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滅亡した大名家はどの時点で詰んでいたか

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0001人間七七四年2012/06/07(木) 21:30:09.77ID:cMVBhgd8
今川は桶狭間の時点で、武田は駿河侵攻の時点で詰んでると思う
0251人間七七四年2012/10/07(日) 08:05:51.50ID:tRneiCCB
詰みと言うより、ジリ貧から全駒みたいな
0252人間七七四年2012/10/07(日) 18:50:18.67ID:CkId778k
>>250
当人たち自体は無念だと思うけど「家」が残った点には満足してるのかもしれん
0253人間七七四年2012/10/08(月) 13:47:29.40ID:/8LW6B39
尼子家復興の為に
0254人間七七四年2012/10/08(月) 18:00:44.74ID:qppGjtPa
清正もまさか家康が自分より長生きするとは思ってなかったんだろう。
家康さえ死ねば豊臣天下復活は容易に可能だからそれまで待とうという考えだったのかも。
02552472012/10/08(月) 21:44:13.89ID:yJXp8OpX
>>248
それ、「時すでに遅し」の典型例だな
何人ついてくるんだその当時の福島にw
まあ清正の言葉は冗談交じりの愚痴返しだったんだろうけど。
0256人間七七四年2012/10/08(月) 23:31:52.84ID:L+WRLita
武田は義信ドボンの時点で積んでるやろ
0257人間七七四年2012/10/09(火) 07:57:06.08ID:hUQWpych
>>255
大坂陣の勃発前、福島の所に大坂の使者が行った時の返答の中に
「5年早いか、遅ければ・・・・」と言ったと読んだ気がする。
嘘か本当か知らないが、5年前なら徳川政権の基盤も安定しておらず、豊臣家
への忠誠心を持ち続けているものも多かったと言う事だったと思う。
0258人間七七四年2012/10/09(火) 09:53:04.56ID:Wn/Xuzw4
豊臣が滅ぶのは見たくないが徳川殿の恩義にも背きたくないって
毎日ヤケ酒かっくらって死に急いで逝った主計守さんもいますしね
0259人間七七四年2012/10/09(火) 10:44:47.24ID:s715slVf
福島は豊臣に対する忠義とかあまり感じないけどなー
0260人間七七四年2012/10/09(火) 11:19:26.62ID:WW/xU3ls
加藤はよそ者なのに熊本で神格化されているくらいだから
どっかに子孫がいてもいいのにな
0261人間七七四年2012/10/09(火) 11:27:02.22ID:s715slVf
加藤の神格化=細川に対する遠まわしな嫌味
なんだけどな
熊本県民は馬鹿だから細川の末裔を知事にしてたがw
0262人間七七四年2012/10/09(火) 14:36:11.30ID:JGFEVeDb
豊臣ネタがしつこすぎる
0263人間七七四年2012/10/11(木) 15:53:14.13ID:dFWmiAYm
>>257
5年早ければまだ清正も生きてたから・・・という事だろ
0264人間七七四年2012/10/12(金) 08:24:55.31ID:JqtS+Zm1
清正も前田利長も健在だった。
豊臣家にとってこの二人が他界したのは痛かった。
0265人間七七四年2012/10/12(金) 08:37:47.28ID:C1wL9JYT
前田利長って、おい。
生きてたけど役立たず、実の母親を人質に差し出したろ。
0266人間七七四年2012/10/12(金) 09:00:31.03ID:pfScZJWV
あぁあの「俺が死んでも葬式はしなくていい、かわりに絶対に大坂を離れるな。
いざとなれば城下を焼け野原にしてでも戦え!」という激烈な遺言を残されたのに恫喝に負けて
ホイホイ母親を差し出して「許してください!徳川殿に背くなどしません」などと
弱腰の極みの対応をして母親からも怒られたひ弱な嫡男さんじゃないですか
なお弟はやる気満々だった模様
0267人間七七四年2012/10/12(金) 14:10:30.34ID:lgem7TiF
家康が野戦の名手ってのはなんか違う気がするよなぁ
小牧長久手くらいでしょ?
関が原なんて実際は包囲殲滅される陣形なんだし
案外前田利家は戦えば勝てると本気で思ってたのかもよ
0268人間七七四年2012/10/12(金) 14:57:30.87ID:cIlL6Ol/
前田が無理なら他の大名は全部無理。
負けはしないってのなら、そこそこ居るだろうが、
徳川に勝つ可能性はドコも無い。
前田と豊臣直参の連合軍なら味方する大名もそこそこいたんじゃなかろうか。
どのみち前田単独じゃどうにもなんが。
0269人間七七四年2012/10/12(金) 16:01:23.27ID:imLJbyZQ
まとまらない組織って歯がゆくなるな
0270人間七七四年2012/10/12(金) 18:03:52.10ID:GpChHWv0
>>267
豊家の危機とあらば怨醜をこえて三成や清正が手を汲んでくれるかもしれない
秀頼様を表に推し出せば恩顧武将は手を出せないから内府はたちまちに死ぬ
たとえ俺が死しても武門の前田家の嫡男たるもの家中を一つにして城を枕に討ち死にしてくれるはず
内府は年だからもしかしたら変事でたちまちに死ぬやもしれん
まさか息子が嫁を差し出す腰抜けだったと知ったら直々に叩き斬られてたでしょうなw

>>268
上杉・毛利・島津くらいか一応ガチでぶつかれるのは
0271人間七七四年2012/10/13(土) 12:28:03.44ID:hfLyKUFD
前田はやる気満々だったけど周囲が全くついて来なかったってのが降る原因じゃなかった?
0272人間七七四年2012/10/13(土) 21:03:11.31ID:pQsB10xT
御門跡様
0273人間七七四年2012/10/14(日) 02:19:22.86ID:JWSIDQO7
>>267
本能寺の変後、北条・上杉相手に武田遺領の
相当部分を確保したのだし、かなりなものだと思うけど。
0274人間七七四年2012/10/14(日) 07:27:37.96ID:4kCqkYw7
火事場泥棒をかなりのものというのはちょっと…
0275人間七七四年2012/10/14(日) 10:58:50.70ID:JWSIDQO7
対抗者が誰も居なかったらそうだが、
北条も上杉も進出してきたじゃん。、
0276人間七七四年2012/10/14(日) 15:15:09.19ID:1Np5oHtb
>>274
火事場泥棒ではなくて織田家の了承を得ての行動じゃなかったっけ?
確か柴田と秀吉のそういう書状が残っているはず。
0277人間七七四年2012/10/14(日) 16:51:07.07ID:EY7d7zBL
武田が滅亡した要因は1570〜1573の間に信長を仕留めなかったところ。この期間であれば、
信長包囲網で信長が劣勢に立たされていたから、充分に信長を葬る事が出来た。
近畿を統一された後から動いていては遅すぎる。
0278人間七七四年2012/10/14(日) 21:32:42.91ID:S6GiVV4Y
>>277

でも、近畿って、その信長が統一してもしばらくは政情不安定だったわけでね…。
よその地方のものからすれば、統一したからどうした程度でしかないよ。
どうせすぐに荒れて維持できないと思ってるからね。
0279人間七七四年2012/10/15(月) 00:37:16.21ID:saoCElsd
そんな事思ってるからやられるんだ。
今までそうだからって今後もそうである保証なんて無いんだ。
0280人間七七四年2012/10/15(月) 01:43:58.67ID:tzW368tW
>>278
浅井・朝倉が元気なうちに信長を葬っておけばよかったって事。
勝頼が動いた長篠の戦い(1575)は浅井・朝倉・三好・松永がすでになく、
長島一向一揆も制圧されて、越前侵攻で一向宗もやられた後の年で、
信長にとって余裕があった年だよ。信長にとっては「決戦は望むところだ!」ってな時に
わざわざ決戦してしまうなんてのは戦略をまるでわかってないないに等しい。
0281人間七七四年2012/10/15(月) 02:31:00.87ID:tzW368tW
すまそ。上記、松永が死んだのは1577だった。訂正です。
0282人間七七四年2012/10/15(月) 08:01:52.15ID:HDEyw9Pk
>>265
間違えた。
浅野幸長だった。
すまん。

利長くんは大坂からの使者を「拙者は隠居の身。高岡の兵を出しても千人程度
お力にはなれません。」と帰した後、徳川・豊臣両家の間で悶々として、今で
言ううつ病になったそうだね。
0283人間七七四年2012/10/15(月) 13:25:20.05ID:nq6sDb+M
>>279
勝頼は戦略がダメなのが大名として痛かった。戦術家としては信長や
もしかして親父より優秀だったのに。

信長と勝頼見ているとよく言われる戦略>戦術というのを体現している
2人だと思う。
信長は戦術家としては中位だけど戦略家として優れていた。
勝頼は戦術家として優秀だったけど戦略家としてダメだった。

お兄さんが生きていれば叔父の信繁のように優秀な弟として活躍
出来たかもしれん。
0284人間七七四年2012/10/15(月) 13:37:13.42ID:iQgfDLhK
交易でお金持ちの先進地域の名古屋と山梨の田舎大名とでは
条件が違いすぎる
0285人間七七四年2012/10/15(月) 13:41:17.69ID:avzgb464
そもそももう21世紀なんだからさ
尾張の小大名だった信長ってテンプレが嘘なのに
0286人間七七四年2012/10/15(月) 15:49:14.38ID:7bPq4sVF
親父のころから結構勢力拡大してたよねって話?
没落しかかった松平家の嫡男をぶん盗ったり
0287人間七七四年2012/10/15(月) 19:08:03.50ID:CbWREYId
勝頼は大名に向いてなかったのかもな。
というより、戦略がイマイチな人間は大名に向いてない。
0288人間七七四年2012/10/15(月) 20:08:31.44ID:bPCXaAiF
信玄時代の外交が足引っ張ってるのもあったからなあ…
0289人間七七四年2012/10/15(月) 20:28:32.23ID:LuAEZI6T
>>288
織田との関係悪化させたまま死んだしねー
織田との関係が良好な状態で信玄が死んでれば織田と同盟という選択肢もあっただろうに
0290人間七七四年2012/10/15(月) 20:58:10.59ID:YYbZo71Z
ていうか織田と武田が同盟した場合徳川の立場ってもう織田の下請け意外なにもないよね?
武田と上杉の泥沼の戦いに信長の命令で援軍出さされたりとか
0291人間七七四年2012/10/15(月) 23:11:20.19ID:nq6sDb+M
>>289
でも信玄死後も勝頼さえ上手くやればというかその気になれば
織田との同盟は可能だったはず。
信長のように頭は下げるのはタダといわんばかりの土下座外交
だろうがなんだろうが手段選ばなかったら道はあったはず。
勝頼がその方法を選ぶには武田での彼の立場は磐石じゃなかったのかな。
0292人間七七四年2012/10/15(月) 23:32:01.38ID:uFGY8wZh
勝頼は建前上は陣代だし無理だろうな
0293人間七七四年2012/10/16(火) 00:20:49.99ID:1QR8+wJR
武田の家臣団の気持ちになれば分かりやすいと思うよ
北条とは同盟
上杉とはファニーウォー状態だけど謙信とやりあうとか絶対に嫌w
となると新しい領土取りに行くなら東海道沿いに尾張・美濃方面しか無い
織田と同盟すれば上杉と潰し合いになるわけで
0294人間七七四年2012/10/16(火) 07:50:10.61ID:d4fP2rIN
>>291
駿河や上州を放棄し、甲斐,信濃の地方勢力として甘んじる気が有れば、その手も
有ったかもしれない。
0295人間七七四年2012/10/16(火) 09:32:17.18ID:jxH4mVdS
本人の意思はともかく源氏の名門のトップが頭下げられるかどうか
0296人間七七四年2012/10/16(火) 10:10:37.83ID:+1M49cxa
信長のあの窮地に陥った時の恥も外聞もない泣き寝入りや土下座外交
は揶揄されるけど気概はたいしたもんだと思う。
プライドだけでは生き残れない。
プライドを捨てられなかったのだからあの結末も止む終えなしだろう。
0297人間七七四年2012/10/16(火) 12:48:10.55ID:7nz6EsgP
>>291
武田家中ではどうも信長を嫌う風潮があったっぽい。
そもそも織田との同盟のときだって、家臣団が軒並み反対する中、秋山が必死に説得してどうにか締結したって話だし。
あと勝頼の心境がわかる和歌がどっかの神社に奉納されているらしい。
その内容は「織田と和睦したほうがいいのは分かっているけど、どうしようもない」というもの。
家臣団が許さないのだろう。
0298人間七七四年2012/10/16(火) 13:08:43.37ID:+1M49cxa
>>297

>その内容は「織田と和睦したほうがいいのは分かっているけど、どうしようもない」というもの。
家臣団が許さないのだろう。

別スレでそのエピソードか載っていて読んだ。
何か切なかったな。
0299人間七七四年2012/10/16(火) 18:28:41.03ID:dxAhnDVg
>>297
武田の古い体制の家臣団を粛清して再編できていればねー
使える人材は長篠で死んで、クズばかり残っちゃったし
0300人間七七四年2012/10/16(火) 18:32:46.25ID:GEYfB5fz
むしろその使える人材のほうが反対してたんじゃなかったっけ?
0301人間七七四年2012/10/18(木) 01:51:26.90ID:GWXTrsVD
>>300
全体的に反対の声が強かったんじゃないの?
とりわけ譜代衆は。

しかし武田家の中に根本的に織田を毛嫌いする人間が多いのはなぜだろう?
比叡山の件で不快感を持ったか?あるいは家柄の問題か?
0302人間七七四年2012/10/18(木) 06:22:18.90ID:zsVzTQVz
名門武田家が成り上がりの織田家と対等に接せられるかー!という無駄な自負
0303人間七七四年2012/10/18(木) 09:57:23.04ID:IeRtD1Dw
ホンハイ(織田)に土下座できずに会社が潰れそうなシャープ(武田)みたいなものか
0304人間七七四年2012/10/18(木) 12:35:59.39ID:heFhLZEB
しかし、何故これほどまでに接点を持たなかったのだろうか。
信玄のせい?
0305人間七七四年2012/10/18(木) 21:49:26.76ID:CKsPkaip
ノブの方は武田怖い!だったから贈り物送ったりへりくだるくらいの態度だったけど
包囲網が瓦解したあとは「もう怖いもんなんかねーや」って態度になって
双方が緊張状態になって長篠に到った
まったく接点がなかったわけでもない。上杉にも洛中洛外図屏風送ったり
周り敵だらけでとにかくこれ以上敵が増えないようにしていた
0306人間七七四年2012/10/18(木) 22:23:00.39ID:FmcuBOOU
>>305
スレの趣旨とはずれますが、
信長さんは現金なお人ですなあ、とww

北条とかへの対応もそうですが
0307人間七七四年2012/10/19(金) 00:14:12.15ID:wUCfgLol
必要なときはプライドさえ封印するのって大事だよね
0308人間七七四年2012/10/19(金) 00:53:46.23ID:9+5GkdL3
>>301
信玄時代の信長の土下座外交をみてるからなー
そのときの気持ちを引きずって、あんな土下座野郎と組めるか、みたいな気持だったのかも

信長のすごさは平気で土下座外交でもなんでもできるタフさだな
0309人間七七四年2012/10/19(金) 01:01:03.45ID:zZVPK1PB
ついでに言うと武田家臣は武田家滅亡後もなお織田を憎み続けている。
甲陽軍鑑では織田がかなり悪く書かれているし、江戸時代、信長はあまり評判が良くなかったようだがこれは武田旧臣がからんでいるとも。
単純に主家を滅ぼされた恨みって言えばそうなのかもしれないけど、それだけじゃなさそう。
0310人間七七四年2012/10/19(金) 01:40:33.30ID:4B6byhio
織田への嫌悪感が武田の残党狩りを招いたのか
残党狩りのせいで織田への憎しみになったのか
どちらにせよ負の連鎖ですね
0311人間七七四年2012/10/19(金) 12:37:05.30ID:oBu8xMXg
征服者は大なり小なり憎しみは受けるもんさ
もろ手を挙げて征服者を受け入れたところなんて世界史上でもまずない
0312人間七七四年2012/10/19(金) 18:50:36.20ID:XwxE/D3P
>>303
シャープが難色示すのは当たり前だぞ
最新技術を渡せ=関連技術も渡せ=全部渡せ
ってことだから
0313人間七七四年2012/10/19(金) 23:58:06.77ID:zZVPK1PB
>>311
徳川は特に武田旧臣から憎しみを受けていはいないと思うが・・・
まあ武田旧臣は「徳川にやられた」って感覚はあまりないのかも。
「信長あの野郎・・・」とかは思っている人間も多いだろうが
0314人間七七四年2012/10/20(土) 05:33:38.71ID:3vgyk9Rc
>>312
だったら滅亡すれば?って話でしょ
同業他社からは価値のない技術と思われてるからどこも提携持ちかけないんだからw
技術的に劣るホンハイだからこそシャープを相手にしてるわけでね

武田ブランドなんてひけらかしても「あんたの時代はもう終わったんだよw」って言われて終わり
0315人間七七四年2012/10/20(土) 07:56:32.54ID:WBJCrz6D
俺の母方の先祖は幕府の少身の御家人なんだが、もとは武田旧臣だったそうだ。
それをちょっと誇っている風があったから、徳川憎し、なんて思っていないだろうね。
むしろ再就職先を用意してもらってありがとう、ぐらいの感覚では。
0316人間七七四年2012/10/20(土) 09:09:07.27ID:yx3riYMo
現代人と当時の人が同じ考えとは言えないだろうなあ
0317人間七七四年2012/10/20(土) 10:42:34.50ID:z+x+bggH
>>313
武田狩りしてる織田を憎むのは当たり前
織田の手先で戦ったけどこっそり武田遺臣を積極的にスカウトして
家臣にしてる徳川を憎むのはありえないでしょ
路頭に迷うところを職までくれるんだから
「信玄殿はまことの名将であった。勝頼殿は武運拙くお敗れになり申したが
それは武門につきもの。できるならこれからは我が方でお力を振るってくださいますまいか」と
お願いされれば「おぉ…徳川殿ぉ!」ってなるでしょ
0318人間七七四年2012/10/20(土) 10:47:30.52ID:yx3riYMo
信長は主君を見捨てて一戦もせずに逃げ出した
武田旧家臣を憎んでいたかもしれんな
0319人間七七四年2012/10/20(土) 13:16:36.29ID:prtyk/4f
それじゃあ、ツンデレっぽいなあ。。。。
0320人間七七四年2012/10/20(土) 14:32:56.62ID:3HQ9rLA6
>>318
まぁ一度裏切った奴は次も裏切るからな
0321人間七七四年2012/10/20(土) 14:54:46.88ID:GAIzt78B
尼子・・・・・・・本城常光の降伏で石見銀山の支配権を喪失した時点で詰み
0322人間七七四年2012/10/21(日) 01:32:06.16ID:eAOgUkeb
>>320
松永さんのことかwww
0323人間七七四年2012/10/23(火) 02:44:45.72ID:sxAdAYQp
上杉も滅亡してりゃ御館の乱ですでに詰んでいたって言われたんだろうなぁ
上杉景勝の悪運の強さはなかなかのものがあるな
0324人間七七四年2012/10/23(火) 02:51:23.51ID:HIY4Hmjn
>>323
悪運だけじゃく判断力もあると思う
関ヶ原に引き返す徳川軍を追撃してたら、戦後に取り潰されていただろ…
0325人間七七四年2012/10/23(火) 14:18:34.23ID:0aMc50A+
追撃してたら徳川の方が江戸でモタモタして手紙書いてた時点で詰みとか言われてるよ
0326人間七七四年2012/10/23(火) 18:14:47.60ID:jh9c4gp4
景勝が詰まないのは単に実力でしょ
御館の乱でも当初は景虎方が多くて武田北条伊達芦名もこぞって敵方
この中で御館を逆襲して奪って敵大名もこぞって撃退
武田は兵を引いただけで北条と戦ってたわけでもないし
天正10年6月まで滅亡せず森を退けるなど大いに敢闘してた結果本能寺が起きたんだから十分実力でしょ
上杉の内戦は御館の乱後も1年余り続き内乱がほぼ終結する天正8年半ばまでには
佐々長縄・神保長住・長連龍の派遣や北陸方面軍・飛騨口別働隊の働き・本い願寺の和睦受諾により
元々攻め取ったばかりで謙信の死により空白地に近かった能登・加賀に加え越中の諸将も織田方に帰参
さらに新発田も蜂起するなど絶望的な状況で越中中部で9倍もの織田軍を2年も食い止めたんだし
0327人間七七四年2012/10/23(火) 19:39:23.39ID:3G1qD3XA
なんだかんだ言われてるけど、直江もその辺考えるとやり手だったんだろうなぁ
0328人間七七四年2012/10/23(火) 21:31:51.80ID:4LFJKy2E
>>327
まあでも治部に賭けてる時点で、やり手と言えるかは微妙じゃないですか?
旧来の友誼?
それと上杉のお家とどっちが大事なの?って話で。
0329人間七七四年2012/10/23(火) 23:38:44.99ID:Vnj6m9vw
>>124
月山富田城での敗北しても備後では押していたから間違いなく大寧寺の変だね。
あれで交易利権がなくなって誰も得しない状態になり分裂した。
0330人間七七四年2012/10/23(火) 23:47:00.94ID:fB2kn2c6
室町期の大内のライバル細川は保険かけすぎだわな。
嫡流がバタバタと衰退したのに、庶流が戦国期を乗り切り、
しまいにゃ子孫が総理とか、神がかりすぎる。
0331人間七七四年2012/10/24(水) 00:59:49.10ID:ndE5b0iD
>>328
親友筆頭の大谷さんは元より
宇喜多さんとか真田父子とか治部に賭けた人は割りといるじゃないスか
二股かけてない奉行の人とか
ここ一番で中途半端な対応をしたばっかりに知名度が上がらない三番目の友の佐竹さんもいるけど
0332人間七七四年2012/10/24(水) 23:06:35.74ID:ZDkEm0NU
>>331
で、結果論ではありますけどお家(と自身の命)が吹き飛んじゃった人多数なわけで、
「やり手だけど身代パー」では、このスレの趣旨に沿うなら
その時点で詰んでる、ってことじゃないかと。
0333人間七七四年2012/10/29(月) 10:52:26.54ID:7iXsjGwo
治部さんみたいな正論だけの人って大概失敗するよね
真田とかは治部さんの人徳じゃなくてその後の恩賞と家康への反感もデカそうだけど
西軍が勝ってれば信濃・上野はほぼ確実に手に入ってただろうし
0334人間七七四年2012/10/29(月) 11:33:30.74ID:TrK6CFoJ
関ヶ原に関しては宇喜多は主導的立場で治部に賭けたとかはちょっと違うんでね?
0335人間七七四年2012/10/29(月) 12:18:07.70ID:9mm7gd6N
>治部さんみたいな正論だけの人って大概失敗するよね

上杉討伐に向かった家康を背後から挟み撃ちにしようとしたり
人質とったり、正論だけでもないけどな
普段正論ばっかり言っているのに俺達にはそんな手を使うのかよ
とか武断派から思われただろうな
0336人間七七四年2012/10/29(月) 20:44:29.56ID:3s5xFW50
でも家康襲撃しようや!夜襲かけようや!って言われても
そんなものは必要ないっって突っぱねたりしてるけど
駆け引きや機微が出来ない人だったんだろうね
布陣がまともに機能していれば正攻法で勝っていただろうに
0337人間七七四年2012/10/29(月) 20:58:46.35ID:wlk3RSjQ
>>324
日和見していた伊達に背後を突かれる。
0338人間七七四年2012/10/29(月) 21:04:13.99ID:Pq9krHYm
>>336
吉川が懐柔できなかったら、家康はあんなところに本陣を置かないと思いますがね。
0339人間七七四年2012/10/30(火) 08:00:23.00ID:zUguDdng
>>337
白石城や川俣城を落としたり、最上救援の為奥羽国境に援軍を送って
いますが・・・
0340人間七七四年2012/10/30(火) 12:58:47.95ID:/RvPpl5T
宇都宮さんってどうやったら家名と血脈守れたんすか?どうやっても浅野なんちゃらに乗っ取られちゃうしかなかったんすかねぇ
宇都宮家が詰まないようにする名案って何かないですかね
0341人間七七四年2012/10/30(火) 19:00:03.30ID:6UbuN5uN
宇都宮は全国に一族が土着してるけど、だいたい滅んでるよね
0342人間七七四年2012/10/31(水) 01:33:38.93ID:hfhmfBrd
>>338
そこまで吉川ごときを信用してないだろう。
本陣の位置と吉川懐柔は関係無いと思う。
0343人間七七四年2012/10/31(水) 07:22:35.14ID:J1JGs1Rm
長曽我部さんとこはどこで詰んだんだろ?小牧・長久手以来の親徳川派だったんだし、大名としての復活はともかく高家としての存続くらいはあって良かったように思うが

秦氏という珍しい氏族なんだし
0344 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) 2012/10/31(水) 08:44:11.29ID:4+k5PXfU
関所に引っかかったのが運の尽き
0345人間七七四年2012/10/31(水) 11:56:59.86ID:+Es05jQZ
>>340
もう少し早い段階で武茂氏辺りから養子を入れるとか
もっとも結城氏の様に養子がいても追い出される可能性も高い
浅野長政が取り次ぎ役になった時点で詰んでいたと言う事か
0346人間七七四年2012/10/31(水) 18:43:34.67ID:shDOoNuS
>>343
要所要所で全て負け組につくからなあ
大阪の陣で徳川方として参加すればよかったんじゃない
0347人間七七四年2012/10/31(水) 20:46:23.22ID:DmeK0gXl
>>345
その頃の武茂氏って宇都宮配下ではなく佐竹配下ではなかったか。
それはちょっと無理っぽい。

養子に大反対した芳賀が、親浅野の今泉・北条を殺したのが決定的だったんだと思う。
同年、改易だし。
養子話が流れてから4年の間があって、浅野としては我慢してたけど
自分の親派が殲滅されてキレてしまった、という感じなのかな。

宇都宮氏は今でも男系血統が守られてるのが、せめてもの救いだね
0348人間七七四年2012/11/01(木) 00:11:33.71ID:dWf3DiRu
今川はビスマルク雪斎死んだ時点で詰みだったな
かと思ったら元康が継ぐ予定だったから詰みではなかったか
0349人間七七四年2012/11/01(木) 01:41:38.43ID:IdpffuZg
それなんて信長の野望?
0350人間七七四年2012/11/01(木) 01:42:09.14ID:7nBBXTNU
>>343
長宗我部さんは関ヶ原後の兄殺しが決定打でしょうね
絶体絶命の状況でも内紛止めなかったから完全に見放されたんじゃない?
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