滅亡した大名家はどの時点で詰んでいたか
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0619人間七七四年
2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:PnikgRVW織田に土下座した時の3月の氏政は「このままでは北条は滅亡してしまう」って嘆いているくらいだからな。
>>610
氏政は氏直が出陣中に抜き打ちで隠居表明するほど焦りまくりw
これ沼田城落城前に当主の座を降りりて責任逃れするためwww
これに調子づいた勝頼が北条と決戦すべく出陣表明し、
一機に金山城館林城を焼き討ちしてまわったので
氏政も全軍を率いて本庄まできたものの
勝頼が利根川を渡ってきたのでさっそく逃亡www
佐竹もモタモタして小山止まりで足利に来ないので
義重の違約を抗議してる。
その後、沼田攻略成功で真田が手空きになったので
天正9月が始まるや八王子方面などからの不意の北条からの攻撃に備えるべく新府城築城の人夫を出させてる。
その勢いを知った里見も同盟参加交渉が開始され
伊豆では武田水軍が圧倒しまくりで
本格的な武田・佐竹・里見同盟と佐竹ルートによる織田との和睦交渉も追加された。
この伊豆での優勢から伊豆の入り口にあたる戸倉城の笠原政晴が武田に寝返り韮山城を攻めたので
武田はついに小田原突撃への道が切り開かれ、勝頼も出陣し
最前線ラインが12/5には玉川表(三島)まで食い上げられた。
そして寒さが厳しくなってきたので19日に勝頼は帰国し24日に新府城に初めて入城した。
来年には小田原まで食い破るつもりだったろうが、木曽氏の織田への内通と浅間山噴火で武田はパニックのまま滅亡。
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