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滅亡した大名家はどの時点で詰んでいたか

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0001人間七七四年2012/06/07(木) 21:30:09.77ID:cMVBhgd8
今川は桶狭間の時点で、武田は駿河侵攻の時点で詰んでると思う
0488人間七七四年2012/12/14(金) 22:02:15.10ID:3vGtEHPo
>>485
なんか時系列おかしくないか。
長篠後の織田からすれば、武田の方から進出してこない限りは捨て置けばいい訳で、和睦する必要は無い。
実際、それで西や北陸に集中できた。
ましてや武田と同盟なんて上杉を余計に刺激するだけで、何のメリットも無い。
上杉と武田が和睦するのは御館の途中だから。
0489人間七七四年2012/12/15(土) 17:31:32.51ID:6nNEniMK
転落8人衆
1豊臣秀頼
2織田信長
3細川晴元
4大内義隆
5大友義鎮
6伊達稙宗
7足利晴氏
8上杉憲政
0490人間七七四年2012/12/15(土) 17:51:50.37ID:MH6PQssl
>>487
その家臣団が織田に軒並み降伏するんだから皮肉だよなw
0491人間七七四年2012/12/15(土) 20:59:45.18ID:E/T/DxMw
>>490
まったくだw
機を見るに敏、と褒めるべきか、
田舎もんは自分の身代さえ守れりゃいいのかよ、と罵るべきか。
0492人間七七四年2012/12/15(土) 21:14:37.73ID:MH6PQssl
>>491
実際は織田に降ってても問題なかったんだろうな
どーせ甲斐一国に押し込まれて信濃の大名は織田の与力になったんだろうし
0493人間七七四年2012/12/16(日) 09:04:13.24ID:hFcEN0dZ
武田は家康の息子信吉によって再興されたけど、
他にもそういう無理矢理な例ってあるの?
0494人間七七四年2012/12/16(日) 12:05:10.16ID:MbjU1MUD
>>490-491
そんな例いくらでもあると思うが。
朝倉、浅井、北畠、山名も似たようなもんだし。
村重が信長に弁明しに行こうとしたら、中川に止められて謀反を決意したら
真っ先に中川が寝返ったでござるの巻とかな。
0495人間七七四年2012/12/16(日) 13:37:38.84ID:uiO2OGJu
>>493
そんな例いくらでもある。
三好秀次、藤田氏邦、小早川秀秋、結城秀康、佐野信吉、高坂昌信、山県昌景、直江兼続、、
0496人間七七四年2012/12/17(月) 03:22:55.44ID:/vqWpYnv
大名として重要なのは家臣の本音が何処にあるかを見抜く力か
しょせん豪族なんだし自分の権益を守れるかどうかしか本質的に興味はないんだから
0497人間七七四年2012/12/17(月) 16:10:47.03ID:MmdqKR01
本領安堵して多少足軽とかに乱取りさせておけば大抵は満足すると思うけど
0498人間七七四年2012/12/17(月) 16:48:10.83ID:GXI63/t8
織田家:信長が生まれて斉藤に蹴散らされまくった時点で詰み
0499人間七七四年2012/12/19(水) 03:16:28.16ID:O9CCJNke
織田家は滅亡していないんだからそもそもスレ違いだろ
どこの国の歴史学んでるんだ
0500人間七七四年2012/12/19(水) 09:26:27.50ID:llSfdtM4
家は残ったけど最盛期の織田家を知る者的にはお伽衆としてなんとなく生かされてる感じは
もう没落を通り越して滅亡したみたいな感じになってただろうな
やけくそで無楽斎とか言ってたし
0501人間七七四年2012/12/19(水) 11:36:39.48ID:bnQk4hpu
織田は滅亡したじゃん
信雄・秀信は改易
信孝は死亡
0502人間七七四年2012/12/19(水) 12:53:14.88ID:5nGFPKRw
嫌織田厨は本物のバカだから、
以後スルー願います
0503人間七七四年2012/12/20(木) 13:38:56.94ID:pevICFKa
武田氏の詰みは、高天神城を落とされた時じゃないかな。
長篠以降も勝頼はそれなりの規模の軍事行動をおこせていたし、北条も徳川も勝頼との
直接決戦は避けるほどの軍事力を持っていた。
それが、高天神城を攻撃された時に後詰めも出せずに見殺しにした事で、勝頼の声望が
地に落ちて家臣の離反を招き、信長・家康の攻撃に対してたいした抵抗もできずに
天目山に至った。

逆に言えば家康にとって高天神城を落とした一手が「王手」であって、純粋に戦略的には
無価値な高天神城を孤立させるために、城攻めの前にきっちりと高天神城を孤立させて
後詰めが不可能な状況に持って行った家康の戦略的な堅実さ(ねちっこさ)は見事といわざるを
えない。

勝頼もまさかその一手が大きな影響を与えるとは思ってなかったろうし、たとえれば羽生の
「伝説の5二銀」を打たれたような、そんな決定的な局面だったと思う。

ifの話をすれば、高天神城自体は敵中に孤立していて戦略的な意味はほとんどなかったので、
勝頼が高天神城を落とされる重要性を認識して撤退していれば、家臣団の離反も招かずに
延命のための行動の自由は保てていた可能性は高いと思う。
信長・家康の進行に対しても、もっと食い止めて時間を稼いで、外交的に挽回するとか。
0504人生七七四年2012/12/20(木) 20:01:55.63ID:wkXi66p6
甲斐武田の詰みは、信玄が中途半端な後継指名したせいじゃないの?
勝頼の息子を指名してたせいだと思ったが。
0505人間七七四年2012/12/20(木) 20:35:31.28ID:5M5o3NQv
信長って昔から家臣に嫌われまくってるからな
性格が破綻してたんろう つまり幼児教育からして失敗そして詰んでいた
0506人間七七四年2012/12/20(木) 21:31:02.95ID:L0+2Uiin
旗本の次男三男連中と仲良くつるんでたって有名だけど
んでそいつらが家臣になってるでしょ
0507人間七七四年2012/12/20(木) 21:37:06.83ID:6tYdDYH6
>>504
そこまでさかのぼると、詰みとはいえないんじゃないかな。
不安材料ではあるけど、致命的なほどではないと思う。
勝頼の息子を指名したとしても、その後うまく経営していく方法はいくらでもあったろうから。
0508人間七七四年2012/12/21(金) 15:40:29.57ID:kyDiEvld
>>500
有楽斎って全体でみれば出世しまくりだろ
徳川に何の縁もなく大した兵を率いてなかったのに
戦後になって5万石の大名だろ?

5万石がしょぼいみたいに言われてるが本多忠勝ですら10万石ちょっと
井伊直政の子供が35万石貰っただけで新顔の徳川家臣としては優秀なくらい

最盛期の織田を知るって言っても本能寺の変はほかならぬ信長が招いたことだし
むしろ滅亡しなかっただけマシな方じゃないか?
0509人間七七四年2012/12/21(金) 15:53:13.93ID:CGS2g9Tw
信長系は全滅だがな
0510人間七七四年2012/12/21(金) 16:27:04.95ID:3d8wxdHf
一族が完全に全滅することが、どんだけあるんだよ?
0511人間七七四年2012/12/21(金) 22:29:47.73ID:XyIg89pP
もう10万石以下は滅亡扱いでいいだろ
北条とか織田とか言い訳が見苦しいし話が先に進まない
0512人間七七四年2012/12/24(月) 10:42:48.02ID:ve9cyoPL
江戸大名の85%は10万石以下だし、ほぼ全滅じゃねえかw
0513人間七七四年2012/12/24(月) 12:59:01.75ID:Ng9ykPG1
そっちのほうが話が尽きなくていいじゃん?
0514人間七七四年2012/12/24(月) 14:50:44.56ID:/kKCmLaH
足利は喜連川になっちゃったけど、
北条ですら江戸時代に生き残ったもんな。
0515人間七七四年2012/12/26(水) 11:28:22.10ID:hQ+CUb66
むしろ全滅した大名家の方が珍しい
内ヶ島ぐらいじゃないのか?
0516人間七七四年2012/12/26(水) 15:08:32.87ID:JIY1ADJJ
龍造寺はどうなったん?
0517人間七七四年2012/12/26(水) 20:05:54.09ID:Fyz/HwI8
江戸時代で初めて自殺した大名になった
0518人間七七四年2012/12/28(金) 11:56:36.79ID:+l/IWTwh
あまり嬉しくない初記録だな
0519人間七七四年2012/12/30(日) 01:06:58.75ID:KAmihmfo
>>512
百万石の方が85%とかだったら、日本は物理的に崩壊するわw
0520人間七七四年2012/12/30(日) 11:38:52.15ID:pd31QNHK
北条はやはり平氏だよな
滅び方が美しい
比べて武田はやはり源氏
0521人間七七四年2012/12/30(日) 16:01:52.93ID:rHuX9KJ1
さんざん私闘をやめて上洛しろや・徳川「早く従った方がいいよ便宜も計るよ」って言われてるのに
「へっあんな猿なんかに従えるかよ。こっちには上杉武田の猛攻にも耐えた小田原城あるんだぜ」
って調子こいてるうちに囲まれて
「やばいよやばいよ」「出撃しようよ」「やっぱ籠ってようよ」っていたずらに月日を重ねて
総攻めされてろくに戦わずに滅んだ家が美しいって?
0522人間七七四年2012/12/30(日) 19:27:46.90ID:PrSvCppM
小田原評定を誤解した俗説をまだ信じているのか
521はこの板じゃ生きていけないだろうなw
0523人間七七四年2012/12/30(日) 21:05:33.78ID:S4kF2+Ni
まあそこは趣味の分かれるところだろう。
城燃やし、城下町も燃やし、町人を路頭に迷わして、
その上で一族全滅する方が、美しいと感じる向きがあっても良い、と思う。

私は賛成しないけどねw

あとまあ福原焼いて落ち延びた伊勢平氏さんあたりが、どう違うの?
と言われたら、反論できないのも確かだけど。
0524人間七七四年2012/12/30(日) 23:36:40.50ID:yFDaAadu
>>520
武田崩れは鎌倉北条氏(平氏)にそっくりだろうに
まぁ滅び方に源氏も平氏も関係ないと思うけどね
0525人間七七四年2012/12/31(月) 12:59:32.44ID:UarhPV61
山中城 1日で落城
八王子城 1日で落城

美しいらしい
0526人間七七四年2012/12/31(月) 13:11:50.14ID:9El47jln
豊臣方は一柳直末・前田重臣・堀尾嫡男・間宮康俊・平岩弟・依田が戦死
兵力比は7.5倍
忍城1000小田原1000に手も足もでず
韮山500に大苦戦
0527人間七七四年2012/12/31(月) 21:04:53.39ID:R0i3ZAG+
確かに伊勢平氏も鎌倉北条氏も小田原北条氏も
皆、最後まで裏切らず戦っているなぁ
0528人間七七四年2013/01/01(火) 11:20:27.56ID:Iht3Uxs1
>>526
間宮康俊は北条方だ。
あと小田原1000ってのは何の冗談だ?
0529人間七七四年2013/01/01(火) 11:22:59.31ID:Iht3Uxs1
後北条の話。
軍記物によれば、天正18年1月20日の小田原評定において、北条氏邦は出撃を提案。
氏照氏邦のどちらかが先陣。どっちがするかは、くじ引きで決める云々とあります。
しかし北条氏直は、天正17年12月26日の書状で、
上野国衆に対し氏邦の指揮下に入るよう指示しています。
氏邦が上野方面の指揮を執ることは、
軍記物の記述より一月は前に決まっていたことが分かるのです。
さように軍記物は、あてにならない節があります。

巷間、後北条は「小田原城の堅固さをあてに豊臣への臣従を拒んだ」と言われています。
しかし「氏政の上洛には、配下の諸勢から五騎程ずつ出させることを依頼するので、
各国衆への奏者には下知しておく事」(天正17年7月14日。氏政から氏邦へ)
「氏政の上洛費、一貫八四八文三十日までに納入すること」(天正17年10月14日。氏忠から高瀬紀伊守へ)
などなど見られるように、臣従を拒んだ、とまでは言えません。
精々、臣従に積極的ではなかった、程度のことでしょう。
秀吉は、連絡無い! と言っていますが、
少なくとも11月段階で宿老の一人を上洛させていますから、それは過言です。
それで充分と言う話もあります。最低領国の分割が必要な程度には後北条領国は巨大だったと言う事でしょう。
上野では検地が行われ、軍役が課せられ、馬廻衆の集住が進められています。
下総も、まあ同じ状況でした。
武蔵に、独立国衆領を抱えていたとは言え、直轄領だけで結構な規模でしたから。
ですので北条が詰んだのは、その領国を豊臣政権に負けない規模に拡大できなかった時だと思います。

ちなみに、なんで積極的でなかったか? と言いますと、こっから先は妄想ですが、この段階で秀吉は唐入りを公言してるんですよね。
で、一般論から言いますと、そういう場合、新規の外様は先陣です。
0530人間七七四年2013/01/01(火) 15:06:31.64ID:eN5ckuXP
>>528
関東八州諸城人数覚書や北条家人数覚書に1000と書いてる
お前松田典秀の軍勢を小田原と書いてないのに下山の誤記を取り上げて小田原だとか勝手に捏造した前スレの馬鹿だろ
0531人間七七四年2013/01/01(火) 20:04:20.34ID:w4PmCAJC
氏直書状や家忠日記などからも松田憲秀が小田原城内に居たことは明らかなんだけどー。
と、言うと、指揮下の軍勢は居なかった、とか言いそうですね。この人。

なにしろ、このスレッドは「滅亡した大名家はどの時点で詰んでいたか」であり、
前スレなんぞ存在しないのに…いやはや。
ツッコミ入れるときりがないのですが、どうやら行間読めないと言う病気の方のようなので、
これまでに。お大事に。
0532人間七七四年2013/01/01(火) 20:58:46.22ID:eN5ckuXP
松田が小田原城内?
それはないな
松田の横の所には何もかかれてないし
最低でも指揮下の軍勢は別の所だろ
0533人間七七四年2013/01/01(火) 21:02:26.08ID:KDyPcKcG
松田は伊豆に領土あったんだろ
普通に考えて守備はそこだろ
確か子供の笠原が豊臣方に寝返ろうとして氏直に成敗されてたはず
0534人間七七四年2013/01/04(金) 11:08:59.78ID:2RT3cVmS
>>528
1000人じゃなくて1000騎だからそんなものだと思う
謙信の小田原包囲が11万5千人で3000騎ぐらいだから
1000騎なら4万人ぐらいの計算になるし
0535人間七七四年2013/01/04(金) 13:00:54.70ID:sVTb18Qx
つまり豊臣方は50万騎(榊原康政書状や那須記)だからその40倍の2000万人と。
0536人間七七四年2013/01/04(金) 13:04:57.16ID:emBCRlh7
そもそも騎なんて言葉何の意味もなく使われたり使われなかったりするのに
馬上身分だけを示すとかアホすぎるだろ
3月28日豊臣秀吉状で
5万騎にて山中城攻め崩しとか書いてるけど馬上身分だけで5万もいたのかって話
0537人間七七四年2013/01/04(金) 16:25:37.52ID:vT+YMa52
一騎当千という言葉もあるな
馬、関係ない
0538人間七七四年2013/01/11(金) 09:40:10.22ID:+eUzeJBi
つうか本来は騎馬武者だけを指す単位なのに、戦国時代ぐらいからは雑兵まで騎で表記する人が増えて来たんだよ
大袈裟にするためわざとやってるのか、無知でやっているのかは謎だが
どのみち騎馬武者だけの数か、雑兵まで含めているのかは常識で考えれば簡単に分かる事だ
0539人間七七四年2013/02/08(金) 01:41:34.77ID:QAmVlXPC
「旗本八万騎」も旗本だけじゃなくて御家人とそれらの家臣まで含めた数字だしな
こんだけ戦力があるんだぞー、というアピールだろうね
0540人間七七四年2013/02/08(金) 09:22:42.89ID:1wX/hx8A
奥州十八万騎的な
0541人間七七四年2013/02/14(木) 05:15:07.20ID:T9o5lKGn
伊東は木崎原の戦い、大友は耳川の戦い、龍造寺は沖田畷の戦いで中枢部を担う武将が死んだ時点で詰み
0542人間七七四年2013/02/14(木) 06:49:13.45ID:1QQflUCE
そんな小学生でもわかる事をいちいちドヤ顔で書き込むバカw
0543人間七七四年2013/02/14(木) 07:07:48.41ID:MxNAfLHJ
織田家:信長が生まれて斉藤に蹴散らされまくった時点で詰み
0544人間七七四年2013/02/14(木) 16:10:57.88ID:SuN30rCm
斎藤義龍が早死してなければ信長は終わりに押し込まれたままで終わりだろう
0545人間七七四年2013/02/14(木) 20:24:18.83ID:pCxoAMJp
>>544
逆だろ?
義龍があれ以上生きてたら、龍興の代わりになるだけだよ。
0546人間七七四年2013/02/14(木) 20:29:05.36ID:MxNAfLHJ
義龍生きてたら混乱も分裂もクーデタ騒ぎも起きないから信長の美濃攻略は不可能
0547人間七七四年2013/02/14(木) 21:14:16.64ID:pCxoAMJp
>>546
> 義龍生きてたら混乱も分裂もクーデタ騒ぎも起きないから

1556年から1561年までの間に信長は反信長勢力への義龍の介入を斥け尾張をほぼ掌握し、西方からの脅威もほぼ無くなっている。
そうした信長の猛攻をいつまでしのげたもんか。
0548人間七七四年2013/02/14(木) 21:21:36.04ID:MxNAfLHJ
でも義龍死んだ後幼君龍興は
龍興12歳1561年5月義龍の死去を聞いて急いで出陣するも敗走。さらに続けて墨俣攻防で信清の弟討死。
龍興14歳1563年新加納を進撃してきた信長を撃退。
龍興15歳1564年稲葉山を安藤と竹中に占領される。
龍興16歳1565年9月龍興三千で信長を直接討ちにきたら加治田を見捨てて信長逃亡。
龍興17歳1566年4月各務野へ信長がやってきたので龍興も新加納に出て決戦の姿勢を見せたら信長逃亡。
8月龍興の前に織田軍大敗木曽川溺死多数。その後もずっと木曽川での攻防を繰り返すも美濃への進出できず。
龍興18歳1567年8月に六角を通じて浅井との婚姻成立により浅井も参戦したことで美濃三人衆の内応に成功。
義龍の死の混乱に乗じてわすか 二日後には信長が美濃攻撃を開始するが斉藤は撃破に成功。
しかし国内は幼君ゆえ混沌し竹中・安藤の稲葉山奪取が勃発し稲葉山占拠は半年に及び、これを受けて信長は小牧山に拠点を移している。
結局竹中や安藤は美濃簒奪に失敗したが、斉藤家はすでに美濃国人らを統御できる力はなかったのが内外に露呈した。
六角義治と対立する六角重臣達らの支持を受ける六角義秀が義昭を上洛させるべく
浅井と織田の同盟を推進し市の婚姻を働きかけ(福田寺文書和田惟政披露状)
その話に美濃三人衆の氏家と安藤も乗り気になっていた(長政→市橋伝左衛門尉宛て書状)
これにより信長はやっと美濃攻略に成功する
と寝返りばかりおきまくったりしてそれまでの間は撃退しまくってるし
義龍生きてたら混乱も分裂もクーデターも起きるわけないからそんな美濃攻略は不可能
0549人間七七四年2013/02/14(木) 21:31:01.71ID:MxNAfLHJ
当時の斎藤は浅井と戦っていて、
六角義治が斎藤と協調しようとするのを、
土岐氏に配慮する六角義賢が、
同盟不成立にさせたりと西側が不安定だったから、
斎藤は南下なんて考えてない。
義龍は信長同様に内政や国内整備や宗教統治政策をまったくやらずに放置した道三の悪政から、
改革を押し進めていたから、
尾張を内乱状態にさせて信長を封じつつ、
宗教統制を改革中に急死。
0550人間七七四年2013/03/07(木) 10:57:12.88ID:DLxhOUw6
道三死去後から浅井と信長はかなり密に連携してるんだよな。
だから義龍も信長の美濃侵攻は難なくはね返せるが逆に尾張に
侵攻しようとすると背後の浅井が動くので難しかった。
義龍若死にが無ければ、そのままお互い決め手の無いまま両者
とも寿命を迎えた可能性もある。
0551人間七七四年2013/03/07(木) 14:01:12.35ID:ygLG4Uh6
浅井は美濃を攻められなかったの?
織田と挟撃すれば領地増やせたと思うのだが
0552人間七七四年2013/03/07(木) 15:29:44.52ID:c+2Z97Qy
>>551
たしか長政は六角と対峙しつつ信長と謀って美濃に攻め込んだこともあったはず。
0553人間七七四年2013/03/08(金) 13:59:14.72ID:ZsRHwgH7
斎藤・六角の同盟って斎藤が滅ぶまで存続してたんだっけ
0554記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(2+0:8) 2013/03/11(月) 20:15:22.43ID:4c+0Y2E8?2BP(333)
わたしの幻覚譫妄状態で、公家や天皇家に奴隷にされかけたものですが。それを根拠に書きます。

549 名前:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(1+0:3) :2013/03/11(月) 20:14:24.46 ID:lhu94D0j0 ?2BP(333)
戦国時代板見ていた。

どうしても、不思議な謎があるんだよ。
つまり、おれの組織体験において、天皇家と公家は忍術を使う。
つまり、朝廷が戦国時代で負けたのは、家康の伊賀越えにおいてである。

というのがおそらく歴史の真相であり、天皇家の秘密。
0555記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(3+0:8) 2013/03/11(月) 20:19:00.24ID:4c+0Y2E8?2BP(333)
天皇家や公家が使う忍術とは、
背中の後ろに隠れる。壁の後ろに隠れるなどの単純な視覚技術によって、
本人と影武者が入れ替わることである。
0556記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(4+0:8) 2013/03/11(月) 20:21:55.66ID:4c+0Y2E8?2BP(333)
伊賀は、伊勢神宮にも近い。
熊野にも近い。
つまり、天皇家の隠れ里なのだ。
0557記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(5+0:8) 2013/03/11(月) 20:25:51.26ID:4c+0Y2E8?2BP(333)
これを解く鍵は、王羲之の蘭亭序の暗号文を解くしかない。
0558記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(6+0:8) 2013/03/11(月) 20:28:01.24ID:4c+0Y2E8?2BP(333)
王羲之の蘭亭序の解答を知っている空海によって書かれた暗号文「風信帖」の解答はこれだ。

http://ncode.syosetu.com/n1646be/28/
0559記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(6+0:8) 2013/03/11(月) 20:38:36.22ID:4c+0Y2E8?2BP(333)
もう四年前になるのかな。民主党が自民党に選挙で勝って政権交代した時に、
わたしは自分の幻覚譫妄状態における秘密をほとんどばらした。
それによると、

日本で重要な県は、
一、山梨:富士山を登る山梨側の登山道に、富士の秘密基地がある。
二、和歌山:三重県の熊野の隠れ里が和歌山県側にある。
三、宮崎:天孫降臨の地として、天皇の別荘地。
0560記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(8+0:8) 2013/03/11(月) 20:49:52.41ID:4c+0Y2E8?2BP(333)
550 名前:記憶喪失した男 忍法帖【Lv=5,xxxP】(1+0:3) :2013/03/11(月) 20:31:24.07 ID:lhu94D0j0 2BP(333)
忍者と、朝廷と、空海と、蘭亭序をくっつけて考えているのはおれと天皇家くらいだろう。
0561人間七七四年2013/03/11(月) 23:10:22.39ID:VtjlTHp7
あんだけ負けた少弐さんと天庵さまが即死しないのが不思議だ
0562人間七七四年2013/03/12(火) 02:03:46.13ID:0QqLIsXu
>>561
家柄がいいと神輿として担いでもらえる
0563人間七七四年2013/03/12(火) 13:07:02.55ID:YvwLBXEB
妙な電波を受信した人がいるようだな
0564人間七七四年2013/03/13(水) 00:46:57.00ID:VrLVywI7
>>561
少弐さんはよくもまぁあれだけ討死してるのに一族が絶えなかったよな
大量討死するのが前提で子作りに励んだとしか思えない

天庵さまはあれだけ負け続けてなぜ死なないw
そのかわり家臣団が死にすぎてピンチだけど、こちらもなぜか忠臣が枯渇しないんだよなぁ
0565人間七七四年2013/03/13(水) 21:17:34.51ID:evX2Whfa
あの辺りは体制が古いから相手も本気で潰す気がなかったと言うのもあるな
城の大半落としても、捕虜にしても起誓文取り交わして返還するのが慣わしだから
0566人間七七四年2013/03/20(水) 18:36:34.58ID:s5sx/dcB
もうTF7なんて出ない
業者じゃ生産する気ない、もうあきらめろって
0567人間七七四年2013/03/20(水) 18:51:41.84ID:lSOBUMwz
浅井さんのところは信長が朝倉攻めた時点で詰んだと思う
0568人間七七四年2013/03/24(日) 07:48:26.49ID:9n2T3WkG
浅井さんはさっさと織田家臣の一員になればよかったのに、江北の領主というプライドが邪魔しちゃったのかな
信長の盟友を気取るには少々石高が低すぎてバランス取れてないよ、その辺信長死ぬまで服従してた家康は弁えてたね
0569人間七七四年2013/03/24(日) 11:25:03.77ID:kj7b/kH3
タヌキさんの場合後背の織田まで敵に回したら表の強敵にクソミソにされちゃうじゃないw
0570人間七七四年2013/03/28(木) 18:59:47.06ID:igSD+C7R
>>568
浅井を江北の領主なんて誤解をしてるから、わけが判らなくなる。
浅井は領主の圧迫から国人を解放した英雄に過ぎない。
そんなのが急に領主面して明日から織田と組むとか言ったって平和呆けした国人どもなら暴動を起こすだけ
三河の小さいなりにも親分を張った松平某の孫で大国今川でもそれなりに幅を利かせてた松平元康公とは一緒にはできん
0571人間七七四年2013/03/28(木) 23:22:29.86ID:C7GeTACe
むしろ家康は元々今川の臣下だったから、それが織田に変わったところでさして抵抗がなかったのだろう
従属でも一定の独立性を保てたから今川時代よりは立場が良いし
0572人間七七四年2013/04/03(水) 23:58:06.14ID:euG7FCtX
武田勝頼はやっぱ長島滅亡で終わってたんだろうな
0573人間七七四年2013/04/04(木) 00:11:11.84ID:PAYLAyiL
織田家:信長が生まれて斉藤に蹴散らされまくった時点で詰み
0574人間七七四年2013/04/09(火) 20:01:58.71ID:zHMi5ore
一色は何が悪かったん?
義道も義定も義清も特に落ち度ないだろ
0575人間七七四年2013/04/13(土) 18:45:21.43ID:gf8sSVYI
自分的に賢いと思う武将 三傑を除く
黒田官兵衛親子 伊達政宗 真田信之 前田家 直江兼続 立花宗茂 織田有楽斉

豊臣家 秀次粛清劇で詰み
武田家 信玄の弟の信繁の死で詰み

さすがに秀次一族の粛清劇は明らかにやりすぎで
家康と利家も嘆き眉を潜めた
0576人間七七四年2013/04/13(土) 19:51:37.43ID:hKo/MA2l
秀次政権になってたとすれば家康が突出して勢力持つ理由もないしなぁ
0577人間七七四年2013/04/13(土) 21:49:14.37ID:lkURtdkS
いや、秀頼との家督争いで豊臣家は即死していただろう
秀次事件ではあれ以上最善の対応はあるまい
生まれてすぐ秀頼を殺すと言う手もあるが、現実的じゃないしな
0578人間七七四年2013/04/13(土) 23:46:00.65ID:gf8sSVYI
豊臣家は譜代大名がいないのが悲劇の最大要因
せめて弟の秀長が長生きしていれば
状況はかなり違っていたはず…
あまり優遇しなかった黒田もいち早く家康についた
0579人間七七四年2013/04/14(日) 02:50:55.13ID:MPZpKPXp
まあ、殆どが外様だからな
臣下になって20年も経たない程度の関係だから
主家と心中する程の関係を形成するのはかなり困難

ちなみに黒田は優遇されていたと思うけど
秀吉の配下としては新参の外様に当たるが、蜂須賀や堀尾といった割と古い武将や
縁戚の浅野などと同じぐらいの待遇を受けていた訳だし
0580人間七七四年2013/04/14(日) 13:23:07.58ID:ph0Dv9LL
それゆえに秀吉は
武家官位制や武家清華家など国家体制内序列秩序を確立させ下克上されないシステムを作ろうとした。
それを破壊したのは子飼の福島を中心とした武断派の暴挙
0581人間七七四年2013/04/14(日) 16:57:26.39ID:GKo/qn6n
真っ黒クロカンをブレーンに留めておければタヌキももうちょい慎重になるんじゃないか?
0582人間七七四年2013/04/14(日) 21:30:07.82ID:q0SJhLiC
自分が天下を取るためにクロカンが家康を引き込みかねないw
0583人間七七四年2013/04/16(火) 17:07:47.27ID:Qoy+HWIK
合議制に失敗した能登畠山は再起すべきだったのか
それとも一条や今川のように・・・・
0584人間七七四年2013/04/21(日) 19:47:42.54ID:xVTYET0X
一条さんって行方不明だっけ?蹴鞠の人はうざいと思われながらもタヌキのところにいたようだけど
0585人間七七四年2013/06/03(月) 00:14:24.53ID:2ybziRMx
武田は甲斐統一、領土拡大を始めた時点で詰んでいたと思う。周りが強豪だらけなためにどうしても行き詰まってしまう。
0586人間七七四年2013/06/03(月) 00:38:44.39ID:1wmnsEVf
武田の場合
東海道 ・・・ 同盟国の今川ががっちり
関東 ・・・ 同盟国の北条に配慮
上野 ・・・ 長野にコテンパン
信濃 ・・・ 謙信にコテンパン

ってのがね
村上にも手こずってたくらいだし
駿河に侵攻した時に北条が邪魔せずに同盟を継続してくれてれば歴史はだいぶ違っただろうね
0587人間七七四年2013/06/05(水) 18:53:37.92ID:kMfWUrxI
北条「わしらだって駿河は欲しいw」
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