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朝鮮出兵で東国武士が主力だったら・・・

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0001人間七七四年2012/06/23(土) 22:23:01.66ID:ZF0donHK
負けてた?それとももっと活躍してた?

徳川家康、伊達政宗、最上義光、上杉景勝などが暴れ回ったらどうなっていたか。
0002人間七七四年2012/06/23(土) 22:25:47.99ID:gHAcSEVk
そもそも補給が足りない上に、石田にやる気がない
兵の強弱の問題ではない

無意味
0003人間七七四年2012/06/23(土) 22:47:08.96ID:ZF0donHK
まあ、確かに補給はないよなあ。
なければ誰がやってもかわらんかも。
0004人間七七四年2012/06/24(日) 02:30:55.26ID:pB13+zgp
まあ徳川勢も大坂夏の陣で西国浪人の寄せ集め相手に大失態を演じたし、
会津への国換えから幾年も経ってない上杉も微妙だろ。
伊達に至ってはいつ明朝鮮側に寝返って後ろから銃撃してくるかわからないw
0005人間七七四年2012/06/24(日) 12:00:32.03ID:Oew1xFam
伊達は確かにヤバイな。寝返って後ろから撃つ可能性ある。
0006人間七七四年2012/06/24(日) 12:08:43.66ID:QDLCvxlz
寒さには強いと思うな
0007人間七七四年2012/06/24(日) 12:17:39.72ID:sn30vJZS
>>5
伊達が明・朝鮮に味方するメリットは?
隻眼の皇帝を目指すってのもあるかもだけど。
0008人間七七四年2012/06/24(日) 12:29:28.75ID:Oew1xFam
>>7
明皇帝目指すってのもありかと。
もしくは、この機会に日本軍を潰しておき、明や朝鮮の力を借りて日本征服とか。
後者の方が現実味がある。そういう行動してたしね。
0009人間七七四年2012/06/24(日) 13:17:32.89ID:lQVuy8FS
てっきり三浦義意とか清水太郎左衛門みたいなモンスター送り込むスレかと
0010人間七七四年2012/06/24(日) 13:38:53.55ID:GNuwgBwA
鬼清水か
0011人間七七四年2012/06/24(日) 16:07:54.63ID:Oew1xFam
三浦義意ってかなり前に死んでるやん。
0012人間七七四年2012/06/24(日) 23:04:21.88ID:lQVuy8FS
>>11
いやそういった類の東国モンスター軍団送ったらどうなんだろうってスレかと思って
0013人間七七四年2012/06/26(火) 03:01:27.70ID:7bVq6NWo
小田天庵様を朝鮮に追放し向こうの指揮官に据えさせれば、こっちは連戦連勝間違いなし
0014人間七七四年2012/06/26(火) 21:47:10.80ID:S6FbNI4y
九州武士のがある意味凶暴だから、あれ以上の成績は残せないだろ。
野性味があるというか、モンゴル兵みたいなもんだからな。
0015人間七七四年2012/06/26(火) 23:02:51.45ID:n/zR/5j6
夏の陣で大失態とかアホすぎだろ
むしろあんだけ大規模会戦・大規模陣地相手なのに短期間ですんなり終結した方じゃん
7〜8倍の兵力差で北条相手に堀尾嫡男や一柳や前田重臣死なせるようなのを醜態という
0016人間七七四年2012/07/01(日) 10:15:08.51ID:hGAfSBwD
最初から兵站をきちんと管理して、大量輸送してりゃ明までいけた。家康が先頭で撃破できたんだけどな。
0017人間七七四年2012/07/03(火) 00:18:08.10ID:fPU0BpXo
だいたい、朝鮮征討はみんなやる気なかったじゃん
勝てばその土地をやると言われても、あんな化外の地…みたいな感じでしょ
誰が戦地に行っても朝鮮には余裕勝ち、でもそこに永住したくないから
結局最後はみんな撤退みたいな感じだと思うよ
0018人間七七四年2012/07/03(火) 08:10:58.50ID:DYsskTRl
まあ最終目標として明の占領があったからな。
誰も中国を占領できるなんて信じてなかっただろうけど。
結局騎兵主体の遊牧国家じゃないと、中国みたいな広大な国を占領はできないんだな・・・
0019人間七七四年2012/07/09(月) 22:31:27.96ID:3+Z7K+oN
家康と家臣団、伊達、上杉、最上、北条の残党、真田などでどう考えても勝てる気がしない。
0020人間七七四年2012/07/10(火) 01:15:04.97ID:fRCqh7MB
>>17
やる気があったから破竹の進撃だったんだと思うぞ
そもそも国内を統一した権力者は国外を侵略するのは世界史の常識だし
0021人間七七四年2012/07/10(火) 01:43:45.13ID:LMbKb7J3
>>20
清盛「ん?」
頼朝「え?」
義満「は?」
家康「なんか言った?」
0022人間七七四年2012/07/10(火) 01:52:19.07ID:fRCqh7MB
>>21
清盛も頼朝も義満も国内統一は出来てないと思うのだがどうだろう?
家康は前政権の秀吉の失敗とそれに伴う国内の厭戦気分があったので
海外進出という空気にならなかった
0023人間七七四年2012/07/10(火) 12:19:59.31ID:dYQhoD+2
山田長政
0024人間七七四年2012/07/11(水) 09:57:45.61ID:yrcvYRqd
妄想はやめような
0025人間七七四年2012/07/11(水) 10:05:15.92ID:vcbRwM39
もうちょい補給システムと砲兵と軍艦を改良しないとどこの武士だって変わらんよ
0026人間七七四年2012/07/11(水) 10:11:31.71ID:vcbRwM39
>>6
朝鮮は最低気温が氷点下20度を下回る地域もあるから、凍傷で足の指を失う兵が続出したらしいね。
0027人間七七四年2012/07/11(水) 17:03:12.13ID:wOa4ddSM
雪の降らない九州勢が主力だしね
0028人間七七四年2012/07/13(金) 11:19:48.55ID:dAV30Bdf
伊達と上杉は実際に渡海して朝鮮で戦ってたな
0029人間七七四年2012/07/13(金) 11:20:50.27ID:dAV30Bdf
んで、朝鮮の水が合わないのは東国武士も同じで病人続出
0030人間七七四年2012/07/13(金) 21:28:03.02ID:DJaQJsZS
>>21
天下人達、みんな世界の非常識w
やっぱやる気なかったんだな、そりゃそうだよな…あそこは歴代の中国王朝も支配嫌がっているようだし
でも一度は半島ほぼ全土を支配したんだから半島の兵は相当弱かったんだろうね
0031人間七七四年2013/06/10(月) 00:21:34.51ID:cldv93EV
明がでてくる限り結局泥沼だろう
0032人間七七四年2013/09/17(火) 18:10:57.31ID:0hS5pEjb
>>31
慶長の役で、明史や李朝実録に記されているように、
明朝両国は日本に勝てる見込みはなかった。

実際、慶長の役は、戦略・戦術ともに秀吉軍の企図通りに進んで、
さらに明鮮軍の攻撃も悉く撃退している。

そんな状態で1599年には、秀吉軍の一大攻勢も予定されていた。

完全に日本軍主導で、戦争が進んでた状態で、
秀吉が死去したので、日本軍は帰国した。

これが慶長の役の顛末。
0033人間七七四年2014/02/10(月) 12:29:16.34ID:AZrhjnic
>>141
>>157
>>524
緒戦以降も秀吉軍に味方する朝鮮民衆。

テレビやごく一般の書籍では、載せられることのないタブー↓

豊臣軍占領地の朝鮮人が日本人と同化したり、朝鮮勢力内の朝鮮人ですら
日本人と親しく付き合ってるという驚きの内容↓
交渉期間1595年-1597年
http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffc3dtdnwa


慶長の役でも、秀吉軍を迎え入れ道案内をし
果ては秀吉軍とともに戦う村まであった始末↓
慶長の役1597年7月-1598年10月
http://town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffccooa39t
0034人間七七四年2014/02/20(木) 23:31:44.36ID:4m4p3jpC
しかし、渡海は直前でとりやめになった。明から講和の使者が名護屋に到着
し、利家は家康とともに応接に当たることになった。
 この折、先に懐旧の手紙を書いた最上義光が家康のもとに出向いたときのこと
を記している。家康は「不思議に出羽(義光)もわれらも、このたび命を見つ
けた。やがて国へくだり鷹狩ができることはまことに喜ばしい」と述べたという。
家康にして、講和使の到来を「夢かうつつかとよろこび候」としている。
利家の心境も同様であったろうが、家康のようにあけすけな感想を残してはいない。
http://www.hokkoku.co.jp/kagakikou/meoto/meoto_31.html
後に徳川三百年の天下を築きあげた家康が泣き言を言うくらい、文禄の役末期の
朝鮮戦線は日本にとって絶望的だったんだろう。
0035人間七七四年2014/02/21(金) 01:11:29.72ID:KpFM0DyN
家康は健康オタクだからな、朝鮮の水に当たってしまうのを恐れたんじゃないか?
近代でも日清戦争で戦いが始まる前から水が当たって赤痢とか続出し何人か死んでるくらい合わないからな
0036人間七七四年2014/03/06(木) 18:08:45.44ID:YyHBHV9M
宇都宮は家康の思惑で潰されちゃったし・・・
0037人間七七四年2014/03/10(月) 15:15:39.68ID:FVSn9IV9
>>34
日本には唐土幻想ってのがあって久しく中華王朝から使者が来てなかったから、
それに関われることができたから夢かうつつかって家康は言っただけだろう。

文禄の役の特徴として、
平壌の明軍による騙まし討ちを除けば、
これといった敗北は日本にはないわけで。
フロイス日本史には日本の死者、5万人のうち戦死者は僅かで、
あとは病死とある。

ちなみに
1635-1659のフランスでは、兵数の誇張はあるだろうと思われるが50万人の兵士が病死。
1620-1720のスエーデン軍は戦死者が15% 病死者75%。

冬があける文禄二年春以降は秀吉は船をフルに活かして、釜山周辺に
物資を陸揚げして、一年半以上を持ちこたえられるほどの物資が溢れていると
これもフロイス日本史に記されている。

この文禄の経験を活かした慶長の役では、戦略戦術ともに日本側の
作戦通りに進み明朝鮮軍を撃破し続ける。
0038人間七七四年2014/03/12(水) 00:23:18.40ID:Grcmlr79
>>37
>日本には唐土幻想ってのがあって久しく中華王朝から使者が来てなかったから、
>それに関われることができたから夢かうつつかって家康は言っただけだろう。
サムライ厨と議論するのは疲れるなー(笑)
家康は親友の最上義光に対して「不思議に出羽(義光)もわれらも、このたび
命を見つけた。やがて国へくだり鷹狩ができることはまことに喜ばしい」と述べてるんだけど
0039人間七七四年2014/03/17(月) 19:28:38.97ID:ZpYlM8vg
>>38
日明戦争のスレで大敗北を喫して
逃亡した君に言われてもね。
0040人間七七四年2014/04/01(火) 03:11:23.96ID:qtGYqFNt
ID:Grcmlr79は大艦巨砲主義の秀吉関連のスレでも、
同じようなことを繰り返し中。

何回も論破されているのに、同じことを繰り返してるので、
ホントに頭おかしいのかもしれない。
0041人間七七四年2014/05/02(金) 18:42:03.60ID:3G1Z9Tcz
>>37
お前は相変わらず資料をテメエに都合の良い解釈ばかりしてるみたいだけど(笑)
その書状で家康が心配してるのは戦死よりもむしろ病死の方じゃね(笑)
なんたって、その書状が書かれた時点で既に羽柴秀勝、加藤光泰、五島純玄、戸田勝隆、長谷川秀一、牧村利貞、伊東祐勝
など大名が続々と病没し、黒田孝高や毛利輝元も病に倒れているんだから(笑)
それに対し、戦死大名はゼロだ!(爆笑)
0042人間七七四年2014/05/04(日) 13:16:05.54ID:s87Q3FON
朝鮮出兵の苦戦は、
朝鮮の貧しさが想定をはるかに上回っていたこと、
あまりの寒さに耐えられないレベルだったこと。
だが東北兵なら寒さに耐えられたかもしれない。
0043人間七七四年2014/05/04(日) 14:21:43.11ID:juhZdIE8
>>41
だから明や朝鮮にやられたのは大嘘ってことだろ。
間違ってなくね?
0044人間七七四年2014/05/04(日) 17:20:14.51ID:I+S/6sjV
>>27みたいな勘違いって多いんだろうなあ・・・
0045人間七七四年2014/05/04(日) 21:32:51.76ID:sX0A7JCF
>>43
おっと、アンカーミスだったわ(笑)
>>38
× >>37
0046人間七七四年2014/05/05(月) 12:25:47.19ID:mZAHMEIs
>>41
>お前は相変わらず資料をテメエに都合の良い解釈ばかりしてるみたいだけど(笑)
>その書状で家康が心配してるのは戦死よりもむしろ病死の方じゃね(笑)
>なんたって、その書状が書かれた時点で既に羽柴秀勝、加藤光泰、五島純玄、戸田勝隆、長谷川秀一、
>牧村利貞、伊東祐勝
家康が親友の最上義光に対して「不思議に出羽(義光)もわれらも、このたび命を見つけた。やがて国へ
くだり鷹狩ができることはまことに喜ばしい」って主張したのは明国の使節が名護屋城に滞在中のことなんだが・・・
明の使節は文禄2年5月から6月まで滞在してるんだがお前の主張する連中は皆それ以前に
病没した連中なのか(笑)
それよりも明の使節が滞在する3ヶ月前に行われた幸州山城の戦いで石田三成や宇喜多秀家が負傷した
(言い方を変えれば討死しかけた)ことからも当時日本最強最大の大名家康の泣き言が討死について
主張していると考えることの方が自然んまんだが。
ほんと、お前って適当なことを書きこむなよ(笑)
0047人間七七四年2014/05/05(月) 13:26:57.52ID:mZAHMEIs
>>41
羽柴秀勝なんか朝鮮出兵関係ないし、ほかの連中も家康が最上義光に主張した
後に病没してるんだから、家康が病没を心配するはずがないだろ。
だいたい、秀吉の大軍13万を2万ほどの軍勢で振り回した日本最強最大の大名
家康が病没なんかおそれて泣き言を言うわけないだろ(笑)
国内での戦争とは違う明軍や朝鮮義兵の戦い方に戸惑い恐れた上での主張だろう。
0048人間七七四年2014/05/05(月) 21:42:52.21ID:OccSTooo
>>41
なんだ、直前に利家57歳とあるから文禄5年かと思ったら、文禄2年の書状なのかよ(笑)
まあ、その時点でも既に毛利輝元や黒田考高が病に倒れ、秀吉が名医曲直瀬道三を派遣するも羽柴秀勝は病没、
4月に渡海した伊達政宗は7月に母親に送った手紙の中で「此の国にては、水のちがい候ゆへ、人びと死にうせ申し候事」
「当国にて腫気煩い候者、十人に九人は相果つる事に候」などと朝鮮における風土病流行の惨状を訴えているような状況だから、
やっぱり大名クラスにとっては病気の方が心配だったんじゃね(笑)
なんせ、討死した大名なんてただの一人もいないんだから(爆笑)

>>それよりも明の使節が滞在する3ヶ月前に行われた幸州山城の戦いで石田三成や宇喜多秀家が負傷した
>>(言い方を変えれば討死しかけた)ことからも当時日本最強最大の大名家康の泣き言が討死について
>>主張していると考えることの方が自然んまんだが。

わかってねえなー、この時代の武将にとって負傷なんて日常茶飯事なんだ(笑)
大名クラスでも陣頭に立って自身太刀打ちなんて当たり前、井伊直政や藤堂高虎なんか満身創痍だ(笑)
だいたい、その最強朝鮮軍(笑)がビビって城を放棄する結果に終わった幸州山城の戦い(笑)にしたって、
負傷した大名が臥せったという記録もなけりゃ、その後のキャリアに何の影響も与えていないところをみると
たいした負傷でもなかったんだろ(笑)
ましてやそれを知った家康が自分の討死を心配しただろうなんて、手前勝手な妄想もいいところじゃねえか(爆笑)

>>羽柴秀勝なんか朝鮮出兵関係ないし

朝鮮出兵中に巨済島で病没している羽柴秀勝がどうして朝鮮出兵と関係ないんだ(爆笑)
0049人間七七四年2014/05/06(火) 01:05:20.80ID:ArBuMopu
>>48
>なんだ、直前に利家57歳とあるから文禄5年かと思ったら、文禄2年の書状なのかよ(笑)
文禄5年の時点で家康が秀吉と渡海する予定なんかあるわけないだろ、この馬鹿が(怒)
>ましてやそれを知った家康が自分の討死を心配しただろうなんて、幸州山城の戦いでは、日本側の総大将宇喜多秀家も深手の傷を負っているんだが・・・
当然家康にもそのことは伝わっているだから、討死も覚悟したとしてもおかしくない。
>手前勝手な妄想もいいところじゃねえか(爆笑)
そこまで言うんだったら、家康が最上義光に「お互い命を拾った」が病没だった
ソースを出せよ。
お前の例示した大名で家康の主張より先に病になっていたのは毛利輝元だけだろ。
黒田如水は病を称していたが、文禄2年3月に改めて渡海しているので家康が頭を
悩ますほどの状態じゃなかったんだろう。
0050人間七七四年2014/05/06(火) 11:21:53.78ID:xdPs0Bne
>>49
>>文禄5年の時点で家康が秀吉と渡海する予定なんかあるわけないだろ、この馬鹿が(怒)

ふーん、文禄2年の出陣計画とは別に、文禄4年にも豊臣秀次を総大将とする出陣計画があったことは知らないんだ(笑)
この計画でも前田利家の名が陣立表にあるし、文禄2年の計画と同じように明使節の来日(文禄5年)
を理由に中止されているから、てっきりこれのことかと思ったんだけど(笑)
こんなことも知らず、その上羽柴秀勝を別人と勘違いしちゃうような人に馬鹿呼ばわりはされたくないなー(爆笑)

>>幸州山城の戦いでは、日本側の総大将宇喜多秀家も深手の傷を負っているんだが・・・
>>当然家康にもそのことは伝わっているだから、討死も覚悟したとしてもおかしくない。

宇喜多秀家が特別に深手の傷を負ったというソースは?(笑)
吉見家朝鮮陣日記にも「宇喜多殿、吉川殿、石田殿、前野但馬殿、如是の大名立さへ手をおはれ」としか書いてないジャン!(笑)
まあどっちにせよ、秀家は戦後も引き続き派遣軍総大将として晋州城攻めの指揮を取るなど
元気に活躍してるわけだから、やっぱりたいした負傷じゃなかったんだろ(爆笑)

>>そこまで言うんだったら、家康が最上義光に「お互い命を拾った」が病没だった
>>ソースを出せよ。

はあー?まずお前が先に討死覚悟のソースを出すのが筋だろうが!(爆笑)

>>黒田如水は病を称していたが、文禄2年3月に改めて渡海しているので家康が頭を
>>悩ますほどの状態じゃなかったんだろう。

8月に帰国して猪熊で療養、翌年3月に渡海だから健康オタクの家康なら充分頭を悩ます状態だろ(笑)
伊達政宗が訴えたような流行病の惨状も、名護屋に在陣していた家康なら普段から耳にしていただろうしな(笑)
0051人間七七四年2014/05/06(火) 13:58:11.86ID:ArBuMopu
>>50
>はあー?まずお前が先に討死覚悟のソースを出すのが筋だろうが!(爆笑)
文禄年間の朝鮮攻めが中止され、明との講和に入ったのはどうしてなんだ?
明軍の5万の来襲により半島北部の占領地を放棄したのはどうしてなんだ?
幸州山城の戦いにより1万人以上とも言われる死傷者をだし敗退したのはどうしてなんだ?
お前に言わせれば、朝鮮半島の風土が原因なんだな(笑)
ホントお前のような馬鹿と議論するのはいい加減疲れるよ!!
0052人間七七四年2014/05/06(火) 14:58:22.63ID:xdPs0Bne
>>51
>>文禄年間の朝鮮攻めが中止され、明との講和に入ったのはどうしてなんだ?
>>明軍の5万の来襲により半島北部の占領地を放棄したのはどうしてなんだ?

いきなりなにを言い出すんだ(笑)
今その話が議題と何の関係があるんだ(笑)
そんな様子だと、人からよくお前とは会話が成り立たないとか、アスペだとか呆れられてるんだろうな(笑)
いやー、ホントお前のような馬鹿と議論するのはいい加減疲れるよ!!(爆笑)

>>幸州山城の戦いにより1万人以上とも言われる死傷者をだし敗退したのはどうしてなんだ?

はー、1万人!!(笑)
日本軍の死傷者が1万人だなんてどの文献に書かれているんだ(笑)
そもそも日本軍の兵力が1万人を超えていたかどうかも怪しいのに、どうやったら1万人も死傷できるんだ(笑)
わかっちゃいたけど、やっぱり朝鮮じんの歴史認識なんてこんなもんだな(笑)
真実なんてどうでもいい、ひたすらウリナラマンセーのお花畑オナニー史観だ(爆笑)
0053人間七七四年2014/05/06(火) 23:52:33.58ID:ArBuMopu
>>52
>いきなりなにを言い出すんだ(笑)
>今その話が議題と何の関係があるんだ(笑)
日本側が軍事的に劣勢に立たされ、講和交渉に入った時期に
家康の最上義光への「お互い命を拾った」発言なんだが・・・
関係してると考えるのが自然だろ。
>日本軍の死傷者が1万人だなんてどの文献に書かれているんだ(笑)
英語版のwikiにかかれてるよ。
>そもそも日本軍の兵力が1万人を超えていたかどうかも怪しいのに、
>どうやったら1万人も死傷できるんだ(笑)
初耳だな!? ソースは?
参加した武将の動員兵力から考えると1万人なんてありえんのだが(笑)
0054人間七七四年2014/05/07(水) 19:06:06.25ID:0Mz/3VLj
>>53
>>日本側が軍事的に劣勢に立たされ、講和交渉に入った時期に
>>家康の最上義光への「お互い命を拾った」発言なんだが・・・
>>関係してると考えるのが自然だろ。

なんだか多分に無理矢理感があるけど(笑)
いずれにしても大名は一人も討死していないわけだし、やっぱり家康らにとってより現実的な恐怖だったのは罹病じゃね(笑)
なんたって、渡海のため名護屋で待機していた南部信直も、文禄2年3月13日付の国元へ宛てた書状の中で

「先のとかいも、あまりに本いなく候、ふねにのり候はば、人を下し申すべく候、高麗へわたりて、
人は煩い出で候へば、しに申し候、上下是をめいわくかり申し候」

つまり渡海には気が進まない、朝鮮でいったん発病すれば回復することなく絶命する、
上下皆これに当惑していると書いており、名護屋ですでにそうした風潮があったことを証明しているんだよねー(笑)

ところでさー、秀吉は朝鮮・明はおろかインドまで平定する心積もりをぶち上げてるわけだから、
家康にしてみれば戦局が劣勢だろうが優勢だろうが、戦争が続く限り果てしなく大陸で戦い続けなければならないわけだ(笑)
このままだとほぼ確実に異国の土になるというところに明から講和使節が来たとなれば「夢かうつつかとよろこび候」と感じて当然なんじゃね(笑)
つまりその書状だけでは「文禄の役末期の朝鮮戦線は日本にとって絶望的だった」ことの証明にはならないわけだ(笑)
その上秀吉や名護屋待機の諸将は、碧蹄館で大敗した明が降伏し、幸州山城も激戦の末に朝鮮軍が城を焼いて逃げたと報告されてるわけだから、
家康らが「日本側が軍事的に劣勢に立たされ」たと認識していかどうかも実際のところ怪しいんじゃね(爆笑)
0055人間七七四年2014/05/07(水) 19:08:36.77ID:0Mz/3VLj
>>英語版のwikiにかかれてるよ。

よりにもよってウィキペディアがソースって、頭は大丈夫なのか(笑)
そんなもんがソースになるわけないだろ(笑)
さっさと死傷者1万人と書かれた文献を出せや!(怒)

>>初耳だな!? ソースは?
>>参加した武将の動員兵力から考えると1万人なんてありえんのだが(笑)

ふーん、初耳ねえ(笑)
ついこの間お前を論破したときに教えてやったじゃねえか(笑)
いやー、お前の度を越した鳥頭には本当にびっくりするよ(笑)
一度医者に診てもらった方がいいんじゃないのか(爆笑)


「此所に掲げた兵数は、日本出発当時の数で、其後の減耗や守備の為め残留した者を
控除しなければならぬから、幸州攻撃に向った総兵力は、左程大なるものではない。
小早川の七番隊などは遂に攻撃には参加しなかつたのである。上記の県監申景禧の宣祖の間に
答へたものに「日本軍の兵数は三万に過ぎず」とあるのを見ても、日本軍の少なかつたことは分る。
攻撃をした地域から考へても、先づ一万以下と算してよからうと思ふ、吉見家朝鮮陣日記には三万余とある。
併し此の書は兎角兵数に掛値のある書き方がしてあるから、必ずしも證據とはならぬ。 」
渡辺刀水「碧蹄戦史」
0056人間七七四年2014/05/07(水) 23:17:45.07ID:qOKNfLef
>>54
結局、家康が最上義光への「お互い命を拾った」発言ってお前的には
朝鮮の気候風土が原因で命を落としかねないことを意味してるのか?
(当然、文禄の役の戦局にも関係してくるけど)
それともほかに理由があると考えてるのか?
わかんないだけど・・・
0057人間七七四年2014/05/07(水) 23:55:01.41ID:qOKNfLef
>55
>渡辺刀水「碧蹄戦史」
それで渡辺何某の主張は学会の定説になったのか?
もっとも定説になっていたら俺が幸州山城戦での日本側の
兵数を3万なんて主張しないがな(笑)
0058人間七七四年2014/05/08(木) 19:15:17.52ID:uPpwjRsH
>>それともほかに理由があると考えてるのか?
>>わかんないだけど・・・

上に書いてあるだろ(笑)
まあ、終わりのない外征に駆り出される不安に加えて朝鮮の衛生環境、兵糧不足など様々な懸念があったんだろうね(笑)
家康のように元からやる気のなかった者にとっては悪夢そのものの戦争だからな(笑)

>>それで渡辺何某の主張は学会の定説になったのか?
>>もっとも定説になっていたら俺が幸州山城戦での日本側の
>>兵数を3万なんて主張しないがな(笑)

定説がどうかは知らないが、今手元にある笠谷和比古・黒田慶一共著「秀吉の野望と誤算」にも日本軍の兵力1万人と書いてあるな(笑)
ま、釜山鎮の戦いで討ち取った人数が三万だの、平壌を囲んだ明軍が百万だのと
誇張表現が激しい吉見家朝鮮陣日記の記述を鵜呑みにするというなら、好きにすればいいんじゃね(笑)

まあ、仮に日本軍が10万人いたとしても1万人死傷したなんて俺は信じないがな(笑)
当時の戦闘で万単位の死傷者が出ることなんて希な上に、蔚山や泗川のように敗走する敵軍に追撃を加えて
壊滅させたならまだしも、ひたすら亀のように引き篭もってただけで追撃もできなかった戦いでそこまでの損害を与えられるわけがねえ(爆笑)
0059人間七七四年2014/05/08(木) 20:31:02.41ID:dZxXt/PK
島津なんて30倍の明軍を一撃で粉砕したり大活躍。
だけど朝鮮やシナなんて誰も欲しくないから、実際にやる気はなかったようだ。
0060人間七七四年2014/05/08(木) 20:55:55.21ID:BK2Cse3Q
貧乏で寒い朝鮮から攻め入るルートより
琉球→台湾→福建省のルートの方が良かったかも
0061人間七七四年2014/05/08(木) 23:15:37.17ID:conVE4I+
>>58
>上に書いてあるだろ(笑)
>まあ、終わりのない外征に駆り出される不安に加えて朝鮮の衛生環境、兵糧不足など様々な懸念があったんだろうね(笑)
>家康のように元からやる気のなかった者にとっては悪夢そのものの戦争だからな(笑)
反論までに時間がかかった割にはこんな中途半端な回答とは・・・
めんどくせえなー、バカの相手をするのは。
朝鮮半島の衛生環境が劣悪だったって言い訳だけど、文禄の役の和平交渉で
秀吉は南部4道を要求してるじゃんよ!
講和交渉が決裂後も交渉相手の明国を直接攻めることもなく、慶長の役を興して
朝鮮の領土化にこだわってるじゃんよ!
0062人間七七四年2014/05/08(木) 23:24:55.86ID:conVE4I+
>>58
>上に書いてあるだろ(笑)
>まあ、終わりのない外征に駆り出される不安に加えて朝鮮の衛生環境、兵糧不足など様々な懸念があったんだろうね(笑)
反論までに時間がかかった割にはこんな中途半端な回答とは・・・
めんどくせえなー、バカの相手をするのは。
文禄元年6月の所謂「太閤ご渡海」が中止になった時点なら日本軍が連戦連勝で
年内にも朝鮮を攻略できそうな勢いだったからお前の言い訳も分からんでもないけど
文禄2年3月の「太閤ご渡海」が中止になったのはそれでも戦局が覆せそうにない
状況だったからだろ。
>まあ、終わりのない外征に駆り出される不安
どころの状況じゃないじゃんよ!
0063人間七七四年2014/05/09(金) 00:18:19.93ID:l0VkbR1H
>>反論までに時間がかかった割にはこんな中途半端な回答とは・・・

この程度で時間がかかったって、お前はどういう時間の感覚をしているんだ(笑)
悪いけど、お前と違って俺は仕事もしなくちゃいけないから、四六時中2ちゃんを見ているわけにはいかないんだ(爆笑)

>>朝鮮半島の衛生環境が劣悪だったって言い訳だけど、文禄の役の和平交渉で
>>秀吉は南部4道を要求してるじゃんよ!

これ前後のつながりが意味不明なんだが、結局何が言いたいんだ(笑)
酔ってるなら素面のときに書き込んでくれよ(笑)

>>講和交渉が決裂後も交渉相手の明国を直接攻めることもなく、慶長の役を興して
>>朝鮮の領土化にこだわってるじゃんよ!

明国を直接攻めるってどうやって?(笑)
それができそうもないから朝鮮を経由したんだろ、頭は大丈夫なのか(笑)

>>文禄2年3月の「太閤ご渡海」が中止になったのはそれでも戦局が覆せそうにない
>>状況だったからだろ。

明から「降伏使節」が来たからだろ。バカかお前は(笑)
0064人間七七四年2014/05/09(金) 00:19:43.55ID:l0VkbR1H
なんだか相変わらずわけのわからないことをゴタゴタ言ってるみたいだけど(笑)
>>56みたいな疑問の答えは>>54とそれ以前のレスで書いてるじゃんよ!(笑)
めんどくせえなー、バカな鳥頭の相手をするのは(爆笑)
結局、件の書状だけじゃ「文禄の役末期の朝鮮戦線は日本にとって絶望的だった」証明にならないことに変わりないジャン!(笑)
ところでさー、俺の質問にもさっさと答えてくれないかな(笑)

家康討死覚悟のソースをさっさと出せや(笑)
宇喜多秀家が特に深手だったというソースをさっさと出せや(笑)
幸州山城の死傷者1万人のソースをさっさと出せや(笑)
0065人間七七四年2014/05/10(土) 10:09:55.54ID:y/gFCR4F
>>63
>これ前後のつながりが意味不明なんだが、結局何が言いたいんだ(笑)
>酔ってるなら素面のときに書き込んでくれよ(笑)
馬鹿なのか?それとも反論できないからすっとぼけているのか?!
朝鮮半島の気候風土の過酷さから家康が病没することを心配していた
って言うお前のトンマな妄想だけど、そんな気候風土の朝鮮を文禄の
役後の講和交渉で秀吉が欲しがったのはどうしてなんだってことだよ
この馬鹿が・・・
また交渉決裂後も交渉相手の明国を攻めるのでもなく
>明国を直接攻めるってどうやって?(笑)
過酷な気候風土の朝鮮を避けて倭寇のように船で攻め込まずに
南岸に倭城を立てて時間をかけての朝鮮を領国化するように
攻めたのはなぜなんだってことだよ、この馬鹿が!
馬鹿相手に反論するのも疲れるよ。
ところで
>明から「降伏使節」が来たからだろ。バカかお前は(笑)
これについてはソースがあるんだろうな(笑)
ちゃんと説明してもらうぞ。
0066人間七七四年2014/05/10(土) 12:26:35.58ID:5nsrw0fi
>>65
>>朝鮮半島の気候風土の過酷さから家康が病没することを心配していた
>>って言うお前のトンマな妄想だけど、そんな気候風土の朝鮮を文禄の
>>役後の講和交渉で秀吉が欲しがったのはどうしてなんだってことだよ
>>この馬鹿が・・・

いやー、くわしく説明してもらってもますます意味がわからんわ(笑)
じゃあ逆に聞くけど、秀吉は朝鮮が豊かな楽園だったことを理由に出兵したのかよ(笑)
そこが過酷だろうが過酷でなかろうが、海外に新たな領土を得ることに意味があるんじゃないのか(笑)
その上、朝鮮の領土を手に入れれば再び「唐入り」を狙う際の足がかりになるしな(笑)

>>過酷な気候風土の朝鮮を避けて倭寇のように船で攻め込まずに
>>南岸に倭城を立てて時間をかけての朝鮮を領国化するように
>>攻めたのはなぜなんだってことだよ、この馬鹿が!

沿岸を掠め取るだけの小規模な海賊と十数万の外征ではわけが違うわ、この馬鹿が!(笑)
直接攻めることができそうもないから朝鮮に「征明嚮導」を要求したんだろうが(爆笑)

>>これについてはソースがあるんだろうな(笑)
>>ちゃんと説明してもらうぞ。

ひょっとしてそれ、文禄元年の時点から予定されていた計画の方を言ってるのか(笑)
その計画であれば、平壌の敗報が2月中旬頃届いたことによって4月〜5月に延期され、
その後現地の諸将からの兵糧不足のため渡海は延期されたしとの上申によって再延期されてるけど(笑)
話の流れから文禄2年3月に秀吉が計画した徳川、前田、蒲生、上杉、伊達ら東国勢の増派のことかと思ったぞ(笑)
まったく、お前の話はいきなり飛躍したり時系列が飛んだりするから困惑するわ(笑)

あとさー、はぐらかしてばかりいないで、いい加減俺の質問にも答えろよ(笑)
家康討死覚悟のソースをさっさと出せや(笑)
宇喜多秀家が特に深手だったというソースをさっさと出せや(笑)
幸州山城の死傷者1万人のソースをさっさと出せや(笑)
0067人間七七四年2014/05/10(土) 12:53:59.75ID:y/gFCR4F
>>65
>いやー、くわしく説明してもらってもますます意味がわからんわ(笑)
>じゃあ逆に聞くけど、秀吉は朝鮮が豊かな楽園だったことを理由に出兵したのかよ(笑)
>そこが過酷だろうが過酷でなかろうが、海外に新たな領土を得ることに意味があるんじゃないのか(笑)
>その上、朝鮮の領土を手に入れれば再び「唐入り」を狙う際の足がかりになるしな(笑)
なに話すり替えてるんだよ、この馬鹿が・・・
結局、家康の心配は朝鮮半島の気候風土についてだと言うお前の主張は嘘だった
ということでいいんだな。
ホント、息を吐くように嘘をつくな、お前って(怒)
ホント、息を吐くように嘘をつくな、お前って(笑)
0068人間七七四年2014/05/10(土) 13:00:59.96ID:y/gFCR4F
>>65
>あとさー、はぐらかしてばかりいないで、いい加減俺の質問にも答えろよ(笑)
>家康討死覚悟のソースをさっさと出せや(笑)
ソース、ソースって五月蠅いな。
家康の発言の背景についてはすでに説明しただろ。
お前がかたくなに納得してないだかじゃんよ(笑)
>宇喜多秀家が特に深手だったというソースをさっさと出せや(笑)
>幸州山城の死傷者1万人のソースをさっさと出せや(笑)
あと上記2件についてはこのスレのテーマである
「朝鮮出兵で東国武士が主力だったら・・・」
とは関係ないので、これ以上のコメントは控えさせてもらうよ(笑)
0069人間七七四年2014/05/11(日) 13:06:05.71ID:++JoDQti
こんなところでもアンチ秀吉・三成のキチガイ織田朝鮮人が粘着してんのかよ・・・・
0070人間七七四年2014/05/11(日) 22:55:31.17ID:1zIXJPeb
>>結局、家康の心配は朝鮮半島の気候風土についてだと言うお前の主張は嘘だった
>>ということでいいんだな。
>>ホント、息を吐くように嘘をつくな、お前って(怒)
>>ホント、息を吐くように嘘をつくな、お前って(笑)

いやーお前、最近ますます焼きが回ってきてんじゃね(笑)
さすがに狂人の考えを理解するのは難しいけど、とりあえずお前の考えを整理すると

朝鮮の領土を「講和交渉で秀吉が欲しがった」から同地の「衛生環境が劣悪だった」はずがない、
従って「家康の心配は朝鮮半島の気候風土についてだと言うお前の主張は嘘だった」?

改めてまとめてみると、前後の脈絡が意味不明というか、支離滅裂だな(笑)
どうして「講和交渉で秀吉が欲しがった」ことが朝鮮の「衛生環境が劣悪」でなかったことの証明になるんだ(笑)
ましてやそれが「家康が病没することを心配」しなかったことの証明になるなんて、そんな屁理屈があるか(笑)
これが弁証法の問題だったとしたら0点確実だ(爆笑)

結構本気で心配になってきたんだが、お前は本当に正気なのか(笑)
これは冗談で言ってるんじゃないぞ、お前は本当に正気なのか(笑)
あと俺がいつ、どの議題についてどのように話をすり替えたのかも具体的に説明してもらうぞ(笑)
0071人間七七四年2014/05/11(日) 22:56:14.95ID:1zIXJPeb
>>あと上記2件についてはこのスレのテーマである
>>「朝鮮出兵で東国武士が主力だったら・・・」
>>とは関係ないので、これ以上のコメントは控えさせてもらうよ(笑)

それ「コメントを控えさせてもらう」じゃなくて「ソースが出せましぇーん!」の間違いだろ(笑)
ま、ウィキペディア(笑)をソースとして出してくるような人間には元から期待してなかったけど(笑)
とりあえずお前の敗北宣言としてありがたく受け取っておくよ(爆笑)
0072人間七七四年2014/05/11(日) 23:59:01.75ID:lgdXF+AJ
>>71
>それ「コメントを控えさせてもらう」じゃなくて「ソースが出せましぇーん!」の間違いだろ(笑)
>ま、ウィキペディア(笑)をソースとして出してくるような人間には元から期待してなかったけど(笑)
>とりあえずお前の敗北宣言としてありがたく受け取っておくよ(爆笑)
本題でろくな反論もできないからって
スレチなことについて勝利宣言とは・・・
0073人間七七四年2014/05/12(月) 00:51:47.68ID:nqUdk0J6
>>本題でろくな反論もできないからって

ふーん、お前のイカれた頭の中じゃ、俺はろくな反論もできなかったということになってるんだ(笑)
じゃあ、その俺がろくに反論もできなかった本題って何なんだ(笑)
くわしく(笑)具体的に(笑)

>>スレチなことについて勝利宣言とは・・・

そのスレチなことを自分から持ち出して自爆したのはお前じゃんよ!(笑)
まあ、いい薬になったんじゃないの(笑)
次からは、デタラメ言ってソースも示せず恥ずかしい思いをすることがないようにね(爆笑)

あと俺がいつ、どの議題についてどのように話をすり替えたのか、さっさと説明しろや!(笑)
0074人間七七四年2014/05/12(月) 13:47:26.66ID:Q4vYxlfX
>ふーん、お前のイカれた頭の中じゃ、俺はろくな反論もできなかったということになってるんだ(笑)
>じゃあ、その俺がろくに反論もできなかった本題って何なんだ(笑)
>くわしく(笑)具体的に(笑)
なに甘ったれてるんだ、この馬鹿が!
教えて欲しいんならそれなりの礼儀があるんじゃねえのか!
「馬鹿な僕にもわかるように教えてください。お願いします。」
ぐらいいったら教えてやっても良いぞ!
さもなきゃ、てめえで過去レスでも調べとけ、この馬鹿が!
0075人間七七四年2014/05/12(月) 18:12:57.15ID:nqUdk0J6
>>なに甘ったれてるんだ、この馬鹿が!
>>教えて欲しいんならそれなりの礼儀があるんじゃねえのか!
>>「馬鹿な僕にもわかるように教えてください。お願いします。」
>>ぐらいいったら教えてやっても良いぞ!
>>さもなきゃ、てめえで過去レスでも調べとけ、この馬鹿が!

なーんだ、やっぱり説明できないんだ(笑)
自身の主張の根拠となるソースも提示できず、具体的な反論も何一つできず、ぶっ飛んだ屁理屈でお茶を濁すばかり(笑)
わかっちゃいたけど、やっぱりこの程度が朝鮮じんの民族的限界のようだな(爆笑)
0076人間七七四年2014/05/12(月) 23:26:33.51ID:qAja/kTx
>なーんだ、やっぱり説明できないんだ(笑)
>自身の主張の根拠となるソースも提示できず、具体的な反論も何一つできず、ぶっ飛んだ屁理屈でお茶を濁すばかり(笑)
>わかっちゃいたけど、やっぱりこの程度が朝鮮じんの民族的限界のようだな(爆笑)
このスレのテーマである「朝鮮出兵で東国武士が主力だったら・・・」
については東国(東日本)最大最強の大名徳川家康ですら親友の最上義光に対し
「不思議に出羽(義光)もわれらも、このたび命を見つけた。やがて国へくだり
鷹狩ができることはまことに喜ばしい」と弱音とも泣き言とも言える言葉を吐いている時点で
東国武士が主力になっても文禄の役がうまくいくわきゃねえな(爆笑)
0077人間七七四年2014/05/13(火) 09:19:29.28ID:DPD803ye
鉄道、蒸気船ができるまで補給は弾薬等以外は基本現地調達が基本。
想定より朝鮮半島は貧し過ぎて大軍を養うことがとてもできなかったと。
ナチュラルに焦土作戦をやられたみたいなもん。
0078人間七七四年2014/05/13(火) 18:00:55.76ID:1Y8FgOD3
>>鷹狩ができることはまことに喜ばしい」と弱音とも泣き言とも言える言葉を吐いている時点で
>>東国武士が主力になっても文禄の役がうまくいくわきゃねえな(爆笑)

ウンウン、その点には俺も心から同意するよ(笑)
新たに何万人増派しようが、文禄の役の戦略自体根底から破綻しているのだから、うまくいくもクソもないもんね(笑)

でも俺とお前の議論の主題って、家康が明軍や朝鮮義兵(笑)を怖れて討死を覚悟したっていうお前の主張についてじゃなかったっけ(笑)
で、俺はそれに対して「怖れてたのはむしろ病没の方じゃね?」と指摘したわけだ(笑)
すると、お前は自分の主張お主眼(笑)を証明するために、宇喜多秀家が特別に深手を負ったからそれを聞いた家康は討死を覚悟したはずだだの(笑)
幸州山城で1万人が死傷しただのと言い出し、挙句の果てには「秀吉が講和交渉で朝鮮の領土を欲しがったから、
家康の心配は朝鮮の気候風土についてだったはずがない!」(爆笑)だのと意味不明なウルトラC級の屁理屈をキメたわけだ(笑)
ところがこれらの反証は俺によってことごとく論破されて何の反論もできなくなり(笑)
遂には「主題とは関係ないからコメントを控えさせてもらう」などとうそぶき議論から逃亡してしまったわけだ(爆笑)
0079人間七七四年2014/05/13(火) 18:33:43.99ID:0BBKsmj7
織田朝鮮人がまたアンチ秀吉三成を懲りずにやっててウンザリ
0080人間七七四年2014/05/13(火) 23:31:21.14ID:DQgc7YSb
>>78
お前、そこまで言うんだったらまずお前が
>俺はそれに対して「怖れてたのはむしろ病没の方じゃね?」と指摘したわけだ(笑)
この馬鹿なお前の妄想についてソースだせや!!
人にばかりソース、ソース言う前にお前がソースだせ!
0081人間七七四年2014/05/14(水) 18:48:30.19ID:kSPaGFNJ
>>この馬鹿なお前の妄想についてソースだせや!!
>>人にばかりソース、ソース言う前にお前がソースだせ!

「或は病を身にうけつ、或はろうさい(肺結核)彼是に、日ましに味方は薄くなる」
吉見家朝鮮陣日記

「此の国にては、水のちがい候ゆへ、人びと死にうせ申し候事」
「当国にて腫気煩い候者、十人に九人は相果つる事に候」
文禄2年7月11日付伊達政宗書状

「先のとかいも、あまりに本いなく候、ふねにのり候はば、人を下し申すべく候、高麗へわたりて、
人は煩い出で候へば、しに申し候、上下是をめいわくかり申し候」
文禄2年3月13日付南部信直書状

このように多くの文献が朝鮮の流行病の惨状を訴え(笑)
>>34の書状の時点ですでに毛利輝元や黒田孝高が病に倒れ、羽柴秀勝が病没するなど
大名クラスも被害が大きかったこと(笑)そして何よりも討死した大名が一人もいないこと(笑)
などを根拠に俺は「心配してたのはむしろ病没の方じゃね?」と指摘したわけだ(笑)
それに対するお前の反論は上記のようにどれもカスみたいな屁理屈詭弁ばかりだったので、ことごとく論破してやった(爆笑)

そもそも、立証責任は俺ではなく最初に言い出したお前にこそあるんだから(笑)
そんなに悔しいなら新たな資料なり文献なりを駆使して、家康が他の何よりも明軍や朝鮮義兵(笑)との戦いを怖れ
討死を覚悟したと証明すればいいジャン!(爆笑)
0082人間七七四年2014/05/14(水) 23:50:13.14ID:oT0TG2/f
>>81
なんか同じことの繰り返しになっているが、家康以外の証言をいくらだしても
意味ないんだが…とにかく家康の証言を早く出せ!!
それとも文禄の役が失敗したのはそれが原因だったとでも?
それならそれでそれを裏付けるソース(秀吉の証言など)を出せよ(笑)
>そもそも、立証責任は俺ではなく最初に言い出したお前にこそあるんだから(笑)
お前はホントに馬鹿だな(笑)
家康が朝鮮に渡海するのは何のためだ。
戦争をしに行くんだろ。
その家康が死を意識してるってことは普通に考えれば戦死と考えるのは
ふつうだろ。
まあ、兎に角ソースだせや(笑)
0083人間七七四年2014/05/15(木) 18:42:01.67ID:kSr9/AJs
>>家康以外の証言をいくらだしても意味ないんだが…とにかく家康の証言を早く出せ!!

だから、家康の言葉が他の何よりも明軍や朝鮮義兵(笑)との戦いを怖れ討死を覚悟した
意味合いだったという証言を先にお前が出せ!!(怒)
俺はお前が言い出した珍説のアラを根拠を挙げて指摘してやったまでなんだから、
まずはお前が自説の根拠を示すのがスジじゃねえか(笑)それが立証責任だと言ってるんだよ(笑)

>>家康が朝鮮に渡海するのは何のためだ。
>>戦争をしに行くんだろ。
>>その家康が死を意識してるってことは普通に考えれば戦死と考えるのは
>>ふつうだろ。

いやー、お前ってバカボンのパパみたいに単純な頭の持ち主なんだなー(笑)
お前は戦争は戦闘だけのものとでも思っているのか(笑)
だいたい、この時代の戦争は戦死者よりも戦病死者の方が遥かに多いことくらい常識だろうが(笑)
フロイスも文禄の役で病死・凍死・餓死者に対して敵に殺された者はごく僅かだったと言ってるしな(笑)
家康のような大名にとって、そりゃあ戦死の可能性もあるだろうが、より現実的な心配事だったのは
罹病の方じゃないかと俺は言ってるんだよ(笑)
もちろん、終わりのない戦争に駆り出され死ぬまで戦わされるのではないかという不安もあったろうが、
それにしたってお前が妄想するような「明軍や朝鮮義兵(笑)との戦いを怖れ討死を覚悟」
とはまた意味合いが違うしな(笑)

まあ兎に角、この時点で討死した大名なんて一人もいないばかりか(笑)
南部信直も渡海に気が進まない理由として真っ先に罹病を挙げ、
名護屋の「上下これに困惑している」とまで言ってるんだから(笑)
家康が他の何よりも明軍や朝鮮義兵(笑)との戦いを怖れ討死を覚悟した
なんていうお前の妄想よりはよっぽど根拠があるジャン!(爆笑)
0084人間七七四年2014/05/15(木) 23:16:03.36ID:YL63UqKP
>>83
結局お前って言い訳ばかりだな(笑)
さぞかしお前の人生も言い訳ばかりなんだろうな(爆笑)
家康自身が戦病死を恐れる私信にしても
軍監の石田や大谷から秀吉への
「かの地においてわが軍は敵よりもなお、病をこそ恐れる・・・・」
などの記載された公文書さえ出せない。
結局、家康の心配は朝鮮半島での病についてのお前の主張は嘘だった
ということでいいんだな。
ホントお前って根っからの嘘つきだな。
0085人間七七四年2014/05/15(木) 23:22:10.26ID:IjkbHHK4
大国に囲まれたほぼ無勝、千敗の超〜賎な民は(バイクじゃなく)馬や船に乗って悪さし
に来たヒャッハーなお兄さん達に(少年誌では描かれないが当然)Go韓され(0,1ではなく
ATGCによるデジタル情報を強制インストールされ)続けたため、その末裔こそが気性の
激しい△△魔となってしまったのは無慈悲な地政学的宿命。 リアル性器待つ覇者○○○○
ハーンと同一のYを継ぐ者が現在全世界で1600万人もいるが貢献大。恨の文化や歴史捏
造癖は(ドラマと異なり)惨めな歴史故だがお陰で若干体格は良くなりましたとさ。
あ〜キムい、キムい。
0086人間七七四年2014/05/16(金) 18:10:37.89ID:6qSUC24H
>>84
だから、まず先にお前が自分の妄想を立証しろと何度も言ってるだろうが、このまだらボケが!(笑)
俺の見解には上記のようにたくさんの根拠があるが、お前の珍説にはなんもねえ(笑)
結局、件の書状だけじゃ「文禄の役末期の朝鮮戦線は日本にとって絶望的だった」証明にならないことに変わりはないな(笑)
家康の言葉が他の何よりも明軍と朝鮮義兵(笑)を怖れてのものだったという珍説についてもろくに根拠を提示できず(笑)
結局は嘘つきのレッテル貼りをして逃亡するんだな(爆笑)
0087人間七七四年2014/05/17(土) 19:12:22.74ID:xH/qtXao
>>86
お前の言い訳なんか聞いてねえよ(笑)
さっさと家康本人が朝鮮半島で羅病で死ぬことを恐れていたことが記載された
書簡をソースとして出せ!
伊達政宗や南部信直が親しい親族や家臣に充てた私信の記述じゃイマイチ信用
できないから、最低でも軍監として在朝していた石田三成か黒田官兵衛などから
秀吉へ病の蔓延で日本軍が戦争どころじゃない旨を記載した書簡をソースとして出せ!
0088人間七七四年2014/05/17(土) 20:14:49.34ID:TdsO/YzW
>>87
お前の言い訳なんか聞いてねえよ(笑)
さっさと家康本人が他の何よりも明軍と朝鮮義兵(笑)を怖れ討死を覚悟していたと記載された
書簡をソースとして出せ!(笑)
言いだしっぺのお前にこそその責任があるとわからないわけじゃないだろ(笑)

で結局、件の書状だけじゃ「文禄の役末期の朝鮮戦線は日本にとって絶望的だった」証明にならないことに変わりはなく(笑)
家康の言葉が他の何よりも明軍と朝鮮義兵(笑)を怖れてのものだったという珍説についても
根拠を提示できないということでいいんだな(笑)
0089人間七七四年2014/05/17(土) 23:02:53.05ID:xH/qtXao
>>88
お前の人生が言い訳ばかりのみじめな人生なのはのスレでのやり取りで分かったけど
わかったけど、だからといってお前の見苦しい言い訳なんか聞いてやる気なんかないからな(笑)
>で結局、件の書状だけじゃ「文禄の役末期の朝鮮戦線は日本にとって絶望的だった」証明にならないことに変わりはなく(笑)
>家康の言葉が他の何よりも明軍と朝鮮義兵(笑)を怖れてのものだったという珍説についても
>根拠を提示できないということでいいんだな(笑)
珍説だって?(笑)朝鮮半島で明軍や朝鮮義兵相手に戦争するための渡海が中止になった家康が最上義光に言った「命を拾った」
相手が明軍や朝鮮義兵だと考えるのは当然のことじゃん!!
いつまでも見苦しい言い訳するな、この馬鹿が(爆笑)
ってい
0090人間七七四年2014/05/17(土) 23:44:41.37ID:TdsO/YzW
>>珍説だって?(笑)朝鮮半島で明軍や朝鮮義兵相手に戦争するための渡海が中止になった家康が最上義光に言った「命を拾った」
>>相手が明軍や朝鮮義兵だと考えるのは当然のことじゃん!!

なあんだ、結局根拠は「俺がそう思ったから」だけなのかよ(爆笑)
そんなもんが根拠になるか(笑)
言い訳ばかりしてないで、さっさとその妄想の根拠となる文献なり資料なりを出せや、この低脳!(笑)

ま、お前がこれから何か決定的な根拠でも示さない限り、俺は今まで書いてきた様々な根拠を理由に
家康の心配は討死よりもむしろ罹病とか、終わりのない外征に駆り出され異国の土になるのではないか、
といった漠然とした不安とかだったと思うけどな(笑)
小西行長や加藤清正ら派遣武将がぞくぞくと討死していたならまだお前の言うこともわかるけど(笑)
実際にはただの一人も討死してねえんだから!(爆笑)
0091人間七七四年2014/05/18(日) 11:31:29.81ID:rZFO8vhD
>>90
>結局根拠は「俺がそう思ったから」だけなのかよ(爆笑)
>そんなもんが根拠になるか(笑)
戦争の為に渡海する家康が考える死に方と言えば敵との戦いで討死すること
に決まってるじゃんかよ、この馬鹿が!!
それに異議を唱えるならお前がソースを出すのは当然じゃん。
それがまともとなソースも出せずに、なに言ってるんだこの馬鹿が!
>家康の心配は討死よりもむしろ罹病とか、終わりのない外征に駆り出され異国の土になるのではないか、
その上、お前自身、家康の真意が羅病についてなのか、終わりのない外征に駆り出されることに
ついてなのか、見苦しい言い訳のようにしれっと正反対の主張をしやがって(怒)
どんなにお前の人生が見苦しい言い訳ばかりの人生だからといって、このスレで
お前の見苦しい言い訳を聞くのは迷惑なんだよ(怒)
見苦しい言い訳自慢なら他でやってくれ!!
0092人間七七四年2014/05/19(月) 18:04:49.36ID:qOlqYNW2
>>戦争の為に渡海する家康が考える死に方と言えば敵との戦いで討死すること
>>に決まってるじゃんかよ、この馬鹿が!!

お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな(笑)
でも現実に家康と同じく名護屋で待機していた南部信直は、渡海に気が進まない理由として真っ先に罹病を挙げ
朝鮮でいったん発病すれば回復することなく絶命する、名護屋の上下これに困惑しているとまで言ってるんだよね(爆笑)

>>それに異議を唱えるならお前がソースを出すのは当然じゃん。
>>それがまともとなソースも出せずに、なに言ってるんだこの馬鹿が!

はあー?そもそもお前がぶち上げた珍説にソースが皆無なのに、
どうしてそれに対してアラを指摘した俺が先にソースを出さなきゃいけないんだ(笑)
その上、何のソースも根拠も提示できないお前に対して(笑)
俺は今まで散々具体的に書状や文献を挙げて反証しているんだけどな(笑)

>>その上、お前自身、家康の真意が羅病についてなのか、終わりのない外征に駆り出されることに
>>ついてなのか、見苦しい言い訳のようにしれっと正反対の主張をしやがって(怒)

お前は家康が渡海したがらなかった理由が一つだけだったとでも思っているのか(笑)
だとしたらお前の知性は猿以下だな(爆笑)
家康が罹病を心配すると同時に外征そのものへの不安をも抱いていたとしても何の矛盾もないジャン!(笑)

結局、件の書状だけじゃ「文禄の役末期の朝鮮戦線は日本にとって絶望的だった」証明にならないことに変わりはなく(笑)
家康の言葉が他の何よりも明軍と朝鮮義兵(笑)を怖れてのものだったという珍説についても
お前は根拠を全く提示できないということがよ〜くわかったわ(爆笑)
0093人間七七四年2014/05/19(月) 23:53:17.94ID:WafRCxj9
>>92
言い訳がましい奴だとは思っていたけど、とんだ恥知らずだな、お前って。
なんども言うけどお前の恥知らずな言い訳なんか聞く気はねえんだ。
>でも現実に家康と同じく名護屋で待機していた南部信直は、渡海に気が進まない理由として真っ先に罹病を挙げ
>朝鮮でいったん発病すれば回復することなく絶命する、名護屋の上下これに困惑しているとまで言ってるんだよね(爆笑)
だから家康が朝鮮での羅病に感染することを心配しているソースだせよ。
朝鮮半島に渡海してない南部の発言についても、実際在朝して、秀吉に日本軍の現状を伝えることを任務の一つにしていた
石田三成や大谷形部の書簡で当然裏付けられてるんだろうな?
0094人間七七四年2014/05/20(火) 18:09:57.29ID:ujuS0wwJ
>>だから家康が朝鮮での羅病に感染することを心配しているソースだせよ。

なんかお前は壊れたラジオみたいに同じことしか言わなくなったから、
もはや俺のレスもコピペで充分だな(笑)↓

はあー?そもそもお前がぶち上げた珍説にソースが皆無なのに、
どうしてそれに対してアラを指摘した俺が先にソースを出さなきゃいけないんだ(笑)
その上、何のソースも根拠も提示できないお前に対して(笑)
俺は今まで散々具体的に書状や文献を挙げて反証しているんだけどな(笑)

>>朝鮮半島に渡海してない南部の発言についても、実際在朝して、秀吉に日本軍の現状を伝えることを任務の一つにしていた
>>石田三成や大谷形部の書簡で当然裏付けられてるんだろうな?

ふーん、お前の考えだと石田三成や大谷吉継が書状で言及していないことは全部嘘になるんだ(笑)
ほんと、たいした頭の持ち主だよお前は(爆笑)
あと大谷形部じゃなくて大谷刑部な(笑)
日本語が不自由なのはわかるけど、書き込む前にちゃんと確認しろや(笑)
石田や大谷が書状に書いたかどうか知らないけど、「日本戦史・朝鮮役」によれば
秀吉のもとに朝鮮の流行病についてたびたび現地から報告されていたことが裏付けられているようだね(爆笑)

「文禄元年九月、秀吉は養子の羽柴秀勝および毛利輝元が戦地で病にたおれたことを聞き、医師施薬院曲直道三を朝鮮に急派した。
道三は当時の名医であったが、彼が現地に到着しないうちに秀勝は病死した。道三はそのまま数ヶ月現地にとどまり、
翌年三月に帰国している。また文禄二年四月十二日、在朝鮮諸隊に病人が多いということを聞いた秀吉は、医師二十人を派遣して
諸隊に配置し、その診療にあたらせている。」
0095人間七七四年2014/05/21(水) 00:29:59.92ID:CNHjD6da
安土桃山期のサムライってサムライの歴史上最強の世代だろ。
その最強の世代のサムライ共が実際は大したことがなかったって
サムライ厨のお前が認めたくないのはわかるけど・・・
いいかげん「不都合な真実」と向き合え、この馬鹿が(笑)
>秀吉のもとに朝鮮の流行病についてたびたび現地から報告されていたことが裏付けられているようだね(爆笑)
(文禄二年)二月九日 豊臣秀吉朱印状
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai53.html
ふーん少なくともこの時期には疫病に日本軍が苦しめられていたことは読めないんだが、
>また文禄二年四月十二日、在朝鮮諸隊に病人が多いということを聞いた秀吉は、医師二十人を派遣して
>諸隊に配置し、その診療にあたらせている。」
なんだたった20人の医師で対応できる程度なんだ。
家康が敵との戦争よりも恐れるような状況じゃないな!
お前が出してきた伊達政宗や南部信直の主張とずいぶん温度差があるな(笑)
彼らの主張は朝鮮に渡海したくない心理からの誇張されたものなんだろうな(笑)
結局、家康の意識した死に方が羅病についてってほざいたお前の主張は嘘だったということでいいんだな(笑)
ホントお前って根っからの嘘つきだな。
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