トップページsengoku
1001コメント420KB

滅亡した大名家はどの時点で詰んでいたか

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2012/06/07(木) 21:30:09.77ID:cMVBhgd8
今川は桶狭間の時点で、武田は駿河侵攻の時点で詰んでると思う
0208人間七七四年2012/08/18(土) 20:02:00.75ID:sHmG6gaH
>>206
かと言って本領安堵を約して置いて、やっぱり止め〜た、全土没収ね。
では流石の毛利も玉砕覚悟で戦うだろうよ。
そうなれば島津もどう動くかわからんし、伊達だって背後から何をやらかす
かわかった物ではない。
0209人間七七四年2012/08/18(土) 22:46:07.88ID:XemMjPT/
>>207
頑張って秀吉に気に入られて羽柴姓の許しを得たり
将軍家からの「義」の偏諱を捨てて「吉」の字をもらったり
吉統なりに権力者対策はしっかりこなしてるんだが…
相手が秀吉だったのが運の尽きか
0210人間七七四年2012/08/20(月) 14:43:43.16ID:kTe/NF7t
>170
わかってて言ってるかもだけど、エゲレス人の方が戦死者は多かった。
無差別砲撃で町は壊滅したけど。
0211人間七七四年2012/08/23(木) 20:44:47.76ID:UcWf8kU4
>>209
大友義統は唐入りの戦場で、小西行長討死の虚報を聴いて、
生死を確認せず勝手に自軍を撤退したのが致命的なのよ
そのため、敵に追撃されていた小西軍だけでなく、
撤退せず援護に残った黒田軍も窮地に追い込んで、大苦戦させた
結果的にデマに踊らされ友軍を見捨てて、自軍だけ逃げたわけだから
どこの戦場でも、これやったら改易レベルの大失態ではある
0212人間七七四年2012/08/27(月) 14:27:19.55ID:cPLLv36c
「待った」は何回までOK?
0213人間七七四年2012/08/28(火) 22:28:20.82ID:5NHMimrS
>>199
その場合は家康は有力外様大名各個撃破を取る形になって天下の実権握るのに史実より
相当時間かかるから、途中で伊達政宗や黒田如水らが横槍入れて天下取り失敗、
最低限豊臣・徳川連合政権くらいしか天下掌握できなかった思う
0214人間七七四年2012/09/02(日) 17:49:18.50ID:8FobzUsx
かなり最初から
0215人間七七四年2012/09/03(月) 02:49:19.21ID:4pBXkSYk
>>210
イギリス側が油断して
大砲の射程内に入ったからでしょ
本当なら薩摩側の射程外から安全に砲撃で来たのに
0216人間七七四年2012/09/03(月) 21:34:04.93ID:ZmojNh2/
内ヶ島氏の場合は、一族そろって領土に籠っていた時点かな。
地震で全滅したんだし。
0217人間七七四年2012/09/03(月) 22:01:54.25ID:GK3DgYj2
世界史規模で見てもそうそうないよな
一族郎党が全滅とかw
0218人間七七四年2012/09/03(月) 22:18:51.81ID:Zv6mnecW
安藤守就も一族郎党死んでなかったっけ?
0219人間七七四年2012/09/03(月) 22:30:27.53ID:KjkpDAeE
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E5%8F%AF%E6%B0%8F
0220人間七七四年2012/09/04(火) 19:08:05.86ID:bggtWsLj
豊臣は、秀吉が若い時に子供ができなかった or 子供が早死にしすぎた or 秀長が秀吉より早く死んだ。
これ以外なかろう。
0221人間七七四年2012/09/04(火) 20:12:54.27ID:rq1jb6J3
図らずも武断派と文治派という派閥というか対立も生んだことも挙げられる
0222人間七七四年2012/09/04(火) 21:24:32.49ID:ZsBDxqVJ
秀次一族を粛清もある
0223人間七七四年2012/09/04(火) 22:48:48.05ID:Ny5XJGOj
最後の最後は千姫との間に子供ができなかったこと
0224人間七七四年2012/09/05(水) 13:36:12.76ID:7ZTvl0ni
種なし秀吉は生まれた時点で詰んでるわけだな
0225人間七七四年2012/09/05(水) 17:42:56.61ID:DSIyxXiU
>>224

大阪の説話とか読む限りそれはない。
なぜなら、秀吉が大阪巡行中に戯れで手をつけた町娘がその子をはらんで、言い出せずにそのままになったという話が残ってるから。
だから、種がないじゃなくて、やり過ぎて減ってただけだと思う。
0226人間七七四年2012/09/05(水) 22:16:33.09ID:2oohrYvE
西洋の王族が云う「余の先祖はゼウスの子だ」みたいな信憑性だな
0227人間七七四年2012/09/09(日) 13:34:25.09ID:st+Qx8Fk
>>226
大阪市立図書館蔵書にあったから。昔。
引っ越ししたりその他蔵書整理してなくなってたら知らんが。
0228人間七七四年2012/09/09(日) 18:21:50.51ID:XoThvyrz
豊臣は秀次粛清しなけりゃ、家康と言えど成人した関白を排除するには時間かかりすぎるし、
あと数代は続いたと思うけどなあ。
0229人間七七四年2012/09/09(日) 21:08:38.27ID:vwPMImfI
>>225
町娘の妄想だな。
DNA判定が無かった頃は、そんな話はごまんとあったよ。
0230人間七七四年2012/09/10(月) 13:40:41.25ID:ECFGhHN6
秀吉と町娘が互いに綱引きし先に放した方がまことを言っているとする
0231人間七七四年2012/09/11(火) 11:53:47.24ID:xv8tdN67
柴田家、羽柴家、滝川家、明智家は本能寺の変が起きなくても
子孫が4人の所領・権限を相続できないか、織田家からの養子に乗っ取られて詰みだったような気がする
羽柴家はすでに乗っ取られつつあるし
丹羽家はとりあえず長重の代までは大丈夫
0232人間七七四年2012/09/11(火) 22:23:47.35ID:9Bl/jlvI
>>231
そのあたりの家と言うものに対する考え方は、
多分、現在の視点とは違うと思うので、連中がそれを「詰んでいた」と、
考えるかどうかは怪しいと思う。家の存続的には安泰なわけだし。

そもそも、独立大名ならともかく、家中の者たちなわけで、
言い出せば、家来になった段階で大名家としては詰みww
0233人間七七四年2012/09/11(火) 22:29:43.21ID:volyIia5
>>231
江戸時代に養子が入ったところは全て滅亡したとでもいうの?
0234人間七七四年2012/09/12(水) 08:27:01.89ID:o1Z53j38
武田家は勝頼のときに一度詰んで滅亡した。
家康の子信吉が再興したのに、嗣子なく再び詰んでしまった。
0235人間七七四年2012/09/15(土) 22:39:02.49ID:eGnVWhGa
血筋も絶えてるのに名字だけ継がせるとかもう何が何やらだよねw
「あれ、有名なあそこのウチ絶えてるじゃん?んじゃ今度からお前の名字〇〇な」
「ははっ(え〜…!?)」
0236人間七七四年2012/09/15(土) 23:02:58.89ID:0ZNzSq4r
喜連川はうまく生き延びたな
かなりの期間、尊氏の血統を引き継いだ
0237人間七七四年2012/09/23(日) 14:28:54.16ID:i+xOq4pU
滅亡と血統の断絶は違うからな
御家≧血統という感じだし
0238人間七七四年2012/09/23(日) 15:18:06.86ID:wr+LlIWP
上杉なんか、もともと関東管領の家柄なのに、
アカの他人の越後の長尾が継いで、
江戸時代には吉良になっちゃた。
0239人間七七四年2012/10/03(水) 01:05:13.24ID:j6x0Y69H
>>238
しかもその後は九州の秋月だしね

池田家は小牧長久手で徳川から壊滅的なダメージ被ったのに江戸時代は準一門で勝ち組
すごいリカバリー力だ
滅亡するその時までは逆転の可能性はあるんだね
0240人間七七四年2012/10/03(水) 08:45:35.57ID:ytEv9VMC
上杉鷹山はワンポントで、
跡を継いだのは先代の実子だから、吉良に戻ってる
0241人間七七四年2012/10/04(木) 21:23:22.32ID:9nLHaSU6
>>239
侍従輝政がそつなく渡り歩いた結果でしょうな
0242人間七七四年2012/10/05(金) 08:12:21.89ID:9tvUEENJ
家康の娘を嫁にしたからな
0243人間七七四年2012/10/06(土) 01:04:48.60ID:43e4Qy85
血縁と世渡りの上手さはかなり重要
必須ではないが
0244人間七七四年2012/10/06(土) 09:19:19.33ID:iASD/EDQ
関ヶ原西軍主犯格の石田三成は遠く津軽に血を残し、大谷吉継は越前の家老
として幕末まで血統を残した。
50万石前後の大封を得ながら、子孫は雲散霧消してしまった福島正則や加藤
清正と比べてどちらが良かったのか、考えさせられる。
0245人間七七四年2012/10/06(土) 09:35:44.77ID:V/BMd6mo
加藤は自身が存命中は大大名だったから、すごくいいんじゃないの?
福島は秀忠ごときに流されちゃったから無念だろうね。
0246人間七七四年2012/10/06(土) 09:41:02.22ID:y9mTylE2
福島「やっぱあのとき謀反してりゃ良かったんだよ!」
加藤「まぁあとから考えるとそうだなー」
0247人間七七四年2012/10/06(土) 22:51:25.50ID:6E4WC+Cy
>>246
そんなタイミング、あったっけ?小山評定?関ヶ原終戦直後?
0248人間七七四年2012/10/07(日) 02:35:32.74ID:CkId778k
大坂後、太平になり徳川の城の普請か修理してるときに
福島が「なんでこの俺たちがこんなことしなきゃならないんだ」と愚痴を漏らした
それを聞いた加藤が「嫌なら国に帰って戦の準備をしろ」と言ったやりとり
0249人間七七四年2012/10/07(日) 02:40:40.44ID:CkId778k
あ、加藤って大坂前に死んでたっけw
0250人間七七四年2012/10/07(日) 06:54:35.02ID:cLmo/4bM
冶部と刑部は泉下で信枚公と忠昌公に感謝している事だろう。
0251人間七七四年2012/10/07(日) 08:05:51.50ID:tRneiCCB
詰みと言うより、ジリ貧から全駒みたいな
0252人間七七四年2012/10/07(日) 18:50:18.67ID:CkId778k
>>250
当人たち自体は無念だと思うけど「家」が残った点には満足してるのかもしれん
0253人間七七四年2012/10/08(月) 13:47:29.40ID:/8LW6B39
尼子家復興の為に
0254人間七七四年2012/10/08(月) 18:00:44.74ID:qppGjtPa
清正もまさか家康が自分より長生きするとは思ってなかったんだろう。
家康さえ死ねば豊臣天下復活は容易に可能だからそれまで待とうという考えだったのかも。
02552472012/10/08(月) 21:44:13.89ID:yJXp8OpX
>>248
それ、「時すでに遅し」の典型例だな
何人ついてくるんだその当時の福島にw
まあ清正の言葉は冗談交じりの愚痴返しだったんだろうけど。
0256人間七七四年2012/10/08(月) 23:31:52.84ID:L+WRLita
武田は義信ドボンの時点で積んでるやろ
0257人間七七四年2012/10/09(火) 07:57:06.08ID:hUQWpych
>>255
大坂陣の勃発前、福島の所に大坂の使者が行った時の返答の中に
「5年早いか、遅ければ・・・・」と言ったと読んだ気がする。
嘘か本当か知らないが、5年前なら徳川政権の基盤も安定しておらず、豊臣家
への忠誠心を持ち続けているものも多かったと言う事だったと思う。
0258人間七七四年2012/10/09(火) 09:53:04.56ID:Wn/Xuzw4
豊臣が滅ぶのは見たくないが徳川殿の恩義にも背きたくないって
毎日ヤケ酒かっくらって死に急いで逝った主計守さんもいますしね
0259人間七七四年2012/10/09(火) 10:44:47.24ID:s715slVf
福島は豊臣に対する忠義とかあまり感じないけどなー
0260人間七七四年2012/10/09(火) 11:19:26.62ID:WW/xU3ls
加藤はよそ者なのに熊本で神格化されているくらいだから
どっかに子孫がいてもいいのにな
0261人間七七四年2012/10/09(火) 11:27:02.22ID:s715slVf
加藤の神格化=細川に対する遠まわしな嫌味
なんだけどな
熊本県民は馬鹿だから細川の末裔を知事にしてたがw
0262人間七七四年2012/10/09(火) 14:36:11.30ID:JGFEVeDb
豊臣ネタがしつこすぎる
0263人間七七四年2012/10/11(木) 15:53:14.13ID:dFWmiAYm
>>257
5年早ければまだ清正も生きてたから・・・という事だろ
0264人間七七四年2012/10/12(金) 08:24:55.31ID:JqtS+Zm1
清正も前田利長も健在だった。
豊臣家にとってこの二人が他界したのは痛かった。
0265人間七七四年2012/10/12(金) 08:37:47.28ID:C1wL9JYT
前田利長って、おい。
生きてたけど役立たず、実の母親を人質に差し出したろ。
0266人間七七四年2012/10/12(金) 09:00:31.03ID:pfScZJWV
あぁあの「俺が死んでも葬式はしなくていい、かわりに絶対に大坂を離れるな。
いざとなれば城下を焼け野原にしてでも戦え!」という激烈な遺言を残されたのに恫喝に負けて
ホイホイ母親を差し出して「許してください!徳川殿に背くなどしません」などと
弱腰の極みの対応をして母親からも怒られたひ弱な嫡男さんじゃないですか
なお弟はやる気満々だった模様
0267人間七七四年2012/10/12(金) 14:10:30.34ID:lgem7TiF
家康が野戦の名手ってのはなんか違う気がするよなぁ
小牧長久手くらいでしょ?
関が原なんて実際は包囲殲滅される陣形なんだし
案外前田利家は戦えば勝てると本気で思ってたのかもよ
0268人間七七四年2012/10/12(金) 14:57:30.87ID:cIlL6Ol/
前田が無理なら他の大名は全部無理。
負けはしないってのなら、そこそこ居るだろうが、
徳川に勝つ可能性はドコも無い。
前田と豊臣直参の連合軍なら味方する大名もそこそこいたんじゃなかろうか。
どのみち前田単独じゃどうにもなんが。
0269人間七七四年2012/10/12(金) 16:01:23.27ID:imLJbyZQ
まとまらない組織って歯がゆくなるな
0270人間七七四年2012/10/12(金) 18:03:52.10ID:GpChHWv0
>>267
豊家の危機とあらば怨醜をこえて三成や清正が手を汲んでくれるかもしれない
秀頼様を表に推し出せば恩顧武将は手を出せないから内府はたちまちに死ぬ
たとえ俺が死しても武門の前田家の嫡男たるもの家中を一つにして城を枕に討ち死にしてくれるはず
内府は年だからもしかしたら変事でたちまちに死ぬやもしれん
まさか息子が嫁を差し出す腰抜けだったと知ったら直々に叩き斬られてたでしょうなw

>>268
上杉・毛利・島津くらいか一応ガチでぶつかれるのは
0271人間七七四年2012/10/13(土) 12:28:03.44ID:hfLyKUFD
前田はやる気満々だったけど周囲が全くついて来なかったってのが降る原因じゃなかった?
0272人間七七四年2012/10/13(土) 21:03:11.31ID:pQsB10xT
御門跡様
0273人間七七四年2012/10/14(日) 02:19:22.86ID:JWSIDQO7
>>267
本能寺の変後、北条・上杉相手に武田遺領の
相当部分を確保したのだし、かなりなものだと思うけど。
0274人間七七四年2012/10/14(日) 07:27:37.96ID:4kCqkYw7
火事場泥棒をかなりのものというのはちょっと…
0275人間七七四年2012/10/14(日) 10:58:50.70ID:JWSIDQO7
対抗者が誰も居なかったらそうだが、
北条も上杉も進出してきたじゃん。、
0276人間七七四年2012/10/14(日) 15:15:09.19ID:1Np5oHtb
>>274
火事場泥棒ではなくて織田家の了承を得ての行動じゃなかったっけ?
確か柴田と秀吉のそういう書状が残っているはず。
0277人間七七四年2012/10/14(日) 16:51:07.07ID:EY7d7zBL
武田が滅亡した要因は1570〜1573の間に信長を仕留めなかったところ。この期間であれば、
信長包囲網で信長が劣勢に立たされていたから、充分に信長を葬る事が出来た。
近畿を統一された後から動いていては遅すぎる。
0278人間七七四年2012/10/14(日) 21:32:42.91ID:S6GiVV4Y
>>277

でも、近畿って、その信長が統一してもしばらくは政情不安定だったわけでね…。
よその地方のものからすれば、統一したからどうした程度でしかないよ。
どうせすぐに荒れて維持できないと思ってるからね。
0279人間七七四年2012/10/15(月) 00:37:16.21ID:saoCElsd
そんな事思ってるからやられるんだ。
今までそうだからって今後もそうである保証なんて無いんだ。
0280人間七七四年2012/10/15(月) 01:43:58.67ID:tzW368tW
>>278
浅井・朝倉が元気なうちに信長を葬っておけばよかったって事。
勝頼が動いた長篠の戦い(1575)は浅井・朝倉・三好・松永がすでになく、
長島一向一揆も制圧されて、越前侵攻で一向宗もやられた後の年で、
信長にとって余裕があった年だよ。信長にとっては「決戦は望むところだ!」ってな時に
わざわざ決戦してしまうなんてのは戦略をまるでわかってないないに等しい。
0281人間七七四年2012/10/15(月) 02:31:00.87ID:tzW368tW
すまそ。上記、松永が死んだのは1577だった。訂正です。
0282人間七七四年2012/10/15(月) 08:01:52.15ID:HDEyw9Pk
>>265
間違えた。
浅野幸長だった。
すまん。

利長くんは大坂からの使者を「拙者は隠居の身。高岡の兵を出しても千人程度
お力にはなれません。」と帰した後、徳川・豊臣両家の間で悶々として、今で
言ううつ病になったそうだね。
0283人間七七四年2012/10/15(月) 13:25:20.05ID:nq6sDb+M
>>279
勝頼は戦略がダメなのが大名として痛かった。戦術家としては信長や
もしかして親父より優秀だったのに。

信長と勝頼見ているとよく言われる戦略>戦術というのを体現している
2人だと思う。
信長は戦術家としては中位だけど戦略家として優れていた。
勝頼は戦術家として優秀だったけど戦略家としてダメだった。

お兄さんが生きていれば叔父の信繁のように優秀な弟として活躍
出来たかもしれん。
0284人間七七四年2012/10/15(月) 13:37:13.42ID:iQgfDLhK
交易でお金持ちの先進地域の名古屋と山梨の田舎大名とでは
条件が違いすぎる
0285人間七七四年2012/10/15(月) 13:41:17.69ID:avzgb464
そもそももう21世紀なんだからさ
尾張の小大名だった信長ってテンプレが嘘なのに
0286人間七七四年2012/10/15(月) 15:49:14.38ID:7bPq4sVF
親父のころから結構勢力拡大してたよねって話?
没落しかかった松平家の嫡男をぶん盗ったり
0287人間七七四年2012/10/15(月) 19:08:03.50ID:CbWREYId
勝頼は大名に向いてなかったのかもな。
というより、戦略がイマイチな人間は大名に向いてない。
0288人間七七四年2012/10/15(月) 20:08:31.44ID:bPCXaAiF
信玄時代の外交が足引っ張ってるのもあったからなあ…
0289人間七七四年2012/10/15(月) 20:28:32.23ID:LuAEZI6T
>>288
織田との関係悪化させたまま死んだしねー
織田との関係が良好な状態で信玄が死んでれば織田と同盟という選択肢もあっただろうに
0290人間七七四年2012/10/15(月) 20:58:10.59ID:YYbZo71Z
ていうか織田と武田が同盟した場合徳川の立場ってもう織田の下請け意外なにもないよね?
武田と上杉の泥沼の戦いに信長の命令で援軍出さされたりとか
0291人間七七四年2012/10/15(月) 23:11:20.19ID:nq6sDb+M
>>289
でも信玄死後も勝頼さえ上手くやればというかその気になれば
織田との同盟は可能だったはず。
信長のように頭は下げるのはタダといわんばかりの土下座外交
だろうがなんだろうが手段選ばなかったら道はあったはず。
勝頼がその方法を選ぶには武田での彼の立場は磐石じゃなかったのかな。
0292人間七七四年2012/10/15(月) 23:32:01.38ID:uFGY8wZh
勝頼は建前上は陣代だし無理だろうな
0293人間七七四年2012/10/16(火) 00:20:49.99ID:1QR8+wJR
武田の家臣団の気持ちになれば分かりやすいと思うよ
北条とは同盟
上杉とはファニーウォー状態だけど謙信とやりあうとか絶対に嫌w
となると新しい領土取りに行くなら東海道沿いに尾張・美濃方面しか無い
織田と同盟すれば上杉と潰し合いになるわけで
0294人間七七四年2012/10/16(火) 07:50:10.61ID:d4fP2rIN
>>291
駿河や上州を放棄し、甲斐,信濃の地方勢力として甘んじる気が有れば、その手も
有ったかもしれない。
0295人間七七四年2012/10/16(火) 09:32:17.18ID:jxH4mVdS
本人の意思はともかく源氏の名門のトップが頭下げられるかどうか
0296人間七七四年2012/10/16(火) 10:10:37.83ID:+1M49cxa
信長のあの窮地に陥った時の恥も外聞もない泣き寝入りや土下座外交
は揶揄されるけど気概はたいしたもんだと思う。
プライドだけでは生き残れない。
プライドを捨てられなかったのだからあの結末も止む終えなしだろう。
0297人間七七四年2012/10/16(火) 12:48:10.55ID:7nz6EsgP
>>291
武田家中ではどうも信長を嫌う風潮があったっぽい。
そもそも織田との同盟のときだって、家臣団が軒並み反対する中、秋山が必死に説得してどうにか締結したって話だし。
あと勝頼の心境がわかる和歌がどっかの神社に奉納されているらしい。
その内容は「織田と和睦したほうがいいのは分かっているけど、どうしようもない」というもの。
家臣団が許さないのだろう。
0298人間七七四年2012/10/16(火) 13:08:43.37ID:+1M49cxa
>>297

>その内容は「織田と和睦したほうがいいのは分かっているけど、どうしようもない」というもの。
家臣団が許さないのだろう。

別スレでそのエピソードか載っていて読んだ。
何か切なかったな。
0299人間七七四年2012/10/16(火) 18:28:41.03ID:dxAhnDVg
>>297
武田の古い体制の家臣団を粛清して再編できていればねー
使える人材は長篠で死んで、クズばかり残っちゃったし
0300人間七七四年2012/10/16(火) 18:32:46.25ID:GEYfB5fz
むしろその使える人材のほうが反対してたんじゃなかったっけ?
0301人間七七四年2012/10/18(木) 01:51:26.90ID:GWXTrsVD
>>300
全体的に反対の声が強かったんじゃないの?
とりわけ譜代衆は。

しかし武田家の中に根本的に織田を毛嫌いする人間が多いのはなぜだろう?
比叡山の件で不快感を持ったか?あるいは家柄の問題か?
0302人間七七四年2012/10/18(木) 06:22:18.90ID:zsVzTQVz
名門武田家が成り上がりの織田家と対等に接せられるかー!という無駄な自負
0303人間七七四年2012/10/18(木) 09:57:23.04ID:IeRtD1Dw
ホンハイ(織田)に土下座できずに会社が潰れそうなシャープ(武田)みたいなものか
0304人間七七四年2012/10/18(木) 12:35:59.39ID:heFhLZEB
しかし、何故これほどまでに接点を持たなかったのだろうか。
信玄のせい?
0305人間七七四年2012/10/18(木) 21:49:26.76ID:CKsPkaip
ノブの方は武田怖い!だったから贈り物送ったりへりくだるくらいの態度だったけど
包囲網が瓦解したあとは「もう怖いもんなんかねーや」って態度になって
双方が緊張状態になって長篠に到った
まったく接点がなかったわけでもない。上杉にも洛中洛外図屏風送ったり
周り敵だらけでとにかくこれ以上敵が増えないようにしていた
0306人間七七四年2012/10/18(木) 22:23:00.39ID:FmcuBOOU
>>305
スレの趣旨とはずれますが、
信長さんは現金なお人ですなあ、とww

北条とかへの対応もそうですが
0307人間七七四年2012/10/19(金) 00:14:12.15ID:wUCfgLol
必要なときはプライドさえ封印するのって大事だよね
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています