トップページsengoku
1001コメント420KB

滅亡した大名家はどの時点で詰んでいたか

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2012/06/07(木) 21:30:09.77ID:cMVBhgd8
今川は桶狭間の時点で、武田は駿河侵攻の時点で詰んでると思う
0529人間七七四年2013/01/01(火) 11:22:59.31ID:Iht3Uxs1
後北条の話。
軍記物によれば、天正18年1月20日の小田原評定において、北条氏邦は出撃を提案。
氏照氏邦のどちらかが先陣。どっちがするかは、くじ引きで決める云々とあります。
しかし北条氏直は、天正17年12月26日の書状で、
上野国衆に対し氏邦の指揮下に入るよう指示しています。
氏邦が上野方面の指揮を執ることは、
軍記物の記述より一月は前に決まっていたことが分かるのです。
さように軍記物は、あてにならない節があります。

巷間、後北条は「小田原城の堅固さをあてに豊臣への臣従を拒んだ」と言われています。
しかし「氏政の上洛には、配下の諸勢から五騎程ずつ出させることを依頼するので、
各国衆への奏者には下知しておく事」(天正17年7月14日。氏政から氏邦へ)
「氏政の上洛費、一貫八四八文三十日までに納入すること」(天正17年10月14日。氏忠から高瀬紀伊守へ)
などなど見られるように、臣従を拒んだ、とまでは言えません。
精々、臣従に積極的ではなかった、程度のことでしょう。
秀吉は、連絡無い! と言っていますが、
少なくとも11月段階で宿老の一人を上洛させていますから、それは過言です。
それで充分と言う話もあります。最低領国の分割が必要な程度には後北条領国は巨大だったと言う事でしょう。
上野では検地が行われ、軍役が課せられ、馬廻衆の集住が進められています。
下総も、まあ同じ状況でした。
武蔵に、独立国衆領を抱えていたとは言え、直轄領だけで結構な規模でしたから。
ですので北条が詰んだのは、その領国を豊臣政権に負けない規模に拡大できなかった時だと思います。

ちなみに、なんで積極的でなかったか? と言いますと、こっから先は妄想ですが、この段階で秀吉は唐入りを公言してるんですよね。
で、一般論から言いますと、そういう場合、新規の外様は先陣です。
0530人間七七四年2013/01/01(火) 15:06:31.64ID:eN5ckuXP
>>528
関東八州諸城人数覚書や北条家人数覚書に1000と書いてる
お前松田典秀の軍勢を小田原と書いてないのに下山の誤記を取り上げて小田原だとか勝手に捏造した前スレの馬鹿だろ
0531人間七七四年2013/01/01(火) 20:04:20.34ID:w4PmCAJC
氏直書状や家忠日記などからも松田憲秀が小田原城内に居たことは明らかなんだけどー。
と、言うと、指揮下の軍勢は居なかった、とか言いそうですね。この人。

なにしろ、このスレッドは「滅亡した大名家はどの時点で詰んでいたか」であり、
前スレなんぞ存在しないのに…いやはや。
ツッコミ入れるときりがないのですが、どうやら行間読めないと言う病気の方のようなので、
これまでに。お大事に。
0532人間七七四年2013/01/01(火) 20:58:46.22ID:eN5ckuXP
松田が小田原城内?
それはないな
松田の横の所には何もかかれてないし
最低でも指揮下の軍勢は別の所だろ
0533人間七七四年2013/01/01(火) 21:02:26.08ID:KDyPcKcG
松田は伊豆に領土あったんだろ
普通に考えて守備はそこだろ
確か子供の笠原が豊臣方に寝返ろうとして氏直に成敗されてたはず
0534人間七七四年2013/01/04(金) 11:08:59.78ID:2RT3cVmS
>>528
1000人じゃなくて1000騎だからそんなものだと思う
謙信の小田原包囲が11万5千人で3000騎ぐらいだから
1000騎なら4万人ぐらいの計算になるし
0535人間七七四年2013/01/04(金) 13:00:54.70ID:sVTb18Qx
つまり豊臣方は50万騎(榊原康政書状や那須記)だからその40倍の2000万人と。
0536人間七七四年2013/01/04(金) 13:04:57.16ID:emBCRlh7
そもそも騎なんて言葉何の意味もなく使われたり使われなかったりするのに
馬上身分だけを示すとかアホすぎるだろ
3月28日豊臣秀吉状で
5万騎にて山中城攻め崩しとか書いてるけど馬上身分だけで5万もいたのかって話
0537人間七七四年2013/01/04(金) 16:25:37.52ID:vT+YMa52
一騎当千という言葉もあるな
馬、関係ない
0538人間七七四年2013/01/11(金) 09:40:10.22ID:+eUzeJBi
つうか本来は騎馬武者だけを指す単位なのに、戦国時代ぐらいからは雑兵まで騎で表記する人が増えて来たんだよ
大袈裟にするためわざとやってるのか、無知でやっているのかは謎だが
どのみち騎馬武者だけの数か、雑兵まで含めているのかは常識で考えれば簡単に分かる事だ
0539人間七七四年2013/02/08(金) 01:41:34.77ID:QAmVlXPC
「旗本八万騎」も旗本だけじゃなくて御家人とそれらの家臣まで含めた数字だしな
こんだけ戦力があるんだぞー、というアピールだろうね
0540人間七七四年2013/02/08(金) 09:22:42.89ID:1wX/hx8A
奥州十八万騎的な
0541人間七七四年2013/02/14(木) 05:15:07.20ID:T9o5lKGn
伊東は木崎原の戦い、大友は耳川の戦い、龍造寺は沖田畷の戦いで中枢部を担う武将が死んだ時点で詰み
0542人間七七四年2013/02/14(木) 06:49:13.45ID:1QQflUCE
そんな小学生でもわかる事をいちいちドヤ顔で書き込むバカw
0543人間七七四年2013/02/14(木) 07:07:48.41ID:MxNAfLHJ
織田家:信長が生まれて斉藤に蹴散らされまくった時点で詰み
0544人間七七四年2013/02/14(木) 16:10:57.88ID:SuN30rCm
斎藤義龍が早死してなければ信長は終わりに押し込まれたままで終わりだろう
0545人間七七四年2013/02/14(木) 20:24:18.83ID:pCxoAMJp
>>544
逆だろ?
義龍があれ以上生きてたら、龍興の代わりになるだけだよ。
0546人間七七四年2013/02/14(木) 20:29:05.36ID:MxNAfLHJ
義龍生きてたら混乱も分裂もクーデタ騒ぎも起きないから信長の美濃攻略は不可能
0547人間七七四年2013/02/14(木) 21:14:16.64ID:pCxoAMJp
>>546
> 義龍生きてたら混乱も分裂もクーデタ騒ぎも起きないから

1556年から1561年までの間に信長は反信長勢力への義龍の介入を斥け尾張をほぼ掌握し、西方からの脅威もほぼ無くなっている。
そうした信長の猛攻をいつまでしのげたもんか。
0548人間七七四年2013/02/14(木) 21:21:36.04ID:MxNAfLHJ
でも義龍死んだ後幼君龍興は
龍興12歳1561年5月義龍の死去を聞いて急いで出陣するも敗走。さらに続けて墨俣攻防で信清の弟討死。
龍興14歳1563年新加納を進撃してきた信長を撃退。
龍興15歳1564年稲葉山を安藤と竹中に占領される。
龍興16歳1565年9月龍興三千で信長を直接討ちにきたら加治田を見捨てて信長逃亡。
龍興17歳1566年4月各務野へ信長がやってきたので龍興も新加納に出て決戦の姿勢を見せたら信長逃亡。
8月龍興の前に織田軍大敗木曽川溺死多数。その後もずっと木曽川での攻防を繰り返すも美濃への進出できず。
龍興18歳1567年8月に六角を通じて浅井との婚姻成立により浅井も参戦したことで美濃三人衆の内応に成功。
義龍の死の混乱に乗じてわすか 二日後には信長が美濃攻撃を開始するが斉藤は撃破に成功。
しかし国内は幼君ゆえ混沌し竹中・安藤の稲葉山奪取が勃発し稲葉山占拠は半年に及び、これを受けて信長は小牧山に拠点を移している。
結局竹中や安藤は美濃簒奪に失敗したが、斉藤家はすでに美濃国人らを統御できる力はなかったのが内外に露呈した。
六角義治と対立する六角重臣達らの支持を受ける六角義秀が義昭を上洛させるべく
浅井と織田の同盟を推進し市の婚姻を働きかけ(福田寺文書和田惟政披露状)
その話に美濃三人衆の氏家と安藤も乗り気になっていた(長政→市橋伝左衛門尉宛て書状)
これにより信長はやっと美濃攻略に成功する
と寝返りばかりおきまくったりしてそれまでの間は撃退しまくってるし
義龍生きてたら混乱も分裂もクーデターも起きるわけないからそんな美濃攻略は不可能
0549人間七七四年2013/02/14(木) 21:31:01.71ID:MxNAfLHJ
当時の斎藤は浅井と戦っていて、
六角義治が斎藤と協調しようとするのを、
土岐氏に配慮する六角義賢が、
同盟不成立にさせたりと西側が不安定だったから、
斎藤は南下なんて考えてない。
義龍は信長同様に内政や国内整備や宗教統治政策をまったくやらずに放置した道三の悪政から、
改革を押し進めていたから、
尾張を内乱状態にさせて信長を封じつつ、
宗教統制を改革中に急死。
0550人間七七四年2013/03/07(木) 10:57:12.88ID:DLxhOUw6
道三死去後から浅井と信長はかなり密に連携してるんだよな。
だから義龍も信長の美濃侵攻は難なくはね返せるが逆に尾張に
侵攻しようとすると背後の浅井が動くので難しかった。
義龍若死にが無ければ、そのままお互い決め手の無いまま両者
とも寿命を迎えた可能性もある。
0551人間七七四年2013/03/07(木) 14:01:12.35ID:ygLG4Uh6
浅井は美濃を攻められなかったの?
織田と挟撃すれば領地増やせたと思うのだが
0552人間七七四年2013/03/07(木) 15:29:44.52ID:c+2Z97Qy
>>551
たしか長政は六角と対峙しつつ信長と謀って美濃に攻め込んだこともあったはず。
0553人間七七四年2013/03/08(金) 13:59:14.72ID:ZsRHwgH7
斎藤・六角の同盟って斎藤が滅ぶまで存続してたんだっけ
0554記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(2+0:8) 2013/03/11(月) 20:15:22.43ID:4c+0Y2E8?2BP(333)
わたしの幻覚譫妄状態で、公家や天皇家に奴隷にされかけたものですが。それを根拠に書きます。

549 名前:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(1+0:3) :2013/03/11(月) 20:14:24.46 ID:lhu94D0j0 ?2BP(333)
戦国時代板見ていた。

どうしても、不思議な謎があるんだよ。
つまり、おれの組織体験において、天皇家と公家は忍術を使う。
つまり、朝廷が戦国時代で負けたのは、家康の伊賀越えにおいてである。

というのがおそらく歴史の真相であり、天皇家の秘密。
0555記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(3+0:8) 2013/03/11(月) 20:19:00.24ID:4c+0Y2E8?2BP(333)
天皇家や公家が使う忍術とは、
背中の後ろに隠れる。壁の後ろに隠れるなどの単純な視覚技術によって、
本人と影武者が入れ替わることである。
0556記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(4+0:8) 2013/03/11(月) 20:21:55.66ID:4c+0Y2E8?2BP(333)
伊賀は、伊勢神宮にも近い。
熊野にも近い。
つまり、天皇家の隠れ里なのだ。
0557記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(5+0:8) 2013/03/11(月) 20:25:51.26ID:4c+0Y2E8?2BP(333)
これを解く鍵は、王羲之の蘭亭序の暗号文を解くしかない。
0558記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(6+0:8) 2013/03/11(月) 20:28:01.24ID:4c+0Y2E8?2BP(333)
王羲之の蘭亭序の解答を知っている空海によって書かれた暗号文「風信帖」の解答はこれだ。

http://ncode.syosetu.com/n1646be/28/
0559記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(6+0:8) 2013/03/11(月) 20:38:36.22ID:4c+0Y2E8?2BP(333)
もう四年前になるのかな。民主党が自民党に選挙で勝って政権交代した時に、
わたしは自分の幻覚譫妄状態における秘密をほとんどばらした。
それによると、

日本で重要な県は、
一、山梨:富士山を登る山梨側の登山道に、富士の秘密基地がある。
二、和歌山:三重県の熊野の隠れ里が和歌山県側にある。
三、宮崎:天孫降臨の地として、天皇の別荘地。
0560記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(8+0:8) 2013/03/11(月) 20:49:52.41ID:4c+0Y2E8?2BP(333)
550 名前:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(1+0:3) :2013/03/11(月) 20:31:24.07 ID:lhu94D0j0 2BP(333)
忍者と、朝廷と、空海と、蘭亭序をくっつけて考えているのはおれと天皇家くらいだろう。
0561人間七七四年2013/03/11(月) 23:10:22.39ID:VtjlTHp7
あんだけ負けた少弐さんと天庵さまが即死しないのが不思議だ
0562人間七七四年2013/03/12(火) 02:03:46.13ID:0QqLIsXu
>>561
家柄がいいと神輿として担いでもらえる
0563人間七七四年2013/03/12(火) 13:07:02.55ID:YvwLBXEB
妙な電波を受信した人がいるようだな
0564人間七七四年2013/03/13(水) 00:46:57.00ID:VrLVywI7
>>561
少弐さんはよくもまぁあれだけ討死してるのに一族が絶えなかったよな
大量討死するのが前提で子作りに励んだとしか思えない

天庵さまはあれだけ負け続けてなぜ死なないw
そのかわり家臣団が死にすぎてピンチだけど、こちらもなぜか忠臣が枯渇しないんだよなぁ
0565人間七七四年2013/03/13(水) 21:17:34.51ID:evX2Whfa
あの辺りは体制が古いから相手も本気で潰す気がなかったと言うのもあるな
城の大半落としても、捕虜にしても起誓文取り交わして返還するのが慣わしだから
0566人間七七四年2013/03/20(水) 18:36:34.58ID:s5sx/dcB
もうTF7なんて出ない
業者じゃ生産する気ない、もうあきらめろって
0567人間七七四年2013/03/20(水) 18:51:41.84ID:lSOBUMwz
浅井さんのところは信長が朝倉攻めた時点で詰んだと思う
0568人間七七四年2013/03/24(日) 07:48:26.49ID:9n2T3WkG
浅井さんはさっさと織田家臣の一員になればよかったのに、江北の領主というプライドが邪魔しちゃったのかな
信長の盟友を気取るには少々石高が低すぎてバランス取れてないよ、その辺信長死ぬまで服従してた家康は弁えてたね
0569人間七七四年2013/03/24(日) 11:25:03.77ID:kj7b/kH3
タヌキさんの場合後背の織田まで敵に回したら表の強敵にクソミソにされちゃうじゃないw
0570人間七七四年2013/03/28(木) 18:59:47.06ID:igSD+C7R
>>568
浅井を江北の領主なんて誤解をしてるから、わけが判らなくなる。
浅井は領主の圧迫から国人を解放した英雄に過ぎない。
そんなのが急に領主面して明日から織田と組むとか言ったって平和呆けした国人どもなら暴動を起こすだけ
三河の小さいなりにも親分を張った松平某の孫で大国今川でもそれなりに幅を利かせてた松平元康公とは一緒にはできん
0571人間七七四年2013/03/28(木) 23:22:29.86ID:C7GeTACe
むしろ家康は元々今川の臣下だったから、それが織田に変わったところでさして抵抗がなかったのだろう
従属でも一定の独立性を保てたから今川時代よりは立場が良いし
0572人間七七四年2013/04/03(水) 23:58:06.14ID:euG7FCtX
武田勝頼はやっぱ長島滅亡で終わってたんだろうな
0573人間七七四年2013/04/04(木) 00:11:11.84ID:PAYLAyiL
織田家:信長が生まれて斉藤に蹴散らされまくった時点で詰み
0574人間七七四年2013/04/09(火) 20:01:58.71ID:zHMi5ore
一色は何が悪かったん?
義道も義定も義清も特に落ち度ないだろ
0575人間七七四年2013/04/13(土) 18:45:21.43ID:gf8sSVYI
自分的に賢いと思う武将 三傑を除く
黒田官兵衛親子 伊達政宗 真田信之 前田家 直江兼続 立花宗茂 織田有楽斉

豊臣家 秀次粛清劇で詰み
武田家 信玄の弟の信繁の死で詰み

さすがに秀次一族の粛清劇は明らかにやりすぎで
家康と利家も嘆き眉を潜めた
0576人間七七四年2013/04/13(土) 19:51:37.43ID:hKo/MA2l
秀次政権になってたとすれば家康が突出して勢力持つ理由もないしなぁ
0577人間七七四年2013/04/13(土) 21:49:14.37ID:lkURtdkS
いや、秀頼との家督争いで豊臣家は即死していただろう
秀次事件ではあれ以上最善の対応はあるまい
生まれてすぐ秀頼を殺すと言う手もあるが、現実的じゃないしな
0578人間七七四年2013/04/13(土) 23:46:00.65ID:gf8sSVYI
豊臣家は譜代大名がいないのが悲劇の最大要因
せめて弟の秀長が長生きしていれば
状況はかなり違っていたはず…
あまり優遇しなかった黒田もいち早く家康についた
0579人間七七四年2013/04/14(日) 02:50:55.13ID:MPZpKPXp
まあ、殆どが外様だからな
臣下になって20年も経たない程度の関係だから
主家と心中する程の関係を形成するのはかなり困難

ちなみに黒田は優遇されていたと思うけど
秀吉の配下としては新参の外様に当たるが、蜂須賀や堀尾といった割と古い武将や
縁戚の浅野などと同じぐらいの待遇を受けていた訳だし
0580人間七七四年2013/04/14(日) 13:23:07.58ID:ph0Dv9LL
それゆえに秀吉は
武家官位制や武家清華家など国家体制内序列秩序を確立させ下克上されないシステムを作ろうとした。
それを破壊したのは子飼の福島を中心とした武断派の暴挙
0581人間七七四年2013/04/14(日) 16:57:26.39ID:GKo/qn6n
真っ黒クロカンをブレーンに留めておければタヌキももうちょい慎重になるんじゃないか?
0582人間七七四年2013/04/14(日) 21:30:07.82ID:q0SJhLiC
自分が天下を取るためにクロカンが家康を引き込みかねないw
0583人間七七四年2013/04/16(火) 17:07:47.27ID:Qoy+HWIK
合議制に失敗した能登畠山は再起すべきだったのか
それとも一条や今川のように・・・・
0584人間七七四年2013/04/21(日) 19:47:42.54ID:xVTYET0X
一条さんって行方不明だっけ?蹴鞠の人はうざいと思われながらもタヌキのところにいたようだけど
0585人間七七四年2013/06/03(月) 00:14:24.53ID:2ybziRMx
武田は甲斐統一、領土拡大を始めた時点で詰んでいたと思う。周りが強豪だらけなためにどうしても行き詰まってしまう。
0586人間七七四年2013/06/03(月) 00:38:44.39ID:1wmnsEVf
武田の場合
東海道 ・・・ 同盟国の今川ががっちり
関東 ・・・ 同盟国の北条に配慮
上野 ・・・ 長野にコテンパン
信濃 ・・・ 謙信にコテンパン

ってのがね
村上にも手こずってたくらいだし
駿河に侵攻した時に北条が邪魔せずに同盟を継続してくれてれば歴史はだいぶ違っただろうね
0587人間七七四年2013/06/05(水) 18:53:37.92ID:kMfWUrxI
北条「わしらだって駿河は欲しいw」
0588人間七七四年2013/06/05(水) 19:17:16.59ID:mLfvyrtb
小田原城の位置を考えると確かに駿河は抑えたいだろうね
0589人間七七四年2013/06/09(日) 22:24:51.03ID:fOM+z1p8
>>585
それ言ったら毛利なんて最初からどう考えても無理ゲーじゃないか
0590人間七七四年2013/06/20(木) 00:21:03.92ID:u+DJvWi2
大内と尼子はお互い周囲に敵を抱えながら激しく争っていたし
その上、内訌で自壊していったからつけ入る隙は多かったと思う
まあ、毛利自身も内訌に苦しんでいたから決して楽だったとは言えないが
0591人間七七四年2013/06/29(土) 18:29:25.32ID:JJS0YRkk
武田は外交がへたくそだったと思う
なまじ力があるからガンガン同盟破棄しまくって気づけば周りは敵だらけ
三国同盟破棄で駿河侵攻して平定したり、甲相同盟反古にした御舘の乱介入で北信割譲など短期的には上手くいってるように見えるけど
それがかえって反武田連合(仮)の結成に繋がってるというね
0592人間七七四年2013/06/29(土) 19:05:48.34ID:57WgTR5O
まぁ毛利は大内が保護者やってくれてたから
滅亡の危機なんてまったくなかったしね。
軍記講談の誇張に騙されすぎ
0593人間七七四年2013/06/29(土) 19:27:52.55ID:Ckwd2El6
>>591
まーたそうやって無知なレスした後に、
武田厨を装って過去の論破レスをコピペして
さらに追撃でコピペ荒らしだがは市ねってレスするくだらない三段階自演するのか?
さすが基地外在日織田厨の日課は恨が源泉だから日本人には理解不能だな。
0594人間七七四年2013/06/30(日) 09:20:41.49ID:TukDea0U
すいません、↑の人は誰と戦ってるんですかね?
0595人間七七四年2013/06/30(日) 09:42:23.35ID:Cjj0p3sG
糖質という病と戦っておるのじゃ
0596人間七七四年2013/06/30(日) 12:25:18.72ID:W4MkKgMc
実際、執拗に織田厨が小学生並みの武田貶しレスを執拗に何度も何度も書き込んでは
武田厨を装うコピペが投下され、織田厨がだが認定するくだらないコンボ発動の繰り返しで荒らしてんじゃねぇかw
あきらかに織田厨が罠に陥れるための様式美じゃんw

しかもそのコピペに対しても、す「すでに論破されたネタ」
などと主張するが一度たりとも論破している過去レスは見たことないし、
コピペに対してキチンと反論コピペをつくって無力化すればといっても
「キチガイの相手をするやつはいない」とか言って織田厨は常に逃げてるだけ。
0597人間七七四年2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:r+6/2nod
>>591
力も中途半端
相手を倒し切れていたらまだ違ってた
0598人間七七四年2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:JQrPbQuU
>>591
三国同盟を破ったのは今川。
今川が上杉と結んで武田を挟撃しようとしたので
越後が動けない冬に武田が駿河攻めをした。

甲相同盟にしたって、北条が武田に丸投げしてぜんぜん越後にやってこないことを勝頼は不審がってるし
その状況に付け込んで徳川が武田領へ侵攻してるのをこれ以上は放置できない状況の中で
ピンチの景虎のために景勝との間で和睦させる努力をしてたじゃねぇか。
実際、勝頼が景虎支援をしていたから、景勝は「あれは表向きだよ」って家臣にあわてて説明してる。
景虎と景勝の和平を勝頼は見届けてから徳川攻めへ急いで向かってるし。
年頭贈答で氏直と勝頼は挨拶してるし、その後、勝頼は織田・徳川攻撃を義昭・毛利に約束してて北条を敵視してない。

そんなときに厩橋北条がいきなり北条から離反する状況が生まれると同時に
北条と徳川が同盟し家康が信康を斬るトンデモ展開になって
北条と徳川が伊豆と駿河で武田攻めの挟撃を開始したのであって
武田が破ったわけじゃない。
0599人間七七四年2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:JQrPbQuU
織田厨って結局、武田への根拠なしの曲解による悪口中傷しかできない負け犬に過ぎないんだよな
>>597とか具体的根拠すら書かないアホレスで煽ってるだけだし
0600人間七七四年2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:vnBC75jH
と、訳のわからない言い訳を繰り返す訳ですね。
0601人間七七四年2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:JQrPbQuU
>>600
んなら反論してみろよw
0602人間七七四年2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:NgwXgPdF
なんでこういう話題になると決まって北条が越後に兵送らなかったとか妄言垂れ流す馬鹿が毎回沸くかね
氏邦勢+上野国衆こぞって出兵して坂戸方面攻撃しまくってるのに
0603人間七七四年2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:Z2ERuH5n
北条軍は鬼怒川対陣で忙しい中坂戸方面を激しく攻撃してたじゃん
厩橋北条や他上野諸侯を先に派遣し7/17沼田城攻略 そのまま越後上田荘に侵攻し樺沢城などを攻略
さらに坂戸城も攻撃
8月になると氏邦本軍も上野に進出し9月には越後方面へ進撃上田荘まで進出
これだけでも相当な数じゃないの?

上野の景虎派諸将、例えば北条(きたじょう)なんかは越後で越冬してるよ
冬期で坂戸とかあの辺りで万余の兵糧は確保は乱捕りしたって難しいかと
0604人間七七四年2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:di09zCqI
また、だが涙目で敗走だなw懲りないバカだなあw
0605人間七七四年2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:z+EtltV4
まぁ勝頼は戦は信長や家康より上だと思うけど外交下手は擁護できないわな
0606人間七七四年2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:HCbxY6uD
3/13に謙信死去。
5/13に景虎が春日山から退去したのを受けて
氏政が勝頼に支援要請がきたので5/29日以前に越後へ向け先陣の信豊出陣。
6/29に春日山近辺に到着した勝頼が、
真田相手に勝頼は北条軍来ないって不満言ってる。
8/22徳川軍が駿河田中城攻撃開始。
8/28徳川に対応すべく勝頼は越後を去る。
9/4駿河山西地方へ侵攻していた徳川軍が退却。
これと同時期で北条がやっと坂戸城攻め開始。
またこの時期には景虎は勝頼から支援を受けていると書いている書状もある。
9月下旬再度、徳川が田中城を攻める動きを示したので、
9/22先陣を穴山に派遣し、
勝頼本人も出陣の意向を高天神城へ伝える。
9/24勝頼が景勝へ約束した景勝と景虎の和睦が破れたことを不満に思う書状を出す。
0607人間七七四年2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:HCbxY6uD
ちなみに沼田城代だった本庄秀綱は景虎方に参加。
0608人間七七四年2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:JQrPbQuU
>>607
当時の沼田城将は景虎方の河田重親だったはずだよ!
0609人間七七四年2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:HCbxY6uD
ああ御免。河田は蒲沢城将かと誤解してた。
蒲沢城将になったのは12月に氏政が河田に在城するように命じてからで、それ以前は沼田城将だったね…
それで北条氏邦が沼田城守備に変更になったんだった。
そういや白井長尾の長尾憲景も北条方だったね。
0610人間七七四年2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:JQrPbQuU
それで北条氏邦撤退後は藤田が沼田守備になってる。
天正7年8月に武田と北条が敵対関係になるものの
終始押されっぱなしの氏政は一年後の8/19に、
ついに武田の攻勢への守備に自信をなくして
突如、家督譲渡をやって当主である時期での汚名を受けることを避けて
19歳の氏直に当主の座を押し付け隠居した。
甲相同盟破綻から1年で当主の地位から逃亡する氏政w
0611人間七七四年2013/07/02(火) NY:AN:NY.ANID:JQrPbQuU
信長公記では天正8年3月には武田を恐れるあまり
北条は織田に降伏して織田分国にしてもらえるよう土下座してきたと書いてるほど
織田の属国となり大名の地位を捨て去るほど勝頼に追い詰められた氏政www
氏政が落ちぶれ濡れ雑巾のような哀れな姿が目に浮かぶwww神奈川県民の恥www
0612人間七七四年2013/07/03(水) NY:AN:NY.ANID:zp+el1M5
勝頼に追い詰められたってw
逆に追い詰められていたのは勝頼の方だよなぁ。
四面楚歌で信長が動いたら武田方即離散。
しかし、勝頼の何がいけなかったのだろうか。
個人的には勝頼は頑張っていたと思うんだけどなぁ。
やっぱ外交?
0613人間七七四年2013/07/03(水) NY:AN:NY.ANID:KS2htism
浅間山噴火したのと、
織田による和睦詐欺
0614人間七七四年2013/07/03(水) NY:AN:NY.ANID:qOIcwj0i
武田の頭は子供並
0615人間七七四年2013/07/03(水) NY:AN:NY.ANID:Hw/CLJLn
まぁもし景虎が越後、上野を確保して北条の分国状態になった挙句
北条が織田と通じた場合もっと悲惨なことになってたよ
景虎は間違いなく越中戦線で柴田勝家とぶつかる訳で北条的には織田と全面戦争するのは避けたいところだろうし
だから景勝と組んで上野ゲットしたまでは次善の策だったと思う
後は和睦詐欺の間に徳川を抑えつつ北条を屈服させてればね
これがどう考えても無理っぽいから詰んでるわけで
0616人間七七四年2013/07/03(水) NY:AN:NY.ANID:pnd4iOa+
北条なんて関東諸侯と挟撃したらええやん
0617人間七七四年2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:e3ZPc43/
佐竹や里見と組んだ結果全く駄目だったわけだがw
結局上杉が放棄した東上野を真田が切り取っただけ
0618人間七七四年2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:9SMvkEpj
なんだ負けまくりじゃねぇか北条w
0619人間七七四年2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:PnikgRVW
>>611
織田に土下座した時の3月の氏政は「このままでは北条は滅亡してしまう」って嘆いているくらいだからな。
>>610
氏政は氏直が出陣中に抜き打ちで隠居表明するほど焦りまくりw
これ沼田城落城前に当主の座を降りりて責任逃れするためwww
これに調子づいた勝頼が北条と決戦すべく出陣表明し、
一機に金山城館林城を焼き討ちしてまわったので
氏政も全軍を率いて本庄まできたものの
勝頼が利根川を渡ってきたのでさっそく逃亡www
佐竹もモタモタして小山止まりで足利に来ないので
義重の違約を抗議してる。
その後、沼田攻略成功で真田が手空きになったので
天正9月が始まるや八王子方面などからの不意の北条からの攻撃に備えるべく新府城築城の人夫を出させてる。
その勢いを知った里見も同盟参加交渉が開始され
伊豆では武田水軍が圧倒しまくりで
本格的な武田・佐竹・里見同盟と佐竹ルートによる織田との和睦交渉も追加された。
この伊豆での優勢から伊豆の入り口にあたる戸倉城の笠原政晴が武田に寝返り韮山城を攻めたので
武田はついに小田原突撃への道が切り開かれ、勝頼も出陣し
最前線ラインが12/5には玉川表(三島)まで食い上げられた。
そして寒さが厳しくなってきたので19日に勝頼は帰国し24日に新府城に初めて入城した。
来年には小田原まで食い破るつもりだったろうが、木曽氏の織田への内通と浅間山噴火で武田はパニックのまま滅亡。
0620人間七七四年2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:KoteBJgL
>>619
利根川を渡る寸前には膳城で勝頼は鎧も着けずに突っ込んで落城させた素肌攻めやって、
士気の上がり方がハンパなかったって話だから
氏政のビビりようも相当だったろうな。
まあ、なんにせよ由良の金山城を背後に利根川を渡河するあたり勝頼の自信の程が窺われる。
まあ謙信と違って利根川渡っても西上野から帰れるから、
謙信ほどのリスクは無いのだけどそれでも鉢形城を横に見ながらの撤退にはなるからな。
しかし金山城の堅城ぶりは異常だよな。
北条はなにもやってないが、金山城が落ちないから利根川以南や
金山以東が上杉側に染まらずに済んでるからな。
0621人間七七四年2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:e3ZPc43/
>天正9月が始まるや八王子方面などからの不意の北条からの攻撃に備えるべく新府城築城の人夫を出させてる。
どうしてこういうすぐにバレるような嘘つくかね?w
新府城の縄張り見ればわかるが明らかに信濃方面からの敵に対する城であって東からの攻撃にはある意味無防備に近い
普通に考えれば木曽や飯田方面からくる織田と徳川を最終的に食い止めるための城
0622人間七七四年2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:pH/Z3Ehm
>>621
んなわけねーだろ気持ち悪いからどっか行け。
信濃一国丸々あんのに織田への心配なんかするわけねーだろ。
八王子方面からのすぐ甲斐侵入出来るからその備えだ。
0623人間七七四年2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:e3ZPc43/
>>622
だが君はホント馬鹿だなぁ新府城周辺の地形も読めないらしいw
そもそも新府城がもし北条の甲斐侵攻への備えなら韮崎にあるのもおなしな話だw
むしろそれなら躑躅ヶ崎館から岩殿城のネットワークを利用するのが当たり前
八王子から上野原経由で北条が来るなら岩殿で阻止する
0624人間七七四年2013/07/04(木) NY:AN:NY.ANID:24XOzyyF
そりゃ天正8年・9年と連続して北条の甲斐侵攻がありこの時期に築かれたものだし
織田とはこの時期序序に友好関係が結ばれているのだから
時期的にいっても場所でいっても対北条用なのは明白でしょ
都留郡には北条の直接的な攻撃がされてるし
逆に織田とは同盟関係結ばれつつあるんだし徳川も駿河や遠江突破できてないし
0625人間七七四年2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:7rawA8yp
今ここで話題になってるのって新府城だよね?
韮崎の新府城が北条からの甲斐防衛の拠点という話になってるけど
北条が新府城に到達したと仮定すると甲府盆地を蹂躙されて根拠地を失ってる前提にならないか?
0626人間七七四年2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:Nro02kHO
防衛拠点が敵から直接的に攻撃さらされやすい所におくより敵地から距離おいた場所にあったほうが安全だろ
攻撃に回る場合には逆で敵地に近い所に普請すると思うが防御が目的なら敵に攻撃されにくい所に築こうとするだろ
特に本拠地が簡単に攻撃にさらされたら危険だろうし
0627人間七七四年2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:FEfd8mAA
防御拠点が敵から逃げてどうするw
0628人間七七四年2013/07/05(金) NY:AN:NY.ANID:7rawA8yp
新府城は信濃方面から甲斐に攻めこむ敵への最終防衛ライン
ここ抜かれたらもう甲斐府中まで突っ込まれる
もちろん上杉と北信濃からの後詰が前提なのは間違いないが
北条は駿河で阻止、八王子方面から来るなら最終防衛ラインは小山田の岩殿城
織田とは和睦交渉云々言ってる人がいるがだから防御固めない理由にはならないw
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています