>>102

慶長の役は全羅道と忠清道の討伐して、
1599年の夏の攻勢準備のために、
半島南部に移動して防衛するのが目的。

日本軍も稷山の野戦、南原、黄石山の攻城戦で勝利を収めているんだけど?
また朝鮮水軍の基地も占領・破壊している。

第一次蔚山では少なくとも17000以上の損害を明・朝鮮軍に与えているし、
11万人以上を動員した明・朝鮮軍の3路の一斉攻勢を大破している。

そんな状態で秀吉が死去したので秀吉軍は撤収した。

戦略・戦術ともに秀吉軍主導で進んでいる。

また李氏朝鮮の終戦後の記録に、わが軍は倭軍の陣営を一つも落とすことができなかったし
このまま秀吉軍が半島にいたら、もう打つ手はなかったと総括している

明の将軍も朝鮮王・宣祖に日本軍は秀吉が死んだから帰っただけで、
また強力な軍勢でやってくるから防備をしたほうが良いと進言している。

明・朝鮮側は勝ったとはこれっぽっちも思ってないのであった。