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信長が最も恐れた男は誰なのか?

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0001人間七七四年2012/07/19(木) 12:38:14.87ID:4zFxHj+u
上杉謙信?顕如?
0768人間七七四年2014/10/04(土) 01:36:48.95ID:vkcDEGld
>>767
朝倉は刀根坂の敗走見てももうすでに限界だっただろう

ポイントは織田家中がどうなるかだと思う
内応とか裏切りでズタズタになった可能性はある
安藤守就とかがそうだろう
0769人間七七四年2014/10/04(土) 05:32:54.46ID:Ng4+PQRf
(´・ω・`)朝倉さんはそんな期待できんやろ
0770人間七七四年2014/10/04(土) 07:20:29.85ID:mMCADyKU
>>765
あそこは名前とは裏腹に武田織田の総合スレだったからな
あれが無くなったせいで無駄にスレが乱立してしまった

あとテンプレも便利だった
0771人間七七四年2014/10/04(土) 08:49:06.04ID:o5m2HGxS
>>768
柴田勝家が再び・・・とか
0772人間七七四年2014/10/04(土) 12:32:07.25ID:DLuShJ+h
↓って本当?


755 名前:日本@名無史さん :2014/10/03(金) 23:43:55.32
>>746
長篠は本来徳川と武田の戦で信長は巻き込まれる形での参陣
その参陣だって家康が武田に降りるよ?いいの?と脅しかよwな
感じでやっと重い腰上げたんだから
0773人間七七四年2014/10/04(土) 12:59:40.01ID:9tneqd/a
実際に脅しかけたかどうかは分からんがあんまり放置しすぎたら
そうなる可能性も低くないだろうから重い腰あげただろうな
いい加減、勝頼の攻勢も無視できないレベルになってきたし
0774人間七七四年2014/10/04(土) 13:17:07.27ID:DLuShJ+h
じゃあそこで本当に家康が武田に降ったら信長は窮地に陥ったかな
0775人間七七四年2014/10/04(土) 13:48:06.70ID:9tneqd/a
タイミングによる。
信長に余裕あるときにそうなったとしてもプチっと叩き潰されるのがオチだし。
越前一向一揆も荒木村重も一時的には痛手を被ったけど後で容赦なく叩き潰したからなあ。
後、武田は織田以上に同盟相手なんぞ屁とも思わない体質だから
それを骨身に染みて思い知ってる家康が鞍替えするにゃ相当のことがないと難しいと思われる。
0776人間七七四年2014/10/04(土) 16:52:39.06ID:6yRIkvxc
>>772
常識的に考えるなら嘘だろうな。
力関係がもう少し近ければともかく、
当時の力関係でそんなこと言ったら危険視されて後に粛清されるだけだろうし、
本当に裏切る気ならそんなことをわざわざ言ってあげるはずがない。

>>774
本能寺みたいな信長自身が小兵力で家康と会ってる時に突然裏切るとかは別として、
1575年以降じゃ家康が寝返ったところで織田が窮地に陥ることはまず無い。
タイミングによっては一時的に痛手を与えることも可能だろうけど。
0777人間七七四年2014/10/04(土) 19:43:14.56ID:S86fflny
結局信長が最も怖れた男は家康か
0778人間七七四年2014/10/04(土) 23:55:44.80ID:y4eEeZtE
徳川家康
0779人間七七四年2014/10/05(日) 00:36:48.39ID:ssw743Jq
最大の味方にして最大の敵、徳川家康

いわゆる毒にも薬にもなるってやつだな
0780人間七七四年2014/10/05(日) 10:54:39.25ID:bzcXBSTM
家康が武田勝頼についたら信長包囲網完成
あの時点ではもう武田と上杉は敵対していなかったし
0781人間七七四年2014/10/05(日) 11:04:46.86ID:NJoD2zCH
織田が上杉と敵対するようになったのは長篠の後だがな。
長篠の後で武田につく徳川はおるまい。
0782人間七七四年2014/10/05(日) 11:31:55.00ID:bzcXBSTM
>>781
いや、織田と上杉でなく武田と上杉
長篠以前から武田と上杉は敵対止めていたぞ
0783人間七七四年2014/10/05(日) 12:04:44.92ID:ninSMO0X
いや敵対しているって
北信濃じゃ普通に小競り合いしてるし
上野にも出兵している
0784人間七七四年2014/10/05(日) 12:09:52.83ID:ninSMO0X
ちなみに上杉が織田と敵対して、本願寺と同盟した後も北条とは戦争中だし、
武田とは本気で戦うことはしていないものの敵対はしている
0785人間七七四年2014/10/05(日) 15:43:47.04ID:mcwVskWc
信玄が勝頼に遺言で
「謙信とは和睦せよ、あれは頼めば必ず味方になってくれる男だ」と言い残し
勝頼もそれに従ったんじゃなかったっけ?
0786人間七七四年2014/10/05(日) 17:14:11.67ID:ninSMO0X
>>785
それは創作だ
0787人間七七四年2014/10/05(日) 19:18:31.91ID:3WgkDCmj
>>786
創作なの?
0788人間七七四年2014/10/05(日) 19:25:33.41ID:NJoD2zCH
>>785
それ俺が子供の頃に読んだ学研マンガのネタじゃん
0789人間七七四年2014/10/05(日) 19:52:59.85ID:ninSMO0X
創作だよ
願文でも謙信は武田のことを甲南の凶徒とか呼んでる
0790人間七七四年2014/10/06(月) 06:34:13.37ID:kf6DqoGk
>>789
そりゃまだ信玄が健在で謙信と争っていた時期の話だろ
0791人間七七四年2014/10/06(月) 10:54:15.55ID:XJ5uShnA
75年とか76年の話だから信玄死後だよ
0792人間七七四年2014/10/06(月) 13:55:39.06ID:Dce6wF/K
越相同盟が破綻して甲相同盟が結ばれた時点で上杉にとって武田は潜在的には敵。
御館の乱の後で甲越同盟結ばれるまでは積極的に争うまではいかなくとも互いに警戒しあう関係。
0793人間七七四年2014/10/06(月) 19:25:00.47ID:rmm0d56n
甲相同盟はいつ結ばれたんだ
氏康の死後か?
0794人間七七四年2014/10/06(月) 23:36:46.63ID:4JtVngZC
なんつっても弥助は怖かったんじゃねえかな
0795人間七七四年2014/10/07(火) 01:09:19.82ID:c0weFLKf
謙信が甲南之凶徒って呼んでる文書は1576年に出たのが最後か?
0796人間七七四年2014/10/07(火) 06:24:53.10ID:awoCpWUy
>>794
怖いだろうね
得体のしれない(当時の感覚だから、人種差別ととらないでね)デカくて怪力の黒い人だから

でもそういうのに興味を持ってそばに置くのが信長
0797人間七七四年2014/10/07(火) 20:05:32.83ID:L2JVx7aS
信長は弥助を掘っていたのかな
小姓・近習を掘るってのは自分を裏切らせないためってのもあったんでしょ?
0798人間七七四年2014/10/08(水) 00:00:58.07ID:bpJJufow
信長はガチムキが趣味だったからむしろ掘られる方かも。
0799人間七七四年2014/10/08(水) 00:14:09.29ID:oMTRg0vs
弥助のは入らんだろw
0800人間七七四年2014/10/08(水) 07:41:55.61ID:KB714S9Z
>>798
前田利家とか蘭丸にも掘らせていたとか?
0801人間七七四年2014/10/08(水) 07:46:43.52ID:YeYuTPmO
だから織田は徳川との同盟が生命線だったから徳川家康
0802人間七七四年2014/10/08(水) 18:53:54.80ID:HIncPO3p
家康は警戒は間違いなくしていただろうね
今出版されてるような信長や家康の伝記みたいに
お互いに信頼しきっていた仲ではなかったはず
0803人間七七四年2014/10/08(水) 19:04:19.44ID:LmRTIDrA
信長の家康への対応を見てると、完全に家康を舐めきってるけどな。
このままじゃ武田に付くしかないと家康に言われるまで援軍を送らないってどうよ。
0804人間七七四年2014/10/09(木) 00:00:13.61ID:xN2cmMIg
謙信には貢物
信玄には自分の息子
本願寺には金銭要求
家康には信康の首

こうして見ると織田が誰を警戒していたか解るな
0805人間七七四年2014/10/09(木) 02:21:42.76ID:Q3lBuRyX
この前テレビ番組で明智光秀の子孫が
本能寺の黒幕は家康で光秀と共謀していたとか言ってたがあれどうなんだろうな
信長はこの時京に来た家康を暗殺するつもりだったらしい
光秀はこの時の接待で料理のことで信長に叱られて頭殴られが
これ、家康の膳に毒を盛れって言われたけど毒入れなかったから激怒されたって考えると
合点がいくんだよな
共謀者の膳に毒を盛るわけにはいかない
んで家康と光秀のさらに背後にいるのが朝廷かな?
0806人間七七四年2014/10/09(木) 07:08:35.82ID:uakTMF11
>>805
当時朝廷が警戒というか消したかったとすれば信長以外いない
本能寺の変は朝廷の密命というのは結構言われる説だが
そのため家康と共謀したのか

そして信長もそれに感づいていたと
0807人間七七四年2014/10/09(木) 19:46:14.33ID:FX5v6Z6K
光秀家康共謀説はよく聞くね
だから家康は無事三河に帰れたと
穴山信君と異なって
0808人間七七四年2014/10/09(木) 22:49:36.24ID:KMDFWdXe
本当に共謀してたらわざわざ伊賀越えする必要もないし
穴山をデコイに使う必要もない
0809人間七七四年2014/10/10(金) 01:09:42.04ID:mHu8DnJv
 謙信には貢物
信玄には自分の息子
本願寺には金銭要求
家康には信康の首
弥助のは巨大な逸物

こうして見ると織田が誰を警戒していたか解るな
0810人間七七四年2014/10/10(金) 07:52:00.77ID:UQYedk1/
>>808
穴山は家康の共謀を疑っていて
自ら別行動を取ったんじゃなかったっけ?
0811人間七七四年2014/10/10(金) 12:31:45.87ID:XtmLYhqx
本能寺に関しては共謀者・黒幕の類はほとんどいなかっただろう。
いたなら光秀もそれを前面に押し出して仲間集めの勧誘したはずだし。
縁戚の細川・筒井にすら見限られてる時点でろくな後ろ盾もなく突発的行動だったことは明らか。
0812人間七七四年2014/10/10(金) 17:17:52.83ID:dWkRTFMI
>>811
光秀が騙された、使い捨てにされただけかもしれんぞ
0813人間七七四年2014/10/10(金) 21:48:42.63ID:jO26tp0E
本当はあの時点で謀反を起こす予定じゃなかったのかもしれん

仮に光秀と家康が共謀していて
かつ光秀が接待の時に毒を盛るように信長に命令されたと仮定する

「接待ごときに私が選ばれたのは何故だ?」と当然光秀は考えるんじゃないかな
そして家康の料理に毒を盛るよう指示を受けたときに
「すでに信長は私の裏切りに感づいているのでは?
用意した料理に毒を盛るか否かで私が本当に裏切り者かそれを確かめようとしてるのでは?」と疑心暗鬼に
信長からすれば織田政権において大きな役割担った同盟国のその当主を暗殺するのだから
絶対的な信頼を寄せている人物でないといけない
つまり当時ナンバー2の地位にあった光秀だ
実際は信長は光秀が裏切るなんて微塵も考えてなかっただろう
しかしこの時命令に背いた時点で光秀は計画が露呈したと思い込んで
このままでは私の首が危ないと実際よりも早く独断で行動に移してしまったとか多分そんなん

家康が信長が死んだことを知って切腹しようとしたのはまだ根回しの途中で
全然準備できてないこの時に行動しちゃおしまいじゃないか!!ってトチ狂ったんだろう
0814人間七七四年2014/10/10(金) 22:48:28.65ID:amgKQds3
>>813
光秀が疑心暗鬼になって先手を打ったというわけか
0815人間七七四年2014/10/11(土) 00:24:43.75ID:ynaPOPVX
>>813
>つまり当時ナンバー2の地位にあった光秀だ

ナンバー2は秀吉か勝家じゃなかったのか?
0816人間七七四年2014/10/11(土) 00:30:10.02ID:+NGssIx1
こんな馬鹿が書き込んでるんだから
そもそも話にならないわけで・・・
0817人間七七四年2014/10/11(土) 08:31:52.12ID:KscS6FH1
>接待ごとき

こんなこと言ってる時点で程度が知れてるな。
饗応役って相応の格の人間じゃないとつとまんないのよ。
外交の場だよ。カウンターパートって言葉知ってる?
0818人間七七四年2014/10/11(土) 11:02:04.64ID:uEYrgajN
>>817
京の風習に通じていた光秀だからこそ務まった面もある
0819人間七七四年2014/10/11(土) 16:56:36.69ID:qKpuBCIV
信長は光秀を怖れるというか、裏切るなんて思ってもいなかったはずだよね。
ただその割に本能寺を囲んでいるのが光秀の紋だと知って
「光秀か、是非もない」と言ったともいう。
これは矛盾してないか?
0820人間七七四年2014/10/11(土) 19:41:57.56ID:6GVRw58U
理由なんか詮索してもしょうがないって意味でしょ
0821人間七七四年2014/10/11(土) 20:51:07.83ID:KscS6FH1
あれは囲んでるのが光秀なら取り逃がすような隙はあるまいって意味じゃねえの
0822人間七七四年2014/10/12(日) 09:55:20.51ID:O158NpXD
最初は信忠だと思ったんだっけ?
0823人間七七四年2014/10/12(日) 10:14:52.12ID:lrhXB34g
たしか謀反の報を聞いたとき最初は信忠と思ったらしいね
0824人間七七四年2014/10/12(日) 10:30:25.76ID:O158NpXD
じゃあ信忠を怖れているわけではなくても警戒していたのか
確かにたとえ信忠にその気がなくても家臣団が担いで謀反を起こすことは有り得ただろうしね
0825人間七七四年2014/10/12(日) 10:40:54.34ID:lrhXB34g
いや、家督は譲っていても実質的に実権を握っていたのは信長ということと
本能寺近隣で兵を動かせそうなのは妙覚寺にいた信忠だけに思えたから
まさかいらぬ気を起こしたのでは?と思っただけで警戒はしてなかったと思う
この当時は本当に謀反を起こす人間が身近にいるとは思ってなかっただろう
0826人間七七四年2014/10/12(日) 11:05:29.62ID:O158NpXD
>>825
>本能寺近隣で兵を動かせそうなのは妙覚寺にいた信忠だけに思えたから

でも妙覚寺にいた信忠も大した兵力持っていなかったよね
実際その後信長同様に光秀に包囲され殺されてるし
0827人間七七四年2014/10/12(日) 12:22:39.98ID:VJUV1kSC
寺囲む分には2千も1万もおなじやろうし。
0828人間七七四年2014/10/12(日) 12:48:35.09ID:tm7IURvr
>>819
つまり信長は光秀が裏切る可能性はないと考えていたわけね。
だから取り囲まれた時、是非もなしとなるわけだ。
0829人間七七四年2014/10/12(日) 14:50:35.78ID:tWtuAdru
松永弾正だろ
0830人間七七四年2014/10/12(日) 15:29:31.52ID:But0JZAj
>>829
あの信長が何度も裏切りを許しているからな
0831人間七七四年2014/10/12(日) 15:33:12.20ID:lrhXB34g
かつて機内を治めてた三好政権のその残党を纏めるために必要な存在だったのでは?
0832人間七七四年2014/10/12(日) 20:58:19.37ID:Yla3djFS
斉藤義龍
彼が長生きすれば信長は美濃侵攻できず上洛も無理だった
0833人間七七四年2014/10/12(日) 23:33:58.82ID:Aoq2E2Bp
今川義元
0834人間七七四年2014/10/13(月) 11:49:18.71ID:JxHYGDKd
今川義元上洛の際の信長はそれこそヘビに睨まれたカエルの心境だったであろう
0835人間七七四年2014/10/13(月) 12:45:42.07ID:4HYCSlQH
>>834
信長「とりあえず茶漬けを食うか」
0836人間七七四年2014/10/13(月) 13:12:34.21ID:JxHYGDKd
>>835
柴田勝家、林秀貞「ああ、織田家もおしまいか(涙」

実際、信長は勝算が有ったわけではなく
恐怖→死ぬ覚悟&開き直りになっただけであったろう
0837人間七七四年2014/10/13(月) 14:36:56.40ID:pYQkYLk7
ぶっちゃけて言うと義元は大高城の後詰めに来ただけであって
上洛どころか尾張の制圧すら予定してなかったけどな
信長からすれば適当にやり過ごしさえすればいい戦
それで運よく大将首取れたもんだから超ラッキー
0838人間七七四年2014/10/13(月) 16:29:39.54ID:2Ckl3VjX
しかし今川みたいな大勢力、しかも父の代から争っているのと常に接してるのは怖いだろ
0839人間七七四年2014/10/13(月) 20:23:07.10ID:/P4BgyR/
信秀は何度も今川を撃退していたな
0840人間七七四年2014/10/13(月) 22:01:37.19ID:nUmRtExr
一言坂の一回だけだろ
0841人間七七四年2014/10/13(月) 22:27:41.17ID:pYQkYLk7
安城落されるまではむしろ織田の方が強かった。
そんときの負けと信秀死後のゴタゴタで一気に力関係に差がついたけど
元々は互角ぐらいの相手。
0842人間七七四年2014/10/13(月) 22:39:48.13ID:Py+1aUHn
>>841
互角とか、そんなわけねーよ
信秀は尾張一国の国主ですらない

三国同盟できるまでは、今川は南以外の全方位と戦っていて、
単に尾張方面の局地線では、アウェイの今川よりホームの織田が
強かったってだけだ
0843人間七七四年2014/10/13(月) 23:19:11.12ID:ILqSNUWG
ぶっちゃけ初期の信秀は今川じゃなくて松平の内輪もめに介入して勝っていたってレベルだな
そして今川が武田北条の問題を片付けて三河へ力を注ぐようになってからは防戦一方
0844人間七七四年2014/10/14(火) 00:23:18.59ID:UBTm8g/4
 信玄はこう考えていた。
 「尾張から都までの間は一戦ごとにこちらが強くなる。
上方の敵は義理も作法も知らず、自分さえ助かればどんな卑怯なことでもすると聞いている。
(『甲陽軍鑑』品第三十九)
0845人間七七四年2014/10/14(火) 00:29:28.52ID:OnrHobY1
>そして今川が武田北条の問題を片付けて三河へ力を注ぐようになってからは防戦一方

松平広忠の死後は岡崎まで完全に領土としたしな
0846人間七七四年2014/10/14(火) 04:40:23.55ID:h8NC7bAC
信秀の実力や立場を定義するの難しいよな
ある時期とある時期でまるで違う
0847人間七七四年2014/10/14(火) 06:29:48.66ID:igYmJite
>>846
尾張を乗っ取っただけでも優秀な武将だと思うけどな
0848人間七七四年2014/10/14(火) 07:38:31.11ID:266lUZMl
>>842
それを言うなら今川だって義元の初期は三河どころか
駿河と遠江すら完全に掌握していない。
家中がゴタゴタで割れてたからな。
駿河は東半分北条に侵食されてたし。
0849人間七七四年2014/10/14(火) 12:40:31.05ID:F8XKuN6D
信長は信秀の遺産として三河国碧海郡を中心とした水野氏+尾張国+美濃大垣+信秀姉妹の美濃岩村を領土としていた。
他に婚姻関係の下に斉藤道三の後見と
信秀の献金力を背景として朝廷と六角氏の圧力で今川義元が土下座して織田との同盟を結んでいた。

鳴海が今川方になったのは弘治元年(1555年)2/5付書状で証明されてる。
しかし、それ以外は取られてない。半分が今川とかアホだろw
その書状の中で信長が鳴海に同心したら領地没収の話を出してる。
そもそも弘治元年から2年に渡り三河全域で反今川勢力が蜂起して
今川勢と各地で戦ってたのは岡崎市史で指摘されてて、
今川にはこれ以後、余裕がまったくない。
信秀が死んだのは天文21年3月(1552年)で鳴海が今川へ寝返った時期から
すでに3年も経過してるから、信長が相続した時点ではちゃんと引き継いでいるし。


そもそも一次史料をみる限り、どう考えてもすでに清洲城に織田敵対勢力なんぞいないわw

清洲城で傀儡になっていた尾張守護斯波義統は天文13年に稲葉山城攻撃中の信秀の援護射撃で禁制を出したのを最後に消え去るので間もなく死去と思われる。
清洲城主尾張下郡守護代織田大和守信友は架空人物。
岩倉城主尾張上郡守護代織田伊勢守信安や子の信賢も江戸期の軍記の架空人物。
織田信清も軍記の架空人物。ただ犬山城は金山城などと共に斎藤氏が信長から奪って支配していた可能性が高い。
織田信光は名古屋城で信長に暗殺されたっぽい。


永正8年・10年と尾張守護の斯波義達が今川氏親と戦っているが
なんと大和守・伊勢守の両織田守護代家は一切協力しておらず
完全に実権喪失している事実。
織田両守護代家にとり斯波は象徴的存在に過ぎなくなっていた。
西尾張が根拠地の信秀の東尾張平定たる天文7年の名古屋城攻略と
今川氏豊の追放により尾張南半分を支配下においたわけだが
すでに守護代織田達勝も信秀の行動を応援是認し
10月に名古屋の性海寺への免除書状で支援している。
そして根拠地を自らが文書発給し支配していた
西尾張の勝幡城から信秀は本拠地を名古屋に移転して西三河へ目を向ける。
天文9年には伊勢神宮へ700貫寄進し、朝廷から三河守に任じられ
三河から圧迫を受けていた尾張は信秀の名古屋攻略とともに
劣勢から攻勢に転換し、尾張をほぼ安定化させたため
天文日記10年7/27でも斯波義統が信秀の威信をアテにして
本願寺に対して越前まで討ち入り越前を回復するから
加賀門徒の協力依頼までしているほどの評価が尾張の外へ轟いている。
次に長尾為景が越後守護上杉定美傀儡政権運営していた時と酷似していた状況が一変したことを示す権力変化の証拠がある。
天文12年2/21の達勝安堵状には「弾正忠申調られ出置く上は」と書かれ
天文8年までの従来、東尾張において達勝→信秀と出されてきた発給文書が、
ついに信秀→達勝に順番が逆になってしまう。この逆転現象は巨大な衝撃である。
謙信政権でも苦悩していた守護による政治機構が簡単に解体されていく姿が尾張に生じているのである。
(結局、後継者なく定美が亡くなり、関東管領に就任し上杉を継ぐまで越後統治の正当性が得られなかった長尾氏)
また天文13年の信秀の美濃侵攻では守護斯波義統が禁制を出すなど、信秀支持の姿勢を示している。
9月に美濃立政寺へ禁制を出した織田寛近は岩倉伊勢守の一族であり
守護斯波は言うまでも無く尾張国の大半が信秀の美濃侵攻を支持していたのは間違いない。
ここに信秀による尾張統一が達成されたのである。
0850人間七七四年2014/10/14(火) 12:42:51.64ID:F8XKuN6D
熱田神宮寺座主も、いままでは大和守の判物を手にいれて満足していたはずなのに
信秀を当殿様と呼び信秀判物を手に入れようとした。
信長公記系に記される信秀に従い出陣し稲葉山の戦いで戦死した清洲三奉行の織田因幡守の子で信友が
守護代大和守の養子として清洲城(斯波氏を傀儡にしてる)へ入城し天文16〜17年・21年に信秀・信長と対抗?
そもそも大和守達勝は天文19年12/17の熱田神宮の書状で存命が確認されるのでデタラメ。
しかも達勝の後継者は勝秀であり、もう何言ってんのかわかりませーんw
そもそも信友なんて一次史料には一切出てこない架空人物としか思えないし。
つうか斯波氏を傀儡にしている大和守を傀儡にしてる信友を
さらに傀儡にしてる孤立してる清洲城の坂井・川尻・織田三位ら重臣達ってストーリーかよwww
ちなみに尾張北を支配していた岩倉織田伊勢守も天文6年に広高が当主であったのが確認できるが
その後、まったく消え去り史料上から消え去っている。信安を追放した信賢とか江戸期の捏造話で存在確認できない。
公記系によると永禄2年に信長が岩倉城を数ヶ月包囲して信賢を降伏させたとするが
言継卿記によるとその時期の信長は上洛して義輝に謁見し、堺・奈良見物してる最中w
つまり公記の記す信長の尾張での内戦話がほぼデタラメなのがわかるのである。

信秀が尾張一国の主と朝廷も六角も斎藤も今川も認識していたのは、
外交文書をみれば歴然としているのに、
デタラメ吐くなよwww
むしろ尾張の他の誰も外交文書なんて全く出してないしなw
清洲側なんて全く書状すら出してないから存在自体が疑われているレベル。
信長が相続したのは、80万石以上。
尾張国一国+美濃岩村+美濃大垣+三河水野領
信秀が残した外交的遺産は、六角との同盟+道三の後見+今川との同盟+朝廷の絶対的信頼
ここまで御膳立てしてもらいながら、
道三が織田家臣へ愚主信長を見限らないように心配する書状を出していたり、
信長が今川を奇襲して同盟をぶち壊していたり、
織田外交を一手に引き受けていた信長後見役の平手が絶望して自殺。
数々の悪行で尾張国内の結束を自ら破壊して自壊に導き、
今川を恫喝していた後見役の道三が死去するや、英傑な義龍に尾張半国を奪われるほどの馬鹿アスペが信長。

織田軍の残虐行為の証拠隠滅行為から逃れるために
当時の人々が瓦の裏に後世の人々へ、その犯罪行為を告発しているほど

「後世の方はどうか語り伝えて下さい。
5月24日に一揆が起こり、 前田利家が千人を生け捕りにした。
磔、釜茹で、その有様を書き留めておきます。」

またフロイスも日本史において
荒木の謀反の時は、荒木の妻、二人の娘、兄弟、彼女の兄弟姉妹、すべての従兄弟たち、甥、近親ら36人を
市中引き回しの上、斬首(市中引き回しは名誉を重んじるので死ぬことよりも甚だしい恥辱と不面目を信長は与えた)
荒木の城から取っていた貴婦人120名は磔(赤子も母の胸に縛りつけて串刺しにして母親を一層苦しめるやり方をした)
これを見た群集は殺された者が赤の他人であっても肝を潰し幾日も放心状態になる人たちばかりだったほどで、
このまったく罪なき人々に対して前代未聞の過酷さと残虐に京の群集が恐怖したのもつかの間、
今度はさらに残酷で非人道的かつ恐怖を比較にならぬほど煽ったのが、
4つの平屋を作り、そこへ514名が入れられ(380名が女性)外から火をつけられ全員を生きたまま焚殺した。
彼らが発する悲鳴や叫喚の声は、彼らが受けている残忍極まりない苦しみが、京都を恐怖で覆った。
このように荒木のみが受けるべき罰を、多数の無実の人々が受けた。
苦悩の涙と尽きることがない慟哭だけがずっと聞こえてきた。

これが信長のやり方で、異常な暴君以外のなにものでもなかった。

信長は日本史上、唯一の恐怖と虐殺を礎に王朝を築き上げようとした
大陸中国人的専制独裁君主なんだよな。
だから猜疑心が異常に強く、
行き着いた終着駅はカルト宗教の神になって崇拝を強要し権力だけでなく新たな権威を備えようとした挙句に自滅。 
朝廷も異常なまでに恐怖し、家格も前例も段階も踏まずに一気に位階官職を引き上げようとしてるくらい媚びへつらい朝廷存立の危機感を持ってたが、
それすらも拒絶して朝廷秩序の枠外に出てしまった日本史上、唯一の暴君。
0851人間七七四年2014/10/14(火) 13:16:50.23ID:kZxTRJHt
信長公記にかいてあることはデタラメだらけ
0852人間七七四年2014/10/14(火) 13:55:18.97ID:kZxTRJHt
道三の美濃と信長の尾張の二大国を相手に
義元はビビっていたからね。
0853人間七七四年2014/10/14(火) 14:04:50.12ID:+doeOv/k
>>851
信長公記に書いてあることを信じなければ一体何を信じればいいの?
0854人間七七四年2014/10/14(火) 14:36:57.85ID:kZxTRJHt
>>853
一次史料
0855人間七七四年2014/10/14(火) 15:00:46.85ID:+doeOv/k
>>854
その一次史料って何よ?
0856人間七七四年2014/10/14(火) 17:23:00.39ID:kZxTRJHt
>>855
アホ乙www
0857人間七七四年2014/10/14(火) 17:28:01.05ID:+doeOv/k
>>856
出たよ逃げレスw
0858人間七七四年2014/10/14(火) 20:00:06.33ID:pnlvNBpq
>>852
その二国だって決して一枚岩じゃなかったじゃん
0859人間七七四年2014/10/14(火) 20:40:51.95ID:266lUZMl
信秀生存時はともかく死後は尾張は割れまくりだし
美濃は親子喧嘩やらかすし道三の美濃支配はおせじにも盤石とは言えなかったし
0860人間七七四年2014/10/14(火) 21:16:26.44ID:pnlvNBpq
>>859
その通りだな
>>852は二“大国”というのからしておかしい
0861人間七七四年2014/10/14(火) 21:44:10.98ID:NsiesiJo
あの時期武田だって今川と連携して西進していたというのに
0862人間七七四年2014/10/14(火) 22:06:40.73ID:vTNg2wKS
しかし、信長のシェフ→信長協奏曲
と、信長作品が続いているから、話題にことが欠かないな
0863人間七七四年2014/10/15(水) 00:18:25.93ID:H5GQHkxu
信長が戦国一、いや日本で一番の人気のある歴史上の人物になったのって
ノブヤボ以降だろうね
それ以前は秀吉のほうが人気あったと思う
0864人間七七四年2014/10/15(水) 00:30:48.76ID:XIJCvSsd
信長協奏曲は漫画だからネタとして許せるけど実写は駄目だろ。
原作でも始めの方の思いつくままやったらたまたま史実通り、じゃなくなってきて何故か普通に知将になってるし。
0865人間七七四年2014/10/15(水) 09:40:35.51ID:Yy9pxfzD
>>859
それは信長が愚主だったからだろが。
自業自得。
0866人間七七四年2014/10/15(水) 09:50:32.46ID:opkuzO7M
>>865
信長が大うつけだったというのはどこまで本当だったのかね
結構誇張が入っているような気がするんだが
むしろまだ若年で家督を継いだため舐められて家臣団が割れたという面があったのでは?
0867人間七七四年2014/10/15(水) 11:01:30.48ID:I2E9lAlE
天文22年閏正月13日に信秀が外交を委任していた平手政秀が信長に悲観して自殺するや
道三は信長の大叔父玄蕃允秀敏に信長の悪行を心配している書状を出してる(浅井家文書)
そして同じく後見役とされていた林も信長を見放す。
しかし道三は娘を人質にされてるためか、信長を見放さず、
水野の小川城に対抗して岡崎衆が村木に砦を築くや天文23年正月に安藤伊賀守の軍勢を派遣し
小川城で水野信元と会談後に砦を落として帰っている。
明らかに信長がどうしようもない馬鹿で尾張が分裂していっただけで、
信秀は万全の体制で信長へ引き継がせてる。義龍によって尾張反語句を奪われたのは信長の糞アスペ人格が原因。

道三が織田家臣へ愚主信長を見限らないように心配する書状を出していたり
後見役の道三が死去するや、英傑な義龍に尾張半国を奪われるほどの馬鹿アスペが信長。
天文22年閏正月に平手が信長のアホぶりに失望し自害。
結局、信秀が死後を心配し信長の後見につけた4人の側近団は崩壊。
尾張統一されたもんを引き継ぎながら道三が死んで後見が失われるや
信長自身の悪政を義龍に付込まれて尾張が謀反三昧にされただけだろw
まぁ平手まで自刃するほどのキチガイ信長じゃしょーがねぇけどな。


信長は信秀の遺産として三河国碧海郡を中心とした水野氏+尾張国+美濃大垣+信秀姉妹の美濃岩村を領土としていた。
他に婚姻関係の下に斉藤道三の後見と
信秀の献金力を背景として朝廷と六角氏の圧力で今川義元が土下座して織田との同盟を結んでいた。

鳴海が今川方になったのは弘治元年(1555年)2/5付書状で証明されてる。
(鳴海を今川が調略していた証拠はなく、ただ単に信長が見限られ離反されただけ)
しかし、それ以外は取られてない。半分が今川とかアホだろw
その書状の中で信長が鳴海に同心したら領地没収の話を出してる。
そもそも弘治元年から2年に渡り三河全域で反今川勢力が蜂起して
今川勢と各地で戦ってたのは岡崎市史で指摘されてて、
今川にはこれ以後、余裕がまったくない。
信秀が死んだのは天文21年3月(1552年)で鳴海が今川へ寝返った時期から
すでに3年も経過してるから、信長が相続した時点ではちゃんと引き継いでいるし。


そもそも一次史料をみる限り、どう考えてもすでに清洲城に織田敵対勢力なんぞいないわw

清洲城で傀儡になっていた尾張守護斯波義統は天文13年に稲葉山城攻撃中の信秀の援護射撃で禁制を出したのを最後に消え去るので間もなく死去と思われる。
清洲城主尾張下郡守護代織田大和守信友は架空人物。
岩倉城主尾張上郡守護代織田伊勢守信安や子の信賢も江戸期の軍記の架空人物。
織田信清も軍記の架空人物。ただ犬山城は金山城などと共に斎藤氏が信長から奪って支配していた可能性が高い。
織田信光は名古屋城で信長に暗殺されたっぽい。
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