滅亡した大名家はどの時点で詰んでいたか
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2012/06/07(木) 21:30:09.77ID:cMVBhgd80251人間七七四年
2012/10/07(日) 08:05:51.50ID:tRneiCCB0253人間七七四年
2012/10/08(月) 13:47:29.40ID:/8LW6B390254人間七七四年
2012/10/08(月) 18:00:44.74ID:qppGjtPa家康さえ死ねば豊臣天下復活は容易に可能だからそれまで待とうという考えだったのかも。
0255247
2012/10/08(月) 21:44:13.89ID:yJXp8OpXそれ、「時すでに遅し」の典型例だな
何人ついてくるんだその当時の福島にw
まあ清正の言葉は冗談交じりの愚痴返しだったんだろうけど。
0256人間七七四年
2012/10/08(月) 23:31:52.84ID:L+WRLita0257人間七七四年
2012/10/09(火) 07:57:06.08ID:hUQWpych大坂陣の勃発前、福島の所に大坂の使者が行った時の返答の中に
「5年早いか、遅ければ・・・・」と言ったと読んだ気がする。
嘘か本当か知らないが、5年前なら徳川政権の基盤も安定しておらず、豊臣家
への忠誠心を持ち続けているものも多かったと言う事だったと思う。
0258人間七七四年
2012/10/09(火) 09:53:04.56ID:Wn/Xuzw4毎日ヤケ酒かっくらって死に急いで逝った主計守さんもいますしね
0259人間七七四年
2012/10/09(火) 10:44:47.24ID:s715slVf0260人間七七四年
2012/10/09(火) 11:19:26.62ID:WW/xU3lsどっかに子孫がいてもいいのにな
0261人間七七四年
2012/10/09(火) 11:27:02.22ID:s715slVfなんだけどな
熊本県民は馬鹿だから細川の末裔を知事にしてたがw
0262人間七七四年
2012/10/09(火) 14:36:11.30ID:JGFEVeDb0263人間七七四年
2012/10/11(木) 15:53:14.13ID:dFWmiAYm5年早ければまだ清正も生きてたから・・・という事だろ
0264人間七七四年
2012/10/12(金) 08:24:55.31ID:JqtS+Zm1豊臣家にとってこの二人が他界したのは痛かった。
0265人間七七四年
2012/10/12(金) 08:37:47.28ID:C1wL9JYT生きてたけど役立たず、実の母親を人質に差し出したろ。
0266人間七七四年
2012/10/12(金) 09:00:31.03ID:pfScZJWVいざとなれば城下を焼け野原にしてでも戦え!」という激烈な遺言を残されたのに恫喝に負けて
ホイホイ母親を差し出して「許してください!徳川殿に背くなどしません」などと
弱腰の極みの対応をして母親からも怒られたひ弱な嫡男さんじゃないですか
なお弟はやる気満々だった模様
0267人間七七四年
2012/10/12(金) 14:10:30.34ID:lgem7TiF小牧長久手くらいでしょ?
関が原なんて実際は包囲殲滅される陣形なんだし
案外前田利家は戦えば勝てると本気で思ってたのかもよ
0268人間七七四年
2012/10/12(金) 14:57:30.87ID:cIlL6Ol/負けはしないってのなら、そこそこ居るだろうが、
徳川に勝つ可能性はドコも無い。
前田と豊臣直参の連合軍なら味方する大名もそこそこいたんじゃなかろうか。
どのみち前田単独じゃどうにもなんが。
0269人間七七四年
2012/10/12(金) 16:01:23.27ID:imLJbyZQ0270人間七七四年
2012/10/12(金) 18:03:52.10ID:GpChHWv0豊家の危機とあらば怨醜をこえて三成や清正が手を汲んでくれるかもしれない
秀頼様を表に推し出せば恩顧武将は手を出せないから内府はたちまちに死ぬ
たとえ俺が死しても武門の前田家の嫡男たるもの家中を一つにして城を枕に討ち死にしてくれるはず
内府は年だからもしかしたら変事でたちまちに死ぬやもしれん
まさか息子が嫁を差し出す腰抜けだったと知ったら直々に叩き斬られてたでしょうなw
>>268
上杉・毛利・島津くらいか一応ガチでぶつかれるのは
0271人間七七四年
2012/10/13(土) 12:28:03.44ID:hfLyKUFD0272人間七七四年
2012/10/13(土) 21:03:11.31ID:pQsB10xT0273人間七七四年
2012/10/14(日) 02:19:22.86ID:JWSIDQO7本能寺の変後、北条・上杉相手に武田遺領の
相当部分を確保したのだし、かなりなものだと思うけど。
0274人間七七四年
2012/10/14(日) 07:27:37.96ID:4kCqkYw70275人間七七四年
2012/10/14(日) 10:58:50.70ID:JWSIDQO7北条も上杉も進出してきたじゃん。、
0276人間七七四年
2012/10/14(日) 15:15:09.19ID:1Np5oHtb火事場泥棒ではなくて織田家の了承を得ての行動じゃなかったっけ?
確か柴田と秀吉のそういう書状が残っているはず。
0277人間七七四年
2012/10/14(日) 16:51:07.07ID:EY7d7zBL信長包囲網で信長が劣勢に立たされていたから、充分に信長を葬る事が出来た。
近畿を統一された後から動いていては遅すぎる。
0278人間七七四年
2012/10/14(日) 21:32:42.91ID:S6GiVV4Yでも、近畿って、その信長が統一してもしばらくは政情不安定だったわけでね…。
よその地方のものからすれば、統一したからどうした程度でしかないよ。
どうせすぐに荒れて維持できないと思ってるからね。
0279人間七七四年
2012/10/15(月) 00:37:16.21ID:saoCElsd今までそうだからって今後もそうである保証なんて無いんだ。
0280人間七七四年
2012/10/15(月) 01:43:58.67ID:tzW368tW浅井・朝倉が元気なうちに信長を葬っておけばよかったって事。
勝頼が動いた長篠の戦い(1575)は浅井・朝倉・三好・松永がすでになく、
長島一向一揆も制圧されて、越前侵攻で一向宗もやられた後の年で、
信長にとって余裕があった年だよ。信長にとっては「決戦は望むところだ!」ってな時に
わざわざ決戦してしまうなんてのは戦略をまるでわかってないないに等しい。
0281人間七七四年
2012/10/15(月) 02:31:00.87ID:tzW368tW0282人間七七四年
2012/10/15(月) 08:01:52.15ID:HDEyw9Pk間違えた。
浅野幸長だった。
すまん。
利長くんは大坂からの使者を「拙者は隠居の身。高岡の兵を出しても千人程度
お力にはなれません。」と帰した後、徳川・豊臣両家の間で悶々として、今で
言ううつ病になったそうだね。
0283人間七七四年
2012/10/15(月) 13:25:20.05ID:nq6sDb+M勝頼は戦略がダメなのが大名として痛かった。戦術家としては信長や
もしかして親父より優秀だったのに。
信長と勝頼見ているとよく言われる戦略>戦術というのを体現している
2人だと思う。
信長は戦術家としては中位だけど戦略家として優れていた。
勝頼は戦術家として優秀だったけど戦略家としてダメだった。
お兄さんが生きていれば叔父の信繁のように優秀な弟として活躍
出来たかもしれん。
0284人間七七四年
2012/10/15(月) 13:37:13.42ID:iQgfDLhK条件が違いすぎる
0285人間七七四年
2012/10/15(月) 13:41:17.69ID:avzgb464尾張の小大名だった信長ってテンプレが嘘なのに
0286人間七七四年
2012/10/15(月) 15:49:14.38ID:7bPq4sVF没落しかかった松平家の嫡男をぶん盗ったり
0287人間七七四年
2012/10/15(月) 19:08:03.50ID:CbWREYIdというより、戦略がイマイチな人間は大名に向いてない。
0288人間七七四年
2012/10/15(月) 20:08:31.44ID:bPCXaAiF0289人間七七四年
2012/10/15(月) 20:28:32.23ID:LuAEZI6T織田との関係悪化させたまま死んだしねー
織田との関係が良好な状態で信玄が死んでれば織田と同盟という選択肢もあっただろうに
0290人間七七四年
2012/10/15(月) 20:58:10.59ID:YYbZo71Z武田と上杉の泥沼の戦いに信長の命令で援軍出さされたりとか
0291人間七七四年
2012/10/15(月) 23:11:20.19ID:nq6sDb+Mでも信玄死後も勝頼さえ上手くやればというかその気になれば
織田との同盟は可能だったはず。
信長のように頭は下げるのはタダといわんばかりの土下座外交
だろうがなんだろうが手段選ばなかったら道はあったはず。
勝頼がその方法を選ぶには武田での彼の立場は磐石じゃなかったのかな。
0292人間七七四年
2012/10/15(月) 23:32:01.38ID:uFGY8wZh0293人間七七四年
2012/10/16(火) 00:20:49.99ID:1QR8+wJR北条とは同盟
上杉とはファニーウォー状態だけど謙信とやりあうとか絶対に嫌w
となると新しい領土取りに行くなら東海道沿いに尾張・美濃方面しか無い
織田と同盟すれば上杉と潰し合いになるわけで
0294人間七七四年
2012/10/16(火) 07:50:10.61ID:d4fP2rIN駿河や上州を放棄し、甲斐,信濃の地方勢力として甘んじる気が有れば、その手も
有ったかもしれない。
0295人間七七四年
2012/10/16(火) 09:32:17.18ID:jxH4mVdS0296人間七七四年
2012/10/16(火) 10:10:37.83ID:+1M49cxaは揶揄されるけど気概はたいしたもんだと思う。
プライドだけでは生き残れない。
プライドを捨てられなかったのだからあの結末も止む終えなしだろう。
0297人間七七四年
2012/10/16(火) 12:48:10.55ID:7nz6EsgP武田家中ではどうも信長を嫌う風潮があったっぽい。
そもそも織田との同盟のときだって、家臣団が軒並み反対する中、秋山が必死に説得してどうにか締結したって話だし。
あと勝頼の心境がわかる和歌がどっかの神社に奉納されているらしい。
その内容は「織田と和睦したほうがいいのは分かっているけど、どうしようもない」というもの。
家臣団が許さないのだろう。
0298人間七七四年
2012/10/16(火) 13:08:43.37ID:+1M49cxa>その内容は「織田と和睦したほうがいいのは分かっているけど、どうしようもない」というもの。
家臣団が許さないのだろう。
別スレでそのエピソードか載っていて読んだ。
何か切なかったな。
0299人間七七四年
2012/10/16(火) 18:28:41.03ID:dxAhnDVg武田の古い体制の家臣団を粛清して再編できていればねー
使える人材は長篠で死んで、クズばかり残っちゃったし
0300人間七七四年
2012/10/16(火) 18:32:46.25ID:GEYfB5fz0301人間七七四年
2012/10/18(木) 01:51:26.90ID:GWXTrsVD全体的に反対の声が強かったんじゃないの?
とりわけ譜代衆は。
しかし武田家の中に根本的に織田を毛嫌いする人間が多いのはなぜだろう?
比叡山の件で不快感を持ったか?あるいは家柄の問題か?
0302人間七七四年
2012/10/18(木) 06:22:18.90ID:zsVzTQVz0303人間七七四年
2012/10/18(木) 09:57:23.04ID:IeRtD1Dw0304人間七七四年
2012/10/18(木) 12:35:59.39ID:heFhLZEB信玄のせい?
0305人間七七四年
2012/10/18(木) 21:49:26.76ID:CKsPkaip包囲網が瓦解したあとは「もう怖いもんなんかねーや」って態度になって
双方が緊張状態になって長篠に到った
まったく接点がなかったわけでもない。上杉にも洛中洛外図屏風送ったり
周り敵だらけでとにかくこれ以上敵が増えないようにしていた
0306人間七七四年
2012/10/18(木) 22:23:00.39ID:FmcuBOOUスレの趣旨とはずれますが、
信長さんは現金なお人ですなあ、とww
北条とかへの対応もそうですが
0307人間七七四年
2012/10/19(金) 00:14:12.15ID:wUCfgLol0308人間七七四年
2012/10/19(金) 00:53:46.23ID:9+5GkdL3信玄時代の信長の土下座外交をみてるからなー
そのときの気持ちを引きずって、あんな土下座野郎と組めるか、みたいな気持だったのかも
信長のすごさは平気で土下座外交でもなんでもできるタフさだな
0309人間七七四年
2012/10/19(金) 01:01:03.45ID:zZVPK1PB甲陽軍鑑では織田がかなり悪く書かれているし、江戸時代、信長はあまり評判が良くなかったようだがこれは武田旧臣がからんでいるとも。
単純に主家を滅ぼされた恨みって言えばそうなのかもしれないけど、それだけじゃなさそう。
0310人間七七四年
2012/10/19(金) 01:40:33.30ID:4B6byhio残党狩りのせいで織田への憎しみになったのか
どちらにせよ負の連鎖ですね
0311人間七七四年
2012/10/19(金) 12:37:05.30ID:oBu8xMXgもろ手を挙げて征服者を受け入れたところなんて世界史上でもまずない
0313人間七七四年
2012/10/19(金) 23:58:06.77ID:zZVPK1PB徳川は特に武田旧臣から憎しみを受けていはいないと思うが・・・
まあ武田旧臣は「徳川にやられた」って感覚はあまりないのかも。
「信長あの野郎・・・」とかは思っている人間も多いだろうが
0314人間七七四年
2012/10/20(土) 05:33:38.71ID:3vgyk9Rcだったら滅亡すれば?って話でしょ
同業他社からは価値のない技術と思われてるからどこも提携持ちかけないんだからw
技術的に劣るホンハイだからこそシャープを相手にしてるわけでね
武田ブランドなんてひけらかしても「あんたの時代はもう終わったんだよw」って言われて終わり
0315人間七七四年
2012/10/20(土) 07:56:32.54ID:WBJCrz6Dそれをちょっと誇っている風があったから、徳川憎し、なんて思っていないだろうね。
むしろ再就職先を用意してもらってありがとう、ぐらいの感覚では。
0316人間七七四年
2012/10/20(土) 09:09:07.27ID:yx3riYMo0317人間七七四年
2012/10/20(土) 10:42:34.50ID:z+x+bggH武田狩りしてる織田を憎むのは当たり前
織田の手先で戦ったけどこっそり武田遺臣を積極的にスカウトして
家臣にしてる徳川を憎むのはありえないでしょ
路頭に迷うところを職までくれるんだから
「信玄殿はまことの名将であった。勝頼殿は武運拙くお敗れになり申したが
それは武門につきもの。できるならこれからは我が方でお力を振るってくださいますまいか」と
お願いされれば「おぉ…徳川殿ぉ!」ってなるでしょ
0318人間七七四年
2012/10/20(土) 10:47:30.52ID:yx3riYMo武田旧家臣を憎んでいたかもしれんな
0319人間七七四年
2012/10/20(土) 13:16:36.29ID:prtyk/4f0321人間七七四年
2012/10/20(土) 14:54:46.88ID:GAIzt78B0322人間七七四年
2012/10/21(日) 01:32:06.16ID:eAOgUkeb松永さんのことかwww
0323人間七七四年
2012/10/23(火) 02:44:45.72ID:sxAdAYQp上杉景勝の悪運の強さはなかなかのものがあるな
0324人間七七四年
2012/10/23(火) 02:51:23.51ID:HIY4Hmjn悪運だけじゃく判断力もあると思う
関ヶ原に引き返す徳川軍を追撃してたら、戦後に取り潰されていただろ…
0325人間七七四年
2012/10/23(火) 14:18:34.23ID:0aMc50A+0326人間七七四年
2012/10/23(火) 18:14:47.60ID:jh9c4gp4御館の乱でも当初は景虎方が多くて武田北条伊達芦名もこぞって敵方
この中で御館を逆襲して奪って敵大名もこぞって撃退
武田は兵を引いただけで北条と戦ってたわけでもないし
天正10年6月まで滅亡せず森を退けるなど大いに敢闘してた結果本能寺が起きたんだから十分実力でしょ
上杉の内戦は御館の乱後も1年余り続き内乱がほぼ終結する天正8年半ばまでには
佐々長縄・神保長住・長連龍の派遣や北陸方面軍・飛騨口別働隊の働き・本い願寺の和睦受諾により
元々攻め取ったばかりで謙信の死により空白地に近かった能登・加賀に加え越中の諸将も織田方に帰参
さらに新発田も蜂起するなど絶望的な状況で越中中部で9倍もの織田軍を2年も食い止めたんだし
0327人間七七四年
2012/10/23(火) 19:39:23.39ID:3G1qD3XA0328人間七七四年
2012/10/23(火) 21:31:51.80ID:4LFJKy2Eまあでも治部に賭けてる時点で、やり手と言えるかは微妙じゃないですか?
旧来の友誼?
それと上杉のお家とどっちが大事なの?って話で。
0329人間七七四年
2012/10/23(火) 23:38:44.99ID:Vnj6m9vw月山富田城での敗北しても備後では押していたから間違いなく大寧寺の変だね。
あれで交易利権がなくなって誰も得しない状態になり分裂した。
0330人間七七四年
2012/10/23(火) 23:47:00.94ID:fB2kn2c6嫡流がバタバタと衰退したのに、庶流が戦国期を乗り切り、
しまいにゃ子孫が総理とか、神がかりすぎる。
0331人間七七四年
2012/10/24(水) 00:59:49.10ID:ndE5b0iD親友筆頭の大谷さんは元より
宇喜多さんとか真田父子とか治部に賭けた人は割りといるじゃないスか
二股かけてない奉行の人とか
ここ一番で中途半端な対応をしたばっかりに知名度が上がらない三番目の友の佐竹さんもいるけど
0332人間七七四年
2012/10/24(水) 23:06:35.74ID:ZDkEm0NUで、結果論ではありますけどお家(と自身の命)が吹き飛んじゃった人多数なわけで、
「やり手だけど身代パー」では、このスレの趣旨に沿うなら
その時点で詰んでる、ってことじゃないかと。
0333人間七七四年
2012/10/29(月) 10:52:26.54ID:7iXsjGwo真田とかは治部さんの人徳じゃなくてその後の恩賞と家康への反感もデカそうだけど
西軍が勝ってれば信濃・上野はほぼ確実に手に入ってただろうし
0334人間七七四年
2012/10/29(月) 11:33:30.74ID:TrK6CFoJ0335人間七七四年
2012/10/29(月) 12:18:07.70ID:9mm7gd6N上杉討伐に向かった家康を背後から挟み撃ちにしようとしたり
人質とったり、正論だけでもないけどな
普段正論ばっかり言っているのに俺達にはそんな手を使うのかよ
とか武断派から思われただろうな
0336人間七七四年
2012/10/29(月) 20:44:29.56ID:3s5xFW50そんなものは必要ないっって突っぱねたりしてるけど
駆け引きや機微が出来ない人だったんだろうね
布陣がまともに機能していれば正攻法で勝っていただろうに
0337人間七七四年
2012/10/29(月) 20:58:46.35ID:wlk3RSjQ日和見していた伊達に背後を突かれる。
0339人間七七四年
2012/10/30(火) 08:00:23.00ID:zUguDdng白石城や川俣城を落としたり、最上救援の為奥羽国境に援軍を送って
いますが・・・
0340人間七七四年
2012/10/30(火) 12:58:47.95ID:/RvPpl5T宇都宮家が詰まないようにする名案って何かないですかね
0341人間七七四年
2012/10/30(火) 19:00:03.30ID:6UbuN5uN0343人間七七四年
2012/10/31(水) 07:22:35.14ID:J1JGs1Rm秦氏という珍しい氏族なんだし
0345人間七七四年
2012/10/31(水) 11:56:59.86ID:+Es05jQZもう少し早い段階で武茂氏辺りから養子を入れるとか
もっとも結城氏の様に養子がいても追い出される可能性も高い
浅野長政が取り次ぎ役になった時点で詰んでいたと言う事か
0347人間七七四年
2012/10/31(水) 20:46:23.22ID:DmeK0gXlその頃の武茂氏って宇都宮配下ではなく佐竹配下ではなかったか。
それはちょっと無理っぽい。
養子に大反対した芳賀が、親浅野の今泉・北条を殺したのが決定的だったんだと思う。
同年、改易だし。
養子話が流れてから4年の間があって、浅野としては我慢してたけど
自分の親派が殲滅されてキレてしまった、という感じなのかな。
宇都宮氏は今でも男系血統が守られてるのが、せめてもの救いだね
0348人間七七四年
2012/11/01(木) 00:11:33.71ID:dWf3DiRuかと思ったら元康が継ぐ予定だったから詰みではなかったか
0349人間七七四年
2012/11/01(木) 01:41:38.43ID:IdpffuZg0350人間七七四年
2012/11/01(木) 01:42:09.14ID:7nBBXTNU長宗我部さんは関ヶ原後の兄殺しが決定打でしょうね
絶体絶命の状況でも内紛止めなかったから完全に見放されたんじゃない?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています