滅亡した大名家はどの時点で詰んでいたか
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0001人間七七四年
2012/06/07(木) 21:30:09.77ID:cMVBhgd80182人間七七四年
2012/08/05(日) 22:03:28.76ID:icbIagOn羽生の前に座った時点で詰みとか言うのはどうだろうか
0183人間七七四年
2012/08/06(月) 17:50:35.95ID:4uXJyO+R徳川に歯向かった時点で石田家は詰みとか
0184人間七七四年
2012/08/06(月) 21:34:15.64ID:Lwygztl2毛利:水軍が、木津川河口の織田方水軍を打通できなくなった時点で詰み
だと思うが、へぼ将棋指された方ならお分かりでしょう。
詰んだと思っても、相手が悪手を指して生き延びるケースもあるのです。
明智謀反と言う大チョンボで詰んだ局面が生き返りました。
「負けと知りつつ、目を覆うような手を指して頑張ることは結構辛く、抵抗がある。
でも、その気持ちをなくしてしまったら、きっと坂道を転げ落ちるかのように、転落していくんだろう」
北条は、あきらめるの早かったと思いますww
0185人間七七四年
2012/08/07(火) 00:37:41.52ID:cKZNeDc50186人間七七四年
2012/08/07(火) 01:47:29.26ID:nX4OWxgK「もうちょっと頑張れよ」と伊達正宗さんも言ってることですしw
正直、お前が言うな、と言う奴ですが。
てか秀長死んだら秀吉が壊れると言うなら、
実は、あと半年ちょいの我慢なわけで。
まー知る由もないし、秀長死んで即壊れるわけもないけど、弾薬も兵糧もぎっしりあるんだから、
三木城や七尾城を見習っていただきたかった、とか言う感じの意味ですね。
あきらめ早かったってのは。
0187人間七七四年
2012/08/07(火) 12:36:04.67ID:rlXzBTKN0188人間七七四年
2012/08/11(土) 22:39:48.22ID:uv1W6mNE0189人間七七四年
2012/08/12(日) 02:07:23.91ID:jAS8m9Iu徳川にマークされた時点
…と言いたいところだけど、たしかに致命的な失策が思いつかない
強力な統一政権が成立後の詰みは覆すのが困難ってことだろうか
0190人間七七四年
2012/08/12(日) 02:11:48.72ID:jAS8m9Iuそれで徳川を破ったとしても後で三成に排斥される姿しか浮かばない
0191人間七七四年
2012/08/12(日) 08:11:20.39ID:D6vV5Lysよって信長は天正元年末に自爆のフラグが立っていた。
0192人間七七四年
2012/08/12(日) 15:08:14.66ID:j+f+LbkY0193人間七七四年
2012/08/14(火) 15:24:26.31ID:QzpqR/Inしかし、上杉武田相手の時は敵の物資の補給がつながらなくなれば
退却するだろうという目算があったから耐えきれたけど
豊臣方の兵站は結局切れなかったからなあ
そうなってはもう勝ち目ゼロなわけで
0195人間七七四年
2012/08/16(木) 15:36:11.26ID:sVCUsaMs初めから徳川についたということかい?
0196人間七七四年
2012/08/16(木) 21:10:01.59ID:6PDk4jJ+194ではないが、中立云々以前に小早川=毛利が動かなければ、西軍は結成
されず、関ヶ原そのものがない。
0197人間七七四年
2012/08/17(金) 00:05:57.73ID:bWl1RaMn0198人間七七四年
2012/08/17(金) 01:10:09.13ID:sOhhz5lu減封も入れるなら西軍大名ほとんどが詰んでるし
0199人間七七四年
2012/08/17(金) 06:34:56.05ID:K30oLrApどっちみち所領がデカすぎるから前田上杉みたいにイチャモンつけられて毛利征伐→減封になると思うよ
関ヶ原も毛利がもっと積極的に動いてればいいだけの話だったし
0200人間七七四年
2012/08/17(金) 09:57:49.28ID:Okxo8WF6毛利はもともと改易されるところを、吉川の懇願でなんとか生き残ったから、
西軍大名の中では異質な存在だよ。
実質、詰んだ。
0201人間七七四年
2012/08/17(金) 12:28:14.89ID:qqMQcmeD0202人間七七四年
2012/08/17(金) 18:13:58.98ID:K30oLrAp島津も結局同様な理由だし
0203人間七七四年
2012/08/17(金) 19:29:12.87ID:dbzd/bNqそうなれば、半ば手中に収めた天下もどう転ぶかわからない。
そんな事は家康は百も承知。
全土没収をにおわせて、三割でも残せば関ヶ原本戦敗北で腰が抜けた毛利は
飛びつく事も計算済。
と言ったところではないか。
0204人間七七四年
2012/08/17(金) 22:45:46.78ID:K30oLrAp客が渋ったところにサッと今なら特別価格!とか言ってちょっと安くしてお得感を出させるみたいなもんか
0205人間七七四年
2012/08/17(金) 23:54:50.11ID:URuGupm/「災いは西からやってくる」と言い残したって本当か?
0206人間七七四年
2012/08/18(土) 08:26:27.79ID:0idYjllU大義名分もないから味方につく者もいない。
本隊が安泰だから家康に対抗できるなんて夢のまた夢。
毛利を買いかぶりすぎ。
島津は辺境の地が幸いした。実際強かった。
0207人間七七四年
2012/08/18(土) 12:15:48.62ID:8SebFGAV島津戦と何度も滅亡しかけたけど、外交戦略とかで長期的には
切り抜けてきたのにな。
朝鮮に行ったときに吉統が当主だったのが詰みだったか
0208人間七七四年
2012/08/18(土) 20:02:00.75ID:sHmG6gaHかと言って本領安堵を約して置いて、やっぱり止め〜た、全土没収ね。
では流石の毛利も玉砕覚悟で戦うだろうよ。
そうなれば島津もどう動くかわからんし、伊達だって背後から何をやらかす
かわかった物ではない。
0209人間七七四年
2012/08/18(土) 22:46:07.88ID:XemMjPT/頑張って秀吉に気に入られて羽柴姓の許しを得たり
将軍家からの「義」の偏諱を捨てて「吉」の字をもらったり
吉統なりに権力者対策はしっかりこなしてるんだが…
相手が秀吉だったのが運の尽きか
0210人間七七四年
2012/08/20(月) 14:43:43.16ID:kTe/NF7tわかってて言ってるかもだけど、エゲレス人の方が戦死者は多かった。
無差別砲撃で町は壊滅したけど。
0211人間七七四年
2012/08/23(木) 20:44:47.76ID:UcWf8kU4大友義統は唐入りの戦場で、小西行長討死の虚報を聴いて、
生死を確認せず勝手に自軍を撤退したのが致命的なのよ
そのため、敵に追撃されていた小西軍だけでなく、
撤退せず援護に残った黒田軍も窮地に追い込んで、大苦戦させた
結果的にデマに踊らされ友軍を見捨てて、自軍だけ逃げたわけだから
どこの戦場でも、これやったら改易レベルの大失態ではある
0212人間七七四年
2012/08/27(月) 14:27:19.55ID:cPLLv36c0213人間七七四年
2012/08/28(火) 22:28:20.82ID:5NHMimrSその場合は家康は有力外様大名各個撃破を取る形になって天下の実権握るのに史実より
相当時間かかるから、途中で伊達政宗や黒田如水らが横槍入れて天下取り失敗、
最低限豊臣・徳川連合政権くらいしか天下掌握できなかった思う
0214人間七七四年
2012/09/02(日) 17:49:18.50ID:8FobzUsx0215人間七七四年
2012/09/03(月) 02:49:19.21ID:4pBXkSYkイギリス側が油断して
大砲の射程内に入ったからでしょ
本当なら薩摩側の射程外から安全に砲撃で来たのに
0216人間七七四年
2012/09/03(月) 21:34:04.93ID:ZmojNh2/地震で全滅したんだし。
0217人間七七四年
2012/09/03(月) 22:01:54.25ID:GK3DgYj2一族郎党が全滅とかw
0218人間七七四年
2012/09/03(月) 22:18:51.81ID:Zv6mnecW0219人間七七四年
2012/09/03(月) 22:30:27.53ID:KjkpDAeE0220人間七七四年
2012/09/04(火) 19:08:05.86ID:bggtWsLjこれ以外なかろう。
0221人間七七四年
2012/09/04(火) 20:12:54.27ID:rq1jb6J30222人間七七四年
2012/09/04(火) 21:24:32.49ID:ZsBDxqVJ0223人間七七四年
2012/09/04(火) 22:48:48.05ID:Ny5XJGOj0224人間七七四年
2012/09/05(水) 13:36:12.76ID:7ZTvl0ni0225人間七七四年
2012/09/05(水) 17:42:56.61ID:DSIyxXiU大阪の説話とか読む限りそれはない。
なぜなら、秀吉が大阪巡行中に戯れで手をつけた町娘がその子をはらんで、言い出せずにそのままになったという話が残ってるから。
だから、種がないじゃなくて、やり過ぎて減ってただけだと思う。
0226人間七七四年
2012/09/05(水) 22:16:33.09ID:2oohrYvE0227人間七七四年
2012/09/09(日) 13:34:25.09ID:st+Qx8Fk大阪市立図書館蔵書にあったから。昔。
引っ越ししたりその他蔵書整理してなくなってたら知らんが。
0228人間七七四年
2012/09/09(日) 18:21:50.51ID:XoThvyrzあと数代は続いたと思うけどなあ。
0230人間七七四年
2012/09/10(月) 13:40:41.25ID:ECFGhHN60231人間七七四年
2012/09/11(火) 11:53:47.24ID:xv8tdN67子孫が4人の所領・権限を相続できないか、織田家からの養子に乗っ取られて詰みだったような気がする
羽柴家はすでに乗っ取られつつあるし
丹羽家はとりあえず長重の代までは大丈夫
0232人間七七四年
2012/09/11(火) 22:23:47.35ID:9Bl/jlvIそのあたりの家と言うものに対する考え方は、
多分、現在の視点とは違うと思うので、連中がそれを「詰んでいた」と、
考えるかどうかは怪しいと思う。家の存続的には安泰なわけだし。
そもそも、独立大名ならともかく、家中の者たちなわけで、
言い出せば、家来になった段階で大名家としては詰みww
0234人間七七四年
2012/09/12(水) 08:27:01.89ID:o1Z53j38家康の子信吉が再興したのに、嗣子なく再び詰んでしまった。
0235人間七七四年
2012/09/15(土) 22:39:02.49ID:eGnVWhGa「あれ、有名なあそこのウチ絶えてるじゃん?んじゃ今度からお前の名字〇〇な」
「ははっ(え〜…!?)」
0236人間七七四年
2012/09/15(土) 23:02:58.89ID:0ZNzSq4rかなりの期間、尊氏の血統を引き継いだ
0237人間七七四年
2012/09/23(日) 14:28:54.16ID:i+xOq4pU御家≧血統という感じだし
0238人間七七四年
2012/09/23(日) 15:18:06.86ID:wr+LlIWPアカの他人の越後の長尾が継いで、
江戸時代には吉良になっちゃた。
0239人間七七四年
2012/10/03(水) 01:05:13.24ID:j6x0Y69Hしかもその後は九州の秋月だしね
池田家は小牧長久手で徳川から壊滅的なダメージ被ったのに江戸時代は準一門で勝ち組
すごいリカバリー力だ
滅亡するその時までは逆転の可能性はあるんだね
0240人間七七四年
2012/10/03(水) 08:45:35.57ID:ytEv9VMC跡を継いだのは先代の実子だから、吉良に戻ってる
0242人間七七四年
2012/10/05(金) 08:12:21.89ID:9tvUEENJ0243人間七七四年
2012/10/06(土) 01:04:48.60ID:43e4Qy85必須ではないが
0244人間七七四年
2012/10/06(土) 09:19:19.33ID:iASD/EDQとして幕末まで血統を残した。
50万石前後の大封を得ながら、子孫は雲散霧消してしまった福島正則や加藤
清正と比べてどちらが良かったのか、考えさせられる。
0245人間七七四年
2012/10/06(土) 09:35:44.77ID:V/BMd6mo福島は秀忠ごときに流されちゃったから無念だろうね。
0246人間七七四年
2012/10/06(土) 09:41:02.22ID:y9mTylE2加藤「まぁあとから考えるとそうだなー」
0248人間七七四年
2012/10/07(日) 02:35:32.74ID:CkId778k福島が「なんでこの俺たちがこんなことしなきゃならないんだ」と愚痴を漏らした
それを聞いた加藤が「嫌なら国に帰って戦の準備をしろ」と言ったやりとり
0249人間七七四年
2012/10/07(日) 02:40:40.44ID:CkId778k0250人間七七四年
2012/10/07(日) 06:54:35.02ID:cLmo/4bM0251人間七七四年
2012/10/07(日) 08:05:51.50ID:tRneiCCB0253人間七七四年
2012/10/08(月) 13:47:29.40ID:/8LW6B390254人間七七四年
2012/10/08(月) 18:00:44.74ID:qppGjtPa家康さえ死ねば豊臣天下復活は容易に可能だからそれまで待とうという考えだったのかも。
0255247
2012/10/08(月) 21:44:13.89ID:yJXp8OpXそれ、「時すでに遅し」の典型例だな
何人ついてくるんだその当時の福島にw
まあ清正の言葉は冗談交じりの愚痴返しだったんだろうけど。
0256人間七七四年
2012/10/08(月) 23:31:52.84ID:L+WRLita0257人間七七四年
2012/10/09(火) 07:57:06.08ID:hUQWpych大坂陣の勃発前、福島の所に大坂の使者が行った時の返答の中に
「5年早いか、遅ければ・・・・」と言ったと読んだ気がする。
嘘か本当か知らないが、5年前なら徳川政権の基盤も安定しておらず、豊臣家
への忠誠心を持ち続けているものも多かったと言う事だったと思う。
0258人間七七四年
2012/10/09(火) 09:53:04.56ID:Wn/Xuzw4毎日ヤケ酒かっくらって死に急いで逝った主計守さんもいますしね
0259人間七七四年
2012/10/09(火) 10:44:47.24ID:s715slVf0260人間七七四年
2012/10/09(火) 11:19:26.62ID:WW/xU3lsどっかに子孫がいてもいいのにな
0261人間七七四年
2012/10/09(火) 11:27:02.22ID:s715slVfなんだけどな
熊本県民は馬鹿だから細川の末裔を知事にしてたがw
0262人間七七四年
2012/10/09(火) 14:36:11.30ID:JGFEVeDb0263人間七七四年
2012/10/11(木) 15:53:14.13ID:dFWmiAYm5年早ければまだ清正も生きてたから・・・という事だろ
0264人間七七四年
2012/10/12(金) 08:24:55.31ID:JqtS+Zm1豊臣家にとってこの二人が他界したのは痛かった。
0265人間七七四年
2012/10/12(金) 08:37:47.28ID:C1wL9JYT生きてたけど役立たず、実の母親を人質に差し出したろ。
0266人間七七四年
2012/10/12(金) 09:00:31.03ID:pfScZJWVいざとなれば城下を焼け野原にしてでも戦え!」という激烈な遺言を残されたのに恫喝に負けて
ホイホイ母親を差し出して「許してください!徳川殿に背くなどしません」などと
弱腰の極みの対応をして母親からも怒られたひ弱な嫡男さんじゃないですか
なお弟はやる気満々だった模様
0267人間七七四年
2012/10/12(金) 14:10:30.34ID:lgem7TiF小牧長久手くらいでしょ?
関が原なんて実際は包囲殲滅される陣形なんだし
案外前田利家は戦えば勝てると本気で思ってたのかもよ
0268人間七七四年
2012/10/12(金) 14:57:30.87ID:cIlL6Ol/負けはしないってのなら、そこそこ居るだろうが、
徳川に勝つ可能性はドコも無い。
前田と豊臣直参の連合軍なら味方する大名もそこそこいたんじゃなかろうか。
どのみち前田単独じゃどうにもなんが。
0269人間七七四年
2012/10/12(金) 16:01:23.27ID:imLJbyZQ0270人間七七四年
2012/10/12(金) 18:03:52.10ID:GpChHWv0豊家の危機とあらば怨醜をこえて三成や清正が手を汲んでくれるかもしれない
秀頼様を表に推し出せば恩顧武将は手を出せないから内府はたちまちに死ぬ
たとえ俺が死しても武門の前田家の嫡男たるもの家中を一つにして城を枕に討ち死にしてくれるはず
内府は年だからもしかしたら変事でたちまちに死ぬやもしれん
まさか息子が嫁を差し出す腰抜けだったと知ったら直々に叩き斬られてたでしょうなw
>>268
上杉・毛利・島津くらいか一応ガチでぶつかれるのは
0271人間七七四年
2012/10/13(土) 12:28:03.44ID:hfLyKUFD0272人間七七四年
2012/10/13(土) 21:03:11.31ID:pQsB10xT0273人間七七四年
2012/10/14(日) 02:19:22.86ID:JWSIDQO7本能寺の変後、北条・上杉相手に武田遺領の
相当部分を確保したのだし、かなりなものだと思うけど。
0274人間七七四年
2012/10/14(日) 07:27:37.96ID:4kCqkYw70275人間七七四年
2012/10/14(日) 10:58:50.70ID:JWSIDQO7北条も上杉も進出してきたじゃん。、
0276人間七七四年
2012/10/14(日) 15:15:09.19ID:1Np5oHtb火事場泥棒ではなくて織田家の了承を得ての行動じゃなかったっけ?
確か柴田と秀吉のそういう書状が残っているはず。
0277人間七七四年
2012/10/14(日) 16:51:07.07ID:EY7d7zBL信長包囲網で信長が劣勢に立たされていたから、充分に信長を葬る事が出来た。
近畿を統一された後から動いていては遅すぎる。
0278人間七七四年
2012/10/14(日) 21:32:42.91ID:S6GiVV4Yでも、近畿って、その信長が統一してもしばらくは政情不安定だったわけでね…。
よその地方のものからすれば、統一したからどうした程度でしかないよ。
どうせすぐに荒れて維持できないと思ってるからね。
0279人間七七四年
2012/10/15(月) 00:37:16.21ID:saoCElsd今までそうだからって今後もそうである保証なんて無いんだ。
0280人間七七四年
2012/10/15(月) 01:43:58.67ID:tzW368tW浅井・朝倉が元気なうちに信長を葬っておけばよかったって事。
勝頼が動いた長篠の戦い(1575)は浅井・朝倉・三好・松永がすでになく、
長島一向一揆も制圧されて、越前侵攻で一向宗もやられた後の年で、
信長にとって余裕があった年だよ。信長にとっては「決戦は望むところだ!」ってな時に
わざわざ決戦してしまうなんてのは戦略をまるでわかってないないに等しい。
0281人間七七四年
2012/10/15(月) 02:31:00.87ID:tzW368tW■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています