調べてみたら
・当時は天皇の家族をファミリーとしてとらえる概念がなかったから、
「王家」でも「皇室」でも問題ない
・今まで大河では「皇室」を使っていたが、学術的な観点から中世史学会で用いられている「王家」を採用した
(考証担当の本郷和人氏の著作「謎とき 平清盛」)
・「王家」が学術用語になったのは、黒田俊雄氏が「権門体制論」をうちだすうえで、「皇」では
皇国史観の影響で中立ではないと思ったから。
・また、「王家」よりも頻繁に使われている「朝家」では意味が異なるのも黒田氏が「王家」を選択した理由である
・「王家」は中世史学会の方言のようなもの
・近頃では「王家」では適当ではないとして「院宮家」などを提唱している学者もいる
(「謎とき 平清盛」で参考文献で挙げられていた「歴史評論 2011年8月号」の複数の論文より)

個人的には、当時その概念では使われてなかった学会内での用語を、わざわざ大河に新しくもってきたことが
一番の問題だと思うから、十把一絡げでネトウヨとか無知扱いしないで欲しいもんだ