トップページsengoku
994コメント399KB

【戦術】戦国時代の軍事学【戦略】

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2012/08/04(土) 23:21:52.40ID:o+bXyiEt
戦列歩兵はどう並んでいたのか
決戦兵力としての予備兵はいたのか
車懸りとは? 鶴翼や魚鱗? 付城、野戦築城とは?

意外と謎だらけな戦国時代の軍事学について色々と語るスレです
0002人間七七四年2012/08/04(土) 23:36:29.57ID:475DW9QP
当時の最高ブランド学府
  足利学校 

山本勘助も足利学校出身で、信玄に「足利学校出身なら信頼できる」と言わしめてます。
0003 忍法帖【Lv=2,xxxP】 2012/08/05(日) 00:10:58.18ID:NbLcpouv?2BP(11)
誰かに行軍の難しさとか語って欲しいな
親不知とか三国峠とか天竜川とか大変だったんだろ?
0004人間七七四年2012/08/05(日) 01:49:48.73ID:1Ortl7xJ
車懸りっていわゆる斜行陣による側面攻撃だったんじゃないかなと思う
俯瞰で見たら車輪の動きっぽく見えるはず

謙信を軍事天才だったなんてあんま思ってないんだけど(w)、
アレクサンドロスとかフリードリヒとか、戦の天才って言われる人間は基本的にこの戦術を持ってたし、説明はつく
0005人間七七四年2012/08/05(日) 06:57:12.34ID:zaJt+69H
車懸りなんて
後世の軍記にしか乗ってない妄想の産物
0006人間七七四年2012/08/05(日) 08:04:49.27ID:yAXPKXQK
まあ精緻な戦術というのはほとんど無理だっただろうな。全体的に大雑把なものばかりだっただろう
0007人間七七四年2012/08/05(日) 08:59:05.70ID:9bK8QBQC
布陣(時代が下れば野戦築城含む。)と後詰め(予備の投入)

地域に詳しい在地国人に先駆けというなの前衛やらせて遭遇戦対策

後退戦闘の後衛に殿

普通じゃね
0008人間七七四年2012/08/06(月) 01:31:26.74ID:exkukWK3
最近徳川家の旗本先手役に興味持ってるんだが、
先手役とは名ばかりで、家康はこれを決戦兵力として使ってたんじゃないかなぁと思う

姉川での榊原の横槍とか、関ヶ原の本多忠勝の動きとか見てそう思う

近衛兵といえば信長の赤母衣衆、黒母衣衆が浮かぶが、彼らがそんなことをしたという記録は多分無いんだよなぁ
0009人間七七四年2012/08/06(月) 09:39:56.50ID:5kZicKjO
そりゃ、旗本なのに先手という意味不明な名称ですから
後、決戦兵力と言うよりは即応戦力という面が強いかと
0010人間七七四年2012/08/06(月) 19:58:00.60ID:d8ec3x6v
信長の母衣は、伝令や連絡将校で
無線機以前の戦争では、指揮統制通信情報の無形戦闘力のための
重要な要素だけど直接的な戦闘は期待してないんじゃないかな
信長直轄の決戦予備ではなく、せいぜい信長の野戦指揮所の保営要員
0011人間七七四年2012/08/06(月) 20:58:43.92ID:JvQbIaET
陣形は中国の陣形から借用してるけどいちいち
「敵がこうきたらこの陣形に素早く配置転換!」とかやってらんねーよな
想像の産物でしかない。どうせ双方突っ込むしかないんだし
せいぜい右翼を側面に回り込ませて突けとか別動隊は迂回して背後から奇襲しろとかしかない
川を塞き止めて渡河中にドバーとかもあらかじめやっとかないと意味がないし
0012人間七七四年2012/08/07(火) 04:34:42.75ID:sTFv6xd8
>>10
伝令、連絡将校の動きって単騎(もしくは少数)で駆けて情報伝えるってイメージなんだけど、
信長の母衣衆って結構いいトコの家の人間で、たとえば利家って荒子城主だし
城主に一騎駆けなんて、そんなこと多分郎党が許さなかったと思うんだw

とすると連絡将校が動くときって必然的に部隊運動になるんじゃないかなぁって思うんだが、どうなんだろう
0013人間七七四年2012/08/07(火) 19:02:06.79ID:9oNW2pvu
鶴翼みたいな本陣の負荷が大きい戦い方だと
母衣衆みたいな精鋭は前面に出されたりしないの?
0014人間七七四年2012/08/07(火) 21:29:48.41ID:sDxgBrFW
>>12
戦場で単騎だと危険というか、途中でやられてたら意味ないし

修練積んでるイイとこの家の子にある程度郎党の人数付けて連絡に使ってるとか


それに情報伝えるのって結構難しいから、教養も要るだろうし
0015人間七七四年2012/08/07(火) 22:30:32.06ID:sPrgldK8
真田の親父は信玄に誉められるくらいだから
連絡役は状況判断が的確でかつ自分の意見も言えないと駄目だろうと思う
ただの馬鹿には出来ない役目
0016人間七七四年2012/08/08(水) 00:44:33.64ID:qnHC2e8r
中国の陣形図はたまに訳分からんのがある
こんなに複雑にしてもしょうがないだろう、みたいなのが
0017人間七七四年2012/08/08(水) 00:52:51.66ID:0laLv0v0
>>13
川中島の戦いは旗本と旗本の決戦になったって言うよな軍記によればだけどw

兼松正吉は刀根坂の戦いで敵の首級取って信長から草鞋貰った人だけどこの人は信長の馬廻りだったはず
まぁ、刀根坂の戦いは例外かもしれんが。
0018人間七七四年2012/08/08(水) 09:03:01.18ID:bocKDUPp
「甲陽軍鑑」のなかで、

「唐の軍法、一に魚鱗、二に鶴翼、三に長蛇、四に偃月、五に鋒矢、六に方円、
七に衡軛、八に井雁行、是よきと申せど、皆合点仕らず候」 ってあって、

要するにわけわからんって言ってる
0019人間七七四年2012/08/09(木) 21:56:00.66ID:+DB1ew3n
古代ローマだとウェリテスとかハスタティとか言って、
第一列が新参、第二列が若者、第三列が古参――っていう風に列を兵の熟練度で分けてたっていうが、
そういうのは無かったのかな
0020人間七七四年2012/08/10(金) 00:42:57.53ID:I5uqUwsM
隊列を重視しないのが戦国時代の特徴
0021人間七七四年2012/08/10(金) 02:08:08.73ID:ZgZc7/nG
古代ローマだってマリウス改革で練度の区別なく大隊編成になったし
0022人間七七四年2012/08/10(金) 03:40:09.83ID:szLF1m8U
>>20
どういうこと?
常に乱戦になるの?
0023人間七七四年2012/08/10(金) 07:03:11.01ID:6x4J3G4K
要するに無双か。
0024人間七七四年2012/08/10(金) 07:21:09.17ID:glpt4CGt
結局は対陣後に弓鉄砲ぶっ放したあとにワァー!うぉー!と突っ込んでいくことに
0025人間七七四年2012/08/11(土) 01:34:26.85ID:IctyP7wm
>>24
それでもさすがに隊列は最低限守ってたんじゃないのかな

結局さ、戦国時代の合戦像ってものを完璧に頭に描けてる人って学者も含めて誰もいないんじゃないかと思う
雑兵物語ぐらいじゃあ真の姿を見出すのはキツい

一番真の合戦像に肉薄してると言われるのがクレヨンしんちゃんのアニメだってんだからなぁ
0026人間七七四年2012/08/11(土) 09:49:21.35ID:v4gwLwQ2
こんな感じ?
君主が出陣を決意
誰々がどこを担当するのか役割を決定
吉日を選ぶ(希望する日が出るまでくじ引きをやり直す)
農閑期に召集をかける
(これこれこういう理由で相手が悪いからこっちが正義の戦を仕掛けます
とあちこちに触れ回る)
いざ出陣!
兵糧等は現地調達という名の略奪か小荷駄隊がゾロゾロ
戦場(敵領内)に近くなると斥候を出す(遭遇戦)
対陣
弓や鉄砲の撃ち合いから槍での叩き合いに移行
騎馬で接近して下馬して(小物他もろもろと)突撃
乱戦
相手の一方が崩れた(壊乱)ため退却→追撃戦
落武者狩り、かちどき、首実験、感状等を下賜
撤収、新領国の代官を任命
0027人間七七四年2012/08/11(土) 10:03:02.61ID:qbbAXUDj
>>25
それは合戦前や足軽位は隊列を維持しているが、後者は突撃後は乱戦、
前者も一番効率が良いからそうしているだけ

>>26
鉄炮隊が何回か撃った後は乱戦じゃないかと
槍足軽も攻撃時はバラバラになっていた気がする
0028人間七七四年2012/08/11(土) 11:49:52.45ID:RGxu24tz
ある程度の規模の軍団だと訓練が必要だと思うけどな

まあこの時代の権力構造だと訓練の為に召集なんて難しいだろうけど
0029人間七七四年2012/08/11(土) 11:55:11.01ID:qbbAXUDj
実戦が訓練だった時代、江戸幕府が成立して戦が無くなると
家康は武経七書を発行したり、演習を兼ねた大規模な狩りを行うことで
練度の意地を図っている
0030人間七七四年2012/08/11(土) 15:32:42.79ID:gHr0wpAK
雑兵物語なんてのもあまり参考にならんからね。
慶長年間に軍隊に編入された雑兵と戦国期の雑兵とは別物だろう。
0031人間七七四年2012/08/11(土) 19:56:30.30ID:aMab3y9R
自分の国の歴史なのになんでそんなにわからんの?(´∵)
0032人間七七四年2012/08/11(土) 19:58:25.04ID:iu2O5qkN
>>31
日本は世界でもトップクラスに解る方だぞ。他の国には400年前のことにこんなに史料は存在しない
0033人間七七四年2012/08/11(土) 21:10:00.03ID:aMab3y9R
>>32
そうなん?西洋だとファランクスとかレギオンとかカタクラフトとか、
どう戦ってたかきっちりわかってる印象だったが違うんか。
0034人間七七四年2012/08/11(土) 22:03:58.03ID:v4gwLwQ2
中国は記録好きだから文官が記す制度やら人口やら地理・天文などは記すけど
軍事関係は卑しい軍人がすることで士太夫がすることではないというのがあったので
戦はあったが戦闘がどのように進んだかは詳しくは書かれないことが多い

日本は政権のために系統だてて書かれるというのが少なかったので
個人の日記やらで補うしかないのが現状
そもそも日本人は中国人ほど記録に執着してないしね(前王朝を打倒した正当性を主張する必要もなかったし)
源氏が平氏を打ち倒し得たのは非道な行いをして平氏の天命が去ったからだなんて聞いたことないし
0035人間七七四年2012/08/11(土) 22:15:43.24ID:qbbAXUDj
記録があまりないということは、逆に厳密な操典がなかったことを意味する
0036人間七七四年2012/08/11(土) 22:30:33.34ID:IctyP7wm
「古代――ギリシャ、ローマの時代は国民皆兵であります。
――ギリシャ、ローマ時代の戦術は極めて整然たる戦術であったのであります。
多くの兵が密集して方陣を作り、巧みにそれが進退して敵を圧倒する。
今日でもギリシャ、ローマ時代の戦術は依然として軍事学に於ける研究の対象たり得るのであります」
石原莞爾『最終戦争論』

イチ見解として
「国民皆兵の制度が乱れて傭兵に堕落する」とも言ってて、傭兵に依存すると戦術が乱れるとのこと
足軽を傭兵と捉えるとあるいはそうかもなぁ
0037人間七七四年2012/08/11(土) 23:37:49.68ID:1JEHlKoX
>>36
シーザー率いるローマ軍は”志願兵”だし、ハンニバルの主力は傭兵だし
ファランクスが有名になったのはギリシャ傭兵がオリエント中で活躍したからだし……

日本が国民皆兵だったのは、律令制と明治以後だけなんじゃないかな 
でも、大規模編成にあたってのコスト減のために、武士に農作業をさせることが増える
(一領具足や島津伊達家なんかも同様になる)
これは西欧でも同じで、16世紀仏も(金がなくなって)民兵制度を整えたりしてる
0038人間七七四年2012/08/12(日) 02:01:32.35ID:DrNBkFgP
>>37
傭兵の活躍は確かだが、彼らが戦術を共有する上で参考にしたのは、
やっぱり国民皆兵だったアテナイやテーバイ等ギリシャ各国の密集隊形であることは間違いないし、
カエサルを例に出すのも、マリウス以前の古代ローマの躍進を無視することになる

ハンニバルも結局“傭兵だから”負けたとも言えるしね
0039人間七七四年2012/08/12(日) 02:05:20.02ID:DrNBkFgP
まぁ、「戦術の深化には傭兵ではなく国民皆兵であることが重要」っていう結論をここから導き出せるとは思わんがw
0040人間七七四年2012/08/12(日) 02:57:08.12ID:v2tKLiaS
「備」によって戦国中期以降は、兵科別部隊を組み合わせ
陣形を組んでの戦いになったよな。
前列に長槍組の横隊、その前もしくは両翼に鉄砲組・弓組、足軽大将や徒歩武者、その後ろに騎馬組
というのがオーソドックスな配置だけど。

備 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99
0041人間七七四年2012/08/12(日) 03:14:10.34ID:v2tKLiaS
「雑兵物語」等によると長柄(長槍)組は、互いの肩が触れるくらいの間隔で1〜3列の横隊を数十人で組み、
号令や銅鑼によって進退し、攻撃は呼吸を合わせて一斉に槍を振り下ろした。
続いて一斉に槍を振り上げ、また一斉に叩き伏せた。

長柄はしなるので叩くのに都合がいい。武田の長槍は穂の横に打撃用の木槌がついていた。
長柄組は足軽ではあるが上から振り下ろされる槍への防御のため、陣笠ではなく兜を着用することがある。
騎馬に対しては槍衾を作って防御。
0042人間七七四年2012/08/12(日) 12:38:54.87ID:RVVoa8vp
多分それ、鉄炮の発展で足軽の主戦力でなくなった時代の槍の運用法だと思う
それ以前は大河ドラマのようにある程度バラけた状態で、突き合っていたんじゃないかと
0043人間七七四年2012/08/12(日) 13:21:21.95ID:0g3urcdr
逆じゃないかな、いくら槍持ってても横一列で進んできたら、ただの的
朝鮮の役、関が原くらいだと、一斉射撃→その混乱中に突撃、ってなのが基本になるしね
0044人間七七四年2012/08/12(日) 14:25:20.14ID:RVVoa8vp
その頃になると槍足軽は防御任務にしか携わらなくなったかと
0045人間七七四年2012/08/12(日) 19:19:27.68ID:aIcIkdQR
は?
0046人間七七四年2012/08/13(月) 00:05:16.21ID:mbM7CIYf
>>41
その長槍隊を守る竹束隊みたいなのはいなかったのかね
0047人間七七四年2012/08/13(月) 00:22:23.22ID:LhPY2nF1
走り回るのが基本なので、野戦では余り役に立たない
0048人間七七四年2012/08/13(月) 00:24:14.64ID:mbM7CIYf
>>47
鉄砲隊引き連れて走り回れるんなら竹束持って走り回れるだろw
0049人間七七四年2012/08/13(月) 02:49:30.43ID:LhPY2nF1
>>48
でかい、かさばる、木枠が必要
0050人間七七四年2012/08/13(月) 07:35:51.15ID:jhhokubZ
>>46
遭遇戦ではなく対陣する時間があれば、竹束と掻盾(木製の置き盾)、更に柵を準備して矢戦から始めるよ。
鉄砲組と、その装填の隙間を埋める弓組が始めに戦う。
矢玉が少なくなると、双方の長柄足軽が進み出てやりあう。
崩れたところを見計らって、徒歩武者や騎馬組が突入して白兵戦。
ってな流れが典型的では。
0051人間七七四年2012/08/13(月) 13:34:44.28ID:TjwFobTh
>>20
日本だとあまり大平原の会戦がないからかな
平地はあってもちょっとずれれば丘や山があるし
隊形を工夫するより地形利用するほうがいいわな
0052人間七七四年2012/08/13(月) 16:33:37.48ID:P3kOh57p
遮蔽物も豊富だし夜襲かけたりするにはちょうどいいもんな
平地じゃそうはいかねぇ
不勉強なせいか海外の戦で夜襲ってあんまりきいたことないな
いつも昼間やってるかんじ
0053人間七七四年2012/08/14(火) 04:08:07.79ID:oSi9ZOI/
>>52
丁度クラウゼヴィッツ『戦争論』の夜襲の項目読んでたわw
守る側は陣地のことを熟知しているし、奇襲なら小さい部隊ですべきだけど小さい部隊でやっても敵は倒せないし、
大きい部隊で動けばばれるしで、正直限定的な効果しか望めないって
「夜襲は、本戦に従属する個々の部隊において実施されるのが通例であり、大会戦において行われることは滅多にない」



しかしみんな見てきたように話してるがどっからその見解は出てきたんだw
0054人間七七四年2012/08/14(火) 15:23:17.17ID:qpuLEr9J
センゴク呼んでたら明智が「殺し間」とか言って火縄銃の十字砲火してたけど
戦国時代にほんまにそんな言葉あったんかね
あの漫画、途中からやけに通説はこうだが古戦場を実地に調べたらどうのこうのとやっているが…
0055人間七七四年2012/08/14(火) 16:14:30.02ID:uKWQpOgb
>>54
センゴクは初期に鈴木眞哉の影響か、偏った解釈しすぎて批判くらったんで
途中から突飛なことは言わなくなったね・・・
0056人間七七四年2012/08/15(水) 02:03:22.83ID:iVusP6Te
>>49
>>50
どっちだよw
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています