場に行ったら上の人間の指示に従ってあちこち引き離されるのは当然」
ってのが共通認識としてあったとしたら話は変わってくる
0258人間七七四年2012/09/30(日) 11:55:51.50ID:DpLuLW+1
幕末の歩兵隊で似たようなことをやって失敗している
0259人間七七四年2012/09/30(日) 12:30:53.00ID:zJu9HMJv
>>258
組合銃隊か。
出し渋る家も有れば、規定より多くだして一隊丸々家で固めたり・・・
0260人間七七四年2012/10/01(月) 14:24:13.39ID:fCx11Vit
そもそも大阪の陣で大阪方が傭兵メインで10万近く動員してたことから、
戦国期の軍勢は封建的なものから分離されていたってことにもっと早く気付くべきだったのだ
0261人間七七四年2012/10/01(月) 14:35:45.50ID:BMQt/iqa
大阪側の主兵武将は「牢人」、つまり旧領回復や所領目的に集まってんだから
より封建的な徴兵の仕方じゃないんかね?

しかも命令連絡機構がきっちりしてない大軍(道明寺合戦とか )なんて
古代ペルシャ並に古臭いシステムのような……
0262人間七七四年2012/10/01(月) 17:11:45.47ID:kW/mynxn
それ以前に決戦に総大将が引きこもり・総大将より上の命令があるとか
上層部すら一枚岩でないという体たらくだし
隠れて自害するくらいなら顔くらい出せや
0263人間七七四年2012/10/02(火) 04:52:01.24ID:slFAX12m
>>261
少なくとも土地を切り離された万単位の集団を囲えた(囲うことのできるノウハウを持っていた!)ということですよ
0264人間七七四年2012/10/02(火) 05:57:22.83ID:1m4zqM3Q
囲い切れなかったからあの体たらくじゃないですか
0265人間七七四年2012/10/02(火) 09:00:46.80ID:Sv2xaaV1
有力家臣ごとの自己裁量システムは、戦国期みたいに実戦経験豊富で有能無能がはっきりしてるときはいいけど
幕末みたいにいきなりだと対応不可能だな

大阪だと有力浪人は配下引き連れて入城してるからまだやりやすい
0266人間七七四年2012/10/02(火) 11:46:20.10ID:03tfyBwi
>>263
西欧なんかでは、徴税制度が軍事革命とともに発展するんだけど
そういう形での変化がないからねぇ
単に有事に雑兵を農村からお金で動員する、ってのは北条武田以来あったシステム(足軽衆)だし
指揮官クラスの報奨が所領なのに「土地から切り離された」とは言いにくいよ


まぁ長篠の合戦で信長が鉄砲隊を他の大名(筒井家とか)から借りてる、ってくらいしか
部隊抽出して同一兵種で再編成、って記録にないような気がするけど
それが一般化(誰でもできた)ってな証拠はなさそうな気はするけど……他にもあるのかな?
0267人間七七四年2012/10/02(火) 12:29:17.97ID:DfED3+Dh
>262
最期は秀頼が城を枕に討死にするのを決めたんだから意地を見せたって感じだな。
家康や秀頼側近、淀は驚いたろうな。
交渉が進んでたのにな。

また、行き場のない牢人が大阪城から出て行かずに困ったらしいよ。
無理やり出て行かせようとすると秀頼の身だってどうなったかわからんし。
0268人間七七四年2012/10/04(木) 06:16:12.84ID:FJiAJpCG
秀頼が牢人を集めれたのは土地が目当てな連中も多いかもしれんが、やっぱ銭があったからこそじゃないか。
つまり石高制じゃなく貫高制ということで、そういう意味なら先進的・・・なのか?崖っぷちとも言うが
0269人間七七四年2012/10/04(木) 06:27:00.15ID:2h63FlKR
>>267
> また、行き場のない牢人が大阪城から出て行かずに困ったらしいよ。
> 無理やり出て行かせようとすると秀頼の身だってどうなったかわからんし。

だから夏の陣の前に、幕府は自分で牢人をどうにか出来ないんだたら大阪城出ろ!牢人どもは
こっちで処分する。みたいなこと言ってるんだけど、結局秀頼は牢人と運命を共にした。

牢人衆なんてもともと豊臣家の防衛のために雇ったにすぎないのに、秀頼の優先順位はホントに変だ。
0270人間七七四年2012/10/04(木) 08:44:52.89ID:SvTVkDPJ
厨二病で人生終えたような者<秀頼
0271人間七七四年2012/10/05(金) 03:46:13.51ID:lrYaVBeU
よその板のよそのスレで

979 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2012/10/04(木) 21:12:15.22 O
八陣とは、諸葛亮が改良したものを吉備真備が日本に持ち込み、それを大江維時が編集したものらしい
それが魚鱗、鶴翼、雁行、偃月、鋒光、衡軛、長蛇、方円の日本八陣
武田信玄を始めとする戦国時代の武将達は諸葛亮の兵法を必死に学んでいたようだ
川中島、三方原、関ヶ原の戦いなどで上記陣形が使われてる


こういう書き込みあって気づいたんだけど、陣形持ちだされてるのって徳川武田関連のみなんだよなw
実際全国的にどうだったんだろ
使われたとして、密集隊形の魚鱗、幅広横陣の鶴翼ぐらいしか使い分けられてなかったんじゃないのかねと思うんだが
0272人間七七四年2012/10/05(金) 04:37:51.61ID:afFEWaf6
野戦で敵の10倍の兵力があるならいざ知らず
陣形取らずにどうやって戦うというのだw
0273人間七七四年2012/10/05(金) 05:43:33.57ID:T8eJJ5r9
>>272
大阪側は、現地では各部隊の自主判断
…だから道明寺の戦いみたいな齟齬出まくりだよ……

つか同一兵種部隊編成でない場合の「陣形」って、どんなイメージなのかな
古代中国時代でも、実際に「陣形」使われた例ってあったっけ?
0274人間七七四年2012/10/05(金) 08:49:43.43ID:aVbq8uSS
山ばっかりの日本だから、陣形よりも実際の地形のほうが大事なんだろうな。
0275人間七七四年2012/10/05(金) 09:25:06.21ID:NfAGBBfA
どんな形に置いたかを後付けで説明しただけ
0276人間七七四年2012/10/05(金) 10:08:10.49ID:GLEty6W8
例えば必ず三人で攻めかかるとかイメージして、本番でどうその状況へ持って行くかは地形合わせなんじゃないかな
0277人間七七四年2012/10/05(金) 10:53:16.38ID:kxFkJIdo
そもそも状況や地形で戦略戦術なんて全部変わるのに、どんな状況にも対応できる陣形なんてものがあると思うほうがおかしい
0278人間七七四年2012/10/05(金) 12:44:32.08ID:rAU+YTIH
創作の場合
「ぬ、〇〇陣で来たか。ならば我らは××陣で迎え撃つ」
「ならばこちらは△△陣よ」
「では□□陣じゃ」
以下気がすむまで続く

実戦の場合
「ぬ、〇〇陣で来たか。ならば我らは××陣で…」
「かまやしねぇ突っ込め!」
「ちょ…まだ陣形整ってないってw」
いちいち隊列整えてられんわな
0279人間七七四年2012/10/05(金) 13:03:38.63ID:4cwwnmSU
中国は軍学みたいなのがやたら発達したけど異民族と戦ったら毎度毎度てんで弱いもんな
0280人間七七四年2012/10/05(金) 14:19:05.95ID:rAU+YTIH
歩兵+弓兵の集団隊形でぶつかり合う戦法を繰り返してきた中華軍と
騎射で一撃離脱戦法を取る異民族とでは分が悪かったんだろ
0281人間七七四年2012/10/05(金) 16:17:48.59ID:z2Wz9Jy2
○○の陣とか名前付ける意味あんのかね
テンプレ作っても地形に合わせて毎回修正だらけだろうに
0282人間七七四年2012/10/05(金) 18:06:11.03ID:hjT37RGk
>>273
豊臣は調練しようとしただけで徳川に睨まれたから出来なかった
0283人間七七四年2012/10/05(金) 21:29:55.22ID:if7NfXvd
>>281
そのテンプレが有ってこそ、地形に合わせた修正が出来るのでは?
開けた平地で陣形や各隊の隊形を組める様でなければ、応用なんて夢のまた夢・・・
0284人間七七四年2012/10/05(金) 22:28:32.49ID:T8eJJ5r9
野戦の場合 遭遇戦がほとんど(合戦始まるまで戦場がわからない)なのに
「地形に合わせた」なんて準備できるのかな?
0285人間七七四年2012/10/05(金) 22:58:10.54ID:rAU+YTIH
敵が自領に進出してきたようなのでこちらも迎撃するよ
物見(斥候)を出すよ
相手を見つけたけどこちらも見つかったよ
敵が近くにいるようだよ
視認出来る距離まで来たよ
合戦だよ!

陣敷く暇ないよ(;ω;)
0286人間七七四年2012/10/06(土) 00:49:44.39ID:yvkrLu9+
「俺達はこういう戦い方が得意だからそれをするんだ」っていう軽度の戦闘教義に基づいた布陣ぐらいなら、
相手は関係ないからできるはず。斜線陣だっていわば雁行だし

問題はそういうことが運用されたって話を聞かないことだな
「毛利元就は偃月が得意だった」とか、「長宗我部元親は蜂矢強かった」とかいうのが無い。欲しい。
っていうか西国の軍事史謎すぎ。なんとかしてくれ。
0287人間七七四年2012/10/06(土) 01:13:48.27ID:llk8ugOn
ソースが何だったか忘れたが、たしか武田信玄は方円の陣を
多用したんだったっけ

あと、島津の釣り野伏せなんてある意味陣形と言ってもいいのかもしれん
まあ、陣形ってよりも戦法だけど
0288人間七七四年2012/10/06(土) 01:24:28.09ID:CLr8J0lU
陣形と戦法は硬貨の裏表な気がする。
0289人間七七四年2012/10/06(土) 03:49:47.71ID:Osc58hFE
釣り野伏せって、釣り(囮、偽退却)と野伏(左右伏兵と反撃での三方包囲攻撃)だから
陣形とはかなり違う実態かと(決まった陣はない)

つか「囮使って伏兵で殲滅する」って世界中ではよく行われてて
九州でも立花道雪とか高橋紹運もよく使ってる(島津軍に対してもそれで勝ってる)
0290人間七七四年2012/10/06(土) 04:42:21.73ID:jtE6yN/T
正面を受け止める役と左右あるいは背後から突っ込む役じゃ
兵士の並べ方が違うだろうから、それに○○の陣って名前付けて管理することは可能だろう
0291人間七七四年2012/10/06(土) 05:26:20.70ID:Osc58hFE
>正面を受け止める役
伏兵が側面攻撃した後、囮だった部隊が反転だから、そんな役ないぞ

>兵士の並べ方が違うだろうから
ここ具体的によろしく 自分の知ってる記録には残ってないので……
0292人間七七四年2012/10/06(土) 09:44:53.47ID:OpXHtfW0
「正面を受け止める役」は釣り野伏せじゃなくて、
ハンニバルみたいな包囲攻撃をする際の中央のことを言っているのだろう
「違うだろうから」は推測の言い方だから具体例はないだろう
0293人間七七四年2012/10/06(土) 09:49:39.97ID:8YI+CqXD
島津の釣り野伏せって、敵どころか生贄役になる味方も騙してたフシがあるんだよなw
0294人間七七四年2012/10/06(土) 09:58:23.56ID:OpXHtfW0
>>290
291は揚げ足取りをしているだけだから無理に答える必要はない
0295人間七七四年2012/10/06(土) 11:48:56.25ID:Osc58hFE
>>292
鉄床戦術でも、拘束する主軍と迂回攻撃する副軍2つだけで陣形っていうのは……

揚げ足じゃなくて、なんか観念論ばかりでよくわからんから
具体的に「陣形」をどのような形でイメージしてるのか、それが知りたいだけだよ
(実際にあった戦闘で説明してくれるとありがたいのだけど)
0296人間七七四年2012/10/06(土) 12:29:21.24ID:kv/871GG
後付けでしか無い
地形・状況に合わせて配置して、後から「このカタチだと〇〇の陣形だな」と判断している
なんでかというとソッチのほうが説明しやすいから
0297人間七七四年2012/10/06(土) 12:51:37.17ID:yvkrLu9+
そもそもそんな「判断」ができるような各々の布陣が分かってる会戦は多くないよね
太田牛一ですら、「陣を何段に分け」っていって、横陣の数しか言及してない
0298人間七七四年2012/10/06(土) 22:59:59.58ID:vw4XfJiG
>>295
日本史の場合陣形が変化するので野戦の布陣図は途中経過でしかないから判断し難い

ちなみに姉川の戦いはマケドニア対ペルシャ【イッソスの戦い】の再現
織田の陣形はアレキサンダー大王がやったのと全く同じ斜行陣
勝敗に偶然は無いとは思うが、知っててやったのか偶然同じなのかは知らんw
0299人間七七四年2012/10/07(日) 00:01:21.02ID:qXWg96nB
姉川の戦いのきっちりした軍陣の記録なんて一切残ってねえっつーの
何をオカルトめいたこと言ってるんだ
0300人間七七四年2012/10/07(日) 00:11:56.76ID:oGdXYNcc
>>298
どこソースだよ
0301人間七七四年2012/10/07(日) 02:30:45.20ID:CkId778k
ついに妄想が書き込まれるようになったか
0302人間七七四年2012/10/07(日) 03:24:22.77ID:9/7YkmgX
loxe phalanx(斜線陣)は文字通り”重装歩兵”戦術で
エパミノンダス(レウクトラ)やお父さんのフィリポス(カイロネイア)が有名だけど
自らヘタイロイ(重装騎兵)を率いハンマーとしたアレキサンダーは使ったことがないと思うんだ……

0303人間七七四年2012/10/07(日) 07:58:30.99ID:jYy4TFp5
そもそもアレクサンダーの陣形とやらも後世の妄想にすぎんしな
0304人間七七四年2012/10/07(日) 08:47:57.70ID:Mr3L9O4/
逆に、すっと陣形が決まってる戦いなんて世界史上例があるんかな。
よく三方原は魚鱗vs鶴翼とか言われるけど。
0305人間七七四年2012/10/07(日) 10:38:46.68ID:TUwBKsHk
日本で言う陣形、魚鱗とか鶴翼みたいに戦況や意図に合わせた陣形は少ないかもしれないけれど、国の特性に合わせた"order of battle"は普通に有ったよ。

ポーランドなら、
中央に重騎兵、その両翼に歩兵と砲兵、更に両翼に中騎兵、最両翼に軽騎兵。

オスマントルコなら、
中央前面に非正規歩兵、その背後に砲兵、更に背後にイエニチェリ、両翼と中央背後に騎兵。

これを基本として地形や戦況に合わせて布陣したらしよ。
何でも出来る魔法の陣形なんて無いだろうからね。
ソースは
「Renaissance Armies 1480-1650」
後年の著作だと言われれば、それまでだけどw
0306人間七七四年2012/10/07(日) 18:59:25.35ID:CkId778k
固まった方が貫通力があるはずだし包囲戦法なら自然に布陣は広がるだろうし
それが後世先例として中国にあった〜陣に当てはめられただけだと思う
戦してる当人たち(部隊長以上)は作戦概要を掴んで配置についてるはずだけど
「これが〜陣と呼ばれるものだ」といちいちは意識してないと思うな
0307人間七七四年2012/10/08(月) 01:04:49.10ID:Gu16grLh
学研の『戦国の軍隊』ってどうよ
俺はあの作者が唱える「備えを立てる=兵科ごとへの再編成」っていうのがやっぱり納得いかん
軍事技術上の必要性としてそうなるのは理解できるが、やっぱ封建領主の論理をどうやって打破したのかって説明が欲しい
武家=軍事政権だからで済まされちゃかなわん
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