>>41
なんだ、直前に利家57歳とあるから文禄5年かと思ったら、文禄2年の書状なのかよ(笑)
まあ、その時点でも既に毛利輝元や黒田考高が病に倒れ、秀吉が名医曲直瀬道三を派遣するも羽柴秀勝は病没、
4月に渡海した伊達政宗は7月に母親に送った手紙の中で「此の国にては、水のちがい候ゆへ、人びと死にうせ申し候事」
「当国にて腫気煩い候者、十人に九人は相果つる事に候」などと朝鮮における風土病流行の惨状を訴えているような状況だから、
やっぱり大名クラスにとっては病気の方が心配だったんじゃね(笑)
なんせ、討死した大名なんてただの一人もいないんだから(爆笑)

>>それよりも明の使節が滞在する3ヶ月前に行われた幸州山城の戦いで石田三成や宇喜多秀家が負傷した
>>(言い方を変えれば討死しかけた)ことからも当時日本最強最大の大名家康の泣き言が討死について
>>主張していると考えることの方が自然んまんだが。

わかってねえなー、この時代の武将にとって負傷なんて日常茶飯事なんだ(笑)
大名クラスでも陣頭に立って自身太刀打ちなんて当たり前、井伊直政や藤堂高虎なんか満身創痍だ(笑)
だいたい、その最強朝鮮軍(笑)がビビって城を放棄する結果に終わった幸州山城の戦い(笑)にしたって、
負傷した大名が臥せったという記録もなけりゃ、その後のキャリアに何の影響も与えていないところをみると
たいした負傷でもなかったんだろ(笑)
ましてやそれを知った家康が自分の討死を心配しただろうなんて、手前勝手な妄想もいいところじゃねえか(爆笑)

>>羽柴秀勝なんか朝鮮出兵関係ないし

朝鮮出兵中に巨済島で病没している羽柴秀勝がどうして朝鮮出兵と関係ないんだ(爆笑)